14年6月1日
吉祥寺に行った。
まずは「まめ蔵」でチキンカレーを食べ、また写真撮るの忘れたことに気づいて地団太踏みながらロフトへ。
1Fでお香とバスオイルを買うだけのつもりだったのが、ちょっと2Fへ上がったら、並んでる小物類に惹かれて惹かれて。
特に素晴らしかったのが、葛飾北斎の絵を厚紙4枚で立体的に表現する組み立て式の絵。
大好きな「富岳三十六景」の「神奈川沖浪裏」を買う。
ついでに、過去3回育てそこなっている「おじぎ草」のキットにもまたまた挑戦。
懐かしのおもちゃコーナーでは、小さい頃大好きだった「デザイン定規」(歯車状の円の中に歯車型の型のピースを置き、そこに開いてる穴に鉛筆突っ込んでぐるぐるぐるぐる描くと円弧でできた綺麗な模様がいっぱい描けるやつ)の変形版を発見し、100円という安さに驚いて購入した。
昔は、これでいくらでもいくらでも遊んでいられたものだ。
大内くんは駄菓子コーナーで懐かしの「ココアタバコ」の大サイズを買った。
ビニール風船とか水鉄砲とか、欲しいものがいくらでもあったよ。
興奮しながら自転車で図書館本館に回り、大内くんがスキャンするつもりで予約してあった本を受け取り、三鷹駅北口に回って友人との会食のレストランの場所を確認してから、南口に出て私のひざの関節痛の治療。
いつもは鍼だけど、今日はお灸でした。熱かった!
大内くんは、マッサージの先生と最近の「法科大学院事情」について話しながらの1時間半だった。
夜、帰ってきた息子に「富岳三十六景」を見せたら、
「スゴイね。何かの付録?」と聞かれたので、
「ロフトで気に入って買ったんだよ」と答えたら、
「へー、ロフトなんて、行くんだー」と言われた。
失礼な。キミが生まれるずっと前から行ってるよ。
親がそんなおしゃれな店に行くとは思ってないんだね。ぷんぷん。
いい買い物がたくさんできたので、嬉しい。
おじぎ草は、今度こそ「おじぎ」するところまで育てたい。
でも、私は「グリーン・フィンガー」ならぬ「ブラウン・フィンガー」の持ち主らしく、世話をする植物を片っ端から枯らしてしまい、成功した例がないと言ってもいいほど。
毎日水をやって、愛情込めて育ててるんだけどなぁ・・・
14年6月2日
昨日書いた「富岳三十六景」の「神奈川沖浪裏」について。
日本でもっとも有名な絵の1つじゃないかと思う。
我々は、カメラができてから生まれたので、「ミルク・クラウン」等、液体が飛ぶと先端で小さな飛沫になり、球形の水滴になることまで幾度となくこの目で見てきて、当たり前だと思っているんだけど、カメラがない時代に、どうやって北斎はあの「今にも崩れ落ちそうな波の先端が細かいギザギザになっている。そしてパラパラと球状になって落ちる」ということを知っていたんだろう?
並外れた動体視力と写真的記憶力を持った天才、としか言いようがない。
思えば、走っている人の足はぐるぐる回っているように描けばいい、ということも、バラの花びらから朝露がしたたり落ちる瞬間も、太陽の光が六角形の結晶状にきらめくことも、全部マンガが教えてくれた。
私はいまだに炎と爆発風景が描けなくて、それは、要するに形のない物を描くのがとても難しい、ということだろう
マンガだけでなく、日本画からも学ぶことはいっぱいあるなぁ、と改めて気づいた。
まずは「北斎漫画」をきちんと読むべきだろうか。
ああ、人は、いつでもどこでも、マンガが大好きだ!
そう言えば、私が読んだことのある数少ない「手塚がマンガを始めちゃう前のマンガ」として長谷川町子の「サザエさん」がありますが、初期の物の表情やポーズなどには、「北斎漫画」からの影響があるような気がする。
こないだ大内くんがFBで「のらくろ」に触れていたけど、あれの元は分からないなぁ。「鳥獣戯画」?
14年6月3日
以前ここに書いたことのある、若くして亡くなっている大内くんの友人の息子さんである「だいくん」は、18歳でがんで亡くなった。
今回、広島から用事があって東京に出てきていたお母さんのMさんが、今夜の宿は三鷹の友人宅、ということで、急きょ晩ごはんを一緒に食べることにした。
いくら私が引きこもりでも、遠来の知人が自分ちの最寄駅まで来てくれているのであれば、自転車飛ばすよ。
駅で6時半に待ち合わせ。
大内くんは少し遅れるかも、と連絡があったので、私だけでも遅れないように、と数分前に到着したら、すぐにMさんが現れた。
会うのは15年ぶりだ。
私は人の顔をすぐ忘れてしまうので自信がなかったが、幸い向こうが私を見つけてくれた。
「お久しぶりです〜!」「本当に!」とやっていたら、大内くんも到着した。
またひとしきり、お辞儀の応酬。
お店は、日曜に大内くんと選んでおいたイタリアンのお店。北口から徒歩8分ほど。
初めてのところなのでちょっと緊張したが、全員ディナーのコースを頼み、Mさんと大内くんはグラスワインもお願いする。
私はアルコールが苦手なので、水で「乾杯!」。
13年前に配偶者を、半年前に1人息子を亡くしたMさんは、今、「いろんなご縁を得て」、がんで亡くなったお子さんを持つ親の会などで活動しているという。
「生まれて初めての1人暮らしです」とにこやかに語る。
想像できないほどの思いをされて来ただろうに、その笑顔は澄んでいる。
大内くんの大学時代からの友人だったYくんとは、だいくんが生まれてからは家族ぐるみのおつきあいになり、遠いのでたまにしか会えなかったが親し
くさせていただいた。
両家族で一緒に旅行したこともある。
Mさんと、そんな思い出話に花が咲いた。
ゆっくりしたコース運びでどのお料理もおいしく、Yくんやだいくんの話をいっぱいして、3時間半があっという間だった。
デザートとエスプレッソでしめくくり、バスで友人宅に行くというMさんをバス停で見送った。
「今度は広島で会いましょう。また、おいしいものをいっぱい食べましょう!」と手を振って、Mさんは遠くなっていった。
大内くんと駅まで歩き、自転車で家に帰る。
2人とも、なつかしさで胸がいっぱいになっていた。
唯生の健康に不安があるとは言うものの、家族がみんな元気に生きている、配偶者の顔を毎日見ることができる、息子が夜中に帰って来て夜食を要求されることまで含めて、本当に幸せに暮らしているということが実感された。
だいくんは、亡くなる5日前に自費出版した本のパイロット版が届いた時、配る予定の人のリストを一緒に検討しながらMさんにこう言ったという。
「お母さんは、僕が大変だ、大変だ、って言ってこの本をいろんな人に配るつもりだろうけど、みんな、それぞれの生活の中で頑張ってるんだよ。○○ くんは浪人中で大変だし、××くんは大学生だけど大学の中で頑張ってる。与えられた状況の中で苦労してるのは、誰でも同じ。そんなこと言って歩いたら、お母さんが笑われるよ」
自身の死を目前にしてそれが言えるハタチ前、って、どういう子だったんだろう。
あいかわらず夜中帰りの豚児に夜食を作ってやりながら、
「今日、だいくんのお母さんに会ったよ」と言い、その話をしたら、
「やっぱ、死んでいく人ってものすごい」と考え込んでいた。
私はもう、言葉もない。
Mさんが救われますように。Yくんとだいくんがやっと一緒になって安らかに眠れますように。
いつか、本当に広島にMさんを訪ねて、2人のお墓の前で手を合わせたい。
Mさん、ありがとう。お元気で。
14年6月5日
バイトから帰ってきた息子が、
「メシ、軽く食いて−」と言う。
そんなら帰りにコンビニで何か買って来ればいいのに、と思っていたら、冷蔵庫からビールを出して飲み始めた。
カウンタの中で夜食の味噌ラーメンを作ってあげている大内くんに、途中で、
「これ、飲んで」と缶を差し出すので、
「もういらないの?」と聞くと、
「そういうわけじゃない」。
言われるままに大内くんがひと口飲むと、
「お疲れさん」と言って、残りをまた飲み始めた。
「お互い、大変だね」とつぶやきながら。
要するに、「一杯、酌み交わしたい気分」だったわけだ。
できあがったラーメンを食べ始めた彼を残して寝室に引っこんだ我々は、
「こんな真夜中(12時の出来事)でなかったら、僕らも缶を開けて、軽く宴会したいところだね」と笑った。
最近、息子はとてもオトナっぽくなってきた。
ラーメン食べた丼も洗っておいてくれたし。
(そうなんだよ、20歳にもなって、今まで洗ってなかったんだよ!)
「家を出たい、って言うのもそう遠い先じゃないかもしれない。追い出しそこねるとイヤだから、僕は反対しないよ」と大内くん。
「今やってるバイトが軌道に乗ったら、そんなこともあるかもね。足りない分は少し援助してあげて、とにかく出てってもらうのがいいだろうね」と
私。
意見は一致している。よかった。
息子本人は、夜中に帰って来てもラーメン作ってもらえて、無断外泊しても全然とがめられない今の生活を手放したくないかもしれないが、いずれは出てってもらいたい。
そのためには、あんまり居心地良くしすぎない方がいいのかも。
とりあえず夜食を作ってあげるのをやめる方向でどうですか、大内くん?
14年6月6日
息子が出場するという「大隈講堂」でのお笑いライブ。
普段の小さなライブに行こうとすると、
「親が来てるヤツなんかいない。常識で考えればわかるだろう!」と厳しく怒られてしまうのだが、このライブと学園祭の時だけは見に行ってもいいことになっている。
実際、他の親御さんも来てるし。
そして、息子が正しいので頭に来るが、普段のライブにくる親は、本当にいない。若い人ばかりの会場で、我々はかなり浮いている。
さすがの私も恥ずかしい。
昨夜、大内くんはこう言われたという。
「明日、くんの?」
「うん」
「忘れ物、すんなよ」
これは、彼が入学して最初の大隈講堂ライブを我々が見に行った2年前、買ったばかりだったタブレット「ネクサス」を落として、我が家的には大騒ぎになった件を指すのだろう。
大内くんは神妙に頭を下げていたそうだ。
「行くこと自体を怒られたりはしなかった。息子もオトナになったねぇ」としみじみ語っていたよ。
何だか豪雨がやって来ていて、派手な梅雨入りだ。
昨日は九州、四国の方で道路が冠水するほどの大雨だったらしいし、今日の東京も大雨注意。
ライブのお客さん、減っちゃわないかな。
そもそも、電車止まったりしたらどうしよう?
