19年2月2日
年に2回、友人男女と柳家喬太郎さんを聴きに行く会。
先日は特別会を設けて春風亭昇太さんも聴いてしまった。
今日の喬太郎さんもよかった〜!
おまけに会場でもらったチラシを見てたら、3月にはこないだ1回聴いてすっかりファンになった瀧川鯉昇さんの独演会があるじゃないか!
「申し込み開始が去年の12月だから、もう満員だよね。無理だよね」と言いながらスマホで見たら、数席だけど、空いてる。
「でも、家に帰らないと僕らのナンバーがわからないよ…」と言う大内くんに、
「こないだ京都のお寺のベンチからiPad使って入力したじゃん、あの時のがある!」
「そうか!」
というわけで、2人分の会員番号を使って4人分の席が取れた。
もう、ラス席だったよ。
もし友人たちが忙しかったり好みでなかったりしたら息子とそのカノジョでも招待しようと思っていたが、幸い、2人とも喜んで聴きたいと言ってくれた。
しかしどんどん例会が増えてしまう。これはこれで問題か?
トリの喬太郎さんの「すなっくらんどぞめき」はほとんど狂気だったなぁ。
「コロッケそば」みたいな見事な座布団上での海老反りを見せてもらった。
友人たちも「いや〜、まいったまいった!」と言いながらの、終演後の合流。
いつもの蕎麦屋呑みに移行する前、たいてい時間がビミョーに余るので自由行動現地集合で各自調整してたところ、今回は友人男性が会場でポスターを見かけた「タータン展」に興味を惹かれたと言う。
ちょうど駅前だ、規模もそれほど大きくないから時間調整にはもってこい、と合意し、全員でぞろぞろと。
これが実はまた面白くて、「タータン」は「タルタル人とは何の関係もなさそうだ」とか「タータンチェックという言葉には実は矛盾がある」などの豆知識を得る。
でもやっぱり男性のスカート(キルト)姿には慣れない。ジェンダーは99%慣れだろうと思いつつも。
「戦う時とかは、やっぱ不便だろう」とつぶやく友人男性。
会場に資料として19世紀のイギリスの銅版画家ジョン・ケイの絵がたくさん飾ってあり、これらを図版にまとめる際に、カリカチュアとして描かれた市井の人々に「1人1人背景やキャラクターを考える」人が雇われていたことを知る。
なんか、現代のゲーム制作みたいだ。面白いじゃん。
無事に展示会を見て、蕎麦屋に落ち着いた。
3時間ちょっと呑んで終わってみたら、いろいろ興奮したせいか、いつもよりゴージャスに料理を頼んでしまったようで、毎回3千円行かない頭割りのお会計が今回は4千円。
「やっぱ、アズキハタの刺身が効いたかな」
「いや、それよりマグロのホホ肉でしょう」
「そうだよな、特段たくさん呑んだってことはないし」と全員ほろ酔いで、次は鯉昇さん、よろしく。
家に帰ると、息子が朝に車を借りて行ったのを返しに来た。
コントライブのために「廃墟」の映像を撮りに他県まで行ったところ、地域の自警団のような人々がいて、果たせなかったようだ。
「人の迷惑にもなるって考えがなかったよ。新進の映画監督とかならやってもいいことかもしれないけど、僕自身はコントで違法なことをしてはいけないって思ってるから。でも、行ってみたのはよかったな」などと語っていた。
「今日、泊まっても大丈夫?」と聞かれて、「大丈夫よ。風呂入る?」と聞いたら、
「いいや、途中で仲間と温泉入ってきた」のだそうで、それはそれで楽しそうだね。
我々も若い頃、伊豆のドライブの帰りなどにみんなで日帰り温泉に寄ったりした。
ちょっとなごむ話だ。
「母さん、ベランダでタバコつきあわない?」って言われて、10年以上禁煙してる身ではあるが、誘われたら嬉しいじゃないか。
「1本だけ、いい?」って大内くんに聞いたら「ダメ!」だし、息子はあわてて、
「ちがうよ、オレが吸う間ベランダで一緒にしゃべろう、って意味だよ!」とむしろ止められた。
なーんだ、ではあるが、これまで常に1人タバコだった彼から同行を求められるとは!
こないだ百均で買ってプレゼントした携帯灰皿は「すごく助かるよ。ありがとう!」とのこと。
飲料の缶とか使うと、仕分けして捨てる作業の人が困るんだ、って話した時、いたく感心し反省してたからなぁ。
彼は本当に私に似て合理的で理屈が頭にすっと入る人だと思う。
ちょっと自慢の気持ちで、その時一緒に買った「1週間分の薬が整理できる中型のピルケース」を見せたのね、「母さん、けっこう薬たくさんあるから、こんなの買ってみた」って。
「あー、アメリカの大伯母さんが同じようなやつ使ってたよ」と私が一気に上の世代に追いやられただけで、全然面白い話にならなかった。スグレモノなのに!(涙)
先日来、息子の部屋にはよくお客さんが泊まっているので、ベッドメイクはもうできている。
夜食も食べず、さほど面倒をかけずに1人でノーパソ開いて原稿書いたりしてるようで、このように無害であれば一緒に過ごすのは楽しい気もする。
「母親らしく」布団が寒くないかどうか気にしてやったりするのも、たまのことなら楽しい。
でもやっぱり「見ぬもの清し」で、お互い普段の生活を共にすれば衝突もあるだろうから、わがままな両者としては距離を保ってつき合いたい。
19年2月3日
泊まった息子と朝、一緒に家を出る約束をしていたのに、目覚ましスマホが鳴っていてもなかなか起きないし、10時半に玄関集合と約束してるのに5分前に歯を磨き始めたりでイライラした。
しかし、向こうにしてみれば10時半に玄関にいさえすればいいわけで、直前まで何をしていようと彼の自由。
ギリギリ間に合ってはいたことを思えば、不都合はない。
やはり一緒に暮らさず、お互いを見ないのが吉であろう。
久々に一緒にタイ料理屋。
急な階段を降りる私に「足は大丈夫?降りられる?」と声をかけてくれ、
「いつかこことJHSには来られなくなるかも、と思うよ」と答えたら、
「どっちも階段がすごい急だもんね」と笑っていた。
一緒に行った思い出を共有してることといたわりを同時に感じ、なんとなく嬉しくなってしまった。
彼の提案で食後のコーヒーまで楽しんだ。
「なんでオレがコーヒー頼もうって言ったと思う?理由は2つある。もちろんコーヒーが飲みたくなったってのもあるけど、もうちょっと一緒に過ごそう、しゃべろう、ってことだよ。人の行動には常に理由があるね」
こういう理由探しは私には自然で当たり前なので、自分で発見して驚き威張ってるように見える彼に、ちょっと吹いた。
「そんなの、当たり前じゃん」と言うと、
「母さんはくたびれないの?」と聞かれ、そんなぐらいでくたびれるわけないじゃん!なめられたもんだ!と一瞬腹を立てたんだが、彼によれば、コメディを書くために人を観察し、理解しなければと思って後天的に始めたので、慣れなくてくたびれるらしい。
いつも物事の理由を考えるタイプの父と私を思えば、遺伝的に彼もその資質を持っているように思え、
「そのうち慣れるよ。呼吸をするように自然にできるようになる」と励ましておいた。
早起きしてラジオ講座を聴くとか勉強を強いられたことなどを理不尽に感じたこと、特に公文は意味がないと思ったこと、子供だって説明されればわかるんだから、きちんと理由を説明して説得してほしかった、などと思っていることを話してくれた。
どうも教育ママだった大内くんのお母さんと混同して、「自分の子供は絶対エリート!」路線の親だと思われていたらしい。
「よみかきそろばん、が大切だと思ってのことだよ。早起きなどの習慣は、大人になれば必ず必要になるから、慣れてほしいと思ったし」との大内くんの説明に、「そうだったのか、わかった」と納得してくれた。
「でも、オトナになっても別に早起きの必要はなかったなぁ」と言っていて、彼の生活と我々のそれは違うのだ、と今更ながらに思った。
そもそもね、中学受験か場合によってはそれより前に競争が始まるホンモノのエリート志向はそんな甘いもんじゃないんだ。
クラスメートたちと同じ町の補習塾に行きたいと言ったらだまされて連れて行かれたのが「四谷大塚」で、そこから涙の人生が始まった父さんの話を、キミは全然聞いとらんのかね。
「親に怒っていた」と言われ、その理由を聞き、説明できることはして、こちらが間違っていた点や彼の気持ちを理解できなかった部分は謝る。
向こうも納得し、許してくれる。
自分の親とはできないその行為が実現した大内くんは、とても感動しているようだった。
相手が生きていさえすればすべてが実現するものでもないと最近よく思うので、すでに母親が絶対和解できない場所に行ってしまってること自体は特段くやしくはないんだが、今話せたら別のことが起こっていたのかなぁ、とぼんやり思う。
火曜に私が病院に行く時もついでに一緒にご飯を食べよう、と約束してたんだが、あんまりいい話し合いがいろいろできたもんだから、かえって少し時間を空けた方がいいような気がして、「また今度にしよう。母さん疲れがちだし」と断ってしまった。
今や離れた街に住んでる彼に、
「わざわざ出てきてくれる気になったのに、すまないね」と詫びると、
「そんなの全然わざわざじゃないよ。時間さえ合えば、またいつでも来るよ」と友好的だった。
次に会えるのは月末のコントライブの時かねぇ。
元気でやってね。
息子が去るとにわかに寂しくなる。
自分が価値のない存在のような気分にもなる。
それ自身が、母親業に意味があったこと、それなりにきちんと達成して卒業し、今は自分の時間を生きている証拠なのだと思うことにしよう。
この寂しさ空しさに耐えられず、飢え乾いて子供を喰ってしまう母親にだけはなりたくない。
決して、自分の望みと彼の幸福を混同したりはしない。
19年2月4日
翌日、息子とメッセンジャーで話した時に、
「林真理子が『下流の宴』という小説の中で、ひきこもりのあげくに高校を中退した、つまり中卒になってしまった息子について上流ママが、『東大などということは考えたこともないが、せめて並の上レベルの大学を出て、人が聞けばああ、あそこねと言われる程度の会社に行く。そのぐらいのことを息子に期待して何の悪いことがあろうかと思う』との描写がある。つまんないこと言うようだが、母さんもまあ、これに類することを考えてはいた。それは、『這えば立て、立てば歩めの親心』みたいな、ほとんど親の本能なのかもしれない。今はもっと別の期待をしてるから、心配しなくていいよ。そもそも自分の子供に期待するのは善か悪か?」と問うたら、
「悪ではないよね。ただ、最善でもないかな、自分の中では」と返ってきた。
「期待=生物学的には、生存の可能性を一番上げたい。現代日本では、『なるべく幸福になってもらいたい』。ただ、何が幸福かは1人1人違うぐらいのことはわかるつもり。せっかく生んで育てたんだから、いつか『僕は幸福です。いくぶんかはあなたのおかげかもしれません』と言ってもらいたい。そのぐらいのことを期待して何の悪いことがあろうかと思う。って、感じかなぁ」
これへの返事はちょっと嬉しかった。
「何も悪くはないと思う。現にそう思ってるし」
そうか、私はもう、本当に子育てを終えてしまったんだなぁ。
結婚式や住宅購入の資金を一部援助する親がいることを思えば、金銭的に常時依存してる状態を脱した今となっては、万が一今後多少の援助をする場合があっても、もう独立はさせていると考えたい。
(そもそもケチだし「分相応主義」でありたいので、上記のような理由でもこれ以上の援助はしないつもりだが)
最近ずっと調子が悪いのは、逃れきれない「空の巣症候群」なのかなぁ…こればっかりは絶対避けたいと思ってきたけど、更年期障害と同じぐらい、避けようがないものなのかなぁ…
19年2月5日
クリニックに行くついでに、近くの図書館で予約の本をピックアップできるよう調整しておいた。
大内くんにはこれがものすごい驚きなんだそうだ。
毎週のように近所に行ってる今、受け取り館を変えるぐらい当たり前じゃん、と言ったら、
「合理的すぎる。僕には絶対思いつかない!」
ほめられるのはすごく嬉しいけど、私にはあなたの職場の仕事がどう回ってるのか、思いつかないよ。
「僕が出来ない人だから、周りに優秀な人が育って助けてくれるんだ」って得々としてる場合だろうか。
今日も1200円まで無料のカラオケを一人で楽しんでいこうか、それとも一人メシで先日も食べた「パッ・タイ」を楽しもうかと考えたけど、どうも体調が悪い。
先週は息子と大内くんがインフルくんで、大内くんに至っては別口のただのおなかの風邪を再びひき込んできてる。
私も早く帰って休もう。
ところがその夕方から、強烈な下痢と嘔吐と高熱に襲われた。
結局、ほぼひと晩39度台でしたよ。ああ、びっくりした。
そこで気づいたこと。
「夢のママ」を期待してしまう。
こんなに「おねつ」なんだから、お布団にふくふくと寝かせてくれて、氷嚢でおでこを冷やしてくれて、いつもは貴重品なヨーグルトやプリンを食べさせてくれて、「苦しい?熱いねぇ。かわいそうだねぇ。早く良くなるようにママがぎゅっとしてあげようね」と言ってくれる理想のママ。
私の母は、私が病気になるのを嫌っていた。
大病をして体が弱いのが自慢なので、自分より具合が悪い人がいるのが許せないようだったし、心の弱い人で、「子供が病気。面倒みて治してあげなければいけない」って現実がいちいち重かったんだろう。
「具合が悪い」と言うと、まず体温計が出てきて、微熱や平熱では「ない!」と却下される。
中学で異常が発見された心臓も「ああ、あれは違う。うそうそ」と言われた。
私自身、7年ほど前に異常がはっきりしてもなかなか本気にできず、ついには手術を受けても、なんだか自分の身体のことではないみたい。
「お姉ちゃんは本当に心臓が悪いんだけどね。心配だわ」と大人になってからは言われていた姉は、私が手術を受けると聞いて、
「あなたも心臓が悪いの?でも、私の方が悪いわよ。忙しすぎて、時々薬もらいに行くの忘れちゃうんだけど」。
そういうのって、忘れられるもんなの?
