19年11月1日

中学同窓会出席のために名古屋行きを敢行する。
ただただホテルで留守番してるだけのために同行するせいうちくんとは、東京駅で待ち合わせ。
今回初めてスマホにSuicaを入れてみたので、バスに乗るところからちゃんと動作するか不安だった。
「ぴっ」と鳴って、大安堵。

駅の中で待ち合わせて、新幹線車内販売のコーヒーを楽しみながら1時間40分ほどで名古屋。
中学時代の友人Cちゃんと、いつものイタリアンレストランで夕食だ。
地下鉄の駅から向かっていたら、
「前を歩いてくのは、Cさんじゃない?」とせいうちくん。
「Cちゃーん」と大声で呼んでみると、「あらあ」とくるりと振り向いた姿は確かにそうだった。
せいうちくんは、このお姉さまと会うのをいつもたいそう楽しみにしている。

食前酒をそれぞれいただいて、再会に乾杯。
Cちゃんとは明日の同窓会でも会う。
他の友人たちとゼロ次会を考えているけど、お仕事があるので一次会で会いましょう、となった。

お食事は、前菜に
・イタリア産水牛のモッツァレラチーズとトマトゼリーフルーツトマトのカプレーゼ
・カニとアボカドのサラダ仕立て
メインは
・おすすめ鮮魚(今日はメバルだった)のグリル アンチョビのオイルとドライトマトのソース
・牛肉の赤ワイン煮込み
パスタに
・スパゲティ カニのアラビアータ
ワインはCちゃんとせいうちくんとお店の人で相談して「重めの赤」になったようだ。
(あいかわらずすがすがしいほどわからない私)

全部、3人で食べた。大皿をシェアしたり、あらかじめ盛り分けてもらったり。
どれも美味しかった。
特に「牛肉の赤ワイン煮込み」は我々の大好きな北島亭の「牛ほほ肉のハチミツ入り赤ワイン煮込み」に勝るとも劣らぬ柔らかさと深い味わい。
ただ、酒豪で小食なCちゃんのごひいきの店らしく、肉の大きさは北島亭の5分の1ほどだと思う。
それすら「貴女に半分あげるわ」と切ってよこすCちゃん。
やせてる人にはやせてる人の、太ってる人には太ってる人の理由があるもんだと思う瞬間。

主な話題は、親の話など。
老人福祉とかこれからの世の中の話で盛り上がるのは、年代的にしょうがない。
名古屋では「サ高住」の話をよく聞くなぁという印象。
Cちゃんもよく知っての通り、私の方の両親はすでに亡くなっているので、これからのことを考える時に中心となるのはせいうちくんのご両親。
老親とどう接するべきか、たいへん参考になる意見がたくさん聞けた。
それにしても我々世代から決まって出るのは、「あんまり長生きはしたくないねぇ…」とのため息。

あと、娘の話
小さい頃から施設で暮らす重度身体障害者の彼女の、高校生活の話になった時のCちゃんの驚きが新鮮だった。
「ちょ、ちょっと待って!彼女は、高校に行ったの?失礼なんだけど、彼女は、(たぶん勉強が)理解できるの?」

いやいやCちゃん、驚くのももっともだよ。当時、我々もものすごく驚いたよ。
身体能力も知的能力も赤ん坊より低いような娘が、まさか義務教育のあとも「学校」に行けるとは思わないよね。
50円の受験料を払って気持ち良くおしめを替えてもらって受験終了、都立の養護学校に通った。
施設の真ん前にあって、寝たきりの子たちもそれぞれの車椅子のままリフトでバスに乗せてもらい、バスは道をへだてた養護学校まで移動し、向こうでまた全員降ろす。
施設では職員さんが、学校では先生が、1人1人を乗降させ、面倒みてくれる。
「授業」は各人の状態によって分かれた3、4人の少人数グループ制で、娘の場合は「音楽を聴く」「拘縮が進まないよう、身体のストレッチ」「明るい声かけ、人といる雰囲気」を楽しむ高校生活だった。
将来的には「重度障害児」ではなく「重度障害者」になることを考慮し、途中で施設を移り、そこでは院内学級に通い、バスの乗り降りがなくなったのは楽だったかな。
あんまり「いい教育」を受けられたので、高校卒業以後は病棟のリハビリだけではやはり不足なのか、側湾や拘縮が進んでしまったぐらい。

「手厚いのねぇ。よかったわね」と率直に言ってくれるCちゃんが大好きだ。
私の姉なんか、教員だったからって、「障害児教育に回すお金を普通教育に回してもらえたらどれほどのことができるか」とせいうちくんと私に向かって力説したよ。
「予算がうらやましい」って、立場上わからんでもない発言だが、何も我々に言わなくてもいいじゃないか。
(心が狭いので、いまだにそのことでぷんすかしている我々)

還暦の年なので高校も中学も同窓会ラッシュ、それで今年はもう2回目の名古屋。
Cちゃんの高校でもあったそうだ。
私「ナントカ中学では全員何かひとつ『赤いもの』を身につけて出席、のルールだったらしいよ」
C「あら、還暦だからなのね」
私「うちのはそういう決まりはないけど、赤いバッグ買ってもらったんだ。Cちゃん、明日何着ていく?私、赤いセーターも持ってきたの。着ようかと思ってたけど、こっちは意外と暑いじゃん。会場で、汗かいちゃうかなぁ」
C「赤いバッグだけで充分!」
私「じゃあ、今日とおんなじ服になるけど、いいや」
C「それでよろしいよ」

いつものようにCちゃんはデザートまでに満腹になったと言い、コーヒーだけ。
せいうちくんは「栗の季節だから」と大好きなモンブラン、私は珍しげに思えたので「チョコレートクレープトリュフ入りアイスクリーム添え」。
「ひと口食べてみて」とCちゃんに勧めたら、
「ありがとう。あらっ、おいしいわね!」と喜んでいた。

楽しく食べて飲んでしゃべって、気がついたら3時間半ぐらい経過していた。
ちょっとビックリして、ワリカン払いをしてお開きに。
「また明日ね!」と言い合う。楽しい時間だった。
還暦ラッシュが終わったから、数年は名古屋に来ることもないかも、と言ったらCちゃんは目を丸くして、
「来年の春以降、私がもっとゆっくりできるようになると思うから、またいらっしゃいよ。いろんなところを車で案内するわよ」と言ってくれた。
うん、じゃあまた来るよ。
味噌煮込みうどんの「まことや」に連れてって。地下鉄駅の近くにはないんだよね。
山本屋は「本店」も「総本舗」もイマイチと感じてるんだ。

ホテルに帰り着いてからせいうちくんがしみじみと言っていた。
「いろんな人と会ってるキミを見てきたけど、Cさんと会ってる時のキミが一番好きかも。安心して甘えられるというか、テンションの上がり方があまり激しくない。いいお友達がいてよかった」
私もそう思うよ。
立ち入ってこない無関心さと熱心なもてなしのホスピタリティのバランスが良い、結果としてとても優れた人格だよね、Cちゃんは。
後者は私にもまああるっちゃあるんだけど体力が欠落してるし、前者となると決定的にダメだからねぇ。
知りたがりうさぎなんで、他人の事情に突っ込む突っ込む。
まあ、オトナがいいね、ってことだ。Cちゃん今夜もありがとう。

19年11月2日

同窓会本番。
14時過ぎにホテルを出て、栄町の古本屋街に行くというせいうちくんと逆方向に分かれて、まずはゼロ次会だ。
高校も同じだったWちゃんと、14時45分に名古屋駅「金の時計」前で集合。
これがまた、すごい人混みなんだ。
6月にも会ってるからお互い顔がわからないじゃないけど、個体の判別が困難な状況。
「金の時計」の写メを送って「ここでいいんだよね?」と聞くついでに、「赤いリュックが目印」と伝えておく。
しばらくしたらLINE電話をかかってきて、出る前に、スマホを耳に当てたWちゃんが目の前に現れた。
よく見るとまわりも皆さん、待ち合わせの人を電話で呼び出して、通話に出ようとする行動で相手を見つけてる気がする。

こうしてめでたく会えたWちゃんと、ゲートタワー内のカフェを探して歩き始める。
もともと、「食事か飲む店でないと予約はできない。カフェはたいてい混んでて並ぶから、先乗り隊として並んで、他の子たちを待とう」って作戦なんだ。
13階とか高いところにスタバがあるなぁと感心するが、あまり広くなくて混雑してるし、女性4、5人がおしゃべりするって雰囲気でもない。
結局、なぜかとてもすいていたビアレストランで1杯引っかけるスタイルにした。
なぜすいていたかというと、17時から団体さんの予約が入っているせいらしい。
「あ、私たちそれまでには絶対出ますから!」と明るく言い放って、入れてもらった。
だって17時から一次会なんだもん。

席に落ち着いてそれぞれビールを頼み、残りのメンバーに店を連絡しておいて、おもむろに近況報告。
Wちゃんはやたらにお稽古事をする人である。
1年前に連絡取った時は「週に5回のホットヨガ」に驚愕したし、6月に会った時はそれ以外にもダンス系をいろいろ変遷してきたとわかった。
今回は、素敵なネイルやアクセサリが「お稽古事」の結果の自作であることを知り、「すごーい!」と口を開けてしまった。
還暦だからもう隠遁してマンガでも読んでよう、って思ってる私に比べて、アクティブである。
見習おうとしても見習えない。ただただ感心する。

じきにMちゃんが来た。
ゼロ次会の子は全員、6月に「小さな中学女子会」で会ってるので、いろいろ話が早い。
タブレットに入れて持ってきた中学時代の写真を見てもらう。
前回より少し多く足してきたから。
それにしてもみんな、若かったねぇ。

16時頃にMYちゃんが、そして昨日「一次会に直接行く」と言っていたCちゃんも15分前に顔を出してくれて、酒豪らしくビールをくいっと飲み干す男前ぶりだった。

ぞろぞろと会場フロアに降りていくと、貸し切りのお店の入り口にはすでになつかしい(気がする)顔顔。
会費はすでに振り込み済みなので、名前を言って名札を受け取る。ここで驚いた。
卒業アルバムから取ったのだろう、中3当時の顔写真が大きくプリントされ、旧姓の名前も書いてある!
これまでに出た同窓会では、シールに名前を自分で記入して胸に貼るとか、やはり自署して首からぶら下げるカードホルダーに入れるとか、一番進化したタイプでもカードホルダーの中身が印刷で準備されてるだけだった。
写真入りとは…

これを下げてると、お互いもう「あ、あ、あ、あ~!」って感じで即座に話に入れる。
写真の私はメガネかけてないんだけど、中学のはじめぐらいから近眼になってきて、授業中とかは薄いピンクのセルフレームかけてた覚えがあるな。
まわりにも、今のメガネ女史はそれほどイメージ違いじゃないようだった。
なぜか「声で一発でわかった!」と何度か言われる。
低いからか?愛想がないからか?

卒業クラスごとのテーブルに分かれて座り、我がG組は男女合わせて9人。
歌舞伎役者のような美少年で話題をさらっていたYくんが来るというので、女子仲間内では話題だったんだよね。あんまり変わらないもんだ。美中年。
さっきまで会ってたMちゃん、ここ数年よく女子会してるRちゃん。
高校が同じだったHちゃんは同窓会では会わなかったね。
小中高と同じだったUくん、声かけといたし出席になってたのに来ないから心配してたら、乾杯直前に来た。
そうか、やっとスマホにしたか!と、Hちゃんと2人がかりでLINEグループに引き込む。(やり方がさだかでなかったんだもん)
髪の長いYMさんは全然雰囲気が変わってないし、おとなしめのMMさんも昔と変わらない穏やかな風情。
となりに座ったIくん、悪いけど覚えてない!

「ヤン坊」と呼ばれてたYくんが乾杯の音頭に指名され、前に出るとなつかしい「ヤン坊マー坊天気予報」の映像が流れる凝りよう。
今回幾度となく思うように、幹事さんたちは頑張ってくれてる。

さて、どうしてもお話ししたい人たちのリストを作ってきたんだ。
まずは初恋の人T1号くん。(注:この場合の「初恋」は「公認カレシ」的な意味)
中1で同じクラスに入ってすぐ仲良くなって、お互いほのかな気持ちを確認して、ごくごく健全なデートをしたり休みに会ったりしてたら、両方の親と担任が色めき立って勝手に三者面談を行ない、別れるように言われてしまった。
そういういきさつまでほぼ記憶していてくれたのは嬉しい。
何でおとなしく従ったんだ、中1の自分!
今は再婚間近だそうで、幸せそうで良かった。

初恋の人第二弾T2号くんは、正直あんまり面影がなかったぞ。
サラサラの茶色っぽい髪が大好きだったのに、そのもの自体が非常に少なくなっていて、遺憾だ。
「私のこと、覚えてる?」と聞いたら、
「覚えてるよ~交換日記までしてたじゃん!」ですと。
実はそれがまだ取ってあるって聞いたらどう思うだろう?さすがにキモいと思って言わなかったけどね。

近所に住んでて、お母さんが開いてた数学の塾でお世話になってたNさん。
算数から数学になったあたりで沈没し始めていた成績がおかげで上昇し、県立高校に普通に進学できたのはNさんのお母さんのご指導の賜物。
Nさんを通じてお礼を言いたかったところ、もう亡くなられていた。
うちの母が亡くなって1、2年の後だそうで、おうちで母の話が出たこともあったんだって。
私にはあまり良い母ではなかったが、親切にお付き合いしてくれるお友達がいたのは喜ばしい。
Nさんによくよくお礼を言っておく。

男女6人グループで仲良くしていたWくん。
もともと今とおんなじぐらい「おじさんっぽい」落ち着いた男の子だったので、白髪が増えた以外はまるっきり昔のまま。
同じグループで今日来られなかったKくんの話をしたら、「なつかしいなぁ」と笑み崩れていた。
松山で先生をしているって。「坊ちゃん」の世界だね。すごくWくんらしい。
小学校だから全教科教えるけど、専門は国語。
「今の子供たちに読んでもらいたい本は?」と聞いたら、「新美南吉かなぁ」って。
「ごんぎつね」の自己犠牲の精神が大事だと思うんだそう。

ここでイレギュラーに、やはり仲良くしていたらしいAYくんに会う。
眉毛とどんぐり目に、ものすごく面影あるよ。
「みんなで自転車でサイクリング行ったじゃない!」ってのは、ごめん、覚えてなかった。
彼もスマホにいっぱい昔の写真を入れてきてくれてたのを見せてもらった。
WくんAYくんの写真を撮って、あとでKくんに送ってあげよっと。

ここで、通称Bくんに声をかけられた。
「今日あなたに会ったら、言いたいと思ってたことがあるんだよ」
なになに、昔、好きだったの?!
しかしそんないい話ではなく、キャンプに行った時当時流行りのフォークソングを知ってると言ったら、私が「歌え」と言い、しかも歌ったら、「Bくん、音痴だね」と言い放ったんだそうな。
すまんすまん。でも別にトラウマになって歌が嫌いになったとかいうことはなく、今でも音楽は大好きなんだそうだ。よかった。
しかしBくん、君は変わらず明るいね。年齢不詳だよ。

舞踏会のようにくるくると、いろんな人と話しまくった。
覚えている人いない人、みんな楽しく飲んで騒いだ。
幹事さんたちが途中で流してくれた映像は実に細かいとこまで考えられていて、我々のふるさとの街の過去から現在の空撮地図、ニュース映像、体育祭の8mm映像、卒業写真などを編集した凝ったものだった。
最後は校歌の歌詞も出て、みんなで歌った。

「おみやげを用意しました~」と言われ、住所氏名連絡先等を書いた紙と引き換えにもらったのは、卒業アルバムの写真を集めた冊子。
(ちょっと面倒になりがちな「連絡先記入」のハードルを下げる、ナイスな工夫だね。これ考えた人、すごいよ)
幼稚園や小学校のものもある。
私は途中からの転校組なので、小学校から。
この60年間に拓かれ、人口が増えて栄えてきた新興住宅地の歴史を一望した。
還暦同窓会の企画として実にふさわしく、驚くべきものだった。

3時間貸し切りで飲み放題食べ放題ご歓談し放題ってのも素晴らしい。
写真入りの名札から「おお!」と思い、卒業写真のパネルを飾った会場とか、クラスがわかりやすいようにとテーブルに大きな札を立てるとか、同窓会ってここまで練り上げられるんだ、って感心しっぱなしだった。
締めに通称「マー坊」の挨拶で、また「ヤン坊マー坊天気予報」。大喝采。

