20年1月13日

やっとクルーズ旅行についてまとまりました。
けっこうボリュームのある旅の記録です。
人生にはいろんな楽しみがありますが、個人的に、クルーズはかなり上位の楽しみでした。(あんまり趣味ないし)
空と海と大好きな人のコラボレーションはかなり相当いいものですので、皆さんもどうぞチャレンジしてみてください。
我々も、きっとまたいつか行きたいと思っています!

【航海日誌】 グアム・サイパン ニューイヤークルーズ体験記

19年12月19日


話はクルーズ前から始まる。
準備中の様子を日記に書こうと思ったら、せいうちくんから待ったがかかったのだ。
「正月中留守だと世の中に知れると、ゆっくり入って仕事をする泥棒がいるかもしれない。それに、帰ってすぐ日記を書くのはきっと大変だから、ストックのつもりで、今書いてる分はクルーズ後に回したら?」
さすがは仕事できちんと苦労をしている男。いつの間にこんなに思慮深くなったのか。

というわけで時はずいぶんさかのぼることに。

いわゆる「ライフハック」が好きだ。
小さな部品の塗装は段ボールの囲いの中で上から糸で吊るしてスプレーすると綺麗に塗れるとか、ストッキングの伝染には透明のマニキュアを塗れとか、ハーゲンダッツのフタがカメラのキャップにちょうどいいとか、ペットボトルの上部を切り取ると漏斗になるとか、最後のひとつ以外は自分的に全然使いようのない豆知識なのに、面白くてしょうがない。

さて、クルーズにはいろいろライフハックがある。
先に紹介したように、磁石を持って行くと船室全体が鉄のハコなので壁に掲示物が貼れるとか、ドアにマスコット人形などを下げると自分の部屋がわかりやすいとか。
今、勉強に余念がないので、いろんなことを参考にしている。

1.バスルームが狭くて物が置きにくい場合、洗濯ネットをマグネットとS字フックでかけて濡れたボディブラシや小物を収納すると良い
2.船室の壁にウォールポケットを吊るすと、メガネやサングラス、ミニタオルやティッシュ、船内新聞などを入れておくのに便利
3.磁石でつく小さな棚が大活躍
4.アクセサリーケースがあると便利。ビーズ制作などに使うケースは、透明で中が見えて楽。たたんであるのを開くと壁に掛けられるタイプはクルーズにもってこい

百均やAmazonでそういうグッズを手に入れようと奮戦しているところ。
確か船室の壁に1コでかいフックがあって、乗船証入れからポーチから帽子から全部掛けていたので、たぶんフックがたくさんあったら助かるだろうなぁ。
やや部屋が所帯臭くなるのが難点か。
やはりウォールポケットの方が小綺麗?

なぜか皆さん、洗濯ばさみが大重宝と言うな…確かにバスルームには引っ張って反対側に留める洗濯ヒモがあるけど、実際は3、4日に1回、各フロアにある無料のランドリーに行ってたから、全然洗濯しようとも干そうとも思わなかった。
スイートのフロアのランドリーをのぞいたら、客室数が少ないのとクリーニングに出す方々が多いせいかすいていた、その方がよほど役に立つライフハックかも。

あと、カフェで無料のコーヒーを自分のサーモボトルにたくさん入れて持って行くのは、「いい考え!」派の人と「ちょっと下品じゃない…?」派の人がいるようだ。
私は席で飲むだけで充分。

ところで私がこれまでにネットで知った一番役立つ豆知識は、

スマホで“「」”を打ちたい時、かっこ、と入力しなくても、「や」に指を置いて左にスワイプすれば“「”が、右に動かせば“」”が出る

というものでした。これでどれほど時間が短縮できたか。
まだ知らないスマホ使いの人、ぜひやってみてください。
(最後はクルーズに全然関係なく終わってしまった)


19年12月20日

クルーズのためのレンタルトランク、宅配できるサイズで一番大きいヤツが2つ来たので、荷造りを始めた。
昨日から詰め始め、明日の夕方には業者さんが取りに来る。
ゴルフやスキーと同じく旅行も簡便になったものだ。

しかし、荷造りをしていると気が狂いそうだ。
「あれもいるのではないかこれもいるのではないか」病。
いったん乗ってしまいさえすればたっぷりあるクロゼットや引き出しに荷物を整理して、下船まで1回もトランクに触らないですむのが船旅のいいところなので、入る限りいくら荷物を持って行ってもかまわない。
悩む必要はなさそうに思える。
でも、私には見えるんだ。
乗船後、「いらないものばかり持って来ていて、いるものが全然荷物に入っていない…」と呆然とする自分の姿が。

旅先で「おおっ、こんなものを用意してたの?!スゴイ!」とか言われたい。
(キャンプで、ポップコーンができる銀のフライパンみたいなアレ、取り出すタイプ)
なので今、
「小皿持ってって、バスアメニティでもらえるコットンにバスオイルを垂らして芳香剤代わりにしたら素敵じゃない?」などと皿とオイルの小瓶4つを梱包している阿呆が出現して、際限なく無駄な荷物を増やしている最中。
それより眼圧下げる目薬とかワーファリンとか忘れないようにしろ、バカモノ、と自分に言いたい。

優柔不断の苦労性なのと「シチュエーションを思いついてしまう」ところから、異様に荷物が増える。
若い頃からわりと車を運転して移動していたのがイカンかったのかも。あれは荷物増える。
融通が利かなくて「あれを忘れた!」とパニックするのがイヤ。これも荷物増える。

せいうちくんの合い言葉は、「なきゃないで、なんとでもなる」。
そのおおらかさ、融通無碍な精神は大いに頼りにしたい。
実際、モノなんてどうとでもなるのだ。
今の世の中、国内ならケータイと財布さえ握って飛び出せばどこへでも行ける。
(人によってはケータイに財布の機能を持たせてるらしい。もうケータイだけでいい)
海外だと少し面倒くさくなるけど、その面倒を少なくするための船旅じゃないか!

