20年1月10日

新年明けましておめでとうございます。
ご挨拶が遅れまして申し訳ありません。

さて、ご存知の通り、年末から11日間の年越しクルーズに行っていました。
・息子がNYに行っていて、不在
・友人が負傷中で,新年会が成立しない
・サラリーマン家庭にはありがたい9連休
の3つの理由から、夏の花火見物から間もないというのに2回目のクルーズに挑戦したわけですが、実のところ息子は11月末に帰ってきてしまいました。

かと言ってせっかく申し込んだものを取りやめる理由もありません。
また、行ってみて、どう考えてもリピーターが殺到する超人気のクルーズで、たまたまキャンセルが発生したところにすっぽりと申し込みがはまったのではないかと思われます。運がよかった!

結婚して30年、家でないところで新年を迎えたというと近所の友人ご夫婦宅で一緒に除夜の鐘を聞いたぐらいで、それとて夜中に2人で歩いて帰ってやはり正月っぽい支度はしていたわけです。
おせちも餅つきもしないとはいうものの、どうしても「伊達巻きぐらいは」「お雑煮用のブリぐらいは」「息子の好きなローストビーフを作ってやりたい」などなど、混雑した師走の街で正月値段の食材を買い込む羽目になるので、一切を外注に出す構えのクルーズは本当に良いものでした。

ふたつ問題があって、
「今ひとつ、新年を迎えた気分になっていない」(慣れない環境でのカウントダウンは効かなかったようです)
「上げ膳下げ膳で掃除さえしなかったため、家に帰ってから家事をするのがいやでしょうがない」
両方ともまあおいおい解決していきたいと思います。

それでは今年もよろしくお願いします。

20年1月10日

旅行でずいぶん傷めてしまった足にヒアルロン酸の注射を打ってもらおうと整形外科で診察を待っていたら、ぽんぽんっと肩を叩かれてびっくり。
前に担当だったPTさんが声をかけてくれたのだった。

「お元気ですか?息子さんとダンナさん、お元気?」
「はい。息子はパチンコ屋でバイトして、カノジョと暮らしてます。あいかわらずコントですよ」
「それはよかった!じゃあまた!」
よく覚えてるもんだなぁ、1年以上前の話なのに。

何となく胸がほかほかしたよ。
こんな日は、すれ違う人にもとてもていねいにしたくなる。

20年1月11日

息子が車のキーを返しに来た。
我々が留守をしている正月中にドライブ旅行に行こうとの計画だったところ、カノジョが体調を崩してしまって、結局行けなかったらしい。
運転席に旅行用に使って、って心でポチ袋に些少なおこづかいを入れておいたんだが、無駄になってしまった。
もちろん今回渡して、
「できれば次に旅行に行く時とか、娯楽に使って」と申し入れたんだが現実は厳しく、
「悪いけどさっそく米を買う」と言われてしまった。まあそれもまた良し。

カノジョはただ過労らしいので心配しなくていいと言われた。
「じゃあ、お正月は何をして過ごしたの?」
「看病がてら、ゆっくりテレビをみたりしてたよ。わりとすぐ仕事だったし」
息子は今、パチンコ屋で働きながらコント修行をしているのだ。

「『人の役に立つ仕事をする』と言っていたけど、そのへんはどのように?」と聞いたら、
「生活の潤いが近所のパチンコ屋に行くこと、っていうおじいさまおばあさまが多いので、その人たちがこの人がいてくれてよかったと思えるような接客を心がけて働いている」のだそうで。

なんでも年金の支給日にはお客さんがどっと増えるらしく、老人の時間つぶしとしてはなかなか人気があるようだ。
「ヒマになるとパチンコに来るんだなぁって思う」と言うので、
「母さんの老人のイメージは、『朝早くから図書館の席を確保して、午前中いっぱいは雑誌を読んで時間をつぶし、午後は借りて帰った本を読む、と言った感じなんだが」と話すと、
「インテリ層だね」と短い答え。

なんとなく気を悪くさせてしまったようでしょんぼりするが、別にインテリを気取ったわけじゃなくて、私自身パチンコはほとんどやらないし、1日自由になるとして、パチンコをやりたいとは思わないだけなんだ。
とにかくずるずるとお金がかかるのは苦手なんだってば。

それでも息子の人間観察眼には優しさが加わってきた気がする。
我々に対する態度もすこぶる良くなった。
何を食べても「美味しいねぇ!」と感嘆してくれるし、食事中にPCなんか見ないし、食後の食器は下げてくれるし。

牡蠣の苦手なカノジョが来られないからと、先日取りやめにした牡蠣鍋を今回食べるのはなんだかいかにも意地が悪い。
カノジョを仲間はずれにしているみたいだ。
息子にそうお伺いを立てたら、
「え?なんで?別にぜんっぜんいいじゃん!」とまったく気にしてない様子。では食べよう。

土鍋で料理中のせいうちくんの手元をやたらにのぞき込んで、
「赤味噌は、この料理のためにわざわざ買ってんの?」(せ「そうだね、ほぼこれにしか使わないね」)
「野菜入れすぎじゃないの?」(せ「くたくたに少なくなるから、いいんだよ」)
「水、多いんだね」(せ「野菜を煮るために、ある程度多め。あとで少し捨てる」)
などとさまざまに質問をする。
戸棚をあちこち開けて、食料品のチェックもする。
大事にしていた非常用の「すがきやの味噌煮込みうどん」を発見され、少し持って帰りたいと懇願されてしまった。しょうがない、3つあげよう。

船で1日に1回補充されるソフトドリンクのうち、オレンジジュースは甘いから飲まないでとっといて、次々補充される分を全部持って帰ってきた。
「飲むでしょ。あげるよ。持って帰りなよ」と重たい袋を渡したら、
「こんなに!罪悪感は、感じなかった?」と笑われた。
全然~。そりゃ貧乏くさい感じはするけど、値段のうちなんだもん、アメニティを持って帰るのと同じで、問題ないと思うよ。

