19年12月1日

せいうちくんのまんがくらぶ同期で、アフリカの太鼓をやっている整体師がいる。
出張施術もしているそうなので、2度ほどお願いしたことがあり、2人ともくたびれている今般、またお願いすることにした。
本来は実費支払いの交通費を、近くだからと車でお迎えに行って解決。
折りたたみの施術ベッドを積んでこられて、ちょうどいい。

まずはお昼ごはんを一緒に、とカオマンガイを食べながら四方山話を楽しむ。
共通の知人の話もさることながら、今でもマンガの話が盛り上がるねぇ。
吉田秋生が好きな人なので、今フラワーズ時々連載中の「詩歌川(うたがわ)百景」を猛烈にオススメしておく。
「『海街diary』もまだ読んでないんだけど、『河よりも長くゆるやかに』に似ているなら読みたいねぇ、両方とも」という通なご意見だ。
私の感覚では、似ている。ぜひ読んで。

男2人でソファを少し移動させてもらい、施術ベッドを組み立て、準備完了。
まずは私。いちおう重傷な方なんで。
「堅いですねー」とはいつも言われる。
姿勢が悪いとかではなく、緊張が激しいらしい。
それはもう、歯医者に行っても接骨院に行っても言われますわ。

骨盤のゆがみや脊椎の側弯などを丁寧に伸ばしてくれる。
すんごく気持ちいいが、これで寝てしまうタイプではない。
むしろ「今、私の身体はどんな反応してる?」と気になってしょうがない。

そう言えば、施術中に「うん」とか軽くうなずくから、
「なになに、今なんか、思った通りの反応とかいいことあったの?!」と勢い込んで聞いたら、
「うーん、まあ、こうしたらどうなるかなーってやってみたことに、予想通りの反応があったから言ったね。やっぱり気になる?」
「うん。すごく気になる」
「整体の学校で、そういう声はあんまり出しちゃいけないって教わったんだよね。『あれ?』とか言われたら、そりゃ気になるよね」
そりゃなるね。施術中のリアルタイム実況は控えてもらった方がいいのかも。

施術のあと、
「立って歩いてみて。変わった感じはする?」と聞かれ、
「あのね、やっぱり、ある種の患者さんってのは、良い患者たらんとしてしまうのね。先生の考えた通りの反応が出てるだろうか、思った通りの施術を私の身体は実現できてるかどうか、なんてそっちの方が気になって、純粋に自分の身体のことなんか感じられない」と身もフタもないことを言ってしまった。

せいうちくんが、あきれたような口調で、
「自分が良くなるための意見を言うのはわかるけど、先生の期待通りにならなきゃなんて法はないんだよ。『はいっ、ものすごく楽になりました!』なんて答えを期待されてるわけじゃないのに、そう言えないことにまた罪悪感を感じてるんでしょ」と見事に看破してくれた。
そのとおりでございます。
そして、楽になったかどうかは全然わからない。

整体師Tくんはおだやかに、
「このあともいろいろ反応が起こってきて変わると思うから、自然にしてて」と言い、3人でお茶を飲んで小休止、そのあとはせいうちくんがベッドに上る。

食卓でマンガ読んでた私と施術者と患者で三角形に雑談をしながらであったが、次第にTくんと私だけがしゃべるようになり、やがてTくんが「しーっ」という感じで施術を終えた時は、せいうちくん、ぐっすり眠り込んでいた。
「あと5分、寝かせておこう」との身振りをしながら食卓に座り、起こさないよう小さな声で、
「前に比べて、頭が疲れているねぇ」と言う。
「仕事のストレスがかなりあるみたい。早く引退して、2人でのんびり暮らしたいよー。でも、私は年上でずっと家にいるからそう思うけど、まだ50半ばだもんねー」と話していたら5分経った。

Tくんが「はい、お疲れ様」と声をかけて体にかけていたタオルを取ると、せいうちくんは驚いて目を醒まし、
「ああ、寝ちゃったのか…すごくいい気持だった…とろけてた…」とふにゃふにゃになってた。
この人は、本当にマッサージとか良く効く身体だよ。
身体にも心にも、無理が少ないんだろうな。

私が思いのほか長くやってもらっちゃったもんで、食事やお茶も入れて、5時間以上が経過していた。
驚いて、全員着替えて元の服装に戻り(途中は「楽な恰好」だった)、再び送って行く。
前回紹介した宮部みゆきの「ぼんくら」が面白かったと言ってくれたので、続編の「日暮らし」「おまえさん」も薦めておく。
さらに、やはり同期であるNくんが脚本を書いたドラマが明日から4日間放映されるそうなので、リマインドしておいた。
(これについては、断捨離の一環でテレビを処分してしまったので、見られないのだそうだ)

妻と猫とアフリカの太鼓を愛する彼に、また身体のケアをお願いしたい。
そうでなくてもくらぶの人と飲み会とかしようね、と言って別れた。
ほぼ1日仕事で申し訳ないが、旧友と楽しく過ごす時間でもあった。またよろしく。

19年12月2日

一昨日のインフルエンザの予防接種跡が、腫れてきた。
右腕の上腕が、直径8センチぐらい赤くなって熱を持っている。
初めてのことだ。

まあ、昨日発見した時は驚いたけど、だんだん治まってきてる気もするので、様子を見よう。
せいうちくん曰く、私はもう10年以上もインフルエンザにかかっておらず、予防接種もしていないため、

「腕がインフルの弱毒のウィルスを打たれてびっくりしている。つまり、腕だけが軽くインフルにかかって発熱している状態」

なのだそうだ。
医学的にそんなことがあるのかどうか、知らない。
だとしたら、タミフルの粉末を塗ったりすべきなんだろうか。
慎重に経過を見たい。

19年12月3日

今日はせいうちくんの誕生日。
56歳になっても若々しく(白髪は増えた)、明るく(頑固になってきた)、妻を大事にする良い夫(なんか家庭内エロオヤジ化してきた)である。
また1年、私の杖とも傘ともなって支えていただきたい。
あなたがいないといろんな意味で生活は闇だ。

そんなラブリーダーリンと、ケンカをした。
しかも誕生日の夜に、である。
接待なんかで遅く帰ってきたからいけないんだろうか。
いいや、帰る直前まで私はすこぶる機嫌よく、帰るコールにも「お風呂沸いてるよ~」とか能天気なこと言ってた。
風向きが変わったのは、「ただいま~」と帰ってきてからだ。

元上司からFBでお祝いメッセージをもらったのを見たら、「今度のランチが楽しみです」と書いてあるのに対し、「これからもよろしくお願いします!」とまるでたくさん来るメッセージをテンプレで投げ返してるかのよう。
ここはちゃんと、「ありがとうございます。こちらも楽しみにしております」だろうに。
「ホントにKY。人との言葉のキャッチボールができてない」と言ったら、
「そうかぁ、失礼だったか…おかしいよね…」と反省したと思ったら、次の瞬間、関係ない別の書類仕事を始めた。

私だったらここで、「すぐもう1回メッセージ書こう!」となるか、「今度会った時に謝っておくよ」と言うか。
そのどちらの解決にも至らず、ほかのことを始めるのか!
まあ、それも彼の問題だし、と放置してたら、10分ほどで作業が終わったようなので、「終わった?」と聞くと、
「いや、まだ1通メールを書かないと」って返事。

私はね、ここで、読んでた本をいったん棚に戻したんだが、作業が続くらしいのでもう一遍その本を取り上げて読み始めたんだよ。
なのに、隣の部屋に行ったせいうちくんはなかなか戻ってこない。
本を置いて見に行ってみると、服脱いでる。
私「なにしてんの?」
せ「いや、お風呂入ろうと」
私「メール書くんじゃなかったの?!」
せ「それは、お風呂の後にしようと」
私「どう考えてもメール書くから待ってて、って意味に聞こえた。そもそも、お風呂入るんなら呼んでくれたらいいじゃん!」
せ「脱いだら呼ぼうと思った」
私「ほう、ではあなたはいつもパンイチで私の風呂の支度を待っていると。『お風呂入ろうか~』って一緒に支度をし始めるのがデフォルトじゃないの。今のは、間違った行動を指摘されてしらばっくれてごまかしてる!」

とまあ、3つの原因で大ゲンカですよ。
いいですか、皆さん、ここで整理しますよ。

① 元上司にKYであり、しかも「そうだったね」で思考停止。
② まだ作業があるように言っていながらの、自分本位な気持ちの変化「そうだ 風呂行こう」
③ 入るなら私も呼んでよ。「脱いだら呼ぼうと思った」って、一緒に入る気はあるんでしょ?なんで一人だけで脱いでるの?

こういう3つの、
「空気読めない」
「目先の衝動に動かされる」
「普段の行動が思い出せない」

これが、せいうちくんが壁に「ADHD  落ち着いて」と自筆大書して貼っている理由。
おととい来たTくんも張り紙の説明聞いて驚いてたなぁ。
「せいうちって冷静沈着ってイメージだけどなぁ」って、ほぼほぼその銀縁眼鏡だけで、いったいどれほどの人をだましてきたのか。

お互いストレスがたまっていたのも悪くて、ケンカはこじれにこじれた。
それでも2時間ほどで何とか収束し、誕生日を辛くも5分残して仲直りした時に私は、
「よかったね!今回は、息子の手を借りずに何とかしたよ!」と喜んだ。
だってこれまで、私ともめるたびにせいうちくんたら息子に「母さんをなだめてくれ」とか「慰めてあげてくれ」とか「手紙を書いてあげてくれ」とか仲裁を頼んでて、息子を使うのもいい加減にしろと思うよ。
やっと夫婦として成長したか、との感慨は甘かった、と知るのは翌日のことになる。

19年12月4日

夜、PCに向かっていたら、息子からメッセージが入った。
「おっす!元気かい?僕はコメディーのことばかり考えてるよ」

これ、宛先間違えてない?なんかの勧誘してんの?
そもそも家族グループじゃなくて直に私に来るの、珍しい。
そんな疑問をいっぺんにぶつけられて、彼はとっても明るく口を割った。
「なんかお父さんからまた怒らせちゃったって連絡きたから」
またケンカの仲裁頼まれちゃったのか!すまん、息子!

「昨日は怒髪天を突いたけど、もうおさまってる」とは返したが、向こうもミッションをそれなりにやり遂げようとの熱意か、
「差し支えなければどんなことで怒ったのかお聞きしたい」。
すでにまとめたように懇切丁寧に説明をしたら、
① 上司編では「ははは、よくないねぇ」
② 中途で消えたメールの返事は、「夢中になっちゃうとね、どうもそこらへんが」
③ 勝手に風呂に入ろうとするでは「かわいいねぇ」

「以上が流れるように起こったので、『人とコミュニケーションが取れない』点について、いつものお説教。父さんがうろたえて『とにかく機嫌さえ取れれば』モードに入るのを見て、さらに怒髪、って流れですよ(ああ、いつも通り過ぎて、書いててイヤになる)」とまとめたら、
「なるほど。描写が丁寧で理解がし易かった。ありがとう」

そこから延々息子とMessengerでやり取りして、せいうちくんはいい人なんだけど、目の前が見えない時は見えない、自分が何を考えてるのかが自分自身判ってない、といった欠点を上げて行ったら、息子は、「オレもそうだからな」と身につまされていたようだ。
「なるほど、ごめんね」で済ませてしまうことが結構ある方なんだって。

コメディアンな息子の処方箋は、
「お父さんは『何で怒られてるかわからない』タイプなんだね。コメディーをやればいいと思う」
コメディーは、自分の理解と他人の理解を同時に行いながら練習するからなんだって。

「えー、でも、自分のどこが可笑しいかわからない(客観的に見られない)人には無理でしょうに」と聞いたら、
「僕も最初はそうだったのよ。なんでもトレーニングだね」と頼もしかった。

私としては、せいうちくんにもっと自由になってほしい。
自分の感情を言語化して外に出し、要求してほしい。
もし言語化できないタイプなら、それはそれで「そういうのは苦手」って内にこもってくれてもいい。ネクラも好きだ。
今のままでは中途半端。

彼の実家は、「その場ごまかせれば追及されない」ことが多かったようだ。
だからその場限りの嘘もつく。真実を求める気持ちが薄い。
私の実家では「何を考えてるのか」「どうしてそんなことをしたのか」を厳しく追及された。
それはそれで、母の気に入る答えが出るまでやらされるので、良くはないんだが、自己洞察のトレーニングにはなった。

そう聞いて、息子は、
「なるほど。その折衷で育ってよかった、僕自身は」とコメントしていた。確かに。

「『自分の考え』に敏感すぎる母さんと、まったく無頓着な父さんとの、果てしないもめごとだよ」と結んでおいたが、彼は、
「拙くてもいいから、自分の言葉でも(お母さんに)謝罪してみることをお父さんには勧めてみるよ」と前向きに事態にかかわってくれる気があるようだ。

あまりにせいうちくんの株が落ちたと感じたので、言い添えておいた。
「もめても、母さんから逃げない父さんを、とてもありがたく大切に思っているのは確かだよ。得難いパートナーだと思っている。あなたという助けも得て、ますますありがたい」
意外な答えが返ってきた。
「こちらこそ、僕から逃げずにまっすぐに育て切ってくれて、ありがとう」
自慢じゃないけど、私は人間関係から絶対逃げないんだ。例外は実家だけ。
それにしても、ふえーん、自分の息子からこんなこと言われたら、泣くしかないよぅ。

