19年9月1日

息子が彼の部屋で寝てると思うと、興奮して早く起きてしまった。
昼頃にはまた練習に出かけるそうなので、10時ごろに起こしてブランチ。
山ほどそうめんを食べさせた。
おかげで食後のアイスはノーサンキューされた。

最近読んだマンガの話をし、納得がいかないところを相談してたら、
「そこはまあ、そういうもんだと思って読むしかない」と現実的な解をいただく。
100均の棚に5巻完結で入っていた、アオリが気に入って買った作品を本棚に置いといたら、つかんで読み始めて「これスゴイ!」と連発し始めたので貸してあげることにした。
こういうので趣味が合う時、すごく幸せ。

車で送っていくついでにブックオフで軽く狩りをし、
「昨日と今日は本当にありがとう。またね」と言う彼を駅で落とす。
家に帰ったら激しく淋しくなって、
「もう1回息子に会いたい。連れてきてよ」とせいうちくんに駄々をこねてみた。
「母と息子の間に立ちはだかるのが父親の大切な務め。今、それを果たしている」と知らん顔されたよ。

猛烈に悔しいので、息子にメッセージでチクってやった。
返答は、「ははは」
私「ははは、って何よ(泣いてる)」
息子「楽しき後に残された時間はかくも残酷なり」
どいつもこいつも洒落たことを言うキザな奴だ。
「気に障る」と書いて「きざ」と読む。

19年9月2日

通院日。
週末は友人と還暦祝いの食事をして楽しかったこと、翌日息子も含めて飲み会があり、彼が泊まって行ってこれまた楽しかった話をした。
「よかったじゃないですか」と、なんとなく「息子との関係良好」とカルテに書いてる気がした。

「息子から、理屈っぽいって言われたんですよね。私の話し方は、理屈っぽいですか?」と聞いたところ、
「まあ、あのダンナさんと毎日話してたら理屈っぽくもなるんじゃないの?ずっとああいう堅い仕事でしょう?」と言われ、かなりショックを受けた。
「あのー、主人は確かに30年法務の仕事してますけど、全然理屈っぽくないです。むしろ、私が彼に理屈を説いてます」

いやー、主治医だからって全部わかるわけじゃないんだなー。
我々カップルを見ていて、せいうちくんの理屈っぽさに私が引っ張られてるなんて発言したのはこの人が初めてだよ。
はばかりながら、夫に会う前から私はこんなしゃべり方とこんな考え方だ。

先生にとって、私が多くの見知らぬ患者の1人であり、問題を解決しようとはしてくれているが、その問題もなるべく一般化したところからアプローチしているのだなぁとあらためて思い知らされた。
「理屈っぽい」のだとしてもそれは私が困る問題にはとりあえずならないからそう話し合う必要もなく、「よくあるケース=ダンナさんが理屈っぽい」のフォルダに入れた、って感じだ。

それはそれとして、今回の宴会で得た最大の教訓は、「人がどうふるまおうと他の人はあまり気にしない。極端に迷惑をかけなければ、どんな人間であってもいい」ということだと話したら、喜ばれた。
楽になる、いい考え方である方法だって。
「人間はね、それほど他の人のことなんか見てないからね。トランプみたいな極端なのは困るけどね」って、先生の主義思想が垣間見えたぞ。

「人間は分かり合えるし分かり合うべきで、たがいに近づく努力をすべきだ。そして主治医は万能にわかってくれる神様に近い存在だ」と思い込んできた世界観がかなりボロボロになったので、しばらくゆっくり考えよう。
齢60にして、「好きに生きていい」とのお墨付きをいただいたのかも。
主治医にさえ気に入られる必要がない、ってちょっと新しい概念。

19年9月5日

考え込みすぎて具合が悪くなった。
久々にオーバードーズをして、記憶がない。
考えて考えて考えて、ぷつりとキレてやたらに薬を飲むのは悪い癖だ。
おかげで今日はどんよりと記憶のない眠りに沈んで過ごした。
これじゃ、元の木阿弥じゃないか。

19年9月8日

息子のコント見に下北沢行くついでに、懐かしのお店巡りツアーを。
結婚前に5年ほど住んでたし、そもそも学生のせいうちくんとのデートはたいがい下北。
今回は見に行かなかったけど、1年前にはまだアパートが現存してた。
住んでた時でさえ古かったのに、それからもう30年以上。築何年になるんだろう?
喫茶店も居酒屋もずいぶん変わり、そもそも駅がものすごい変わりようで、元住人なのに道に迷う。

喫茶トロワ・シャンブルで14時に長老と待ち合わせ。
こんな暑い日しかも台風が近づいてるってのに呼び出してすみませんと謝り、せいうちくんと3人でたっぷりおしゃべりをした。
お笑いが好きな前期高齢者である彼は、前にも息子のインプロコントライブにつきあってくれている。

腹ごしらえをしつつ軽い飲み会をしようと中華の「珉亭」に移動するも、今日はお祭りがあるようで街は大賑わいだと思っていたら、珉亭の2階座敷は団体さんでふさがっているらしく、外に行列ができていた。とても入れそうにない。
長老が「燃料だ、燃料入れなきゃ」とコンビニでビールを買っている間に、井之頭五郎よろしく「店を探そう!」と片っ端から覗いてみたが、
1.17時から開店(まだ15時半)
2.満員
3.高い
4.長居できなさそう
のいずれかに引っかかり、なかなか適当なところが見つからない。

しばらくさまよったあと、
「原点に戻ろう。今頃、珉亭の団体さんが出て行って入れるかもしれない」と提案してみると、2人とも、「いや~、それはないない」と言うが、いいからせいうちくん、走れ!と斥候を行かせてみたら、なんと二階の団体さんはお神輿かつぎに出てっちゃったので、一気にすいたらしい。
予定通り二階の座敷に収まって瓶ビールを楽しむ我々。

