19年3月2日

唯生に会いに行った。
病棟から頼まれた保湿クリームを持っていこう。

化粧品売り場が充実してるドラッグストアで買う時、「どなたがお使いになります?」と聞かれて少し悩んだ。
20代後半女性、しかし、お肌の調子としてはどうなのか?
赤ん坊の如く刺激に慣れていないとも言えるし、思春期のようにニキビなんて出ちゃってるし、唯生の肌年齢って、おいくつなんだろう?
かろうじて「ずっと入院している20代の娘です」と言ってみる。

「ああ、病院は乾燥しますからね。こちらの保湿クリームは、値段がお高くなりますが、全身に使えますよ。お顔にも問題ありません」と勧められた小さめなチューブは、医薬品というよりは化粧品なんだろう、確かに高価。
「もうちょっと見てみますね」と大内くんと2人で逃げ出して、「ニベアだ、ニベア」とそーゆー棚に行く。
うん、全身にたっぷり塗っても大丈夫そうなお徳用サイズ。
安定の無香料ニベアと、香料が入っていい香りのものを両方買ってみた。

羽海野チカの「三月のライオン」で、主人公が養子に行った先のお姉さんが好きな「後藤九段」には、植物状態でずっと入院してる奥さんがいて、「はい、化粧水と乳液と…ついでに新作の保湿クリーム出てたから入れといた。これで多分大丈夫よ」って買い物してあげてたなぁ。
今、確認のために読んだら、ずっとドラッグストアだと思ってたお店は高級化粧品店ぽくって、渡してた袋もいかにもブランドそうな小さな紙の手提げだった。
後藤九段、意外と愛妻家だったか、とか思う。
唯生に、もっと高いクリーム買ってあげればよかったかしらん。

病棟に行くと、ちょうど「一斉おしめ替えの時間」。
カーテン閉めてプライバシーを守るので、「唯生ちゃんは、真っ先におしめ替えしましょうね。それで車椅子に乗ってもらいましょう」って配慮をいただき、ほとんど寝るような形で車いすに座る唯生を囲んで、病棟を出たとこの面談コーナーですごす。

皆さんにとても可愛がっていただいてる唯生は、けっこう長く伸ばした髪を、寝たきりでも後頭部で邪魔にならないようにだろう、頭のてっぺんで結んで、2つに分けてそれぞれを三つ編みにするという凝った髪型。
カラフルなゴムや髪留めで飾られ、可愛らしい。
まだ小さい頃、「障害の重い人は、介護がしやすいように髪を短くしてジャージを着ていることが多いけど、唯生はなるべく可愛くしてやろうね」と話し合っていた我々が早々にギブアップしたことを、センターの方々が代わりにやってくれている。
とてもありがたい。

座っていた場所の横に「男子休憩室」があり、扉が開いたと思ったら、若い男性介護士さんが出てきた。
「ちわっす!」と明るい声を聞いたとたん、唯生が、「ひゃふっ♪」という笑顔になった。
きっといつも声をかけてもらっていて、おにーさんの声を覚えているんだろう。
「僕らの声よりも、なじんでいるんだろうね」と少し残念そうな大内くん。
いいじゃん、暮らしてる場所に大好きな人がいるなら、それも彼女の幸せだよ。

いつもより少しゆっくり過ごしたあと、看護師さんに車椅子を託して帰ることにする。
なんだかしみじみしたね。

夜、大内くんが「ミルフィーユ鍋」を作ってくれた。
白菜と豚ばら肉で作るこの鍋は、簡単で大量に作れて安くておいしいので、この冬、我が家でも大人気を博していた。
季節的にはそろそろ終わりかもで、名残の鍋。

ところが、大内くんは鍋を煮始めているのになぜか、携帯電話をかけ始めてしまった。
「かかってきたのに気づかなかったから、かけ返す」とのことだが、ごはんができて食べちゃってからの方がいいんじゃないかなぁ、とちらっと眼で言うと、向こうも「すぐだから、大丈夫!」って眼で返してきた。

しかし案の定、電話は長くなる。
もう鍋は煮あがったのでは?という頃にもう一度、「煮えちゃうよ」との視線を送る。
鍋に目をやって「うんうん」とうなずいて見せるから、大丈夫なんだろう。
と思ったら、終わりそうになってた電話に、大内くんが「ところで〇〇はどうなりましたか」とか、ものすごく今じゃなくてもよさそうな話を始めた!

ミルフィーユ鍋の煮え頃を知らないうえ、向こうから「ちょっと火を止めて」とか「鍋を火からおろして」といったジェスチャーが出ないからあえて手出しはしないでいたら、全部で20分に及んだその電話中に、鍋はすっかりよく煮え過ぎてしまった。

ところが、冷めないように途中で蓋をしておいたその鍋は、いつもの、白菜がちょっと硬くて食べにくいミルフィーユ鍋よりずっとずっと美味しかった!
「そうか、蒸せばよかったのか!しかも、けっこう長い時間!くたくたになるまで蒸すのが、美味しいミルフィーユ鍋のコツだったんだ!」と大内くんが叫び、これからはいつもこの方法でいこうという結論。
いやいや、ひょうたんから駒、偉大な発明は偶然や失敗の産物だったりするのだなぁ。

19年3月3日

マンガサークルの友達に、整体師さんがいる。Tくんと言う。大内くんの同期。
同人誌に原稿を描いてもらいたい件と、私の肩と腰がバッキバキになっていることで、久々に大内くんが連絡を取ってみたところ、出張施術もしているそうで、遊びに来るついでにお願いすることに。

わりと近所なのでお迎えに行って、折り畳み式の施術台ごと運んできた。
あいにくの雨なので、お迎えにしてよかった。
前夜から煮込んでいた(正直、煮込み過ぎだった)ポトフを食べながら、共通の友人の話や仕事の話、彼のもうひとつの仕事であるアフリカの太鼓の話などで盛り上がる。
いやホントね、皆さん、40年近いお友達なんですよ。ありがたいなぁ。

「では始めましょうか」と、2人とも揉んではもらうが、まずは本命の私から。
一時は定期的にマッサージに通っていて、「大内さんは、少しコリが取れたと思ってもまたすぐに『こって』登場する」と先生に言わしめたほどの肩こり持ちなんだ。
今は、眼精疲労もあるんだろうけど、首のコリと頭痛がひどい。

Tくんの専門は「頭の位置や骨盤を整える」ことらしい。
特に初めてだと施術されている側が疲れるので、1時間半が限界だろう、と事前に聞いていたが、いわゆるマッサージとはまた違った力強く的確な手の動きが気持ち良い。
向こうもやりがいを感じたものか、気がついたら2時間以上が経過していた。

「身体感覚が鈍いんだよ。凝ってても気がつかない。痛みになって初めて気づく」と自己申告し、実際に触ってみてTくんもそう思ったらしい。
「頭部の液体(脳液?)の流れをみる」ために、頭頂から側頭部にかけて両手でじわーっと包み込み、2分ほどもじっとしていただろうか、「もしこれで何かが見えるんなら、今、Tくんの脳裏には私の『なに?なに?なにが見える?』ってクエスチョンマークが広がっているはず!」としか思えなかった、長い長い時間だった。

