11月からこのHP、及び日記のタイトルが変わります。
インスタントコピーライターの大内くんに考えてもらいました。
「年中休業うつらうつら日記」です。
(元「主婦の本懐」)
15年12月1日
朝、息子に、
「今日も遅いの?そうか。父さんも遅い日ばっかりで、誰もいない時間が長いよ」と言ってお皿を洗っていたら、しばらくして急に、
「さびしい?」と言われて驚いた。
「え?」
「いや、誰もいなくて」
「う、うん、やっぱり寂しいよ。もう慣れちゃったけど」
「そう」
こんな短い、私の文字数が圧倒的に多いような会話でも、彼と「話した」と思える機会はめったにない。
素直に、とても嬉しかった。
いったんは書斎に入って座ったものの、30秒後ぐらいに言い足りなかったことを思いつき、部屋のドアから首だけ出して、自室で出かける用意をしている息子に呼びかける。
「寂しいから、今日みたいにあなたと会話ができた日は嬉しい。ほんの5分でも、母さんと話してね」
「ああ」とつぶやいて、そのまま、出かけてしまったけど、彼としては破格のサービスの良さであろう。
その直前にも、
「あなたが小さい頃からずっと、大内のおばあちゃんたちに、『夫婦で話してばかりいるから、子供が話さなくなっちゃうのよ』って言われてたんだけど、無口なのはそのせい?」
「いや」
「あ、そう」
「親が話してても話してなくても、関係ない。もともとそういう性格」
というラリーが、短いなりにもあった。
やっぱり、「合同コントライブ」が終わって、気持ちがほどけてきてるんだなぁ。
今年の春ごろはもうちょっと話す機会があった気がするところが、ここ半年ぐらい、ぴりぴりして返事も返ってこないことが多くなり、「反抗期の再発?」と不安になってたんだが、単にライブのことで頭がいっぱいだったのかもしれない。
そういう変化を覚えていない「脳みそがスカスカ」な私は、自分の日記を読み返して初めて、「3月はけっこう話してくれたな」とか知るのだった。
というわけで、今日も、今日を全然覚えていられない未来の私に向けてこうしてメモを取っておこう。
「息子は、優しい時もある!」
15年12月3日
今日は大内くんの誕生日。
本人が超多忙で、「あさって、あなたの誕生日だよ」と言っても完全に忘れていたらしく、「あっ」とか言ってたし、毎日接待やら会議やらで夜遅くに帰ってくるので、ご馳走もケーキも入る余地がない。
朝、わずかに会った時間に、「お誕生日、おめでとう!」と言っておいたのでよかったが、夜、会って言えるかどうかは本当に不安定だ。
我が家はそういう忙しさに慣れてないのに、この1年近く、そんな生活。
息子にも前日のうちにラインを打っておく。
「明日は父さんの誕生日です。もし顔を合わせたら、おめでとうと言ってあげてください」
ここまで言っておかないと、彼は親の誕生日なんて絶対覚えてないし、覚えてても何か言うとは思えない。
誕生日の早朝、ちょっと話す時間があった時に聞いたのだが、早朝にトイレに起きた息子が、書斎で仕事している大内くんに、
「あ、誕生日、おめでとう」と言って去って行ったそうだ。
「覚えててくれるんだね」と嬉しそうだったが、私は他人のファンタジーを打ち砕くリアリスト。
(自分のケータイ見せて)「このようにメールしておいたからです」(きっぱり)
「そうか。そうだよね」と心なし肩を落として大内くん。
いや、だからさぁ、家族がみんなでご馳走とケーキを囲んでお祝いするような、そういう生活を目指そうよ。
(待てよ、この場合、先に説得しなければならないのは、息子か?)
もう、いつから忙しくって、いつまで忙しいままなのか、わからなくなってしまった。
「こうじゃなかった!」という思いだけが、砂漠に立つ太陽の塔みたいに場違いにがっちり立っている。
くやしいのは、11月に入って以来、休んでた、ゆっくりできた日もあったはず、ってとこだよね。
カレンダーを見れば確かに休んでいるし、よくよく日記を読み返せば、映画を観ただの散歩に行っただの、時間がなければできないことをちゃんとやってる。
問題なのは、それが私の記憶に残らず、日常に浸透していないこと!
お誕生日なのに、おめでたくなかった。
お誕生日は、年に1回しか来ないのに。
15年12月4日
先週、息子の「合同コントライブ」を観に行った。
三鷹駅から徒歩1分の小劇場で、親孝行だ。
コンテストなどで知り合ったいろんな大学のお笑いくんたちが3組集まって、2時間、自分たちだけのライブをやる。
去年の年末にやって、今回は「第二弾」だった。
とても面白かった、と言うと親バカだが、このライブのために彼にしてはむちゃくちゃ頑張っていたのをずっと横で見ていたので、うまくいってほっとしている。
息子たちのユニット以外は、留年してないので、春にはそれぞれの大学を卒業だろう。(息子は卒業できない。さめざめ)
「第三弾」はもうないんだろうなぁ。
去年は「時間」がテーマでしたが、今年は「仕事」だった。
卒業していくメンバーたちの気持ちから出たことかも、と想像している。
7人の中で、息子だけが「腹が出ている体型」なのを確認し、若いんだからシェイプアップしろよ、と思いながら、頼まれるままに夜食を作る親と、食べるなり寝てしまう息子との間に会話がないのが残念だ。(涙)
実のところ、面白かったと言うには、私は距離が近すぎる。心理的に。
脚本の、どのあたりを息子が書いたんだろうか。今の、いいセリフは彼が考えたのか?
あ、今、出てきた。課長の役か。声が通らないし滑舌が悪いから、何言ってるのかよくわからない。
消防士その1が寝ている枕は、息子のじゃないか。クッションも1個持ち出されて消防士その2の枕になってる!
そのラジカセ、うちのじゃん。何もかも、ちゃんと返ってくるんでしょうね?!
そんなことをいちいち感じていたら、楽しむのは難しいよね。
大内くんと私はそれぞれ友人を招待していたので、
「2人を、どう紹介し合えば適切か。終演後、別々に食事にでも行くつもりだが、4人一緒に行くべきだろうか。いやいや、初対面だし」と悩んでいたところに、我々に
黙って息子が招待していたらしい「大内のおじいちゃんとおばあちゃん」がいきなり登場してしまったので、現場は(ワタシ的には)大混乱だった。まったく想像の外だったからなぁ。
結局、大内くんと私はそれぞれの友達と別個に食事に行き、お義父さんたちもそのまま帰ったのだが、大内くんは、
「面白かったよ!去年よりいっそうブラッシュアップされていた。すごくよかったと思うよ」という意見。
大内くんの友人は、
「思っていたよりずっと面白かった。ただ、『くすり』と笑う場面ばかりなのにみんな爆笑してるのは、観客の沸点が低すぎ。演ってる人たちが勘違いしちゃうんじゃないかと、心配」という意見。
(まあ、箸が転んでも可笑しい年頃の女の子ばっかりだから)
私の友人は、すごくお笑いが好きで自分でライブをプロデュースしちゃうぐらいの人で、
「学生さんたちのレベルがこんなに高いとは思わなかった。すごく面白かった。プロモビデオも作っちゃうし、企画力がある。なにより、この集客力がスゴイ。カワイイ女の子がいっぱい観に来てる。お笑いは、モテる!」という意見。
お義父さんたちが何と言ったか、私にはわからない。
息子の舞台は、嬉しい。
この4年間で、いったいどれほどの舞台を踏んだだろう?いくつのコントを書いてきただろう?