「いや~、入れるとは思わなかったなぁ」と長老が「キリンのおねえさんに教えてもらった綺麗な泡の立て方」でビール注いでくれながら言うから、
「私が『あきらめない女』だからだよ。もっとほめていただいても全然かまわないよ」と威張る。
さっと走っていくせいうちくんを擁しているおかげもあるが、あちこちお店を探しながら「元々の珉亭があいたりしてないだろうか。もしあいてたら、満足度期待値ともに絶対に高くてコスパいいわけだから、労力の一部を割く価値はあるんじゃないか」と考えてみるのは、実はとっても有能な人間の習慣じゃないだろうか。

餃子はね、楽しみにしてたのに売り切れちゃったんだって。
名物ラーチャンの半身をなすチャーハンもごはんが食べつくされちゃったんだが、こちらは炊けば何とかなる。
もう50年はここのヌシやってようかっておばちゃんが、「飲んでるうちに、炊ける」と神託を告げるように厳かに言っていた。

もう1人の参加者Kくんが来る頃にはみんなすっかり出来上がってて、チャーハンも出来上がって、野菜炒めとニラレバ炒めとラーメンとチャーハンでひたすら飲んでた。
母さん、息子の舞台観に行くのに顔が真っ赤なのヤなんだけどなぁ。

インプロは予想がつかなくて面白いので、我々は2公演続けて観た。
さすがに「親の友達」はそこまでの義理もないし台風で帰れなくなるとヤバいから、1回目が終わったとこで軽くスタバでお茶飲んで解散。

Kくんは美術に造詣の深いIT会社代表でちょっと謎の人なんだが、プロデュース方向の発想が確かで、見方がシビアだった。
「息子くんは、またアメリカに行った方がいいよ。はったりも必要だし、メソッドをきちんと携えて帰ってくるべき」
息子が渡米しようと思う時にはたいていこういう強い応援団がいるなぁ。
(前回は、昔の塾の先生が激押ししてくれた)
それも彼の運と力か。

「ま、僕らはPTAなんで、本当の面白さはわからない立場なんですけどね」と言うKくんの冷静な姿勢に強くうなずく。
そうなんだよなー、自分の子(彼らにとっては小さいころから知ってる、友人の子)が出てると思うだけでハラハラドキドキしちゃって、何が起こるかわからない即興のインプロコントを見ている面白さと混同されがち。親のつり橋効果。
お題をいただいてもなかなか始まらず、横一列になって誰も出ない瞬間なんて、誰も挙手しない授業参観で後ろから「ここで、挙げなさいよ!手を!」と自分の子の背中を心の中で蹴飛ばしている時と同じであろう。

40分ほどの幕間をお茶と感想会に使い、台風だから急いで帰ると言う彼らと別れて再び小屋へ。
午前中にTwitterで「台風接近中ですので、無理をなさらず。2回目の予約の方は、1回目に振り替え可能です」と通知してる彼らにプロに近い配慮を感じた。
学生お笑いの頃だったら「台風だぜウェ~イ、ノリノリだぜい~」って無茶をしてたろう。
配慮のおかげかほぼ満席だった1回目とは打って変わって2回目は10人ほど。
思わず小林まこと「1、2の三四郎 2」のがらんとしたリングサイドを見てゲストの覆面外人選手スノウマンが「新団体設立おめでとう。しかし、これほど少ない客の前で試合するのは初めてだ。ただし私もプロだ。全力ファイトで祝福しよう」と言った名場面を思い出しちゃったよ。

ここ数回メンバーに加わってくれてる女の子がものすごく上手くて、本来は演劇の人だと思う。
演劇の要素としてコントを勉強するために参加してるのかしらん。
紡ぎ出す世界観が素敵で、足のつま先まで瞬時に役になり切り、即興コントを盛り上げる。
北島マヤと呼びたい。
亜弓さんは時々参加してくれる美人コント師か。
しかし惜しい、どうしても足りないものがある。それは月影先生。
と話していたらせいうちくんが言う。
「サブリーダーのSくんがカツラ被った女装がなかなかおどろおどろしい。彼に月影先生をやってもらおう!」
おう、1本できそう!
人はこうして二次創作を書いてしまうものなのか。

お見送りの時にそのSくんが妙に心配そうに「大丈夫ですか?」と声をかけてくれたのは、物好きにも2回続けて見た我々が帰れるかどうか、だったのかな。
ぜいたくしてタクシー使ったから、全然平気だったよ。
彼らも打ち上げも何も省略してたちまち解散したみたい。

「これからすごい雨が降るらしいねぇ」と後部座席で話していたら、
「神奈川の方はもうすごいらしいですよ」と参加してきた運転手さん。
京急の線路事故の話をしていた時も、
「あれはね、ナビがいけないんですよ」とツッコんんできた。
運転手さんが後ろの話をあまりに聞いていると感じるのは、やや居心地の悪いものだが…
まあ、袖すり合うも他生の縁、縁あって乗り合わせたので、面白い体験をしたと思っておこう。

19年9月9日

台風だから通院もお休みにしようかと思っていたら、朝には行ってしまってバスも電車も動いていたので、ちょっと「ちぇっ」と思いながら出かける。
皆同じように思い、しかも実際に休んでしまったせいだろうか、すいてはいた。

ドクターに昨日息子のライブを見に行って面白かった、と話すと、カルテをぱらぱら見ながら訊いてきた。
「息子さんは、前からお笑いがやりたかったの?」
高校時代から好きだったこと、いつからプロになるつもりになったかわからないが大学では迷わずお笑いサークルに入ったことなどを話した。