そしてTくんは言う。
「ちょっと驚いてる。意外と言うか、良い驚き。あなたは、生命力が強い。身体が硬いから頭の液体の動きも硬いかと思ったら、速くて力強い流れだった」
うーん、そんなとこを「診断」されたのは初めて。
私(ウキウキと)「それって、頭の回転が速くて、意外と長生きするってこと?」
T「いやぁ、必ずしもそういう意味ではないんだけど、まあ、頭の動きは速いと思うよ。反応がね」
私「頭から上は速くて、それ以外の部分は遅くて鈍いと」
T「そう言えるかも(笑)」

身体がB級品なのはむしろ精神が高級な証拠、みたいに思ってるとこがあるので、ウェルカムかつ嬉しい。頭さえほめてくれればなんでもOK。
もしかして私って、首だけになってケースの中で生きてたら幸せなタイプかしらん。50年ぐらい前のSFマンガに登場する悪役みたいだな。

「患者は交代するからいいけど、先生は少し休憩がいるんじゃない?お茶でも飲む?」と大内くんが提案したら、
「いや、この調子で続けちゃいましょう。じゃあ、大内ね」って言われて、今度は大内くんが横たわる。
ちなみにこの時までに全員、「動きやすい恰好」になってる。
Tくんに至っては、ちゃんと白衣持参、ほぼ坊主の頭にはバンダナを巻いて、凄腕そう。

おしゃべりな私と違って、男性2人は終始、無言。
「ねーねー、大内くんはこってる?」とか気軽に聞けない雰囲気ができているぞ。
もともとあまりマッサージ等、身体に触られるのが得意でない大内くんは尻込みしていたのを、「どうせ来てもらうんだったら2人分お願いしようよ。彼も仕事で来るんなら、効率いいじゃん」と私が押し切った格好だ。
「じゃあ、僕は短めで。30分ぐらいでいいから」とか言ってたが、Tくんは黙々と施術。
例の、頭に手を当てるのもやってる。

40分ぐらい経過した時、なにやら規則正しい異音が聞こえてきた。
すー、すー、ぐー、ぐー。
大内くんは、気持ち良さのあまり、寝入ってしまったらしい。

「寝てる」と言ったら、Tくんが目顔で制した。寝かせておいてあげよう、というつもりらしい。
眠ってる大内くんをさらに10分ほど揉んで、ちょっと困った顔で私を見た。
終わったんだけど、起こしたくないってことかな。
「いいよ、起こしちゃおう」とうながしたら、「はい、お疲れさま」と声をかけてくれて、それで大内くんはハッと起きた。
「あ〜、気持ち良かった〜。ああ〜、僕、よだれたらしてる…」
まあ、そういうこともあろうよ。

お茶とお菓子で総評のお時間となり、やはり大内くんの身体は柔らかいというか反応が素直というか、人柄が表れているらしい。
「で、僕の頭の液体はどうだったの?流れはさぁ」と聞いたら、Tくんは、
「う…ん、まあ、普通だったよ、うん」と答えており、大内くんはあとから、「あれはきっと、あんまり速くなかったってことなんだろうねぇ。少なくともキミほどにはね」とちょっと肩を落としていた。

きちんとお代を払い、
大「楽しかったねぇ、またお願いしようかな」
T「うん、ぜひまた」
私「どのくらい間をあけて施術してもらうのがいいの?」
T「2週間からひと月に1度、って感じかな。それで3回ぐらい続けると、効果があると思う」
私「またこんなふうに食事やおしゃべりもコミでいい?」
T「それはもう、もちろん!」と、和気あいあい、小雨の中、車で送って行った。

テレビラックの棚に入っていた「火星年代記」のドラマDVDに目を奪われたそうなので、喜んで貸し出した。
だいたい、ああいうものは買って1回か2回観たら平気で7、8年さわらなかったりするんだ、「なんでも振興委員会」な性格としては、ぜひ観てもらいたい。
そんな理由で、去年買った宝塚版「ポーの一族」のDVDも、今は巡業の旅。
忘れないようにだけ、気をつけよう。メモメモ。

付記)身体が軽くなったと思ったのもつかの間、3日後にはまた重くなって頭痛がしてきた。また助けてもらわねば…病根が深い。

19年3月4日

知人に声をかけてもらい、ちょっとした入力バイトを始めることになった。
在宅でできるし、毎月1週間ほどの繁忙期があるだけの、負担の少ない仕事。
結婚以来ずっと家計簿つけてるぐらい、細かい作業は苦にならない方だから、大丈夫。

とか思ってた。
しかし、問題はそういうところではない。

作業の説明と引継ぎを受けるため、先方に出向いて前任者と会うと、「愛想のいいおばさん」でありたい私は、すぐおしゃべりを始めてしまうのだった。
顔を合わせた知人とも、なんだか過剰にフレンドリーを期待してしまうし。
「呑み込みが早いことを証明しようと、先回りしていらんことを言う」「公私混同」が昔からの大弱点であると、思い出した。
長年、いつ独り言を言い始めてもおかしくない「人に会わない主婦」をやってきたせいで、助長されてるかも。

おまけに後日データをもらいに行くのにUSBを持って行かないとか、向こうは忙しい時間帯でオフィスが空なのに、「誰かいるだろう」と勝手に決め込んで連絡もせずに顔を出す、といった初歩的なミスを連発。
30年お勤めしていない人間は、どんなに頑張っても発想がアナログで自己中だと思い知らされた(涙)

「仕事をして人に会うと、自分が無能だと思う場面が発生して、つらい」と大内くんにこぼしたら、
「お金をいただくってのはそういうこと。お給料は、大部分、そのつらさに対して支払われているんだよ。あとは、あわてないでじっと場を見ることだね。少なくとも仕事が一巡するまで。1か月とか1年とか」と、メガトン級の名言。大内くんなのに。
こういうところに、「勤労者」の重みを感じざるを得ない。
おまけに、「失敗した!」「叱られた!」などと愚痴をこぼさずに毎日機嫌よく働いているんだから、本当に偉いよ。
こんな人を思うさま叱ったり罵倒したりしているのはあらためねば、もっと敬意を払わねば、とも思うが、それが私生活ってもんだからなぁ。

19年3月5日

大内くんはけっこう私の嫌がることをする。
ちょっとのすき間時間に何か始めて、終わるべき時間が来ても「やりかけてるから」「始めちゃったから」と言って作業を止めないことが多い。
そのたびこっちは「そういうの、やめようよ」と何度も提案している。
たぶん、結婚生活30年間、ずっと。
「始めちゃうものはしょうがない」と踏ん張るならまだしも、「そうだね、僕はせっかちでいけない。これから気をつけるよ。やめるね」って謝るから、次回また同じことが起こると頭にくる。

