19年6月1日

高校の還暦同窓会に出席することにした。
去年「卒業したばかりの若人から80代の大先輩まで」10年刻みに招待される同窓会があり、それはそれで盛り上がっていた。
「我々の代」は3,40人集まっていたので、「来年は60歳になるし、自分たちの代だけで『還暦同窓会』をやろう」という声がその場で上がり、たちまちLINEグループが出来上がった。
ひと晩中「通知が鳴りやまない」状態に近く、翌朝見たら60人のグループに急成長していたうえ、1年後の開催が決まり、会場も取ってあった。仕事が早い!

そのLINEグループのおかげで、出席していなかった友人たちとも連絡が取れるようになった。
高校時代とても仲良くしていたMちゃんとLINE上での再会を果たし、今回は同窓会前に会場近くの店でランチをする約束ができている。

昼前にせいうちくんと街に出てお茶を飲み、途中の地下鉄の駅で別れた。
私は南下して、同窓会場の駅へ。
Mちゃんが昨日、たまたま待ち合わせの店の近くに行く用があったそうで、写メを送ってくれたから、抹茶ムースのような薄緑の円形の建物はすぐに見つかった。
こっちはこっちで「今日はこんな格好」とさきほどせいうちくんに撮ってもらった写真を送ってある。
SNSは便利!
「去年の写真しか見てないから、そこまで奥様に変身してるとは!」って驚いてもらったよ。
うん、今回、私としてはものすごくフェミニンに頑張ったし、ネックレスとかもつけてきたんだ。

2階のお店を遠くから見上げたら、「Mちゃんだ!」と見てとれる人が、向こうも気づいたようで手を振っていた。
エスカレーターを少し駆け上がって、泣き笑いしながら手を取り合ってしまった。
「何年ぶり?!」
「たぶん卒業以来だから、40年以上!」
また会えるとは、想像してなかった。

人気のイタリアンビュッフェで並んでいる間も、席についてお料理を取ってきて食べながらも、しゃべりまくっていた。
LINEで今の生活はいろいろ知らせ合っていたけど、40年を埋めるように、話は止まらなかった。
それに私は、若い頃の自分がものすごく勝手な女の子だったのに気づいてなかったから、昔の友人にはまずそのことを謝りたい。
きっと、無神経に人を傷つけてばかりいたと思う。

2時間たっぷりおしゃべりしておなかもいっぱいになったところで、もう1人の友達Tちゃんが合流。
わりと1人で会場に行くのは気恥ずかしい、と思う女3人が集まって、16時半開場のお店に向かう。
いかにも同窓会、という雰囲気年頃の、よくよく見ると見覚えがあるような気がする人たちが集まり始めていた。

予想外だったのは、80人以上の規模なのに立食ではなくて着席式だったこと。
しかもクラスごとに別れて座るので、同じクラスだったTちゃんはいいけど、卒業時別のクラスだったMちゃんとは離れてしまう。
「きっと中盤では誰彼なく立ち上がって入り乱れてくるから、そしたらまた会おうね」と約束して、かなり離れたそれぞれのテーブルに。

Tちゃんと隣り合って座った私のテーブルには女性が8人。
覚えてる子もいるし、「うーん、誰だっけ?」と思う子も。まあそっちの方が多い。
自分は社交的なタイプだと思っていたし、悪目立ちしてたから覚えててくれる人はけっこういるんだが、いかんせんこっちは記憶力がないし、とにかく自分のこと以外考えてない女子だったのだ。

会場の誰と会っても、
「今年はご主人来ないの?」と言われる。
「去年、大混乱を巻き起こしたから今年は謹慎」と言うのは、うっかり集合写真に写ってしまったため、「このメガネの男の子は誰だっけ?うーん、覚えてないなぁ」と苦悶する人が続出したから。

「二次会は無礼講だから、呼びなよ!」と幹事の男の子に強く勧められ、ホテルにいるせいうちくんに電話してみた。
栄町で私とお茶を飲んで別れてから、昨日Cちゃんにもらったチケットで「名古屋城本丸御殿」を見学し、街を見物して、歩き回ってくたびれてホテルに帰って大浴場でくつろいで寝ていたところだったらしい。
「行ってもいいの。じゃあ、行く~」と飛んできた。

一次会が終わる前に着いてしまったので、会場に連れてきて、去年は会えなかった人たちに「うちの夫」と紹介して回った。
「二次会には出ないけど、あなたのダンナさまには会いたいなぁ」と言っていたMちゃんにも会ってもらえてよかった。

二次会では隅の方の席に座ってたし、なんつーか、やはり地元の人たちは濃くて熱い。
普段から濃密な付き合いをしていそうだ。
お店をやっていたり実家の会社を継いだりの人もけっこういて、地縁の結びつきも強いんだろうな。
せいうちくんが去年たいそう仲良くなった私の幼なじみUくんと、高校時代仲の良かったTちゃん、の4人で小さく盛り上がってた。
それでもUくんはそのうちビールのグラス持ってふらふらと営業回りに行ってしまい、「同窓会は好きじゃない」って言ってはいても営業ひと筋のサラリーマン魂がうずくと見える。

さすがにそのあとの三次会はなく(あってももう無理)、おとなしく帰った。
せいうちくんが迎えに来てくれたおかげで、疲れてたけど不安なく帰ることができたよ。
もはやデフォルトとなった大浴場に行き、狭いセミダブルベッドで折り重なるように寝た。
明日は中学女子会だ!

19年6月2日

4年前に中学の友達のCちゃんとメールが開通してから、年賀状だけの付き合いが一気に年に1回ほど会う楽しい関係に発展した。
彼女が仕事やプライベートで東京に来る時には食事をし、こっちが名古屋に行けば車であちこち連れて行ってくれたりホームパーティーで他の中学同期生たちに会わせてくれる。
今回も、同じ中学から私と同じ高校に進学した女子2名をリクエストしたら新たに加えてくれて、7名の「小さな同窓女子会」が実現した。
以下は仮名で行く。

A:主催者。独身。公務員。
B:既婚。孫あり。銀行のフロアレディのパート。
C:既婚。孫あり。パート2つに加えて、家族の介護。
D:離婚したシングルマザー。病院受付。
E:既婚。孫あり。7年前に退職してからは趣味の活動にいそしんでいる。
F:独身。東京在住。会社勤務。
G:既婚。子あり。東京在住の不良主婦。私だ。

Aさんが予約してくれたのは私が滞在中のホテルから徒歩10分で行ける老舗のホテル内中華レストラン。
お昼は点心が食べられるし、個室がとっても感じよかった。
あとから聞いたが、前夜は天皇陛下がお泊まりになり、窓から市民に提灯を振っていたそうである。

せいうちくんが散歩がてら送ってくれて、ホテルの前で別れて彼は帰ったが、顔見知りになっているCさんとすれ違ったらしい。
会場で会うなり、「Gちゃん、ダンナさんに会ったわよ。送ってきてくれたのね~あいかわらず優しいわね~」と冷やかされた。

7人で個室の円卓を囲み、飲み物を注文して開始。
私の要望で実現した会だ、とAさんに言われ、僭越ながら乾杯の音頭を取る。
中学で一緒だった覚えはあるもののあまり付き合いのなかった人たちもおり、最初は少しかしこまっていたが、Aさんの「卒業してからのことを知らない人もいるから、簡単な自己紹介を」との提案で、ぐるりと各自、生活の様子を述べる。
そのあとはずいぶんほぐれてきた。

Aさんが卒業アルバムを持ってきてくれたのと、私が小・中の頃の写真を30枚ほどiPadに入れて持ってきたのを回したので、「あの子、どうしてる?」「この男の子は人気あったのよね~」などと過去の話題花盛り。
驚くのはやはり、みんな人の消息をよく知っていて、よく覚えていることだ。
これも女子力であろうし、地元の力でもある、と感じ入った。

お料理は、
・前菜五種盛り合わせ
・カニの卵を浮かせたフカヒレスープ
・大根餅
・揚げ団子二種
・点心四種
・エビのピリ辛炒めドラゴンフルーツ添え
・ねぎそば
・デザート

これにドリンクが2杯つく。
幹事さんの手腕がうかがえる、見事なメニューだった。

隣に座ったFさんは、
「中学時代、あなたの家に遊びに行ったことがある。本がたくさんあるので、借りて帰った」と言っていた。
「どんな本だった?」
「よく覚えてないけど、マンガとSFだった気がする」とのことで、その頃だとブラウンだろうかスタージョンだろうか、はたまた星新一であったかも、とかいろいろ考えたけど、彼女は思い出せないようで、残念だった。

たいがいの人がまだご両親のどちらかまたは両方がご健在、配偶者の親なんてものも存在して、やはり介護の話題が盛り上がった。
私も、最近気になる「サ高住」と「介護付老人住宅」などの違いを聞いて、ふむふむと思った。
「高齢者に年金が行きすぎて、下の世代では年金崩壊しそう」という最近多い意見に対して、
「でも、そのおかげで親のお金の心配をしないでいられるのよね。年金がなかったら、私たちが出さなきゃいけないところ」との声に、一同深々とうなずく場面も。

12時に始まった会は14時半にお店の人に集合写真を撮ってもらってにぎやかに閉会し。その後は同じホテルのティールームに場所を移して続いた。
体調がまだすぐれないというAさんだけは先に帰ったが、残り6人でまたしゃべりまくった。

お稽古事をしている人が多く、特に人気なのが運動系。
ホットヨガやエアロビ、ジャズダンスなど、過去に渡ってもいろいろな遍歴があった模様。
運動全般にまるで縁のない私も、今は「ズンバ」が流行っているらしいと聞いて、やっと話題に入れた。
先日、伊藤比呂美のエッセイで「腰を中心に情熱的に踊りまくるズンバにはまっている」と読んで、この書斎派の気難しい人を踊り狂わせるズンバとはいったいいかなるものかと興味津々だったのだ。

Dちゃんの証言によると、彼女は体験でズンバをやってみたら、あまりの興奮にふた晩眠れなくなって危うく仕事に遅刻しそうになり、「ズンバは危険すぎる!」との危機感から惜しいけどやめておいたそうである。
さすがはズンバ。

私はいつも思うんだが、人間、運動しなくても本を読んでいるだけで健康になれたらどれほどいいだろうか。
「1日5時間読書をすれば、他に何もしなくても健康になれます!目もどんどん良くなって、老眼知らず」とか言われてみたい。
泳げないからと水中ウォーキングをしてみたこともあるんだが、「この1時間が退屈かつもったいない。せめて本が読めれば」と思ったものだ。
最近ではすっかり行かなくなったプールで、なんとか防水のワイヤレスイヤホンをスイミングキャップの下に装備して、音楽ぐらいは聴けないかというのが現在の野望。
プールサイドにスマホを置いてて大丈夫か、Bluetoothは届くのか、という点がまだ解決できてない。

Eちゃんは英会話も習っているそうで、そこからDちゃんが「アメリカと日本ではお笑いの難しさが違うって言うねぇ」と言ったもんだから、しばらく私の独演会になり、息子が今やっている「インプロ」の話をひとくさりさせていただいた。
息子は「スタンダップコメディ」に憧れて3ヶ月のアメリカお笑い修行に出かけるも、英語がわからない彼なうえに時事問題も扱うスタンダップは難しすぎてさっぱりわからなかったところに、演劇的要素が強く言葉の壁があまり気にならない「インプロヴィゼーション」というスタイルに強く惹かれて、その勉強をしてきたようなのだ。
子供がお笑い芸人志望でハーフニートである点も含め、皆さんは私があいかわらずの変わり者であると思ったことだろうなぁ。

その日のうちに東京に帰るFちゃんがひと足先に失礼してもお茶会は続き、終わった時には17時ぐらいになっていた。
来た時同様歩いて帰れると思ったが、小雨が降り始めていたので、みんなと一緒に地下鉄に乗って移動しようと地下に潜ったが、なぜか全員口をそろえて「丸の内までは乗り換えがある」と言い張る。
ひと駅のはずなんだが、と抗弁したら、5人の中年女性がぐるりと輪になってググり始める、という光景になった。
結論として、乗り換えはなく隣の駅だった。そうでしょー!