「劇団員だったら、人に話したときに『売れるといいね』って言われにくいと思うんです。お笑いやってるって言うから、『テレビに出るといいね』『ブレイクするといいね』ってなっちゃう。一般の人のお笑いへの期待は上げ底ですよ。悪いけどそれで食ってくのは難しいと思ってて、本人が好きでやってれば生活が苦しくても楽しいから、それでいいと思うんですよね」
「ふーん、息子さんは、幸せだね。いい親子だよ。やれ、どこの大学に入れの、どこの会社に入れの言う親が多いのに、本人の楽しさを一番に考えてあげられるあなたは、立派なお母さんだよ」
うわー、ほめられちゃったよ。

今日は他にもやたらにほめられた。
「あなたのすごいところは、いろいろ考えて、それでもって人を助けてあげられるところなんだよね。なのに、どうして自分だけは救えないのかなぁ…」
ドクターにそんなに悲しそうに言われると、罪悪感が生じるじゃないか!
「人を助けてあげられてるんだったら、きっと他の人たちが私を助けてくれますよ。人間は、自分じゃ自分を救えないんですよ」って宗教くさいし、患者が言うのはヘンだぞ。

自分でもね、憂いがなくて理性がクリアな時は、人のために何かできる気がする。
ただ、体力がないと言うか精神力も体力なので、力が小さすぎる。
せめてせいうちくんを具体的に幸せにしたいな。
娘と息子は、この世に生まれたことと両親が彼らを愛し彼らの幸せを望んでいること、それも仲良く手をつないで笑顔で見守っていることを、贈り物と思ってくれ。

ああ、また「私の幸せを望んでくれなかった母」のことを思い出して頭に来ちゃったじゃないか!
「親になればわかる」と言われ続けて、うん、親になったからよくわかるよ。
「子供の幸せを望むのが親」じゃなくって、「子供の幸せを左右する恐ろしい力を持っているのが親」なんだよ。
なのに、良い人間と悪い人間がいるように、良い親と悪い親がいる現実。
力の使い方には、慎重なうえにも慎重でいよう。

19年9月11日

息子が今度出るライブの情報が流れてきたので、主催してる方々のコントをYouTubeで観てみた。
ショックを受けた。
もともとの息子たちのテイストに非常に似ていたからだ。
「考えの同じ人たちは惹かれ合うんだなぁ」なんてのんきな話じゃない。
彼のコントはあるパタンにはまった「主流」のひとつで、しかも狭いお笑い界は似たような傾向の人々でひしめき合い、通勤ラッシュさながらの様相だ。

息子がなんらかのブレイクスルーを求めてインプロに行く、ってのもわかるよ。
差別化しないと売れない、という現実的な側面はおくとしても、人と同じことをしていては腹の底からのフレッシュな笑いは取れないよね。

その「即興コント=新コント」すらも、5回観たら飽き始めるかも、と思う。
よっぽど上手にやってくれないと、「何が起こるかわからない」という状況に飽きる。
すたれない笑い、人々が何万年も求めてやまない魂の笑いを追求して、いろいろやってみてくれ。

「売春が人類最古の職業」なのだとしても、「笑わせ屋」が職業として求められたのはそれに遅れることさほどではあるまい。
人は、笑いたいものだ。悲しいことも考えてしまう生き物だから。
老病死苦から逃れるために宗教が発達したように、お笑いもまた人類救済のために進歩し続けているはず。

19年9月13日

ちょっとしばらく日記をお休みします。2、3週間ぐらい。
たまたま通院日にしている月曜が2回お休みで、そのうえドクターは10月に胆のうの摘出手術を受けるそうなので、予約が混んでる。
患者サイドもお騒がせしないよう心掛けて治療を見守り、無理にスケジュールに入れてもらわず頑張るのだ。
実は3週間も行かないでいいなんて一種の休暇を取った気分。
この機会に自分のことを考えるのを少しやめて、ゆっくり呼吸するのに合わせておなかをふくらましたりへこませたりして時間を過ごしてみようと思う。

「オレはSNSは大っ嫌いだ」と公言する息子に、「母さんは何でも自分のことだと思い過ぎで、Twitterとか読むのにはまるで向いてない。やめろやめろ!」とド叱られたこともあるぐらいで、流行りのネットデトックスを少しやってみようかと思う。
本とマンガとテレビはありね。
うーん、TwitterとFBはなしなかぁ。LINEもメッセンジャーもか。
そこまで厳密にはやらないから。ちょっと無口になるだけだから。そもそも私、FB始めた頃に比べると相当に無口になってる。

そんな気持ちに呼応するように、8ヶ月快調に使い続けていたiPad Proが不調になった。
昨日ほぼ1日アップルさんと対策を考え、いろいろやってみたけど治らなかったので、修理。タブレットにとっては入院だ。
一番近い支店が新宿と言われて、そこまで出かけられないので宅配便での回収を頼んだら、実に快くテキパキと手配をしてくれた。
一切の操作ができないので失われるデータがあるかもしれないけど、まあ元々大したことには使っていない。

マンガを読む手段として古いiPad Airを再び使ってみたら、その画面の小ささに驚きと不便さを感じている。
重いし、使いこなせてるとは言えないが、もうProなしには生きていけないな。
早く元気に治って戻ってきて。
私も少し休んでいるよ。

還暦にもなったことだし、落ち着いて考えてみたい。
静かにしてるのも身体を休めるのも悪くない。
しばらく旅行にでも行ったと思って、時々「どうしてるかなぁ」と思い出してくれれば。
ただひたすらマンガ読んでるんですけどね。

テンションが上がりすぎて具合悪くなることも多かった1年がやっと落ち着いて、11月まで一切何の予定も入れてない。すがすがしい。
休暇を取ったつもりで、何もしないでいてみよう。
むずむずしてきたら、それが向かいたい方向なのかも。
「やっぱり私、ごろごろするのが大好き!」と叫ぶために、思いっきりごろごろしよう。

それでは皆様、しばしのお別れです。

19年9月15日

iPad Proが壊れたので修理に出した。
クロネコさんが取りに来てくれて、「ここに置いてください」と言う段ボールシートの上に置いたら大事そうに折りかぶせて、厚手のレターパックみたいにして持ってった。
終わったらまた持って来てくれる予定。

