20年6月1日

緊急事態宣言解除を受けて、せいうちくんの会社では「どうしてもの場合だけ」出社が許可されるようになった。
4月に配属されて以来1度も自分の部署の机に座ったことのない人々が、初めてフロアに足を踏み入れたらしい。

それぞれ自宅にいるせいうちくんともう1人の上司が彼らにしきりと伝えようとするのは、
「もう『おやつ置き場』見つけましたか?まだなの?!それはいけない!」って一点。
南極越冬隊の新しいチームに基地の秘密や穴場を教えようとする古参の隊員たちみたいで、せいうちくんの横のキッチンでお茶を入れていた私は、安全圏廊下に駆け込んで腹を抱えて笑った。

来週は少しは出社の日もあると言うせいうちくん、2ヶ月ぶりに身体は動くのか。通勤電車には乗れるのか!
毎朝200mぐらい走ってその日に備えているが、どうも途中で歩いてるらしい。
たった200mでだよ。
全国のテレワークから出社になった会社員の、体調が気遣われる。

20年6月2日

Amazonで注文してひと月近く待った「パルスオキシメーター」つまり「血中酸素濃度計」がやっと届いた。おそらく中国製。
「コロナの予防にはなりませんから、持病のない方の一般家庭でのご購入はお避けください」と但し書きがあるんだけど、私は一応「高リスク者」であるからして。
血圧計を家に常備するのと同じ感覚だ。

電池を入れ測ってみると、正常値は95~100%らしいところ常時そこを下回る数字。93とか91とか、はなはだしい時は88とか。
せいうちくんが何度どう測っても97~99%なのを見ると、機械の精度はまあまあな気がする。
やはり心筋症のせいで血中酸素濃度はあまり良くないようだ。
特に現在の新型コロナ下では高リスクと心得て、無理のない生活を送ろう。

20年6月3日

せいうちくんがくたびれて早く寝たいというもんだから、ついついGくんと長老を呼び出して小さくZOOM宴会してしまった。

買ったばかりのパルスオキシメーターを自慢する。
指先にはさんで計測した値(92%とか)を見せたら、長老が、
「深呼吸すると数値が上がるぞ」と言う。
言われたとおりに深く息を吸ったり吐いたりしてたら、あら、見る見る数値が上がって、99にもなった!私史上初めて!
「すごい、やっぱり深呼吸すると血中酸素濃度は上がるんだね!」と興奮してたら、深呼吸で疲れたせいか、いきなりまた88まで下がった。
即席に血中酸素濃度を上げるのには限度があるようだ。

途中でもう寝ようと思ってさよならを言い、歯を磨いて睡眠薬のんで本読んで、寝る前のFBチェックしたらGくんが飲み会招集してる!
ビックリして駆けつけたら、さっきのメンツにYちゃんが加わって飲み直していた。

「なんだ、寝たんじゃなかったのか」と笑われたけど、再び参戦。
結局朝の4時頃までぐだぐだ飲んでた。
Yちゃんと長老は途中で落ちて、気がついたらGくんと2人だった。
なぜか日記愛読者を続けてくれてるGくんがぽつりと「死にたいのはしょうがないけどなぁ」と言うのが、なんだだとっても彼らしくて、思わず頭が下がった。
心配かけてすみません。

20年6月4日

東京都新罹患者が12人、28人とまたじわじわと増えてきた。
都庁のライトアップは「東京アラート色」の赤にライトアップされている。
(状況がどうあれ、19時から20時は医療関係者へのエールのために青いそうな)

名古屋の友達とLINEのやり取りをすると、東海三県はもう観光旅行も自粛が解かれて自由にできるようだ。
(そう言えば自分も子供の頃よく小旅行に連れて行かれたな。東海地方の人は旅行が好きな気がする。京都なんかも近いしね)
「美容院に行くのもやめている」と語る私に、
「今はマスクもしてくれるし、大丈夫。行った方がいいよ」と勧めてくれた。

