12年7月1日

昨日の夜、息子はまだ帰って来ないが、メールが来た。
「お父さん、明日の朝、隣町の駅まで2人で散歩しない?」
大内くんと2人、超弩級に驚いた。

「誘われちゃってるよ!2人で散歩、だって!何か話したいことがあるんだろうね!何だろう!?」
どうやら2人とも最初に思いついたことは同じだったようで、
「『結婚します。来年、コドモが生まれます』って言われたらどうしよう!?」と、ほとんど同時に言っていた。
次に考えついたのは、やはりまったく同じで、
「『大学が合わない。やめたい』と言われたらどうしよう?」。
どうしてこんなにも同じことしか考えつかないんだ!

ものすごく浮かれながら息子が帰って来るのを待ち、よくよく話を聞いてみたら、どうやら、
「映画の整理券をもらいに行きたい。2人分なので、つきあえ」ということらしい。
思ったほど派手な展開ではなかった。ガッカリ。

それでも、大学生になった息子はついに「親とのつきあい」を始めようということだろう。
感動した。
散歩の話はなくなったけど、また別の機会を設けて息子と話し合いたい。
それには私ではダメなので、大内くんに大いに期待のかかるところだ。
散歩か・・・短けえ夢だったなぁ・・・(by クアトロ in 「風の谷のナウシカ」)

12年7月2日

朝、息子を起こしたら、寝坊して友達との約束に遅れたらしく、昨日けりのついたはずの「映画の整理券をもらいに行く」話が再燃していた。
私は誘われていないので、涙をのんで2人を送り出し、もう1度寝る。

昼過ぎに帰って来た大内くんは、
「彼は先輩のライブを見に新宿に行った。映画は、夜、女の子と2人で観るらしい。『ピラニア』の話らしいよ。そんなんで、デートになるんだろうか?」と心配そうだった。

私はもう、
「何を話したの?お昼を一緒に食べたの?どこに行ったの?」と、聞きたいことがいっぱい。

「まあ、落ち着いて」と言う大内くんがひとつひとつ話してくれたところによると、

「自転車で隣の駅まで行った。映画館は、僕らも時々行った、マニアックな映画をやるとこだった。『昼ごはんを食べよう』と言って、キミともよく行った落ち着いた喫茶店に行って、僕は肉ナス定食、息子はハンバーグを食べた」と大内くん。

以下は、息子の語ったところ。

息子「大学の授業が難しくて、面白くない。学校自体はとても楽しくて、サークルもいいところで、やりがいがある」

息子「留年はしないつもり。単位は、前期で4つぐらい落とすかもしれないけど、16単位ぐらいは取れる。要領がわかったから、今後はあまり落とさないですむと思う。あんたは、何で大学出るのに7年もかかったの?」
大内くん「一流の大学へ、と期待されて無理やり入ったので、入学後すぐに挫折した。ママと結婚する話がなかったら、卒業できずに放校になることだったんだよ」
息子「お話みたいな話だな」

息子「オレのこと、どう思う?」
大「心のきれいな、いい人だと思うよ」
(「ワガママで身勝手だと思う」と、なぜ言わないのか!?)

息子「こんなに話したって知ったら、ママはとってもうらやましがるだろうね!(そこまでわかっているならもっとしゃべってくれ!)でも、やっぱりお母さんとは話しにくいものなんだよ」

息子「将来は、テレビ局に勤めたい。先輩の中にもそういう人がいて、励みになる。お笑いは、大学で卒業でいい。大学にいる間に1回でもテレビに出られたら、もう何にも言うことない」

息子「自分なりに将来のことは考えているので、あんまり心配しないで」

息子「お笑いのライブ、見に来てもいいよ。客を選んじゃダメだ、ってことがわかったよ。観てるのが親だろうが誰だろうが、一生懸命やるだけだね」

息子「高校が、本当にいい高校だった。ヤなヤツは1人もいなかった。楽しかった」

息子「オレは本を読まないけど、教養は見せてもらった映画から来てる。『ディア・ハンター』と『カッコーの巣の上で』?ああ、見たね。面白かったよ。『ライフ・イズ・ビューティフル』は泣けたよ」

などなど、私にとっては驚くことばかりだ。
現場の大内くんはもっと驚いたことだろう。

連れてってくれた店が、夜は酒場になる喫茶店で、食事もできるとこなんだけど、いいチョイスだったよ。
息子も、
「オトナはこんな店に来るのかぁ」といった風情で店内を見回していたらしい。

もちろん、これで息子と我々の関係がぐっと縮まり、好転する、なんてことはなく、これからも不機嫌や罵声とつきあって行くだろうけど、心の奥で考えてることの一端を見せてくれた、っつーとこに感動して、自分たちの子育ては間違っていなかった、とほっとする。

ちなみに、11時までの映画を観て夜中の1時頃帰って来た。
特に何か面白いことがあった顔ではない。ちょっと肩すかし。
彼が女の子とのデートで成果を上げるのはいつの日だろうか。

12年7月3日

大内くんがお店で息子と話していたら、日芸を受けた時の話になったらしい。
大内くん「いったい、どうやって受かったの?」
息子「面接では大したことはしてないよ。作文を頑張ったな。高校生を『差別化』していくのは難しいだろうから、そこに賭けてみた。差別化されるだけのものを書いたと思うよ」

これを聞いて私は、息子がある意味とても狭き門である日芸に受かったことよりも、「差別化」なんて言葉を知っていて、会話の中で使える、という点に大変驚いた。
自慢じゃないがまったく本を読まず、人生でまともに読んだことがあるのは「ハリー・ポッターシリーズ」だけであるというヤツが、なぜそんな言葉を。
「ヒエラルキー」という言葉を知っているのを聞いた時と同じぐらい驚いたよ。
「ゲーム・マンガ・映画」でできあがってる彼の、今後が面白くて期待できるなぁ。

12年7月4日

会社を休んだ大内くんと2人、久しぶりに唯生に会ってきた。
前回の、腸に穴が開いていて放っとくと大変なことになるので、緊急手術を、という件からまだ完全には回復しておらず、それでも看護師さんが声をかけると笑顔が出るなど、安心できる材料もたくさんあった。

しかし、今回の用件も実はあまり嬉しい情報ではなく、手術以来、胃の働きが悪く、入れている栄養チューブも十二指腸まで入ってる。
しかも、唯生の内臓は身体の側弯とともに変形が進んでいて、レントゲンで見せてもらった十二指腸は、確かに急なヘアピンカーブを描いており、経管栄養でも相当な「胃残」(消化しきれない胃の内容物)が出るのも無理はない。
担当の先生から提案があり、「胃ろう」「腸ろう」というものを考えてみてほしい、と言われた。

これは、胃なり十二指腸なりに直接穴を開けて、そこからチューブ栄養を取る、というわりとメジャーな施術。
唯生の場合、鼻腔チューブがなくなればその分「楽しみとしてのおやつ」を食べたりする時にいいかもしれない。

数年前に「考えておいてください」と言われて初めて知った「胃ろう」の世界は、けっこうしんどかった。
でも、鼻腔チューブよりずっと楽になると思う。
特に今回は、好むと好まざるにかかわらず「胃ろう」「腸ろう」以外に有効な手段はないのだ。

ひとしきり説明を受け、センターの方で働いている主治医の先生と車椅子を押してくれる看護師さんと、唯生を含めて5人で外来の診察を受けた。
「胃ろう外来」の外科の先生は、資料を見て主治医の先生のお話を聞いて、もうあっさり「じゃあ、手術の日程を決めましょう!」。
あまりのスピード解決に、めまいがした。

どうやら、普通は内視鏡を使って切らずにすむらしいが、唯生の場合は場所も難しいので、開腹手術になるらしい。
胃ろうはそれほどむずかしいものではないので、手術は2時間ぐらいで終わるって。
今回は我々も行って唯生の病室で待っていよう。
「ガンの患者さんとか、長くかかる手術を優先しますので、すきまにちゃちゃっとやっちゃいましょう!」とドクターは言う。
そんなもんなのか。

今年は唯生にとって受難の年だった。
手術を2回もしなきゃならないし、その間の栄養補給もさまさまなやり方で行われていて、負担になることが多かったろう。
外泊もすっかり間が空いてしまい、この分だと早くてもお正月ぐらい、という感じなので、1年も帰って来られないんだね。
お正月は一緒にのんびりしようね。

12年7月5日

12時近くになって、もうそろそろ寝ようか、という時間。
息子が突然「ハラへった。なんか作って」と言ってきた。

大内くんは一瞬すごく作ってあげたくなったらしいけど、いくらなんでも遅すぎるでしょう。
オーダーストップは11時、って決めて、本人にも言い渡してあるんだから。

「今日だけでいいからさぁ。明日っからちゃんとするよ」と泣き落としをかけようとする息子を振り切って、大内くんと2人で寝た。
しばらくして見に行ったら、「チキンラーメン」を作って食べた形跡が。
どんぶりを洗ってやりながら、
「やりゃあできるんじゃん、やっぱり」としみじみ思った。

大内くんは過保護なうえに骨身を惜しまない人なので夜食も作りたかろうが、私は断固反対する。
特に、自分でできることは自分でやってほしい。
それはオトナへの大事なステップだと思うんだけど、大内くんにはそこんとこがわからないらしい。
「やれるうちはやってあげたい」というのも美しい考えだが、本人のためになるかどうか。

とりあえずチキンラーメンまでは来た。
そうめんとパスタを茹でられるのも知っている。
息子よ、頑張れ。
そして、その前に、大内くんよ、もっとしっかりしてくれ!