壊れててどうしようもないことがわかるまでほぼ半日電話かiPad Proのどっちかにつきっきりになってた際の、アップルさんの熱意とサポート力は大したものだった。
うちのPCに赤い矢印を飛ばしてくるぐらいスゴイ。
(やり方は担当者によって違い、何人もと話すうちには「ここのところを押してください」と向こうのタブレット上かなんかにぐるぐると丸を書く人もいて、面白かった)

しかし、誰が間違えたのだろうか、クロネコさんがつかんでる我が家の部屋番号は、間違ってた。
同じマンションの違う部屋に行って「ちがいますねぇ」と言われたのち、私のケータイに電話してきて判明した。ケータイは合っててよかった。
しかし、下のゲートは開けちゃったんかい、うちと似た部屋番号の人よ。

修理後戻ってくる時にも同じ間違いが起こると予想されたので、クロネコのおにーさんに訂正しておこうと思ったら、それは彼の係ではないらしく困ってた。
「じゃあアップルさんに言った方がいいですかねー」と言うと、
「それも自分はわからないので…」とまた困る。
あとからアップルサポートに電話してOKになったけど、仕事の細分化であるなぁ。
そういやサポートの方でもテクニカルな人に電話してしまったらしく、別の部署に回されたよ。
中でやってくれてもいいのに、とちょっと待ちくたびれて思った。

Proがなくて、いろいろ困ってる。
使わなくなってたiPad Airを出してきて、おまけに「前からアナタのやつの方が画面がきれいだと思っていた」と難癖をつけて、せいうちくんが使っていた新型iPadと無理やり交換させてしまった。
いいんだ、あの人は私ほどマンガ読まないんだから。
だいたい見開きじゃなくて片ページ派らしいし。

Retinaディスプレイの差もあろうが、大きいのは表面に張ってあるシートだと気づいた。
せいうちくんのは透明度が高くつるつるしたタイプ。
私は、買う時に「これが売れてる」とのレビューに騙されたというか、目的を誤っていた。
ゲームをする人たちは「適度に指先が引っかかるやつ」を好むのではないだろうか。
その結果、なんとなく擦りガラスっぽい。
せいうちくんも、
「全然かまわないけど、確かに少しすすけて見えるね。僕の方が透明」と面白そうだった。

あと、何と言ってもちっちゃいよね~!
あんなにちっちゃいとは、いや、iPad Proの画面があれほど大きいとは気づいてなかった。
5年以上も普通サイズでよく読んできたなぁ、自分。
今じゃまるで細かい字がびっちり書かれたハガキを読んでるようで、「では、ここでお便りを一通」とかDJごっこ始めちゃいそうだ。
どんなに高くても、買うべきものだったぞiPad Pro。

それ以外にも、せいうちくんのタブレットを奪ったツケが回ってきて、つらい。
自分用にカスタマイズされてないとかいう以前の問題で、買った時以来ほぼ何のアプリも入れていないやつは使いにくい。
向こうは向こうで、「やたらにいろんなアプリがある。何ページもアプリで、必要なものがどこにあるかわからない」と文句を言いたそう。
タブレット交換は、あまりやらない方がいいようだ。

入れ直すのも面倒くさくてこれまでタブレットで見ていたSNS群を全部ケータイで見ているので、やりにくくて何もできない。
歯を矯正していると自然とダイエットになる、というのに似た現象で、デジタルデトックスが実現できているかも。

19年9月16日

息子が遊びに来た。
カノジョんちに住んでるのにまだ住民票はこっちにある関係で、始終事務的なお知らせが来るため、なんだかんだ言って月に一度は顔を見てごはんを出してる気がする。
まったくそれがなくなるのも寂しい気がして、どうせまたしばらくアメリカに行くことだし、住民票問題は棚上げかな。

今回のごはんは「カオマンガイ」。タイ料理。これまたよしながふみ。
しょうがやスープの素を入れて鶏肉をのっけて炊いたごはんが美味しかったようで、「うまいっ!」と食べながら何度も、「この、鶏飯(けいはん)が美味いね~」と口に出していた。
君にね、母さんの友達のSちゃんが得意だったスープかけの「鶏飯」を食べさせてあげたかったな。
亡くなった彼女だけの得意料理にしておきたくて、まだ作ったことないんだ。

お笑いやインプロの話をたくさんしてくれた。
他の人たちと一緒にやるライブがいい刺激になっているらしい。
「こないだ、人のライブにグループのメンバーと2人で出てね、信頼できるやつと2人でボールを投げ合うから、世界が広がって面白いのができたよ。お題は『安倍晋三』だったんだけど」
そりゃ見たかったな。

それから3人で娘に会いに行った。
娘の顔を覗き込んでにこにこと無言で手を握っている息子に、
「何話してんの?」と聞くと、
「最近オレが何やってるか、とかだよ」
そうかー、母さんは君ら2人がちっちゃい頃を思い出してた。
私は産後の肥立ちも悪く健康を損ねていたけど、せいうちくんが娘のために介護休暇を取って家にいてくれたあの1年、障害児と1歳未満の乳児のめんどうをみながら、楽しく日々が過ぎた。
家族4人、ちょうど娘のベッドの周りに集まる今日のように、とてもとても密接にお団子のように一緒に暮らしたよ。

帰りの車の中でカーステレオから流れるアニソンに合わせて快調におしゃべりしているうちに、息子は何やらやる気がわいてしょうがなくなったらしい。
ブックオフに寄ってから駅に送っていく、って予定だったが、
「オレ、ブックオフはいいからさ、歩いて行くよ。送らなくていいよ」
店から駅までは歩いたら1時間ぐらいかかりそうなのでびっくりした。歩きたいの?