そもそも、私が体育のマラソンで倒れてた頃、あなたずっとテニス部だったじゃないの。
なんかもう、いろんな思いがぐるぐる渦巻くなぁ。
そんな私にとって、リアルに39度もの熱が出るなんて、人生の大チャンス。大当たりのジャックポット。
優しい大内くんがきっと徹夜でありとあらゆる世話をしてくれるに違いない、って期待してしまい、現実には仕事もありそんなわけに行かないってとこで、ずいぶん泣いて責めてしまいましたよ。
思い出すと非道だった。
ただねぇ、その前の晩におなかが痛くて丸まってた大内くんは、「そういう時はほっといてほしいタイプ」らしい。
「おなかに手を当てて『お手当』しようか?あんがい効くよ?」
「お白湯飲む?あったかくしたポカリもいいらしいよ」
「はらまきでもしてみる?」
とうるさくされて、気の毒なことに、最後には、
「ごめん、今、苦しくて返事できないから、話しかけないで…」ってうめいてた。
私は辛い時苦しい時具合が悪い時、かまってかまってかまい倒してもらいたいタイプ。
「ほうっといてほしいのか…」って驚きながらそのまま寝たけど、次の晩に私が具合悪くなったら、
「僕とは違うタイプなんだよね。看病して親切にしてあげよう」って張り切ってもらって一向にかまわない。
「つらそうだなぁ…ほうっとくのが、一番だろうなぁ」となぜナチュラルに思うのか。
話し合おうよ、すりあわせようよ!
30年結婚してて、今後も20年ぐらいはよろしくお願いしたいと思っているのに、人って本当にみんな違う。
そして、大内くんも私も、自分の考えから離れるのが少し苦手な方。
よっぽど工夫しなきゃなぁ。
課題がいっぱいで楽しい人生、ってことにしておきましょう。
19年2月6日
あまりに激しい、インフルではないかという症状にひと晩中苦しんだのに、翌朝一番で近くの病院に駆け込んだら、これがなんとネガティブ。
ひと晩中熱が39度以上あったのに、インフルじゃないのー?
「激しいおなかの風邪でしょう」とのことで吐き気止めや整腸剤をもらって帰った。
幸い大内くんがフレックスを使って早めに帰ってきてくれたので、おなかのゆるい2人組はヨーグルトで飢えをしのぎ、ミルクティーとチョコレートでほんのちょっと人心地つくのだった。
ソファにダブルの布団を持ってきてそれぞれ頭を反対側の肘掛けに乗せて寝そべりながら、のんびりゆっくりテレビを見た。
昨夜は激痛のあまりほとんど眠れてなかったので、ものすごく面白い「いだてん」もBSの「三遊亭圓楽物語」も全部寝倒してしまった。
「圓楽物語」はDVDに焼いて保存しておこうか思うほどの出来。
「星の王子さま」ってつぶやいたら、「よく知ってるね?!」って驚かれて、私の年だときっとほぼ全員知ってるよ。
キャストもすべて良い。
本職の昇太を座布団に座らせず、プロデューサーにしたのはワザだね。
(高座での姿はこないだ見たんですでに満腹なせいかも)
谷原章介が圓楽に似てるかどうかなんて、考えたこともなかったよ。
役者さんって、すごいね。
「笑点」のタイトルを大喜利的に決めようとしてる時に、「笑いのポイント」と提案する圓楽に立川談志が、
「ポイント…点…今のベストセラーはこいつだ!」と三浦綾子の「氷点」を出すなんて、話が出来すぎていて夢みたい。でも歴史って案外そういうものかも。
しかし、「芸人になる」話について無心ではいられない今の我々。
そうか、笑点の頃(つったって、これが長いんだが)大学に落研がある時代はすでに始まっていたのか。
「履歴書に落研出身って書く」、当たり前じゃないか。
明るくてユーモアと表現力のある人材ぞろいだぞ!
息子の仲間や友達を思い浮かべると、なぜか就職したくない気満々の顔しか浮かばないところがナンだけど。
19年2月7日
親子関係の本を読んでいたら、こんなことが書いてあった。
「ものごとを悪い方にばかり考えたり、出した成果に対して素直に喜べないことに居心地の悪さを感じる人がいます。このように、何に対してもマイナスに考え、『自分が悪いのでは?』と疑ってしまうのは、子供の頃から重ねてきた究極の合理的思考(否定的自己認知)がひとつの原因となっています。
幼い子供は、年齢相応の合理性を持っています。『どうして?』としょっちゅう問いかけるのは、その表れなのです。ところが、突然叱られたり理由なく冷たくされ続けてきた子供は、その理由を考えても訳がわからないのです。意味不明なできごとばかりでは、子供の世界は合理性を失ってしまうので、『全部自分が悪い』と考えるようになります。そうすれば、すべての現象が合理的に受け止められるからです。母が怒るのは自分が悪い子だから、母が束縛するのも自分が悪い子だから、と考えると説明がつくのです」
うーん、私は感情的なところも多いにせよ全体としては合理的なタイプだと思っていたけど、どうやら自分が考えていたよりはるかに小さな浮き輪に必死でしがみついているだけかもしれないなぁ。
自由な発想で問題の解決を図るのと合理性はかならずしも同じじゃなく、むしろ前者の柔軟さが私の持ち味かもしれない。
合理主義者を標榜するのはやめよう、とちょっと思った。
自分の浮き輪の話を考える時、友人から聞いた話をいつも思い出す。
彼女は小さい頃、1人でお風呂に入るのが怖かったんだって。溺れてしまうんじゃないかって。
するとお母さんは彼女の首に細長くたたんだタオルをかけ、「この両端にしっかりつかまってれば大丈夫!」と教えてくれて、彼女は安心して入浴したのだそうだ。
浮き輪やタオルは、人生に必要なものなんだよ。
特に、いずれは溺れないで1人でお風呂に入れるようになるのが確実なんだとしたらね。
ちなみに上記の話は「いい話」だからね。いいね。
ついでに、息子と先日話した時に「子供だって説明してくれればわかるのに」と言われたことについて。
「虐待になるか否かを分けるのは、その後のフォロー、つまり言葉による説明と感情面のケアにかかっています。『合理的思考』のところでも述べましたが、子供は大人が想像する以上にいろいろなことを考えることができます。フォローをされれば、ダメなものはダメだと心に刻むと同時に、親が叱ったのは理由があってのことだと理解できるでしょう」
彼が自己申告通りに「言われればわかる」ことと、15年ぐらい遅かったのかもしれないが、今でも我々のフォローは有効だということ、をしみじみ思う。
それもこれもそこそこ良好な親子関係あっての物種だ。
私の脳裏には、理由のわからない台風が吹き荒れてるような心象風景が広がりっぱなしだ。
「いつかは完全なお母さんが、完璧に自分を受け入れて愛してくれる」という幻想がいまだに私を苦しめる。
ええ、還暦なんですけどね。
大人になりきれない人に、年齢は関係ないんだろう、きっと。
まずは「世の中に『完全』なんてものはない」というところから始めようか。
欠乏が大きいから、「得られるはずのもの」が赤色巨星並みに膨張・巨大化してるのかなぁ。
「お母さん、あなたは私の何がそんなに気に入らなかったの?どう直したら、お姉ちゃんより愛してくれたの?」という悲鳴のような悲しみで、涙と鼻水だらけになって泣くのはもうやめよう。
19年2月8日
「12月のお誕生会」をなぜ今頃やるのか、いつものパレスホテルのローストビーフではなくさらに難度の上がったフレンチ「北島亭」で、我々は大丈夫なのか、様々な疑問を無視または踏み越えて、今日は四谷にやってきた。
ひとつめの質問の答えは、大内くんと同じく12月生まれの同僚がそれぞれ夫人同伴でお祝いしましょう、とのことで、12月の予約が取れるようになった11月初日に大内くんがアタックをかけたが、予定していた日はなんと「お店が貸し切りで、無理」。
あわててもほかの日は全部、参加者のスケジュールが合わず。
1月は「北島亭」のお正月休みが思いのほか長かったため、大内くんが満を持して「年明けすぐに」とそろえた予定は潰え、そして後半も同僚の方は忙しかった。
やっとなんとか時間を作ってもらえてお店を抑えられたのが今頃になってからだった、というわけ。
実に、話だけなら10月にはもう予定調整を始めている。
オトナって、忙しいなぁ。
うまくいかない時はいかないもんだし。
まあいいか、前回はともかく、前々回の同じ会が実現したのはどうやら年を越して3月も末になってかららしいもん。
何度も言うけど、12月のお誕生会だよ?
ふたつめの答え、結論としてそりゃあオトナだから大丈夫だけど、キンチョーしますね。
パレスホテルだって十分敷居が高いんですからね。
でも毎年同じ場所で同じものを食べてるのも何だし、我々も一度、友達を北島亭に連れてって自慢したかったんですよ。
果たして、たった4度目の来店の我々をスー・シェフは、「いつもありがとうございます!」と元気よく温かく迎えてくださる。
「すみません、ご希望だった『牛ほほ肉はちみつ入り赤ワイン煮込み』をお出しできなくて。今日の仕入れにほほ肉がなかったので」
はい、昨日大内くんから聞いてちょっと泣きました。
「あれしか頭にないんですよね。思えば初回からそうでした。絵に描いたような『よしながふみさんを読んできた客』でした」と言うと、
「そうでした、オーダーがほぼマンガの通りでしたね」と言われた。
今日も前菜に「ずわいがにとアスパラのシャルロットサラダ」を選んで、
「はい、安定の『いつものやつ』、ありがとうございま〜す!」と笑われた。
大内くんは「なるべくちがうものを食べたいタイプ」で、拾い食いの時代だったら死にやすい種族だ。
(でも頼んだ「アカザエビのサラダ」食べたことあるやつじゃん)
同僚ご夫婦は、
「やはり、絶対オススメの看板メニューを」と2人とも「生ウニのコンソメゼリー寄せ」に。
「違うもの頼んでお2人で突っついた方が良くないですか?」としつこく勧めたけど、
「お互い自分の分をがっつり食べてみたいから」とのこと。
温かい前菜、魚料理、肉料理は4人で同じメニューをお願いしないといけないので、頭をくっつけて相談し、「フォアグラのソテー」「甘鯛のポワレ」「仔羊の岩塩焼き」に決めた。
オーソドックスな皿ほど店の実力が出るものだし、とにかくどれも無茶苦茶おいしいから!
あとは小食なお2人はハーフポーション中心、我々は実は直前までは不調なおなかをいたわって「少なめで」と初めての屈辱的なお願いをしてあったのだが、スー・シェフに、
「今日は意外と行けそうだな、とか、お肉だけはがっつりたべたいな、とか、何でも言ってみてください」と豪快に言われ、つい、
「私、今日、思ってたより行けるみたいなんです。前菜は冷たいのも温かいのもフルでお願いします。お魚とお肉はハーフにしておきます!」と細かくお願いしてしまった。大内くんもうんうんうなずいて同意見。
ワイン通のお2人なのでおまかせして選んでもらっちゃおう、最初っから楽するつもりでいて、何しろこの店でお料理と一緒にワインいただくの、初めてなんだ。
大内くんも私も、「ワインに払うお金があったらもうひと皿食べたい」ところで完全に気が合っているもんで。
同僚夫は、
「お料理がいろいろ出てくるわけですし、お店のスタイルにおまかせが一番ですよ。この『グラスワイン3杯』セットにしましょう」と超合理的な判断。
泡が大好きという夫人だけはシャンパンで始めることにして、宴席のスタート!
アミューズは「白魚のフリット」。
太さが5mmぐらいしかない小魚なのに、全員ふかふかと揚げてもらっていて身が柔らかい。
よしながふみがセリフで特筆大書してて、最初に来た時心から同意したこと、「塩加減がちょうどいい」。
しまった、夫人に「知ってます?素材の味を生かすために必要最小限しか塩を使わないのが日本料理で、素材の味を殺さない限度ぎりぎりまで塩を振るのがフレンチなんだって」とよしながふみの伝道者としてうんちくたれるのをすっかり忘れていた!