おいしい牡蠣鍋をたらふく食べた後(予定されていた〆のうどんは出る幕がなかった)、クルーズの話もたいそうよく聞いてくれて、たださすがに20分以上写真見ていたら「そろそろ飽きた」と言っていたが、サイパンは行ってみたいのだそうだ。
戦争記念公苑の写真などはゆっくり見ていた。

いつかは世界一周に行きたい、と言ったら、
「いいじゃん、2人はお互いに好きで仲良しだから、一緒にいると楽しいんでしょ。ぜひ行きなよ」と応援してくれた。

「マリア観音」の像に興味を持ち、
「なんでマリア信仰が入ってきたの?禁止されてる時に、キリストじゃあんまりそのものすぎるから?」などと質問し、せいうちくんがマリア信仰は世界中にあるのだと答えたら「あとで調べよう」と小さな紙にメモを取っていた。
他にも「炎の色はなぜいろいろあるのか。温度の差だろうか」と呟くので、せいうちくんが、
「要するにどの物質が何度で燃焼するかにかかっっている。色の数は花火を見ればわかるでしょう」とさすが塾講師志望の男。

思わず息子に、
「お父さんが物識りでいいと思わない?便利だし、面白いよ。やっぱり人間、中学や高校で真面目に勉強するのが大事だねぇ」と褒めちぎってしまった。
息子もまあまあ基礎教養のある人なんだ。
今現在の欠点は、難しい言葉を使おうとして失敗すること。
口伝えは「こうでん」じゃないよ、「くでん」だよ。葬式に持ってくアレかと思ったよ。

船旅がとても楽しかったので、
「父さんが生きてるうちは母さんの面倒も見てくれるし寂しくないけど、万が一先に死なれちゃったら、ちょっとどうしていいかわからない。長生きの家系だから大丈夫だとは思うんだけど。それに、いきなり倒れて死んじゃうんでない限り、自分が早く死にそうになったら母さんのこともちゃんと考えて、連れてってくれるってさ」と言うと、
「父さんいなかったら、寂しいだろうねぇ…オレも、母さんが残されたら出来る限りのことをするよ」と深刻な顔をする。

「それは、一緒に暮らすとかして面倒見てくれるって方向?それとも人生終わらせて楽にさせてくれるって方向?」
「どっちかと言うと、後者」
「えー、あなたの人生もそこで終わっちゃうじゃん。自分の子供にそんな負担をかけたい人はいないよ」
「でも、時々聞くよね。懇願されて、かわいそうで手を下してしまうってやつ」
「そういう始末は自分でつけるから、そこまで考えてくれなくていいよ。いちおう、自分の子供とか孫とかには幸せであってほしいんだよ。身内が自殺しちゃうって悲劇には耐えてもらわなきゃいけないけど」
新年早々つくづく縁起でもない話をするな、我々は。

暗すぎる話題を振り切るように、
「今日も一緒に何か観ようと提案したいんだよ。オレとしてはまた『クレヨンしんちゃん』を推すなあ。今回は『嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦』を観たい。こないだ、家にDVDあるのを確認したんだ」
用意のいいやつだな。
しかしこちらにはこちらの腹案がある。
こないだ大河ドラマ「いだてん」1年分をブルーレイ3枚に焼いてあげた時、余ったスペースに「俺の話は長い」入れておいたって言ったでしょう。
景気づけに初回を観てみない?
「ああ、あれ、やたらに評判いいよね。観てみようか」
「いだてん」の三島くんだしね。

ところが、いざ観始めると、それなりに脚本に感心して笑ってはいるんだが、1話分30分が終わったところで、「ん、もういいや」と切り上げてしまった、
どうも、ニートのミツルくんに周りが「働け」と言うとピクッとするみたいな気がする。
2年半前に会社を辞めた前後、錦戸亮主演のドラマ「ウチの夫は仕事ができない」を両親が観ていたら、
「面白くない。こんなドラマ、誰が見るんだ。ドラマってのは観る人を幸せにするためにあるんじゃないのか」といたくおかんむりだったことがあるが、何やらその時を彷彿とさせる。
ま、今の彼は曲がりなりにもニートじゃないので、ある種の一般的な価値観に異論を唱えたい立場と信条なんだろうなと想像する。

当初の計画通り、「クレヨンしんちゃん アッパレ!モーレツ戦国大合戦」を見始める。

しんちゃんが過去に行って出会うサムライ、井尻又兵衛(いじり・またべえ。当然しんちゃんになんやかんや言われる)が、
「しんのすけの家族は皆元気か。うん、それが何よりだな」と言うシーンで、
「ホント、そうだよね〜」としみじみ言う息子。

彼は、私よりずっと「家族」が素直に大切で、好きなようだ。
思春期やら反抗期やらでこじらせていた時期はあるが、還暦にして厨二病の母親とは別の境地で、本当にめでたい。

戦国ものを見ていたせいか、死生観について語る瞬間が多かった。
サイパンのバンザイクリフなどの話とも合わせ、
「価値観や思想の問題だよ。つくづく、教育って恐ろしいし、大事だと思う」と言ったら、深々とうなずいていた。
それでもどうも生きることと反対方向を向いているようなところが、私や私の父に似ている。
「あなたは、どこか淡白で虚無的だね。DNAのせいなのか、環境なのか、どっちかね」と問うたら、
「そんなことないよ。映画に、引っ張られてそんな気分になってるだけ」と言っていた。
まあ信じておこう。

終わる頃にはおなかがすいたと言うので、さっき食べられなかった「味噌仕立て牡蠣鍋うどん」を作ってあげたら大喜びで食べていた。私も食べて、おいしかった。
やはり鍋の〆はうどんだなぁ。

実家で育った、長いこと会っていない同い年のイトコの話になって、
「アイツはいいなぁ、おじいちゃんと暮らせて」とぽろっとつぶやいた。
小5で名古屋の祖父に死なれた彼は、けっこうそのおじいちゃんが好きだったのだ。

今日は泊まって行ってくれるので、この話は明日しよう。

19年1月12日

翌朝はパチンコ屋に9時には行かなきゃ行けないそうで、バシッと7時半に起きた。
昨日から目をつけられていた冷凍庫のウナギとごはんを解凍して、うな丼を食べさせてあげた。

