19年8月1日

あさってのための荷造りを進めようと、遅く帰ってきたせいうちくんまで「いちおう背広も」とか言って選び始めたらいつの間にか衣替えをしていた。
そんな混乱のさなか、息子から電話がかかってきた。とてもめずらしく家電が鳴るよ。

「家の近くの駅で海人たちと飲むんだ。遅くなるから、泊まってっていいかなぁ」
普段こういういきなりな話は断りたくてしょうがないんだが、「海人くん」というのは高校時代とても仲の良かった同期で、「たち」と言うからには他にもいて、我々の知ってる子である可能性が高い。
高校時代の友達と「まだ」というか「もう」(まあ私の歳になると昔のつきあいが復活しまくるのもわかるんだが)というか連絡取る関係が続いてるのか~と思ったら一気に嬉しくなって、後先考えずにOKしてしまった。

せいうちくんを幹事に年に2回、保育園時代からのママ友達と集まって飲んでおり、今回はメンバーの息子さんが「オレらも一緒に会いたい」と進言してきたそうだ。
実現すれば保育園時代からの幼なじみとその母たち(父も1人)4組ほどが集まる。
息子も、コントの練習で忙しいみたいだけど都合をつけて途中までだけでも参加したいと言っている。
彼の人生は全部連続していていいなぁ。
振り返りたくない過去も会いたくない人も考えずにいられるって、けっこうぜいたくで幸せなことだよ。

12時過ぎに、コンビニ袋を提げてやってきたので、「晩ごはん、買ってきたの?」と聞くと、
「いや、ゴミ」。
公園飲みをしたらしい。
若い人らしくてよろしい。実は母さんも3ヶ月ぐらい前にやった。

選挙のこと、京アニのこと、今の日本がどうなろうとしているか、いろんなことを話した。
彼が、エンターティナーの目で世の中を見るようになってきてるのを感じた。
せいうちくんはサラリーマンの目で、私は主婦の目でしか見られないが、彼もまた自分の視点を持つようになっていた。
昔は制限があると不自由になるんだと思ってたが、制約のない無制限の自由や立場なんてあり得ないし、自分の依って立つところがあって初めて問題に正面から立ち向かえると思う。
いいぞいいぞ。

19年8月2日

息子は朝、せいうちくんが作ってあげた「そうめん」と残り物の味噌汁を食べて、一緒に出勤して行った。
起こすのもそれほど大変じゃなかったのと、本当に朝の7時半頃「会社」に行くことに驚いたよ。
勤め人であることがすべてではないにしろ、若い人がきちんきちんと働くのはすがすがしい眺めだ。

と言いつつ、10月頃にはまたアメリカにコント修行に行きたい、仕事は遠隔でやらせてくれるよう頼んではいるが前例がないのでどうなるかわからない、お金はまあなんとかなるだろう、と言い出している。
不安は不安だが、もう手を離れちゃってるし、去年行った結果は大変良かったんで、反対もできまい。

途中まで一緒にバスや電車に乗ったせいうちくんによると、息子はたいそうさわやかで、「昔の彼が嘘のよう」だったって。反抗期も不調の時期も、去ってくれたか。
昨日は楽しかった、母さんの体調が心配だ、仲間のコントライブに行ったが面白かった、9月に次のライブを計画しているなどと親密に話していたらしい。
いいなぁ、息子と出勤。
帰ってきたらもっとくわしく聞こうっと。

さてさて明日から「お船」だ。
15時頃乗船なので、横浜でゆっくりごはんを食べたり遊んだりしよう。
どでかいトランクは「大型のコインロッカーがありそう」とせいうちくんが調べてくれた。大丈夫。
日よけとして野球帽しか持ってない彼に、そごうかどっかでパナマ帽みたいなのを買ってあげたいと野望を燃やしている。
「メアリー・ポピンズ」のバートみたいな人と、バカンスだよ!

19年8月9日

というわけで1週間の国内クルーズに行ってきた。
先週の土曜日に横浜に行って食事をしたうえで午後3時半「飛鳥Ⅱ」に乗船し、初めての豪華客船に目を白黒。

8月3日(土)横浜出港
  4日(日)終日クルージング
  5日(月)秋田県船川入港
       秋田県秋田市入港 竿燈祭り
  6日(火)青森停泊 ねぶた祭り観覧
  7日(水)夕刻離岸 船上よりねぶた海上運行と花火観覧
  8日(木)終日クルージング
  9日(金)横浜入港

と、国内とは言えまあ絵に描いたような船旅をしてきたわけ。
もちろん大変に贅沢な旅行だ。
まあ今年は結婚30周年だし私は還暦を迎えるし、いろいろなお祝いを全部コミコミでやろうって計画。

「オール・インクルーシブ」つまり食事も映画もショーもすべて料金に含まれるため、1年半にわたる糖質制限もなんのその、食べなくては損だとばかりにフルーツもケーキもスナックも食べまくった。
何しろ朝のコーヒーから始まって、朝食昼食おやつ軽食夕食夜食と1日7回食事をしても基本的に無料なわけで、もう、食っちゃ寝食っちゃ寝だよ。
プールサイドでアイス食べ放題なんだから、しびれちゃうね。

一生に何度もない経験だと思うので、語りたい。自慢したい。
しかし、ハイになって食べまくって遊んで家に帰ってきた今、猛烈に虚脱している。
いちおうiPad用キーボードもノートPCも持っていったものの、詳細な記録などかけらもない。
思い出し思い出し書いてみたいとは思うけど、とりあえず、以下次号。来週にご期待ください。
おやすみなさい。ぐでぐで。

19年8月3日(クルーズ日記1日目の「序」)

ずっとずっと前から、クルーズ旅行に行ってみたかった。
そもそも歩くのが嫌いで、座ったり寝たりしている間に移動できる旅が好き。
人前にいるのもあまり嬉しくないから、個室でせいうちくんとごろごろおしゃべりしてる間に遠くまで運ばれるのが理想だった。

これまで一番よかったのは一緒に寝台特急カシオペアに乗った経験で、それならいつかシベリア鉄道に乗ろうかと話していたが、もう体力が持たない気がして、その次に考えたのが船の旅。
費用はかかるが食費も宿泊費も交通費も全部入った「オール・インクルーシブ」であることを考えると、案外コスパはいいのかも。
しかし、いくら老後の楽しみと憧れても実は船酔い体質だったりすると目も当てられないので、いっぺん体験しておきたい。
幸い今年は結婚30周年で、私は還暦になる。
少々贅沢な記念旅行をしてもバチは当たるまい。

で、お盆休みにコペンハーゲンから2週間船に乗ってサンクトペテルブルク他を回る、いわゆる「フライ&クルーズ」をもうホントに予約して行くばかりになってたんだけど、なんとせいうちくんの仕事がど真ん中に入ってしまいそうだと言う。
サラリーマンの妻をやって30年、仕事を理由のドタキャンを1度もされたことがない方が異常だと周囲からは言われ、そもそもひと月以上前はドタキャンと呼ばないのかも。

それでもせいうちくん自身よほど楽しみにしていたものと見え、「痛恨だ…」とがっくりしていたと思ったら、猛烈な勢いでリカバリーを図り、お盆より早い日程で1週間の国内クルーズを探してきた。
「これ、どうだろう?短くなっちゃうけど、行かないよりいいし、むしろ国内の方が気楽じゃないかな」
確かに今回我々はなんだか調子がイマイチで、エルミタージュ美術館についても全く調べがついてない状態。
5年前にイタリアに行った時に比べると、熱意がないというか元気も覇気もない。
外国船で英語って、今さらのように、無理な気がしてきた。
健康状態を考えても国内の方が無難。
ちなみに、ロシア圏内で心臓に不具合が起こったら(いや、心臓に限らないのかもしれないが)、北海道でもいいからなんとしてでも国内の病院に戻ってきなさい間違っても現地で入院とかしないように、と医療関係者にアドバイスされた。