お2人とも「きのう何食べた?」は最近読んだらしいので、さらなる美食探訪の参考に「愛がなくても喰っていけます」をオススメし、さらに甘いものが大好きで職場に「甘部(あまぶ)」というアヤシイネットワークを持つ同僚には、「西洋骨董洋菓子店」を強く勧める。全4巻だから、すぐ読める。
びっくりしたことに、ここでいきなり夫人が興奮。
「滝沢くんの?!」
そうですよ、アレですよ、実写ドラマ「アンティーク〜西洋骨董洋菓子店」の原作ですよ!
「え〜、他は誰だっけ、藤木直人と〜」って首をぶんぶん振っている彼女を尻目に、えっへん、私、あれなら全部言えるんです。
「ゲイの天才パティシェが藤木直人、店主を『若』と慕ってついてきちゃった無駄にガタイのいい弱虫が阿部寛、滝沢くんは引退した若いボクサーでチャンプなのに顔がキレイな『リングのジャニーズ』、で、店主がえーと、えーと、うーんと」
「椎名桔平」
すみません、最後だけ大内くんに手伝ってもらっちゃいました。人の顔と名前にやたらに強いんです、この人。
夫人も大ファンで、今でも手に入ればもう1度見たいと熱望してるそうで、
「ホストクラブ状態でしたよね〜、いろんなタイプのイケメンが」と私が言えば、
「そう、本当に。みんなカッコよかった〜…」とタメイキ。
同僚は冷静にググり始め、アマゾンで6万近くすることを教えてくれた。
手の届く額なら半分ずつ出して買おうか、と相談していた奥様軍団はその場で気絶。
この話は終わった。
まあいいや、死ぬまでには何があるかわからない。
再放送だってCSだってある。
「カノッサの屈辱」だって「竜馬におまかせ」だってなんとかして見てきた。
「ひょっこりひょうたん島」すらなんとかなったと言えなくもない。
こういう話や会社の話を交えて、おしゃべりは続く。
しかし皆さん、会食慣れしているなぁ。
私はおしゃべりの早食いだと自認していたけど、皆さんは軽やかにしゃべりながらいつの間にかお皿の上のものを食べてしまっていて、ウェイターさんが私のお皿だけ下げられずにいることが多い。
よっぽど私だけしゃべりまくってるのかなぁ。
こういう時に経験値の差がものを言う。
8時間カラオケとは訳が違う。
サービスの合間にウェイターさんの「なぜ僕はこの道を選びこの店に就職したか物語」全四部を聴かせてもらった。
第一部「ポキューズ・コンクール放送を見て〜オレはコックになる!」
第二部「ホテルより街場のレストランで〜最初の就職」
第三部「感動!勉強のための食べ歩きでこの店の『生ウニのコンソメゼリー寄せ』に出会う」
第四部「後輩に追い抜かれてずっとフロア係だけど、頑張るぞ!」
同じ年頃の息子を持つ身としては、胸を熱くして傾聴した。応援してます。
さすがの我々も、メイン料理をハーフにしておいたのは良い選択だった。
最初に来た時、フルに食べて、デザートまで終えてトイレに立ち、
「ふー、外のお店で『食べ切れないかも』と思うなんて、よくよくのことだよ。さすがはすべての口コミで『最大限に腹を減らして行け!』と強調されてる店…」と満腹のおなかをさすりながら戻ってきたら、卓の真ん中にプチフールのお皿が出現していて、気を失いそうになったもんなぁ。
「ステーキなら100g食べれば満足」と言う同僚、ご存じだろうか、大内くんは「いきなりステーキ」で450gを喰う。私でさえ300gが適量だと思っている。
夫人も小食。いろんな夫婦がいるもんだ。
その代わり、この2人はさきほどのウェイターくん(いつのまにか「くん」になってる)の物語に出てきたあらゆるフレンチの店に、「うんうん」とうなずいていた。
たいてい行ったことがあるか、そうでなくともよく知っているらしい。
我々が何度も来てる面をしてお2人をこの店にご案内できたってのは、奇跡に近い話だったのだ。
ありがとう、よしながふみ。
デザートに、私は「普通のプリンに一番近いのはどれだったでしょう?」と子供みたいな質問をして、「クレーム・キャラメルですね」との答えに、「それを」。
夫人は「アルマニャックのクレーム・ブリュレ」だったかな。
同僚と大内くんは2人して「フランス産 栗のモンブラン
アイスクリーム添え」を頼んだところ(「西洋骨董洋菓子店」の中のセリフ、「意外にモンブランが男の方はお好きですよ」を思い出した)、もうあとひとつしか残ってないんだって。
たちまち始まる奪い合い、じゃあない、譲り合い。
「大内さん、モンブランお好きだそうじゃないですか。どうぞどうぞ」
「いやいや、さっきから『モンブラン食べたいですね〜』って言ってましたよね。食べてください。私はイチゴのタルトにしますから」
結局、厨房が気を利かせて半分に切って両名に盛り付けてくれるという、ベストソリューションが登場して収まった。
いやいや、いい店だ。
「このあとプチフールも出ますから、びっくりしないでくださいね」とネタバレな忠告をすると、海外慣れした同僚は、
「本来、デザートは3種類ぐらいでるものなんですよね。今選んだようなものが出て、それからマカロンとかプチフールのお皿が出て、最後にチョコレートとか」と熱心に答える。
彼ほどの紳士でなかったら嫌味になるぐらいの蘊蓄だが、「甘部」を統括するだけの熱意がほとばしっていて、好感が持てるなぁ。
甘いものの好きな人はいい人だよ。そのわりにやせてるのは気に入らないけどね。
最後にある意味チョコレート、お誕生日の2人に「Happy Birthday!」の文字と一緒にスー・シェフの似顔絵が
チョコで描かれたバースティ・プレートが。ローソクはなぜか2本ずつ。
「チョコはけずって召し上がれます。ローソクが立ててあるのはマジパンで、これも食べられますけど」とのこと。
けずるとつるつると剥がれてくる不思議なチョコに「おおっ!」と驚く大内くんに、
「お皿を冷やした上にチョコで描くと、簡単にとれるんです」とちょっと得意そうに説明してくれる親切なウェイターくん。
3人がエスプレッソ、大内くんだけコーヒー飲んでプチフールは誰もおなかに隙間がなかったので包んでもらうことにして立ち上がった時には、お店に入ってから4時間近くが経過していた。
最後のひと組で、もう店は空っぽ。
「すみません、お皿を洗う方たちに残業させてしまって」と大内くんが謝ると、ウェイターくんがコートを着せかけてくれながら、
「いえいえ、楽しんでいただけて、何よりです!」とまだまだ元気がいい。
挨拶に出てくれたスー・シェフも、
「今日はほほ肉をお出しできなくてすみません。またいらしてください!恒例のお誕生会なら、次はぜひマダムたちの分で」とにこやか。
はい、また来ます!
店を出て歩きながら、同僚ご夫婦は、
「いい店ですねぇ。すごく美味しかったです!」
「パレスホテルのローストビーフも良かったですが、ここはすごいですね。まだまだ食べたいメニューがあります」と喜んでくれたので、
「ぜひまたご一緒しましょう。次のお誕生会はまたちゃんと今年の12月にやりましょうね」と、やはり仕切り気味な私。
家に帰り着き、別れ際に「最近、元気がないって聞いているから」と夫人がそっとくれた小さな花束をコップに差して眺め、楽しいひと晩を反芻。
ああ、お料理も反芻できたらいいのに。私は牛になりたい。
19年2月9日
月イチの定期検診。
ワーファリンの血中値がいきなり「6.5」に跳ね上がってて、関係者一同「!!!」。
ずっと安定してないとは言うものの、適正値「1.8〜2.2」をわずかに外れるあたりをふらふら上下してて、なんとか範囲内に着地させようとちょっとずつ変えてる、って状態で来て、先月は「2.9」、血尿が出て診てもらった別の病院で「2.5」なのでアドバイスに従って減薬して、「1.6」まで下がって「低すぎます!」と叱られて、でもとりあえずそのままにしておいたら、4倍増。
完全にゲージを振り切れた「危険値」。
今、脳内出血とかしたら、死ぬんだろう。
2Fの検査室でもらってきた検査結果の紙には「再検査済」と書いてある。
向こうでも信じられずにもう1回検査したんだろうなぁ。
さらに診察室の奥の受付で、看護師さんが「大内さんの血中値ですけど〜!」と電話して確認してるのが聞こえた。
どこにも間違いはないようだ。
風邪でおなかをこわし、ほぼ絶食の日々が数日続いた、これがいけないのかもしれないそうだ。
「ワーファリンはね、食べ物や食事の影響を受けやすいんですよ。難しい薬なんです」
だからって、
「ワーファリン、とりあえず止めましょう。で、月曜は祝日ですから、火曜日に来てください。そこで検査して決めましょう」って解決はあまりに手探りすぎないかい?
ここ9ヶ月ぐらいずっと増やしたり減らしたりの繰り返し。
この薬を一生のむことになる手術を受ける前に、そこまで難しいとのインフォームドコンセントを受けた覚えがないぞ。
「納豆と青汁とクロレラ」が禁忌になると聞いて、「嗚呼!納豆大好きなのに!」と「納豆お別れパーティー」を開いた覚えしか。
誰に怒っていいかわからないが、私はけっこうぷんぷん怒っている。
大内くんも一緒に怒っていて、転院を考える日々。
いや、医者の難しさもわかるけどさ、患者さんってのは寄る辺ないものなんですよ。
励ましたり慰めたりもしてほしい。せめて、納得いくまで丁寧に説明してほしい。
「この血中濃度の高すぎる患者さんが今すぐ私の目の前からいなくなってくれますように」って色をこっちが感じるような目で、見ないでくださいな。
検査フロアで、私の前に採血して止血中で座ってたちょっと大内くん似のメガネのおじさん、看護師さんがバンド外しに来てもまだじわっと出血してたっぽい。
看護師さん「止まりにくいですね。もうちょっと待ちましょう」
おじさん「やっぱりワーファリンのんでるからでしょうね」
看護師さん「そうですね、どうしてもね」
そんな会話を聞くともなしに聞いて、「私もワーファリンなんです。何年ぐらいで安定しましたか?お食事とか、気をつけてることありますか?案外めんどくさい薬ですね!」って声かけたくてたまらなかったよ。
大内くんと一緒に来てたら、本当に質問しちゃったかも。
やや年下ぐらいのおばさんにいきなり話しかけられる時は、夫らしき人が横にいた方がなんとなくお互いに安全安心な気がして。
ちなみに、彼が去ったのち採血した私も、やはり止血待ち延長の刑にあったのでした…しくしく。
そうか!ネットに「ワーファリン友の会」とか絶対あるんだろうな。
こないだ「弁膜症で機械弁入れた人の集まってる場所」見つけたんだけど、ブックマークするのを忘れたんで、もうよくわかんなくなった。ググれば出る?
ネットの海は広くて深い。うかつにこぎ出すと、遭難しそう。
「難に遭う」と書いて「遭難」。読んで字の如し。
19年2月10日
大内くんが結婚式でお出かけなので、1人でヒマにしている。
昔なら車で横浜まで送って行ってドライブ楽しんで、向こうの宴席中こっちは街をさまよってて、終わってからおちあって食事はもう無理だろうからお茶とか買い物とかしたかもだが、もう体力ないからおうちで待ってる。
戸塚に住んでる頃は、意味なく横浜ランドマークタワーに「エリザベスおばさんのマフィン」買いに行ったりしたもんだなぁ。
湘南新宿ラインで座れたらしい大内くんとLINEで「一行リレー小説」(笑)をやりとりしてるうちに、横浜に着いたようだ。
今は離れた人ともテキストどころか写真や映像まですぐに交換できて、すごいなぁ。
遠恋とか、昔とは全然感覚が違いそう。
息子が3ヶ月日本を離れていた時も、たまにSNS電話かかってきたりしてたから、大げさに言えば今と変わらない状況。
「電話」が発生した時に、人々はこれに似た気分を味わったかも。
電話線(電線)に風呂敷包みの荷物をかけて、「東京の孫に届くのを待ってるおばあさん」のマンガを見たことあるが、私は今、そんな気分。
さて、PCの前で「ぼーっと電信柱を見上げている」と、腰は痛いけど時間は飛ぶように過ぎるね。
ずっとPC広げてる人のメッセンジャーやラインへの反応が早いのもうなずけるよ。
タブレット以上にレスポンスは楽だから。
でも、私の場合はすぐに「長文注意!」になっちゃうね。
「隙あらば自分語り」とか、ネット用語って私のためにあるような気がするぐらいだ。
生活形態が?気質が?すでにオタク的?!