不安はあるけど、充電したビデオカメラ持って行きます。感想は明日以降。
帰りに大内くんと新宿のサムラートに行く計画もどうなるか。
少なくとも息子は昼ごろ出かけた。
交通機関に影響がありませんように。
14年6月7日
昨日は大雨。
皆さんご存知の「かわいいコックさん」の絵描き歌、「6月6日(ろくがつむいか)は 雨ざあざあ ふってきて」の通り、激しい雨の降る中を、息子のお笑いライブを見に、大隈講堂まで行きましたよ。
6時開場なので私が先に行き、会社帰りの大内くんは6時半の開演までに、現地集合。
私は、電車の乗っての遠出(そうなんです、息子が毎日通学してる距離が、私には「遠出」なんです)移動が久しぶりなうえ、たいへんな雨なので、電車が止まるのではないか、自分自身が道に迷うのではないか、とあれこれ心配で、つい3時間も前に家を出てしまった。
目的地には1時間ほどで着いてしまうけど、案の定、道に迷いかける。
そもそも、地下鉄東西線を降りるのが「高田馬場」だったか「早稲田」だったかが思い出せない。
しばらく考え込んで、「早稲田」で降りたが、どうやら間違ってはいないようだった。
次は、大隈講堂にたどり着くミッションで、大雨の中、けっこうな距離を歩いたと思ったら構内地図があった。
「助かるなぁ」と思って見てみたら、自分が途中で道を間違えていることが判明。
あわてて取って返し、正しい場所の近くまでたどり着いたけど、肝心の講堂が見えない。
行き交う学生さんの1人をつかまえて、
「すみません、大隈講堂はどちらでしょうか?」と聞くと、なんと自分が目的地のすぐ横にいるとわかった。
うん、もう大丈夫だ。
学生さんにお礼を言って、講堂の隣にあるカフェテリアで一息ついたのが、4時半。
開場まであと1時間半もあるじゃないか。
とりあえず大内くんに「着いた」とメールを入れておこう。
ところが!
驚いたことに私のケータイがネットにアクセスできなくなるという緊急事態発生。
WiFiの設定をいろいろいじってみても、そもそも何もわかってないので、無駄な努力。
いる場所が悪いのか?
カフェの廊下に出て、大内くんに電話してみる。
つながるまで、すごく不安な時間があった。
あ〜、よかった〜、通じた〜!
「もう大隈講堂に来てるんだけど、ケータイがおかしくて、メール送れないの。連絡は電話でして」と頼むと、
「もう着いたの?ずいぶん早くから行ってるんだね。僕も、仕事が終わったら行くよ。ケータイの件は、よくわからないね。いる場所が悪い、なんてこ
とはないと思うよ」と答えてくれた。
ああ、ひと安心だ。
少し落ち着いて余裕ができ、周りを見回すと、カフェテリアには、数人で来てる人、サークルらしい大集団、1人でノートパソコン広げて勉強してる人、いろいろいた。
学生っていいなぁ。
様々な特権を与えられ、時間もお金もそこそこ余裕があって、やろうと思うことは多くの場合実現可能だ。
私も、大学生の頃、自分の大学、そして暮らしていた寮での生活をもっと大事にすればよかった、と思うのはいつものこと。
いやいや、学生の頃から出入りしていたからこそ、大内くんの大学で入って来る彼を待っていられたのだから、正しい行動だったんだよ。
やがて開場時間20分ほど前になったので、講堂の方へ移動する。
サークルのスタッフ部門の女の子たちが受付の準備をしている。
隅のソファに座って待っていたら、ホールの中から女の子が出てきて、
「円陣組むよ!やりたい人は来て!」と言い、何人かを連れて行った。
このサークルは、スタッフさんと演者さんが分かれているが、当然一緒に活動してるわけで、試合前に皆で一発気合を入れて行こう!という、体育会系のノ
リみたいね。
中では今日、演者さんを務める息子も円陣組んで「おーっ!」ってやってるんだろう。
ああ、またうらやましくなってきた。ホント、大学生の頃って、何やっても楽しいよね。
やっぱり、自分の大学で「学園祭実行委員会」やってた方がよかったのかも。
入場開始になると、スタッフさんたちが受付でアンケート用紙を渡し、席に案内してくれる。
てんでばらばらに座られると席が満席になったようでも空き席があちこちにできてしまうので、順に座るよう頼まれた。
「開演間近にもう1人来ますので」と言ったら、3カタマリある座席、真ん中の列の端に2人分坐れるようにしてくれた。
お仕事、大変だね。
他大学の人も多いインカレサークルで、スタッフさんにはよその女子大の女の子が多いようだ。
「席、取れたよ。真ん中の列の左端、前から2列目ぐらいのとこにいるよ」と廊下で大内くんに電話すると、
「僕も、今、電車降りたところ。今から歩いて向かうよ」とのこと。
10分ぐらいたったら現れた。
「雨の中、お疲れさま」と言い合って席に着く。
息子が入学して3年目、大隈講堂ライブも3回目だ。
さすがに父母やおじいちゃんおばあちゃんまで来ていて、我々が特に目立つ、ということはない。
普段の、もっと小さい、学館の部屋を借りてやるような時はもう学生さんしかいないので、我々の観覧は息子から厳しく禁じられている。
「親なんか、来ねーんだよ!他にそんなヤツいねーだろ?!」と叱られ、実際その通りでさすがの私も恥ずかしくなり、息子のお笑いを見るのはこの大隈講堂と秋の学祭の時だけにしている。
あ、あと、大きな大会の予選を通ったような時は、息子も見てもらいたい気持ちがあるのか、許可が出る場合もあるんだよ。まだ優勝したこととかないけど。
場内真っ暗になって始まって、耳を聾せんばかりの大音響で音楽が流れ、MC役のコンビが現れる。
息子が時折、
「あの先輩たちとオレらが、けっこうコンテストの成績いいんだ」と言っている、サークル筆頭の先輩らしい。
でも、やっぱり素人だから、それなりに噛んだり間違えたりする。アマチュアはそうでいいんだと思うが。
息子と相方は3組目。
学ラン着てリュックしょった息子が登場。
「あ〜、今日、転校生くるって、先生が言ってたなぁ・・・」
このコントを見るのは2回目だ。構成がくどいので、あまり面白いと思わない。
ちぇっ、新作に当たりたかったなぁ!
よく知っているオチまで見て、まあ、いちおうアンケート用紙の彼らのグループ名のとこに○つけとこうね。
おお、ことし入った新人たちも頑張るなぁ。3年生の息子たちよりうまいぞ。
このパントマイム、いいなぁ。おっ、定番「コンビニの自動ドアが『うぃ〜ん』」ですか。
中にはピンマイクが外れちゃう人あり、マイクにつながったメカが落っこちちゃう人あり、そして当然、噛む人多数。
でもどれも面白く、最終組は息子がまた出る4人でのコント。
自分の息子が「人狼ゲーム」で殺される役なのはヤだなぁ。
終わって、舞台に勢ぞろいした演者さんたちの笑顔はみんな輝いていた。
息子の顔もその中にあった。
親にはめったに見せてくれない、心からの笑顔だった。
講堂を後にし、バスで新宿に出て「サムラート」でごはん。
今週は外食が多いね。
再来週の25年目の結婚記念日(銀婚式)にはプラザホテルのローストビーフディナーを予定してるし。
来月は少し引き締めて行きましょう!
息子が、第一志望の大学に入れたこと、いいサークルにめぐり合えたこと、どっちも幸運だったと思う。
毎月のようにサークル主催のライブがあり、外でのコンテスト出場も盛んだ。
大内くんはいつも、
「人間、アウトプットが大事だ。息子のサークルは、その点非常に優れている」とほめている。
友達がいっぱいできて、カノジョもできて、サイコーの学生生活だよ。
1年余分にやりたくなるのも無理はない。いいよ、留年して。
カレー2種類にナンとライス、「マトン・シークカバブ」まで食べて、顔なじみの店員さんに挨拶しながら店を出て、家に帰る。
あいかわらずのすごい雨だ。今年は「水がめ」の心配だけはしなくてすみそう。
息子は帰ってこないかもしれないなぁ。
こんな日に、打ち上げに行ったら、もう移動したくないだろう。カノジョかみんなと一緒にいたいだろうし。
と言いつつ帰って風呂に入り、寝るしたくをしていたら、あらら、帰って来ちゃったよ。
打ち上げでいろいろ食べただろうに、
「腹へった」と言って、昨日作った「ゴーヤーチャンプルー」の残りとどんぶり飯をかき込む。
「あー、やっぱ、家のメシはうまいわー」
そんなこと言われたら、嬉しくなっちゃうじゃないか!
ホントにもう、口がうまいんだから!
いい1日だった。
しかも、まだ金曜。もう2日、週末があるんだ。
ちょっとハードなお出かけだったけど、行ってよかった!
14年6月8日
息子のケータイが壊れた。
先日、ゴム製のカバーが壊れてしまったので新しいのを勧めても買おうとせず、それをベッドの頭のあたりに置いて寝るから、始終床に落っことしてるんだ。
いつか壊れるんじゃないか、と心配してたんだよ。
本人は、「外で落とした」と言っているけど、危険なことに変わりはない。
しかもデートなのに寝坊したらしく、カノジョのケー番を覚えてないのか、私のケータイを借りてツイッターで遅刻を伝えようとしている。
横で見ていた大内くんは、
「電話番号ぐらい、覚えてないのかね?」と首をかしげていたが、
「じゃあ、あなた、私のケー番知ってる?」と聞き返したら、「うっ」とつまって、
「その通りだ。いつも電話が勝手にかけてくれるから、番号知らないや」と認めていた。
私は、外での書類等に大内くんのケー番を書くことが多いので、彼のを覚えているけど、自分のは覚えてない。(笑)
以前読んだ「地震マニュアル」に、
「ケータイが使えなくなった時のために、必要な連絡先の電話番号は覚えるか書き留めるかしておくこと」って書いてあったなぁ。
今朝の息子はそんな感じだよ。
私のケータイから、FBにまでメッセージ書き込みに行ってたもん。
そんな修羅場のさなかでも、朝シャワーは欠かせない彼なのでした。
息子がバタバタと靴をはいているので、後ろ姿に、
「今日、ケータイ直しに行かないの?」と声をかけたら、
「時間、ない!」と叫び返して出て行った。
壊れたケータイ、置き去り。
どうするつもりなんだろう?