息子のアドバイスをもらったせいうちくんが何を言ってくるか、まずは明日を楽しみにしよう。

19年12月5日

相変わらずの息子身の上相談、ついにせいうちくんは電話相談室にまで手を出してしまった。
息子といろいろ話してるうちに、どうして自分がこんなに人の気持ちがわからないかの分析を始めたらしい。
彼との電話で明らかになってきたのは以下のような点。

【問題】
① 一緒にいる人が怒ると、パニックしてしまい、なぜ関係がこじれたとか、どうしてあげたら相手が本当に嬉しいか、を考えるより、ただただおろおろしてしまう。
② 自分のペースだけで事を運ぶいわゆるKYな部分は、「説明しなくても自分の心の中はすべて覗かれていて、相手に伝わっている」ように錯覚しているからではないか。

【傾向と対策】
1.①の理由は、人の心を考えようとしない人に怒鳴られ続けたせいだと思う。
2.②は「あなたは〇〇だから」と決めつけられて、何を言っても聞いてもらえなかったせいだと思う。
3.だから、母さんのように話せばなんでも人の何倍も真剣に聞いてくれる人にも、この2つのような態度を取ってしまうのだと思う。
4.特に男の子はきちんと反抗期を通過しないと、成人の心を得ることはできないのかも。
5.とはいえ、既に56歳の大人としては、自分の理性でこれを乗り越えていかなくてはならない。

【総括】
母さんが今どこにいて、何を感じるか、ということを慎重に、心を落ち着けて耳を澄ますような一緒の暮らしを心掛けること、自分がやりたいことを回避せずに説明することをやっていければいいんだと思う。

かなり情けない「自分の親きょうだいとの葛藤」までぶちまけてしまってる父親を、よく受け止めてくれていた。
両親が結婚した時のこと、姉が生まれた時のこともこれまでに聞いていなくもない息子は、あらためて父親の「子供としての育てられ方の苦労」や「今現在も、親と幸福の価値観がまるで違い、しかも向こうはそれにまったく気づいていない」苦しみについて、ずいぶん理解してくれたようだ。

息子「そんなふうだったのか。お母さんがいろいろ気にしてるなとは思ったけど、それじゃ無理もない。でもさ、これまではお父さんとお母さん2人だけで考えてきたことだけどさ、これからはオレも味方して聞いてあげられるから、3人で話そうよ。娘ちゃんも入れて、4人だよ!」
せ「母さんの具合が良くなくて、娘ちゃんを預けざるを得なかったことも、なかなかわかってもらえなくてね」
息子「『じゃかあしい!いつも頭の片隅にいるわい!いや、頭のど真ん中にいるぞ!』だよ。オレはね、一つ、大事なことを決めてるんだ。自分の大切な人のことを悪く言われたと思ったら、それはもう、キレていい。思いっきりキレよう」

しかし、いくら「これが我が家の8050問題」とは言っても、年老いた両親にいきなりキレるわけにもいかない。
息子が提案した折衷案は、言えないなら手紙を書こう、だった。
さらに、その手紙は相手に読ませなくてもいい、とりあえず自分の気持ちを外に出して整理するために書いてみよう、との二段構え。
こいつ、カウンセリングの勉強でもしたのか。
(「コメディアンの修行には、そういうのも含まれるよ」と涼しい顔しそう)

おまけに、「直す」意味での添削はしないが、読んで、せいうちくんの気持ちを聞いたり、外からの視点で「使ってる言葉の意味を質問する」などの手伝いは喜んでしてくれるそうだ。
「もう大丈夫だよ!オレも娘ちゃんもいるからさ!」

私は、家族が、こういうふうに役に立つと思ったことはなかった。
役に立つ、って言葉はよくないかもだが、家族は、自分を監視し、足を引っ張り、行動を掣肘するものだとしか思ってなかった。
stand behindしてくれて、支えてくれて、応援してくれるものだとは思ってなかった。
せいうちくんもきっとそうだろう。
自分の家族を持つ、育てた子供に支持されるって、こんなに幸せなことだったんだ。

「むすこが なかまに くわわった」
「むすめは えがおの じゅもんをとなえた」
このパーティーは最強だぞ!

19年12月6日

明日、泊まりで先輩んちの家飲み忘年会に行く関係上、いつもは土曜日にせいうちくんと一緒に行く心臓の検診に、珍しく平日1人で行った。
(先生にも、「おや、珍しいですね」と言われた)
もちろん私らしく、「八百屋行って、図書館2軒回って、病院のあと薬局を待つ間に駅ビルに明太子買いに行って…」と算段しまくり。
帰ってきたらぐったりくたびれてました。
なぜ、病院なら病院だけにしておけないのか、自分よ。
久しぶりに運転したらなんか怖かった。免許返納も近いのかしら?

秋の人間ドックで心電図に絶賛異常波が見られたので、こちらの病院でも心電図と心エコー撮った。
先生はヤブなので、「ヘンな波が出てる」とは認めるものの、なぜヘンな波が出るのかは「様子を見ましょう」と言う。
別に様子を見るのはかまわない、っつーか、どうせ毎月検査しに来るんだから様子は見っぱなしだ。
少しはわかるように説明されたい。

いつもは上が128ぐらいの血圧が110だったので、「低いですねー、おかしいなー」と言う。
それが夕方の5時ぐらいだったので、
「血圧って、朝の方が低いんですか?」(ほら、低血圧で起きられないとか言うから)と聞くと、
「いえ、朝は高いです」って答え。
「じゃあ、いつもはわりと朝いちばんに来院するからかもしれません。こんなに遅い時間に来るのは珍しいですから」と言ったら、
「ああ!きっとそうです」。
だからさぁ、患者さんに説明させないでよ。
こっちは人体に不案内で、納得できる理屈を探してるんだから。

ああ、ワーファリンの値が高すぎてまた減薬だ。
「最近、食欲があんまりなくて、食事をちゃんととってないんです」
「ああ、それですね!絶食状態だと効き目が強く出るんです。じゃあ、減らさないと」
「でも、年末に10日間ほどクルーズに行くんです。その時は食べまくる予定ですので、ワーファリンそのままでどうでしょう?」
「いや、そうは言っても今の値は高すぎます。減らしましょう」
もう3年近く、この「高いから減らす」「低いから増やす」を繰り返して、いっこうに安定しない。

私はこれを「おさるのおにぎり現象」と呼んでいる。
昔話にあったでしょ、おさるにおにぎり二つに割ってもらったら、「こっちが大きい」と言ってはぱくっ、そしたらもう一方が相対的に大きくなって、またぱくっ、繰り返してる間に全部おさるに食べられちゃうやつ。
食い物がからむと、なんか理不尽感が増すんだ。

薬局で薬を作ってもらってる間に駅前の魚市場に行って「明太子」と「牡蠣」を買った。
明日は持ち寄り物資に「大根と明太子のサラダ」「タラモサラダ」を作って、ひと晩それをつまみに飲んで、帰ったら日曜の晩はカキフライにしよう。
物事がこう、きちきちっと決まって予定が立ってるとシアワセだ。
これはこれである種の異常性格。
しかし日本人には案外多いのかもしれない。
さて、低温調理のローストポークを1.5キロ仕掛けて寝るぞー。

19年12月7日

せいうちくんの大学マンガサークルの長老宅に、去年から呼んでいただけるようになった。
家飲みが好きな彼は、年末は始終忘年会を開催しているようだ。
つまりはリタイアしてヒマになり、口実があればいろんなメンツを招いて宴会をしているんだろうなぁと推測する。
退職したばかりの去年は、やたらにカラオケをセッティングしろと言われて奔走し、年末の声を聞いて忘年会にたどり着く頃には血尿が出て、せいうちくんに心配されたり叱られたりしたのも良い思い出。

まあ今年もやっぱり張り切る。
お泊まりアリの持ち寄り制の家飲みなので、去年の夜中に何もかも食べきってしまっていておなかがすき、長老秘蔵のカップ麺を分けてもらったことを教訓とし、猛然とつまみを作りまくる。
鶏もも4枚分のタンドリーチキン、豚もも肉肩ロース合わせて1.5キロのローストポーク、どんぶり一杯のタラモサラダに大根と明太子のサラダ。
これだけあれば、何かしらは残るだろう。

物資の運搬もあり車で出かける。
用意周到な長老は、来客用駐車場を借りておいてくれた。
13時から始めて、翌昼13時までの半日で千円は安い。
しかし、もし昼過ぎまでいたら、それはそれでどこかしらが破滅している気がする。

13時始まりで、半ばスタッフ扱いの我々が搬入を始めたのが12時半、長老とせいうちくんが会場セッティングをし、私が料理の仕上げをして持ってきた分の盛り付けをする。
お客さんは、時間通りに集まり始めた。
13時過ぎには乾杯が行われ、14時には全員がそろった。
そしてなぜか男性の1人が、
「せいうちがパンツ出すなら、オレも出しますよ!」と言い始め、「やーねー、やめなさいよ」との女性参加者の制止を振り切って、せいうちくん含む3人がパンツ見せたのが15時。
ペースが速い!

もちろん私は止めないんですよ。
ただひたすら、「今日はせいうちくん、キレイなパンツ履いてたっけ?」とばかり気にしていた。
もし優勝を決める大会だったとしたら、言い出した真っ赤なビキニブリーフ男性だろうなぁ。
と言うか、そこに自信があっての発言?

本日の参加者は10人。
(男性)
A:家主で長老。年金もらってるのが自慢の元気な前期高齢者。やもめ。
B:デザイン会社社長。既婚。
C:ゲーム会社勤務だが最近はフリーの仕事も多い。未婚。
D:書店経営会社勤務。既婚。猫飼い。
E:無職だが地主である高等遊民。未婚。
F:プライバシーにうるさい方なので、あまり書かない。
G:製鐵会社勤務。既婚。
(女性)
H:環境関係シンクタンク勤務。未婚。猫飼い。
I:IT企業勤務。既婚。犬飼い。
J:主婦と言う名のプー。

何しろみんな、よく飲んで、よく食う。
ワインの瓶が6本ぐらい空いて、日本酒の一升瓶が1本空いて、4合瓶だの8合瓶だのがさらに空く。

あちこちで個人的な話とかサークル全体の話とかが勃発しては消えてゆき、料理も酒もかなり消費されつくして皆の表情も輪郭がとろけそうになってきて、それでもしゃきしゃきと帰り始めた第一陣は「今日は銀婚式のお祝いなんですよ、勘弁してくださいよ」と言いながらのBくん。
それは止めるわけにもいかんだろう、と言ってる間に、H、Iの女性組も帰り支度。
すでに20時過ぎで、7時間飲んじゃあいるね。長丁場だ。
私は今日、泊まりのつもりでせいうちくんと車に寝袋積んできてるんで居残ったんだが、玄関まで女性陣を見送ったCさんは「きれいどころが帰っちゃうなぁ」と口走ったため、あやうく私に黒歴史を暴露されそうになっていた。口は禍の元である。

Cさんとしてはこのへんで帰るつもりだったようなんだが、学生時代から彼を偏愛するせいうちくんが、腕にぶら下がるようにして、
「Cさん、まさかここで帰るとか言わないでしょうね。今日は、往年を偲びましょうよ」とかなんとか言って、どんどん飲ませていた。
それに勢いを得て、残りメンツでさらに杯を重ねる。

母親と2人暮らしのEくんは、気が向くとレンタカーで車中泊の旅に出てしまったり乗り鉄だからか遠くの鉄道に乗りに行ってしまったりして、なかなかに謎の人。
ネットでの発言も多彩で面白いんだが、最近では、
「Vtuberになろうかと思う。訓練のため、1ヶ月ぐらい前から独り言の練習をしている」というのに非常にウケてしまった。
「でもなぁ、しゃべるのが苦手なんだよ。(知人の女性と私の名を両方出して)ああいう人たちは、なんであんなにのべつまくなししゃべり続けていられるんだ!」

もう1人の女性がどういう構造でしゃべってるのかは知らんが、私はアタマの中にかなり完璧な文章が際限なく浮かんでいるので、いくらでもしゃべりまくる自信はある。完成原稿を朗読してるようなもんだ。
だが、「独り言を言い始めたらなんかマズい」って気持ちが強くて、やらない方が無難だと思う。

すでにネットの海に思考を垂れ流している身でありながら、文章だったらいいと思ってるかのような行動はなぜなのか。
「書くのが好きでしょうがない自分」がいて、「ツール(PC)と環境(ネット)の実現で、かつての世の中からは信じられないほど、発信が容易」で、結果としてとても自由に言葉を外に出せるからと言って、こーゆーのはアリなのか?

