20年3月1日

そうそう、昨日の夕方、先日夜中のネット飲み会を持ちかけてきたGくんが、正式にFB上で飲み会を公募してた。
気がついたのが遅くて終了予定時間の10分前に読んだもんで、あわてて参加してみる。
「おー、せいうち夫妻が来たか。他には誰も来ないんだ~」とすでにいい調子に酔っ払ってるGくんしか映らない。
あまり盛況でないようだった。

しかし、いっぺんに2人参加者が釣れたうえ、技術的にどうすればいいかの実験にはなるので、酔いも手伝ってか機嫌のいいGくん。
まあ飲み会らしく近況でも語ろうとトイペ難民になった話をしたら、
「そんなもんなくってもいーじゃん。ウォシュレットあればペーパーなんぞ使わんだろ」と豪胆な発言。
そのあと、拭かない?
そう言えば去年Gくんや長老と飲んだ時、「ウォシュレットが先か、ペーパーが先か」で議論になったなぁ。
「洗ってから拭く」のが当然だと思っていたせいうちくんや私は、「先にウォシュレットを使うと飛び散るじゃないか!」と主張する「拭いてから洗う」派の長老に、「どういう状態のお尻?想像つかない」とおびえたもんだった。
はて、Gくんはあの時どっち派だったんだろう?

結局飲み会と言うほどのものにはならずにさくさくと終わり、我々ただの被検体だった。
今後の課題は音質と4人までしか参加できないことだろうか。
有料にすればもっと大勢でできると主張するGくん、まず4人でのコントロールを完璧にしたのち、アプリ料を持ってくれたまえ。
我々は喜んで参加するぞ。夜中に突然、とかでなければ。

そんな話をせいうちくんと面白くしながら夜更かししたもんで、起きたらもう昼だった。
昨日トイペ難民になったうえ先輩に叱られたと悲しい話をしたLINE相手から、
「我が家には買い置きがあるので、お送りしましょう」と嬉しい申し出が。
持つべきものはネットワークと友人。
準備していたウェスを片づけ、喜んで普通にトイレ。
ああ、当たり前のことがこんなに幸せだなんて。

ちなみに彼女は「トレペ」と表記する。まわりも皆そうなんだって。
我が家は「トイペ」でまわりに「トレペ」派はいなかったのでちょっと不思議に思っていたら、まんがくらぶの先輩デザイナーのツイートで理由がわかった。
「とりあえず、トイレットペーパーを『トレペ』と呼ぶのはやめてほしい。(トレーシングペーパーファン)」
そうかそうか、もう使わないから忘れてたけど、漫画原稿の上にかぶせて文字指定したりするアレ、トレーシングペーパーだった。
絵を描く界隈ではトレペと言えばそっちだから、トイレットペーパーは「トイペ」になるのかぁ。

という話をしたら、興味深く聞いてくれた。
せいうちくんは、
「親切にしてくれる人になんだか意地悪じゃないだろうか」と心配してたが、私は空気を読まないので、違う世界の情報を交換し共有することをイカンとは微塵も思わないのだ。
この場合、何かが障るんだとしたら、「ギョーカイではこう呼ぶんだよ」的なマウンティングと思われる心配だろうか。
実際には「ギョーカイ人」でない私は、より不毛なマウンティングをしてることになるんだろうか。
そんなこと言ってたら他人と会話なんかできないじゃないか、一個人一業界だ、常在異業種交流会!とバッサリ。

20年3月2日

息子が公演に出る、と知らせてきた。
4月にコントグループでイベントに出演。インプロやるらしい。
「法務省公認」って、何だ?

5月は劇団のオーディションに受かって演劇に出るって。
こちらは所属コントグループの名前は出すものの完全に個人で出るわけで、コント作家・演者と役者、どっちが志望なんだかわからなくなってきた。
もともと、お笑いと言ってもコントは演劇寄り。
お笑い寄りの演劇も多い昨今、大きな違いは長さだけか。どちらともつかないのも多くなってきた。

人に息子の現在を言う時、「お笑いやってる」って言うと「M-1出るの?」「テレビに出るの待ってるよ」「ブレイクするといいね」と言われてしまう。
テレビはあんまり好まないらしいとか劇場型のコントを目指しているとか説明するのが大変。
私だってよくわかってないしね。
この際、「芝居やってる」って言った方がわかりやすいんじゃないか。
とりあえず「ブレイク」みたいなイメージはなくなるかも。
売れなさ加減、食えなさ加減がストレートに伝わりそう。
いやまあ、似たようなもんで誰も気にしないだろうな。

大学を卒業する直前、なぜか演劇関係の人たちと縁ができ、舞台に立ったことがある。
私は心臓の手術の検査入院と本番の合間だったので見に行けるかと心配してたんだけど、無事、舞台上の彼を見た。
なかなか面白い芝居で、彼も「磯野波平さん」みたいなおじさんを好演してた。
しかし思えば学生演劇にすぎず、今度は小なりと言えども商業演劇だ。

「君の演劇は(卒業間際以来)久しぶりだから、とても楽しみです」とせいうちくんがメッセージ打ったら、
「そうね、、」と口ごもる様子。
「そのタメはなんだろう?」と私が聞くと、
「今回はあの時みたいな演劇ではないと思うので、のタメ」なんだそう。

前衛演劇という意味か、それとも僕あんまりセリフがないかもって意味か、と重ねて聞く。
息子「まだ脚本もらってないからわからないけど」
私「井上ひさし?」
息子「その手のタイプだと思う」
ほほー、聞き返してくるかと思ったら、井上ひさしの遅筆は世代を超えて有名か。
こういうラリーがすぱんすぱん通じると嬉しくなるのって、気取っちゃってるかしらん。

自分の知ってることを人が知ってると、嬉しくなるよね。
知らないと教えたくなるし、自分が知らない時は、んー、聞きたくてしょうがないケースもあれば、「ふーん、だから?」ってこともある。
と言うことは、こっちが知ってることを教えたい時、相手はある程度の確率で「ふーん、だから?」って思ってるんだよね。気をつけよう。
できればお互い、「ごめん、それはあんまり興味ない。それよりこれこれの話をしよう」ってフランクに言えると一番いいと思うんだけど。

フランクこそ私の目指すパラダイスだが、「自分の領域を侵される不快感」を感じる人もいると、この歳になってやっと知った。
手塚治虫の「アトム今昔物語」の未来世界で、「みんながそれぞれ好みの音楽を聴いて踊っている」ディスコみたいなのがあるべき姿なのかな。
「おんなじイヤホンのグループがまとまって踊ってるでしょ。こうすれば静かだし、混雑もないわ。わりと公衆道徳は進んでるのよ!」との説明に、なんだかうんうんとうなずいてしまう。
ただ、それはそれで互いに刺激がなくて衰退していくような気がするのも事実。

息子の話をしてたつもりが、社会を語り始めてしまった。
今、あまり実感できないのに世の中の緊張が高まってるのをテレビのニュースやSNSでだけ知って、「何か将来に対するただぼんやりとした不安」を感じたりする。
文豪だったら名作を書くか自殺するかしてるのかな。
我ながら話にまとまりがないよ。

20年3月3日

通院日。胸の手術痕治療と歯のお掃除の2件。
前者はそろそろ薬も注射もやめてみようかと思って半月ほどほっといたら、ケロイド化した一部が赤く腫れ上がってきたので、あわてていつもの皮膚科へ。

「女性は乳房で両側から引っ張られるため、胸の傷が治りにくい」と指導する女医さんに、常々聞いてみたかったんだ。
注射をしてもらうために横になってブラジャーずりあげながら、
「先生は、寝る時ブラジャーしてますか?」と直球を投げる。
先「してるわよ。やわらかいやつだけど」
私「こんなんですか?(と自分のジニエブラを指さす)」
先「もっとやわらかいかな。寝る時用のブラ」

好きな女性とブラの話をする嬉しさと恥ずかしさで、それ以上聞けなくなっちゃったよ。
どこの、なんてやつを買えばいいかまで聞くべきだったなぁ。

私「あんまり傷が痛むんで、こないだ『さらし』買って巻いて寝たんですよね」
先「あら、いいじゃない」
私「夜中に苦しくなって、ほどいちゃいました」
先(笑いながら)「きつく巻きすぎよ。伸びるタイプじゃないの?」
私「普通のだと思います。『さらしダイエット』にも使えるって書いてあった安い品を買いました」
先「伸びるやつ、ないかなぁ。さらしはいいわよ。きつすぎないように巻いてみて」

傷の腫れたとこに極細の針で4箇所ほどケロイド鎮める注射打ってもらって、飲み薬もらって、次は歯医者だ。
両方予約制だから時間調整が上手くいけばほぼ待たないし、3軒隣なんだよね。便利。

「お口の健康が大事」と言われる昨今、長生きには興味なくても不自由な状態での生は好まず、かつ自分の口腔内管理にはまったく自信の持てない「ささっと電動歯ブラシ」派なので、歯医者はマメに行く。
肉体の欠損を異常に怖がる性格ゆえか「歯が抜ける」は定番の悪夢で、できれば避けたい事態なんだ。
半年とか4ヶ月に1回歯医者でお掃除してもらってたら、抜けるリスクはものすごく減る気がする。
気がするだけだとしても、かまわない。

優しいおねーさんが機械で「ちー」ってお掃除してくれるのは、わりと好き。
昔の歯医者さんみたいに痛くないんだよね。器具の進歩か「痛いことはしない」のが歯医者業界の流れなのか。
そう、昔の機械は今の「ちー」とか「ちゅぃーん」じゃなかった。「ぎゅるぎゅるぎゅる」だった!
近所の歯医者さんはみんな、おびえる子供患者たちから「えんまさまのドリル」とか「あくまのドリル」とか呼ばれていたはず。

「磨いていきますねー」って最後に表面キレイにしてもらい、ミントの香りが顔中ふわふわ取り巻いてる状態で帰った。
歯周病は忍び寄っているが、やはり定期検診とお掃除が大事、と念を押された。
次の時期になったらおハガキくれるんだよ。ここまでしてくれたら、行くよ、うん。
こういう風だから、「病院が好きなんですねぇ」なんて笑われるんだな。
いいよ、きっとある種の老人はみんなそうなんだよ。

20年3月4日

今度はティッシュペーパーがあと4箱しかないのに気づき(家中の4箇所ぐらいに置いてあるため、全部いっぺんに切れるとそこで詰む)昨日も今日も、ドラッグストアをのぞくだけのぞいた。
高校で習った「”in vain” 無駄である、むなしく~した」ってやつ、いきなり思い出したよ。
決して不足はしませんから正常な買い置きだけしてください、との政府見解に問いたい。
正常な買い置きだけしたいのにそれができない時、人はやっぱり焦っちゃうもんなのでは?!