実に立派なサークル活動だ。
(カノジョもそこでゲットできたのでよかった、というのは余分な話だろうが)
もう1年、彼はどう、お笑いと関わっていくのかな。
半年ほど前に、この「合同ライブ第二弾」をやる、と聞いた時から、それが終わるまでは彼に将来のことを聞かない、と大内くんと決めていた。
一生が変わるようなライブになる可能性があったし、もちろん学生だから授業第一なんだけど、それ以外のことでうるさくしたくなかった。
ネタ考えながら、準備を進めながら、練習をしながら、自分で考えないわけない、と思ってた。
「今年いっぱいで、進路を決める」と言っているので、大みそか、ないしは1月1日にちゃんと聞く、と大内くんが言う。
「お笑いに進むか普通に就活するかは五分五分だ」と見ているらしい。
私は、少なくとも舞台に立つ、芸人になる、そういうつもりはもうない、と言ってたような気がするが、もちろん記憶力ゼロに限りなく近い私より、 大内くんの方が絶対よく覚えてるだろう。
なので、五分五分のどっちに立つか、もうしばらくハラハラ見守るしかない。
そもそも、普通に就活したって結局ハラハラはするんだし。
数日たって落ち着いて、とにもかくにも、腰が痛い。お尻も痛い。
2時間、緊張して固い椅子に座ってたせいだと思う。
乱暴に言えば、「あー、ケツいてー」という状態。というか、全身の筋肉が痛い。
まったく笑ってないので、笑い過ぎで腹筋が痛い、ってなことは全然ない。
我が子の舞台は身体に悪い。それが私の最大の感想。
15年12月5日
今日は、吉祥寺で大内くんの会社関係の人と会う。
向こうも奥さんを連れてくるし、こちらも夫婦で、というお話を持ちかけてくれたのは、数年前、出向で来ていた、大手の事務所の弁護士、Aさんだ。
もちろん今でも大内くんは、仕事上たっぷりお世話になっている。
年齢は、私より20若い。
なんでお目にかかることになったのか不思議だが、我が家のHPや大内くんのFBを見て、夫のAさん同様に、いや、それ以上に熱心な愛読者である奥さんが、
「大内夫妻に会ってみたい」と強く希望してるらしい。
驚くのは、Aさんには3人もコドモがおり、なんと4人目が今、奥さんのおなかの中でスタンバイしてること。
コドモがたくさんいるのも、妊婦さんであることもとっても大変なのに、その二重の困難をさらに超え、数週間後には、新築した一戸建てへの引っ越しをする。
そんな中で時間を捻出し、シッターさんを頼んで、わざわざ我々の行きつけの店、吉祥寺の「クルン・サイアム」まで来てくれるんだって。
身軽なこちらから伺わなければならないのに。
申し訳なくて、冷や汗が出る。
予備知識によれば、ご夫婦ともマンガが大好きで、ダンナさんは自炊に興味があるらしい。
「自炊推進委員会」の我々としては、いろいろお話しして、自炊に目を向けていただき、
「引っ越しをするので、多くのマンガを処分した」というような悲劇を少しでも世の中から減らしていきたいところだ。
ただ、私は大内くんの会社関係の人と会うのは不安だ。
なにしろ、「年中無礼講の女」なので、自分でも何を言い出すかわからない。
しかも、ノンアルコール、素面での会食だからなぁ。
「酔っ払いの言うことですから」ととりなすわけにもいかない。
大内くんはいたって鷹揚に構えており、
「もちろん無礼講だよ。何を言ってもいいよ。僕も、職場で何でも言っちゃってるし」
なんて「ぶっちゃけた夫婦」なのだろう。
正直、恥ずかしいと思う。
余計なことを言わないように頭の中でシミュレーションをしながら開店5分前の軽い行列に並んでいたら、Aさん夫妻がやってきた。
奥さんは確かに身重。7カ月だそうだ。
自慢じゃないですが、私の「腹囲」は7カ月の妊婦と同じです。
バスの中で立ってたら、どう見ても60過ぎのおばさまから「どうぞ」と席を譲られたのは最近だ。
絶対、妊婦さんと間違えたんだと思う。
この白髪、このほうれい線を見よ!と言いたかったが、座りたかったのも事実なので、ありがたく座らせていただいた。
余談に走ってしまった。元に戻そう。
Aさんははつらつとした好男子で、奥さんは何と私の大学の後輩である。
Aさんが大内くんの後輩であることは聞いていたが、奥さんの方は、まったくのサプライズだった。
思わず、
「IDはいくつ?私は82だけど」と聞くと、奥さんは即座に「02です!」と答えた。
わが母校では、入学した時に「卒業する予定の西暦」を頭につけて、各人の学生IDを作っている。
「干支を聞くと、本当の歳がわかる」ように、「IDいくつ?」という問いにするっと答えた奥さんは、正真正銘、同窓生だ!
すぐにお店が開いたので入り口に向かうが、この店、かなり急な階段を下りて入るんだよね。
私はいつも「エクソシスト」のラストを思い浮かべてしまう。
なので、大内くんを先頭に、私が続き、Aさんがしんがりを務め、万が一奥さんが足を滑らせたら、Aさんは後ろから抱きとめ、我々は階段をしっかりブロックする、という布陣を組み、無事に下りられた。
店員さんに誘導されて、席に着く。
私の食べたいものはもう決まってるんだよね。例の如く、「パッ・タイ」。
大内くんも2回に1回は食べる「トムヤム・ヌードル」。
Aさんご夫妻もじっくりメニューを見て注文を決める。
そこから先は、記憶がない。
お店の活気とモノを食べている嬉しさ、それに、話が弾み過ぎて、大興奮状態になってしまったのだ。
気がついたらお店を出て、喫茶店「John Henry's Study」に向かっていた。
お茶を飲みながら、だと、少し落ち着ける。
呼吸を整えて、えーと、何を話してたんだっけ?
マンガの話をものすごくした。
マンガクラブの友達の奥さんとか、私の高校時代の友達とか、「マンガクラブにいたわけじゃない」カタギの人と会う機会があるけど、時々、ものすごいディープな人がいる。
1人で読んできたため、友達と語り合うことなく、ひたすら自分の中で純粋なマンガへの愛をはぐくんできた人々だ。
我々はそういう人たちを、「組織されてない、濃い人たち」と呼んでいる。
「マンガクラブの人にはかないません」「さすがマンガクラブですね!」と言うミセス・A、あなたの方がよっぽどものすごく読んでるよ。
一点だけ、はらわたがちぎれるほど残念だ、と思うのは、彼らが「引っ越すために大量のマンガをブックオフに持って行った」ということ。
「寄生獣」も「日出処の天子」も、いつか読みたいと思っても、もう手に入らないかもしれない。
せめて我々のところに持って来てくれたら、その日のために電子化しておけたんだが。
そもそも私が読んだことないモノもたくさんあったと思う。読みたかった・・・
それにしても、4人目のコドモをおなかに入れてるのに、ほとんどお産の話をしなかったし、私のように何かというと「うちの子がああ言った、こう言った」とも言わない。
私は、相手が独身だろうがコドモがいなかろうが、自分のコドモの話に終始してしまうので、あらためて反省する。
ダンナさんのAさんも、仕事の話は全然しない。
自制心が強い、というか、安定した人柄の人たちだなぁ、と感心した。
トータルで3時間ぐらいおしゃべりしていただろうか。
シッターさんの刻限もあろうし、お疲れが残ってもいけない、そろそろ散会にしよう、と大内くんが言い、これまたはらわたがちぎれそうな気持を押さえて、お別れだ。
iPad持って来なかったのは、大失敗だったなぁ。どう読めるか、お手にとってご覧いただけたのに。
けっこうその道に入りたいらしいAさんと、「やはりマンガは紙で」というスタンスのミセス・Aの両方に、誠実に事実を伝えたつもり。
一瞬で1万冊のデータを消してしまったことがあるとか(バックアップを6つぐらい取ってるから大丈夫なのだが、その瞬間は頭の中が真っ白になった)、
裁断機は危なくて、小さい子がいるお家には向かないとか、スペースを気にせずにいくらでもを買えるし、持っていられて、将来、スペースの少ない老人ホームに入る時で
も、パソコンとHDだけ持って行けばよくて、マンガとお別れしなくてもすむ、とか。
メリットも、デメリットも。
時間と体力を無視できるならば、その場でAさん夫妻をタクシーに押し込み、我が家に拉致し、「大内家自炊工房」を見てもらいたかった。
あんなにマンガが好きなミセス・Aを、もう二度とマンガを処分するような目に合わせたくない。
今度、一戸建てに引っ越すそうなので、きっと収納スペースは倍増し、当分は好きなだけ買えるかもしれない。
でも、空間は有限で、「紙のマンガ」は物質だ。
マンガが好きであればあるほど、沢山買いたくなってしまうし、いつか本棚からあふれてくる。
その心配をまったくしないで「全巻ドットコム」で30巻、50巻のオトナ買いをどんどんどーんとできる、それは他のマイナス面を補って余りある選択だ、と我々は思う。
用意してあったお祝いのベビー服を贈り、お返しにフルーツケーキをいただき、興奮の今日は終わった。
「私、あんなんでよかった?しゃべりすぎじゃなかった?」と帰りのバスの中で聞いたら、
「もちろんよかったよ。いつものようにしゃべってくれて、僕は嬉しかったなぁ。Aさんたちも、キミのHP見て会いたいって思ったぐらいだから、性格は把握してるよ」と、ほめてるのかけなしてるのかわからないことを言う大内くんだ。
夜、お礼のメールを打ったら返事が来た。
嬉しいことに、ミセス・Aは、すぐにもまた会いたいと言ってくれた。
お産が終わるまでは無理だろう、引っ越しの片づけもあるし、会えるのはずいぶん先になるだろうなぁ、と思っていたのに、引っ越しがすんで赤ちゃんが生まれるまでのわずかな隙を見て、1月中に会いましょう!という前向きな提案だ。
とても、2月に産んじゃう人とは思えない。
ウェルカムです、ミセス・A。
新居も見たいし、我が家の自炊工房も見せたいし。
それまで、メル友しましょう!
最近、アクティブな人との出会いが多い。
私が、少しは引きこもりが治って、エネルギーの強い人との出会いに導かれているのだろうか?
そうなら嬉しいんだけど。
と言いつつ、ウィークディは一歩も外に出ない日々が続く。
いきなり津雲むつみが読みたくなっても、電子の本棚に入っているのは、本当に幸せだ。
さて、「自炊を薦める人」は、新しい生活スタイルを提案する救世主なのか、本を蹂躙し、一瞬で消えてしまう形のない物に変えさせ、破滅へ導く悪魔の手先なのか?
「それは歴史が審査する」とつボイノリオなら言うだろう。
15年12月6日
息子のケータイから家に電話がかかってきた。めずらしい。
たいがい、何かトラブルがあった時とか急ぎの頼みごととか、ろくなことじゃないんだよね。
今回は、「『M−1』録画してる?!」という用件だった。
さあ、頼まれてないし、最近、テレビの録画ってあんまりしてないからなぁ。
週に1度、まとめてその週の番組で面白そうなものを予約録画してるけど、「M−1」は自信ないよ。
大内くんが、
「急ぐの?今、やってるの?母さんが調べてるから」と言ってる間にテレビとビデオをつけると、予約表を見てみるまでもなく、まさに録画してる。
「してるって」と言うと、「今、吉祥寺。これから帰って、見る」とのことらしい。
ちょうどカキフライを揚げようとしてたところだ、晩ごはんに間に合うね。
息子が、作りたての夕食を食べられるなんて、珍しい。
いつも夜中にしか帰ってこないから。
(もっとも、親を起こして無理やり夜食を作らせるので、「作りたての夜食」はしょっちゅう食べてる)
どかどかと音を立てて帰ってきたと思ったら、挨拶もせずテレビの前に座り込み、ビデオをつけて、録画中の「M−1」を観始めた。
と、すぐにシャワーを浴びに行ってしまう。
再生録画が動いたまま。
「何考えてるのかね。始まっちゃってるのに。どんどん進んじゃうよ」と大内くんが言って、一時停止のボタンを押して、ため息をつく。
「映画とか観てても、ラストシーンでトイレ行っちゃったりするしね。もちろん、止めないで、だよ。もう、僕にもあの人のことはわからんよ」
うん、私もまったくわからない。
タオルでふきふき全裸でまたテレビの前に座り込むので、「止めといたよ」と言ったら、
「ちょうどいいとこになると思ったのに」とぶつぶつ言いながら、MC紹介、演者紹介、審査員紹介などは全部とばしてる。
「ザ・漫才」の部分と得点だけ見てて、審査員があれこれ論評するのとか、まったく聞かない。
カキフライの夕食を出したら、お盆ごとテレビの前に行って食べ始めたので、我々は食卓で、テレビの方を時々見ながらの晩ごはん。
あー、カキフライ、おいしー!カキが、大粒!