しかも、私もいい加減辛抱強いというか、あきらめが悪いというか、「この人はこういう人なんだ」と見切れない。
それを「愛の深さ」と自画自賛自己陶酔だけはしなくなる程度の成長はあったものの、さてもさても、業の深いことよ。

先日も同じような問題が起こった。
しかも、第一次問題勃発時に床に突っ伏して泣いている私を大内くんは真摯に慰め、
「僕はどうしてこうなんだろう。キミをこんなに悲しませて。もう絶対にしないから。これから気をつけるから」と泣かんばかりなので、「わかったよ。頼むね」と涙を拭いた。
その2時間後、「もう寝ようね」と言って2人とも「歯を磨くためだけに」書斎に行ったら、机の前に座った大内くんはいきなり書類仕事を始めた。
10分後、「これ、いつ終わるのかなぁ。もう、私は歯磨き終わったけどなぁ」と思ってる私が話しかけていたら、
「ちょっとややこしい記入をしてるから、返事ができないかもしれない」と。
第二次問題勃発。しかも、より大々的に。

私、静かに蒼く怒り狂う。
「『もう寝よう』って言ってたのに、なんで何の断りもなく作業が始まるの?ついさっきだよ。あんなに謝って、もう絶対しないって反省してたの。私が涙を拭いたら終わりなの?あなたに約束を守ってもらうためには永遠に泣き続けていなきゃいけないの?言っとくけど、そのアピールのために泣いてるんじゃないからね、私は!」
自分で書いてみてもメンヘラだとは思うが、大内くんもいちいち謝るし。
また謝罪の嵐。

今日は、大内くんと話し合った結果の新説をクリニックでちょっと唱えてみた。
「こうこうこう言うわけで、夫はある種のモラハラって言うか、精神的なDV加害者じゃないかと思うんですよね。『もうしない』と言ったことを繰り返し、謝ってはまたやる。それが私のストレスになってるんじゃないかと。本人は『そうかもしれない。でも離婚はしたくないから、もし僕が原因なら僕自身カウンセリングを受けるとかしてもいいから、先生に相談してきて』とのことです」

だって、克服できたはずの「母親との問題」が今頃になってこんなに激しく再燃するなんて、おかしいもん。
大内くんが「お母さんの最後の抵抗。キミが本当に幸せになろうとしてるから、離すまいとキミの心の中で暴れてるんだ。負けちゃいけない」って言うのは、母親にすべてをかぶせて自分自身の加害をごまかしてるんじゃないの?

確かに私が過反応している部分もあるだろう。
育つ過程で受けた「誰も私を見てくれない」トラウマがぱっくりと開き、「ああ、また同じ状況が起こっている。何度も何度も起こる。もういやだ」と必要以上の流血を見るのかもしれない。
それでも、現在起こっていることは大内くんとの問題であって、私の中で母親がめちゃくちゃに暴れて手がつけられないのとは違うような気がする。

なんだかんだ言って、息子が家を出て陥った「空の巣症候群」をこじらせ、大内くんと夫婦として顔を突き合わせ、これまで向き合いきってきたつもりでもまだまだ向き合う余地があったってこと?

そんなような話を聞いて、先生は腕を組んで、しばらく「うーん」と考えていた。
「あなたの夫はさぁ、ちょっとADHD気味だね。書斎だか寝室だか知らないけど、寝るって言ったんなら寝ればいいじゃない。気が変わりすぎだよ。あなたがまた敏感だもんだから、夫の気が変わったのが目についちゃうんだねぇ。夫の言葉にとらわれすぎなんじゃない?」

私「それは確かに私の問題点なんですが、母親から愛情を感じられない『現実』を、あなたを愛してる、大好きだ、可愛がってる、っていう『言葉』にすがって補ってきた悪癖のせいだと思います。言葉にこだわらずにはいられないんです」

先生「それも、直せって言って直るもんじゃないからなぁ。あのね、あなたの夫は、治療するほどのことはないけど、気が変わりやす過ぎ。安定を求めるあなたには、合わないと言えば合わない。でも、出会っちゃって好きなんだったら、お互いそれで行くしかないでしょう。言ったことぐらい、覚えてて守れ、って僕が言ってたって夫に言っといて」
おお、私はお咎めなしかい!
てっきり、極端で過激、って叱られるんだと思っていたぞ。

治療者というのは、クライアント(患者)の利益を守り、明らかに病気であったり社会に迷惑をかけ秩序を乱すんでない限り、「そういうところがいけません。直しなさい」とは言わないんだね。
もし、このドクターが大内くんを治療してるんだったら、私に「あなたは夫を追い詰め過ぎ」と言っていたことだろう。
たとえ内心はどうあれクライアントの利益第一に動いてくれる有能な弁護士が、相手側についていなくてよかった、と胸をなでおろすような気持ち。

大内くんに「離婚しなくてもいいようだよ」と言って先生の言葉を伝えたら、こちらはこちらで胸をなでおろしたらしい。
「そうかー、ADHD気味か。確かに、集中するのが難しいんだよね、気が散りやすくて」と言ってネットで簡単なテストを受け、「うーん、スコアが高い」とかつぶやいていたよ。
私は、回転が速いのと激しやすいのとで一見集中力なさそうなんだが、実はわりとすぐ集中状態に入れるんだ。
ただ、精神的に体力がないので、すぐくたびれて倒れちゃうけどね。
2人とも、「超能力が短時間しか使えず、しかもそのあと一定期間使い物にならない」主人公みたいなタイプなのかも。
なんだ、結局似たもの夫婦か。

印象的だったのは、自分たちのことをよく理解してもらおうと「夫も私も、マンガが大好きなんです。マンガのサークルで知り合いましたし。まあ、オタクですね」と言ったら、しばらくのちの会話で、
「まあしょうがないよね、マンガ読むようなオタクなんだから」と言われたこと。
良いとも悪いとも思わないが、日頃オタク同士だけでつるんでいるので、何やら新鮮な見解であったことですよ。

19年3月6日

やっとバイト用の資料をそろえて作業に着手してみたら、これが案外難しい。
慣れれば早いかもだが、今はまだ慣れる前だ。
今週は日記も全然書けてないし、いろんな締切が近づいて目が回りそう。
明日は息子に会ってから美容院、今日のうちにある程度進めておかなきゃ、と大車輪になっていたところに、急に息子から連絡。
「今日、実家に行っていい?」
用事で近くに来るので、帰りに寄って、こないだ途中だった「いだてん」の録画が観たいんだそうだ。

そうすると、泊まりだよね。
明日の朝は10時に美容院の予約を入れていて、そのあと彼に会ってランチ、のつもりだったが、向こうの予定はどうなってんの?
夜中までドラマを観ての早起きは無理だと思われたので、とりあえず美容院を午後2時に変更しておく。
これで、ランチしてから美容院、ということで何とかなるだろう。
週末に人に会うので、今週中に絶対行かなきゃいけないんだよぅ。