「ごめんごめん」と笑う彼女らと再会を固く約して、私だけ反対方向の地下鉄に乗って帰った。
ホテルではせいうちくんが寝こけており、次の宴会まで私は30分ほどしか休めない。
ひと息入れたらたちまち着替えて、また出動だ。

次はまんがくらぶでの共通の友人、せいうちくんのひとつ先輩の男性、Fさん。
卒業後ずっと中部地方に勤めており、名古屋に落ち着いたと思ったらここ10年以上は単身赴任で、1年前にやっと自宅で家族と暮らすようになったらしい。
その頃には3人いる上の子から順番に就職で家を出て行くのだが。

懐かしい話題が尽きず、特に最近、我々はくらぶの人と会いまくっているので、たいそう面白がられた。
特にFさんと仲の良かったNくんには「また会いたいなぁ」としみじみしており、今度ぜひ東京で、という話になった。
昔は一緒に旅行をしたり、Fさんの新婚家庭にお邪魔したりしたものだ。

せいうちくんは今度マンガの同人誌を出す計画を牽引しているので、Fさんにも原稿を頼んでいた。
そこで判明した驚愕の事実、学生時代先輩たちが描いていたリレーマンガの原稿がFさんの郷里の物置に眠っていた!
せいうちくんはものすごく興奮し、
「ぜひそれを発掘して私に送ってください。Fさんが4ページぐらい描いて完結させるとなおいいですね。同人誌に載せましょう!執筆者全員の了承は、私が取りますから!」と叫んでいた。
7月にまた実家に帰ると言うFさんが約束を実行してくれたら、同人誌の大きな目玉になるにちがいない。

Fさんは学生時代からおっとりした穏やかな人柄と、朴訥な外見を裏切る鋭い頭脳で知られていたが、こうして改めてゆっくりお話ししてみると、本当に安定した人格でしかも頭の回転が速く、言葉少なくポイントを押さえて愉快な話を繰り広げる。
とても気持ちのいい話し相手だった。
老後はこういう友人と渋茶を飲みながら際限なく話したいものだと思ったが、彼は名古屋に住むか郷里の金沢に帰るかで、どっちにしろいつかはあまり会えなくなるんだなぁと、少し寂しくもなった。

ともあれ、東京にも来てください、また会いましょうと約束して別れ、今日は素晴らしく楽しい日だった。
くたびれすぎて、例によって大浴場でほどけた後はもう、こんこんと眠ってしまった。
明日はもう、東京に帰るよ。

19年6月3日

久々の小旅行、ということで、せいうちくんともゆっくり過ごせて楽しかったんだが、いつものようにもめた。
この3日間、宴会に奔走する私を会場に送り届けたのちの彼は、たいがい古本屋巡りをしていたようで、その収穫には私も歓声を上げたものの、帰る前に荷造りをしていたらリュックにぱんぱんに本を詰めてる。
てっきりコロコロの付いたトランクだからいくらでも持って帰れると思って買い込んだんだろうと思ってたので、
「重いでしょ。どうしてトランクに入れないの?」と聞くと、
「トランクはもういっぱいだから」

だーかーらー!
軽い服とかをリュックに移して、重い本はキャスターのついたトランクに入れればいいでしょうが!と、名古屋城下に響き渡る大ゲンカを始めてしまいましたとさ。
(おまけに望月三起也「ジャパッシュ」はダブってるっつーの。わざわざ新幹線でダブり買いに来た男ww)

ところで、私が名古屋にいる時、天皇陛下とサザンも訪名中だったようだ。
陛下なんか、女子会で中華点心を食べたホテルにお泊まりだったんだよ!
タイミングが少し違えば、広い道路の沿道で旗を振れたかも!
サザンに関しては、そのせいで高校同窓会に遠方からくる子たちが「宿が取れない!」と悲鳴を上げていたなぁ。
私はかなり早くから押さえていたので事なきを得たが、かつて鈴鹿の耐久レースの時期と重なった時は確かになかなか空いてる部屋がなく、やむなくプチスィートみたいな割高な部屋に泣きながら泊まった覚えもある。

名古屋駅で「味噌煮込みうどん」を食べて帰ろうかと思っていたが、去年「山本屋」の本店だか総本舗だか(実際に両方ある)で食べたら値段が高いわりにあまり好みでもなかったのを思い出し、「やっぱり味噌煮込みうどんは『まことや』だよ」とあきらめることになった。
「まことや」は名古屋に住む人たいていがイチオシする名店で、惜しむらくは市街地の、車でしか行けないところにばかりあるチェーン店だ。
名古屋駅とか栄町にはない。残念だ。

新幹線口のヱビスビール店でヱビス飲みながらお世話になったCちゃんにお礼と味噌煮込みを食べ損ねた愚痴をLINEで伝えていたら、
「次は車で『まことや』にお連れするわ」との優しいお言葉。
実際、彼女には3年前に来た時ぐらいに連れて行ってもらってる。
本当に、いろいろありがとう。またよろしくね、Cちゃん。

新幹線で帰京して家の近くまで来て、味噌煮込みの恨みを晴らすべく糖質無制限でカレー喫茶で久々のチキンカレーを食べた。
1年以上前に来た時に比べてどうもカレールーの量が少なくなっていた気がして、糖質を避ける意味とレジスタンスの気持ち(カレーが足りない!の表現)でライスを残した我々であった。

やれやれ、やっと家だ。
1時間ほどかけて荷解きをし、服は洗濯に出してすべての小間物をもと会ったところに片づけ、おしまい。
今回は宴会が多かったため、持って行った服が多くて荷物が山のようだった。
せいうちくん曰く、
「同窓会の二次会に行ったら、女の人たちは『結婚式?』と思うぐらい着飾っていた。キミはネックレスが派手すぎないかとか気にしてたけど、全然だった。持ってる中で一番値の張るサファイアの指輪も、小さくて気の毒なほど。もっと大きなやつを買ってあげたい。今度買いに行こう」
あなたは、最近金遣いが荒いねぇ。
ああいうものは、買えば買うほど自分の持ってるやつが小さく見えてきて限度がない世界だから、足を踏み入れたくないんだよ。

さて、旅の総決算である。

(★印はせいうちくん参加)
1日目:① ★中学の友人とディナー
2日目:② 同窓会前に高校友人たちとランチ
    ③ 高校同窓会本番
    ④ ★高校同窓会二次会(ホテルで寝ていたせいうちくん、電話でたたき起こされて呼ばれる)
3日目:⑤ 中学の同窓生女子7人で「小さな同窓会」
    ⑥ 二次会のお茶
    ⑦ ★名古屋在住のサークル友達と居酒屋
4日目:くたくたになって帰る

というスケジュールで、私は7連発宴会、つきそいで来ただけのせいうちくんも3連発になっていた。
遊ぶ時はキツキツに予定を入れてまとめて遊び倒し、そのあと、消化中の大蛇のようにひたすら寝て暮らす生活。
もうちょっと人間らしくゆとりをもって予定を立てたい…

40年以上会ってなかった人にもたくさん会えて、ものすごい勢いで過去の自分と遭遇した。
友人知人の話を寄せ集めると昔の私はおおむね、

・いつも本を読んでいた
・超能力を研究していた(学習机の前に五円玉を糸で吊り下げて「念動力」で動かそうとしていたらしい)
・英語ができた
・国語ができた
・思ったことをそのまま言っていた
・変わっていた
・ませていた
・やせていた

ということであった。
今も同じところもあれば、大きく変わってしまったところもある。(3番目と8番目が顕著)
こんなに成果ある遺跡発掘が次に行なわれるのは何年後だろうか。
40年後にはみんな本当に埋まってるんだなぁと、1人で笑っている。
まあとにかくせいうちくん、お疲れ様。

19年6月4日

15時半にバイトのデータ取りに行って、16時に皮膚科の予約。
あいかわらずギッチギチに予定を入れてしまう。

2年経っても治らない、ケロイド化した胸の傷跡に、皮膚科の先生もちょっと気の毒そうだった。
「もう2年ぐらいかかるかなぁ、月イチぐらい、ケロイドを鎮める注射に通ってね」って。
わりとさくさく終わったから、ついでに隣の整形外科で膝にヒアルロン酸の注射してもらって、湿布薬ももらっていこうかな。

でも意外と混んでて、1時間待っても順番が来ない。
本読んでるから待つのはちっともかまわないんだけど、18時から20時にネットスーパーの配達に来てもらうよう頼んじゃった。
18時ジャストには家にいないとマズい。

「ちょっと時間がないので、今日は帰ります」って受付に言いに行ったら、
看護師さん「お薬ですか?いつものお注射はいいんですか?」
私「湿布だけもらえたら嬉しいです。注射は、また時間のある時に来ます」
看「ちょっとお待ちくださいね」
って、結局ささっと診察室に呼ばれて両膝診てもらえて、「水は溜まってないね!」って薬の注射だけ打ってもらえて(溜まってる時は注射器で抜く)、湿布もらえて、ラッキー!
順番飛ばしちゃった人、ごめんね~

皮膚科でも、かゆみどめの塗り薬をもらうの忘れちゃってたから、まだ薬局に出してなかった処方箋持って受付に相談に行ったら、あらためての診察はヌキでお薬だけ出してもらえてこれまたラッキー。
先生が奥から、
「なに、どこだっけ?まだかゆいの?」って大声で聞いてたけど、看護師さんがちっちゃい声で「陰部です…」って伝えてくれた。
人間だもの、いろんなところがかゆくなるよ。
患部に貴賤はない。ただ、ちょっとばかり大声で言いにくいところがあるだけだよ!

自転車飛ばしてぴゅーっと帰って、18時を10分ぐらい過ぎたところで配達の人が来た。
今日は何だかいろんなことがスムーズで、とってもラッキーな日だった。
そのわりに積ん読が全然減らない。
午前中にベッドで1冊、午後に待合室で1冊が読めただけなうえ、読み返しとマンガで日々が過ぎていく。

19年6月6日

オランダで17歳の少女が安楽死を認められたという記事を読んだ。
子供の頃に受けた性的暴行とレイプのトラウマからうつ病や拒食症を併発し、ずっと苦しんできたらしい。
さすがの安楽死大国オランダでも、がんや筋ジスのような肉体的な病気ではなく、精神の病で安楽死を認められるケースはまだ珍しいようだ。
「私はずっと前から、息はしていても生きてはいなかったのです」という本人の談話が痛々しい。

その記事を読んでからずっと、思い出すと涙が出て仕方がない。
彼女ほど苦しんでいるわけでもないし理由も原因も全く違うけど、私もずっと「生きていない」気がする。
「10日以内に、私は死ぬでしょう」とのコメントに、もし自分がそんな日を迎えたら、それは実はものすごい救いなような気がしてしまう。

自分のものとはどうしても思えない生を生きていることは、先の見えない道を手探りで歩んでいるようでもあり、また、楽しい時も、悲しい時でさえも、それが本当に自分の感情なのかどうか不確か。
誰か他の人の身体を借りてニセ者の生を生きているような気がする。
私の正体は、外をリアルに感じられない不格好な着ぐるみに包まれてよたよたと歩き、着ぐるみのキャラクターの振る舞いをしているだけだ。

生を実感したい。
そしてそれは、死を目前にした時にしか訪れない境地なのではないか、自分は死ぬ寸前のひと時しか生きてはいないのではないか、と思うと、猛烈な孤独感と寂寥が襲ってくる。
これまでに何度か「死のう」と決心した時の、やけくそな虚無と同時に確かにあった深い安堵感を思い起こし、なんとかこの安堵を日常的に健康的に得られないものかと日々焦っている。