12年7月6日

私が7年勤めてやめた会社の、入社30周年記念同期会が行われた。
5年前にもあったよ。
今回は同伴者歓迎だったので、大内くんと一緒に行った。

こないだは大学の「30周年記念リユニオン」があった。やはり大内くんがついてきてくれた。
卒業と就職が同じ年だから起こることである。

品川駅から歩いて10分ぐらいの社屋は、私が勤めていた頃とは全然違う。
駅そのものがものすごく建て替わっていて、天井の高い通路は、「ハリー・ポッター」に出てくる「キングス・クロス駅」によく似ている。
昔は駅の東側なんてなんにもなくて、競馬場へ行くバスが通ってるだけだったんだが。

同期入社の人たちと「久しぶり!」とか言ってる間に会った発起人の男性は、大内くんが就活中に私から頼んで面接してもらった人だ。落ちたけど。
30年ぶりに会って、お礼が言えたのはよかった。
今はえらくなっているが、それでも現在の社長は彼より若い。複雑な気持ちだろう。

女の子たちで知ってる人は5、6人といったところか。
「○○(私の旧姓)ちゃん、元気だった?!」と叫ぶ彼女らに、大内くんを紹介する。
大事なポイントは、社内結婚じゃないことだ。
こんな場に来る社外のダンナさんはあまりいないから、みんな、一瞬「社内?」と思うんだよね。

大学も一緒の男の子が2人来てた。
1人はこないだも会ったので、「やあやあ、また会ったね」という感じだが、同期で一番早く結婚し、一番早く役員になった男性は、大学のリユニオンにも来ていたそうだが、会わなかったなぁ。
お互い、「なんで会わなかったのかね?気づかなかったね!」という会話をしていたところで、マイクを持った幹事さんが、
「一番出世の××くんに一言お願いしましょう!」と言ったので、彼はマイクのほうへ行ってしまった。
日本を代表するといっても過言ではない大会社の取締役を「××くんっていう男の子」と思っている私は、ちょっと遠慮がなさすぎるだろうか?

お料理とお酒を楽しんで、昔馴染みたちと話して、とても楽しかった。
大内くんは帰り道で、
「キミが堂々としてて、誇らしかったよ。みんな、キミのこと、よく覚えてたし。立派にお仕事してたんだね。学生だった僕には会社員の苦労なんてわからなくて、ずいぶん足を引っ張っちゃったよ。翌日仕事があるのわかってて夜中にアパートに会いに行ったり、会社の前で待ち伏せしたり。そんなことがなければ、今でも働いて、高い評価を受けていたかもしれないのにね」と、つないだ手をぎゅっと握ってくれた。
いいや、「男女雇用機会均等法」前年の入社だから、それほどえらくもなれなかったろうし、何より、唯生が生まれた時に絶対やめてたと思う。
数年の違いだよ。

実際、私が寿退社をする頃には、同期の4大卒女子はほとんどやめていた。
もちろん、今回の集まりでもいまだに同じ会社に在籍する女子はいない。
男の子たちでさえ、けっこうな人数がやめて、新天地で働いているようだし。

人に「今、何してんの?」と聞かれると、「主婦という名のプーです」と答える私。
パートにでも出ようかと思った時期もあるし、翻訳の仕事もしていたが、今やすっかりやる気が出ない。
家で本を読んでいるのが一番楽しい。
しかし、不思議なことにおなかにコドモがいる時に張り切るもんだなぁ。
タイミングというのもあるのだが、それぞれの妊娠中にペーパーバックを1冊ずつやったよ。
そして、2回とも切迫流産になって自宅で絶対安静。締め切りを延ばしてもらった記憶があるんだ。メーワクなヤツ>自分。

同期会、次はまた5年後かそれとも10年後か。
大内くんは、
「10年たったらみんな定年を過ぎてしまう。その前にもう1回会っておきたいもんじゃない?きっと5年後にあるよ」と言う。
「またついてきてくれる?」と聞いたら、「もちろんだよ!」と頼もしい返事。
女の子たちからは、
「素敵なダンナさまがついてきてくれるなんて、ラブラブね〜!」とひとしきり冷やかされるのもお約束。

私は、会社勤めをしてる頃が一番楽しかったかもしれない。
自分のお給料で暮らして、自立していたから。
今は、大内くんがどんなに「家にいてくれるのが一番のお仕事だよ」と言ってくれていても、寄生虫であるという思いが消えない。
コドモたちが自立しかけている今はなおさらだ。もちろん今も最高に幸せなんだが。
そんな折の同期会。
いろいろ考えてしまったよ。
楽しかったから、それはそれでいいんだけどね。

12年7月7日

昼寝をしていたら、大学の授業に行っている息子から電話がかかってきた。
「今日、赤坂のTBSで番組収録の見学に行くんだけど、終電がなくなったら、赤坂のおばあちゃんちに泊めてもらえないかな」
大内くんの実家のご両親は、赤坂にあるマンションで2人暮らしなのだ。
「急にそんなこと言ったら迷惑だよ」とは言ってみたようだが、息子の言い分は、
「おばあちゃんちってのは、いつでも好きな時に行くもんじゃないの?」というもので、これにはまあ一理ある。
我々が日頃不義理をしているというだけだ。

言い負かされて、実家に電話する大内くん。
「もちろんいいわよ。泊まりにきなさいよ」とお義母さんに言われたらしく、その旨伝えるべく息子にコールバックしたところ、同じサークルの友達が もう1人いるらしい。
さらにその点をお義母さんに伝える。ウェルカムだそうだ。ありがたい。

すべてOKとなり、息子のケータイにおばあちゃんちの電話番号と住所と地図を送っておいた。
小さい時から年に1回ぐらいは訪問しているけど、いつもみんなで車で行っていたので、自力で行くのは初めてだし、1人で行くのも初めて。
それに、ここ2年ぐらいは受験のせいもあり、足が遠のいていた。
最後に会ったのが去年の初夏にお義母さんたちの金婚式のお祝いをした時かな。
受験生である息子も会場となった大内くんの会社の接待施設に駆けつけてくれて、お義父さん、お義母さん、妹さん一家と一緒に楽しい食事をした。
家にお邪魔したのはさらに前、おととしのお正月ぐらいじゃないかなぁ。

その後、何度か息子から電話があって、
「収録は思ったより早く終わったので、友達は帰ると言っている。自分はおばあちゃんちに向かう」ということになった。

お義母さんからも何度も電話があって、
「何を食べるかしら。好きなものはなに?果物は何が好きかしら。アイスクリームならきっと大丈夫ね。ビールも買っといたほうがいいかしらね。お味噌汁の具は何が好き?」といった感じで、もう、歓待しきってくれる勢い。
大内くんはもちろん、
「そんなに気を使わなくっていいよ。本当におかまいなく」と言うのだが、やはり、たまにしか顔を見せない孫が泊まりに来るってのは大イベントだろう。
ありがたいことである。

すっかりたくましくなり(太ったともいう)、声も低くなった、大学生になった孫を見て、お義母さんたちはどう思うだろう。
また、息子はどんな顔でどんな話をするんだろう。
私は時折徹夜して朝起きない、なんてことがバレると困るなぁ。(今バラしてるんですが)

12年7月8日

雨も上がったので、散歩ついでにカレーを食べよう、と、隣町まで散歩。
こないだに引き続いて、やはり普段より混んでいる。
雑誌で紹介された、という説が有力だなぁ。
いつものスタバでコーヒーとラテを飲み、
「そろそろ暑い季節だねぇ。デッキには、パラソルが出る頃だよ」と話す。