もちろんこの先トイレットペーパーやティッシュを見かけても必要以上に買い込んだりはしないつもりだが、我が家の場合、

・トイレットペーパー=トイレの棚にぎっしりだと美しい
・ティッシュペーパー=リビングの物入れに4セットぐらい入っていて、せいうちくんに「こんなにどうするの?」と困惑される

のが標準のスタイルなので、今の状態はたいそう不安。
何があってもあわてない備蓄を持ち、いざとなったら友人知人に分け与えるほどの「ため込み王」を目指していたのに、ここに至って逆に友人に救済されてしまったよぉ!

こんなおりだが、トイレットペーパーの呼称について少し研究してみた。
ママ友の多い友人は「トレペ」と呼ぶ。
うちは基本略さないが、短く言う時は「トイペ」。
デザイナーやってる先輩が「トレペ」と呼ばないでください、とツイートしたのをきっかけに知り合いに取材してみた。

編集者と漫画家の夫婦の家では、「トレペとは絶対呼ばない。トレペと言えばトレーシングペーパーだから。そもそもあまり略さない」のだそう。
友人経由で聞いた出版社勤務のおうちでは「トレーシングペーパーの話自体、話題に出てこない」と困惑され、トイレットペーパーは略さず表現しがちなのだとか。
少ないサンプルながら、「トレペ」「トイペ」以前に「編集者たちは略さない」と結論づけよう。
業界の掟なのか文章を扱う者としての矜持なのか美学なのか。
うーん、深い話題になりそう。もっと編集者はいないかー!

20年3月6日

毎日毎日時間がない。
と言ったら驚かれるだろうなぁ。
私ぐらいヒマな人はいないし、皆さん時間を分けてもらいたいぐらいだと思うだろう。
しかし本人の身体感覚(?)としては、「まとまった時間がないなぁ」と感じているのだ。

不遜で贅沢だぐらいはわかるので、なんでそんな風に感じるのか、よーく考えてみた。
このだらだらとしたノルマのない果てしなく野放図な生活の中で。
そりゃあもう、ヒマにまかせてぎゅうぎゅうと考えた。

結論として残ったのは2つ。

その1.本やマンガを読むのが遅くなったので、達成感がない。
その2.なにもしなくていいのに、常に「何かやらなきゃ」と思っているので、消耗だけしている。

さて、その1について。

昔に比べて何をするにも速度が遅い。
たとえば本を読むなら、時間さえあれば1日1冊読めてしかるべきだと思ってしまう。
中学とか高校に行きながら1日5冊読めていた45年前を思えば、いくら加齢によっていろいろ退化しているにしても5分の1ぐらいは読めるだろうと。
しかし、読めない。

老眼のせいなのか集中力がないのか頭が悪くなったのか、いっぺんに30分ぐらいしか読めないし、本に向かう気持ちは1日に3回ぐらいしか起こらないし、1冊読むのにだいたい3日ぐらいかかる。
1冊に4時間もかかるようになってしまったのか、自分!
マンガも同じこと。
昔なら30巻ぐらいは一気にやっつけたもんだったのに、やっぱり1冊読むのに気息奄々。

これが実は、電子化の弊害かもしれない。
電子と紙を両方読む人と話すと、たいてい同じ結論に達するんだよね。
「紙に印刷された文字は向こうから飛び込んできてひと目で沢山読めるんだけど、タブレットやPCの画面上の文字は『こっちから読みに行かないといけない』」

確かになぁ、図書館で借りた紙の本は、幾分か速く読める気がするよ。
「意味をテキトーに拾いながらの流し読み」ができるのも紙の特徴。
そういう意味ではマンガの電子は少しマシだが、やはり紙ほどはさくさく読めない。
そもそも「読む気が起きない」って現象には生まれて初めてぶつかった。知的衰退?

その2について。

これはもう、私のビョーキ。
いつも何かに追いかけられ、やらなきゃいけないことがあるかのように感じ、「今日も何もしていない。それはきっと時間が足りないからだ!」と思い込もうとする。
「あ~、ヒマだな~。ひとつ俳句でもひねるか」なんてことには絶対ならない。

せいうちくんがいる時は、いい。とりあえずしゃべってる。何かしてるわけだ。
1人の時。
話すこともできない時間、私の頭の中ではずーっと「考え」がエンドレスにぐるぐると走り回っている。
ほぼ文章として完成された形や言葉で、何かを考え続けている。
もちろん役に立つ思考じゃない。なんにも生まない。
ただ、止まってしまうと二度と動かない機関の停止を恐れるように、ひたすら脳のシナプスに電気を流し続けるために、考え続けている。

「忙しい忙しい」と言って何にもしてないなんて、誰が見てもバカだ。
せめて自転車こいで発電したくなるぐらいだ。
ポルノグラフィティの「ミュージック・アワー」という歌の中で、
「なぜ人を好きになると こんなにも苦しいのでしょう?」と尋ねる「ラジオネーム”恋するウサギちゃん”」のお悩みにDJが答える。
「それは心が君のこと 急かして蹴飛ばしているからで シンプルな頭で聞けばいいのさ」
さて、シンプルな頭ってどんなん?と頭がまた猛烈に空回りを始める。
私の脳みそは、全身を「急かして蹴飛ばして」、眠らせてもくれない。

せいうちくんは「のんびり」の達人。
忙しく働き、家事もしてくれて、私の相手をして、何とか作った隙間の時間で好きな本を読んでいる。
足りない短い時間を愛おしんで、濃密に暮らしている彼は言う。
「いつもいつも急いでいて、かわいそう。僕はキミにのーんびりしてほしいのに」
その「のーんびり」のコツを教えてくれ、とまた急回転で迫る妻に、「のーんびり」を言葉で説明できないと困惑しゆっくり背中を撫でてくれるんだが、5ストロークもしないうちに、「それがコツなのっ?!どのへんがポイントなのっ?!」と早口で叫ばれる。
いやぁ、これは困惑しますわ。

今日も、「ヒマなのにせかせかして時間を無駄にしてる人」と「忙しいのにのーんびり豊かに生きている人」はかみ合うようなかみ合わないような話をして暮らしている。
「ゾウ時間とアリ時間」は人間にもあるよねぇ。
寿命が、違うとしても25パーセントぐらいしか違わないのは儲けものと言うべきか。たぶん倍は違わないだろう。たぶんね。

あああっ、今、「その3」を考えついてしまった。
Twitterを読んでると時間が溶ける。パチンコで万札が溶けるぐらい溶ける(やったことないけど)
3時間ぐらいはあっという間に溶ける(きっとパチンコでも3万円ぐらいはあっという間に溶けるんだろう)
SNS素人の私でさえこうなんだから、「ツイ廃」と呼ばれるような人はどれほど溶かしているだろうか。
ああ、そう思ったら怖くなってきた。Twitter閉じて、マンガ読もうっと。

20年3月7日

昨日の晩、せいうちくんの同僚のHさんご夫妻と四谷の北島亭で会食をした。
毎年年末に12月生まれのHさんとせいうちくんのお誕生祝いをするところ、例によってHさんが無茶苦茶忙しくて年内には時間が取れず、それであればいっそこの春の人事の様子を見てからにしようかとの運びになったのだ。
そしてめでたくHさんは昇進されたので、堂々と、お祝い会。よかった。

このおめでたい話を聞いて、どうしてもH夫人にあげたいものがあった。Hさんではなく。
去年、同じ店でお誕生会の会食をした時に当然の如く話題に出たよしながふみ、中でも「西洋骨董洋菓子店」が女性陣の話題の的。

「ドラマ化されてましたよね、昔!」
「椎名桔平、藤木直人、阿部寛、滝沢秀明…いろんなタイプのイケメンがそろい踏みで、まるでホストクラブでしたねぇ」(行ったことないけどうっとり)
Hさんがすぐにその場でスマホを握りググり始めたけど、日本のドラマは大概高いんだよね。
お値段見せられて、盛り上がる妻たちは「あうー」とノックダウン。
「残念ですねぇ…」と意気消沈した。

しかし今回はお祝いだ。
Hさん当人はあちこちでお祝いしてもらえるだろうが、奥さんの内助の功は意外と顧みられない。
もちろんHさん自身がいくらでも愛と感謝を捧げればいいんだが、他人から来るお祝いってのも嬉しいよね、陰の立て役者としては。
そういうわけで、私はどうしてもH夫人にこのDVDボックスを贈りたかった。