なんとなく、地域によっての温度差を感じる。
東京はやはり、ほっとくと密になりすぎる場所が多いんだろう。

とは言え、6月1日からの緊急事態宣言解除を受けて、周りの人がまずしたことと言えばやはり「髪を切る」であった。
せいうちくんもいつもの床屋さんに予約を取って出かけたし、息子たちのコントグループの配信を見ても、
「オレ、なんか気がつきません?床屋行ったんですよ!」という人が3人。
(うちからあげた電動バリカンの出動はまだなのか、髪型に変化のない息子)

私も10日後ぐらいに街に出る用事があるから、美容院に行こうかなぁ。
長さ・重さの苦労もさることながら、じわじわと白髪が増殖してきてびっくりだ。
このまま白髪になる勇気もなく、流行りのグレイヘアは案外手間と投資が必要だと聞いている。
普通に美容院に行くのが一番無難だろう。
行きつけの店では、切る人も切られる人もマスクをしたまま、終始無言で執り行ってくれるらしいから。

そう言えば、せいうちくんは生まれて初めて「床屋さんで仰向けで髪を洗ってもらった」のだそうだ。
「あの椅子はね、案外優れ物で後ろにも大きく倒れるんだよ。普通は前にかがんで洗ってもらうんだけど、それだとマスクが濡れちゃうから、仰向けなんだね。美容院は席を移って、しかも仰向けしかできないじゃない。床屋の方が優れてるって、よーくわかったよ」
いいから、そのつまらん自慢をやめろ。貴様は床屋組合御用達茶坊主か。

テイクアウトなども利用しながら、「新しい生活様式」が生まれて行く。
どうもついつい気がゆるんでしまってすぐにも第二波が来る気がしてならない。
まあいつかは来るんだろうからどうにかしのぐんだろう…ワクチン待ちかしら。
末端民間人に至るまで、皆考えることがどこかSF。こんな世界が来ようとは。

20年6月6日

毎週土曜日は大学時代マンガサークルのZOOM飲み会が定例的に開かれるようになった。
発案者でZOOM部屋主のGくんと、ここ2年ほどで会社をたたんで娘2人も嫁に出してヒマになり、「ザッカーバーグが信用ならん」と怪しんでいたFBにも顔を出すようになった長老、小学生の頃から35年以上定住している姫のYちゃんあたりが固定メンツで、我々夫婦も含めて安定してきた。
東京都民のくせに大阪アラート「赤い太陽の塔」の写真を背景に選んで機嫌のいい長老。

メインのPCにウェブカムを買った。
iPad Pro使ってると口の悪いGくんと長老から「そんなに鼻の穴が見せたいのか」と悪口を言われるんだもん。
タブレットのカメラは下からあおりがちだから、どうしてもそうなるんだよ。
ウェブカムでやや上から撮ってる映像はなかなか良く映っていて、悪口2人組からも「うん、確かに可愛くなった」と半ば脅迫的に言質を取ることに成功。
Gくんに至っては、「口紅までつけてんのか?」
いーえ、これは素です。
カメラの性能が思ったより良かったのか、お肌の色とか唇の血色とか、なかなかの出来でした。満足。
他人の鼻の穴の話をするな!

今夜は北海道からのUくん、ちょっと眠そうなNさん、スタトレコスプレのSくん、大学教授Tくん、可愛いカノジョができたとウワサのHくん。
Hくんカノジョ事件をまったく知らないTくんにYちゃんが怒濤の如く成り行きを語り始めたので、
「そこはHくんから直接聞こうよ」と提案し、それでもまわりがなんやかや口を出してしまうので、最後にはホストのGくんがHくんとTくん以外の全員にミュートかけて、実に素朴で朴訥な一問一答が聞けた。
人間、人の話はゆっくり聞かなきゃいかん。

途中で抜けて息子のYouTube生配信一時間ちょっと聞いてきた。
コントグループメンバーの推しが質問攻めに遭ってたのが最高。
彼女について知らなかったたくさんのことを知った。
ファン心がつのるなぁ。

戻ってみたらまだ数人残っていたのでしばらく飲み会継続。
大勢落ちて夜中になってもいつものメンツGくん長老我々でしゃべってたら、これだけはやるまいと思っていたのに、
「所詮みんな他人で、助けてくれるわけじゃない。夜中に私が死にたくなっても、真面目に聞いちゃくれないだろう」と口走ってしまった。