「今は特に旅行疲れでアンニュイなんだよ。ゆっくり休んで」とせいうちくんに優しく言われ、こんなに温かく見守ってくれてる人がいるありがたさは充分わかっていても、はじけた時間のあとの空虚な感じはまた、格別に深いなぁ。
友人たちと会った喜びも楽しさも、「そのうち全員死んじゃうのに、どうして今は生きてるんだろう?」という単純な疑問符にしか結びつかない。
ああ、ホントにアンニュイだ。

19年6月9日

せいうちくんのご両親を含む親族の大きな集まりが催される寸前だった。
始まりは、アメリカに住むせいうちくんの従姉が子供達を連れて日本に来ていたこと。
長女が「ギャップ・イヤー」と呼ばれる高校卒業後大学に入るまでの1年の休暇を過ごしに日本のあちこちを旅行して農業体験をしており、その締めくくりに日本で家族と合流して帰る、という計画だったらしい。

従姉は早くから日本を離れてアメリカに行ったせいか、日本の親族への思いがとても深い。
せいうちくんとは仲が良く、これまで2回、息子をアメリカの家にステイさせてくれている。
アメリカで認知症の母親の面倒を見ている彼女は、母の兄弟たちも認知症にかかっていくのを聞いて、我々を含む若い世代をcheer upするために、一族の集まりを考えついたらしい。

本当はせいうち家のご両親・妹さん家族も一緒に実家経由レストランで会食のはずだったんだけど、妹さん一家はあまり気がすすまない様子で優柔不断に断ってきたし、しかもカノジョを連れてくると言う息子に「結婚相手でもないのに家に来るのは非常識」と内々のクレームが飛んできた。

「連れて行くね」と息子がおばあちゃんに言った時は「結婚するの?」「うん、そのつもり」で収まったんだが、すぐにせいうちくんに捜査の手が伸びた。
「どういう人なの?大学は?お住まいは?おうちは何をしてるの?」
どうも、すべての質問の答えはお母さんを満足させるほどのものではなかったらしい。
「結婚するかどうかもわからないのに、そんなこと調べ上げてどうするの?」とせいうちくんが質すと、
「あら、息子ちゃんは結婚するって言ってたわよ!」
「真面目に付き合ってるんだから、いつかそうなるかもしれないよ。でも、もう婚約者、って意味で付き合ってるわけじゃない。若い人のことは若い人に任せておこうよ」
「だって、じゃあ、結婚もしないのに親族の集まりに来たり実家に上がったりするの?非常識じゃない?」
「イマドキはそんなもんだよ。イヤなら断ったら?」
「そこまでは言わないけどぉ…」

そのあとお母さんはせいうちくんの妹さんに泣きつき、「だいたいあの人たち(たぶん我々を含む)は非常識なのよ」という論陣を固めた上で、いきなりうちの息子に電話した。
「他人ががくると疲れちゃうから、連れてこないでちょうだい。結婚するならともかく、知らない人じゃあ…」

お母さん、それは「いつか結婚するかもしれない人」なんですよ、その時になって「まあ、結婚するの。おめでとう。お式はどこ?」なんて出席する気マンマンになっても、もう誰も呼ぶ気になりませんよ、と言いたい。
私だったら招きませんね。「何をしたか、お忘れですか?」って薄く微笑む。

「どういう人か」っていっぺん聞いてからやっぱり会わないって決めるのがナンだよなぁ。
いいとこのお嬢さんだったり女医さんだったり女弁護士だったりしても、こういう扱いができるものだろうか。いや、あのお母さんにそんなこと、できるわけがない!
「結婚するかどうかわからない」人と会うのがイヤなら、中途半端な身上調査なんかしなけりゃいいのに。

息子はアメリカの従姉の家にお世話になっていた間、やたらにカノジョの話をしたもんだから従姉は問題の女性に会いたくて仕方なくなってたし、従姉の長女はギャップ・イヤーの最初に東京に来た時に息子に再会してカノジョを紹介され、英語の堪能なカノジョとすっかり仲良くなってしまった。
この2人の女性がカノジョに会いたいんだから、結婚とか親族とかどーでもいいじゃないか!

そもそもは「みんなで会いたいわねぇ」という美しい動機で始まった「親族の集い」、妹さん一家の欠席に加えて事態は紛糾中。
「息子くんがカノジョを連れてくるのは非常識。お母さんも困ってる」と妹さんが従姉に言い、アメリカンな従姉が「何がいけないのかわからないんだけど、息子くんはカノジョを連れて来ないことになったかも」と心配するので、せいうちくんが息子に確認したところ、「おばあちゃんが連れて来ないでって言うから、自分だけで行く。しかし、行くのがめんどくさくはなった」と発言。

息子に、「おばあちゃんはそういう人だから仕方ないけど、頭に来ない?」と聞いたら、
「徳が下がるから、言わない」と短い答えが返ってきた。
彼も折々に懲りてきてはいるが、育ちが甘いせいで人の善意を疑わないタイプなので、心配だ。

ブチ切れたせいうちくん、従姉に「to have another meeting on the same time without my mother」を提案して、「Well, there are things I cannot understand, but must accept. 」と説教されてた。
さまざまにケチがつき、妹さん一家も来ないし息子のカノジョも来ちゃダメとなると、日頃婚家とおつきあいしていない私としては、だまし討ちで呼び出されたような気分にすらなってくる。

しかし、「この件は預からせて」と1日、アメリカ従姉が十分頭を冷やした後の合理性は素晴らしかった。
「セイウチの妹一家は来ないし、うちの娘は息子くんのカノジョに会いたがってるし、老人たちは子供たちにはそれほど会いたがってもいないし、それならセイウチの親たちには私が別の機会に会いに行くから、今回は別の会合を持ちましょう!」との決断をしてくれた!
カノジョ呼んで、without seniorsの食事会だ!

ファミレスの「藍屋」の座敷の一角で行われた「Young Relatives Meeting」は楽しかった!
従姉のローティーンの双子はうちの息子が隣のテーブルで面倒を見てたっぷり食べさせ、そのあとはゲームに興じていたし、こっちのテーブルではカノジョを真ん中にはさんだ従姉長女とうちの息子が3人でにぎやかに英語で話していた。
こっちサイドでは私とせいうちくんと従姉がほぼ日本語で話し、時々わかりにくいとこだけブロークンに単語を並べて会話してた。

従姉長女は息子と私の顔を面白そうに見比べるので、「He looks like me so much!」と言うと、笑いながらぶんぶんとうなずいていた。

せいうち本家の長大な物語の虫干しをしたり、先ごろ亡くなったせいうちくんの伯父さんが書き残したと言う「本家の歴史」が記された私家製の本をもらったり、しばらくはせいうち家の歴史に耽溺して過ごせそうだ。

若い世代も仲良くなってくれたし、今後去るべきものが去っても世の中は変わるまい。
楽しい集いだった。
「おばあちゃんたちは来ないの?かわいそうじゃない?」と言っていた息子は、いつのまにか「カノジョに来ないでって言ったことで、気を悪くしてない?」と連絡してきたおばあちゃんに懐柔され、
「オヤジに怒られた、って言ってたよ。また理不尽な言い方したんじゃないの?」とせいうちくんを白い目で見ていた。

あのね、息子よ、従姉がいるこの場では言えないけど、
「みんな都合が変わったようだから、別の集まりを持つ。そうしたら、お母さんも知らないお客さんを迎えたりしなくてすむし」とせいうちくんが電話で伝えたら、
「いいけど、従姉ちゃんも勝手よね。人を振り回してばっかりいて。こっちはそのたびに予定を変えたり買い物したり、いい迷惑よ!」と罵り始めた。

せいうち「お母さんたちに迷惑かけたくないから、家で集合はさせてもらうけど、すぐにレストランに行く手はずにしたじゃない」
母「そりゃそうだけど、人が来るんだから準備くらいするわよ」
せ「そういうことが必要ないように計画したんだよ。で、妹のところは来ないし、息子のカノジョは来ていいって言われたのにダメって言われて気の毒だし、いろいろ変わったよね?最初はいいって言ったでしょ?」
母「それは、考えたら気が変わったのよ」
せ「じゃあ、他の人たちも気が変わったり都合が変わったりすることはあるよ。自分だけが被害者みたいに言わないで。従姉は、お母さんたちにまたあとで会いにくるって言ってたよ」
母「従姉ちゃんの顔なんか、見たくもないわよ。来てもらわなくて、結構です」
せ「どうしてそうやって人を悪く悪く言うのかなぁ。お母さんが気を変えたせいで、息子たちがかわいそうだとは思わないの?」
母「はいはい、どうせ全部私が悪いんですよ。頭も悪いから、こんなことになるんですよ」
せ「また思ってもいないことを…本当に頭が悪いと思うんだったら、いつも僕のこと頭がいい、いい、ってほめるんだし、少しは僕のいうことも聞いてくれたらいいんじゃないの?」
母「はい、どうせバカですから」

だから、この会話をもって「お父さんがおばあちゃんを理不尽に怒った」とまとめるのは、せいうちくんに気の毒と言うものだよ。精進したまえ。

とは言え、
「おばあちゃんたちが気の毒だから、今度オレはオレで会いに行くよ。ごはん食べに行く約束してるんだ」と言う息子は立派だ。
「『理想の孫』とは違うと思われて、フラフラしてて心配だとか定職に就けとか言われると思うけど、大丈夫?」と聞いたら、
「お父さんとお母さんがのびのびと育ててくれたから、そこは大丈夫。自分の価値は自分で決める」と言い切っていた。ますます立派。

我が家の「8050問題」は、50歳を超えてもまだ親に「本当の自分を理解してほしい」なんて思っている点であろうなぁ…

19年6月10日

遊びすぎなのはわかっているけど、とてもとても具合が悪くなった。
こういう時の感覚をなんと言えばいいんだろう。
よく、底知れぬ砂の地獄に沈むようだとか、二度と夜明けが来ないようだとか、幸せな思い出も何もかも消え失せたようだとか聞く。
どれとも違うなぁ。
ただひたすら、この世が始まってからのすべての悲しみが自分の中に堆積していて、そのすみっこに火がついて、轟々と燃え盛る炎ではなく青白いかげろうが立つように、私の心を侵食していく。

まあキレイに言いすぎなんだけど、内側がそうなってる結果として外側で何が起こるかというと、泣く。
つっころばされた幼児のように、飴玉を取り上げられた子供のように、夜泣きを覚えたばかりの赤ん坊のように、とにかく泣く。
さんさんさんさんと、よくもこんなに出るなぁと自分でも感心するぐらい、涙はあとからあとからあふれてきて、私のほっぺたはただの涙の通り道になってしまう。

体裁なんかかまっちゃいられないとはいうものの、鼻水ぐらいはかみたい。
顔がガビガビしてきそうだから、時々は涙も拭きたい。
更年期障害で汗をかいていた頃の名残で家中のあちこちにタオルが置いてあるのが幸いし、どこで泣き始めてもタオルにだけは困らないが、やはり顔がぐちゃぐちゃになる感じはイヤだ。

「そんな時は風呂で泣け」と宮部みゆきが直接教えてくれたわけではないけど、「小暮写眞館」の登場人物の1人は泣きたくなると風呂に入る。
水風呂の季節になっていつでも水が張ってあるから、どぶんと飛び込んで泣いてみよう。

それでもあんまり具合が悪いので、ちょうど通院日でもあり、せいうちくんがお休みをとってついてきてくれた。
彼もたまには先生の話を聞きたいらしい。

今日一番話したいことは、先週末に読んだ「オランダの17歳女性が子供時代の性的暴行とレイプのトラウマからうつ病と拒食症に苦しみ、最後には安楽死が認められた」件。
同窓会に行って7連発宴会でくたびれた話と並行で話したもんだから、
「楽しかったけど、落ち込んだってことですか?」と目を白黒された。

ただどうもなぁ、先生には「性的暴行とレイプ」のくだりがストレートに入っちゃったみたいで、はっきりと言葉にはしなかったものの、「それぐらいで」と言いたそうだった。
いや、実はね、私もそうは思うのよ。
そこらへんは個人の考え方とか宗教とかいろんなものがからんできて、イコールトラウマ、イコールうつ病、イコール安楽死、とはならんよなぁ。
先生、こだわらないでください。言いたかったのはそこじゃない。ああ、いっそそこんとこはぼかして話せばよかった。

「苦しくて、その苦しみを認められて死ぬことを許された人が、いっそうらやましく思えるんです」と言ってもまだ、先生にはうまく伝わらない気がする。
「あなたが苦しいのもさ、どこまで行っても原因はわからないんだよ。その原因を知りたいと思うのが医者の本能なんだな。だけど、わからないものはわからない。人が2歳ぐらいで言語を獲得して物事が言語化される前、たとえばDNAのレベルであなたに何が起こったか、それは100万回問いかけてもわからない。それが僕の苦しみだよ」

と、大人しく横で聞いていたせいうちくんがここで口をはさんだ。
「先生、私は長いこと彼女の治療に付き合ってます。だから、この理屈っぽい人が今何を考えているか、よくわかるんです。彼女は、『先生は、私は苦しんでもいないし病気でもない、仮病で同情を引こうとしている人だ、と思ってる』って思ってます!」
なんでわかるんだ!

