19年5月1日

明けて令和元年。あけましておめでとうございます。
いや、冗談じゃなく、本当にこの手の挨拶をネット上でたくさん見かけ、年越し蕎麦を出す店もあり、御朱印帳に日付を書いてもらいたい人々は9時間の行列を作り、新年を迎えたような雰囲気が盛り上がっていた。
10年後の自分が信じないかもしれないし、20年後にさらなる改元を迎えた時どうしていいかわからない時の参考に、書き留めておこう。

昨日は退位関係の、今日は即位の方の、ニュースや特番をじゃんじゃん見た。
平成元年に結婚したので、平成を振り返る番組で取り上げる何もかもが「結婚してから一緒に見たもの」で、とてもとてもなつかしかった。
今日から「天皇」となった人の言ったことやったことも、皇室ファンとしてはよく知っていることがほとんどとは言え、この日のために取ってあった隠し球も多く、いろいろと感慨深い。

天皇制について自分がこれからどう思っていくか自信はない。
ますます大変だろうなぁ、とは思う。頑張ってもらいたいとも思う。
これほどの自由な、個人が大切にされる時代の天皇・皇室の苦労は並大抵ではなかろうし、「辞めたい」と彼らが言い出す日が来たら応援してあげたいぐらいだ。
それでも、王室を戴く英国に「何かがある」と思うように、皇室を戴く日本人は他の国の人とは少し違う世界を見られるのではないか、と想像する。

平和で幸せなのが私だけではありませんように。
いろいろな人の幸いが、続きますように。

19年5月2日

息子が訪ねてきた。

リクエスト通りチャーハンを作ってやり、我々の最近のお気に入り「鶏から揚げネギソース」もつけた。
「おいしいね。うまいよ」と何度も言いながら食べてる合間にはしかし、
「ちょっと油っこいな。油淋鶏なら、ソースにごま油は入れなくてもいいんじゃないの?」とも言う。なかなかうるさい食客だ。
そう言えばこの人、昔からあんまり油っこいものは好きじゃなかったな。

これからどうインプロやコントをやっていきたいかなどの話をけっこうしてくれた。
「理想の父親像」を持たないせいうちくんは、それでも「お父さんらしく」とついりきみかえってしまうのだそうで、なんだか偉そうに説教するモードに入っちゃうんだけど、横から私が、
「やめときなよ、上から目線で、感じ悪いよ」とつついても、息子は真剣な顔で、
「そんなことない。すごく参考になるよ。もっと意見言って!」と促していた。
1年前には目を三角にして怒ってたもんだが、成長なのか擬態なのか。擬態してみせるのもやはり成長かも。

食事が終わっても、いつものようにマンガ読んだりノートパソコン広げたりしないんだよ。
「どうする?映画でも観る?もうちょっと話す?」とせいうちくんが聞いたら、
「もうちょっと話そうか」と答えて、飲んでいた牛乳を我々と同じお湯割り焼酎に換えて、けっこうな深酒をしながら夜更けまで話した。
最近は毎度わりといい話し合いになるが、今回が一番相互理解が進んだかもしれない。
その上、次に会ったらもっとかも、と思わせるような。

私がしみじみと嬉しかったのは、こないだブックオフでせいうちくんがダブり買いした久井諒子のマンガの話。
私がすでに持っているのに、知らないせいうちくんを棚から魅了してうっかりつかませてしまうほどの逸物だったわけだが、息子は椅子の上でぴょんと飛び上がった。
「オレもその人すごく好き!ちょっと、見ていい?」と書斎に飛んで行き、2冊の短編集を持ってきた。

息子「『テラリウム』は持ってるんだよ。すごくいいよね~!『龍の学校』は持ってないな~」
私「持って行っていいよ」
息子「ほんとっ?」
私「売り直すか人にあげるかしようと思ってたから、あなたが持ってってくれたら嬉しいよ。母さんもたまたますごく嬉しい掘り出し物があって浮かれてたもんだから、チェックの目を逃れて2人の収穫を一緒にした山でレジ通っちゃったの。父さんは『ダンジョン飯』も読んだことないのに、突然つかんじゃったらしい」
せいうち「普段は新しめの人には手を出さないんだけど、ふと手に取ってぱらぱらっと絵を見たら、すごく欲しくなっちゃったんだよ~」
息子「そりゃそうだよ、これは、いい作品集だよ!」

単なるオタク家族の会話なんだが、相談してない3人がそれぞれに「いい!」と思ってるものが一致するのって、嬉しいもんだね。

幸せな気持ちのまま、作っておいたアイスクリームを食べながら、息子がここ2回分を見てないと言う大河ドラマ「いだてん」を鑑賞。
我々はもう見たが、何度見ても楽しめるので、ノープロブレム。
若い頃の落語家志ん生がたまたま入った牢の中で、たった1人の観客から「面白えかどうか、決めるのはそっちじゃねえや、客だぜ!」と言われるシーンで、
「そうだよなぁ…」と感に堪えぬようにうなずく息子。いいぞ。

四三さんのお兄さんが見合いの席で前のめりになって「た~か~さ~ご~や~」と3度もうなるシーンで吹き出したら、息子は不思議そうに「たかさごや、って?」と聞いてきた。
これもいいね。知らないことはどんどん聞こう。
「結婚式をお祝いする縁起のいい唄だよ。気が早い、ってことだろうね」と教えておいたが、古い文化はどんどん消えていくね。
私だって実際に出席した結婚式で聞いたことはない。映画やテレビの中だけだ。

「このアイス、うまいね」と言ってくれるのは嬉しいけど、
「こないだのはおいしくなかった」と言われるのとセットだった。
自分の子供とは、かくも容赦ない批判者であるか。
人にものを食べさせて否定的な意見を聞くのは案外珍しい経験だ、とあらためて思う。

明日は借りてきてる映画DVDを2枚観よう!と約束し、それぞれのベッドに入っておやすみなさい、のはずが、いつものように明け方まで寝ない息子との朝は、また次回!

19年5月3日

GWは我々も夜更かしの朝寝坊で、起きたのが9時。
今日は午後遅くにみんなで娘に会いに行き、19時頃からの映画を観る予定なので、その前にブランチを食べてからDVDを2枚観るとなると、そろそろ息子を起こさねば。
「来週から朝出勤するから、早起きの練習をする」と言っていたはずが、なんだかんだ言って明け方まで自室で起きていたようで、かつての悪夢のように「あと15分」「あと10分」「あと20分」(だから、なぜそこで伸びる?!)を繰り返して、やっと起きてきたのが11時頃。
ああ、やっぱり一緒に暮らすのは無理。
会社に遅刻しようがクビになろうが、私に見えないところでやってくれ!と深く深く思った。

いろいろある中で、息子が「音量を上げろタコ!」と「スターリンの送葬狂騒曲」の2枚まで絞り込んで、最後に決めたのはスターリンの方。
コメディだと思ったらDVDに入ってる予告編にやたらホラーが多いので不安になった。
始まり方もなんだかシリアスだし。
しかしまあコメディとしか言いようがない。
息子は途中でぐーぐー寝始めて、つついて起こしてみたら、
「これ、面白いの?史実の方がよっぽど面白い」と言い放ってまた寝てしまった。
最終的には君の選択だぞ。母さんには面白いぞ、そう言うほど史実の方を知ってんのか?!
いろいろ言いたくなったが、まあ眠いものは仕方ない。

観終わって、まだ寝ているのをだんだんに起こしながら、予定通り15時に出発。
車に乗る頃には目が覚めたらしく、
「ごめんね、夜更かししちゃったから、眠くて。ラストはどうなってた?あの太った人は、死んじゃったのかぁ!」と素直になってた。
自分が寝起きがいいので、眠い時と起きてる時で性格が変わる人はあまり理解できないぞ。

娘はとても元気だった。
息子はじっと娘の手を握って、小声で何か話しかけていた。
「きっと面白い人だよ。この頭の中で、オレなんか及びもつかないような面白いことを考えてると思う」と前から言っているので、今回も「面白いこと指南」を受けていたのかもなぁ。

せいうちくんはしきりに匂いを嗅ぐように娘の首筋に顔を寄せていた。
横で息子に、
「父さんはね、匂いで人の体調がわかるんだよ。いつもああやって娘ちゃんの体調を測ってる。元気に育った28歳の娘だったら絶対にやらせてもらえないことだよね」とささやくと、
「今だって娘ちゃんイヤそうだよ?なんか怒ってない?オレだったら、やだね」と、気の毒そうに見ていた。
不随意にしか動けない娘なのでお父さんを払いのけるわけではないが、確かにイヤそうな顔には見えたね。
笑ってる時と顔をしかめてる時と、「楽しそう」「イヤそう」とこっちは勝手に思うんだよね。
どんなふうに外のことを感じ、どんな気持ちを表現してるのかなぁ。
言葉でコミュニケートしてる同士だって、最後はわかんないところだ。

介護士さんに頼んで一緒の写真を撮ってもらった。
机の上に飾る家族写真が欲しいからと言っていたせいうちくんがナースステーションに頼みに行くのを、息子は、
「このへんを通った時に頼めばいいのに」と気にしていたけど、実はね、「このへんを通る時」は何か用があって通るんで、かえって忙しいんだよ、ステーションに座ってる人の方が手が空いてる可能性が高い、と説明しておく。
殺風景にならないようにと介護士さんたちが医療器具を動かしたりついたてを持ってきたりいろいろしてくれて、いい写真が撮れた。
家族全員の写真は何年ぶりかなぁ。

娘ちゃんにみんなでバイバイして、今日は狼の遠吠えのように聞こえる「後追い泣き」が出たなぁ、やっぱり全員集合のあとは寂しいのかなぁ、と後ろ髪を引かれながら病棟をあとにした。

となり街まで移動して、シネコンに車を停めて、食事にしよう。
駅前に「いきなりステーキ」があるのを調べておいたんだ。
息子によればNYに進出した同店は客足がサッパリだったそうだ。
それで「ペッパーランチ」に営業替えした、とは聞いたことがある。
「ステーキなんか家で焼く。オレだって焼いて食ってた」と言うので肉の値段を聞いたら、1枚100円ぐらいなんだって。
だからってせいうちくん、大きな声で、
「それじゃ『いきなりステーキ』がつぶれるわけだね!」って言うな。ここは店内だ。

おなかいっぱいになってシネコンの建物に戻り、まだ時間があるから洒落たカフェに入ってみた。
息子は今、ケータイ代がなくって通信はPCに頼っているらしく、どこかで落ち着くとノートを出す。
今時はフリーWi-Fiが通っている場所が多く、ほとんど困らないらしい。
電話で話すような用事が発生した時も、SNSで「今電話していい?」と聞いた上でSNSを通してかけてくる。
ちなみにカノジョの住まいにも固定電話はないのだそうで、今の若い人の生活は我々とはずいぶん変わってきている。

そうそう、カノジョのお母さんには転がり込み同棲を反対されて、今んとこナイショで住み着いているらしいが、職について定収入が見込めたらいったん部屋を借りてお互い独り暮らしをするのかお母さんに「状況が安定しましたので」とお願いしてお許しをいただくのか、と聞くと、
「後者だね」とひと言。
うん、いい答えだ。安心した。

板タブでマンガにトライしてるせいうちくん、カフェでトイレに行って帰ってきたと思ったら、
「ノートPCと板タブ使ってクリスタでマンガ描いてる人がいたよ!メジャーな行為なんだね」と興奮していた。
気づけば、PCやタブレットで作業してる人が増えた。
息子もけっこうカフェ派であるらしい。
「だって部屋には食事用のローテーブルしかなくて、腰が痛くなる」のだそうだ。
「父さん、キーボードどれぐらい速く叩ける?」とせいうちくんの前に押しやるPCの画面には「寿司打」というゲーム様のものが。
出てきた単語を打つ速さを見るらしい。
ノートに慣れてるせいうちくんでも機種が違うと苦戦するようだ。
私はデスクトップ派なので、絶対トライしないぞ。家でこっそりやろう。
いろんな意味で家の外は刺激的だ!