せいうちくんから特別予算をもぎ取り、Amazonに注文して(中古なんです…許して)、パックしてないのを幸い自分たちもちゃっかりもう1回見てしまって、「うおー、やっぱり名作。4人とも美しい~!!」と叫びながら「それにしても原作とずいぶん違う。えなりかずきの出る意味は?」とか首をひねったのでした。

宴が始まるやいなや「これこれ!とにかくこれをあげたかったんです!H夫人に!」とすごいテンションで袋を押しつける私。
開けてみたH夫人、「きゃあ、嬉しい!」
のぞきこんだHさんも、
「これは…高かったでしょう」(いや、そうでもないです。中古だから)

お2人の喜びようもさることながら、Hさんの言葉が嬉しかったな。
「僕自身、話したことを忘れていました。去年のちょっとした会話を覚えていて、準備していただいたなんて、本当に嬉しいですよ。ありがとうございます!」
うん、私ね、人をびっくりさせたり喜ばせたりするのは大好きなんだ。
両方の満足を堪能した気がする。喜んでくれて、ありがとう。

さて、お食事だ。
ワインはグラスワイン3種にし、お料理に合わせて出してもらう。
お祝い事なので最初はシャンパンで乾杯。

コース選び。
小食なHさん夫妻は3品のコースで、冷たい前菜(生うにのコンソメゼリー寄せだったかな)と温かい前菜(フォアグラの茶碗蒸し)、そして肉料理は仔羊の塩包み焼き。
我々は沢山食べられるつもりで4品。
冷たい前菜にせいうちくんは「生うにのコンソメゼリー寄せ」、私は「紅ずわいがにとアスパラのシャルロットサラダ風」(せいうち夫人はそれが大好きですね、と揶揄された偏食の徒)、温かい前菜は全員同じフォアグラ、魚料理「ホタテ貝とニンニクのバター焼き」の間はお2人に少し待っていただいて、肉は、常時メニューにあるわけではないので前々からお願いしておかないといけない「和牛ホホ肉の赤ワインとハチミツ煮」。
うーん、ほぼ完璧なよしながふみセット。

残念なことに、4人での会話が楽しくて盛り上がりすぎて、お食事の味が今ひとつわからなかったぐらいだ。
ワインも「シャンパン→白ワイン→赤ワイン」と出していただいて、いつもはそれほど飲めない私がHさんから「今日はよく飲まれますね!」と感心されるほど沢山飲めた。
いいワインと美味しいお食事はするする入るもんだ、と自分で感心。

まあでも酔いも手伝って、楽しすぎて、何を話したのかよく覚えていない。
夫の会社の人との会食でこれはまずいだろう。せいうちくん気にしないが。
マンガの話をしたら、「生徒諸君!」とか「エースをねらえ」とか古いところが出てきた。
さすがは昭和キッズである。
Hさんが紹介してくれた「秘書のマンガ」がわからなくて、教えてもらった「重役秘書リナ」を全然知らなかったことに立ち上がれないほどの敗北感を感じる。ライトおたくの反撃はずしりと重かった。

デザートの前に、フロア係さんが直径20センチぐらいのアップルパイをホールの形で持って来た。
表面にリンゴの薄切りが並んでて、飴色と焦げ色がとてもおいしそう。
本日4種のデザートのひとつだそう。
「写真撮っていいですか?」と聞くと、
「もちろんです!そのためにお出ししたようなものなので」との力強いお言葉に、皿を支える手ごと撮らせていただく。

せいうちくんはそのアップルパイを、Hさんはマンゴープリン、H夫人と私はクレーム・ブリュレだった。
それぞれコーヒーやエスプレッソを堪能し、最後はプチフールも出て、4品食べたことを少し後悔するぐらいの案配で幸せな時間は終わった。

スーシェフが独立して店を移ってから1年、オーナーシェフ北島さんが頑張っていて、いつも変わらずおいしい。
やはり少しフロアがすいていた気がするのは今の新型コロナ警戒令下だからだろうか。
しかし、七分の入りぐらいのレストランが一番落ちついてサービスを受けられるもんだなぁとヘンな感心をした。お客さんの立場としてはね。

Hさん夫妻と「これからもよろしく」「またやりましょう」と挨拶を交わし、持ち帰りになったプチフールを包んでもらったのをお店の人から受け取り、豪遊のあとなのでせいうちくんにタクシーを奢ってもらっていい気分で帰る。

しかし、5分ほど走ったところでせいうちくんが手荷物や着衣をバタバタあらためている。
「どうしたの?」
「僕、お菓子どうしたかな。コートを着る時下に置いたのを、そのまま忘れて来ちゃったかも!」
どうも現実はそうらしい。
そのためだけに車を戻してもらうのもなんだし、お店に電話したら確かにお菓子はあったそうなのでよくよくお詫びを言っておく。

そうかー、糖質制限上これ以上甘いものを食べちゃまずいから、明日、息子と会ってこのプチフールを渡すつもりだったんだよね。ついでに渡したいマンガのカタマリもあったし。
だけど自分自身口もきけないぐらいぐったりしていて、どうも風邪のひき始めな感じもする。美食は疲れる。
体力の衰えを痛感してることもあり、息子と会うのはまた次の機会にしておこう。キャンセルだ。
「時間を空けて置いてもらったのに悪いけど」とメッセージ打つと、
「おーけい!楽しみは先延ばしの方が燃えるタイプなので」と頼もしい返事が来た。

こうして今年も終わった北島亭探訪記。
やっぱり「和牛ホホ肉の赤ワインとハチミツ煮」は一度食べるべきひと品だなぁ。
よしながふみが作中で「踊りたい!しかしここでは踊れないっ!」と身悶えするのがよくわかる、口の中でとろける牛肉とハチミツの甘さは極上ですよ。

20年3月9日

古い本を自炊していると、紙がかなり焼けているのに気づく。
人間が歳を取り、しわが増え、容色が衰えるように、本もまた、刷られたその瞬間から年老いて行くのだろうなぁ。

誰も開いたことのなさそうなページが、裁断された時のまま少しくっついているのがいい。
手ずれのして、すっかり角が丸くなってしまった文庫本もまた、別の味わいが好きだ。
いわゆる「西洋紙」と呼ばれるこの酸性紙が入ってきてから、日本人は、本を撫でるようになったのかなぁ。
いや、それまでも「書物」があったのは知ってるけど、印刷・製本されたものじゃなくて和紙を和綴じしたものってイメージがあって。
あれも、撫でる人は撫でるんだろうか。

私は、自炊をすることで多くの本と濃密につきあい、楽しめたと思う。
出版社によってフォントが違うことも、版が変われば字数も変わる場合もあるってことも、新潮とかハヤカワは天が裁断されてなくてギザギザのままなこともそれを「天アンカット」と呼ぶことも、全部、ただ情報として本の文字を拾う読み方をしてる頃は知らなかったよ。

つまり、物質としての本とつきあうためには、中身しか見てなかったそれをいったんバラしてみる必要があったんだなぁ。
というわけで、お医者さんという人種は、生命について一般人とはかなり違う見解を持っていると信じるに至りました。
悪い意味はまったくないが、いささか強引な結末。
しかし本日はここまで!

20年3月10日

大内くんがごはんを作ってくれるので、私も使ったボウルを洗うとか、手伝いをしていた。
と、コンロの上のお鍋に、お湯が沸騰している。
色を見る限りでは、「出汁の素」しか入っていないお湯。

「これ、何を作るつもりなの?」と聞いてみたら、
「味噌汁だよ」と平然と答えるので、ちょっと驚いて、
「具は、何なの?」と聞くと、
「豆腐だよ」。

驚きMAX。
豆腐の味噌汁を作る時、豆腐って、水から茹でませんか?

「どうして水から入れないの?」
「なんとなく」

私は、不合理なことにはガマンができない。
たとえ料理の本に「豆腐は出汁が沸騰してから入れましょう」と書いてあったとしても、手のひらの上で切った豆腐を熱湯 に入れるって、危険すぎませんか?

「お湯がはねて、熱くない?そのことだけ取っても、豆腐は水から入れるべきだと思うんだけど」と真剣に抗議したら、
「そうだったのか!いや、僕はね、いつも、『この、豆腐を入れる時がタイヘンなんだよな。あちちっ』って思いながらやってた。特に、横で揚げ物用の油を熱してる時は、そうとう危険だった」って平然と、しなくていい苦労の話をする。

「・・・水から入れて。そしたら、そんな危ない思いはしなくていいから」
「そうだったのか!うーん、キミは、いつでもどこでも最強の理屈を考え出すねぇ。会社に勤めてたら、きっと偉くなれたよ」
会社より、今日の味噌汁のことを考えよう!