さらに彼は続ける。
「先生がそんな風に思ってないと、僕にはわかっています、病院で、医者が話を聞いて薬も出す、それは立派な病人なんですが、小さい頃からずっと『仮病』『気のせい』と自分の認識をねじ曲げられてきているので、そこんところが彼女にはわからないんです」

先生は、「そりゃ困ったなぁ。苦しんでないなんて、思ってませんよ。ただね、原因を知りたい、突き止めたいと思うのがさっきも言ったように医者の本能なんですよ」と繰り返していた。
けっこう長く話したけど、最後に強く言われたのは2つ。
「7連発宴会なんて、どうやったらできるんですか。活動しすぎ」
「生物的に、休んでください」
これは、どう受け止めるべきなのか。

帰り道、せいうちくんに、
「先生はやっぱり、私が言葉であれこれ言うけど虐待されたわけでもないし、病気の原因もないって言いたかったんだね」とつぶやくと、彼はびっくりして飛び上がった。

「ちがうよ!キミは自分に起こったことやされたことを言葉では話せるけど、もっと前、言語を知る前の例えば2、3歳以前にどんなことがあったかと疑ってるんだよ!言葉で認識していないようなひどい目にあったのかもしれないじゃない。こんなに長いこと治療してそれが出てこないってことは、それぐらい深刻なことだって言いたいんだよ」
「えー、100万回話し合ってもしょうがないって言ってなかった?」
「ちがうよ、100万回問いかけてでもその謎を解きたいって言ってるんだよ。それが医者の本能だって。でも今はまだわからないから、それが先生の苦しみだ、って。100万分の1の答えを、キミと探すつもりだって言ってたんだよ!」

今、ブラックジャックを読み返しているので、「アッチョンブリケ」と口走ってしまった。
「よくそんなに深読みできるねぇ。私、ママが私を逆さ吊りにしたぐらいしか思いつかないよ」
「したかもしれないじゃない!」
まあ、普通のおばさんだったしねぇ、人間、自分の親がそんなことするとはあんまり想像できないものなんだよ。

そこで思い至ったのだが、先生は、私が隠れた性的虐待の被害者だと思ったのかもしれないな。父親の話はほとんどしてないし。
自分で認識してないかないしは隠そうとしている、だが周囲にはわかってほしくてサインを出していると思い、先生としてはことさらに性的被害の話に驚いて見せて、話を引き出そうとしたのかも。

まあこのようにいろいろ考えてはみるもんだ。
しかしめったに正解にはたどり着かない。
ホームズやコロンボが「犯人はあなたしかいないんです」なんて言うのは、作者が他の可能性をいっさい考慮に入れてないってだけだよ。

で、私は依然としてダンジョンの間違った通路に迷い込みがちなので、せいうちくんは先生に見せる用に「僕はこのように理解しました。間違っていたら読んだその場で妻に訂正を伝えてください」と上記の「解釈」を箇条書きにしてくれた。
なかなかここまでしてくれるダンナさんもいないものだが、こういう人が実は隠れた精神的DV、モラハラ夫だったりするから、今の世の中はコワいのだ。

19年6月12日

子供の頃から母に、
「たとえ夫婦であろうとも、選挙でどこの政党に投票するかは話し合わない。個人の問題だから」と言われていたので、政治とは、また夫婦とはそういうものだと思っていた。

せいうちくんと結婚した頃、親しい女性友人に、
「ハタチになって以来、選挙ってものに行ったことがない」と告白したら、怠慢を強く責められた。
「行かないなんて、絶対ダメ!せっかく婦人参政権を勝ち取ったのに!」
この強い情熱に押されない人がいるだろうか。

しかし恥ずかしながらワタクシ、政党ごとに支援団体を持っていることもそもそも選挙で選ぶ議員の数で与党を決めることも議席の意味するところも、何ひとつ知らなかった。
(自分の不勉強を棚に上げてナンだが、日本の社会科教育はどこか間違ってたぞ)
そういうわけで、選挙に行って投票するべくせいうちくんに教えを請うたのだった。

「こういうこと、相談しちゃいけないとは思うんだけど」と持ちかけたら、
「なんでナイショ?!」ってびっくりされて、こっちも、
「そういうのって、ナイショにしなきゃいけないんじゃないの?」って驚いて、しばらくびっくり合戦をしていたが、私の説明を聞いてせいうちくんは合点がいったようだった。

「キミんちは、そのへんややこしそうだからなぁ。そもそもお母さんは日蓮様の人だし」
「何それ?」
「S会だよ。『S教新聞』ずっととってるじゃない」
「そうなの?」
「いつもリビングにあったよ。で、お姉さんは教員だから日教組でしょ。お父さんは、きちんと聞いたことないけど、話しぶりからすると疑いなく自民党支持だから、これでは家の中で政治の話は無理だよ。大討論会になる」

あれから幾星霜、「社会党に入れたのに何も起こらなかった」時を境に元々低かった政治熱はさらにすっかり冷め果ててしまったが、ツイッターを見るようになって、世の中は何だか荒れとるなぁと思う。
無党派で浮動層で右顧左眄でも、そろそろ決断しなければならないだろうか。
意味もわからずほぼせいうちくんのいいなりに投票していたら、どうやら彼は安倍派らしい。

ちなみに、どのくらい意味がわかってないかというと、ネットでアベを激しく糾弾する友人を「ネトウヨ」と思い込み、「っつーことは、アベさんは左翼?」と思っていたほどのわからんちんである。
くだんの友人からは厳しく抗議を受け(「はぁ~っ?!わしが右翼だとぉ~っ?!」)、仲間内では、
「うさこさんは、ネトウヨって『ネットをうようよしてる連中』とか思ってたらしい」と嘲笑されたおまけがついてきた。

25年前に「銀河英雄伝説」を読ませて仕込みをしておいたのが役に立ち、「現政権とヨブ・トリューニヒトの類似点」を討論することで、せいうちくんの政治的信条を動かせるかもしれない。
とは言え、こちらの信条はこの2つだけ。

・ヤン・ウェンリー、カッコいい。(彼が理想と現実の間をあまりぶれずに歩く才能を発揮し続けたのは、「言われたことをやる」のに徹していたからだとはわかっているが)
・政治の世界に「文句があるなら自分でやってみろ!」は意味のない脅し文句ないしは禁句。

現政権を倒すにはやや心許ない。
夫婦はできれば同じ政治観を持ちたい、というのも意味のない幻想かもしれないが、なるべく話し合いの時間を持つのは悪いことではあるまい。
夜の娯楽に政見放送でも見るかなぁ。

19年6月13日

先日の親族会でせいうちくんが従姉からもらった「伯父さん」(彼らの親の長兄)の本。
聞いた時には「せいうち家の歴史が記してある」ものと思い込んでいたが、実際は本人の回顧録であった。
もちろん甥たるせいうちくんは出てこない。
(従姉は日本語ペラペラだが読む方はもう忘れてしまったので、できれば要旨を英訳してもらいたいのだそうだ)

驚いたのは、書かれたのがほんの15年前であることと、監修者として奥さんの名前が載っていること。
愛妻家だ。
あと、かつては相当な名家であったのが見てとれる。
正式にやっていたら、こんな家の嫁になっていたのか。ぶるぶる。

せいうちくんにも、引退したらこういうものを書いてもらいたい。
そしてもちろん私の名を監修者としてでかでかと載せるのだ。できれば筆者よりも大きく。

「本」と言うほど立派な作りではなく、片面印刷で「B5の書類を綺麗に製本した」体裁ではある程度で、表紙が堅かったり栞ヒモがついていたりはしない。
林真理子が「マイ・ストーリー」で「自費出版ビジネス」について書いていた、そんなのを想像してた。

しかし、150枚ほどの「一代記」を書くのはそれはそれは大変な作業だし、事実に大きな齟齬がなく、日本語として筋が追えるものであるだけでも大したことだと思う。
(毎週毎週量産だけはしている身として、その点の労力は痛いほどわかるのだ)
昔、編集者をしている友人から聞いた話では、コンテストの応募作等で「『てにをは』がちゃんとしているだけでも、ある水準を超えていると言っても過言ではない」のだそうだから。

毎晩、せいうちくんに数ページずつ朗読してもらって楽しんでいる。
気がかりなのは、彼の実家にもこの本があるかどうかだ。
従姉の母、つまりお義父さんの姉の家にあった「兄の本」なわけで、弟の家にも当然あるはずなんだが、前にちらっと聞いてみたところではお義父さんには覚えがないらしい。
それならば我が家で読んでしまった後は献上するのが筋だろうに、せいうちくんは「父親が同じようなものを書こうと思い立ったらどうしよう」と不安でその気になれないみたい。
いいじゃないか、書かせてあげれば。
「自分史」は廃れぬブームだぞ!

19年6月14日

なんでかはまあ言わないんだが(しかし少しのちにあっさり言う)、風呂場で派手に転倒した。
記憶がないほど派手に、である。
「顔面痛い」と思って鏡を見た時には、右頬の上がお岩さんのように紫色に腫れ上がっていた。

あんまりひどく腫れているのでいちおう行きつけの整形外科に行ってみた。
あちこちに擦り傷もできているので長袖の上着を羽織り、日焼け止めに首にスカーフを巻いて帽子を目深にかぶった姿はどう見ても夫の暴力を隠している妻だ。
ふらついて廊下で転んで肋骨にひびが入って受診したこともあり、せいうちくんはこの界隈では知らぬ者のないDV夫かもしれない。

整形外科では意外な事実を知る。
ジャンル的には彼らの範疇は「首から下」であり、「首から上」は耳鼻科の専門分野なのだそうだ。
看護師さんが気の毒そうに、「いちおう先生に聞いてみますね」と頼んでくれたおかげか、日頃から膝やら腰やらで常連さんだからか、レントゲンは撮ってもらえた。
治療となると別の話なのであろう、きっと。

結論から言うと、顔面の骨には異常なし。
眼窩のふちが欠けたり折れたりすると視野にも異常が出てよろしくないのだそうだが、そういう所見はナシ。
「どうしてこんなことになったの?」と当然聞かれたので、
「薬でふらつきました」と正直に答えたら、
「ま、薬は変えてもらった方がいいね」とあっさり言われた。
この人、私のカルテに何度も同じような打撲を記入してるからなぁ。

あと、アイシング(冷やすことですね)が大切なのと、全治2週間ほどなのはいいとしても、内出血(血腫)はだんだん下がってくるから、見た目的には今後ますますひどくなるらしい。
外に出る仕事とかでなくてよかった、とは思うものの、あさってカラオケを含む宴会があるんだよな…カラオケルームを暗くしておくかな…

今、せっせと保冷剤でアイシングしてます。
お手元に「あしながおじさん」をお持ちの方は、歯痛のジュディ・アボットが顔をぐるりと布でしばって頭のてっぺんで結んだ古典的なさし絵をご覧ください。
適当な大きさの布がない場合、シャワーの時に髪をまとめるターバンのようなものが役に立つ!