フラットな気持ちでいると物事ってのはするすると運ばれるもので、日程が詰まってる人気の船のわりにはバルコニー付きの部屋がスムーズに取れた。

楽しみに過ごすにはなんだかあわただしく日々が過ぎ、前の週には山に行っていたと思ったら、今週はもうクルーズ。
「海に山に大空に 少年たちの雄叫びが」ってロボットアニメ「ザンボット3」の歌詞2番みたい。
レンタル頼んでおいたでかいスーツケースが届き、小物類は前の旅行のものをほぼそのまま流用し、服はだいぶ入れ替え。
元漫画サークルの合宿とクルーズでは、求められるものもアピールしたいものも違うんだ。

昔の旅行と全然違うのは、電子装備の手厚さ。
今回はせいうちくんもたまってるマンガをたくさん読むつもりでiPad持ってくし、できれば描く方もチャレンジしたいと板タブとノートPCを持てば、私もマンガを読むためのiPad Proと本を読むためのiPad miniを別に持ち、それらを支えるコードコネクタ類も膨大。
しかも前日まで使ってるから、朝しか荷造りできないの。
ちなみに船上のIT環境は30分千円の有料Wi-Fi。絶対使わない。

大きなトランクと小さなトランク引きずって、それぞれにリュックしょって、あーせいうちくんはいつもの野球帽かぁ、横浜のそごうで洒落た帽子を買おうよ、それも旅の記念だよ、とすでに浮かれている。
トランク他全部入る特大コインロッカーの場所を検索しておいてくれたのは助かるなぁ。

だが、そごうの壁は厚かった。
ひと気のない静かなフロアで「お店の名前は聞いたことある。ラルフなんとかでしょ。サンなんとかでしょ」と強がる私にせいうちくんは「すごーい。僕は全然知らない」と尊敬の目になる。
必死で平気なふりしてかぶって「お似合いですよ」と言われた帽子、いやそう言っては申し訳ない、ハットと呼ぼう、そいつは2万円以上した。
そろそろとあとずさって逃げ出した我々の共通の感想は、
「前にネックレス買おうと思って迷い込んだ、東急のフロアに似てる」
百貨店道の奥は深く険しい。

そのあとはキャベツと味噌汁おかわり自由のトンカツ屋さんに大当たりして、幸先が良いと喜び、荷物を引き出して港へ。
タクシーを奮発したら、運転手さんはまず、
「時間は大丈夫ですか」と聞いてくれた。
さらに「海外ですか?」と聞かれ、
「いえ、国内です。東北に、花火を見に行きます」と言うと、
「ああ、飛鳥Ⅱですね。いやー、荷物が大きいし重いから、海外に行かれるのかと思いました」と笑っていた。
中国の人の荷物が重いんだそうだ。
アキバで電化製品買うんだろうか。
我々の荷物が重いのは、自前の電化製品と、船の酒は高いからとこっそり持ってきたワインと焼酎のせいだよ。

港の待合室でお茶ぐらい飲めるだろうと思っていたら、そこはなかなか地獄のような混雑加減だった。
広い広い、しかし少し殺風景な建物の中に並んだ座席に座れただけでも運が良く、カフェはもちろん長蛇の列。
自販機で冷たいコーヒーを買って分け合い、フロアごとの手続きを待つ。
もちろんスイートの人々から案内されるすがすがしさ。
我々はかなり待ちました。

乗降のために取り付けるのだろう飛行機のエプロンのような通路を出て、士官っぽい人々に笑顔で迎えられて乗船カードでゲートをくぐると、ずらりと並んだクルーたち、顔はほぼアジアだが日本語がたどたどしい人が多い。
これで英語だったら自分はどれほど具合が悪くなっただろうかと想像し、国内クルーズで始めてみてよかった、とあらためて思った。

内装は超ゴージャス。これが船の中?と驚く。
鏡が多用され、どこもかしこもピカピカしてて目が眩む。3基もあるエレベーターも、鏡だらけ。
長い長い廊下を案内されて、そうか全室海側を謳う飛鳥Ⅱでは廊下の片側にしか部屋のドアがないのか、と感心した。
カードキーで開く部屋の内部。
えー、豪華ー。アパホテルよりずーっと広い!
持ってきた服全部入れてもゆとりのありそうなクロゼットとか、ビジネスホテルよりゆったりしたバスタブ、チェアが2つ並んだバルコニーとかを夢心地で点検した。

しかし、夢中にばかりなってるヒマはない。
20分も経たないうちに「避難訓練」に行かねば。
乗船証に記入されてる各「救命ボート」ごとに異なる部屋に集められる。
ボートは少なくとも8艘あり、我々の集合場所は「カジノルーム」だった。
1艘に100人以上乗れるらしい。もちろん水や食料、救急用品なども相応に積まれている。
「緊急時には各部屋にある救命胴着をつけて乗組員の誘導に従ってください」などの指示を受けた。
なるほど、これは船が港を離れる前にやっておかねばならないわけだ。
いったん出港したらそこは水上。警察権力さえ届かない船長の独裁国と聞いている。(いや、一朝事があれば、の話ですが)

避難訓練が終わると離岸。
港マニアの先輩がSNSで、「時間があればテープ投げのお見送りに行きたいところです」とエールをくれ、ウェルカム・ドリンクがあることまで教えてくれたので、他の乗客の波にのまれるようにデッキに行ってみる。

出港を見送る奇特な人々がこんなにいるとは知らなかった。
配られたのだろう黄色いタオルを振ってくれて「行ってらっしゃい~」と叫んでくれる。
船上からもシャンパン片手に手を振り返した。
テープが乱舞し青空に風船も放たれて、旅立ちの感傷で胸がいっぱいに。

まだ1日目も終わらないけど、書きたいことがいっぱいありすぎてまとまらないまま、続きは来週また。
「時々連載」で書いていきたいと思う。
それぐらい圧倒的な経験だった。

19年8月16日

クルーズ日記が書けなくて生活が止まっているかのようだけど、日常のことも記録しておかねば。
今日はせいうちくんが初めての「下からの内視鏡検査」を受けた。
上からは2回やったことがあるらしい。喉からのタイプと鼻腔からのタイプ。

上からより下からの方が怖かったみたいで、何でだろう、どう考えても下の方がドンカンじゃないかなぁと思っていたら、準備のため前日から下剤を大量に服用して空っぽにするのが恐ろしかったんだって。
私が過去2回検査準備で2リットルの「下剤入りの水」を飲むのを横から見ていて、「よくあんなにぐびぐび飲めるなぁ。僕は絶対あんなもの飲まないぞ」と思っていたんだそうだが、人生、何もかもを避けて通るわけにはいかないんだ。

昨日は「小さな養命酒のコップみたいなので2回」液体の下剤を飲み、今朝は7時から2時間かけて2リットルを飲んだ。
「味は意外と悪くない。ポカリスエットみたい」と言ってグラスに1杯飲んだはいいが、そのあと全然、杯が進まない。
「飲まないの?2時間で2リットルだから、10分に150ccずつぐらい飲まないと終わらないよ」と声をかけると、イヤそうにまた1杯飲むが、そのあと手が伸びない。
「キッチンタイマーで10分測って、鳴るたびに1杯飲む」ことを推奨しておく。