「いや、起きてれば話すよ。酔っ払って忘れちゃうだろうけど」
「オレも、覚えてる自信はないが、まあとりあえず呼ばれればZOOMはするぞ」
と言われ、「そういうんじゃないんだよ」とついに泣き出してしまった。
ちょっと困った長老がせいうちくんに、
「こいつは3時間ぐらい前からうつになってる。とりあえず薬のませろ」と言うので、泣きながら、
「3時間どころじゃないぞ、こちとら30年この方ずっとうつだ!」とヘンな啖呵を切ってしまった。

長老「だからさぁ、睡眠薬とかのんで寝ろよ」
私「マイスリー半錠で眠れるあなたと違って、4、5錠飲んでも寝られない筋金入りの不眠症だ」とまた威張ると、「そいつは立派なヤク中だ」とのお達し。
「長谷川病院に入るしかないぞ」とソフトに脅され、はい、引っ込んで、薬のんで落ちつくよう努めます。

20年6月7日

息子のコント生配信の日。
最近いろいろなプログラムを配信してくれてるので、実に息子の顔をよく見る。
ZOOM演芸ブームにちょっと感謝。
週3回、それぞれ角度を変えて、

① 15分でコントの台本を書く配信
② コント師の頭の中が覗ける配信
③ オンライン上で即興コント配信

を行なっているそうな。本人の言によれば「部位を変えてのコント筋トレ」。
どれもまあまあ面白く、毎回1時間強のYouTubeには5~8人ほどの視聴者がいる。
しかし息子よ、そのうちの2人は両親だ。
機械を2台使っているからちゃんと2人にカウントされる。
なんならスマホも使おうか。3人に増えるぞ。ありがたくないねー。

新型コロナで4月も5月も公演予定が吹っ飛んでしまった息子。
テレビを見ても番組はZOOMなどを駆使した「三密を避ける撮影」になっているんだから、君らもZOOMやYouTube配信を使うのは当たり前だよね。
儲かるわけではないだろうけど、いつか生の舞台でやれる日のための、良い経験になると思う。
今は耐えて、今できることに専念して欲しい。バイトも探してね。

親は、週に3日も息子が元気なのを見られると喜んでいる、PTA目線。
顔の線がスッキリしててほがらかで目に光があれば良い徴候、むくみがちでちょっとどんよりしてたら健康状態か気力がイマイチな徴候、と注意深く見ている。
今は配信を始めて活動が波に乗っているせいか、好調のようだ。良かった良かった。
この調子で頼むね。
早く生の公演ができるようになるといいとは思うが、ZOOM配信に慣れた老両親としては、家を出て人混みに行き、1時間以上座っている気力があるかどうか、そこが心配。

20年6月8日

アーシュラ・K・ル・グィンのブログ集を読んでいる。
ファンタジーが読めないので、「闇の左手」はSFだと割り切ってかろうじて読んだけど、「ゲド戦記」とか全滅。
だからファンとは到底呼べない立場だが、「暇な時間なんてないわ 大事なことを考える時間が多すぎて」というタイトルと威厳ある80代女性の意志的なポートレイトの表紙に惹かれて読んだ。

中に、ハーバード大から卒業60年の記念式典のためのアンケートが来たと書いてあった。
「問い12」は、「一般的に言って、あなたの期待に比して、あなたの孫たちの人生における達成の度合いはいかがですか?」というものだったらしい。

それに対してル・グィンの感想は、一番年下の孫は四歳だがはて、そもそも四歳児に対してどんな種類の期待を抱くべきだろうか?というものだった。
「今のまま気立てのよい坊やで居続けてくれることと、じきに読み書きができるようになるだろうかということ」ぐらいしか頭に浮かばない、と。

「私が彼に、ハーバードに進学してほしいとか、少なくとも、父親や曾祖父が行ったコロンビアには行ってほしいと期待していると思われているのかな、とも思う。しかし、今のところ、いい子でいてくれて、読み書きができるようになることで十分だと私には思われる」