今回も、リアル読者の1人に会うことができた。文章書きを生業とするCさんである。読んでたのか!とびっくりした。
この世知辛い世の中をお椀の船にペンの櫂で漕ぎ渡ってゆく人から、
「時々読んでるよ。うさこさんの文章は、面白いよね~流れるような文章で、日頃言葉で表現できないような意味の揺れのようなものを言葉に定着させるのが上手で、本当に文章がうまい」とまで言ってもらえて、いやまったく、これ以上何を望むと言うのだろう。

先ごろ、読者でありLINE友達である年下の友人女性から、たいそう興味深い分析をいただいた。

「せいうちさんはうさこさんの心を落ち着けたいんだろうな〜としみじみ思いました。でも、色々トグロ巻いてるのがうさこさんの魅力だと思いますよ!!」
「大抵の人が気にしなかったり、気になりつつも流して折り合いをつけて忘れてゆく事柄を、執念深く解析して脳内引き出しにキチンと整頓して入れてあるイメージ。たまに取り出してまた解析してはしまいこんで、その都度分類は変わったりするけど、引き出しの分量は変わらず、増えつづけてトグロ巻いてる!」

あんまり秀逸なので前述のCさんにご披露したところ、
「ものすごく言えてる!さすがはうさこさんの友達だ。ほぼ全部、言い切ってる」とのこと。
読む力と表現する力の両方に恵まれた友人がたくさんいて、たいそう幸せだ。
嬉しさに思わず詠んだ句が、

「我と我が とぐろをまいて ウロボロス」 季語がないので川柳どまり。おそまつでした。

こんなことをしている間に先述のEくんは、いつものように爆睡態勢に入った。
なんでも睡眠時間帯が少しずつずれて行って、ここしばらくは0時に起きる身体なんだそうだ。
22時に寝ちゃったんだが、これで0時には起きるのか?
去年は私がマジックインクを渡されて、丸出しのおなかに絵を描いた。
今年は代わりに長老がやってくれて、おまけに写メを撮るなり関係者各位に拡散していた。
明日の朝、Eくんが起きたらまずおなかを見るように言わねば。

泊まりが確定したので、せいうちくんと一緒に車に積んだ寝袋を取りに行こうと思う。
来客用駐車場はわりと遠い。なにしろ巨大マンション群なのだ。
長老が酔眼朦朧と、
「このへんはけっこう紅葉も見事だ。夜遅くて人もいないし、いい散歩道だぞ」と言うので、寝てるEくんんをのぞいたA長老、Cさん、Dくんんと我々夫婦で探索に出かける。

高層マンションが10棟ぐらい建ち並んだ広大な敷地内、駐車場まで行くだけでも10分ばかりかかる。
かなり泥酔していたCさんが途中でしゃがみこんだり、熱心なせいうちくんが、
「図書室があるんですねー!寄っていきましょうよ!」と建物に入り、再び椅子にうずくまったCさんに自販機のポカリスエットを与えたりしながら、なんとか長老の家まで帰り着いた。
確かに月の綺麗な夜で、良い散歩だった。Cさんがどう思ったのかはあんまり定かでない。

戻ると、寝ていたはずのEくんは復活を遂げて手酌でビール缶をぐいぐいやっていた。
「オレもオレも」と長老もビール缶を握り、何をしてきたかほぼ記憶がなさそうなCさんまで、
「日本酒うまいうまいと思って飲んでたけど、正直、飽きるよな。あー、ビールうめー」とにわかなビール党に。
妻子が家で待っているDさんは「そろそろ」と腰を上げ、さて、残ったのはやもめと独身者と夫婦そろったメンツだけになってしまった。
本格的な夜が始まるのか?!
ここらで日を替えよう。

19年12月8日

忘年会の夜は更ける。
とはいえ、いつもの噂話や猥談が飛び交うだけだった。
ここにいない人の話、あけすけなような照れと恥じらいの混じったような懐かしい秘密の暴露をしているうちに、かつて一緒にいた人たちが皆、そばにいてくれるかの如き気分になってきた。
何を言っても笑い転げてしまう明け方の麻雀室で「フリテンをした」「ノーテンだった」「役満に振り込んだ」だけで笑いが止まらなくなってきた時のように、なんだかむやみに笑い続けていた。

やがて1人倒れ2人倒れ(せいうちくんは相当早くからすでに寝袋に入ってミイラのようになって寝ていた)、復活したと思っていたEくんはまた眠ってしまっていて、家主のA長老も続き部屋の折り畳みベッドを開いて本格的に寝始めた。
幸いと言うかなんというか、私は不眠症で特に慣れない場所ではまず眠れないんだが、どんなにわずかなすき間時間でも誰かしらが必ず目を醒ましていたため、話し相手に不自由することはなかった。
6時過ぎに目を醒まし、まったく中断がなかったかのように再びビールを飲み始めたEくんとのしみじみした会話など、長く心に残るかもしれない。

そんなセンチメントを突き放すようなセリフもしびれる。
いや、ベランダに出て右手遠くの富士山を見ているガラス越しの姿が非常に渋い一幅の絵になっていたので、
「カッコいいよ。さすがは一人旅に慣れた男だね」とほめたところ、お返しは、
「あーん?富士をバックに自撮りするってか?あんたはどうあっても『わー富士山だせいうちくーん』ってならんと気がすまんのか!」
この粋でソフトな罵倒に、くらくらきちゃいましたよ。まったく。

7時ごろにせいうちくんを起こしてご期待通りの「ねーほらせいうちくーん、富士山だよー、きれいだねー」をやる。
Cさんものろのろと起きて、なんだかぼーっと座っている。
とっても役に立つ富士山にここでも活躍してもらうことにして、
「ほらほら、いい天気で、富士山がくっきり見えるよ」とうながして外で「おー、こりゃすげーや」とつぶやくのを見てなんとなくほっとする。

軽く家主に声をかけて冷蔵庫のコーヒーを飲んでいいよと言われ、再度の眠りに入った彼はほっといて4人でアイスコーヒーをすする。
かつて、彼らの学寮で幾度となく繰り広げられた光景で、胸をかきむしられるような、せつなくしょーもない妙な居心地の良い空間が発生していた。

軽く掃除をして宴会仕様に動かしてあった家具を元に戻し、まだ寝ている家主に「お世話になりました~」「また来年~」「またカラオケしましょう~」「次はうちで新年会です~」などと声をかけ、CさんEくんは駅へと向かい、我々は洗ったタッパーの山とか寝袋とかを持ち込みの台車に乗せて駐車場へ向かい、家路についた。
細い道をナビ通りにほいほいっと幾度か曲がって大通りに出てさえしまえば、長老んちからうちまではほぼ一直線、30分もかからないんだよなぁ。
せいうちくんとケンカしたからって、家出してころがりこんだりしないようにしようっと。

いつも通りの楽しい忘年会だった。
つくづく、決して不機嫌にならない長老の懐の深さに感じ入ったり、自分が40年前と変わらず、他人との距離をつかみきれずに自爆していることに気づいて激しく自己嫌悪に陥ったり、さまざまなおまけをつけてひと宴会終わった。
せいうちくんのおかげもあって、ここ数年はずいぶんいろんなことがマシになっているとは思うのだが、来年はますます精進しないとなぁ、と硬く心に誓い、夜になってやっと徹夜の後の気持ち悪い眠りに落ちていくのだった。

19年12月10日

思いもよらないところに忘年会が入った。
せいうちくんがボランティアで教えに行ってるとこの塾長が、私までコミでごちそうしてくれたのだ。
息子は小5から高3までお世話になり、私も今年は半年ほど事務のバイトをやらせていただいた、いろいろと足を向けては寝られない方面。

駅前のホテルのバイキングで、たいそう高級感があった。
前菜も温かい料理も種類が豊富、かつ美味しい!
デザートも何種類もあり、私は開始40分後にはもうそっちオンリーになっていた。(糖質制限はどこへ…?)

考えてみれば15年にも及ぶつきあいの塾長で、初めて会った頃、まだ向こうの下の息子さんは産まれてなかったと思うと、人生はあっという間。
お互いの子供の話、仕事の話、せいうちくんの今後に大きく関わる塾の経営の話も含めて、いろいろお話させてもらった。

私も仕事をいただいて、残念ながらやはり体力的に無理があったので、ちょうど会計システムを入れる話が出たのを潮に辞めることになった。
自己都合にならずにすんで、幸いだった。
30年無職で来て、働くことの楽しさも難しさもあらためて経験させていただき、今後の生活の大きな糧になったと思う。

思えば、息子が新卒で入った会社を半年で辞めて「お笑いの道を行きたい。ついてはNYに修行に行きたい」と言い出した時、親は「貯金もしてないのに何考えてんだ!」って気分になったんだが、話を聞いた塾長は、
「それは、行かせるべきですよ。私が援助してもいいです!」と熱烈に押してくれて、結果、NY行きを経て、それで食えてるわけでは全然ないものの、息子の行状・人間性は飛躍的に向上した。
第一志望の高校と大学両方に行けたのも塾のおかげだったし、彼の人生の岐路には、いつも塾長が立っている。

今後、どう恩返しできるかわからないが、塾長が地元の子供たちに常に助力を惜しまないように、我々も若い世代の応援をしていきたいと、塾長の大きな背中を見ていると自然に思える。
たぐいまれな資質を持ったオトナである。

どうぞこれからも、我が家と息子をよろしく導いてください。
ご馳走になってる場合じゃないってのに、せいうちくんたらお誕生祝いのチョコレートまでもらってしまった。
どうもありがとうございました。

19年12月11日

月刊フラワーズ時々連載の吉田秋生「詩歌川(うたがわ)百景」がすごくいい。
自分的には「河よりも長くゆるやかに」(全2巻)の流れを汲むやるせない青春+人生物語。
威張り返ってせいうちくんに薦めたら、
「確かにすごくいいね~!もしかして、『海街diary』(全9巻)からつながってる?」と指摘された。ドびっくり。
ホントにそうだった。

興奮して「海街」読み返すと、これはこれで「ラヴァーズ・キス」(全2巻)からつながってる。
ストーリー的に、じゃなくて背景として。大河ドラマを観ているよう。
「詩歌川」のこれからが楽しみ。

吉田秋生の大三部作、とでも呼ぶべきものをさらにもうひとつ発見してしまった。
「BANANA FISH」(全19巻)→「YASHA 夜叉」(全12巻)→「イヴの眠り」(全5巻)もまた、大きな流れのある叙事詩になってる。
「BANANA FISH」の前に短編「Fly boy, in th sky」があるとか、終わってから前日譚の「ANGEL EYES」「PRIVATE OPINION」描いたとか後日譚の「光の庭」があるとか、まあ次々出てきて、名作がごろごろしているよ。ひたすら嬉しい。

個人的には「バナナ」の途中から顔が変わってきてとんがりすぎだろうと思ったし、「夜叉」「イヴ」ではその傾向が顕著になってきたうえ、いくら何でもバイオレンス過ぎないかい?と思え、「ゆるやかに」からはずいぶん遠くへ行ってしまったもんだと思っていた。
10年ぐらい前に「海街diary」が出た時は、「戻ってきたかーっ!」って驚きが真っ先に来た。
こんなに顔が丸くなって、動きが穏やかになって、何よりも舞台がフツーの日本の町であるところに、ほっと安心した。

「バナナ」の始めと終わりの20巻の間に絵が大きく変わってしまって別人のようだ、1巻と20巻を見比べるとその変化に驚く、とはよく言われるが、読み返してみてあらためて、最初の頃の絵は大友克洋だったなぁと思う。
「BANANA FISH ゼロ」にあたる「Fly boy, in th sky」も、いかにも80年代な絵柄と風俗と、ついでに言えばトーンの貼り方。
マンガは時代時代に寄生して独自の胎動をしているのだと思い知らされる。

ちなみに「Fly boy, in the sky」は84年に月刊LaLaに掲載されたようだ。
あまりに名作の誉れが高いため、誰もがコミックス収録を待ち望んでいたところ、「PRIVATE OPINION」に入ってやっと読めるようになったのが95年。
アッシュと「白(ブランカ)」の出会いを描いた表題作と、単行本出版の企画作品として吉田秋生本人が描き下ろした「うらBANANA FISH」という短いおちゃらけマンガと3本しか載っていない値段が高くてコスパの悪い本だった。(装丁は非常に良かった気はするが)

もちろん大ファンだったせいうちくんなどは、
「この作品を読むためだけに、この薄い本(当時はその言葉にそれ以上の意味はなかった(と思う))を買わなきゃいかんのか!」と悔し涙にくれながらまんが書店で薄い財布を開いたものだ。

今日はすべての原点と思われると思われる「カリフォルニア物語」(全8巻)を読もう。
日本の少女マンガで、主義主張でなくヒッピームーブメントを描いた名作だと思う。
それ以外にも、分類不能の「吉祥天女」(全4巻)や「櫻の園」「ハナコ月記」まで用意してあるぞ。
吉田秋生祭りだ!