「喉が渇く」とぼやくので、「じゃあ、ますます飲めばいいじゃん」と言うと、
「そんなにじゃんじゃん飲めない。キミのその案外粘着質で決まりに従う性質はスゴイ。言われたとおりにやり遂げる力は人が思うより強い」とか褒めてるのかけなしてるのかわからないし、合間には「よく飲めるなぁ」と小さな声でぶつぶつ言う。
いいから飲め。

やっと2リットルを飲み干して、さらに2時間待機して(もちろん合間にはトイレに通いまくって)身体中空っぽにしてふらふらと出かけて行った。もう11時。準備だけで、こんなに。
そのあと14時ぐらいに電話がかかってきた時には、下から管を入れるために鎮静剤を点滴されたようで、
「1時間熟睡した。そもそも検査を覚えていない」と言っていた。
生まれて初めて「薬で呂律が回らない人と話した」よ。
せいうちくん、20年以上もそんな人と一緒に暮らしていてよく頭にこなかったなぁ。
私は3分でブチ切れそうになった。話が進まなくて。
「かわいそうに。薬を飲まされたんだね」(from「カリオストロの城」)なんて優しい気分にはなれない。

まあそれでも、今現在の彼は「健康で、何の処置も必要なし。生検もしない」のだそうだ。
よかったよかった。
「潜血反応があった」わけでも「持病がある」わけでもないのに、人が内視鏡検査を受ける時代になったか。

19年8月17日

息子が遊びに来た。
「なに食べたい?」と前もって聞いたら「カレー!」と即答され、彼の言うのは普通のバーモントカレーとかのことなんだろうけどそれは「じゃがいもと小麦粉の入ったルーをごはんにかける」糖質のカタマリなので、「タイ風グリーンカレー」にさせていただく。
我々が豆腐にかけて食べてるのを見て「ほー」と感心してた。

秋にはまたインプロの修行をしにアメリカに行きたいそうだ。
5月に広告会社に職を得たばかりなので、
「リモートで仕事させてもらえるようにしてから行くって話はどうなった?」と聞くと、
「いやいや、そんなに都合よくはいかなかったわー」
辞めて、帰ってきてからまた職を探すプロセスを繰り返すことになるだろうが、現実がわかってきただけでもいいか。
こっちも慣れてきちゃったよ。

私「渡米費用や生活費はどうすんの」
息子「貯金もするし、行く前にガンガン日雇いする。大丈夫」
せいうち「大丈夫なんだね。じゃあ、融資の申し込みは締め切らせてもらうよ」
息子「あ、あ、じゃあ、1万円だけ借りて手付け打たして」
1万円手付けを払う話はよく聞くけど、借りる手付けって何なんだ!

最近遅刻のクセがなくなってきたと思っていたのに、約束の12時に連絡が来て、「ごめん!今起きた」だと。
すっ飛んできた感じが強いのと、寝過ごした理由が「同居のカノジョが旅行に行っちゃったんで、寂しくて1人酒を飲みすぎた」と聞いたのとで何だか叱れなくなっちゃった。

私「母さん、もうじき還暦なんだよ」
息子「そうかー、おめでとう」
私「でも人間はみんな、結局死んじゃうんだよねー」
息子「それはオレもいつも思う。だからこそ、一番大事なのは好きな人とどう時間をすごすかだよね」
クールで冷めたヤツだと思っていたら、いつの間にそんな恋愛至上主義者に。
冷血なのにのぼせあがりやすい私のDNAが発現してきたのかしらん。

今日も明日も公演のために練習なんだ、と2時間ほどで帰ってしまい、そこまでの話がとても楽しかったせいもあってものすごく寂しくなってしまった。

「カノジョが留守なら、練習のあとまたこっちに来るよう誘えばよかったかしらん。そうだよ、なんで誘わなかったんだろう。晩ごはん食べて泊まって、明日また練習に行けばいいんだもの。酒飲んで寝ちゃうぐらい寂しいんだったらその方がいいよ!」とせいうちくんに言うと、
「泊めたらまた『朝起きない』『何かで不機嫌』とかの彼を見ることになるかも。確かに楽しかったけど、足りないぐらいのところがちょうどいいんじゃない?僕は勧めないなぁ」と反対の様子。
でも思い込んだら止まらないタイプの私が「でもさ」「だってさ」とあきらめきれないのを見て、OK出してくれた。

ところが、誘いのメッセージに息子の返事は、
「そうしたいのは山々なんだけど、帰ってハムスターのお世話をしなきゃいけなくて」
断られちゃった!
キャバ嬢がお泊まりを断る時の黄金の言い訳、「ネコに餌をやらなきゃ」「田舎から親が出てくるの」かい!(いや、知りませんが)

もともとせいうちくんの支持を得られない話でもあり、すごすごと引き下がった。
そうだね、腹八分目がいいんだよね。また今度来てもらって楽しく会えばいいよね。
だけどあきらめきれない~!

あきらめが悪いだけじゃなくて、なんとかするためのアイディアが湯水のようにわくタイプでもある。
次にせいうちくんに持ちかけたのは、「練習が終わった頃に彼の家の近くまで車で会いに行って、お茶飲んで帰る」案。
「よくそんなにいろいろ思いつくねぇ。いいよ、反対しないよ。聞いてみてごらん」と言われて意気揚々。息子の返事も、
「疲れちゃわない?僕はかまわないけど」で、22時に練習が終わるから23時には行けるよって、隣の駅にある1時までやってるファミレスのURLを送ってくれた。

大喜びですぐに昼寝して夜更かしに備える。
21時頃家を出て、途中の私鉄の駅前のブックオフで狩りをして気分を盛り上げた。
3巻完結してる山田章博が100均コーナーで買えるとか岡崎京子の山にぶつかるとかスゴイ収穫なんだが、非常に珍しいアルフィーのコンサートDVDを見つけたのに大興奮。いちおう棚をチェックしてみてよかった。
やはり初めてのブックオフには出会いがある。

23時近い私鉄沿線住宅街しかも大通り沿いのファミレスは、閑散としてる割にあちこちで濃い話し合いが行なわれてる不思議な雰囲気だ。
我々も、練習を終えて帰ってきた息子と2時間の熱い時間を持った。

「ビール頼んでもいい?」と言い、遠慮なくミックスグリルをがつがつ食べる息子の食欲に圧倒された。
せいうちくんが頼んだフライドチキンも私が頼んだサラダも、わけてあげたら「いいの?」と嬉しそうにたくさん食べていた。
若い若い。

マザーグース風に言えば「お靴にお船に封蝋に キャベツに王様 ぞろぞろと」って感じで、いろんなことを話した。
こちらが船旅のこと、自分の若い頃のこと、最近面白かったマンガのことを話せば、向こうもインプロコントのこと、カノジョとのこと、読んだ本のこと、子供時代の思い出を語る。
彼の小・中・高・大を通じての友達の思い出や、最近どうしてるかの話が特に面白かった。
勝手に共通の知人のように感じているんだなぁ、私は。

「人生で、謝りたい人が3ケタに近くいる」ひとつの例として小学校の時に泣かせちゃった女の子の話をする彼に、
「今度幼なじみたちと親の飲み会があるから、そこで女の子たちに聞いてみたら?つながるかもしれないじゃん」と提案したら、
「いや、そこまではしない。ひとつひとつにかけられる力ってのもある」との答えだった。
これが、そもそもの「謝りたい人」的発想からその理由、そして本当に全部に謝って行脚するわけじゃないって気持ちがもう、理解できて理解できてしょうがない。
イヤかもだから言わなかったが、君は私にそっくりだ。
そしてそれはすごく嬉しくて、生きてきた甲斐を感じることだよ。