結局、21時近くに大内くんが帰ってくるまで、お昼寝もせず遊んでた。
新郎新婦の気持ちのこもったケーキでお茶にして、宴の様子を聞いて楽しんだ。
結婚式はいいね、まわりの人もみんな、幸せな気分になる。
あんな晴れがましいこと、一生に二度とないからなぁ。たまに二度三度の人もいるけどね。こほん。
19年2月11日
新しいPCとノートとiPad Proをいっぺんに導入したので、夫婦で撫でまわし、使い倒し、試し斬りのし放題。
いろんなことができるもんだし、また、できるようになんなきゃ困るのだ。
特に私はこの先、iPad Proでお絵描きアプリを使いこなすという課題を控えている。
その約束で買ってもらったツールなんで。
ノートは、いきなり「コート掛けが倒れてきて液晶が割れる」という悲劇に見舞われたが、電器屋のカードで買っていたので保険が効いた。
しかも私が、「面白いからSNSアップ用に写真撮っときなよ。割れた液晶の悲惨な画像」と勧めた写真が残っていたおかげで申請がスムーズだったという。
これは、先見性の勝利なんかでは全然なく、むしろ悲劇の中にも面白さを見出す明るい精神の勝利でしょうな。
PC関連の買い物相談を持ち掛けた知人は「1年以内に大量に購入予定がある時は、その時だけお得な何かの会員になる」と言っていた。
たいがいは初年度会費無料なので、すぐに解約するのだと。
「何%もキャッシュバックやポイントが付く。何10万単位の買い物をするのに、何もしない神経が信じられん」のだそうだ。
我々は「いろいろ記入して面倒くさい申し込みをする+1年以内に忘れないで解約する」のがツラくてたまらんという、「信じられない神経」の持ち主なのでした。
わっはっは、お大尽と呼んでください。
19年2月12日
心臓、神経、眼科のクリニック三連発。
ワーファリン止めてたおかげで「2.2」と正常値の範囲に入ったので、明日から飲むように少し減らした処方をもらった。
「次は来週の土曜日ですね。11日ですか。今日から飲んでもいいかな、12日分かな、いや、明日の朝からにしましょう。やっぱり11日分出しますね」と迷ってるとこに、
「おなかこわしてて痛いですぅ」とか余分なこと言って混乱させたんだろうか、
「そうですか、整腸剤出しておきますね」ってお別れした先生、お会計終わって処方箋もらってみたら、ワーファリン7日分と整腸剤11日分になってる…なんかおかしい…
看護師さんに差し戻して確認してもらって、ワーファリン11日分無事に出してもらったけど、あれ絶対逆なんだろうなぁ。
もう、本当に転院しちゃうぞ。ぷんぷん。
メンタルクリニックでは「毎日泣いてばかりいるが、落ち着いてはいる」と報告。
しばらくは薬を変えずに様子見。
「夫に要求しすぎかと思います」
「こないだ会った時、ダンナさん、引いてるって思いましたよ。本人たちがいいならいいけどさ、あなたも不満があるから爆発しちゃうんでしょ?」
いったい何の話をしてるのかと書いてて笑ってしまったが、私は人への要求水準が高すぎる。
自分はさておき、でもないから、自分にも要求が高くなって、でも結果の出る何かをしてるわけでもないので理想ばかり高くなって空しくなってる最中だろうか。
これを、「スカッと空振りして、大振りだけに外れると乱れる。当たるとでかいところは長嶋みたいなんだが…」と評する大内くんみたいな人と暮らせる幸せを、もっとかみしめるべきだろう。
「そもそも、要求が高いことが面倒と言うより、高い要求をすることに躊躇し、『わがまますぎる』と自分を責めてることの方が面倒くさい。足りないものは足りないんだから、堂々と要求していい」とまで言ってくれることにも加えて感謝だ。
ブックオフ2F文庫本売り場は改装中で休みだった。
図書館で借りた読みかけの佐野洋子の「シズコさん」があんまり面白いので、「これは、買って読もう」と思って止めてしまった。
そうと知っていれば、返さないでとりあえず手元に置いたんだがなぁ。
ブックオフの108円棚で売ってるとは限らないから、そもそも手放したのが間違っていたが。
「男とコートは、新しいのを手に入れるまで古いのを手放してはいけない」と林真理子が書いているが、本も同じかも。
「右手につかむまで、左手のを離すな」または「アイハブ、ユーハブ」みたいなダブルチェック精神は大事だと思い知らされた。
ドンキホーテに寄ってチキンラーメンを買おうと思ったら売り切れ、という二重の不幸に出会う。
朝の連ドラ「まんぷく」で万平さんが即席ラーメンを完成させる日も近い今、「Xデー」にはチキンラーメンでお祝いだ、と糖質制限中の我々すら思うぐらいなので、全国の視聴者が心を一つにしているにちがいない。
しかし、ツイてない日というのはあるもんだ。
帰って寝よう。
本日の不運のあらましを大内くんにLINEしたあと、大粒のカキを買ったから、今夜はカキフライ、と知らせる。
「大丈夫、こんな日は絶対『あたらない』からww」とつけ加えると、
「誰がうまいことを言えと」と教えてあげたばかりのネット的言い回しを返してきた。
「慣れない流行り言葉を使うな」と息子からよく注意されるほどに母親は軽薄、父親は大真面目でどこかヘンなこの両親が、さぞかしイヤだろうなぁ。
10年以上前に亡くなった父親が「ナウいじゃん」とか言ってたら、私も驚くよりはやっぱり頭にきただろう。
めまいがひどくてまっすぐ歩けないぐらいなので、カラオケは割愛。
クリニックでは「急にすごく寒くなったから、自律神経失調が悪化してるんでしょう。お薬続けてください」って言われた。
家で少し休んでから午後の部に出動。
歩くには遠すぎ、バスは近すぎるので自転車。
これが、怖い。まっすぐ走れない。
大内くんが教えてくれた「今日は調子が悪い」という概念をギュッと握りしめて、悪化の一途だの老化しただのもう外出は無理だの深く考えるのはやめておく。
眼科では、やっとなんとか眼圧が少し下がりかつ目が荒れない目薬が見つかったようなので、もう1ヶ月使って様子見ましょうって言われた。
「前回、ちょうどひと月で1本使い切って、手持ちがないとギリギリで不安でした」って言ったら、
「じゃあ、2本ずつ出しましょうね。安心してじゃばじゃば使ってくださいね!」ってカルテ書いてくれてたのに、処方箋確認したら全部1本になってる。
これも看護師さんに差し戻し。
私が悪ズレしたうるさい患者と化しているのか、医者ってのは案外間違えるものなのか。
なんか最近こういう体験が増えているぞ。
帰り道、ランドセルの子供たちが大勢走って行くのに遭遇した。
息子が小さい時のことを思い出す。
最近まとめて読んだある種の本には「娘が30歳までは進学、就職にうるさいのに、そのへんを境に急に『孫の顔を見せろ』とうるさくなる母親」がゴマンと出てきて、「話が違うじゃないか」とか「要求の飛躍」とかはおいといて、孫の顔ってのはそんなに見たいもんなのか、いないと恥ずかしくて同窓会にも行けないものなのか、自分も10年以内にそんなものすごいことを考えるようになるのか、と暗澹としてたんだが、今んとこ小さい子供は可愛いが365日24時間責任を持ってたあの時代にはもう二度と戻れないし戻りたくない、と思う。
いや、だからこそ、責任のない孫は可愛く、欲しいものなのか。わからん。
ただ、子供のいない頃、在宅で子育てしながら翻訳の仕事をしていた友人が「赤ん坊が始終泣くので、仕事の手が止まる。在宅もなかなか楽じゃない」とこぼすのに対し、「よその部屋に入れて泣かせっぱなしにすればいいじゃん。赤ん坊の泣き声なんてたかがしれてるでしょ」と言い放ってあきれられ、もちろん子供を産んでから「すまなかった!現実ってのはそんな甘いもんじゃなかった。泣き声は大きいし、そもそもほっといていいもんでもほっとけるもんでもなかった!」と深々と謝罪したことを忘れまい。
「知らないうちは何でも言える」のだ。
そして現実は常に遙かに重い。
加齢とともに自信がなくなってきて、ハーフニートだろうがろくでなしだろうが、自分より若い世代と一緒に暮らせたら頼りになるだろうなぁと思えてきて、今はとんでもないと思う同居もしたくなる気持ちの輪郭の片鱗ぐらいは想像がつく気がする。
やっぱり早めに老人ホーム入ろうっと。
こんなことを毎日考えている還暦直前。
いいから、働け!ヒマすぎだろう!と脳内の別の自分は言う。
寝ていたいよぅ、とリアルの自分は答える。
19年2月13日
信田さよ子の本の中で紹介されてた「おまえの1960年代を、死ぬ前にしゃべっとけ!−肺がんで死にかけている団塊元東大全共闘頑固親父を団塊ジュニア・ハゲタカファンド勤務の息子がとことん聴き倒す!−」(加納明弘×加納健太)って本が面白そうなんで、とりあえず大内くんに読ませてる。
実は私、対談と戯曲は非常に苦手で、読めるかどうかわかんないもんだから。
「面白いこと考える人がいるもんだね〜」と感心してた大内くん、この週末に感想を聞きたいな。
とりあえず「親父として、息子とはどう口をきいたらいいか」を勉強するといいと思う。
この話から派生して大内くんがひとくさりレクチャーしてくれた学生運動の話を聞いて、
「あさま山荘リンチ事件をとどめに人々の心が学生運動から離れたんだとしたら、それは反対勢力ないしは誰か得をする『フェザーン的立場』な第三者が内部から煽った、仕組まれた陰謀って説はないの?」と聞いてみたら、
「うーん、まだ見聞きしたことはないなぁ。僕にとっては、新しい説」と言って、メモしてくれていたようだ。
あなたの「サンタクロースなまはげ同一起源説」とかと一緒に、いつか解明し、証明してくれ。
あと、友人が読んでるのが面白そうだったので、「80’s」(橘玲)も借りた。
筆者は私と同じ年。
共有している文化もないではないが、やはり森の中に住んでいてせいぜい中野ぐらいまでしか行かなかった人間とは生息域が違うようだ。
バブルが私の横を静かにただ通り過ぎていっただけなのも感じる。
学生としかつき合ったことがないので、おしゃれなバーも海外旅行も無縁のものだった。
唯一影響を感じるのは「利率」に関して感覚異常が治ってないこと。
この「バブル経験」は一生治るまい。
銀行からの投資の誘いなどは全部、「利率が8%の頃を知ってしまうと…」で断り倒している。(相手は苦笑い)
アベイ銀行の倒産でマシュウを失った赤毛のアンだって一生タンス預金派だったにちがいないとにらんでいるよ。
19年2月14日
息子にお願いしておいた来週末の公演のチケットを再確認するついでに、
「イマドキの若い人はチョコレートのやりとりとかしないのかな?まあ、母さんからおひとつ」と小さなチョコの絵を送っておいた。
「ありがとう。大丈夫、とってある」とだけ返ってきて、「?」がすべて質問とは思われないか、わりと真面目に聞きたかったんだが、と少し残念に思う。
だって、それぐらい世の中は私に遠慮も断りもなくどんどん変わっていくんだもん。
一時は「義理チョコ」という言葉を発生させ、職場でも「女のコたち」に毎年回り持ちのお当番を組ませたほどだったのに、ここ数年すっかり様変わりした。
大内くんだってチョコなんてもらってこないのだ。かけらも、匂いもしない。
1987年に週刊文春で連載が始まった「おじさん改造口座」第20回のテーマは「バレンタインデー」だったはず。
しかもすでに「よその事務所の女の子がうちの係長に持ってきて、当人不在のため『義理チョコですか?』と確かめたら、『ハイ』と明るく答えて帰っていった」と証言されてるぐらい、「しっかり根づいている」習慣だったのに、いつの間に去って行ったんだろう?
