21年6月5日

せいうちくんが緊要の仕事を少しセーブして昼寝ができたので、夜のZOOM飲み会では1時ぐらいまで粘れた。
主な話題は「もう開催だろう」とあきらめ気味のオリ・パラ。
「それでコロナが蔓延して、自民党が倒れればいい」という過激な思想の持ち主までいて、悪いけど私もややそっち方向だなぁ。
もう止まらない勢いだもん。IOCには恫喝されてるし。
きっと第二次世界大戦に突入した時もこんな雰囲気だったんだろうと想像する。

しかし皆、忘れていないだろうか。
そもそもコロナが流行る前から、「夏の東京開催は無茶」と言われていたんだ。
コロナを押し切ったところで夏が涼しくなるわけではない。
マスクをかけての参加となると、暑さも増し熱中症の人も増えるだろう。
この時期の散歩でさえ、マスクをかけてると息苦しいぐらいなんだから。
札幌からZOOM参加の人に「そちらのコロナ状況は、マラソンができる感じですか?」と尋ねたところ、
「いやー、無理でしょうね。でもやるんでしょうが」とのこと。
ますます「打ちてし止まん」だ。

1時に我々は抜けたが、せいうちくんを寝かしつけて2時頃もう1回入ってみたら、あいかわらず長老とGくんがビール傾けていた。
「物理学の話をしてたんだ」と言われ、早々に退散した。
あの2人の話は特撮からエロから科学まで、広すぎてついていけない。
翌朝のGくんのFB報告見ると、3時まで続いたようだ。

図書館行っていったん帰って重い本の山を家に置き、週末の買い出し。
水風呂を張るシーズンになった。
常時風呂桶に水をためておき、1日何度も私が入る。
実は水冷式で動いてるんだよ。

あとはゆっくり昼寝をして、テレビ三昧。
昨日Sくんから勧められた数年前のドラマ「カルテット」が実に面白い。
今、楽しんでいる「大豆田とわ子と三人の元夫」の脚本家、坂元裕二の作だそうだ。
カルテット、って弦楽四重奏楽団のことだったのね。
「プロとしてやっていけないとわかった時、やめるか、趣味として続けるか」の選択を迫られるレベルの音楽家たちの共同生活の話。
やはり息子のことなど思いながら、前半5本を観た。
明日は残りを観よう。

21年6月6日

「カルテット」、全部観た。
坂元裕二は松たか子、松田龍平、高橋メアリージュンが好きなんだなぁ。
今やってる「大豆田とわ子と三人の元夫」にも出ている。
だったら高橋一生も出してくれればよかったのに、と思うぐらい、「カルテット」の彼はステキ。
エンディングで黒い革ジャンをラフに着た姿は鼻血が出そうになる。
そう言えば「おんな城主直虎」の頃、うちでは高橋一生フィーバーが吹き荒れていた。
翌年は「槍ドン」からの「政次ロス」にのたうちまわっていたよ。

ちょうどその頃、アマプラかなんかで宮部みゆき原作の「ペテロの葬列」観てたら、キャスティングについて何の予備知識もないのにいきなり高橋一生が出てきた。
「私って、神様に愛されてる!」と思った。

さて「カルテット」だが、思わぬいい仕事が来たと思ったら関係者の親族がよこした勝手なコネで、演奏なんか二の次三の次で奇妙なコスプレを要求される4人。
主役ミュージシャンの時間が押してて音合わせができないから音源使う、演奏のふりだけしててくれ、と要求され、
「そんなことできません!私たちは私たちのベストを尽くしたいんです!」と憤る彼らに、プロデューサーは言う。
「注文に応えるのが一流、ベストを尽くすのが二流、僕ら三流は明るく楽しくお仕事をこなせばいいんですよ」

松たか子の説得でとにかく仕事を終えて帰るカルテットを見送りながら、ADがプロデューサーに言う。
「あんまり楽しそうじゃなかったですね」
プロデューサーはつぶやく。
「志ある三流は、四流だからね」

あんまりいいセリフだったんで、息子にmessengerで送った。
「あなたが一流二流になれなかった時、三流で終わるよりは四流になってくれた方がいい気がします」と添えて。