大盛況の内に幕を閉じ、「二次会行く人~」とのきびきびした女子のあとをついて行ったら、どんどんタクシーに乗るよう指示される。
行き先がもうLINEグループに届いてて。
7、8分走ったところの有名どころらしいお店。
一緒に乗った男子が、
「ラウンジかな。でもこれだけ女子がいるんだから、女性の出てくるお店は意味ないよな。お金かかるだけで。そもそもうさこさんがいたら話には不自由しないよな」と言うので、
「私は自分の話しかしないので、そういう仕事には全然向いてないよ!」と返しておく。
ちゃんと相槌うてる聞き上手でないと不適格なぐらい、知ってます。

着いたお店には「焼き肉」と書いてある。
「え?今から焼き肉?」とちょっと逡巡してたら、次々とタクシーがやってきて、「何してんの、入って入って」と地下に誘導された。
中は貸し切り状態のゆったりした、それこそラウンジ風。(いや、行ったことないですが)
4人席が多い中、端の大きな席に座ったら、そのテーブルは女子ばっかり7人ぐらい座り、そこに黒一点、初恋のT1号くんがいた。ラッキー。

「誰のツテでこんなスゴイ店?」とささやき合っていると、どうやら女社長さんがいて、仕事で使う店らしい。
「飲み放題つけて5千円でやれる?」と交渉してくれてる。
「飲み放題だけで2千円なので、それではちょっと」と言われるところを、
「ん、じゃあ、6千円でお願い」と決着。
お料理はまったく焼き肉じゃなくて、野菜スティックのバーニャカウダとかお刺身とか凝ったお料理が並ぶ。
さすがにいいお店知ってるなぁ。
まあ一次会からもういい店すぎて、30年間引きこもり主婦の身としてはクラクラしっぱなしなんだ。

また別にシャッフルされたメンツで話してたので、初恋の話をまたも広めてしまってすみません、T1号くん。
でも照れもせずニコニコしてる、いい人だ。
「中1でつきあってたなんて、すご~い!」って言われても、「小さな恋のメロディ」みたいな可愛い感じだったよ。
途中から乱入してきた男子に4回目ぐらいのその話して、
「で、2人はどうなの?今日会えて、なにか思った?」と聞かれ、
「驚くほど、なーんにも思わない!」と答えてしまった。
再婚間近のT1号くんもうんうんうなずいてて、まったく同意見の様子。
せいうちくん、安心しろ、同窓会で再会する「45年前に好きだった人」はまあそんなもんだ。

あんまり楽しいんで、思わず、
「このあともう60年たつと誰も生きてない。有史以来死ななかった人間はただの1人もいないのに、人はなんで生きてるのかな」と真面目に問うたら、
「うさこ節だね~」とからかわれた。きっと私は中学時代から微塵も進歩していない。

終電を気にしてだんだん帰る人も出てきて、全員解散になったのが11時半頃かなぁ。
「またね、またね」と、これは同窓会あるあるなんだが、皆さん男女問わず握手しまくる。
タクシーでホテルまでは、なんだ5分ほどじゃないか。
それでも12時までの大浴場にほぼ間に合わなかったところを見ると、店の前での「またね、またね」が思いのほか長かったんだろう。
「ただいま~!」って服脱ぎながらベッドに倒れ込み(しょうがない、アパホテルは室内の面積の8割ぐらいがベッドなんだ)、
「楽しかったよ~なつかしかったよ~酔っ払ったよ~!」と叫ぶ。
チーズをつまみにハイボール缶飲んでたらしいせいうちくんは、遅いのも全然気にしてなくて、
「楽しかったの。よかったね」ってニコニコしてた。

「髪は、明日大浴場で洗う」とシャワーキャップかぶってシャワーだけ浴びて、ほぼそのまま寝たかも。
あいかわらず寂しくなってわんわん泣いてたけど、そのためにはるばるついてきたせいうちくんが慰めてくれたよ。
明日東京帰ったら手塚治虫の「火の鳥」でも読もう。
あのあたりにしか、答えはない気がする。「ブッダ」でもいけるのか?
それにしても楽しい楽しい夜だった。
45年前の自分に教えてあげたいなぁ。けっこう幸せになれる、って。
それより、10年後20年後の自分が教えに来てくれないもんだろうか、「まだ幸せだよ」って。

19年11月3日

明日もお休みではあるものの、ゆっくり休んだ方がいいだろう、別に名古屋でやることもないし、と合意していたので、翌日は昼頃に駅へ向かう。
今日はもう、駅弁買っちゃうよ。
「サバ寿司」「天むす」「味噌カツサンド」だよ。糖質の嵐。

昨日の晩からもう、同窓会グループLINEは「通知が鳴り止まない」状態。
幹事さんへの感謝の言葉と写真がどかすか降ってくる。
東京へ帰る旨LINEしたら、「さよなら、またね!」と私に手を振ってくれる人も多数。
本当に楽しい会だったなぁ。
次は10年後の古稀かしらん、と思っていたけど、みんな「またすぐやりたい!」と盛り上がっている。
このつながりに感謝して、何かあればまた来よう。

そうでなくても、昨日一次会で帰るCちゃんが、
「来年もいらっしゃい。Mちゃんたちと温泉旅行でもしましょう。車でお連れするわ」と言ってくれた。
その時は「せいうちくんも一緒でもいい?」と思わず聞いてしまい、
「もちろんいいわよ。まさか同じ部屋に泊まるとも言わないでしょ?」と笑われた。
ゆっくり落ち着いて考えたら、そろそろせいうちくん抜きでも行動できそうな気もする。健康状態も精神状態も。
同窓会とか女子会とか、身内感がいいんで、ダンナ連れて行くとこじゃないよなぁ。いくらまわりが理解があっても。

せいうちくんにそう言ってみたら、
「僕もそう思うし、大賛成だよ。キミがそういう気持ちになったのはよかったよ。Cさんとお食事はしたいけど、それ以外は僕1人で東京に帰ればいいから、みんなと楽しみなよ」と温かい言葉。
私のまわりはみんな優しくてありがたい。

みんなそれぞれの人生を生きている、自分には自分だけの人生がある、といった当たり前のことが、生まれて初めてよくわかった。
「自分」を探し回ることと過去を懐かしいと思うことは全然違うよね。
今回、たくさんの過去に出会えて、疲れたけどずいぶん安らかな気持ち。
あせらないでのんびり自分と仲良くできたらいいな。
「死なない限り生きている」ので、「生きる」ことに無理に興味を持つ必要もないかも。
「生きる」の対極は「死ぬ」ではなく「何もしない」と心得て、「生きたくない」時はただただ「何もしない」に振れてみるってやり方を、今回初めて思いついた。試してみよう。

19年11月4日

夜、昨日録画した「いだてん」を観てほう~ってなってる時に、息子からSNS通話の申し出があった。
NYは朝の8時。なんかあったのかな?

磊落を装ってるけど、けっこう言いにくいのか、口調が慎重でゆっくりだね。
きっとあんまり良くない話。
結論を急かさないでゆっくり聞いていたら、要するに、

・宿の予約に不備があり、1月頭まで滞在の予定が、11月いっぱいで退去となった。
・勉強したいと思っていたインプロは、もうあまり学ぶべきことがないと感じた。
・行く前に年金や健保の滞納金を支払ったせいもあり、借りた渡米費用がショートしそう。12月帰りぐらいでちょうどいい。
・これほどの孤独を感じたのは初めて。NYは危険な場所だとも思い、死ぬかもしれんと思っている。日本にいるカノジョに会いたい。

とのことであった。
早めに帰ってきちゃうかもなぁ。

自分自身、若い頃の留学を主にホームシックというか寂しさが理由で切り上げてしまったことをいまだに後悔してるもんだから、そこんとこだけは強く言った。
三者通話中のせいうちくんが、
「いや、それは今から自分でもう1回行くとかで解決すべきであって、息子に求めるのは違うでしょう」と言うが、過去の自分に声がかけられるなら言いたい、って気持ちで、今の息子に言うんだよ。
どうすべきか、じゃないんだ。参考意見。

まあ全体に、ふらふらして気弱になってる時の彼らしい理屈立てになってるので、どうしようもないね。
サンフランシスコの親戚のところに滞在してクリスマスと新年を過ごして帰れば、とか、せっかく仕事を辞めてまで行ったんだからアメリカ国内を旅行してはどうか、とか、NYは刺激的な街だと聞くからいろんなものを観てきたら、とかいろいろ言ってはおいたけど、これは、帰ってきちゃうだろう。
(費用の問題は、少しぐらい借金が増えるのはもう今さら気にしてもしょうがないよ、ってスタンス)

ひとつ決心したことがあるそうで、
「この先もいろんな国や場所に移動して暮らすかもしれないが、親がいるから金借りればいいや的な安易な考えはもう二度と持たない。帰国してからの生活はもちろん、次に何かする時は自力でやるつもりだ。借金の申し込みはもうないと思ってくれていい」とのこと。
それはありがたいね。
だが、キミが殊勝なことを言い出す時ってのは、大決心に隠れた別の無意識の動機がある場合が多い。
結論としては聞いておいて、今後「言ったじゃん」って使わせてもらうが。

なるだけ親身に励ましたりしつつ、最後は自分の好きなようにしなさい、と言って通話を終わる。
ワタシ的には「真夜中のカウボーイ」みたいに東海岸から西海岸への長距離バスに乗って移動したら、って思ったんだよね。
せいうちくんには「あれは結末が縁起悪すぎる」と嫌がられたけど。
ダスティン・ホフマンが風邪さえひいてなきゃ大丈夫だったんじゃないかなぁ。

話題に出てきた高杉晋作の辞世の句、
「おもしろき  こともなき世を おもしろく」
について、そのあとのメッセージのやり取りで盛り上がった。
せいうちくんは司馬遼太郎「世に棲む日日」のページを送り、「花神」にも出てた気がすると言う息子に、私が「出てない」と臨終シーンを送って正した。
人のマチガイを指摘するのが好きな、キツめでイヤな母親である。
でもおかげで、下の句の「すみなすものは 心なりけり」の存在を知った。
息子によれば、そこが重要なんだそうである。
上の句だけで「面白くない世の中を面白くするぞ!」って意味だと思っていたマチガイを、こちらも正された。

19年11月7日

先月、ツイッターを巡回していて、いかにもせいうちくん好みのアニメを見つけた。
フランス制作の「ロング・ウェイ・ノース」。
昔の東映アニメみたいな感じがして、「あ、これは絶対好きなやつ」と。
果たして、トレーラーを見せたら大興奮。
「いいねー!観たいなぁ!」
こういうのを「さりげなく淡々と実現」はできない因果な性格なので、同好の士であるせいうちくんの大好きな先輩のNさんも誘おうよ、と提案した。
もう観てるかもなぁ、との心配は無用だったようで、さてさて3人分のチケットを取らなくちゃ。

「ユジク阿佐ヶ谷」は毎週水曜日に1週間分のネット予約を受付ける。
いつも人気落語家のチケットにチャレンジしすぎているため、張り切って予約開始時間にアクセスしたら、整理券番号1番から3番が取れちゃったよ。
そうかー、人が詰めかけるってもんでもないのか、こういう場合は。

全然知らない映画館だったが、Nさんは「ああユジクですか」って感じだった。
ラピタからユジクのあたりは気に入りの散策地帯らしい。おうちは遠いのに。
通な人もいるもんだと思いながら別の友人にその話をしたら、彼女はユジクの会員なんだそうで。恐れ入りました。
もちろん誘ってみたけど、都合が悪いとのことで、残念。

で、今日、その待ち合わせだった。
初めての場所なうえ開演20分前までにチケットの発券を受けなきゃいけないから、気合いを入れて、迷う時間もふんだんに含めてゆとりをもたせたら、思ったよりずっと駅近で迷う隙もなかったもんで、30分以上1人でぼーっとする時間が。
小さなスペースに椅子がいくつかとテーブルもひとつあったので、チケットの売り子さんが小さなマシンで入れてくれるカフェラテ買って、読みかけのミス・マープル読んでた。
15分ほどでせいうちくん到着。

かなりどんどん人が入ってきて発券してて、中には飛び込みもいるようで、
「本日混み合っておりますので、補助席となりますが」と言われている。
確か普通席は48席。そうか、今日は混んでいるのか。「ロング・ウェイ・ノース」は人気か。
整理番号1番からの人間はとても余裕な気持ちになった。

開演10分前に開場で、先に入っての席取りはできないので、Nさん時間までに来るかなぁと少しやきもきしてたら、ちゃんと開場3分ほど前に現れた。
つかみどころのない人だが、あんまり時刻に遅れたことはないかも。
その頃にはもう待合スペースはかなりぎっしりで、やや混み合った電車ぐらいの感じになっていた。
小声で会話する我々3人は珍しいパタンで、他は100パーセント、1人客。
静かに静かに、オタクが集結してくるイメージ。
年齢はかなりバラけているが、まあ50代半ばのNさんやせいうちくんと同じぐらいの人が目立つかな。

時間になって、劇場内に案内され、トップバッターの特権で「いい席」と思われた前から3列目を選ぶ。
壁の凹凸の関係で、私が一番奥まで入ってもスクリーンの真ん前な角度で、おまけに横のスペースに荷物が置けた。
いつも息子の公演を観に行く50人規模の小劇場だと座席がものすごく悲惨なので、映画館とは言え覚悟してたんだが、ユジクの座席は大きなシネコンほど背もたれが高くはないものの、充分ふかふかで座り心地が良かった。ラグジュアリーだった。
床の傾斜もほど良く、前の人の頭が邪魔になることもない。
こんな小映画館もあるのか!と驚いた。

予告編はなく、本編スタート。
「ロング・ウェイ・ノース」いいアニメだった。
少なくとも、せいうちくんが大好きだろうとの読みは当たった。
彼の好きなものが、理解はできないけど察知はできるんだよね。それで満足しておくべきなんだろう。
ここにいる50人ちょっとの「ロング・ウェイ・ノース」好きに向かって、
「50人入れる居酒屋を予約してあります。皆さん、集結して、語り合いましょう!」と演説をぶつ自分の姿を妄想した。
彼らは、そういう人にも宴会にも、用はないだろうとも思いながら。

終演後、3人で電車で移動していつもの焼肉屋に行こうというのが私のプラン。
Nさんもこのへんをうろつくのが好きなだけで、特にオススメの店はないそうだ。
阿佐ヶ谷はなかなか興味深い街で、「街角好き」なせいうちくんが「そのへんの焼肉屋に飛び込む」提案をしてきたが、
「そういう井之頭五郎のような行為は、私には無理。初めての店も初めてのメニューも怖すぎる」と断固として断った。
私の性癖はよく知ってるはずなんだが、今のアニメとNさんと阿佐ヶ谷ってシチュエーションにハイになってるんだろうなぁ、せいうちくん。
ごめんね、このアヤシイ状況を目一杯楽しませてあげられなくて。

混んでるかもなぁと思った「いつもの焼肉屋」はまったくセーフだった。
平日の夜はこんなもんか。
生ビールを頼んで、中年3人組なので肉は若者ほどは食べない。井之頭五郎でもないし。

せいうちくんはとっても嬉しそうに、何度も、
「うさちゃん、ありがとう。Nさん、彼女は、本当に私の趣味をよくわかってくれてるんですよ」と繰り返す。
「いや、いいアニメでしたよね」と落ち着いて見えるNさんも実は興奮しているのか、この2人の会話は「宮崎的」とか「高畑的」とかどこが長猫でどこがホルスかといったディープな方向に流れていく。
もちろんついて行けないので、1人でガンガンカルビを焼いて食っていた。

1時間ちょっとで肉は食い尽くし、彼らはおかわりの生も飲んでしまった。
「もう1軒、どうですか?」と誘うせいうちくんをNさんが諾と受け、これまたいつものパブへ。
1年前にここでNさんと飲んだ時、最後の方どぼどぼと「水割りでもロックでもなく、生で」バーボンを注いで飲んでいた彼は、我々と別れたあと意識がなくなりカバンもなくなり終電もなくなり、始発を待ってポケットの小銭でしょんぼりと帰宅した。
今回はそれだけはないように気をつけよう、もし飲みすぎてるようだったらすみやかに我が家に連れて帰ろう、と、事前にせいうちくんとはこっそり話がついてるんだ。

ボトルを出してもらってNさんはソーダ割り、我々は水割りを飲み始めたら、
「せいうちに、と持ってきました。明るいところで見せたかったんですけど」と言いながらカバンから出すのは、「高畑展」で買ったという分厚い本。
貴重な原画や資料、文字も多い。
「まさか行かないとは思ってなかったんで…せいうちの分も買えばよかったんですが」
うん、会社の近くだから帰りに待ち合わせて行こうね、って話はずっとしてたんだよ。
ハッと気づいたら終わってた。
せいうちくんはものすごく後悔して落ち込んでたよ。
この秋はそれぐらい忙しかったってことだ。