のんびり帰り道を歩いていたら、自転車の息子に追い越された。
「ようっ!」と言って走り去る彼は、おばあちゃんちからの帰りだね。
家には上がらずに自転車を車に乗り換えて買い物をしてきた我々が帰る頃には、息子はシャワーを浴びて裸でソファに寝っ転がっていた。

「おばあちゃんちはどうだった?」と大内くんが聞いたら、
「初めて、楽しいと思った。おじいちゃんは物知りで、話が面白いし、すげえ筋肉なんだよ。やせてるのに、筋肉がムキムキについてるんだ!」と興奮 していた。
彼が、オトナとしておじいちゃんおばあちゃんを見た、初めての日だったんだね。
「これまで楽しくなかったのか?」と思うと、お義母さんたちにはやや失礼なんだが、彼の気持ちもわかる。
今までは、訪問しても食べるだけ食べてあとはソファで勝手にゲーム、と言うような参加の仕方しかしてこなかったんだけど、ついにオトナ同士で出会った、ってことなんだろう。

「野菜をすっげえたくさん食べさせてもらった。健康にいい。うちの食事よりずっと豪華で栄養満点だ」と嬉しそう。
たまのお客さんと家族は違うんだよ!と言いたくなるが、大内くんは横から、
「確かにうちの両親は食事にはこだわる。健康志向の息子が喜ぶのも無理はない」と言う。
うーん、お義母さんのとこに行って料理を習うのが、嫁の務めだろうか?

午後は、宿題のレポート(チョー簡単なやつ)を1本仕上げて、
「これが大学に入って初めて提出するレポートだ」と恐ろしいことをつぶやきながら、レポート提出のついでに友達に会う、と言って学校に出かけてしまった。
日曜なのに、学校はやってるのか?

大内くんに「髪切って」と言い、2人で洗面所にこもり、バリカンでえりあしをちょっと切ってもらったらしい。
ははは、私なんて、この先当分あらたまって人に会う機会はないから、会社の同期会が終わった翌日に、「5センチにセットしたバリカン」で髪全体を切ってもらったのだ。
切ってもらう前の息子にそう言ったら、「ヘタクソだな」と、すこしびびったらしい。
まあ、えりあしぐらいなら大丈夫だよ。

「バーバー大内」ないし「サロン・ド・大内」は、けっこううまいよ。
私はもう、一生美容院には行かずにサロン・ド・大内のお世話になりたい。

12年7月10日

会社帰りの大内くんと中野の駅で待ち合わせ。
よしながふみおススメのおいしいイタリアンを食べに行くんだ。
今回は友人女性にも声をかけ、3人で。
何しろ、よしながふみが作中で「2人じゃあまり種類が食べられない。この店に来る時は3の倍数になるようにしてるんだ」と言うぐらいだから。(笑)

私にしては最近外出が多く、疲れ気味。
待ち合わせの時間よりわりと早く着いてしまったし、電車の中ですっかり暑くなってしまったので、待ち合わせの改札のすぐ横にある「みどりの窓口」で座って待ってた。エアコン効いてるし。

「みどりの窓口にいるよ」と2人にメールしておいたので、スムーズに会えた。
さて、イタリアンだ!
歩いて7、8分ぐらいかな。わりと近い。

実は、私はこの店に大内くん以外の人と来るのが気が進まなかったんだよね。
いつも前菜に頼む「魚介のサラダバジリコ風味」があまりにおいしくて、人と分ける気にならなかったんだ。
(大内くんは、頼めばお皿ごと全部くれるので、OK)
でも、ここ数回大内くんと出かけて、「魚介のサラダは思ったより量がある。人と分けても大丈夫」という心境になれたので、今回友人を誘ったのだ。
彼女はそういう私の性癖を知り抜いているから、もし私が魚介のサラダを独り占めしても、怒らないでいてくれるだろう。

というわけで、オーダーは、
・魚介のサラダバジリコ風味
・カニ和えトマトリゾット
・スパゲッティ うにのサルディニア風
・トマトとバジルのスパゲッティ
・子羊のロースト
ということになった。

料理が運ばれてくるまで、しばし歓談。
彼女とこのお店に来るのは3年ぶりぐらいだろう。
年に4、5回は食事を一緒にしていて、場所は大内家である場合もあるし、今回のようにレストランだったり。
彼女に教えてもらったイタリアンのお店があって、もう4回ぐらい行ったかな。
ときどき無性に食べたくなって、彼女を誘うんだ。

このようにご歓談を楽しんでいたはずが、お料理が運ばれてくると、みんないっせいに無口になる。
おいしすぎるのだ。
「まだ行けるね。もうひと品、肉料理をお願いしようか」とか、そういう話はできるんだけど、ほかのことが考えられない。
私は、こないだ彼女に貸した森薫の「エマ」について彼女の意見が聞きたくて、話の組み立てを考えていたんだが、おいしい料理の前に、人は無力だ。

デザートまでぺろりと食べて、駅まで歩いて行き、それぞれの電車に乗る。
「また遊ぼう!」
「次は夏ぐらいに大内家で!車で迎えに行くよ!」と言い合い、楽しく別れた。

あー、魚介のサラダおいしかった。うにのサルディニア風も。
リゾットなんて、もう絶品だね。カニがたっぷり入っていて。
これはこれで大満足だ。
少し話し足りなかった友人とは、また別の機会を設けよう。
新しい店の開拓も必要かもだし。
でも、おいしかった!

12年7月12日

夕方帰ってきた息子が、いきなり言う。
「今日、なかちゃん泊まりに来るから」
ちょ、ちょっと待ってよ。
今日泊まりに来るって、えーと、晩ごはんも食べるのかな?

「適当でいい。あんまり難しいもの作んなくていいから」
そうは言ってもねぇ。
週末でもないのに友達が遊びに来てくれるというこの嬉しいシチュエーションを、何らかの形で表現したいじゃないか!

大内くんとも電話で相談し、「トンカツがいいだろう」ということになり、揚げるのは大内くんがやってくれるそうなので、私は買い出しに走る。
揚げ物って、苦手なんだよね。
じゃあ、何が得意だと言うのだ、自分よ。

そういうわけで、大内くんが帰る頃にはなかちゃんが息子の部屋でにこにこと談笑してた。
彼は、本当に笑顔が素晴らしくて、素直で人柄がいい。
柔道部で3年間一緒に頑張った仲だし、3年連続で文化祭の「中夜祭」で漫才を披露し、今では別の大学なのに早稲田のインカレお笑いサークルでコンビを組んでいるらしい。
そもそも、今日、なんで泊まりに来たかっていうと、週末に行われる「キング・オブ・コント」なるテレビ番組の、最下層の予選を受けに行くので、そのための「ネタ合わせ」らしい。

もちろん結果は全然期待してない我々だが、息子が友達と一緒に好きな場所で頑張る、というのはステキな話なので、なかちゃんからちらっともたらされたその知らせが、嬉しくてたまらない。

そんな話をしながら、書斎で大内くんと2人コーヒーを飲んでいたら、おや、2人が出かけるようだよ。
こないだ泊まりに来た時もそうだった。
「近所の公園で漫才の稽古をする」というのが、彼らの外出の理由らしい。
どうして我々を相手にやってくれないかなぁ。お客さんの意見は貴重だよ?
「出かけるの?れんしゅ・・・」と言いかけて口をふさぐ大内くん。
親が、大学生になったコドモの活動を全部知ってるのはいかがなものなのか。

しばらくしたら帰ってきて、ゲームに熱狂して、2時ごろ寝た2人。
息子の部屋の、ベッドとタンスの間の細い空間になんとか布団を敷き、なかちゃんにタオルケットを2枚渡して、おやすみなさい。
「明日は1限あるから、起こして」と言う息子よ、それが実現できるとでも?
いや、もちろん我々は起こす気満々なのだが、ちょっと夜更かしをすると朝起きられない、コドモ体質のキミじゃないか。
まあ、なかちゃんも9時ごろには出ると言っているので、そこに期待かな。

友達は本当にありがたい。
高校時代ずっと一緒に柔道やって、大学のサークルにまでつきあってくれるなかちゃんは、もう「一生の親友」かもしれないよ。
大事にしてくれ。

12年7月13日

「小さなお泊まり会」の翌朝、言われたとおりに7時に起こしたらやはりと言うか何と言うか、息子はまったく起きる気配ナシ。
なかちゃんだけが律儀に起きたので、朝ごはんを食べてもらい、大内くんが出勤する時間になっても息子は起きない。
しょうがないので放っとくことにした。
なかちゃんは、「起きないッスね」と苦笑いしながら、彼の授業に出る時間まで、マンガを読んだりして時間をつぶしていたようだ。

そんな彼が出かけたのが9時過ぎ。
「また来てね!」と言ったら、「お世話になりあシタ!」という感じで元気に去って行った。
それから息子が勝手に起きたのが10時半ごろ。
当然1限は間に合っていない。いや、2限も間に合うまい。

用意してあった朝食を食べ、彼も出かけてしまうと、家の中は妙に男臭く、気分的には取り残されて寂しい感じ。
なかちゃんは愛想もいいし、いいお客さんだよ。
早稲田のインカレサークルに籍を置きつつ、自分の大学の方ではウィンド・サーフィンをやっているらしい。
タンクトップ姿の彼を見たら、二の腕の真ん中に日焼けのラインがくっきりと。
「それ、ウェットスーツの?」と聞くと、照れ笑いしながら、「そうッス」。
2足のわらじはキツかろう。
でも、息子のためにもお笑い頑張って。
「キング・オブ・コント」の予選は見に行けないけど、応援してるよ!

