19年10月3日

iPad Pro物語 その4

有り体に言って、iPad Proはまだ返送手続きに入っていない。
27日に受領の連絡を受けてさすがにキレたが、そんなに恫喝しなくても向こうさんも重々責任は感じてくれているようで、おとといは「謝罪の王様」みたいな女性と話した。
ひたすら腰低く謝る。
「お客様にご不便おかけして、ほんッとうに申し訳ありません!」と謝る。
謝ってもらいたいわけじゃないけど、謝られないのもなんだから、謝られておくか。

30日の時点で、「新しい製品を発送します」となっていたのに、なぜそれだけのことがこんなに遅れるのか。
そのへんにいくらでも積んであるだろう、ひとつつかんで、送ってくれ!と言いたい。

「謝罪の女王様」は少し声を潜めて言う。
「新品を送るというのは、それなりに大変なことでございます。大きいことを言うわけではございませんが、私ども、いつでもこのような対処をさせていただくわけではございませんので」
うーん、遺憾に感じて誠意を見せているってことなのか私が声のでかいクレーマーだからなのか、いや、クレーマーを理由なくつけあがらせちゃいけないから、あまり下手には出ないと聞く。
きっと、表沙汰にしたくないような不良がありかつ初動を誤って事態をこじらせてるって自覚があるんだろう、アップルさん側に。

でもね、関係部署に諮るのが大変だと言われても、じゃあ諮んなくていいから普通の交換品でいいから、早く戻して。
また週末になっちゃうの。しくしく。
カスタマーサービスの人に内線番号もらってるけど、留守電入れて返事があるのは24時間後なの。
明日の夕方に電話もらっても、まだ動いてませんといわれたら事態は月曜に持ち越しなの。

もう3週間もiPad Proなしの生活してるよ。
SNSも何もかも連動してるので、思っていた以上の不便さ。
あんまりツィッターもFBも見なくなって、デジタルデトックス自体はできてるかもだけど。
何よりつらいのは、「お客様の交換機はまもなく発送されます」って文章を1週間むなしく見続けていることだろうなぁ。

19年10月4日

思いきって休載をしてみて、うん、実に良かった。
誰に向かって書いてるでもないけど、締め切りとかやらなきゃいけないことを勝手に超絶厳しく設定してしまう性格らしく、この3週間ばかりは「書かなくていいんだ!」ってのびのび過ごした。
書きたい分だけちょこちょこ書いて。
なーんだ、普段からこうすればいいんじゃないか。
いつの間に「義務」になっていたんだろう。

何度も言うが、誰に頼まれたわけでもなく、どちらかと言うと読んでいただいているだけでありがたいのに、それでくたびれちゃったら本末転倒だよね。

それに、つくづく自分のために書いてるんだと思い知ったよ。
息子の再びの渡米を前に、去年行く前の頃やさらには息子が家を出るあたりまでさかのぼって読んでみて、息子の様子や自分の心持ちを思い出すことができ、時系列に事態が理解できたから。

息子は荒れていた
→私は怒っていた
→家を出てくれてさっぱりした
→しかし、息子はいきなりの巣立ちが難しくて始終家に出入りして傍若無人だった
→また私は怒っていた
→四面楚歌の息子は打開案を求めて渡米した
→私はストレスがなくなってハジけた
→過労で倒れた
→実は「空の巣症候群」で躁状態だった
→反動で落ち込んだ
→帰国した息子はちょっと人間が出来て、優しくなっていた
→「空の巣症候群」を自覚したものの、不調は続く(今ココ)

という状態。いや、なぜその時は自覚がないのか。一目瞭然じゃないか。
というわけで、日記は大事。
明日の自分、1ヶ月後の自分、5年後の自分のために書き続けよう。

意外なことに「楽しみに読んでいますが、ゆっくり休んでください」とのお声を複数いただいた。
ありがたくてありがたくて涙が出た。
承認欲求がつのるとやっかいなので気をつけようと思うが、素直に嬉しい。
だって、毎週読んでくれるのって大変だもん。

それとは別に、35年前の渡米中に自分が書いた手紙を読み返して、あまりに変わってないので驚いた。
その数年後からほぼ社会と接点がないせいもあるだろうが、どうやら私は「変わりにくい」タイプらしい。
小さなアップダウンはあるものの、大きくはブレない。
その「正しさ」が、せいうちくんに珍重され、大事にされてる理由らしいんだが、「変わらず正しくある」ことはなかなかストレスフルではある。

過去の記録もいいけど、書いた人も読む人もみんな、死んじゃうんだよね。
これまで無名の人々が無尽蔵に書いてきたもの読んできたものって、どこへ行っちゃうんだろう…いかん、まだ復調してない。

19年10月5日

息子宛にまた役所から「金払え」系の書類が来たので、いつものように写メ取って送ると、「ごめん、取りに行くわ」と言う。
まあこないだ来たばっかりだし、人が私んちに来るのは遠くて大変と思っているし(車で拉致する時は別)、公演と渡米の準備でわたわたしてるはずなので、今回はこっちから出向くかな。
「こないだみたいに練習終わって帰れる頃、あなたの家の近くのファミレスで待ってるのはどう?」と聞くと、「おお、ありがたい!」と来た。
そういうわけで夜のドライブとなった。

昼寝するヒマもなかったからやや眠いが、せいうちくんも会社の創立記念日の休みを得てまあまあ元気。
ブックオフでほどほどの狩りをして、約束の23時より少し早く店に滑り込んでいた。
と、メッセージが。
「練習とそのあとが長引いてしまって、23時40分頃になりそう。本当にごめん」
んー、彼に待たされるのはけっこうよくあって、でも家で待ってる時よりは気があせらない。
外だと「料理を整えて待つ」みたいなスケジュール感がなくていいね。
ここ2年の遅刻の理由No.1は「ごめん、家で寝てた」だったことを思うと、練習やそのあとの反省会が長引くのなんか好ましいぐらいだ。

深夜1時までやってる店なので23時からなら2時間ぐらいおしゃべりできるかな、と思っていたけど、23時45分ぐらいにやってきた彼との時間はもう1時間ちょっとしかない。
「黒蜜わらび餅」を食べながら今度の公演について猛然と自負を語るのを、ちょいとうっとりと聞いた。

そうそう、このために来たんだった、とせいうちくんが書類封筒を渡す。
「払うべきものはきちんと払いなさいよ」と、つい説教がましくなる父親に比べて、母親は心のこもった白封筒を渡せばいいから、気楽。

息子「何これ!こないだも貸してもらったのに!」
私「あれは返してもらうものだから。今回は、誕生日のお祝いと、まあお餞別」
息子(急に目を輝かせて白封筒を握りしめ)「手紙だね!ありがとう!それがいっちばん嬉しいよ!わあ!ありがとう!」
私「いや、ごめん。思いつかなくて、書いたものはひと言も入ってないや」
息子(ますます目をきらめかせ)「手紙ぐらい嬉しいものはないよね!何が書いてあるのかな?!」
私(ハッと気づいて)「…なるほど、これが小芝居か」
息子(急に普通のテンションに戻って)「まあね」

日々練習なんだなぁ。
もう、別の生き物になってる。
「コントをやる以上、人に杜撰な態度はとれない」
「インプロの基本は『Yes-Communication』だ。人を肯定し、尊重することが大事」
「敬意のない作品は、人の心に届きにくい」
などの名言を発しながら、さなぎが脱皮するように変貌していく。

どんな職業でも、真面目に取り組んで数年すれば、いや数ヶ月でも、それまでとは違う意識の人間「その道の人」になって行くと思う。
(もちろんその先は遠く遠く険しいが、とりあえずある道の端緒についた、ということで)
文系のサラリーマンが5年ぐらい鉄を売る書類を見てるだけで、道ばたで無意識にガードレール撫でて、「どこ製かなぁ。当社製かしらん」とか思うようになるのとおんなじ。

さまざまなところに思いやりといたわりが感じられるようになった。
息子は沖縄が大好きなんだが、私が行ったことないと聞くと、せいうちくんに向き直って、
「それはぜひ、いっぺん連れて行ってあげてよ」と言う。
私の健康状態が不安定なこと、我々が常に一緒に行動すること、せいうちくんは私に親切にしたくてたまらないことなど、いろんなことがよくわかってる発言で、じーんとしちゃった。

次の公演に向けても、これまで何度か見たインプロの形を少し変化させて、面白い趣向を考えているらしい。
前回見たあとでせいうちくんが、
「マンネリという恐ろしい病の存在にも気づいてしまった」と感想を伝えたら、「それはある」と真剣に考え込んでいたようだし。
いろいろ考えるのはいいことだ。

困ったことに、もう2週間ほどでNYに発つつもりでエアチケットも買ってあるのに、予約するつもりだった宿が「改修中になるからゲストを受け付けていない」と言ってきたらしい。
去年も2ヶ月お世話になったシェアハウスで、こちらからすれば「NYに実在する」「予約金を受け取っていないとか『あなた、誰?』とか言われなかった」ことでたいそう安心したので、今年もそこなら何も心配はあるまいと思っていたのだ。
「向こうの都合で泊めてくれないんだから、近所の同業者を紹介してくれないのか」とせいうちくんが聞いていて、どうもそういうことはしてくれないらしい。
半額ぐらいの安い宿と交渉中の息子に、「お金は少々かかっても、安全なところにしといてくれ」と不安に思う出資者だった。

まあそれでも、去年は、何をするかも決めずにただ「アメリカ人を笑わせたい」とだけ考えての旅立ちだった。
まずサンフランシスコの親戚のところに1ヶ月いてNYにいたのは2ヶ月だけだし、手当たり次第にシアターを見まくってインプロと出逢い、門を叩くまでにも時間がかかっている。
今回は最初から「NYでインプロをもっと勉強する」という明確な目標があるのとどこへ行って何をすればいいかわかってる分、収穫も大きいだろう。

ラストオーダーを聞かれたとたん、「そろそろおいとましようか!」と立ち上がりかける。
午前1時の閉店までつきあってもらったって1時間15分なのに、あと30分が待てないのか!
とはいえ親となんかそうそう長話する仲でもなし、実はけっこう会ってるし、これぐらいにしておくか。
今回もおだやかに面白い話をありがとう。
「山田太郎の『持ち上げ一本!』を思い出すね」と言ったとたん、
「相手は賀間だったかな(これは違うが)」とか、
「『1、2の三四郎』は2が好きだ。1は、少年誌的すぎる。志乃ちゃんの『便器の口』がキライだった」と言えば、
「あの口ね。しかし、2は赤城の前髪がヘンだろう」と、何もかも通じる相手なのは本当に涙が出るよ。
それにしても君は、基本的に物覚えがいいね。

車で7分ほどの家まで送って、貸してあったマンガとタッパーを回収して帰った。
「カノジョも挨拶にでてくるんじゃないかな」と言われて緊張していたら、「お風呂中だった」とのこと。
いいよ、深夜のアパートの前でカレシの親となんか会わなくて。

いつものようにハグしてくる息子、さすがに旅立ち前だからか、心がこもっていた。
「あと数日で誕生日だね。26歳、おめでとう」と言うと、神妙な顔で、
「歳に見合うよう、頑張ります」と答えていた。
せいうちくんも車の窓越しにぐいぐい握手してもらって、それぞれほかほかした身体と心でドライブして帰った。

「少し寂しいけど、こうやっていい具合に離れて暮らせるようになってよかった」とせいうちくん。
うん、必ず別の人生を歩き出す別の人なんだから、物理的に離れるのがわかりやすい。
「僕も息子も、親と同居して不本意な暮らしをしていた頃がある。こじらせたら、殺し合っていたかもしれない」とせいうちくんはいつも言う。
どちらの場合も、私が出るきっかけを作ったようだ。親子2世代面倒みた。
家を出たい状況でありながら実行できない、もしくは思いつかないってのは、親の引力圏にとらわれすぎだろう。
そういう人は親からしても「臭く」なっちゃってるので、本能的には追い出したいはずなんだけど、人間としての愛情が深いのかねぇ。
私はどうもそのへんがイカン。

19年10月6日

会社のBBQがあった。
行ったことないし、人見知りでいろいろ不調法なので、今回も私は不参加。
せいうちくんも、
「上司の妻なんて、まわりも気詰まりなだけ。無理することはないよ」と言ってくれる。
肉食ってればいい、ってわけじゃなさそうだもんね。
そのかわり、車でせいうちくんを送って行くことにした。
往復の時間だけ、休日なのに会えないでいる時間が減るのと、素晴らしいことに仲良しの奥様がちょっと抜け出してきて会ってくれることになってる!