19年6月15日

「またカラオケやろう」と言われてひと月も前からメンツを集め、部屋を予約してた。
そしたら前日に長老から連絡が。
「いつもの店、土日のフリータイムをやめたようだぞ」
がーん!
土日でも9時から19時のフリータイムがあり、飲み放題は休日料金で少し高くなるものの、8時間飲み放題歌い放題カラオケマラソンをやっても1人2800円ですむ店なんて他に存在しなかったのに!
(理論上は10時間マラソンしてもいいんだけど、さすがにそれは1回もやったことない)

もっとも、前から危惧はしていた。
「我々がこの勢いで月に1度ぐらい押し寄せて飲みまくっていたら、いずれこの店はつぶれるか料金システムを変えてくるかのどっちかだ」
ついに来たか。
激しい時は月に3回ぐらいやってたからなぁ。
しかも、店にとっては一番コスパの良くないビールばかり飲む客。

長老は狡猾なタヌキなので、料金システムが変わったことは知らせてきても、幹事の立場に立たされている私の代わりに店とやり合ったりは決してしない。
あくまでそこんとこの交渉は私の仕事だ。
確認したら確かに6月から料金体系が変わっており、5月半ばに予約した時に「フリータイムで」と頼んだことは主張したが、バイトの男の子に、
「自分、入ったばかりで不慣れだったもので…」と謝られれば、
「ここで無理を言うと、あなたがかぶることになっちゃうんでしょうねー」と引き下がるしかない。
念のため今も「飲食物の持ち込みは可」なのと、持ち込みアルコールのグラスを借りれば水と氷は自由に使える、の2点を確認。(グラス1個21円。安いじゃん)

今回は長老の発案で「最初の1時間半は歌唱禁止の懇談タイム。宴会が済んでから、おもむろに5時間のカラオケを始める」ことになっているため、6時間半の料金を計算。
30分で200円×13の部屋料金が2600円、ワンドリンク700円として、足して税金かけて、優秀な会員の人が2割引アプリ持ってきてくれるから、えーと、2800円ちょっと。
許容範囲内じゃないか。

念のためひとつ隣の駅の同じチェーン店に確認すると、土日フリータイム廃止の波はまだそこまでは押し寄せていないようだった。
明日の9人の予約がいきなり取れるって、あんまりはやってないんだろうか。
「4時間保証」って言われてどういう意味か聞いたら、「混んできたら4時間経った時点で出なくてはならない。列の最後尾に並ぶ格好になり、延長とかは効かない」のだそうだ。
「よくあることですか?」と聞くと、明るく、「いえ~、めったにないですね~!」とのこと。

長老に「隣の駅前で飲み放題宴会できますが」とメールすると、すぐに、
「4時間で出される可能性があるのはイヤだ。今から会場を変えるのも混乱の元。酒類を持ち込むことにして、同じ店で決行」との指示が来た。
私より上の代の人には彼が連絡してくれてるので、私は自分の担当の2人にメッセンジャーで連絡。

あー、くたびれた。
これだけのことをせいうちくんと2人で相談しながらこなした後、なんだかものすごい雨が降っているので、車で買い物のついでに、塾にボランティアに行く彼を落としてきた。お迎えも行くよ。
私もデータもらってきて、さあ仕事だって思ったら、くたびれすぎて使い物にならなかった。
まあいい、期限は1週間なので、来週やろう。

19年6月16日

そんなすったもんだがあったカラオケ。
朝からタンドリーチキン焼いて鶏から揚げ作って野菜切って、タッパーに詰めまくる。
お酒は昨日買ってきた焼酎「黒霧島」とトリス・ウィスキーと安物の白ワイン。
紙皿と割り箸も持って、大荷物だ。

集合してみると、残念なことにいつもの大きなパーティールームではなく9人ギリギリの小さい部屋だった。
「うーむ、我々は、もはや『良からぬ客』として冷遇されているのか?」と疑問を持つも、「きっと大きな部屋には15人の宴会の予約が入ってるんだよ」とうなずきあう、基本、人のいいメンツ。
だがそのあと、トイレに行く全員が帰り道の廊下の突き当たりに見えるその部屋に「誰も入ってなかった」との報告をしていた。
結局、退出時まで空いてたぞ。

もちろん私の顔面は驚かれたが、憶測を呼ぶまでもなく「風呂場で転んだ」で納得された。
せいうちくんがDV夫であると思うような人はいない。
また、私が情緒不安定なのも皆さんよく知っている。
いささか情けなくなるほどに。

まあ、気を取り直して、まずは宴会。
メンツは9人。
A:長老的存在。会社をたたんで暇になってから、カラオケばかりしている。やもめ。
B:長老とほぼどっこいどっこいな歳なところが恐ろしい。大学勤務。バツイチ。
C:温厚な紳士だが、早期退職後はニコニコとオタク。未婚。
D:Aの元ビジネスパートナー。今は野良プログラマ。家はマンガで埋まっている。
E:Dの妻。オタクだが、腐女子ではないそうだ。
このへんまでがいわゆる「上の世代」
F:宴会には必ず参加して酔っ払って電車を盛大に乗り過ごす高等遊民。未婚。
G:カラオケをし新製品は好奇心旺盛に試し猫を飼う女性。夢は演歌歌手。未婚。
そして我々が年齢的にど真ん中にいるわけで。

ぎゅうぎゅう詰めに座ってテーブルを囲み、思い思いのワンドリンクをオーダーする。
年齢的には幅があって、私の4歳ぐらい上の人からせいうちくんのひとつ上まで、夫婦の年齢差が4歳だから、8歳ほどの年齢の幅でアラ還オタクが集まっていたということだ。
女性は3人。
G嬢がチェーン店全体で有効な割引アプリを持ってきてくれたので、20パーセント引きになった。
毎週土曜には一人カラオケをしているという彼女、来月はさらにランクアップして3割引になるそうなので、ぜひまたご一緒したい。

年金をもらい始めている人が2人もいた。
「我々ももらえるんだろうか」「親世代が」といったオトナな会話になりつつも、今期の深夜アニメの目玉は何か、とか、最近の特撮は、的な話も出る。

私に一番ウケたのは、「さらざんまい」という深夜アニメの話。
まず「すしざんまいですか?」と聞きたくなるのは人情というものだろう。
その実態は、「浅草橋や河童橋のあたりで、美少年三人組が夜な夜なカッパに変身して『尻子玉』を抜き合う話」らしい。
インパクトのある単語の出現に身を二つに折って笑い転げて呼吸もできなくなっている私の隣で、せいうちくんはきょとんとして、
「尻子玉、ってなんですか?キンタマのことですか?」と小学生のような天然ボケをかます。
苦しい息の下から、
「カッパが人間のお尻から抜くと言われてる玉のことだよ!」と説明すると、A氏が、
「アレは、前立腺がんじゃないかとにらんでいる!」とのたまう。
ますます爆笑で呼吸困難。

「きのう何食べた?」や「いだてん」の話も多少出た。
女性オタクらしくよしながふみを愛読するEさん。
G嬢は「いだてん」を積ん録しているらしい。それはいかん。早く見ないと四三さん出なくなっちゃうよ。

A氏とC氏はカラオケの前に連れ立って世田谷の「石ノ森章太郎展」を見に行っていたらしい。
C氏がキャラクターが描かれた美麗なチラシを見せてくれた。
「『馬がゆく!』はわかる。これは『009ノ1(ゼロゼロクノイチ)』だ、『ジュン』と『7P(セブン・ピー)』は区別がつけにくいなぁ。『龍神沼』もある!うーん、これは、わからん!」とせいうちくんと2人で大騒ぎ。
C氏は全部わかるのか、ニコニコしていた。

2時間ほど楽しく談笑し、お酒もだいぶ回ってきたところで、カラオケに突入。
今日は激しく留年歌が続いた。
まさかそうなるとは思っていなかったので「歌集」を用意してなかったが、A氏は大昔のガリ版刷りの「現物」を持ってきていて、若手のG嬢に見せてあげていた。
そしていつものようにF氏がハッキングして、データ化してある歌詞がカラオケ屋のモニタに映る。
彼は今回、さだまさしの「木根川橋」を替え歌にして用意していた。
厳密には留年歌ではないが、駒場生活をしみじみと歌い上げる、名作だった。
彼ほどの孤高の男でもこの歳になると「なんともはや 素敵だった 仲間たちに 乾杯!」ってなるのか。いやこれは、さだまさしのせいか。

山本正之の「絶唱!カラオケマン」に出てくる「ヒュアキントス」を「ナルシスの間違い」と言ったら、B氏が「水仙とヒュアキントスは同じもの」と反論してきたので、
「アポロンの投げた円盤が美少年ヒュアキントスに当たって死んだ時に流れた血から咲いたのがヒヤシンス。湖に映った自分に見とれてた美少年ナルシスが変身したのが水仙。美少年つながりで混同されている」と論破。
いちおう調べてきたんだが、このマチガイについての言及がネットに少なすぎるのが気になる。

お約束の「恋のコリーダ」を熱唱し、「愛する人は我が手中」と歌いながら隣のせいうちくんの肩に手を回す。
こういうことをするから我々夫婦は嫌がられるんだ。

せいうちくんが持ってきて水割りにしていたトリスをF氏が奪い取ってラッパ飲みするような、大暴れな状態で時間になった。
お会計して1人2800円。よかった、まあまあ安く上がった。
割引アプリありがとう、G嬢!