「今日のカキは、すごくいいカキだった。お買い得だね。キミが作ったタルタルソースも、今日は格別の出来だね」
「レモン汁をたくさん入れたのが良かったのかな。あと、少し塩味を強くしてみたし」
「とってもおいしいよ!」と話しながら息子の方を見ると、バクバク食べながらも視線を画面から動かさず、時折手元のリモコンで「30秒飛ばし」を
押している。
「徹底的に、漫才しか見てないね」
「すがすがしいほど、勝手な見方だね」と言っても、聞こえているのかいないのか。
彼がお盆と食器を返しに来て、我々も食べ終わったので、片づけをして、書斎で自炊。
今日はのんびりテレビの録画を見よう、「洞窟おじさん」まだ見てない、とか言ってたんだけど、リビングは殺気立った息子に占拠されている。
こういう時は、書斎が一番落ち着くよ。
それぞれの、とりあえず平和な夜だ。
15年12月7日
若い頃に買ったりもらったりした指輪が、小さくなった。(指輪が小さくなるんじゃない。指が太くなるだけ・・・)
しまいこんでおくのももったいないから、吉祥寺の「金、宝石買い取り」のお店でサイズ直しもしてくれるというので、3つお願いした。
他の人からもらった指輪が2つ3つあり、過去の勲章ではあるものの、もう売っちゃえと思ったところ、
「サイズを大きくすると伸びてもろくなるので、その分、金を足さないといけないんです」と店長さんが言うのに従い、いらない指輪から取れる金を足しての直しをお願いした。
直しは1個3千円なので、消費税込みで9720円ね。
原料費がかからないのはまことにありがたい。
しかし、大内くんからもらった指輪に、他の人の指輪が混ざるのか。
遺伝子組み換えみたいだな。
元カレにもらったものは全部捨てろ、と言う人も多いと聞いているので、大内くんに「いいのか?」と聞いたら、
「全然OK。全部、キミの人生」と寛大。良い夫だ。
今回、出来上がりを見たら、ひさびさに磨きをかけてもらった指輪は、どれもキラキラしてた。
あいかわらずの「やせる決意」を前提に、今はめている結婚指輪より少しきつめにお願いしたので、何とか入るが、もし何かあって指がむくん だりしたらヤバい、というサイズ。
ダイヤモンド・・・結婚の約束をした時に買ってもらいました。お給料の3か月分がデフォルトらしいんだが、3万円・・・大内くん、当時、月収1万円だった?
学生だったから、無給か?!
ルビー・・・OLとして働いて、銭湯通いの1人暮らしをしてた頃、「自分へのプレゼント」として買った宝石。もちろん、安物。2万円程度だったかな。
サファイア・・・結婚後、大内くんが買ってくれた。アルフィーに「サファイアの瞳」という良い歌があることとは、何の関係もありません。2人とも 「ごきげんな王蟲」を思わせる深い青のカボション・カット3連発が気に入って、衝動買い。過去から現在に至るまで、私がもらった指輪のどれよりも高価な、5万円。
コドモが生まれてからかな、20年以上、ほとんど見ることもなくしまってあり、まして指にはめてお出かけ、なんてすっかり忘れていた。
つけて行く場所もないしなぁ。
でも、せっかく縁があって私のものになった指輪たちだから、時々眺めて、お出かけの時にははめるようにしよう。
そうそう、ついでにまたいらないアクセサリ持ってったら、売れた。
前回、2万7千円も稼いでしまったので、捨てるつもりだった残りの中から、「とにかく金色をしているモノ」をあさってきたのだ。
今度こそもうガラクタしかないと思っていたのに、なんと2万8千円にもなった。
「家にあるモノを勝手に捨てにくくなった」と大内くんはこぼしているが、家計が潤って、幸せでないわけがない。
店長さんもニコニコして、
「指輪のサイズ直し代、かる〜く出ちゃいましたね」と言う。
はい、どうもお世話になりました!
翌日から、大内くんが買ってくれた婚約指輪のダイヤだけ、常時はめていることにした。
「太るの禁止!」の旗印でもあるし、ファッションリングとして右手薬指にはめていると少しオシャレだし、エンゲージリングをいつも身につけてるのって
ロマンチック。
向かい合ってごはんを食べながら大内くんに、
「私、何か変わったとこ、ない?」と聞いたら、顔やパジャマをまじまじと見つめ、首をめぐらせて後ろの方まで見ようとするので、
「正面からでわかるよ」と言ったら、お箸を持っている手にやっと気づいた。
「指輪だね!それ、つけててくれるんだ!」
「ずっとしててもいい?」
「もちろんいいよ。綺麗だね。直しに行って、良かったね」と嬉しそうだ。
私も嬉しいが、結局5万5千円にもなった臨時ボーナスが嬉しい。
来年の2月に北海道に行こうと計画してるから、その時になにか記念になるようなものでも買おうかな。
それとも、ぱあっと飲み食いしちゃおうか。
たった今はもう、財布で他の現金と混ざっちゃってるけど、取り出して封筒に入れておこう。
「たいそうお得なお片づけ」に終わり、何だか民話のようだ。
皆さんも、家に何が眠っているか、わかりませんよ。
うかつにものを捨てないようにね!
15年12月9日
ものすごく、忘れっぽい。
まわりでも、
「人の名前とかが全然出てこない」
「何かをしようと思って立ち上がるのはいいが、なぜ立ち上ったのかが、思い出せない」
といった声が次々と上がるので、まあ普通の老化現象なんだろうが、私の場合、大内くんによれば、
「睡眠薬が多すぎて、眠っている間に記憶の書き込みが行われていない可能性が高い」のだそうだ。
彼が信じる説によれば、人は眠っている間に、「昼間の経験を記憶野に書き込んで、自由に取り出せる場所にしまっておく」作業をしているらしく、その作業を、薬が邪魔して台無しにしていると思うんだって。
うーん、もっともな説明だとは思うし、ここ20年ぐらいずっとそうで、ただの老化現象にしてはあまりにも早くから無茶苦茶に物覚えが悪くなっているので、何か特別な理由があるんだと思うんだよね。
「若年性アルツハイマー?」と、疑った時期もあるが、結果として違うような気がする。
やはり薬のせいか。
同じように睡眠障害を抱える友人からは、
「起きなきゃいけない時間が決まってるわけじゃないなら、眠くなるまで起きている方が、身体には良い」と言われた。
今の生活、息子が1人で起きられない日が多いことさえ無視できれば、いや、その時間に起きている努力だけすれば、私がいつ眠り、いつ起きていても
生活全般にさほどの影響はない。
大内くんは、
「睡眠薬の飲み過ぎで起きててもぼーっとしてるぐらいなら、僕が帰ってきた時に寝ている方がずーっとマシ。起こして遊べばいいんだから」と言う。
一考の余地があるかも。
昔は、記憶力は普通にあった。言語的なことに関してはむしろ人より良かったと思う。
(映像的な記憶力は昔から全然ない)
みんなでしゃべっていて、
「あれ?なんでこんな話になったんだっけ?」というお決まりの疑問が立ち上がった時、瞬時に30分ぐらい前まで会話を遡れたのは私だけだった。
議論をしていても、相手の言ったことを一言一句間違えずにリピートして反論するのが得意だった。
ああ、こう書いていると、昔日を思い返してまことに悲しく、口惜しい。
今は、数秒前しゃべってたことが、思い出せないもんなぁ。
世の中に、「アルジャーノン現象」ぐらい切ないものはない。
しかたがないので、書く。
幸い、電子ツールは豊富になった。
書いて書いて書きまくり、読み返しては自分で自分の昨日や先週や1年前に、びっくりする。
育児日記なんか、書いてなかったら自分がコドモを産んだことまで忘れてしまいそうだ。
「掟上今日子の備忘録」をちゃんと読んだら、その対処法が載ってるのだろうか?
15年12月11日
息子からコント作成の依頼を受けた。
なんでそんなことになったかというと、彼がいろんな大学のお笑いメンバーたちと一緒に立ち上げた、定期ライブが原因だ。
10組の決まったメンバーで行うそのライブは、「月に1回、必ず新ネタ」というけっこう厳しいシバリ。
ステージ終了後、50人ほどのお客さんによる採点表を回収、舞台裏で大急ぎで集計し、その場で順位を発表する。
1位のユニットは、次のライブの香盤を決め、MCをやり、今回ビリだったユニットに罰ゲームをさせる、まあ、王様だ。
第7回になる先月のライブで、息子のユニットが最下位だったため、1位の人が決めた罰ゲームが、
「大内の親の書いたコントをやる」
というものだったわけ。
最初にツィッターで見た時は、「大内の親『を』書いたコント」をやるのかと読み間違えてビビっていたので、息子から「コント書いて」と命じられた時はむしろほっとしたよ。
罰ゲームは、全員が出てきてるステージ上であーだこーだ言って、最終的にはトップが決める。
息子たちがトップを取った回がこれまで1回だけあったので、翌月観に行ったら、ヘタクソなMCをやりながら、ビリだったユニットに課した罰ゲーム、「マンガを描いてくること」の結果である4コマ漫画を配っていた。
それにしても、どうして「親にコントを書かせる」なんて考えついたんだろう、前回のトップチームは。
息子に、
「誰が考えたの?」と聞いたら、「ヤス」と短い答え。
東大から早稲田と明治のサークルに入ってる、マメだが変わり種のあの子か。
「大内の親、って、有名?」
と聞くと、「うん」とうなずく。
そうだよなぁ。機会あるごとに観に行ってて、平均年齢20歳が50人という小さな会場では、最悪に目立つ。
「『大内の両親は、いつも来てる』ってことで、コント書く羽目になったの?」
「そう」
「親が目立ってて、恥ずかしい思いをしてる?」
「うんっ!」
真実が伝わってくる、力強い返事だった。そうか、いつもそんなに恥ずかしかったか。
だが、とにかくコントを1本、書かなくてはならない。
依頼は大内くんに来たのだが、
「母さんには頼まないの?」と聞いたら、「どっちが書いてもいい」とのことなので、今、大内くんと頭をつきあわせて考えている。
いざやってみると、難しい!