そうそう、保育園の飲み会の話。
自分の親とこじれたまま生きてる両親は、
「保育園以来細々と続いてる親の飲み会で子供たちも会おうか、って提案にOK!ってなるあなたたちって、ものすごく親とうまくいってるんだねぇ。父さんがおばあちゃんから同じ話をされて、『いいね!』ってなると思う?」と聞いてしまうよ。
「ホントだ、それは想像つかないわ。確かにオレたちはなんとも思わないね。でもさぁ、あんたらももう何十年そんな話してるの?(笑)」

親がその親とうまくいってない、でもさらに下の世代からすると「そう悪い人たちじゃないじゃん」ってなるのはなんとなくわかる。
自分自身通ってきた道な匂いがプンプンする。こうして歴史は繰り返すんだなぁ。

反抗期や会社を辞めた頃の話をしてたら、
「そんな風だったね~なんでオレ、そんなにひどかったのかね。人間が出来てなかったんだね。コントを真面目にやるようになって人に優しくなりたいって思うようになったせいもあって、ホンット悪かった!って思う」と言われた。
たまたま今、ものすごくうまくいっているのか、それとももう嵐の時代は過ぎてこれからは穏やかにつきあっていけるのか、まだよくわからない。

ただ自分が、親としてはあまりに「誰かに許してもらいたい、認めてもらいたい」と思いすぎだろうとは感じる。
そんなケツを持って来られる子供は迷惑だろう。
老後の自立以前に、オトナとして自立してないとなぁ、とあらためて強く思った。

話すのに飽きたのか刺激を受けすぎたのか、建前としては後者で、
「オレ、猛烈に(コントを)書きたくなっちゃった。もう帰る」と閉店10分前に言われた。
2時間勤労奉仕してまあまあのメシにありつく悪くないバイトで、もう10分ガマンしたらスポンサーはすこぶる機嫌良く帰ったのにバカモノ、と思いながら車で送って行った。
期せずして息子たちの愛の巣を外側から見ちゃったよ。
もっと「同棲時代」や「神田川」な風情を想像してたのに、マンションと呼んでしまいそうなしゃれた建物で、幸せなんだろうなって目頭が熱くなった。

せいうちくんは帰り道でずっと、
「キミが思いついてくれたから、息子と1日に2度も楽しく会えた。夜中のドライブは久しぶりだし、こんなヘンな夜の楽しさを忘れてたよ。昼間の都内だと遠くに住んでる気がしてたけど、すいてれば30分しかかからないんだね。出かけてよかったよ。ありがとう」と言っていた。
彼も息子との会話が楽しくてしょうがなかったらしい。

こういう夜を我々は「常ならざる」との思いを込めて「猟奇」と呼ぶ。
決して犯罪や反社会的な趣味を指すわけではない。
もっとも、せいうちくんにとっての「猟奇」は川崎ゆきお「猟奇王」から「枕元にスニーカーを置いて寝る」なので平和だが、私はちょっと「美少年の尻の肉を喰う」的イメージも持ってるから、あまり安全な用語ではないかも。
いずれにせよ、良い夜だった。
息子とハムスター、そして旅行中のカノジョの上にも幸せがありますように。

19年8月22日

ついに還暦を迎えてしまった。
60年、ひと回り。ぐるっと回って戻ってきたか。

これまで迎えた誕生日の中で一番しみじみしない。
事実を拒否して麻痺してるんじゃないかと思うほど、何の感慨も浮かばない。
なんとなく過去を振り返る気持ちにはなってやたらに昔書いたものを読み返してたもんだから、脳内ではまだ二十歳あたりだと思い込んでるんじゃなかろうか。
またオソロシイことに、そういう古文書的過去資料に不自由しないタイプなんだ。
高校時代の日記とか別れたカレシから取り返した手紙とか。(しかもスキャンして電子化)

痛感してるのは、自分がこの数十年、まったくと言っていいほど進歩も変化もしてないこと。
ずっと成長が止まったままなのか。働いてないのがいけなかったのか。
わずかにオトナになった部分も、子育て中に退化してしまったのか。

ただ、結婚する前に実家住みだったり会社の研修で遠くに行っていたりのせいうちくんとやりとりした手紙を読むと、心配していたように
・互いの関係が希薄になる
・せいうちくんを会社に取られる
・世界が違って、気持ちがすれ違う
てな状態には全然ならずにこの30年間をやってこられたようだ。
私は環境が閉鎖的だから不思議でもないが、勤め続けて変わらない彼は立派だ。

好きな人と結婚し、まがりなりにも親として子供を育て上げ、お互いへの気持ちを保ったままそこそこ元気にこの年齢まで来られたことを、奇跡のように貴重に思う。
その事実の方に圧倒されて、還暦はどうやら些細なことに思えているんだろう。
しかしじわじわとボディーブローみたいなのは来るなぁ。

こないだブックオフで幸運にも手に入れたアルフィーのコンサートDVD。
2014年の40周年武道館クリスマスライブだ。
2000年ぐらいまではやたらに買い込んでいたんだが、生活に追われて忘れてた。久しぶり。
どの曲もイントロあてできるほどの自分が気持ち悪いぐらいだし、門前の小僧のせいうちくんもたいがい聞いたことあって、妙なものだ。
そしてこの人たちは、もう45年もバンドを続けている。
もちろん還暦なんてとっくに過ぎて。

平凡だが、継続は力なり。
せいうちくんからは「あと30年よろしく」と言われた。卒寿かい。
その時、私はどんな私だろう。そもそも生きてるのか?!

19年8月23日

毎日、頭痛とだるさと不眠と食欲不振に悩まされている。
「原因がわからない」とぼやく私をせいうちくんは断ずる。
「夏バテだ」
毎日エアコンの効いた家で寝てるのに、そんなら外で働いてるあなたはどうなっちゃうの、と抗弁しようとすると、さらにおっかぶせるように、
「キミは病弱」
うーん、この妙に元気で遊び好きな性格を見てなおもそう思ってくれる人はあなたぐらいなんだが。

今日も病弱らしく寝ていた。
タテになってるのが難しいため、日記が短い。

船旅の記録も進まない。
美しく楽しい夢のようにだんだんアタマの中から消えて行っちゃうんだよね。
断片でも書き留めておけば、とも思うけど、それはなんだか標本を作る工程のようで気が進まない。
記録する行為そのものが標本作りかもなぁ、とも思うけどね。
特に、まったく文字に起こすことなく時々「楽しかったね~」と言うせいうちくんを見てると。

ただ、自分は記録で出来上がってる。
今日の自分を記録すると、10年後20年後の自分が助かる。
3ヶ月ぐらい前の自分に猛烈に感謝することも多い日々だ。
だって忘れちゃうんだもん。

「30年間日記をつけ続けている父が、『今日の気分は例年より少し怒りっぽい』と言った」と「糸井重里の萬流コピー塾」への投稿を読んで感心したのももう30年以上前。
そこからすでにその「父」を超えるほどの観測記録を持つことになったのはいいとしても、一番見てとれるのが「進歩も変化もない」なのはあんまりじゃないだろうか。

昨日読んだマンガにあった「結論の多い人は信用しない」というセリフに打たれた。
私も「いろいろ考えてる」証拠のように結論をたくさん言いたがる。「こうも言えるああも言える」ってやつ。
そういうのを「四の五の言う」っていうんだろうな。