カノジョとは無事に会えるのか?
ケータイが壊れて待たせたぐらいで別れちゃうのか、今の若者たちは?
実際なぁ、息子に連絡取れないと思うだけで不便を感じるし、「人を待つ」「人を待たせる」という経験が圧倒的に少なくなってるよね。
待たせているにしても、状況を報告しながらのことにできるわけで。
私は、寝坊して遅れる大内くんに何時間待たされたかわからない。
しかも、大内くんの親に交際を猛反対されていたので、家に電話することもできなかった。
そんな状況下で寝坊するなよ、と怒ったことが何度あったか。
「ごめんね。一生かけて罪滅ぼしをするから」と今でもうなだれる大内くんである。
で、息子のケータイは、夜中になって帰ってきた息子が言うには、
「正規店でなければ1万ぐらいで直る」とのことだが、何でもきちんとしておいた方がいいよ、という主義の大内くんから、
「少しぐらい余分にお金がかかっても、正規のお店で直してもらった方がよくない?大切なものなんだから」と言われて、
「調べてみるよ。新しく買うことになっちゃうかもよ?」と息子。
私は蚊帳の外です。お金を渡すだけの存在です。特に意見はありません。
ただ、夜中の12時過ぎても帰ってこない息子にいつもの「?」(外泊する?の意)を送信できない心細さはもう充分味わった。
ケータイは、持っていてもらいたい。強く、そう感じた。
どうやらカノジョとケンカしたらしいのでこの2人の先行きも不安だが、とりあえずはケータイだなぁ。
14年6月9日
昼ごろ、「ぶっかけそうめん」を食べて出かけようとしている息子に、
「ケータイ直しに行く?」と聞いたら、素直に「うん」。
ネットで調べたか友達に聞いたかで、新宿にすぐ直してくれるお店があることを突き止めたらしい。
まあ、本体ではなく液晶パネルが壊れただけみたいなので、カンタンに直るのかな?
で、出かける彼に、直してもらう待ち時間に夏服でも買え、と修理代も含めておこづかいをあげた。
我ながら、なんてダメダメな親なんだろう。
「家にいる子の服代ぐらい、親が出してあげるよ」と言いつつも、本来バイト代で買うべきもんだよなぁ。
神妙にいただいてくれる息子なので、つい甘くなってしまう親心。
「晩ごはんは家で食べるの?」と聞いたら、チョー珍しいことに、
「うん、食べる。『すき焼き』食いたい。7時ごろ帰る」という返事が。
そもそも息子と家でごはん食べるなんて何カ月ぶりかわからないし、「すき焼き」!
まあ、まだあんまり暑くないし、親子のコミュニケーションが図れる「鍋の一種」なので、前向きに受けることにして、息子が出かけてから、大内くんと買 い出しに。
肉はまず欠かせない。あたりまえか。
大内くんが牛肉を2パック、かごに入れたので、
「足りないんじゃない?たくさん食べさせてあげようよ」とまたまた親心を発揮し、3パックに。
私はしらたきが大好きだ。大きい玉を2つ買おう。
タマネギと春菊も必須。
レジを通ったあとで、大内くんが、
「しまった!『焼き豆腐』を忘れた!」と言うので、袋詰めはまかせて私は豆腐コーナーに再び走る。
あれ、焼き豆腐、ないよ。
お店の人に聞いたら、
「今日はもう、売り切れてしまいました」だそうで。
昼の2時に焼き豆腐が品切れねぇ。今夜は、どこのご家庭でもすき焼きなんだろうか。
息子は2歳か3歳ぐらいの時、焼き豆腐が大好きで、出汁と醤油で煮たものを離乳食がわりに1丁ぺろりとたいらげていたもんだ。
そのころ住んでいた社宅には、「豆腐売りのおじさん」が来てたんだよね。
私は毎日夕方になってチャルメラみたいな音が聞こえると、鍋を持って買いに行っていた。
6月ぐらいに入ると、
「すみません、焼き豆腐はもう終わりです」って言われて、10月ぐらいに再開すんの。
今やもう、珍しい風情の世界だが。
そんな息子に焼き豆腐を食べさせてやれないのは残念だが、肉だけは思春期の胃袋を養ってあまりあるぞ。
いくらでも食え!
で、すき焼きの支度をして6時半ごろになり、大内くんと、肉の大皿を目の前にしながら、
「これですっぽかされたら、相当頭に来るね」
「でも、彼は意外と約束はきちんと守るよ。これまで、時間を約束して遅刻したことはないよ」と話し合っていたら、息子からメールが。
!ケータイ直ったんだ!
「7時半ごろ帰る」
そっけないメールだが、一応約束したことは覚えてるわけね。
うん、連絡をくれたうえでのことなら、30分ぐらいの誤差はなんでもない。
そしたら、帰ってきたのが7時5分過ぎ。パンクチュアルだね。
さっそくすき焼きだ!
でも、ビールで乾杯!、って思ってヱビス買っといたのに、
「このあと用事があるから。出かけるかって?出かけない。家で、漫才のネタ書く」と言って、あいかわらずの牛乳でごはんを食べる彼なのでした。
しょうがないから大内くんと私で飲んだよ。
肉をもりもり食べている彼を、
「ケータイ、どうやって直してもらったの?いくらぐらいかかった?服は買えた?お金は余った?」と質問攻めにしたら、答えは、
「ショップのにーちゃんが『かりこりかりこりっ』ってドライバですぐに直してくれた。その間30分ぐらい。修理代は1万2千円ぐらい。服はあんまり買わなかった。8千円ぐらい余った。今日は用事が3件あって大変だったけど、何とか全部こなした。サークルのみんなと一緒に動いていたので、ケータイな
くてもそんなに困らなかった」という1日だったらしい。
余ったお金は、たまにはよかろうとおこづかいにあげておいた。いつもは「親からの借金」だからね。
もちろん、こんなにスムーズに話してくれたわけじゃない。
大内くんが苦労して、
「こうだったの?」「うん」「こんなふう?」「まあ、そんな感じ」と重い口をこじ開けてやっとこれだけ聞けたのよ。
私が気になるのは、カノジョに会えたかどうか。
「会えたよ」、
「ケンカしたの?」
「ケンカじゃない。向こうが悪いから、オレがそう言っただけ」
あああ、ケータイ壊れて連絡取れないカレシに待たされた挙句、「そっちが悪い」って言われたカノジョは、いったいどんな「悪いこと」をしたんだろう?
いつものように、息子は突然、
「ああ、腹いっぱい。ごっそうさん!」と立ち上がって自室に行ってしまい、我々は後片づけをしながら、
「これだけ聞ければいい方だね。ごちそうさま、も言って行ったことだし」と、非常に低い望みで動いていた。
1日、大変だったよ。
教訓:ケータイを壊すな。カバーつけろ。寝坊するな、遅刻したら謝れ、というところでしょうか。
ケータイの裏修理工房はなかなか優秀なようだし。
私は、息子に待たされて困った、という経験はないのに、カノジョはもうそういう経験をしているんだなぁ。
しみじみ、申し訳ない。
ところで、牛肉は1パック余りました。
大内くんの見立てでよかったんだ。
翌日の牛丼用に余分に煮ても余ったわけで、私の「息子にたらふく肉を食べさせてあげたい」という母心は間違ってました。大内くん、ごめん!
こんなふうに、私の「母心」はあちこちで間違っているんだろうなぁ・・・しかも「余る」方向に・・・
14年6月10日
昨日、「ネタを書くから」と言って晩酌を断った息子は、そのあと自室とリビングをうろうろうろうろ歩き回っていた。
寝室でごろごろしながら彼がのしのしと行ったり来たりする足音を聞きながら、大内くんと、
「これは、出かけるね」
「うん、家じゃ、煮詰まって書けないんだろうね」
とひそひそやっていたら、これまた唐突に寝室のドアを開け、
「ちょっと、コメダ行ってくるわ」と出かけてしまった。
「来たよ〜!外の勉強部屋!(しかも、親に断ってから出かける、ってのが目新しい)」と言うのは、彼が、高校受験の時も大学受験の時も家では勉強できなくて、外に行ってたから。
まあ、机の上を見れば物理的に勉強不可能なのは一目瞭然、マンガと書類と日用雑貨が積み上がってる。
椅子は、座面といい背もたれといい、脱ぎ捨てた洋服の山になってるし。
ただ、たとえ机が片づいている時でも、彼は「外勉」なタイプだった。
塾の自習室や図書館、コミセンは当たり前で、しまいに近所のガストや夢庵で何時間もねばっていたもんだ。
閉館時間のある図書館やコミセンはしょうがないとして、ガストだけだったなぁ、
「4時間も勉強してたんで、追い出された」と語っていたのは。
もともと我々はあんまりガストに行かないが、これを聞いて、ますます行く気が失せたよ。
塾は、大学受験の大ヤマが来る9月ごろから、先生たちの事務机の間に「大内席」を作ってくれて、夜中まで自習させてくれた。
時にはそのまま「個人指導」にもつれ込むこともあり、月末に請求書を見て驚いたりもしたが、基本的にお金で解決できることはしちゃう家風なので、
ほっといた。でも、ありがたかった。
もっともありがたかったのは、家から自転車で15分ぐらいの夢庵で、高校の友達2人と一緒に閉店時間の1時まで一生懸命勉強してた件。
数回、車で通りかかったのでその様子を見たけど、確かに男子3人が、みんな自分の手元を一心に見つめ、おしゃべりをするでもなく、真面目に手を動かしている光景に胸を打たれたものだ。
友達にも感謝するけど、さしたるオーダーもなく何時間も席を占領している高校生たちを、追い出すどころか、
「頑張って合格してね!」と言ってくれたという店長さんには本当にありがたいと思ったよ。
受検が終わった時、
「夢庵で打ち上げしてくる!」と言って3千円ぐらいもぎ取って行ったが、3人でどんなに大盤振る舞いをしようが、店長さんの好意に報いるほど食べられるわけでも、お金があるわけでもなかったろう。
みんな現役合格したのが、一番のご恩返しかな。
塾長から聞いたのだが、息子は、ひとところに長くい続けると煮詰まってしまって勉強できなくなるタイプらしい。
「塾でも、『大内席』でやってみたり、3階の自習室と1階の空いてる部屋を行ったり来たりしてみてるんですが、そうすると今度は授業に集中できなくなって・・・」とこぼしていたそうだ。
そんな彼が、今でも変わらないんだなぁ、と思うと、なつかしいような気の毒なような。
最近は新たにコメダがラインナップに加わったらいしいね。
今夜も、1時半になってもまだ帰ってこないので、「帰るの?」(最近は「?」だけで用が足りる)とメールを打ったら、「帰る」。
「これは、終電もなくなっちゃうし、吉祥寺で飲んで自転車で帰る、っていう以外考えにくいね」と珍しく遅くまで残業していてその時間にまだ起きていた大内くんが首をかしげていた。
どこから、どうやって帰ってくるんだ!?