そう言いながら、タンスの服を半分がたトランクに移動させるような大騒ぎになってる。
さすがのせいうちくん(私の行動に慣れている、という意味)にも、
「きっと、全部は着ないだろうねぇ。Tシャツばっかり10枚ぐらいない…?」と半分に減らされた。
本人は、逆にTシャツとか2枚ぐらいしか入れてないのだ。
背広のズボン以外のボトムズ、外出用はデニム1本。
正常な旅人は、彼と私の中間にいるに違いないと思う。

一番、事態を難しくしてるのは、こっちは冬だがグアム・サイパンは気温が25~27度だってこと!
そして、それがどのくらいの「暑さ」だったかさっぱり思い出せないこと!
まして船内は、空調が入っているだろう。
寒い時に温かくしてる空調と、暑い時に涼しくしてる空調は、違う温度なんだよ!
それでもって、中はちょうど良くても、星を見に甲板に出たらそこは暑いのか寒いのか?
皆さんが想像するかもしれない難関「ドレスコード」には全然届かない、もっと低い次元で悩みまくってる。

友人に、荷造りがとても上手な女性がいる。
2泊ぐらいの旅行でも、小ぶりのカバンひとつなのだ。
同室になった時にパッキングを見ていたら、薄い服を何枚か持ち、上手にたたんで小さくするのがコツらしい。
「寒かったら重ねればいい」とのこと。
全体にモノトーンだから、上下や重ね着のやりくりも容易。
大きなトランクを引きずっている彼女は想像がつかない。きっと重いものや嵩張るものがキライなんだろう。
しかし、妙な巨大なブツならあんがい喜んで持つかも知れない。たとえば剥製とか。

いやいや、人の話をしている場合ではない。
明日には荷物を引き取られてしまうのだ。
もちろん当日は別の小さいトランクを引きずって行くから、入れ忘れたものがあってもある程度までは大丈夫だが…いかん、気が焦ってきた。
せいうちくんなら無意味にうろうろし始める精神状態。
しかし私は動くのが嫌いなので、座ったままものすごく気分だけ焦って焦って吐き気がしてきている、そんな旅行1週間前。


19年12月26日


航海日誌1日目。

いよいよクルーズに出発の日。
仕事が夕方出発に間に合うよう時間通りに終わるかわからないせいうちくんはともかく、私だけでもゆとりを持って待ち合わせの東京駅に着くよう、家の随所を指さして安全確認を行なっていた。
もちろんかなりテンパっている。

iPad ProのケースにApple Pencilをとめる大きな輪ゴムが見つからない。
さっき、ベッドの上に置いたはずなのに。
確かに置いた。iPad Proと一緒に置いた。なんでないんだろう。床にも落ちてない。
ますます焦って、他の部屋も全部探すけど見つからない。
「さっきまであったのに?!」と困惑汗をだらだら流しながら、結局、もう1本似たようなゴムを探し出してきて問題解決。

「それにしても、いったいどこに?」と首をかしげつつ、待ち合わせ場所に落ちついて座って時計を見たら…手首に輪ゴムがついていた。
人生こんなもんなのだった。
そもそもiPadケースに輪ゴムでとめる、って発想がいけなかった。
次に買う機会があったら、pencil収納タイプにしよう!

もちろん30分前に到着できて、せいうちくんも時間通りに仕事終わって、横浜に向かって船上の人となれた。
出がけにあわてていたので、「家のカギは閉めただろうか」「エアコンは消しただろうか」と「旅行前あるある症候群」に襲われるも、こればっかりはもう、「習慣の力」を信じるしかない。
戻って確認するわけにもいかないじゃないか。

息を切らして駆け込むとか港内をボートで追っかけるとかいうこともなく、普通に出国・入国手続きできた。
なんだ、皆さんけっこうゆっくりじゃん。
遅く来た方が列が出来てなくて楽なぐらいだ。
(↑こういう態度を「ゆとりをかます」と言う)

部屋には、送った特大トランク2つが、何の間違いもなくちーんと澄まして鎮座ましましていた。
荷解きしてるヒマはない。
出航パーティーだ。

夏にはまだ夕方で明るかったせいか黄色いタオルハンカチを振って見送ってくれた港の人たちが、今回は黄色いペンライトを振ってくれた。
ビートルズのコピーなどをするバンドが演奏していたので、ファンや追っかけの方々も多いのか。
船上のこちらも色とりどりのペンライトを渡され、出港の儀を。
夏はシャンパンやジュースだったが、ヴァン・ショーとホットレモネードが配られる。
テープも風船もないのは、夜だからだろう。
代わりにイルミネーションと黄色いカラーコーン(光る)が大活躍した。
ひときわ大きくて派手な赤いライトを持ってる人がいると思ったら、道路工事のおじさんだったのは本当の話。

「いってらっしゃ~い!」といつまでもペンライトを振ってくれる姿に船からも「いってきま~す」「ありがとう~」と絶叫する。感動的。

乗り込むとすぐに避難訓練なのは前と同じ。
鏡餅やら干支の飾り物やら雅楽やら、船中の雰囲気がすでにもう新年なところがずいぶん違う。
実際に新年を迎えるまでも迎えてからも、一生で一番新年気分を味わわせていただいた。

船室の扉がずらっと並んでいて,部屋番号を見ればいいとは言うものの自分の部屋がわかりにくい。
慣れた方はマスコットや写真を貼るのだと勉強して行ったので、ドアにマグネットフックをつけて、一挙両得なお正月飾りを提げた。
もちろんそこかしこにかかってた!
クリスマス・クルーズだとリースになるのかなぁ。

夕食は出ずにレイトスナック(夜食)のみと思い込んでいたのに、きちんと2回制でフルコースディナーが。
我々は2回目なので20時半から。
心なしかコースの量が軽かった気がする。バタバタしてるのを考慮してだろうか。

食後はマジックショーを観に行った。
前回ファンになった船専属のマジシャンに「また会える!」と楽しみにしていたんだが、顔を見たら気がすんでしまったのと、同じ手品ではあったので、後ろの方の席だったのを幸い抜け出してしまった。
まだトランクも開いておらず、部屋の片づけは全然。
着替えを出さないと大浴場にも行けない。

夏に比べて格段に荷物が多い気がして心配したが、さすが、世界一周にも対応しているだけあり、すべての服や小物がそれなりに余裕を持って収まった。
今回は初めて経験する一番格式の高いドレスコード「フォーマル」が2日あるけど、基本前回の「インフォーマル」と同じ服。
それより、やはり冬のアタマで暖かめの服ばかり持って来てしまった気がして、船内も暖かいし、少し不安。