あー、そう言えば、昔はお義母さんから大内くんに送られてきてたチョコ、いつの間にか止んでるわぁ。
まあ、日本に入ってきた時は「告白」の意味だったわけで、それがなくなった時点で、やめていいしね。
そもそも、女性から男性には年に1回しか「好きです。つきあってください」って言っちゃいけないなんて、おかしいでしょう。
どう考えても「男女不均等」だし、今や「セクハラ」条項にも引っかかる。
ところで、ご想像の通り私は昔から、好きになった人には可及的速やかに「あなたを好きになった。ついては、私とつきあいませんか?」と365日、日を選ばずに「告白」していた。
なので、よくよく考えたら男性から「実は好きです!」と言われたことがない。
ちょっと残念かも…驚いたり照れたりしてみたかった…
(大内くんは毎日言ってくれるけど、「実は」の部分がないからなぁ。人生にサプライズって必要)
19年2月15日
帰るコールで「晩ごはんは『ミルフィーユ鍋』でいいかぁ」とか相談してる時、
「こないだ買った『ゆず』はどうなったっけ?」と聞くと、
「たぶん、冷蔵庫の一番上の段で干からび始めてる」との答え。
「食卓では先週北島亭でもらったミカンが干からび始めてるよ」と言ったとたん、昔好きだった爆風スランプの歌が浮かんだので歌ってみた。
「あ〜、食卓のミカンは、干からびていく〜」(本当はキャベツだけど)
大内くんは、
「45歳はものすごく年上に思えたものなのに…」ため息をついた。
よく覚えてたね「45歳の地図」。
今より10歳も若いんだから、びっくりだよね。
きっと私は10年後に、「還暦前なんて、本当に若かった…」ってつぶやいてるよ。
19年2月16日
久々に何もない週末。
2人とも家から一歩も出ないで過ごした。
「秋頃から、人に会いすぎだよ。8時間カラオケのあと徹夜で飲むとか、普通は疲れる。全部つき合ってるわけじゃない僕だって疲れた。疲れても自覚ないし、休むって常識もない」と、ちょっと叱られた。
くたびれすぎました。今、休みます。ぐんにゃり。
19年2月18日
「二月の勝者」というマンガがある。中学受験のマンガか。
1巻の最初で塾講師が言う。
「君達が合格できたのは、父親の『経済力』、そして母親の『狂気』」。
子供の頃から受験して難関を目指すにはその2つが欠かせないのかもしれない。
経験者の大内くんも、
「ある時期、狂気になるしかないと思うよ。特に母親はね。ただ、その狂気の中にずっととどまってるってのが問題で…」と複雑な顔してた。
まあ、我が家では「今の息子」を観察してて「ここで受験だ!」ってタイミングを見てたら、都立高校を受けるって選択になった。
大内くんが男子校アレルギーだったとか、私が地方出身者なので「東京のいい学校」を全然知らないとか、そういう事情もあったけど、中学受験は「向いてる子」と「向いてない子」がいると思う。
そもそも「勉強に向いてない子」もいるという事実が認められにくい世の中になってきた。学歴偏重の時代が続いたからだろうか。
だからこそ、「ここで頑張らせなければ!」って狂気も欠かせない条件なのかも。
そもそも、子供を育ててる時ってあんまり正気ではいられないよね。
息子がうんと小さい頃、「自分は今、この子に溺れ始めている。しかしある程度は溺れなければ育てられない」と思ったので、親しい女友達に頼み事をした。
「いつか、私がこいつのために正気をなくしていると思ったら、そう言ってね」と。
そして、息子が10歳の頃、「バレンタインデーにチョコがもらえない男子はぼくだけだった。学校で、ちょっと泣いちゃった」との報告を受け、私は思わずその友人に電話をかけてしまった。
「今からでも、あなたの名を借りてでも、息子にチョコをあげたい!」
彼女は、冷静に真摯に、言ってくれた。
「前に頼まれていたから言うけど、今、あなたは正気をなくしているよ」
持つべきものは良き友と未来予想能力、って話だけど、ちょっとぐらい狂気に陥らずに、なんで親をやっていられようか。
私の母親は、私のためには「狂気」にはなってくれなかった。
小学校の帰り道に近所のいたずらな同級生男子に石をぶつけられ、帰宅した母が、頭から流血して「いたいよう」と部屋にうずくまって泣いている私を発見した時も、母の怒りはなぜか自分の子供に向いた。
「ぶつけられて黙ってることないでしょう。文句言ってきなさい」
しおしおと当該男子の家に行き、お母さんに事の次第を告げると驚いていて、夜に当人を連れてカステラ持って謝りに来た。
母親は満足そうだったが、翌日、学校で「あいつ、文句言いに来たんだぜ。カステラ泥棒だ」と男子たちに罵られたことを帰って告げると、再び、
「言われっぱなしになってないで、文句言いに行きなさい」
たぶん、カステラは食べちゃってたんだろう、手ぶらでまた相手の家に行き、お母さんに、
「カステラが欲しくて言いに来たんじゃありません。謝ってもらいたかっただけです。もういいですから」と話した。
普段は活発なのに、本当に足取りもとぼとぼと住宅街を歩いた、その不思議な気分をずっと覚えている。
大人になってからも何度も考えていた。
母親は「怒り狂ってねじ込む」ような人ではなかった。
彼女の「世間体」はそういう方向に働いていた。
内弁慶で、よその人に言いに行くのはめんどくさく、恥ずかしく、「子供のケンカに親が出るのは大人げない」と、子供本人に言ってしまうような人だった。
まだ小学校5年生ぐらいの子供に。
ケンカじゃなかったのに。日頃の私がおとなしすぎて自主性を育てる必要があったわけでもなかったのに。
3歳ぐらいの頃、デパートのエスカレーターでふざけていて転げ落ちて頭に怪我をしたら、母親は、駆け寄るデパートガールさんに「いいです、大丈夫です」と繰り返しながら、うわーんと泣いてる私を抱き上げて急いで家に帰り、じっくり言い聞かせた。
「小さい子が怪我をすると、親がちゃんと見てないからだって、ママが叱られるの。だから、ママ、『病院に行きましょう』って言われても、ささっと逃げてきたでしょ?でも、あなたの泣き声を聞いて、もう今にもおまわりさんがママを捕まえに来るかもしれない!」
ママがつかまっちゃう!と必死で涙を飲み込んで痛みと戦って、ガマンしようと思った。
ガマンしないと、ママが連れて行かれちゃうから。
痛くても、泣いたらダメだから。
大げさなことになったら、ママが嫌がるから。
「子供は自分自身より大事」と言葉では言われて育ち、子供にはその言葉を超える「自分の言葉」がまだないから、母の言葉と「大事にされない現実」は常に乖離していた。
初めてのお産が緊急の帝王切開になり、呼吸せずに産まれた赤ん坊は呼吸器に直行で抱くことも顔を見ることもできなくて、産後の入院中、私はずっと泣いていた。
母は飛んできてくれたが、親戚の優しいおばさんが慰めようとしてくれたら、「あこちゃん」と低く言い、目で私を叱った。
もう泣くな、と。人を、ひいては自分を、困らせるなと。
彼女は、自分が困ることが一番嫌いだったんだと思う。
自分が人に迷惑をかけても、自分のことだから気がつかないでいられる。後ろ姿は自分には見えないようなもの。
でも、子供のことでは親、特に母親が責められるから、「子供自身の責任で行動させる」「自主性のある子供を育てる」体裁で、みっともないことはしなかったんだと、今はわかる。
勉強しないことやマンガを読むことにほとんどうるさくなかったのは、「母自身は別に困らないことだから」だったんだろう。
母が「私のために」狂気に陥ってるところを見たことがないから、健やかに「狂気」を持ち、不要になったらさっと「正気」に返る、そんなお母さんたちに憧れる。
さてさて、私は今、正気でしょうか?
19年2月19日
通院日。
1人で外に出ると、ふらふらしてかなり不安。今日も1人カラオケは無理か。
前回、先生に「ご主人は引いてますよね」と言われたのが納得いかなかった。
大内くんに話したら、
「キミが大変でかわいそうで、僕に何ができるかどうすればいいかと悩んではいるが、全然引いてはいない。それだけは違う。何十年もカウンセリングにずっとつきそってきたのは伊達じゃない」と断言されたので、そこだけはちゃんと伝えねば。
あと、大内くんと結婚してから初めて、「もしかしてこの人は最近流行りのモラハラ夫か共依存で、奥さんをダメ人間にして面倒みて、自分の存在意義を確かめてる?」と考えてみた。
いちおう、何でも考えてはみる。
その話だけでなく、自分の考えや大内くんとの話をまとめたものをタブレットの画面で1スクロール半ぐらいにまとめて持って行き、「見てもらえますか?」と聞いたら、先生は「はいはい」と読んでくれた。
「母親に破壊し尽くされたことに初めて気づき、今、瓦礫の中に立ち尽くしている」というのが大内くんの説。
「悲しいのが当たり前だよ。絶望するよ。だって、瓦礫なんだもの」って。
そう聞いて、ぽろぽろと涙がこぼれてきた。
「『病気』が良くなったら、お母さんから完全に離れられたら、元気で完璧な自分が出現するんだと思ってた。元気な自分は、お母さんに隠されて見えないだけだと思ってた。だから、お母さんは死んだし安定剤も睡眠薬ものまなくなったから、もう自分は大丈夫なんだと思ってた。それなのにダメでダメでどうしようもないから、絶望してどうしていいかわからなくなってた。まさか、お母さんが私を完全に破壊し尽くしたなんて思ってなかった。そこまでひどいことができるなんて思わなかった。だって、どんなにひどくったって、『親は子供を愛してるものだ。あなたを大事にしてる』って言ってたんだもの。全部本当に嘘だなんて、思ってなかった。立派なお城が出現するとばかり思ってたのに、瓦礫しかないなんて!」
大内くんの手を握ってしばらく泣きながら、よく考えてみた。一生懸命考えて言った。
「でももう、幸せになっても怒られないんだよね。思ってたお城はないけど、瓦礫を片づけるのを邪魔する人はいないんだよね。ひとつひとつでも石ころや破片を拾って片づけるから、きれいになった空き地に新しい建物を建設するのを手伝ってくれる?この歳からじゃたいしたものは作れなくて、せいぜい2、3階建てかもしれないけど」
予想通り、彼の答えは、
「もちろん手伝うよ。キミがキミとして幸せになってくれれば、それが僕の幸せだよ」だった。
またぽろぽろぽろ。
てな話をタブレットで読んでくれた先生、
「考え方として間違ってないと思いますよ。そうか、ご主人は僕が考えてたのと違うみたいだなぁ」
私「ここに一緒に来る男性はモラハラのタイプか、引いてるかですか?」
先生「うん、いろいろ見てるとね、正直言って、どっちかになっちゃうね。『あ、これはアレだな』ってね。ご主人は違うのかもなぁ。あんまり会ったことないタイプだなぁ。彼は、僕の世界に新しい窓を開いてくれましたよ」
私「『共依存だとしたって、30年やってきたことなんだし、人に迷惑かけなきゃいいよ』って言ってます」
先生「カギと鍵穴がぴったり合っちゃったんだなぁ。それはもう、しょうがないよね。合ってればね、いいんだよ。ご主人も、あなたという重荷があったからこそ生きる張り合いがあったのかもだし。オレもね、結婚してなかったらもっとふらふらしててさ…今頃はさ、もっとダメダメでさ…」
なんかツボに入ったのかな、自分語りが始まったぞ。まあ、同意はしてもらえた。
当たり前だけど、向こうにとって私(と大内くん)はまだ何回かしか会ったことない赤の他人、多くの患者の中のごく一部だ。
まずは「社会的に外に出ている夫の陰に隠れて自分の世界がなくなってる専業主婦が、子供が出てって『空の巣症候群』で煮詰まってうつになってる」ってケースかな?ってとこから始まるんだろう。
いやまあ、煎じ詰めればそういうことかもしれないけど、この専業主婦は、こじらせ方が半端じゃないんですよ。
(というふうに、自分を特別な存在だとずっと思ってるのが一番顕著な症状の、やっかいな患者)
「泣くのは、いいよ。どんどん泣きなさい」と言ってもらえたので、しばらくは思うさま泣いていよう。
驚くほど涙があふれてくる。
「涙は心の汗だ!」と往年の青春ドラマは言ったが、中高年もあんがい汗が出る。精神的にも肉体的にも。
「涙が心の汗ならば、汗は肉体の涙なのか」と「筋肉番付」で古舘伊知郎が言ってたのを思い出すなぁ、今、私は心も肉体もやたらに汗をかく、だらだらと汁っぽい生き物だ。
どこか失調してるのは確かなんだろう。
19年2月21日
ふと思ったんだが、「死語」ってあるよね。
先日、「ロハ」という言葉の認知度が心配になり、20歳下の友人に聞いてみたところ、「知りません。なんですか?」だった。
「只」(ただ)という漢字を分解してカタカナで表記した言葉遊びの末の、「無料」を意味する隠語というか符丁というか、まあ昭和時代に大人が使っていたコトバ。
サザエさんとかでよく見たと思う。
それは単に「流行り言葉」が消えたわけだが、常識の変化により意味を失い、風化する言葉もある。
「婚前交渉」って、死語になってないかな。
イマドキの若い人に言ってみて、意味わかるかしらん?