早めにBBQ会場の駐車場に着き、せいうちくんと一緒にぶらぶらと歩いて、マップで探しておいた店を実地にリサーチ。
私鉄の駅にほど近いけどまだ喧噪の始まっていない静かな界隈の、こぢんまりした喫茶店。
6テーブルほどで、お客さんは全然いない。
これは話が弾みそう。

駐車場に戻って、せいうちくんが会場に向かうと、打ち合わせ通り入れ替わりに友人が来てくれた。
会ったとたんにもう話し始め、店まで3分ほど、お互いずっと喋り詰めだった。
「いいお店ですね!リサーチ済みとは、さすが!」とほめられて、入ってみたらさらに予想を超えたいい店だった。
何しろケーキが美味しそう。
もちろん2人で違う種類を頼んでシェアすることにし、気になっていた「バレンシアオレンジのケーキ」は彼女が引き受けてくれたので、私は「ラ・フランスのタルト」。多分砂糖煮込みのラ・フランスがまるっと入ってる。
今日は糖質のことは考えない!(最近そういう日が増えてる気はする…)

1時間ちょっとの短い逢瀬ではあったけど、2人ともスゴイ早口でマンガの話とか喋りまくった。
「杉元はアシリパさんをどう思ってるのだろう」
「Dr.STONEの工業は進みすぎていないか」
「今市子のほどほどの腐女子感」
「『げんしけん』から『はしっこアンサンブル』に至る木尾士目の青春群像」などなどと、それぞれの家庭の話夫の話子供の話を交えて、止まるところなし。
最後、一度も起きたり泣いたりしなかったお母さん孝行な赤ちゃんを抱っこしたまま彼女が立ち上がった時も、まだ私は喋り続けていた。
ほとんど袖をつかむように、
「楽しかったですけど、話したかったことの10分の1も話せてません!」と訴える還暦女。

BBQの終了に間に合うように彼女が戻り、せいうちくんが会場で締めのスピーチをしている間、貸してもらったホリエモンの「刑務所わず。」を身をよじって笑い転げながら読んでいたので、全然退屈しなかった。
店の前にせいうちくんが車で来てくれるまで、1時間弱経っていたというのに。
彼女が笑いながら指さして去った、

「刑務所で『名探偵コナン』が上映される。
『犯人はおまえだ!』
全員、心当たりある人ばかり」

は爆笑だったなぁ。
塀の中、は常に人の興味をそそる。
知りたい、しかしできれば入らずにすませたい場所。
昔、岡野玲子の「ファンシィ・ダンス」で坊主になるため寺で修行してる男の子たちが、朝はお粥、昼と夜は麦飯だそうで、
「この食事を続けていると、どんな酒豪も酒一升よりも饅頭1コをとるようになる」
と書いてあったが、ムショもそんな感じだろか。
ホリエモンはやたらに甘いものが好きになったそうだ。
(だがしかし、いわゆる「臭いメシ」はそれほど不味くはなく、作りたてなどはかなり美味いものもあるのだそうだ)

主に挨拶要員として出席したせいうちくん、大役を果たし、ついでに1時間ちょっとの間にそれなりに肉をたらふく食べ、幸せそうだった。
私も久々に友達に会って楽しかった。
せいうちくんもマンガ好きではあるものの、「趣味が違う、速度が違う、見るとこ違う~」(山口百恵「イミテイション・ゴールド」でお願いします)なのだよねぇ…やはり、同じ好みで山の如く読む読書力があり、気が利いたコメントを機関銃のようにしてくれる読み手と話すと、癒やされる…

19年10月7日

iPad Pro問題その5

3週間以上経ってもまだ解決の兆しが見えないiPad Pro交換。
ここに至って急に、「刻印入りだったので2週間ほど余分に時間がかかったのではないか」と言い始めた。
確かに購入する時に無償で入れてくれる刻印をお願いした。スペシャルな一品だ。
新品に刻印を入れる場合、配送まで数日余分にかかるとは明記されているけど、2週間ってのはどこからきたんだ。

そもそも、最初に「交換品を出す」と言った時点で「刻印も復活させるので時間がかかります」とはひと言も聞いていない。
また、「箱入りの新品をお出しします」という話になった時も、刻印の話なんかしてない。
なのになぜ、ここで急にすべての遅れが刻印のせいにされるのか?
「新品は刻印無しですよね?刻印は諦めますから、すぐに出せませんか?」と交渉するも、相変わらず「他の部署に諮っておりますので、いつまでとはわかりかねます」の一点張り。
10月1日の時点で「謝罪の女王様」が、
「ご迷惑おかけしておりますが、なにとぞあと3、4日お待ちください」って言ったのは向こうの記録に残ってないんだろうか。
「3、4日」の4日目は、今日なんだぞ!

唯一の進歩は、新しい担当者が毎日進捗状況を電話してくれると約束してくれたこと。
これまで留守電に入れれば24時間以内に折り返す建前で、でもかかってこないことしばしば。
直通内線番号もらったって意味ないじゃん!と思い始めていたので、確実に連絡が取れるのは嬉しい。

一方で、もうこれ以上iPad Proの不在に耐えられなくなったので、さる筋から「借りる」ことにした。
期限付きではあるが、今、一応手の中にiPad Proを持っている。
依存症と笑わば笑え、安心する。ライナスの毛布か。
ああ、大きな画面でマンガ読める…

19年10月8日

iPad Pro問題その6

段階が進んだ。
修理の方はキャンセルとなり、いよいよもう直した品が来ることはなくなった。
しかしそんなの、9月27日に私のiPad Proを開けたとたんに交換品を出すことはわかりきってたんじゃないの?
10日も何をしていたのか。
届いてから開けるまでに10日かかり、開けて即日交換を決め、それでいて10日間も修理の算段をしていたのだろうか。

しかもまだ、「いつ発送」とは言えないらしい。
同様の故障が多発して修理工場とカスタマーセンターが野戦病院さながらの混乱状態にあるんじゃないかと勘ぐってはいるんだが、それにしてもこれほどこじれたケースはあるのかな。
誰が、何を決めるのに手間取っているのかさっぱりわからない。
もちろん本来カスタマー側の知るべきことでもないけど、「この部署では決められないので」を多用されると、
「じゃあわかる人と話をさせてください」って言いたくなるじゃないか。まだ言ってないんですが。

19年10月9日

iPad Pro問題その7

ついに新品のiPad Proが発送された!定型メールで連絡が来た!
これでもう、担当者さんからは電話がないだろうと思っていたら、かかってきた。
ちょっと意外な内容。

曰く、「修理工場から交換品として出した『刻印入り』が、中国の港を出る準備ができた。『刻印無し』ならもうほぼ発送されているが、最終的にはどちらを選びたいか。今なら『刻印無し』の発送を止めることもできる」

ここで確認したのは、「新品」と「交換品」の違い。
「新品」は店頭で売っているのとまったく同じ、化粧箱に入ってアクセサリ一式が付いているもの。
「交換品」は、私が出した故障品を修理したものではなく、これも機械としては新品。シリアルナンバーも違う。ただ、アクセサリがついていない。

とっさにいろいろ考えた。
「新品」の方がモノがいいのではないかとか、型式として新しいのではないかとか。
2秒ぐらいで考え終わったのは、すでに売るために箱詰めされてる新品より、トラブル機種の交換品として出されるモノの方が同様のトラブルが出ないよう吟味されているのではないかという点。
クレーマー予備軍をホンモノのクレーマーにしちゃうからね。

それに、実はその電話を受けた時、データ箱からiPhoneの写真を呼び出して、問題の刻印を自分で撮影したのを見てたのよ。
「BELOVED, USAKO」って、森薫の「エマ」に出てきた「BELOVED, EMMA」をもじったやつ、やっぱり入ってる方がよかったよね~って悲嘆に暮れてたとこ。
なので、「刻印入り」の交換品をチョイスさせていただきました。

問題は、中国の港を出たとしてもいつ国内に着くかはっきりしないらしい。
「通常1週間」だそうで、それでも相手はいつものことで確言を避けたがる。決して言質を与えないのが上級カスタマーサービス員。
こちらはこちらで期限付きで代替機を入手してることは言うつもりないので、中国発交換機がいつ手元に来るのかはわりとホットなポイントなんだよね。

数合のハードネゴシエーションの結果、
・「新品」の発送はそのまま止めないでおく
・こちらは受け取っても開封しない
・「交換機」の発送も実行
・万が一、来週いっぱいを超えてもなお「交換機」が到着しない見込みになって初めて、「新品」を開封して使用
が決定した。
いずれにせよ何かを送り返すことにはなるだろうから、その打ち合わせはまた追って。

いや~、このハードネゴを冷静に実行できたのは、やはり手元に現物あってのことだろう。
「あらゆる作業が停まっています」と訴えた時、
「絵を描くとかのお仕事をされているんですか?」と聞き返され、
「収入が発生するという意味での『仕事』ではありません。なので、損害請求の話とかにも当然なりません。しかし、日常生活で大変な不便が生じているんです。なくては生活できないんです。それほどに愛用されるデバイスを製造して販売していることに、誇りと喜びを感じていただきたいです」と演説してしまったぐらいだ。

衣食足りて礼節を知る。
欲望が満たされてない時に礼儀正しいのは大人物だろうが、あいにくこちとらそうじゃないのだ。
そうありたいと願ってはいるが、残念ながら小人なの。

19年10月10日

iPad Pro問題その8

新品の箱が届いた!
いざ発送すると早いよね。
クロネコさんのこのやる気を、アップルさんも多少は見習ってほしい。
確認だけして、約束通り箱は開封してない。
もしここに中国発の交換機が来たら、一瞬3台のProが存在するんだなぁ。値段を考えるとクラクラするなぁ。

そちらが日本の税関に到達したか、などの連絡を待ちつつ、今日は息子の誕生日。
私はよしながふみ「きのう何食べた?」の美容師ケンジと同じ性格で、「誕生日が来た瞬間に祝いたいタイプ」。
深夜0時を回ったとたん、メッセージを入れておいた。

「お誕生日おめでとう!『明日死んでも後悔しない生き方をしたい』と言っているあなたですが、親も、『明日死なれても後悔しないほどの覚悟で育てた』つもりです。なるべく元気にやってください。公演楽しみにしてるよ!」

すぐに返事が来た。
「素晴らしい言葉をどうもありがとう。
 やっぱり言葉が栄養でございます」
私の息子らしいセリフだ。「ございます」は何となく気に入らないけど。

せいうちくんも朝になってお祝いを打っていた。
息子が生まれたのは、まだこの日が「体育の日」だった頃。
晴れの特異日であるため過去の東京オリンピックの開会式に選ばれたほどで、26年前もとてもいい天気だった。
ひと晩お産に立ち会って、空いてる会議室で仮眠を取らせてもらったせいうちくんは、窓から差し込む朝の光がまぶしくてしょうがなかったそうだ。
「息子の人生も、この朝の光に一生守られていくだろう」と思った、そのままを今日も感じたと言う。
思わず2人で「朝日よ~!」ってしゃれこうべをかざす、ってのは「長靴をはいた猫」のラストシーン。