さて、映画はアニメーション「バースディ・ワンダーランド」。
色鮮やかなトレーラーを観て一発で惹かれた。
映画館で、しかもアニメを観るのは久しぶりだ。
「クレヨンしんちゃん『オトナ帝国の逆襲』」の監督さんだよ」と観たがっていた息子の分もチケットを買っておいた。
「なんか飲もうよ」と声をかけたら「いや、オレ水持ってるから」と遠慮していたが、重ねて薦めたら、「じゃあビール」って生飲んでた。
我々はゼロコーラのLサイズ(すんごく巨大)をひとつ買って、3人で並んで鑑賞。
しかし、小さなシアターだったので、かぶりつきは不正解だった。スクリーンを見上げる格好になり、首が痛くなった。

そして映画は、実はスカ。会場もスカスカ状態。
最初の方で羊の群れが出てくるので「どとうのひつじ」とつぶやいたのがいけなかったのか、私の旅の道連れは両側で2人ともすやすやと眠り始めた。
チケットを買い席を選んだ責任者として、意地でも寝ないぞ、と半泣きでスクリーンにらんでた。
ラスト10分のクオリティで全体を頑張ってくれていたらなぁ、と思うよ。

駅まで送る車の中で「つまんなかったねー」と息子に言われたので、
「母さんは謝らないよ。ぜったい、責任を感じたりしないよ!」と語気を荒くしたのだが、誰も、「いや、母さんのせいじゃないし」と言ってくれなかったので機嫌が悪くなりそうだった。
たぶん、せいうちくんも息子も、「映画がスカだった」ことが「誰かの責任かも」とは微塵も思わない人たちなんだろう。
私の実家では、良いことはたいてい母か姉のおかげで悪いことはたいてい私のせいだったから、覚えがない時は力一杯無実を叫んでおかないと、いつの間にか責任をかぶっていたもんなんだ。
息子はそういう「スターリン時代のソ連」みたいな生活をしたことがなくて、きっと幸せなんだろう。

こんなに息子といたのは久しぶり。盛りだくさんに一緒に遊んで話もたくさんできた。
結論として、午後以降の息子は素晴らしいんだが、午前中はあんまりよろしくないかも。
朝起きなかったことをしきりに謝りながら帰っていく姿を見送って、家を出てもらったのはいろんな意味で正解だったと思う。
向こうもその方が楽しそうだし、お互いに尊重し合えるようになった。
適切な距離と関係でいないと、憎み合ってしまうこともある。
今の状態はあらゆる意味でベストに近いんじゃないかな。

カフェで一緒に注文をしに行って、カウンタを通り過ぎて後ろから「母さん、ここここ」とか引っ張られるの、いいなぁ。
若い人は注意力があって物識り。
事態がめんどくさくなったら「息子に聞こう」って素直に思う。
「『巴里歌劇団』のオープニングが素晴らしかったから映像を観たいんだ」って聞いたら、そもそも「檄!帝国歌劇団」がゲームなんだとかアニメ化されたがテレビシリーズは存在しないとか、知らないことをいっぱい聞けた。
いいオタクを育てたもんだなぁ!

本当に楽しかった。また来て。
一応仕事に就いたからには、GWが終わればなかなかこれまでのようには会えないだろう。
ちょっと残念だけど、それが定職に就いて二足のわらじを履く子供ってもんだ。
「そんなことないよ、また会いに来るよ」とは言ってくれるけど、定時の仕事に就いてその上自分のしたいことをしようとすれば、時間はいくらあっても足りない。
週末は身体を休めて英気を養ったりカノジョと遊んだり、リフレッシュも大事な作業工程だ。
お父さんせいうちくんもそうしてますよん。

19年5月6日

楽しかったGWも今日で終わり。
せいうちくんとずっと一緒にいたので、しゃべりすぎて喉が痛くなったほど。
彼が仕事辞めて家にいるようになったら、私は早晩きっと声が出なくなる。静かでいいか。

3分の1年でたまった憂さをここで晴らして、後半3分の2に突入だ。
いろいろうまくいっていると思いたい。

19年5月7日

娘の誕生日。28歳になった。
当日はたいがいGW明けで休みじゃないもんだから、数日前に会ってお祝いを言うことが多い。
28年前、予定日を過ぎて微弱陣痛が3日続いた連休、助産院には行ってはお産が進んでいないので帰されてしまう日の繰り返しで、「連休明けに1度、提携している病院で検査しましょう」と言われ、明けて朝一番に病院に行ったことを思い出す。
いや、今でも「ここでこうしていたら」って局面はなかったと思っている。
むしろ、有名病院で検査も受け、心音が急に下がったその瞬間には設備の整った病室でおなかにモニタつけており、屈指の産科医がたちまち帝王切開してくれたのだから運が良かったのだろう。

「障害児が生まれた」という事態に両方の実家がくるりと回れ右して逃散したので、元々体調の良くなかった私の分までせいうちくんが大活躍した。
娘の誕生日は、最強イクメンの誕生した日でもあったのだ。

まずは入院が長引く娘のために私が搾って冷凍した母乳を、2日に1回病院に届けてくれた。
「大した回り道じゃないよ」って、そりゃ方向的には会社方面だけど途中でバスにも乗り換えるし歩くし、1時間ちょっとの通勤時間が2時間ほどになったはず。
保冷バッグを肩にかけて早朝のバスで出かける姿を、搾乳しながら見送った。

あの頃、ピジョンの搾乳機や母乳冷凍パックが出始めていて、よかった。
まだ上から「冷凍室、冷蔵室、野菜室」の3ドア冷蔵庫の時代だったので、冷凍庫を開けるとよく凍った母乳パックががらがらとなだれ落ちてきた。
初めてのお産、吸ってくれる赤ん坊はおらず授乳指導も乳房マッサージも受けた覚えがないのに、牝牛のように乳が出た。1日に軽く1リットルは搾った。
あり余り過ぎて、浴室で軽く搾ってから搾乳してたぐらいだ。
昔なら乳母で食って行けたかもしれない。

娘が退院してくると、せいうちくんは「産むのと母乳出すのだけはムリだけど」と言いながら、冷凍母乳を解凍して哺乳瓶で飲ませるのもおしめ替えも沐浴も全部やってくれた。
のちに息子が生まれた時は、「障害のある娘の介護のため」と1年の介護休暇を取って、あいかわらず臥せっている私の代わりに、乳児連れで2歳障害児の発達相談にまで行ってくれた。
半日がかりの大仕事なのに。
乳児が泣き出しそうになったら給湯室に行って、母乳を解凍して飲ませてげっぷをさせたのち、粉ミルクを作って自分で哺乳瓶が持てない娘に飲ませたんだそうである。

ずっと具合が悪かった私の分まで、働き、家事をし、子育てをしてくれた。
本当に、生物学的に女性にしかできないこと以外は全部やってくれた。
せいうちくんだからできるとは言わない。
たぶん、男性でも女性でも、やるしかなければやれるんだと思う。

「外の人の手を借りる。難しい時は親以外のまわりに頼む。お金も使う。いよいよとなったら公的機関もあてにする」のがコツだろう。
全部抱え込もうとすると破綻するから。
保育園も託児施設も子守サービスも、使えるものは何でも使った。
「3歳まではお母さんが」なんて神話、頭をよぎりもしなかった。
もしそれで子供たちから責められる日が来たら、潔く謝ろうと思う。
今のところ、息子から、
「もっと、叩いたりして厳しく育ててほしかった。あんたらの育て方は、甘い」という見当違いの苦情しか来ていない。

友人たちからちらほらと孫の話が舞い込み、中学の小さな同窓会のメンバーからは、「急に娘から孫の面倒を頼まれたので」と涙の欠席通知が来たりする。
先日、息子が突然連絡してきた時、
「実はハムスターを飼い始めた。それで、カノジョと2泊ほど旅行をする間、預かってもらえないだろうか」と頼まれてびっくり仰天、2秒と考えずに「ムリ!」と断ってしまった。
なにせ生き物だし、飼う時に相談もされてないんだもん。
「いつか孫を頼まれたら、どうするのか」って真剣に考え込んじゃったよ。
上の世代の応援なしには成立しない共稼ぎ時代が待っているのだろうに。

幸い息子は気を悪くした様子も見せず、もっと素晴らしいことには、1時間とたたないうちに、
「預かり先が見つかったので大丈夫になりました。確認ありがとう」と相談に乗ったことだけでもお礼を言ってくれたし、そもそも頼みごとを断った人にもその後の成り行きを知らせるのはオトナな気遣いだね。
私みたいにばっさり切り捨てて断ってるくせに妙に後々まで気にするタイプもいるから(笑)

まあそのように、親は無くとも子は育つ。
最近では、配慮された「親の不在」こそが有効なのではと思うぐらいだ。
うーん、男性の子育てについて話し始めたつもりが、「子を捨てよ、街に出よう」みたいな結論になってしまったぞ。

19年5月8日

菜摘ひかる「依存姫」を読む。
何でも「体験した人」(取材した人でも可)の書いたものは面白い。
良く書けてる小説が面白いのは、体験が深いか、取材に長けているか、文章が上手いのか、もしかしたら全部なのかも。
実を言うとこの小説は単なる「珍しい体験」というふうに思ってしまいがちだった。

それでも、
「あたしを苛むのは、格好だけでも人並み以上にしておかなければ誰かに認めてもらえる人間にはなれないという強迫観念」
という台詞からさまざまな自問自答をした。
たまたまそれほど容姿は興味なく来たからそっち方面各種依存をまぬがれてるだけで、「頭がいい」と思われたがるのは、「知能だけでも人並み以上にしておかなければ~以下同文」なんだろうな。

「もっと美しく」と化粧や服や体型にこだわり、整形を繰り返す「醜貌恐怖」の人たちの方が、これ以上勉強しようとも記憶力を鍛えようとも思わない私よりずっとまめで誠実なのかも。
「不細工」を見つけては溜飲を下げる「下方比較」をいくらしても意味がないが、モデルや女優に憧れる「上方比較」には向上心がうかがえる。

性産業に勤めて孤独を埋める話を読むと、その方向に進まなくてよかった、と胸をなで下ろす。
単純に、よく知らない人が怖いからだ。
続かない前提の関係には耐えられないからだ。
気持ちの中で恋愛に持って行く手もあるのかもだけど、それはそれで、アニメーターの友人が言っていた「好きなことは仕事にしない方がいい」との後悔を思い起こす。
しかし、「主婦」が職業なんだとしたら、私は「好きな人と暮らす」という大好きなことを仕事にしているなぁ。いいのか?

小倉千加子「ナイトメア」の主人公の、
「知識があるから、物事を楽しめない。知っていることが気になって、知らないことが目に入ってこない」状態も私に似ている。
何でも知ってい過ぎて物事を楽しめない主人公。
私は物識りなわけではないが、何でも思いついてしまうので、楽しみを逃してしまってはいるだろう。

ドラマを観ていても、次に何が起こるか、主人公がどんなセリフを言うか、予想して当てるのが普通に習わしになっている家庭だった。いいか悪いかはおくとして、そういう流儀だった。
母はいつも次のセリフを言い当てては、「ママが脚本書いたの」とふざけて言った。
子供の私も、当てると「うさこちゃん書いたの?」と言われ、得意になった。けっこう嬉しい思い出。

せいうちくんは、予想なんか全然しないのだそうだ。
それはそれでびっくり。
予期しないことや思いもしなかったことが次々起こる万華鏡の中で暮らす人。
娯楽いらずでうらやましいかも。
きらめく光片の理由やパタンを読もうとしてしまう私の横で、せいうちくんが「きれいだねぇ」とにこにこしていたら、いつかこの深読み癖がなおるのかしらん。

19年5月10日

息子のカード引き落としが滞るとせいうちくんの方に連絡が来るというシステムは、いいのか悪いのか。
今月もお知らせが来た。
前回生活費の無心をしてきた時に、
「連休明けから勤め始めるので、これが最後のお願いになる」と選挙演説みたいなこと言ってたくせに。
そもそも、GW中に会いに来てくれた時にはもう、金欠になるのわかってたんじゃん。

「あの日、相談してくれればよかったのにね」
「とても楽しくていい雰囲気だったから、言い出しにくかったのかもね」と2人で頭くっつけて悲しがってみた。
特にせいうちくんは、仕事上で「悪い話ほどきちんと早めにする」のをモットーにしているのだそうだ。
私だって、「人に嘘をつかないのはもちろん、できるだけ隠し事もしない」ことを良しとしている。
もっとも相手が親の時だけは別だったが…あ、そうか、我々は親だから、言いにくいのか!