薄暗い店内の灯りの下、「いいですねー!」と夢中でページをめくるせいうちくんに、
「なんなら持って帰ってもいいですよ。私、買ってからまだ読んでないんです。こういうものが近くにあると身体に悪くって」とNさん。
ありがたい申し出なのでさくさく借りて帰って、非破壊型のスキャンにかければいいじゃん、と思い入れのない人間は思うんだが、せいうちくんは決然と、
「いや、私にも身体に悪いです。Nさんの家にあって、いつでも見せていただけると思うだけで充分です」と断っていた。
不粋な解決だとは思うが、横から、
「Nさんに何かあったらこの本はせいうちくんに、と一筆書いておいてください」とお願いする。
「わかりました。書いておきましょう」ってさ。

いろいろ話す間にNさんは自分のことをアスペルガー気味だと言っていたが、まんがくらぶの人って、みんなアスペかADHDかどっちかのケがあるよね。しかも頭には必ず「高機能」がつく。
うちでは最近、「2人とも人の気持ちがわからないタイプ。しかし理由が、せいうちくんはADHDだから、それに対し、私はアスペだから」で何でも解決してるよ。
2人の話し合いがうまくいかないことはしょっちゅうだもん。

さっき観た「ロング・ウェイ・ノース」の話になって、せいうちくんはとにかく、
「絵が素晴らしい。列車が走り去るところの風景とか、いいですね。何でも走り去るところがいいんですよ。フィアットも」とオタク節全開。
私は、「1等に乗ってるけど、所持金がもうないので、車掌さんが改札に来たあとは3等」が印象に残ると言って、Nさんから、
「奥様はそういう理屈が先に立つんですよね」と笑われた。
一番よかったと思った吹雪のシーンでさえ、すでに頭の中で「吹雪がびゅー」ってテキストに変換されて絵は残っちゃいないんだ。
たぶん、画像データは重いからだと思う。メモリが小さいので、テキストでしか保存できない。
ひさうちみちおの「アソコの大冒険」に出てくる、「画家になりたいのに風景がみんな文字に見えてしまう書家」みたいな気持ち。

今日、Nさんから聞いたもっとも大事な話は、老人介護の問題もコンプライアンスの問題も「一番弱い人の立場に立つことが基本で最重要」であったろう。
ちょっと目からウロコが落ちた。
私は、自分も含めて「SOSが出せる人間は、すでにやや強者」との見方をしがちだ。気をつけよう。

半分ぐらい残っていたボトルを完全に開けて、来年はマンガを描きましょう、と約束して、今日は足取りもしっかりしているNさんと駅で別れて家に帰った。
せいうちくんはとても楽しくてとても私に感謝していると何度も言っていたのはいいが、実は仕事を残していると白状して、夜中の3時までPCに向かっていたので、
「なんでもっと早くそう言って帰らないの。宿題やらないで遊んでて、夜泣きながらやってる子供みたいな行動!」とド叱られる羽目に。
気持ちはわかるんだけどね…

ともあれ、いろいろ楽しかった。
「マンガが好きで、マンガを読んできて、これからもマンガを読める我々は本当に幸せだ」という点で大いに共感し、グラスを重ねた夜だったよ。
ただ、Nさんは基本少女マンガ、私は少年少女の雑食、せいうちくんは青年マンガに特化してるのも確認された。
せいうちくんをとても可愛がってるNさんも、小さな声で、
「まあ、せいうちの趣味はちょっと特殊ですよね」とつぶやいていたぞ(笑)

19年11月10日

J-COMさんのデッキ、ファンが壊れて交換になったもの、やっとダビングを全部終わったのでサービスの人に来てもらうことができた。
もっとも「600分」と「658分」の録画がそれぞれ2つあり、どうしてもダビングがうまくいかなくてJ-COMさんに電話で聞いたら、「6時間(360分)以上の番組はダビングできない仕様になっている。録画を分割することもできない」とのことだったので、泣く泣くあきらめた、なんて部分もあったけどね。
(前者は「大草原の小さな家」の一括放送前後編、後者はドラマ「ルーツ」関連番組だった)

午前9時から11時の間に訪問の約束で、8時50分に元気よく電話をくれて、「今からうかがってよろしいですか!」とやってきたのは、嬉しいことに前と同じメカニックさん。
扇風機で送風してファンの代わりにし、ダビングを行なうアイディアに感心してくれた人だ。
「うまくいきました。扇風機が動いてる限りは大丈夫でした」と伝えると、「そうですか。よかったです!」と喜んでくれて、1件ずつしかできないと言われた録画予約は20件ぐらい仕掛けることができる、と言ったら、「ああ、そうでしたか!」と頭を下げていた。
今後も同様の事情でダビングが必要になったご家庭に、この情報をぜひ届けていただきたい。

ついでにリモコンも新しいのを置いてってくれた。
古いのはバネ仕掛けでスライドさせる短いタイプで、非常にいいデザインだと思うんだが、スライドさせないと早送りや停止などの操作ができない点、ギミックが多いほど壊れやすくなる心配、やはり古いものなので様々に劣化が考えられる、などの観点から、交換してもらうことにしたのだ。
「もちろん新しいものを置いていきますが、ご了承願いたいのは、いったん交換するともう古いタイプに戻すことはできないんです。それでもよろしければ」と念を押していたところをみると、古いタイプには根強い人気があるんだろう。私も好きは好きだ。

これでテレビや他のデッキと同じ「長いタイプ」ばかり4本も5本も並んでしまい、まことにややこしい。
一番よく使う最新のデッキのリモコンが、ひとつだけ白くて目立つのがせめてもの救い。
J-COMさんのは他のと同様黒いやつだが、少し角がカクカクしてるとこが特徴か。
まあ使用頻度は非常に低いので、それほど困らない。

デッキを新しくしてもらい、これでまた2テラ録画できる。
基本のパックに加え「A:映画、B:ドラマ、C:アニメ」に特化した6チャンネルずつが観られるパックがあり、今はAの映画だ。なぜか「時代劇チャンネル」も含まれている。
何年も前に録画したものの傾向を見ると、どうも昔はBのドラマパックに入っていたのを、録り尽くした気分になったかAのパックで観たいものがあったかわからないが、どこかで変更したものと思われる。
今はそっち方面を録り尽くした気がするのでまたBのドラマパックに変えようかと思って調べてみたら、変更には一律千円かかるのだ。
また、人気の高いコロンボやポワロ、ホームズなどの海外ミステリ物は、Bに含まれている「AXN海外ドラマ」ではなく、ほぼすべて見放題の一番お高いパックだけで観られる「AXNミステリー」でしかやってない。
うー、ミス・マープルとか観たいのに!

せいうちくんに相談したところ、
「今、うちに2テラ2つと3テラのデッキがある。そのすべてがほぼ満員だ。4テラのSeeQ VaultのHDDも買った。WOWOWとNetflixとアマプラ入ってるよね。これ以上何を観ようと言うの?」と冷静に諭された。
ちょっと憑き物が落ちた。ありがとう京極堂中禅寺秋彦。

人間はモノを持つほど不自由になる。
生まれて60年、かつてないほど満たされて、かつてないほど大変だ。

19年11月11日

令和1年11月11日。
初孫が少しだけ早く生まれてくれたらこの日が誕生日になる!と楽しみにしていた友人がいるんだ。どうなったかな。
夕方のニュースで、小さな特集が組まれそうな日ではある。

歯のお手入れ。
半年ごとのお知らせでは心配になり、4ヶ月ごとにしてもらったビビリ症。
友人たちから「歯は抜ける!」と聞くとユウウツになる。
あるものは失いたくない、ケチな性分か。
「なくしたことを惜しむ」根源である、「自分の存在」は別になくしてもちっともかまわない。
「我思う、故に我有り」なので、我がなければ惜しむ我もいない。

友人に「痛みに弱い。何があっても、痛いのだけはイヤだ」と公言している男がおり、昔から何度か質問してしまった。
「死ぬほど痛いが痛みだけで、なんの欠損もない」のと、
「入念に麻酔をしてもらってまったく痛みはなく、小指を失う」のと、
どちらがいいか、と。
彼はいつも「指なくす方がマシ」と答える。

私は違うな。どんなに痛くても、「欠損なしのエア痛み」ならそっちがいい。
失うこと、欠落することに耐えられない。
完全な自分幻想かしらん。
多分少しずつ失っているものにはあまり気がついていないだけなんだろうな。
とりあえず、来たるべき「歯の欠損」をなるべく防ぐべく、検診には熱心に行く。

あんぐりと口開けてとてもヒマだったので、妄想して遊んだ。
1.「性格に致命的な欠陥があって、人の苦痛を喜ぶ」タイプ
2.「ていねい、迅速、正確に機械的にお仕事をこなす」タイプ
3.「優しさと思いやりに満ちた献身的な慈母」タイプ
私の歯に「ちゅいーん」って機械かけてくれてる歯科衛生士さんが、どのタイプだと想像した時に一番リラックスできるか、考えてみたんだ。
3番のようで意外と2番かなー、って予想したんだが、どうも結論は3番だった気がする。
やっぱり優しくされたいんだね。
ちなみに1番は論外です。

磨き粉でフィニッシュしてもらって、「すーすーするミントの香りと共に床屋を出る男の子」(by おかべりか)みたいな気分で帰ってきた。

19年11月12日

朝、NYの息子から連絡があった。
電話で話したいらしい。
仕事で遅くなるせいうちくんが「23時ごろなら大丈夫」と返したら、「ありがとー」。
「何の話か、頭出ししてよ」とのリクエストには、「滞在費用の話」だって。
「手持ちが少なくなったのと、帰りの飛行機を変更するのにそれなりにかかりそうなので、念のためもう少し借りておきたい」ということらしい。
「夜、話そう」とせいうちくん。

で、23時15分ぐらい前、仕事から帰ってお風呂も入ってもうすっかりスタンバイできたので「いつでもOK」とメッセージ送っておいたけど、23時になっても既読がつかない。
せいうちくんがSNS通話かけてみると、寝ぼけた声で「はい〜」。
向こうは午前9時のはずだが、寝てたんかい!
午前3時までPCで映画観てたらしい。

スピーカーホンで私も参加しての家族会議をしてみたら、結局宿代のデポジットが戻ってくることもあり、資金がショートすることはなさそうだって。
サンフランシスコの親戚のところに寄って帰ることも考えたが、飛行機の手続き等が非常に煩雑になるので直接帰国するそうだ。
打ち合わせておいた通り、せいうちくんが、
「まあお金は多少余分にあったほうがいいでしょう。返してもらうことに変わりはないから、ちょっと送金しておくよ」と伝えると、
「そうか、助かるよ。ありがとう」。
せっかく仕事を辞めてまでNYに行ったんだから、残された11月いっぱい、いろいろ見てきたらいいと思う。

考えていた「インプロ」のクラスの代わりに、「クラウン」の勉強をしているらしい。
「クラウンって、道化の?」
「そうそう。肉体で表現できることって、すごいね!方法論がものすごく確立されていて、やっぱり歴史と伝統のある芸能だなぁ」

クラスで学んだこととか、それをコントにどう活かしていきたいかを熱っぽく語っていた。
アメリカでコメディ活動をしている日本人とも交流を持ち、刺激を受けたそうだ。
世界一周をしている若者と知り合い、しばらく息子の部屋に泊めて話を聞いているとも言っていた。
熱に浮かされている状態ではあるものの、ここまできて熱ぐらい出なくてどうする!という思いも強くて、ただただ聞いていた。
もうね、面白い!と思って感心してモトをとるしかないのよ、我々の立場としては。

せいうちくんはなんだか感極まっちゃって、
「もうこのぐらいにしておくよ」と何度か言ったんだけど、息子の方では、
「えっ、そう?オレはまだ大丈夫だよ!」と話す気満々で、結局30分近くになった。
これがタダなんだから、信じられない時代だよ。
私も、
「帰国したら12月中には会いにきてくれるんでしょ?面白い体験や珍しい話を、ぜひ聞かせてね。お題を出すから、クラウンのクラスで学んだパントマイムを見せてね」とお願いしておく。

通話を切ったら、2人とも長〜いため息をつき、顔を見合わせた。
「心配と楽しさがないまぜになった妙な気持ち。とりあえずこれを親心と呼んでおこう」とうなずき合って、寝よう寝よう。

今日読んだ雑誌の「毒母対策記事」に印象的なことが書いてあったなぁ。
「(母のことを)かつて親だったことのある良い友達」ぐらいに思えたら一番いい、のだそうだ。
母親に限らず、親ってのはそういう立場でいいんじゃないか。
常々、息子からは「かつて深く関わったことのある、わりと好きになれる他人」と思ってもらえたら嬉しい、と思っており、その意をますます強くしたよ。

19年11月13日

せいうちくんがお休みを取ってくれたので、一気に気がかりなことを片づける。
私が大事な証明書を落としてしまい、しかも5千円近く入っていたSuicaも一緒に入っていたため大変落ち込んでいたところ、念のため警察に出した「遺失物届け」が功を奏して、隣町の警察署に届いていると連絡があった。ちゃんとSuicaも入っていた。
何でもやっておくものだ。
少し遠いので、これを取りに車で連れて行ってもらう。用事第一号。

それから、せいうちくん自身の運転免許更新。
これまでは、更新時期は別々でもお互い相手につき合う形で休日に一緒に行っていた。しかも律儀なので朝イチで。
いつもたいそう混んでいて、免許の更新とはこのような苦行なのだと長年あきらめていた。
ところが、前回の更新の時に私が思い立って1人で遅い時間に行ってみたら、なんとものすごくすいていた!

その教訓を生かすべく今回も平日の昼近くに行ってみたら、果たして駐車場も空いていてまったく苦労なく入れて、ホールを埋め尽くす人波もなかった。
ディズニーランドのように行列を管理するための「するするとテープが出てくるポールを並べて仕切る、折り畳まれた順路」をすべてすっ飛ばして、いきなり窓口に到達できる。
収入印紙購入も視力検査も写真撮影も、みーんなあっという間に終わるのだ。
全部すいすい通過するせいうちくんを出口で待ち構えているのはとっても楽だった。

昔は座席にゆとりがあると付き添いで来てるだけの人も「いーから入んなさい、聞いていきなさい」って雰囲気だったものだが、今は何やら厳しめになってる感じがするし、そもそも入って講習聞くとなると居眠りも内職も読書も厳禁なので、誘われたって入らない。
2時間、廊下のソファに陣取ってタブレットでマンガ読んでた。
(そーなんです、違反者講習なんです。うっかりの歩行者妨害でも、お巡りさんの目の前だったのは本当に運が悪い。しかも助手席の私が当の歩行者と、「渡ります?」「いやー、お先にどうぞ」ってアイコンタクトしていたつもりなんだが…)

講習開始ギリギリまでソファでぺたぺたしていて、
「ついてきてくれてありがとう。待っててね!」とせいうちくんが室内に消えたのち。
快調に漫画を読み進め、「それでも2時間は長いよなぁ」と思っていたら、1時間の時点でぞろぞろと人々が出てきた。休憩時間なんだろうか。

「やったー、早く会える!」と喜び勇んで待っていたが、せいうちくんはいっこうに現れない。
「???」と室内をのぞき込むと、席を立つのも面倒なのか20人ほどが残留を決め込んでいて、そのひとつの背中がせいうちくん。机に肘をついてケータイを眺めたり打ったりしている。
なんかね、「そっかー」って背筋から足元に絶望が落ちて行ったよ。

通路を歩み寄ってぽんと背中を叩く。
「休憩でしょ。出ないの?」
あっという感じで顔を上げて、「もしかして、待ってた?」とうろたえてる。
「そりゃあ待ってたよ。みんな出てくるし。出ないつもりだった?」
「いや、仕事のメール打ってた。これが終わったら行こうと思ってた」
こういうのって、爆発のタネ。

あんまり腹が立つからもう、笑っちゃった。
私「メール打つにしても、廊下に出てきて私に会ってから『ちょっとメール打つよ』って言えばいいじゃん。待ってる、とか思わないの?」
せ「休憩だって、気がつかないかと思った…」
私「ぞろぞろ出てきてんのに?」
せ(なぜか背筋を伸ばして座り直して)「あのね、信じてもらえないかもしれないかもだけどね、僕にも僕なりのイメージがあったんだよ。15分休憩だから、5分でメール打って、キミの顔見に出てね、そしたら休憩とは予想してないキミが、『まあ!』って両手を口元に当てて驚き喜ぶ、その顔まで想像してた」
私「なんつー無駄な想像力。それより『みんなが出てくるのを見て、休憩時間だって思って待ってる私』を想像してほしい」
せ「それでね、5分話して、残り5分でトイレに行くんだったんだよ。というわけで、トイレ行く」
私(段取り力ではあろうが、何かが違う…)