19年10月11日

週末に買ったHDDデッキ、やっとせいうちくんに配線してもらった。
思えば10年以上前には日立の1テラを2台使っていたのが次々壊れ、修理の人と顔見知りになって世間話するほどになり、最後には2台分返金してくれるほどの不良機であった。
そのお金を握ってすぐさま電器屋に飛んでって買ったのがDIGAの1テラ。
その後買い足した2テラもWOWOWで映画を録画しすぎていっぱいになり、この年末年始の番組の山をどうしようか、そもそも10月期のドラマを録画できるのか…と、今回またデッキを買ってしまった。

今や8テラがある時代なのだ。
とは言え、いくら何でもそんなにはいらない。
7チャンネル入るのは魅力だと思ったら、よくよく聞いてみるとそれは全自動でべたーっと録る場合の話で、うちのように自力でポツポツ選んで録画する場合には3チャンネルしか入らないのだそうだ。
それではイカン!と思ったら、隣に並べてある幅の小さいタイプは3テラだけど6チャンネル入る。
どれも「おうちクラウド」機能付き、つまり別の部屋でタブレットで観たりそこから録画予約したりできる。

いずれは4Kのテレビが欲しくなるかもしれない、そしたらデッキも4K対応が必要、その時両方買うと値引きがあるかもしれなくて、と考えてたら、今回はそれほどテラ数の大きなものは必要ないだろう。
HD増設もできるらしいから、そっちで対応しよう。
そもそも、今ある1テラと2テラも観きれなくてデッドストック状態なのに、そんなに録画してどうするというのか、自分。

そして、つないでもらった「おうちクラウド」は素晴らしい。
思わず再びWOWOWに加入し、ベッドの中で「赤毛のアン」を観た。
32話あたりの、やや面長になったアンは可愛いぞ。「赤毛のアン」シリーズ全10巻(いや、今では「アンの想い出の日々上下」を加えて12巻か)を読み返す勢いだ。

今日は午後休を取ってくれたせいうちくんとカラオケに行ってうなりまくり、楽しく過ごした。
だが、週末は台風が来るらしくて、どこのお店も「明日の土曜は休みます」と掲げている。
我々もおこもりして暮らそうと20時頃のスーパーに行ったら、ものすごくいろんなものが売り切れていた。
お惣菜、カップラーメン、ポテトチップス、電池などの棚はからっぽ。
久々に「サザエさん的な台風の備え」を見た気がする。千葉の惨事があったばかりだからなぁ。
うちでも非常持ち出し袋の点検をし、充電池を満たし、お風呂に入ったあとは水を溜めておこうと思う。

出席の予定はなかったけど高校の東京同窓会が直前に中止になり、電車の運休も決まっているほどの一大事。
息子の公演と渡米は来週末でよかった。
けっこう公演の時に台風が来る「嵐を呼ぶ男」だが、今回はツキが上回ったようだ。
今週末に、人生のかかったデビューの何かがあった人も大勢いるんだろうな。人生いろいろ。

ちなみに今日のアップルさんは、
「『刻印入り』は中国を出たのは確かなんですが、この台風の影響でどうなるかわからず、早ければ来週半ばにもお届けできると思うんですが、まったく予断を許しません。私がよくフォローして追跡してご報告しますので」と、とても有能なカスタマーサービス員さんが電話をしてきてくれた。。
彼の上司がこの件をほっぽらかしていたことを思うと、企業には、小回りの利く「3番目の中番頭さん」ぐらいの地位に有能な人がとても必要だ、と痛感する出来事。

さてさて、月曜には「台風一過」となるだろうか。

19年10月12日

月に1度、血液検査をして薬の血中濃度を測り、それに見合った量で1ヶ月分もらう。
こんな面倒くさいことを一生続けるのかと思うと少しいやんなるわけで、ましてそれが、台風が迫る今日だったとは!

うかつなことに来週なんだと思い込んでいて、昨日何度も、
「今週じゃなくてよかった、明日だったら大変だったね」と話していたのに、夜になって明日の予定を立てようとしてて初めて気づいた。
せいうちくんとカラオケ行ってる場合じゃなくて、予約を変更して済ませておくべきだった。
昨日買い物に行ってみて初めて台風の深刻さを実感した備えの悪さを、さらに悔やむ。

せいうちくんが食物倉庫の飲み物の在庫を検品してくれてる間に、家中探して必要な薬のストックを確認してみた。
「1日も止められない」と言われている血液サラサラ薬ワーファリンは、量が変わって使わなくなっていたパックを開封して自分で調整すれば10日ぐらいはもちそう。
その補助となるバイアスピリンと強心剤のメインテートは1週間ぐらいのまなくてもどうってことはないだろうが、3日分ほど。

ちくしょう、ドクターにずっと「災害などが怖いので余分を持っていたい」って言い続けてたのに、「分量が落ち着いたらにしましょう」って言ってなかなかくれなかったのがイカン。
確かに今は3mgで簡単でも、0.25刻みで変動してるんで、医師側としては最新の用量がパックされる処方箋を毎回出したいんだろう。
わりと患者さんにご老人の多い病院だしね。
でも「今のむべき量は把握していて、自分で調整してのむことは可能です」って申告してるうえ毎回せいうちくんも立ち会って薬の量は確認してるんだから、もうちょっとゆるやかでもいいじゃないか!

午後イチの予約がどうなるのか、8時半開院のところをいちおう7時過ぎから何度か電話し、8時に看護師さんが出勤してきてた。
「すみません!今日は午後休診になります。13時半のご予約ですけど、8時半から12時の間に来てください。それより前に閉める可能性もありますので、早めにお願いします!」って言われ、せいうちくんと大急ぎで着替えをして病院に。
8時半ちょっと前に着いた。

まだ患者さんは3人ほどしかいなかった。
看護師さん2人以外はスタッフ全員お休みだそう。
ワーファリン値の検査はハンディな機器に血液を1滴垂らすだけなのでできるかと思っていたら、そうか、採血する人もいないのね。今日はあらゆる検査ができないそう。
検査フロアも6階の診察室も閉めて、ドクターも1人しかいないので、いつもは別のドクターが使っている1階の診察室で全部対応するみたい。

8時半になったとたん、看護師さん2人はものすごい勢いで電話をかけ始めた。
午前遅い患者さんや午後の患者さんに、私の問い合わせに答えたのと同じことを次々連絡している。
そうか、出遅れていたらこの電話を受けてあわてることになったのか。
その間に来院する患者さんもあり、看護師さんたちは受付業務と電話連絡でてんてこ舞いになってきた。
診察が始まってからはカルテ業務も発生。問い合わせの電話もじゃんじゃん入り始める。
9時前には看護師さんの1人が「ああ~、電話の幻聴が聞こえる~」と悲鳴を上げていた。

幸いわりとすぐに診察を受けられた。
危急の際なので、先週受けた人間ドックの心電図で異常波が出て要チェックと言われた件と、先月ここで受けたエコー検査の結果を聞くのは手短に。
結論として、心臓のパフォーマンスは悪い。
たちまちどうこうなるほどではなく「普通の生活」は十分可能なので、気にする必要はないようだけど。

それより問題なのは、ここに至っての「心配なので薬を余分にください」という訴えに、応えたがらないこと。
「しかし用量も変わりますしね…」
「何かあったらと不安です!」
「じゃあ、10日分余分に出しましょうか」
押し切られそうな私に業を煮やして、せいうちくんが横から口を挟んでくれた。
「ひと月分、お願いします!今日だってこんな台風ですし!」
これでやっとワーファリンと強心剤など、ひと月分の余分をゲット。
隣の薬局も何やら緊張感が出ていて、今回の台風はずいぶんスゴイ。まあ過去最高だって言うからなぁ。

出遅れたけど何か買っておこうか、ついでに台風前風景の観察をば、とコンビニに寄ると、お弁当・お惣菜系は全滅。入荷がないのかな。
糖質制限だからあんまり食べちゃいけないポテチをこういう機会を口実に手に入れようと思ったら、大好きな「ハラペーニョ&オニオン」は置いてなかった。
棚の制限が厳しいコンビニではオーソドックスを外れたものは売らないのか。
そもそもロング缶はない。
涙ぐんで「サワークリーム&オニオン」のショート缶3つでガマンだ。
せいうちくんは「やはりこういう時はこれだろう」と超割高なカップヌードルを2つ買っていた。
停電したらカセットコンロを出してお湯を沸かすんだそうである。
断水したらペットボトル水を使う。ちなみに炭酸水でも沸かせば同じ水だと、「日本人が知らない日本語」海外旅行編に書いてあった。

家に帰り、リビングの床にかなりの面積広がった備蓄のお茶や水、酒類、食料品を見ながら、
「どこにこんなに入ってたんだろう」
「YUUKIの豆板醤の大瓶が3つもあるのはいかがなものか」と感想を述べ合う。
生鮮食品の買い出しには失敗したので、まあ冷凍庫にあるものを減らしていこう、どうせ停電になったら溶けちゃうからと、解凍肉類を料理して食べる。

家中の充電池を探し出して電源につなぎ、非常袋の点検をしたら昼過ぎには無茶苦茶ヒマになってしまった。
「しようしようと思ってずっとできずにいる『衣替え』をこのタイミングで」と提案するも、
「こういう日は『台風クラブ』的に何もしないで過ごしたい」と却下され、たまった録画を消化しようと試みる。
日頃録画管理をしていないせいうちくんには、「こんなのも録ってたの!」的に新鮮で魅力的なラインナップであったらしい。
彼が大好きな安田顕が出てるよ、と言ったら大喜びしてた「家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています」を観た。
映画を1本観るのは本当に久しぶり。大変な達成感だ。
なぜ昔は年間120本以上当たり前に観ていたのだろうか?
しかもコドモが小さい時から10年ぐらい続いていた気がする。
最近ではWOWOWやアマプラ等のソースは非常に豊富、時間はあるようなないような、気力だけは絶対になくなってる、としみじみ感じるよ。

もっとあれこれ観ようと思ったんだが、何しろ台風関連のニュースも見なくちゃと思い始めたらこれがもう、マラソン中継を観てるように終わらないというか目が離せなくなってしまって。
気がついたらだんだん風雨が強くなってきた。
時々ベランダのサンダルが飛ばされてなくなってた歴史を思い出して、中に入れておく。
(ちなみにうちのマンションの管理人さんは有能で、これまで台風や大風で飛ばされて戻ってこなかったものはせいうちくんのパジャマの上着1着だけという高い回収率を誇る)

夕方16時の時点で息子の安否を確認したら、多摩川が氾濫しそうで少し怖いのだそうだ。
かなり相当離れたところなので大丈夫だろうが、23区内だとそんな感じか。
うちは、マンション前を流れてるかつてはドブ川だったようなものがごうごうと音を立てていて、1階の人は気まずいだろう、と伝えておく。

停電や断水になる前に、と早めにお風呂に入り、念のため浴槽には水を張っておいた。
19時頃には「ゆで卵や豆腐も入っているかなり不純なミルフィーユ鍋」を食べ終えてしまい、非常時の雰囲気を五感で真摯に受け止める。
21時頃には予報通り風も雨もクライマックス。天気予報って当たるもんだなぁ。
窓がガタガタ言うとかはないがやはり不安な気持ちが盛り上がり、意味なく夫婦で抱き合ってみたりする。

なのに、23時過ぎにはもう台風の中心勢力は東京を過ぎたものか、あっけにとられるほどあっさりと、おさまってしまった。
もちろんまだ雨も風もやまないが、ふだんのちょっと激しい日、と言ってもおかしくないぐらい。
テレビを見ていると話題の中心はがぜん北関東に移動している模様。

息子が全然大丈夫なのを確認したあと、こないだ骨折して動きが取りにくいと思われる友人が気がかりで連絡してみる。
日頃から籠城に慣れている人なせいかあまり動じた風もなく、ひと安心。まあお互い今後も警戒を怠らないということで。
こんな興奮する日は睡眠薬多めにのんでぐっすり寝よう。