「でも、僕の料理ってそんなんばっかりだよ。キミが克明に見てたら、クレームの嵐だよ、きっと」
確かに、見ない方が心臓にいいことはたくさんある。
でも、豆腐の味噌汁ごときで火傷の心配までしたくない。

よく、「結婚するまでは両目を開けてしっかり見ろ。結婚してからは片目をつぶって大目に見ろ」と言うが、料理に関しても片目で見ておいた方がいいのかもね。それもかなりの薄目。指の間から、こわごわ。

20年3月11日

緑内障の治療のために行っている眼科、月末に検査があるのに目薬がなくなりそうだからやはり今日あたり行っておかないといけない。ちとめんどくさい。
午前中の遅い時間はどうか、と行ってみたら意外と混んでる時間で、まあ読書は進んだけど、そもそも眼科の待合室で本読むのはどうなのか。
目が疲れて検査の結果に悪影響があったりしないのか。

30分ほどして呼ばれてみると、あまり悪影響はなかったようで、眼圧が初めてと言っていいぐらい低い数値で、美人の女医さんがとても喜んでくれた。
眼圧を低く保てていさえすれば緑内障は進行しないらしい。
目薬は変えに変えて最後これ以外もう残ってないところまで来てて、前回も同じモノなので、こないだ高かったのは先生が言ってたとおり、「寒い時は血圧も上がるが眼圧も上がる!」だったのかもしれない。

「じゃあ、これで続けましょう!」と意気軒昂な先生に、ついでに「疲れ目」を訴える。
もらっているビタミン入りの点眼薬だけでは目の奥の痛みも頭痛もとれないのだ。
お初な「ビタミンのカプセル」をもらった。
透明カプセルの中に色とりどりの小さなつぶつぶが入っていて、なんだかとっても効きそう。
手塚治虫がアップでマンガに描きそうなカプセルだよ。

20年3月12日

今日もせいうちくんの会社関係のお友達と会食。
奥さんまで仲間に入れてくれる奇特な人が多くて、嬉しいなぁ。
しかし向こうが奥様を帯同するかというとそうでもない。
せいうちくんが有名な変人の愛妻家なだけなんだろうか。

別会社に移って長いSさんと、元上司に惹かれてついて行ってしまった形で同じ会社に移ったS’さん。
(両方Sさんだから、部下の方はSダッシュにしてみました。宮部みゆきの「悲嘆の門」の中で大好きだった名前のつけ方。ここでやれて、よかった)

先日、せいうちくんの友人TくんががSさんを紹介してくれと頼んできて、そこでTくんが選んだお店が新宿のお肉の店。
私も話だけは聞いていたんだが、今日、Sダッシュさんがセレクトした店にせいうちくんと行ってみたら、
「あれ、これはこないだTくんと来た来た店だ!」と驚いてた。
何の関係もないはずのせいうちくん友人TくんとSダッシュさん、なぜか同じ店を選んだか。この広い新宿で。
それに否応なしに関与してしまうSさんとせいうちくん。

とても洒落た店で、あいかわらず世の中には私の知らない世界が広がっとるなぁという感想。
Tくん、昔からバブリーだからなぁ。

Sダッシュさんのオタク仲間Kさんが昨日急な欠席を表明してきたので、4人の個室に通された。
私はこのKさんとSダッシュさんが、場が進むごとにどんどんディープにオタクっぽい話を展開するのが大好きなんだが、いや今日は惜しかった。
まあそのかわり、オタクの御大、彼らの上司筋のラスボスSさんがいるから、そっちを堪能しよう。

前菜のあとは骨付きラムを焼いたのが出て、それから魚の料理、サラダ、そしてメーンエベントは肉・肉・肉。
覚えてないのが申し訳ないが、アンガス牛のローストかモモとか、3種類出た気がする。
全部「牧草牛」で、とても柔らかく、お肉の味が良いのだそう。
わさびを添えて、神妙にいただく。

食事をしながらSさんのオタク道を様々に拝聴する。
なにしろコンプリートが好き。
アメリカ50州と日本47都道府県は全部足を踏み入れている。
(アメリカに関しては、そこで車に乗ることまで課しているそうだ)
そして文楽とオペラと宝塚を愛する。
SさんのFBを読んでいる我が家では、
「Sさんって絶対1人じゃないよね。5人はいるね。会社の帰りに美術展見に行って、翌日奥様とオペラ見て、その翌日また文楽行ってるって、人間業じゃないよね」とひそひそ「Sさん複数説」を唱えている。

Sダッシュさんはマンガが好き。
私が勧めた「このマンガがすごい!2020」を読んでくれたらしく、「ロボ・サピエンス前史」を苦労して手に入れたそうだ。
カタログとかベストテン方式を必ずしも良しとしない人が多い中、わかってくれる人がいて、嬉しい。
まずはそうやって広く評判になってるものを読むのは、無駄にならないと思うんだよね。
「『鬼滅の刃』がやっぱりすごいですよ!」と言ったら、娘さんに勧められてるそう。
おまけに隣のSさんまで、
「やっぱりいいんですか!私は1巻読んで絵がダメで挫折したんですが」と言い出すので、
「私も3巻ぐらいまではガマンして読みました。あとは勢いです。今でも技の名前と人の名前は覚えられませんが」と話すと、
「やっぱり心に訴えるものがあるんですね~」と感心してくれてた。再チャレンジされたし。

全員がほぼ一致して興味があるのは「映像研に手を出すな!」
ちょっと盛り上がった。
まだ見てないSダッシュさんにも「FOD」にお試し入会して見るよう勧めておいた。

そうそう、2人のSさんは両方ともクルーズにとても興味を示してくれたので、ぜひこれからの人生、クルーズ貯金をしてください。
まずは2、3泊でも。
もっとも我々がクルーズの楽しみの本質と思うのは、何もない海原を最低でも3日、ただひたすら陸地へ向けて疾駆することなんだけどね。
カップル文化と船酔いが大丈夫な人は、ぜひトライしていただきたい。
お2人とも愛妻家だから、第一のポイントはクリアしてる。

3時間近く食べて飲んでしゃべったあと、ちょっと忙しくてと言うSダッシュさんを見送って、Sさんが飲み会のあといつも行くのだという「狩り」にご一緒する。
ゲーセンで、クレーンなんだ。
「出る台を探すパチプロ」よろしく店内を巡回して落とせそうなマシンをひとつ決めたSさんは、500円玉を作って仕事を始めた。

全然やったことないんで何も知らないんだが、500円で6回クレーンを動かせるのね。
で、1回でつかみ取るなんてイメージは間違っていて、そもそもクレーンは物を持ち上げる構造じゃないので(ホールドが甘くて、すぐにすべり落ちる)、少しずつ動かす感覚。
少し離れた後ろでせいうちくんと私が「あー!」「うわー!」とか悲鳴を上げてるのもかまわず、こつこつと対象賞品を移動させていくSさん。
4枚目の500円玉で、ついに目的の「自分ツッコミくま絵皿セット」というデカい獲物は2本のバーのすきまから下に落ちてきた。

「すごいものを見せていただきました!」と絶賛するうるさいギャラリーの我々に「いやいや」と照れ笑いをしながら、Sさんはその戦利品を私に差し出した。
「これ、どうぞ」
いや、けっこう投資してるのも激しく苦労してたのも全部見てて、いただけませんよそんな貴重なもの、とお断りしたところ、
「家に持って帰っても、『またモノ増やして!』って叱られるので」とにこやかなSさんと、振り返ったら「いただいておきなさい」と言うせいうちくんにはさまれ、本当に申し訳なくありがたいことに3枚組の小皿セットをもらってしまった。

駅でSさんと別れて、電車で帰った。
とてもいい夜なので、駅から家まで歩いてみた。
40分かかったし足がガクガクになったけど、たまにはこうやって運動した方がいいんだよね。
いい晩だった。

帰ってお風呂入ろうと思いつつFB見たら、またGくんからネット飲み会の招集がかかっていた。
0時までと言われてて、あと10分しかないからあわてて接続したら、いつものように彼が1人で飲んでた。
パジャマに着替えてた私はともかく、せいうちくんは飲み会のままの背広姿だったので、
「んー、なんだー?ネクタイしたやつが来たぞー!」と騒がれた。
しばらく四方山話をするも、やはり音質とか画面が途切れ途切れになるのが難点。
人数もいつもの我々3人。

「もっと事前に教えてよ。他の人もMessengerで誘って、『この日この時間に集合!』ってやればいいじゃん」と言ったのだが、彼としてはFB上で突然言い始めてそれでも人が集まる、という点に固執したいようだ。
まあ、我々はできるだけ参加するから、と言って、やっと覚えた「leave」を使って終了。
リアルとネットで友人と話す。これまたいい晩だったなぁ。

20年3月13日

今週はちょっとノリが悪いので、ひとつ小咄でも。

私はだいたい独りよがりな性格なため、常に空気を読まない発言をする。
ちょっと前、中学同窓会LINEグループにそのような書き込みをしてしまった、と自己反省していた。

私「まったく、子供の頃から、人の性格ってのは変わらないね!『豹は、その斑点を隠せない』だ!」
洗面所をのぞき込んだせいうちくん「歯磨きしながら何ブツブツ言ってるの?『今日はこのはんてんを隠せない』って、今着てる『はんてん』、いつもはどこかに隠してるの?!」

いろんな意味で、笑っていただければ幸いです。

20年3月12日

病院に行った帰り道、自転車をこいでいると、帰宅途中なのか中学生の男の子が2人で歩いている。
片方の子の靴紐がほどけていたので、ゆっくり追い越しながら、「靴の紐がほどけてるよ」と教えてあげた。
「あ、どうも」と言って、かがんで結んでいるようだった。

これぐらいなら、声かけ不審者と思われることはないだろう。
それにやっぱり、こっちが普通のおばさんであるところが大きいと思うよ。

自分がおばさんになってから、周囲の人が怖くなくなってきた。
若い頃は、自意識が過剰だったせいもあり、中学生と言えども他人に声をかけるなんて難しかったものだ。
それに、痴漢にあう心配もしなくなってきたし。
ひったくりとかの方がよっぽど怖い。
「女を捨ててる」という気は多少するが、マニキュアや化粧もここ20年ぐらい、していない。

襲われないし、襲わない。最も安全な身分、「おばさん」。
なってみると、あんがい気楽で便利な立場だ。
毎日、通勤電車で「両手を上げていないと、痴漢に間違えられたら人生の破滅だ」という思いをしているせいうちくん、かわいそう。
いざその場になったら、私がいくら「うちの夫に限ってそんなこと、絶対しません!」って言っても、まったく無駄なんだろうからなぁ。

余談だが、先日せいうちくんと「痴漢」の話をしていた時のこと。
私「男性がね、『痴漢が多いって言うけど、周りの女性から実際に被害にあった話なんか聞いたことがない。少数の自意識過剰な人が騒いでるか、デマ』って言ってたらね、その人の周りの女性から、『ああ、あなたには親しく打ち明け話をしたり相談に乗ってほしいという女友達がいないのですね』って憐れまれちゃうんだよ」
せ「痴漢にあったから話す、ってもんじゃないよね。あった人より話す人の数が多い、ってことはないだろうね」
私「何割ぐらいの女性があってると思う?」
せ「100パーセント」
私「それはすごい!誰と誰が言ってた?」
せ「キミ」
他に話す女性がおらんのかい!