「息子は、こんな難しいものを何十本も書いて、持ちネタにしてるのか!」と大内くんは嘆息し、私も、
「実は才能あるんじゃないの?1本書くのも不可能っぽいよ」と頭を抱えている。
いつも不機嫌そうな顔をして寝転がってて、「何してるの?」と聞くと、「ネタ、考えてる」と眉間にしわを寄せているのも無理はない。
息子の思わぬクリエイティビティを知り、安心すると同時に、親として、バカにされたくないという一心で、頑張ってるんだが・・・うーん、書けな
い。
ただ、息子が肩身の狭い思いをしているんだとしたら、「大内の両親合作のコント」を実演する日には、絶対観に行くのはやめよう。
我々の姿を見たら、発案者でありMCを務める権利を持った前回トップの片割れ、「ヤスくん」にどれだけ「いじられる」か、わかったもんじゃない。
彼は悪魔のように頭が切れるので、我々が好奇心ではちきれそうになって現れる、というところまで読んでいるので はないだろうか。
学生の皆さんも、人を「いじる」のが大好きだからなぁ。
とりあえず私が導入部だけでっち上げ、オチを考えてくれと大内くんに放り投げたまま。
「ライブ当日までに書ければいい」と、演者さんは言う。
リテイクが出ることはなさそうで助かるが、やる気もなさそうだな。
相方との稽古も打ち合わせも必要だろうに。
本当に我々の台本通りやってくれるか、当日、確認しに行きたくなるじゃないか。
それが「発案者ヤスくんのワナだ。うっかり行ったりしたら、ヤスくんたちMCに舞台に引きずり出され、僕らも息子も大恥をかく。それこそがヤスくんの狙いなんだ!」と、大内くんは被害妄想気味。
慣れないコント書きなんかするからだよ。
いやいや、毎週のように新ネタを考えつく息子に、脱帽です。
15年12月12日
昨日は朝から雨が降っていた。
大学に行こうとしている息子に、「雨、降ってるよ」と言うと、玄関で傘を物色し始めた。
そう言えば、こないだ私の傘を勝手に使っていたなぁ。
「母さんの傘、持って行かないでよ」
「え、なんで?今日も、出かけないんでしょ?」
「その傘はね、母さんが選んで選んでやっと決めて、大好きだと思ったものを、父さんが買ってくれたの。値段も高いし、大事にしてるんだから。忘れてきたりされたら、困るの」
「他の傘は全部壊れてる」
「あなたが壊したんでしょ。ビニール傘でも買いなさい」
「絶対、持って帰るから。忘れて来たりしないから」
「うー・・・ん」
「大丈夫だから。ねっ?」と、うまうまと持って行かれてしまった。
夜、帰ってきて、私が本を読んでる寝室にやってきた。
「おかえり。傘、持って帰ってくれた?」
「うん、持っては帰った」
「何?」
「ごめん。壊した・・・」
はあ?何をどうやって壊したのか。
玄関にすっ飛んで行くと、ぐにゃりと骨が曲がり、そこここの生地が骨から外れた無残な姿。
「いったい、どうしたらこんなになるの?!」
「ずっと持ってはいたんだよ。帰り、雨がやんでたから自転車のハンドルに傘をかけてたら、車輪に巻き込まれて・・・ごめんね。本当に悪かった」
「あなた、怪我しなかったの?」
「うん」
「自転車も壊れたんじゃないの?
「うん、ちょっと・・・」
「だから貸すのイヤだったのに・・・もう、使えないよ。母さんが選んで父さんが買ってくれた大事な傘なのに・・・」
「ごめんね。申し訳ない」
「・・・今度、自分の傘、買ってきなさい」
「はーい・・・本当にごめんね」
買って、ほんの半年もたっていない。使ったことも2度しかない。
人生で1回しか傘を失くしたことがない私の、最後の傘になると思ってた。
色も形 も、大好きだった。
握る柄がちょっとふくらんだ形をしているのが可愛いと思った。
それがこんな無残な姿で・・・
しばらくしたら、大内くんが帰ってきた。
靴箱にかけてあったの傘の残骸を見て、「なにこれっ!」と叫ぶ。
彼が靴を脱ぐより早く私が駆け寄ると、「大丈夫?事故にでもあった?」
「ううん、息子がね・・・」
玄関先で手短にわけを話したら大内くんはずかずかと彼の寝ているソファに突進した。
「どういうこと!」
「・・・ごめんなさい」
「もう謝ったから。ごめんね、って何度も言ってたから」と私がとりなしても、大内くんの怒りは収まらない。
「母さんの大事な傘なんだよ。父さんは、何がイヤって、他の人が大事にしてるものを大事に出来ない人が大っキライなんだよ!」
「同じの、買って返す・・・」
「そういう問題じゃないでしょう!母さんが持って行かないで、って言った時、なんで持ってったの!」
「悪かったと思うよ」
まだ怒ってる大内くんを書斎へ引っ張って行き、
「あのぐらい言えばもう充分だよ。本人、もう、反省してるから」と言うと、怒りの残った顔で、
「明日、傘買ってあげるから、吉祥寺へ行こう。また、もっと好きな傘を買えばいいよ」。
そうねぇ、息子ももう、持ち出したりしないだろうから、こないだ高くて買えないと思ったやつを買おうかな、でも、梅雨時だったから傘が豊富にあったけど、この季節は、どうだろう?
しばらくたって、ゲームをしている息子の横を通ったら、小さな声で、「本当にごめんね・・・」とつぶやく。いや、こんなに反省して素直に謝ってくれる姿は、10年ぶりに見たよ。傘も殉職のし甲斐があったろう。
こないだ吉祥寺のアクセサリショップで現金収入があったから、あれでもっと高い、いい傘を買おうかな。
息子にも、1本買ってあげよう。
悲しい傘のお話でした。
15年12月13日
さっそく吉祥寺に散歩で行き、タイ料理を食べた後、ロフトで傘を買ってきた。
壊れたやつと同じ型の色違いがあったので、息子のと私の、2本買った。
家を出る時から雨でも折り 畳み傘を愛用している大内くんは、苦い顔をして、「彼に新しい高い傘なんてもったいない。コンビニのビニール傘で充分だ。どうせすぐ忘れてくるよ」と文句を言い続ける。
「彼は、『忘れない』と言った約束は守ってるよ。同じ失敗はしない人だから、自転車のハンドルにひっかけて壊す、ってことも、もうないと思うよ」と、押し切ったが、大変だった。
ただ、悲しいことに、前は6月に買いに行ったのでフロア全体が傘売場、という天国だったのに、今は季節はずれなのだろう、すみっこにほんの少し並んでいるだけで、新たな選択の喜びはほとんどなかった。(涙)
また、来年6月に行ってみよう。
その頃には壊してるかもしれないし。
壊すと言えば、なんでも壊す息子のノートパソコン、大学の入学祝いに買ってあげたやつ、画面の部分が壊れてる。
本人は覚えがないと言っているが、画面半分ほどの液晶が壊れていて、文字が見えないのだ。
「これじゃ、レポートも書けないじゃない。修理に持って行ってあげるよ」「ありがとー」ということで、ヨドバシに行った。
購入時に5年の長期保証をつけているので、4年弱しかたっていない今、安く修理ができるかと思ったら、モニタ部分は保証の対象外なんだって。
「お見積りいたしますが、5、6万かかってしまうかもしれません。お時間も、ひと月ほどいただきます」と言われた大内くんは、とりあえず修理に預けてはきたものの、
「新しいのを買った方がよっぽど安いよ。1カ月もかかってたら試験期間に入っちゃうから、レポート書けないじゃない。今日、買って帰ろう」と、非常につんのめっていた。
実際、ノートパソコンの売り場に行ってみると、10万20万と正札がついている中で、4万円弱のものもある。
壊れたやつと同じ「ASUS」がオフィスとかウィルスソフトとか入れても4万8千円ぐらいだったので、それを買うことにした。
持って帰って設定をいろいろしてあげて食卓に置いといたら、帰ってきた息子が喜んでいた。
「悪いね。ありがとう」
彼は、これをプレゼントされた気持ちなのかな?
いつものように、彼の「借金」にカウントされるとは思ってないのかな?