まあ私も飛躍的に我慢強く、かつ動じなくなってきているので、話は講習後に持ち越したけど、「深く絶望した」とは言っておいた。
せいうちくんはどうもその後の講習45分間にいろいろ作戦を練ったらしく、終了して出てくるなり、
「申し訳なかった。これからの午後を、キミにとって何の不満もない素晴らしい休日にする!」と言い放った。

いいねぇ、こういうハッタリ。
座右の銘のひとつに「有言実行」を掲げる私は、とりあえず言っておくって大事だと思うんだ。
「えー、そうなのー」と嬉しくなっちゃって、実際そのあと、完璧な日だったかどうかの検証は実におろそかになり、まあ、言うなれば「うやむや」だ。
「責任の取れることしか言わない」のも立派な態度だが、「まず言ってみて、それに縛られてやむなく行動する」のは断然アリだと思うなぁ。

昔からは考えられないほど速やかに、すべてが終わる。
何時間も待った気がする「免許証の発行」も、2時間の講習を受けている間に準備ができてしまったのか、座って5分ほどで呼ばれてしまった。
15年ぐらい前までは、待てない人のために「郵送のシステム」まであったもんだが、今回、その窓口すら見なかったよ。

残念なことに、待ち時間がないせいか、献血していく人も少なく見える。せっかく献血車が来てるのに。
やりたいのは山々だが、せいうちくんはヘルペスのキャリアーであり、私は血液サラサラのワーファリンを飲んでいるので献血は不可能なんだ。(時々誤解してる人がいるけど、ヘルペスは性病ではありませんよ。念のため)
呼びかけてくる人にそう説明して「すみません」って謝りたかったよ。ヘンだから言わなかったけど。
こうして用事第二弾も終了。

3つめは、用事と言うと語弊がある。したかったことなので。
娘に会いに行ったのだ。
このままだと何だかんだ言って年末になってしまうかもと思っていたから、今日、エキストラに会えてとてもよかった。
せいうちくん、お休みをありがとう。

彼女が院内学級の高校を卒業した10年以上前を最後に、平日に来ることはめったになかったので、いろいろと珍しいことに遭遇した。

まず、病棟はお掃除中。ベッドを動かし、スタッフさんたちが床をモップで拭いていた。
さらに、娘は「活動中」で留守。病棟の別の場所で「読み聞かせ」をしてもらっているという。
「お待ちになりますか」と椅子を持ってきてくれようとする看護師さんに、
「いえ、廊下をぶらぶらして待っています。エレベータの前で会えるでしょうから」と言って、ホールの小さな談話スペースで待とうと思う。
しかし、先客がいた。
面会の方だろう、2人で車椅子を囲むように座り、楽しそうにしている。
我々はエレベータ前の階段の手すりにもたれ、昔、娘が車椅子で院内学級に通った渡り廊下を眺めていたら、その前の大きな養護学校とか一緒に活動した修学旅行とかの思い出話が尽きなくなった。

「よくやってもらってきたねぇ。今も、ありがたいねぇ」と話していたら、エレベータの扉が開いて、娘の車椅子を押した看護師さんが現れた。
驚いてぴょんと飛び上がるような顔になっていた。
「こんにちは!今、娘さんに『読み聞かせ』の最後の部分をお話しして、歌まで歌っちゃってたんです。途中だったので、最後まで聞きたいだろうと思って」と照れくさそうに説明し、病棟までの短い間、さらに続きを歌うように聞かせてくれていた。

まだお掃除中の病棟からせいうちくんが丸椅子を2つ持ってきてくれて、通路の途中の邪魔にならないスペースで娘と過ごした。
お掃除が終わるのを待っている他の人たちのためには、ホール代わりの廊下でテレビ鑑賞会が繰り広げられていた。
たぶん「モアナと伝説の海」。

娘は、読み聞かせの雰囲気が楽しかったからか、機嫌が良かった。
足先を撫でると、いつもより柔らかいような気がする。
せいうちくんはあいかわらず彼女の首筋の匂いをくんくんと嗅ぐ。
アラサーの健常者だったら、こんな狼藉はさせてもらえないだろう。
「いつもとても大事に、清潔に健康にしてもらっている。いい匂いがするから、よくわかるよ」と、せいうちくんなりの把握の仕方らしい。

「お掃除は終わりましたから、ベッドに戻れますよ」と言われてからもそこで過ごして、帰ることにして声をかける。
「はいはい」と看護師さんが2人来た。
まずベッドの向きを変え、車椅子のあちこちのベルトを外し、娘の体のあちこちから出ているチューブを慎重に手繰り寄せてまとめ、そののち2人がかりで上半身と脚部を抱えるようにしてベッドに移す。
「今朝はこっち向きだったから、午後はそちら向きで」と、床ずれ防止のための対位交換も考えて、寝かせかたを決めてから。
2、3年前は1人で移動させてくれていたが、健康を考えての高栄養液でそれだけ娘が重くなったということだろう。
寝かせてのちは、体位保定のためのマットを中心に、あちらこちらに小さな枕やクッションを挟んで、呼吸や消化を楽にする姿勢を取らせる。
「ちょっとぬるくなっちゃったけど、まだ入れておきましょうね」と頭の枕部分には保冷ジェルのシートを入れてくれているようだ。

プロが2人がかりでも、これだけの作業には10分以上かかっていたと思う。
「お待たせしました」と晴れやかに言って2人が他の人の世話をしに行ったあと、娘の顔をもう1度よくよく見て、帰った。
いろいろな思いが押し寄せてきた。

人が生きるのにはコストがかかる。
主婦という名こそあっても非生産者である私も、社会のコストを消費している。
これから老人になればますますそうなる。
まして、不運にしてなってしまう障害者とは違って、老人には誰もがなっていく。
生産性だけに着目してその部分のコストを削ろうとすれば、結局、不安の大きな社会になるのだろう。
「弱者に優しく」とだけ言うとお題目のようだが、誰もが暮らせる世の中、という目に見える安心感が必要なのではないだろうか。

「タフでなければ生きていけない。優しくなければ生きている資格がない」
レイモンド・チャンドラーは正しい。

年末にはまた来るよ。
平日なので、いつもは電話でしかお話しする機会のないケースワーカーさんにもご挨拶していった。
「いつもご苦労様です。私も毎日娘ちゃんの顔は見に行ってますよ。お元気ですよ」と言ってくれる、とても思いやりのある女性だ。
帰りの車の中で、
「メガネで巨乳、いい属性に恵まれた人だ」と言ったら、せいうちくんはびっくりしていた。
「巨乳なの?僕、今まで全然気がつかなかった。と言うか、胸なんか見たことがなかった。そうなのかー」
うーん、私がヘンなのかせいうちくんがヘンなのか。

図書館に寄って予約の本を受け取り、家に帰る頃には、ほらもう「素晴らしい午後かどうか」なんて考えるのも忘れていたよ。たぶん素晴らしかったんだろう。
せいうちくんの鎮火作業は見事だった。
昔の、「言わなくてもいいことを言って傷口を広げるタイプ」だった頃からすると、目を見張るような進歩だった。
人は必ず進歩するので、長い目で見よう。自分のこともね。

試験所雑感

その1.
昔は前の通りの両側が全部びっちりと「駐車場」になってた。
もちろん激混みだった。
ザ・警察のお膝元で、ああいう「道路使用許可」はどこが決めるんだろうか。
道路が名実ともに駐車禁止になり、試験場の駐車場そのものを使うようになっても激混みは変わらないんだが、まあこれが正常というものだろう。

その2.
昔は試験場に車で近づくにつれ、「写真」「タイプ印刷」といった看板を大きく掲げた店がたくさん並んでいた。
大昔ならいざ知らず、ずいぶん前から「申請書」は手書きでも受けつけてもらえるようになっていて、タイプ印刷する必要はなくなっていた。
さらに、試験場にいわゆる「3分間写真」の機械が導入されたのはかなり前。
それでも多くの人がだまされてそういう店にお金を払っていたと思う。
私もけっこう後までカモだった。
世襲でずっとお店をやっていた人たちは今、どうしているのだろうか。
きっと地主さんなんだから心配はすまい、と思いながら、それなりに古びた食堂などに姿を変えた「タイプ屋さん」を眺めた。

その3.
私が前回とその前に更新をした時(つまり3年ほど前と8年ほど前。めったに運転しないのでゴールド免許なのである)、それからせいうちくんの前回では、講習の締めにさだまさしの「贖罪」という交通事故加害者が慰謝料を払い続ける歌がバリバリにかかっていた。
せいうちくんの更新につき合った時も含めて、都合3回聴いたことになる。
今回、終了後に「あれ、かかった?」と聞いてみたら、「いや、かからなかった」との答え。
もう10年近く経つわけだから、およそ免許を更新しにくる人の全員が聴いてしまったと考え、やめたのだろうか。
それともさだまさしの©️が高価になったのだろうか。
それに代わる今現在のトレンドは、「高齢者の免許問題」と「あおり運転」なのであった。

その4.
大昔、まだ「優良運転手は壁にかかったパネルをざっと眺めるだけのパネル講習でOK」だった時代。
赤ん坊だった娘を抱っこバンドで前抱っこして更新に行ったら、優良じゃなくて30分の講習を受けなきゃいけなかったにもかかわらず、係のおじさんが「大変でしょう。いいよ、パネル見ていって」って優しく言って、ハンコ押してくれた。
古き良き時代。

19年11月14日

昨日せいうちくんの免許の書き換えで試験場に行ってつらつら思うこと。
運転は、本当に人それぞれ。

私は運転が上手かった。
総合的な判断力に優れ、反射神経も良かったので。(自分で堂々と言う)
慣れを失ったことと加齢による衰え、自信の喪失で、今はヘタ。
それでも変わらないのは、おそらく私を知るほとんどの人が「へー」と驚くほど「待つ」「譲る」運転をする点だろう。
今でも高速に乗ると少し速めの運転になり、こまめに車線変更をした挙げ句に右車線を走りっぱなしになりがちなんだけど、一般道を走る限り、「急いでもそんなに変わらない。無理して追い越した隣の車と、次の信号で並んだりする。右折車線のない道路で右折車両がいて詰まってても、全然気にならない」と考えてのんびり待つ美点を持つドライバーだ。

一方、せいうちくんは、待てない。譲れない。
こっちの車線に駐車車両がいて対向車線が優先だろうにと思われる場面で、無理矢理ふくらんではみ出し、対向車を停まらせたりする。
強引な性格なわけではなく、状況が読めないらしい。
「そうか、対向車が来てたのか」と言われて「あれが見えないのか!?」と驚くことがしばしば。

しかし、それで歩行者用信号の点滅も見ていないのだとしても、黄色信号なのに交差点に突っ込んで右折車両をさえぎるのはなぜなのか。
イラッとするとクラクションを鳴らすのも不思議だ。
「側方からの飛び出し車両など、危険な場合に注意をうながす」以外の、「報復的」なクラクションは極力使わないように何度指導したかわからない。
最近はそれで事件に巻き込まれることもあるほどの、危険な行為だ。
いわゆる「ハンドルを握ると人格が変わるタイプ」なのかしらん。

あと、車の中という閉鎖空間にいて、「何もしなければ、相手にはこちらの考えていることが伝わらない」のがよく理解できないらしい。
おかげで始終、
「右折のウィンカーは早く出せ。そうしたら相手も心置きなく左折できる」
「停車したい時のハザードは早めに。追突されないまでも、後続車が不快になる」
「横断歩道で停車する時は、もっと景気よくピッと停まれ。ゆるゆるスピードを落としても歩行者には停まるつもりかどうかわからない」
「対抗右折車に譲るつもりだったらパッシングするか、こういう時こそのクラクションじゃないか!」などとぶーぶー言いまくっている。
さすがに最近、
「道路状況と、助手席からの叱責と、両方同時に注意を払うのは難しい」と泣きが入ったので控えるようにしている。
それだって、言わなきゃ伝わらないんだよ!

享年78歳の母は、亡くなる1、2年前まで運転していた節がある。
その頃にはもう、母が入院した時ぐらいしか郷里に帰らなかったのでよくは知らないんだが、75歳の時に2度自損事故を起こしていたようだ。
電柱にぶつかったとかスーパーの駐車場で当て逃げをしたとか、同居の姉がこぼしていた。
それでも20代の頃から運転してきて腕に自信があり、免許返納など聞くはずもなかった母なので、「ほうっとくしかない」と姉はメールに書いてきた。
今ならずいぶんもめただろう。

ちなみに母の運転は、「行列のできている右折車線の先頭に左側から割り込み、『交通渋滞の緩和に協力している』と澄ましているようなスタイル」だった。
小さな頃から助手席に乗っていた私は、左車線に無理矢理割り込む時によく「窓開けて手を振っておいて」と言われた。
助手席で道路状況判断を鍛えたおかげで自分が運転免許を取る時はほぼストレートだったので、感謝すべきなのかもしれない。
(教習官から、「すごいいい成績で来てるね~、あんまりスムーズに免許取れちゃうと危ないから、ここらで1コマ余分にやっておこうね~」と言われてハンコもらえず、パーフェクトを逃したのが今でもくやしい)

昨日せいうちくんが受けた講習によると、愛知県の事故率は北海道を抜いてからずっと堂々の1位なんだそうだ。
私も、名古屋の運転はオソロシイと思う。あまり地元で運転する機会がなくて幸いだった。
北海道の事故率が高いのは道がまっすぐで速度が速いせいだろうが、行ったことのある土地の中ではなぜか静岡が怖いと思ったなぁ。

あと、運転の上手さは遺伝するようだ。
息子は、さしたる苦労もなく免許を取り、あまりハンドルを握る機会もないだろうに、たまに家の車を運転すると妙に安心できるドライバーである。
昔、「信号が変わるのにどうして交差点に突っ込むの!」と私が怒って、
「変わるって、どうしてわかるの?」とせいうちくんが困って聞き返した時、後ろの座席から無邪気に、
「よこのしんごうがちかちかするから、わかるんだよ~」と言ってのけた6歳児が免許を取ると、そうなるのだった。
これからも無事故で頼む。

19年11月15日

今夜はミルフィーユ鍋。
もう半年以上、週に1回か2回食べているなぁ。
あんまり飽きないのは幸いだ。
元々は豚バラ肉と白菜だけで作るものだと思うけど、今や豆腐やゆで卵が入るようになり、そのうち大根とか入ったらそれはもうおでんに近いのかも。

絶対に欠かせないのが「柚子こしょう」。
去年は大分に親戚のいる友人が「香辛料は好きだが、鍋はあまりしないので」とお中元とかでもらうのをわけてくれていたんだが、最近では「柚子こしょうより酒がよくくるようになった」とのことで、供給源を失ってしまい、泣く泣く自分で買っている。
こないだ瓶が空になりかけてたから買わないとなぁと思っていたのに、週末の買い出しで仕入れておくのを忘れてしまった!