2時前になってやっと帰ってきた彼に、大内くんが、
「あのさ、純粋に疑問に思うんだけど、どこで飲んでるの?」と尋ねたら、
「吉祥寺で、1人でいた」という答え。1人!
「どっか、お店でネタ書いてたの?」「そう」って、やっぱり「外勉」タイプなのね。
こないだは「自転車を押して歩きながら考え事をしていた」なんて言ってて、うち、徒歩30分なんですけど。駅からはイスカンダルなんですけど。
勉強はしないが、ネタを書く場所は必死で探す。そういう大学生活か。
「あの、小さかった息子が、『外で1人で考え事』ねぇ。我々が歳とるわけだね」と2人でしみじみする。
「パチンコやってるんだったりして」と大内くんは言うが、もしパチンコでこんなに遅く帰ってくるなら、それは大儲けをしたか、途中でいったん「大儲けかも!」と思ったか、どちらかだよ。
いくらこないだあげた8千円の元手があろうとも、ただ「スる」だけなら、こんなに時間はかかるまい。
何にせよ、いろんな意味で成長している。
親としては、彼の「悪あがき」もまた楽しみなのだ。
あまり外でのことを語ってくれないので、「想像して遊ぶ」ことの多い我々だが、想像のネタとしての彼は非常に面白い。
もっともっと「悪あがき」をしてくれ。
14年6月12日
アメリカにいる大内くんの従姉は、「いつでも息子をホームステイによこしなさいな」とありがたいメールをくれる。
息子もこの夏、3週間ほど行きたいらしい。
そうレスしたら、「ウエルカムだ!」という返事が来た。
ピクサーのエンジニアである「外人」のダンナさんが、ピクサーでのランチに連れてってくれるというおまけつき。
さすがに息子も、「すげっ!」と興奮していた。
うん、何しろ世界のピクサーだからねぇ。
これで話は通ったので、あとは従姉と息子にまかせよう、と、ケータイに従姉からのメールを転送しておいたんだが、彼は不真面目で、読んでもいないらしい。
打ち合わせをしようとしても、「忙しい」と言って全然話し合いのテーブルにつかないし。
さすがに大内くんが怒って、
「そんなんじゃ、ホームステイなんかさせられないよ。相手の予定だってあることだし!この週末にメールしないんだったら、もう行かせないよ!」と 強く言ったら、翌日、大内くんのケータイにccが入った。
ちゃんと「おばさん」(正確には親の従姉なので、ひと言でいう言葉はない)にメールを書いたらしい。
思い立つと素早い息子は、我々よりはるかに簡潔で立派な英文メールを書く。
そうなんだよなぁ、大学受験を終えたあたりの人たちは、仕事で英語を使ってる人を除けば、人生で一番英語力がある時期なんだよなぁ。
だからこそ、今、ステイしに行ってもらいたいわけで。
親の親戚がアメリカにいて、誘ってくれて、しかも向こうは日本語も通じる。
こんなシチュエーションは、普通ないよ。
みんな、お金払ってステイ先探して、言葉の壁を乗り越えられなかったりホストファミリーがあまりフレンドリーでなかったり、苦労するんだよ。
「友達は連れてこないの?」なんて、こんなワンダフルな話はちょっと珍しいよ。
息子は、このビッグチャンスを生かす気があるのかどうか、はなはだ不安だ。
とりあえず、
「とっても行きたいし、行くつもりなんだけど、お笑いコンテストのスケジュールがはっきりするまで、もうちょっと待って」という内容のメールを送ったようだし、
我々からもそのへんは伝えておいたので、あとは彼の努力次第だね。
若いうちに外国に行くのはいいよ〜。
新婚旅行でシンガポール、そのあと香港に行ったきり、こないだ、25年間のサラリーマン人生で初めて海外出張をした、だがそれも韓国に1泊、空港からソウル市内をタクシーで往復した以外何もしていない大内くんは、
「いかん、もう、息子に追い越されてしまう。キミはいいねぇ、アメリカにステイしに行ったことがあって」とぼやいている。
まあまあ、あなただって、小学校2年まではシンガポールにいたんでしょ?いちおう、帰国子女だよ、となぐざめたつもりが、
「英語もマレー語も, 全部忘れた。その時期の日本の歌謡曲を聴き逃しているだけの人生だ」と、ますますユウウツそう。
ま、これで息子が本当に行けたら大したもんだ。
期待しないで待ってるよ。
14年6月13日
ツィッターを少しずつ始めている。
面白いもので、フォロワーが7、8人しかいないのに、頑張って書いてると思わぬところから読者が現れる。
今日の夕方は、私のツィートをリツィートしてくれた人とのやり取りで時間が過ぎて、楽しかった。
akouchu@ezweb.ne.jp(たかみぃ)
です。皆さん、お友達になってください。
いまだにどっちがどっちにツィートしているかわからない、お気に入りボタンの使い方がアヤシイ、リツィートは恐る恐る、というレベルなので、ご迷惑をおか
けするかもしれませんが。
14年6月14日
そろそろ暑くなってくるから、息子用に今年のTシャツや、夏に着たい服(短パンとか)を買ってもらおうと、特別におこづかいを出した。
だがしかし、大学からあいかわらず夜中に帰ってきた息子曰く、
「『服代』」は演劇のチケットに消えた。カノジョと劇団四季の『ウィケッド』見に行く」。
お笑いと演劇の2足のわらじを履くカノジョと、観劇かぁ。それはそれで悪いこっちゃない。
問題はだ、余分なお金を持たせるとすぐに本来の目的とは違うことに使ってしまうという彼の性癖だ。
こればっかりは、自分で自分を養うまでは無理かもしれない。
私だって大学時代は、仕送りのお金と自分のバイト料を足して、貯金なんて考えずに、あるだけ使っていたからなぁ。
そんな私が、OLになった途端「趣味は財形貯蓄です」という人になったのは、自分でも理由がわからない。
こうして使い込みをする息子だが、親にしてみればカワイイ。
「おごるの?」と聞いたら、
「ンなわけないじゃん」という答えが返ってきた。
「カノジョにおごってあげられたらいいのにね。父さん学生でおごってくれなかったし、会社に行けば同僚の女の子たちが貢いでもらっちゃってて、マ マ、損したよ。今その分までしてもらってるからいいけど」と思わず愚痴をこぼしたら、
「そういう時代じゃねーんだよ」と両断された。
そうか、やはりバブルははじけ切ってしまったのか。
これからの夫婦はダブルインカムでないと暮らせない、とはよく聞くんだが、まさか全員が「ノー・キッズ」というわけにもいくまい。
「共稼ぎが当たり前になって、コドモも持つ」という生活に欠かせないのが「おじいちゃん、おばあちゃん」なのかもしれない。
我々も息子のコドモの面倒を見るのかなぁ。
大内くんの定年後だったら望みがあるかも。
そのかわり、勝手に道場に連れてって、
「柔道、習わせてください!」と言ってたりして。
大内くんならやりかねない。
柔道2段の息子は、それを是とするか非とするか、興味深いところだ。
ま、すべては「孫」が登場してからの話だね。
【銀婚式特集【その数日の大内家】
14年6月16日
明日は25回目の結婚記念日。銀婚式、ということだ。
25年前に永遠の愛を誓ったのは確かだけど、その時は25年先なんてはるか億万光年彼方だったような気がする。
もしも無事に金婚式を迎えられたら、今の倍、そういうことを考えるんだろうなぁ。
パレスホテルでローストビーフメインのディナーコース。予約してある。
そんな日に限って、大内くんが昔の仲間と羽目をはずし、酔っぱらって帰ってきた。
せっかくこの25年をふり返って、しみじみと夫婦のきずなを固めようと思って待っていたのに。
玄関先で、バケツの水をぶっかけてやろうかと思ったよ。
(こういうとこ、私は超過激)
キリがないので、夜中に怒りながら寝る。
でもその前に、2人とも指が太くなってしまったためはずしていた結婚指輪を、無理やりはめておいた。
なんつったって銀婚式、記念ディナーだからねぇ。
思えばわれわれの結婚式の時も無茶したなぁ。
3次会のマンガクラブの会場に行って、そのあとだんだん人数が減りながらも、下北の飲み屋に落ち着いた時はもう、5次会か6次会に突入してたと思う。
(あいかわらず記憶がない)
そんな思い出を語ってみよう、場合によってはデータ化した写真を取り出してアルバムショーをやろう、といろいろ考えていたのに、酔った大内くんは
そのすべてを粉砕した。
夫婦って、仲が良いのか悪いのかよくわからない。
日頃、私が大内くんに怒ってばかりいるせいで、人によっては「結婚なんて一生しないぞ」と思ってる人もいるかも。
とにかくなんたって明日は銀婚式。
楽しく行ってまいります。
そのために怒りを抑えてガマンしたんだから。
その大事な銀婚式の前の晩に、友達と飲んで酔っ払って遅く帰宅した夫と、明日(もう今日か)、ディナーを食べに行くべきでしょうかっ!(怒)
夫婦ゲンカは犬も食わないらしく、誰も手を出そうとしない中、私の大学時代の寮の先輩だけから威厳を持って、「行くべきです」と教えを賜ったなぁ。
前夜の夫婦ケンカで皆さんをお騒がせしつつ、無事に銀婚式ディナーに行ってきた。
明日はその模様をお伝えします。
14年6月17日
無事に銀婚式ディナーに行ってきた。
大内くんと東京駅で待ち合わせ、KITTEに寄って、記念品にと2人ともひと目で気に入った紅茶ポットと、ロフトで散々見て欲しくてたまらなかった「1/100建築模型用添景セット(キャンプ編)とディスプレイ用のクリアケース」を買い、タクシーでパレスホテルへ。
こないだ息子を連れて来た時はあんまりビビらなかったのに、今日は2人とも何だか緊張してしまい、「自分よりビビってる人がいると、ゆとりが生まれる」という真理を発見しつつ、ディナーコース。
前菜に大内くんはサワークリーム添えのサーモンを頼み、私は魚のカルパッチョ。グラスシャンパンを1杯ずつもらって、この25年に乾杯した。