店を出たところで私は盛大に転んだ。
「べちゃっ」と音が立つ勢い。
せいうちくんに支えられてよたよた歩いてるうちに、何人かはお帰りのようで離脱した。
たぶん、残ってたのはA、D(奥さんのEさんは帰ったらしい)、F、我々の5人。
A氏の発案により、コンビニでお酒を仕入れて公園に行き、ベンチで二次会を始めた。

ちなみに、ここのコンビニで私がまとめ払いをしたようで、朝、覚えのない千円札がテーブルに置いてあったのでせいうちくんに「これ何?」と聞いたところ、自分の分を100円ぐらい多めに払って「カンパだ!」と言うA氏に、酔った私が「もっと出せ!」とスゴんだところ、千円札をくれたのだそう。せいうちくんが預かって、別にしておいてくれたらしい。
記憶がないのであわててメールで謝ったら、向こうもさっぱり覚えてないと言っていた。今度返そう。

池のほとりで酔っ払い5人、たいそう楽しく語り合った。
特にAD両氏はサークルに入った時の中心的先輩で、もう40年以上のつきあいになる。
(その頃まだせいうちくんは入部してなかった)
私が何を言ってもあまりぎょっとしたり怒ったりしない、寛大な人たちだ。
今日は帰っちゃったけど、D夫人Eさんもとても優しい先輩で、人間関係トラブルを引き起こしがちな私に親切に辛抱強く接してくれた。

2時間ほどでお開きになった時、F氏はいつものようにほぼ正気をなくしていたので、一番近い我が家に泊めてあげるべきかも、と誘おうとしたが、過労の極致に達している最近の私をおもんばかったせいうちくんに「はいはい、帰る帰る!」と手を引っ張られ、タクシーに押し込まれてしまった。
そのへん記憶があんまりないんだけど、まあとにかく家に帰ったら2人だった。
「楽しかったねぇ。古い友だちは、いいねぇ。誰とももめなくて、誰もイヤな気持ちにならなかった、いい宴会だった!」と風呂で叫んでいた覚えがあるが、いつもの宴会はそんなに危なっかしいのか、自分よ。

しかし案の定、夜半には反動で、「何か良くないことを言ったのではないか」とさめざめと泣き始めたので、
「くたびれたんだよ。名古屋行きからこっち、ずっと宴会続きだった。どう見たって疲れているのに、どうして自分ではわからないのかねぇ。先生も、『生物として、休んでください』って言ってたでしょ」と当分の宴会禁止を言い渡された。
こんなに疲れてるのに、眠れないんだよ。しくしく。

それにしてもなぁ、宴会の途中でA氏が「最近もマンガ描いてるヤツいる~?」って聞いてくれたのは、せいうちくんが秋に出そうとしてる同人誌の追い風になろうとしての発言だったろうに、なぜその場で「原稿募集中」とか言わなかったのか?と聞いた時のせいうちくんの答え。

「えっ、そうなの?そんな意味の発言だったの?全然思いつかなかった!」

この鈍感力あってこその、せいうちくんの生活力というか人間力。
細かいことは私が気づいたり思いついたりしてあげればいいか。
これがホントの凸凹コンビ。

19年6月17日

30回目の結婚記念日。
さっき調べて始めて知ったのは、「真珠婚式」だということ。
間のいいことに先日「年配の女性は持っておきたい黒真珠のネックレス&ピアスのセット(安物だが)」を買ってもらったので、この日を記念してのプレゼントということにしておこう。

結婚記念日は、

1年目 結婚式を挙げたホテルに泊まって、レストランでディナー。花束とシャンパンとプレゼント付き。
  ↓
2年目 おしゃれなフレンチレストランでディナー。プレゼントが少しプチになる。
  ↓
3年目 赤ちゃんがいて出かけられないので、朝からじっくり煮込んだビーフシチュー。赤ワインを開けるのが最後の抵抗。
  ↓
5年目 「カレーの王子さま」にデザートは子供が食べ残したゼリー。
  ↓
10年目 忘れる。

という順番で進化するものだと以前から仮説を立てていた。
今回、意外な事象が観察されたので、最新説を加えておく。

  ↓
30年目 夫が揚げてくれたアジフライにお湯割り焼酎。

昔は「アジフライはお惣菜屋さんで買う」派だった私だが、せいうちくんの揚げ物は美味しいんだよ。
温度管理の面倒くささを嘆いたり揚がり加減を苦にしたりしないうえ、揚げ油の始末もするっとこなす。
揚げ物が苦手な人間は、要するにこの3点が非常にイヤなんだけどなぁ。

式場でキャンドルサービスのラストに灯したメインキャンドルをもらったので、毎年律儀に刻み目の分だけ燃やしてるんだが、20年毎年刻みがあったのが、そのあと25年まで飛ぶ。
もっと許せないことには、その次はなんと50年まで大きめの空間(←今ココ)があいてるだけなんだ。
「そのあたりって、夫婦として絆を再確認して頑張らなきゃいけない大切な時期なのに!」とせいうちくんはここ10年ぐらいずっと機嫌が悪い。
今年も、まだ遠い「50」の目盛りをみてぷんすか怒ってた。
ではここでお約束のダジャレ、「目盛りあるキャンドル」

息子に、
「30回目の結婚記念日だよー」とメッセージを打ったら、
「おめでとう!長いねー」と返事が。
たいていの結婚生活は子供たちの年齢よりも年数が多い、という事実をあらためてかみしめている。
本当にいろいろ、せいうちくんに感謝する気分。
向こうは向こうで、「具合が悪いのに頑張って2人も産んでくれて…」みたいな気分でいるらしい。
いやぁ、産みっぱなしで、ほとんど全部育ててもらっちゃったよ。

平成元年結婚の我々、「平成30年間、どうもありがとう。令和も30年、よろしくね」と言ってみたものの、よく考えたら、令和は30年も続かない可能性高し。
いずれにせよ、生きてる限り仲良くやります。
この30年、ずっと温かく見守ってくださった皆さん、これからもよろしくお願いします。

19年6月18日

今日の病院はハードルが高かった。
なにしろ、薬を飲みすぎて風呂場で転んだとか自傷したとか、いろいろ告白しなきゃならんのだ。
前に救急車で運ばれてひと晩泊まってきたあと、
「今度こういうことをしたら僕は手を引きますからね!」って厳しく叱られた。
もう診ないと言われたらどうしよう。

診察室に入るなり、顔面の派手な痣と腕の包帯や絆創膏を見て、「どうしました!」と驚いていた先生だが、
「事故、プラス自傷です。自殺企図ではありません」と説明し、前に怒られた件を話すと、どうも前言をすっかり忘れているようだ。よかった。
(カルテをめくって前の方を見て、「そんなこと言ったかなー」ってつぶやいたの、聞き逃さなかったよ!)

まあ、治療中断とかいう話にはならなかったので、せいうちくんから託された「先生の言葉の解釈」を読んでもらう。

    1.うさこは精神の病で大変苦しんでいる。(そのことは疑いない。)
    2.うさこは長年以前の主治医とも面談を重ね、ある理解にたどり着いているが、それでもなお苦しみが癒えないとすると、恐らく言語化できないような何かが作用しているのではないかと考えている。
    3.あるいは小さな頃に死を選んでしまったかもしれないような虐待を受けた人が偶々生き残って50代になり、過去を振り返ったとして、小さな頃の虐待を言語で再現できるかというと、そうとは限らないのではないかと思う。遺伝子レベルでの影響もあるかもしれない。よって、言語化できないものがあることは充分想定できる。
    4.主治医として、当然それが何なのか解明したいと思うのが性分であるが、そう容易には判らないことが主治医の苦しみでもある。
    5.何かの拍子に解明できることもあるかもしれないし、0.01%の確率であっても、繰り返しているうちに何かに到達できることもあろう。あなたのその苦しみを何とかするため、治療にあたっていく。
    6.いずれにしても、疲れたら休むことが生物として必要なことなので、それに支障がある気持ちには負けず休んで欲しい。
(もし誤解があったら、具体的に修正して、うさこが「先生は苦しくないと言った」というような誤解に陥らないように、たびたび参照するものとしたい。)

先生は、たいそう感銘を受けたようで、読み終わるなり、
「素晴らしい!完璧だ!」と叫んだ。
 「私は、『病気とも、虐待が原因とも言えない』って言われたと思ったんですが」と付け加えると、驚いたように、
「そんなことは言ってませんよ!ご主人の解釈が正しいです。よくわかってますよ!」と言っていた。

そこからあらためて、家族図を元に、母の生育歴や父と結婚したいきさつなどを詳しく聞いてくれた。
前にもひととおり聞かれたけど、相談者全員が定着するわけじゃないから、最初はあらましを聞いておいて何かのきっかけで本腰入れるって感じだ。

「お母さんも、病院にかかってたことはないのかなぁ」と聞かれ、
「それは、自分が40代ぐらいの時に父に聞いてみたんです。そしたら、『身体は悪くて通院してたけど、心療内科とか、そういうことはない』って言ってました」と答えた。
「お母さんとあなたの関係について、お父さんがどう思ってるのか、聞いてみたことはないの?」
「はい、ないです。父親ってのはそういう話をする相手じゃないと思ってました。家のことには関心がないタイプでしたし。だから、父が亡くなった時に親しいおばさんから『パパは、うさこちゃんのこと、心配してたのよ。ママとお姉ちゃんがくっついちゃってるから、あの子がはじき出されてて、かわいそうだ、って言ってたのよ』って聞かされた時は、腹が立ちましたね。『わかってたんだったら、言えよー!』って」

姉についても、
「何歳違いなの?2歳かー。あなたが生まれた時、お姉さんはどんな反応だったんだろう?」
これは、母から聞いていたので答えられた。
「緘黙症になって、当時は2年保育が普通だった幼稚園に1年早く行かせて3年保育にしたそうです」
「緘黙症!赤ちゃん返りとかはよくあるけど、それはもう、ノイローゼだよ。じゃあ、お母さんとお姉さんの関係は特殊だったんだね」

次の診察では、姉の人生について語ることになりそうだ。
好きでも嫌いでもない、まったく趣味の合わない相手。
でももちろんやっかみはたっぷりあって、良く思いようがない。
つくづく、親は同胞(きょうだい)を分断してはいけない。
親の側にも好き嫌いはあろうけど、片方だけが正しかったり優れていると持ち上げて、上下関係を作ってはいけない。
ただでさえ、年齢という上下関係が自然にできてしまうんだから。

19年6月20日

今日は東京オリンピック観戦チケット抽選発表日であるらしく、警察や事務局から注意のメールが回っている模様。
「抽選結果発表をかたった偽メールに気をつけて!」とのこと。
URLが書いてあるのは偽物で、そんなものをクリックしてはいけないのだそうだ。

それ以外にも、
「当選しました!至急下記の電話番号に連絡ください」
「チケット代金が確認できませんので、以下の口座に至急お振り込みください」
「チケット無料当選!チケット代金を還付します」などなど、いろんな詐欺メールが来る恐れあり。

申し込んでないから心配ないけど、いきなり「ランダムなご招待券が当たりました!」とか言われたら、浮き足立つのかな。
開会式と閉会式両方当たってしまったなんて運のいい人も存在するようで、ただ、A席2人分で100万円以上するらしい。
日本でやるのに、国民が見に行くのにそんなに払わなきゃいけないのかぁ。
テレビで見よう、テレビで。

今週は仕事でユウウツ、と思っていたら、思いのほかスムーズに終わった。
ひと月に20時間以内でおさめてもらいたい、と言われた仕事に3月は30時間かかっていたものが、ついに20時間でできるようになった。進歩している。
ただ、まことに残念ながら新しいシステム導入により、私の作業はなくなってしまうと思われる。
先方は代わりの仕事を探してくれるつもりのようだが、予想より健康状態が悪く、やはり無理はできない気がする。
たった今は、新しいことを始める気力もない。
8月まで今の仕事をして、またプータロー主婦に戻るかも。

と言いながら、明日の夜はせいうちくんと池袋まで遠出をして落語鑑賞なので、疲れが溜まらないように早めの日記更新をしよう。
実のところ、PCに向かって座っているだけでもかなり疲れる。
なんでカラオケはできるのかなぁ。こういうのを、「新型うつ」って言うのかなぁ。

19年6月22日

昨日の夜、落語を聴きに行った。
「瀧川鯉昇・柳家喬太郎 二人会『古典こもり 其の十四』」
前座さんの「牛ほめ」から始まって「親子酒」「茶の湯」「鰻屋」「縁切り榎木」てんこもりだった(「こ・てんこもり」だったとは!)