19年12月12日

明日はせいうちくんがお休みを取ってくれたので、まずは前の晩から、私が完全にぐっすり眠れる計画を立ててみた。
早めにお風呂と食事をすませ、いつもなら寝るまでごろごろしておしゃべりしたりテレビを見たりするのだが、気になっていた「グランメゾン東京」の最新話だけは見たものの、23時ごろからもう寝る態勢に入る。

寝るとなると日頃はついついベッドに仰向けになり、iPad Proでマンガを読んでしまうところを、今日は、絶対眠くなるシチュエーションを作ってみた。
実は私は映像に弱く、テレビや映画を見ている時が人生で一番眠いのだ。
そこを逆手にとって、テレビの前に布団を敷き、横たわって電気を消してテレビを見る。
モノは、先日の忘年会で話題に出たことだし、「OVA版 ジャイアント・ロボ」にした。
面白過ぎて眠れないだろう、と思う向きが多いとは思うが、華麗に動く画面を見ているとてきめんに眼がくたびれてついつい閉じがちになり、しまいに寝てしまうケースがよくある。

もちろん準備として睡眠薬を投入する。
毎日のんでいい分に加え、飲み過ぎないようにせいうちくんが管理している「特別枠」からの加勢が行われ、普段の倍量のんで、足が痛くて眠れないことも多いのでせいうちくんが軽くマッサージしてくれるというパラダイス状態で、これで眠れなかったらおかしいだろう、って自分でも思う。

果たして、「謎の男が仮面を外したら銀鈴さんだった」あたりで、もう記憶がない。
(なのにフォーグラー博士の息子が窓辺にかっこつけてパンイチで立ってるところは観た覚えがある。まだらな視聴記憶だ)
せいうちくんはディスク1が終わったところで寝たんだそうで、いやあ、朝の5時まで全然目が覚めなかったなぁ。
5時間以上ぐっすり寝ているわけで、私にしてはとても深く眠ったことになる。

リビングの床に薄い敷布団だけで寝たのがいかんかったのか、そもそも週末に長老の家の忘年会で寝袋でじかに床に寝たのがいかんかったのか、いずれにせよ、起きてみたらものすごい「ぎっくり腰」になっていた。
昔、整体でもらった「骨盤ベルト」を装着し、よろよろとPCに向かったりスキャナで自炊をしたりするも、痛みに一人で耐える悲しさに負けて、7時ごろにはせいうちくんを起こしてしまった、それはこれからまた別の話としよう。

19年12月13日

お休みを取ってもらったので、もうばっちり計画が立ててある。
糖質制限のためずいぶん控えている喫茶洋食店でスパゲッティ・ナポリタンを食べたいんだ。
その前に、クリスマス・プレゼントとしてペンダントを買ってくれると言われた。
百貨店でそこそこ高価な買い物をするとたぶん2時間の駐車券がもらえるので、バスじゃなくて車で行こう。
そいで、車を駐車場に停めて店に行き、ごはんを食べて趣味の買い物をしよう。

さすがに平日の10時半で、駐車場は空いていた。
前から目をつけていた金メッキのペンダントにすぐ決める。
こういうものを買うのはめったにないことで、2人とも妙に興奮したり堅くなったりしている。

喫茶洋食店で、せいうちくんはポークジンジャーカレーを、私はナポリタンとハンバーグのセットを食べた。
昔「孤独のグルメ」で取り上げられたこともある店で、昼頃には常連さんで満員になる。
世の中でナポリタンに私と同じぐらいケチャップをぶち込むのは、ここのコックさんだけじゃないかと思うよ。
もしかしたら、糖質制限をしている間にあまりケチャップが食べられない身体になってしまったかも。
おいしかったけど堪能しすぎて、今後5年ぐらいは食べないでもすみそうだ。

衣類用柔軟剤とかマグネットフックとか、非常に所帯じみたものを買いつつ、予定の2時間におさめて駐車場に戻る。
「もうちょっと時間があったらブックオフに行ったんだが」と言うと、
「じゃあ、少し遠い別の店に今から行こう」となった。

こっちの店には久しぶりに来たものだから、欲しいものがたまっている。
と言うか、100均の棚はなんて魅力的なんだ。
そう言いながらも全然100円じゃない「キングダム」とか「鬼滅の刃」とかの最新巻をどかどか買ってしまう。
まだ全然読めてないので、最新のは追いついてきてから買おうと思っていたのだ。
もしかしたら3年後のことで、100円(正確には110円)になってるかもしれないじゃないか。

だが、「ほしいマンガは見つけた時に買え」が合言葉になりつつある。
何もかも、Amazonが送料値上げをしたからいかんのだ。
しかも300円とか350円とかバラバラで、はなはだしい時は千円取る。
一律250円だったころは、本そのものの代金は1円として、家では通貨単位「1アマゾン=251円」が成立していたぞ。(1ブックオフが108円だった時代)

夢中になって買い物していたら、LINE友達が探しているマンガを見つけた。
「知らせようかな、でも、たまたま見てるとは限らないからなぁ。黙って買っておくのも変なものだし」と迷っていたら、まさに本人がグループに投稿した。
「オンラインか!」と色めき立ち、「今ブックオフですが、これこれとあれあれが棚にあります」と知らせる。
すぐに「ほしいです!」と返事が。
いいタイミングで買い物ができた。なかなかいつも見つかると言うものでもないんだ。

自分用にも欲しいものがたくさん発見され、実のところ100均の棚の収穫物は少なかったのだが、おかまいなしな気分だった。
お会計がいつもの週末より多かったのもしょうがないだろう。
楽しくて長居しすぎて、駐車券の時間が1時間をオーバーして追加料金を払ったのはあまり愉快ではないねぇ。
だがそれよりも、2人でしみじみため息をついたのは、払った代金とさっき買ったネックレスの値段がほぼ変わらなかったこと。

「どうして、アクセサリを買うとなると『大金だ!』とビビる金額が、古本代だと思うと『悔いなし!いい買い物だった!』となってしまうのか」

これはもう、そういうものだとしか言いようがない。
私はたぶん、8千円のシャツを買う人を見たら驚くが、古本だったら驚かない。
いいと思うかどうかはまた別の話ではあるが。

19年12月14日

年に2回、友人男女を誘って「チケットが一番取りにくい落語家」として知られていた柳家喬太郎さんを聴きに行く秘密結社を結成しており、今回はその課外活動として「春風亭一之輔」を聴きに行った。

喬太郎さんもね、発売日の朝ともなると「アクセス多数でつながりにくくなっております」と、アルフィーのチケット電話がずっと話し中みたいな状態になったものだし、5年ぐらい前に通い始めた頃は「友の会」の会員は1回2枚、を繰り返しさえすれば何枚チケットを取ってもOKだったのに、2年ほど前から「1公演に会員1人で2枚まで」との厳しいシバリになってしまった。
しょうがないからせいうちくんのみならず私も会員となり、発売開始日の開始時間ともなれば、それぞれPCを前にものすごい形相になっている。
(発売日にどうしても旅行中だった時は、京都のお寺の石の腰掛けに並んで座ってめいめいiPadを駆使した。無事取れた)

毎回、「きゃーっ」と悲鳴を上げてしまう。
だって、つながらないのに目の前でどんどん席が埋まっていくんだもん。
あれはやっぱりアレかね、たぎりすぎる熱意か良からぬ企みかを持った人が、学生バイトを雇うとか、超高速で通信できるメカやソフトを使ってアレしてるのかね。

さて、前置きが長くなったが、どうやら「今一番取りにくい落語家」の栄冠は一之輔さんに移ったらしい。
喬太郎さんの場合、午前と午後の高座のチケットを、取れさえすれば両方入手してもちっともかまわなかったんだが、一之輔さんの会に限っては、「午前か午後、どちらかの回しか申し込めません。そして言うまでもなく、会員1人あたり2枚だけです」と言い渡された。
誰も1日に2回聴くことはかなわないのだ。人気のほどがうかがえる。
(いや、もちろんやりようはいくらでもあるでしょうが)

そんな申し込み開始、デジタル電波時計が10時を指したとたんに猛烈な勢いでアクセスを始めたものの、やっぱりつながらない。
どうも昼の公演は人気が高いようだ。
つながらない合間に「座席の状況」を見てしまうもんだから、そんなことも気になる。
7分ぐらい過ぎた時点でせいうちくんが、
「これは、昼の部はダメそうだね。もう残席わずかなのにつながらない。夜に切り替えよう」との英断を下し、奇跡的につながった瞬間に夜の部のチケットを2人分入手してくれた。
なぜ、日頃はけっこう強運なのに、この場面でいつもせいうちくんに負けるのだろうか?!

「普段、運を使い切ってるのかもね。それか、パソコン使うのがヘタ」と無情に言いつつ、交代して、ほぼ私専用になってるデスクトップPCの前に座って2分、「取れたよ~!」
ああ、これで今回も友人たちの分まで確保できた。
もし2枚しか取れなかったら?もちろん我々だけが行くんですよ。

ちなみに、このチケット争奪戦から独演会当日までの間に通常活動の喬太郎さんの方のチケットも発売となり、やはり激戦は激戦。
10分で売り切れる点はほぼ同じ。これは昼の回が取れた。来年2月、楽しみ。

で、今日の一之輔さん。
我々、夜の部って珍しいんだよね。
いいもんだね、場があったまってて、前にナニカやった雰囲気というか残り香が漂っていて。

話は長くなってるが、いつも一緒に聴いてくれる友人女性は足を骨折してしまった。
「なんとしても行く」と言ってくれたが、彼女んちからうちのへんは交通が非常に面倒くさい。
どうせ受け取るものと渡したいものと両方あったので、車でお迎えに行くことにした。
公共交通機関を使うより、車の方がスムーズなので送り迎えはよくするんだ。
今回はまた、松葉杖が痛々しいね。乗り込むのも難儀そうだ。

私は役立たずにおろおろして、何か手伝えることはないかといろいろ言うんだが、彼女は人の手を借りたい時は自分できちんと言うし、借りなくてもいい手はあまり借りない性質なので、まさになんの役にも立たなかった。しょぼん。

わりといつも昼間に走ることの方が多いのでせいうちくんも見通しを誤ったか、会場の地下駐車場に停めて、逐一連絡を受けているとは言うものの「おいおい大丈夫かよ」と不安な気持ちでロビーで待ってる友人男性に、「すみません~!」と金メダルがかかったリレーのランナーみたいに前のめりになってチケットを渡せたのが、開演3分前。
もうロビーには誰もいない。
おまけにせいうちくんも私もトイレに行きたかった。
またもや、今度は銅メダル入賞がかかってるぐらい余計に必死に、トイレに走る。
なんとかギリギリ間に合った。

時系列的には先走った話になるんだが、この会場の実務担当さんは名物男で、一之輔さんも前座さんの後に出てきた時、笑いながら彼について触れていた。
「本当にねぇ…有能な方で…ありがとうございます!」で爆笑が起こったのは、常連の皆さんはもちろん、我々程度の者でさえ、その担当さんの優しくもしつこいアナウンスのファンだからだ。
「ケータイのお切り忘れのございませんよう、十分ご注意お願いいたします。また、飲み物はご自由ですが、コンビニの袋、『カサカサっ』と音がいたします。気になる方もいらっしゃいます。どうぞご注意ください」を毎回楽しませてもらっているから。ホントに有名人なのだ。
今日はギリギリに入場したんで、もうそのへんのアナウンス終わっちゃってたんだよなぁ…友人男性には悪いことをした。
仲入りの後の案内で、
「休憩の間に留守電やメールを確認された方、入れた電源をお切り忘れになりませんよう。後半は、電源のお切り忘れ、多うございます。今一度、どうぞ今一度、ご確認ください」って丁寧かつ仕事熱心なところは充分聴けたが、「カサカサっ」がないと落語聴きに行った気がしない。

前座さんが、無茶苦茶優秀だった。
資金不足から下肥の瓶を「水瓶に」と兄貴分の祝いの品に持って行く、「金はないが義理は欠かさない江戸っ子」がその「水」でひどい目に遭う、まあ考えてみればひどい下ネタなんだ。
しかし、まったく嚙まないし、可愛くないぐらい落ち着き払っていた。
今まで前座さんはまあ有り体に言って「聴いてあげてる」ぐらいの気持ちでいたが、その初々しさを愛でる機会を奪われるってのも、あんまり楽しくない経験なので驚いた。
まあ、将来有望、スピード出世で真打ちになりそうな気はするね。

続いて一之輔さん。やはりスゴイ人気。ぐいっと、空気が変わる。
「寄合酒」と「睨み返し」をやってくれた。
両方とも、非常にシャープで短い印象。丁寧だが、大事なとこだけやる感じ。
借金取りを睨み返す「業者さん」がもう、雰囲気から表情から、それがまたころっと素に戻るところの見事さと相まって、「何かスゴイもの見てる…」って胴震いがした。

ぽーっとしたまま仲入りになって、後半は一之輔さんの日大芸術学部の同期だったという講談師、一龍斎貞橘さん。
これがまた、ふらふらーっとついていきたくなっちゃうほどのイケメン。
なんと本日12月14日は、赤穂浪士の討ち入りの日なんですってね。
講談師は「夏は怪談、冬は義士」とは言え、実は9月ぐらいからずっと赤穂浪士やってて、もう今頃になると飽きてるらしい。
それでも頑張って高田馬場の決闘の話をしてくれた。
いいとこで終わるなんて、松之丞さんみたいだぞ!講談は、長いから仕方ないのか!?

今日はいい日で、12月って落語を聴くにはいい季節なのか、一之輔さんのトリは「芝浜」。
去年から丸1年、「昭和元禄落語心中」でもよく聴いた、今年の大河ドラマの「いだてん」でも何度か出てきた、誰もが知る大ネタだ。
しかし、短い。驚くほど短い。
情景描写はほとんどうっちゃってあって、しかしあっさりしてるわけでもなく…なんだろう?