19年8月24日

セックスとお金の話をもう少ししてもいい世の中にならないだろうか、とふと思う。

プライベートなことなのは承知だが、関心がないわけじゃないわりに「人がどうしているのかあまり知る機会がない」ジャンルな気がして。
ある程度あけすけに知るようになれば、過剰な好奇心が抑えられる、という効果もあるかと。

お金の稼ぎ方、使い方、セックスに対する考え方。
全部それぞれの好みの問題ではあるところ、やっていいことといけないことの存在、子供には大通しで許すわけにはいかないけど大人は自分の責任と自由において許される場面が多い、という点で似ていると思うなぁ。

家族が小さくなって価値観が狭くなったせいもあり、最低限知っておくべきことは、ある程度学校教育の中で教えてくれてもいいかと思う。
家族単位の課題と言うよりは、社会でどう生活するか他人とどう関わるかの問題になってくるので。
そもそも学校教育というものは「家ではそれでもいいかもしれないが、外ではそうもいかない」を教わる場だったのでは、というのはまた別の話か。

あと、声を大にして言いたい。
手をつないだりちょっとぐらい人前でチューしても、引かないでもらいたい。
特に、年齢や性別で「それはちょっと…」って言わないで!

19年8月25日

せいうちくんと夫婦コミで仲良くしてもらってるAさん夫妻のおうちで、還暦誕生会を開いてくれた。

当日、着くなりミセスAが満面の笑顔で見せてくれたケータイに、彼女から紹介されてもう2年近いおつきあいのEさんの動画メッセージが。
Eさんが東京に出張してきた折などAさん宅で会ってきたが、去年の秋にホームグラウンド京都を案内してもらう贅沢なイベントをさせてもらって以来会ってない。LINEだけのお付き合いになってる。
「500キロの彼方から飛んで行きたいです!」
確かに、彼女がここにいたら素晴らしいパーティーだっただろう。

そんなことを考えてジーンとしてたら、Aさん宅のインターホンがピンポーンと鳴る。
小走りに玄関に出たミセスAがとって返し、私を手招きする。
「うさこさん、プレゼントが届きましたよ!」
なんだろう、腕いっぱいに風船とか花を抱えたメッセンジャーボーイさん?とぽーっとして行ってみると、ミセスAが「じゃーん!」と開けたドアの向こうには。
京都にいるはずのEさんが立っていた!
なんでマスクとサングラスの完全変装?

玄関に立ち尽くしてきゃーきゃー言っている私をなだめてミセスAが一行をダイニングに誘導、これまたビックリしてぽかんと口を開いているせいうちくんをも落ち着かせて、いろいろ種明かしをしてくれた。
手の込んだサプライズだったのだ!

出張にかこつけて朝のうちに東京に来たEさんは、ミセスAと連絡を取りながら、我々がAさん宅に落ち着くのを待っていた。
ケータイで動画を見せたところでミセスAがこっそりキューを出し、Eさんは玄関のチャイムを押した、というわけ。
動画内でも同じグリーンの服を着てたり、わざわざ「500キロの彼方」を強調したり、何かと芸が細かい。
変装は、万が一にも駅前や近所で我々と行き会って「あら、Eさん!なんで東京に?!」となってはならないから。
チャイム前はAさん宅の塀の陰に潜んでいたそうである。
その見た目でその行動は、もしかして閑静な住宅街の噂を呼んだのでは…

ミセスAの手腕で、壁には「HAPPY 60th BIRTHDAY」の紙文字飾りが。
すべて手作りしてくれたんだと思ったせいうちくんは、ミセスAが子供たちのお昼寝中にちょきちょきとハサミを振るう姿を想像して感涙にむせんだらしい。
いや、感動してるとこ悪いけど、これは赤ちゃん用品屋さんに売ってる品だから。
「だって『60』なんて子供向けにはないじゃない!そこだけは作ってくれたんじゃない?」
抗弁するな。「6」と「10」があり得る以上、「60」は並べればできる。
9が2枚はないだろうから「99」は難しいかもしれないけど。

ダンナさんのAさんが低温調理して準備してくれたお料理が並び、せいうちくんもリクエストのあった得意料理の「アサリとブロッコリーのペペロンチーノ」を作り、たくさんのお皿が並んだ。
でも何よりのご馳走は女性3人での怒濤のおしゃべり。
Eさんは船旅の話をとても熱心に聞いてくれた。
写真を見せたりプールでの浮き輪遊びを語ったり、思い出してどんどん楽しくなった!

プレゼントももらった。
赤ちゃん連れで萩尾望都展に行って、画集を買ってきてくれたミセスA。
それと、旅行に便利な携帯置き時計。次の旅行に持って行ってくださいって。
せいうちくんは夫のAさんを通じてミセスAから相談を受けていたんだって。
おまけにEさんまでせいうちくんとナイショでやり取りしていたんだそうで、「次の船旅の参考に」と「バルト海クルーズ」の本をくれた。

せいうちくんは、
「たった1週間ぐらいだから、3週間もの準備期間には及びもつかないけど、先だっての昇進祝いで『息子の動画』を極秘に入手してくれたキミや皆さんに少しは恩返しができたよ」と笑っていた。
それは本当に恩返しか。仕返しではないのか。
どうもあれ以来、秘密が横行している。
配偶者間の秘密は全面禁止にしようか。しかしそれではサプライズが成立しない。
嬉し楽しく涙が出る素敵な企画なのは事実だからなぁ。

いつものように11時から17時の6時間宴会はあっという間に過ぎてしまった。
17時の鐘(役所が音楽を鳴らしますね)と同時にせいうちくんが「トイレ行った?忘れ物ない?じゃあじゃあ、おいとましようね」と私をせき立てて、お開きに。
例によっておしゃべりのかけらをたくさん残したまま、靴を履きながら一生懸命、
「また会いましょうね。またLINEでね」と繰り返し、せいうちくんに腕を引きずられるように退場することになった。

はあ~、楽しかった!
あんまり楽しいから、Aさん夫妻に教えてもらったブックオフに寄って帰ることにした。
さすがに家から遠いのでそうちょくちょくは来られないだろう、手当たり次第買おう、と思っていたら、想像以上に巨大な店舗で、地方の新興住宅地にでも行かないとこれほどの規模にはなかなかお目にかかれない。
店構えを裏切らないレアで豊富な在庫に、半狂乱で駆け回ってしまった。
歩きすぎてあとから足が動かなくなったほどだ。
欲しかったアルフィーの新CDが買えた!
でもやっぱりコンサートDVDはレアなので、棚の名札はいつも空しい。名札があるだけ、メジャーっつーことか。

だが、「安いからいいや、買っちゃえ買っちゃえ!」と買い込んだ「ER」第4と第8シーズンはダブっていた。
こないだ見つけて喜んで買った時、すぐに手元の「欲しいものメモ」を修正しておかなかったのが敗因。
これを怠ったため、「ER」はほぼフルセットダブっていると言ってもいいほどの有様だ。

「お誕生日的収穫」を抱えて楽しく家に帰った。
思い残しは、マスクにサングラスの怪しいEさんの姿を写真に撮っておかなかったことだけだ。
写メ世代ではないので、どうしてもとっさの時に写真をとは思いつかない。
残念至極。今後の課題だ。