19年10月13日

起きてみたら、驚くほどの青空。
いつものことだが台風一過はあっけらかんとしている。
毎回話題に上るのは、「台風一家、とはどんなにやかましい家族であろうか」と思い暮らしたコドモの日々。
ついでにお約束の「波浪注意報」、「『HELLO!』って叫びながら外人さんが来るから、気をつけるんだろうか」って思ってたなぁ。江口寿史が描いてくれててよかった。

日頃テレビをつけるのは録画を観る時だけなんだが、この週末はずいぶん「生」を見た。
特にニュースをずっとつけてたかも。
北関東の有様に驚く。言葉もない風景。

気が塞ぐのを振り切るためにも、お散歩ついでのお出かけをしてみよう、と喫茶店へ。
(行く前に電話で営業を確かめる細心さは私特有)
毎度毎度、休日は混んでる大型チェーンカフェ。
全席をフルに使ってるのは見たことがなく、厨房前のカウンタ席はいつも空いてる。

待合スペースの混雑に業を煮やしたおひとり様のおばさんが「ここでいいから」と要望するも、「座っていただいても応対が間に合いませんので」とお断りされていた。
休日午後だけでも店員さんを増やしたらいいのではないか、いやコーヒーを入れるスピードが間に合わないのだろう、料理の注文も多いので厨房の設備が回らないのではないか、といろいろ推察する。
人は増やせば対応できるが、設備を大きくしてしまうとお客の少ない日や時間帯には無駄になっちゃうからね。
ピークに合わせて設計するのが最善とも限らないんだろう。

ここに来た時は糖質もやむなし、とホットサンドを2種類頼んでシェアした。
タマゴサンドもツナキャベツサンドもとても美味しい。
三角のホットサンドを同じ種類ふた切れ食べるより、違うものをひと切れずつ食べるといっそう美味しくて、2人で来る利点をかみしめた。

「本を読もう」と言って読み始めたせいうちくんには悪いが、食べ物が来たのを汐に、話し始めたら止まらない。
気がついたら、今読んでる、いや30年読み続けてる「パーンのドラゴンシリーズ」のストーリーを、延々と語り始めていた。
科学文明社会から牧歌的な農耕社会に完全に退化するとか、あり得るんだろうかと話していたら、
「古代ローマ文明の後のヨーロッパには普通のことだ」と歴史好きらしいことを言い出したので、面白いと思って傾聴してたら、だんだん「インダストリアと残され島」の話になってきた。「未来少年コナン」かい。

「キミの話がずっと何かに似ていると思ってたんだ。こういう話は多いのかねぇ」って、そりゃまあある種のSFの基本だろうねぇ。
全部観たことがないではないが前後関係が無茶苦茶になっていたので、インダストリア、ハイハーバー、残され島、バラクーダ号、ギガントのそれぞれの話を時系列に整理してもらった。
いいねぇ、「大好きな長編アニメを語るオタク」を真正面に見るのは。
まあ(自分の)好きな人だからかもしれない。誰のどんな話でも聞けるわけではなくて。

次第にマンガの話になりやがては本の話になり紙と印刷の話に及んだ。
「古本好き」のせいうちくんは紙質やフォントにややうるさい人で、私はもしうるさいのだとしても逆方向にしかうるさくなれないため(紙は薄くつるつると、フォントは丸く大きくのびのびと!)、あまり意見が合わない。
そりゃあ、青空文庫のレイアウトは「いくら何でも」許容範囲外で、そこだけはがっちりと手を握り合っているけどね。

1メートル半ほど離れた窓際カウンタ席でノートPCを広げたり読書したりしてる「ひとり作業派」の方々は、「鼻持ちならない話題を延々喋ってる、小うるさい初老の夫婦者がいるなぁ」と思ったりしないんだろうか。
自分自身けっこう喫茶店とかでまわりの人の話題に興味を持ってしまうものだから、気にはなる。
じゃあ小声で話すかというと、「喫茶店仕様の普通の声」にはなってしまうのだ、ひそひそ話すのもそれはそれで感じ悪い。
昔「ルノアール」でご商談したり「資生堂パーラー」でお見合いしたりしてた人たちは(いや、今でもいるのかもですが)、どの程度のボリュームでお話しされてたのだろうか。

気がついたら、窓の外はすっかり暗くなっていた。
長居するだけのことはあって、それぞれホットサンドとコーヒーを頼んで、飲み物はさらに追加、ついでにマンゴーパフェをシェア。お店に損はさせてない、と思う。

金曜の午後からお休みしてるので、台風が来た非日常を差し引いても時間がゆるやかにゆるやかに流れている。
「いだてん」を観ても、まだ明日もお休みだ!
いつかパパンダさんになって「ずうっとずうっとお休みなのです」と言う日を夢みるせいうちくん。

19年10月14日

iPad Pro物語その9

台風が去って物流がある程度回復した証のように、中国発の「刻印入り」交換機が到着した!
これで、先日届いて開封しないでおいた「新品」は返送だ。
休日だというのにやる気のあるアップルの「3番目ぐらいの中番頭さん」(うちで勝手にそう呼んでいるw)が電話をくれて、上記諸々確認の上で、引き取りの手続きに入ってくれるそう。

まったく同じものではなく、その証拠にシリアルナンバーは違うけど、「BELOVED, USAKO」の刻印が復活して戻ってきて、私は嬉しい。
今回は問題にしなかったが、「タッチしても画面の反応が悪い」というネットでも良く言われるようになった不具合も出始めていたので、そのへん改良されたものだといいな、と切に願うのだった。

SNSを見られるようにしたり大量のマンガデータをぶち込んだり、やることはいっぱいある。
スマホから一発で設定を移せるようになってものすごく便利になったとはいえ、入れ直すべきアプリはいくつもあり、また、「ハコ」にしまっておいたのが全部ばらけてしまったのを整理し直すだけでもひと仕事。
せいうちくんみたいに「スマホについてきたアプリ以外ほとんど使ってない」人の方が正しいんだろうか。
すぐに使わなくなった「糖質チェッカー」とか「自律神経測定」は消そうかしらん。
たまに便利な気がするんだよね-。

そして、やはりiPad Proの大きな画面は美しい。マンガが見開きで楽々読める。
しばらくiPad Airに戻っていたため、ただごとじゃない重さであるともあらためて思うものの、それもまた偉大さの証か。
もし「iPad Pro Air」が出る日が来たら、ローン組んででも購入だ!とすでに決意を固めている。
アップルさん開発チームの健闘を祈る。

19年10月15日

もう5年以上前になると思う、うっかりJ-COMさんと契約してしまった。
うっかり、というのは言い過ぎかな。
私が「観る時間ないのにやたらにケーブルテレビとか契約してしまう」「お得やセットという言葉に弱い」タイプであるため、有能な営業の人に言われるままに加入してしまい、気がついたら家の中にケーブルも敷かれていたことを、あとからせいうちくんにずいぶん叱られた。
そういう話だ。
解約となると、最初に言われて思ったほど簡単じゃないのもよくある話。

まあそれでもね、入っちゃった以上は頑張りましたよ。
デッキも「購入」したカタチになってるので、CSでせいうちくんの大好きな「江戸を斬る」とか「傷だらけの天使」とかを録りまくった。
2テラのデッキがいっぱいになっちゃうかなーと心配になるぐらい、録って録って録りまくった。
その中には「ルーツ」「王様のレストラン」など自分が観たかったものもあるので、CSいいじゃん!とも思った。

もうずいぶん溜まってきて、そのうち観なきゃね、と言って数年。
先日、別のデッキ(そっちは普段の番組録画に使っているのでもうぱんぱんの2テラ)で過去のWOWOW加入時に録ったポワロ映画「雲をつかむ死」をやっと観たら、面白かったわけです。
それで、「こっちのCS用デッキにポワロ山ほど録ってあるよ~」と探し始めたら、数分で「ファンに異常があるので安全のため停止します」とのメッセージが出て、電源が落ちた。
何度やっても同じ。

すぐJ-COMさんに連絡すると、メカニックさんがさくさくと来てくれた。
(最初の約束は台風の日だったので、一も二もなく延期になった話はさておいて)
いやな予感がしていたとおりファンだけの修理ではすまないらしい。
デッキの交換。
いや、無償なのでいい話だし、あちこちでファンに不具合が出て回収交換して回ってることまで白状してくれるメカニックさんにはすごく好感を持ったんだが、この量の録画が全部取り出せなくなる?露と消える?
「はい、そのとおりです。基本、録画はあきらめていただかざるを得ません」

とはいえそれで泣いてるお宅は多いらしく、メカニックさんはいろいろ対策を考えてくれていた。
別にブルーレイのデッキがある場合、機種によってはダビングができるかもなんだが、うちにあるブルーレイ2台はそれに該当しなかったらしい。
先週買ったばかりの3台目を指してせいうちくんが「こちらはどうですか?」と声をかけると、大きさと形状がずいぶん違うためか、それをデッキとは認識していなかったようで、軽く驚くメカニックさん、
「これですか…うーん、型式としてはリストに載ってないですね」と言いながらも、LANケーブルを出して接続し、ダビングを試みてくれた。
「これは…できますね!」

問題は、ファンの故障ですぐに加熱して止まってしまうこと。
ここでまたしてもせいうちくんが活躍する。
「扇風機をあて続ける、ってのはどうでしょう?」
「それはいいですね!」とメカニックさん呼応。
せいうちくんすぐに寝室から扇風機を運んできて、メカニックさんとデッキの向きを変えたり扇風機を寝かせたり、最適な送風体制を作り上げた。
おう、動き続けるじゃないか!

ここからはダビング担当大臣の私の仕事。
やり方をもう1度おさらいさせてもらって、
「この350個以上の録画をひとつひとつ設定するんですね?終わったら次を仕掛ける、しかないんですね?いくつか仕掛けておく、ってわけにはいかないんですね?」とたたみかけると、
「その通りなんです!それしかないんです!」と、メカニックさんはもはやすっかり心を一つにした同志。
「ってことは、ひと月はかかりますね」
「はい、そうなると思います。終わるまでお使いいただく分にはまったくかまいませんし、終わって呼んでくださればいつでも交換にまいりますので!」

この人で一番気に入ったのは、「録画なんて、あきらめりゃいいじゃないですか」ってニュアンスを1回も出さなかったことなんだよね。
「よそのお宅では泣く泣くあきらめるケースも?」と聞いたら、
「はい、そうなる場合が多く、本当に申し訳ないことです」って答えてくれてたし。

というわけで早速、全録画リストを作り、途中で壊れた時のことを思って優先順位を決めて重要と思われるものから移している。
映画は多くのものが「観ようと思えばどうやってでも観られる」ので後回し。
日本のドラマシリーズは実はDVDが高価なので、保存したい。
「振り返れば奴がいる」「総理と呼ばないで」なんて貴重だ。
コロンボシリーズとポワロは、チェックしてみたらけっこう抜けがあったんだが、まあフルに観ないとダメってわけじゃないし、これもBOXは高そう。録画してある分だけでもお得。
せいうちくんの大好きな松坂慶子が出てる「江戸を斬る」、第五シリーズまで録ってるのはいいが、時々抜けてるなぁ。
申し訳なく思う、と謝ったら、彼は私よりさらにコンプリートにはこだわらない人で、そこらへんはどうでもいいらしい。

朝から晩までダビングが終了する頃にタイマーを鳴らしては、次を仕掛ける日々。
ちょっと大変なことに、安全面からか、扇風機も8時間ぐらいつけっぱなしにすると停止してしまう。
これが止まるとデッキも止まる。
CSはコピーワンスなので、ダビングの途中で止まったらおそらくその録画は失われる。
扇風機を止めるな!
(これに関しては、せいうちくんが「ダビングを仕掛けるたびに扇風機のスイッチを入れ直したら?」と、珍しく本当に建設的で的確な解決策を出してくれた!)