20年3月13日

数年前からお香にはまっている。
一時は毎日炊いていて、何種類かのスティックタイプのものを買ったり、小さなキャンドルで温めて香りを出すアロマポットを持っていたりした。
その趣味が最近また再燃しているようだ。

よく行った「お仏壇の長谷川」はいつの間にかつぶれていた。
病院の近くのお寺の隣にある仏具店で買ったお香は、あまりに線香くさい。(たくさんあるのに気に入らない!困った!)
ロフトに頼ってみたら、けっこういろんなものがある。
リピートするものはAmazonで入手。

いくつか買ってみてわかったことは、「お香の世界にお得はない」ということ。
香り成分というか、匂いの部分が、多ければ値段は高く、少なければ安い。
安いものはお線香に近くなるし、高いものは香水のようだ。

贅沢品として、30本ほどの長いスティックをいくつか買う。
「薔薇」や「藤」の香りがこんなに陶然となるものだとは知らなかった。
もちろん「白檀」は非常にいい。
普段使い用に80本入りの短いスティックも買った。
煙1平方センチに入っている香料は、結局どちらも同じぐらい、という感想。

寝室全体に、いつもふんわりとした和の香りがただよっている。
嗅覚、というのも、満たしてあげるとなかなか気持ちがいい。
こういう贅沢ができるのも、せいうちくんが稼いできてくれるからだなぁと思う。
感謝して、今日もお香を炊こう。

1本1本立てるのが面倒で、お香を買いすぎた結果の香立てがたくさんたまっているのをいいことに、大きな皿に香立てを並べ沢山お香スティックを立てる。
その様はもちろん針山かハリネズミのようだ。
もはや美的センスのかけらもない。

火事が心配なせいうちくんから厳重注意を受け、ますます見た目は悪いが丼鉢の底に香立てを並べることにした。
丼内側の弧に従ってすべてのスティックが内側に傾くので、槍が絡まって戦闘不能、って趣ではあるが、鉢の外に灰が出ることはない。

そんな不精で不細工なことをしていたら、友人である奥様からいいものをいただいた。
「香灰」である。
器に細かい香灰を入れ、そこにお香スティックを立てると、まっすぐ燃え落ちるので横に灰が散らない。
灰に埋まった部分も自然に燃え尽きるから、無駄がない。(香立てだと、最後2、3mmの燃え残りのかけらが出る)
落ちた灰は香灰の中にかき混ぜてしまえばいい。
いいものもらった!

こうして今日もお香ライフを楽しんでいる。
桜のお香を焚いて花見を待つ日々だ。
近くの公園では、大勢が地べたに座り込む「集会」は禁止されたらしい。
我々は元々「散策派」だから影響はないが、「花見をする人々を見る」のも楽しみだったので、寂しい。

20年3月15日

起きてPCの前にいると、読んだり書いたりが止まらない。
別に止めなくてもいいじゃないか、と言われそうだけど、怖くはなるよね。

書いてるとどんどん独り言を書き綴り始め、長々となってきたりつい実母その他への不満が出ちゃったりするかもと思う。
日頃、一応外向きの文章を書いてるせいかな、気になるのは。
もっと、自分1人なら何を書いてもかまわないという感覚に慣れるべき?(これって、下ネタにつながりそう…)
あんがいそこを追求したら小説とか創作物が書けるようになる?

読む方はもっと怖い。
本というのは世界が1冊にまとめてある親切で上品なものだとつくづく思う。
ネットの乱雑さはものすごく、相談箱系が一番怖いかなぁ。
いっとき、発言小町とかにハマりかけたことがある。
あれって、上手くたどれない時が一番不満だよね。

「息子の部屋から声が聞こえて、『中に出す』」
これを読みに行ったら、「不適切で削除」されてたりするとちょっと好奇心で悶々とするじゃないか!
何が起こったんだろう?息子は何をしてたんだろう?何を、何の中に出すんだろう?
山下和美「天才柳沢教授の生活」の第6巻に出てくる、西洋美術史の潮田教授が授業中に、「で、そのA子さんは何をしていたのですかな?」と学生の私語に突っ込んでくるシーンを思い出して笑いが止まらない。

あと、「夜の生活に悩む歳の差カップル」の話って、誰かのニーズで書かれたエロ小説なの?って疑いを持っちゃうなぁ。
ああ、世の中には面白い秘密への入り口がいっぱいだ。まるでアヤシイ路地のよう。
倉科遼原作・ケン月影作画の「荷風になりたい」を読んでるとこなんだけど、猥雑な玉の井を愛した荷風は、こんな気持ちだったんだろうか。

20年3月16日

Twitterで読んだのが本当なら、NHKのアナウンサーが大相撲で「どんどん技を吸収して増やしていく若手力士」について、
「雨後の筍のようですねぇ!」と感嘆したらしい。
これは、どう考えても日本語が危機に瀕している。
「乾いた砂が水を吸い込むように」とか他の言い方があるだろう。
何回か前の世界陸上で、織田裕二が女子マラソン選手について言った「底なしの笑顔!」を思い出す。
それは、「底抜けの笑顔」だろうに。一字違いで微妙にコワい。

「はしごをはずされる」という言い回しがある。
「はしごをはずされて高い所に置きざりにされる。転じて、先に立って事に当たっていたのに、仲間が手を引いたために孤立する」 という意味だが、せいうちくんはこれを、
「登っている最中のはしごを『ぽんっ』と蹴り倒されること」だと思っていたらしい。
ありがちな誤解だね。本当の意味を教えてあげた。
ついでに「一姫二太郎」は3人きょうだいではないよ、とも。
とても驚いていた。人を驚かすのは楽しい。

せいうちくんは、私とおんなじ程度にはまあまあの本好きなんだが、日本語に弱い。
どうやら、「わからない言葉が出てきてもそのまま読み飛ばす」という読書スタイルに問題があるようだ。
私は、今でこそもう面倒であまりしないが、若い頃はいちいち辞書に当たっていたので、けっこう日本語の勉強になった。

そういえば大学時代、寮の後輩が「情けは人のためならず」という言葉について、「情けをかけるのは相手のためにならない」という意味だと思い込んでいて、違うといくら言ってもうなずかなかったので、お菓子を賭けて辞書を引いたことがある。
もちろん、本当の意味は、

「人に情けをかけるのは、その人のためになるばかりでなく、やがてはめぐりめぐって自分に返ってくる。人には親切にせよという教え」

なのだ。
その後輩はうちの大学によくいる帰国子女なわけではなくて、普通の優秀な日本人高校生が受験を勝ち抜いて大学に入ってきたケースなので、「知らないとは!」とちょっとびっくりした。

日本語は大いに乱れている。
「重複」を「じゅうふく」(正しくは「ちょうふく」)、「固執」を「こしゅう」(同じく「こしつ」)と読むぐらいはもう当然になっている昨今だし、えらそうなことを言っている私が使う日本語も、明治時代の人あたりから見たらマチガイだらけかもしれない。
そのへんが言語のダイナミックさとして面白くもあるのだ。言葉は生き物。
まあ、できる範囲で正確な日本語を使うよう心がけたい。

息子たちが使う「ヤバい」は、昔の「ヤバい」とは違って、「すごくいい」という意味のようだ。
でも、「まずい」時にもやっぱり「ヤバい」と言うそうで、どっちかわかんないじゃないか。
同じ言葉が正反対の意味で両方使われているとは、「空気を読む」のが何より大事な彼ららしいと言えなくもない。

若い人の言葉遣いについてもうひと言。
「意味わかんねー」とは大学時代ぐらいまでの息子がよく口にしていた言い方なのだが、常に相手とのコミュニケーションを大事にしたい私としては、「意味がわからない」と言われるのは大変な屈辱であり、苦痛だった。
だから、思春期頃から息子にこう言われるたび、「意味が通じるまで」ていねいに説明をしてきた。
でも、テレビを観たりマンガを読んだりしてイマドキの人々を理解するにつれて、「なにいってんだよ」ぐらいのライトな意味なのだとわかってきて、あんまり苦にしないようにしてきた。
向こうさんは、説明してくれと言ってるわけではなく、「うるせー」と言いたいだけなんだもんね。

「アタマおかしいんじゃないの?」というセリフもしょっちゅう耳にし、「他人の正気をかくも軽々しく疑い、精神状態を非難するとは!」って驚いていたんだけど、「わからん!」という以上の意味はないらしいことが次第にわかり、やはり気にしないように努めた。
やがて彼がもうちょっと丁寧な言葉遣いを獲得してくれて、ほっとした。
今ではかつての乱暴な物言いがなつかしくなるほどだ。

同じ国に生まれ、同じ言語を習得しているはずなのに、2、30年のスパンで意味が変わって、場合によっては理解不能になる。
言葉は、難しくも面白い!