昨日、「名古屋のおじいちゃんと暮らしたかった」とぽろっとつぶやいた彼だが、
「まあ、言ってみただけだよ。現実には難しいことがいろいろあるし」
そうだね、君は、苦手なおばちゃんやおばあちゃんと暮らさなきゃいけなかったかも知れないし、結果、イトコとの仲が悪くなっちゃったかもしれない。
そもそも今いるたくさんの友達と別の人生だ。

ずいぶん名古屋のおじいちゃんが好きだったんだね。
私から見てもとても似ている、ほぼ同一性格なところがあるため、もっと自分がオトナになるまで生きていてくれたらいろんなことを共有できたと思うらしい。

そんなに良い父親ではなく、同じく性格激似な娘の私とも生涯で原稿用紙2枚分ぐらいしか話したことがない気がするんだが、ポイントを外さないクレバーな人だったため、なんとなく思い出が美化されてる部分はある。
せいうちくんも岳父とそれほど話したわけではないのに、「立派な人だったと思う」と言う。
省エネな生き方だ。
そのへんが、息子にはカッコよく見えるんだろうな。
また、カッコ悪いとこが見える距離にいなかったわけだし、実際にはあまり逢って話したことがないのが幸いしてるとは思うんだが。

「おじいちゃん、麻雀とか強かったでしょう。あれは、絶対強い」と息子に言われて思い出した、「雀鬼」と言われた時期もある父の、もっとも印象に残っている意見。

「麻雀は、つまるところピンフ系かトイトイ系だ。確率はおんなじようなものだから、あとは好みの問題だ」

これを人生訓ととらえ、ふたつのことの間で迷った時には大いに参考にしてきた。
もっとも、のちに麻雀の好きな人々に聞いて回ったところでは、「ピンフとトイトイの確率は同じではない。ピンフの方がわずかに『出来やすい』」のだそうだ。
してみると、父はトイトイ系が好きだったのだろうか。ピンフの打ち回しに定評があったと勝手に思ってた。
(私は麻雀が弱く、見た目が良くて簡単な「七対子」に走る幼稚な雀風である)

その次によく覚えている意見、と言うか、あれは遺言なのかな、一応。
末期の肺がんの父とホスピスで会い、もう次に会うことはないだろうって時に、
「何か、私に言っておきたいことはない?」と聞いたら、
「客観的になれ。自分の中にもう一人の自分を置いて話し合え。感情的になるな。女はどうも感情的でいかん」との答えだった。
これは、私が女だから感情的である、というより、そう言われて理解できるだろうと思ってくれての言葉だと、今も信じている。
でもごめんなさい、お父さん、あなたの娘はけっこう感情的です。
思考は論理的なのに、人格の敷居が低いんだと思います。すぐに感情決壊。

「父−私−息子」とつながっている色濃い遺伝子として、観察が細かく、しかも先を読む。
同居の孫、つまり息子のイトコが何か落っことすとかの些細な失敗をしでかした時の祖父としての口癖は、「じいには見えていた」(そうなると思っていた)だったそうで、これについては母や姉は相当気を悪くしていたものだ。
「わかっていたなら、先に言え!(怒)」
まあ怒るだろうなぁ。

同じように先が見えていても、私は「他人の好意を勝ち得たい」欲望が強いもんで、不幸な未来を回避しようとしすぎる。
「予知された近未来」は「回避されて起こらなかった不幸」となるので、「起こってしまった不幸」よりインパクトが弱い。
それに、細かく枝分かれする未来をすべて警告しようとした結果、「こうするとああなる、でもああするとこうなる」と予知は細部にわたる。
つまり、「いちいちうるさい」のである。
これはこれで、嫌われる。

息子は、豊かな時代に愛されて育ったせいなのか、いろいろと淡白で、どちらの呪いともわりと無縁。
つまり「別にどうなってもいい」ので予知もしなければ「見えていた」とも言わない。
カノジョとか身近な人にどうなのかはよくわからないけど、少なくとも家にいた頃、私が失敗しても「ふーん」だったし、せいうちくんが失敗しても「オヤジらしいな」であったような気がする。

ちゃんとごはんを食べ終えて、シャワー浴びて間に合うべくダッシュで出勤して行った。
彼がまた仕事に行く光景を見ようとは。
もう「ハーフニート」とは呼ばないでおいてあげよう。


20年1月13日

やっとクルーズ旅行についてまとまりました。
けっこうボリュームのある旅の記録です。
人生にはいろんな楽しみがありますが、個人的に、クルーズはかなり上位の楽しみでした。(あんまり趣味ないし)
空と海と大好きな人のコラボレーションはかなり相当いいものですので、皆さんもどうぞチャレンジしてみてください。
我々も、きっとまたいつか行きたいと思っています!

「眠れない夫婦のクルーズ航海日記」(2020年1月)


20年1月15日

昨日、息子から連絡があった。
「明日の昼間、住民票を取りに役所に行くから、お母さん時間があったらお茶でも飲まない?」

皮膚科でケロイドの治療をしたあと、近所の喫茶店で会う。
息子に会うのに「クルーズ船に乗る時」並みのお洒落をしてしまった。
(月に1度いーかげんな格好で現れるおばさん患者がスカートはいてアクセサリつけてるので、女医さんが怪訝そうな顔をしていた)

「船旅で太っちゃった」と言うと、
「健康的で、いいじゃん」。
どうでもいいから肯定的なのかも知れないけど、人に肯定されるっていいもんだ。特に「家族」からは。
なんつーか、「育みなおされてる」のかもしれない。
こうしていたらにこにこと健やかに育つことができそうな気がする。

結構長居したので、私はコーヒー2杯とチョコバナナワッフルを。
彼は食事もして、コーヒー、サラダ、エビクリームドリアのセットに、あとから日本茶付きの「ぜんざい」を頼んでいた。(「塩昆布」がついた、優秀なひと品だった)