そのうえで、ル・グィンは書く。
「実のところ、私は厳密な意味で、期待と呼べるようなものをもっていない。希望や不安はある。最近では概して、不安の方が優勢だ」

この部分に、非常に感銘を受けた。
私も、自分の子供(この際、孫は勘定に入れない)に対して「期待」したことはない気がする。
常に「希望と不安」を持って接してきた。
もちろん最近はどうしたって不安の方がいや増しているんだが、そうすると自然と不思議な希望もわいてくるという、自然が人間に与えた慈悲深いホメオスタシス(恒常性)によって、なんとか平穏に暮らしている。

あんまり感動したんで、息子にそのページの写メを送った。
彼から来た返事は、
「自分たちの世代とは異なる子供たちが暗くて歪な道を歩くことになるんじゃないか、ってすごく心配だよね、僕も」だった。

え?私はあなたのことを考えてたのに、と訝しみつつ自分の送った写メをよくよく読んだら、ル・グィンの文章には続きがあるのだった。

「自分自身の子どもたちが幼かった頃にはまだ、私たち人類が子どもたちのための環境を全面的に破壊するとは限らないという希望がもてた。だが、私たちがそれをやらかしてしまい、目先の利潤を追求する産業主義に、ますます卑屈にひれふしている今、来たるべき世代が人生でくつろぎと安らぎを得られるという希望は余りにもかぼそく、それにすがるのは、道もない暗闇の中を長く進んでいくことだ」

あああ、私が息子の不安な現在と未来しか考えられなくてすっ飛ばしていた点を、彼はきちんと気にかけて読んでいたのだった!
自分も含めながらも次の世代にも十分な含みを込めて、世界を憂えている。
なんか、ものすごく綺麗に一本背追いかけられた気分だ。

なんとか体勢を立て直して、
「子孫たちが満ち足りた心を持って生きていく希望を持ちたい。期待ではなく」と返すと、
「期待は重さがあるものね」と来た。
こっちは誓って変な期待をしたことないから、重さを感じていないことを祈るよ、と伝えたら、
「大丈夫。軽やかです」

軽やかすぎて危なっかしいなぁと感じる親心と、軽やかに生きてくれて嬉しいよ、って人間としての歓びは、いったいどのように両立するんだろうか。
少なくとも私の中には両方が鮮烈に突っ立ってるよ。

息子といい会話ができた。
そのこと自体は、いつもいつでも大きな楽しみであり、私の人生後半に実って刈りとって口にするのを許された甘い甘い果実だ。
寿命の続く限り、この果実の本質的な甘さを理解し、楽しめる自分でいたいなぁ。

ちなみに2018年に89歳で亡くなったル・グィンは、老いること、老いを生きることについても鋭い考察をたくさんちりばめた奥行き深いブログを残してくれている。
いい本に出会った。
読者である喜びを深く感じる瞬間だ。

20年6月9日

今日は「名探偵ポアロ」の「夢」を鑑賞したんだが、事件よりもポアロの人格が興味深かった。
事件解決のヒントをくれて、しかもずっとタイプライターの不調に文句を言っていたミス・レモンに一生懸命手ずから運んできた重そうな荷物は、置き時計!
「これで窓を開けて教会の時計を見なくてすみますよ!」
そしてヘイスティングスに言う。
「私は億万長者にはなれません。自分の従業員に思いやりがありすぎます!」

もちろん「鼻持ちならないほどの自信家でうぬぼれが強い」と原作でも書かれているし、ドラマ上にも余すところなく描かれているよ。
会った人が「ああ、あのポアロさん!」と言うと満足そうににこにこし、もし「知りませんねぇ」って態度を取られるとあからさまにむっとする、ないしは気の毒なほど悄気る。
「探偵のポアロさんです」と紹介されようものなら、「『名探偵』のポアロです!」と自分でわざわざ言い直すほど。
1人で悦に入ってるのがこんなに可愛いんだから、デヴィッド・スーシェのポアロはもはや、芸術だ。

それにしたって、ここまでKYだとは思わなかったよ…初めて知った。
ミス・レモン、その置き時計でポアロの後頭部を一撃していい!