「心に刺さるセリフだねぇ」と返事があった。「一流、二流か…」とも。
悩んでるようでもあり、もちろん今はそこを目指しているんだろう。
ほどほどに成功を祈るよ。

21年6月7日

先日観た映画「ミッドサマー」のノーカット版をそのうち観ようと思う。
こないだ観終わった時は直後に息子と腕を組んで回って踊り始めてしまった。

勧めてくれたKくんに、息子とのダンスを報告がてら、
「K家では房事の際に後ろで娘さんやお義母さんその他が並んでゆらゆら揺れてるのかと想像します」と送ったら、平然と、
「私と娘、時には息子が参加してやっています」
少しあわてて、
「ダンスの話なんですよね?房事では通じないようなので敢えて聞きますが、SEXの話じゃないですよね?!(K家は進歩的過ぎて、何をしてるかわかったもんじゃない…)」と返事したら、幾度かのメッセージの応酬のあと、
「冗談ですよ。家族でやるのは『スコール!』と乾杯するぐらいです」との答え。

「Kくんには驚いたよ」とせいうちくんにやり取りを見せたら、
「うさこはまだKくんがわかってないんだね。最初から冗談に決まってるよ。Kくんはそういう人だよ」とあっさりしてた。
私は真面目で野暮だから、何でも本気にとるんだよ!
あなどりがたし、Kくん。
そしてそこをちゃんと見抜いてるせいうちくん。
まだまだ修行が足りないな、私は。

21年6月8日

激しい頭痛と吐き気、めまいがする。
「くも膜下出血」の症状がこれに当たり、「血圧が激しく上下する」ともあったので、血圧計で計測。
150。高すぎる。
もう1回測って138。まだ高い。

様子を見ることにして、寝る。
めまいは新しい薬の副作用として注意されていたからどうしようもあるまい。
できるだけそっと立ったり座ったり寝たりしている。

21年6月9日

ひと晩寝たら体調はおさまった。
血圧も平常値の128-76。
めまいは去らないけど、ドクターが、
「薬を変えたのでめまいがするかもしれません。立ち上がる時はゆっくり(椅子のひじ掛けをつかんで静かに立ち上がる動作をしてみせながら)」と言っていたから、想定内なんだろう。
ドクターという人種、薬の効能とその対策の説明が上手い人は上手い。
下手な人は本当に下手なんだけどねー。

さて、諫山創の「進撃の巨人」、34巻でついに完結した。
2009年に連載が始まったらしいから、12年かけての大長編だ。
最初にテレビで「最近話題のマンガ」として聞いたのはいつ頃だったか。
確か土山しげるの「極道めし」と一緒に紹介されていた。
両方買ってみたが、「極道めし」の方が面白いと思った覚えがある。
「進撃の巨人」はびっくりするようなグロテスクさと絵がヘタなのしか印象に残らなかった。

しかし巻を重ねていくので3巻ぐらいまで読んでみて、やっぱり「これはなかなかついていけない」と思い、25巻ぐらいの時点までは放ってあった。
スキャン技術の導入もあり、「とにかく買っておくか」と中古一括買いし、そのあとは出るたびに新刊を買い続けた。
ついにその忍耐が報われる日が来て、今夜、一気に読もうと思う。
どうも思っていたのと違う話に発展しているようだ。

いつか読もうと思って山で買ってあるマンガが多すぎる。
でも、この間「三国志」とか「島耕作シリーズ」を一気に読んだ時は、「ああ、持っててよかった」と心から思った。
今後の人生でもっと読めるようになるのかだんだん読めなくなるのかわからないが、「古い、読みたいもの」はだいたい持っているという安心感は何にも代えがたい。
ありがとう、全巻ドットコムとアマゾン。

一方、東山アキコの「雪花の虎」とかよしながふみの「大奥」とか、1巻から興味を持って1冊ずつ買い進めてきたものへの感慨も大きい。
先日も山田金鉄の「あせとせっけん」が11巻で終わって、深々とため息をついた。
私は話を忘れてしまうので、新巻が出るとそこまでを全部読み返さないといけない。
つまり、11巻まで出たマンガの第1巻は11回読まれているわけだ。
効率が悪いったらない。
だから新しい山になかなか手が伸びないで「電子積読」ばかり増えていく。

困ったことに「電子積読」は、実体のある積読に比べて「あることすら忘れてしまう」ことが可能なので、もしかしたらこれまで買ったマンガで読まずに終わるものもあるかもしれない。
私は自炊派だが、Kindle愛用者の中にも「大量に電子で買うと、読まずに終わる場合が増える:と嘆いている人々がいる。
「場所をとる」というのも本側からの「読んでくださいよぉ」って主張なんだなぁ、その場所を敢えて本に与えて家を侵食させているのが愛書家というものなんだろうなぁ、とあらためて思う。

まあ始めてしまったことは仕方ない。
裁断・スキャンという悪魔の所業を続けながら、本棚のない家で暮らしていこう。
老人ホームもすでに視野に入れている以上、しょうがないじゃないか。