せいうちくんはこういうのナシでも全然平気なつつましく不満の少ない人だからいいが、私は「柚子こしょう、絶対欲しい!」と思う。
しょうがないから買いに行こう。
平日に1人で買い物に行くのは非常に珍しいので、ついいろいろ作戦を立ててしまう。

徒歩5分のスーパーは高くて品揃えがあまり良くない。
徒歩10分まで足を伸ばして、もう2分歩くとせいうちくんとよく行く喫茶店がある。
つい昨日も、
「もう1年ぐらいかけて、だんだんタテになってる時間を増やすといいかもね」と言われたので、
「気が向いたら喫茶店に行ってコーヒー飲んでお金使ってもいい?」と聞いたら、「もちろんだよ!」と言われている。
金曜なのに日記が1日分しか書けてないこともあり、よし、iPad Proとキーボード持ってって、「お仕事マダムごっこ」をしてこよう。

というわけで、午前11時半から午後3時半までの4時間も、アイスコーヒーと本日のストレートコーヒーと卵サンドをぽつぽつオーダーし、雑誌を3冊読んで、日記を3日分書いた。
息子が高校受験と大学受験のどちらの時も、やたらに近所のガストから図書館からコミュニティセンターから塾の自習室から移動しまくり、「ひとつのところに長い時間いると煮詰まる」とこぼしていたのを思い出す。
私はわりとひとつところにずっといても平気な方だが、やはり家はイカン。
ベッドの誘惑を始め、人目がないことから来る「だらだらした心理状態」にすぐに陥る。
外の方が「やる気のある自分」を演出しやすい。
もっとも基本的に家にしかいない専業主婦だからで、否応なしに外で働いてる人はまた別の気持ちなのかも。「常在戦場」

いずれにせよ、なんだか充実した午後を過ごしてしまった。
帰ったらくたびれて寝込む、これさえなければもっといいんだが…慣れもあるだろうから、気長に頑張ろう。
週末だ週末だ、せいうちくんと遊ぶんだ。るん。

19年11月16日

友人たちとの飲み会で街に出るので、ごはん食べたうえでいろいろお買い物をしようと思う。

しかしいつものタイ料理屋はランチタイムが終わっていた。
15時までに行けばいいかと思っていたら、14時半までに入店してなきゃいけなかったのだ。
じゃあランチセットでなくても、と思っても、15時から17時までは休憩中。
15時に間に合うようにとせいうちくんが先に走って行ってくれたのも、全部無駄になってしまった。すまぬ。
下調べが足りなかった。

じゃあ、って久々にカレー喫茶。
少し待ったが、すいてくる時間帯だったため、すぐに入れた。
「昔はらっきょうが食べ放題だった。今は福神漬けだけになって、悲しい」
「息子のためによくテイクアウトした。それも平日昼間のみ、予約も必要になった」
「スタンプカードも廃止されたねー」
などなど、どちらかというと愚痴になる思い出話が多い。
しかしやはりカレーは抜群に美味い。
それに、40年同じ場所でやっているこの店には、結婚する前からの思い出がぎっちり詰まっているんだ。

ネックレスを買いたいと思っている。
半年前に高校同窓会や船旅のためにかなりな初めて体験として買った2本が大活躍した。
しかし、人間というのは恐ろしいもので、普段使いによくつけるカジュアルな「石をつなげたタイプ」に、私はすっかり飽きてしまったのだ。
恐る恐るせいうちくんにそう言ってみると、
「実は僕も「『いつも同じのだなぁ』と思っていた。新しいのを買おう!」と言ってくれた。
青をよく着ていたので青い石が重宝だったが、今度は赤っぽいのを選んでみよう。(単純)

前に買った時と同じ店に行ってみた。
商店街の、間口の小さなアクセサリー・ショップ。
気が短いので、あっという間に3本ほどの候補が決まる。

いいものを薦めてくれていて、ボーダーのTシャツの胸元にグレーの布地をあてて、
「こんなふうに無地のお洋服だと、華やかになりますよ」と言ってくれるうちはいいんだが、だんだん売りたい気持ちが勝ってきて、
「今着ているようなカジュアルなものにも合わせられます」と言い出すのはあんまり良く思わない。
結局、ひとつは欲しかった「華やかになる」大きな石をつなげたものを買った。
もっとも天然石ではなくて、樹脂。私に買えるお値段ではそんなところ。
年齢的にそれでいいのか、ってとこがわからなくて、少し悩んでいる。

身につけるものがグレードアップした気がするのは、きっと還暦を迎えたのと、同窓会にたくさん出て「みんなちゃんとホンモノつけてる」と感じたから。
大昔に実家でもらって時々つけるティファニーのビーンズネックレス、30年以上使ってるが、まったく問題なし。
半年前に買った2千円ぐらいのニッケル製がほぼ使うたび、2回も切れてしまってるのとはえらい違いだ。
高いものってのは長年使えて結局お得なんだなぁと思うものの、今から買うものは寿命からいくと30年使えないんだなぁとも思う。
よほどのものなら息子の奥さんに、とか言えるんだろうけど、たとえティファニーのビーンズでもそれほどのものではない気がする。
まあ皇室じゃないんだから、譲るようなものはないのが普通か。

普段使いのリュックとかじゃなくて、少しお出かけの時に使えるバッグを買ったら、と言われ、百貨店の1階であれこれ見る。
ブランドの名前がわからん。グッチとかシャネルぐらいなら聞いたことあるんだが、コーチやロエベになるとアヤシイ。
「あれ、可愛いじゃない。3万円ぐらいかな」と店の外からせいうちくんが指した青い革のバッグは、勇を鼓して聞いてみたら「5万3千円」。
3万ならよくて5万はダメ、ってことじゃなくてね、とにかくぴゅーっと逃げ出しました。
脳内の情景としては「ごめんなさいごめんなさい、身の程知らずでした」って頭を抱えて脱兎の如く。

そのあとは「目を肥やす!」って開き直って「み~て~る~だ~け~」のオーラ全開でいろいろ眺めたけど、ブランドショップの店内には絶対足を入れられないチキンなの。
勉強になった!
今日の私は、「万単位のバッグや靴を、見るだけ見た女」である。妙な自信。

古本屋でかなり収穫があった。
小さな店なのに、妙な本ばかりがある。
買っても買っても増殖するかわいてくるかのように思われるひさうちみちおは、いったい誰が売りに来るのだろう。
セロハンに包んである3冊組みが5千円ぐらいだと、「すみません」って感じで棚に戻す。
開いてもいいやつの裏表紙をめくって、鉛筆で「200円」と書いてあると、ほいっと小脇に抱えて次を選ぶ。
2人でこれを繰り返していたら、けっこうな山ができた。
てっきりせいうちくんがおこづかいで買ってくれるかと思ったら、
「今日は家計から出してほしい」と頼まれた。給料日前なので懐が寂しいらしい。

かなり重い袋を下げて歩き出そうとするので、
「リュックに入れなよ」と言ったら、「さっき買った鉢が入ってる」。
そんなの、軽い包みじゃないか。
「入れ替えなさい。重いものは背負いなさい」と厳かに告げる。
夏に名古屋に行った帰り、トランクの服を出してリュックに入れ、重い古本はトランクに入れなさいと言われた時とおんなじ顔になった。
「同一現象だとは思わないのか」と聞くと、
「服と食器は別のものだから」とのこと。
あらゆるモノについて1回ずつ言わないといけないらしい。
私の忍耐力はいつまで続くだろうか。

疲れたのでカフェで休憩。
無職時代の息子と前に来た、彼は喫煙フロアでないとダメなので煙くて困った、再び職に就いてからもう平日の昼間に会ってもらえなくなったがNYから帰ったらとりあえずまた無職だから会えるかな、それにしても昔はカフェというものがこれほど流行って商売になるとは思わなかった、などと例によって私が1人でしゃべりまくっていたら、せいうちくんが黙ってLINEを送ってよこした。
「隣のカップルが気になる。何かの勧誘かも」

しばし黙って耳を傾けると、うーん、声が小さすぎて聞こえないんだが、確かに気軽に話してる感じはしない。
男性が話し続けてるのに対し、女性は背筋をピンと伸ばしてずっと聞き入ってる。
せいうちくんは「勧誘」と言うが、「熱心なプロポーズ」「面接」「オーディション的なものを受けている」、どれとも思える。

ただ、黙って人の話を聞いている緊張に長くは耐えられない。
もうちょっと続けていたら、私はいきなり踊り出して、フラッシュモブを勝手に始めていたかもしれない。

友人たちとの待ち合わせの時間が迫ってきたのであきらめて店を出る。
カフェには、他人の人生が詰まっている。
1フロアに20組以上、これが4フロアだから100組近い人々の人生、と思うとどうしていいかわからなくなる。
人と自分の境界がゆるく、区別がつかなくなるのは大きな欠点だ。
せいうちくんが読んだ数少ないSF、ブラッドベリの「火星年代記」から、
「火星人のよう。人の多いところに連れて行くと、気の毒」と言われる。
もうちょっと精神力を鍛えよう。

飲み会の話はまた明日。

19年11月17日

10年前、高校の同級生が急死した。
あわてて、たまに会っていた他の友人たちを招集してお悔やみにかけつけた。
その帰りに精進落とし的に飲んだのをきっかけにし、彼らにも顔見知りになっていたせいうちくんも含めた5人で、毎年命日近くになると会うようになった。
そして2年前、その中の1人が亡くなった。
だんだん減っていくメンツで、年に1回の「偲ぶ会」を続けている。

「最初は6人で会っていたのに、10年で3分の2になったねぇ」
「ことの性質上、どうしても少なくなる方向」
と、話す内容もやや湿っぽい。
今年は私が中学と高校の同窓会で郷里の名古屋に2回行ってるので、その報告会も。
卒業写真からとった当時の顔写真と旧姓の名前がでかでかと表示された名札を見せると、
「おおっ、今はこんな風なの?!」と感心された。
うん、だから、「誰が誰だかわからない」恐怖は横に置いておけるかもしれない。(幹事団の有能さにもよるかな)

高校で顔を合わせていて、10年前に亡くなったMくんを中心に何となく集まってきた人々。
2年前に去ったOくんも、Mくんから紹介されて一緒にチェスをするようになったんだった。
「うさこさんは、きっとこういう人間、好きでしょ」と言われたとおり、読書家で理屈っぽいOくんは格好の話し相手だった。

Mくんから「もうNの顔を見ても話すことがない」と言われるぐらい、何をするでもなく一緒に時間を過ごしたらしいNくんは、私とは2年と3年の時にクラスメートだった。
アニメーターのKくんは、1度も同じクラスになったことはないのに、Mくんの教室を訪ねているうちに気がついたら話すようになっていた。

驚いたことに、直接は全然接点がなくてMくんと私に巻き込まれてつき合っていたように見えるNくんとKくんは、小学校から高校までずっと一緒だったんだそうだ。
家も、徒歩5分のご近所。
「小学校の時、Nくんちに1回遊びに行ったことがある」とKくん。
「それでなんで高校で親しくなってなかったわけ?」と聞いても、
「子供時代なんてそんなもんじゃないの?全部、Mくんがつないでくれてたんだよなぁ」とKくんはなつかしそうな顔をする。
彼にとっては、共にアニメーターの道を歩んだMくんが一番近い友人だったんだろう。

それぞれが、それぞれの事情でややバラバラに東京に住むことになっても、ひと言で言って「人づき合いに難あり」の集団だったため、空気の読めない私が気まぐれにかける集合にいやいや応える時以外は、顔を合わせることも少なかった。
30年前に私が結婚した頃に集まり、15年前に引っ越した時に集まり、その間は本当にパラパラと個別に会っていた。
久々に大集結したのが、10年前のMくんの急死だったわけ。

1年たっての「Mくんを偲ぶ会」には誰も異論はなかったようだが、さすがに毎年はキツいかと思い、
「これからも命日近くに会う?みんな、めんどくさいかぁ」と自称幹事の私が聞いたら、案外明るい中心人物Oくんが、
「この中から、いつ誰が偲ばれる側に行くかもしれないからね。会えるうちは会ったらいいんじゃない?」と言ってくれて、それ以来定例会になっている。
言った本人、まさか自分が一番先に「Mくんに続く人」になるとは思ってなかったろう。

今年は中学の同窓会にせいうちくんを連れて行かなかった。
盛り上がる幼なじみたちを見てて、いくら仲が良くても他の人にしたら夫なんて見知らぬ他人、思い出話に水を差すだけ、と思うようになったので、今回せいうちくんに、
「来年からの『偲ぶ会』に、あなたは連れて行かないかもしれない。あなたがいなければ他の2人も遠慮なく高校時代の想い出とか話すかもしれないもん」と通達した。
「それはそうかもね。僕はNさんともKさんともいつも楽しくお話しさせてもらってるけど、来年からは控えてもいいよ」と言ってくれる、ものわかりのいいところが好きだ。

だが、どうも男性軍2人は「高校時代の話」にはあまり興味がないらしい。
そもそもどんな先生がいたか、とか誰も全然覚えてない。
還暦になると、コドモの頃の思い出ってのはぽつぽつと飛び地になっていて、ガツンとしたカタマリなんかじゃないようだ。
美術史専攻だった歴史好きのNくんは、「山川の世界史」を愛読するせいうちくんと歴史オタクな話をしているし、モデルガンマニアのKくんは「僕らだとやっぱりワルサーP38なんですが」とうんちくを聞きたがるせいうちくんにすっかり気を許している様子。
この人の、イライラするほど控えめで礼儀正しいのにどこか人なつっこいKYな距離感が、こんなところで猛威を発揮するとは。

たぶん、けっこう人の好き嫌いのあるKくんなど、ぐいぐい押してくる一方の私みたいな人間は少し苦手なんだと思う。
横でせいうちくんがバランスコントロールをしててくれるから私とも安心して話せる、そんな間柄。
Nくんは、すべてを面白がって見てる。たぶん。

互いにどうしても出る身体の不調話を開陳し、それなのになぜか病院嫌いのKくんに医者に行った方がいいと薦めて「絶対行かない!」と断固とされる。
「現代医学は案外スゴイよ」と2年半前の心臓の手術の話をあらためて披露すると、横からせいうちくんが大真面目に、
「心臓が悪い、とひと言で言いますが、2種類あります。血管が詰まるタイプと、心筋が弱るタイプ。彼女は心筋です。開けて見た外科医が、『色も動きも悪いですねー』とあきれてました。弁と大動脈を交換しても、心筋は良くならないんです」と熱弁を振るう。
突然あまりに熱心になるから、2人ともちょっと驚いて引いてたかも。

息子が今NYにいてもうじき帰る、コント師の修行中だ、と話すと、毎年だいたい同じような話を聞いているにもかかわらず、2人とも親切な聞き手だ。
「帰ってきても、一緒に暮らしてるカノジョんとこで、うちに帰るわけじゃないからいいんだけど」と言ったら、Kくんは感心したようにひと言、
「順調だ!」
嬉しくなって、
「え、それ、もっと言ってもらっていい?まわりからあんまり順調だなんて言われないんだよ。心配ばっかりされちゃって」と頼むと、
「順調だよ!カノジョと暮らしてる時点で、もう順調!」
うんうん、我々もそう思うの。
でも、せいうちくんのお母さんとかからは、「定職についてなくて、結婚するかどうかも決まってないのに同棲」ってところにため息つかれちゃってねぇ。

去年選んだ居酒屋が不評だったので一昨年の店に戻してみたら、飲み放題食べ放題(おつまみのお皿が空になったら、お代わりをもらえるスタイル)で2時間2980円ぽっきり。
中年者の集まりなので食べ物のおかわりはそれほどしなかったけど、私以外のみなさんはお酒を5杯ぐらいずつ飲んで、これがまたなかなかけっこうな日本酒だったようで、鍋の出汁が美味しかったので〆の雑炊も当然美味しく、「来年もここにしよう!」って、いつの間にか次の開催も決まっていた。
もちろんせいうちくんも「ぜひ来てください」と言われて。

Kくんは数年以内に名古屋に帰ってしまうかもしれず、家ごと東京に引っ越してきたうえもうご両親もいないNくんは名古屋に帰る理由はなく、みんなで集まれるのはいつまでか。
私はこの先ずっと東京だろうけど、会いたい親しい友人がいて身体が動くうちは名古屋に行くだろうから、その時Kくんにも会うのかな。
Nくんとは別途東京の会を続けるのかな。
くも膜下で突然倒れたOくんを思い出して「来年のこと、いや明日のことすらわからないね」と言い合っていても、やはり10年以内のことぐらいはいろいろ算段してしまう。

「少し早いけど、良いお年を!」と言い合って、店の前で別れた。
あんまり楽しくて気持ちいいから、家まで45分ぐらいかけて歩いて帰った。

MくんOくんが亡くなった時あれほど悔しく悲しかったものが、今では彼岸と此岸はずいぶん近い感覚になった。
もしかして、悟りの境地に近づいているのだろうか。
「死にたい。ミイラになりたい。賢くなりたい」とつぶやいて、せいうちくんにとても驚かれた。
確かに2番目と3番目は全然つながっていないかも。
せ「ミイラ、って、保存されてたいってこと?」
私「ちがう。自分でなるやつ。地下の穴に入ったりするアレ」
せ「ああ、即身仏ね。確かに、智恵を極めた人が即身仏になろうとするケースはあるけど、ミイラになっても賢くなれるわけじゃないよ。そもそも、賢くなろうなんて思わなくても、生きてていいんだよ」
私「賢くなるんでなかったら、何のために生きているのか」
せ「キミにかかってる何かの呪いだね。楽しく暮らすために生きてる、でいいのに」

酔っ払い2人はふらふらと、かみ合わない哲学的な話をしながら夜の住宅街を歩いて行った。
生きてる限り、人には楽しい夜がある。

19年11月18日

通院日。久々に主治医に会った。
ひと月前は入院してて奥さん先生の代診だったから、2ヶ月ぶりか。
2回目の入院はもう終わってるだろうと、診察があるかどうか確認の電話をしてみたら、
「先生はこれからまた入院しますので、明日の診察はありますが、そのあとしばらくまたお休みです」と言われてビックリ。