時々ものすごくまともなことを言って私を驚かすせいうちくん曰く、

「熊五郎がすすめられた酒をながめて匂いをかぐシーンは絶品だった。もう呑んでしまうのではないかと思った。でもやっぱり呑まなかった。最後に頭を下げた一之輔さんが首をひねりひねり下を向いていたように見えた。
一之輔さんは今回、呑んでしまう熊五郎にしたくて、そういう熊五郎が口にする一言が自分の口から出てくるか自分を試していたように思った。あの熊五郎は、いつか呑む」

さらに語るには、
「課題や古典にぶつかって思案して、苦労して、の姿の在り方が十人十色なところに『個性』というものがあるんじゃないかと思う」のだそうで。
うーん、難しくてカッコいいぞ。

さて、そんなコムツカシイことも言うせいうちくん、実はここから忘年会だけどあたかも熊五郎の如く呑まずにいて、終了後そのまま高校の恩師のお通夜に行くのだと言う。
普通、22時に忘年会が終わってから行くのは無理だろうが、その亡くなった先生というのが傑物で、たいそう変わった遺言を残したそうだ。

「平服で来るように。背広を着なくていい、という程度じゃない。Gパンでいい。斎場を2日借り切ってあるから、読経が終わって坊さんが帰ったら、自分の入った棺を2階に運び上げてそのまわりで一晩中酒を飲み、宴会をせよ」

これを真に受けたせいうちくん(「真に受ける以外、どうしろって言うんだ」と珍しく反論)、通夜の席で「宴会をしている」はずの友人たちに連絡を取って、様子を聞きながら動こうと思っていたようだ。
「適宜連絡を入れようか」と言ってくれる親切な人がいたけど、「そのぐらいの時間はずっと劇場内にいるので電話が通じない。20時半頃こちらからかけていいか」と頼んでいたもので、駐車場の車に乗り込むなり、
「ごめん、電話を1本かけさせて」となった。

それはまあしょうがないんだが、入った時ほぼ満員だった駐車場から、当たり前だが鑑賞後の人たちがどんどん出て行く。
ああいうとこの通路は狭いし料金ゲートはあるし道に出るのも混雑するし、要するに、せいうちくんは電話をかけてる間に完全に出遅れ、しかも地下だからうまくつながらなくて、
「おかしいな…まあ、いいや。あとでかけるよ」と顔を上げた時には、出たい車の大渋滞が起こっていた。

「もしかして、電話してる間に、こんなに混んじゃった?」と大真面目に聞かれ、笑えてきちゃったよ。
「もちろんそうだよ。この渋滞をどうやって避けるか、はっきり言って入庫した時から心配していた。まさかここで電話を始めるとは。あなたが次の店の前で皆を降ろして、駐車場に入れて、そこから歩いてくる間にかけるのが一番問題が小さいだろうと思っていたんだが」と言うと、
「そうは言っても、電話する時間になっちゃったからなぁ。でも、混んじゃったね-」とぶつくさ言いながら、だいぶ待ってやっと出たのだった。
実は次の店もあまり時間が潤沢でなく、今から行くと1時間経たないうちにラストオーダー聞きに来るって構成なのだ。
頑張れ、せいうちくん。

店に着いて、なんとか電話が通じたらしいせいうちくんが言うには、やはり先生の遺言を守るのは難しく、21時の時点でもう誰もおらず、18時からの坊さんの読経が終わって19時から1時間ぐらいみんなでがーっと呑んで、校歌を放吟して帰ったらしい。これがホントの高歌放吟。
そこだけ聞いても、「担任が亡くなると、そんなに盛り上がるのか!」と我々部外者は充分驚けるよ。
2、3人の「担任団」が中高一貫の6年間を受け持つから起こることだね。
しかしそうすると、その学校ではクラスが6年持ち上がりなのか。
もっと恐ろしいことにほぼ半分が同じ大学に行くのか。
小学校を出たばかりの子がたとえば教室で粗相をしたとして、それがヘタすると大学、いや社会人になっても忘れてもらえない可能性があるのか。
せいうちくんがややヘンな人なのもやむをえないかもしれない。

閉店時間が迫る中、可及的速やかに大量につまみを頼み、〆の蕎麦もさっさと頼んでしまい、我々的には幸福な忘年会を楽しんだ。
落語や講談を聴いて、しかも「赤穂義士」と「芝浜」で、年末感満載だよ。

私が「イケメン講談師」の話をしていたら、友人女性の脳内では「イケメン好男子」と変換されたそうで、「同じことを二度言っている?」と不審がられた(笑)

お通夜がとうに終わってしまって出かける先がなくなったせいうちくん、晴れて友人女性を送れる。
男性の方は駅まで送ってくれれば帰るよ、と言うが、先日来この友人と話し込んでいて、もうちょっとだけ踏み込んで話したいと思うんだ。
無理を言って、家の近所まで送るから1時間ぐらいお茶でも飲んでくれまいか、と誘う。
「送ってもらえるなら否やはない、ありがたいぐらいだよ」と快諾していただけた。

正規の落語忘年会の話はここでいったん終わり。
親しい人と落語を聴き、蕎麦を食べて忘年会をする。少し早めの、とても正しい年の瀬の過ごし方。
互いの健勝を祈り合って、来年もどうぞよろしく!

19年12月15日

友人女性を家まで送って、男性Nさんを乗せたまま11時近い街を車で走る。
彼んちの近くのサイゼリヤでしばらく話した。

先週の長老宅での忘年会でも会ったNさんは、前に観に行った息子のインプロコントには可能性があると思う、もっとリーダーの彼が中心になっていろいろすべきだ、自分もできる手伝いはしたい、会って公演の感想とこれからすべきことを話してあげたい、と熱烈に言ってくれた。
呑みすぎた夜中のこととて翌朝あんまり覚えてなかったのはちょっとナンだが、夜中のうちにすぐさませいうちくんが息子を入れたSNSグループを作り、
せいうち「Nさんがアドバイスをしてくれると言っているよ」
息子「おお、本当でございますか!」
N「来週、モツ焼き屋でせんべろ飲みしよう」
息子「ありがとうございます!」
てな状態に突入していたので、全然困らなかった模様。

このサシ呑みが実行された話を今日、Nさんから聞けたのも収穫だった。
「息子くん、聞き上手なんだよなー。結局、オレがオレのこと語っちゃってるだけになってたよ」と頭をかいていたが、小さい頃から知ってる信頼できるおじさんが自分らのやってる活動に興味を持ってくれて、豊富な経験と知識を分け与えてくれるって、素晴らしいことだと思う。
これからも機会あるごとにどんどんやってくれい。
他の人の目から見た息子の横顔が見えるのも、嬉しい。

さて、息子の話なんかサブで、40年近い付き合いの彼に今夜メインに訴えたかったのは、こうだ。
「30年間働かずに家でぼーっとしてた、全然変わってないおばさん少女が言うぞ。聞け。自分は、これでいいんだろうか。せいうちくんは会社という別の世界を持っていて、1日の大部分別の空気を吸って生きてる。コミュニケーションが不足してると感じるわけではないんだが、やはり、人間同士のどうしても近づききれない距離を感じてしまう。それを解消するには、自分が自分の生を生きるしかないんだろうか」

Nさんは少したじろいだ。
「お、おう、本当に全然変わってないな。驚くよ。でも、考えてることは同じでも、昔ほど『飢え飢え』な感じはしないね。やっぱ、せいうちくんがいるからなんだろうな。でね、真剣にそういうこと考えてる人間は、創作するしかないんだよ。何かを創って、出す」

私「このご時世だから、ブログとかは書き放題だよね。そういう意味でなら、もうやってると言えなくもない。これ以上、勝負をかけたり人の評価に晒されるのも怖い。20代での『何かしたい』と60になってのそれは、もう意味が全然違う」

N「まあ、俳句の同人に入るとか、ネットから離れたおっとりしたところでやるのもアリだと思うよ。いわゆる『ガチ勢』がいないからのんびりしてて、それでいてやっぱり小さく選に入ったり褒められたりって喜びはあるみたいだから」

私「うーん、努力が性に合わないんだよね…しかし、この『焼け付くような承認欲求』はどうにかしたい」
N「創作以外で承認欲求を解決するには、『推しを作って課金する』んだよ」
私(横のせいうちくんを見て)「あなたには、言葉の意味もわかんないでしょ?」
せ「よくわかんないけど、『ご贔屓のタニマチになる』ことかしらん」
すごい…言い当ててる…時々驚嘆する、この人のこの才能はなんだろう?

私「話を戻して、いっときアルフィーにお金と気力と時間を使ったけど、何かが違うと思った。私は推すのに向かない。一番大きいのは、お金を使うのが性に合わないってこと。あとね、自分が好きな人を他の人も大好きなんだと思うと、気分が良くない」
N「それを『同担拒否』と言う」

あああ、私のこのややこしい気持ちは、4文字熟語で表されるのか!すでに用語があるのか!と、目から鱗が落ちたり落ち込んだり吹っ切れたり、いろいろ一気にしたよ!
なんにでも名前はついている。
親との問題は「共依存」だし。向こう死んじゃってるのに。
ちなみにせいうちくんとも医師の折り紙付きの「共依存」だが、主治医は、
「夫婦が正しく依存し合うことにはなんの問題もない。とにかく好きになっちゃったんだからしょうがない。カギと鍵穴がぴったり合っちゃったんだから、とことん依存してください」との主義なので、かまわないようだ。
先に死なれちゃったあとだよなぁ、大いに困るのは。

あと、なかなか人に聞けなかった「死にたいって、思う?」については、
「思わないわけないだろう。さすがに今すぐ、とか、もう死のう、とは思わないけど、60歳も近づいて、もうこれからそれほど長く生きなくてもいいと思うと、気持ちが安らかになる」との返答。
そうか、やっぱり「生きることにあまり親和性の高くない人」ってのはいるもんなんだ。

最後、帰りがけに、
「私のこと、少しは頭がいいとかかわいそうとか、思ってくれる?」って、横にせいうちくんが並んで歩いてなければ口説いてるみたいなこと言っちゃったが、Nさんは、
「あなたはねー、頭がいいというより、優しいんだよ。誠実だ」とお茶を濁した。
私にとっての一番のほめ言葉は「頭がいい」なんだよね。どうしてそこにそんなにこだわっちゃうんだろう。
成績が良くて品行方正の自慢の「いい子」の姉を一番だと思っていた母の目が私に向くのは、本を読みまくって小理屈を言うのにさすがに感心し、「アタマいいわね」って言う時だけだったからかな。

Nさんと別れ、せいうちくんと夜中の繁華街を抜けて帰ったが、オリンピック工事だらけだ。
一徹父ちゃんの稼ぎ時なんだろうか。
いろいろいい話ができて、楽しかった。
40年近く前のマンガサークルの人しか友達がいないので、ひどく偏っている。せいうちくんも私も。
いつまでもあの時代に生きているようで、今夜も少し寂しく森田童子を聴く気分だ。

19年12月16日

胆石の手術が成功したと機嫌のいい、やっと病の癒え始めた主治医と、久々にゆっくり面談。
15キロもやせちゃったけど、石は全部取れて問題ないから、これからもバリバリ診るって言ってくれた。

これからどういうペースで通院しましょうか、と持ちかけたら、
「話したければ、僕はほぼ毎日病院にはいますから」って、そうか、1週間に1回か1ヶ月に1回かのどっちかだったから、どうしたらいいんだろうって思ったんだが、面談の必要度は、患者側が決めてもいいのか。
ちょっと驚いた。
「向こうが必要とする or これ以上しょっちゅうは無理」で頻度が決まるんだと思っていた。
とりあえずクルーズも行くし新年だし、ひと月後。

「あなたは虐待されてきたと思う。いろんな虐待がある。まったく、親は何を考えてるんだ。子供の幸せを考えない親が多すぎるよ。最近じゃ、駅前のサピックスに入れて外務省に入れようとしてるけど、それが子供の幸せかね?!」
「先生、それは私の問題を離れて、夫とその母の問題に入ってます」
でもね、先生は「世の中間違っとるよ!」と興奮してて、あんまり聞いてなかった。
少なくとも私の子育ては成功してると言ってくれたから、いいや。

その息子は、正月前にカノジョを連れて泊まりに来て、重度障害者の娘が生活する病院に一緒に会いに行ってくれると言う。
歴代カノジョの中で、初めて娘に会う人が出現するわけだ。
私が知っている限りのカノジョは4代いて、順に、
「話そうとは思いつかなかった→言えなかった→話せた→会わせる」と来ている。絵に描いたような着実な進歩だ。

「大丈夫でしょうか。普通の人は、ちょっとびっくりしちゃうんじゃないかと」と聞くと、先生は、
「『普通の人』と障害者は、そのぐらい近づいた方がいい。やんなさいやんなさい」という大胆なご意見だった。

せいうちくんは前もってカノジョに、
「障害者と言っても、たぶん考えてるより見慣れない身体をしています。びっくりしちゃってください。慣れてる私たちでも、けっこうびっくりします」と言おうと思うそうだし、私は、
「意味がわかると思って話しかける必要はないから。優しく呼びかけてくれればいいから」と言うつもり。

