4ピアノとチーズケーキ
「キラキラ星園にいこう」−こう思い定めてから、私と妻の生活には、目に見えた目標ができた。
キラキラ星園は、脳性マヒの子どもにドーマン法による訓練を行なう、全国でも数少ない施設である。
神奈川県の療育施設なので、神奈川県民でないと通えない。
横浜市に大変古い社宅があるのを見つけて、転居することにした。
そこは工場街のはずれで、最初に見に行ったときは小雨が降る中だったせいか、廃墟のような建物という印象だった。
けれど、その家で唯生の障害と向き合った生活を始めることは、悪くない考えに思えた。
転居後、唯生の主治医になってもらうT先生の診察を受けた。
メガネをかけて髪をひっつめた女医さんだった。
いかにも「女史」という感じだったが、唯生に向けた顔はたちまち天女のようになった。
「唯生ちゃん。こんにちは。まーかわいい笑顔ねえ」
とろけるような声といっても大げさではなかった。
診察が終わると、「何かと医者には言いにくいこともあるでしょうから、ケースワーカーに相談してくださいね」と言って、ケースワーカーのKさんを呼んでくれた。
「見てちょうだいよ。かわいいでしょう」
T先生は、Kさんに自慢するように言った。
最後に先生は、療育施設はどのようにするのかたずねた。
私たちのもっともしたい話だったので、膝を乗り出して答えた。
「キラキラ星園です。先生はご存知ですか」
「ドーマン法!」
先生はそう言って息をのんでしばらく黙って、天女のような表情は元の何倍も怖くなってしまった。
「ドーマン法が効いたという話は聞いたことがありません。横浜市のいい療育センターがあるでしょう」
「害があるのですか」
「そうは言っていません」
喧嘩腰の会話になってしまって、気がついたら私たち三人は会計を待っていた。
脳性マヒ児の訓練法で一般的なのはボイター法とボバーズ法で、全国の訓練施設の大多数がこのどちらかを採用している。
いずれも1日に30分か1時間程度の訓練が処方されるのだが、ドーマン法は、やれる限り起きている時間全部を訓練にあてるという考えをとっている。
またドーマン法はけいれん止めの薬に批判的だが、これは多くの病院の考え方と対立する。
キラキラ星園は薬について病院の方針に反することはしていないが、通園は週5日、訓練時間に1日3時間程度と、通常の園のほぼ倍をあてている。
私たちはそのとき、頼りにする専門家の間で考えが違っていて、それに巻き込まれて親が非難されることもあるのに驚いた。
親は子どもによければそれでよいという以外の何の主義主張もないのだが、どの専門家が言っていることが信じるに足るか検証する方法はもっていないのだ。
妻は帰りの車の中で、「T先生は唯生を診てくれるのかしら」と、くよくよしていた。
たしかにもう診ないと言いそうな勢いだった。
私はもう一度予約をとって、考えは違っていても診察はしてくれるようお願いし、先生も承諾してくれた。
通園の準備を進めるうち、私はだんだんと唯生と一緒に自分がキラキラ星園に通いたくなってきていた。
自分の心の半分をいつも占めている唯生のことを一番にする暮らしをしたくなったのだ。
これからの大事な時期を唯生と関わる時間が少ないまま過ごすことを想像すると、いてもたってもいられないように思えた。
当時私がとれる最も長い休みは、1年の育児休暇だった。
もし次の子ができれば、「妻は唯生の面倒を見ているので次の子の世話ができない」ということで、育児休暇の要件に合致しそうに思えた。
私と妻は子どもを作ることを計画し、上司にこの案を話してみることにした。
切れ者で通る私の上司は、「そんなことは許され……」と言いかけたような気がしたが、その言葉を飲み込んで、翌日、許可する旨の返事をくれた。
私と妻もすぐに“次の子の準備”を始めた。