20年3月17日

5年前に書いた日記を発見した。
最近、やる気が出ない時は過去に貯めておいた分を使ったりするのだ。新聞作家みたい。
5年の間にいろんなことがあったなぁと思うのと、たった今、自分はちょっと落ち込んでいて不幸せなので、そんな気分をいましめるために書いておこう。
夜中の3時によく人が陥る境地について書いてみました。

2015年6月9日

真夜中。
書斎にいると、我々の寝室と息子の寝室から、せいうちくんと息子の寝息がそれぞれに聴こえてくる。
いびき、というほどひどくはないが、まあ、高らかな寝息のハーモニーである。
窓の外からは、雨の音が伴奏しているし。
昼間、好きなだけ寝られる専業主婦ならではの特権的な独りの時間。

最近、つくづく思うが、幸せな人生だった。
長患いをし、仕事を辞めざるを得なかったし、子育ても、充分できたとは言い難い。そもそも重度障害児の親だし。

娘が障害者であることにはもう慣れた。
早い段階から施設にお願いするしかなかったせいも大きい。
だが、若い夫婦だった我々が、初めての子を授かり、だんだん私のおなかが大きくなるのを大喜びで見ていた頃を思い出すと、じんわりとした悲しみが 胸を浸す。

当時の写真には、マタニティを着た私が、輝くような笑顔で写っている。
我々は、幸福で、傲慢だった。人生について、あまりに無知だった。
その無邪気な笑顔が、我が事ながら今では本当に痛ましい。

今また、人生は私にトラップを仕掛けてくるのだろうか。
20歳を過ぎてもうじき独立していくだろう息子の将来に、影が落ちるのか。
施設でそれなりに元気に暮らしている娘の健康は、長くはもたないのか。
一緒に老後を迎えるはずのせいうちくんを、何かの病魔が襲うのか。
私自身、持病を抱えていくつまで元気に暮らせるのか。

こういうことは、夜中に考えてはいけない。
でも、ほんのたまには、こっそり夜中に考えてみてもいいのかもしれない。
人生は、いつも雨降りではないが、だからと言っていつも晴天なわけでもないからだ。
初夏の陽光に目を細め、さわやかな空気を胸いっぱいに吸い込んで散歩をする時も、折りたたみ傘を荷物に入れておくのは悪いことではないだろう。

ただ、悲しみが襲って来た時のために書いておこう。
今、私は幸せだ。
明日、この幸せが終わるとしても、その時が来るまで、私は幸せだった。
そのことだけは確かなのだから。

20年3月18日

気分が重いのはなぜだろう。
他人が自分の思うように考えたり行動したりしないからと言って苛立ってはいけないと思いながらも、無闇に気分が悪い。

まだせいうちくんにも言えてなかった「母の加害」を思い出して話す。
まったく話してない事柄は少ないので、自分の中での受け止めや印象が変わって楽に話せただけかもしれない。

私の母とせいうちくんのお母さんは似ている。
「思いついたら行動に移さなければ気がすまず、その結果どうなるかはあまり考えない」

「自分の実家の『とんちんかん』は気にならないないしは気づかないが、配偶者の実家は非常に『とんちんかん』に思える」ものなので、お互い気がついた点は遠慮なく糾弾・批判していいことにしている。
たいがい、「本当だ、なんでこんなやり方でいいって思ってたんだろう!?」ってなる。

知人から、「稼ぎのある、料理も上手な夫をつかまえてよかったですね。それは手放したくないでしょう」と言われ、驚く。
「つかまえる」にも「手放したくない」にも違和感しか感じない。
「立派に出世したダンナさん持って、大満足でしょう?出世してもしなくてもどうでもいいとか、そういうこと、言います?」と確認され、これにも驚いて、
「言いますよ!」
「…ふーん、ずいぶん余裕な発言ですね!非常にイライラします、本当に!」
「夫を愛してない女だから、イライラするんじゃないですか?」
「…」
「だって、夫は元気で好きでいて一緒にいてくれることが一番でしょう?」

もちろんこれは世界観の不一致によるケンカというものだ。
物静かにお別れしたが、お互い二度と会わない方が幸せだと無言で合意したと思う。

食べるのと眠るのが難しくなったので、せいうちくんにつきそってもらって病院に行く。
「事故に遭ったようなものだから、一時的に薬を増量」と了承してもらう。
3年前の心臓手術をきっかけに断薬できていたところ、1年前から不調がぶり返し、今回の増量に至って本当に残念。

世の中は新型コロナでどうなるのだろう。
ネットやテレビの小さな窓から世界をのぞくだけなので、全体像がつかめない。
無観客の相撲の映像や花が売れないニュース、マスクをかけた担当美容師さんの姿から、何か大変なことが起こっている雰囲気だけがひしひしと伝わってくる。
息子のバイト先のパチンコ屋や飲み屋さんも打撃を受けているようで、収入激減なのだそうだ。
いろんな人の上に立ちこめる暗雲が、私の上にも濃くあるのだろう。
ただ、それは違う色形をしている。

いろんなことがごちゃまぜになっていて、書きたいことがきちんと書けないもどかしさを感じるが、数年後の自分に今の時代と自分の不安定さが伝わればと思って書いておく。
そのために20年以上書いてるんじゃないか、と半ば意地になっているかも。

20年3月21日

昨日は祝日だったので、久しぶりに下北沢に行った。
あちこち出歩いてる場合ではないんだろうけど、気になるひいきのお店には今行って応援しようと言われる昨今。
せいうちくんと出会った頃からの行きつけの喫茶店がまだやってるか、見に行こう。
ついでに珉亭でラーチャン食べよう。

下北沢の駅前は道路が素通しになったため、全然様相が変わっている。
去年息子の公演を観に来た時も驚いた。毎回新鮮に驚く。
いつもの週末に比べて人通りは少なく思えるかな。なぜか黒やグレーのマスク率が高い。ファッション?
茶沢通りの方から昔よく行った店を探しながら歩いて駅前にアプローチしたら、知ってる店は全滅だった。
みんなでよく飲んだのはもう20年以上前だからなぁ。
(実は道を間違えていて、ジャズ・バーが1軒、ちゃんと残っていたのを見逃していた。あとで調べたらまだやっているとわかった)

喫茶店は、同じマスターがまだお店に出ていた。
「ほうほう、こりゃあこりゃあ」と席まで話しに来てくれて、お歳を聞いたら78歳なんだそう。
せいうちくんを指して、
「この人はね、バイトの面接に来てくれたんですよ」と言う。
ご縁がなくて別の人に決まってしまったが、学生時代に働きたかったほどの入れ込みようだったのだ。
よくデートで来たなぁ。

「息子さんはお元気ですか」と聞かれたので、
「バイトをしながらコントの舞台などをしています」と答えると、
「うんうん、そりゃあね、好きなことをするのが一番ですよ」としみじみおっしゃっておられたのは、会社員を辞めて店を開いて何十年も続けてきたマスターだからこそだろう。
平屋の店から今のビルに建て替えて2階で営業するようになってからもう23年、我々が最初に来た時から数えてももう38年、たぶん40年以上ずっと人気の店だ。

休日の午後に満席でないのは珍しく、やはり新型コロナ騒ぎが響いているそう。
「まあなんとか乗り越えていきますよ。ねえ、みんな、そうしてきたじゃありませんか」と力強かった。
「息子さんにもね、頑張るように言ってくださいよ」と。

変わらない美味しい濃いコーヒーをいただいてお店を出て、珉亭にラーチャン食べに行く。
昔は2人でラーメンとチャーハンをそれぞれ大盛りにしてもらって(両方大盛りにはできない)、せいうちくんの方に大盛りを集めて食べていた。
さすがに私の食が少し細くなったのでお子様ラーメンを頼んで、せいうちくんはラーチャンのラーメン大盛り。
チャーハンを少し分けてもらった。
おいしかった。これまた味が変わらない。
下北沢らしく演劇人によく出くわす店で、佐野史郎や柄本明を見かけたことがある。
バイトの若い人も演劇をやってる人が多いかも。
厨房の3人はとっくに顔ぶれが変わっているんだが、どうやって味を維持しているのか、ずっと継承されているおいしさ。

35年前に私が住んでた風呂無しのアパートがまだあった。
当時からそう新しい物件ではなかったのに、いったい築何年なんだ。
2階建て8戸には人の気配がない部屋もある気がして、もしかしたらもう取り壊しのために新しい人を入れずにいるかも、と話し合う。
500円玉を握って銭湯に行き、260円の料金を払って20円で髪を乾かし、残りの220円で缶ビール買って帰ったことをなつかしく思い出す。自活の時代だった。

ものすごく混んでる環七を通過して帰った。
今度は足の調子がいい時に電車で来ようね。
「そのうち行ってみようと思う店には、今行け!」と言われるのに従ってよかった。

20年3月22日

息子の住んでる沿線のファミレスに車で行って、夜の10時から会った。
舞台の稽古の終わった後だって。今日は普通にお休みだった会社員のカノジョも来てくれた。

最近、初期にデータ化したマンガの出来が気に入らなくて買い直すことがよくある。
今回も荒川弘の「鋼の錬金術師」を買い込んだので、自炊前に未読のカノジョに本の形で読んでもらおうと渡しに来たのだ。
あと、息子が絶対裁断させてくれない河合克敏の「帯をギュっとね!」をあきらめて自炊用に1セット買ったので、家にずっとあった方を渡す。