私「母さんが圧とテンションが高いから、イヤになっちゃったわけじゃなくて?」
息子「ちがうちがう!父さん母さんといい話もたくさんできたし、娘ちゃんにも会えたし、もうね、気が逸っちゃって、書きたい~って気分なんだ(ここで「檄!帝国歌劇団」が鳴り始めたので)ほら!音楽もこうなっちゃったしさ、もう、やれ、やれ~!って言われてるよ!」
私「じゃあ、父さんに先に駅に車をつけてもらうよ。母さんも今日はブックオフでじっくり探したい本がたくさんあるから、あなたのこと気にしないでいいのはありがたいよ」

というわけで車は急遽駅へ、息子は狭苦しい車内で無理矢理、隣の父親と後部座席の母親をナビシートからハグするという曲芸を演じてあたふたと降りて行った。
今回はとてもいい会い方ができた気がする。
世界はだんだん良くなっていく、と信じたい。

19年9月17日

息子が来て娘にも会ってとても楽しかったのと、「敬老の日」だからと勧めたらせいうちくんがお母さんに電話をしたのはいいけどやっぱりまた若干もめてたみたいで、世代間でなぜこうアップダウンが激しいのか、息子はオトナだけどせいうちくんはオトナじゃないってだけか?と不安定な気持ちになってしまった。

親を好きになれない、尊敬できないでいると、そんな親に育てられた自分の中身がからっぽかろくでもないもののように感じる、とせいうちくんは言う。
そう思いたくなくて全力疾走し、「自分は価値ある人間!」と大声で叫びまわっていた私にもよくわかる境地。
でもね、せいうちくん、我々は少なくとも息子を健康に育てたよ。
親からもらえなかったものを、ちゃんと自力で都合したよ。今の我々には「欠けてた何か」がちゃんとあるんだよ。ないものは伝えられないもん。

ま、「実は自分の親からも何かしらちゃんともらってる」って考え方もできるんだけど、それ言ってると「そんな親を愛せない自分」への自責が強くなるから、そこはちょっとネグっとくしかないんだ。

そうはげまされて会社に行ってお仕事するせいうちくんは本当に偉い。
私はばったり倒れてた。文字通り、薬飲み過ぎて気絶。
せいうちくんが遅くに帰ってきた時には「吾妻ひでおの『くるむへとろじゃん』の『へろ』」ぐらいへろへろになっていた。
なのにせいうちくんの言うことがちょっとでも理屈に合わないといろいろ並べ立てて例証し始めるもんだから、論破された側としては、
「こんなにへろへろで理屈だけしっかりしてる人は、見たことない!」と叫ぶしかないだろう。

「昼間ずっと寝てたから、きっと眠れない。睡眠薬のんで時間帯を調整する」
「いや、それは寝てんじゃなくて気絶だから。寝るのはまた別に、ちゃんと寝られる。薬の効き目が眠るのを阻害してるんだよ。それが消えれば必ず眠れる。ここで睡眠薬をのむとかえって薬×薬の相乗効果で眠れなくなる」と力説され、そのまま寝たけど、ほらやっぱり徹夜になっちゃったじゃん!

19年9月20日

下の歯の左右両側おんなじあたり、熱いもの冷たいものがしみる。飛び上がるほど痛い。
まめに点検に行ってはいるが、虫歯はヤバい。
人工血管は感染に弱いし、機械弁を入れているためのんでいるワーファリンは血が止まりにくくなるので抜歯は避けたいうえ、効き目に影響するので抗生物質も軽々にはのめない。
虫歯以前で食い止めるしかないじゃないか。

レントゲンも撮った結果の診断は、「ストレスが原因の食いしばりによる知覚過敏」。
歯の当たりも強く、疲労やストレスに思い当たりますか?と聞かれたよ。
思い当たりがありすぎる。生きてるだけでストレス。不器用なんです。
「歯茎や歯にも血管は通ってます。緊張すると血行が悪くなって、良くない反応が出ます」
「口の中で肩こりしてるようなものですか?」
「そう!まさにその通りです!」

虫歯じゃないのは嬉しいけど、肩の肩こりだって止められないのに、口の中の肩こりはもっと難しい気がする。湿布薬も貼れず、マッサージに通うわけにもいかない。

歯茎は腫れる口内炎はできる、わかりやすい不調のオンパレード。
せいうちくんは「ゆっくり寝て」って言ってくれるけど、「ゆっくり寝る」、これがまず大きなハードルとなる不眠症の悪化。
もう、どうしたらいいのか。

19年9月24日

iPad Pro物語 その2(その1は先日修理に出した時が該当します)

実を言うとiPad Proの修理がスムーズにいっていない。
最初の話ではそろそろ送り返されてきてもいいぐらいなのに。
13日に電話で相談し、14日に宅配便で送り、16日に着いたことを宅配の記録を調べてつかんでいる。

そもそも住所が間違っていて、取りに来た宅配のにーちゃんがマンション内で迷ってしまったので、戻ってくる時にまた同じ間違いが起こっては困るとアップルさんに住所変更しておいたら、「iPad Proが壊れたので修理をお願いしている」という私の相談は、同じ相談番号のまま、「住所変更のお願い」という案件に変わってしまっていた。
「18日にそのご連絡を受けたため、そこからの受付になっております」と言われて茫然。
「修理のお願いで現物は16日に着いているのに、いったん住所変更をしたために、手続きし直しなんですか」
「さようでございます」
どーいうやり方をしてるんだ!?

と、私が怒鳴ったわけでは全然なく、単に一定の時間話すとほぼ自動的にシニアアドバイザーに交代するアップル独自のシステムのせいで、担当さんが替わった。
ほとんどぷるぷるして怒りそうなのを押さえて同じことを質問すると、やっぱりさっきの担当さんの言ってたのはマチガイなんだって。そんなやり方はしてないって。なに勘違いしてんだ!