12年7月14日

また漫才の相方、なかちゃんが泊まりに来た。
なかちゃん、家には帰ってるんだろうか。心配だ。
玄関を開けると、そこに直立不動のなかちゃんが。
「すんませんッ、こんなに毎日!」と言うが、こっちとしては嬉しいんだよ。
息子に兄弟ができたみたいでさ。

明日、「キング・オブ・コント」というお笑い番組の予選があるらしい。
息子となかちゃんにしてみれば、ここで稽古して上を狙いたいところだろう。

だがしかし、あまりに唐突だったため、晩ごはんはレトルトカレーという情けない献立。
なかちゃん、すまん!

例によって2人で部屋にこもってネタを作ってると思ったら、こないだと同じく2人して出かけてしまった。
公園でコントの練習してるんだろうなぁ。
あの2人はどちらかといえば漫才で、コントはあんまり経験ないと思うね。

電話で事情を話しておいた大内くんが帰ってきて、
「あれ、2人は?ああ、また近くの公園かぁ」と感心してた。
「なかちゃんがイヤになってやめちゃったりしないといいんだけどね。息子は案外横暴だから」などと話し、お風呂に入り、上がったころに2人が帰ってきた。
いつも思うが、我々を観客にして家で稽古するのはダメかねぇ。
少しは意見も言ってあげられるのに。

明日に備えて少し早寝した少年たち。
狭い息子の部屋のベッドわきに無理やり布団を1枚敷いて、寝てもらってる。
好きなことがあるって、いいよね。
明日は我々も見に行くつもり。
息子の反応はどうだろうか。ドキドキ。

12年7月15日

なかちゃんと息子の練習の成果を見るべく、新宿の小劇場に「キング・オブ・コント」の予選を見に行った。
本当に、ここから全国に出ていく人たちもいるんだ〜!
途中から入ったのだが、MCをやってるにーちゃんが、かつて「エンタの神様」でよく見た「アクセル・ホッパー」であることは、本人が言うまで気づかんかった。
一時は毎週のようにテレビにでいた人が、こんなしょぼい小劇場でのオーディションに駆り出されるのか。
やはり、息子には堅気の道を選んでもらいたいかも。

会場の新宿の小劇場に行ってみたら、あっという間になかちゃんと息子に出会ってしまった。
向こうも、なんか照れくさそうな顔してたよ。
「観客は選べない。親でも何でも、見に来たい人に来てほしい」と言っていて、お許しが出たようなので、今日は怒られずにすむだろう。

2分のコントを20組ぐらい見て、やっと息子たち。
そろいの学ランを着て(なつかしい!)、やはり2分の戦い。
まあまあの出来だったと思うよ。
新人デビュー戦よりはずっとよかった。

それにしても、次から次へのコドモたち(いや、中にはオトナらしき人もいますが)が2分頑張っているのを見て、何かに似てる、と思ったら、それは 柔道の試合なんですねぇ。
さんざん順番を待って、数分の戦いがあって、負ける時はかなりあっさり負けてしまう、という、あの感覚に近かった。
それを、3年柔道部で一緒だったなかちゃんとやるんだから、何かと感無量だよ。

息子たちの出番を待って終わったら帰ったのだが、7時ごろ帰ってきた息子に、
「どうだった?」と聞かれた大内くん。
息子にライブの感想を求められるなんて、初めてじゃなかろうか。
それに、そもそもサークルのほかの先輩たちも出場してたらしいのに、ぱあっと打ち上げ、というようなことにはならんのだろうか、この人は。
人づきあいが淡泊だとは思うのだが、それでも友達には恵まれていて、いろんな経験をさせてもらってる。
いい大学生活だ。

ちなみに、当然「落ちた」のだそうです。
この先もいくつも予選を受けるんだろうが、それにしてもこの段階で受かったら驚くよ。
息子の街角での活動と、テレビが、本当につながってるんだなぁ、と、妙に感心した1日だった。

12年7月16日

前からの計画だったのだが、日頃あまり息子とごはんを一緒に食べないので、ホットプレートを囲んでお好み焼きでもしたら少しは話もはずむかと、今夜のメニューはお好み焼き。

狙い通り息子はけっこういろんなことを話してくれた。
大学は早稲田を選んでよかったとは思うが、日芸の放送学科も惜しかった。あれで世間の評価が早稲田並みだったら、あっちへいったなぁとか、サークルはすごく楽しいとか、夏休みはサークルの活動をメインにするので、塾の夏期講習とかはあんまり授業持てないとか、別のバイトもしてみたいと思ってるとか、塾の受験合宿で留守にするし、先輩たちと富士山に登る計画や、岩手にボランティアに行く予定があるとか、もう、数年分の話をしたよ。

お好み焼きを食べ終わっても、「軽く何か飲もうか」と飲み物とおつまみを持ってきてあげて、ますますいろんな話をした。
大内くんが息子のコントについて意見を言ったら、怒るどころか、
「そっか、なるほど。うんうん、そうだよね」と素直に相槌を打つ。
ビックリだよ。

将来の志望は、かなうかどうかはともかく、NHKを含むテレビ局のディレクターかなんかみたい。
「働くのは大変だよ。きちんと自分をアピールできなくちゃね。パパも、人を落としたことあるよ」と大内くんが言うと、
「オレのこと、採りたい?」と真顔で聞かれた。
「まあまあだね。真面目だし」と答えてはいたが、けっこう意外なストレートの剛球が来たので、驚いて落球しそうだった、という感じ。

単位も取るつもりらしいし、留年はしないつもりらしいが、時々ちょっと怖い。
「就職、できなかったらどうする?」と大内くんが聞いたら、
「楽しく1年過ごす」って、それは留年するってことだね?
「もう1回、就職に失敗したら?」
「もう1年、楽しく暮らす」
3年留年したエキスパートが、
「だんだん、友達がいなくなっちゃうんだよね。みんな、さっさと語学終わってバラバラになるから。寂しいよ〜」と語るも、息子本人はそういうことは何でもどうにかなる、と思い込んでる人なので、はてさて、どのくらい気にしてくれるだろう?

そのへんで親子の交流は終わったけど、いやぁ、本当によくしゃべってくれた。
感激のあまり眠れないぐらいだ。
もう数年で本当に終わってしまう子育てだが、今のうちに楽しませてもらおう。

12年7月17日

息子のコンテストを見に新宿に行ったついでに、インド料理屋サムラートでお昼を食べた。
昔は家の近所の駅前にもあって、とても便利だったんだが、つぶれちゃったんだよね。
しょうがないから、時々新宿のお店に来ている。

オーダーをして待っていたら、プレートを運んできたウェイターのおにーさん(推定インド人)に声をかけられた。
「○○町デショウ?」
去年まで支店があった、我々の地元駅じゃないか!
(そのせいで新宿まで来て食べているわけで)
彼も、そこに勤めていて、我々のことを覚えていてくれたんだね。
なんだか嬉しかった。
我々は、ランチのプレート以外に必ずアラカルトで「マトン・サグワラ」を注文するのだが、そういうお客さんはあんまりいないかもしれない。

インドから働きに来ているにーちゃんが継続して仕事をしてることも嬉しかったし、我々を覚えていて声をかけてくれたのも嬉しかった。
袖すりあうも多生の縁。
(「多少の縁」だと思ってる人が意外と多いと聞いた。日本語を憂う私)
これからも時々新宿まで行こう。
ああ、それにしても、きょうのカレーはまた、一段とおいしかった!