本人に会って、
「3回目の入院をされるんですか?」と聞くと、
「いや、5回目なんです」と言われてさらにビックリ。

ただの胆石なのに、取りきれなかったり切った後から胆汁が漏れたり考えられる最悪のシナリオをたどっており、まだ石が1個残っているのを内視鏡で取る、取れればいいけど、無理だったらまた開腹手術になるのだそうだ。
開胸手術のあとの検診で緊急入院になった身としては、それはイヤだよなぁとしか言えない。

65歳を過ぎている人なので、引退とか考えるのかと思ったら、それは全然ないそうだ。
であれば、この機会によく治してもらってまたバリバリ診療してくれ。
こっちも歳なので今さら新しい主治医は面倒だし、あまり薬を濫発しないところが気に入っているので、ここを最後の治療の砦としたい。

「自分の親も夫の親も夫婦仲が良くないので、夫と仲良くしてると不興を買うというか、叱られる気がして、座りが悪い」と話す。
「夫婦はこういうもの、なんて形はない。ありとあらゆる形がある。あなたの夫はあなたのことよく考えてくれてると思いますよ。2人がよければそれでいい、って、言ってくれるんでしょ?その通りですよ。人にはいろんな考え方があるからね」と一般論を言ってると思ったら、どこでどうつながるのか、
「でもさぁ、『桜を見る会』とか言っちゃってねぇ。5千円でやれるわけないじゃん。1円でもはみ出してたら、犯罪だよ」と、思わぬところで反安倍派を発見した。
安部信者の夫を逆洗脳しようとしていると話すと、「やんなさいやんなさい」な勢いだった。

先生の入院手術のため、次回はまた1ヶ月後。
内視鏡だけですむのか、ちゃんと退院してこられるのか。他人事ながらドキドキ。

日中の薬をやめる代わりに睡眠薬の増量を勝ち取り、よし、これでぐっすり寝て、昼間は読書三昧の生活をするぞー。

19年11月20日

真夜中に喉が渇いたが、枕元のお茶のグラスはもう空だった。
ベッドを出て冷蔵庫におかわりを取りに行ってる間にタブレットの画面は消え、戻ってきた寝室はほぼ真っ暗。
手探りでベッド横のサイドボードの上にグラスを置いたら、テーブル面の端が下方に湾曲カーブした部分だったようで、コースターごとグラスは落っこちた!

しかし、真下のくずかごの中に「すぽっ」と落ちたので、まわりに水はまったくこぼれなかった。
くずかごを流しに持って行き、シンクの上で逆さにして水を出すだけですんだ。
こんな運のいいことってあるかしら。

それだけでも充分ビックリなんだけど、もっと驚いたのは、「ひゃっ!」と叫んだ私の声にもあわててドタバタする気配にも一切反応せず、ぐーぐーと眠り続けていたせいうちくんの睡眠の深さ。
夜、ゆっくり会って話すまで、この「事件」にはまったく気づいていなかったようだ。
いつも「おやすみ」と言ってから10秒で寝息になる健やかな人だが、早さのみならず深さも充分で、忙しいなりに健康な秘密はこれかーとあらためて感心した。
急速潜水安定潜航の高性能潜水艦を見るようで、今後も彼の睡眠安らかなれ、としみじみ思う。

19年11月21日

そろそろ年賀ハガキを買っておいてくれ、と頼まれた。
去年は郵便局のバイトなのか、荷物を届けてくれたにーちゃんが、
「注文を受けた個人に褒賞が出るんです。他に予定がなければ自分から買ってくれませんか」と言ってきたので、注文した。
感じのいい若者だったので今年もできれば同じ人に頼みたいと思い、配達にきた別の人に聞いたら、当たり前だが去年の担当のことは知らないし、できれば今年は自分から買ってくれないかと言って申し込み用紙を置いていった。

まあ今年は今年の担当者に頼むのが筋か、と思っていたら、ポストにメモのついた申込み用紙が入っていた。
「去年担当した者ですが、また自分を通していただけるとありがたい」と丁寧に書いてある。
それぞれに大変なのだなぁ、とナニカが込み上げてきて、その用紙に記入して投函しておいた。
担当者の印が押してあるので、彼の成績になるのだろう。

樹村みのりのマンガ「Flight」で、訪問アンケートのバイトをしている若者がなかなか玄関も開けてもらえないでいるところに、1軒のお宅で「あなた、あの、アルバイト学生さん?」とおずおずと声をかけた中年の主婦が用紙を受け取ってくれる。
「うちの息子もね、京都の大学に行っているの。あなたみたいなアルバイトをしているのかと思ってしまうとね」
「風と共に去りぬ」で南北戦争終了後のタラで、故郷へ帰る途中の敗残兵たちの世話をするメラニーがスカーレットに、
「私のアシュレも、どこかで親切な人のお世話になっているかもしれないと思うの」と語るのにも似ている。
気持ちは、直接誰かに向けるよりも他の人や組織を経由した方が、世の中をうるおすかもしれない。

希望日として記入しておいた今日、届けてくれたのは残念ながら別の人だったが、現金と引き換えに受け取った年賀ハガキにはいろいろおまけがついてて嬉しい。
ポケットティッシュと入浴剤とボールペン。
銀行もこうあでれ。定期予期が金利0.01パーセントしかないうえに、ラップの1本もよこさないなんて、許さないぞ。

19年11月22日

息子がNYで年を越すと思っていた。年始には来ないんだなぁと。
それに、毎年「小さな新年会」の固定メンツだった友人が怪我をしてしまった。きっと来訪はかなうまい。
今年は土日の連携が良く9連休になるのを無駄にするも惜しい。
様々な寂しさを払拭する気持ちで、思いきって2回目の船旅に行くことにした。「グァム・サイパン11日間ニューイヤークルーズ」である。
年末年始に家にいないのは、結婚以来初めてだ。

実際は11月の頭に息子が、
「宿の予約を間違えてしまった」
「勉強することが、実はもうあまりなかった」
「カノジョに会いたくなった」
というような理由で帰国が早くなる、と伝えてきたため
「どうしよう、今からでも船はキャンセルしようか」とあわてたのだが、せいうちくんが断固反対した。
「息子が正月に日本にいるからって、僕らになんの関係があるの。予定を変える必要はまったくない!」
まあ、もっともだ。
30年間の結婚生活で、5本の指に入る男らしい決断と言えよう。

今年はものすごくいろんな出費があり、経理担当者として恐る恐る家計簿上の試算を提出する。
マンションのローンを払い始めた時に勝るとも劣らない低い年間預金額が予想として上がっているのだ。
我が家のCEOは顔色も変えなかった。
使える時は使っていいんだそうである。
子供たちが手を離れ、私の健康もある程度安定し、逆に今しか安心して消費に走れる時はない、と熱弁された。
ではお言葉に甘えて。

前回は7日間、しかも国内だった。
ひたすら海を征く「終日クルーズ」は往路も復路も1日ずつ。
今回は長いので、往路に3日間、復路に4日間も「ただただ船に乗っている日」がある。
実は我々、これが大好きで、このために船に乗ると言っても過言ではない。
1日7回の食事や軽食を食べ放題、ショーや映画を楽しみ、船室やバルニーで2人きりでいるのも自由。

何より嬉しいのは、普段でも家事は無限に発生するものだが、やはりお正月ともなるといっそう「何かご馳走を」「少しは特別なことを」と力が入ってしまうところを、一切何もしなくていい。
掃除も食事もイベントも、全部人任せにできる。(洗濯だけは無料のランドリーでちょっとするかなぁ)
まったくの無責任で迎える正月、自分で用意しない年越し蕎麦やお雑煮、おせち料理ほど贅沢なものがあるだろうか。

レコ大や紅白はいつ観るのか、1週間を超える分の録画予約はどうするのかなどと思いながらも、まあ何とかなるだろう、とESTA申し込んだりレンタルスーツケース頼んだりし始めている。
来週末帰国する息子にも「年末年始は母さんたちいないよ」と伝えてある。

ここで「なんで?」と聞かれたのはアタマに来たなぁ。
決めた時にきちんと「あなたのいないお正月だから」と言っておいたのに、まったく聞いていなかったらしい。
人の話を聞いていないヤツなのか、親の言うことなんてそんなもんなのか。
きっと後者で、即時消去の短期記憶メモリに一時保存されるだけなんだろう。

船を楽しむのがメインの目的だから、寄港地でも上陸しないって選択もあるが、一生のうちにグァムもサイパンももう訪ねる機会はないと思う。
特にサイパンでは、会ったことのない先祖のお墓参りを心を込めてするのと同じように、今日の我々がお返しできないものを背負っていってくれた方々に手を合わせて来たいと思っている。
歴史に弱い私のためにせいうちくんがテキストを選んでくれると言うので、きちんと勉強して行きたい。

少しだけ不安なのは、乗船当日彼は夕方まで仕事があり、荷物は宅配で船に送っておいて東京駅で待ち合わせて港に急いだとしても、乗船時刻ギリギリになること。
もちろん旅行社にはその旨伝えて相談してあるが、「できるだけお時間までにいらしてください」と言うのみ。そりゃそうだろう。
出国・入国手続きの両方をやらねばならんのである程度時間はかかり、早めに来いってのもわかるけど、船が出るまでに乗船すれば何とかなるのでは、とタカを括っている。
本によれば「港内であれば、モーターボートで追いかけて乗り込んだ乗客もいる」のだそうだ。
もっともこれは手続きの不要な「寄港地」での話だろうし、ボートの費用などは乗客持ちであるらしい。

せいうちくんは、不安がりながらも、
「僕は一度だけ、国内線の飛行機で、カウンターから連絡を取っておいてもらいつつ離陸をほんの少し待ってもらって駆け込んだことがある。大丈夫!」と言う。
私が知る限り、他に飛行機を待たせた人は「エロイカより愛をこめて」のエーベルバッハ少佐だけだ。
部下Aと共に空港内通路を全速力で走り、無事に機内の人となってからも「急に止まると体に悪い」と言ってしばらく足踏みをしていた。

さて、私たちは出港パーティーのシャンパンにありつけるだろうか?
渡辺ペコの「1122」最新巻も届いた「いい夫婦の日」に、夢のような年越しについて発表してみた。
前回結局書きそびれたままになっている「クルーズ体験記」を、気持ちも新たに力いっぱい記してみたいと思っている。
来年を楽しみにしていてください!

19年11月23日

久しぶりに何もない週末な気がする。とことんのんびりした。
とは言っても誰かがごはんを作って誰かがお皿を洗っているわけで、それが私でないところが私のシアワセ。
「皿洗い機があるから」と笑ってるせいうちくんだが、木製のサラダボウルとかお鍋をした時の土鍋とかは食洗機に入れられないのぐらい知ってるよ。いつもありがとう。

今日はさらに偉いことに旅行の手続きを進めてくれた。
年越しクルーズの行き先がグァム・サイパンで一応アメリカなので、ビザ代わりのESTAという書類が必要になるのだ。
ネット上の申し込みとは言え、かなり難しく面倒くさかったらしい。
「老人になったら自分ではできない。代行者が必要だ。息子は自力でこれを3回(サンフランシスコの親戚のとこ1回、NY2回)も取ったのか。もう少し尊敬しよう」とつぶやいていた。
何もしていない私としては、2人ともを拝んでおこうか。

私の仕事は毎回、レンタルトランクの申し込み。
今回は大きいのを2つも頼むから前もって船に送っておくつもりで、出港日から指折り数えて逆算し、送り出し日を決めたうえで荷造りの日を視野に入れてレンタル日数を決める。
帰りも船から送れるんだが、さすがに疲れるのでせいうちくんがタクシー代を出してくれるとのことで、それなら積んで帰った方が送料がかからないしすぐに荷解きできて助かる。
ありがとう、特別予算。

週末があと4コしかないんだよなぁ。
そのうち2つは忘年会、おまけにひとつはよそんちに泊まりの家飲みだぞ。
準備は本当にできるんだろうか。
「足りないものはAmazonとセシールで買え」の世の中でなかったら、到底無理だろうな。
今日も今日とて、プールに入れるかどうかせいうちくんが問い合わせてくれてる、その返事が来る前にバスローブ買ってしまった。
うん、グァムのあたりは27度ぐらいだそうだから、きっと泳げるよ。温水プールなんだし。
浮き輪に乗っかってせいうちくんに押してもらってる時が一番楽しかったので、またやりたい。

19年11月24日

失敗したり楽しみにしたりしながら、クルーズの日を指折り数えて待っている。
この機会に、前のクルーズの時に作ったメモを整理してみようかな。
何かが伝われば幸い。
すでに大部分をFacebookで読んだ人も、今一度振り返ってみてください。

船は、自分で移動しなくて済むのがいい。
足が悪くなる前からドライブ旅行が好きだったことからも察せられるように、閉じ込められた空間で少人数で容れ物ごと移動、その間は食べたり飲んだりしゃべったりしてるのが一番楽しい。
これはもう、クルーズに行くしかないじゃないか。

船室は、絶対に「バルコニー付」希望。
もちろん高くつくが、それだけのことはあると思う。
海を見るのも波の音を聞くのも好きだ。夜の海はなおいい。
昔、海外赴任中に何度かクルーズに行ったという友人男性が、
「夜遅くまで遊んでいて部屋には寝に帰るだけなので、窓すらいらないと感じた」と語っていたんだが、我々にはバルコニー必須だなぁ。

実際、これがあるとないとでは全然別物、と感じた。
もちろん好みの問題だけど、きっと私がインドア派なうえ肛門期でなんでも自分のものにしないと気が済まないからで、空と海は誰のものでもないよねと思えるオトナな人は、甲板やデッキに出たり外のテーブルに座れば十分満喫できると思う。

最初にやったのは船内探検。
カフェあるカジノあるプールある螺旋階段あるピアノあるって、何もかもに感動。
まだ用がないのに無料のランドリーまでのぞく。
船首部分ではお約束の「タイタニック」ごっこ。
縁起の悪い遊びではあるが、カップルは結構やる。
船の図書室に「タイタニック号の悲劇」という本が置いてあるのも勇気ある選択だと思った。

前回は秋田・青森に寄港して竿燈祭りとねぶた祭りを見るクルーズだった。
しかし、最初の寄港地秋田では、あまりに暑そうで、船内でのんびりしたい一心が勝ち、竿燈祭りはパスしちゃった。
会場までバスで20分ほどだそうだけど、乗客全員が順次バスで出発し終わるまでに50分かかるって言うじゃないか。
スペースコロニー行きロケットの振り分けじゃないんだから、と、移住を拒む老人のように「わしは残る」って態度に徹したわけで。

もちろんこれは言葉の綾ってモノで、実際には大勢のご年輩の方々が見に行きました。
いやぁ、残留組は、すいたシアターやパブを占領し、豪華客船貸し切り状態だったよ。

翌日のねぶた祭りは夕刻で15分ほど三々五々歩いていけば観覧席だ、と言われ、それならと出かけた。
光の洪水!はりぼての山!心なしかパナソニックやNECのねぶたは明るくて出来がいい気がした。LEDが効いてる?