「なにそれ?えーと、なんだっけ、『ユイノー』とかいうやつ?」
というような反応が返ってきたら面白いな、と思ったよ。(結納ね)
2年ほど前に息子に聞いてみたことがある。
「『婚前交渉』って言葉、知ってる?」
「知ってる」
面白くないヤツだな。
ついでに上記の冗談を言ってみたんだが、眉をピクリとも動かさず、「面白くない」。
「えー、けっこう面白いと思ったんだけどなぁ。母さん、お笑いの才能、ない?」
「ない」
とっとと退散したが、同居していたあの当時、彼は本当につまらない話し相手だった。
自分の息子でなければ、たぶん、キライだね、ああいうタイプは。
自分の母親だから大目に見てくれる、って雰囲気すら皆無だし。
歴代カノジョ(いや、そんなにいませんが)にそれぞれ「どこが好きなの?」と聞いてきたところ、驚いたことに返事はほぼ常に、
「頭いいですからね。それに優しいし」。
どこの誰の話をしてるか、はっきりさせてから話そうよ、と言いたくなる。
外の人にはそう見えるんだなぁ。
まあ、たまにしか会わなくなってからは「前より優しくなった」と感じるから、私もだまされる「外の人」って距離に移動したということかもしれない。
(ちょっと話はそれて)
しかし、「優しい」はともかく「頭いい」は相当無い袖は振れないと言うか、現に頭がよくないとだませないと思うんだが…彼の美質がいくつかはあると認めるにやぶさかではないものの、頭がいいなんて要素がそんなにでかいだろうか?オタクで、ものをよく知ってるんで感心はするかな。
まあ、大内くんが頭がいいと思うこともまずない私だが、まわりの人はそれなりに彼を頭いいと思ってくれてるみたいだね。
彼の生息する棚ではそう珍しいような人ではない、むしろ頭悪い方なんだけど、それ以外の場では、やっぱ学歴とかがモノを言うのかも。
倒れ込むようにゴールして卒業し、息子にもそれなりの学歴がついたのは喜ばしいが、やはりバカはバカである。
なんだか、学歴がありがたいという話になってしまった。
(はい、元に戻ろう)
よく、「老後にお父さん(自分の夫)と2人きりになると思うとぞっとしちゃう。何話していいかもわからないし」と言う奥様方がいるようだが(これもだんだん絶滅種となりつつある気がする)、私はもしも息子がずっと家にいたままだったらどうしていいかわからなかったろうと思う。
息子だからキライじゃないけど、いや、むしろ大好きだけど、あまりに何を話せば通じるのかわからない。
だからこそ、家は出てもらったしそれで大正解だった。
後悔したことは一度もない。今んとこね。
19年2月22日
息子がアメリカから帰って初めての自主ライブ。
初めて組むユニットだ。
元々のグループは今、数人ずつ別の活動をしていて、今回のライブには脚本と演者で息子を含む3人が参加。
解散したわけではなく、またグループでの公演も考えているそうだ。
SMAPみたいなもんだろうか。(古すぎ)
息子は、アメリカで勉強してきた「インプロ(即興)」と呼ばれるスタイルのコントに並々ならぬ入れ込みようで、今回の公演の脚本に加わった人たちも舞台に立った人たちも、彼のインプロ熱に共鳴してくれた仲間。
かと言って日本では全く知られていない新天地、というわけではなく、すでにワークショップを開いている人もいる。
息子もいずれは習いに行くかも。
いや、それよりもう一度ニューヨークに行ってもっと本格的に学びたいと言っている。
自分で費用が捻出できるなら、特に反対はしない。
さて、「方南会館」という会場は、息子が渡米前に初めての独り舞台「独人ライブ」をやった縁起の良いところ。
張り切りすぎて開場1時間前に待ち合わせ場所で会えてしまった我々は、街角のおいしそうな「から揚げ」を5個ほど買い、やっぱりという感じで大内くんが調べてきていたブックオフで時間をつぶす。
「知らない街のブックオフはいいよね。いつものとことは品ぞろえが違っててさ」気楽に言う彼に対し、こっちは「108円で文庫本が買えるなら」とついつい電子積読を増やしてしまう。
なんとか1080円でおさめた。
くやしいことに、大内くんはあんまり買わないんだよね。
ブックオフの100円均一の棚に並んでる本では、彼の難しいニーズを満たさないんだと思う。
「こないだアマゾンでやたらに『渡辺淳一』とか『平岩弓枝』とか買ってたじゃん。このへんにたくさん並んでるよ。持ってないやつがあると欲しくならない?」
「ならない。それなりに好きな作品を選んで買ってる。キミのようにコンプリート癖があるわけじゃないし」
まあ、ごあいさつですわね!
私が運転してきた車の中でから揚げを食べ終えた頃、ちょうど開場時間になったので行ってみると、いつもとずいぶん雰囲気の違う若い男性たちが入場を仕切ってくれている。
今回初めて一緒に活動するUくんはプロダクションに所属している、まあプロなので、そっちの関係の仲間や後輩が手伝ってくれるのかしらん。
昔の息子のライブはいかにも学生さんが手伝ってくれてる雰囲気だったのが、平均年齢が上がってきたなぁ。
当たり前か、あの頃からすれば息子だってもう2年も歳をとった。
80席ぐらいの会場はかなりガラガラで、息子の独人ライブの時の方が入ってたぐらいだ。
前から二番目の席に並んで座っていたら、通路から声をかけられた。
「大内くんのお父さん、お母さん」
一瞬、誰だか分らなかった。
息子と、保育園から小中ずっと一緒だった大親友、Sくんだった。
天使のわっかが二重三重に出たつやのあるマッシュルームカットがいまだに印象から抜けないのに、今の本人は短い髪をハリネズミのように突っ立てている。
いや、けっしてムースでおしゃれに立ててるわけじゃない。
どうかすると体育会系に見える短髪。実は君、髪の毛硬かったのか!
「となり、いいですか」と大内くんの横に座ったので、いろいろ話ができた。少し開演が遅れたのは好都合だった。
「息子から連絡があったの?」と聞くと、「はい」。
幼なじみにまで範囲を広げて集客してるらしい。
「仕事が終わるか心配だったけど、間に合いました」と言っていた。
彼も夢を持って、なりたいものを目指して修行中だ。
「Sくんに最後に会ったのは、息子が大学に入った夏、塾の先生の肝煎りで商店街の夏祭りに漫才やったのを見に来てくれた時だね。市長がくるまで引き延ばせ、って言われて、到着したとたんにもう終われって言われてたやつ」
「あー、覚えてるような…オレが浪人してた夏ですね。他に誰がいたかな…もう覚えてないなぁ」
そうか、25歳の人たちにとって、7年前は記憶の彼方の大過去か。
毎日が刺激的だもんね。
やがて始まった、Sくんと3人で並んで見たライブは、期待してたのとはずいぶん違ってた。
てっきりコントライブだと思ってて、5分から10分ぐらいで場面が変わり、新しい小道具が持ち込まれ、別の短いコントが始まる、ってスタイルになじんでいたのに、舞台の上には廃棄されて荒れた宇宙船の中かうち捨てられた部屋のようなディスプレイ。
場面転換がないのか?ひっくり返した机の脚にアルミホイルを巻きつけてちぎったようなのは、どんな効果を求めているのか?
演者たちの声が聞こえてきても舞台は無人で薄暗いまま。録音を流してる?
と、観客の何人かが振り返り、そのまま後ろの入り口を見ている。
つられて後ろを見ると、Uくんと息子が廃墟の調査に来た役所の人、という体裁の小芝居をしながら、少しずつ舞台に近づいていく。
3人で演るはずだが、もう1人はどこ?
後ろを向いてたおかげで、いつの間にか七分ほどの入りになってる客席の通路を隔てた並びのやや後ろに、知ってるような気がする若者を見つけた。
同じく幼なじみのKくんではあるまいか。
背広着てネクタイ締めて、小ざっぱりしたサラリーマン姿。
前で芝居が始まったので振り返って確かめるわけにもいかないが、すごく似ている。
彼にも動員がかかったんだろうか。
思ったのと違って、長い長い、80分続く「演劇」だった。
場面転換は何度かあったが、ずっと同じ話を追っている。
笑えるところはそれほど多くなく、コントはもともと演劇性が高くてプロでもかなり演劇寄りのスタイルの人がいるけど、息子たちのこれも、真ん中を超えて演劇側に踏み込んでる気がする。
いけないわけではないし、新しい可能性があるかもだが、なにしろコントを見に来たつもりだったので、驚いた。
正直、最初は話にのれなくて、時間にしたら3分の1ぐらいは「おいおい、ストリートでやってたら5分と持たずに客が帰るぞ」とか思ってた。
3人目の登場人物、Tくんが出てきても、雰囲気は変わらない。
つかみとかくすぐりとか、起承転結の「起」でつかまなきゃダメじゃん。
残念だけど、あとで息子から感想を聞かれたら、
「うーん、今までで一番面白くなかったねぇ」と言わざるを得ないかと思って焦った。
ところが、途中から話が思いもよらぬ方向へ向かっていく。
変な奴らであるTくんと息子に困ってるように見えていたUくんが、はっちゃけ始めたのだ。
いつの間にか主導権はUくんに移り、そして彼の狂気に近いノリノリな空気が状況を支配していく…
思わず心の中で叫んだ。
「若者の内面の葛藤をテーマにした不条理劇を見に来てたんかいっ!」
ただ、Uくんの熱演は素晴らしいもので、完全に彼の世界に取り込まれてしまった。
観客たちも、終演後、熱烈に拍手していた。
「これからも演劇に近いスタイルのコントをやっていきたいと思います」と代表で語る彼が、このユニットを牽引しているんだね。
感心しながら帰ろうとしたところで、気になっていたことを解決しようと大内くんの袖を引っ張る。
「通路の向こうの席、後ろの方にいるの、Kくんじゃない?」
「え?どれどれ?」とSくんも大内くんも目を凝らしてみて、
「うーん、似てるかなぁ、違うかもなぁ」
「Kじゃないでしょ?だってあれ、背広着てますよ?」(Sくん談。そりゃ君はたまたま背広組じゃないけど)
と言っていたら、視線に気づいたKくんは、こっちに向かって小さく手を振った。
彼も、Sくんに気づいたらしい。
「なつかしいねぇ、元気だった?」と声をかけると、小学校時代からは想像のできない愛想の良さで、
「ご両親が来てるとは思いませんでした」と笑っていた。
出口でお見送りをしていた息子が彼らに気づいて、いつの間にか幼なじみたちは3人で円陣を組むようにしてがっちり手を握り合っていた。
なにかの変身シーンみたいだった。
「じゃあ」と手を振ったら、3人とも会釈したり手を振ったりいろいろ。
帰り道、ずっとすごく幸せだった。
そんなに面倒見てないから「自分の子のような」とまでは言えないが、2人とも小中の時は週の半分以上遊びに来てはゲームをしてた。
保育園から一緒のSくんは、何度お泊まり会をやったかわからない。
彼らが小学校に上がりたてぐらいの頃、「なにか困ったら言ってね」と子供たちに声をかけて、自室でマンガ読んでたら、ふすまの外からSくんに呼ばれた。
「どうしたの?」
「おばさん、おしりのあながかゆいんですけど」
それは、自分で何とかしてくれよ…と答えた覚えがある。
ゲームをしていてもあまり表情の変わらないKくんは、うちでは「体温が少し低い、めったに表情の変わらない子。目を見開いたとことか、見たい」と注目されていたが、ある日、ベッドの下の引き出しに、背表紙を上にしてマンガがぎっちぎちに詰め込んであるのを見せてあげたら、「ああっ、すごい!!!」と目を真ん丸にしてくれて、こっちの気が済んだもんだった。
これほど思い出や興味があふれていても、これから3人が飲みに行こうって言ってても、我々は参加できないの。当たり前だよね。
息子はおそらく片付けや打ち上げがあるだろう、SくんKくんはまだ昔と同じ実家に住んでるそうだから、2人で一緒に帰る途中で「食事でも。なんなら一杯」とかなるのも自然だよね。
なのに、そこに「キミたちのこと、なつかしいなぁ。おばちゃんも入れて」と言ったとたんに、ものすごく不自然。
こんなになつかしいのに。
しかもね、このおばちゃんは、キミたちが保育園から中学までで言ったりやったりしたことを、かなり詳細に記録してある気持ちの悪いおばちゃんなんだよ。入れてくれたら、楽しいよ。入れてくれないとね…ふふふ。
まあ、若い人は若い人におまかせして、正気を保ってられる間に帰りましたよ。
礼儀正しい若者に成長してたから、「はぁ?なんで友達の親と??」との思いは胸にたたんで、「どうぞどうぞ、一緒にメシ食いましょう」って言ってくれた可能性も大なんだけどなぁ…
息子よ、なつかしい出会いをありがとう。
幼なじみの友情劇場を見せてくれてありがとう。
子供は親の所有物ではないし、成人してるんだからなおさらだけど、ファンとして鑑賞ぐらいはしたいものだ。
19年2月23日
ここんとこ2週間に1度は血液検査しに来てる心臓のクリニック、今日の数値はどんなんかなぁ。
できればせめて月に1度の検診に戻したいなぁ。
強く願ってたせいか、はたまた食生活が良かったか薬の量が適切だったか、本日の値は「1.6」。
適正値「1.8〜2.2」からすると下にはみ出してはいるが、先生も少しほっとしたようだった。
前回、高めだった時は、
「若い人であれば2.0〜3.0ぐらいが適当です」って量そのままで通してたのに、低めでもいいのか。
どうも先生の基準がわからなくなってる。これを人は「医師への不信」と呼ぶのだろうか。
数か月コレステロール値を下げる薬をのんでいて、今ひとつ身体の調子も良くないし、薬の数がハンパないので削れる薬は削りたい。