21年6月10日

諌山創「進撃の巨人」全34巻、読み終わった。
びっくりした。心を動かされた。
こんな壮大な話になってるとは知らんかった。

殺戮と差別の連鎖。繰り返す歴史。
天秤計りのように揺れ動くパワーバランス。
個人の幸福と尊厳はかけらもないようにも見えるし、そこが一番描きたいのかとも思う。

登場人物が多すぎる。キャラ立てても立てても絵がヘタなので見分けがつかない。
しょうがないから呼びかけシーンが多いけど、こっちは名前覚えきれてない。
しかしさすがに34巻も描くと、最初の頃の粗削りなヘタさとはまた違った絵になってるなぁ。
それでますます誰が誰だかわかんなくなっていくんだが。

Dropboxに最新巻入れてから「完結しました。今から一気読みします」のお知らせを息子に送ったので、
「ありがとう!こっちも読んでみます」のお返事。
2日目の夜中、私があと5巻を残した状態の時に「読み終わった」と報告が。
急いで残りを読んだが、どうも理解できた気がしない。
「読んだー。名前覚えきれない。結末納得いかない。正直よくわからない。あなたは理解できた?」と問うたら、
「おしまいのあたりがアニメのコードギアスに似てたから、なんとか」って。
母さん、それ見てないんだよね。前に勧められてた気はするんだけど。

「お話はシンプル、が至高だと改めて思い申した」と言ってくるからには、彼もこんがらかりすぎるとは思うんだろう。
「改めて読みなおせてよかったよ。ありがとうね」とお礼を言われた。
まあ、電子であることを気にしないならば、漫喫に住んでるようなものだからねぇ。
そう送ったら、
「でも、漫喫では美味しい水分が飲めるからなぁ」と返ってきた。
「居ながらにして読める=出かけなくてすむ」というのは息子にとって何のメリットにもならないのだとあらためて気づく。
まあ、子供の引きこもりに困ってる親が多数いることを思うと、ありがたい話と言えよう。

「進撃の巨人」を読む気はなさそうなせいうちくんにいちおうあらすじを話すべく試みる。
ややこしいので途中で頓挫。自分でも言っててよくわからない。
せいうちくんの感想としては、
「人喰いのバケモノにただ喰われるしかなかった人々、特に子供たちから、その運命を打ち破ろうと命を懸けるマンガが増えてきた気がする。『鬼滅の刃』も『約束のネバーランド』もそんな感じ。最近の若い人が感じてる社会の構造かねぇ」だって。
戦後に小金を得た我々の親の代から子孫に向けてだんだん先細っていく経済と国力の衰退。
いやおうなしの「清貧の時代」はもうすぐそこまで来てるよね。

21年6月11日

昨夜夜更かしをしたので、今朝は昼まで寝ていた。
長い長い夢をみていた。
4年前に亡くなった高校時代の親友が出てきてた。
彼と久しぶりにいろんな話ができて嬉しかった。

目が覚めて、せいうちくんに「Oくんの夢みたよ」と話す。
「あなたもいたよ。Oくんがなつかしくてなつかしくてたまらなかったよ」と言うと、
「僕らの自炊(書籍電子化)のお師匠さんだもんね。今、生きてたら、スキャナの話とかいろいろ相談に乗ってもらえたのに、残念だね」って。

たぶん、「カルテット」や「大豆田とわ子と三人の元夫」に出てくる「松田龍平」の雰囲気がOくんに似てるなぁとずっと思ってたせいなんだろう、急に彼の夢をみたのは。
目がもっと大きかったし、しゃべる時はよくしゃべる人だったから、似てないじゃんと言われれば似てないんだけど、こちらが多くを語らなくてもすっとバックアップしてくれるようなとこがね、似てると思うのよ。

ちなみに、お風呂上りに爪を切りながら「いちご白書をもう一度」を口ずさんでいたら、急に5年前に亡くなった友人の顔が浮かんだ。
あまりに「あざやかによみがえる」だったので、「あの人、この歌が好きだったんだっけ?」とよく思い返してみたら、顔が非常にばんばひろふみに似た男性だったのだと気づいた。

台所に立っているせいうちくんに声をかけてそう話すと、
「実は、僕も君の歌を耳にしてまったく同じ人のことを思い出していた。しかも『彼、この歌好きだったかなぁ』のプロセスは抜きで。『とにかくばんばひろふみに似ていたよなぁ』って」
たぶん我々2人の脳裏には同じ写真が浮かんでいたろう、とも言っていた。
やたらに顔が大きく写った友人のスナップ写真が。

これからだんだん友達は減っていく一方なんだろうな。
もう新しい友達ができる気があんまりしないし。
今ある資源を大切にしよう、育てよう、って気分になりますわ。

クルーズ航海日誌
胃弱夫と足弱妻のイタリア旅行記
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