12年7月19日

夜中の2時過ぎても息子が帰らない。
「もう終電ないよね。泊まりかなぁ。塾のバイトから飲みに連れてってもらってる可能性もあるね。駅前で友達と飲んでるのかもしれないし」と、大内くんと話す。

「こないだ夜中の3時に帰って来た時は、家の前のセブンイレブンで友達と話してた、って言ってたよ。今日もそうかも。見に行ってみようかな」と物見高い私に、大内くんは、
「めんどくさいこと考える人だね。もうパジャマに着替えちゃってるのに、また着替えて出かけるの?やめといたら?」と言うが、気になり出すと止まらない。

Tシャツと短パンに着替えて外へ出てみたら、通りを渡ったところのセブンの前に、2人の男の子がしゃがんでいる。
1人は、私を見て大きく手を振るじゃないか。息子だ。

近づいてみると、息子はカップヌードルを食べている。
もう1人は、高校の時の友達で、家が近い寺田くんだ。
高3の夏休み、近所の「夢庵」で毎晩のように夜中まで一緒に受験勉強し、同じ大学に受かったという仲間。
「どうも、こんばんは」ときちんと挨拶してくれた。

それに反して息子はだらしなくカップヌードルをすすりながら、
「なに、買い物?夜中なのに」と聞く。
「ちょっとお菓子を買いに」と言って店内に入り、買い物をして、あいかわらずずるずると夜食を食べる息子とまたおじぎしてくれる友達を置いて、家に帰った。
「セブンにいたよ。寺田くんと一緒だった」と大内くんに報告したら、
「仲がいいね。寺田くんにはお世話になりっぱなしだ」と嬉しそうにしていた。

どうやらお笑いサークル以外に足を突っ込みかけている映画サークルがあり、高校で演劇部だった寺田くんも、そこに落ち着こうとしているらしい。
演劇部にも入っているのだろうか。
高校生活最後の日、3月31日に行われた演劇部の公演を観に行ったが、寺田くんは主役級の役を堂々とこなしていたなぁ。
それで早稲田にも入ったんだから、大したものだ。

しばらくしたら息子が帰って来て、もう3時。
いろんなとこにいろんな友達がいる彼だ。
寺田くんは特に、高校が一緒で家も近所、サークル活動も一緒であるという大変貴重な友達。
夜中までコンビニの前にたむろしてるのがいいか悪いかはおいといて、頼もしくありがたい関係だ。
息子よ、友達は一生の財産だ。誠実に真面目につきあえ。

12年7月21日

散歩しようかと思ったけど、暑いので自転車にしておいて、隣町まで行く。
行きつけのカレー喫茶は、先週までとても混んでいると思ったら、今日はやけにすいていた。
「雑誌か何かで紹介されたので一時的にお客さんが増えたが、また元に戻り、しかも『記事を見てやってきた一見さん』で混雑していたため、常連さんの足が遠のいた」のではないかと想像する。

カレーを食べて、いつものスタバでコーヒータイム。
カウンタ席のガラス窓越しに、外のデッキでそれぞれに楽しむお客さんたちを見る。
最近、赤ちゃんを見るとなんだか興奮するなぁ。
「早く孫の顔が見たい」と思ってる自分なんて発見しちゃうと、ちょっと困る。
「実年齢=彼女いない歴」の息子の道のりはまだまだけわしそうなんだもん。

靴屋で私のサンダルを買い、雑貨屋でお香を買い、満足して家に帰る。
涼しい日が続いていたけど、今日は少し暑い。ついに夏になるのかなぁ。
汗ばんで帰り着き、水風呂に飛び込むのもこの季節の大きな楽しみ。
エアコン効かせて昼寝だ!
エコはどうなる?!

12年7月22日

近所にできた「コメダコーヒー」に行ってきた。
11時までに行くと、「モーニング」としてゆで卵とトーストがついてくるのだ。
あいにく今回はお昼ごはんを食べに行ったので、モーニングの時間は過ぎていた。

大内くんと2人、「みそカツサンド」と「コロッケバーガー」を食べた。
みそカツサンドはおいしい。
コロッケバーガーの方は、パンがとても大きいのにくらべて中身のコロッケが小さい。
だが、どちらも完全に1食のボリュームだ。

あたりを見回すと、お客さんはかなり入っている。流行ってるんだなぁ。
隣に座っていた30歳ぐらいの男性の2人連れは、どう見てもオタクだ。
そんな彼らが、「日経トレンディ」を読みながら、
「この自転車はサイクリングにぴったりで、買いですな」とか言ってる。
「スマホのキーボードの使いにくさには、殺意すら覚えますな」
「萌え〜」と言わないのが不思議だ。

何でも過剰に量の多いこの店には、温かいクロワッサンパンケーキにソフトクリームをのっけた「シロノワール」というデザートがある。
「ここに来たら、これを頼まないわけにはいかんでしょう!」と言いながら男2人でスイーツに行くかな、普通。
すでに相当なボリュームのサンドイッチをそれぞれ食べているというのに。
オタクな体型になっているのもむべなるかな、という状態だった。

お昼ごはんを終えて、近所の図書館へ。
やっぱり本館はいいなぁ、いろんな本があって。文明度は図書館で測られると思うよ。

警察署の前を通ったので、
「警察柔道の時代がなつかしいね」と言いながら歩いていたら、まさにその柔道仲間のお母さんとバッタリ。
そこんちの息子は昔から「鉄ちゃん」だったが、鉄道の専門学校に行っているらしい。
同期で4人ほどいた警察柔道の仲間たちは、中学卒業と同時に警察も卒業し、その後はそれぞれの道を歩んでいる。
柔道を続けていたのは息子だけで、あとはみんな、ラグビー部に入ったりワンゲル部に入ったり。
上述の鉄ちゃんは、高校に入ると同時に「鉄道研究会」だったらしい。そして今の彼があるのか。

そんな息子が柔道のあとに始めてしばらくハマっていた空手も、今はお休み中。
いつかまた町道場で柔道をしてくれないか、というのが大内くんの悲願らしい。
私はなぁ、自分の息子が格闘技やってると心配でしょうがない。
空手だって、「あぶないじゃないの」という気分なんだ。
まして、「総合格闘技を目指している」なんてことはあんまり聞きたくないぞ。
そこらへんが、父親と母親の気持ちの違いなのかもしれないね。

お母さんとお別れして家へ帰り、今度コメダに行ったら「シロノワール」を食べてみよう、と話しながら昼寝をする。
平和だなぁ・・・

12年7月23日

息子が出かけようとしているので、
「今日は帰ってくるの?」と聞いたら、
「いや、泊まり」と言われた。
言ってくれるだけマシか。

なんとなく寂しいので、大内くんと2人、早寝をしてしまう。
5時頃に私が起きて、パソコン仕事をしていたら、5時半頃、大内くんが起きるのとほぼ同時に息子が帰ってきた。
シャワーを浴びて着替えたと思ったら、あっという間に熟睡。
たぶん寝てないんだろうね。
「語り明かして、始発で帰る」って感じかなぁ。

我々は、息子の外泊にまったく抵抗がない。
「楽しくやってるんだろうなぁ」と思って、嬉しくなるだけ。
「僕は、すごく叱られたよ。まあ、極端に多かったけどね」と大内くん。
私は実家を離れての寮暮らしだったので、こっそりやってました。
(寮自体が外泊をとがめる、とかいうことはいっさいなかった)
両方ともあんまり参考にならない。

どうも、息子はあんまり外泊したがらないみたいだ。
遅くなっても、12時頃には帰ってきてしまう。
真面目で結構なことだ、と言えば言えるが、大内くんも私も、なんとなく「羽目を外してほしい」と思ってるようなとこがあってね。
就職してから羽目を外されても困るので、大学の間に思いっきりやってほしい、と。

もっとも、大学時代遊び狂い、7年も大学に行った大内くんが、就職して結婚してもなお、毎週のように友達と飲んでいたことを思えば、「やり切る」 なんてことはないのかもしれないなぁ。
(私も一緒に遊んでいたせいかもしれないけど)
結局、唯生が生まれててんてこ舞いになるまで遊んでいたよ。
いや、生後半年の唯生を連れて飲みに行き、お店の人にお湯をもらって冷凍母乳を解凍して飲ませていた覚えがあるぐらいだから、子持ちになっても遊んでいたんだろう。

それを思えば、息子が時々外泊するぐらいは何でもない。
若者よ、もっと遊びたまえ!