(付記)
と思っていたら、ミセスAが自宅のインタホンに変装姿でチャイムを押すEさんのカラー画像がバッチリ残っていたと送ってくれた。
Eさん曰く、「映らないように避けてたんだけど、すごい広角レンズやね!」
かくして、白黒でハンズフリーでない受話器式で録画機能のないインターホンを使っている我が家では想像もできない事態の収束。生活のそこここに技術進歩。万歳。
(付記2)
ついでに「インターホンを押すせいうちくんのなんとなくしまらない顔」も送ってもらえて、皆さん、他家を訪れる時は要注意ですぞ。
ドアが開く時はキリッとした顔を作っていても、チャイムを押す時は案外スキだらけの呆けた顔をしているものなんです。
なのでマスクとサングラスで武装することをオススメします。
それだと普通はまず開けてもらえないのかぁ。

19年8月26日

通院日記。
先生、急に入院しちゃったんでしばらく間があいていた。
奥さん先生の代診を受けたりしてしのいでいた。
今週、やっと久しぶりにお目にかかった。
どうやら肝臓結石らしく、再来月ぐらいに内視鏡で手術をしてしまえば心配はないと言っていた。

船に乗っていい思いをした話をすると、
「元気そうになった。船旅がいい刺激になったのかもね」。
でも、「一番良かったことは何でした?」って聞くから、
「食事の支度も何もしなくてよくて、日常から解放されたことでしょうか」と答えたら、
「ああ、やっぱり料理や家事は大変だものね」とカルテに書こうとするから、押しとどめてしまった。
「いえ、料理を始め、家のことは普段から全部主人がやってくれてるので、そこじゃないんです。主人に負担をかけないですむところが嬉しいんです」

毎週のように話をしてきたドクターでさえ私の「なんもしなさ加減」をいまだに誤解している。
とすると、世の中の人の「最低限の家事ぐらいは当然やってるんだろう」との思い込みと、万が一やってないのがバレた時の「専業主婦のくせに家事やらないの?なんで?!」という怒りは相当なもんだろうなぁ。
せいうちくんのように「やれる人がやれる時にやれることをすればいい」なんて主義の人は少なそうだ。

友人たちにお誕生日パーティーをしてもらった話もした。
私「でも、嬉しすぎて本当とは思えないんです。『あんたのことを好きな人なんかいない。いたとしたらよくよく変わった人か、物好き』って、母の声がします」
先生「うーん、嬉しかったんでしょう?自分の気持ちよさを大切にすればいいでしょうに」

私「それ、主人にも言われました。思わず言い返した言葉に自分でハッとしましたよ。『私が心から気持ちいいと思えるのは、甘いものを食べてる時とうんこが出た時ぐらいなもの!』これって、赤ちゃんが原初的に心地よいと感じられる、生存に必要な最低限の快感ですよね。友人の家で赤ちゃんが皆にあやされてニコニコ笑ってるのを見て、自分にはそういう段階の心地良さがなかったんだと気づきました。母はたぶん、あやしたり相手をしたりするのが苦手で、大泣きしていよいよおっぱいをあげるしかなくなってはじめてこっちを見てくれてたんでしょうね」

先生「あなたの寂しさは、言語が関わる領域を超えてるかもしれないね」
私「言語領域に入ってきてからは言葉で否定されましたが、それは母が自分勝手な人間だったからだと理解することができる気はします。さっきも言ったように、『あなたを好きな人なんかいない』って、つまり自分だけ、母親だけが愛してくれるんだから決して離れていくな、ってことですよね。そこまでわかってはいても、刷り込みって強いですよね…大元に根源的な寂しさがあるために、よけいに母の愛情が欲しくて仕方ないんです」

そういうことを意識した上で、せいうちくんと仲良く暮らす今の生活を一歩一歩続けていくしかないし、今はそれができているんだから、頑張って続けましょう、というのが先生の処方箋。
変わっていないように思えても、らせん階段がぐるぐる回りながら少しずつ上がっていくように、変化は確実にあるから、と。

「先生の側から見ていて、らせん上の私は何度も同じあたりに現れるわけですが、位置としては前よりも高いところにいますか?」と聞いたら、
「もちろん上がってますよ!」とうなずいてくれた。

時間がかかることは確かだ。
気が短いので、「何かに気づいて」えいっ!と治ってしまうイメージしか持てない。
気づくだけならこの40年近く、山ほどの気づきや悟りを得てきてるんだが、あまり人間として向上した気もしないし治った気もしない。
子供が大人になるのに何十年もかかるのは承知してるが、年齢的には大人である人が育つ場合は、もうちょっとなんと言うか、スキップとか加速とか抜け道とかの裏技があってもいいのではないだろうか。

19年8月27日(これはクルーズ日記に含まれるかも)

後日、Eさんから、
「聞きそびれましたが、そもそもなぜクルーズ旅行に行こうと思ったのですか?」とズバリ聞かれた。本質的な質問だ。

クルーズに行きたかった理由。
自分にとって余りに自明だったので説明するのを忘れていた。
昔から移動の面倒が嫌いなのと、せいうちくんとひたすらおしゃべりをしているのが好きだったってのが大きいだろう。
「2人で閉じ込められたままどこかへ行く」のが理想で、寝台特急カシオペアがかなりバッチリ希望通りだったので「シベリア鉄道でロシアをゆく」旅を何年も温めていた時期もある。
健康上の理由等で難しくなり、次に目をつけたのがクルーズである、と。

・「海」という現象は好きで、波音や広大さには憧れるものの、実際の海辺は混雑や不便さが大きくてあまり気が進まない。海ど真ん中の船旅ならロマンチックそう。
・旅先で気が大きくなってお財布を開けるものの、ちょこちょこ出費が増えるのはイヤ。その点たいがいの費用が含まれる「オール・インクルーシブ」なら安心。
・便利で華麗。気が重くならない程度の庶民的なセレブ感。

などなどがとても性に合ってる気がする。
(しかしこうしてみると好き嫌いの激しい面倒くさい性格だな…)

ほどほどに狭い空間にせいうちくんと閉じ込められ、いくらでもおしゃべりができて、飽きたら他の生活空間に別のアクティビティをしに行く、家事やごはんのことはほとんど考えない。
思った以上に理想の暮らしだった。
将来考えている「老人ホーム」の生活にも自信と期待を持った、という副産物がついてきた。

最終的な目標は本格的な老後の月単位のクルーズ。
でも船酔い体質だったり意外と船旅が人でざわざわしてたりすると乗ってから後悔しそうで、まずは週単位のものを試してみようね、と今回の旅になった。
もう英語はほとんどわからないので、日本籍の飛鳥Ⅱは快適だったなぁ。
知的冒険と異国情緒を求めて外国船でのバルト海クルーズにチャレンジするかどうか、現在考え中だ。

世界一周などを考えると費用は気絶するほどかかるんだけど、せいうちくんが航海中に海を見ながらつぶやいた、
「これまでの人生は、この時間のためにあったんじゃないかとすら思える」というセリフには重みがあった。
「クルーズのために働き、生活する」という生きがいを持ってもいいかと思う。
頑張って貯金しよう!