このドタバタで、大内くんが帰ってくるまでに進めておくつもりの作業は全部棚上げ。
家人が家にいる間は仕事をしないのが我が家の在宅バイトのあり方と決めているので、明日の夕方に帰ってくるまでもう、何もできないぞ。

こうして結局、午前2時まで息子と「いだてん」を楽しんでしまった。
いや、私は大内くんと一緒に毎週観てるんだが、息子の反応が楽しみで、ついつい。
クドカンのこのドラマを彼はものすごく気に入ったようで、場面場面で「いいねぇー」「こんなふうに作れるのかー」と謎のため息を漏らし、1話終わるたびにパチパチと拍手をする。
3話観たところで「また明日の朝に観よう!」と言いながら、2人とも寝た。

毎朝6時起きの大内くんは、もちろんとっくに寝ている。
一緒に起きてごはん食べて送り出して、9時まで寝なおしてから「いだてん」2つ観て出かけてランチして、とか算段するのは、羊を数えるほどには眠りを誘わないもんだ。
眠れるのか?スリル満点。

19年3月7日

6時に大内くんの目覚ましが鳴って起きるまで、まあ寝てたんだろうな。目が覚めたわけだから。
4時ぐらいまで眠れなかった覚えしかない。
7時前に大内くんが出かけてしまってから二度寝でひと眠り、の予定だったけど、夜眠れない人が朝眠れるものだろうか?とか考え始めたらもういけない。
結局、そろそろ息子を起こしてもいいだろうと思った9時ちょっと前まで、寝返りばかり打っていた。

めずらしく声をかけたらすっと起きた息子と、また「いだてん」。ついに前回まで見てきて、追いつかれたか。
起きるなり「なんか食いたい」って言うので作り置きのハンバーグを出したけど、11時半ごろランチを一緒に食べに行くんじゃなかったっけ?
9時過ぎに食べてて、いいのか?

しかし心配ご無用で、彼はランチのお店で、「ドライカレー大盛りとハンバーグのわくわくセット」をぺろりと平らげた。
(朝はトマトソース、昼はドミグラスソースとはいえ、ハンバーグが続くよ。いいの?)
セットのアイスコーヒーを飲み、そのあとドトールで「ハニーカフェオレ、ホットのMサイズ」も飲んだ。
よく食うなぁ!
服を買ってあげよう、と行ったユニクロで「やせたから、ワンサイズ下がった」って言ってボトムズ2本も買ってたけど、本当に入るのか?またすぐ入らなくなるんじゃないのか?

いろんなことを話して、とても楽しかった。
楽しすぎて、ここに書く気にならないぐらい。秘密のデート。
大内くんとも毎日デート気分でバス停まで迎えに行ったりしてるからいいけど、息子に溺れるってのはこういうところから始まるのかも。
これでダンナが忙しくて家庭を顧みなかったら、「空の巣症候群」で乾ききった母心は、女心の形を擬態しながら大きく傾斜するのに違いない。

そもそもなんで息子が実家近くに来たかというと、年金の未払いについて役所に相談するためだったんですねぇ。
美容院の前まで送ってもらって別れた時には、会えたのが嬉しくて舞い上がって、すっかり忘れていたよ。
「今日は行けなかった。また後日行く」って言いながら、もう一回家に寄ってハンバーグ食べて行った夜。
今日の君は三食ハンバーグ食ってるね。
後日、ってことは、近々また実家に来るのかしらん。
嬉しいような怖いような。ぶるぶる。

会社から帰るなり再び息子の訪問を受けた大内くんは、嵐のようにメシ食って去られてのち、
「2日も続けて顔を見たら、いないのが寂しくなっちゃった。灯が消えたよう、とは正にこのこと。もうすっかり大丈夫と思っていたのに、僕も空の巣症候群か」とやや茫然の面持ちで語っていた。
母心よりも深い父心が、ここ大内家には存在する。

19年3月8日

経費節減のため、ずっとお願いしていたダスキンのレンタルサービスをやめることにした。
先月そうお願いして、今日、モップを引き取ってもらったら終わりになる。

2か月に1度交換してもらっていたレンジフィルターは、「わく」の部分をおいて行ってくれるらしい。
不織布の交換フィルター部分を買ってきて、時々替えよう。
夫婦2人きりになってから、前ほど毎日料理するわけじゃないから、もうそんなに神経質にはならない。

このマンションに越してきてダスキンさん頼むようになって、15年近く、今のおにーさんは12年以上来てくれてるんじゃないだろうか。
彼にお子さんが誕生し、2人目が生まれ、上の子は小学校に入ったとか、月に一度数分顔を合わせる折にいろいろ聞いてきた。
向こうでも、もし覚えていられるなら、我が家の小学生がだんだん大きくなり、大学生になって昼頃ぬぼ〜っと起きてきたり玄関わきの部屋でドア開けっぱなしでグーグー寝てたり、しまいに家を出てその部屋が空き部屋になるのを、ずっと見てきてくれたわけだ。まあいちいち覚えちゃいないだろうが。

そんなお別れなのに、ひどくあっさりしてたなぁ。
最後のモップだから、部屋の隅々、ベッドと壁のすき間までしっかりかけて、驚くほどのホコリが取れた。
「やっぱりダスキンさんのモップはいいですよね。細くてどこにでも入って」と言いながら返すと、
「またご入り用な時はお声がけください。私、ずっとこのへん回ってますので」と笑って去って行っただけ。
ひとつの歴史が終わるんだが、毎日あちこちでいろんな歴史が終わっていて、言い出したらキリがないのだった。

19年3月9日

朝の5時半に家を出て、南房総へドライブ。
去年の10月末に大内くんの風邪で流れた「友人宅訪問」のリベンジマッチだ。
もう半年近く前の話だったのか。時の流れが速すぎて、目が回るね。

首都高を走る間に、ビルの間から朝日が昇ってくる感じ。
6時に品川区と大田区の境のあたりで綺麗な朝日を撮影できた。場所も撮影時間もスマホが教えてくれる。
何も覚えたり控えたりする必要がない!

アクアラインに入り、海ほたるで運転を交代して、房総入り。
少しだけ混んでて、「みんな南房総に花を見に行くの?!」って焦ったけど、いざ館山道から富津館山道路を走り出したらガラッガラにすいていた。房総は広いのだ。

館山を始点とする「房総フラワーライン」を、本当は東側の千倉まで行って完走なんだろうけど、最初からそれは無理!ってスケジュールなので、小沼のあたりで道の両側の菜の花を見て気が済んだことにして引き返す。
しかし、「まだ時間ある!」となり、Uターンして、結局白浜まで行った。
海辺に降りて写真を撮って、さて、富浦町に向かおう。

お目当ての「おさかな倶楽部」は、卸売市場の魚を料理して毎日提供する、評判の定食屋。
土日は開店30分前には来たい、と言われているにせよ、いくらなんでも早すぎる到着で、まだ9時20分。開店まで1時間40分もある。

しかし、実はこれでよかった。
「さすがに誰もいない」と言って駐車場に車を停め、手をつないで漁港を見に行って戻ってきたら、若いカップルが出現していてトップを取られちゃったうえ、すぐに続々人が集まってきて、ネット上で安全圏とされていた当初の到着目的時間10時20分には、列がかなり長く伸びていた。