実はどっちでもいいだろうと思って、元から家にあった方を自炊してしまった気がしていたんだが、せいうちくんが横から言うには、
「買った方を自炊して、ずっとリビングの棚にしまってあったのを今回持って来てるよ」とのこと。
息子はとても喜んでいた。自分にとっての値打ちが違うんだそうだ。
「柔道やってた頃に読んでたから、『柔道汗』が染みこんでるの?」と聞いたら、嬉しそうに「うん」とうなずいてる。
そうか、どっちもただ古本だと思ってて、あまり考えずに心ないことをするとこだった。
高校卒業して柔道やめてから「柔道やってた、なんて思うことは特にない」って言ってたけど、照れ隠しで、やっぱり少しはプライド持ってるのかな。いいことだ。
何にせよ、やり抜いた記憶は貴重だよ。

最近ちょっと不調で、愚痴を言ってしまった。
テーブルの上で手を握って優しく聞いてくれて、「大変だね」とトイメンからわざわざ席を立ってハグしてくれた。
カノジョの前でこれは恥ずかしいじゃないか。ありがたいけど。

「好きな人と過ごすのが一番大切なこと。やりたい道もあって、自分は今、本当に幸せだ」と言う彼の顔は若々しくひきしまって、いい表情だった。
「それでカノジョに無理をさせてないならいいんだけど」とせいうちくんが言うと、カノジョはやわらかく笑って、
「一緒にいると楽しいですよ」と請け合ってくれた。

この新型コロナ騒ぎでパチンコ屋や飲み屋のバイトが危ういので、お金がない時に身だしなみが悪くなるのもなんだからと家にあった電動バリカンをあげた。
いつもカノジョがハサミで髪を切ってくれるんだそうで、2人とも喜んでくれた。
元々君の頭を丸刈りにするために買ったんだ、もう誰も使わないから、カノジョにやってもらって。

2時間ほど話して2人を乗せて送り、マンガの山とバリカンを渡して、夜中の道を帰った。
アパートの前で2人でいつまでも手を振って見送ってくれた。
幸せにカタチがあるなら、私は今それに触っているのだろう。
胸がほかほかし、心の涙がどうどうと流れてきた。
不安定な今の世の中だけに、親しい人とあたたかい時間が持てて本当に嬉しい。

20年3月23日

と感激したところで、息子とはまた翌日会うことになっている。
演芸関係の中止が多い中開催を決定してくれた、春風亭一之輔さんの独演会。
中野ゼロの小ホールは初めて行くところで、500席ほどのとてもほど良い大きさ。

息子や会社帰りのせいうちくんとはあとで会場で会うことにして、まずは友人たちと中野の聖地まんだらけツアー。
入り口のメーテル像と記念写真。
ついでにこないだダブらせたマンガを売った。
15冊ぐらいあっても680円。とほほ…
ブックオフとはまた違う厳しさがあり、角が折れていたりスレていると値がつかないものも出る。
3冊ほどは持ち帰ることにした。持っているものとは別版だから、自炊して残そう。

学生時代その近辺に住んでいたサークル先輩の案内で、4階のマニアックな秘境まで見て歩いた。
180万円のロボット像って何なんだ。(先輩曰く「絶対に売る気がない!」)
怪しいシャッター街になってる迷路のようなビルの中には、死んでも行きたくない雰囲気の歯医者さんとかまであった。
もう1人の男性は大好きな雰囲気の古本屋を見つけたようで、
「明日また来ようかな!」と興奮していた。

中華一番で安く軽くビールと餃子食べて、会場に向かう。
仕事帰りの夫婦やせいうちくんも来て、7人が集合。
お笑い修行中の息子も混じっている。

いやぁ、いい高座だった。
最初に出てきた二つ目さんは元気よく、
「高座がどんどんなくなってますが、こちとら、昨日今日始まった貧乏じゃありません。朝からレースに行ってます!」と笑いをとる。

続いての一之輔さんはやや静かに、
「あいつはね、もう、うるさいですよね。向こうまで(と楽屋の方を顔で指す)ガンガン聞こえてますよ。耳ふさいでましたよ」と始めたけど、
「このコロナ騒ぎってやつはね!」と語り始めたら本人も大声。
演芸場は閉まってないけど、180人入るところに13人しか来てなかったんだって。
でもヘンな落語マニアとかのうるさい客が来なくなっていい案配で、
「だんだん客の質が上がってきました」と、今日来てるお客さんをほめてくれた。もちろん大拍手(笑)
枕の長い、脱線の多い「茶の湯」を長々と聞かせてくれた。

仲入り後の奇術師「アサダ二世」は、大丈夫かいなと思うほどのご老体。
時々グッズを落っことすのもきっとネタなんだろうなぁ。
寄席で鍛えた奇術師の方は、もうそのまま漫談とかでやっていけそう。
話術にも幻惑されて、すっかり不思議な世界に連れて行かれた。

トリに再び出た一之輔さん、先ほどとは打って変わってしんみりした人情話の「百年目」。
こういうのも得意なのか、と今さらながらに驚かされる。芸の懐の深い人だ。
割れるような拍手。
最初から最後まで身を乗り出すように聴いていた息子は、
「すげー、すごいー、勉強になるー」とため息をついていた。

終演後はまた先輩の案内で激安の鰻屋に行き、つまみ食べてうな丼食べてビール2杯ずつ以上飲んで、〆てみたら1人千円なんで驚いていたら、さすがにそれはお店の人のマチガイで、1800円。それでも驚く。
ほとんど逃げるように店を出た。
中野の裏街を散歩し、飲み屋の店先に座り込んでる「明日のジョー」と記念撮影をしたあとひと気のない公園で桜を見て、解散。

学生時代からのつきあいの人々と今もこうして会えること、息子まで仲間に入れてもらえること(「いろんな人の話が聞けて、楽しかった!」と本人談)、今年も無事に桜が見られたこと、芸能関係の方々も頑張っておられること、いろいろがもう嬉しくて嬉しくて、泣いてしまいそうな夜だった。
皆さん元気で、また落語見に行きましょう!

ところで、落語のご多聞に漏れずわからない言葉の多い「茶の湯」、「青きな粉」や「椋の皮」は現代風に説明をちゃんと入れてくれた一之輔さん。
お茶を入れる「棗(なつめ)」については単語自体を出さずに、
「ほれあれだ、あれあれ。漱石。男の場合は漱石と言うんだな。女の時は雅子」とくすぐりを入れたんだが、あとで聞いたらほぼ全員意味がわからなかったそう。
落語通で博識な男性はたぶんわかってた。言わないところが奥ゆかしい。

私は奥ゆかしくないので得意げに説明する。
先輩が「漱石、って言うから『なつめ』かな、とは思った。でも、じゃああの時代で雅子は何なんだ、漱石の奥さんか?って思った」と言うので、
「時代は多少違うけど、夏目雅子だよ」って言ったらちょっとびっくりしてた。
もっと驚くのは息子が、「三蔵法師ですよね」とコメントし、先輩の。
「そうだそうだ、沙悟浄が岸部シローで猪八戒が西田敏行、えーと孫悟空は…」に対して、
「堺正章ですね」と正答していたこと。
うーん、年代の差を超えてこの話題の通じる加減がスゴい。大したオタクを育ててしまった。

20年3月25日

やることは全部やってしばらく何の予定も入れてなくてとにかくのんびりしよう、と思っていたら、ついに東京にも外出自粛令が。
昨日はオリンピックの延期が発表されたし、何やら戒厳令下のような厳しさだ。
息子に会っておいてよかった、落語も行けてよかった、と胸をなで下ろす。

もともと家にこもっているのでリアリティがなく、一番「こりゃ大変だ」と思ったのがトム・ハンクスの罹患だったんだが、志村けんはそれ以上、そしてイギリス皇太子チャールズも陽性。ほんとに大変。(しかしなんでカミラ夫人は陰性なんだろう?)
王室ファンの友人はBBCの発表からチェックしていたと言う。さすがだ。
遠くにいる人と会わずともそんなやり取りができる世の中であることにも、あらためて感謝。

せいうちくんも夜の宴会等がなくなりテレワークがあり、一緒にいられる時間は多い。
静かに森田童子を流して仕事をする彼の横で本のデータを整理したり読書をしたりしていると、大昔に帰ったよう。

週末に買い物に行けない事態も見越しネットスーパーの配達を頼んだら、水曜夜の時点で土曜昼まで配達はぎっちり埋まって満員状態。
テレビでは都知事が緊急会見をしており、なんだか異様な雰囲気だ。
名古屋で働く友人は今年退職で、次の仕事まで数ヶ月「人生の春休み」があるのにどこにも行けない何にもできないと嘆いていた。
東京に来てもらって一緒にごはん食べようと思っていたが、もちろん新幹線でどこかに行くような雰囲気でもない。
自分史的には3.11以来の不安さだ。

20年3月26日

「ひいきのお店応援フェア&新型コロナ撃退糖質解禁日」で、近所のカフェにカレー食べに行った。
さすがに普段の3分の1も人が入ってない。
週刊誌を読んで事態を研究し、チキンカツカレーを食べて体力をつける。