(シャンパンの銘柄は忘れた)
メインは大好きなローストビーフに替えてもらい、エキストラ料金。
でも今日は全部大内くんのへそくりからのおごりなのでOK。
本当においしくて、「人類が肉に塩をつけて食べるって、要するに『血の味』を求めてるんだね」と物騒な話をしながら食べた。
デザートに大内くんはマロン・シャンテリィ、私はティラミスをもらって、お皿には「Happy Anniversary!!」と書かれていた。感動。
また、前に息子の成人の祝いに来た時、彼が恥ずかしがって歌ってもらわなかったバースディ・ソングがあまりに惜しかったうえ、今回、結婚記念日の歌は特にない、とのことなので、2カ月早い私の誕生日のために歌ってもらった。
朗々と響く若い店員さんの「ディア・昭子さーん」はすばらし く、マネージャーと思しき人は完璧にハモってた。
総員4名で歌ってくれた響きに、店内からも拍手が上がり、私はとっても晴れがましい思いをしちゃった。
合唱隊が深々とお辞儀をして解散した後、「動画撮っとくべきだったかな」と大内くんに言ったら、
いや、こう言うのは、心に焼きつけておくのがいいんだよ」とあいかわらず彼らしい意見。
ただ、歌を歌う前に「お名前伺ってよろしいでしょうか?」 と聞かれて「大内です」と答えたのにはガックリきた。
通常、下の名前で歌ってもらわんか?こういうところも彼らしい。
「下の名前でもよろしいでしょうか?」と再度問われ、私が、「昭子です」と答えたら、若いにーちゃんはにっこり笑って、
「あきこさまですね。頑張って 歌わせていただきます」と言って、実際、いい仕事をしてくれたよ。ありがとうございました。
で、「結局、緊張しすぎて何をしに来たか忘れちゃってたんだけど、25年、ありがとう」と大内くんに頭を下げたら、「こちらこそ」と礼を返してく
れた。互いにお辞儀の応酬。日本人だなぁ。
記念品も買ったし、本当に佳い1晩だった。
おなかいっぱいになっちゃったので、ラウンジに行って1杯飲む、を省略し、手をつないで噴水の あるライトアップされた公園を抜けて駅まで戻る。
暗がりに若いカップルが2組座って仲良くしており、「キミたちにも、こんな25年後が来るかもしれ ないよ。お幸せに!」と心の中でエールを贈らせていただきました。
長い間見守ってくれた友人知人の方々、本当にありがとうございました。とりあえずこの次の大きな節目は35年目の「珊瑚婚式」ですが、目標はやはり金婚式ですね!それまで、皆さん元気でおつきあいください。重ねて、ありがとうございました。
14年6月18日
前夜の夫婦ケンカで皆さんをお騒がせしつつ、無事に銀婚式ディナーに行ってきた。
寝るのが遅くなり、とても眠い朝、大内くんは電車の棒につかまって立っていたら、どうにもこうにも眠くなってしまい、立ったま ま舟をこぎ、棒に頭を「ごんっ!」と打ちつけていたらしい。
それでも半分寝ていたので、近くに座っていた若い女の子が連れの男性に、
「あのおじさん、さっきから頭ガンガンぶつけてすごい音がしてる。うるさい。でも、まだ寝てる・・・」とささやいているのが聞こえたそうだ。
お嬢さん、家庭を持った男には、思わぬ苦労があるものなのだよ・・・
「おじさん」・・・気の毒だが、本人も、
「50歳過ぎたら、言い訳しようのないおじさんだ。しょうがない」とあきらめた顔をしていた。
お嬢さんよ、あなたもいつか、結婚し、相手はそのうち「おじさん」になるのだ。
年月というのは、残酷なものだね。
でも、大内くんは10キロ以上減量したせいもあって、なかなか若々しくて素敵なおじさんだよ。
会社の女の子にとられたらやだなぁ、といつも思っているけど、大内くんは、
「僕の行動にはまったく時間の隙間なんかない。接待や会議で帰りが遅いのを疑うなら、メールを見てくれてもかまわない。大勢の人に一斉送信で会議
の話をしている証拠がある」と胸を張っている。
そこまで調べ上げようとも思っていないが、家に帰ると「小太りのおばさん」がいるだけ、という環境で、男の人が何を考えるか、わからんからなぁ・・・
14年6月20日
銀婚式祝いに、今日はとてもハートウォーミングなお話。
20年近く前、大内家がホームページとして完成したころ、じゅんさんという人が流れ着いた。
時折メッセージをくれて、でも互いにそんなにいろんなことを話し合ったわけじゃなく、淡々とHPとその読み手であっただけ。
何のお仕事をしているかも知らないが、唯生や息子のためにも一生懸命励ましてくれたなぁ。
そんな状況が10年以上も続き、最近は掲示板に書き込んでくれることもなく、全体の読者数も減っていく一方だったので、時々、
「『じゅんさん』や『リーさん』はどうしてるかなぁ」、と思って、でも連絡先も知らないし、時の流れにまかせて来る人あり去る人ありなんだろうなぁ、と思っていた。
ところが、このほど私がツィッターを明らかにしたら、なんと10年ぶりのじゅんさんが現れたのだ!
「ずっと読んでる。会社のセキュリティが厳しくなったので、書き込みはできなくなった」とのこと。
「息子さんの、テレビ出演も観ましたよ。小学生のころから勝手に知ってるんで、『ああ、こんなんに大きくなったんだ』と感心しました」つったっ て、じゅんさんは、大内家の構成人員全員の顔を知らずに、半分親戚みたいな状態だったんだよ!
学童でお友達を泣かせて柔道の稽古を始めるのが延期になったり、小学校で「エロなものを研究する『スイカ部』」に入り、「変態な人しか入れないの。 入ってすぐ副々部長に選ばれたのは、僕のエロな気持ちが認められたから」と嬉しそうに語っていた顔も知らないが、ディテールはミョーに知っている男の子が、高校受検、大学受験を通じて何とか大学生になり、今やお笑いの人になってることまで、じゅんさんはぜーんぶ知ってるんだよ。
テレビを観た時は驚いたろうなぁ。
私が当日朝情報を流したのでそれで見てくれたんだと思うが、長年謎の存在だった男の子とその両親の顔を見て、
「なーんだ、こんな平凡そのものの顔かぁ。もうちょっと憂いがある美少年だと思っていたぞ」とかがっくりきてたかもしれない。
帰ってきた大内くんにこの話をしたら、前夜から続いていた夫婦ゲンカも全部吹っ飛んだ。
慈悲深いじゅんさんのことだから、さぞかしこのようなバカげた夫婦ゲンカの話もうなずいて読んでいていてくれるだろう。
「じゅんさんが!まだ読んでくれてるの?!しかも、息子の顔まで見て!」と叫んだ大内くんで、「涙があふれて止まらなかった」らしい。
じゅんさん、本当にありがとう。これからもがんばって書きます。
もし、連絡が取れなくなることがあったら、ひと言教えてくださいね。
息子日記が終わったあとも、ツィ友として長いおつきあいをしましょう!
他にも、愛読者の方でツィッターをやってる人は、じゃんじゃん連絡をください。
akouchu@ezweb.ne.jpです。よろしく。
14年6月21日
息子のバイト料が月に3万円ぐらいの物であることが判明し、ついに「おこづかい制」が導入された。
月々2万、援助してあげる約束をしてしまったのだ。
勉強しないでコントのネタばっかり書いてるヤツに2万円。
留年してお笑いのライブ見に行ってるヤツに2万円。
義憤、とは、こういう時に使う言葉なのではあるまいか。
唯一救いなのは、これまで「まとまったお金を持つとパチンコにつぎ込んでしまう」と本人すら恐れて数日に1度、2千円から5千円ぐらいせびられて、常に「小額紙幣」を用意しておかなければならなかったところを、
「きちんと使う。パチンコはしない」と約束し、月に1度まとめてあげればよくなったという点。
だが、ケータイの待ち受け画面に「パチンコしない」と大書してあるような人間を、どこまで信用していいかはさっぱりわからない。不安だ。
「月に1回まとめてあげる。そのかわり、足りなくなったら父さんに言いなさい。朝、突然、『今日、飲み会だから金が要る!』ってのはやめなさい」と大内くんがかかるルールを説明してくれたが、そんなもん、聞いちゃいない。
2日後の朝、
「もう、金がねー。3千円ちょうだい」と、「借りていた」時よりも横柄になってるだけじゃないか。
大内くんはとっくに出かけちゃってるし、「いるものはしょうがないだろう」って、渡しちゃいましたよ。
夜、帰ってきた大内くんに事の次第を訴えたら、怒って息子にメールし、
「バイトで2万6千円入ったんじゃなかったの?やましいところがないなら、内訳を教えなさい!」と言ったら、即座に、
「食事代1万 飲み会6千円 パチンコ2千円 洋服代5千円 相方に貸したのが3千円」と、見事な明細が送られてきた。
「パチンコは、趣味でちょっとやるだけだから」と言われると、確かにその程度しか使ってないなぁ。
言い負かされた感のある大内くんは、それでも、
「母さんにもらっちゃダメって言ったでしょう。週末に話し合うから、12時までの時間をどこか開けておくこと」と言い渡したが、今朝、大内くんが出かけてから起きてきた彼の言によれば、この週末は、
「合宿の下見に行くから、忙しい」とにべもない。
合宿で思い出した、アメリカにいつ行くのか、そろそろ「アメリカのおばちゃん」に返事しなさい。相手のあることなんだから、こっちの都合でいつまでも待たせちゃいけないよ、とプチお説教をしたが、聞いてるんだか聞いてないんだか。
でも、彼は聞いてない顔をしてちゃーんと聞いてる、ってことも多いからなぁ。
結局混迷を深めるおこづかい問題、確かなのは、「親があげるべきもの」にシフトしてしまったことだ。
実際、私から3千円もぎ取る時の彼の顔には「当たり前」って書いてあったよ。
うーん、面倒でも、貸金にツケておく方が精神衛生にはいいかもしれないなぁ。
パチンコも、完全にやめるわけにはいかないのか?!