それがある日、上司が「子ども作るの、ちょっと待てるか」と言うので、「待てないかもしれません」と答えると、「ならしょうがない」と言われた。
何のことかなと思っていると、会社から介護休暇の制度を導入するという発表があった。
この制度を利用すれば、次の子どもを作らなくても私は1年間の唯生の介護のためという本来の理由で休暇をとることができた。
しかし、発表のあったときに妻はすでに妊娠して産科に通い始めていたし、私たちはすっかり次の子どもを楽しみにする気持ちになっていたので、結果としてはよかったのではないかと思う。
私の休暇取得は職場にとって面倒が増えるばかりなはずなのだが、上司には励まされるばかりであった。
私は9月の末から1年間の介護休暇に入り、10月に第2子の息子が無事生まれた。妻の産後の回復を待って、私は12月から唯生を連れて「キラキラ星園」に通うことになった。
園の朝は、着替えから始まる。場所の移動や時間のけじめを判ってもらうためだ。
10時になると朝会が始まる。親や先生が子どもたちを膝の上に乗せて、園長先生を中心に車座になって座る。
先生も子どもたちも手のひらをくるくる表裏にして「キラキラ星」のメロディで園の歌を歌う。
「キラキラ星よ きれいな星よ 明るい星よ 希望の星よ 私の星よ 明日の星よ」
それから今週の歌を歌う。子どもから子どもへ、「はい、ツーくん、どうぞ」と楽譜を手渡していく。
先生が古いピアノで元気に伴奏すると、明るい声がこれまた古い建物を震わせる。声を出すのをためらっている人も思わず加わってしまう力がある。
歌い終わったら、当番の先生が大きな声で順に子どもたちの名前を呼ぶ。
まぶたを動かして応える子も、ゆっくりゆっくり手を上げて「はい」と応える子もいる。
唯生が呼ばれると、皆が口でも指先でも動かして何か返事をしないだろうかと固唾をのむ。
「唯生ちゃーん、唯生ちゃーん」
唯生が返事をしたくなったな、と思えたときに、私が手を持ち上げて「はーい」と応える。
朝会のあとは11時30分まで訓練をする。
先生も親たちも手を動かしながら、歌声がとだえることはない。
私は緩い傾斜のすべり台の上で、デンデンデンと太鼓を鳴らし、唯生が近づこうとするのを見守った。
昼には先生たちがついていて食事の練習をする。
それまでは、無理をさせてはいけないからと、唯生はもっぱらミルクだけしか飲んでいなかった。
ところが、担任のF先生は、唯生の口にどんどん物を詰め込む勢いだった。
強引なぐらいに見えた。
「唯生ちゃん、むずかしい顔しないでトマトも食べようよ。もう終わりにしようか……でも、もうちょっとどーお」
唯生はびっくりするほど変わった。
園の歌のピアノが聞こえると、手足を突っ張ってばたばた動かして、顔中笑いにして楽しそうに「あー。うー」と声を出すのだ。
以来、園では唯生の機嫌が悪くなると、先生たちは「キラキラ星だ」と言って唯生を取り囲んでピアノの前に連れて行くようになった。
休みの日におよばれに行った先で、チーズケーキを食べさせてもらった。
それまでおいしそうに物を口にすることがなかったのに、おかわりが欲しそうな口をして、にこにこした。
家でも唯生の食事がすすまないと、とっておきにケーキをあげるようになった。
これまで、医師もPTも周囲の人も、どんなにやさしく唯生に話しかけてくれても、反応を期待してはいないようだった。
唯生の可能性をどう引き出すか、積極的な考えを持っている人は1人もいなかった。
愛情をもって接してくれているのは判っても、私は何だかやるせなかった。
でもキラキラ星園では、唯生はなんて強引に扱われることか。
乱暴と紙一重の愛情のみが、唯生の心の中に分け入ってゆくことができるのか。
皆、唯生が応えることを期待して、それでいて応えないことに失望しないのだった。
私は毎日が楽しかった。