口コミと違って、10分前になっても入れてくれず、11時からの入店案内。どうもこのへんは日によって対応が違うのではないだろうか。
そして、入れない人多数。
開店後は飲食店によくあるウェイティングリストが出現するので、記入してぶらぶらして待つしかないようだ。
「ちょっと行ったところに『道の駅』があるから、時間をつぶしてきてください」とお店の人。慣れてるなぁ。

評判通りなのは、注文を取るのに非常に時間がかかること。
5組ずつ注文を聞き、厨房の関係か運ぶ関係か、その料理がある程度めどが立たないと次の注文は聞かないシステムらしい。
「番号札2番」の我々はすぐに聞いてもらえたが、40番あたりになると、たっぷり開店後40分は経っていたと思う。
お茶を汲みに行くのとトイレに行くのがギリギリなほどすぐに巨大なお盆が運ばれてきて、おかげで12時前には店を出ることができた。

ちゃんと口コミは読んでおくものだ、給茶器は混む。早めに。
あと、対面の人と話すのが困難なほどテーブルがでかく、距離がありすぎて不安になるが、大丈夫、料理のお盆も負けずにでかいから。
「これだけの面積があって、良かった。横にお茶も置けるし、中央に互いの皿を交換するため少し置くスペースがある!よくできてる!」と感心することになるから。

私は定番らしい「まんぷく定食」。これはかなりすぐに出てくる。
刺身とフライ(アジと、たぶんサーモン切り身)、それからサバ味噌が一緒に食べられるまさに「まんぷく」な定食。
糖質制限なんでごはんは食べません、って思ってたけど、サバ味噌があんまりキュートでどストライクな味なんで、思わず食べちゃいましたね。白米が欲しい、って久々に思いましたよ。
小鉢はひじきの煮付け、大豆入り。味噌汁も美味しい。

大内くんは「大平政定食」。やや時間がかかるし、値段も張る。それでもわりと早めに売り切れに。
元が大きな魚なんだろうけど、いくら何でも頭部のアラ煮がデカすぎないか。
それにたっぷりした厚切りの平政の刺身(トロ部分、普通の部分、炙りの三種)と、カマの部分の唐揚げ。これは、中華っぽい味のタレがかかってて、美味。

さすがにお盆は簡単には交換できないサイズなので、皿を交換しながら互いの料理を食べた。
魚を食べるのはヘタな私がちょっとつっついて早々にあきらめたアラ煮やカマを、大内くんはしつこくしつこくむしる。
それで、できた身の山をくれるんだよ。すごいよね。
実家の父親は、よく無言でずっとカニをほじって身の山を作っていて、いたいけな実の娘の私がどんなにせがんでも絶対分けてくれなかった。
だから、苦労してむしった魚の身を分けてくれる人が世の中にいるとは思ったことなかったよ。ありがたいなぁ。

食べている間にも、壁のメニューには次々と売り切れの札が貼られていく。
「誰が食べるんだ」と思った1食限定の「尼鯛定食」4800円也も、30分以内に消えた。
(心なしか、その瞬間、食堂中から「おお〜」という空気が立ち上った気がする)
「混むので、開店すぐはあきらめて、人波が去った昼過ぎに来ると良いかも」といったアドバイスも口コミには見られたが、おそらくそれだと、「かき揚げ丼」とか「干物」とかあまりエキサイティングでないメニューしか残ってないんじゃないだろうか。
いや、もちろんそれだって安くて旨いのは間違いないが、一巡目、しかも早めに入らないとあまり選択の自由はないものと思った方がいい。

さすがの大内くんも満腹になり、アラ煮にはまだ大量に肉が残っていると惜しそうかつ申し訳なさそうに店を出た。
次はマザー牧場。
ここの菜の花畑の中で写真を撮りたくて来たんだ。
「北の国から」で、お母さん役のいしだあゆみがラベンダー畑の中で微笑んでいた写真みたいな、ああいうのを撮ってデスクに飾り、会社で笑われてほしい。

ほとんど崖のように急な斜面の菜の花畑の小道で、よその赤ちゃん連れの若夫婦やカップルの写真を撮ってあげると、たいそう喜ばれる。
今日の私は杖をついていて両手が使えないので、大内くんを突っつき、「皆さんのをお撮りしましょうか」と言わせると、けげんな表情や不審者を見るような顔をする人はまずいない。
「いいんですか!?」とぱあっと明るい顔になり、笑顔で家族や恋人とフレームに収まる。
場合によっては「そちらも撮りましょうか」と、我々も2人で写った写真をゲット。
まことに、情けは人の為ならず。

体調と精神力が許せば、ずっとこの菜の花の中で幸せな笑顔のためにシャッターを押し続けたい。
「キャッチャー・イン・ザ・ライ」の崖の番人のように、ひっそりと人々の幸福を守りたい。
大内くんはそういう声をかけたいとは特に思わないんだって。親切な人なのに、不思議だなぁ。
私の親切はわかりやすく、ふんだんにあふれているんだが、惜しむらくは親切心より先に体力が尽きる。笑顔も。

「『こぶたのレース』に出場したいお友達は、ナントカ広場に集まってください!」とアナウンスが入る。
さて、それは、「子豚が走る」のか、「お友達」が走るのか。
選手を募ってるんだから、「子豚が走る」のだとしても、お友達もなんかするんだろうね。トトカルチョ、とか?
寛大にも大内くんが買ってくれた名物のソフトクリームをなめながら見ていたら、どうやら「子供が子豚のお尻を叩きながら走らせる」というものらしい。
衛生問題が大変らしく、きちんと選手登録して手をキレイに洗って消毒したお友達しか子豚に触ってはならないのだった。
この場合、不衛生なのは子豚ではなく、お友達の方ね。

疲れたので、園内バスに乗って出口近くまで行こう。
豚の顔がついた「ぶうぶうバス」が来てて、これの方が早く目的地まで行くそうなんだけど、ゆっくりあちこち見て帰りたいから、周遊の「わんわんバス」にするね。(ご想像の通り、犬の顔のバス)

「昔、小学校1年生か2年生ぐらいの息子と一緒に来た時、『竹馬』に乗ったよ。小さな広場に竹馬がいくつかあってね、彼は、最初乗れなかったんだけど、30分ぐらい一生懸命練習してついに自由に操れるようになって、すごく得意そうな顔をしていたなぁ。近くに芝生の丘があってね、そこを転がって下りて、何度も何度も、走って戻ってきてはまた転がるんだよ。もう柔道をやっていたから受け身が上手かったんだろうね、目が回らないらしいんだ。僕も試してみたら、ふらふらして立ち上がれなかったよ。なつかしいなぁ。もう、あの広場も竹馬も、別のイベントになっちゃってるんだろうね。あの頃はなかったバンジージャンプ台なんてあるもんね。夢をみていたのか、って気分になってきたよ」と、めずらしく長い述懐に耳をかたむける。
いや、大内くんもけっこうおしゃべりなんだが、普段は私が会話をさらっちゃうんで、彼にあんまりしゃべるチャンスはない。