12年7月24日

友人の映画監督が、今回演劇を手掛け、新宿で公演があるから観に来てくれ、というメールをくれたので、
「演劇かぁ。プロがやるのを見るのは久しぶりだなぁ」と思いつつ、チケットを2枚頼んだ。
演芸活動に燃える息子も一緒に観たらよかろう、と誘ったのだが、
「忙しいから」と断られたんだよね。つまんないなぁ。

ところがその後、大内くんと、
「もうじき○○くんの芝居だね」と話していたら、
「劇の話、まだ大丈夫?」と聞かれた。
「大丈夫じゃないかなぁ。行きたいの?」と聞くと、
「行きたいかも」。

さっそく問い合わせてみたら、まだOKだって。
急遽、息子の分もチケットを頼んでおく。

というわけで、週末は息子と観劇。
一緒に「オトナの芝居」を観るのは初めてだ。
将来はテレビ局に勤めたい、と言っている彼には、いい勉強になるだろう。
どんな顔をして観るのか、とっても楽しみ。

帰りにサムラートに寄ってカレー食べようと思うんだけど、息子には、
「オレは、いい。先に帰る」と断られた。
友人の芝居がものすごく良くて、圧倒されて放心状態になった息子が語りたくてしょうがなくなり、サムラートにつきあってくれる、そこまでのことを期待するぞ!>友人。

12年7月25日

夕方、2週に1度のマッサージに行こうと思い、いつものように10分前に家を出たら、自転車の両輪とも空気がすっからかんになってるのに気づいた。
刻限は迫っているし、パニック!
ほかに考えもなく、ぺしゃんこになった両輪をガタガタいわせながら乗って、なんとか目的地にたどり着いた。

数分の遅れの言い訳もあり、また、この突然の不幸を誰かに聞いてほしくて、私の首をもむ先生に、
「自転車の空気が抜けてて、大変だったんですよ!」と話す。
「あー、それなら、近所に自転車屋さんあるよ」と言われ、
「ええ、だから、帰りに寄ってみるつもりです」と話していたら、先生は突然、
「ちょっと、このまま寝て休んでて。僕、自転車持ってって、修理頼んでくるよ。帰りだと、そこから修理の間、待たなきゃいけないでしょ」と言って、
「そんな、申し訳ないです!」と言ってる私を残して、自転車を持って行ってくれた。
ちょっと、茫然。

15分ぐらいしてはあはあ息を切らせて戻ってきた先生。
「パンクかどうかわかんないから、とりあえずチューブを見てくれるって。大内さんの名前で頼んできたから、帰りに引き取りに行って」
「走って帰ってきたんですか?すみません・・・」
「いいのいいの、さて、続きだ」
お世話になっちゃったなぁ。

1時間半のマッサージを終えて、お礼を言って医院を出て、自転車を取りに行こうと歩いていたら、息子の塾の前を通った。
小5の時から生徒としてお世話になり、今はバイト講師をしている。
今日も、この時間だと働いてるかもしれないなぁ。

そんなことを思いながら歩いていたら、なんと、塾の前に塾長をはじめとした先生たちが4人も、そろい踏みじゃないか!
「あ、大内さんだ」と、大学6年目の真田先生通称さなやんが言う。
「お、これはどうもどうも」と塾長。
「今、彼は授業中ですよ。見ていかれますか?」と言ってくれるのは英語の先生。
「頑張ってくれてますよ!」と高校部の部長先生。

まあ、授業を見ていくなんてオソロシイことはできないので、ていねいにお礼を言って、ついでにさなやんに聞きたいことがあったんだ。
「こないだ、夜中の3時ごろ帰ってきて、『塾に行ってた』って言っていたんですが、そんなに遅くまで働いてたんですか?」
「3時?うーん・・・そうか、あれだ!ね、塾長、時間割りを決める日に、3時ぐらいまでかかりましたよね」とさなやん。
「そうそう、そのぐらいだったね。よく働いてもらいました!」と塾長。
そうか、あの日はやはり塾だったのか。
夜遊びの言い訳かと思ったよ。疑って、申し訳なかった。

「今度、個人的に暑気払いの飲み会でも」と塾長にお願いして、先生たちにお辞儀をしながら立ち去り、自転車屋さんに。
両輪とも、パンクではなく弁が傷んでいたそうだ。
ついでにあちこち締めてもらって、乗り心地良くなった自転車に乗って帰った。

つくづく、いろんな人のお世話になっている。
ただただ感謝の思いだ。
息子を育てたことぐらいしか、社会に対する恩返しはできない。
彼がそれほど有用な人材に育つかどうかもアヤシイので、常に身の置き所がない気持ち。
みなさん、どうもありがとう・・・

12年7月26日

ボーナスをもらったので、お互いの実家に些少だが仕送りをする。
ここ5、6年ぐらい、習慣になっていることだ。
本当にもう、「お気持ちだけ」って金額なんだが、まあ、感謝の意を少しでもあらわそうと。

自分たちが、将来、息子から仕送りを受けたいかと問われれば、特にそんなことは期待していない。
むしろ、自分たちの生活を大事にしろ、親に送金なんかしなくていいから、孫に何か買ってあげなさい、と思うだろう。
そして、おそらく我々の親たちもそう思ってると思う。

だいたいさぁ、親の世代って、概して我々より裕福なんだよ。
少なくとも大内くんと私のとこはそうだ。
そもそも大内くんの実家と私の実家は、父親の学歴から職歴、暮らしぶりから価値観までものすごい類似点が多く、本人たちの学歴・職歴まで含めて、非常に「釣り合った」ご縁であるのだ。
恋に落ちて結婚するまでそんなことは意識していなかったけど、今振り返ると、「見合いで釣り書き見て結婚した」と言ってもおかしくない。

なので、同じぐらいコドモの援助なんか必要としてないそれぞれの実家に送金するのはなんか恥ずかしいって言うか、「これっぽっちですみません!」って感じなんだよね。
行きつけのマッサージの先生が昔気質な人で、大内くんに次いで私がよく話す(1位と2位の間にはとても大きな開きがあるが)相手として送金のことを話すと、
「気持ちが大事だよ!ぜひ送り続けて!」と励ましてくれる。
今年は特にボーナスの額が少なかったので、双方の親は我々の暮らしの方をよっぽど心配してくれてるようなんだ。
でも、やっぱり「気持ち」は大切だよ、うん。

残ったボーナスで何をするか。
とりあえず、息子が塾のバイトで合宿に行ってる間に、大内くんと2人で北海道へ旅行しよう。
そして息子の学費を払うと、なんだ、大して残んないじゃないか。
もちろん息子の学費は、8年前に亡くなった父が余命宣告を受けてから半年、趣味の切手を整理して売り払い、「孫たちの学費に充てろ」と言い残してくれたものがあるので、そこから出せばいいんだけどね。

時はちょうど試験期間中で、息子は時々勉強している。
でも、本当に「時々」しかしない。微々たるもんだ。
大内くんは、
「大学では成績なんか関係ない。単位が取れればそれでいい」と言うんだが、それって、本当のこと?
少なくとも私の大学では、「Aストレート」とか「Bアベレージ」といった、成績に関する言葉は多かったぞ。
大内くんの大学だって、「全優」とか言うじゃん。
就職する時、成績って大いに関係するんじゃないかねぇ。

まあ、大内くんが気にしてないなら、私も気にしないでおこう。
夜中に突然、受験の頃、一緒に近所の「夢庵」で受験勉強をして今は同じ大学に行っている友達から呼び出されたりするのも、試験中だからなんだろう。
息子にとって「第一志望」(しかも夢のような)だった早稲田が、その友達にとっては「すべりどめ」であることなんかは、些細な問題だ。

あいかわらず話はそれまくり、始めた時と終わる時は全然違う話題になっている。
大内くんも「ボーナス時特別おこづかい」をもらい、嬉しそうだ。
親たちが何かおいしいものでも食べに行ってくれるといいな。

12年7月27日

新宿で、大内くんの友人の映画監督が手掛けた芝居があるので、観に行った。
息子も来たのが画期的。
「将来はテレビ局のディレクターになりたい」という彼にとってはとても興味のある芸能の世界だ。

外出していた息子と会社帰りの大内くんと会場で待ち合わせ、開演40分前に私が着いた時にはもう大内くんが来ていて、友人が取り置いてくれたチケットを受け取っていた。
1人5500円。
高いのか安いのか、じっくり見せてもらおうじゃないか。

地下の会場の階段で開場を待っていたら、ケータイをいじっていた大内くんは、
「息子が新宿まで来たって。一応『地下にいるよ』とメールはしといたけど、僕、上に行って見てくるよ」と言って行ってしまったので、ぼんやり座り込んでいたら、「よっ!」と言って、監督本人が現れた。
「今、息子を迎えに上まで行ってる。今日はどうもお疲れさま」と言っている間に、大内くんが息子と一緒に到着。
「ども」と頭を下げる息子に、監督は、
「小さい時、一緒に海に行ったんだけど、覚えてないよね」とにこやかだった。