せいうちくんの実家は「結婚するかどうかも決まってない人が祖父母宅の親族の集まりに来る」のを却下したが、実質正月に泊まりに来るうえ、施設にいる障害のある姉に会うってのは、結婚が決まらないとやってはいけないことだろうか。
むしろ、そういうことを積み重ねて結婚するかも知れないし、途中で価値観の違いに気づいたり気が変わったりして「いつでも方向転換していい」のが最近の結婚観ではないかと思う。

話はそれてしまったが、この主治医の考え方、話を聞いてくれる雰囲気、投薬にケチンボなところが気に入っているので、これからもお世話になりたい。(ザラザラ薬くれる医者は、もうこりごりだ)
でも、せいうちくんに、
「だからって、先生にとって私はただの患者で、友達になってくれるわけじゃないんだよねぇ」とぼやいたら、
「当たり前じゃない。キミは人に完璧を求めすぎるよ。主治医も、『黙って座ればピタリと当たる』みたいな期待をしすぎ。長い間かかって話をしていくしかないんだから、気長に気楽に」と叱られてしまった。
そうねぇ、吝嗇で懐疑的な性格でなければ、私は占い師にハマっていたことだろう。

19年12月17日

というわけで、カノジョが泊まりに来るからと、風呂を磨いた。
15年モノのマンション風呂場は、鏡は曇りすみっこには黒カビが生え、慣れてる家族はいいけどお客さんは「あんまキレイじゃない!」って思うだろう。

家にあった「鏡のウロコ取り」で懸命に磨いたがあまり改善されなかったので、近所の100円ショップに走って、「消しゴム」のような最新兵器を入手。
もちろんそれほど劇的な効果はない。
カノジョへのあふれるような好意から出てくるやる気だけが、薄汚れた風呂場をわずかに輝かせた。

もちろんカビキラーなどもふんだんに使ったが、「泡をかけて15分放置。シャワーで流すと、驚くほど!」ってCMを見るたびにお掃除大臣のせいうちくんは怒っている。
「あんなんでキレイになるなら苦労はない。トイレの黄ばみ落としも同様!」だそうだ。
掃除の極意は、「たびたび、気がつくごとに、ひたすらこする」に尽きるんだって。

でも、帰ってきたせいうちくんに「お風呂見て見て!ついでに流しも見て見て!」と騒いだら、
「おお~、頑張ったね~!お風呂が、笑っている!手すりも蛇口も、ピカピカしてる!フタも洗ってくれたんだね。ぬるぬるしてない」ととてもほめてくれた。
(何もしないとぬるぬるしてるんかい、うちの風呂のフタは…暴露しすぎだろう…)
なぜか流しを磨くのは好きなのでたまにやるが(半年に1度ぐらい、レモンジフをざぶざぶ使う)、お風呂をどーにかこーにかしたのは何十年ぶりかだ。
少なくともこのマンションではやってない気がする。

「息子に、そっと売り込んでね。『母さん、カノジョのために頑張ってたよ』ってこっそり言ってね」と念を押しておいた。
行為には報酬がないと、やる気は二度と出ないもんだから。

19年12月18日

「このマンガがすごい!2020年版」を買ったので、激しく買い集めることに。
恥も外聞もなく言えば、私はカタログ信奉者なんだ。
昔は自分の感覚だけで選べる程度しかマンガがなかったもんだが、今の隆盛ぶりを見ていると、確かな地図なしには迷子必定。
少なくとも人が読んで「いいね!」と言ってくれるマンガも読んでみたいと思うじゃないか。

そこでぶち当たったのが、紙の本を買うかKindleで買うかの問題。
たとえば全10巻で完結してるような場合、Amazonや全巻ドットコムで探せば1冊100円程度に抑えることができる。
Kindleは紙の新刊より少し安いが、基本的に値動きはない。
とは言え、最近では送料も高いので、Amazonで1円の古本も、送料500円取られちゃうと「うーん」である。
その場合は460円のKindleを買いたくなる。

ま、「このマンすご」の場合は既刊2巻からせいぜい5巻ぐらいが多く、また連載中が多いので、「オトナ買い」のワザは通用しないんだ。

極端な例に遭遇した。
入江喜和「ゆりあ先生の赤い糸」(既刊4巻)は、たとえば第1巻で紙の古本1円でも送料のせいですでにKindle価格を超えてしまう。
2巻以降は中古市場での人気か、さらに差が開く。
4巻など、紙では1500近く出さないと買えない(いわゆる本屋の定価はどうなのか知らない)ところが、Kindleは粛々と実直に、全部462円なのだ。
天候不順で野菜の高値が続いても値動きの少ない、「もやし」のような低値安定感。

LINE友達にそう語ると、「もやしかたまごか、はたまたバナナか」と言われて、たまごの話がしたくなった。

3ヶ月ほど前から通い始めた近所のOKストア、卵が1パック138円だったのに大喜びしていたら、瞬く間に158円まで上がってきたたのはどういう蟻地獄なんだろうか。
たまごとして特に高いわけでもなく、他のものは文句なく安いのでもう西友やサミットには戻れないんだが、割り切れない気持ち。

たまごだけに。

19年12月20日

明日は息子がカノジョ連れてくる。お泊まりの構えだ。
18時頃という、彼にしては早い時間を言ってきた。間が持たなくなったらどうしよう。
ごはんはタンドリーチキンをリクエストされたが、その前の日にせいうちくんと食べた八丁味噌仕立ての「カキ鍋」が美味しかったから、「どう?」と勧めたら、「ぜひぜひ!」
念のため「カノジョは嫌いじゃないかな?」と聞くと、「あ、ごめん。ダメなんだって」と返ってきた。
ああ、聞いてみてよかった。

日曜は娘に会いに行く。
そこでお別れのつもりだったが、午後に、下北沢で息子のコメディ活動仲間たちのお笑いライブをやるようだ。
「ヒマだったらみんなで見に行こう、ってのはあまりにバカかしら?」と聞いてみる。
息子「特に見たくはないかなぁ」
私「では忘れて。幕の内弁当みたいにぎっちり詰め込んでしまう性格なだけ」
息子「きれいな比喩」

よくせいうちくんや友人から「詰め込みすぎ!スキマを埋めずにはいられない人」と言われるのを自分なりに表現したら、ほめられた。
親子でこういうやりとりになるってのはなかなかいいなぁと、これまた自画自賛。

しかしなぁ、カノジョは前にも泊まったことはあるが、その頃は息子がこの家に住んでいて、彼の部屋っつーものがあったのだ。
今や、ベッドこそ残っているがそれ以外のスペースにはでかい椅子が2つあって、完全にシアタールームにされている。
退避しようにも、彼らには逃げ場がない。
寝る時はリビングに布団敷く?と聞いたら、ありがとうと言われた。
この状態でやっぱりカノジョを連れて来ちゃえる息子の精神力ないしは我々への信頼または甘え、なかなか結構なものだと思うしかない。
明日は良い日になりそうだ。

19年12月21日

息子がカノジョと一緒に泊まりに来た。
1人で来た時はいつも食事より何よりまずシャワーを浴びに行ってしまう彼で、
「あとでお風呂を入れるから、先にごはんでいい?」と聞くと、
「うん、でもオレ、シャワーだけ浴びていい?風呂はあとでいただくから」とやっぱりさっさと風呂場へ。
カノジョがいる場面でもこのマイペースぶりか、と思ってたら、パンツもはかずに出てくるのもいつも通り。
なんつーか、こういう関係の我々って、どういう顔をして見てたらいいんだろう?
パンツはいてくれてやっと、せいうちくんが「やせて、いい体になってきたねー」と声をかけるゆとりもでる。
最近、お笑いは身体を使う仕事だからと、鍛えてるんだそうだ。

せいうちくんが張り切って大量に作ってくれた鶏鍋を見て、「大きな土鍋ですねー」と感心するカノジョは、山盛りになってる春菊にも「こんなに!」と驚愕。
実際、私の大好きな春雨と春菊がてんこ盛りになった、ふちまであふれそうになってる「いくら4人でも、多くない?」と首をかしげるような量だった。
ビールで乾杯し、激安白ワインに移行してかなり飲んだら、いつの間にか底が見えてきたのに驚く。彼らごはんも食べてるのに。
さすがに「雑炊」は明日の朝にしておくらしい。

いろんな話ができた。

カノジョと息子がつきあい始めたなれそめを「知ってる?」って聞かれたって、これまで聞いても絶対言わなかったじゃないの。
創作物として出来上がってきたのか事実にオチやまとまりがついたのか、展開が早かったらしい「つきあい始め」を語ってくれた。

かなり高ビーだったらしい息子に、
「よくその時に『もうちょっと話聞いてみよう』って気になりましたねぇ。どうもありがとう」とせいうちくんがお礼を言うと、息子は横で「セぇーフっ!」とジェスチャー交じりに安堵を伝えてきた。
自分でも「あの頃のオレは、ちょっとなかったよなぁ」と思うようだ。正常で、よかった。

去年の春、就職と共に一人暮らしを始めたカノジョのとこに転がり込み同棲を始めるにあたって、向こうのお母さんから、
「おつきあいするのはいいけど、一緒に住むのは早すぎる。相手の人に夢があってNYに勉強に行ったりするんなら、修行が終わってからでいいんじゃないか」と、驚くほどまっとうな意見をされてるそうで、いまだに一緒に住んでるのはナイショらしい。
「それは、お母さん、感づいてるけど敢えて追及しないんじゃないの?」と言うと2人で顔を見合わせて複雑な表情になってたから、あなた方も薄々そう思ってる、と。
「もしバレて叱られて、『向こうの親の顔が見たい』とおっしゃられたらお目に掛かってお詫びしますし、私にできるだけのことはしますので」とせいうちくんも大真面目。

前にカノジョのお母さんに会った時には、
「オレはきちんと論理的に納得できる話をしたんだけど、わかってもらえなかったね。うん」とかうそぶいてた息子が、今回は、
「全然誠意がなかったよ。あれでいいわけがない」とよくわかってるようで、ほっと胸をなで下ろした。
本格的にお笑いを始めて、「人に対する敬意が何より大切」「相手を肯定しなければ何も生まれない」と心から思うようになったのだそうだ。
これから、誠心誠意お話ししてわかっていただく努力をするって。それがいいよ。

せいうちくんは一世一代の諫言として、自分が3年留年した挙げ句の就活の時、「なんだかんだ言ってこの大学出てるんだから」と甘く見てたら、一緒に面接してる同期たちにはどんどん連絡が来て話が進んでいくのに、自分は取り残されて呆然とした、と話していた。

「当たり前だよね。
『ずいぶん留年してますが』って聞かれて、
『自分としてはいろいろ思うところもあって、まあ有意義な時間を過ごしたと思ってます。これからを見ててくださいよ。親?話はしてないけど、わかってくれてるんじゃないですか?』って態度だったんだよ。
こりゃいかん!と思って、次からは、
『親には苦労も心配もかけました。心を入れ替えて一生懸命頑張る所存です』ってものすごく低姿勢で行ったよ。親には全然悪いなんて思ってないけど、世の中に対してはなめてたな、これじゃダメだな、って気分だったから。そしたら、だんだん内定が取れるようになってきたんだよ」
息子も、ここまでの打ち明け話は始めて聞くのか、ほほーって顔して聞いていた。
「自分はね、自分で思うほど偉くないんだよ」と結ばれても、きちんとうなずいてたな。

せいうちくんが工場に研修で行った時、ヘルメットになみなみとつがれた焼酎を飲み干すイニシエーションがあったと語ると、カノジョは目を丸くして問うた。
「それは、女性もなんでしょうか?」
ああ、どんな職場にも女性がいるのが当然と受けとめて、肩肘張らずに「男性と対等に」働いている若い女性の世代が育てっているのだと、心から安堵し祝福した。

「S電機にお勤めだったんですってね。お仕事はやはり翻訳が中心ですか?」とカノジョが聞いてくれるってことは、息子は私の職歴を覚えてるのか。
母親が結婚前に勤めてた会社なんて知らないもんだと思ってたよ。
「覚えてるよ。当たり前じゃん」と言われてこっちが驚いた。
英語を期待されて入ったのは確かだけど、当時TOEICなかったんでバレてないだけで、母さん700点取れないぐらいだったよ。(今は多分300点ぐらい)
翻訳は、どっちかっつーと退職してからの内職。

しかし、カノジョは日本語ワープロOASYSを知らなかった。
「課に1台、はなかったですね。部に2台ぐらい。それを皆で使う。横にぶら下げてある紙に、『明日の午後3時から2時間使いたい』とか予定のマス目を埋めて、譲り合いと奪い合いで使ってました」と話すと、1人PC1台体制で育ってきてる世代は、何度目かのまん丸目で、
「それだと、仕事のスケジューリングなんかが必須で、いい点もありますよね」となんとか暗黒時代を前向きに捉えようとしてくれていた。

そんな話をしていたせいか、息子が「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲」を観たいと言い出した。
TVにノートPCつないでアマプラで観ようとしたらなぜか音が出なかったので、息子のノート使おうとしたらHDMIがつながらないタイプで、結局TVに内蔵のアプリからYouTube呼び出して、ちょっと小さな画面で巨大なハムスターに見張られながらの鑑賞となった。
そこまでしても、どうしても「モーレツに」観たくなったらしい。
もう何度観たかわからず、カノジョも2回は観てるんだって。
君は昔からこれとか「ALWAYS 三丁目の夕日」とか大好きだったけど、なんでそんなに懐かしいものが好きなの?
「アナログ派で温故知新だから」だそうだが。

「70年大阪万博の頃、お母さんはいくつだったの?小4?じゃあ、まさに『20世紀少年』の子たちみたいな受け止めだったの?」と聞かれるところから始まって、しんちゃんの映画を観ると言うより、異世代間意見交換会になってた。

・そもそも「OH!モーレツ!」というCM発の流行語があったと知らなかったみたい。「それでタイトルが『モーレツ!』なのか!」って驚いてた。モーレツ社員とかモーレツサラリーマンとか言われた、ブラックが当たり前の時代だったんだ。
・大阪万博は、本当にこんなに混んでた。
・序盤で父ヒロシが運転して家に帰るシーンの「この歌なんなの?」は、「ケンとメリー~愛と風のように~」というスカイラインのCMソング。車が売れる時代だった。母さん今でも歌える。
・いなくなった親たちを求める子供たちが連れて行かれるしみじみした場面の曲は、カルメン・マキという歌手の「時には母のない子のように」のインストゥルメンタル。原曲は寺山修司の作詞だった。母さんこれも歌える。
・「あっとおどろくタメゴロー!」は「ゲバゲバ90分」って番組から。
・敵方の乗ってる車はスカGだろう。部下はフィアット。
・©的にか、イントロ以外全部セリフごと音がカットされてる歌は、ベッツィ&クリスの「白い色は恋人の色」。うろ覚えだが歌える。
・恐るべき敵「イエスタデイ・ワンスモア」はあの2人がビートルズのジョンとヨーコだから「イエスタデイ」が入ってるんじゃない、カーペンターズにそういう曲があるんだ。(そもそもあの2人はケンとチャコじゃないか。ケンちゃんチャコちゃんを知らないのか?)