と、バスがゆるいカーブを曲がると、道沿いに開けた広場が現れた。
端の方に竹馬のコーナーがある!その向こうに芝生の丘も見える!
「まだあったんだ!それに、夢じゃなかったんだね。息子と、ここで遊んだんだね!」と大感激の大内くん。

そうね、なんだか何もかも夢のように思えちゃう場所だよね。
私もね、大勢で来た若い頃、一昨年亡くなっちゃった大好きなSちゃんがサルビア畑の中を歩いていた光景が忘れられなくて、あの日のサルビアを見たかったんだけど、秋しか見られないよね。
サルビアの季節に、また連れてきてね。
今日は、菜の花の海で春の気持ちになって、とても幸せだったよ。

実にサクサク予定通りに進んで、マザー牧場を出ると30分ほどで大内くんの友人宅。
近くのブックオフから電話をしたら、もう5分ほどの距離だそうだ。
時間には早いが、もうおいでよ、と言われたようなんだが、「買い物するから」と言って、珍しい全巻そろいとかあるいい店だもんだから、結局約束の時間に5分遅れた我々。
(だって、出ようとした目の前に、松本零士の戦場シリーズの『持ってない5巻から最終9巻まで』が並んだりしてるんだもん。出先からでもリストを見られるようにしてくれてから、一段と買い物が派手になった)

家主のFさんが家の前をうろうろして待っていてくれた。申し訳ない。
夫人に会うのは15年ぶりか。転勤先の九州を訪ねた時以来。
3人いた子供たちは就職や大学で家を出て、今は末っ子が残っているだけだそうだ。

男性軍は銭湯に行き、胸の手術痕やらいろいろな傷で人様の前で服が脱げない私は、もてなしの支度をしてくれる夫人とお留守番。
いちおう「お手伝いしましょうか」と声をかけたが、もちろん、「いえいえ、どうぞ座っていてください。お風呂に入られたら?」と言われたので、大きな浴槽にのんびり浸からせてもらった。
人んちの風呂はいいなぁ。

スーパー銭湯の露天風呂でくつろいできたと言う男性軍が戻ってきて、2階で宿題をしていた中学生もおりてきたので、みんなでごはん。
お刺身やサラダ、グラタン、鶏のガーリック焼きなどが次々と出てきて、豪華だ。
Fさんが開けてくれたシャンパンで、乾杯!

「マザー牧場にいらしたんですか。いいですねぇ」と言ってくれる夫人の手料理の中に、「菜の花の酢味噌和え」があった。
それで思い出したが、菜の花畑の小道を歩いてるおばさんの中、しきりに花を摘んでいる人があり、「???」と思ってよく見たら「開いてないつぼみ」の部分だけをひと握り以上も摘んで行くのだった。
あの人の家では、今夜のおかずに「ゆでた菜の花」が出るんだろう。気持ちはわかるが、マナー違反だよ。
というような話を思い出してご披露したら、夫人は「うちのはちゃんと買ってきましたから、大丈夫」と笑っていたが、ちょっと不適当な話題だったかもなぁ。
私も、KYだからなぁ。

Fさんと大内くんは、30年の時を超えて研修時代の思い出が止まらなくなっていた。
当時婚約中だった私が会いに行ったら、同期の皆に次々紹介され、一番熱心に付き合ってくれたのがFさんをはじめとする3人組。
「大内夫人のカラオケ、よく覚えとるよ。『この広い野原いっぱい』やったね。上手かったねぇ!」
だって、4番のラストの「だから 私に 手紙を書いて」が歌いたかったんだもん。あの時代はね、メールもラインもそもそもケータイもなかったんだから!

その後も家族ぐるみであちこちの保養所に集結して、遊んだね。
研修時代や昔の家族集合写真をiPad Proに入れて行ったのを、皆で見た。
「なつかしい〜、みんな、若い〜。子供たちは、小さい〜」と夫人が感動する隣で、末の娘さんもお兄ちゃんお姉ちゃんの小さい頃の写真を興味深そうに見ていたが、その頃、あなたはまだこの世に存在していないのですよ。不思議ですねぇ。
大人たちは全員、「保養所がなくなってしまったのは本当に痛い」と声をそろえていた。

12時過ぎまで話し込み、したたかに酔っ払ったFさんと大内くんの会話が無限リフレインになってきたので、撤収。
2階のお部屋にはすでに布団が敷かれていて、旅館みたい!
大内くん、ばったり。
ほれほれ、靴下ぐらい脱ぎたまえ。
房総の夜は更けて行く。

19年3月10日

朝6時に目が覚めてしまったので、8時の起床時間までマンガを読んで時間をつぶす。
大内くんに声をかけて下に降りてみると、Fさんがもう起きている。
「おはようございます。しっかり起きられたんですね」と言ったら、
「昨日はここ(ソファ)で寝ちゃったみたいだ…」と頭をかいていて、キッチンで奥さんが、
「もう、動かせなくって」と笑っていた。

もう1人の二日酔いを迎えて朝ごはん。
またしばらく談笑したあと、Fさん夫婦の乗った車の後ろについて、近所の河津桜を見に行った。
ひと足早い花見。
お世話になったFさん夫妻と、「また会いましょう!」と声をかけ合って別れ、一路東京へ。

11時半には都内に着いて、年下の友人と予定通りコメダでランチ。
お産の近い彼女に、まだ使い慣れないiPad ProとApple Pencilで「安産祈念記念イラスト」を描いてあげて、とても喜ばれた。
もういつ産まれてもおかしくなくて、そうすると次はいつ会えるのかわからない。
今日、会うことができて本当に良かった。妊婦さんを見るのも超久しぶりだ。
ご安産に!

一緒に近所のブックオフで狩りをして、友人と別れて帰路についたのが15時過ぎ。
買い物して、16時半帰宅。
いつものように、お風呂を入れてる間にさかさかっと荷解きを終え、あっという間に片づける。
これが大内家流の旅行。
疲れたけど、楽しかった〜!