と安心したのもつかの間、意外な事実が明らかになる。
確かに16日に着いて案件としては途切れず対処している、しかし、問題のiPad Proはまだ開封もされていないそうなのだ。
「なんでーっ!?」と怒鳴ったりしませんでしたよ。「どうしたんですか?」とおだやかに聞きましたよ。
なんでも思ったよりたくさんの製品が工場に送られてきてるので、処理が遅れてるんだって。
発売して1年弱、そろそろ隠れた不調でも出る頃かねぇ。

「とにかく急いでください。なくて不便をしています」とだけ伝えて、お話は終わり。
最後に「何かご不満の点とか、おありでないでしょうか」と紋切り型に聞かれて、「イロイロご不満である!」と答えたい気分になっている。
もちろんクレーマーとはまったくイヤなものだと思っているので、「いえいえごていねいにありがとうございますどうぞよろしくおねがいします」(ちょっと棒読み)と答えておいた。

もっとも、自分自身カスタマーサービスの部署にいた期間の経験では、たいていの場合「カスタマーとはクレーマーの予備軍である」と身にしみている。
そりゃあせっかく買った商品がきちんと作動しなかったり、修理に出したらちっとも戻ってこなくてどこに行ったか分からなくなったりしてたら、何か言いたくもなるだろう、とは感じていたので、カスタマー側が思うよりカスタマーサービス担当者の腰は低い。(と思う)
そもそも全部仕事の一環であり、電話口で罵倒でもされない限り、いちいち覚えてたりしない。
感じの悪いおっさんやおばさんぐらい、犬が歩いて当たる棒の数の1万倍ぐらいいる。
何しろ「棒に当たってる犬」は人生でまだ見た記憶がないぐらいだ。

まったく話がそれてしまうけど、さだまさしの「私は犬に叱られた」の歌詞が面白い。
「言っておくが別に猿とは仲も悪くないし」
「犬も歩けば棒に当たると言うけど それの何処が幸せなのか説明して見ろ」
「救助や介助やおまわりさんまで務めてきたのに」とまったく、さだまさし本人が「もっともだ もっともだ」と歌うのも無理はない。
「花咲か爺から桃太郎まで面倒見」てもらっちゃってることを、言われてようやく思い出した。

コミックソングを作る人は絶対に頭がいい。
普通の人がぼんやり感じてることを的確に面白く語るってのは、頭が良くなければできない技だ。
「どぶろっく」もすごいな~と思いながら、今年のキングオブコントを見た日からずっと「大きなイチモツをください~」とついつい口ずさんでいる。
せいうちくんか私が突然笑い出した時は、頭の中でその歌が流れてる可能性が高い。と言うか、ほぼそれ。

19年9月27日

iPad Pro物語 その3

今日の昼になってやっと、「お客様の製品を受領いたしました。これより修理に入ります」のメールが来た。
16日に届いていて、24日にまだ開封されていないと謝られて、よろしくお願いして、それで今日かい~!

数時間後、修理はどうなりそうかと「修理状況」をクリックして専用サイトに行ってみたら…もう交換品の準備を始めてるって!
「まもなく発送いたします」って、すぐに戻ってくるの?修理が手間取りそうだから交換品を出してくれるの?!

でも18時になってもステータスが変わらない。
金曜だから、このまま週明けにもつれ込むのか?
せめて、土曜日も配送作業は進められるのかだけでも聞きたい。

ただそれを聞くために、たらい回しされた。
「代わりの物を送ってくださるとのことですが」
「当社では代替品はお出ししておりません」
悪かったよ、「交換品」って言わなくて。でもさ、発送準備に入ってると言われた、って言ってるじゃん。

そこの誤解が解けたあとも、
「メールでお知らせが行ってるなら、配送業者には渡ってるかもしれませんから、土日も配達あります」って、メールもらったなんて言ってないよ、そちらのサポート情報読みに行ってるんだよ。
まだ出荷されてなくて、土日は動きがないなら、無駄に何度もサイトを見に行きたくないから聞いてるんだよ。
「工場から出荷が行なわれるかどうかはわかりかねます」って、同じ会社のことじゃないかぁ!

例によってシニアに回された。
「問い合わせしようにも、ワタクシがいろいろお調べしている間に工場が閉まってしまいまして」って、そもそも工場が閉まる18時まで動きがないのを確認してから21時までやってるカスタマーサービスに電話してるんで、そこはあなたの責任じゃないと思う。
いらんことまで謝らんでよろしい。
「今、発送されてないということは、土日には動きがないものと思われます。週明け一番でやらせていただきます」が模範解答じゃないかい?

どうやら、私のiPad Proは開けたとたんに「あ、こりゃいかんわ。修理じゃ追っつかない。交換品を送らなくっちゃ」となるケースだったらしい。確かに発表してない初期不良がありそうだ。
相談が長引いたせいか、交換品を送るより「箱入りの新品」(要するにお店で売ってるヤツだ)を送る方が早いと思われるので、「どちらが早いか検討した上で、早い方の手続きを取らせていただきます」となった。
どっちでもいい。早く戻して。
アップルさんも「通常は5~8営業日いただいております」と言うから、確認が遅れて処理が遅れたことは遺憾に思ってるらしい。
決して私がクレーマーだからの対処ではなく、向こうさんのミスが原因で見せている誠意だと思いたい。

「月曜一番に確認いたしますので」と言われて、今日のところはおしまい。
来週に持ち越しだ。嗚呼、愛機がないとつらい。

19年9月29日

息子が訪ねてきた。
前々回と同じリクエストで、「ぶっかけそうめん」をふるまう。
毎年おせち料理替わりに作っていた彼の大好きな「牛肉のたたき」も作った。
新年はNYで迎えることになるだろうから、今のうちに食べて行ってくれ。
こちらも、君抜きの新年は初めてだ。
家を出た後も、お正月には表敬訪問してくれていたからね。