といろんなうんちくを傾けたけど、あとでiPad ProでカットだらけのYouTubeじゃない、ちゃんとエンディングまで出るやつを観たら、ロールに書いてあるじゃないか。
そうか、本当はラストシーンでは吉田拓郎の「今日までそして明日から」が流れるのか。歌えるぞ。

タバコ屋さんや中華料理店が並び、コロッケを売る、「懐かしい20世紀の街角」が夕日に染まるシーンでは、
「オレにとってはここの駅前商店街がこんな感じなんだよなぁ」としんみり。

「オラたちは、オトナになりたいんだ!」とのしんちゃんの叫びに、
「子供は時を進めてオトナになりたいけど、老人は死にたくないので時を止めたい」と言うと、息子は、
「まきこまれてもなぁ」と若者代表の声を上げていた。
いやあ、いろんな意味で面白かったなぁ。

その間に、カノジョのお持たせのソーセージを食べ、私が焼いたタンドリーチキンを食べ、映画を観てからはお茶を飲んでアイスクリームを食べ、なんだかずっと食べ続けていた。

2人はとても仲が良く、時折ちょっと肩を抱いたり腕を触ったり、「○○さん」と名前呼びしてた息子が、ついうっかり「○っぴ~」と普段呼びしちゃったり。
息子の高校でのクラスメートの、おにいちゃんがいる関係で母親としては先輩であるママ友から、
「イマドキの子は親の前でもいちゃつくから、覚悟しておくように」と言われてたんだが、うーん、先人の言葉に誤りなし。

息子もカノジョが好きでしょうがないようだった。
我々がついつい幼なじみや親戚等、カノジョの知らない人の話をしてしまうたびに、「あ、その人はね」って丁寧に解説していた。
私と違ってすべて共有しようとの強迫観念が少ない人たちなのか、わりと互いの友達とかノータッチなのだそうだ。
「父さんと母さんは仕方ないよ。学生時代からのサークル仲間で結婚して、その時の友達の方々とずっとおつきあいが続いてるんでしょ?」と息子に配慮され、
「いやもう、世界が全部それで出来上がっててねぇ」と頭をかくしかなかった。

1時前にせいうちくんがギブアップして「もう寝ようよ」と言い、
「先に寝なさいよ。1人で寝られないの?」と聞くと、息子とカノジョの前で臆面もなく「うん」。
しょうがないから、後ろ髪を引かれまくりながら寝た。
息子の部屋はベッドこそ残ってるもののシアタールームになっちゃってるんで、リビングに布団敷いて寝てもらった。床暖房入れればあったかいぞ。

19年12月22日

7時頃起きたが、2人はリビングでぐーぐー。
9時頃カノジョが起きてきたのでせいうちくんを起こし、10時頃に息子を起こそうとするがなかなか起きない。昔と変わらない。
いまや一日の長を持つカノジョがなんとか起こしてくれた。

これから、重度身体障害者の施設で暮らす娘に会いに行く。
カノジョも一緒に会ってくれるのだ。

「このあとどういう予定?父さんは16時に床屋の予約があるから、そこまでには絶対終わるよ」と告げると、
「あの床屋さん?今も行ってるんだ!」と感心するのは、息子も常連さんで高校時代などは時々ぶらりといきなり切りに行って、あとで会社帰りのせいうちくんが払ってくる「ツケ」が効いた店だったから。
今でもよく息子の噂をしたりするらしい。

せいうちくんが作ってくれたハムエッグと雑炊とタンドリーチキンの残りで朝食をすませ、出発。
車の中でもアニソン聞きながら楽しく会話した。
カノジョはわりと無口というか、「人の話を聞く方が好きなんです」と自分で言っていた。
そういう人に会うと、私はしゃべりまくっちゃうんだよなー。
せいうちくんと助手席の息子が何やら盛り上がってるのを尻目に、後部座席で親戚談義などをしていた。

娘に会ってもらうにあたって、昨日、2人でよく前説しておいた。
せいうちくんは、
「障害者と言っても、たぶん考えてるより見慣れない身体をしています。びっくりしちゃってください。慣れてる私たちでも、けっこうびっくりします」と言い、私が、
「まず、140センチ30キロってサイズ感からびっくりしてもらっていいです」って言うと、息子は驚いたように、
「娘ちゃん、今、30キロもあるんだ!よかったねぇ!」
腸閉塞の緊急手術をし人工肛門をつけた、生命が一番危ぶまれた数年前、25キロ近くまで落ち込んで、それではあまりに体力がなく抵抗力等も弱くなる、と高栄養液を入れて体重増加に努めた結果だ。
重すぎれば今度は介護が大変になったり褥瘡の元になったりで、加減が難しい。

私からは、
「意味がわかると思って話しかける必要はないから。優しく呼びかけてくれればいいから。『こんなこと思っちゃっていいのかな』と思うような考えや気持ちがわいてくるかもしれないけど、それでいいです。当たり前のことです。親である私自身、いまだに受けとめきれていません」と話した。息子が、
「オレだって、正対するのに25年かかった。今も、自分の中にいろんな思いがある。街で障害者の方を見かけておねえちゃんのこと思い出すと、思い出したこと自体で自分が許せなくなる。『いろんな方がいるのに、オレの中ではひとくくりに障害者、なのか!?』って」と彼の言葉で補完してくれた。

施設では、まず面会票になんて書くか迷った。
「1.父 2.母 3.兄弟姉妹 4.その他」で、2人で来る時は1と2に丸をつけてるし、息子が来た時は1と2と3、になるんだが、今回は4までつけるのか?
少し考えて、広義にはきっと「3」でいいんだろう、いやそれでいこう、と1、2、3に丸をした。

4人分の面会者証をもらって首から提げ、娘の病棟に行く。
息子が運んできてくれた丸椅子4つをベッドの脇に並べ、順繰りに場所を換えながらみんな、娘と心の対話をした。
息子は娘の成長せずゆがんだ小さな頭に手を当て、祈るような顔で見つめていた。ヒーラー(治癒者)のようだった。
いい交流が行なわれてるっぽい温かい空気が流れ、あまりに絵のようなので、足元側に座っていた私は娘の足の裏をくすぐるとかしてこの調和を崩したい、との妄念を抱いてしまった。
「完璧なものは汚したい」とか「治にいて乱を望む」な心持ちだろうか。

「オレの話は済んだよ。こないだ会ってからどんなことをしてきたか、オレなりに何をどうやってるかを話した」とさっぱりした顔をしてるので、私も何か心で語りかけようと思ったが、これはなかなか難しい。
赤ちゃんの頃あやしたような気持ちについついなってしまうんだよね。
30近い女性に、「娘ちゃん、む~す~め~ちゃん~」と歌うような気持ち。親はしょうがないかぁ。

「じゃあ、帰ろうか」とベッド脇を立つと、カノジョが娘に小さく頭を下げた。「お元気で」
胸がいっぱいになった。
息子は良い人を選んだものだ。
この先どうなるにしても、息子を産んで育てた人間として、常に一番にカノジョサイドにつきたい。カノジョファーストで行きたい。それが息子の幸せでもあるからだ。

近くにあるプロ用食材店で買い物。
娘と会うとどうしても悲しい部分があるので、面会後にいつも行く、遊園地のような場所だ。
「初めてタピオカストローの束を見た時は『何、このぶっといストロー?!』って驚きましたよ。まだタピオカミルクティーの存在を知らない頃でした」
「そんなものまで売ってるんですか!」と会話したあと、彼らは彼らで夢中になってあちこち見始めたので、ここでしか買えない(まあ最近はAmazonで何でも買えるんだが)大きな「牛ベース」スープの素を買ったりする。
カキフライの頃には欠かせないタルタルソースに入れるピクルスの巨大な瓶詰めも買う。

息子たちも珍しがって楽しんでくれたよう。
「欲しいものがあったら一緒に買うよ」と声をかけたら、冷凍エビの大袋とか「なめたけ」の大きな瓶詰めを買っていた。

私が栗が嫌いで、お正月になると売っている「栗の甘露煮」を食べたことも食べさせたこともないため、大きな瓶詰めを買ってあげようか、と聞いたら、全然興味がないそうだ。これは食育の失敗か。
母親が偏食なものだから、彼の人生にはあまり登場しなかった食べ物がいくらでもある。煮豆とかちくわとか。
今からでも、食べたいものは何でも食べてくれ。

レジで初めて聞いて超・驚いたことに、この店は来年の初めで閉店になるのだそうだ。
チェーン店がよそに残ってはいるが、遠い。
長いこと通った大好きなお店だったのに。娘に会ったあとの、心の落ちつけどころだったのに。
車に荷物を積みながら息子にそう話すと、
「こんないい店なのに、つぶれちゃうの?なんで?」と驚愕してた。
母さんも同じ思いだよ。店舗経営ってなんて難しいんだろう!

「冷凍物持ってるのに、寄り道していいの?」と聞いたら「大丈夫大丈夫」とのことなので、ジョナサンでお茶。
朝ごはんをしっかり食べたうえ、よく考えたら昨日から食べどおしなんで、みんなドリンクバー。
「スイーツでもどう?」って2人に勧めたんだけどね。

娘に会ったことを、重荷にも何にも感じないでほしい、と話す。
また、将来的にも娘のことで息子に負担がかかる心配はない。
娘は障害者年金をもらっていて公費で治療も介護も受けられて、彼女の収入の中でまかなえる額しか請求されない。
時々保護者として書類を書いたり同意をしたりの必要はあるが、せいうちくんも主に郵送でやってるくらいで、実際に足を運ぶ必要はない。
会いたい範囲で会ってもらえればいい。
すでに成人した娘には親の代ですらそれぐらいしか要求されないので、まして弟が強く求められることはなく、彼の社会生活にはほとんど影響がない。
そんな話をいちおうさせてもらった。
気持ちの問題は、それぞれ家族や環境は選べない、その範囲だろう。

我々の不在中、家の車を貸してくれ、と言うので、最初は公演の準備のためとかに使うのかと思って、
「連絡が取りにくいことを思うと、何かあったらと不安。そのストレスな部分はレンタカー代を援助するなどで代替したい」と提案すると、「それももっともだ」と言いつつ、「期間が長いからなぁ」と答える。
どうも、5日間ほど、カノジョとドライブ旅行をしたいらしい。

いや、私がトイレに立ってる間に、せいうちくんから、
「お正月はどうするの」と聞いたところ、
息子「まだ決まってないなぁ」
カノジョ「旅行とか、行こうか、って」
息子「車があるといいんだよなぁ。使ってなかったら、貸してくれない?」
せ「ああ、全然いいよ」って話になってたらしいんだ。
そこで戻ってきて、「車貸してほしいって」と言われたので、そんないい話だとは知らなかったんだよ!
そんな楽しい計画、2人のためになるイベントなら話は別だ。

私「機械式駐車場の使い方、わかる?」
息子「わかるよ~もう何度も借りてるじゃん(苦笑)」って感じで、車と駐車場のキーを渡しておく。
どっちもスペアがあるから大丈夫。
宿はどうするのか(「なんとかなるんじゃない?取れなきゃ漫喫でもいいし」お正月の宿の混み方と値段をなめるなよ!)、チェーンは簡便なものしか積んでないから絶対北の方に行くな、できれば温暖な海岸線を西方向にでも行って温泉でもどうだ、といろいろお節介を焼いて、お茶の集いは終わり。
そろそろ帰るか。