つくづく運がいいと思うのは、たまたま録画ソースが7つあるデッキを買ったら、7つめはCS用だったんだ。
普通に使ってたら用途がないところだったし、これがなかったらダビングできなかったと思われる。
しかもこのタイミングで買っていて、本当に良かった。
3テラもあるし、まだすっからかんだから、いくらでもダビングを受け入れられる。
他の2台だったら、まずメモリの空きを作るところから始めなければならなかっただろうし、それはかなり難しい。
さらに、この新しいタイプは外付けハードディスクにデータを出すことができるから、貴重なものはどんどんそっちに移動させてメモリの空きを確保できる。

私が昔結んでしまったCSとの契約を快く思っていなかったせいうちくんも、メカニックさんの誠意ある態度と新しいCS用のデッキと交換してくれる対応がたいそう好ましかったらしく、今後も契約を続けてくれそうだ。
映画と時代劇を観られるパックはもうやり尽くした感があるので、今度はドラマに特化したパックにしようかなぁ。
それにしても、こんなに録画ばかりしてどうしようって言うんだろうね…

19年10月16日

せいうちくんがお休みをいただいたので、久々に映画館に行こうと思う。
息子が絶賛して「二度観た」と言う「ジョーカー」をぜひ観たい。
どうせならば2本立てにしようと考える、出不精な私。
気になってるのは三谷幸喜の新作「記憶にございません」かなぁ。
(この時点で新海誠の「天気の子」の存在を完全に失念していたことは、あとから盛大に悔やんだ)

問題は順番だ。
聞くところによると「ジョーカー」はものすごく暗くて救いがないらしい。
落ち込みがちな人にはオススメできないとの声も聞く。
ならば観覧後、三谷幸喜で気分アップを図るのがいいのだろうか。
いや、それほど壮絶な怪作を観た後の異常に低くなったテンションを、中途半端な喜劇で損なうのはいかにももったいない。
この際、満を持して落ち込もうではないか!「ジョーカー」を2本目に持って来よう!

この目論見は、実は大成功だった。
「記憶にございません」はいつもの三谷節で、まあまあ笑えてまあまあ泣けて、ちょっとビックリもできる後味良い作品。
「DVDではいかんかったろうか?」とちょっとだけ思ったが、ディーン・フジオカの美しい顔を大画面でたくさん見られたし、中井貴一のアップもほど良かった。
ある種「男前」な吉田羊にシビれたぞ。

終了後、10分でポップコーンペアセットを買い込み、平日だからかそこそこの入りのシアターに駆け込み、「ジョーカー」。
味がふた色なのはいいけど、しょうゆバター味より塩味の方が好き。
そうささやいたら、せいうちくんはせっせとしょうゆバターの方を食べてくれた。親切だ。

「ジョーカー」は、コメディアン志望の息子を持った人が観ちゃいけなかった。
「これほどの修羅の道?!」と心の中で悲鳴を上げた。
さらに、週末には渡米してしまう息子の場合、もっと悪い。
「こんなに落書きだらけで猥雑な、治安が悪くて危険な街に行ってしまうのか…止めるわけにもいかないし…ご安全に」と絶望的な気分になった。

バットマンの過去作を観て準備してくるほどの時間がなかったんだよね。
それでも、こんな破天荒な解釈のジョーカーは初めてだってわかる。
凄まじい。

いろいろ茫然として帰った。
あさって息子が「役所に行くついでに」来るそうなので、ぜひこの話をしよう。

19年10月18日

息子が来た。
珍しく昼間、私1人で接待した。
渡米する前に国民健保と年金のことに片をつけて行け、日本不在中に督促とか来ないようにして、との父親からの要請を受け、役所に話をつけるかお金を払うかしてきたようだ。
どう決着させてきたのか聞くべきだったのかもだけど、ごはんを食べさせるのと映画とマンガの話をするのに夢中で、細かいことは全部すっ飛ばしてしまった。
NYでの滞在先さえまだ不明なことにツッコむ気になれなかった。
こういうのは現実逃避なんだろうか。

「ジョーカー」について盛り上がる息子と母。
いかんな、アーサーくんちみたいに不健康かも。
私は息子にあんな地獄は見せたくないと思ってる。
なんだかおかしくなっちゃってる2人の、妙に居心地のいい繭みたいな地獄だもん。少なくともお母さんは幸せそうに見えた。
献身的な息子、ってのはしんどいものだ。うちのはそういうタイプじゃなくてよかった。

私「コメディアン志望者の親が観るもんじゃないね。あんな修羅の道を行かなきゃいけないもんなの?」
息子「そりゃそうだよ」
私「アメリカってのはおっかなくて汚いとこだね。しんどそう」
息子「その分、笑いで救える人が大勢いる気がしない?」

うな丼と鶏の照り焼き、ほうれん草のおひたしに「味噌汁はカブが一番おいしいよね」。
「うまいね~」と何度も言いながらガツガツ食べて、にこやかに話して、「スゴイおすすめ!」とNetflixの「月影の下で」とYouTubeの「がーまるちょば」を教えてくれて、
「明日の公演の準備をしなくちゃ~」とビッグハグをして帰って行った。

楽しい映像を息子と観る、ってのは母親にとって夢の時間。恐ろしい恐ろしい。
昔、私が1日中鬱々とせいうちくんの帰りを待っていた頃、大学生で昼夜逆転気味、しかし母親にかまってるほど親孝行じゃない彼は、困り果てたように言っていた。
「オレにもっとヒマな時間があって、一緒に映画を何本も観てあげられたりしたらいいのかもしれないけど」

いや、君にそんな時間がなくてよかったよ。
世代を超えた癒着や共依存は毒になる。
人は、自分で選んだ人とそれぞれ責任持って幸せになるしかない。
親子は、お互い選んでも選ばれてもいないんだから、君が自分で人生をデザインできるようになる前に無力で我々に頼るしかなかったからと言って、その一時的な関係から生じたかりそめの特権を握りしめていようとは思わないよ。
これから先、自分の親が語り合うに足る人間だと思い、関わりがあったことをどちらかと言えば幸運だったと思ってくれたら、もっともっといろんな話をしよう。
今の時点でもすでに君には充分憐れまれ、特別扱いしてもらってるのかもしれないけどね。
まあ、うな丼と昼風呂でチャラにしておいて。

19年10月19日

息子の渡米前公演があった。
15時半と19時の二部制で、「通し料金」を設定してくれたので、2回観てもお代はおんなじ。
毎回違うコントになる即興でこそ発揮される威力だろう、たいへんお得である。
お笑い好きな長老ともう1人Nさんを誘ったが、他の用もあるNさんは後半だけ観ると言う。
でもそのあとは飲み会だー。

長老とせいうちくんと1回目。
普段はお客さんからその場で出してもらったお題を元に始めるインプロだが、今回は導入部だけは設定が作ってあって、プログラムにはタイトルが並んでいる。
6、7人の大所帯だと、どうしてもなかなか話の流れに入って来にくい人が出てしまうので、出だしが決まっていれば入りやすいだろう、との工夫らしい。

ひとつめの、免許試験場での講習みたいな設定で、教官役の息子が10個ぐらいの交通標識が並んだ映像を見せて、
「皆さん、どれも見たことはあるはずです。気になるものはありますか?」と舞台から声をつのる。
黄色い標識によろよろ歩く「カニ」が書いてあるのがあって、どう考えてもそれが気になるだろう!?
2回目のステージまで合わせると都合3人が「気になる標識」の説明を求めたが、なぜ「80」とか「SLOW」が気になる?なぜ「カニ」を聞かない?
PTAだからぐぐっとガマンしたけど、もう、叫び出しそうだったなぁ。

30席ほどの会場は満員とはならず、やや寂しい。
我々から見てもインプロの悪い面、「ついつい終わらなくて長くなる」場面が多くなっていた。
多少強引でもオチにしなければ終わらないからねぇ。
今回は「舞台の前を誰かが横切ったら終わりの合図」ってお約束の説明もなかったな。

そのため90分の予定の舞台は押して押して、終わりは20分以上遅くなった。
終演後にNさんと合流して軽く飲み食いし、今度は4人で鑑賞、と思っていたのに予定時間をかなり超えてしまったので、たいそうあせった。
終わって地下の劇場を飛び出すや連絡をしたところ、幸い物慣れたNさんは適当に近くの激安中華居酒屋に入っていてくれたので、たちまちプチ宴会が始まる。

なかなかいい中華屋で、ジンジャーハイボール100円、ビール200円。どういう店なんだろう。
餃子に野菜炒めにレバニラにチャーハンによだれ鶏、その他いろいろ食べても、お会計が1人千円だった恐ろしさ。

Nさんはちょっと顔色が悪かった。
昼前から他の友達と飲んでいたらしく、今日は無理をさせているのかもしれない。
普段知る彼には「陽気で面倒見のいいアニキ」なNさんと「ダークで陰鬱な面持ち」なNさんの2種類あって、今回はどうも後者らしい。

話していたら、その場にいる人の4人のうち3人がサイボーグだとわかった。
長老は大昔のバイク事故の結果頭蓋骨を開頭され、そのあとはレジンでフタをしてあるんだそうだ。
Nさんは数年前に総インプラントの手術を受けたし、私は2年前に胸部を大工事して大動脈を人工血管に交換したうえ心臓には機械弁を入れている。
人間として肩身狭そうにしているせいうちくんだって、高校の時にサッカーの授業で顔面蹴られる事故に遭って前歯は全部差し歯だから軽くサイボーグの一員なんだが。
医学の進歩はスゴイ、って話ね。

さて、ちょっと酔っ払って第二部。
Nさんは、息子が小さな頃からプロレスやゲームの先生としてほぼ対等な友人のように接してくれているだけあって、彼の舞台に大声で応援を送っていた。
もともとお笑いの好きな人なんで、テンション高く盛り上がって、MC役の子から「いいですね、『イェーイ!』ってノリのいいお客様がいらっしゃると、こっちの気分も上がりますね!」と感謝されるほどだった。
面白いと遠慮なく大声で笑うおじさんたちがいて、演者さんたちは力づけられたのではあるまいか。

第二部は、通しチケットが効いているのか皆さん夜の方が好きなのか、第一部より席数も増やしてあったしお客も多く、何より客席が「温まっていた」気がする。
雰囲気が良く、期待が高まる。

息子たちも第一部でうまくいかなかったところを大いに改善してきていて、顕著に感じた「長すぎる。終わりどころが難しい」問題を、驚くほど早めに話を回収することで解決してきていた。
また、お題こそ同じでも、1回目とは全然違う話がどんどん展開される。
しかもかなり早々に分岐は起こり、出だしのシチュエーションは無限のバリエーションに発展していく。

同じ「父と子が手をつないで出てくる」導入でも、1回目で「お祭り楽しみだね!」とのセリフですぐに出てきた焼きそば屋台のおっちゃんは当然2回目も出てくるだろうと思っていたのに、親子は、「天気がいいなぁ。公園にイトコのケンちゃんも来てるから一緒に遊ぼうな」と話している。全然違うストーリーだ。

また、「演者1人で始めて、ルーレットで指名された人がどんどん入ってくる」バトルロワイヤルと名づけられた企画は面白かったんだが、第一部では次々入ってくる人が全員居残ってしまったため、舞台上はどんどん混乱してきた。
第二部では、これを1人来ては去って行く、という方式にしたのでとてもすっきりしており、最初からいた主役がどんどんヘトヘトになっていく様が面白かった。
またこの方が、ルーレットが「全員」で止まった時にいきなりすごく面白くなる。

終わったあとNさんは、
「アドリブと決まり事の複合になってる手法はとても面白い。息子くんはぜひアメリカでいろんな可能性を探ってみてほしい。期待してる!」と言ってくれた。