まあいいや、と着替えて、探検をかねて大浴場へ。
一度完全に構造を覚えたと思っていたのに、やたらに道に迷う。
新鮮な気持ちで、11日間楽しもう。

せいうちくんのパジャマの下を持ってこなかったという最初のアクシデントに打ちひしがれながらも、「パジャマが制服」の私は2セット持って来ていたので、1セットの下を提供する。(入ってしまうところが問題だ…)
そんな格好でバルコニーに出て、沿岸の灯りが見える夜の海を眺めて持って来たワインを飲む。波の音が耳に心地よい。

私「間に合ったね」
せ「うん、どうもありがとう。また来られるとは思わなかった。夢のようだ」
私「夢って、みてる最中、必ずしもいい夢ばっかりじゃないよね。楽しい時に夢のようって言うのは、ちょっと定型すぎるって言うか…」

そんな理屈を言ってみたが、私もこれからの11日間、幾度となくつぶやくことになる言葉だった。
「夢のよう」
さあ、夢の始まりです。

19年12月27日

航海日誌2日目。

実質初日とも言える乗船2日目は案外忙しい。
「寄港地説明」でグアム・サイパンの話を聞いたり、入国書類関係の軽い列に並ばなければならない。
あと、航海中に一度行こうと思っていた有料の寿司レストランが、お正月メニューを出してくれると船内新聞で読んだ。
わりと手頃なお値段で、ルームサービスもお願いできるらしい。

ぜひバルコニーで新年のお寿司ランチを味わってみたくて、限定百食だそうなので少しあわてて予約を入れ、1月2日にお願いしておいた。

日中のアクティビティーにはあまり参加せず、2人で船内をうろうろし、あちこちでお茶を飲み、アイスや軽食を食べまくった。
バルコニーで海を見ながらの語らいも楽しいが、実はサイコーに楽しいのはプール。
太平洋を南下中とは言え、12月末に屋外で泳げるとは!
浮き輪に乗ってせいうちくんに押してもらい何度も何度も往復して、波をかぶって大笑いした。
年越しクルーズは家族旅行や三世代参加が多いせいか、コドモもけっこういて、ジャグジーが常時満員状態だった。

実は今回は波が荒く、列島沿岸をなぞっていた前回の航海とは違ってかなり揺れ、「『全然揺れないから、酔わないよ!』とは友達に言えないなぁ」と思った。
廊下を歩いていてよろけるレベル。
残念ながらプールの水も危険なレベルまでうねるので、監視当番のクルーが「午後は閉鎖かも知れません」と難しい顔していて、実際、昼食の後はネットが張られてた。
結局、プールには入れたのは1日だけとなった。
大浴場でも一番大きな浴槽は寄港日以外はほどんどの時間ロープが張られていて、両横の丸くて小さなジャグジー的浴槽のみの日が多かった。
風呂とて水面、揺れると怖い。

いきなりの「フォーマルナイト」だと思ったら、「キャプテンズ・ウェルカムパーティー」があるからか。
「コドモの卒業式」ぐらいの格好で出かける。
せいうちくんはいいなぁ、結婚式などで慣れてるブラックフォーマルでいいんだもん。
「インフォーマル用」の背広は、仕事から直行だったからすでにクロゼットに収まってるし。

純白の士官服に身を包んだキャプテンはものすごくカッコよかった。
「一緒に記念撮影したい人はこちらの入り口から」との列に並んだら、いやぁ、長い列でした。
前回と違ってかなり船が揺れており、緊張もあってよろけてキャプテンに倒れかかってしまったが、彼はしっかりと私の背中に手を添えてくれた。
「揺れますからね。お支えしましょう」
さすが海の男の最高位。反対側にせいうちくんいても、惚れちゃうぞ。

パーティーが始まってキャプテンのご挨拶を聞くと、どうやら今走っている太平洋は大変な低気圧に襲われているらしい。
航路をかなり西に取り、名古屋の南の海まで迂回しつつ、スケジュール通りの航海を目指して頑張ってくれるそうだ。
上級クルーの紹介もあり、全員男性。
うーむ、まだまだ女性の進出は難しい世界かもしれない。
私だってついさっき、「海の男はカッコいい」とか思ったもんなぁ。
「海の女はスゴイ」って時代が来ないもんだろうか。
いや、海女さんじゃなくてね。

これはここだけの話なんですが、某有名ベテラン女優と、仲良しのご高齢の脚本家がグループでいらしてた。
脚本家の方は週刊誌のエッセイにもよく船旅を書かれる、自他共に認めるクルーズ好き。
どうやら何度も年越しクルーズにいらっしゃってるようで、まわりもひそひそと「あの方よ!」とささやいていた。

夕食で隣り合った高齢のご夫婦は、もう7回もニューイヤークルーズに乗ってるらしい。
クルーズ船には20回ぐらい乗ってるそうな。
夏にはダイヤモンド・プリンセスで秋田の花火を見ていたそうだ。我々と同じ湾にいたんかい。
そんなに乗ってるのに世界一周に行ってないのは不思議なほど。
短期が多いらしい。
我々なんか、クルーズの醍醐味はだらだらした長さだと思うんだけどね。
せいうちくんの仕事がなければ長期で行きたいよ。

波が高くて、バルコニーも結構しぶきが飛んでくる。
今日は部屋で飲もう。

19年12月28日

航海日誌3日目。

今回のクルーズは「終日航海」の日が多いのが嬉しい。
往路は3日、帰路は4日もある。
船内アクティビティーも盛りだくさんで、その気になれば朝のマイルウォーキングから始めてストレッチもエアロビもできて、フラダンスも社交ダンスも習えて、フリスビーの的当てや輪投げをやったりウクレレや実用英会話の教室もある。
新春クルーズらしく、お茶会や書道、着付け教室まで。

「島」の話。

日本からグアム・サイパンまでの間は、環太平洋火山帯のため、ぽつりぽつりと島がある。
3、4日間、何も見えない海をただただ行く途中、島のそばを通る時はブリッジからアナウンスが入る。
そうすると船客はカメラを持ってデッキに詰めかける仕組みになっている。
せいうちくんも熱心だった。
父島、母島、西ノ島、沖ノ鳥島等を見たのではないだろうか。