有名な「ハネト踊り」はクルーズのオプショナルツアーでも「ハネト体験」があり、参加者は意気揚々と祭り装束に身を固め、乗客エリアでは大声援を受けて張り切って踊ってくれた。

現場には踊り手以外にコスプレのような方々もいて、こちらも「化人(バケト)」と呼ばれる昔からの習慣らしい。
今やナース服で女装して献血や乳がん予防を呼びかける、一風変わった、でも大切なお役目。

途中でくたびれちゃって写真を撮るのはやめてただ見てた。
ケータイで写真撮れるようになってから、目の前に何かあると条件反射のように夢中で撮ってしまうことがよくある。
他の方々も同じようで、いい写真を撮りたいあまり立ち上がる人、席を離れて歩道の端まで出て身を乗り出す人、後ろの人たちから見えなくなる心配もせずにケータイを構えていた。そんなにして撮っても、SNSに上げるか人に見せるかしたらもう一生見ないかもしれない写真なのに。
簡単に写真が撮れるようになったことの良い点・悪い点を考えながら、果てしなく続くようなねぶたに酔いしれた。

5日目の夜、最後のイベントは、いったん碇を上げて青森を出港してから沖に停泊して港内の「ねぶた海上行列」と「花火」を観覧。
ねぶた祭りでも目の前で見られる特別席が用意されていたが、花火も船上デッキに並べた椅子からゆっくり見られる。
波止場にびっしり椅子が並んだ観覧席もいいけど、船上からの見物はひときわゴージャス感があり、さすがはクルーズ。

直前まで船がどっちを向いて停泊するかは発表されなかった。
ほぼ全室バルコニー付きの飛鳥Ⅱなので、花火が右舷側か左舷側かは大問題だからだろう。結果は、左舷。
我々の部屋は右舷だったので、「おおう…」とうめいてデッキに席を取りに行った。
左舷の方たちは自室のバルコニーからゆったり鑑賞できたわけで、まことにうらやましい。
もっとも、デッキではビールのサービスがあって、それはそれでよかった。

ここではちょっと面白い戦争が起こりかけた。
一群のおばさんたちが、
「いいわよね、この椅子、もっと前に出しちゃいましょ」と、手すりとの間が通路用に空けてあるのに、ギリギリまで自分たちの椅子を前に動かして手すりに乗り出すように花火を鑑賞したり写真を撮ったりし始めたのだ。
(いちおう後ろ側が空いて、通れるようにはなってた)
一方、離れたところの別のおばさんの一群は、
「いやね、あの人たち。文句言いましょうか。クルーの人、呼ぶ?」と色めき立つ。

我々、ちょうどその間のあたりに座っていたので、なんだか小さくなっていた。
もちろん心情的には第一おばさんグループ許すまじで、頑張れ第二おばさんグループ、ではあるのだが、皆さんお金かけて来てるんじゃないか、金持ち喧嘩せずって言うでしょ、ってな気分。

花火には協賛というか提供があり、飛鳥Ⅱもスポンサーになっていた。
一連のその花火が打ち上がる時は盛大に汽笛を鳴らし、終了後もまた汽笛。船ならではのロマンだ。
港内に停泊したダイヤモンド・プリンセスの花火が上がる時も、そちらから汽笛が鳴っていた。妍を競う船たちであった。

花火大会というとたいがい非常に混んでいて、特に帰る時などにスゴイ苦労をするので、これほどゆったりのんびり花火を見たのは子供の頃以来かもしれない。
こういうものが見られるとはあまり意識しないで申し込んだクルーズだったが、満喫した。
旅の楽しみはいろいろだなぁ。
終了後2分で部屋のベッドに倒れ込むないしは展望大浴場で汗を流す、というのも楽でよかった。

船内では17時以降「ドレスコード」がある。
1週間の国内お祭り巡りなのでそれほど厳しくはなく、最難関の「フォーマル」は皆無。
男性はジャケット着用、女性はワンピースかツーピースの「インフォーマル」の夜が2日あるのみ。
残りの4晩はTシャツ短パンやビーサンが不可な程度の「カジュアル」。
それでも夕方前にプールやデッキで遊んでる時よりは少し気が張ります。

日頃パジャマオンリーで暮らしてるため、無用に張り切ってしまった。
カジュアルにかけては2通りほどのバリエーションしかないせいうちくんに比べ、毎日とっかえひっかえできるほどの「自分的にはちょっと頑張った」「奥様風に見える」ワードローブを用意。
そのわりに写ってる写真を見るとあまり代わり映えしない。人柄はごまかせないものだ…

プロがスナップを撮って回っている。
もちろん「よろしいですか?」と聞いて、なるべくポーズをつけて撮ってくれるため、素人のスマホ写真に比べると格段に良い表情が撮れている。
(ギャラリーに陳列されているモノを見に行って「あっ、あった!」「ここにも!」と興奮して選ぶ、これはどこかで覚えのある雰囲気だなぁとよく考えたら、子供の頃の遠足写真)もちろんためらうほど高いんだが、「一生の記念だから」と財布のヒモはゆるむ傾向。
実用を考えると、まずはスマホの待ち受けだろうか。

特に記念として買った「周りをぐるりと船やらねぶたやら花火やらのイラストに囲まれて『ねぶたクルーズ』と飾り文字までついた写真」は、さすがに息子から「これいくらしたの」とやや冷たく聞かれた。答えたくなかった。

船旅のいい点として、いったん荷物を部屋に入れたら旅が終わる日まで開けたり閉めたりしてモノを出し入れする苦労がないことが大きい。
5年前にイタリアに行った時は強行軍のツアーだったせいもあって毎日移動だったため、ツアコンさんから「明日は朝の6時(場合によっては5時)にスーツケースをドアの外に出しておいてください」と言われ、翌日使うものを手荷物に移しては大荷物を整理する日々だった。
大きな荷物はバスに積み込まれ、我々が観光してる間に次のホテルに届けられており、これはこれで優れたシステムと言えなくもないが、でかいトランクの開け閉めは本当に大変だった。

船の客室には大きなクロゼットがあり、引き出しもそこら中にある。
下着や靴下を入れる引き出し以外にデスクやベッドサイドにもたくさんあり、薬や小物、iPad類などを入れられてまるで自分の部屋で生活しているように便利だった。
いったん空にしたスーツケースはベッドの下(そのためか、ベッドが若干高い)の空間に入れてしまえばまったく邪魔にならない。

クロゼットは、1ヶ月の船旅とかでパーティーやフォーマルナイトがあったらこれでも足りないんだろうな、と想像しつつ、ありがたく活用した。
たった1週間のために、日頃パジャマしか着てない身としては信じられない量の服を持ち込んだのだ。
シーンごとに頑張るぞ!との思いの結果だが、せいうちくんは背広以外驚くほど荷物の少ない男だった!

女性読者の参考までにお伝えすると、水着や運動用のTシャツ等は別として、スカンツ含むパンツが4枚、スカートが1枚、ブラウスが3枚、おしゃれTシャツが3枚、カーディガン1枚、ジャケット1枚、ややフォーマルなツーピースが1着、という布陣。
全部活用したとはとても言えませんが、私にしては本当に頑張った。
靴は、履いていったスニーカー以外にパンプスと、ストラップの位置を変えればつっかけにもなるサンダル。(船室外では安全のためストラップレスはNG。ビーチサンダルや下駄も不可。プールサイドは例外だけど)

前にも書いたように本格的なフォーマルナイトはなくその手前のインフォーマルだったので、かなりいいかげんな「よそゆき」を着て済ませたわけだが、女性陣の中には相当気合いが入ってる人もいた。
せいうちくん曰く、「結婚式の二次会レベル」だそうだ。

ものの本によれば、外国船のフォーマルナイトともなれば「結婚パーティーに招かれたと思えばいいのです。しかも、しきたりにやかましい親戚やチェックの厳しい友達はいないのですから、思いっきり華やかに、コスプレのつもりで着飾りましょう」なんですって。
楽しそうとはまったく思わず、ひたすら恐ろしい。
ちらほらいる和服の女性も、フォーマルナイトなら振袖や訪問着になるのかしらん。格式高すぎてぶるぶるぶる。
コドモの卒業式レベルの服装でシャンパンフルートを掲げてにっこり、が私の非日常の限界でしたよ。

花火を見て青森を出たあとは、1日のクルーズを経て横浜に帰港。
右舷側の部屋からは朝日が見えると前夜のうちに確認して、私は徹夜して夜明けを待った。
「日の出が4時55分なら45分に起きるから」と言ったせいうちくんを、
「すでに空がバラ色で綺麗」と起こしたのが4時15分。
30分も早く起こされて四の五の言う人と盛大にケンカになる。
しかしやはり朝焼けは素晴らしいので、
「ご覧、僕らの新しい夜明けだ。30年ありがとう。これからまた30年よろしく」とかなんとか言われてうやむやに仲直り。
ベイブリッジをくぐる頃にはフルムーン的な気分になって、旅は終わったのでした。

19年11月25日

クルーズこぼれ話。
Facebook掲載時は写真がついていたので、もうちょっとわかりやすかった。
「百聞は一見に如かず」ではあるものの、私はテキストなタイプなので、素直にうなずきたくはないんだよなぁ…

① 船はほぼすべて鉄でできている。船室の壁も鉄。
ゆえに磁石がくっつく。
毎日配られる予定表を貼るのに、ぜひ冷蔵庫に付いてるマグネットを持って行きましょう。

② そう言えば、シャワーカーテンの隅を押さえるマグネットの存在が斬新だった。
そこまでの工夫と裏腹に、よくある「ユニットバスの水位が上がると排水する穴」がないのは不思議。
「どうせまわりじゅう水だから、あふれてもいいのかも」と乱暴に結論づける。

③ ドアもマグネットがつく。部屋番号こそあるものの、同じようなドアが並んでわかりにくいからと、旅慣れた人はドアにマスコットや写真を貼って自室の目印にしている。
ペットの写真を貼っている部屋の人よ、あなたはせいうちくんに「猫連れてきてて『飛び出しちゃうから注意して開けてください』なんだね」と何重にも誤解されていますが。

④ 乗船下船を確認する「乗船証」は部屋のキーにもなるので、首から下げてると便利、と言われて使ってたのが、実は息子が昔コミケの会場整理をした時のスタッフ証入れだとは気づかれまい。

⑤ カラオケが無料。しかしスナック然と、紙の曲目集(アルフィー少なすぎるだろう怒)

⑥ 「令和フェア」なのか、図書室には意外と皇室本が多い。客層?年齢?

⑦ 士官的な上着が何種類か置いてあって、勝手に着てコスプレ写真撮れるコーナーの存在。宇宙戦艦ヤマトのも置いて欲しいと思う人は、何かが間違っている。

⑧ Googleさんはいつも私を見守っている。夜のベランダで開いたら、北海道と青森の間の海峡を通っていた。
リアル津軽海峡。

⑨ 劇場以外でも夕食前のアペリティフタイムに突然始まるバレエ。
「くるみ割り人形」も「白鳥の湖」もピアノと管で生演奏。

⑩ 長い長い廊下が伸びているフロアは真夜中に悪魔が出るという合わせ鏡のよう。
間違えにくいように階ごとに柱の色が違うところがにくい。

⑪ フルーツやアイス、ペストリー食べ放題。特にプールサイドで食べられる軽食は悪魔。
夜食も毎晩出る。「上海焼きそば」が殺人的に美味かった。

⑫ 海の上ってのは不思議な雰囲気。特に夜の海を我々は好んだ。

⑬ 内装はどこもかしこも豪華できらびやか。沈んだらもったいないなぁ、と心から案じる。

あら、13コになっちゃった。
夜の船の廊下で悪魔に遭遇しちゃうのかしらん。

19年11月26日

緑内障予防のために眼圧を下げる目薬がなくなってきた。
朝な夕なによく忘れずにと自分で感心するぐらいまめに注すので、足りなくなりがちだ、と前回言ったら、先生はなんだか楽しげに、
「そうですか!じゃあ1本ずつ多く出しますから、じゃぶじゃぶ使ってくださいねー」と言っていた。

予定では3ヶ月もつはずが、それより早くなくなるのはなぜだろう。
じゃぶじゃぶが過ぎる?
仕方ない、出かけよう。しかし小雨が降っている。
なんかついてないなぁ、と思ったけど、実はこんなもんじゃすまなかったのだ、今日の運の悪さたるや!

まず、エレベータ点検中。
なんで?!
明後日が点検で停止って掲示があったのに、なんだか急な作業に入ってるっぽい。
明日はそもそも眼科が休みで、明後日になるとエレベータが止まってるから、と問題のあるポイントを避けて避けて、わざわざ小雨をついてのお出かけになったのに。
まあかろうじて降りられるぐらいの階層でよかった。

午後の診療が14時半から始まる眼科さんで、10分ぐらい前になると看護師さんが開けてくれて、5分前には気の早い女医さんが診療を始めてしまう、大変士気の高い医院なので、14時20分には到着。
あれ、開いてないよ?
ちゃんと診察券見直して、休診日と診療時間は確認したんだよ。

中が暗くなってるガラスドアの貼り紙を見ると、
「就学検診のため、11月26日午後の診療は15時からになります」!!!

やっぱり、やっぱり、間違いなく行動するためには、何をするにつけ事前に関係各所に電話して(HPだって逐次書いてるとは限らない)確認しておくべきだったんだ〜と心の中で叫ぶ。
しかし、植え込みの縁とかにちょっと座って本読んでるのは待つのは得意技だから、あまり苦にはならない。
この歳だと少し恥ずかしがるべきかもだが。
大学生の時、母の知り合いの家で娘さんの勉強をみるよう言われ、行ってみたら連絡の行き違いで小一時間待ったから、かんかん照りの下、家の前の石段に腰掛けて本読んでて、全然恥ずかしくなかったぞ。
なんで「恥ずかしいじゃないの!」ってあとから私が母に叱られたんだろう?
誰に、誰が、恥ずかしいのか?いまだにわからん。

話は戻って、同じように時間を間違えた、いや正確な診療時間を求める人が続々と来る。
「あらー」と言って回れ右して帰る人、「先生、ご用なんだって。また来ようね」と自転車の後ろに乗せた子供をなだめながら引き返すお母さん、人それぞれで面白いんだが、一番興味深かったのは、電気の消えているガラスドアをガンガンガンっと揺さぶって、貼り紙を一瞥し、憤然と立ち去った「おじさんみたいなおばさん」だった。

その次に来た人は、腰掛けてる私と貼り紙をもの問いたげに交互に見たので、
「就学検診で、開くのがいつもより遅いようですよ」と答えたら、
「あらまあ、どうしようかしら」と迷う。
「きっともうじき開きますよ」って言ってるうちに、3人組の看護師さんたちが自転車でわらわらとやってきた。
「すみません〜」と言いつつ3人で話し合っているのは、先生は今どこの小学校にいるのか、鍵は開けちゃっていいのか、の2点であった。
もしも私に権限があるのなら、「お開けなさい」と言うんだがなぁ。

どうやら権限ある女医さんとケータイで連絡が取れて「いい」と言われたらしく、たちまち扉は開けてもらえ、おまけに当の先生もすぐに駆け込んできた。近くの学校にいたのだろうか。

いつもの視力検査と眼圧検査。眼圧が上がっている。
しかしここに至るまでに10種類ぐらいの目薬を試してやっとなんとか効く組み合わせに行き着いた先生は、うーんと腕組みし、天を仰いだ。
「防腐剤入りじゃないやつで、下がるのがあったのよね。でも、それだとまた、黒目が荒れちゃうのよね」
いやもうそれぐらいかまいませんから、と言いかけたら、先生決然と腕組みを解いて腰に当てた。

「寒い時はね、血圧も眼圧も上がり気味になるものなのよ。だから、様子を見ましょう!」
わーい、この先生にクシャナさんをやらせてみたい!(「腐ってやがる…」)

前回視野検査を受けたのは5月のことだ、半年に1回はやりたい、と言われた。
「もうそんなに!早いものですねー」
「ホントよねー」と縁側のおばちゃんみたいな会話を交わし、年明けの検査の予約をして帰った。
なんだかわりといい日だったじゃん、とちょっと足取り軽く帰ったら、エレベータはまだ点検中だった…orz
居住階まで階段上がるの、何年ぶりだろう。休憩しながらでも何とか上がれてよかった。
何があってもタワマンには住まんぞ。

19年11月27日

オプショナルツアーを申し込むならどうぞ、と旅行社から案内が来ていた。
グァムでは太平洋戦争博物館、海中展望塔、「愛と誠」で有名になった「恋人岬」などに行きたい。
ただ、途中まで無料のシャトルバスも出ているようだし、ツアーに参加しなくても自分たちでいける気がする。
イタリアに行った時にツアーにはある程度こりごりしてるんだ。
あんまり行きたいところに行けないし、車窓観光ではつまらない。

サイパンの方は見るところも多く、ツアーは午前と午後に2時間ずつぐらいなので、両方申し込むことにした。
やはり、行っておかねばと思うのだ。
陽の高くなる前、午前中のうちにバンザイクリフや日本軍司令部跡ラストコマンドポストなどを見ていったん船に帰り軽く食事をし、午後のツアーは小さな潜水艦に乗って海底に沈んだ第二次大戦中の沈没船やアメリカ軍戦闘機などを見る、うん、綺麗にはまった!

と申込書を送ったら、電話がかかってきてしまった。
午前と午後のツアー両方は申し込めないそうだ。
現地の交通の運行により、時間通りに帰ってきて昼食を食べて午後のツアーの集合時間に間に合って出発できるとは限らないので、組み合わせ不可。
パンフレットにちゃんと書いてあるの見落としてたぁ!書類の読めない人になってしまったぁ!