19年8月28日

どちらかと言うと短編マンガよりも10巻以上の長編に目がないので、いつも何かしら「そろい」を探している。
ブックオフなどもチェックするが、もちろんスペースの関係もあり、有名どころとか売れ線のそろいしか置いてないわけで、そうなるとアマゾンや全巻ドットコムのお世話になるわけだ。
ブックオフで1巻ずつそろえると送料がかからないという旨みはあるが、気が遠くなるほどの作業量とメモが必要になるから、そこまでのマニアでない身としてはあまりやらない。
(どーしてブックオフはあんなにマンガが探しにくくできてるんだ!出会えた時の感激は大きいけどさぁ!そうか、そもそも古本屋ってのはそういうもんか…)

最近は本をたくさん持っている60代70代の方が断捨離に走ってるせいで古本在庫はだぶついているそうで、少し遅れてマンガにもその波は来るかもなぁ。
ただ、本持ってる人よりマンガたくさん持ってる人の方がオタク度が高そうで、あまり手放さないかも。
先輩たちを見ていると、彼らが冥土まで持って行けなくなった時が勝負所かな。
それでは私には間に合わないんだが。

今、案外マンガの全巻そろいがネットで楽に入手できるのは、電子書籍が進んで「マンガ喫茶」が流行らなくなったせいではないかと思っている。
その証拠のように、最近我が家に箱でやってくる「そろい」には漫喫上がりの方々が多いのだ。
ビニールカバーが掛かっているぐらいはブツブツ言いながらひたすら外すだけだが、ツタヤの貸本でもあったものか、全巻プラケースに入っているのを外した時はプラごみが大量に出て妙な苦労をした。

いろんなマンガが来る。
15巻ぐらいで妙に新しく手擦れがしてないと、「流行らなかったのかなぁ。ここで面白く読ませてもらうよ」と思う。
罪を犯して入れ墨を入れられたように「天」に店名が押されていたり、見返しにでかでかと「持ち出し厳禁」「万引きとして届けます」などと注意書きのスタンプがあったり、べったり貼りついていて絶対とれない管理用のバーコードつきだったり。
乱暴に読んでもちぎれないようになのか、ガッチリと特大ホチキス様の針金で止めてあるのは実に困る。
気づかずに裁断機を刃こぼれさせたのは一度や二度ではない。

「まあまあ、ご苦労な人生を歩んでこられましたなぁ。ここでゆっくり休んで成仏してください」と言いながら裁断してスキャンしてしまう私は、たぶん悪魔。
データとしては大事にするし、中身を読んでの感動は人後に落ちないと勝手に思っているので、カンベンしてください。

19年8月29日

子供が巣立ってから、時間の流れが速い。
息子は大学生を卒業して就職して辞めてしばらく経つまで家にはいたわけで、その頃にはもう実際面倒をみることも減り、充分心の準備もできていたはずなのに、いざ何もすることがなくなってみると、これほどあれこれしていたのかと思う。

食事ひとつ取っても、毎日1リットルの牛乳を飲む彼のために週末の買い出しでは7、8本買い込んだり、いつも何かしら「おやつ」を買っておいたり、気に入りのインスタントラーメンを切らさないようにしたり、まあ大騒ぎ。
大学入学前には「晩ごはんを食べるかどうかは、朝、申告すること。食べると言われていなければ作らない」とご大層なルールを決めていたはずなのに、いつの間にか崩壊していた。
(晩ごはんどころか、夜食の話にもつれ込んだ)

特に、ニートなのに自宅警備すらしない構えの期間はひどかった。
夜中に帰ってきて、
「なんか食べたい」
「冷蔵庫に麻婆豆腐とごはんあるから」と私が言っても、
「気分じゃない。父さんのチャーハンが食べたい」ってなって、せいうちくんはなんだかいそいそ作っちゃう。
「話し相手も家事もしてくれない人とは一緒に暮らしたくない!」としまいに私がキレて、出て行ってもらったのはまったくもって正解だった。
人生において、せいうちくんと結婚した時に次ぐ正しい行いだったかもしれないぐらいだ。

せいうちくんは今もって、
「キミが勇気を持って追い出してくれなかったら、息子はあのまま引きこもりになっていたかもしれない。どうもありがとう」と言う。
あなたは「もうちょっとごはんを作ってあげたい」とか寝ぼけたことを言ってたからね。

ただ、家を出る自信のない息子と出すのが不安な両親が膠着状態に陥り、身動きがとれなくなりかけていた時に、頼りになる人物が現れた。
赤ん坊の頃から彼を知る我々の友人男性が、
「家を出すべきだよ。このままじゃ、共依存になるよ。オレも息子くんと話してみるから」と言って、食事に誘って相談に乗ってくれたのだ。
この恩は一生忘れない。

家族はとかく閉じこもって息が詰まりがちなので、他人を入れて風通しをよくするのは大事なことだと思う。
昔は親戚や近所の人がこういう役目を自然に果たしてくれていたのかもだが、今は意図的に「おじさん・おばさん」を導入しなければならない。
幸い、最近の夫婦者はけっこう豊富な人的資源を持っているものなのだ。

巡る因果の風車、今度は我々も人のお役に立たなければ。
せいうちくんは友人宅の年若い息子さんの「ギリシャ人の家庭教師」を拝命している。
古代ローマでは教養高い外国人であるギリシャ人を教育係に雇っていた、という故事から、「年の離れた友人として、親とは違う立場から知識や経験を教える」役目。
元の身分はたいがい征服された奴隷であった、ってのはまあ笑い話で。

19年8月30日

友人とせいうちくんと3人で、還暦のお祝い食事会をした。
よしながふみ絶賛のフレンチ「北島亭」。
何度か行っているが、どうやらスーシェフが独立したようで、オーナーシェフの北島さんがお料理してた。
いつものフロア係くんもよその店に行ったそうで、ワタシ的にはフレッシュでドキドキする状態だった。

冷たい前菜は3人それぞれ頼めるので、「ずっと来てみたかった!」と言うよしながふみファンの友人はもちろんウニのムース。
せいうちくんはカニのトマト詰め、私は牡蠣。
温かい前菜、魚、肉料理は卓ごとの注文となるため、前回とてもおいしいと思った「フォアグラ」とスタンダードに「仔羊の岩塩包み焼き」を薦め、ちょっと変わったところで魚料理は「エイ」。

誰もエイ料理を食べたことがなかったので、せいうちくんが北島シェフに聞いてみた。
「エイって、どんな魚ですか?」
「クセがあると思われがちですが、意外とあっさりしていて食べやすいですよ」などの答えを期待していたところ、
「どんなって、エイはエイですよ。くねくねっと泳ぐヤツ!」と言いながら両脇で腕を揺り動かすシェフ。意外すぎる!
(で、意外とあっさりしていておいしかった)
「オススメです!」と見せに来てくれたアワビがすごかった。
メニューボードの「時価」にちょっとひるんで、食べなかったけど。

携帯で大声で話す女性がいたり(そうですか、ボサノバを聴いてから来られたんですか。川口からご苦労様です)、無闇にせきばらいをする老人男性がいたり、「中華屋さんのようなほどよい下町感」に友人も気楽におしゃべりできた模様。
でも、デザートまでゆっくり食べて気がついたらもう3時間半近く!
シンデレラのようにすっ飛んで帰らねばならない彼女と、話そうとお互いに意気込んでいたマンガの話題は1割も消化できなかった!
かろうじて「ザ・ファブルの映画は観てください~」「おかざき真里の『阿・吽』読んで~」と叫ぶように言って、おひらきとなる。

前に結婚記念日とお願いしてたのに忘れられたことがあるのでちょっと警戒してたんだが、「還暦Birthday」お祝いのローソクつきチョコプレート忘れず出してもらえて、よかった!