まあ、買ってあげたつもりだけどね。
その新しいノートパソコンで、猛烈な勢いでコントのネタを書いている。
前のを修理に出す時にパスワード教えてもらったので、データ保管をする際、ネタが沢山入っているのを知ってしまった。
もちろん読んでないし、息子も新しいパソコンでパスワード変えてるようだし、家庭内での個人情報はまあまあ守られている。
これでレポート書いて、取っている授業全部の単位を取る「フル単」を成し遂げてくれ。
キミは、あと10単位ぐらい落とすと、さらにもう1年留年することになるよ。
「単位、よろしく頼むね。もう留年はいやだよ」と言ったら、
「うん、わかってる。頑張る」という返事は返ってくる。
だが、どのくらい真面目に頑張っているかはよくわからない。
寝過ごして欠席してる授業も多いようだし、家で、勉強の「べの字」でもないし。
思えば私もよくぞ4年で卒業できたなぁ。
3年も留年した大内くんに至っては、何も言う権利がないと思うよ。
「キミのDNAに期待する」って言われたって、留年はDNAで決まるもんじゃないよ。きっと、環境だよ。
15年12月15日
ここ数年、更年期障害で悩んでいる。
なにせ、友達とランチを一緒に食べたりした時に、上半身に(特に顔)だらだらと汗をかいてしまう。
友人から教えてもらったりネットで調べたりしたら、「これは更年期障害!」と思った。
汗をやたらにかいたり、手先・足先が異常に冷たくなったりする。
「肩こり」や「うつ状態になる」「落ち込む」「不安になる」というのは昔からずっとだったので今さらであるが、まあ、はっきりしてる症状だけでも抑えよう。
とりあえず、近所の「レディース・クリニック」に行ってみた。
すごく評判はいいんだが、「混んでる」のだそうだ。なので、
「ホルモン療法とかしても、あんまり変わらない。あんなに混雑した病院に長いこといたら、風邪ひくわよ!」とまさに今、更年期障害中のママ友たちが言っていた。
「自然に治るものだから、ほっといても大丈夫!」
本当かなぁ。
まあ、対症療法で行こう。
足先が冷えて眠れないのは去年の冬からだ。
昔は、手足がいつも温かく火照っていて、真冬でもサンダルで歩いていたのに。
しょうがないので、ペットボトルに60度強のお湯を入れて、足先を温めていたけど、しょせんただのペットボトルだ。
朝までにはお湯が冷たくなってる。なのに「低温やけど」までしてしまって、踏んだり蹴ったり。
「どんだけ安くても、いい。今年は絶対『あんか』を買うぞ!」と、アマゾンで調べたら、1300円ぐらいのものがあったので、購入。
届いて、さっそくその晩から「あんか」愛用だ。
足先が直接触れると低温やけどの原因になるので、布団の足元に小さな「洞穴」を作って、その中で足先をあっためる感じ。
とても温かい。
こんなに寒くなっても上半身は汗ばむことがあるので、例年より薄い羽根布団を掛けているが、足先が温かいだけで、とても助かる。
ただ、この「あんか」、非常に野蛮な造りで、強、中、弱のダイヤルはあるが、スイッチというものがない。
切っておきたい時は、コンセントを抜くしかないのだ。
それが面倒で、就寝時に「弱」にしたまま、1日中つけっぱなし。
もちろん日中寝ていることもあるので、24時間、布団の中がぽかぽかしてるのはありがたいけど、何かの拍子に発火したらどうしよう。
「あんか」というものが非常に有効なのはよくわかったので、もう少し高くても、性能のいいもの、せめてスイッチがついてるやつにしたい。
昼間、寝そべって足先を温めながら長編マンガをどかどかと読む。
ものすごく、幸せ。「温める」って、大事なことだ。
15年12月16日
週末、息子が大内くんに、
「お笑いライブで得票数がビリだったため、罰ゲームとして、『大内の親が書いたコントをやってもらう』という指令を受けた。
水曜までにコント1本、書いて」と言ったきり、全然忘れたような顔をしている。
私が「父さんに頼むの?母さんは関係ない?」と聞いたら、「どっちが書いてもいい」と いう返事だったので、「とりあえず頼まれたのは大内くんだから」と、この苦手なジャンルを何とか回避しようとしていた。
(だって、私って大真面目すぎて、人を笑わせる要素がないんだもん)
しかし、何もしないと言うのも 母親として何なので、苦手なところを頭を絞り、何とかシチュエーションだけは作り上げる。
大内くんがオチをつけて無理やりまとめてくれた。
しかし、そのコントはボツ。厳しい。
さらに「漫才を書け」と言われて、今度は大内くんが1人で書いて、「面白くないけど、しょうがないね」と、受 け取るだけは受け取ってもらった。
そして、月曜の夕方、北九州へ出張中の大内くんのケータイに、ラインが。
「今日明日って忙しい?」
「ご用はなあに?」
「軽くコントをもう1本は書けない?学生って設定で」
「漫才ほボツ?」(原文ママ。少々の焦りが見られる)
「いや、もう1本見てみたいだけ。無理なら大丈夫」
「作ったらやってくれるの?」
「ん」
「今晩は九州に泊まるけど、夜トライしてみる」
「申し訳ないねぇ。お疲れ様」
「その代わりといってはなんだけど、ビデオとって見せてくれないかなあ」
「映像は残るから、見る分にはいいよ」
こうして、大内くんは見返りを要求しつつ、仕事を受けてしまったようだ。
ちょうど息子が返ってきた頃の出来事で、なんで私にひと言も言わないか
な、彼は。でかい態度でカレー食べて、裏で、働くお父さんに圧力かけてるなんて!
ホテルで、半ば徹夜でもう1本コントを書いてた大内くんは、あまりに書けないそうなので、私の勧めで途中で息子に電話して、アイディアだけでも貰おうとしたが、電話に出ないらしい。
私が、「どういうつもりなのか、聞いてくる!」と彼の部屋に行き、「なんで、父さんの相談に乗ってあげない の?」と聞くと、答えはこうだった。
「話したら、意味がなくなる。相談に乗りたくなかったから、電話に出なかった。これまでと同じになる。オレが考えたのと同じになる。それじゃ意味がない。こういう面白さがあるのか!と驚きたい。仕事しながらやってくれて、すごくありがたくて、感謝はしているが、本当に面白いものが見たい」
息子にしちゃ長いセリフだな。そんなこと考えてるのか。
興味深いが、人間、本当に興味が持てるのは眠くない時だけだ。彼以外の誰もが、眠かっ た。
それが月曜深夜。火曜日に帰りが遅かったのは、相方と「ネタ合わせ(稽古)」してきたせいか。
お笑いがこんなにはた迷惑なものだとは思わなかっ た。
2日間に3本の台本を書いた大内くんは、「漫才が一番難しい・・・」と嘆息していた。
そんなこと、わかるようになりたくない、と私は思った。
で、今夜、本番です。
「絶対見に来るな!」とクギを刺されたし、そもそも大内くん忘年会だし、私は1人では出かけたくないし。
録画映像を見せてくれる約束なので、それを楽しみにしよう。
15年12月18日
昨夜、接待で遅かった大内くんがお花をもらって帰ってきた。「仕事を一緒にした方々へのお礼の会で、『奥様にご苦労をおかけしたでしょうから』って、花束をもらった。僕は、接待する側だったんだけど・・・」とのこと。
「花は、食べられないからなぁ」と言いながら、とりあえず花瓶に突っ込んでみる。キレイ。
帰る時、会社やお店を出たらラインで連絡してくれて、私が起きていれば電話をかけ返し、駅まで歩く道のりを話しながら、というのがうちのデフォルトだが、昨日は10時過ぎても何も言ってこないので、
「接待が、長引いているんだなぁ。これだと、家に帰りつくのは12時過ぎるかもなぁ」と悲しく思っていたら、10時半頃、玄関のドアを開ける音が。
「これは、息子だ。『腹へった。なんか食わせろ』って言われると面倒だから、寝たふりしてよう」と、読んでいたiPadを消して、布団をかけ直すと、調子っぱずれな声で、「ただいま〜!」と大内くんの声。
「えっ、連絡なしに帰って来たの?」と飛び起きたら、ニコニコして、
「ラインに気がつかなかった?寝てるんだと思って、電話はしなかったんだよ」と、酔っ払った状態。
「ライン、もらってないよ」と言うと、
「そんなことないよ。ちゃんと、『帰る』って送ったよ。(ケータイを取り出して)あっ、間違えた!息子に送ってた!」とふらついている。
「でも、そうなら、思ったより早く帰ってきて、嬉しい驚きでしょ?」
「酔っ払いは、キライだよ」と言うと、「酔ってないよ〜」。
これは、酔ってる。
そこから、
「酔ってない時は、『そうだね、ちょっと酔っちゃったね』と言う。飲んできてるのは確かなので、『酔ってない』と言い張る時は、酔ってるからだ。接待で
は、どうしても、飲まなければならないのか?口をつけるだけにして、『はい、飲んでます』と言えば、当節、それほど飲め飲めと強制されることはないはず」
と説教する。
「最後には、『酔ってました。もう飲みません』って認めることになるよ。毎回、『もう飲みません』って書いた紙が、壁に貼り出されることになるだけだよ」と諄々と説いて小一時間。
ついに、「わかった。ちょっと飲み過ぎた。もう、接待で酒は飲まない」と降参した。
私だって、そんな紙、いくら書いてもらったってちっとも嬉しくないのに。
大内くんはお酒が好きだ。
私がついついドーナツを食べてしまうように、目の前にお酒があると、笑み崩れて飲んでしまう。
有史以来、人はどんな環境でも、まず食べ物を確保し、その次にお酒を作り始めるので、仕方がないと言えば仕方がないのだけれど、サボテンしかないのにテキーラを作っちゃうという情熱は、私には理解できない。
今朝は、ムツカシイ顔をして早々に家を出てしまったので、昨夜の話は出ていない。
今年は本当に忙しくて、ちょっとしたことがケンカのタネになる。
会社で、「大内さん、あと、実働日6日で、お正月休みですよ!」と勇気づけてくれた人がいる、と言っていた。
「実働日」。いい言葉だ。年末まで2週間弱、と思っていたが、今勘定すると、あと5日会社に行けば、休みになる。
夫婦共に、もっと会社を愛さなければならないのだろうが・・・
15年12月19日
大内くんの、「お誕生会」があった。
正確には、大内くんと同じ職場のHさんご夫婦とのお食事会。
去年、お互い奥さんを紹介しよう、という話になった時、Hさんも大内くんも12月生まれなので、「合同お誕生会をしましょう!」ということになって、我々夫婦の大好きなパレスホテルの「ローストビーフ」を食べに行った。
それがとても楽しかったので、今年も相談してお誕生会、なわけ。
とりあえず、ご夫妻2人とも「ワイン・アドバイザー」という資格を持つ彼らに、選択丸投げ。
「おめでたい席だから」と、去年はシャンパンをグラスでいただき、食事には赤ワインを1本頼んでいたところを、
私がほとんど飲めないし、大内くんもまた、私を家に連れて帰らなければならないのであまり飲まない、という事情をよくわかってるご夫妻が、
「今日はお祝いにスパーリング系のロゼを1本、もっと飲みたい人はグラスで追加をもらう」と決めてくれた。
驚いたことに、キビキビして知識豊富なソムリエさんは、我々一行を覚えているらしい。
Hさんたちがあまりに詳しいせいだろう。
「あまりお値段が張らない、コスパのいいスパークリング」を薦めてくれた。
私たちの大好きなローストビーフを、たらふく食べた。
前菜(or サラダ)、パスタ(or
スープ)、メインディッシュ、あとはデザートと、それぞれ10品ぐらいの中から好きな料理を頼む、簡単なコース。
どれも美味しそうだから、私はもう、知ってるものだけにしとこう、と思って、
前菜:白身魚のカルパッチョ
パスタ:魚介のペスカトーレ
メイン:全員、ローストビーフ!