春、せいうちくんが昇進した時に人からお祝いにいただいたシャンパンを開けた。
2人じゃ余っちゃうからずっと一緒に飲んでくれる人を探していて、機会がなかったんだ。
(8月に私の還暦を祝おうとも思ったが、友人を誘ったら「暑すぎて外出できない」と言われて涼しくなるのを待っているうちに彼女は転んで骨折し、ますます外出はままならなくなった)
10月に息子が26歳になるのと、彼の無事の旅立ちを祝って、乾杯した。
ペアのシャンパンフルートまでもらったので、昇進した人と旅立つ人に使わせてあげた。

だが話は若干暗雲垂れ込めていた。
去年も2ヶ月お世話になったシェアハウスに今度は3ヶ月予約を入れようとしていて、ディスカウントがあるかもと言うぐらいだからもう話はついてると思っていたのに、なんと改装するのでしばらく宿泊客を置かないのだそうだ。
いきなり路頭に迷う息子。

もう予約金を払うつもりで、カードの限度額の関係で自分のカードから振り込めないから私のカードを貸して欲しい、その分は現金で持って来てその場で返すから、というのが今回の訪問の主目的だったのに、振り込む相手がとりあえずなくなってしまい、話はご破算だ。
やりとりはしていたようだから、さすがに「困ります!」と頼み込んで、近隣の同業者を紹介してもらうぐらいのことはすればいいと思うし、現にせいうちくんはそうアドバイスしていたが、まあこの苦境をどう切り抜けるかも彼の試練だろうな。

「去年できた友達のところに泊めてもらえるから、滞在費はあまりかからない」と最初は豪語してたじゃん。
心配性のせいうちくんに説得されて経験済みのシェアハウスにしておくことになったが、こういう時こそ「友達」の出番では?
しばらく置いてもらって、現地で宿を探すってわけにはいかないの?

息子のNY行きを控えて、去年の渡米の時は自分がどう思ったか、息子がどんなことを言っていたかを確認しようと、日記を読み返してみた。
忘れっぽい私ではあるが、こーゆー秘密兵器があるんだ。

自分自身、心配で反対してたような気分になってたが、実は聞いた瞬間(特に、コントライブの舞台の上から言われたもので)こそ驚いたものの、終演後に彼と顔を合わせた時は、
「行きたいなら行けばいいじゃん。ただし費用は自分持ちで頼むよ」と言っていたらしい。
「お金どうすんのよ」と聞かれた彼は、
「なんとでもなるよ。ところで今晩の打ち上げの金がないんで、貸して」とろくでなしぶりを遺憾なく発揮していたようだ。

その後も、
「思いつきでそんな危ないことしない方がいい。彼は今、やけになってるんだよ」と心配するせいうちくんを、
「とりあえずサンフランシスコの親戚のとこに行くって言ってるし、そのあとNYに行ったっていいじゃない。なんかやる気になっただけでもめっけもんだよ」と説得していた。

小学生の頃から面倒みてくれてた塾の先生に相談したせいうちくんは、
「よくご両親と会ってますが、今回はお父さんだけで」と言われて1人で出かけて行った。
なぜ私を外したかの謎はすぐに解けた。
「私は賛成ですが、お母さんはきっと反対してるでしょうから」と塾長に言われたのだ。
せいうちくんがあわてて、
「いや、母親は『行かせりゃいいじゃない』という姿勢です。私が踏ん切りがつかなくて、どうしても賛成できないんです」と打ち明けると、びっくりされたそうだ。
「普通のご家庭ではお母さんが心配して反対するんですが、やっぱりせいうち家はちがいますね!」

結果的に、この塾長の熱心な説得と後押しがあってせいうちくんの心も決まった。
費用の心配までしてくれる塾長に、「他人がこれほどまでに熱意を持って背中を押してくれるのに行かせなかったら、息子にも恨まれるし自分も後悔しそう」と思ったらしい。

1年経った今では本当に良い判断だったと思っているし、これからも行きたければ行けばいいと思う。
金銭的には親への借金が増えるが、オトナになりにくい時代だ、将来への投資(たとえ無駄になるのだとしても)をもうしばらく考えてあげてもいいだろう。
逃げ口上かもしれないが、結婚式の費用を出すとかマンション買う時の頭金を出すとかと同じように考えている。
(もちろんそういう時には出さないと思う)
そもそも、学生時代からの借金と合わせて返してもらう気満々だぞ。

今回の費用を振り込んでおくよ、とせいうちくんが言ったら、息子はきりっとしたまなざしを作って、
「芸で返します!」と見得を切った。
せいうちくん、冷静に、
「いや、お金でも返してもらうよ。貸付金は資産にカウントされるから、大事な老後の資金なんだ」
「もちろん!」と答えながらも一瞬鼻白んだように見えたのは気のせいか。

「冬のNYは寒いよ。母さんも、ケネディ空港から直接コネティカットに行って、雪が降ってた。石造りの建物にボイラーで暖房がカンカンだけど、あの人たち、暖房が壊れたら集団で凍死すると思うなぁ」と初めてでもなく話したら、
「若い頃、同じ季節に行ってたんだぁ。母さんは何しに行ったの?」と、これは初めて聞かれた。
「お笑いの勉強」みたいなきちんとした理由かどうか。

「大学で生きた英語に触れていたのに、時期尚早で生かし切ることができなくて不全感があった。翻訳家になりたかったから、英語文化圏に興味があり、外国生活をしてみたいと思っていたのもあり、LAでホームステイをして英語学校に行ってる間に東海岸に行くことを決め、コネティカットの大学でやってる英語のコースに申し込んで、寮に住んだ」