金銭的に自立してないってのは不自由なものなうえ、その親に金を借りなければならない皮肉な構造なので、せいうちくんにメッセージで叱られる息子。
「前回の公演の時の費用などで人に借りたお金を払ったり旅行に行ったり」としおしおと白状する彼に、
「会った時にわかっていたはずだよ。言わなきゃだめだったね。少し考えさせて」と、どうしても上から目線で「お父さん」をやってしまうようだ。

「カフェに行ったり映画を観たりおしゃべりをしたり、あの楽しい楽しい時間一緒にいた彼は、『お金のない息子』だったんだ!そのことを、隠していたんだ!」とさみしく悲しく思いながら、2つのことを考えた。

息子は、私とは「義」のあり方が違う人間かもしれない。
「今、目の前にいる人に対して、sincereであること」が何より大切だと思っているので、そこの相違は乗り越えがたく感じられる。
そこが違う子供を育てちゃったらもう子育て失敗でしょう、と言われそうな気もするけど、いろんな種類の人間がいるからね…

もうひとつは、楽観的なんだけど、ある程度は年齢が変えてくれるかと。
「なんであの時に言わなかったのかな!」ってせいうちくんがぷんぷんしてるのを見て思い出した。
親に猛反対されてて、つきあってるのを隠してる頃、私のアパートに泊まる時にいつも口を酸っぱくして言っていた。
「最低限、電話1本入れて『今日は友達の家に泊まる。ごはんもいらない』って言っておきなさいよ。晩ごはん作っちゃうと申し訳ないし、お母さん心配するから」(ケータイのない時代!)
しかし毎回、
「叱られるから、イヤだ。電話の向こうの金切り声を想像しただけでもう…」と、無断外泊。
どうせ帰ったら怒られるんだし、少なくとも、「ごはん作って待ってた」「寝ないで待ってた」って「第二次お小言」は発生しなくなるんだけどなぁ。

そんなせいうちくんが50歳過ぎて息子のことを「目前の不快なことを直視しない。目をそらしたって問題はなくならないのに!」とか言って怒るのは、なかなか笑える。
もちろん面と向かってそう言ってあげたよ。
留年しまくってても家を出ず、親に怒られつつぐだぐだしていた日々を思い出すと少しぐんにゃりするらしいけど、
「3年留年した僕だって卒業してからはちゃんとしてる。息子のモラトリアムも26歳になるまでしか認めないよ!」と強気。
この秋までか。
今回職に就いたし、何とか逃げ切りかもね。

こっちでそんな話をしている間、息子本人はたいそう殊勝で、不足金の使い道を説明してきたうえで、
「再三の催促で申し訳ないのですが、お後10万円、お借りできないでしょうか」と言ってきた。

「物書きになろうかって言うのに、日本語が雑だねー。催促ってのは、『言う権利がある』場合の言葉だよねー、このケースは単なる『再三の無心』だよ」と不平を漏らす私の横でせいうちくんが、
「事情は分かったけど、前回会った時にきちんと説明して支援を仰ぐべきだったんじゃないかなぁ」とお説教。
息子「その通りでございます。配慮もなにも至らず、ごめんなさい」
せいうち「あのね…ここで『配慮』はないよ。『配慮』は気遣ってあげる、という意味だから…」
息子「なるほど」
せ「『なるほど』も上からの言葉だよ…」
息子「すみません」
突如始まる初級ビジネス日本語講座(笑)

でもね、息子は立派に答弁したよ。
一緒に暮らしてくれてるカノジョと我々両親に敬意をもって生活し、そのことに誇りをもって生きているって。
「これで、お金について自立できたらどんなにいいかと思っています」との言葉に、不覚にも落涙してしまった。
1年半ぐらい前は、この段階のはるか手前でブチ切れていたもんなぁ。
今、ブチ切れたい気持ちなんだとしても、よく押し隠して頭を下げるようになったよ。
「お金については決してなめてはいけない問題だとも認識している」って言うようになったのもスゴイ。
家を出る前は、「金なんて何とでもなることじゃないか」って言い放ってて、聞いてるこっちは愕然としたもんだが。

あと、次の会社がいわゆる「社保完備」であることに彼自身ほっとしている様子が面白かった。
年金とか健保とか、滞納するたびにこっちに連絡が来て、息子が叱られて振り込みに行って、の繰り返しだった1年。
給与からの天引きがいかにありがたいものかやっとわかったようだ。
人間、いくつになっても勉強だなぁ。
きっと私も今、勉強中。

だからね、援助はします。
息子は着実に成長していると思うんだ。
ただ、親としてどこまでも子供が可愛い、とは言いたくないので、ひいきの強い「パトロン」とか「タニマチ」の気持ちで。
かなりの昔っから何かと引っ掛かりと関わりのある相手だと思うことにしたい。
そうだ、せいうちくん!
あなたが彼にお金を貸す時のいいセリフを思いついたよ!
「まあねぇ、キミのお母さんとはいろいろ因縁浅からぬ仲だからねぇ」
これでいこう。

ただ息子よ、今後の活動目標に「小説執筆等」の言葉があるのが不安だ。
人が小説を書こうとか思ったり言い出したりする時はあんまりよろしい状態ではない。
特に、エンドマークを打った作品がほとんどない場合はなおさら。
君には想像の外だろうが、母さんだってそんなこと考えて、それで余計に具合が悪くなったりしてるんだ。
目指すところは「晴耕雨読」ぐらいにしとくのがいいと思う。

19年5月11日

せいうちくんは毎年1回、大学のまんがくらぶの仲間たちとの勉強会を主催している。
とは言っても別に堅苦しいものではなく、いろんな仕事や趣味の人がいるものだから、本人にとってはそれほど珍しくない話だと固辞されることも多いところを、口説き落として毎年講師を募っている。

元々は、友人から卒論で書いたという「ジャポニズム」の話を聞いたのがすごく面白くて、
「こんな話を我々だけで聞いてしまうのはもったいない。ぜひ、みんなの前でやってください。市役所の会議室とか、場所は用意しますから」とせいうちくんが頼み込んだのが始まり。
「少人数でお願いします。こういう発表ってのはスキモノが隅っこに集まってこそこそやるのが本当なんで…」とかなり渋々といった態で、それでも引き受けてくれた会は大成功、10人ほどがジャポニズムの意味を知った、画期的な日であった。

それ以来、年に1回続けており、講座の内容も様々。
お茶室を借りて、お茶を習っている人からお手前の指導を受けたことも、音楽を鳴らしてもいい部屋を借りてアフリカ音楽の演奏会をやったり、長年ヒップホップを趣味にしている人から指導を受けたり、もちろん本来の文系的な講座も多く、どうしても講師が見つからない年はせいうちくんが得意の「鉄の話」と「歴史の話」でなんとかつないでいる。
一番の人気講座は、ソムリエの資格を持つ男性の試飲付きワイン講座だ。

今回は、何度も登場してくれている友人男性が、仕事にしている「現代カルチャー史」の講義を下敷きに、40年近く前にこのサークルに入った時のくらぶの雰囲気と世相を見事に関連づけ、大変興味深い話をしてくれた。

もう1人はくらぶの長老と言っていい還暦過ぎの元気なやもめで、自身の将来も充分に考えているらしく、妻と両親と叔父を送った体験から、「死ぬ前の準備からが大事だ」と「終活講座」を楽しげに繰り広げてくれた。
「わからない用語はググれ」とは言われたものの、実践的なアドバイスに満ちた、明日からすぐに役立ちそうな講座であった。
翌日、エンディングノートを買いに走った人も多かったのではないだろうか。

普段は10人前後のこの集まり、今回はやはり長老の出馬のおかげだろうか、20人に迫るこの15年間ほどで最大の規模だった。
せいうちくんは会場の椅子が足りるか心配し(足りなかったので、事務室に借りに走った)、私はこのあと自宅で催す反省会とは名ばかりの宴会で椅子が足りるか心配していた。
これまでうちのリビングに入った人数は12人ぐらいが最高で、今回は講座だけで帰る人が1人いるが、残り全員では16人の大宴会になるのだ!

講座の後ぞろぞろと、ある人々は途中のスーパーでビールを仕入れ、3つほどの集団になってやってきた。
結論から言って、何とか全員入ったし、椅子もぎりぎり足りていた。
何人かは立食パーティ状態で立ち話に興じていて、それもまたよかった気がする。

何しろ40年近く知り合いな人ばかりなので、もうお互いの良いところもイマイチなところも全部飲み込んでいる。
それもあって、さほどの乱れもなく適度に酔っ払って楽しく旧交を温めまくった、良い会だった。

一番役に立った知識はですね、オタクの巣窟で有名な中野の「まんだらけ」という店では、「生前査定」をやってくれるそう。
目利きが家に来てくれて、マンガやフィギュアなどのコレクションをあらかじめ見積もり、万が一の時には遅滞なく引き取ってくれるらしい。
なにせそういう集団なので、みんな興味津々で聞いていた。
電子化しちゃった我が家にはあまり縁がない話で、少し残念だ。

19年5月12日

GWの影響で、データ入力のバイトの納期がキビシイ。
実働10時間ほどの仕事ではあるものの、今日もらった数字を明日には仕上げて出さなければいけない。
午前中に病院に行くから朝は作業は無理、できれば病院の帰りにそのままUSBメモリを届けてしまいたいから、つまり今夜中にやらんといかん、ってことだ。

そんなちょっとお祭りのような締め切り騒ぎに酔っている時に限って、息子が訪ねてくる。
今週から契約社員として勤め始めてる会社が、なぜか今頃「身元保証人の書類」を出せと行ってきたらしい。
忙しいので断りたかったが、働く彼を応援してやりたいし、ちょうど壊れてしまって買い換えたけどまだ付け替えてないウォシュレットを気軽に引き受けてくれそうなので、まあいいいか。
なにせ昨日の宴会では、トイレに「ウォシュレットが故障しています。どうしてもの場面ではビデのご使用をお勧めします」と張り紙をしておいたぐらい、困っている案件なのだ。

最近いつも時間よりちょっと早めに来るようになった彼で、大変いい傾向。
「まず、ウォシュレットやっちゃうよ」と言って、せいうちくんが物入れや車のトランクから集めておいた工具一式と自分のノートパソコンを持ってトイレ方面にこもっていた。
用意してあげた軍手もきちんと使用。
YouTubeか何かでDIYの映像を参考にしながら作業してるらしい。

ものの15分もしないうちに、「とりあえずこれ、ベランダに置いとくから」と外した古いウォシュレットを持ってきた。仕事早いな。
そこからさらに30分ほど、特に困った様子も見せず、「できたよー」と付け替え完了。

実は以前にも壊れたことがあり、電器屋さんの意見では、
「どうしても5年ほどで壊れます。業者さんに頼めば取り替えてくれますが、ご自分でされる方も多いですよ。慣れればそれほど難しくはありません」とのことだった。
真に受けたせいうちくんは自力でなんとか交換したのだが、よく考えたらそんな作業に慣れるにはずいぶんな年季が必要で、どっちかというと不器用なせいうちくんは疲労困憊し、狭いところにこもっていたストレスも手伝って、
「もう二度とやりたくない。次に壊れたら業者さんを頼む!」と宣言していたのだ。
そして迎えた、二度目の危機。まあ時期的には順当か。