デザート:ティラミス
面白くもなんともないが、食べたいものを選ぶと、こうなる。
どれもステキな味で、さまざまな話題が飛び交い、食べてるヒマがないぐらいだった。
奥さんのK子さんは、17年彼らの会社で働き、15年前にHさんと結婚した時に寿退社したそうで、社内のいろんなこと、特にHさんと大内くんが在籍する部署の仕事や中堅からベテランの人たちをよく知っている。
なので、大内くんたちの仕事の話が、とても通じるようだ。
Hさんはとても忙しい人で、今回、この「12月のお誕生会」を実現させるために、どれほどギリギリの線でスケジュール管理をし、時間を捻出してくれたかは想像に難くない。
実際、
「もしかしたらいきなり海外出張が入るかもしれません。そうしたらお誕生会はドタキャンです。すみません」と直前まで大内くんに言っていたらしい。
先日、やはり奥さんを紹介される会でご一緒した、私より20歳年下の弁護士のAさんは、かつて出向で大内くんと同じ職場にいたので、Hさんのこともよく知っているそうだ。
4人目のお子さんがおなかにいるミセス・Aが、
「Hさん。聞いてますよ。『激務の方』でしょう?」とにこやかに言っていた。
Aさんも忙しい人で、いい勝負らしいが、Hさん、よそのご家庭で、「忙しい」というコードネームで呼ばれてしまうとは、相当のことだと思う。
大内くんは毎日のように、
「Hくんほど働いている人はいない。彼が働き過ぎるから、会社が、みんなに同じ働き方を期待すると困る」と言っていたのだが、この1年、主観的には大内くんもたいそう忙しかった。
「定時に上がる派」なので、家には帰るものの、ピーク時には持ち帰り仕事で徹夜の日々が続き、
「キミにはHさんの奥さんの気持ちはわかるまいと思っていたが、今なら少しは通じ合えるものがあるかもしれない。奥さん同士、励まし合って」と虫の息で言っていたのだ。
やっかいな仕事は9月いっぱいで片づいたものの、お世話になったあちこちにお礼を言って廻ったり、新たな小さな噴火を抑えたり、残務処理をしたりで2カ月が過ぎ、12月は忘年会シーズンで、結局、忙しいのは終わらない。
今週は泊まりの出張に行って翌日最終便で帰ってきたり、大事な会合があったりで、ウィークディ中1回も家で食事をとっていない。
「それでもHくんよりはマシなんだ。少なくとも週末は休んでるし、前のように仕事を家に持ち込まずにすんでいる。Hくんには土曜も日曜もない。休日出勤をするか、家で仕事をしているか、連日のタクシー帰りで疲れ果てて死んだように眠っているの、どれかだ」
こんなこと書くと、大内くんの会社がブラック企業みたいじゃないか。
と、話していたらデザートの時間になった。
予約の時にお願いしておいたので、Hさんと大内くんの前には、チョコレートで「Happy Birthday!」と描かれたプレートが出てきた。
そこで、突然、先ほどのソムリエさんを中心に、お店の方4人による「ハッピー・バースディ」の歌が始まる。
素晴らしいハモりに、店中から拍手がわいた。
来年こそはケータイで録画して、FBに載せよう、と心に決めた。
食後は、6階のラウンジに席を移し、K子さんとは「鬼平犯科帳」の話でニッチに盛り上がっていた。
「萬屋錦之介」はイマイチだし、丹波哲郎もいいけどちょとちがう。やはり、当代の中村吉右衛門が1番いい、という話が、どうしてこんなに合うんだろう。
「『密偵たちの宴』というのが、ものすごくいい話らしい」との話もしっかり聞き込んだ。
(HDDの中にたくさんある「鬼平」、ちゃーんとその回もあった。翌日、大内くんと観て、非常に楽しんだ。K子さん、ありがとうございます)
男性陣は、「気がついたら会社の話ばかりしていた。そんな話は会社ですればよかった」(大内くん談)というところらしい。
去年もお目にかかり、今年またお誕生会ができて幸せです。
「来年もやりましょう!」と言ってくださるHさん、K子さん、どうぞ、今後ともよろしくお願 いします!
話が弾み過ぎて、料理を食べるのがべらぼうにスローペースだったし、ラウンジでの1杯もゆっくり楽しんだので、長居をしてしまった。
6時半に始まって、終わってみたら11時半。私はこんなに長い間、1回も時計を見ないことはまずないので、たいそう驚いた。
忙しいHさんをこんなに拘束し、日常、不足気味の「夫婦の楽しい時間」を奪ってしまったことが申し訳ない。
でも、楽しかったなぁ・・・しみじみ。
15年12月20日
実は、ディナーからの帰り、まだ電車あるのに、タクシーで帰ってしまった。三鷹まで。
吝嗇な私はもちろん固辞したんだけど、こないだの今日でまだ懲りてなくて一杯機嫌の大内くんが、
「僕のおこづかいから出すよ。ボーナス時臨時おこづかいもらったし」と嬉しそうに私をタクシーに押し込むし、一緒にごはん食べたHさん夫妻も「タ
クシーで帰りま〜す」って言ってるし、乗ってしまった・・・
ただ、大内くんの目算が外れたのは、首都高が初台の事故で渋滞してるという情報が入ったこと。
「下を走りますか?」と運転手さんに聞かれて、「ええ、下で」とお願いした大内くんは、
「まあ、甲州街道を行くのも早いから」と声を励ますが、私は、5時間の緊張と「タテになっていた」疲労とで、手先がプルプル震えて止まらない。
日頃、ほとんど横になって暮らしてるからなぁ。
おまけに、運転手さんがやや乱暴な人だったので、ゴーストップの揺れがすごくて、私はめったに車に酔わないのに、なんだかワインとローストビーフ
とチョコレートケーキが胃の中のヘンなとこに寄っちゃって、もちろん酔いもあって、
「あー、今、猛烈に吐きそうになったらどうするんだろう・・・」と、やや渋滞気味の道路を見て、絶望的な気持ちになってた。
幸い、車を降りることなく帰りついたが、新宿駅の真横を通った時、5秒ぐらい悩んだぞ。もちろん車はすぐに駅を過ぎてしまったのだが。
そう言えば、息子から、「今日、カノジョ来るかも」ってラインが入ってたなぁ。金曜だし、また自分が出演する「伊集院光のてれび」見に来てんのかなぁ、と思ってケータイ見たら、「来た」とひと言。
そうか、来るか。というか、来てるのか。
いいよ、なんかここ1ヶ月ぐらいお目通りがなかったので、ふられたか?別れたか?って、かなり心配してたんだ。
「1時頃には帰る」と言っといて、家に着いたのが12時45分頃。
大内くんが万札を出している気配を背中に感じながら降りて、ああ、なんとか家にたどり着いた。
「ただいまー」と声をかけてリビングに行くと、2人はもうちゃっかりお風呂に入ってしまったようだ。
小柄なカノジョが、息子の短パンとパーカー借りて、だぼっと着ているのが可愛かった。
「突然、すみませ〜ん。おじゃましてま〜す」と言うカノジョに、
「撮影はどう?忙しい?」と聞くと、
「んー、やっぱ、忙しいですね!」と明るい答え。
息子が後ろでにらんでるので、それ以上の会話は控えた。
「母さんたち、お風呂に入るから」と彼らには息子の部屋に行っててもらい、お湯にゆっくり浸かって、バスタオルをテキトーにまいただけのあられもない姿でリビングで涼む。(私も息子も風呂上がりには風で「空冷式」なので、我が家の扇風機は通年稼働中だ)
大内くんも似たような姿。
しかし、彼らは深夜2時からの放送を見に来ているんだ。テレビ前を明け渡さなくっちゃ。
「じゃあ、おやすみー」と2人に声をかけ、寝室に引っこむのと入れ替わりに、2人は楽しそうにリビングに移動して行った。
楽しかった。しかし疲れた。しかし楽しかった。しかしお金かかった。しかし楽しかった・・・と繰り返しているうちに、さすがの不眠症の私も、目を閉じたとたんに闇の底へ吸い込まれるような感じで眠ってしまった。
そうか。毎日こんなに疲れていたら、睡眠薬なくても眠れるのか・・・
眠りに落ちる寸前に思ったのだが、タクシーの中で息子からもらったラインには、
「ハーイ、すみませんー」とあったところ、彼は、日頃そこにカタカナは使わないんだよね。
「うん」か「はい」か「はーい」もしくは「ほーい」といったあたりが彼の語法で、いや、すみませんぐらいはラインを通せば書いて来ることもある
が、やはり、「ハーイ」は初めて見たなぁ。
カノジョが、代わりに打っている姿が目に浮かんだ。
もちろん、それならそれでいい。
人に、自分のケータイまかせるって、すごい信頼感だもん。
仲良しで、良かった・・・ぐーzzz
15年12月21日
11時に帰ってきて「野菜炒め!」とオーダー出して、人に作らせてがつがつ食べて寝そべってた息子が、いきなり「出かける。泊まり」と宣言。も
う夜中の12時だぞ。
「Fくんち?」と、大内くんが、1回遊びに来た、近くに住んでるサークルの後輩の名を出すと、息子は、「そう」とうなずいて、そのままずかずかと出て行こうとしている。
「明日は朝、帰るの?」とかろうじて背中に声をかけたら、「直接、大学」と、語尾だけ残して玄関ドアの向こうに消えてしまった。
うん、明日は「合気道」の授業(体育?)があるから、柔道着持ってったんだね。
帰ってこないつもりなんだね。
朝、起こさないですむ、ないしは、起きないで授業に出られない、という姿を見ずにすむのは幸せだよ。
単位のことは、試験が終わってから考えよう。
ああ、これで、大学も休みだ!