20年6月10日

せいうちくん、2ヶ月半ぶりの出社。
前日の内に「夏物の背広を出して着てみた方がいい」とアドバイス。
だって最後に背広着た時まだ冬物だったし、そのあと彼はけっこうテレワーク太りしてしまったからね。
幸いズボンはなんとか入ったようだ。

出かける前はやたらにうろうろし、
「バスも電車も乗り方を忘れてしまっている。心細い」とカバンも小物も何もかも忘れて行きそうな勢いであった。
まあ、身体が覚えているからなんとかしてくれるのだろう。

どうしてもの用件で午後から数時間の出社であったのに、帰ってきたらへろへろになってた。
「明日は朝から行かなきゃいけないんだけど、こんなんで大丈夫だろうか。テレワークでも仕事はむしろ効率良く回ることがわかったことだし、『新しい生活様式』を推進する立場で行くよ!」と言葉には勢いがあるが、体重が増えたところで急な長時間移動をしたためか、腰が痛くてしょうがないそうである。

お風呂上がりに湿布を貼ってあげて、今日の健闘を讃える。
でも通勤は、基本ない方が絶対に幸せ!

20年6月11日

朝も腰が痛いそうなので湿布を貼り直してあげて(そもそも夜中にどこかに行ってしまったそうだ。湿布がだよ)、財布を忘れたのとスマホを忘れたのとで2回戻ってきたところを両方親切に送り出して、今朝のイベントは終わり。
あとは昼寝をして悪夢を延々みていた。
せいうちくんの出社とは全然関係ない、私の精神がもたらす悪夢。

たいがい誰かにすごく認められたいと思って奮闘している。
そしてその期待は裏切られる。
下手をすると母と姉が出てきて意地悪を言われたり罵倒されたりするのが定番。
最近では自分の過去の記憶が広がったせいか、中学校の友達まで登場人物が増えた。
彼女たちは私に優しくしようとしてくれるのだが情況がそれを許さないため、「ごめんねー」と言いながら消えていったりする。
たいていの悪夢の中で私はものすごく困った状態に1人で取り残され、とてもとてもイヤな目に遭っている。
自分の悲鳴で飛び起き、隣のせいうちくんまで起こしてしまうことも多い。

昼寝はいいね、せいうちくんをびっくりさせないですむから。
ただ、目覚めて「この世界は私に優しい、イヤなことのない世界だ。せいうちくんが私を守ってくれる、なんの心配もない世界だ」と納得がいくまで時間がかかる。
せいうちくんが帰ってくるまで回復せず、ふらふらと薬をのんで次の悪夢に突入してしまう日もよくある。

テレワークはその点たいそうよかったんだが、ああ、また出勤かぁ…
せっかく日本中あちこちで皆さんテレワークを経験したんだから、その良さを認めて、今後につないでいってもらえないかな。
「うなされる家族がいる」なんて大した理由にはならないかもしれないけど、少なくともうなされて呆然としてる人の元に帰る時間は短縮されるないしは存在しなくなるんだけどなぁ。

20年6月12日

せいうちくんはお休みをいただいて、でもちょこっとお仕事して、家で静かに過ごした。
夜は息子が来てくれるんだって。
なんか急に両親に会いたくなったらしい。
ペットのハムスターの面倒は今夜カノジョがみてくれて明日は息子がみるっていう、時間差それぞれ里帰り。
意味はよくわからないが、
「カノジョも今週実家帰るらしいし、そろそろとは考えていたので」と言われると、まあアラートも解除されたし、いいかなーって。楽天的すぎるかしら。

いつもは遅刻しがちな息子が予定時間より1時間も早く「駅ついちゃった。歩いて向かうね」と連絡してきた。
我々が45分かかる道のりを、若い力で20分ちょっとで踏破してきたよ。
軽く走ってきたそうな。
マスクして汗びっしょりなので、まずはお風呂お風呂。

1時間ほど談笑してるうちに息子リクエストに従って頼んでおいた近所のラーメン屋さんの出前が届いた。
味噌チャーシュー麺は息子のため。
五目焼きそばは我々のため。
酢豚と野菜炒めはみんなでつつこう。
昔っから彼はここの出前が大好きなんだよね。

もちろん泊まりなんで喜んでいたら、明日は朝の9時に近所で行きつけの床屋さんに予約を入れてきたらしい。
嫌味なぐらい早起きだな。
「こんな時だから、応援しなくっちゃね」と言う彼の頭は、確かに切り甲斐がありそうだ。
柔道部の高校時代はせいうちくんがバリカンで坊主にしていたが、大学時代は自分で時々行っていた店。
そもそもせいうちくんの行きつけであるので、お金ない息子が切ってもらってあとから父親が払う、という「ツケ」が利くのも魅力だった。