スイッチの効きが悪くなった時に息子に打診したら、
「やるよ。ネットにいくらでもやり方は流れてるし、オレ、器用だし」と気軽に受けてくれそうだったところ、2ヶ月ほど何とかだましだまし使えていたので、棚上げになっていたのだ。
まさか大量のお客さんを迎える数日前に完全にイカれてしまうとは想像してなかった。

というわけで、明けて日曜の午前中に電器屋に走り、夜には息子が交換してくれて助かった。
思いのほか早く作業は終わり、「オレ、器用だから」もフカシではなかったわけだ。
私も結構DIYは得意なので、「こんなとこにもDNA」とちょっとニヤけてしまった。
お風呂に入るのを待って宴会の残りのハヤシライスやサラダを出したら、「うまいねー」と喜んで食べてくれた。
残ったハヤシソースとごはんは持って帰ってカノジョと食べたまえ。

今日来たメインの用件、「身元保証人のサイン」をする。
なんと2人分必要で、私も書かなければならないらしい。
稼ぎもなく社会的に何の身分もない状態でも、母であるだけでそんな責任を負うのか。
要するに彼が具合が悪くなったら会社と相談してとっとと引き取ること、何か会社に迷惑をかけたらこちらが弁済すること、を約束するようだ。
もう25歳過ぎようってのに、親ってのはいろいろ大変だ。
最近では新卒に内定を出す時、「親活」として学生の親にも意見を聞いたり承諾を得たりするそうで、子供はなかなか大人にならない。

昨日の宴会で会った、息子も小さい時から知っているおじさんおばさんの消息話を楽しくしていたら、
「それにしても母さんはウワサ話が好きだね。いや、ホントに好きだわー。驚く」と言われた。
「社会生活が少ないので、これぐらいの娯楽は許してもらいたい」と抗弁すると、
「まあ、そうだね。むしろ健全なのかもしれない」と笑っていた。
しゃべる相手がほとんどいないんだ、もともと無口なタチでもないし。

ことに彼が勝手に自分の友達だと思っているNくんの「現代カルチャー史」には興味を惹かれたらしく、あとで資料を送ってあげることに。
彼自身大いに興味がある分野のようで、かなり熱い会話を交わした。
時々、何かの間違いでこの友人のDNAが入ってしまったかもと思うことがある。

地方の若者がどれほど東京に憧れたかなんて、小学校前から新宿まで1時間足らずのところに住んでた人に、そんな焦燥感はわかるまい。
声優としてすらよく知らないらしい「野沢那智」の話になって、深夜放送のDJという職業について説明する羽目に。

「夜中にさ、何かものすごく孤独になるじゃない。友達に電話したくったって、家の電話がリビングにあるだけなんだよ。かけたら親が出て非常識だって怒られて出入り禁止だよ。今はそういう時ツイッターでつぶやくとかできるけど、当時は深夜ラジオで『ああ、自分は1人じゃない。同じような人がこの空の下にたくさんいるんだ』って思うわけよ。人気DJは『パーソナリティー』って呼ばれて、そういう世界でのヒーローだった」

「なるほどねー」と感に堪えぬような顔をしてみせるのは、新種の親孝行か。
ついでに、中学生のせいうちくんは、
「『匿名希望』って名乗る人がやたらに多いなぁ。流行ってるペンネームなのかなぁ」と思っていたことを暴露しておいた。

「明日は仕事があるから」と涙が出るような殊勝なことを言って帰るのを、駅まで車で送っていく。
道々話すのは、大学お笑いサークル時代の女性友人が来週挙げる結婚式に招かれているということ。
「おめでたいし、呼ばれるのは嬉しいね。ご祝儀持って行かなきゃね」と言うと、真顔で、
「ご祝儀?三千円ぐらい?茶封筒でいい?」…それは、人として以前の問題だろう…
会費制の宴会じゃないらしいんだよ、式から呼ばれている、お色直しもあるようなちゃんとした披露宴なんだよ。
私も社会生活を始めた頃はこのぐらいもの知らずだったんだろうか。
ウォシュレット交換のバイト代として2万円渡しておいた。
5千円ぐらいのつもりだったが、仕方あるまい。
「ご祝儀袋も買いなさいね。コンビニでも売ってるからね。できれば新札に替えてね」とよく言っておく。

「えー、いいよ、家のことしただけじゃん。お金もらうほどのことじゃないよ」と遠慮していたが、持って行け。
「ありがとねー。ごはんもごちそうさま。また何か困ったことあったら呼んで。何でもするから」と言われただけで十分だ。そもそも実際作業してもらってるし。

駅で下ろしてハグして別れ、あー、自分の子供にウォシュレット換えてもらう日が来るとは思わなかったなぁ。産んどくもんだ。

そして帰り着いた23時頃から、データ入力作業に入る。
3時間もやれば形になるかと思っていたら、甘い甘い。
不慣れなせいもあって、全然終わらない。
たまたませいうちくんも仕事がたまっていて、2人で同じ机に向かって黙々と作業する。
時給が何十倍も違う気はするのだが。

いつもの作業用BGMのアニソンを、古いフォークに変えてみた。
高校時代あたりからエアチェックしたものを、時代時代に様々な媒体に換えてしつこく持っている珠玉のライブラリ。今はiPodだ。
2人分のキーボードの音が響く室内に低く流れる齋藤哲夫とか聴いてると、涙が出そう。
せいうちくんも、
「コッキーポップ聴いてた受験時代を思い出す」とつぶやいていたが、こいつは小6だったんだ、と思うと軽く腹が立つ。

午前2時ぐらいまでそんな不思議な時間を過ごし、さすがに明日があるせいうちくんは先に寝た。
私の夜はまだまだ終わらない。

19年5月13日

朝の6時にせいうちくんが起きてきた時、私はまだPCの前にいた。
「徹夜したの!」と驚き叱られたが、しょうがないじゃないか。
それに、4時間しか寝てない人にあれこれ言われたくない。

今回はGWの影響で納期が迫っているため、間に合わなければ14日まではOKと言われているけど、「13日に上げます」と言ったら普段はクールな担当者がわざわざLINEで「よろしくお願いします」と言ってくれたし、塾長は励ましのスタンプを送ってくれたので、ここらで頑張りを見せておいた方がそのうち時給も上がるかもしれない。

「今、USBメモリに入れた。朝、クリニックに行くから、その帰りに提出してくる」と言うと、
「徹夜明けの自転車は許さない。バスで行きなさい」と偉そうに言われたが、納品先は駅から中途半端に遠くてバスも通ってないんだ、自転車しかないじゃないか。
「絶対に気をつけるから」と約束して、何とか許してもらえた。

これまたGWのせいで3週間ご無沙汰だったクリニックでは、
「間があいてしまいましたが、その間に楽しいことはありましたか?また、一番イヤだったことは何でしたか?」と聞かれた。
前者はせいうちくんと10日間べったり一緒にいて喉が枯れるほどおしゃべりをしたことだし、後者はたまたま直近のことが印象に残るせいもあり、大人数の宴会で言わなくてもいいことを言ってひんしゅくを買ったことです、と答える。

「みんなね、それほど人の言ったことなんて気にしてないし、覚えてないよ。つきあいが長ければいろんなことがある。あなたは、もう少し人のことを気にしない練習をした方がいい」のだそうだ。
まあ、そうだよなぁ。
私だって人の言ったことで腹を立てたことは数限りなくあるが、だからってそれでいちいち他人の人間性を見切ったり絶交したりはしない。
人は、それほど嫌われることもなく、悲しいことにそれほど好かれることも、またないのかもしれない。

「日頃考えたいろんなことにヒントがあるから、また週に1度来て、印象的だったことを話してくださいね」と言われて、今日はおしまい。

いつもの「パッ・タイ」食べて自転車に乗り、納品に向かう。
ちょうど12時頃だから誰か来てるだろう、開いてさえいればメモリ置いてくるだけですむから、と思っていたら、ちょうど担当者がいた。
例によってとても忙しそうなので、「できました」とUSB渡して、「次はいつでしたっけ?」と聞いてみた。

「あさってですね」
え?月に2回の仕事の山が、もう次回はすぐに来ちゃうの?
さすがに今度は1週間ぐらいかかってもいいスケジュールだけど、徹夜明けで聞くとちょっとショックなニュースだなぁ。
まだ先方の仕事の波に慣れてないので、いちいち驚いてしまう。憎むべきはGW進行。

こう書くとね、たいそうな量をやってるように聞こえるかもですが、実は月に20時間しか働いてないのです。
昨夜はたまたま8時間分を一気にやっただけ。
お小遣いすら稼げない、なのに「働いてる」と妙に威張ってる今日この頃。
いくら病弱だからって、こんな状態を「忙しすぎない?無理しないで」なんていたわってくれるせいうちくんは、本当に偉いよ。

19年5月15日

15時過ぎにはデータができているから何時にでも取りに来てください、と仕事先から言われたので、例によって他の用事との組み合わせをいろいろ考えてみる。
出不精なので、いったん外に出るとなると、複数の用件を片づけたくなるんだ。

銀行に行って口座を作らないとお給料がもらえない。
足とか肩とか無茶苦茶痛くて眠れないほどだから、久しぶりにマッサージに行ってみたい。
PC見るのに近距離用のメガネが欲しい。
そして15時過ぎに仕事先。
「きのう何食べた?」のシロさんが「むーん」と脳内でレシピを検索するように様々に思考を巡らせた結果、時間割と道順が完成した。

まずは仕事先の近くの銀行で口座を作る。
手続き終了までに15分ほどお時間いただきます、と言われるのは想定内なので、
「4時頃また来るので大丈夫ですか?」と確認し、いったん離脱。
駅前に自転車を走らせて行きつけのメガネ屋へ。
一番信頼できる店長さんがヒマそうにしてるのは僥倖だ。
夫婦して何度も通ってお世話になっているため、「はいはい、今日はいかがしました?」と聞かれた。

今日はね、ただの調整じゃないのよ、またメガネ作るのよ、とちょっとハイになって、
「普通の読書で30センチ、タブレットでの読書で40センチ、PCの画面までの距離が55センチで、近距離用のメガネを作りたいんです」とリクエスト。
こないだ作った遠近両用メガネもいいんだが、近くだけなら、また別のメガネを使いたい。
すでに使ってる読書用メガネの度が合わなくなってきてるのと、PC用を充実させたい思いからである。
(ちなみにテレビや映画など、離れた画面を見る時はそれ専用を使う、メガネにはちょっとうるさいタイプなのだ)

「そうですねー、30センチから55センチまでをひとつのレンズで見るのは少し難しいですね」
その答えも想定内だったので、
「じゃあ、PCを優先してください。タブレットはホルダーを調整して距離をもっと離せますし、普通の本は、極端な話、裸眼で相当近づけるという手でも大丈夫です」と答える。

時間にたっぷりゆとりを取ってあったので、精密な検眼を受けられたのは幸いだった。店長さんもヒマな時間帯でよかった。

だが、検眼中にとっても大事なことを忘れていたことに気づいた。
PCとの距離も大事だが、同時に手元の資料を見ることも必須なのだ。
「途中でいきなりすみませんが」とその件を切り出すと、頼もしい店長さんは、
「大丈夫です、それはこれからの工程ですから。よくあるお話なんですよ。そう言う場合には、『近近両用』をお勧めしています」と答えてくれた。
「遠近両用」はすでに使っているが、「近近両用?」

図を書いて説明してくれたところでは、「遠近両用」と同じ理屈で、レンズの上の方にはやや離れた近距離を見る度数を入れ、下を見る時のやや寄り目になる位置にもっと近距離用の度数を入れたものだそうだ。
「遠近両用」同様、使いこなすのに多少の慣れが必要だが、効果は大きいという。
普通の本を読む時にも流用できるかもというメリットもある。