しかし、1月からは試験だ・・・もう、単位落としてるゆとりはないぞ。
就活も始まるぞ。
最大の悪夢は、就職が決まったのに単位が足りなくてすべて吹っ飛ぶ、というやつだ。
いざとなったら、学長の部屋で土下座している大内くんが浮かぶ。
もちろん、その前にどこにも内定がもらえないというのも悪夢だ。
いやいや、それを言えば、「やっぱりお笑い芸人になりたいから、就職しない」というパタンも。
いったい、どうなっちゃうんだろう・・・
15年12月24日
イブの晩に、保育園時代のママ友が集まって、忘年会。
10人ぐらいかな。なぜか大内くんだけそこにいるww
メンバーの1人のお家の居酒屋さんの二階。
もう20年も前の出来事だ。
それぞれのコドモたちは、大きくなった。
就職した子も出始めている。
男性軍はみんな大学で、本来ならば来春卒業の子ばっかりなのだが、「就職・留年・浪人・大学院」と様々なコース。
当面就職する気があるのはけいすけくんだけであるらしい。
うちが一番感心したのは、公務員試験に受かって既に働き始めているまふゆちゃんが、1人暮らしを始めているということ。
ついでに弟も家を出たので、まふゆちゃんちでは、もうお母さんとおばあちゃん、2人しかいないらしい。
コドモが育って家を出る。あたりまえのことだ。
でも今は、親も子供を手放したくないし、子供も親に甘えていたいしで、なかなか親子の中がすっぱりと切れないと聞く。
さすが、まふゆママだなぁ。
ちなみに、往時を知る保育士さんであった先生を2人ご招待したらしい。
1人は今でもこの近所の保育園で園長先生を務めていて、
「大内さんとこの息子さん、この前、ひょいっと顔を出してくれましたよ!」だそうだし、も う1人は、この春、市議選に出て勝っちゃった。
陳情に行くならそこしかないが、今のところ何にも困ってないから、陳情のネタがない。
膝が痛むのと、大内くんが忙しいのとでお先に失礼させていただいたけど、楽しかった。
本当にね、息子は2歳児から保育園で、3歳からお世話になっているけど、あらゆる人たちに支えられて今日がある。
ありがたい。
15年12月24日
アマゾンで買ったマンガ評論、「このマンガがすごい!」が届いた。
息子が読むかもしれないから、とりあえず自炊はしないでちゃぶ台の上に置いてお くことにした。
帰って来てソファにころがっている彼に、「これ、読む?」と聞いたら、「いや」と言う。
「そうか、じゃあ、自炊しよう!」と書斎に持って行きかけたら、「今読まないだけだよ。なに、人の本勝手に自炊しようとしてるんだよ!」と怒る。
「人の本」って、あなた・・・読みたいからって、自分 のものだと思うな!
「これは、母さんが買ったんだから」と言うと、「ちげーよ。オレんだよ!」とまた怒る。
どうも話がよくわからないのでじっくり聞いたら、要する に、彼も同じ本を、本屋で買って来たのだ。
「で、それはどこに?」
「あんたが持ってる、それだよ!」
「これは、母さんの。アマゾンから届いたのを、あなたが読むかもと思って、置いておいただけ。あなたのはどこ?」
「?・・・カバンの中?」
開けてみると、入ってるじゃないか!出しもしないで、「オレんだよ!」とか言うな!
黙って渡すと、向こうも黙ってる。勝手に怒っちゃってさ、「間違えた。ごめん」ぐらいのお詫びはあってしかるべきじゃないの?
どうしてこんなに怒 りっぽいんだろう。
寝室に引き上げて、大内くんが小さく、「性格が似ている」と言う。
そりゃあ、私も怒りっぽいけど、いきなり怒鳴ったりしないよ。間違えたら、すみやかに謝るよ。
「キミは、自罰的なんだよね。彼は、甘やかされた、キミだよ。とことん他罰的。いいんじゃない?精神的に健康な証だよ。」と何だか嬉しそうな大内くんは、昔から、「『風と共に去りぬ』の中で、スカーレットと結婚したレット・バトラーが、『飢えや貧しさで損なわれていない君を見たい』って一人娘を溺愛する じゃない。ああいう感じ。キミは、元の性格が育てられ方で損なわれてるからねぇ。僕もそうだけど、親がいかん、ってのは、すごくいかんのだよ。うん」と1人でうなずいているんだ。
本1冊(いや、文庫で5冊ではありますが)で、なんでそんなとこまで深い話になるのか。
2日たつが、まだ謝ってもらえない。問題の本、彼が買った方のは、ずっとちゃぶ台の上にある。 (私のは、早々に自炊の山に入れた)
言葉づかいのキレイな私wwでも、「ちくしょう!」とか「くそ!」とか言いたくなるなぁ。ああ、本当に腹が立 つ。
だがやはり、同じ本を買ってしまったことは、なんだか嬉しいのだ。フクザツな母心。
吾妻ひでおの「アル中病棟」をダブり買いした時以来の喜びか も。
息子がマンガ読むのをこんなに喜ぶ親、いるんだろうか?
いや、だって、全然知らないマンガ家なのに、いきなりつかんだ、その嗅覚が頼もしい。
ああ、結局はただの親バカだ。
15年12月26日
年末最後の公式行事は、息子が昔お世話になった塾の塾長と飲みに行くこと。
小5から高3までお世話になって、高校大学両方とも「到底ムリ」な志望校に合格できたのは、本人の努力ももちろん語るべきだろうが、この塾なしでは実現できなかったと、心から思う。
小さな「町の補習塾」でありながら、スケールの大きいコドモ育てを実現している、理想の塾だ。
息子が大学に入って半年ほどはこちらで講師のバイトを務めさせてもらったが、本人が、
「教えるのはあまり好きじゃない」と言ってお笑い活動に重点を移し、後足で砂をかけるように辞めてしまった時も、塾長は、
「彼には彼のやりたいことがあるんでしょう。いつか、また何らかの形で戻って来てくれるかもしれません」と、にこやかに受け止めてくれた。
本当にお世話になっている。
実は、大内くんの老後の人生設計はここにある。
55歳、ないしは60歳で定年を迎えたら、この塾で教えて、老後の生活費を多少稼ぎたいのだ。
そのために、今も寝る前に世界史の参考書を読み、NHKラジオの「基礎英語」を聴いて勉強中。
私としては、老夫婦が東京で暮らすためには最低20万円かかる、というところから、会社を辞めた大内くんには、なるべく好きな道で年240万円稼いでもらいたい。
塾の時給が2千円だというから、1日5時間、週に5日働けば達成できる見込み。
授業がそんなにあるかどうかわからないけど、まあ、目標、ということで。
自分が人にものを教えることにまったく向いていないうえ、勉強がキライなので、大内くんの情熱は実は理解できない私だが、やりたいことをやってお金がいただけるのが一番なので、励んでもらおう。
今回も塾長に大いにアピールし、
「僕も、大内さんと一緒に働いてみたいです。よろしくお願いします!」と気持ちのいい返事をいただいた。
定年後が楽しみだ。
そしてもうひとつ、楽しみが増えた。しかも直近の。
息子がお笑いの道を行くか就職するか、今年いっぱいは考えてもらって、答えを聞くことになってる。もう、半年ぐらい前からの話だ。
こないだ大内くんが、
「元旦には、決心を語ってもらうよ」と真面目な顔で言ったら、
「あれ、そうだっけ?」とか「そんなん、わかんねーよ」とは言わなかった。
大内くんの目をまっすぐ見て、
「うん、わかってるよ」とだけ答えたそうだ。
彼なりの答えが、本当に聞けるかもしれない。
その結果がどう出るか、塾長と私は賭けをしたのだ。
お笑いの世界に飛び込む決心なら、私の勝ち。塾長にタイ料理をおごってもらってから、飲み会をしてその費用も塾長が持つ。
普通の就活をすると言ったら、塾長の勝ちで、私から同じくタイ料理→飲み会コースをおごる。
どっちに転んでも何らか楽しいことがひとつぐらいはある、という寸法だ。
どう生きてもかまわない。
私が、自分に、大内くんに、息子に期待する生き方は、働いて、自分を養う。それに尽きる。
自分に、大切な家族が付帯するなら、頑張ってその分も働く。
出世したいとか大儲けしたいとか、そういうことは、やりたいならやってもかまわないが、先の条件をきちんと満たすことが何より大事だ。
だから、大内くんには悪いけど、自分の人生で一番幸せだったのは、大学を卒業してから7年間、自分のお給料で生活していた日々だと今でも思っている。
お風呂のない安いアパートに住み、ごはんを作り、自分の布団を自分で敷いて寝た。
天気のいい週末に布団を干すのが楽しみだった。
別に、節約生活をしていたわけではなく、500円玉を握って銭湯に通い、260円の料金を払い、20円使ってお釜型のドライヤーで髪を乾かし、帰り道で冷えたビールを買って220円。
500円玉がすっきりなくなるのが、何より楽しかったもんだ。
今でもつきあいのあるマンガクラブの人たちが集まって大宴会になるのは日常茶飯事。
大内くんも、よく泊まりに来てくれた。
黄金の日々だったなぁ。
息子にも、自分で自分を養うすがすがしさを知ってもらいたい。
結局、それだけだ。