「終わったらトーク・ショーがあって、そのあと、出口で会えるかも」と言う監督と別れて、息子と3人、席に着く。
息子は、あちこちから贈られて飾ってある花束や、会場のたたずまいにちょっと圧倒されていたみたい。
「なんか、すげーな」とつぶやいて、きょろきょろしてた。
彼にとって初めての「オトナの芝居」だ。
学芸会や文化祭とは一味違うぞ。

受付で売っているTシャツが欲しいと言うので、2枚買ってやる。ついでにパンフレットも買った。
友人の芸能活動は、息子が生まれる前に初監督作品の映画を観に行ったけど、その後は機会がなかった。
今日は、楽しませてもらうよ。

そして始まった芝居は、なんつーか、難しかった。
1時間40分がとても長く感じた。
息子はメモ帳を膝に置いて、食い入るように観ていた。
何か参考になることがあっただろうか。

終わって、かなり疲れたのでトーク・ショーはスキップして、晩ごはんを食べに行くことにした。
息子もつきあってくれるようだ。
会場を出たところで監督に会い、「よかったよ!」と言いつつお別れした。

「サムラート」に行こうかと思ったが、息子が、
「オレ、カレーはあんまり食いたくない。スパゲッティがいいな。カプリチョーザなかったっけ?」と言う。
(もう、親と外食なんてしてくれないんだと思っていたので、驚いた!)
大昔に1回、一緒に行ったことがある。よく覚えてるなぁ。
大内くんがケータイで場所を調べて、さっさと連れて行ってくれた。頼りになる。

やがて着いたカプリチョーザで、パスタとピザを食べながら、いろんな話をした。
息子とこんなに話すのは初めてのような気がするぐらいだ。
ここにはちょっと書けないが、大学生活は楽しいらしい。
「今日の芝居の感想を監督に送っておきたいんだけど、どんな意見?」と聞いたら、
「複雑だった」という答え。
明快だが、そんなひと言でくくっていいもんだろうか。

友達と「自転車で北海道に行く」というプランがあるらしいが、
「ケータイの充電、どうすんの?」という問いに「あ、そっか」という精度で、これまた頼りない。
でも、
「服はコインランドリーで洗濯する」とか、
「自転車は向こうで乗り捨てて、飛行機で帰ってくる」といった、なるほどという点もあった。
(「ちゃんと自転車屋さんで廃棄してもらわなきゃ、ダメだよ」と言ったら、「わかってる」という返事)
友達がオトナっぽい子なので、どうにかしてくれるかもしれないが、この大旅行の話は流れる可能性が大だと思っている。

「パパとママのなれそめ」なんて語って、
「え、じゃあ、オヤジの最初のカノジョって、ママなの?」と驚かれた。
話したことがないでもない話題だが、今までピンときてなかったんだね。
これからも、折に触れて話してあげよう。聞きたかないか。

で、てっきり我々とは一緒に行動したくなくて、新宿から勝手に電車に乗って帰るかと思ったが、彼が自転車を停めている駅は我々のひとつ前なので、
「そこまでは一緒に行くよ」と素直だった。ちょっと気味が悪いぐらい。
そして、目的地の駅で、電車を降り、
「オレ、塾に寄っていくから」とバイト先に行くつもりのようだ。
もう11時近いのに、働くのか?
もしかしたら、明日の漫才の件で打ち合わせかな?

息子が降りて、我々は次の駅で降りたが、大内くんと2人、自転車で家へ向かいながら、
「驚いたね!まさかこんなに話が通じるとは思わなかった!」と話し合う。
本当に、素直にいろんなことを話してくれた。
「オレって、斜に構えたとこがあるんだよ。友達にそう言われる」とか、
「勉強も運動もそこそこできる、まあいいヤツなんじゃないの?」とか語る「自分像」。
大内くんは、
「とにかくサイコーの息子だよ。ありがたいよ」と少し涙目になっていた。

これからどんなオトナになるのか、とても楽しみだ。
お芝居に今ひとつついていけなかったようだが、それは今後の精進次第ということで。
本日は、百点満点の彼だった。楽しかった。

12年7月28日

夕方、そそくさと息子が出て行く。
ふっふっふっ、塾がらみで駅前の商店街の夏祭りで「漫才を披露する」ということは、とっくの昔に塾長から知らされているのだ。
今日の相方は誰かなぁ、ネタ合わせの時間もあるから、少しのんびり行っても大丈夫だろう、と思いながら、自転車で駅前に。

と、あまり人のいない空き地に、小さいながらも盆踊りのやぐらができていて、塾のテントには、相方のなかちゃんがいるじゃないか!
今日は別の人とユニットを組むらしい、と聞いていたんだが、そうか、休日だと言うのに、サークルでコンビを組んでいるなかちゃんを、電車で4、 50分はかかるだろうここまで呼んだか。
高校時代からのつきあいで、息子の大学に出張して相方を務めてくれるなかちゃんは、自分の大学ではウィンドサーフィンをやっている。
今日も、顔だけ日焼けしていて、Tシャツの襟元からのぞく鎖骨あたり以下は白い。ウェットスーツのせいだろう。
「昨日、海行ってきたんで、焼けました!」と元気よく語ってくれたよ。

保育園の頃からの息子の親友、今は浪人中のしゅうくんも来ていた。
そもそも、小5の時に息子をこの塾に誘ってくれたのはしゅうくんなのだ。
「ダメっすね。午後2時過ぎると、もう、勉強できなくって」と語る彼も、来年合格したら、塾でバイトすることになっている。

思えば、彼のことは3歳の時から知っているんだなぁ。
初めて家に遊びに来た5歳の頃、
「何か困ったことがあったら言ってね」と声をかけて、幼児たちみんなが遊んでいるリビングの横の寝室で昼寝してたら、ふすまを開けた彼が、
「おばさん、おしりのあながかゆいんですけど」と言ってきたものだ。(そう言われても…と、真剣に悩んだ)
その彼が、大学受験、しかも浪人かぁ。
息子と同じぐらい勉強のキライな子だったもんだが・・・

そんなしゅうくんと話していたら、巨漢の塾長が同じく巨漢の息子さん(小学生なのに、その場にいる塾長以外のどのオトナよりでかかった)を従えて、
「大内さん、すみません。まだしばらく時間がかかりそうです」と言うので、
「時間をつぶしてきますよ」と答えて、自転車は置き捨てて、駅前方面に散歩する。
ついでに駅ビルの優秀な魚屋さんでおいしそうな「イワシ」と「笹ガレイの一夜干し」を買う。
今夜は「イワシの梅煮」だ!息子は絶対食べてくれないけど。
魚とすっぱいものがキライなんだから、無理だよなぁ。

これまた駅ビルの中のスタバでお茶を飲み、のんびりしたところで、そろそろ時間だね。
徒歩15分の距離を歩くと、汗が出る。
でも、思わぬいい散歩ができたよ。

会場に戻ってぶらぶらしていたら、始まった「お笑いコーナー」。
「おねえキッド」と急ごしらえの芸名をつけたのは社会科を教える先生。ピンでやりますか。
何しろ人が少ないうえ、熱心に見ているのは塾関係者のみ。
ややダレて終わったところで、息子となかちゃんのコンビ。

「ネタを2つやります。最初は、まあ、コドモさん向けですね」とマイクを握った息子が言い、ポケモン関係の小ネタを。
これまたあまりウケずに終わったのみならず、2つめのネタを始める頃には目の前で塾講師真田先生通称さなやんがしきりに手をぐるぐる回す。
「まいて」、つまり、早く終われ、って合図だね。
さなやんがずぅっと手を回しているので、不完全燃焼に「もうええわ」が出て、終わり。

この「まいて」になった理由を、我々は知っている。
来賓の市長が来たため、他のスケジュールは蹴散らされてしまったのだ。
盛り上がらない漫才と市長の貴重な時間とでは、重さが違う。
少し寂しいが、世の中ってのはそういうものだ。

市長の挨拶を待たずに我々は帰ったが、実は今日、息子はバイトの面接があったんだよね。
「イベント会場設営」の仕事で、うまくいけば夏中に何度かはやらせてもらえただろうバイトを、この漫才のために棒に振ったのだ。
ガックリくる。
お笑いと塾を優先させた息子は、今、どんな気持ちでいるだろう。
こういうことも勉強のひとつだから、いいんだけどね。