14年6月22日
大内くんのアメリカの従姉から、こないだ息子が打った英文メールへの返信が、ccで入って来た。
「I understand you are a very busy man」というのは、軽い非難がこもっているのだろうか?
いやいや、英語国民ってのは、
「〜してよ」という時に「Why don't you〜」と詰め寄って来るからなぁ。
きっと、
「忙しいんだね。待ってるから、きっと来てね」という程度の意味なんだろう。うんうん。
それにしてもスゴイなぁ。アメリカ人と英文でやり取り。
大内くんでもなかなかしないよ。
ま、アメリカまで行こうってんだから、その程度は当たり前なんだろうけど。
今、友人たちから通信手段として「スカイプ」や「LINE」を勧められている。
確かに、従姉との打ち合わせにも役立つだろうし、息子が本当に向こうに行ってしまったら、様子を聞くために、つながってると便利だろう。
帰国直後に我々は10日間イタリアに行ってしまうわけだし。
もうちょっと、IT問題を真剣に考えないとなぁ。
今のままでは、イタリアでケータイが使えるかどうかすらあやふやだよ。
去年サークルの先輩たちと3人でベトナム旅行に行った彼は、行く前に、
「ケータイは使えないけどWiFiが使えるみたいだから、メッセージはiPadにちょうだい」と言っていたが、あれはどういう呪文なんだろう?
とにかく、パソコンはともかく、iPad、iPod、iPhoneの「iシリーズ」は完全に親の上を行っており、時々わかんないことを聞きに行くと、機嫌がいい時は教えてくれるが、そうでない時は、ひと言、「ググれ!」という返事が返って来るだけ。
ま、世界中どこに行ってもどうにか連絡してきそうですね。
おっと、当面の相手は従姉だ。あー、アタマ痛い。
ダンナさんがプログラマだから、どうにかしてくれそうに思えるのだが・・・そのダンナさんと話す、ないしはメールする、となると、これはこれで新たな恐怖だ。
追い詰まった感がある。
みんな、なんでそんなに公衆電話かけるような気軽さで魔法の呪文を唱えるの?
14年6月23日
8時ごろ、大内くんとお風呂に入りながら大きな声で息子の悪口とか「それでもカワイイんだよねぇ、親なんて、因果な商売だねぇ」とか話していた ら、
いきなり風呂場の扉が開いた。
「うわっ、びっくりした!」と2人で叫んだが、別に強盗が押し入ったわけではなく、息子が帰ってきただけだった。
福島に1泊で、サークルの合宿の下見に行ってきたばかり。
宿泊費・旅費の一部がサークル持ちの、まあ、上級生の特権的なお仕事だね。
同学年の仲良しかずやくんと、あとは後輩2人が一緒だったとのこと。
水泳帽とゴーグルが出て来たので「海で泳いだのか?!」とちょっとビビったが、どうやら宿泊施設にプールがあるらしい。
1泊1万5千円だって!
めずらしく一緒に晩ごはんを食べてくれたので、合宿の話を。
「我々の合宿は、野尻湖に寮があったから安上がりだったね」と言うと、息子はカレーを頬張りながら、
「セミナーハウス?」と聞く。
そんないいもんじゃない。夏場だったせいもあるが、各部屋に扉があったかすらアヤシイような場所だった。
学生、卒業生、その家族は、3千円ぐらいで泊まれたんじゃないかなぁ。
あとで、大内くんにこっそりと、
「カレー食べてたから言わなかったけど、トイレは汲み取り式だったよね」とささやいたら、大きくうなずいて、
「僕も、まったくおんなじこと考えてた。さすがにあの食卓でその話題はないだろう、って、黙ってたんだ」と笑っていたよ。
でも、楽しかったなぁ。
まんがくらぶの合宿だからみんなでマンガ描いてたのかと思われそうだが、主な活動は目の前にある湖にボート出してロケット花火を打ち合う「海戦」
や、夜の大宴会で酔っ払って踊り狂うことだった。
私なんか花火の直撃を食らってもひるまず突進していたので、先輩たちが、
「ゴ、ゴジラは倒れませ〜ん!」って実況してたよ。
ボートが転覆して、大内くんたちが自力で泳ぎ帰ったり他のボートに救助されたりもしたし。
よく事故が起きなかったものだ。
そんな「無駄な時間」を一緒に過ごした人たちと、今もつながっている。
人間、「有意義な時間」ももちろん大切なんだけど、特に若い頃は、「ひたすら行動を共にする。ぐだぐだとたまっている」って経験も役に立つような気がする。(少なくとも、結果的に何組かの「婚活」にはなっていた)
「友活」って言葉はないけど、一生の友達ってのは、如何に無駄な時間を共有したか、がモノを言うのかもしれない。
1万5千円の宿に2泊して、プールで遊ぶ、それもまた、良しとしましょう。
未成年者の飲酒は厳禁で、安全第一でお願いしますよ。
(でも、それじゃ面白くないんだよね、正直なところ・・・)
14年6月24日
息子が昨年度稼いだバイト料が多すぎて、税金を払うことになった。生まれて初めて。
今は新しいバイトを始めたばっかりでお金がなく、おこづかいまで親からの「借金」でまかなっているので、税金も「ある時払いの催促なし、いつもニコニコ親ローン」で払ってもらう。
以前、仕事で一発当てた友人が言ってたけど、
「住民税は1年後に来るから、『儲けた!』と思って使っちゃうと、翌年、泣く羽目になるよ」。
息子も、今は無収入なのに税金払わなきゃいけないからなぁ。
しかも、120万というところがまた、ビミョーだ。
扶養を外れるが、それほど大した額じゃない。
パートのおばさんたちが、3月になると、
「シフト減らしてください」「あんまり超過勤務はできません」と言ってくるのは、夫の扶養に収まる額しか稼ぎたくないからなんだなぁ。
もちろん、バリバリに働いて扶養なんてなんのその、税金払ってもおつりが出るぐらい稼げればいいのだ。
つまり、息子はまさにそのボーダーあたりにいるわけで、もうちょっと抑え目にしてもらいたかった。
ネットテレビに勤めてる、という今のバイトは週1ぐらいしか行ってないので、頑張って月に3万円ぐらい。
まだお給料もらってないから何とも言えないけど、本人の申告はそんなもの。
それじゃ、おこづかい分も出ないじゃないか!
私が毎朝のようにちびちとおこづかいをあげてるのは、それが一応借金の体を成しているからだ。
絶対返ってこない、まして月々のおこづかいも持って行かれる、というのはどうかと思う。
この件に関しては大内くんも同意しているので、週末にでも、
・そもそもおこづかいとは何か
・親からもらう、でいいのか
・もっとバイトに身を入れる、ないしはコンビニや居酒屋の、確実に稼げるバイトをしたらどうか
といったところを3者面談で話し合うつもり。
息子は、真面目に聞いてくれるかなぁ。
今のバイトは続くんだろうか。
一旦辞めると、次を探してくるのに2、3カ月、履歴書書いて面接受けたりの準備期間がまた2、3カ月で、結局1年に数カ月しか働いていない。
そのわりに、勉学に励む様子も見られないし。
大学の同期のサークル仲間たちも、そろそろ就活が始まるだろう。
いつまでも、遊んではもらえないよ。
自分の道は自分で模索すること。
大学ってのは、半ば以上そのために行くんだからね!
まずは、バイト頑張れ。
14年6月25日
録画してあった今期イチオシのドラマ、「ルーズヴェルト・ゲーム」の最終回を観た。
何つーか、やっぱりこういうのを「感動」って呼ぶんでしょうか。
企業ドラマにも野球にも興味がない私でさえ、唐沢くんや江口洋介、山崎御大と肩を組んで青島製作所の社歌を歌いたくなったもんなぁ。
ましてその両方にひっかかりのある大内くんとしては、面白くてたまらなかったらしい。
とんでもないことを思いついた。
「今年、うちの会社から3チーム、都市対抗に出るんだよ。見に行かない?」
でもすぐに、
「キミは、野球なんか興味ないよね。清里の草野球を延々見せられただけで『もういいです』って気分だよね。体力も保たなしい」と思い直したらしく、しゅんとしてた。
その有様があんまりかわいそうだったので、
「ごめんね。でもほら、暑いし、体力ないし」と言い訳したら、パッと顔を輝かせて、
「暑くないんだよ!ドームなんだから!」。
そうか!都市対抗は東京ドームなのか!
恥ずかしながらワタクシ、1度も入ったことがないんだよね。
その様子を見てこれは行ける!と思ったのか、追い打ちをかける大内くん。
「会社の応援席に座れるしさ、タダなんだよ!」
「タダ!」この言葉にまた、私は弱いんだ。
「うーん、じゃあ、1回ぐらい行こうか」と言ったら嬉しそうに、
「そうだよ、僕だっていつ出向や転籍になるかわかんないし、会社のチームを応援できるのも今のうちだよ!」と言う。
よーし、それじゃ、今度は私もいい考えを出しちゃおう。
「あの人も誘ったら」と、部屋で動画を見てる息子の方を指す。
「息子を!なるほど、それも楽しいかもしれないね」と、さっそく日程を調べて、息子に言いに行った。
大「ねえねえ、7月のお休みの日に、野球の試合見に行かない?」
息子(胡散臭そうに)「なんで?」
大「父さんたちの会社から、今年は3チームも都市対抗に出るんだよ。なかなか面白いもんだよ」
息子「ふーん」
大「ドームだしさ、涼しくてタダだし、座ってゆっくり見られるよ」
息子「予定が空いてたら、行こうかな」
やったーっ!息子、獲得ーっ!