「家行っていい?シャワー浴びたいんだ。オレ、車運転するから」と店を出ようとした時、彼のリュックのファスナーが開いてて中身がはみ出してるのを隣の席の老婦人たちが指摘してくれた。
「あっ、すいません、よくやっちゃうんです。あれっ、ドリアの上の方だけ食べてますね」
「ごはんはあんまり食べないのよ~。食べてほしいわ~」
「もうちょっとゆっくり時間があったら、ぜひいただきたいんですけど!またの機会に!」とさわやかに別れていた。
「こういう呼吸で、パチンコ屋でも働いております」と聞いて、なんだか安心したよ。

一緒に帰ってきて、シャワーを浴びたあとの彼とお茶を飲んだ。
棚から出した「柔道部物語」を読んで「いいなー、柔道、思い出す!はー、ホントに面白いわー」と感激していた。
「それって、父さんや母さんが『げんしけん』読んで思うのと同じことかも知れない」
「あー、そうかも」
こんな話が通じるのが嬉しい。

「あなたって、母さんの日記にものすごい頻度で登場するんだけど。今度は『パチンコ屋に勤める、コメディアン志望の息子』になる」と何度目かのゆるやかな許可を取ると、相変わらず、
「全然かまわないよ。オレには肖像権も何もないもん。写真も、好きなように載せて。でも『コメディアン志望の息子』には異論があるなぁ」
「なんで?」
「(決然と)オレはコメディアンだから」
以後、そう呼ぶようにします。

今日の勤務は18時から、と言うからこないだは朝からだったパチンコ屋のシフトが違うのかと思ったら、それ以外に居酒屋でも働き始めたらしい。終電までには終わるらしいが。
ダブルワークは大変だ。
「カノジョに会える時間も少なくなっちゃうねぇ」
「しょうがないよ。カノジョはいつか外国へ勉強しに行きたいって言ってるし、2人でお金貯めて、その前に日本のあちこちを一緒に旅しようって言ってるんだ」

夢だらけだ。いいね。
あなた方2人がとても幸せそうなのが嬉しいよ。
お互いの別の人生だけど、困難な時は頼ってみてね。

船でもらった大量のジュースの残りを持たせ、「柔道部物語」も「母さんたちは自炊用にまた買うから」と持たせると、
「じゃあね、ありがとう」と言って玄関を出て行く。
「あー、あれあれ!忘れてる!」と騒いだら、
「あっ、そうそう!ごめん!」と満面の笑みで振り返って踏み戻って、ビッグハグをしていった。

穏やかになった息子と時間を過ごすのはとても楽しい。
これからの彼の人生はまだどうなるかわからないけど、彼にはもともと「幸せになる力」があるうえ、今や「大好きな人を幸せにしたい」力まで身につけてしまったようなので、もう親の出る幕はない。
健康にだけ気をつけて、仲良くやってください。

20年1月18日

IKEA立川行って、買い物しまくった。ごはんも楽しい。
今は「煮込み&シチューフェア」で、「牛肉の赤ワイン煮込み」が美味しかった。定番のサーモンも好き。
「お金を払う」と「憂さを払う」は同じ語源だ、が持論のせいうちくんと、小金を使って憂さを払ったわけ。
今や、ディズニーランド行くよりもこっちの方が魅力的な巨大アミューズメントパークだなぁ。
使ったお金がすべてたちまち生活に生きるところがいい。私は即物的なんだ。

1年ぐらい前に買ったタブレットスタンドが気に入っていたのでいくつか買い足したところ、前の商品とは変わっている点を発見した。
立てるためのスリットに、フェルトが貼ってないのだ。
「廉価版になってしまったか?」と嘆いていたら、これだと前はぎりぎり入らなかった、ケースをつけたままのiPad Proでも使えるのが判明。
もしかしたら、改善だったのかも?

スエーデンの人たちは色彩感覚が豊かだが、布団カバー本体に関わる細やかさは、日本人にしかないものかもしれない。
微妙にサイズが違うのは承知で、何とかなるかと思って買ったが、彼らは、四隅に(場合によっては八隅)ヒモつけて布団が中でズレないようにしようとは思わないようなのだ。本当に単なるカバーなのか?
そもそも横を大きく開けるファスナー前提の日本製と違って、縦辺のボタン留めのスキマから掛け布団入れるようになってる。

うちのダブルの布団はこの時期2枚重ねなので、どうしても4隅+各辺の中央のループに掛け布団カバーのヒモを通して固定・安定させる必要がある。
2枚の羽布団があっちゃこっちゃにいって、よじれて、ヘンなとこに固まっていくのは耐えられない。
息子の中学でゼッケンつけた時以来ぐらいの裁縫箱出して、綿テープさがして、足りないから愛蔵してあったケーキの箱リボンまで使って、固定ヒモをつけましたよ。
結果は上々。やってみるもんだ。

お国柄はさまざま。しかし大胆で鮮やかな色使い・柄使いは気持ちいい!

夜は「決して笑ってはいけない ハイスクール編」を見た。
息子が家にいた頃は毎年これ見てたなぁ、何が面白いのかと思っていたなぁ、と思いながら、笑い転げて全部見てしまった。6時間以上の番組だったのに。
ただ、圧倒的にCMが多く、しかもそれらはほとんど、直前まで大真面目にコントに参加していた豪華出演陣の今年の大売り出しなのだった。

それにしてもクサナギくんが白ブリーフで「全裸監督」のマネするとは思わなかった。
「お待たせしました。お待たせしすぎたかもしれません!」って、彼はかつて泥酔して公道で本当に全裸になって物議を醸したと聞いているが、大丈夫なのか。
香取慎吾もパンツ見せたし、ゴロ-ちゃんはどぶろっくと一緒に「大きなイチモツをください」と歌った。
「新しい地図」の面々の、真剣さがうかがえる。

今年で最後と言われる「笑ってはいけないシリーズ」のメンバーに贈る言葉として、彼らから、
「『5人でずっと頑張ってきたこと』素晴らしいと思います!」と言われちゃうのもフクザツだろう。
芸能界は、怖い怖い。