というわけで、1週間後の出来上がりを待っている。
元々あったメガネのフレームを使ってレンズだけ入れてもらうことにしたのと、20パーセント引きのクーポン葉書を持って行ったのと、下取りセールのために使わなくなった古いメガネを持って行ったのとで、かなりお安く抑えることができた。
おまけにスタンプ2倍の日だったので、駅ビルのお買い物券に使えるスタンプカードがほぼ満杯になったのも嬉しい。
本のダブり買いなどをして浪費の絶えない私ではあるが、締めるところは締めているのであった。えへん。

次のマッサージも、リラクゼーション予約サイトで「初めてのお店を半額で体験」の特典を使い、メガネ屋さんのすぐそばのお店を予約しておいた。
日本語のアヤシイおねーさんが接客してくれて、カーテンで幾重にも仕切られた店内も妙にアヤシく、これはもしかしてソフトな風俗店に来てしまったかと一瞬思ったが、オイルマッサージ用に紙製の下着上下を渡してくれたので、あー、やっぱり女性も来るんだー、とほっとした。

ひととおりマッサージでほぐしてくれた後オイルマッサージをしてくれるおねーさんは、これまで行ったあらゆるマッサージ店で一番上手だったかも。
「お客さん、スゴクこってるね。カタいよ。ワタシ、お店でいちばん力強いけど、それで痛くない人、珍しいよ」と言われた。
「このお店は、エステなんですかマッサージなんですか?」と聞いたら、
「両方ね。ワタシ、どっちも勉強したよ」と胸を張っていた。
お国はどちらですか、とは最後まで聞けなかったが、頑張ってる風情だったので、また行って応援したいなぁ。
しかし、二度目以降は半額にならないため、吝嗇な私にはなかなかハードルが高いのであった。

すっきりさっぱりして90分のコースを終え、銀行に行って通帳を受け取り、15時40分には職場に着いた。
担当の先生が忙しそうにコピー作業をしており、データをもらってミッション完了。
塾長も在席しており、土曜にせいうちくんが来る時に、
「一緒に来たりしますか?ちょっとお話があります」って。
ドキドキ。もうクビかしらん。

19年5月17日

何だかとっても疲れている。
締め切りのある生活が身体に合わなくなっているのだろうか。
また不眠気味になって、でも夜中は気持ちが落ち込むので仕事にはあんまり向かない。
しょうがないから自炊したマンガの整理とかして過ごしている。

金曜夜中に「きのう何食べた?」を観て、日曜夜に「いだてん」を観て、あとは録画した朝ドラの「なつぞら」を日々観ている。今期はそれで精一杯かも。
映画やドラマにときめきにくくなっている。
反比例するように、マンガにはものすごくドキドキするんだが。
コージィ城倉の「チェイサー」とか黒江S介の「サムライせんせい」とか、あんまりいいので身震いするぐらいだ。

特に前者、手塚治虫がマンガ家として成長するのと同時に育った世代なので、幼少の頃は「鉄腕アトム」や「マグマ大使」の単純な正義に心を燃やし、「バンパイヤ」で子供ながらに不条理や理不尽にぶち当たり、「アポロの歌」「やけっぱちのマリア」で性教育を受け、SFに目覚めた頃には「空気の底」があり、次第に大都社のシリーズなども読むようになったというまことに幸福なマンガ道を歩んできた。
今、そのほとんどすべてを持っていることが、どれほど私を幸福にしているか。

息子は家にあった秋田書店の「ブラックジャック」全巻を小学校低学年の頃からすり切れるほど愛読し、すっかり暗記していた。
最近、共通の知人が身体を少し悪くしているようで一緒に心配していた時に、
「あの人は身体が大きいからねぇ。心臓とか、悪くしないといいんだけど」と言うので、
「デカくんみたいに」と応じたところ、
「そうそう、自分でわかってて無理をしないのがイチバンだよね。ブラックジャックが義足みたいなカバーつけてくれて、『親父さんがあきらめた頃に本当のことを教えててやりな』って」と、何やらものすごく話が通じてしまった。
(わかる人にしかわからないニッチな話題)

息子もまた、「『チェイサー』は素晴らしいマンガだ!」とほめちぎっており、6巻で終了したよ、と告げたら、「読まなきゃ!」と焦っていた。
子供とマンガの話が通じるのが一番楽しい、ってのは、親としてはどうなんだろうか。
しかし、幸せだ。

ちなみに、「サムライせんせい」も面白く、「塾で子供たちになつかれる、歴史に詳しい少しズレた人」を読んで、せいうちくんの正体はタイムスリップしてきたサムライだったのか!と腑に落ちた。
本人にも薦めておいた。

私「たけちはんべえ、って人、知ってる?」
せ「江戸時代に『竹中半兵衛』という人はいるが…(困惑)」
私「ああ、武市半平太だった」
せ「それは、幕末の人だね。武市半平太について描いてあるの?面白そうだねぇ!」
と、今読み始めたところなんだけど、これからあの人もあの人も出てきて、もっともっと面白くなるんだよー!

ついでに勤王と倒幕についてひとくさり講義を聴かせてもらって、こっちは独自によしながふみの「大奥」読み返しに入ったぞ。

19年5月18日

心臓の通院日。
ワーファリンの値が「2.0」。
適正値の幅のちょうどど真ん中で、嬉しかった!
これが半年ぐらい続いたら、毎月毎月血液検査しなくてもよくなるんじゃないだろうか。
まあそれでも2、3ヶ月に1度は避けられないだろうけど。
昔はあれほど好きだった採血も年に1度か2度だからよかったんで、今ではもう飽き飽きしている(涙)

今日はせいうちくんと自転車を連ねて一緒に塾へ行った。
私は1階のスペースでデータ入力のバイト作業に励む。
授業がふたコマ終わったら降りてきてこないだみたいに「質問されるとこ」見られると思ったら、結局3時間ずっと降りてこなかった。
こっちはこっちで作業がはかどり、提出して帰ることができたので、いいか。

仕事が終わってヤッホー!
これで今月はもう締め切りが来ない。
たまに納期のある仕事をするのはいいもんだ。
実は子育て時代は毎日が待ったなしの納期だったと言えなくもないかもだが、私は全然責任ある立場じゃなかったからなぁ。
「すみませ~ん、定時なんで、帰りま~す」って言ってるお気楽バイトのような。
いや、今どき、学生バイトだってもうちょっと真剣だろう、っていうような「母」だった。

授業を持たせてもらったと喜んでるせいうちくんと買い物でもしていこうかと思ったら、2人とも何だかぐにゃぐにゃに疲れていたので、まっすぐ帰った。

先生たちのテンションの高さを事務スペースで聞いていると、つくづく塾の先生は技能職。
ダジャレやマンガの話も交えて子供たちの注意を惹きつつ、絶対深入りしないでささっと授業に戻ってる。
熟練の猛獣使いのような手腕。鮮やかとしか言いようがない。
「お勉強を教える」のが得意なだけのせいうちくんには無理なんじゃないかと思うよ。
「基本的に勉強が大好き」な人間しか知らない人生だろうからなぁ。

19年5月19日

天気の良い日曜日、2人して散歩を決行する。
普段はバス、頑張っても自転車を使う繁華街まで、徒歩である。断固として、徒歩。

10年前には30分で歩けた道のりに、最後に歩いた1年以上前には45分かかっていた気がする。
さて、今回はどうなのか。
金栗四三選手、記録更新はできるのか!?

歩き始めて15分、どうも痛い痛いと思っていた右足、サンダルのストラップを直そうとかがんで見たら、もう靴擦れができていた。赤くなってずるずると剥けている。
「大変!どうする?帰る?」とせいうちくんが心配する中、リュックから財布を出し、バンドエイドを取り出して、応急手当をした。

しかし、5分も歩いたらバンドエイドがめくれてしまった。
おまけにもう片方の足も同じところが剥けてきた。

「もうバンドエイドなんて持ってないでしょう?コンビニがあれば買うんだけど」と不安そうにあたりを見回すせいうちくんを、笑顔で励ます。
「大丈夫!きっとまだあちこちに持ってる!」
財布の他のスリットやリュックのポケットなどを総ざらえしたら、なんと10枚ぐらいのバンドエイドが出てきた。
「すごいでしょ。女の子の持ち物はヒミツがいっぱいだよ!」と自慢する。
伊達に荷物がデカいわけじゃないぞ。

取れてきがちなバンドエイドを幾度も直しながら、なんとか45分ちょうどでいつものタイ料理屋さんに着いた。
まさに開店の11時ジャスト、5人ほどの列が動き出したところ。
気に入りの壁際の席に座れて、2人ともいつもの「パッ・タイ」と「カオソーイ」を頼んだところで、本格的な手当にかかる。

「お行儀悪くてごめんね」と言ってサンダルを脱いだ足を長椅子の上に乗せ、片膝を立てるようにしてみても、タイ風の内装のせいか、それほど違和感ないなぁ。
せいうちくんのアドバイスを容れてバンドエイドを2枚ずつ使い、水ぶくれがすでにつぶれている両の親指の付け根をくるりと巻いた。
これで大丈夫!
靴擦れなんてものは、きちんと押さえてさえあればとりあえずなんともないのだ。

それぞれのたまの糖質を楽しみ、図書館へ行ったり買い物をしたり、それはそれは大冒険をしてくたくたになり、帰りは歩くなんて考えられずにバスになったわけだが、そのへんはまた後日にしよう。
歩くのが身体にいいのだけはよくわかった。
身体の奥が動くっていうか、最近流行りの内転筋とか深層筋とかについて、思いを馳せちゃったよ。
2人で毎日ラジオ体操でもしようかしらん。
忘れちゃってるけど、第二までちゃんと習ってるはずだよ。日本の小学校教育はスゴイんだ!

痛恨だったのは、5月も半ば過ぎのよく晴れた日に、2人とも帽子ってものの存在をすっかり忘れていたことだった。
あと、真剣に「アームカバー」の導入を考えている。完全装備への道。

19年5月20日

あちこちで威張っていることなのだが、この夏、サンクトペテルブルクへのフライ&クルーズに行くことにした。
結婚30周年の、還暦の誕生日に客船の上にいることになる。
船長さんにバースティソングを歌ってもらいたい。

「お船で着るから」とセシールで安い服を景気よく買っていたら、花を添えようとの気持ちからだろう、誕生日の前祝いとしてアクセサリを買ってくれるとせいうちくんが言うので、生まれて初めてぐらいの勢いでアクセサリショップを見た。
知っている一番の高級店は「ジュエリーツツミ」な我々、よくわかんないから、といわゆる百貨店に行ってみる。

よく考えたら、百貨店って言うんだろうかデパートって言うんだろうか、そんなもの、20年ぐらい来てないぞ。
気持ちとしては、母親がお中元の品を換金か交換かしに来るのに連れて来られて、おもちゃ売り場に置き去りにされて口を開けてマジシャン見てた頃以来のご無沙汰な気がする。
(60年近くの人生における4年の違いはさほど大きくはなく、せいうちくんと私のこのへんの原風景はぴったり一致するのだった)

「アクセサリを売ってるのは8階だねぇ」とご老人やバギーの子連れでにぎわうエレベータで上ってみたら、さっきまであんなに混んでたのに、なにこの静けさ。
黒い服着た人たちがそこここに微笑んで立っていて、とても怖い。
スニーカーにリュックしょった夫婦が来ていいところなんだろうか。