店を出て車に乗り、また後部座席でカノジョと話す。
息子の運転は上手で、安心できるそうだ。
免許は持ってないけど、助手席に座ってのドライブは大好きなんだって。
私たちもドライブ旅行はよくしたよ。楽しいよね。2人で楽しんできてほしい。

駅で降ろして別れた。
楽しくて楽しくて、涙が流れてきた。
「あきらめな。キミには僕がいるじゃない」って、そういうことじゃないんだよ。
自分の息子といろいろ懐かしい話ができて、考えてることや世の中の話も共有できて、お互い認め合ってるとわかるのがこんなに楽しいものなら、それが親になったご褒美なら、同じものを手にしていいはずのあなたのお母さんにこの思いをさせてあげられないことに、忸怩たる思いを覚えるんだよ。

「いっそもっと大ゲンカとかして、認め合うことはできないの?」と問うたら、
「反抗期をきちんと通過してないから、今さら無理。こっち側もどうしていいかわからないし、男の子の反抗期を知らない人には今でも『おかしくなっちゃってる』としか映らない。男の子は特にね、順調に反抗期がこないとその後立派に大きく強くなれないんだよ。カルメ焼きのように、膨らむべき時に膨らまないと、チャンスは二度とめぐってこない。本来『目が三角になって親をにらむ』べき時期に見せる優しい気遣いらしきものは、偽物だよ。僕はいまだに偽物の気遣いを見せてごまかしてしまっている」と猛反省を始めたのはいいが、話は進まない。

今日、私にとって世界は完璧に見えるのだ。
不自由な娘でさえ、きっと幸せに生きていると心から思える気がする。(腑に落ちてないので少し回りくどい)
「息子のこと、こんなに好きでいいんだろうか」と震える声で聞くと、
「当たり前だよ。生んで、育てたんだから。好きじゃなくてもいいけど、好きなのに戸惑うことないよ。思いっきり好きになりなさい」とのお言葉。

そうね、もしカノジョと私が両側から息子の手を引っ張るようなことがあっても、息子自身が私の手を振りほどき、突き飛ばしてでもカノジョの方に行くだろう。
そうなってほしいと思って育てた。
「世界は私のもの」と望み、口に出しさえしなければ、世界は優しいのだ。これも当たり前の話。

19年12月23日

引き出しの整理をしていたら、古いペンダント型の時計が出てきた。
とても古い。もちろん止まっている。
裏に、「チーム賞 S電機 海事本部」と刻印されてる。83年11月のことらしい。
そうか、勤めて2年目に、会社の業績がよかったとか部署で成績が上がったとかで、記念の時計が配られたんだろう。

身体を壊したせいもあるとしても、新卒7年で結婚退職してそれっきり働いてないのを世の中に対してたいそう顔向けできない気持ちで生きてきた。
後ろめたいのと経験が少なすぎるのとで思い出すことも申し訳ないようで、封印していた。
でも、こんなとこに物証が出たかぁ。
「何言ってんの。マンションの頭金はほぼ全部キミの貯金だよ」といつもはげましてくれるせいうちくんも、
「いいものが見つかったねぇ。直してみたら?」と嬉しそうに言ってくれる。

電池切れだけだといいな、と、とにかく時計屋さんで見てもらった。
動いたら、自分の人生も少し動き出すかも、とか思った。
でも、電池が切れただけでなく、液漏れして中の機械を傷めてるのと特殊な製品なのとで、修理すると1万5千円以上かかるとのこと。
とりあえず見積伝票をもらってきて、それを前にして考え込む。

結局、直さないでただペンダントとして使うことにした。(人に時間を聞かれたらどうしよう?)
いつか、もっと金銭的に余裕ができるか、自分の生涯をもっと意味あるものにする必要に迫られたら、直すことにしよう。

大河ドラマ「いだてん」、最終回は「時間よ止まれ」だった。
時は、動いている場面だけではない。止まっているのも立派な「時間」だ。
私の「ある種のオトナ時代」が凝縮されているこの時計には、止まった状態がふさわしいのかもしれない。
まだ、再び針が動き始める時ではない気がする。
動き続けるのを良しとする傾向が強すぎる私が、「止まっている」ことを堪能し、価値を見いだし、評価できるようになったら、時計を直そう。
この歳になっても試練は残っているもんだ。

19年12月24日

バス停までせいうちくんをお迎えの散歩に行って、コンビニの前にサンタ服を着たケーキ売りが出てるのを見た。
ワインやシャンパンも売ってる。まあコンビニの前なんで、推して知るべしな値段だが。

子供のいる年下の友人の家では「サンタの片割れが帰ってくるのを待っている」らしい。
そういう存在がいなくなってしまった今、我々はイブもクリスマスも忘れてる。
晩ごはんはサンマの塩焼きだ。
昔、実家に電話して驚いた「ローストチキンと湯豆腐」という謎のクリスマスメニューより、完全に忘れてる分マシなのかダメなのか。

息子が小さい頃は面白かったなぁ。
「わるいこだったから、サンタさんきてくれないかも…」と苦にしている彼のために、せいうちくんに頼んで家電の親機から子機を鳴らしてもらい、サンタと話してるふりをしてみたことがある。
「はい、今、サンタ会議にかけてるんですか…そうですか…『あれはよくなかったけれども、いつもとてもいい子にしているから』…はい、そうです、いい子です。そうですか!来てくれるんですか!」
どんどん目が丸くなって、顔が明るくなるのを、見るのは楽しかったよ。

もちろんその後、「サンタなんていない。あれは、親だ」って現実の中で暮らすようになるんだけど、高校生ぐらいの時、いきなり枕元に靴下を吊るしていた。
私「なにこれ」
息子「お札の1枚も入ってたら、コドモは嬉しいものなんだよ」

こうまで言われては仕方ない。
ぐっすり寝ている最中にそっと千円札を入れておいた。
夜中にトイレに起きて見つけ、小躍りしていて、それはそれで楽しかった。
「それだけじゃナンだから」と一緒にひとつ入れたカントリー・マァムには激怒されたが。

ときどきの、いろんな楽しみ方があったものだった。
今、サンタさんはうちの上だけ成層圏を通過しているような気がする。
ドンキホーテの店先で見たエロ可愛いサンタコスチュームぐらいでしか、サンタ界を思い出さない。
コンビニ前のケーキ売りサンタなんて、夢がある方。
汚れちまったもんだ。

19年12月25日

綺麗にして正月を迎えようという、ものすごい当たり前の動機で予約を入れてあった美容院。
受付の方に、
「クリスマスの忙しいのは終わりましたか?」と聞くのは、ひと月前に担当さんから、
「忙しいのはイブまでですね。当日はかえってすいてきます。イブまではホントすごいんですけど」と言われていたから。
「皆さん、お出かけしちゃいますからね~」と受付さんも明るかった。

もうね、3ヶ月に1度ぐらいは白髪染めしないともたないの。
今、一切染めるのやめたら見たことない白髪の自分が出現するわけで、嫌とか避けたいと思う以前に、見慣れていなさすぎて腰を抜かしそう。
白髪染めサボってる時の「びん」のあたりとかものすごく不穏で、たぶんもはや以前の「白髪がある」状態ではなく、ただ「白髪になってる」んだと思う。

直面してもいいけど、流行りの「グレイ」にするとあれはあれでキープが大変なんだそう。
夏に会った、ショートのグレイをカッコよく決めてるママ友が、
「染めるより手入れは大変よ。気を抜くと汚くなっちゃうの。日本人の白髪はほっとくと『銀髪』じゃないのよ、黄色っぽいの」と具体的にコワい話をしてくれた。参考になるなぁ。

今日は「伸ばそうかと思ったけど飽き飽きした」と、「ちょっとボブになってきたぐらいで何言ってんの?」ってメンチ切られそうなワガママを言う。
ついでに「染めも、もっと赤っぽくしてみたいです」と更なる無理を。
こちらは、「カラーリングと違ってまず白髪に茶色を入れる関係で、他の色が入りにくいんです。これ以上赤っぽくしたければ、どうしても白髪が染まりにくい状態になります」と美容師理論で脅された。
いいよ、だんだん白髪で暮らしていくことに慣れるようにするもん。

美に対して意識の高い担当さんとはいつも話がどうしても合わない面があり、私らしく、今回はそこをぶっちゃけてみたら、答えはこう。
「考え方はそれぞれですけど、僕は人の見た目って重要だと思うんですよね。それに対して、できることをしていくべきだと思ってます。小学校の頃から、『モテたい!』って思ってきましたもん」
うーむ、この年季の入ったおしゃれさんに、できれば髪を乾かさずに寝たいし寝癖なんかちっともかまわない生活と性格をしてるんだ、って説明し切るのは難しい気がする。
「乾かさないで寝るなんて、不利益しかないですよ。衛生面でも、髪の表面が荒れるという意味でも」
あーん、論破されちゃったよぉ。

「これでもうさこさんには『美容成分の少ない話』をしてるつもりなんです。あまり興味ないっておっしゃるから」
「そのお気遣いは感じてます。じゃあ、世間話をしましょう!」って、息子がカノジョ連れてきた話を延々してた。
担当さんは「僕、(カノジョの数が)少ないんですよね」と息子の女出入りの多さを責める風情だったので、よくよく聞いてみたら、ほぼ同じ年月を生きてる男子として、これまでの総人数はあまり変わらない。
ただ、勤め始めて6年同じカノジョとつきあってるとは言っても、中学生からカノジョがいるんじゃ、同じ条件の勝負とは言えない。
たぶんハタチ近くまでカノジョいたことない息子、デビューが遅すぎる。

それでも2年ほど私の話を聞いてきてるせいか、
「息子さん、いい状態になってきましたね~!やっぱり、家を出ないと。あと、やることやってると自分に自信がついてくるんですよね。自由業は、最後はやってるかどうかの勝負ですからね」と、いつもクールな担当さんにしては熱く応援するスタンスになっていた。

世間話の一環として、
「年末だから家計簿〆てみたら、今月は1万円以上黒字になりそうで、『やった、ダンナと焼き肉食べよう!』って思ったけど、よく考えたら今日ここに来て毛染めもしちゃったんで、赤字確定です」と話す。
おかげで、お会計の時に、
「あっ、レシート必要でしたよね。家計簿につけますもんね!」と忘れかけてたレシートがもらえた。
今年もいろいろありがとうございました。

終わって「赤っぽい茶髪で可愛くなって」せいうちくんと焼肉屋でおちあい、美容院&クリスマスデートで気合いが入ってるさまに喜ばれる。(でも焼き肉笑)
ここんとこ井之頭五郎の「1人焼肉」にずっと刺激されて焼肉の頭になってたからなぁ。
せいうちくんによると、2人焼肉は大勢よりも気が緩んで美味しいんだそうだが、私は闘争心に火がつき緊張感に包まれ他人の肉の焼き加減も常に視野に入ってきて総合力が試される「3人以上の焼肉」が真の美味さと考える。
もちろんせいうちくんにも五郎にも異論のあるところだろう。

旅行中に息子が車を借りに来て使うので、「寸志」を置いといてびっくりさせたくなった。
LOFTにポチ袋買いに行ったら、時節柄、「お年玉袋」だらけ。
いい歳なのでお年玉でもないだろう、と敢えてご祝儀袋のコーナーに行き、まさに「ちょっとした金額を入れる」ための袋を探した。
いろんな表書きの小袋を売っている。面白い。

「おこづかい」 ニートが進みそうだ。
「お車代」 意味が全然逆だろう。
「これっぽっちだから『ぽち袋』って言うんだ」 惹かれかけたが、駄菓子の小袋の裏に印刷してあるうんちくじゃないんだからさぁ。

「ほんの気持ち」 …これだよ、これ!こういうのを表現したいんだよ!

小さなフェルトのウサギがついたその袋を買い、お札を入れて、運転席に置いておいた。
せいうちくんが、「気をつけて行ってきてね。楽しんで!」と書いてくれたメモをつけて。
親はホントしょうもない。
コドモ心もわりとしょうもない面があるので、お互い持ちつ持たれつ、ほど良い距離でやっていこう。
基本はやはり、「他人にしないようなことはしない。良くも悪くも」って節度かな。

偉そうなことを言ったとたんに「できてないじゃん」と思えてきたので、
「車を貸すのに寸志を置くのは、他人に本を貸す時にそっと気に入りの栞をはさむようなもので…」と、やや苦しい言い訳をしてみる。
まあとにかく、意識的であることが肝心ですよ。

帰ってから、せいうちくんがとても観たがっていた「ザ・ファブル」を新作配信で鑑賞。久々にシネマルーム使ったぞ。
25日にDVD発売ってAmazonに書いてあったから、配信も始まるのではと網を張ってて、本日零時を過ぎたところでのぞいてみたら、大当たり。
さすがに夜中に2時間は無理なのであきらめて寝て、さっき観た。
今、2人とも夢中になってるマンガで、おまけにせいうちくんは安田顕が大好き。
(今年は「なつぞら」「俺の話は長い」あと黄色い煉瓦の話でお世話になった。ご多忙だ)
あまりにマンガの世界観に近いので、私はついに映画に連れて行かれることができなかった。
岡田准一があんなに「佐藤明」に似てるとは。俳優恐るべし。

年末の日記はここでおしまいです。
お正月休みをいただいて、新年は明けて10日ごろの更新となります。
皆さんもよいお年をお迎えください。

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