20年1月19日

久々に、本当に何もない休日だったので、お散歩がてら近所の喫茶店でモーニング、それぞれPCやタブレットで作業をしたり本を読んだりしたあと、図書館を回って晩ごはんの買い物を少しして、私の万歩計アプリによれば、6120歩の大快挙だった。
平和で幸せ。夜中にももの内側というヘンな場所が攣ったけど。

簡単なごはんを済ませて、夜はお正月録画の山から「格付けチェック」見る。
なんでかもうずっと、GACKTさまの連勝街道を見守り続けている。

今回、緊急特番っぽい導入の中で、連勝のプレッシャーに悩むGACKTさまは、
「僕が出ない、ってのは、あり得ないですかね…」とつぶやく。
そして、ワインに、肉に、音楽に、いかに自分がアップデートしてきているか、知識がいかに人間を豊かにするかを演説したのち、出演を了承するのだった。

GACKTさまのつけてるブローチが4千万(いわゆる「家が買える」ってやつか)だとかシャトーなんたらが百万円とか聞いてテレビの前で「ほえー」と口を開ける。
「そういう世界の住人じゃなくてよかった」と負け惜しみ気味に言う我々、1万2万で一喜一憂できる世界がいいですわ。

大昔、「美味しんぼ」の連載が始まった頃、山岡士郎の日常の食生活とエンゲル係数を心配してしまった時のような気持ち。
「あんなに味がわかったら、普通の生活ができないじゃん!」って。
キムタクのドラマ「グランメゾン東京」を見てた時も、
「キミら、毎日高級フレンチで外食するわけでもないでしょうに、そんなに細かく味がわかっちゃったら、大変じゃないの?!普通のものって、不味くて食べられなくない?!」ってテレビの前でほとんど叫びそうになってるお節介。

ところが「格付けチェック」を1時間も見ないうちに、我々は浮気したですよ。話題のキムタク、「教場」に。
その話はまた明日。

20年1月20日

話題のドラマ「教場」を見る。
番宣での白髪アタマのキムタクはほとんどコントのように見えたし、「警察学校?描くの、難しそう~」とか思って、まあ殆ど期待はしてなかった。
しかし!さすがは新春大型ドラマ前後編なのだった。

キムタク、全然コントに見えない。大真面目。
普段見せるふざけた口調とかチンピラな雰囲気がなりを潜め、過去のある凄腕教官との触れ込みにまったく違和感がない。

「女王の教室」のように緊迫した「教場」で次々起こる事件、人間関係のからみあいと生徒一人一人のキャラが立っていって順番に主役に追いやられるさまは「3年B組金八先生・地獄編」。
そして次々突きつけられる「退校届」。

まだ前編の途中で、小日向文世が語る「彼もね、昔はあんなんじゃなかったんです」が描かれるのは後編か?!
ああ、楽しみ!
と言うものの、日曜まで全ッ然一緒に見るヒマがない。
決戦は日曜の夜か。
還暦にして、初めて考え込んでいる。キムタクのファンクラブに入る可能性を。

20年1月22日

どうにも身体がだるく、心身共に調子が良くない。
落ち込んだりじんましんが出たり、ふるわない。
眠りもさらに浅くなってきた。

「11日も船に乗って遊んで、疲れが取れないのは当たり前だ。何ともないとすれば、遊んだ甲斐がない」とせいうちくんに言い渡された。
思うさま、疲れて倒れるのがいいんだそうである。
ばったり。

20年1月23日

不調でも医者は行く。いや、不調だからこそ行くのだ。
主治医は胆石がすっかり取れて回復の一途だと元気そうで、そこだけでもよかった。

医「さて、クルーズに行って、どうでした?」
私「楽しかったんでしょうけど、疲れちゃいましたね。主人は、『疲れないようじゃ、遊んだ甲斐がない。疲れてくれ』と言います」
盛大に笑われた。

私の気の焦り、何かしなければという焦燥感、いつも追い立てられるような気持ちはすべて母親からもたらされているのだろうと。
「ご主人も、何にもしなくていいって言ってるんでしょ?あの人の言うとおりにしとけば間違いないと思いますよ」
これは、主治医がせいうちくんを信頼していると言うよりは、心配な患者は全部入院させてしまえた時代でもない今、安心してまかせられる家族や関係者がいればその人を医者も信頼していると示し、できるだけ外注に出したい気分なのではないかと邪推する。
「ダンナさんは、裏も表もない、1本の大木ですよ。頼りにしていいんじゃないですか」
最初にせいうちくんに会った時は、「またモラ夫がついてきた」って思ったくせに。

医「日中、寂しいんですよね。人間は誰かと繋がってないと不安ですから。今はSNSとかもあるけど、あれもねぇ、広がりすぎちゃってかえって不安になるよね」
私「息子に、心配されるんです。『母さんは性格的にくよくよしやすくて、SNSには向いてないんだからさぁ、あんまりやんない方がいいよ。最近はイヤな事件も多いから、読んでて不安定にならない?』とか言われて」
医「息子、ものすごく物事が見えてるね~!SNSの本質も、あなたの性格もよくわかってる。頼もしいね!」
ますます外注に出そうとしてる気がする…

自分で自分の苦しみの正体がわからない、詐病ではないか、疾病利得を求めて、仮病を使っているのではないかと不安になる。なにしろ自覚症状と本人の訴え以外に客観的な病変はないのだから…と語ると、なぜかあきれられた。

医「疾病利得ってあなた…どこに得があるんですか。そんなの、一時的におなか痛いって言って仕事を休むとかの役にしか立たないよ。あなたの場合は、長すぎる。何十年も長いこと苦しんで、それでいくばくか得したって、割りが合わなすぎる。病気になることでプラスがあるんじゃなくて、あなたの人生のマイナスを必死で埋めようとしてるんじゃないですか。だいたい、僕は仮病に薬は出しませんよ」
私「詐病の人って、来ませんか?」
医「ああ、よく来るね。言うだけ言うと、気が済んで帰っちゃう。あなたはね、詐病じゃないです。きちんと、話をしに来てください。せっかく薬をやめて生活できてた人にまた薬出すのは僕も無力で心苦しいんだけど、ここはひとつ、薬の力を借りてだんだん乗り切っていきましょう」