海上では船の有料Wi-Fiしか使えず、ケータイはずっと圏外。
娘について何か緊急連絡が入っていないかチェックするために30分千円の高価なそのWi-Fiを2度ほど使うつもりなのと、グアム・サイパンに上陸している間ケータイ会社の定額パケットを使う予定だったが、意外な中継基地が出現。硫黄島だ。
他の島では起こらない現象として、アンテナがバリバリに4本立った。
自衛隊の基地がある関係だろうか。
島の横を航行してかなり通り過ぎるまでの1時間ほど、かすかになりながらもつながっていて、これがSNSチェックなどに大きな助けになった。
息子に連絡もできた。
船の有料Wi-Fiより速くて、写真もなんとか送れた。よかった。

毎日映画が上映されていて、昨日の「カサブランカ」は眠くなったのと家にもあって観られると言われ、退出。
せいうちくんが好きな映画なんだが、すまん。帰ったらつきあう。
今日はわりと新しいところで、「メアリー・ポピンズ リターンズ」。観たかったんだ。
面白かった!
まあやはり旧作の素晴らしさが際立つ。
WOWOWで録った気がするから、家に帰ったら観よう。

19年12月29日

航海日誌4日目。

夕食の時、少しテーブル間に距離のある右隣に1人客の初老の男性が座った。
その隣のほんの少ししか離れてない席にはご夫婦が座り、やがて3人は話を始めた。
夫君はなんと90歳で、もう30年もこの船に乗船し続けていると言う。
1人客は70歳ですと。

「で、ダンナはなんで1人なの」といささかぶしつけともいえる問いだが、ご高齢のせいか、愛嬌がある。
70歳男性の妻は病気で亡くなってしまったため、息子が「親父が寂しいだろうから」と船旅の手配をしてくれたのだそうだ。
なんていい話なんだろう。

聞くともなしに聞いていたら、相当面白い話が展開されていた。
私は人見知りだが人と話すのが好きなややこしい性格で、社交を始めたら落ち着いて食事してはいられないとは思うんだが、テーブル間の詰まったこういう場では、隣の人と話すのも礼儀だと思うんだ。
せいうちくんは、少しでもテーブルが離してあるのは「別の席と認識する」とのレストラン側の意図なので、よほど会話が発生しない限り無理に話すことはないって意見。
「この話はなかなか解決しないねぇ」と言われたので、
「話さなくてもいい、と考えるなら、それでいいよ。失礼か、とついつい思ってしまうだけ。それにしても隣のテーブルの会話は見事だったねぇ」と答えると、
「うん、あそこまで親しくなるのも旅の面白さだろうね」と感心してはいた。

だからと言って「バーで痛飲しましょう!」ともならずに食事が終われば別れていく、そこがまたさらりとした人間関係の妙なんだろうな。
私だったらアドレス交換して友達にならなきゃいけないのでは、と思い詰めそうだ。

さて、今日のハイライトは夜の「星空散歩」。
最上階デッキに行ってみると、かなりの人数が集まっている。
もちろん降るように星が見えるわけだが、始まりの合図と共に周囲の灯りが消えると、いきなり満天の星が出現する。
思わず「うわあ」と叫んだ。まるでプラネタリウム。

バルコニーからもオリオンが不思議な位置にあるとは思って見ていて、やはり、冬の夜遅い時間なのに天頂近くにある。通常は西の空に見えると思う。

説明担当のアトラクション部門長は超優秀なレーザーを持っており、空に向けるとこれまたプラネタリウムの矢印のようにはっきりと星を示してくれる。
はくちょう座のデネブ、わし座のアルタイル、こと座のベガで作る「夏の大三角形」を教わり、さらに、明るく光るシリウスから始めて、リゲル、アルデバラン、カペラ、ポルックス、プロキオンで作る「大六角形」を教わった。

本来は南十字星を見たい人たちの集まりなのだが、それは早朝でないと無理らしい。
「しかし、夜に南十字星を見るチャンスが、まだございます」と説明者。
今夜2時とか?しかし夜中まで起きてられるかなぁと思ったら、
「来年、2020年のオセアニア41日クルーズにご参加ください!」と来て、一同爆笑。
アトラクション部門長でなくて宣伝部長をやるべきだと思う。

明日の早朝また来る!と息巻いていたら、せいうちくんは「ホントに?そこまでしなくても」と弱腰。
この人は、星を見ようとか夕日や朝日を見ようとか、自然に対する畏敬の念が足りない。
私だってそんなに自然派じゃないけど、こういう時ぐらい頑張るんだ。

それに、朝早く乗客を起こそうってのはきっと、明日は上陸日で朝からあわただしいから、早起きして朝食をすませてスタンバってほしいからの誘導だと思うよ。
いいね、そういう自然な策略。
人間には、管理されていると感じさせてはいけない。

19年12月30日

航海日誌5日目。

結局「早朝星空散歩」はどうしよう、やめとこうか、と目覚ましをかけずに寝たら、起きたのが4時45分。5時集合なんだ。
こういうとこ、本当に目覚まし内蔵型だよなぁと自分で感心しつつ、気の毒なのでせいうちくんは起こさないで出かけた。
船で別行動したのは、大浴場とこの時だけだったかもしれない。

昨夜と同じようにレーザーを使い、夜明け前の暗い南の空低いところを示すと、小さな十字に並んだ4つの星があった。
南十字星を見てしまった。感動だ。
すぐ隣にある大きめの十字の方が目立つので有名で、「にせ十字」と呼ばれているらしい。
見分けるポイントは、南十字星には下の方に小さな星の「しっぽ」があることと、なんと言っても「にせ十字」は大きいので、小さいのを探してください、と言われた。

朝食後、グアムへ上陸し、戦跡めぐりのツアーに参加した。
太平洋戦争博物館、グアム博物館、南太平洋戦没者慰霊公苑をめぐるコース。
非常に元気のいい女性ガイドさん。二世の方だろうか。
シャトルバスが出ているそうなので自分で回ることも考えたんだけど、結果的にはオプショナルツアーにして大正解だった。