「下がって安定してきましたから、コレステロールの薬、やめてみることはできませんか?食べ物も前より気をつけていますから、それでも上がるようならまた出していただくということで。毎月血液検査はしているわけですし」と聞くと、先生は早口で言い始めた。
「薬をのんで下がってるからって、やめたら上がりますよ。血圧の薬なんかでもそうですよね、下がったからもうのまなくていいでしょうって、そういうものじゃないんです。コレステロールが高いと動脈硬化が起こりやすくなり、心臓にも負担がかかります。大内さんは糖尿の不安もあって、糖尿の人は動脈硬化が進みやすいので、気をつけないといけないんですよ」
私がたじたじとしているのを見て、後ろに座ってた大内くんが助け舟を出してくれた。
「その糖尿も、薬が効いて数値が下がったので、やめてみましたよね。その後、のまなくても大丈夫になりました。コレステロールもそういうふうになるかもしれませんから、いったんやめて様子を見てみてはどうでしょう?」
この穏やかな提案が気に障ったものか、先生は少し気色ばんだようだった。
「まあ、そうしてもいいんですけど、様子を見るっていうのは一見穏やかで適切であるように聞こえますが、動脈硬化の進行は確実に起こるので、この場合は決していい態度とは言えないのですよ!」
というわけでまたコレステロールの薬も持たされて帰る私なのだが、勝手にやめて血液検査で値が上がったらえらいことだしなぁ…
薬はキライじゃない、と言うか、20代から薬漬けの人生だったので、抵抗感があんまりないんだよね。
ここに至って、のまなきゃいけない薬があんまり多いものだから減らせるものは減らしたいって、珍しく殊勝な心掛けになったのに、先生には評価されないか。
週末の買い出しは2人でドライブがてらの楽しみのうちとは言うものの、ルーティンの八百屋・スーパー2軒に加え、今日は駅ビルの中で魚屋と輸入食品屋とメガネ屋をめぐり、図書館2か所とケンタッキーとブックオフと電器屋と薬局とガソリンスタンドに寄ったので、たいそう疲れた。
途中で「残りは明日にしない?」と弱弱しく提案するも、大内くん自身あまりに疲れているので、明日はもうどこにも行かなくて済むように、すべて回ってしまいたいのだそうだ。
11時に家を出て、帰り着いたのが18時過ぎ。9時間も出かけてたのか。ちょっとしたフルタイム労働じゃないか。
予定していたことはほとんどできず、少しだけ録画のドラマを進めて、本を読んで寝る。
ところがこんな日に限って、もう寝ようとしている24時過ぎに息子からメッセージが来たりするのだ。
「昨日は見に来てくれてありがとう。月曜に振り込まなきゃいけない国民健保の振込用紙が見当たらないんだ。そっちに行ってる用紙を取りに行ってもいい?」
何もないと思っていた安楽の日にこの不確定な用事が入るのは正直つらいが、玄関先で用紙を渡して返すのも親心が許さない。
公演の感想も言いたい、幼なじみたちとあれからどんな話になったかも聞きたいから、まあ来てもいいって言うんだろうな。
そしたら、今度の火曜に通院のついでに会ってごはん食べようって話はキャンセルにしとこうかな。
私「牡蠣あるから一緒に土手鍋食べる?(甘味噌味の鍋です)何時ごろ来る?」
息子「21時とかになっちゃうかも」
私「明日は早寝するつもりだった。21時には寝たい。19時にならない?」
息子「そうかー。明日は19時は難しそう」
結局、一緒に晩ごはんはあきらめて、21時に来てもらうことになった。
ウィークディいつでも寝られる私と違って会社に行かなきゃの大内くんは、昼寝でもして備えた方がいいと思うよ。
19年2月24日
最近2人とも本当に疲れていて、今日は絶対どこにも行かない何もしないぞ、作り置きの料理をすませたら映画を見るなりお互い本を読むなり骨の髄までごろごろして体と心を休めるぞ、と決意していたのに、すべてを打ち破る息子の来訪。
まあ、大内くんには18〜20時頃まで昼寝をしてもらったから、少しはHPが回復したかな。
せっかく息子が来るんだから、23時ぐらいまでは話したいかも。
大「いいけど、それだと最終バスが出ちゃう。車出そうか」
私「前は車ですぐのとこに住んでたから送ってく意味もあったけど、途中の駅まで送ってもらってもきっとあんまり嬉しくないよ。そこから先が長いわけだし。ところで、彼の住所は今、どこなんだろうねぇ」
大「ケータイが通じるから気にしてないし、カノジョの家ではあるんだろうから心配もしてないけど、親が住所も知らないってのは問題かもねぇ」
とか言ってる間に来た。
めずらしく刻限より30分も早い。
リクエストにお応えして大内くんがチャーハンを作り、昼間作り置きしておいたハンバーグドミグラスソースとぶり大根も出す。
味噌汁は大好きなカブにしておいたよ。
例によってシャワーを浴びて、料理ができた頃に食卓に着く。
でも、前より真面目に配膳してくれるようになった。
同居してた時は自分の皿を持っていけばいい方だったのに、各人のランチョンマットの上にそれぞれの皿を運んでくれるじゃないか。
他人と暮らして鍛えられたか。
和やかに食事し、いろいろな話をした。
ちょっとだけこちらの顔が曇るのは、今回の来訪の主な目的は国民健保の振込用紙を取りに来ることだが、それ以外にも「実は、金を借りたくてお願いに来た」と切り出されたから。やっぱ、そんな話かい。
公演準備のためにバイトにあまり入れなくて、月末のカードの引き落としに足りないのだそうだ。
「何に使ったの?」と大内くんが聞くと、
「主に生活費。公演前は、交通費とかかなりかかるから。あと稽古場代とか」。
前からこの辺が気になっていたらしい大内くん、大説教大会を始めた。
「他の人は働きながら時間や気力をなんとかやりくりして、アイディア出したり練習に来たりするんでしょう?公演をやるたびに仕事を休んだり辞めたりしなきゃいけないんなら、君はコントがやれないってことだよ。コントで食って行けるようになるまでは、何かで食わなきゃいけないんだから」
さすがにうなだれて聞いていた。
言うだけは言ったので、彼の申告した額に少し足して貸しておいた。
また彼の借金表に記入しておこう。
いつか遺産相続でチャラかもしれないけど、つけるだけはしっかりつけとく。
大「仕事はしっかりしなよね。人に紹介してもらった仕事に穴をあけないこと。紹介者の顔をつぶすからね。信用は人間の財産だよ。街でばったり会っても挨拶できないような関係の人を増やさないでね」
息子「数人いるかもなぁ」
私「お金でも踏み倒した?」
息子「いや、中学までお世話になった町道場の先生に、ちっとも会いに行かないから」
私「そんなの、いいんだよ。遅くなっても顔を見せれば済む問題。お金もね、謝って返せばすむこともあるけど、相手の顔をつぶしたり迷惑かけて信用を無くしたりすると、もう回復できないから。仕事にはお金と信用の両方がからむので、まずは仕事しっかりしよう!」
わずかな金額を借りるためにこんだけ言われるのをガマンしなきゃいけないんだから、せっせと稼いだ方がいいと思う。
「お金があると、嫌な相手に『NO!』と言う自由が買える」ってよく言って聞かせてるんだけどね。
「今日だって、こんな説教聞かなくて済むのに」と言ったら、
「あ、それは別に全然イヤじゃないから」とすました顔してるのも問題か。
普段はあまり酒は飲みたがらないのに、大内くんが芋焼酎のお湯割りを飲むと言ったら、「オレも飲みたい」。
湯呑を探してカップボードを開けていた彼は、大昔になぜか近所のスーパーで買えた「電気ブラン」の小瓶を発見して、
「これ、聞いたことあるけど飲んだことない。飲みたい」と喜び、焼酎の次は電気ブランオンザロックになってた。
公演の出来についていろいろ意見を言ったら、おおむねうなずいてもらえた。
彼の目標は、「嘘がないこと」なのだそうだ。
ご都合主義に話を作らない、ストーリーのためだからと不自然な行動をさせない、人物がなぜそう行動するかを書き込む、といったことらしい。
完全に演劇のエリアに足を突っ込んでるなぁ。
お笑いでは「笑いをとること」が主目的なので、多少のご都合主義やお約束のための省略などは大通しなんだろうに。
短いコントで分厚い人物設定も難しかろうし。
「人は何に感動するか」「お話(ストーリー)に必要なものは何か」といったことをずっと議論した。
息子は新作アニメの「デビルマン」しか知らないだろうと思っていたのに、原作は当然読んでいる、と言う。
息子「妖鳥シレーヌとカイムの話は愛があったよねー。一番いいシーンだ」
私「高校生の頃行ったマンガ大会で、壇上の永井豪に『デーモン一族には愛がない、と言ってましたが、カイムはどう見てもシレーヌのこと愛してましたよね?』って質問したらね…」
息子「聞いた。覚えてる。そこで永井豪が『実はある。飛鳥了が不動明をおどかすためにないと言っただけ』って言いわけしたんでしょ?そこがいいよね」
それから彼は「北斗の拳」について語り出した。
好きなマンガの話をしてるんだから、細かいセリフなどをよく覚えているのは当然というか、自分が暗唱できる話を選んでしてるんだからそう感心するには及ばないとは思うものの、よくしゃべるなぁ。
こんな立派なオタクを育ててしまったかと驚くよ。
イマイマのマンガでオススメは?カタカナだらけに聞いたら、押見修造の「血の轍」が面白いんだそうだ。
「あれはすごい。毒親のマンガだけどね」って言われ、
「読んでるよ。あの手の、『かまい倒し系』の犠牲者は父さんだなぁ。母さんの方は『こっちを見てくれない系』だったから」
「どっちもつらいね。特にあのマンガみたいなのは、どうしてなっちゃうんだろうなぁ」と話してたら、カウンターの中で料理してた大内くんが、
「親は、子供を私物化するからなぁ」とつぶやいていた。
「そういう人とは、離れるしかないね」と言うので、
「私たちがあなたから見て『ああ、いやだな。ガマンできないな』と思うことがあったら、離れる前にひと言警告してね。直せる部分もあるかもしれないから」と頼んだら、驚いたように目を真ん丸くしていた。
「2人にはそんなところはないよ!直してもらいたいとこなんてないよ」だそうだ。よかった。
息子「他にいいマンガねぇ、うーん…『シオリエクスペリエンス』って読んだ?ジミヘンが出てくる」
私「え?」
息子「ジミ・ヘンドリックス。知らない?」
私「もちろん知ってるよ。あなたの年頃の人がさらっとジミヘンとか略して言うから、びっくりしたんだよ!なんでそんなの知ってるの?こないだはサイモン&ガーファンクルも知ってたし、あなたたち若い人って、なんでそんなに物識りなの?!」
息子「オレはクリエイターだから、いろいろ知るように心がけてるんだよ」
多少エラそうなのは若いから仕方ないとして、記憶力むちゃくちゃいいなぁ。
大内くんのDNAだ。私に似なくてよかった。
もっとも、これについては大内くんがいつも、
「キミの記憶力のなさは、3歳の時に高熱を出して脳がやられ、記憶野が成長しなかったから。後天的に失ったものは遺伝しないから大丈夫」と言って、私のゼッペキな後頭部をなでる。
まあ息子は、大内くんの記憶力と私の知力の美しいハイブリッドであろう。
話し込んでいるうちに、終バスの時間を過ぎてしまった。
「歩くから、いいよ。渋谷から先の最終の時間だけ見とく」と言ってスマホ見てる彼は、今はどことも知れぬ遠くに住んでるから、車で送るのはもう無理。
「終電、けっこう早くなくなるなぁ」とつぶやく彼に、大内くんが聞く。
「明日は何かあるの?」
「昼過ぎに人と会う約束があるだけ。あと、郵便局で振込する」
冷蔵庫に食べ物いっぱいあるから食べさせるものには困らないし、私が細かく気にしなければいいんだよね、と決意し、口を挟んだ。
「起こせとか起きないとかの面倒はイヤだけど、世話かけないんだったら泊まってっていいよ」
息子、意外と喜んでた。
「そう?!じゃあ、泊まろうかな。大丈夫、ちゃんと起きるから」
「その『ちゃんと起きる』は聞き飽きたよ。飽きたから別々に暮らすことにしたんじゃん」
「起きる起きる。気にしないでね」
気にしないのって、私には大きな課題なんだよねー。
まあ、人にばっかり課題を押しつけてもナンだからなぁ。
泊まりが決定したのでさらに腰を据えて、まるで若い頃に仲間たちと好きなアニメやマンガについて語り、表現方法や書き込むべき人物設定の話をしていた頃のように、議論が白熱した。
親子でこんな話ができるとは。
単にオタクがオタクを育てただけかもしれないが、強制もしないのに同じようなものを好きになってくれて、本当に嬉しい。
「こんなに話せたから、火曜は母さんと外で会ってくれなくていいよ」と言ったら、
「じゃあ、話したくなったらいつでも言って。メシ食お!」と快活に答えるので、
「もう離れたとこに住んでるんだし、忙しいでしょ。たまにでいいよ」と遠慮したら、
「いつでも来るよ!オレにとって家族は優先度が高いんだ。最重要だよ!」と息巻く。
震えるほど嬉しかったが、今のキミにとっては大事な人が多すぎるよ。家族はこの際、後回しでいい。
自分のキャパシティを増やすか、人を想う気持ちに少しブレーキをかけないと、悲しいことに人間の時間も気力も有限なんだよね。
まあ、若いから、想いこそがキャパを広げる原動力か。
大切にしたい人が多すぎて、結果、不義理を重ねてしまった自らの昔と重ねてしまうのは、歳をとった者の悲しさかも。
残念ながらこっちにはこっちの限界があって、いったん約束しちゃうと、守ってもらえない時に「まあ若いから」ではすまなくなるんだ。
お互い、自分と相手の限界を知り、すり合わせて最適な距離をキープしようね。
うーん、最近ものすごく守りに入ってるなぁ。本当にこれでいいのか、自分?