胆石という自らの病気を克服したせいか、医師はいつもにもまして力強かった。
安倍政権を倒す方向に力が満ちているのかもしれない。
それぐらい、かつては闘士であったろう左の思想家風な人である。
私もあんまり薬使わない方向に頑張ってみようかな。

20年1月25日

けっこう長いこと、マンガサークルの人々とクリスマス・パーティーをやってきた。
場所はいつも我が家。
息子が高校受験の年だけ、固定メンバーのOくんちに替わってもらったなぁ。Oくんもう亡くなっちゃったけど。
大昔にはうちの息子をほぼ一番年上として子供たちも集まり、プレゼント交換などもやったものだ。
オトナが10人以上、コドモが5人以上いて、オトナとコドモがそれぞれ別にプレゼント回す輪があったって、けっこうスゴイと思う。
もっともお子さんたちはみんな、「音楽に合わせて隣に渡す」ってルールがわかってなくて、手にしたやつは離さないし、ところどころにプレゼントの山ができちゃってたのも良い思い出。

そんな楽しいクリスマス・パーティーも次第に下火になってきた。
だって、まずコドモたちが集まらないよね。
なんでクリスマスに、知らない親の友達の家に行って知らない子に会わなきゃいけないのかって、小学校高学年ぐらいから思う。
そして、それぞれ自分の予定ができる。
最後に、オトナも、年末はもう忘年会の嵐で超多忙になる。
古漬けの友情を温め返してる場合じゃない。

というわけで、しばらくの不調ののち、あきらめない私は場を「新年会」に変えてやっとります。
意外と新年あけてしばらくは予定が落ちついている人が多い。まだ新年の仕事が始まってないのかしらん。
お正月休みを経て少し体力も回復し、「また飲み食いしてもいいかなぁ」って気分になってる、そこへ「旧交を温めよう!」と声掛けすると、なにやら初詣にも似た「来る年を迎える気合」がわくのか、快諾してもらえることが多くなった。
こうしてここ5年ぐらいは、新年会になってしまったクリスマス・パーティーをやっている、ってわけ。

メンバーはやや流動的だが、まあせいうちくんの同期が多いかな。
今年は集まりが良くて、広めに声をかけたらわりと皆さん「応」とお返事くれて、我々入れて14人。
最大15人入ったこともあるリビングだから、なんとかなるだろう。

14時から始まる気の長い会で、終バスが22時半であることを考えてもたっぷり8時間飲める宴会。
数人なら泊まれるし、家飲みの鑑ですなぁ。
すごいのは、あれだけ遅刻やドタキャンが多く「まんくら時間」と恐れられていた遅刻発生型の時空のゆがみがすっかり消えており、14時10分過ぎには8割以上のメンツが集まっていた点。
歳月は人を変える。毎回新鮮に驚く。

さて、今回のメンツは、
A:男性。サークルの長老的存在。年金もらい始めてるのが自慢のやもめ。
B:男性。ゲームデザイナー。大学講師兼業。独身。
C:男性。デザイン会社社長。既婚子持ち。
D:男性。役人。既婚子持ち。
E:男性。銀行を早期退職。今は何だったかな。既婚子持ち。
F:男性。メーカーを早期退職。今は書店会社。既婚子持ち。
G:男性。ささやかながら地主階級の高踏遊民。独身。
H:男性。ビール会社勤務だが、去年、北海道へ転勤。忙しい中を来てくれた。独身。
I:男性。元SEで、いろいろやってる正体不明の人。笛を吹くしバク転練習中。既婚。女性Mの夫。
J:男性。プライバシーにうるさい方なのであまり書かない。既婚。
K:男性。マイダーリン。製鐵会社勤務。既婚子持ち。
L:女性。大手ゼネコン勤務。独身。
M:女性。IT会社勤務。既婚。I夫人。
N:女性。主婦という名のプー。そろそろ子育ては卒業。既婚。K夫人。
おう!本当に14人いる。わりとすごい。

イベントがあると興奮して眠れなくなるタチなので、例によって前の晩から料理の仕込みなどに奔走した挙句、朝の6時から起きて低温調理の鍋を睨んだりしていた。
タンドリーチキンは1週間近く前から仕込んであるのを焼くだけ、ハヤシライスのルーは昨日のうちに煮込んでて、サラダの材料は昨日せいうちくんが会社の帰りに買ってきてくれてて、低温調理のローストポークはもう勝手に出来上がるし、大好きなタラモサラダをちゃちゃっと作っちゃえば、あとはせいうちくんに「豚の角煮」をお願いして、もう全部終わりっ!
リビングの真ん中にテーブル出してソファー端に寄せて「お客さん仕様」にして、家中の椅子を集めてきたから、たぶん14人全員座れる!

なんだかんだ物故者が多くなってきたので、年頭のあいさつを担当した主催者せいうちくんが、
「いつもここに来てくれていたSさん、Oくん、それから来てくれたかもしれないA長老夫人、そのほかの方々に。献杯!」とグラスを上げた。
A長老から、
「出世するとせいうちくんでもそんなそつのないことが言えるようになるのか」と笑われていたが、ふふん、原稿は私が書いたのよ。

もうそのあとはどがちゃがな雰囲気で、真ん中のテーブル以外にソファ周りに集う人々あり、また常に何人かがキッチンとカウンタ周りにたまっていた。
一番陰謀度が高く見える、不思議な場所で、構成員の顔ぶれにかかわらず不気味な集団だった。

60歳をいくばくか超える長老と還暦ちょうどの私以外は、わりと50代ど真ん中な感じ。
いろいろあるなぁと実感する。
子供のことで悩む人、親を亡くした人、親の介護問題に直面してる人。
そのどれもが、我々もつい最近通り抜けたことだったり、今まさに悩んでることだったりする。