グアムオプショナルツアーのガイドさんはデラックスのデラちゃんといった感じ。
話がむちゃくちゃうまくて面白い

・前に、ガイド仲間の二世「ミノルさん」が魚市場に遅れた観光客を「貴様、遅れるな!」と罵倒。しかし本人は怒ったつもりすらないとこのと。彼が教わっていた日本語はそういうものらしい。
・「帰りのバスに乗り遅れて船に乗れなかったら、延泊、永住、いろいろあります」とのご提案。
・「『横井さん』はジャングルで別の部隊の2人と合流。しかし、考え方の違いから決裂し2人は出て行きまた1人残る。片方は横井さんが見つかった時にグアムまで迎えに来た。しかし横井さんにはりゅうとした背広姿の彼がわからなかった。名乗って初めて『ああ、思い出した』と抱き合って号泣」という、ためになるお話。

などなどを楽しませていただいた。
そこらに生えてるマンゴーとか酸っぱいレモングラスみたいな葉っぱとか、食べさせたがりすぎるのがちと難点。

戦没者慰霊碑では、船の職員の方が代表で手向けてくださった花束以外にも花は絶えることがないようで、日本全国からの千羽鶴や、修学旅行で来たらしい高校生の寄せ書きが飾ってあった。
なんとも言えない気持ちになり、真面目に黙祷を捧げた。

博物館は2016年にできたばかりだそうで、上映なども含め、新しいシステムをふんだんに使った目を惹く展示が素晴らしかった。
2人の兄妹から始まり兄の死体が世界となるグアムの創世神話は、日本のイザナギイザナミ、北欧の巨人の身体から世界ができる話に似ていて、神話ってのは共通点が多いなぁ、萩尾望都が「11人いる!」の中で、
「宇宙のもとは同じだ。星・大地・太陽。天地創造が似てても不思議はなかろうさ」と語らせていたなぁ、と思い出す。

船に帰らず、途中の繁華街でバスを降りる人も多い。我々もそうした。
帰りはシャトルバスが出ている。
街に出ると、さきほどまでの光景が嘘のようにきらびやか。
ショッピングモールが広がり、高級ブランドショップやフードコートが建ち並ぶ。

ブランド物にはくわしくないからいいようなものの、
「ゼロ2つつけるだけ?安いんじゃないの?ここで買ったらたいそうお得なのでは?!」と興奮し、もうちょっとで8千円ぐらいの腕時計を買うとこだった。
幸い、「聞いたことあるブランド」の「ブルガリ」に入ったら、「ゼロ2つつけたら40万円~!こっちは100万~!!」というような「正常な世界」だったので、一気に目が覚めて、ABCマートでTシャツとアロハ買って帰った。
息子とカノジョにもおみやげのTシャツを買ったよ。
我々ペアとは別の柄にしといた。さすがに親がこっそり同じTシャツ着てたらキモいだろう。

夕食前だけど街で食事をしてみたくて、イタリアンレストランに入る。
チャモロ風ソーセージがのったピザを1枚。
あとはせいうちくんが地ビールと私がピーチレモネード。
ピザは美味しかった。
真ん中に小さな飾りニンジンがのってると思ったら、唐辛子だった!レモネードあってよかった!

「大冒険だったね」と言いながら船に戻り、夕食も食べたし、今夜の夜食は前回一番気に入った「上海焼きそば」なので、勇んで食べに行く。
せいうちくんは4皿お代わりしたあと、ベッドの中で、
「あまりに船が揺れるから、さすがに船酔いした。気持ち悪い」と苦しんでいた。
でもそれは、船のせいじゃないよね、きっと。

19年12月31日

航海日誌6日目。

翌日はサイパンで、まずは潜水艦で海底を見るツアーに。
この島に1隻しかないのだそうで、寡占企業だ。なぜか黄色い潜水艦。
海底は,真っ青で綺麗だった。
30分ほどの夢想的な海底遊覧を楽しんだ。
大戦中の米国機の残骸も沈んでいるそう。それらしきプロペラなどが見えた。

いったんツアーの人たちと一緒に船に戻って食事を済ませ、さて、この旅一番のキモ。
自分たちでタクシー都合して行きたいところを回ってもらうのだ。
海外体験の少ないサラリーマンせいうちくんは、この日のことを考えると胃が痛くなりそうだったらしいが、再び出会ったABCマートで私がバスタオル買ってる間に店のおじさんと話したら、親切なおじさんはタクシーを呼んでくれた。
そこからは自分で交渉。
「ラストコマンドポストとバンザイクリフとスーサイドクリフに行って、16時までには船に戻りたい」
英語でどう話したかわからないが、よくわかってもらえたようだ。上出来上出来。

バングラデシュから出稼ぎに来て、家族とともに暮らしながら国の親に仕送りをしているという運転手さんはとてもフレンドリー。
あまり通じない大内くんの英語を、
「You speak English very well. Oh! you're Japanese! So, you must be a government man and do a great job!」とほめまくってくれた。
しゃべれないのがバレないように控えめに「Oh! Wonderful view!」とか言ってる私にも、
「Look back, Ma'am. It's the greatest view in the island!」と丁寧にしてくれた。

ケータイに入った家族写真を見せてくれて、
「子供たちはアメリカ国籍を取らせて,大学にやりたい。いい仕事についてもらいたい」と語っていた。
スーサイドクリフでは、「日本人は降伏するより自殺した。文化の違いだ。今は変わっただろう。それはいいことだ」と言っていた。そう願わずにはいられない。

船まで送ってもらって帰り、旅先での、心ふれあう温かい時間だった。
皆が上陸から戻って出港する時には、甲板で「セイルアウェイ・パーティー」があり、港では日系の方々が「よさこい踊り」で見送ってくれた。
一番先頭の上手な女性は南洋的に腰が入っていて、ひと味違ったハイブリッドな踊りだった。

夕食が終わり、年越しも近くなって、いよいよカウントダウンパーティー。
今夜はてっきり「フォーマルナイト」だと思ったら「カジュアル」だったのは、実はめいめいコスプレ的に着飾っているので、堅苦しいフォーマルのドレスコードはかえって制約になるからやめとこうとの配慮と気づく。
振袖ありドレスあり、さまざまにきらびやかな人々がいる一方、グアムとサイパンで買い込んだアロハを決め込む層も。私はその口だ。

中央ホールで「NYK紅白歌合戦」が開かれた(日本郵船株式会社だから)。
クルーの皆さんが嵐や小林幸子、郷ひろみ、応援のラグビーメンバーに仮装して5組が歌を競ったのち、トリは名誉船長加山雄三さんに扮したホンモノの船長!
この瞬間は誰が操舵してるんだろう、とちょっと心配になるひと幕だったが、お客さんたちはやんやの大喝采。