せいうちくんの会社もしばらくはほぼテレワークなんだそう。
夜の会合がなくなったり時差出勤で家を出るのがわりと遅かったりで嬉しかったところへ、ついに来たか。
しかし、喜んでいたら、
「テレワークだけど、仕事は仕事だから。休みなわけじゃないからね。遊んであげるわけにはいかないよ」と怖い顔で釘を刺された。
還暦になってなお、隙あらば夫に遊んでもらおうという性根が間違っているらしい。
すでにテレワークを多くこなしている同僚の、奥さんからしっかり心得を教わりなさい、と諭された。くしゅん。

1時間半ほど本を読んだりおしゃべりをしつつ、友人に「応援フェア中」とのメッセージを送ってみた。
ちょうど彼女も行きつけの店の応援中だそうだ。
持病のある私の身体を気遣ってくれるので、
「心配してくれてありがとう。情けが身に沁みる」と返したら、
「なんだよそのくらいで」と照れているのが無茶苦茶に可愛かった!
ああ、自分でも不安だ。この女好き加減が。

しかし、もう早めにかかっちゃうしかないんじゃないだろうか。
あとになればなるほど病院は混むし呼吸器は数が足りないし、いやそれでも全然かまわないと言うか、トリアージの考えに従って生き延びるチャンスの少ない人は後回しにしてもらってちっとも気にしないんだが。
もちろん自分が後回しになる前提でだよ。
友人には「その自滅思考は危ない」と諭されたけど、自然の摂理だからねぇ。
なんとか遺伝子も残したし、そもそもその遺伝子が出来が悪くて早々に滅するかもしれないし、そんなことは人類の歴史に何の爪痕も残さないのだった。

帰り道に遅くまでやってるスーパーがあるので寄ってみたら、冷凍食品とかカップ麺の棚は見事に地肌が見えてるね。
牛豚はまだあるのに鶏肉全滅なのは安いからか仕入れの都合か。
まあそれでも、何か食べようと思えば何とかなるって雰囲気だ。戦後の食糧難とはわけが違う。
うちはもう初老の2人が食べていくだけで、いざとなれば外食だってできるだろうし、あまり危機感を持たずに帰ることができた。

ただ、大きな波が起こっているのはずっと感じている。
不安というか、諦念のようなもの。
世界規模でこんなことが起きようとは想像もしていなかった去年の自分に教えてあげたい。
そして、来年の自分からは、どう収束してるのか聞きたい。

20年3月27日

今日はせいうちくん1日家にいた。
本格的テレワークを見るのは初めてかもしれない。
電話とPCでやり取りしてるのは、友人Gくんのおかげで私もこないだっからすっかり慣れた「ネット飲み会」を素面で真面目に大規模にやってる雰囲気。
働く夫を目の当たりにするのはいいもんだ。

こないだ買ったAmazonの「Fire TV Stick」がものすごいスグレモノで、今までiPad Proで見ていた映像が全部テレビで見られるようになった。
Netflixやアマプラをうろうろして楽しんでいる。
YouTubeも大画面だから、先日一之輔さんがやってくれた「百年目」の米朝版なんか見ちゃう。
長いんだねー。
番頭さんの小言がうるさいとことか旦那さんが出来た人だとかのあたり、一之輔さんは多少はしょっていたけど、全部みっちり見ると本当にいい噺。
思わずせいうちくんに、「職場の難莚草を大事にするんだよ!」などと説教する。

あとはネット会議をしている横で本を読んだり小さな音でテレビを見たり。
別の部屋でやりゃあいいじゃないかと言われそうだが、離れてると寂しいんだ。
しかし、数日続いたら書斎と寝室とかに別れて行動しそうな気もしてきた。
今はリビングに集合しているが、いくら何でも仕事してるのをずっと見てるのは飽きるよね。

通勤がない分仕事は早く終わる。というか、2人の時間がすぐに来る。
ひきこもりがちの私はともかく、日頃通勤しているせいうちくんにとっては1日中外に出ないのは不健康だろうと、夜の散歩に行こうかと思う。
ところが、春の嵐がものすごい。
びゅうびゅうと風が吹き殴り、2月末の「春一番」から数えて「春五番」ぐらいの大風だ。
これは外に出ない方が吉だと思い、散歩は明日の朝にでもにしようと決める。

さあ、Netflix見るぞ!

20年3月29日

雪!大雪!!
ぼたん雪がどかどか降って、結構積もっている。
桜に雪、の構図は前にも見たことがあるが、これほどのドカ雪はあったかなぁ。

数日前は大風が吹き、今日の雪。
何か、日本が清められるというか、悪しきものが祓われていく厳粛な雰囲気にすがってしまう気持ち。
新型コロナに感染していた志村けんが亡くなり、重苦しい空気が立ちこめそうだからかも。

4月初めに出演予定だった公演、厳しくなりつつある情勢に鑑み、グループとしては自粛を考えているがどう思う?と息子が聞いてきた。
せいうちくんが、
「みんなで相談して決めた結果なら、それがいいと思うよ」と答えたら、
「うん、、」と少し迷っているようだった。
「芸を志す人にとって、これからの1年くらいはとても厳しい時間が続くね。この間にどう芸を高めるか、発信するか、ということを真面目に考えてみたらと思うよ。父さんの会社も、いろいろなことを駆使して、この状況でもパフォーマンスを落とさないように工夫している。限界はあるかもしれないけど」と真面目に話すと、
「うん、そこだね」と力強い語調になった。
何か心を決めたかもしれない。

息子から長いこと借りていたゲーム機を宅配便で送ることにする。
最新ドラクエやりたくてソフトごと使わせてもらっていたけど、2年近く全然やらなかった。
彼もやりたいゲームがあるらしい。ヒマになってるんだったら楽しんだらよかろう。
「映像研には気をつけろ!」の全12話をブルーレイに焼いたのと、ブックオフ100円棚でつかんだ荒木飛呂彦のホラー映画の本もつける。
時間がある時にいろいろ楽しみ、吸収し、バクハツの元を作ってほしい。

散歩に行ったけど、昼を食べようかと思っていたカフェ1号も2号も休みだった。
週末外出自粛令の強力さを意外に思い、軽薄に出かけてきた自分らをちょっとを恥じた。
本屋さんは開いていた。
「皆さん家にいなきゃだから、読書はするんじゃないですか?」と聞いたら、
「若い人はあんまり外出しちゃいけないと思ってないみたいねぇ。軽くすむって言うから」と店主のおばちゃん。
「我々はお互い気をつけなくっちゃね!」とその目は語っていた。
カウンタ越しの会話も、充分距離を開けるよう気をつけよう。

20年3月30日

息子のコントグループ、出演自粛を迷っていた公演自体の延期が決まったという。
そっちはほぼほぼお金にはならない話だからいいとして、夜のバイトは切られ、昼間のパチンコ屋も風前の灯らしいので、新型コロナで収入が減る人を対象とした何らかの補助を受けることを考えてみては、と勧めておく。

今日の感染者は13人。昨日まで2日続いた60人台が止んでよかったものの、このまま落ちつくとも思えない。
「4月1日から東京はロックアウトされる」というネットの不安は、フェイクニュースとして都知事からはっきりと否定された。
諸外国、特にヨーロッパの発症率に比べてなぜ日本ではこんなに患者数が少ないのだろうか。
BCGが効いてる、との噂もあり。
もう、何が何だか。

大内くんは本格的にテレワークに入った。
オリンピック開催時の混雑を避けるため推奨され準備されていたからこそ可能なんだと思うと、何やら皮肉なような。
まあやればできることがわかるといいなとは思う。
災いは福に転じるしかない。
テレワークが整備されていたこと、それを実際に使う機会が来たこと、すべてがピンチをチャンスに変えるかもしれない。
いくら言っても絵に描いた餅だった「働き方改革」が実現されるきっかけになるかもしれず、家にいる時間が増えれば働きながら子供を育てることもできるし、男女共同参画社会も実現に近づくはずだ。

オリンピックの延期で、「パンデミックで行きたくないところでの開催」から「人類が悪疫に打ち勝とうとする不屈の魂の象徴」としての大会を見るかもしれない。
ハリウッドSF大作のように、人類の明るい未来を夢みてみよう。

20年3月31日

せいうちくんテレワーク中につき、お昼ごはんのあとの30分を散歩にあててみる。
静かな住宅街を15分歩いて行き着いた小さな公園の高台に登り、ベンチでひと休み。
中央に1本、見事な桜が植えてあった。花見気分を楽しんで、また歩いて帰る。
2人とも相当息切れしてもっと運動する必要を強く感じた。

それでも冷たい風が心地よく、有意義な散歩となった。
せいうちくんを見てるとテレワークは本当に運動不足になるし、鬱屈した気分になると思う。
無害な気晴らしを積極的に求めていきたい。

夜、Gくん主催のネット飲み会。アプリの名前から「ZOOM飲み」と呼ぶようだ。
7人も集まり、2時間15分もやってた。
ノートPCのせいうちくんとiPad Proの私は、互いのマイクがハウリングを起こすのでわざわざ別室に分かれての参加。

新しもの好きの長老がいたく喜んでいた。
最中に手元のPCで娘さんに画像を送ったら、「ウチらより早くZOOM飲みやってる!」と感嘆されたらしい。
実は私も息子に「ネット飲み会中」と写メを送り、「考えたもんだ」とほめてもらってた。
若い世代に感心されると気分がいいおじさんおばさんたち。

夜中に宮藤官九郎の罹患を知り、なにかが迫ってきてるなぁと、思わず息子に「若い人でも気をつけて」とメッセージを送ってしまう。
「びっくりが本当に続くね。気をつける!」と素直な返事がきて、ちょっと安心。
本日は東京都の感染者数78人。最多だー。

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