ああ、いいバイトはないものか。
塾だけでは少し苦しい。
いや、そもそもサークル活動第一に予定を組んだ結果、塾の夏期講習のクラスをあまり持たない彼なのだ。ひとコマいくらなのに。
「家の近所で別のバイトを探すから」と言うが、私がビデオ屋さんからもらってきた「求人情報誌」みたいなものを机の上に置いておいても手に取ろうともしない。
もう8月に入ろうってのに、今からやれるバイトがあるとでも言うのか、1年で一番人手が足りているであろうこの時期に。
「友達が、いいバイトを紹介してくれる、って言ってた。病院の事務で、お給料がいいらしいよ」と言うけど、これまた、そんなオイシイ話がころがってるわけないじゃん。
この夏は、茫然と過ごすことになりそうだなぁ。

12年7月29日

1日中、エアコンの効いた部屋で寝ていた。実によく眠れた。
途中で2回、息子のごはんを作るために起きたけど、それもほとんど覚えていないぐらいよく寝た。
息子も、我々の寝室に入ってきたと思ったら、
「すずし〜い!ここで寝てもいい?」と、まるで保育園時代のようなことを言って、ベッドにもぐりこんできた。
大内くんと3人、彼が後で語ったところによれば、
「相撲の番付表の文字みたいな『太い川の字』になって寝たね(喜)」という感じだった。

で、息子は途中で勝手に離脱したけど、我々が最終的に起きたのは午後5時。
「お休みが1日、吹っ飛んじゃった!」と大内くんに訴えたら、
「よく眠れて、疲れがとれたじゃない!これで、明日からまた元気に働けるよ!」とやたらにポジティブだった。
まあ、この週末は、金曜の夜に観劇だの外食だのをしたおかげで、長く感じられたしね。

夜になって、息子は、
「隣町の駅前の、行列のできる和菓子屋で羊羹を買う。そのために徹夜で並ぶ」と言って、寝袋かついで出かけてしまった。
前にもそんなことがあったんだけど、午前1時から並ぶほどのことじゃないんだよね。せいぜい、6時ぐらいに行けば買えると思う。
でも、本人は友達と一緒に羊羹を買うために徹夜するのがカッコいいと思ってるみたいだ。
「地方のヤツとかで、帰省の東京みやげを買いたいヤツがいるんだよ」
ついでに我々にも1棹買ってきてくれ。

それで羊羹代を取られるのはしょうがないとして、
「明日、デートだから、金くれ」といきなり言われるのには驚いた。
カノジョがいるのか。
「映画を観に行く。夜は別の友達と別の映画を観るから、その分も」
おいおい、どんどん図々しくなるじゃないか!

デート代がなくて顔がつぶれるのも可哀想だから、軍資金を奮発しておいた。
思ったほどバイトしてくれないこの夏だ。
自分が遊ぶ分ぐらい自分で稼がないと、甲斐性ナシの人生が待ってるぞ!

12年7月30日

そんなわけで、徹夜で並んで買った羊羹を持って、朝の10時頃に息子が帰ってきた。
私は寝室に引っ込んでいたのでほとんど顔も見ていないが、シャワーを浴び、「オリンピックの開会式」の録画を見ていたようだ。
で、昼頃、寝るでもなく「デート」に出かけた。
忙しい人だなぁ。
つーか、私だったら家には帰ってこないよ。羊羹から直接デートに行く。

会社から帰ってきた大内くんはなぜか機嫌が悪く、つまんないことでケンカを売る。
「眉間にしわが寄ってるよ」と注意してあげたが、それも気に食わないらしい。
普段なら、「暑いからかなぁ」とかですむ話が、今夜は妙に涼しいため、機嫌が悪い理由がわからない。

いいのか悪いのか、そんな日に限って息子が帰ってこない。
12時近くなって、
「明日は何時に起こすの?明後日は富士山に登るんでしょう。そろそろ帰ってきなさい」とメールしたら、
「海人の家に泊まる。もう寝るから」と返事が来た。
そうか、夜の部の映画を一緒に観ると言っていた海人くんちに泊まるのか。
高校の時の友達だ。きっと、ほかにも数人いるだろうなぁ、と、何人かの顔を思い浮かべる。
「デートの挙句の外泊」だとは露ほども疑っていない。ナメすぎか?

寝る間際になって、
「ごめんね。なんだかイライラしてたんだ」と言う大内くんを寛大に許そうとはしたものの、私も彼もまだ完全には機嫌がなおっていなかったので、 ちょっとぎくしゃくして寝た。
結婚した頃、私がモットーとしていたのは、
「ケンカを翌日に持ち越さない。必ず仲直りをしてから寝る」ということなのだが、安心しきった夫婦の日々がこのモットーを消してしまったようだ。

いや、だってさ、寝て、起きられるとは限らないじゃん、人間って。
明日の朝、死んでるかもしれない。
そんな時に、ケンカしたままだったら、いやでしょ?
同様の理由で、外出する時も仲直りしてからだよ。
中島みゆきの歌にも、
「あの人が旅立つ前に 私が投げつけたわがままは いつかつぐなうはずでした 抱いたまま消えてしまうなんて」と、ケンカしたまま死に別れる歌詞があるじゃないか。

というわけで、私は今、徹夜状態。
明日の朝、会社に行く大内くんを、充分に仲直りした状態で送り出したい。
息子は何時に帰ってくるのかねぇ・・・

12年7月31日

猛暑の日々が続いていたが、昨夜はなぜか涼しい風が渡り、なんとエアコンなしで寝ることができた。
こんな日は、しばらくないだろうなぁ。
徹夜して待っていたおかげで、会社に行く前の大内くんと仲直りもできたし。

息子は昼過ぎに頃帰って来て、
「寝ないと使い物になんない。おやすみ」と布団をかぶるやいなや、寝てしまった。

しょうがないのでほうっといたら、夕方頃に起こしたら、眠そうに起きてきた。
明日の荷造りとかしなくていいの?と約1時間ごとに声をかけ、しゃっきり目が覚めたのはもう7時になろうという頃か。
徹夜をすると翌日が台無し、という生きた見本だった。

最近息子に、「床屋代」「駅前の駐輪場の更新費用」といった雑費を渡していたのだが、どうも床屋にも行かないし駐輪場も手続きをしてこないのに、 新しいモカシンの靴を買ってきたりする。
「お金、大丈夫なの?」と聞いてみたら、
「あんまり大丈夫じゃない。夏休みだし、おこづかいがほしい」と言う。

「何に使うの?」と聞くと、
「まず、ボランティアに行くのに2万円。あと、富士山に登るのに1万5千円だし、サークルの合宿の費用が2万5千円」と、ぺらぺらと答える。
「それは出してあげるけど、普段のおこづかいはバイト料でまかなってよ」と釘を刺したら、黙ってた。
この夏は、塾の講師以外にもイベント会場の設営とかのバイトをやると聞いていたんだが、その件は流れたようなので、何かバイトを探してもらわない と。

「うちって、金あるの?」とストレートに聞かれ、
「うーん、まあ、ギリギリだけどないわけじゃないね。貯金も少しはしてるよ」と答えたが、「ふーん」と言うだけで、実のところそれほど関心を持ってくれてるわけじゃなさそうだ。
そろそろもうちょっと親の懐具合を心配してくれてもいい年齢なんだが。

バイトに関して、「手の汚れない」塾の講師だけでは不満なんだよね、親としては。
力仕事や、立ち仕事も経験してほしい。
そういう意味ではこの夏の新しいバイトは大歓迎だ。

私も、大学時代、家庭教師をちょっとやったけどそれは珍しい方で、「マネキン」と呼ばれる試食販売なんかをよくやった。
小さなカップに入れたワインとか、爪楊枝に刺したソーセージを、「新製品で〜す。どうぞお試しくださ〜い」ってやるやつ。
あの苦労は、なかなか人間力が鍛えられたよ。
あと、夏休みに実家に帰った時は、あまりにヒマだったんで夕方から夜にかけて、工場でスキーの部品を作る流れ作業のバイトをしたなぁ。
母親が、「退屈じゃないか」と聞いたら、
「身体は拘束されていても、私の頭脳は自由だ。いろんなことを考えていると、数時間ぐらいはすぐにたってしまう」というセリフを吐いた、と、母は 今でも感心してるらしい。

大内くんも、塾の講師や家庭教師もやったらしいけど、夜中に郵便局で「大郵袋(だいゆうたい)」の書留を処理したりするハードなのもやってた。
やはり、「いい経験だった」と言っているよ。

夏だ!バイトだ!
経験値を稼ぎながらお金にもなるというありがたいバイトを、どんどんしてもらいたい。
今からで本当に見つかるのだろうか?!

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