「3,2,イチ!」のカウントダウンの瞬間には配られてたクラッカーを思い切り引っ張る。
音だけするタイプだったようで、お掃除のことも考えてるんだなーと感心。
乗客たちは慣れた様子で一列に繋がって踊り始める。
巨大なジェンカみたいなのが何列もできて、すれ違いざまにタッチを交わしながら竜が身をくねらせるように大騒ぎに踊り続けていた。

でも、明日は初日の出を見るからだろう、意外とすんなりと輪はほどけ、互いに記念写真を撮って軽く談笑したあとは、めいめい部屋に帰るようだった。
本当に、すべてに慣れて手際のいい人たちだ。
我々も寝なくっちゃ。明日は6時41分日の出だと聞いている。
まずは、今、「明けましておめでとうございます」だよ。日本は1時間遅いわけだけど。

20年1月1日

航海日誌7日目。

あらためて、あけましておめでとうございます!

興奮してまだ暗いうちから起きた。
右舷だから部屋のバルコニーも帰り道は東向きで日が昇るのは見えるが、やはり同舟の方々と見なければ。
「初日の出って、どうしても見なきゃならないものだろうか…?」と眠たがるせいうちくんを無理矢理起こして、早々とプールサイドへ。

特設ステージでの鏡開きを見るのはあきらめて、上のデッキに上がり右舷の手すりにもたれて日の出を待つ。
日が昇る寸前に樽が開かれ、枡入りのおとそが配られたのをせいうちくんが持って来てくれた。
オレンジ色に輝いていた雲が切れて、太陽が昇ってきた。
好天に恵まれ、見事に洋上の初日の出を拝むことができた!

にぎやかにお祝いをしていたのは下の大食堂だとは知らず、そのままプールのフロアの小食堂でおせちをいただいた。
あとでフォトショップに掲示されてる写真を見たら、大食堂には獅子舞が出たり振り袖姿の女性クルーとの撮影会があった模様。ちと惜しい。

お雑煮は「おしょうゆ?味噌?」と聞いてくれる。関東勢の我々はもちろん「しょうゆ」。
食べるのがもったいないほどの細工が施されたおせち、大勢の分をいっぺんに作るのでなければ大変だからよかった、それでもやはり見習いさんが「くわい」を松ぼっくりに仕立てたりするんだろうなー、といろいろ思う。

お酒もふるまわれ、とても食べきれないと思ったら、部屋に持って帰ってもいいのだそう。
ちゃんと袋も用意してくれていて、おせちとお酒をいただいて船室に帰り、昼過ぎまで爆睡した。
お昼ごはんはスキップで、せいうちくんは残りのおせちを殆ど1人でちゃっかり食べてしまっていた!
飲んで騒いで寝て起きてまた飲んで食べてまた寝て飲んで食べて…の無限ループ、生まれて初めての超・正しい正月だったのかも。

毎日配られる船内新聞でイベントをチェックする元気もなく、「花嫁衣裳デモンストレーション」とか「新春クルートーク」などの面白そうなものは全部見逃してしまった。
でも軽食は食べる。

8月のクルーズでは軽食や夜食に美味しいオレンジ色や緑のメロンとスイカが山ほど出て、飽きるほど食べたんだよ。
でも、今回は緑のメロンだけ、しかも瓜っぽくてあまり甘くなかったので、
「季節ものだから、しょうがないね。グアムでは美味しい南洋フルーツを仕入れて積み込んだりして」とささやいた予言が大当たり!
甘いオレンジ色のメロンが出るようになり、舌鼓を打ったのだった。

2日続けて、落語を聴きに行く。
昨日はちょっと寝ちゃったんだけど、落語家さんは今日、
「あんまり下手な落語じゃ、寝られないんです。寝てらっしゃるお客様がいると、『ああ、俺も少しは上手くなったんだな』と思います」と気を楽にさせてくれた。
今日は寝なかった。「子ほめ」だった。
「ひとつにゃ見えない。どう見ても半分だ」というサゲは初めて聞いた。「どう見てもタダだ」しか知らなくて。

夕食はイタリアンで、嬉しかった。
ただ、せいうちくんの左側に1人客の男性が座ったので、お話を振るかどうかすごく迷った。
先日横の席で見事な話術を繰り広げていたお三方を思い出すと、なんとかならんのか、と。
2人連れが座った時は特に会話しない、というコンセンサスまではできたが、1人はまた、別だと思うんだよね。

あとでせいうちくんに聞いたら、
「僕も、左半身に全身の神経のうち7つぐらいを配置して感度を上げていた。向こうが話しかけたそうだったら反応するつもりだったが、特にその気配はなかった」と主張する。
ちなみに、「7つぐらいって、全体ではいったいいくつあるの?」と聞いてみたところ、「10コぐらい」なのだそうである。
私、人間の神経って100コぐらいあるのかと思ってた。

それにしても、年を越してしまったとは信じられない。
紅白をリアルタイムで見ていないせいなのか、テレビ越しに除夜の鐘を聞いていないせいなのか。
このままでは今年1年、2019年だと思って過ごしてしまうかもしれない。
きっと、この現実感の無さが原因なんだな。夢だもん。

20年1月2日

航海日誌8日目。

帰路の終日航海が4日続くので、2日目に当たる1月2日、船内のお寿司屋さんからルームサービスを取ることにした。
オールインクルーシブと呼ばれるシステムで食事もショーもお風呂も全部無料なのだが、バーなどでお酒を飲むのと、このお寿司屋さんは有料になる。
一食もったいないけど試してみよう。
お正月特別メニューだそうだからね。
食べに行くこともできるところ、バルコニーを活用したくて部屋にお願いした。

12時に部屋係の人が持って来てくれて、ビールが1本ずつついていた。(もちろんちゃんと栓抜きも持ってきてくれてた)
無理矢理バルコニーの狭いテーブルにのせて、乾杯!
とても美味しい賀正セットで、よく晴れた空と波の音が何よりのご馳走なところ、そこをさらに上回る素晴らしいお寿司だった。

それでもお昼が軽く済んでしまった感はあって、午後の軽食を食べに行ったらラーメンがものすごく美味しかった。
スープが絶品な感じ。
何でも美味しい船で、幸せ。

また硫黄島の横を通るというので、帰り道でもWi-Fiをふんだんに使わせてもらったが、不思議なことに、航路を複雑に取ってまで無理に島の西側を通ってるように見えるんだよね。
NASAが月の裏側について発表しないように、硫黄島の東側には何かあるんだろうか?
盛り上がった部分と滑走路に使われていたと思われる平たい部分から成る、全部見渡せてしまいそうな島に、いったいどんな秘密が?