というようなことを説明した。
New Yearで学寮が空っぽに近かったこともあり、とてつもなく寂しかった。孤独に直面した。
異国で「どこの何者でもなく迎える新年」は人生最大の寂しい経験だった。
残留してる学生や英語プログラムの生徒たちで映画を見るパ-ティーが催されてフリーのピザが振る舞われても、寂しくて寂しくて仕方なかった。
英語で考えること自体がストレスになり、時間があると海辺に出て空を舞うカモメを見るか、西向きの自室で巨大な夕陽が木々の向こうに沈んでいくのを見ていた。
森を歩いてリスをスケッチするのも好きだった。
自分があんなに自然派志向だと知ったことはない。
いわゆる「自分との対話」をするのにはちょうどいい時間だった。

しかし、ひどいホームシックになって予定をうんと早く切り上げて帰ってきてしまった。
去年、3ヶ月アメリカにいただけでも息子はエラい。いくら1ヶ月は親戚の家でも、ほぼ初対面の人の家で暮らせるなんて私より社交的だ。
今みたいにSNSが発達していて恋人や家族と好きなだけやり取りができる時代だったら、事情は違ったのかなぁ。
いまだに敗北感と負け犬意識がぬぐえないんだよ。

メッセンジャーでの補足も含めたそんな話を聞いた息子は、
「『逃げ帰ってきた』ってニュアンスには全く聞こえない。留学して自分の至らなさを知ることは勇気の要ることだし、『自分と世界との関わり方』が日本にいるだけの時とは違って大きく前進することもすごいこと」と肯定的だった。
彼と私はまったく違う人間で、性格も感じ方も異なるだろうけど、彼にあの「人間は所詮1人なのだという絶対的な孤独」を味わってもらいたい。
私はそれに向かないし耐えられないタイプだと痛感したが、さてさて彼はどうだろうか。
そもそも、「そんなものはとっくに体験している。日本の夜中のガストでも、場合によっては街中の人混みの中でも、いくらでも感じられるものだ」とか言われたらどうしよう。

ただ、あの時究極1人だと感じたおかげで、絶対に人といたいと願っている。
一緒にいてくれる人には、最大限のお返し、ベネフィットを与えたいと思う。
こちらは計り知れないほどの恩恵を被っているので、それに見合うだけのものを相手に与えられる人間になりたいのだ。
とりあえずせいうちくんは1人でいるのがとても嫌いなタチらしいから、お互いに寂しくなくやっていけるだろう。
「死が2人を分かつまで」はずっと一緒にいよう。

「次に会うのはお正月過ぎ。来年だね。実りあるNY生活をね」と玄関で見送ったら、ぐいぐいハグしてくれた。
彼は始終挨拶としてのハグをしてくれるが、時々とりわけ熱心になる。
自転車で北海道に出発した大学生の時、就職した会社を辞めて生活が乱れていた時に夜中に帰ってきて「いろいろ考えてるから、心配しないでね」と優しく言ってくれた時、ひとり暮らしを始めるため家を出る時、もちろん前回渡米する時…
今回のハグもなかなか熱意のこもったハイクオリティなものだった。満足満足。

19年9月30日

久しぶりにドクターに会った。
単に毎週月曜に来てたら2回連続で休日だったというだけではあるが、実はこのあと彼は胆嚢摘出の手術を受けるので、また3週間ぐらい先になる。

医「腹腔鏡でやれたら3日で退院していいって言われてるけど、もし切ったら、しばらく入院です」
私「開腹ですか」
医「そう。全身麻酔って、あれ、イヤだよね。完全に意識なくなるしちょっとおかしくなるし、死ぬのに近い気がする」
私「私は楽しみでしたけどね。人工心肺を止める瞬間すらあると聞いて、なんかのマチガイで再起動しなかったら、それはそれでアリだと思いました」
医「僕が死んじゃったら、この部屋誰が片づけるの。自分じゃないとわかんない物だらけでさ、迷惑もかけるし、片づけるまでは死ねないよ。つまり、いつになっても死ねないってこと」
私「持ち物はほぼ夫と共有ですし、私の本や私物は夫が完全に把握してますから、大丈夫です。PCの中身も整理してあります。手術の前には万一の時のために夫と息子宛に手紙を書いてPCの中にしまっときました」
医「…ものすごく用意のいい人だね…」
私「友人関係でお世話になった人や仲のいい人にわずかながら遺贈の書き物をしておきたかったんですが、そこまでは時間がなくて。還暦になったんで、そろそろやります」
医「そこまでやる人いないよ…」

だってさぁ、人はいつ何時死ぬかわからないし、待ちわびているとまで強くは言えないけど、現実になったらやや僥倖であると思ってるんだよ。
死をもてあそんでる?死にたい死にたいという人に限って本当は死にたくない?わからん。

医「キリスト教の人とかは向こうの世界に行くと思って、楽しみにしてる人もいるかもだけど、そういう何かがあるの?死んだらどうなると思ってるの?」
私「特に宗教はありません。死んだら、無くなりますよ。無です。読んだ本も観た映画も、全部消えちゃうんです。だからむなしい」
カルテにでっかく「死は『無』です」と書かれちゃったよ。
言っちゃったものはしょうがないな。
手塚治虫の「火の鳥」教の信者です、って説明するのは難しい気がする。宇宙生命体とか。

ドクターが手術を終えて元気になるまでは負担をかけては悪いので、あまり面倒くさいことを言うのはやめよう。
眠れないなら睡眠薬をふやしましょう、と簡単に言うのはできるだけ避けたい良心的なお医者さんのようだから、よく話し合って考えてもらおう。

いつもの薬をもらいに薬局に行ったら、おねーさんがおじさんと立ち話してた。
同じ建物に整形外科が入ってる関係なのか、美容関係のものをよく売ってるんだよね。
おねーさん曰く、
「今晩はお店閉めたあとでずーっと作業ですよ。美容液は10パーセントだけど、サプリは食品だから8パーセントなんですって。もう、やめてよーって言いたくなりますよねぇ!」
今夜は日本中そういう残業だろう。

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