特に子供に関しては大きな声で言いたい。
「男の子は滞りやすい。とにかく家から出せ。何が何でも出て行かせろ。絶対なんとかなる!」
息子が家を出て2年になるが、口をついて出るのは「あの時、追い出してよかった!」との感嘆符ばかりだ。
彼を説得してくれたBさん、当時「親はそういう気持ちになりますよねわかるわかる」と私の愚痴を聞いてくれたCさんには果てしなく感謝しているので、我々も人さまのお役に立てるものなら立ちたい。

せいうちくんは、同じ中学から高校、そして大学とずっとつきあいのあるEくんと話し込んでいて、自分が高校時代にサッカーで顔面を蹴られて救急車に乗った事故が「僕らの学年、最大の事件」として語られていること、そして大きな要因は母親が学校に再三やってきたことだと知り、かなり愕然としていた。
いいなぁ、今頃になってそういうのがわかるぐらいの、密な関係。
中にいる人にはたまらないかもだが、傍で見ている分には面白い。
もちろん気の毒には違いないので、あとからたっぷり時間をかけてケアしてあげた。
(もっとも、私のケアの仕方は「徹底的にドブさらいをするように全部言語化させる」なので、嬉しくない人には嬉しくないかも。素人がやっちゃいけないかもだし)

勤務地の北海道から昨日上京してすでにひとつ新年会をこなし、今日もこれからもうひとつ新年会に出て泊まり、明日もうひとつって、3泊4日で4つの新年会に出て帰るハイパー効率マンのHさんが、
「お先にお先に。今年もよろしくお願いします」と16時半ごろ帰る以外は、かなりのペースで酒瓶が空き、皆さんいいカンジに酔っぱらってきている。

なにせマンガクラブなので、非常に盛り上がった話題がアニメ「映像研には手を出すな!」。
ほとんどの人がすでに視聴済みだったが、もう1回見たい!みんなで見よう!との声が高く、こっちもそのつもりで待ち受けていたので、ノートPC持ってきてリビングのテレビにつなぐ。(NHKなのになぜかFODで見られる)
もんのすごくウケていた。
初回を見逃したと言うMちゃんは大喜びだったし、隣に座ったLちゃんが、
「1人で見てすごくいいと思ったものを、こうしてみんなで一緒に見られるなんて」とつぶやいていたのが印象的だった。
昔は、マクロスとかこんな感じで見てた気がする。
私は長老からガンダム見せられたが、まだビデオなくて学生会館のテレビ生放送だった。
40年でここまでハイテクになるのだ。信じられる?

ぱらぱら帰る人たちがいて、最終的に集団が帰ったのは21時半頃だったか。
ずっとビールをガンガン飲んでいたA長老とGくんは最初っから帰るつもりも帰らせるつもりもないので、完全に酔っぱらって、お泊まり保育。
語り明かしたかったけど、飲み過ぎてすでに二日酔い性の頭痛がガンガンしていたもんで、リビングに布団2枚敷いてあげて2時ごろ早々に寝た。
「意外と早く、このモードになったねー」と言い合いながらの数時間、いったい何をしていたのか?うーん、覚えていない。
あとは明日。

20年1月26日

朝の6時に起きてぼーっとしていた。頭痛は少しマシになってる。
9時ごろ、誰かがトイレに行く音がしたので、リビングに行ってみると長老がいない。
自室に戻ってせいうちくんを起こす。
「ん?何時?」
「9時。長老が起きたみたい」
また行ってみたら、「よー、おはよー」と言いながらカーテンを開けている。
うちのベランダの真ん前には隣のマンションが立ちふさがっていて、長老の高層マンションみたいな開けた風景じゃなくてなんだか散らかってごちゃごちゃした景色が見えるだけ。
少し情けないな。すみません、こんなもんで。

せいうちくんもパジャマの上にはんてんをひっかけて起きてきたので、3人で紅茶でも飲もうと思う。
(長老は「ウィスキーをちょっとだけ垂らすと美味いんだ」と言うので、せいうちくんがトリスを出す)
淹れてる間にGくんものそのそ動き始めた。
紅茶も飲むと言ったが、しばらくたつと長老と2人して食卓上の「空いてるのに中身が入ってる」ビール缶の始末にいそしみ始めた。
そこから入れ代わり立ち代わり冷蔵庫を訪れては、ビール缶を手にして戻ってくるようになった。
どうせうちじゃビールは飲まない。宴会の残りを、全部始末してくれるならありがたい。

せいうちくんはものすごく顔をしかめて額に3本しわが寄っているので「どうしたの?」と聞いたら、
「二日酔いで気持ち悪い」んだそうだ。
すぐに風呂を沸かして入るよう勧める。
日頃、私の「なんでもお風呂に入れば少しは良くなる『入浴健康法』」には懐疑的で抵抗するんだが、今回は素直に従った。よほどつらかったんだろう。
幸いなことに、入浴して汗をかいたせいか血液の循環が良くなったからか、出てきたらすっかり治ったと明るい顔だった。

プチ酔っ払いになり始めたGくんが言うには、私の日記は月に5万字に及ぶそうだ。
「数えたんかい!」って驚くが、まあこの人のことだ、ITの力を借りたんであって、ひと文字ひと文字米粒を数えるようにしたわけではあるまい。
「アンタぁ、月に新書を1冊書いてる。それを20年だぞ。よくそんなに書くことがあるなーと思って、わしも書き始めてみた」
どうやら1日3千字を目標に書いてるらしい。

彼はよくいろんな目標を立て、その成果をFBに上げて報告しており、日常生活に参考になる場合もならない場合もある。
レトルトカレーに全種トライしてみるとか。(「あれはいかん、金がかかる。そのうえ、太った」とのこと)
今現在は「1日1万歩」にも挑戦しており、その様子と感想を「1日3千字」書くと、他に何をするヒマもないのが困るんだそうだ。
「音声入力はLINEやMessengerなど、短いものだけで、日記には使わない」と言うと、
「えっ、じゃあ、アンタ、あれ全部、なんだ、手で書いてるのか!」と新鮮に驚かれた。キーボード入力ですよん。
彼は音声入力なんだって。
しゃべるのが苦手だと言ってたが、よくしゃべれるじゃないか。
口述で文章作るのは難しいんだぞ。