神田松之丞さんを聴きに行った時に出てた鯉昇さんを大好きになって、前から好きだった喬太郎さんとの二人会だというので頑張って抽選申し込んだら、当たったっぽい。
実のところどのくらいの倍率なのかは、初めての申し込みだからわからない。

鯉昇さんは四方山話に、
「松之丞人気で、落語にも人生訓を求めてくるお客が増えちゃった。演芸場で大真面目に聴いて、あとで『で、与太郎は何になったんですか?』とか聞いてくる。講釈師の話と違って、落語の登場人物は何にもなりませんよ。そんな立派な人間は1人も出てきません!」と言っていた。
そして「鰻屋」をすごい勢いでサゲたので、次に高座に上がった喬太郎さんが噺の途中で突然、
「あんな鰻屋は初めてだよ~」とぼやいてた。
喬太郎さんが「異端」なら、鯉昇さんは「破壊者」かも。斬新だ。

あまり遠出をしないので、珍しく池袋まで来たならばと、よしながふみが「愛がなくても喰っていけます」で紹介している「中国茶館」で120分食べ放題点心バイキング(オーダーは90分)。
ずっと行ってみたかったお店だった。
中華料理店の多い界隈で、道に迷ってしまったよ。
入り口の札が「営餃中」になってる。おう、餃子食べさせてくれい。

ピータンと冷製クラゲから始めて、季節の青菜炒め、エビとニラの焼き饅頭、老酒鶏、ゆで餃子、小籠包、揚げナスの辛みソース、牛すね肉煮込み、イカとセロリ炒め、エビチリ、デザートは烏龍ゼリーとマンゴーアイス。〆て十三品。
飲み物は別料金ね。紹興酒を飲んで、食後にジャスミン茶を頼んだ。

「烏龍ゼリー」はよしながふみが書いていたとおり、「ゼリー部分は甘くない。このミルクんとこがうまいんですよねー」だった。
常識派のせいうちくんは、
「また何やら得体の知れないものを食べたがって…」と腰が引けていたようだが、食べてみたら、
「コーヒーゼリーよりずっとさっぱりしていて美味しい。ミルク部分はなんだろう。コンデンスミルクにココナッツミルク?烏龍茶を濃く淹れて、家でも作れないかねぇ」と熱心になっていた。
前言をすぐ翻す男。「君子豹変す」なので、意外と大物かも。

「予約は4人からしか受けていないが、席が空いていれば2人でもバイキング大丈夫です」と電話で教えてくれた時から親切そうないい店だったし、実際、雰囲気のいいところ。
よしながふみのマンガのイメージ通り。
「急須にばしゃーっとお茶をかけて手早く淹れてくれるおばちゃん」はいなかった(夜だから?)が、若いにーちゃんが上手にやってくれた。
小さな湯飲みと急須で、本当に手早い。
ああいうのも研修を受けるんだろうか、とか考えた。
次に行く機会があったら、動画を撮らせてもらいたい。

食べ放題料金2500円が、7月1日からは2700円に上がるとのことで、トイレの張り紙でまで申し訳ないとお詫びされてたが、20年値上げがない方が立派。
我々は歳でそんなに食べられないうえ早食いだから1時間ほどで終わったけど、もっと食べても同じ値段だと思うと、ものすごくお得なのではないだろうか。
ディープ中華な雰囲気で美味しくて従業員さんも感じよく、アタリだった。
(2人とも夜中に「あの時、もう2皿ぐらい食べるべきだった!」と叫んでた。バイキングあるある)

「チケット取るところから頑張って、よしながふみのお店も調べてくれてありがとう!」とせいうちくんがとっても喜んでくれた。
いいデートを演出するのも日中ヒマな主婦の仕事と心得る。
世慣れた夫がエスコートしてくれて、なお良し。
いい夜だった!

19年6月23日

古いノートが発見された。(PCではない。ただの紙のノート)
せいうちくんが書いた、息子が生まれる頃の記録だった。
最初は、妊娠中で不安定な私に彼が何を考えてるかを伝えるために書いていたようで、次第に出産の検診に付き合ってくれた時のメモ(妊婦体操や呼吸法の絵も)や生活雑感に。
娘のために取得した1年の介護休暇に入る頃には、通う予定の施設との打ち合わせや関連役所との連絡など、事務的な手続きの話もいっぱい。
社会保険労務士の資格が取れないかなどとも考えていたようだ。

もう名前を聞いても誰だかわからなくなってるような人の連絡先が膨大に書いてあって、当時の我が家がどれほど多くの人のネットワークに支えられていたか、せいうちくんがあらゆる関係各所といかに連絡を取り合ってくれていたかがよくわかる。

陣痛の時の様子、お産のあと一緒に泊まり込み入院をしてくれてた間の記録、1ヶ月検診で大出血して緊急入院になった時の顛末など、かなり克明に記録されてる。
さすがの記録魔の私もそこまでは手が回らなかったので、助かるなぁ。

妊娠中、母や姉が「今度は元気な子が生まれる」との期待で妙にすり寄ってきていたこと、それでも5ヶ月先に生まれていた姉の息子の話ばかりされて私がつまらない思いをしていたことなどを、横でよく見ていてくれたのがわかる。
はみ出し者の娘でも、妊娠すると「名誉市民」になるようだ。
「これであなたもまっとうな社会に入ってくる」との期待だろうか。
せいうちくんの実家も、娘の時にあれほど突き放したことを忘れちゃったように熱心になってて、
「結局、25年以上経ってもな~んにも変わってないね~!変化は、私の両親がもういないことだけ。我々は進歩がない!」と笑ってしまった。

せいうちくんはあまり日記などを書かないタチで、始めてもすぐ終わってしまういわゆる「三日坊主」なため、途切れながらとは言え半年以上にわたる日記はたいそうめずらしい。
まだ我が家がHPを立ち上げる前だし、主たる書き手の私は寝込んだり臨月まで続くつわりでトイレにこもってたりしたため、あまりまとまった記録が残っていない我が家の「無文字文化時代」と思われていた時期。
大量の記録の発見は、今後の歴史書に大きな影響を与えるものと思われる。

19年6月24日

通院日。
母親と姉と自分の関係を話していて出てきたのが、
「どうしてもお姉ちゃんにきょうだいを作ってあげたくてあなたを産んだ」と言われたこと。
先生は「あちゃー」というような奇声を発していた。
「なるほど、そういうパタンですか」的な声かしらん。

昔は「身体が弱くて一人目も危険だと言われていた母が、命がけで私を産んでくれた」と感動していたんだが、いつからか、よく考えたらそんなことはひとつも言われていない、と思うようになった。
自分自身子供を、特に2人目を産んでからか。
少なくとも私に言うのは失礼な話。

明日の株主総会に備えて、せいうちくんは前泊。
普段2人で泊まるアパホテルの3倍ぐらい広い部屋の写真を送ってくれた。
総会前なのでお泊まりだ、と友人に言ったら、「ビックリポン!」と驚かれた。
珍しいのか。
せいうちくんはわりと普通のことだと言っていた。特に震災以後は。
「だって、電車が止まったら困るからね」と説明されている。
電車が止まったら株主だって来られないだろうに、と思うんだが、たとえ誰も来なくても「とにかくやっちゃう」のが目的らしい。
入社以来ほぼずっと総会係でテンパっている彼だが、その中にも様々な歴史の流れがあるものだ。

寂しいなぁ。
久々の自由な夜を、どう過ごそうか。
とりあえず映画でも観てみよう、とタブレットで「ミッション・インポッシブル」をもう1度。
本当は「X-MEN」が観たかったんだが、アマプラで前はプレミアム会員無料だったのが、今は全作有料。新作が封切られるからだね。
うーん、世知辛い。
「ミッション・インポッシブル」の最新作「フォールアウト」はもうプライム無料になってるから、シリーズ全部タダなんだ。

しかし、「1」から綺麗に忘れている…さすがにあの人が本当に悪い人なのだけは覚えていたが、ジャン・レノが出ていたとは。

観てる、と電話でせいうちくんに言ったら、「ああ、エマニュエル・ベアール」って、なんでそんなに物覚えがいいんだ!
30分ほど話しておやすみなさい。
明日は頑張ってね。
縁の下の力持ちは大変だ。
今夜はせいうちくんのダブルベッドで寝よう。
独り寝は、寂しいけど広くて快適。でもやっぱり寂しいが勝る。

19年6月26日

とても心が弱くなっている。
久しぶりに晩ごはんを作ったら、疲れて汗だくになってやたらに不安になってきて、せいうちくんが帰ってきたとたん安堵のあまり泣き出してしまった。
「みんな何かしらしていて大変なのに、自分だけこんなに何もできなくてどうしよう」と、
「エアコンやガスのない時代だったらどうやって暮らしていたのか、また将来それらが失われたらどうやって暮らすのか」の心配が主訴。

せいうちくんは慣れたものとは言え、なんでそんなことが気にかかるのかわからないようだ。
「人それぞれだし、何もできなくないし」
「今あるんだから、いいじゃない。なければないで、なんとかしていくよ」と慰めてくれた。
「今日も疲れたなぁ」と言いながら、
「あ、でも、僕が疲れたからってキミが疲れちゃいけないって意味じゃないからね。僕が気軽に疲れたって言えて、キミもそれとは関係なく疲れたって言えて、お互いに相手がいるから疲れが癒やされる、ってのが一番だよ」と補足。
私の気に病むポイントがわかってる。

つらい今が、ずっと続くような気がしちゃうんだよね。
昨日は幸せだったとか、こないだは楽しかったとか、そういう記憶がきれいさっぱり消えてしまう。
生まれてこの方ずっとこの泥沼にいるような気になって、今後も未来永劫沈んだままだと思える。
実際には日々それなりに楽しいこともあって、そもそもせいうちくんが毎日帰ってきてくれて、現実的には何の不自由もない生活が続いている。
こんなに恵まれた生活を送っている人間はいない、と思える瞬間がたくさんある。

それもまた極端だ、と諫められた。
「それぞれの人に、それぞれの幸せも不幸もある。キミはもっとキミの不幸にも幸せにもきちんと向き合った方がいい。つらいけど、立派に生きてる。僕はそんなキミを尊敬しているよ」

こんなに優しくしてくれる人は、妻を精神的に思い通りにしようとするモラハラ夫なのではないかと疑うこともあるが、せいうちくんは私を彼の下に置いたり型にはめようとしてるわけじゃないからなぁ。
彼の言葉を信じるなら、あるがままの私が好きで、どうしてもっと「あるがまま」でいないのか、と案じているようだ。
自然体ができたら、人間、もうアガリだよ。完成されてる。そんなわけにいくもんか。
悩んで悩んで、やっとこのスタイルを保っているんだから。
問題は、悩んでいることがストレスになって寝込んでいるわけで、それでごはん作れなくなってたら、本末転倒だよね。
「ごはんなんて僕が作るからいいけど、悩んでるのがかわいそう」
ああ、またそんなに優しくするっ!