15年12月27日
「洞窟おじさん」というドラマを観た。
FB上の知人が制作に関わっている関係から多少真面目に観たのだが、これが、すごいドラマだった。
観ていても面白かったが、もっと面白かったのが息子の反応。
食卓でゲームをやりながら、iPadで数年前の「ガキつか」を流して見てる。完全な「ながら族」だ。
ところが、我々がドラマを観始めてしばらくしたら、ゲームをやる手元が止まって、口を半開きにして画面を凝視してる。
気づいたけどほっといたら、思わず、という感じで、「これ、面白いな」とつぶやく。
ストーリーの途中から見てそんなに面白いかね、と思いながら、さらにほっといて、前にやった「総集編」的なものに比べて描写が細かい、という話を大内くんとしていたら、「なに、これ、リメイク?」。
「前に抜粋版があったドラマを、フルバージョンで観てるんだよ」と説明し、またテレビに戻ると、息子は食卓に座ったまま目を離さず、「これ、すごいわ」と言ったと思ったら、友達と約束があるのだろう、竜巻のような勢いで着替えて、出かけてしまった。
「あいかわらず、彼は見る目があるねぇ」
「さすが、小学生で『ディア・ハンター』を、中学生で『カッコーの巣の上で』を見たいといった男だよ」と2人で大笑いした。
なんだかとっても嬉しかったのだ。
彼は我々の背後からいろんなものを観てるが、つまらないものは本当につまらなそうに興味を示さない。
それが、ちょっとこれはいいな、と思うものが画面に展開されている時は、態度が全然違うのだ。
最期までつき合って見ることはほとんどないけど、彼なりに納得するまで、「ふーん・・・」という姿勢を崩さず、しばらく見ている。
これで、我々が知らないうちにHDDから勝手に呼び出して見てた、というとこまで行くとお話としては面白いのだが、さすがにそういうことはまだないね。
小学生の頃、我々の留守を何回か狙って、家にある面白そうなDVDを全部見てしまった、というあたりが一番の伝説だろうか。
私としては、誰にも何も言われないのにロベルト・ベニーニの「ライフ・イズ・ビューティフル」を勝手に見て、大号泣したという、その顔が見てみたかったのだが。
そもそも、小学生が1人で留守番中に見たくなるような映画だろうか?
いや、私は好きだけど、そこはそれ、オトナだから。
この人を、映像制作の道に進ませてやりたい。
たった今の親の気持ちとしてはそう思っている。
私は他人からどう思われるかはあまり気にならないし、これは「日記」なので、数年たって、
「あちゃー、こんなこと考えてたのか。今から思うとバカみたいだ!」となるとしても、全然かまわない。
大内くんから、
「受験の時に、それが現れるよね。普通、人は、『どこそこに受かってほしい』『どこそこに落ちたら恥ずかしい』と思うから、結果しか書かないんだよ。キミみたいに、『専修大受かりました』『早稲田の教育落ちました』って、ひとつひとつ実況中継する人は、僕は見たことがない」と言われた。
「いや、怒ってるんじゃないよ。逆だよ。そんなすがすがしい人が自分の奥さんだと思うと、自分の息子の母親だと思うと、ありがたくて涙が出るね。 キミなりに世間体を気にして生きてるのは知ってるけど、僕のキライな気にし方じゃない。このまま、突っ走ってくれ」と、よくわからないがお墨付きをもらったので、息子の就職に関しても、守秘義務に抵触しないことは書くと思う。
だが、とにかく本人の気持ちを聞かねば。
元旦を思うと胃がきゅーっとなる。
彼は、どんな人生を歩むのかなぁ。
15年12月28日
大内くんの仕事納め。
昔は午後から飲み始め、定時より少し早く上がったりの時代もあったそうだが、今では飲み会はおろか、早く帰る風習もない。
普通に定時を迎え、少し残業して帰るそうだ。
一方、昨夜の息子は、
「明日の朝、早く起こして」
「なんで?」
「駒場に、柔道しに行く」
そうか、高校の時の柔道部に行って、現役の高校生たちと取っ組み合ってくるか!
こういう話になると、大内くんも私もなぜかとても嬉しくなってしまう。
「柔道着は、どっちで行くの?大内?高橋?」と訊くのは、彼は柔道着を2着持っているからだ。
彼の高校の柔道部では、先輩が引退する時、使っていた道着を後輩に譲る習わしがある。
息子は、「高橋くん」という立派な先輩から柔道着を引き継いだ。
今でも、柔道をする機会があると着ることがある。
もちろん、主将だった彼も、「大内」と墨痕鮮やかに背中書かれた布が縫いつけてある道着を2着持っていて、1着、後輩に譲ってきたはずだ。
「でもさ、息子の顔知らない後輩ばっかりだから、『高橋先輩!』って呼ばれちゃうよね」
「『高橋の道着の方が、動きやすい』って言ってたから、機能重視なんじゃないの?」
「運動してないのに体重増えちゃって、いきなり動いたらアキレス腱でも切っちゃうんじゃないかね。僕はそれが心配だ」
「今は、体育の授業で『合気道』やってて、週に1回道着持って出かけてるから、まあ、大丈夫なんじゃないの?」
などなどいろいろ話し合い、我々が彼のそういう活動を嬉しく思うのは、要するに彼の人生に断裂がない、という点だろう、と落ち着いた。
保育園時代の友達と夜中に飲みに行き、中学校の友達に呼び出されて深夜の公園でスクワットをし、高校の友達と同窓会に出て柔道をやる。
「オレの人生で、ここだけは思い出したくもない汚点だ。イヤな時期だった!」というのがひとつもないのだ。
もちろん小さな葛藤は多々あって、ときどきスコップで穴掘って埋めて平らにならして知らん顔してるかもしれないが、全体として見た場合、彼の人生は切れ目のない、豊かな、広い道がずどーんと通っている。
親としては、それが一番嬉しい。
この先も、できれば自分の過去を否定せず、おおらかな肯定感をもって人生をふり返ってもらいたい。
我々が死ぬまでの間でもいい、そういう人生観で生きてくれ。
15年12月29日
コミケのバイトに行くので、朝早く起こさないといけない。
なんで授業でもないのに、親が5時に起きなきゃならんのか。
それでも、彼のスマホのアラームとともに「時間だよ!」と声をかけたら、一瞬、布団の中でもぞもぞしてたが、すぐにがばっと起き上がり、のしのしとシャワーを浴びに行った。
用事がある時はきちんと起きるなぁ。
問題は、授業を必要な用事と認識していないことだけだ。
多くのコミケ参加者が早朝から会場に向かうだろうが、会場整理のバイト員も、朝は早い。
皆さん、ご苦労なことだ。
15年12月30日
コミケのバイト2日目。またしても早起きで、キビシイ。
もう1回寝ようかと思ったが、私はいったん起きるとなかなか眠れない。
結局、10時過ぎるのを待って吉祥寺に散歩。
今年最後になるであろう「クルン・サイアム」の「パッ・タイ」を食べ、駅ビルの優秀な肉屋と魚屋でお正月料理用の食材を買い入れる。
目玉が飛び出しそうだ。
特に、「たたき用」の牛肉は、本当に飛び出した目玉を眼窩に押し戻すのが大変なぐらいなのだが、数日前に息子から、
「あの、牛肉の料理、作んのかよ」と聞かれたばかり。
「作るよ。食べたい?」と聞き返したら、無言でうなずいていた。
日頃のおかずにはしなくていいそうで、どうやら、彼にとっては「おせち料理」であるらしい。
「タラモサラダも、作って」
はいはい、作りますよ。
期待されるってのは、いいもんだね。
元日に面会に言った時に届けるつもりで、ユニクロで唯生の服を買い、歩きくたびれてふらふらとバスで帰り、午後は私はたまった書類の片づけ、大内くんは大掃除。
「真冬に水仕事をする人の気がしれない。風呂を洗うとか、流しを磨くとかは、真夏にやればいいんだ」と言っていたくせに、気がついたら水回りの掃除を全部すませてくれていた。
「窓を洗うのだけは、夏にやりたい」とのことなので、夏休みに期待しよう。
夜は簡単に覚えたてのパン料理、「ブルスケッタ」(ありがとう、井之頭五郎!)ですませ、
「これは、お客さんが来た時のおつまみに出せるよ」と大内くんのお言葉をいただく。
レコ大を見て、最近毎年おなじみの、
「紅白と同じ大みそかにやっていた頃がなつかしい。それに、あまりに顔ぶれが変わらなすぎる」という不満を、今年も変わらず噴出させた。
明日は1日厨房にこもるぞ。
そして、紅白を観る。
「お正月休みは6日では少ない」と感じるようになったことに自分たちで驚きながら、年末を迎えつつある。
15年12月31日
大みそか。
早起きして、「大内家シネマベスト」を選んで、がめ煮とおでん、ローストビーフの仕込みをする。
(シネマ日記の方、よろしくお願いします)
午後は、お世話になった方々へのあいさつ回り。
全部終わったら、夜はゆっくり紅白を観よう。
今年も無事に暮れます。ありがたいことです。
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