何もかもが順調で、場所場所に早すぎるぐらいのタイミングで着いて、でもそれが正解だった場合が多くて、渋滞にはほぼまったく合わなくて、見事な旅行計画であった!と自画自賛。
あらゆる予定をキッチリとこなし、事前に建てたスケジュールはすべて美しく消化された。
こういうのが楽しい私と、「合言葉は『ケ・セラ・セラ』」な大内くんは、本当に気が合うんだろうか?
菜の花畑に寄り添って立つ写真は、「まあ、合ってるんじゃないの?(笑)」と言ってる気がする。

19年3月11日

もう8年もたった、あの日である。
気持ちが不安定になる。

いつも大内くんと話すのは、息子が高2で修学旅行に行っていてよかった、という件。
沖縄からケータイメールで「そっち、大丈夫?」とだけ聞いてきた。
さすがにあまりに離れているので、胸をなで下ろした。

1年生と3年生の中には、体育館に泊まった人もけっこういたらしい。
息子も、もし登校していたら、泊まってもらったかもしれない。
「たまたま車で近くを通りかかっていたお母さんに連れて帰られた柔道部の後輩」は、最後まで「いやだ、みんなと一緒に泊まる!」と主張していたそうだ。
(あのシチュエーションでそそくさと帰る男子高校生がいたら、それはもう、男子高校生の皮をかぶった別の生き物だろう)
高校の先生をしている知人は、非常態勢の指揮に当たり、詳細なレポートを残している。
大変興味深く、「あの日」を語る大切な資料となるだろう。

大内くんは、東京駅あたりから歩いて帰ってきた。
電話が通じるうちに聞いたのか、メールか何かで聞いたのか、もう覚えてない。
ただ、本当に歩き通せるとは思わなかった。
翌週の土曜ぐらいに、足の親指の爪が完全に浮いてしまったのを病院で処置してもらってた。
「もし息子が学校にいたら、寄ってきたかもしれない。通り道と言えなくもないから。息子の安全が確認できて、邪魔でなければ、僕も泊めてもらったかも」と語っていた。

あの地震のあとは、防災意識ってものがずいぶん変わったと思う。
前は「災害時を想定した歩行帰宅訓練」(通勤経路の一部を歩いて出社、帰宅してみる)なるものが時々行われており、有事の際はできるだけ帰宅、がコンセンサスだったところを、今は、安全さえ確認できればなるべくお互い今いる場所にとどまって、事故や混乱がないことが確認できてから無理なく帰宅する、のが常識になってきたようだ。

私はあの日ずっと家にいたので、大きな揺れがとてもとても長く続いたこと、窓辺の置物が落ちて割れたこと、本棚の本が一部落ちてきたこと、終わってみたらサッシが10センチほども開いてしまっていたこと、ぐらいしか「揺れた!」感覚はない。
大内くんによれば、家のすぐ前の道はともかく、その手前の大通りなどはけっこうな混雑で、ましてや都心あたりは想像できないような人波だったそうだ。
「その全員が、一方向に黙々と歩いていた」と。
私もせめて大通りまで出てみれば、少しは実感できたかも。

大きな二次災害が起こらなかったから良かったようなものの、それほどの人数が移動しているのでは、たとえば前方が火事で進めない、引き返したい、となっても、続ろから続々と人が来て逃げ道を失うのではないか、と不安。
地面に大きな亀裂ができていても、レミングの行進のように押されて前に進むしかないような。
少なくとも会社は物資の備蓄もあって当面安全だろうから、万が一の時はそこにとどまってもらい、私は私で、家にいるのが危険なようなら広域避難所に行ってそこで防災担当の人の指示を受ける、最後は地域の避難所で会おう、と話し合っている。

唯生はある意味、誰よりも安全というか、防災と医療の点でかなり堅牢なところにいるので、安心。
息子はねぇ、やっぱり自力で身を守り、落ち着いてから合流するしかないかな。

被害に遭った方々のことを思い、祈るのと同時に、こういうことを考えるための日だよね。
自然災害は、起こる時は起こる。
日頃から備えをし、被害を最小限に食い止めるよう、努力せねば。
防災リュックの中の電池を替え、最新のひとつ手前のメガネに入れ替え、水や食料の消費期限をチェックする。
まだしてないけど、「しよう」と思うだけでもちょっとはいいかな。ちょっとだけだが。

19年3月12日

クリニックの先生が言っていた。
「人間は、1人でぼーっとしていられるのが理想なんだよね。でも、実際にはいろんな制約や事情があるから、一人暮らしのご老人ぐらいかねぇ、実現できるのは」

1人か。私が最も苦手なことだ。
1人でいると人格が保てない。
ポルノグラフィティだって「Mugen」の中で歌っているじゃないか。

「僕が暗闇を恐れてるのは いつか そのまま溶けていきそうだから
 ほんの小さな灯りでもいいさ 僕は輪郭を取り戻す」

私にとっては、他人の存在や発してくれる言葉が「灯り」で、それに向き合って初めて自分の輪郭がわかる。
自分の内側からは、「自分」の感覚はやってこない。
もちろん「感情」は内側から沸き起こってくるんだが、今度はそれを止める「外と内の境目」、自分と外の世界を仕切っている壁がないと感情がそのまま外にあふれ出してしまう。
その「仕切り」「壁」も、内側から作るというよりは、外側にいる人の気配が作ってくれる。
あくまで、人と自分の仕切り。

コウモリが超音波を発しながらその反射で自分の位置を知るように、私は言葉を発して、相手から返ってくる言葉で自分の位置と存在の意味を確かめる。
透明人間にペンキをかけたように、その時初めて自分の姿が浮かび上がる。

こんな「ほぼポエム」を語っても仕方ないので、先生に言う。
「1人って、苦手なんですよね。どうしても、少なくとも配偶者には頼ってしまいますね。幸いと言うかなんと言うか、向こうも寂しがり屋なので、私が極端で過剰すぎるとは思うようですが、基本的にイヤではないようです」
「いいんじゃないの、向こうもそれでいいなら。組み合わせだからね」

今回のお話で一番重要なのはこちら。

「落ち着いてるようだから、そのままで。不安になっても、それは春のせいだから、深く考えてはいけない。春は誰でも調子が悪くなる」

念のため、「考え事が湧き上がってきても、今は気にしないで、5月の終わり頃にゆっくり考えた方がいい、ってことですか」と聞いてみたら、
「そうそう!」と確信を持って答えてくれた。

なるほど。では、しばらく考えないでおいて、気絶して過ごそう。
精神的に不安定な者の、これは冬眠ならぬ「春眠」と呼ぶのか。
春眠暁を覚えず。
いかん、起きられなくなりそうだ。

実は、いつの季節でも使える処方箋があるんだよね。
「今、考えるな」
春に限らず、考え始める時(もちろん「今夜のごはんは何にしよう」的なことは別よ)には必ず唱えてみた方がいい。
本当に必要なことなら、またあとから必ずわいてくるし、その時にはさくっと解決できるかもしれない。
「今」は、考え込んでしまうようなことのあらゆるすべてにとって、考えるのに最も都合の悪い時であると心得て、とりあえず深呼吸してから寝よう。

19年3月13日

毎週とても楽しみにしているNHK大河ドラマ「いだてん」が、大ピンチ!
ストックホルムオリンピックに出場する主人公のマラソンランナーに「足袋」を作ってあげる「播磨屋さん」役で出ていたピエール瀧が、コカイン所持と使用でつかまってしまったのだ!

視聴率がヒトケタでお荷物だから、NHK側には渡りに船で打ち切りじゃないかとか、ネットの噂は冷酷だ。
一方、「見てない9割の人を『気の毒だなぁ』と思います」というご意見もあって、やはり少数者が集う場があるのはいいものだ。
会社だったら、10人の課で「『いだてん』見てる人?」って声かけても、大内くんしか手を上げないってことだもんね。
社食で昼の話題にするのも難しい。
私はむしろ、ゴーンが変装したなんて知らなかったし、どうでもいいと思ってるぞ!