ツアーデスクの人に謝り謝り、せいうちくんにも謝り謝り、さてどっちにする?と聞くと、
「そりゃバンザイクリフ行くしかない。あそこは絶対手を合わせに行きたい。潜水艦はあきらめるよ」とせいうちくん。
真ん中の部分は同意するんだが、しかしだね、果たしてそれしかないのだろうか。
「サブマリンによる海底探検」の方が個人での申し込みが難しく、一方、バンザイクリフは公園のようなものなので、自分でタクシーを頼んで行くなりいろいろやり方がありそう。
ちょっと調べてみたところ、サブマリンの会社に前もって自分で予約を入れるのはなかなかハードル高そうで、船のコンシェルジュにバンザイクリフ行きのタクシー頼む方が簡単な気がするよ。

なので、サブマリンツアーに申し込んでおいた。
きっとこういうのは集団で頼んだ方が気楽。
潜水艦会社のHPには「予約するとホテルに迎えに来る」って書いてあったから、主たる顧客はホテルに泊まるツアー客で、個人の飛び込みは難しそうだ。少なくともこっちは腰が引けてる。
そりゃあせいうちくんはバチカン美術館に2日間続けてネット予約を入れたツワモノだが、現場では2人とも予約券の使い方がわからなくて大いにおたおたした過去があるんだよ。
世界に冠たるバチカンよりも、サイパンの潜水艦事業は手強そうだ。

19年11月28日

どうして髪は伸びるのか。
たとえウィッグがポピュラーになって原則全員禿頭が流行ったとしても、やはり伸びるものは伸びるだろう。
あきらめて美容院に行く。
新年を船上で迎えるところから逆算するとクリスマスに行かねばならず(「イブを過ぎた25日は実はすいてるんです!」と美容師さん)、その前にあまりもったいなくないようコスパを考えて切るなら、今しかない。

3日前に予約を入れたのはいいが、昨日の晩から疲れて頭が重く、「出かけたくないよぅ」。
せいうちくんがあきれていた。
「美容院ぐらい、元気がない時は行かなくたっていいじゃない。当日ならともかく、今夜のうちにキャンセルしておけば」
なぜだろう、決まっていることはこなさなければならないと思うんだ。
ああ、学生時代にこういう性格で、寮のお掃除当番とかをサボっていなかったら、同窓会に行ってももっと普通の顔ができただろうに…いつこんなになったんだ、自分。

というわけで足取り重く美容院に行った。
美意識の高い担当さんは、思いっきり寝癖ではねてる横髪を見て、いわゆる「靴底にへばりついた嚙んだあとのガムを見るような顔」になってた。
「12月25日にはめんどくさいので段カットで軽くしたいんですが、ひと月後にそうなると思うと、それまではちょっとだけボブっぽくして楽しもうかと」
ああ、私にしては建設的というか、ムツカシイ注文をしてしまった。美容師さんにとってムツカシイんじゃない、自分にムツカシイんだ。

いつもいつもあまりに話が弾まないので、今日は思いきって聞いてみた。
「Kさんは、あんまりお客さんとお話ししないタイプですか?」
「いや、そんなことないですよ」
「そうですか」
沈黙。長い沈黙。そうじゃないだろう。
雑誌も読んでないんだぞ。

「私、何か話してもらいたい方なんで、お願いします」
「そうですねー…こないだ、すごく大きなアジ4匹とイナダを2匹、買いましたよ。1050円でした」
それは、ものすごくいい情報。26歳ひとり暮らし(カノジョはいるらしい)の男性から聞くとは思わない類いではあるが。
残念ながら駅前の魚屋とかではない、もっと遠くの市場なんだって。もしここなら帰りに買って帰るんだけどなぁ。

「アジは、刺身で食べました。イナダも刺身で食べようと思って寝かせてます」って言うんで、
「うちはこないだアジフライにしましたよ。さばいてくれる魚屋さん自体が、『アニサキス問題があるので、刺身用にさばくことはできません。三枚に下ろしたものを、フライにしていただくならいいんですが、刺身にするとわかっていてお売りすることはできないんです』とか面倒くさかったんで、もうフライで」と話したら、アニサキスは一部でも切れば大丈夫、丸ごと生きたままが人体に入ると悪さをするのであり、たたきにするか刺身でもよく包丁を入れていれば大丈夫なのだそうだ。
すごくためになったんだが、その後また話は弾まなくなってしまった。
もしかしたら私は自分の話をしすぎるので、嫌われているのかもしれない。

髪型は可愛くなったが少し落ち込んで家に帰り、
「その髪型もいいねー。どうしたの?元気ないの?」と聞いてくれるせいうちくんに担当さんと気が合わない愚痴をこぼす。

せ「もう、担当さんを替えちゃいなよ」
私「お店を変えるならともかく、同じ店の中ではやりにくいよ」
せ「そんなの気にすることないよ、日常茶飯事だよ」
私「そうかなぁ…他の人は、シャンプーやブローをする時に、けっこういろいろ話してくれるんだよね。担当さんも、他のお客さんとは話が弾んでるんだよ」
せ「交代交代。はい、もう次は担当替え」
私「でも、次にやってもらいたい髪型ももう説明しちゃったから、黙ってても切ってくれると思うよ」
せ「じゃあ、年が代わったら交代ね!」

担当さんよ、こんなところで君の来年の仕事運が語られているぞ。
まあ、バクハツした寝癖の頭で現れる女性を見るより、気が休まるかもしれんが。
コドモの頃から結婚するまでずっと同じ美容院で切ってもらっていた友人が長い髪をボブにした時、美容師さんは先代である自分の親に、
「オレ、○○さんのお嬢さんの髪を、切るから!」と正座して宣言し、許可をもらったそうなのである。
このような美しい風習・文化を持ってみたかった。
せいうちくんですらもう15年ほども同じ床屋さんにかかっているというのに!

もっとも、こっちが担当さんを替えたくなくても、美容師さんってのはよく店を変わる。
先々代のかかりつけの美容師さんは、3軒ぐらい店を変わるのについて行っていたら、ある日せいうちくんと車で走っていて、
「あ、ここ、私のいつも来る美容院」と言ったところ、「こんなイスカンダルまで来てるのか!」と驚かれた。
確かに、いつの間にか自転車で40分かかるところまで行ってしまっていたなぁ。
糸井重里「萬流コピー塾」のお題が「四畳半」だった時の、「マンションを転々とする女の尻を、四畳半を転々として追いかける」を思い出した。

それで目が覚めて駅近くの美容院に行くようになったらそこの担当さんは産休から育休に入ってしまい、保育園が見つからないので実家から戻ってこられない、ってとこで美容院お試しサイトの半額キャンペーンを経て今のところで今の担当さんひと筋。
昔みたいにせいうちくんにバリカンで切ってもらおうかしらん。
そんな「美容院ジプシー」の苦労話でした。

19年11月29日

NYから帰ったばかりの息子が会いに来てくれた。
玄関に現れるなり、「Hey, C'mon!」で「Why don't you HUG?」な顔になって、両親を代わる代わる熱烈にハグしてくれた。よっ、アメリカ帰り!
ごはんはリクエストどおりのチャーハン作って、ナスが余ってるから麻婆ナスもつけるよ。
大好きなカブの味噌汁で、はい、実家の味だ。

脚本家の宮藤官九郎がいいこと書いていた。

「実家が大好き。しょっちゅう帰ってる。でも、5分で飽きる。思ってたとおりの食べ物が出て、思ってたとおりの会話になって。自分の家に帰りたくなって、帰っちゃう。でも、またすぐ行きたくなる」

息子にとっても実家ってこんなものなのかな。
それでも今日は頑張ったのか、3時間半ほどもいてくれたよ。
ごはん食べてお茶飲んでアイス食べて、NYの話して、コントやクラウン(道化)の勉強が刺激的だった話、モンゴル人の夫婦とロシア人の夫婦とシェアハウスに住んだ話(モンゴル人の夫から、「君はモンゴル人に似てるねぇ。午前と午後の感覚しかない」と言われたそうな)、深夜の地下鉄はちょっと怖いって話、「帰ってきて電車の中で見る日本の人は顔がどんよりしてるねぇ」、やっぱり人に敬意を持つことが一番大事だと思う話、「父さんと母さんの関係がとても良いのは、2人を見てるとわかるよ」、NYの野菜や果物は大きくて驚くし想像してるのと味が違ってやはり驚く話、いろいろいろいろ。

ずいぶんな大冒険だったね。
私は、「AI」のラストでオスメント少年がいろんな絵を描いて冒険の話をしてくれるんだけどよくわかってなくて全部夢だと思ってるお母さんのような気持ちで、うんうんと、でもうるさく口を挟みながら聞いていた。
遠くで神様の持ってるカメラがずーっと引いていって、うちのマンションの窓が小さく映っている気がした。

くじ引きで当てたインスタントラーメンとせいうちくんのお古の上着をもらってまたぎゅうぎゅうハグをして帰って行った息子を見送ったら、涙が止まらなくなった。
布団にもぐって泣いて、枕に直径15センチぐらいの涙のしみができた。
2年前に息子が家を出た時、やはり布団の中で泣いていたせいうちくんをかなりバカにしてたんだが、今はその彼から、
「いいよ、泣きなさい。空の巣症候群なんだよ。いつもは平気で暮らしてるようでも、たまに来て帰ると、『ここにいたのになぁ』って気持ちになるんだよね。よーくわかるよ」と慰められている。

次に会うのは来年になるだろうな。
「片喰と黄金」第1巻を貸してあげて、
「ゴールドラッシュの話だよ。正直、金鉱を掘り当てたくて旅に出る人の気持ちはわかんないなぁ」と言ったら、
「まさにオレがそれじゃん。コントという黄金を掘り当てに、金鉱をめざすんだよ!」と熱っぽく言われた。
このマンガ読んだらわかるが、金でひと山当てに行くのは2種類いて、
① 夢のある(幸福な)人
② ここでは喰えない(不幸な)人
のどっちかなんだ。
どうか前者であってくれ。

19年11月30日

いつも以上に病院にまつわるあれこれ。
何しろせいうちくんという患者が1人増えてる。
最近ちょっとアトピーがひどいので、ひきずるようにして皮膚科に連れて行くんだ。

その前、朝のうちに私のインフルエンザ予防接種の手を打たねば。
せいうちくんは例年のようにもう会社で済ませている。
私は日頃家にこもってるから、せいうちくんが持ち込む心配さえなければ、と接種はしないでいたんだが、今年は何しろ年越しクルーズがかかっている。
その時にインフルやらノロやらにかかってしまったら泣いても泣ききれないので、人事は尽くそう、と。

簡単なのは次の週末に心臓のクリニックで定期検診がある時についでに打ってもらう手。
しかし、電話で聞いたら「ワクチンの余分がなくて、もう予約は受けつけてない」との答え。
うーん、老人患者が多いクリニックだからか。
それとも今年はもう、出遅れの手遅れなのか。

近所の腕のいいホームドクター的な病院に電話してみようとしていて、はたと思いついた。
余分があるとしても、この病院は予約も取らず、ひどく混む。(いい病院だからなんだけどね)
かつてかかったことのある「箸にも棒にもかからない、いつもとってもすいてる内科医院」がすぐ近くにあるじゃないか。
そこに電話してみたら、接種OKだそうである。
予約は取らないけど、ふらりと行って楽勝なのは経験済み。

すっかり嬉しくなったところで、せいうちくんの皮膚科。
私も手術痕のケロイド治療でもう2年半もお世話になっている女医さんがなんだか可愛くて、2人してファンだもんで、夫婦共通の憩いの場。
私のケロイドが腫れ上がっていてもせいうちくんのアトピーが粉を吹いていても、
「んー、たいしたことないわね!」と言い切る強気さが好きな我々は、やはり潜在的に、M?

予約制なのに待合室が一杯になるほど流行りのクリニックで、なんとか並んで座れる席を探して本を読んで待つ。
せいうちくんが診療室に呼ばれたら、当然のような顔をして私も入る。
まあアトピーの子供を連れた親御さんは大勢来るので、そういう感じで。

そもそも、頭がカサブタ気味なのに「僕は牛乳石けんひとつで行く」ってどういう主義なんだ。
身体と頭は作りが違うんだから別のもので洗えとか、石けんは確かに皮膚に悪いものは入っていないかもしれないが保湿成分や潤い成分もあんまり入ってないぞとか、そういう科学的(?)な意見を聞こうとしない。
背広の肩にフケが落ちた上司なんか誰も見たくないからね!となんとか皮膚科に相談に連れてきた、最後のひと押しのセリフ。

「シャンプー使えって妻が言っても言っても『私はこれがいい』って、生涯、水だけで頭を洗っているお父さんを、あなたはどう思っていたのか」

もちろんせいうちくんも長年「頑固だよねー」とあきれていたわけで、自分がそのお父さんと同じ精神状態に陥っていたのか、と気づいてショックで呆然としてる間に、さっさと予約取らせて、今日に至りましたよ。

美容的な相談にも乗る皮膚科の女医さんの手は白くふくふくとしてとてもきれい。
その手がキーボードを踊り、せいうちくんのデータを呼び出すのにうっとり。
「うーん、石けんも悪いわけじゃないけど、疥癬用のシャンプー、使ってみる?どれどれ、カサブタはどんな具合?」と、うつむいた後頭部を女医さんの指がさわさわとかきわけて地肌を診てくれたので、たぶんせいうちくんもうっとり。

少し使い方のややこしい薬用のシャンプー出してもらって、他にも普通のシャンプーだけど敏感肌用らしいサンプルもらって、飲み薬と頭の地肌につけるリキッド薬と特に傷んでる指につける軟膏もらって、解放された。
待合室で、
「いやーよかったねー、先生に、頭さわさわしてもらっちゃったねー」
「うん、言われるまで意識しなかったけど、気持ちよかったよ」と言うせいうちくんは頭を撫でてもらうのが大好きなのに、私はあんまりしてあげなくて月に1度ぐらいものすごいごほうびみたいに降ってくるだけなのを、けなげな犬みたいに待ってるからなぁ。

処方箋もらって薬局で出してもらった薬用シャンプーは、薬と同じく本人負担分だけなので、やや安く感じる。
サンプルでもらった敏感肌用シャンプーは、全額自分負担で買ううえ、そもそもお高い。
効くようならせいうちくん、せっせと病院に通ってシャンプー出してもらえ!

並びの内科医院に行って、私のインフルエンザ予防接種を打つ。
予想していたとおりのがら空きなんだが、なぜだろう、1人しかいない待合室に私たちが入って診察券を出したとたん、ぞろぞろと続けて何人も患者さんがやってきた。
問診票を書いて診察室に呼ばれ、さらに奥の部屋に誘導されて看護師さんにあっけにとられるほど簡単に注射を打たれ、別の出口から出てきたら、待つ患者さんは10人以上にふくらんでた!

「なんだったんだ、わからん」
「あいかわらずキミが運がいいってことじゃない?」と話しながら家に帰った。
午後、せいうちくんは塾のボランティアで、今日は世界史を教えると張り切っている。
「ベルばら」をフランス革命の説明ページに使うのやめたら?
昔、夏期講習のテキストに使って生徒さんの誰も理解せずきょとんとされたんじゃん。
せめて坂本眞一の「イノサン」で頼むよ。イマドキは。

その続編「イノサンRouge」も次巻ぐらいで終わりだなぁと読みふけっていたら、電話が。
最近では鳴るのも珍しい家電。(「いえでん」と「かでん」って、どう読み分けてんの?)
心臓のクリニックからだった。
「ワクチンに、キャンセルが出たんです。1本だけ余ってますから、今すぐ来ていただければ打てますよ!」と看護師さん。
「すみません!さっき、別の病院で打っちゃいました!」
「いえ、それならいいんです」
「わざわざご連絡、どうもありがとうございました!」で終わったが、そうか、10年近く毎月通って常連化してるせいか、こういう連絡ももらえるのか。
なんだかとってもありがたい。
この世に居場所がある、って感じがする。

夜は、初めて使う薬用シャンプーでせいうちくんの頭を洗ってあげる。
なにしろ、
「手のひらに取った薬液を乾燥した状態の地肌に指先でまんべんなくつけて、15分待つ」
「軽く水かお湯をかけて、爪を立てないよう指先で地肌をこすって泡立てる」
「その後、普通のシャンプー以上に目に入らないよう洗い流す」などと面倒くさいのだ。

「待ち」の15分は湯船に入っていてよいものか、身体を洗う順番とはどう組み合わせるか、など、普段の入浴手順をいったん完全に組み直す大作業になった。
超お得なのは、今まで私の髪を洗うことはあってもほぼほぼ逆は起こらなかったところに「洗ってもらう立場」が降ってわいたせいうちくん。
色白ツンデレな女医さんに頭さわさわしてもらえたうえ大好きな奥さんに頭洗ってもらえて、今日はいい日だったね!

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