だが最前からあまり調子が良さそうではなかったNさんは、このあとの飲み会は遠慮するわーと言いながら雑踏に消えていった。
別口の友達と昼から飲んでいて、なかなかハードな休日だったようだ。
私としては二次会があると思っていたためさっきの軽い飲み会ではずいぶん話題をセーブしていて、いろんなことはあとでゆっくり話そうと思っていたので、ちょっとがっかり。
まあいいや、また12月に落語を聴く忘年会で会えるはずだ。

「とにかくビールビール」と落ち着かないビールの大好きな長老とともに、彼オススメの安い焼き鳥屋に落ち着いた。
地階に広がる店内の、たまたま4、5人用の快適な個室をあてがわれ、ラッキー。
初老だからあんまり食べないの。長老に敬意を表してひたすらビール飲んでた。
焼き鳥を少し頼んで、お代わり無料無制限のお通しキャベツを食べまくったよ。みそダレが美味しいんだ。

長老は息子のインプロの舞台をこれまでに2度観てくれてて、ずっと、
「即興って言っても、当然ある程度のシナリオはあるんだろう。練習済みのパタンがいくつかあって、客からもらったお題をそこにつなげていくんじゃないのか」と首をかしげていたんだが、その懐疑的な彼でさえ、2公演とも演目は同じに書いてあってもまったく違う話になっていくのを目の当たりにして、ビックリしたようだ。
「本当に全部即興でやってるんだ。難し~!スゴイな。頭が痛くなるだろうなぁ」と感嘆していた。

「アメリカで流行っているのはわかったけど、テレビでもやってるの?」と聞かれ、ちょうど息子とMessengerでやり取りしていたので質問したら、
「テレビではあまり盛んではないイメージがあります!」
そう伝えると長老は、
「テレビでやるには長すぎると思う。3分以内でないと。一方、日本ではテレビに出ないと売れない。難しいところでしょう」と言っていた。
息子サイドとしては、
「なるほど…売れるの認識もいろいろあるから」という姿勢。
もともとあまりテレビの方を向いてる人ではないからなぁ。

12時の閉店になるまでほぼキャベツとビールで過ごして、まるで昔の学生寮でのコンパのように盛り上がってしまった。
相当失礼な話もしたような気がするが、たぶん向こうは覚えていない。
いつものようにせいうちくんが「僕が先に亡くなることがあったら、彼女をよろしくお願いします」とやもめの長老にお願いしたら、ひと言「重い!」と断られていた。
私の性格が重くて暗いからなのか、太っているのが問題なのか、ツッコんで聞いてみたいところだ。

お会計を済ませてしばらくのちに「閉店です」と告げられて、「トイレトイレ。トイレ行って帰ろう」とせいうちくんとぐでんぐでんの長老が個室を出て行ったので待っていたら、せいうちくんだけ戻ってきた。
「あれ、長老は?」
「さあ、トイレにはいなかったよ。先に出たのかな?」と地上階に上がってみたが、どこにもいない。
もう一度地下に戻ってトイレをチェックしてきたせいうちくんは、もちろん個室も見たし、店員さんに頼んで女子トイレまで見てもらったのだそうだ。それでもいない。

SNSをやってないうえに格安SIMで人混みだと届くかどうか心許ないが、「どこにいますか?」とメールを打ってみる。
返事はないし既読がわかんないのは不便だなぁ、SNSやれよ!と思いながら電話をかける。
出た、と思ったら、
「うにゃぁ?京王線に乗るぞー」って、もう帰りかけてるんかい!挨拶もなしに、帰ったんかい!

足も痛くなったのでタクシーで帰ることにして、途中で
「長老の家は帰り道なんだから、一緒に乗ってこのへんで降ろしてあげればよかったねぇ」
「それを相談しようと思ったのに、先に帰っちゃうんだもんね」と大いにぶつくさ言う。
「京王線に乗った。終電までまだあるぞー!暇なら来い!」と挑戦的なメールが来たが、そんな誘いには乗らないよ。
トラがさらに大トラになるだけだよ。そして明日は全員ものすごい二日酔いの頭痛だよ。

まあいい。楽しい晩だった。
息子は明日、NYに発つはずだ。
長老もNさんも息子たちの格段の進歩を認め、これからを楽しみにしていると言ってくれた。
いい勉強をして、たくさんお土産を持って帰ってほしい。

19年10月20日

朝6時頃起きたら、4時に長老からメールが入っていた。
酔っ払って眠り込み、乗り過ごして遥か果ての終点まで行ってしまい、仕方ないから構内で寝て始発を待とうと思ったら、駅員と警官にかつぎ出されてしまったそうだ。
しかも両手足を持たれるというかなり屈辱的なスタイルで。
「最後の全共闘世代」である彼が黙って言いなりになるわけもなく、「これは緊急避難である!」と主張して、しばし官憲との喧嘩を楽しんだらしい。

でも結局始発が動くまで帰れなかったわけじゃん。
「暇なら来い!」なんて挑発に乗らなくて正解だったよ。
マンションの前で朝まで待ちぼうけを食らうところだった。
そもそもやっぱりタクシーで送ってあげるべきだったなぁ。

「いなくなっちゃうから探してたのに」との苦情には、
「あれ?駅まで一緒に行かなかったっけ?そんな幻覚を見ていた」との答え。
我々は駅になんか行かず、店の前からタクシーに乗ったんだってば。
老人性の何かなのか単なる酔っ払いなのか。後者であることを祈る。

9時過ぎに激しい二日酔いの頭痛を抱えてせいうちくんが起きてくるまでこの話をできなくて、たいへん残念でストレスフルであった。
こんな面白い話は、すぐに誰かにしたい。
ああ、つくづく1人で暮らすのには向いていない。

息子が小さい時からお世話になってた「おじちゃん」が2年前に亡くなって、つい先日が命日だったので、お花を持ってお線香を上げに行き、「おばちゃん」と話した。
息子がもうアメリカに発ってしまったと聞いて、びっくりしてた。
また行くとは本人からも聞いてて、「その前に会いに行くね!」って言われたから楽しみに待っててお餞別も用意してくれてたんだって。
こういうところで不義理なのは良くないねぇ。
かわりによくよく謝っておいた。

「まあ、帰ってきたら来てくれるでしょ」って、若い人に期待しすぎないところがものすごく年の功でゆとりがあり、尊敬しちゃう。
私なんか、相手が思い通りにならないとすぐに頭にきちゃうから。
息子が小さい頃の思い出話をしたり、こちらも小学生の頃から知っているおばちゃんちの娘さんが結婚して近くに住んでる話を聞いてお式の写真を見せてもらったりして楽しく過ごした。

なんとその間、隣の和室ではおばあちゃんたちが3人も集まって、「布草履」を作っていた。
浴衣の生地などを細く裂いて、専用の木枠を使って引っ張って草履に編んでいくのだ。
講習会なのか趣味の集まりなのか、弔問の客と日常の集まりが混在してにこやかに時が過ぎるおばちゃんちは、やっぱりスゴイとこだ。

息子も小さい時から預かってもらったりお泊まりさせてもらったりして、一緒に街を歩いてると、私が知らない人たちから「あら息子ちゃん」って声かけられてた。
我々は「親としての力」が足りないし、そもそも子供はいろんな人の価値観を分けてもらって育つ方がいいと思っていたので、息子の育ち方にはたいそう満足している。
当時もう二十歳を過ぎていたおばちゃんちの息子さんが「立ち小便の仕方を教えてくれた」というような逸話を聞くにつけ、恵まれた少年時代だとしみじみ思う。

その力でもって、自分の人生を切り拓いてくれ。
持たせるべきものは全部持たせた。
後は本人次第、なんだろう。

19年10月21日

昼頃に息子から「入国した!」とメッセージが来た。
しかしNYは夜中じゃないか。
どうやら朝まで動くこともできず、空港に座っているらしい。

私もね、35年ぐらい前にLAから東部の学校に移動した時、早朝のリムジンバスを待って、ケネディ空港のクリスマスツリーの下で夜を明かした。
黒人女性の警備員さんが来て、「You can't stay here」って言うから、「I'm waiting for early bus, and can't go anywhere till morning」って泣きついたら、「OK. You are not here. I'll bring you a blanket」って言って毛布持ってきてくれた。
息子に「追い出されない?」って聞いたら「大丈夫だよ」って答えだったから、彼も毛布もらえるといいなぁって思ったよ。
親子で似たようなことするもんだね。
彼の場合、宿泊先が実際するのかどうかまだわからないのだった。ドキドキ。

そんな真夜中のNYの彼には、吾妻ひでおの訃報が届いたらしい。ツイッターとか見てるのかな。
ショックを受けてるらしい。こちらも同様だ。
彼が大学生の頃だろうか、「失踪日記2 アル中病棟」を買ってきて自炊した翌日、彼の机の上にあのピンクの表紙の1冊が置いてあるのを発見した。
ものすごくビックリした。本の、幽霊が出たのかと思った。
「オレのだよ。買ったんだ」と言うから、
「吾妻ひでおって、知ってるの?」と聞くと、
「いや、よくは知らない。なんかいい本だと思って買った」
あの瞬間、マンガに関して息子のことを成人と認めたよ。

「去年の渡米の時はさくらももこさんが亡くなった。邦人の訃報には敏感になる」と沈痛な雰囲気だった。
吾妻ひでおに関しては、何か作品集が出ると思うのだそうだ。
まあそうだろうなぁ。マイナーメジャーの鑑みたいな人だからなぁ。
私も思わず「どーでもいんなーすぺーす」とか読んでるよ。
日本での訃報をNYで受け取り、それをまた日本の両親と話し合う。地球は狭くなったもんだ。

こちらでの夜中近くなって、宿泊先に着いたと連絡。向こうは昼前か。宿が実在してよかった。
「何もないがらんどうの1人部屋」と言うから写真送ってくれと頼んだら、じきに来た。
本当に何にもない。ただの板の間。ベッドすらない。
我々が知る彼の寝袋とは違うのが写ってるから、あわててNYのドンキに買いに行ったんだろうか。
広げたトランクの中から「洗濯物干しの、あの洗濯ばさみがたくさんついた四角いやつ」がのぞいてるとこに生活感がにじんでる。

前回よりもさらに安宿なのは心配だけど、まあ頑張ってくれ。ほどほどに洗濯もしてね。
3ヶ月床で寝袋生活はつらいだろうが、若さで乗り切れ。

19年10月22日

即位の儀で拾ったお休みだから、今日はもうとことんのんびりしようねと言ってだらだら過ごしていたものの、年末も近くて空いてる週末もあんまりないことを思い、ついに衣替えに着手した。
もうタンスがぎゅうぎゅうでね、わかる人にはわかるだろうけど、上から押さえつけて閉めてたのよ。
タンスもクロゼットも八割収納が理想だって知っちゃあいても、理想と現実の間には深くて暗い河があるものなんだ。

今年は私の服の趣味が激変した年で、特にクルーズに行くために気合いを入れてオトナっぽい服をたくさん買った。(しょせんセシールだけどね)
なので、これまで着ていたくたびれたTシャツやカッターシャツ、Gパン短パンは「卒業!」と言わんばかりにせいうちくんに捨てられてしまった。
「まだ着るかもしれないから」
「せめてもう1回着てから」
「掃除とか汚れ仕事をする時に着る」
こういうのはね、全部却下されるの。「はいはいはい、着ない着ない、もう着ない」って。
よくせいうちくんに、
「キミは正しすぎて、頭をかち割りたくなる」って言われるんだけど、その言葉をそっくりお返ししたい。

実に4袋もの古着ゴミを出して、衣替えは終わった。
衣替えっつっても、うちは季節ごとに入れ替えたりしないんだよね。
同じタンスの、別の引き出しに入ってるだけ。
押し入れとか天袋にシーズン別に入ってるなんてことはない。
何年も整理しなかったからこんな仕儀になってしまったが、基本、それほど服は持ってない。