もはや「いい考え対抗戦」に入った我々、次は大内くんのアイデアだ。
「高校の柔道の試合で講道館に行く時、よく後楽園の駅から行ったじゃない。途中に、朝早くからやってる『ムーミンのパン屋さん』があったよね。何度か、部員のお母さんと一緒に朝ごはんを食べてから試合に行ったとこ。あれに、息子を連れてってやろうよ。ついでに、昼ごはんには、とってもおいしいピザ屋さんがあったでしょ。あれを食べようよ」
ここまで話が煮詰まれば、あとはもう、息子のその日に予定が入らないことを願うのみ。
まあ、彼はいったん約束したことはけっこう守ってくれるんだよね。
というわけで、我々、7月の都市対抗を見に行くかもしれません。
会社の方でこの日記を読んでくださってる方、もしばったり出会っても、息子に、
「やあやあ、いつも日記で活躍ぶりを読んでいますよ」とは言わないように、ナイショでお願いいたします。どうぞよろしく。
ついでに言えば、このドラマの「一番いいセリフ」は香川照之の、
「私とあんたとでは、金に対する考え方が540度違うんだよ!」という「空中1回転半」だったが、最終回にも盛大にサービス。
「あんたは900度、間違ったんだよ!」
2回転半ですか。
このセリフを言っている時の彼の顔がものすごく、最大のクライマックスシーンと並んで、最高瞬間視聴率を出したらしい。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140623-00000066-dal-ent
みんな、考えてることは同じななんだなぁ。
試みに大内くんに、
「あなたと私じゃ、考えてることが1080度違うのよ」と言ってみたら、しばらく目を宙に泳がせて暗算している様子だったが、すぐに、
「おんなじだ!」と嬉しそうに破顔していた。
いいドラマは、夫婦に平和をもたらし、家族に野球を共有させてくれるのでした。
(当日にならないと、彼の予定&ご機嫌がわからないけどね)
14年6月26日
先週ここに、
「20年近く(「16年ぐらいですよ」と本人から訂正が入ったが)の愛読者がツィ友として出現し、ずっと読んでてくれたこと、テレビ出演も観てくれたこと」を書いた。
その時ちらと名前を出した女性がまた、名乗り出てくれたよ!
やはり、ずっと読んでて、テレビも見てて、「息子さん、大きくなりましたね」って雰囲気。
大感激!
息子が小学生のころからの淡いおつきあいでした。見守ってくれて、本当に嬉しかったです。
大内くんも大変驚いて、
「長生きはするもんだ、そんなことが起ころうとは!15年以上続いている子育て日記をずっと読んでいてくれた、って、どういう感じなんだろう。顔も見たことのないコドモと、その親の、単なる生活の記録だよ?やっぱり、キミの日記が面白いから読み続けてくれたんだね」とほめてくれたが、大内くん、あなたの、そのキャラクター(もちろん私から見て、ということになるが)も、読者獲得にひと役買ってると思う。
まったくなぁ、世界のどこかにこの家族の話を、
「ふんふん、今週も夫婦ゲンカかい」とか、
「あらまあ、息子くん、受験勉強に入ったんだ。親はうるさそうだね」とか、なんらか感想を持って読んでくれてる人がいると思うと、
「そろそろ読者数も減ってきたし、やめようかな」なんて思っていた気持ちが吹っ飛ぶね。
「つながる」ということが、今のパソコン・ケータイ文化の一番の希望だと素直に思えた。
ツイッターがなかったら、今のこの幸福感は味わえなかっただろう。
本当に、ネットの神様に五体投地してお礼を言いたい気分だ。
ただ、ここで相手のツイッターを隅から隅まで読んで、
「ふーん、こういう趣味の人かぁ」「こういう仕事をしてる人かな?」とか、敢えて言えば「詮索」をするのは長い間の読者の方に却って失礼な気がする。
あくまでお互い顔が見えすぎないこと、その前提で掲示板への書き込みもそれほどはなく、メルアドが描いてあるからってメル友になろうとはしなかっ
た読者の方の距離感を思えば、こちらも淡々と続けて行くのが一番の感謝の形だと思う。
それでも、じゅんさん、リーさん、本当にありがとうございました。これからもまたよろしくお願いします。
もしこのHPが閉じることがあったり、そちら側の事情で読めなくなる日が来たら、その時こそ「ツィ友」で!
14年6月27日
昨年度、息子がバイト頑張って稼ぎすぎてしまったので、生まれて初めて彼に「納税通知書」が来た。
もちろんそのお金はすっかり使い果たしてしまっているため、親から借金して払うというありさま。
これが税金のコワイところだ。
お金が残っているうちに請求してくれればいいんだけどけどねぇ。
で、お金を用意して納税所と一緒に封筒に入れた物を用意してあるが、息子はちっとも払いに行こうとしない。
近所のコンビニで払えるのに。
9月にアメリカの親戚のところにステイしに行く話を進めないのと一緒になって、ついに大内くんの堪忍袋の緒が切れた。
ただ、切れるなら切れるで、息子がいる時に面と向かってキレてもらいたい。
私を相手に、
「もう、アメリカには行かせないよ!行く資格なんかないよ!」と叫んでどうなるというのか。
「そういうのは、本人がいる前で直接言ってください」と冷静に言ったら、いきなり勢いがしぼんで、
「キミは常に冷静だ。正しすぎて、アタマに来る」と言う。
それでもとにかく話をしよう、ということで、本日も帰ってくるかどうかすらわからない息子にメールを打った。
「税金とアメリカのことで話があるから、今日は早く帰って来てください」
すぐに返事が。
「バイトで遅くなる。先に寝てて。寝る前に、履歴書1通作っておいて」
以下、メールのやり取りが並びます。
大「バイト、クビ?」
息子「もう1個、始める」
大「生活が乱れない?」
息子「週1だから、大丈夫」
大「どんなバイト?」
息子「病院」
大「また?夜勤?古巣に戻るの?」
息子「吉祥寺」(前のは慶応病院だったなぁ)
大「税金とアメリカの件は?」
息子「明日やる」
大「アメリカの話は、向こうはキミの専攻や趣味を聞いてきてくれていて、それに合わせてイベントを計画してくれようとしてるんだよ。ちゃんと返事しなさい。他人の好意をおろそかにしちゃ、ダメだよ」
息子(アメリカからのメールはちゃんと転送してあって、いったんはそれを読んで返事をしたはずなのに)
「ンなこと言ってたっけ。ちゃんと書くよ」
大「で、今日は帰ってくるの?」
息子「帰る」
一連のメールのやり取りは非常に早く、特に息子からの返事はかなり瞬時に来た。短いとはいえ、打つの速いな。
大内くんは、
「はぁ〜、何だか目まぐるしかった。息子とは、直接話すよりメールの方が素直で話が早い。そのうち、同じ家にいても『ごはんできたよ』とかメールで呼んじゃいそうだ」と脱力していた。
最近仕事が忙しくて、明日も出張の大内くんは履歴書を作ってあげて寝たが、すぐに息子も帰って来て、おやすみなさいを言うヒマぐらいは充分にあっ
たよ。
大内くんが寝たあと、「腹へった」と言う息子にカレーとスープを温めて出してあげてる間に、彼は彼でパソコンで履歴書の志望動機とか、本人でないと書けない部分を記入して、プリントアウトしていたようだ。
カレーを食べながら、
「住所って、どう書くんだっけ。こないだ、間違えちゃったからなぁ」と、めずらしく過去の出来事を自省し、現在に生かそうとしているようだった。
「郵便番号をこの赤い枠の中に書いて、この、右肩から住所書いて、近所だから『東京都』は省略してもいいよ。(でも書いていた)住所全部1行で書けた?じゃあ、その隣、真ん中より少し右寄りから書き始めて、相手の病院の名前を書いて、少し下げて隣に相手の名前書くの。『ナントカ係』が相手なら『御中』だし、相手の名前がわかってるの?係長さん?じゃあ、『係長 ○○様』でいいよ」
「裏に、自分の住所書いた方がいいんだっけ?」(書きたまえ!)
あー、こういうの、大学までの間にどっかで学校で教えてくれないかなぁ。
切手どこに貼るのかまで含めて。ついでに、切手は糊は不要で、なめて貼るのが普通だ、とも教えといてほしい。
これって、モンペな意見?
この生活体験のなさ、保育園年長さんの保護者会で、
「小学校に上がる時は、自分の名前が書けるかどうかも大事ですが、傘をさして歩く、和式トイレに慣れるなどの生活習慣、自分のことを『ナントカ ちゃん』とは呼ばずに、『僕、私』、といった認識も大切です」と教わってなるほどと思った時が、まざまざとよみがえったよ。
こうして、彼はバイトを2件カケモチしようとしている。
私としては学業も大いに心配だし、大学の2年生の1年間を棒に振って留年したのは、1年の秋から張り切って始めた病院の夜間ERの受付のバイトに
大きく原因があると思うもんだから、相手が病院、となると、身構えてしまうなぁ。
ちなみに、
「お給料がいいの?」と聞いてみたら、
「1人でできるとこがいい」という答え。
私「なに、1人でやるのが好きなの?」
息子「うん」
私「こないだ、友達のかずやくんちに泊まったって言ってたじゃない。かずやくんちって、カノジョのとこに近いんだよね?」
息子「うん」
私「そういう時に、カノジョんとこは泊めてもらえないの?」
息子「かずやに用があったから行ったんだ。理由もないのにカノジョんとこには行かない」
私「いつも一緒にいたい、とか思わないの?」
息子「思わねー」
私「父さんも母さんも暑苦しいタイプだから、いつも一緒にいたいんだけど、そういうとこ全然ないね」
息子「うん、基本、1人でいるのが好きだね」
私(タメイキとともに)「あなたは覚えてないと思うんだけど、名古屋のおじいちゃん、つまり母さんのお父さんがまさにそういうタイプだった。あなたが小さい時に遊びに来て、『よーし、おじいちゃんが怪獣だ、がおー』とか言って遊んでくれて、こんな面もあるのか!生まれて初めて見た!って母さん仰天したもんだけど、あなたもおじいちゃんみたいにクールな人になるのかもね。まあ、立派な人ではあったから、全然かまわないけど」
息子「ふーん」
独り暮らしのカノジョがいるのにさほど外泊が多くない、ってことは、カノジョもまた、自分の生活を大事にするタイプなのかもなぁ。
やはり、「Every Jack has his Jill」ということわざには深い意味があるんだろう。
現に私の父も、母と結婚してるわけだし。
大内くんなんか、私のアパート来ると帰らなかったからなぁ。
私、OLでお勤めあったのに、ずいぶん遅くまでつき合わされて翌日大変だったよ。
今の我々は、彼が稼ぐ日銭よりも、カノジョと結婚して孫の顔を見せてくれるかどうかの方が気にかかる。
毎日、「カノジョが息子に愛想をつかしませんように」とお祈りしてるよ。
まあ、それにしても、オトナなんだかコドモなんだかわかりませんね、今の大学生は。
まずは手紙の書き方を覚えろ!「御中」を正しく使え!