夜はディスコナイトに出かける。
上陸以後、足が痛くなっていたので杖をついている。
おかげと言うとヘンだが、椅子に座って見てるだけでも心苦しさを感じない。
でも、せいうちくんが踊っているところは見たかったので、フロアに出て、とお願いする。
「U.S.A.」でほどけたのか、「YMCA」ではかなりハジけていた。

お年を召したご夫婦が仲睦まじくしゃれたジルバなど踊る様を見て、自分たちもいろいろなんとかしようかな、まずは膝を治すかな、と考えさせられた。
せいうちくんに、
「良くなったら、老後はダンス習おうか」と言うと、「いいね!」と乗り気。しかし、
「たださぁ、習いに行くと、他の人とも踊らなきゃいけないからねぇ」
「えー、僕はキミとだけ踊りたいなぁ」
「少なくとも素人が2人で組んでても何にもできないから、先生とは組まなきゃ」
「女性の手なんか取ったことないよ」となって、完全に腰が引けた様子。

クルーズに一緒に来ているご夫婦は年季が入っていて仲がいいんだよ。
我々なんかヒヨッコです。
目指せ、仲良しでリッチ。前半はクリアできそうだが、後半は難しい。

それでなくともクルーズにはリピーター組が多い!
我々はたまたま今年ゆとりができての2回目となったけど、20回乗っているご夫婦、飛鳥Ⅱが飛鳥どころか「クリスタルシンフォニー」だった頃から30年以上乗り続けているご夫婦などのお話を聞くことができた。
お風呂で会って「酔い止めを飲むなら早く飲んだ方がいいわよ」と教えてくださったおばさまは、もう3回も世界一周にいらしてるそうな。
皆さん、スタッフの方々とはもう旧知の仲っぽいし、お互いの挨拶は「また来年、ご一緒しましょう!」なんですよ~!
アウェー感がハンパない。耐えよう。

20年1月3日

航海日誌9日目。

船の操舵室には「神棚」がある。
ニューイヤークルーズでは乗客も「初詣」をさせてもらえるのだ。
ご神体はもちろん金比羅様。

こういうのが大好きなせいうちくん、張り切って出かけると、すでに操舵室へと続く廊下は長蛇の列。(別に洒落じゃない)
やっと入れて、ついでに操舵室の見学会となってて写真も撮り放題だったため、ものすごく喜んでいた。
文系なのに。船オタクでもないのに。職業性の鉄オタクが高じるとこうなっちゃうんだろうか。

ちびっ子たちも大勢来ていて、キャプテンの帽子をかぶって操縦席に座らせてもらって大喜び。
「未来の海の男」募集・勧誘の場でもあったようだ。
コドモはいいなぁ。船に乗れば操舵室で船乗りを夢み、飛行機に乗ればコクピットを見せてもらってパイロットを夢みる。
オトナになるとね、船に乗っても、さて世界一周をするためのお金はどうやって貯めたらいいかしら、ってことしか考えないのよ。
あ、膝を治してダンスをしたいなぁとは思った。これはちょっとした夢ってものかも。

「初詣」のあとは、アトラクション部門長による講演会「タイタニックの真実(なぞ)」。
ディカプリオをスターダムにのし上げた映画「タイタニック」のシーン抜粋で始まり、沈没の原因、その時の状況、避難の様子などを語るものだった。
クルーズ中にタイタニックとは、ちょっと不吉?と驚くんだが、当時の危機管理の甘さ、乗組員の安全意識の低さなどが挙げられ、現在のクルーズ船が如何に高いレベルの安全性を保っているかをアピールしていて、なるほどと思わされた。

なお、ただ1人の日本人乗客はYMOの細野晴臣の祖父に当たる男性だったと初めて知った。
からくも救命ボートに乗って生還したのだが、数奇な体験を講演などで語ったもののその後非難を浴びることとなり、一切口をつぐんでしまったそうだ。
沈没までに彼が備え付けの便せんに書いた走り書きのメモは、細部までの臨場感を伝える最高の資料としてタイタニックの資料館に収蔵されているのだとか。
今度、資料館のHPとかアクセスしてみようかな。

ちなみに帰ってから調べたところでは、日本でもみなとみらいのイベントなどで何度か公開されているメモなのだそう。
今のところ、読めるほど拡大できる写真には当たってない。
いずれはこれを調べて、タイタニックの話をまとめたら面白いかも。
実は翻訳の仕事をしていた時分に、お師匠さんを通じてテレビ番組用に原文の本を読んでまとめる仕事が来たことがある。
タイタニックと同じ大きさの船があり、沈んだとか事故に遭ったとかいう話だった気がする。
もう30年近く前だからなぁ。調べ直さないとわからない。
そして、せいうちくんが毎年開催している「休日講座」で講師デビューだ。たぶんしないけど。

操舵室を見た日の夜にはもう「キャプテンズ・フェアウェルパーティー」だった。
明日の晩にはトランクを引っ張り出して荷造りしなきゃいけないんだなぁって現実が迫ってきた。
キャプテンのお話では、出航した時の低気圧に結局ずっと悩まされ、予定通りグアムに到着するために途中でできるだけスピードを出すなど、相当な苦労をしたらしい。
サイパンでは、あわや入港できないかもと危機感があったほどだとか。
乗客はそんなこと知らずに、かなりのんきにお風呂の水も揺れるなぁとか思ってました。すみません。
「揺れるけど、安心」していられた安全で快適な航海を、どうもありがとうございました!