でもそう思うのは、実家の母と姉がやたらに服を持ってる人たちだったからかもしれないなぁ。
母は60歳ぐらいの時に家の建て増しをした、その理由が「服を入れるタンスを入れる部屋を作るため」だった。
思えば私がコドモの頃から「安かったから」と色違いの同じセーターを3枚買ってたりして、いわゆる「安物を大量に買うタイプ」であった。
今さら言ってもしょうがないけど、父親のことをケチだケチだと罵っていた一生だったが、妻がやたらに服を買ってきてデパートの袋がそこら中にあるのに気づかない性格の父ではなかったし、そういうことをとやかく言わない夫はケチとは言えないんじゃないだろうか。
うーん、実は母は、買い物依存だったのだなぁ。しかも安物専門の。

そんな家でずっと暮らしていた姉は、我々のマンションで扉つきの本棚が並んだ寝室を見て言った。
「これはタンスなのね。えっ、本棚なの?これも、これも全部本棚なの?じゃあ、服はどこに入ってるの?!」(このへんはほとんど悲鳴)
答え:タンスひとつとクロゼット、それが我々夫婦の衣類のすべてです。
「うちは服より本にお金がかかってるの。まあ趣味はそれぞれだけど」と、口には出さなかったけど何となく溜飲が下がる思いがしたもんだ。
少なくともせいうちくんと暮らしてる分には「変わり者扱い」されないのがいいよね。

話が長くなったけど、ついでに寝室の大掃除をしてくれたせいうちくん、身体を動かして頭痛が治ったうえ部屋が綺麗になって気分がいいのだそうだ。
この頃2人とも気力がなくてね、部屋の隅々が何となく汚くなっていたのよ。
心の乱れは部屋の乱れを生み、それがさらに心の乱れに繋がる悪循環。
少し断ち切れて、良かった。

しかしよく考えたら、天皇皇后の行事を全部見逃してしまった。
台風被害者のことを考えてパレードが延期になったと聞いたあたりから、やる気がなくなっていたのかもしれない。
いちおう夜にニュースでダイジェストを見て、あとは工藤美代子の「皇后の真実」を読んですませておいた。

「(義宮がキリスト教に傾倒した)聖書事件」で昭和天皇が激怒して美智子妃が土下座したというのはまったくの「神話」で、天皇は侍従を通じて「このようなことは、事実がないばかりでなく、心に思ったことさえなかった」とのお言葉を伝えたそうだ。
「天皇が叱責した」という話だから、美智子さん側が否定したくとも、周囲も天皇に確認しなければわからないしそうするには遠慮があって、有効な手段がなく、実に18年経過してから表立っての否定が行なわれたそうだ。
「ちゃちゃっと言う」わけにいかないのかねぇ、と平民は思う。「菊のカーテン」の向こうは奇々怪々だ。

真実を知ることができるなら知りたい性格ではあるが、知りようもない場合はあまり気にしないでゴシップを楽しむ方なので、
「『柳行李ひとつで来てください』と言ったとされるのは、ご学友が『そういう言い方もあります』って言っただけで、美智子さんに実際には言ってないみたいよ」とか、
「三島由紀夫は美智子さんに思い入れがあって、お見合いをしたことがあると周囲には言っていたらしいよ。お母さんは『美智子さんに出会っていなければ「豊穣の海」は書かなかったでしょうし、自決することもなかったでしょう』と親しい人に語ったらしいよ」とか、思う存分いい加減なことを言った。
(いや、本にはそう書いてあるんだよ。それにしてもやはり母と息子というのは恐ろしいものだ)

19年10月24日

ファンが壊れたJ-COMさんのデッキから新しいパナのデッキへのダビングは想像を絶して大変、になるはずだった。
なにしろ、350以上の番組、中には2時間を超えるものも多々あるのを、ひとつひとつ移すしかないとメカニックさんは言うのだ。
しょうがないから120分番組だったら120分タイマーをかけて、鳴ったらダビングできてるのを確かめて次の番組を仕掛ける、って作業を繰り返していた。
寝てる間はできないから、ざっと1ヶ月かかるかなぁ、とめまいを感じながら。

でも、何であってもより効率的な方法を模索してしまうのが私のいいところ。
まず、60分番組なのに30分ちょっとでもうダビングが終わっているのに気がついた。
厳密には実験してないけど、どうも60分なら40分以内、120分でも7、80分で終了してるらしい。
これは、元の録画が5倍でゆるく録ってるものなせいなのか、ダビング受け入れ先が15倍だからなのか。
さすがにそこまで細かいことはわからない。
しかし、思ってたより早く終わりそうだ。

さらに、「『ダビング予約中』って出て、それからしばらくすると『ダビング中』になるわけで、これって、ダビング中に別の予約中があったらダメなのかしらん?」て考えてみた。
ダブって録画してるから消えちゃってもかまわない番組で、試してみるわけですよ。
あら、いけるじゃん。

そこから、ひとつずつ「予約中」を増やしていって、結局、前もって20個ぐらい仕掛けておいても全然差し障りないことが判明した。
なので、猛烈な勢いで「予約」をし、時間的には短く済んでるうえに終わるのを待って仕掛ける手間がいらないから、今んとこすごいスピードで進んでいる。
1ヶ月どころか、半分の2週間ぐらいで終わってしまいそうだ。
しかしやはり油断してると扇風機が止まる。
8時間ぐらい持つかと思っていたら、こちらも過熱気味なのか、4時間から6時間で止まる。
おちおち寝てもいられない。

それと恐ろしいのは、4千時間録画できる受け入れ先のデッキの残量がすでに1700時間ぐらいになってること。
この週末に外付けハードディスクを買ってきた方が良さそうだ。
WOWOWにも加入しちゃったから、ほぼ1日中WOWOWプライムとWOWOWシネマの映画を録り続けてるもんなぁ。時々、吉田拓郎とか清水ミチコとかのWOWOWライブも入る。

このすべての録画活動をのぞきこんでは、
「すごいなぁ。引退したら、こういうのを延々観て楽しめるんだなぁ」って脳天気なこと言ってるせいうちくん、デッキは壊れるんだよ。データの保全をしっかりしないとね。
今回も危なかったじゃん。
我々があと20年生きるとして、それまでこの録画が全部無事だなんて保証はないんだよ。
まあ、その時はその時のWOWOWとかCSとかNetflixとかあるからきっと困らないだろうけど、「江戸を斬る」が見たいんだったら早くした方がいいよ。そもそも松坂慶子が亡くなっちゃうよ。

19年10月25日

iPad Pro物語その10

中国組み立てらしき「交換機(刻印入り)」が無事に着いたので、こちらが人質に取っていた形の「化粧箱入り新品」を引き取りに来てもらったのが10月17日。
外箱の段ボールを少し開けただけで中身は綺麗なものだ。ガムテープで封をし直して、宅配の集荷の人に託した。

毎晩のように電話をくれるアップルの3番目の中番頭さん(もううちではそういう名前なんだ)に、発送した旨伝えると、
「そうですか!それでは、ご返送いただいたものがこちらに届きましたら、ご連絡差し上げます」と嬉しそう。
「それが届けば、この件は完全に終わりですね」
「はい、その通りでございます。いろいろとご不便ご迷惑をおかけしました」と、さすがに中番頭さんは腰が低い。

だがしかし、現物がアップルさんに届いて最終的に連絡があって、まあまあ気持ち良く一連の不幸な故障案件にエンドマークを記せたのは、1週間以上経った10月25日のことだった。
アップルさん、何か社内の風通しが悪いっていうか、連絡が滞ってない?
クロネコさんはかなりきっちり翌日ぐらいに届けてくれるよ。
最初に私のiPad Proが届くのにも1日しかかかってなかったのに実際開封するまで10日もかかった件を、また思い出しちゃったじゃないか。

まあいい。今のところスムーズに動いている愛しい交換機(刻印入り)である。
進まなくなっていたマンガを猛然と読んでいる、と言いたいところだが、離れている間にすっかり体力気力がなくなり、マンガを読むのもSNSに復帰するのも、まだしばらくかかりそうだ。
いずれにせよ、「iPad Pro物語」がその10で連載終了になったのは、実に喜ばしい。

19年10月26日

朝、安売り八百屋で買い出しをしてからこれまた安売りスーパーの駐車場に入ったところで、ちょうどNYの息子からメッセージが入った。
時計アプリで確認すると、向こうは今夜の10時半。
1日の活動を終えて落ち着いたところだろうか。

やり取りしてると、どうやら電話で話したいらしい。
「声が聞きたくなっちゃった?」とせいうちくんに聞かれて、「まあそうかも」って、可愛いじゃん!
そのままSNSのグループ通話に突入し、混線しそう、と向こうが言うのでこっちでは私は通話を切って、せいうちくんのをスピーカーホンにして、三者懇談。

せいうちくん「宿はどう?」
息子「安くていい宿だったよ。宿って言うか、シェアハウス」
せ「台所あるの?」
息子「あるよ。カレー作った」
私「へえ、日本カレー?インドカレー?」
息子「日本カレー。近くに日本食材も売ってるスーパーがある」

言ってる間にも、後ろから英語で話しかけられて答えてる。
「No problem. If you want more…」とか言ってるから、その「日本カレー」を食べてもいいか、と聞かれてるのだと推察する。
しかし息子の英語は「なんとかやっと」のレベルだな。とはいえ、今の私が渡米するよりはマシな状態かも。

前回滞在時から行きたかった演劇のイベントに行けた、と興奮しているのを聞くと、NYって本当に刺激的なところなんだな、とうかがえる。
インプロをもっと勉強しようと思ってやってきたが、この1年間に自分たちでずいぶん実技を進めていたのがわかった、同じことをただ復習しても仕方ないし、あらためてNYで「言葉を介さないコント」について考えている、と言う。
「それって、パントマイムやりたくなったってこと?」
「まあそう」
うーん、こないだ「がーまるちょば」を熱っぽく語っていたのはそういうことか。
わりとわかりやすいヤツ。

好きに生きてもらってかまわない。ただ、渡米の資金はまだ自分で稼げてないから、自立とは言い難いかも。
そこさえクリアしてれば、なんの問題もないんだが…まあ元気に好きな道を突っ走っているので、もうちょっと様子を見よう。
大学出て就職して働いて、ってルートをそれてしまい、戻る気もない以上、まわりであせっても仕方ないような気がする。
静観の構えだ。
もう一歩進んで、「未来ある若者に出資するパトロン」の気持ちになるといいんだろうか。

かなり楽しく話して、「元気でね!風邪ひかないで!」とお互いに声を掛け合って通話を終わったのち、
「技術の進歩に背筋が凍る」とメッセージを送ったら、
「こんなに簡単に連絡が取れてしまうなんてね」と向こうも嬉しそうだった。
これなら遠恋でも気にならないかもなぁ。

19年10月27日

週末に迫った中学同窓会に向けて、何か努力のようなことをしてみたくなり、「顔パック」を買った。
「28枚+お得な2枚入り」。これを毎晩貼って、少しはぷるぷるのお肌を取り戻そう。
昔は「パック」と言えば接着剤のボンドのようなものを顔に塗り、乾いたのちあごの方から少しずつ剥がすのだった。
母がそうしている時はよく、「スパイ大作戦」のテーマをハミングしてしまったものだ。
ああ、あと、その最中に笑わせると小じわの元になるので、非常に怒られたな。

そののち洗い流すタイプに移行した気がする。そして今は、美容液などを染みこませた紙パックの時代。
初期の顔面ボンド状態しか知らないせいうちくんがびっくりしてた。
だが目と口の部分に穴が開いた紙パックを貼った顔はたいそう面白いらしく、めずらしくいきなり写真を撮られた。
どうするつもりなんだろう。

友人たちとLINEなどでの連絡に余念がなく、一次会の前からゼロ次会を目論んでいる。
女子数人で集まってお茶を飲もうと。
ホテルで留守番のせいうちくんが1人になる時間が延びてしまうので、謝っておいた。
独自に古本屋巡りとか街歩きをするからちっともかまわないのだそうである。

そもそも金曜夜から日曜昼のたった2泊で、私ももう1人で大丈夫だから東京で待っていてくれ、と頼んだんだが、どうしても一緒に行くと行って聞かない。
「今回は同窓会にも二次会にも呼んであげないよ?いくら何でも、中学の同窓会に夫連れて行くのはイヤだよ」とまで言ったんだが、そんなことは全然問題にならず、とにかく名古屋まで一緒に行きたいんだって。
きっと、二次会とかまで行った私が盛り上がりすぎて、いつものように寂しくなって、1人で泣いちゃうのを想像してるんだろうな。
最近の私としては、そういう時に1人でいてこそ、新たな自分に出会えるのではないかと思っているのだが。

「新たなキミとの出会いを邪魔しちゃってごめんね。でも、帰ってきたキミをホテルで出迎えたいんだよ」
新幹線代もホテル代もかかるのに酔狂だね。ありがたくもあるけどね。

我々の学年は今年が「還暦祭り」となり、去年あったばかりの高校の同窓会も「自分たちの学年だけで」ということで新たに開かれ、今回は中学だ。
どうやら11月には少なくとも他に2つの中学の同窓会が開かれる、と高校の人から聞いた。
ある中学では「何かひとつ、赤いものを身につけての出席」というルールだそうだ。洒落てる!