19年6月27日

ずっと髪を伸ばしてきたけど、暑い夏の到来に、根負けした。
肩につくほどになってきて、首筋に汗が溜まる。
そもそも、伸ばしたからっていいことはあまりない。
挙措が妙に女性っぽくなるのもイヤだ。
いくらせいうちくんに、
「バス停で待ってるキミが、僕に気づいてワイヤレスのイヤホンを耳から外す時、髪をかき上げるような仕草にドキドキする」なんて言われても、この夏はいっぺん仕切り直し。
今朝は、
「長いのも見納めかぁ…」ってちょっと未練がましい顔をされた。

美容院では、いつもの担当のにーちゃんになかなか好みの髪型が伝わらない。
「短くしちゃってください。段カットかなぁ」と言う私の頭の中にある絵と、彼が思う「グラデーション・ボブ」っぽい絵の間で侃々諤々。
最後に彼が、「つまり、ウルフですか?」と言った。
「それです!ウルフカット。古すぎて、言ってもわからないと思ってました」
「今、また流行ってるんですよ。なるほど、ウルフっぽく、ですか」

息子と同い年のこのおにーさんはとても腕が良く、彼が切った後はまとまりがよくてブローのヘタな私でもなんとかカタチになるもんだから、せいうちくんは「ずっとこの美容師さんに切ってもらって」と言い続けている。
しかし、私の基準からすると、美意識が高すぎる。
髪の毛なんかいーかげんでいい、と思うおばさんの気持ちをわかってほしい。

ヘアカタログの髪型を見ると、いかにもセットしたてって感じで、自分でやれる髪型と違いすぎるからイメージがわかない、と訴えてみた。
「もっと、ブローがうまくいかなくてちょっとボサボサ気味、みたいな写真ばっかりのヘアカタログってどうでしょう?」
「そんなの、売れませんよ」と返事はつれない。
「毎日のお惣菜、とかのレシピ本は売れるじゃないですか。ちょっとコンビニに行くだけだからブラシでなでつけてみた、みたいなヘアスタイルのカタログ」
「売れないですよ…」
この人、私が化粧は一切しないし風呂上がりも何にもつけないって言ったら、
「それは…ちょっとスゴイですね」って言ってたからなぁ。
髪は伸びるから美容院に来るけど、それほどどうにかしたいわけじゃない女性もいるのよ。

出来上がりは、思ってたよりボブっぽい。
私が高校生の頃流行っていたウルフカットは、襟足のへんにたてがみみたいに長く髪がかかってて、そこはそれほど長くなくていいとは言ったが、やはり脳内図のイメージは伝えられない。
頭の中の「河あきら」のキャラクターを見せたい。

でも、このあと「夫と待ち合わせてごはんです」と言ったから、
「ストレートアイロンでちょっとハネをつけておきましょうね。オイルもつけておきます」ってていねいにスタイル作ってくれて、いやぁ、甲斐のないお客で申し訳ない。
今日は今から、喜んでくれる人に会うからね。帰って寝るだけじゃないからね。

駅でせいうちくんと待ち合わせ。
LINEで「今、新宿」って言うんで、
「カフェで待つほどの時間じゃないし、立って待ってたらくたびれるし」と美容院の椅子で少し時間調整させてもらった。
近くまで来たとの連絡を受けて、店を出る。
LINEがない頃、人々はどうやって待ち合わせしてたんだろうね。

会うなり、「可愛いねー!」とせいうちくん大喜び。
雨が降り始めたので、持ってきた傘が役に立ち、相合傘であちこち回る。
次の人が待ってるから督促が来ちゃった本を図書館に返したり、急に気になった京極夏彦をブックオフで集めたり、換気扇のフィルターを探したり、来月結婚式に呼ばれてるからご祝儀袋を買ったり。
ちなみに、ご祝儀袋を買うのは大好きだ。あんなに綺麗で華やかなものが並んでるのを見ると嬉しくなる。
出費は痛いんだけど、新しい船出を応援するのはとても気分が晴れやか。

「やっぱり街に出るといいね。日常の用事も趣味の用事も稀な用事も全部片づく!」と喜びながら、昔よく行った天丼屋さんに。
1階の店舗が天ぷら屋さん始めたから、天ぷら定食食べるんだ。それなら糖質制限中でもなんとかなる。
いちおうごはんももらって少し食べたけど、次からはごはん抜きにしてもらおうかな。
10席ほどのカウンタの目の前で次々揚げて、目の前の小さな油切り網の上に乗せてくれる。
半熟卵、ししとう、なす、かぼちゃ、イカのかき揚げ、しそを巻いた鶏肉、海老、ホウボウの天ぷらが出て、この雰囲気で、お味噌汁つけて千円ちょっとは安い。

最後に古本屋に寄って、大収穫。
こないだ息子が寝袋ひとつ持って行っちゃったから、夏の山小屋合宿に備えてドンキホーテでひとつ買い足して、ほくほくとバスに乗ったところで気づいた。
「傘!」
どこかに置き忘れて来てた。
雨が止んでいたので油断した。ここまでほぼ完璧だったのに!

「画竜点睛を欠く、はちょっと違う。九仞の功を一簣に虧く、が正解か」とかつぶやきながら帰る。
これでバスを降りると土砂降りだったりしたらもう泣くしかないんだが、それはなんとかまぬがれた。
家に着くやいなや、怪しいポイント第一号の古本屋に電話。レシートがあってよかった。
これがダメなら疑惑第二号はドンキホーテだ。

しかし、古本屋であっけなく見つかった。嬉しい。
「赤っぽい傘ですよね?」
「はい、オレンジがかった、やたらに骨の多いヤツです」
「はいはい」
そこまでは忘れずしっかり持っていたのに、ひさうちみちおを大量に発見した喜びで我を忘れたらしい。
明日、会社帰りにせいうちくんが拾ってきてくれるそうなので、保管をお願いする。

まあ、楽しい夜だった。
どうせせいうちくんは帰り道なんだから、私が外出できさえすれば毎日でもできることなんだよなぁ。
いつかもうちょっとへんぴな駅でも徒歩圏に住むことができたら、毎日お迎えに行って買い物したりしたいものだ。
バス停じゃあ、周りに何にもないもんね。コンビニがあるだけ、いいか。

19年6月28日

顔の内出血はひいて青あざがほとんど目立たなくなったが、右目の下に血腫ができたのか、ぽこんとこぶのような状態が残ってしまった。
「たんこぶだから、そのうち消えるだろう」と思ってたんだけど、どうも気になる。
レントゲンを撮ってもらった整形外科にもう一度行ってみようか。
しかし、「首から上は耳鼻咽喉科の領域」って言ってたなぁ。
ネットで調べると、鼻筋でない顔面は眼科だったり形成外科だったりするようなんだよね。

自治体の健康相談に電話してみた。
親切に話を聞いてくれて、差し迫った痛みやしびれがないことを確認した上で、
「視力に異常があるなら眼科、それがなければ、血腫なら皮膚科さんかしらん。いずれにしても、かかりつけがあれば、受診してみた方がいい」とのこと。
ちょうど手術跡のケロイドに注射打ってもらいに皮膚科に行く頃合いだから、ついでに診てもらおう。

診察室に入った私の顔を見るなり、女医さんは「どしたの~!」とびっくりしてた。
「お風呂場で転んで、顔をぶつけました」と、整形外科でレントゲンを撮ってもらって骨に異常はないこと、もう痛くはないことを語ると、頬に触ってみて、
「堅くなっちゃってるわね。やわらかいうちだったら形成で引くんだけど…」
私「ドレーンですか」
女医「そう。痛みがないなら、お風呂でもんだりしてみて。ぷよぷよしてきたら、引けるかも」
私「このへんで形成って言うと、どこになりますか?」
女医「ここよ!」

そうか、ここは皮膚科なだけじゃなくて形成外科でもあったのか。
女医「整形外科行ったんなら、こっちにも来てくれたらよかったのに」
私「首から上は耳鼻科、って言われたので」
女医「お隣さんなんだから、うちに行くように言ってくれればいいのになぁ」
私「形成もやってるって、知らなかったんじゃないですか?」
女医「そんなの、知ってるわよぉ」
まあそうか。実は私は知りませんでした。

当面、心配はないそうなので、ひと月後にケロイドの注射しに来た時に血腫がやわらかくなってるようだったら抜いてもらう、ということで決着。
ベッドで胸の傷に注射しながら、
「それにしても、顔腫らして、DVみたいねー」と気軽な調子で言う。
せいうちくんのアトピーも診てるから、前はよく一緒に診察受けに来てたんだよね。

私「先生にDVじゃないかって思われるのを心配してましたよ。『僕はやってません』って言っといてくれって」
女医「思わないわよ」
と、年かさの看護師さんが会話に参加。
看護師「やってるダンナさんはね、1人でなんか来させないの。ぴったりついてくるわよ。言いつけられちゃ困るから」
女医「そうそう。監視しに来る」
看護師「また、そういう人に限って優しく見えるのよね」
私「それだとますますうちの夫はまずいです。私の病院によくついてくるし、優しいし」
(女医さんと看護師さん、笑い転げる)
女医「せいうちさんは大丈夫よ、見てればわかるわよ」

この分だと、ある日せいうちくんが突然DV夫に変貌しても、誰も私を助けてくれないだろうなぁ…
DVと浮気は彼の能力を超えてると思うんだが、人はわからないもんだからなぁ。

いつもはクールな女医さんが、今日はなんだか親切だった。
2年間続く傷の痛みを訴えても、
「しょうがないわよ、ケロイド体質だから。胸は、両側に引っ張られちゃうのよね。巨乳だからじゃない?」とおっぱい突っつかれたのを根に持って、せいうちくんに言いつけた結果、我が家では、

「実はせいうちくんのことが好きで、妻が目障り。しかも貧乳を気に病んでいて、さして巨乳でない私に腹をたてている」(いや、女医さんもけっこうあるんですよ、胸は)

というストーリーにされていることを、決して悟られてはならない。
「塗り薬に唐辛子を混入されちゃうかも」とまた笑い話のタネ。
今日優しかったのは、「ロクでもないDV男に引っかかって気の毒。やめといてよかった~」と思ってるから、ってことにしておこう。
外で会う人でいちいちお話を作って遊ぶのは、悪い癖だ。

19年6月30日

新宿で息子のインプロライブ。
マンガクラブの先輩や友人3人がつきあってくれた。
すごく面白かった。
インプロには限りない可能性を感じる。

「連歌をしながらやるバレーボールという新競技」のコントが出来上がったのは素晴らしく、とても即興とは思えないほどなのだが、息子よ、大きな声で「れんか」「れんか」言うな。「れんが」って読むんだ。
あと、「はるはあけぼの」は和歌じゃないから。随筆だから。清少納言、知らない?

人の言い間違えや読み間違えは容赦なく指摘することにしている。
自分も、間違えて覚えていたら直してもらいたい。
親しい人に言ってもらう方が、よそで恥をかくよりマシだと思う。
腹の中で笑ってても言ってはくれない他人は多いものなんだ。向こうもどうしていいかわからないかもだし。
せいうちくんとの間ではこれを「鼻毛ルール」と呼んでいる。

だがなぁ、今度息子と会って感想を求められた時に、言えるかなぁ。
満座の中で間違ったことを言ってしまったと知ったら恥ずかしいだろうし、せっかくいいステージだったのに、つまらないケチをつけてる気もする。
1年ぐらい経ってから言うか。
彼がその間に「連歌」を「れんか」と連呼することもまああるまい。

終演後、友人たちと軽く飲んだ。
西武新宿駅近くのうるさくてタバコの煙がたちこめる居酒屋は、信じられないほど安かった。
焼き鳥を少し食べただけとは言え、全員ビールや酎ハイを3,4杯は飲んだのに、1人1200円ぐらいだった!

友人の1人には、息子が仕事を辞めて家でぐでぐでしてる時期、すごく精神的に助けてもらった我々。
「家を出てもらいたい。しかし、収入もないし、今1人で暮らして行けるのか心配」とアンビバレントな気持ちで悶々としていたが、彼は、
「息子くんは、出るべきだよ。オレもちょっと彼と話をしてみるよ」と言って、本当に食事に誘って相談に乗ってやってくれたのだ。

物心ついた時から親しくしてるおじさんで、親の友だちと言うより自分の友だちと勘違いしてゲームの話などを共有してきた人に話を聞いてもらって、ずいぶん落ち着いたようだった。
「独り暮らしをする」ことも強く勧められ、「オレもそう思ってたんスよ!」と前向きになれたと思う。
親と子ってのは、煮詰まりやすい関係なんだ。

先日ブックオフで立ち読みした本に、
「子供が育つのには、親2人の愛情だけでは足りない。20人分ぐらいいる」と書いてあって、深々とうなずいた。
愛情もだが、関係性は本当にたくさん必要。
親だって不完全な1人の人間に過ぎないわけだから。
もちろん子供のために盾とも壁ともなるが、そういう人は多ければ多いほどいいだろう。

そんなおじさんおばさんたちに見守られ、息子は元気に羽ばたいて行った。
「なりたくないし、ならない」と頑なになっていたが、私は「空の巣症候群」に陥っていたのかも。
それほど大切なものがあることを、それほど大切なものを失ってしまったのかという思いを、認めたくなかった。
でも、幸せとかは、1人で抱え込んでいるよりも他と分け合った方がより大きくなるからね。
皆のおかげで元気に育った子供を社会にお返しして、彼の人生を歩いてもらおう。

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