蛮勇を奮ってショーケースに近づいてみた。
「…!!!」
想像してたのより、ケタが2つ多い!
大きいお札2枚ぐらいで解決できる問題を求めていたのね、私たちとしては。
黒服のおねーさんがにこやかに「いかがですか?」って言うから、
「ちょっとつけるペンダントとか探してて、えーと、5枚ぐらいで」と見栄を張って予算の倍ぐらいを言ってみたら、ものすごく気の毒そうな顔になって、
「そうですね…ちょっとこちらでは…ああ、少しご予算出てしまうんですけど、こちらの方にいくつか…」と連れて行ってくれたケースの中には、7万円ぐらいの宝飾品。
「こちらなど、いかがでしょう?」と言いつつ、買わないだろーなーと思っているからか、ケースから出そうという動きはなかった。心底ありがたかった。

「考えさせてください…」と敗走態勢を取りつつも、なんとか、
「このお店の中に、他にアクセサリを売ってるフロアはありませんか?」と聞いてみる。
「ええと…ございませんね。1階に、少しだけ置いてあるかもしれませんが」
「はい、ありがとうございます」
すたこらさっさ。

ほぼ最上階から降りる格好になるので、エレベータはすいていた。
「びっくりしたねー!」と2人で汗を拭っていたら、お知らせの掲示に、「2階特設売り場でアクセサリ展」とあるじゃないか。
目を肥やすためだけにでも、見せていただこうか、と行き先を2階に変更する。

特設売り場の入り口を入ると、さっきに比べると呼吸が楽になる値札が目に入る。
見かけはけっこうカジュアルなものもあるので、店員さんに近づいて話を聞くゆとりも生まれた。
しかし、だまされちゃいけない。マシになるのと、OKなのとは全然違う話。
手作りの一点ものが多いようで、ガラス工芸作家らしきおにーさんに熱心に作品を薦められたりするのは面白かった。
「息子が食っていけるかどうかと、あのおにーさんが食っていけるかどうかは、極めて似た問題なのかもねぇ」とひそひそと話し合う。
いや、名のある作家さんだったなら失礼。見る目がないのでわからないの。

あちこちでいろいろ薦められてくらくらして何か買いそうになったけど、よく考えてみたら、どれだって元々の予算を軽々と消費しちゃうじゃないか。
もっと安いものだと思ってて3つぐらい買ってもらうつもりだったのに、ひとつで予算が全部すっ飛んじゃう。
「感覚が異常になってるけど、しょせん同じ百貨店内の話だからね。特設売り場とかバーゲンとかにだまされちゃいけないよ」と声を掛け合って、なんとか正気の手ぶらで逃げ出した。

最後に通りがかった1階のお店で素敵なロングネックレスを見て、思わず近寄ったら、超ベテランの売り子さんが満面の笑顔で私をとっつかまえた。

売り子おばさん「いい品でしょう?今日はね、催し物のために、関西から持ってきてるんですよ。普段はこの5倍するんです!」
私「はあ。本当にいいですよね~、ついつい、目を惹かれてしまいました」
売「珍しいバロックなんですよ。おつけしましょうね。あら~、よくお似合い!」
私「でも、ちょっと手が出ないですねぇ」
売「こちらの青い石はいかがです?ホントに珍しいんです。お似合い!お洋服によくうつりますよ~」
私「わりと、青い服を着るんですよね~」
売「そうでしょう!お洋服見て、ピンときましたよ。お顔によく映りますもの~お肌がキレイでらっしゃるし!このね、裏を見てみてください。石が立ってますでしょう?デザインが立体的で、本当にお買い得なんですよ!」
私「素敵ですね…でも、またにします」
売「こういうのは出会いのものですからね~、目についた時にお買いになるといいんですよ!」
私「ありがとうございます。今日はもう少し考えます」
売「またいらしてくださいね!」

またしても無傷で逃げ出せたわけだが、帰る道々、せいうちくんと、
「ものすごいやり手の売り子さんだったね」
「もうちょっとで本当に買っちゃいそうだった」
「きっと、あの歩合で息子3人大学まで出してる。そのぐらい迫力あった。上手だった!」と誉め称えてしまった。

しかし、上のフロアの黒服のおねーさんは嘘つきだ。
「1階に少しだけ」って、そっちの方が我々にはまだしもだったじゃないか。
「そのご予算なら1階に行かれてみては?」って、なぜ言わない!
店全体の利益ではなく、フロアごとの売り上げ?個人の歩合?

結局2千円ぐらいのプチネックレスを買ってもらって、あまりに気力を奪われたので古本屋で景気良く3冊200円を4セットも買って重い袋を下げて帰ったわけだが、古本だと1万円買ってもそれほど困る気はしないのに、なんで金属とか石とかになるとこう腰が引けるんだろうか。

ちなみに「つけて帰ります♪」と喜んだそのプチネックレスは、翌日眼科に行く時につけたらば、40分にわたる検査を受けている最中にあまりの苦悶のせいかたちまち切れてしまった。
「あら、ネックレス、落ちそうになってますよ」と女医さんに教えてもらわなかったら、道中の藻屑と消えるところだった。
やはり安物なのか、小さいお札じゃダメなのか(嘆)というオチになるのを、この日の私はまだ知らない。

19年5月22日

気持ちがふさいでふさいで仕方ない。
頭ばかりがぐるぐる空回りし、まとまったことは何も考えられず、悲観的な妄想ばかりが浮かぶ。
なまじトップギアに入りやすい軽やかな発想力は、向かう先を失うとこんなふうに空転してしまうのかと、この期に及んでも自画自賛だけは忘れない。

昔はこの状態がつらくて薬をのんでは頭をぼんやりさせて寝てばかりいたんだなぁと、枕元の引き出しを開けても、今もらっている睡眠薬はせいうちくんに預けてある。
留守中にのみすぎたり昼間からの服用を避けるためなんだが、こうも調子が悪い時は何とかして寝てしまいたい。

夜、眠れない時にお願いすると寝室を出て何やらごそごそ隠し場所から出してくるから、書斎にあるのはほぼ確か。だからといって家探しするのも効率悪くめんどくさい。
そもそもそんな苦労して探し出したら、歓喜のあまり全部いっぺんにのんじゃいそうじゃないか。

ここ数週間は1人の日中にSOSを出すことが増えてきたため、彼は秘密の場所に1回分の薬を秘匿しておくようになった。
電話で「どーしてもムリ」な状態を告げると、
「じゃあ、書斎に行って」と誘導される。

前々回、書類入れにしているお菓子の空箱の中にあったのはいいとして、昨日は、デカすぎて小口を上にして書棚に入れてある世界史便覧にはさんであった。
いろいろ考えるなぁ、とケータイを持ったまま感心してしまった。

「僕に『電話ちょうだい』ってラインする前にあちこち探してみたりした?」と特に責めるふうでもなく聞くので、
「しないよ。SOS発信前ならともかく、電話が来ればわかることなんだから、そんなムダなことはしない。別に倫理的な問題じゃなくて、効率の問題」と答えたら、
「こんな状態でも冷静だ。えらい」とほめていただいた。
こないだはさんであった本のあたりはちらっと見ちゃったけどね。ビミョーにふくらんだものは1冊もなかった。

そして今日の隠し場所。
「壁にかかってる小林清親の版画を見て。その裏」
持ち上げてみると、裏板押さえの留め金のところに、切り離した薬シート2錠分がちんまりとはさまっていた。
ちょっとヒステリックに爆笑しちゃった。

私「すごいね。昨日の今日なのに、ちゃんと仕込んで行ったんだ。しかも毎回凝るね」
せ「まあね。同じ所じゃ芸がないから」
私「こうして入手してみると、2日も続けてのんじゃうのはもったいないなぁ。後日に取っておくかなぁ」
せ「それもいいね」
私「お散歩にでも行こうか、ってちらっと思ったんだよ」
せ「時々2人で行く喫茶店に行ってみたら?気晴らしになるよ」
私「ランチ食べてきてもいい?糖質でも?」
せ「いいよいいよ、好きなもの食べておいでよ」

というわけで、ランチ時の喫茶店、窓際のカウンタ席に座って「ホットチキンサンド、サラダ付き」と本日のコーヒーを楽しんだ。
(徒歩10分が気が重く、自転車を使ってしまったところはヘタレ)

マンガ読みたいからiPad Pro、滞りがちな日記も進めておきたいからとノートPC、両方持ってきてるのはどうなんだろう。
タブレットにBluetoothでキーボードつければ、こんな重たい思いはしなくてよさそうなもんだ。

家が好きで好きで、と言うか、外に出るのが大嫌いなんだが、こうやって気分転換をするのも大事かもしれない。
自由業の友人が「仕事には喫茶店やカフェを活用している」と話していたことを思い出すし、そもそも息子が、中学時分から、
「家では勉強とかできない。オレは煮詰まりやすい」とつぶやきながら塾の学習室、図書館やコミュニティセンターをジプシーのようにうろうろし、時々、
「4時間いたからもう帰れって言われた」とガストを追い出されていたなぁ。
彼とその仲間たちを夜中の1時まで引き受けてくれていた「夢庵」さん、その節はお世話になりました。
おかげさまで大学に受かりました。

それにしてもいい場所を見つけてしまったかも。
「お風呂でも入ろう」とか「お菓子でも作ろう」とか「寝よう」とかの逃げ道を断っているにもかかわらず、追い詰められた感はまったくない。
よその人たちといっとき列車に乗り合わせているような、軽い高揚感と温かな同胞愛を感じる。
これが「群衆の中の孤独・心地良いバージョン」であろうか。
かつて感じたことのない感覚。
やみつきになりそうだ。

付記:1時間半もたったのでおかわりブレンドを頼んだらプチフールがついてきた。名古屋式?
「ふるさとの 小皿なつかし ひるどきの 人ごみの中に そを食べにゆく」

19年5月23日

自分たちも歳が歳なので、周りの友達と話していても親の認知症についての話題が増えてきた。
本を読むと、寿命が延びているので当然だと書いてある。
これまでの人間の世では、認知症になる前に他の病気で亡くなっていただけなのだと。

実際、私は短命の家系に生まれているため、まわりでいわゆる「ぼけ老人」を見たことがほとんどない。
例外は母の従兄弟のお父さん、という少し遠い親戚で、私には「大伯父さん」にあたるのだろうか、知る限り親戚でただ1人80歳を超えるまで生きていた人だ。
(しかし、母の伯母の配偶者であり血がつながっていないわけだから、あんまり私の寿命を延ばす足しにはならない)
大昔の名門高校の先生をしていたそうで、いつ会っても卒業生名簿をめくっては「飛行機か、宿か。あの会社には誰々がいるから、何でも取ってやる」と豪語していた。
大学受験のために4日ほど泊めてもらった時に、
「うさこはマンガが好きだから」とゴミ集積所からマンガ雑誌を拾ってきてくれて、さすがに母が、
「おじいちゃん、この子は入試受けに来てるのよ!」と文句をつけると、
「今頃やったって、受からんものは受からん。好きなことやって落ち着いてた方がずっといい」と言い放っていた。

その当時すでに「少しぼけ始めている」と言われていた奇矯な人だったが、このエピソードのせいか、私にとって「ぼけ老人」というのはそれほど悪いイメージではない。

しかし、長寿の家系のせいうちくんにとっては他人事ではないらしい。
「父親もそのきょうだいたちもみんな認知症だ。僕も絶対になる。意識がぼんやりしてて眠りやすいところがそっくりだから」と嘆いているが、お母さんには、
「あなたはならないわよ。頭がいいんだから!」と一蹴されてしまうのが、またいっそう悲しみを深くしているようだ。

妻っつーのは、自分の夫は「アタマが悪い」と思いがちなんだろうか。
自分を選んだ男より、自分の産んだ男の方が頭がいい、と思いたいものなんだろうか。
振り返って自戒しよう。

いや、そういう話じゃないんだ。
こないだ息子が来た時、
「父さんはきっとぼけるから」と悲壮に告げるせいうちくんに、彼は、
「お父さんは穏やかだから、優しいぼけ老人になると思うよ」としみじみと言っていた。