14年6月28日
大内くんといつもの「野方ホープ」(でも、野方じゃないの)にてラーメンを食べ、いつものロフトでお風呂に入れるオイルを買い、いつものブックオ
フで大内くんは古本を探し、そしていつものスタバでお茶を飲んで帰る。
なんか、デジャヴが起こるほど、毎週毎週おんなじことをしているもんだな、我々。
今回変わったこと言えば、秋のイタリア旅行に備えて大内くんように軽くエリのついた薄手のジャケットを買ったことぐらい。
ブレザーと言うより作業服に近いので心配になって、お店の人に、
「これで、ドレスコードつきのレストランとかもOKですか?」と聞いたら、
「ええ、まあ、スタンドカラーなんかにくらべるとフォーマルに近くなっておりますから」という答え。
どうもアヤシイ。
ホントはまずいのに売りつけられちゃったか?と疑いのまなざしで「紳士服の青木」をあとにした。
そう言えば、ロフトの2階で旅行用のトランクを見たなぁ。
うちの近所のコジマで売っている安物が1、2万なのに、さすがはロフト、サムソナイトなんて並べちゃって2万、3万の世界。もっとも、トランクは
買わないつもりなんだよね。
だって、もう一生海外旅行なんかしないかもしれないし、しまう場所もないし、レンタルですませられるなら、少々値段が高くついてもそっちの方がお得。
布団や毛布をぎゅうぎゅう詰めて押し入れにしまっておく、なんてことも考えたんだけど、ここは1つ、素直にレンタルを。
大内くんとは大きさでもめる。
私は自分の服とかあんまり持って行くタイプじゃないから、普通の「大きいの」1個ですむかと思ったんだよね。(それでも76リットルぐらい)
でも、大内くんは、
「何を持って行くことになるかわからない。おみやげだって買いたいし。『特大』の88リットルでさえ『5〜1週間分』が目安なんだよ。それに2人分の荷物を入れて、10日以上の旅をするんだよ!」って、珍しくミョーに論理的に説得にかかる。
「大型トランク振興会」から商品券をもらってそうな勢いだ。
ま、いいでしょ。大内くんが持ってくれるって言うし、1日中引きずり回すなんて旅程もないし、そもそも、最近の「コロコロ」は優秀だし、本体は軽い。「特大」でまいりましょう。
このように、イタリア行きの準備を少しずつ始めている。もう3カ月切っちゃったもんね。
最初に旅行社からパンフもらって、あーでもないこーでもないと言ってた頃からすると、すでに3カ月経過、ツアーを決めて申し込む以外の何もしていない。本当に行けるのだろうか。
ひざの具合は少しいいので、その点は期待が持てる。
そう、何より大事な準備は体重を減らすこと。
関節炎の治療のため、というのもあるが、なにせ憧れのピザの街ローマに3泊しようってんだから、食べまくりたい。
もちろんツアーについて来る料理もお国柄ボリュームがありそうで、食い倒れてくるつもりの我々は、「食べしろ」を5キロは用意して減らして行きたいってわけ。
調子のいい時の私は1年前の最大時に比べて10キロぐらい減量したし、ダイエットの巧者大内くんはすでに15キロぐらい減らしている。
さて、ここから2人とも、もう5キロ減らせたら、イタリアでどんなに飽食しても「日常体重」ということですませられるだろう。
ああ、行く前に息子に洗濯機の使い方と干し方だけは教えて行かなければ。
他の点では、カノジョを家に連れてきておままごとしてくれようが、サークルの仲間を10人ぐらい呼んでひと晩中エロ映画を見ようが、気にしないのだが、秋前のこととて(9月末から10月初め。日本では残暑が残るかどうか)洗濯は1回ぐらいしないわけにも行かないだろう。
もちろん、なくなりそうになるたびにTシャツやパンツを買ってくる、という方法もあり、問題は、息子がどっちをめんどくさいと思うか、だなぁ。
カノジョ、洗濯しに来てくれないかしらん。
後はまあ、ゴミの始末とか大まかなことを教えるぐらいかな。
お茶を飲んだ空のグラスを流しにすらおかないで冷蔵庫に戻している(うちでは、お茶の入ったグラスをそのまま冷蔵庫に2、3個入れており、すぐ飲める ようにしてあるのだ)ような人に、
「コンビニ弁当を買ったら、袋に入れて縛って、翌日出かける時にはゴミ捨て場に」なんて上級者編ができる気がしないなぁ。
とにかくイタリアです。
イタリア語の簡単な用語集も買いました。(「生ハムを100グラム買う」ことに関して少し自信のある私)
10日間ものヨーロッパ旅行なんて、本当にもうこれが最初で最後かもなので、何もかも楽しんで来ます。
たとえ私のひざがちぎれそうになっても!
14年6月29日
よしながふみが「あさりは1週間なら冷凍できる」と教えてくれたので、「冷凍あさり」を使った「スパゲッティ・ボンゴレ・ビアンコ」を作って休日のブランチ。
「お笑い関係の用事で出かけるから9時半に起こしてくれ」と言っていた息子にも声をかけたら、食事の用意ができる頃にはのっそりと起き出してき
て、シャワーを浴びていた。
めずらしく話が弾んで、特に「日経的」な話を好む彼は、大内くんが話す会社の仕事や新規採用の件をけっこう熱心に聞いていた。
あとは、「お笑いはもう下火だ」と言っていたが、今日もその「下火なお笑い」を人前でやるために出かけるらしい。
「こないだ、『東京03』の独占ライブを見た。すごく面白かった」と言っていた。
以前のように、「オレは絶対リーマン(サラリーマン)にはならない!」等とは言わなくなっただけ、彼もオトナになったのかもしれない。
それに、マンガの話にすごくノッてきた。
「浦沢がスゴイよね。ぞくっとする」と言ったら、大声で、
「そう、『Billy Bat』!あれ、スゴイ!手塚治虫を超えてる!」。
私「あの、鉛筆描きのタッチ、ディズニーも超えてるよね」
息子「うんうん。本当にスゴイ」と、話がバッチリ合った。
「20世紀少年」も「MONSTER」も「老後の楽しみ」にとってある大内くんは話に入れなくて少し寂しそうだったが、前の晩に私が「Billy Bat」を読んでいて、「ディズニータッチのマンガの下描き」という設定の部分を見せてあげていたので、ちょっとはついてこられたかな。
息子とこんなに話したのは久しぶりだが、あいかわらず突然、「じゃっ、オレ行くわ!」と立ち上がって、出かけてしまった。
夜、大内くんは息子の「高校柔道部オヤジの会」に呼んでもらえたので、嬉しそうに出かけて行った。
もっとも、まわりのオヤジたちはコドモがずっと柔道を続けているとか、自身、道場を開いているとか高校で顧問をやってるとか、とにかく柔道関係者ばかりなので、これまた話についていけないらしい。
それでも楽しいんだそうだ。よかったね。
雨だったので出かけなかったが、そうすると全然お金を使わないでいられるので、ありがたい。
いつも、街に出ると、ブランチ食べて、小物を買って、古本買って、スタバでお茶を飲んでしまうので、出費がバカにならないのだ。
家にいる分には、適当に作ったごはんを食べてテレビ見てごろごろして本を読んだりしてるだけ。出費は限りなくゼロに近い。
経済的生活。これはこれで心地良い。
14年6月30日
大内くんがボーナスをもらってきた。
勤労で得た貴重なお金だ。ありがとう。
少し昇給もしてたし、給与の額面が過去最高だったので、嬉しくなって、息子に見せに行った。
「父さんが、ボーナスもらってきたよ」と明細書を渡したら、
「え、なに、見てもいいの?」と言いながら開いてみて、「すげ〜!」。
さすがに学生の彼からは信じられないような数字が並んでいるのだ。
私は、小さい頃から、母親に父親の給料を聞いても教えてもらえなかった。
「あなたはコドモだから、そんなこと知らなくていいの。よその人にしゃべっちゃうかもしれないし」
実に、父親が退職し、71歳で死ぬ時になっても、彼の年収は知らなかったし、総資産も知らなかった。
1度も教えてもらったことがない。
もう、聞こうとも思っていなかったが。
私が結婚してのちの、父親からの数少ないメールの中に、母親の、彼の切手収集癖にお金がかかりすぎる、という不満に対する反論があって、
「サラリーマン経験のあるお2人(大内くんと私)にはよくわかるでしょうが、サラリーマン重役の自由になる金などたかがしれたものです」と父は語って
いた。
具体的にいくら、と聞いたわけではないが、生まれて初めてオトナ扱いしてもらったような気がして、私はちょっと泣いた。
なので、今回息子に、「見てもいいの?」と聞かれて「いいよ」と言えた時、私は、私の中の幼い私を大きく満足させてやることができた。
大内くんの、寛大な処置に感謝する。
今後、いつまでこのお給料がもらえるのかはまったくわからないし、大内くん本人からも、
「こんな時期はもう終わりだと思ってほしい」と言われているので、何の期待もしない。
だいたい、自分が働いてる時期だって、もらってる給料が安すぎるんじゃないか、なんて1度も思ったことがない。
会社があり、組織があり、その一員であることでやっともらえるお給料で、それを自分1人で稼ぎ出そうと思ったら日夜ぶっ通しで働いても追いつかな い、と思っていた。
だから大内くんにも、楽しく仕事をしてほしいとは思うが、たくさんお給料をもらって来てくれとか出世してくれと思ったことは、ない。
もちろん大内くん本人がそれを望むなら話は別だが、妻の私の欲望や虚栄心のために働いてもらっても、何にもならないよ。
楽しく、やりがいと誇りを持って働いて、その結果お給料がもらえるというのは本当にありがたいことだ。
息子も今度またバイトを1つ増やすつもりらしいが、責任感を持って働き、勤労の喜び、人の役に立つ喜びを知り、その結果のお給料を自分のために投資する、そんな気持ちで仕事をしてもらいたい。
最新「主婦の本懐」へ
「主婦の本懐」目次へ
「主婦の道」へ