食べきれなかった「仔羊の脂身」「つけあわせ野菜」「プチフール」は包んでもらって、家で子守をして待っていてくれる彼女のダンナ様はじめ家族のおみやげに。
いつもながら充実のメニューで、楽しい夜だった。

19年8月31日

保育園時代のママ友たち数人と、年に2回、暑気払いの会と忘年会で顔を合わせている。
私よりずっとママなせいうちくんが世話役を引き受けてくれているのだ。
メンツの1人、小学校の終わりごろに千葉に引っ越して今もこちらまで来てくれてるママが言う。
「今年は子供たちも一緒にどうかしら。うちの息子が、みんなに会いたいって言うのよ」
男子数人は高校ぐらいまで我が家でのお泊り会などで時々会っていた顔ぶれ。
中には最近まで顔を見てる子もいるが、そうか、みんな、どんなふうになってるんだろう。

せいうちくんが張り切って声をかけたら、普段に増して多くのママたちが集まることになり、大人10人コドモ5人の会が成立した。
(人数的には子供1人につき両親が来るように見えるけど、そういうわけじゃない)
男子も女子もいる。
当時とてもお世話になった保育園の先生も1人来てくださることに。

息子に声をかけたら、来週のコントライブに向けての練習があるんで一次会には間に合わないらしい。
「二次会があれば行きたい。みんなに、会いたい」と言うので、なんとか二次会まで引っ張れる人は引っ張ろうと決意。
せいうちくんが「8人ぐらいでどう?」と2軒目を予約しておいてくれた。

当日、懐かしい顔ぶれに会う。
男子3人はまあまあ時々会ってた気もするが、それでもサラリーマン姿のKくんには感涙だ。
おばちゃんはね、君がネクタイしてる格好を見る日を想像してみたことはなかった。
女子2人はまったくわからない。
街ですれ違っても、保育園時代の彼女らを想像するのは無理だろう。
綺麗になってた。思わずまつ毛とネイルの秘密を聞いてしまった。
向こうはこっちの顔をちゃんと覚えていると言う。
おばさんは変わってないからなぁ。

二次会への参加を打診してみたところ、先生まで含めてほぼ全員が「息子くんがあとから来るんなら、行きます!」と言ってくれた。
急遽、店に電話して人数を倍に変更するせいうちくん。
一次会が地下でauは通じなかったんで、わざわざ地上に出てたぞ。なぜMちゃんママのdocomoは通じるのか。

息子の親友Jくんだけは、
「あいつにはいつでも会えるから。こないだもライブ観に行って会ったし」とのことで不参加。
今、教職に向けて猛勉強中らしい。
敢えて会わない方を選んだのが、なんだかとっても幼なじみらしい。

盛り上がった一次会を終えて地上への階段を上がってみたら、ちょうど息子が店の前に到着していた。
次々現れる旧知の顔に、満面の笑顔で「お久しぶりです!」と挨拶していた。
男子たちをハグするので、千葉在住で久々のRくんに、
「おう、アメリカンになっちまったなぁ!」と感心される。
Jくんとも会えて、お互いに「もう、これでいいや。またな!」とさわやかに別れていた。

「一次会+息子-Jくん」でやっぱり15人の二次会は、とっても盛り上がった。
女子たちから、
「せいうちさんご夫婦は、いつも一緒で仲良しだな~って保育園の頃から思ってました。今でも仲良しよね~どうしてですか?」と直截な質問を受けた。
「好きだから結婚して、好きでい続けてるだけだよ。好きな人に毎日『大好き』って言えて幸せだよ」と答えたら、
「え~、今でも『好き』って言うんですか~ラブラブ~」と、まあほめられたと思っておこう。
「息子は『バカバカしくて見てられない』って早々に家を出ちゃったけどね」と言ったら笑われた。

「しかし、親と一緒に飲み会で幼なじみに会えるって、すごく素直にまっすぐいい育ち方してる感じがするね。せいうちくんや私は自分の親とは無理だなぁ」と感想を漏らすと、子供たちはみな、こくこくとうなずく。
「そう言えば、そうかも。抵抗ないなぁ。僕らは幸せなんでしょうね」と好青年Rくん。
「私は、母と仲良しなんだけど、もっと子離れしてほしいかも」と女子の1人が言うのが興味深かった。
その部分を突っ込んで聞いていたら、
「会話が、知的な感じ。おうちでもそんな話をしてるんですか?」と聞かれ、横から息子が、
「うちは理屈っぽいの。議論ばっかりしてる」と言い、また笑われた。

「カノジョができた」「今カレシいません」「カノジョと暮らしてる」(これは息子)などの報告を聞いていたら、息子はカノジョ問題にツッコまれることになった。
女子1「今のカノジョとは?」
息子「2年ぐらいかな」
Rくん「3年付き合ったカノジョがいるって聞いたけど、今のカノジョがお母さんと同じ大学の人?」
息子「間の人がそう」
女子2「それって、付き合った期間めっちゃ短くない?」
息子「1年ぐらいかな」
女子1「カノジョの間隔、かなり短いことになる!」
息子「実はけっこうつながってます」

すみません、ほとんどの情報の出元は私です。
だって、毎年Rくんママにカノジョ情報聞かれて話してたけど、全部Rくんにダダ洩れだとは想像してなかったよ。
「怒られる~、あとで息子に怒られる~」と頭を抱えていたら、
「今さらそんなことで怒らないよ」と優しく言われた。
本当?帰ったらいきなり怒り出さない?

そんなバクロバクロな状況下、彼らの同期女子の1人は、すでに「結婚・出産・離婚・再婚・第二子妊娠中」であるとその母から知らされた。
「はやっ!」と、仲間の高速回転人生に驚きおののく彼ら。
即座にビデオ通話が行われ、我々も含め、その場にいる全員がその女子と2歳ぐらいの第一子と話すことができた。(しかし、やかましすぎて「せいうち夫婦で~す」の声は聞き取れていまい)
「今すぐおいでよ~」という母親からの誘いは、さすがに「産んで、スリムになってから行く」との答えだった。
そこんちはお母さん自身早い出産なんで、50歳そこそこのおばあちゃんがすでに出来上がってるんだよなぁ。

にぎやかに盛り上がって2時間以上、1人離脱しただけで三次会のガストまで行けた。
テーブルが足りないので、子供たちは別席だったのがまた良きかな。
談笑する5人の男女を遠くから見ていたら、涙が出そうだった。
せいうちくんはしきりに、
「子供たちがここまで育って、もう親のやることはないね。いろんなことが終わった気がする」とつぶやいていた。

最後、0時終電でお母さんとは別の都心の住まいに帰るMちゃんを見送ったあと、親と子が同じ家に帰る3組7人で一緒にぷらぷら歩いた。
「母さん、足は大丈夫なのかよ。また膝が痛くならない?」と心配してくれる息子に、
「ムリになったらタクシーを拾うから。気持ちのいい晩だから歩きたい」と言うと、心配しながらもゆっくり並んで歩いてくれた。
そのうちKくんと話し込み始め、2人でかなり離れた前を歩いて、信号とかで気がついたように振り向いて後続の我々を待つ。
Kくんママとせいうちくんと3人で並んでおしゃべりし、後ろからはもうひと組の親子連れ。

夢のような30分ほどだった。足は軽く、少しも痛くならなかった。
息子たちが通った塾の前、お世話になったシッターさんの家の前、小学校に折れる道の手前を通って、皆と別れる辻まで来た。
3人の男子たちは、「またな!」「おう!頑張れよ!」と言いながら、円陣を組むようにして互いの背中をバンバンバンっと叩き合っていた。
これはもう、誰だって泣くだろう。

そこからさらに10分ほど歩いて家に着き、息子は風呂に入って、疲れたらしくてすぐに寝てしまった。
明日は「ぶっかけそうめん」が食べたいと言う。
よしながふみのレシピで、トマトやきゅうり、ツナ缶をふんだんに乗せたさわやかメニュー。
いいね、糖質制限始めてからふた夏食べてなくて、つい先日もせいうちくんと「たまには食べようか」って言ってたところだ。
また明日ね。

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