この言葉ひとつとっても、「認知症」は誤解されていると思う。
元の性格の良いところが残るとか、こうなろうこうならないようにしようというような「努力」が実を結ぶとか、そういう性質のものではないんだ。
だからこそ、「人が変わってしまった」とまわりが嘆き、「自分で自分がわからない」と本人が苦しむのではないだろうか。

いつか大好きなせいうちくんと死に別れるより前に、運が良くて私が長生きしたとしたら、彼が変わってしまうところを目の当たりにするのかもしれない。
その時のために、2人で介護を受けられるような施設に入ることを含め、こちらが彼にイライラしたり向こうが私に怒られてつらい思いをしたりしない距離にいられるように、できうる限りの手段を講じておこう。
自分自身、身体が利かなくなったり医療の世話にならざるを得ない可能性の高い方だと思うので、双方にとって一番いい方法を考えておこう。

今、すがるように考えているのは、認知症の人が「最近のことから忘れてしまうが、昔のことは比較的よく覚えている」とされている点。
別々の部屋に暮らして、介護士さんが、
「せいうちさん、今、比較的ご機嫌がいいですよ。食事もトイレもすまされました」と言ってくれるタイミングで部屋を訪ね、
「ちょっとお話ししてもいいですか?」と横に座って、
「天文や歴史がお好きだそうですね。私も興味があるんです。お話聞かせてください」とお願いし、高校生ぐらいの気分に戻っているせいうちくんからいろいろな話を聞きたい。
あんがい、「カリ城」のセリフは2時間丸々言えたりするのかも。

「その時になっても、僕はキミが大好きだよ」と言うので、
私「あなたの方だけ気分が若返っちゃって、おばあさんになってる私のことはわからないかも。『うさこの祖母です。うさこのことをお好きだそうですね。あの子の話をしましょう』って言ってみようかなぁ」
せ「『おばあさんですか。似てますね。うさこさんに会いたいです!』」
私「『あの子は、名古屋で勉強しています。あなたはお加減が悪いから、今は会いに行けませんよ。元気になったら行きましょう。それまで、私があなたのお手紙をうさこに届けますから』」
せ「『手紙書きます。うさこさんに渡してください』」
私「『はいはい。うさこもあなたのことが大好きだと言っていましたよ』…ああ、やめよう。涙が出てきた」

2人でしばらく抱き合って泣いていた。
いろんな別れがくる。
少なくとも死を逃れた人は有史以来1人もいないのだと思うと、いったいどうやって別離に耐えていくのだろうと、胸が締めつけられる。
今、このかけがえのない時を大切にして、最期の瞬間まで感謝して生きていくしかないんだろうなぁ。

19年5月26日

せいうちくんは朝から床屋に行った。
せっかくだから外で待ち合わせをしてみようかと、終わったら行きつけの喫茶店で会うことにした。
こっちとしては「すでに来て待ってる側」をやりたいので、床屋が終わる30分ぐらい前を見計らって家を出ようとした。

ところが、そんな時に限っていろいろ忘れ物をする。
外に出たら暑かったので、サンダルで行こうとしてふと気がついた。
こんな日の喫茶店はきっと冷房がガンガンかかってるにちがいない。
靴下にスニーカーで足元を固めておいた方が安心だし、羽織るものを持って行こう。
おう、廊下に出て気づいた、帽子をすっかり忘れてるじゃないか。

と、そこにせいうちくんから電話がかかってきた。
「今終わったからお店に向かうよ。悪いけど、僕の帽子、持ってきてくれない?」
出かけた時は早朝でも、もう10時近い。
今日はとてもとてもお天気が良さそう。
カンカン照りになるだろうから、日よけの帽子は必須アイテムだね。
今シーズンはまだ「帽子必携」の習慣が根づいてない我々。

そんなこんなで、喫茶店の自転車置き場に滑り込むと、ちょうどせいうちくんも停めようとしているところだった。
「先に来てたかったのになぁ!」とちょっと地団駄踏んで、まあいい、店に入ろう。

朝の10時前なのに、混んでる。みんな11時までのモーニングが食べたいのか。
座って待てるスペースがあって、しゃべる相手も自前で用意してるから待つこと自体は苦にならないが、人員の少なさは気になる。
空いているカウンタースペースは、調理に手のかかるこの時間はクローズなんだろうか、とか。
「けっこう広い店内を3人で回しているのはあんまりだ、もう2人は欲しい」
「しかし、混む時間帯だけ人を増やすのも難しいし、人件費は常にアタマの痛いところ」などとひそひそ話し合っていたら、10時を数分回って、「すみませ~ん!」と言いながら立て続けに2人の店員さんが現れた。
みるみる回り始めた店内を見て、
「な~んだ、スタッフが遅れてただけか。やっぱり、客が経営の心配まですることはないねぇ!」と胸をなで下ろしたのだった。

じきに案内されて、せっかくの時間帯に来たから、もうモーニングセット頼んじゃうよ。
私は糖質無視で「エッグサンド・セット」、せいうちくんはトーストに手をつけない覚悟で「ベーコンエッグ・セット」を頼んだんだが、いざ料理が来てみたら美味しそうだったせいか結局トーストも平らげてた。
いいよ、今日は糖質祭りで行こうよ。

雑誌を読んだりそれぞれのタブレットで読書をしたりよしなしごとのおしゃべりをしたり、コーヒーをお代わりして、2度ずつトイレに行って、どちらからともなく「そろそろ帰ろうか」となった時は、3時間半が経過していた。びっくりだ。

帽子が役立つシーズンになったことだし、これまでのように書斎の隅のコート掛けでは不便だしつい忘れてしまうと思い、玄関にフックをつけよう、と提案。
せいうちくんも大賛成で、帰り道で百均に寄って、どこにどうつけるかを大真面目に相談した。
結果、まずは表面つるつるの下駄箱の扉に吸盤でつけてみよう、と決着した。
それがうまくいかなかったら壁にピンで打ち込むタイプにしてもいいし。

そして、今のところ大成功なのであった。
必ず目につく場所なので、まずかぶり忘れない。
「そうじゃなくったって絶対忘れないよ。こんなに暑いのに!」って慣れきった頃、夏が終わるんだよね、毎年。
必ず夏が来て必ず終わるって、どういう不思議なんだろう。

19年5月27日

週末に名古屋で高校の同窓会がある。
中学の女子会もあるし、友人と大内くんと3人での会食も3回予定してる。
普段はボサボサの髪を適当にハープアップに束ねてすましてるが、白髪も出てきて、時々我ながら山姥みたいに見える。
ここはひとつ、美容院に行って白髪染めとカットをしてもらおう。
私にだってちょっとは見栄があるんだ。

出かけると思うと憂鬱なので、なるべく同じ日に同方向の用件を集めて、街に出る回数を減らして暮らしている。
月曜はクリニックがあるから、お昼を食べてから美容院の予約を入れよう。
と思ったら、その日はどうしても14時からしか空いてないようだ。

クリニックが11時に終わって、いつものパッ・タイ食べるのにまさか1時間はかかるまい。
うーん、2時間ばかりつぶさなきゃなんないなぁ。
今朝になって急にそんな気分になって、そりゃあスタバでも入ってお茶飲みながら本読んでればいくらでも過ごせるが、せっかくだから有効に使いたい隙間時間。

というわけで、出かける前にマッサージの予約を入れるのに成功した。
パッ・タイを食べ、こないだ買ったとたんに切れてしまったネックレスを交換してもらうミッションも完了し、時間すれすれにサロンに飛び込む。
顔見知りでもないマッサージ師さんと、なぜついついおしゃべりをしてしまうのか、自分よ。
くたびれてるから目を閉じてひたすらリラックスしようと思っていたのに。
気がついたら動いてる自分の口が恨めしい。

なぜか、スイカの話になった。(どうしてだろう?)
私「スイカに塩をかけて食べたりしたことない世代ですよね?」
マッサージ師さん「志村けんがテレビでやってるのを見たことはありますけど、『なんであんなことするんだろう?』って思ってました」
で、あんまり甘くないスイカを食べる時は塩をかけると塩分のせいでわずかな甘さが引き立つのだ、といううんちくを垂れてしまった。
向こうさんも30代後半よりは若くないだろうに、もう違う文化だなぁ。

さっぱりして建物を出たら、もう美容院の予約時間が近い。
1分遅れで到着。ああ、ものすごいタイトな動きだ。
優雅にウィンドウショッピングとかするつもりだったんだよ、もちろんそんな気温じゃないんだが、ユニクロでひたすら服を見てたって本屋で立ち読みしてたっていいじゃないか。
なんでこんなに気ぜわしくなるまで予定を詰め込んでしまうのか!

すっかりカラーの抜けた髪を染め直すのは時間がかかり、息子と同い年だけど腕がいい美容師さんがあいかわらずの上手なカットをし終わってブローができる頃には、なんと3時間が経過していた。
「ムースとかつけましょうか。オイルにします?」
「いえ、帰って寝るだけなんで」というやりとりもいつも通り。
美容師さんにはまっこと張り合いのない客だろう。
「8月に船に乗るので、その頃また来ます」とさりげなく自慢したら、
「その前に1回ぐらいカットに来てくださいね」といつものように叱られた。
美容院っつーのは、呪われたように時間とお金がかかるとこだ。

ほとんど気絶しそうになってお会計を終え、「今後絶対必要!」と思った「日傘」を目の前のドンキで買ってバスに乗り、帰り着いたら、家を出てから8時間が経過していた。

その日、帰ってきたせいうちくんは少し短いおかっぱになり白髪が消えた私を見て大喜びし、冒険の一部始終を聞いて、
「ちょっとしたお勤めぐらいの時間、外出してたんだねぇ。お疲れ様」とねぎらってくれた。
あなたの方こそ、「ちょっとした」どころではないフルフルのお勤めをこなしてきたではないですか、本当にお疲れ様。

今日は、誰と顔を合わせても「暑いですね!」で始まっていた。そして「まだ5月なのに!」って続く。
話題の中心は、「昨日、北海道で39度が記録された」こと。
(「ツイッターの誤字かと思いましたよ」って4回ぐらい言った)
明日はどうやら少し涼しくなるらしい。

19年5月28日

【超巨大悲報】仕事の予定が飛び込んできて、8月のクルーズ旅行、沈没…

「サラリーマンあるある、ですね」と友人に慰められたが、サラリーマンの妻を30年やってきて、仕事理由のドタキャンをされたことがなかった方が異常なのかも。
(あと1週間のあぶないとこだったとは言え、キャンセル料が発生しないタイミングだと、ドタキャンとは呼ばないか?)