だいたい、「いだてん」の視聴率なんて気にしたことがなかったよ。あんまり面白いもんだから。
録画を全部残してあるので、たまに来る息子もむさぼるように見て、1話ごとにため息をついたり拍手をしたり、うるさいぐらいだ。
我が家に関する限り、見られない唯生以外の人はみんな見てる。視聴率75パーセントだ。

大内くんと一緒に、NHK宛てに嘆願メールを送った。
「堂々たる名作だと思います。ピエール瀧さんが出演していたというだけで、放送短縮や、まして打ち切りなどとは考えないでください!」
いだてんLOVEな方々が、きっと大勢メールや電話で後押ししてくれるだろう。負けないぞ。T.N.G!

19年3月14日

「いだてん」は放送継続だそうだ!よかった。
しかし、NHKオンデマンドでは当面、配信停止になるらしい。
録画を消さないでおいてよかった。年末にまとめて見て、この顛末について感慨を新たにしよう。
「とと姉ちゃん」「あまちゃん」「龍馬伝」にも出ていたのか。
社会的影響の大きい人だなぁ。
最近、この手の話が多いね。

役所に行く用があるからと、朝、息子が訪ねてきた。
と言うか、「税金の督促状が来てる」と連絡したので、取りに来たんだ。
「こないだ督促が来て、払ってなかったっけ?」と思ったのは、国民健保だ。税金はまだ払ってない。
年金は払わない主義のようだし、人生で一度も督促を受けたことがない私には、手に余る問題だ。

それでも顔を見れば少しは嬉しく、ごはんを炊いて冷凍のハヤシルーを解凍して朝食を食べさせてやる。
彼はもちろん先週の「いだてん」に釘付け。
サブタイトル「真夏の夜の夢」と聞いて、最初にシェイクスピアが出てくるのは健全だ。
母さんはね、はじめ、松任谷由実しか出てこなかった。そういう時代の人間。

役所のとなりの八百屋に車で買い出しに行くから乗っていけ、ついでに重い野菜を車まで運んでくれ、と頼んだら快くつきあってくれた。
急に「サイボーグ009の『誰がために』って、いい歌だよね〜」とか言い出すので、車の中で聞かせてやったら、
「は〜、いいわ〜、最初の方の作品だよね」と言う。
「全然最初じゃないよ」と言ったら、
「白黒の時代があったとか信じられない」のだそうだ。
悪かったね、母さんが見始めた時は白黒だったよ。
映画館で、三色重ねてこするとフルカラーになるシールをもらって、嬉しさと不思議さでアタマがぐらぐらしたもんだ。

八百屋のおばちゃんが気づいてくれて、「あらっ、今日はダンナさんじゃなくて息子さんと一緒?いいわね〜」とか言ってくれないかなぁと思って近くをうろうろしてみたんだけど、おばちゃんはしいたけを売るのに夢中で、目が合わなかった。残念。
息子は、何もかもが安いので感動したらしい。
「安いよなぁ。こんな八百屋が近くにあったら、いいよなぁ」って、3歳から後の君の成長を支えた野菜は、ほとんどここから来てるんだよ。

5食入り袋ラーメン(謎のメーカー)が安かったので、「持って帰りなさい」と言ってカゴに入れてたら、心得たもんで、彼も「充実野菜」(ちゃんと伊藤園だった)とか入れてた。
ちゃんと、「いい?」って目顔で尋ねるのが可愛かったぞ。

重い袋を3つ、車まで運んでもらった。
マンションの駐車場からは、台車を用意しておいたから1人で運べる。

食品の入った袋ぶら下げて役所に相談に行く彼に「じゃあね」って手を振って、気になるから、もう一回駆け寄って、
「督促された分を払うお金はあるの?」って聞いたら、
「金がないから相談に行くんだ」って憮然としていた。
そうだよね、「払えません」って相談に来た人が払い込みできたらおかしいよね。
頑張ってください。

19年3月15日

水道の蛇口が古くなって傷んでしまい、隙間からびゅーびゅー水漏れするようになった。
しかも日々、水漏れの勢いが増すばかり。水圧上げると、まわりがびしょびしょ。

「修理を頼むより、自分で蛇口買ってきて付け替えたらいいよ。できるよ!」と大内くんをそそのかすも、
「水道の元栓閉めたり、けっこういろいろややこしいからなぁ…」と引き気味。

実はトイレのウォシュレットもスイッチの調子が悪いので付け替えてもらいたいんだけど、先代のウォシュレットが壊れて電器屋さんで相談した時、
「長い目で見れば、修理するより自分で交換した方が安くつきますよ。慣れればそれほど難しくないですよ」と言われて、やってみたら死ぬほど面倒くさかったのがトラウマになっているらしい。
そりゃそうだ、水を停めて、狭いトイレにかがみこんでの2時間以上の作業はキツかったろう。
「慣れれば」って、そんなもんに慣れていたら、もうプロだろう!

というわけで、前々回息子が来た時に、
「台所の水道、すごい水が飛び散るでしょ。友達とかで、蛇口の交換できる人いない?ついでにウォシュレットも換えてほしい。バイト料払うから」と聞いてみたところ、
「そんなの、ググればすぐ出るよ。簡単。オレがやるよ。大丈夫、オレ、器用だから」て、やる気も自信も満々。
そうか、ならば時給3千円ぐらい出そう。
君にお金が入るのはいいことだしね。ウィンウィンだよ。

なので、近いうちに蛇口とウォシュレットを買わなきゃ、と思っていたんだが、ウォシュレットって、引っ越す時には当たり前に置いていくよね?新しい家には当然ついてるし。
2、3年以内に引っ越そうと目論んでいる我々、ここで買って付け替えてしまったら、もったいなくて置いていけないじゃないか。
だからってマンション売る時に「ほう、新品同様のウォシュレットがついてるんですね。その分、高く査定しておきますね!」なんてことになるわけないし。
やめよう!まだ使える!

蛇口の方もですね、なんと、「アロンアルファ」1本で解決してしまったんです。
瞬間接着剤を水漏れする隙間にちょちょいのちょい、とつけたら、ぴたりと止まった。
我々は諸々節約できたが、息子はこづかいの稼ぎどころを失った。気の毒。

アロンアルファを思いついた私は、そもそも何で大内くんや息子にやらせようと思ってばかりいたのだろう。
女子寮に住んでいたハタチの頃、扉がガタつくとか閉まらないとか言われたら、大工道具を手に削ったりネジ回したりして直してたし、「ゴキブリ〜っ!」と悲鳴が聞こえたらスリッパを手に飛んでいって「処理」していたし、いやぁ、男性がいない時の方が有能だった。
結婚してからこっち、「できない〜」ってくねくねしてれば大内くんが解決してくれるようになって、こういうのを堕落と言うんだろうなぁ…

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