なぜかせいうちくんがワイ談を始め、長老に「朝からする話かい」とたしなめられるも、
「お2人が飲んでる光景を見てると、朝だとは思えなくなるんです」と抗弁し、
「ま、こんな曇り空だしな」と容認されつつ、中坊みたいな下ネタを繰り広げていた。
大好きな夫の語る下ネタは少し痛々しく物悲しい。面白いけど。
男子は、語ることが多くて、いいなぁ。

そのうちに南極の地下には石油が埋まってるだの極が重くなるから地軸はぐらりと90度動くだの(これはハンコック説)人間は氷河期に歩いて移動しただの赤塚不二夫がタイムスリップで飛ばされたからハニワ人形はシェーをしてるんだの、愉快になりすぎて止まらなくなったので、13時で解散を決める。
(彼らの前には8本のビール空き缶が並んでいた。朝の数時間でだ!)

「今からセックスするからわしらには帰れって言ってるんだ」と叫ぶGくんの疑いを晴らすため、だけではないんだが、ごみをくくって彼らにも運んでもらい、我々は買い物に行くことに。
「車出すから、そのへんまで乗っていきますか?」との提案には、30分散歩すると1万歩達成の足しになるからと言うGくんと腹を空かせて駅前で天下寿司を食いたい長老の利害は一致し、2人で歩いて駅に出ると決まった。
マンションゴミ捨て場の前で全員解散、長い長い宴会は終わった。

そうそう、家の前から台車を持って行こうとしたら、
「ゴミ出しに使うにしても、いったん置きに帰るのが面倒くさいだろう。全員で持てるから、いらんぞ」と言われたせいうちくんが、
「買い物に使うんです」と答えたら、てっきり「そんなに買うのか!」と驚かれるかと思ったんだが、さすが2人ともビールの民、重い箱を持って帰るのは日常茶飯事なのか、それ以上の問いはなかった。
うちは、ビール買わないのに食料品だけで台車使うんだぞ。すごいでしょ。

さすがに調子が狂っているのか、せいうちくんは財布も免許証も全部忘れてきたことが判明。
珍しく私が運転する羽目に陥る。ま、たまにはいいだろう。
いい宴会だったなぁ。まだ少しくらくらするよ。

20年1月27日

Gくんの日記を見せてもらった。
最初、「交換日記でもしますか」と振ってみて、「ぜひぜひ読ませてください」と頼んでおいたら、彼らが酔っぱらって帰った翌朝、ファイルが届いていた。
しかし、開け方がわからない。
問い合わせて、夕方やっと起きた彼によると、
「帰り着いてまたビール飲んで、酔った勢いで『まあいいか』って送った。起きて、しまったやらかしたかと思ったら、既読がついてなかったので、削除した。そっちに痕跡は残るのか。酔っぱらい過ぎて共有設定までやらなかったのは幸いだった。もう送らない」

「そこをなんとか。今すぐまた飲んで酔っ払ってください。今度は共有設定までやったうえで、昏睡してください」と頼み込んで、なんとかゲットした。
もちろん期限つき、コピー不可、読むだけの状態である。
ありがたく読ませていただいた。

私の日記と違って読者を意識していないせいか、ウェットな部分のほとんどない、乾いた素描のようなもの。
これだけ意識してくれてるんだから私のことも出てくるか、日記を読んだ感想なんかもあるかと思ったら、我が家に関する描写はわずか。

「Amazonで何買ったとかしゃぶしゃぶ食ったとか書くだけならだらだら書けるが、問題は何を書くかだ。やっと5万字に届いたが、5万字と言うのはせいうち嫁日記の月平均である。あれを20年も人に見せる前提で書けると言うのはやっぱすげーな」

「小劇場ではチケットノルマを抱えた1万5千人がお互いの公演を見ているだけだと言われているが、せいうち息子のお笑い興業も一般客が入ってる気はしないし、そーいうことなんだろーね」の2点のみだった。

つくづく、彼は頭が良すぎるからか、私のように判り切ったことの周りをぐるぐる回ってウロボロスになったりしない。
定規のように直線的だ。
そして、その定規が酒で大きくしなるのを横で見ているだけの私である。

20年1月28日

新年会で夫婦参加のIくんとMちゃんから、
「落語を聴きに行ってみたい。うさちゃんはよく行くようだから、今度チケットを取る時、一緒にお願いできないか」と頼まれた。

ちょうど、こないだ抽選発売のあった一之輔さんの独演会、一般発売がある。
聞いてみたらそれでいいと言うから、発売開始時間にPC前に座ってちょちょいと頑張ったら、あら、取れちゃった。
3枚取って、一之輔さんファンのBさんも誘うことにした。
すでにA長老と息子が参戦する会なので、けっこうな大所帯だ。楽しそう。

抽選に当たること自体珍しいので首をかしげていたが、こんなに簡単に取れるとは、もしかしてあまり評判のよろしくない会なのか?と不安になる。心配性の面目躍如。

20年1月30日

HPのサーバが不調らしい。読めなくなってる。
「不調です」との案内も出ていて、読めないのはじきに回復したが、今のところ新規の書き換えができない。
このままだと週末の更新は落とすかもしれないなぁ。
「よかったじゃない、いつも『締め切りがくる~』って悩んでるから、今週は来ないよ」ってせいうちくんに言われたが、そういう問題だろうか。

20年1月31日

FBを脱退する人、お休みする人がたまにいる。
できるものなら、生きるのを、この人生をやめたい。
やめたあと、人々が私に関係なくどんな面白い生活を送るのか、それが気になって気になってやはりやめられずにいるのが、SNSとリアル人生の似た点かも。

20歳の頃の日記にも「すでに人生の点箱が空だ。ノーテンだ、と降りてでも、今すぐこの半荘をやめたい」と書いていた。
40年たっても進歩も変化もない。

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