20年1月4日

航海日誌10日目。

「新春ビンゴ大会」開催。
何か当たるかと出かけて行った。

船の「ビンゴ」は使い捨ての紙を使うのではなく、何度も使用できる薄板の本格派だった。
窓の下の赤いバーを、数字が出たらそれぞれスライドさせると赤い薄紙がかかり、真ん中の窓のバーを逆向きにスライドさせると全部クリアしてまたまっさらに。
初めて見たので、興味深かった。

3回やって、最初は普通のビンゴ。
たちまち2つもリーチがかかるし賞品は山積みだし、期待で鼻息が荒くなるんだけど、そう簡単にはビンゴにならないのがこのゲームの面白いところ。
結局「ビンゴ!」とボードを頭上でくるくる回す、ってジェスチャーはできなかった。
福袋が、欲しいのに。

2回目は、数字が並ばなくても「6つ開いた人が当たり」。
これもなかなか開かない。
達成して前に出た小学生ぐらいの男の子が「何にしようかな~」といった様子で腰に手を当てて考え込む後ろ姿に、皆さん笑いを誘われていた。
横からお母さんが「福袋!」と口を出すのを、「いいから~」と手で追い払うしぐさをするのでまた笑い声。
結局、福袋を選ばされていた。母は強し。

3回目は、ここまでビンゴになっていない人が全員立って、番号が出た人は座っていく方式。
さっきはあんなに「つかなかった」のに、あっという間に窓が開いてしまった。しょぼんと座る。
だんだん立ってる人が少なくなって、残り人数がちょうどよくなったところで賞品が。
あ~あ、ビンゴって、勝ったことないや。
短けえ夢だったなぁ…(by クロトワ in「風の谷のナウシカ」)

夜には、「昭和歌謡ナイト」。
クルーズには高齢の方が多いので、戦後すぐ、場合によっては戦前の昭和の歌は心のふるさと。
一番新しい歌が尾崎紀世彦の「また逢う日まで」と我々にとっては年代的にぎりぎりセーフか、と思われたが、「高校三年生」も「真っ赤な太陽」も知ってるもんだなぁ。
「銀座カンカン娘」は歌えないし、「一週間に十日来い」は知らなかったけど。

羽根つき被り物をつけた真っ赤なロングドレスの女性クルーが美空ひばりの「真っ赤な太陽」を熱唱し、「高校三年生」ではなぜか学ランの代わりに真っ黒なカンフー服(見たとこ似てるからいいのか?)を着た男性クルーとセーラー服の女性クルーが一緒に歌う。
司会の女性クルーは結婚退職をするらしく、相手が同じ船の男性だと白状させられていた。
常連客たちの驚きと温かい別れの拍手に、華やかに盛り上がった寿退職の舞台で彼女は感極まって涙を流し、馴染みなのであろう女性客が駆け寄ってハンカチで拭ってあげるひと幕もあった。

航海中何度も出会った「アトラクション部門長」は名物男らしく、乗客に大人気。
「星空散歩」と南十字星を見る「早朝星空散歩」(せいうちくんが行かなかったやつ!)、タイタニックの講演会、ウクレレ教室、カウントダウン歌合戦の仕切りと八面六臂の活躍だった。
そんな彼が最高に活躍したのが、この、熱烈な参加者を集めた「昭和歌謡ナイト」。
もう1名の男性と共に「白塗りこまどり姉妹」を勤め上げた彼と、最後は一緒に記念撮影をしていただきました。

船のアトラクションは何でも45分で終わる。
人間の集中力がそれだけしか保たないのを知り尽くしているのだろうか。
アンコールの大合唱が起こる中でもささっと切り上げるところが素晴らしい。
きっと、軍隊とか船とか、命や安全がかかっている現場では、規律が何より大切なのだろう。

部屋に帰って、ものすごい勢いで荷造りをした。
造る時に1週間ぐらいかかった気がして気が重く途方に暮れていたんだが、こういう時に「考えない男」せいうちくんは本当に頼りになる。
「この部屋にあるものを突っ込むだけなんだよ?絶対すぐに終わるよ。1時間、いや、30分で終わる!」
私は2、3時間かかると本気で思ってたが、いやぁ、30分で終わりましたわ。
力技はせいうちくんにまかせた方がいいな。

代わりに私はね、宅配じゃなくて自分で運んで帰る荷物でも、札をつけて22時までにドアの外に出しておけばまとめて下ろして、港の出国カウンタまで運んでもらえるってことを発見したよ。
船までは宅配してもらったけどどうせタクシーで帰るから帰りの宅配代を節約して持って帰る特大のトランク、せいうちくんはもちろん自分で船から降ろすつもりでいたよ。
「僕が大きいのを2つ転がすから、キミは僕らが持ってきた小さなトランク2つをお願いね」って、それは無理だから。
通路で、人の迷惑になるだけだから。
書類をよく読んで驚いたせいうちくんに、
「キミはよく気がつくねー、確かに書いてあるねー」ってほめられた。
適材適所で参りましょう。

飲み切れなかったお酒をバルコニーで多めに飲んで、なんだかとってもあっという間に終わっちゃったねぇ。
いつかまた、船に乗れる日が来るのかな。
「10年後の、世界一周を目標にしよう」
じゃあ、ジルバとマンボを踊れるようになろうね。

20年1月5日

航海日誌11日目。最終日。

朝、早起きして朝日を見て、最後の大浴場に入って、残った荷物を小さなトランクとリュックに詰めて、デッキごとの呼び出しがある前に乗降口まで行って座って待ってた。
自分たちのデッキが呼ばれたら、すぐに出られたよ。

入国手続きをして、いちおう外国帰りなんだね。
大きな荷物もちゃんとゲート外に来てるよ。
係の人がタクシー乗り場までカートで運んでくれた。
特大トランク2つは、セダン型のタクシーでも積めるんだって発見した。
小さなトランクは助手席に乗っけて、高速通って家まで1時間ぐらいしかかからなかった。
午前中なのに、帰り着いちゃった。

私はちゃんとカギをかけて出かけていたし、エアコンも全部消えていた。
窓を開けて風を通し、まずは買い物に。
もう日常が追いかけてくる。
当座の食料品を買い、明日はお天気だからホコリかぶってそうなシーツとか全部洗おうと引っぺがして、新しいシーツに替える。

午後4時頃かな、レンタルトランクの引き取りも来てくれて、船旅に行ってたなんてもう、自分たちの心の中にしかないんだよ。
楽しかったね。また生活が始まるね。
新しい1年を、どうぞよろしく。
これからの10年も、先を楽しみにしてどうぞよろしく。

こうして、11日間のクルーズは終わりました。
せいうちくん、連れてってくれて本当にありがとう。

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