それに倣うわけではないが、同窓会用に新しく、真っ赤なリュックを買ってもらった。
真っ赤なセーターで出席することすら考えている。
目指せ、カワイイおばあちゃん!

19年10月29日

せいうちくん、先日電話で話した時の履歴が残っていたのをうっかり触ってしまい、朝の5時前からたたき起こされた息子。
グループ通話にかけたので私も出て、眠そうに「んー、どうしたのー…」と言ってる声に「あなたなの?どしたの?」とびっくりしてしまった。

「知らないよ。かかってきたから出た」
「そうか、たぶん会社にいる父さんが間違えたんだよ。悪いね」
「うん、大丈夫」
ってまた寝たみたいで、肝心のせいうちくんはどうしてたかと言うと、「しまった!間違えてかけちゃった!」と思った瞬間に電話を切り、あとにはつながってる息子と私だけが残っていた、ってわけ。

寝起きではあったろうがそれほど機嫌も悪くなく、楽しくやっているようだ。
あとから知った話では、ロシア人夫婦とモンゴル人夫婦と5人で暮らしているらしい。
それで彼らに和風カレーをご馳走したのかな?
「どんなコントやってるの」と聞かれ、コントグループの5、6人が出てる過去の舞台をYouTubeで観てもらったら、「出演者全員、君に見えるね」との感想だったそう。
お笑い野郎どもは似てるのか、演技力の問題か、日本人は区別がつきにくいのか。

19年10月30日

わりと黒髪がたっぷりしてる方だったのと、40代ぐらいから自分でブラウンに染めたりしてたから、気づかなかったよなぁ。
特にここ数年は美容院で「赤っぽくしてくださいね」なんて無茶まで言ってて、なおさら気がつかなかった。
染めないと、かなりの割合で白髪がある!
いや、「ある」なんて段階じゃない。白髪に「なってる」。

私の担当さんは息子と同い歳なのにしっかりしてて、「テキトーにしてください」的な女(私のことですが)には我慢がならないようだ。
今回も、
「Kさんは、美に厳しいオーラがビシバシ出てますよね。ろくにブローもスタイリングもしない私には、怒ってますよね?」と冗談半分に聞いたら、
「そりゃあまあ、話をするだけなら誰でもできますからね。美容師なんで、いろいろご提案していきたいですよ。季節感を取り入れるとか」と大真面目だった。
今回、「夏も終わったから少し伸ばそうかと」と発言したのは好意的に取られたらしい。ほっ。

いつも話す内容に少し苦労するので、やはり歳が離れていると会話にならないんだろうか、と密かに悩んでいたんだが、アシスタントの女の子がヘアカラー液を塗ってくれてる間とか、ドライヤーかけてる間とか、すごく話しかけてくれる。
「急に寒くなりましたよねー」から始まって、「長野育ちで、東京で一人暮らしが寂しい」のさらに先の先まで聞けた。
「金銭感覚と食べ物の好みが同じ人と一緒に暮らすといい、ってよく言われますけど、温度感覚の同じ人ってのも、案外貴重ですよ。うちは夫が超寒がりで私が超暑がりなので、苦労してます」という話から、どうして「えー、仲よしなんですねー」が導き出されるのか、間の会話を推理でもして遊んでください。

そこに担当さんがやってきた。
「僕はね、寒がりだけど体温が高いんです」と言うので思わず、
「えー、見えませんねー。血液の温度が低いんじゃないかと思いますよ」と言ったら、アシスタントのコも「そうそう」とうなずく。
担当さん「血圧も高くて、朝はバリバリ元気なんです!」
私「全然見えない。低血圧でものすごく寝起きが悪いタイプに見えます」
アシスタント「ホントですよねー」
うん、これでわかった。
このおにーさんは私に冷たいわけじゃなくって、全方向的にクールな人なんだ。 同じ店で働く人からでも気難しいタイプに見えるんだ。

美容師さんとは楽しくおしゃべりしたい私には少し向いてないんだけど、何しろ上手なんだよね。
出来上がりがカッコいいとかじゃないの、髪を洗ってテキトーにブローしてもカタチになるし、2ヶ月近く経っても「まだいける」と思え、「保つ」期間が長い、と感じられる。
そうすると2、3ヶ月に1度になってしまい、「もっと頻繁にきてもらわないとスタイルがキープできない」みたいな叱責を受けるんだが…
ここまで興味の持てないことを言った人が、私の人生にかつて存在しただろうか?(もちろん学校の先生とかは別カウントですよ)

こうして今日も綺麗にしてもらって、白髪が気味味悪くのさばり始めていた頭は 大好きな「赤みがかった茶色」にしてもらって、ルンルンとせいうちくんと待ち合わせ。
食べたかった天ぷら屋1階での天ぷら定食は水曜お休みなんだって。ショック!
しょうがないから2階に上がって天丼食べた。
糖質制限なのに。

「こないだもこんなことがあったねぇ」とせいうちくんに言われ、
「次に美容院に来るのがクリスマスで、 実は水曜日だ」と打ち明けたら、 「そりゃいかん!」と叫んで手帳を取り出し、来年への申し送り事項の中に「天ぷら定食水曜は休み」と記入していた。
「年越し蕎麦は1人1把だと多い」だの「ハゲ天のかき揚げは油っこいので注意」とか、ものすごくつまらない申し送りばかりが大真面目に書いてある、せいうちくんの手帳。

あんまり気持ちのいい夜なので、家まで歩いた。
息子たちと保育園同窓会の帰りに歩いたことを思い出す。
途中で息が切れて足が痛くなって歩き通せないかと思ったが、家まで半分以上来ちゃってるのに今更タクシー拾うわけにも行かず、なんとか歩き抜いた。
こういうのが自信につながるときもあるが、体力の衰えと心臓や足への不安を深く感じることもある。
まあ、やれる範囲でまたやろう。

19年10月31日

息子の大好きな沖縄、世界遺産の首里城で出火が起こった。
かなり燃えたようだ。
ネットニュースで読んで、「首里城が焼けちゃったんだって」と知らせたら、「えええ?!」と驚いていた。
吾妻ひでおが亡くなったことは聞こえてきても、これは知らなかったか。

「自然発火?」と聞かれたので、「多分。少なくともテロとかではない」と答えておいた。
「そうか…」と気落ちしてる風だった。

親が知る限り2度は行っていて、私にも、
「絶対行くべきだよ。お父さん、連れてってあげなよ」と勧めてくれたぐらい、好きらしい。
骨組みだけになって燃えさかってる映像を見てしまったが、息子には見せられないなぁ、と感じた。
復元されるといいな。
いつかは見に行きたい。

NYと東京で、こんなにお互いの気持ちがわかるような距離に感じられるなんて、ありがたいを通り越してそら恐ろしくもあるけど、でもやっぱりありがたい。

明日から2泊3日で名古屋に行く。
中学校の同窓会があるのだ。
思えば去年は高校の定例総会に10年ごとの卒業生が招待される、全体同窓会があった。
その席で「来年は還暦だから、自分たちの学年だけの同窓会をやろう!」との機運が盛り上がり、私が翌日東京へ帰る新幹線に乗る頃には、もうLINEグループができて同窓会の日付も会場も決まっているような進みぶりだった。

で、今年6月にはつつがなく大規模な還暦同窓会が開かれ、大いに旧交を温めた。
せっかく名古屋に来たので、友人に頼んで中学の同期の女子たちに声をかけてもらい、「小さな同窓女子会」も開くことにしてたら、「おな中」の高校同期男子がうるさいうるさい。

「俺も呼んでくれよ」 「女子会だから、ダメ」
私が断ったわけじゃないんだが、よほど悔しかったものだろう、すぐに「男子もOKな中学同窓会」の構想が持ち上がったようだ。
こちらもたちまちLINEグループが60人以上に膨れ上がり、LINEやってない出席者も含めて60名の大所帯での同窓会になる。
便利なものだなぁ。

高校も一緒だった親しい友人と「ゼロ次会」を目論むLINEを交わし、
「じゃあ、当日会ってからお店を決めよう。他の子にも、お店決めてから連絡しよう」となるに及んで、
「しかし私たち、LINEがなかったらどうやってたんだろうねー。同窓会も、こんな規模にはなってないよねー」とおののきあった。

さて、せいうちくんの動向だが、去年の高校同窓会には卒業生でもないのに同伴し(地方の共学高校に限りない憧れを抱いていたようだ)集合写真にまで写ってしまったため、「このメガネの男の子は誰だっけ?どうしても思い出せない!」となる犠牲者を量産。
当然翌年は出禁。
だが、前年のことを覚えていてくれたやさしい幹事さんたちが、
「ダンナは東京かな。え、こっちに来てるの?ホテルで留守番?かわいそうだよ、今から呼びなよ」と言ってくれたので、二次会からちゃっかり参加していた。

だがねぇ、中学は、これは違うだろう。
いくら中高一貫男子校だったから興味あるって言っても、共学の中学もそれほどオトコオトコオンナオンナしてるわけじゃないんだよ。
それがどうなってるか、私だって予想がつかず想像を巡らせているのに、部外者は、無理!
家で「3年B組金八先生」でも見ていなさい!

って言ってもね、聞かないんだよ。
「同窓会には行かなくていい。キミと名古屋に泊まりたい。街歩きは好きだし、名古屋の古本屋にはけっこう出物があった。大人しく待ってるから、連れてって」
コドモか、君は。

幸い、何度かせいうちくんに会っている友人のCちゃんが温かく歓迎してくれて、同窓会前日には一緒にディナーを食べてくれるって。
せいうちくんはこの友人をとっても尊敬しているので、お話しできるのが嬉しいようだ。
私も嬉しい。

40年近く年賀状だけの付き合いだった彼女と再び会うようになって、まだ4年と経つまい。
電話で始まり、メールに移行し、今はLINE。
いつも優しく「まっとう」な意見を言ってくれる人で、いい歳してジタバタと自分探しをしている私に、
「今度の同窓会で、もう探さなくてよくなるといいね」と深い言葉をかけてくれた。
うん、いろんな意味で区切りをつけたい。

激しく緊張してはいるけど、とりあえず明日は会社帰りのせいうちくんと待ち合わせをして新幹線で名古屋入りして、Cちゃんとごはんを食べて落ち着こう。
誰でもやってることがまともにできない、って気分になることは多いけど、今回はまた格別だ。
それらしいことをしようと美容院にも行ってヘアカラーしたし、この1週間寝る前のパックを欠かさないんだが、さてそれらは肉体にも精神にも効き目があるんだろうか。

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