せいうちくんが忙しかったり私の体調がイマイチだったりで大幅に出遅れて何の準備もしていなかったことを思うと、「今年はやめときなさい」との神の声かもしれない。
5年前にイタリアに行った時は何年も前から夢みて、1年以上前から計画をたて、半年前には喜び勇んで早期早割で旅行社に予約を入れ、やれることは何でもやっていた。
スーツケースを予約しWi-Fiを予約しイタリア語アプリを入れ何でもかんでも準備してた。
バチカンのネット予約もしたし「るるぶ」も買った。(しかも電子化した)
それにくらべて、今回はエルミタージュ美術館に何が収蔵されてるかも知らない有様だ。
やめとこうやめとこう。

還暦ではないにしろ誕生日は毎年来る、来年の8月にきっと、とのことなので、今回は見送りだ。
知らない間に乗船説明会は終わっていて、出発まで3ヶ月を切ってやっと図書館から関連本を借りてきてるだけ。
そんな程度の準備状態で行ったら、もったいない。
来年に備えてゆっくり読んで、いろいろ妄想して楽しみにしよう。

唯一の慰めは、「あきらめの良さと気持ちの切り替えの素早さ」を盛大に褒められたことだろうか。
妻のタイプによっては「一生恨む案件」かもだから(笑)

(追記)
だがしかし、人よ、せいうちくんをなめてはいけない。
翌日には、「2週間のサンクトペテルブルク行きは無理だけど」と、仕事のスケジュールに障らない8月上旬に「日本国籍豪華客船による1週間の国内クルーズ」の予約を取ってくれた。
青森でねぶたと花火見てきます。
37年前に見初めたあの青二才がここまで成長するとは。
感無量の、還暦女。

19年5月29日

家を出た息子とは日頃SNSを通して連絡を取り合っており、用がなければ軽く2週間ぐらいは音沙汰無しだが、何か発生した時は短い文章の交換がそれなりに行なわれている。
面白い本を読んだら書影を送ったり、興味のある記事のURLやスクショを送ることもある。

先日は、珍しく向こうから「素晴らしい記事があったので是非」とURLを送ってきた。
障害者の家族としていろいろ思うのだろう、自閉症児を持つ親が書いた本の紹介だった。

その父親は、詩の中で、何度も夢をみたと語る。
息子に「お父さん、朝だよ、起きてよ」と揺り起こされて、
「ほら、障害なんかなかっただろ。心配しすぎだったんだよ」と妻に声をかける。
でも、目が覚めるといつも通りの朝で、しゃべれない息子が騒いでいて、なんと言っているのか全然理解できない。

第二子である弟が、きっといつか「おまえの兄ちゃんは馬鹿だ」と言われ、泣くんだろうと父親は綴る。
でも、
「お前は人にいじめられるかもしれないが、人をいじめる人にはならないだろう」
「お前は優しいいい男に育つだろう」と。

誰しも障害を持つ可能性があり、息子はみんなの代わりにそれを背負ってくれているのだと。

記事を送ってきてくれた我が家の息子はどんなことを感じているんだろうかとたたずんでいたら、家族グループのせいうちくんが先に反応してくれた。
「涙が出るねぇ。でも、娘ちゃんが代わってくれたとは思わないなぁ」
すると、息子が応じた。
「そうだね。別に悪い状態ではないしね。代わってもらっただと、なんかマイナスニュアンスを感じるね。でも、これを言語化できるのは素晴らしいの一言だと思う。仕事中に涙が出た」

最初、私はこれもせいうちくんのセリフだと思ってた。仕事中に泣いてるか、と胸が詰まった。
でも、すぐに息子の発言だと気づいて、そうか、仕事しとるか、と、別件で涙が出たよ。
(これはこれで、いっときプータローでまたいつそうなるかわかんない子供を持った親にしかわからない気持ちかも知れない)

「娘ちゃんに『ママ』ってはっきり言われた夢みたことある。『しゃべれるんだね!すぐにパパにも知らせようね』って抱き上げたところで目が覚めたら、枕が涙でびっしょり濡れていた」
と書いたら、息子が、「僕もある」と言う。
「にっこり笑って話しかけてくれた」のだそうだ。

しばらく考えて、返信した。
「そういう娘ちゃん、いるよね。『夢の娘ちゃんに会えると嬉しい』のと、『そうだったらよかったのに』と思ってるわけじゃないのは、同時に成立」
我ながらわかりにくいよなーと思っていたら、すぐに息子から反応がきた。
「同意」

息子と、そしてせいうちくんとこういう会話を交わせたこと、我々が生んだ娘が、息子が、この世界でそれなりに育ち、場所を得、それぞれの生活をしていること、互いを想い合っていること、すべてが美しく結実していて、何かしら報われたような、祈りがかなえられたような、感謝して感謝してこのまま死んでもいいような、そんな気分になった。

それにしても息子は省エネで簡潔だ。デジタルネイティブで、SNSの洗礼を受けて育ってるからだろうか。
私の文章は長い。
大昔に「チャット」が流行っていた頃少しやってたが、同室した人たちから「うさこ、長すぎ」と笑われたものだ。
お、ということは、年齢に関係なくネット民の思考は簡潔なのか。

40年近く前のボーイフレンドから、「多く読み、少し考え、さらに少し書く」ことについて厳しく言われたのを今も忘れてないんだが、実行はかくも難し、だ。

19年5月30日

あまり出かけない生活だけど、外の喫茶店とかで作業するのも気分が変わっていいなぁ、と先日思った。
その際、iPad ProとノートPC両方持って行くのはあまりに重い。
Bluetoothのキーボードがあれば、Excelのような難しい作業は別にして、日記ぐらいはタブレットひとつで何とかなるのではないだろうか。

買おうかなぁ、それなりにするものだしなぁ、と思っていたら、全然関係なくリビングの棚をあさっていた時に、息子が前に使っていて置いていったANKERのキーボードがうち捨てられているのを発見。
ラッキー!とばかりに拾って再利用だ。

最近、スピーカーやイヤホン、果ては低温調理器までBluetoothでつなぎまくっているから、それなりにわかるようになったんですよ。えへん。
電池を入れるところとスイッチを特定して、まずは電池の入れ替え。おお、ランプが一瞬ついた。
その先はさっぱりわからず、どうもBluetoothっぽいマークがついてるキーを押してみたけど、何も起こらない。
落ち着け。とにかくググろう。

おお、「ANKER キーボード」で「接続」まで出たじゃないか!
指示通りのキーを2つ同時に押すと、インジケータが点滅した。書いてあるとおりだ。
そこでタブレットの設定でBluetoothを開くと、おー、キーボードが表示されてる。接続!
つながったぁ!
試し打ちしてみると、タブレットのメール作成画面にどんどん文字が出てくる。

こうして廃物利用でキーボードを手に入れ、無駄なお金を使わずにすんだ。嬉しい。
息子がそんなもんを使っていたなぁとは思っていたが、引っ越しに持っていったものとばかり思っていたよ。まさか戸棚に眠っていようとは。
いちおう本人に了解を取ったら、向こうも何やら「よかったよかった」と喜んでいた。
何となく両方で得をしたような錯覚に陥り、気分が良くなった。

まだ技術進歩について行けてるという思いも、胸にあふれてくる。
いつも考えることだが、これから自分が入居する老人ホームとかには、絶対ITのわかる職員さんにいてもらいたい。
どうも一番難しいのはそこだという気がするので。

19年5月31日

高校同窓会に出席するため、3泊4日で名古屋にやってきた。
もちろん忠実なるせいうちくんも同行。
今年はいくらなんでも同窓会に顔出してもらおうとも思ってないし(本人けっこう行きたかったらしい)、高校の女友達とのお茶や中学の同窓女子会や、せいうちくん行けないところ多いから東京で留守番してな、って言ったのに、
「一緒にいたいんだ。旅行なんだから、連れてって」とごねられた。
そう言われると悪い気はしないから、いろいろアレンジして、彼も出られる食事会を2つこさえて、一緒に行くことにした。

いつものように糖質オフ弁当の「ゆで卵、低糖質フィナンシェ、チーズ」を持って、宴会多いから私のお召し替えもたくさん持って、小さいトランク2つにせいうちくんはリュック、私はお出かけ用の大きめのバッグという陣容で新幹線に乗った。
午後3時には3泊連泊で取ったいつものアパホテルに着いてて、まずは大浴場でさっぱり。
夜は中学時代の女友達とCちゃんと3人でのディナー。

早めに動きすぎて30分も前にお店に着いてしまった。
彼女の行きつけの小さなイタリアンでキールとワイン飲んで待ってたら、向こうもやや早めに登場。
「あらあら、お待たせしちゃって」と優しくも威厳あるいつもの態度は変わらないが、どうやら一昨日あたりあんまり良くないものを食べてしまったらしく、胃の調子が非常に悪いそう。
「いいのよ、あなたたちは好きなだけ食べて。私は食べられるものを少しだけ食べるから」と言うが、下戸の私を除いてせいうちくんと2人でくいくい開けるいつものフルボトルワインは省略だ。

「せいうちさんの昇任祝いでシャンパンぐらい開けようかと思ってたんだけど」ともうすっかりせいうちくんとも友達になってくれてるCちゃん。
まあ、それぞれグラスワインで適当に行こうよ。
前菜は「フルーツトマトのカプレーゼ」と「カニとアボカドのサラダ仕立て」。
シェフは我々が大好きな「魚介のクレープ包みサフランソース」が出せるようにしてくれていたので、それとCちゃんオススメのハンバーグ。
前菜をつつくぐらいのCちゃんに遠慮せず、ずいぶん食べてしまった。
かなり豪快に酒を好む彼女が終わりまででグラスワイン2杯しか飲んでなかったのは、相当に具合がよくないのだろう。

私だけデザートのティラミスも食べて、みんなでコーヒー飲んで、3時間おしゃべりした。
私の友人女性の中では一番社会的地位が高いというか、けっこうな出世頭の彼女なので、せいうちくんの話をいろいろ聞いてもらった。

何しろ出張も責任ある仕事もしたことがないまま7年でOLを辞め、その後30年間専業主婦、いくら小知恵と口が回るつもりでも、難しい決断もしなければならない立場の話にはついていけなくなってきていると痛感するんだ。
あたかも、子供の算数や漢字の書き取りを見てあげていたお母さんが三角関数や化学式が出てきてお手上げになって行くように、せいうちくんの相談に乗ってあげるのには限界を感じる。
(これまで話し相手になれていたと思う方が傲慢なのかもだが)
Cちゃんとせいうちくんがオトナな話をしているのを横で聞いていて、なんとも言えない安らぎを感じた。

あとは、この歳になるとたいてい親の介護の話をする。
お父さんを送り、お母さんはいわゆる「サ高住」に入ったというCちゃんは、近いからと週に1度は様子を見に行って話し相手や身の回りの世話をしているそうだ。
「前はね、『お母さん、こないだこう言ったじゃないの。あなたがそう言うから、こうしてこうしてこうなってるのよ』って頭にきたりしたの。でも、もう本人が思い込んでることは変えられないから、聞き流すの」と極意を語られ、いまだに自分の母親と「言った、言わない」の論争にすぐ発展しがちなせいうちくんは、とっても感銘を受けていた。

いつものように私がもう亡くなった自分の親との確執を話すと、Cちゃんは遠慮がちにだが、
「『毒親』って最近よく聞くわよね。あなたの親御さんは、いわゆるそれだったんじゃないかしら」と言ってくれた。
「まさにそこが私のテーマなの。自分の親を『毒親』と断定しようとすると、親に責められ、世間に責められ、自分の良心に責められる。亡くなったから少し楽になったけど、殴られて育ったわけでもごはんをもらえなかったわけでもなく、東京の私立大学まで出してもらって、それはとっても言いにくい。でも、精神的にはとてもつらかった」と語ると、せいうちくんが横から、
「キミは、殴られてたじゃないの。話を聞いてると、お母さんは充分暴力的だったと思うよ」と言う。

私「そんなに殴られちゃいないよ。ママが怒ってた時だけだよ」
せいうち「どのくらいの頻度だった?」
私「多くはないよ。月に1度とか、2度ぐらいだよ」
せ「それは充分多いよ!普通は、1度も殴られたことなんかないもんだよ」
私「Cちゃんは親に叩かれたことある?」
C「ないわねぇ。あったら、やっぱりびっくりするわよ」
うーん、せいうちくんですらカッとして幼い息子をひっぱたいたことがあるんだが、虐待の定義は「継続的」「恒常的」だから、該当しないのか。

そんな話まで聞いてくれる友達がいて、よかった。
結局3時間も語り合い、Cちゃんは明後日の「小さな中学女子会」に向けて体調を整え、万全になって臨みたいそうだ。
シェフは「明日の朝ごはんにでも」と言って、Cちゃんと我々にラップにくるんだサンドイッチを渡してくれた。
前回も小さなランチボックスを作ってくれたなぁ。Cちゃんはいい店の常連さんだ。

タクシーでホテルに帰って、大浴場でのんびりし、さて明日からも宴会続きだ。
私が高校同窓会に行っている間、街をぶらぶらするつもりですと語ったせいうちくんに、Cちゃんはお勤め先でもらったと言う「名古屋城本丸御殿」のチケットをくれた。
それでも見物に行ったらよかろう。

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