夜中を回って、大内くんはもう寝なきゃなので寝室に行き(少しさびしそう)、私たちはNHK大河ドラマ「いだてん」を見ることにした。
大好きなクドカン作品なのでずっと気になってて見たかったそうだ。第1話からね。
こんな日もあろうかと、消さないで全部とっといたんだよ。
「おっ、たけしさんだ!おお、森山未來!あの人も!こんな人も!この人、オレの大好きな役者さんなんだよなー、豪華だなー」と歓声を上げ、オープニングが斬新で素晴らしいと褒め称え、演出や映像にも感心して見ていた。
この人は、もしかしたら頭のどこかが本当にクリエイターなのかもしれない。
大内くんも私もあんまり創造的ではなく、私に至ってはアレンジャーならともかく絶対にクリエイターにはなれないと確信している。
フォークソングをやれば歌を作ろうとし、絵がうまいと言われればマンガを描こうと画策し、日記を書けば詩作にチャレンジし、日記が長くなってきたので小説を書こうかと夢み、そのすべての過程で、「小才はある。しかし、突き上げるような創作の衝動も表現したい自分の内面もない。ただひたすら、語りたいだけ」であることに気がついた。
もし、息子が我々とは違う種類の生き物だとしたら、ますます「あれをしろ、こう生きろ」とは言えない。
効率よく生活するための心がけはいくつか伝授できるが、「そうすると創作意欲や芸が死ぬ」と信じているうちはどうしようもないだろうね。
そもそも、25歳の頃の大内くんや私のやっていたことを思うと、恥ずかしさで顔を上げられないほどだ。
人は、必ずその人なりに何とかなるもんだしね。
2時半までかけて、第2話まで見た。
すごく面白いんだそうだ。
私も、こんなに面白い大河は初めてかも。
また明日、一緒に見ようねと約束し、10時半に起こすね、と言っておしまい。
彼は彼のものだった北向きの静かな部屋で寝たよ。(今はシネマルームになっているがあまり活用してない。遺憾である)
もちろん大内くんはとっくにぐーぐー言ってる。
ああ、楽しい晩だった。
19年2月25日
10時半に起こしたらわりとスムーズに起きた。30分でリビングに出てくるなんて、早い方だよ。
きっちりシャワーを浴びるところも好ましい。
ハーフニートだねぼすけだって文句言うけど、人間、毎日1回以上シャワーを浴びたり着替えたりする習慣があるだけでもありがたいんだぞう。
あたりまえのことにも感謝しよう!と思いつつ、朝ごはんにする。
少しおしゃべりをしたかったが、息子はもう続きが見たくてしょうがないようで、
「こっちで食べていい?」と言うが早いか、私がカウンタに出す皿を端からテレビの前のちゃぶ台にどんどん運んで行く。まあいいか。
一緒に食べながら、「いだてん」第4回まで見た。
「脚本も演出も完璧だね!面白い!こういうふうに見せなきゃいけないんだなぁ。人間が良く描けてるよね」と感心したようにつぶやく彼は、素朴な家族の情愛のシーンで思わず涙ぐむ私の手を、なんでだろう、そっと横から手を伸ばしてぎゅっと握って励ましてくれた。
「え?なんで?ごめんごめん、母さんね、最近こういうの見ると、『家族ってこんなに仲がいいもんなんだろうか。どうして私がからむとそうじゃなくなっちゃうんだろう』って悲しくなるんだよ。あなたにも、温かい家庭とは言えない欠陥だらけの家族や親戚しか見せてなくて、ごめんね」とうなだれたら、
「全然そんなことないよ。大丈夫だよ!」とますます強く握りしめた。
お皿も洗ってくれた。
蛇口の継ぎ目がゆるんで水が勢いのいい細い筋になってほとばしっているのを見て、「どうしたの、これ?」と言うので、
「老朽化。蛇口全体を交換したい。ウォシュレットもやはり壊れかけてるんで、取り付け替えたい。時給3千円ぐらいで2時間ぐらいで両方やってくれる手慣れた人を知らない?」と聞いたら、
「そんなもん、ググればいくらでも出てくる」とスマホを触り始める。
私「いや、数年前に父さんがウォシュレットを付け替えたことがあってね、できるってことはわかってるの。でも、あまりに面倒くさくて、もう二度とやりたくないんだって」
息子「じゃあ、オレがやってあげるよ。大丈夫、オレ、器用だから」
ふーん、そんならバイト料払ってお願いしようかな。ウォシュレットと蛇口を検討しよう。
わずかでも息子に収入があるのはいいよね。
最も必要なのは継続的安定的なそこそこのペイの仕事なんだが、まあ贅沢は言うまいよ。
「いだてん」見終わったら、ぎゅうっとハグして機嫌よく帰って行った。
火曜日に会ってもらおうかどうしようか、最後の最後まで迷ったんだが、やはりこれ以上の頻度で会うのはやめておこう。
彼に慰め、励ましてもらいたがってる自分を強く感じるにつけ、親は子供に愚痴を言うものではなく子供の悩みを聞く存在だと思うから。
もっと彼が歳をとった後ならともかく、今はまだ、人生が不安でふと振り返った時に途切れずまたたく小さな灯でいたい。
なるべく安定して、力強く。
19年2月26日
クリニックに早めに行ったら待ってる人が全然いなかったので、先生独占状態。30分も話しただろうか。
部屋が暖かくて少し袖をたくしあげた時、腕のあちこちに赤い筋を作る自傷が目に入った。
「自分でもなんであんなことしたか、わかりません」
「そりゃよかったよ。そう思ってくれてさ。今でもそういう気持ちです、って言われたら、困っちゃうもん」
先生、気さくな人だね。
先「なんでつらくなっちゃうのかなぁ。お母さんとの関係が問題なのは確かなんだけど、あなたは、虐待を受けたのかなぁ」
私「普通に生活してごはん食べさせてもらって、衣食住に困ったことなくて、東京の私立大学まで行かせてもらって、普通に良くしてもらってることはわかるんです。毎日殴られたり怒鳴られたりしてたわけじゃないし」
先「殴らなくても、虐待はあるんだけどね」
先週日記に書いたようなことを話した。
コントロールされ、母の思い通りでないと怒られたこと、責任を持ちたくない母のため「子供の判断で」「母の気に入るように」行動しなければならなかったこと。
すでに20年以上カウンセリングを受けているため、話す内容がこなれすぎてるのは感じるが、仕方ない。
先「話を聞いてると虐待っぽいね」
私「そう思いきれないのがしんどいです。『育ててもらったのに』『何不自由ないのに親に文句言って』って、母の声のみならず世間の声も一緒になって責めてきます。ここはひとつ、『虐待だった』ってことで、いきませんか?」
先「うーん、もっと話聞いてからだな。あなた、大学時代とか、楽しいことはなかったの?」
私「自由にやってましたから、楽しいと言えば楽しかったですけど、いつも何かに追い立てられてる気分でした。切羽詰まってるというか」
先「お母さんは、あのダンナさんのことはどう思ってたのかな」
私「『いい人よね』とは言ってましたけど、上から見てましたね。私なんかを好きだって言う人は、みんな変わり者の宇宙人だって思ってたみたいで。前の結婚の時は、早くきちんと結婚したら母が安心して、ほめてくれるって思ってたところがあったんです。でも、母と姉が『やっぱり変わった人よね。あの子に似合いの宇宙人よ。宇宙人は宇宙人同士結婚するのよ』って言ってるのを聞いてサーっと血が引いて…それで離婚したわけじゃないですけど、精神的には追い詰められてました。母は、私サイドに立つ人をみんな、巧みにけなすんです。元の主治医のことも、『立派な先生よね』って言う反面、『面白い顔してる』とか『頑固で極端』とか、さりげなく執拗に悪口を挟んでくる」
先「ダンナさんのことも悪口言ってた?」
私「悪口までは言いませんが、夫の下の名前で『〇〇ちゃん』って呼んでて、私より年下ってのもあったんでしょうけど、軽く見てるのが夫にも伝わってはいました。怒るような人じゃないので波風は立ちませんが、病気の娘を支えてくれてる人に対する態度じゃなかったと思います。口では『ありがたいわねぇ』って言ってても、母自身が感謝してるんじゃないんですよね。『あなた、〇〇ちゃんに感謝しなきゃね』って感じで。姉も同じでしたが、もっと態度があからさまで、腹が立ちました」
言ってて、頭の芯がキーンと冷えるような感じがする。
そうか、こんな人たちに育てられたのか。
大内くんとの今の暮らしを、厄介者が大人しく去ったとほっとしこそすれ、全然認める気なんかない人たちだった。
人たち、は主に母と姉だが、問題を見て見ぬふりしてた父にも一端は被ってもらうよ。
お父さん、「母親と姉がくっついちゃって、あの子がはじき出されてる。かわいそうだ」って親しいおばさんに言ったでしょう、なんで私に直接言ってくれなかったの。
そしたら私、嬉しかったのに。亡くなってから聞いても、遅いよ。
私の悲鳴が聞こえてたのに気づかないふりを決め込んでいたなんて、知らなかった。びっくりだ。
お互い変わり者で家族からはみ出してたけど、お母さんとお姉ちゃんていうカタマリをはさんで反対側にいたから直接話はしなくて、たまに目と目が合うと連合軍をそっと指して「ありゃ、かなわんな」って言い合ってるつもりになってた、それが思い込みじゃなくて本当だって、生きてるうちに話してくれたらよかったのに。
お父さんの遺品のPCデータもらって、誰か知り合い宛の昔のメールに「下の子が東京の大学に入りました」って書いてあるだけで、あなたの視界にちゃんと入っていたんだ、って嬉しくなるぐらいだったのに。
このクリニックではカウンセリングも受け付けている。
今は先生に時間を割いてもらってるけど、一度ちゃんと自費で受けるのもいいかもしれない。
これまで公費に助けられてしか受けてなくて、1時間5千円とか払ったらもうちょっと真面目に考える気になるかも。
美容院にそれぐらい出すことはあっても、精神の健康にはなかなか支払えない。
「日本人は見えないものに金を払う習慣がない」せいだろうか。
考え始めると、信田さよ子の「カウンセラーは何を見ているか」なんて本を図書館で借りて読んでしまう。
だからさぁ、その、下調べして理論武装して臨むの、やめようよ>自分。
19年2月28日
1月初めに買ってからずっと全然さわらないでいたApple Pencil(iPad Pro用)をやっと使えるようになった。
iPad上のメモ帳にちょっとイラストを描いてみたら、まるっきりどヘタになってた。
まあ別にそんなに上手だったことがあるわけじゃないから、いいか。
ミリペン風味やマーカー風味、筆もある。色も5色ぐらい使える。
大内くんが作りたがってる同人誌に備えて、一応メディバンアプリ入れてみたが、まだ使い方を知らない。
もし慣れることができたら、この手軽さはクセになるかも。
なにしろ手が汚れることも描いたものがどこかへ散らばることもない。描き足すのも消すのも自由自在。
革命的だ!
今んとこ何より便利なのは、undoだね。
一度描いた線が気に入らないのは実によくあることで、顔の仕上げに息を止めて描いた「まゆげ」がヘンな形になっちゃったりすると、とっても泣ける。
もう、そういう悩みはない。
大内くんあたりは「一期一会の精神が」とか言いそうだ(笑)
ところで、アマプラ会員だと映画やドラマが無料でけっこう観られるのは知ってたけど、音楽も無料(会費はどうせ払ってる)で聴けるとは全然知らなかった!
この1週間、BGMとしてAmazon Prime
Musicを流しまくっていて、外出の時もiPhoneでいくらでも聴ける。ワイアレスイヤホンも快適なので、お出かけが少し楽しくなった。
今まではiPodに溜めた歌を聴いてたわけで、全部自分が入れてるから、どうしても正体が知れてる。飽きる。
外から音楽を供給してもらうと、ラジオや有線のように、知らない曲がいろいろかかって楽しい。
ただし、ほぼJ-POPしか聴かない、しかも新しいところは全然知らないため、プレイリストの数にも限界があり、1週間で少し飽きた。
なので現在、Amazon Music Unlimitedの30日無料お試し期間中。
「100万曲が聴き放題」から「6,500万曲が聴き放題」に出世した。65倍増。
もちろん30日過ぎると有料なので、飽きるならそれまでに飽きねば。
(いや、飽きるまでは月額を払って、飽きたらやめればいいのか)
最近好きになった「欅坂46」もじゃかすか聴けて、楽しいぞ。
私と違ってジャズもクラシックもいける大内くんももっと聴いたらよかろう。
たった今は、起きている時間が少し増えて、BGMをかけてPCの前に座っている時間が多くなった。
おかげで懸案だったApple Pencilのペアリングもできたし、ずっと無駄に入会していたU‐NEXTも退会できた。
アマプラで映画観られるのに、何を二重払いしていたのか、自分よ。
もっとも、浮いた予算ですぐさまAmazon Music
Unlimitedに入会しそうな勢いで、これは、読む方のUnlimitedを止めてバランスすべきか。
本はブックオフで買い図書館で借りる以上にはもう読めないし、マンガは結局「買って持って」いないと満足できないのが骨身にしみてきたから。
空恐ろしくなるほど便利な時代。
上の世代の人々は、水道や電気を使うたびにこんな気持ちを味わったのだろうか。
母親がよく、「あなたたちは幸せ。昔はお風呂だって井戸から汲んで薪で沸かした」と言っていたが、あれは「驚いて喜ぶ」というよりは「下の世代への呪い」だね。
息子に「昔はビデオもケータイもなかった」と語る時って、「信じられないだろうけど、そんなだったんだよ。それでもみんなテレビやマンガが好きだった!」って思いと、「今の時代に生まれてお互い良かったね!もっと楽しくなろうね!」という連帯意識しかない!(つもりなんだけど…)
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