今でもせいうちくんが行くと「息子さん、お笑いの方はどうですか」と聞いてくれる店主は、息子本人と会うのは何年ぶりになるだろうか。
マスク越しでも懐かしく近況を語り合ってほしい。

そのあとは保育園からの幼なじみしゅうくんに会うんだそうだ。
近所のガストと聞いて乱入を目論むが、ハイティーン以降のしゅうくんは子供時代からは想像がつかないぐらいシャイだから、やめておいてあげよう。
ゆっくり竹馬の友同士再会を果たしてくれ。

しゅうくんといえば一緒にやっていたボーイスカウトだねぇと話題を振ったら、どうもボーイスカウトはカブスカウト時代を含めてイマイチやってる意味がわからなかったらしい。
「なんの修行をしてるのかどういう意味があるのか、きちんと説明してくれれば子供なりに納得したかもしれない」って言われたって、そんなの子供が理解したとは思えないよ。
今の君がそう思う年齢になったってだけだよ。

それにね、せいうちくんは自分が中学受験でカブスカウトや剣道をやりかけのまま遠くに置き去りにしてきてしまったのを「取り返したい気持ち」と「子育てにおけるある程度の理想」に支えられてそういう活動をやらせてきたのかもしれないが、母親である私に関して言えば、ズバリ、

「年に何度もキャンプでお泊まりに言ってくれるのか!それは願ってもないいい話だ!」

と考えたからなの。
平常活動がある日曜も、子供が1日家でゲームしてたらやだなぁ、って思ったの。
子供同士自然に群れるのが難しい世の中だから、多少は組織の力を借りて、同年代の子供とふれあっておいでよ。それだけの動機だったの。

柔道だって小学校から警察で習い始めたのはせいうちくんが警察剣道をやってたからで(警察署ってのは、たいがい非常に安く柔剣道を教えてくれます)、たまたま柔道を先に見学に行った小1の息子がクラスメートのしゅんすけくんがもう始めてるのに会って、
「やる?おおそとがり、おしえてあげようか?」って言われたから柔道になったんで、順番が違ってたら別の友達と剣道少年になっていただけなんだ。
でもね、きっかけは大事だし、それで結局町道場も高校の部活も含めて12年間ほぼほぼ柔道漬けの日を送ったのは、逃れられない運命のようなもので。

息子と映画を観ようと思ってデッキをあれこれいじってたら、先週せいうちくんと一緒に観た「高校時代最後の団体戦と個人戦」の映像が出てきちゃったんだよね。
これ、当時は「来るなよ」「撮るなよ」って不評だったから、咄嗟に「ヤバいっ!」って思ったんだけど、案に相違して、
「お、なつかしいな。オレ、これ観たい」と鑑賞し始めた。

前にやたらによその学校の小山の如くでかい選手たちが立ちふさがって壁のようになり、畳の上の息子が映ってない場面がけっこうある。
しかも投げる瞬間とかが隠れてしまってるんだが、息子は妙にご満悦。
「選手の観戦が優先。押しのけて撮影したりしないお母さんの、リテラシーの高さを見たよ」と珍しくお褒めにあずかった。
単純に、嬉しい。

たっぷり30分観てて、
「あー、これは甘い寝技だね」
「お、オレ、よく勝てたなぁ」
「団体戦でオレだけ負けてる…恥ずかしい」
「おおう、この最後の試合は一番綺麗に負けたんだ。この人には、勝てる気がしなかったよ」などと講評し、あまつさえ自分が「飛び込み背負い」をかけられるところを何度もスローで行きつ戻りつして、相手の鋭い技の解説をしてくれた。
最後には録画を停めて、「普通の背負い」と「飛び込み背負い」の違いをせいうちくんで実演してくれたよ。
いや、もちろん投げない。入るとこまで。

「コントにも言えることだよね。1人で完成させるんじゃないんだ。技をかける方とかけられる方、両方が『いい試合をしよう』って思った時に試合になるんだよ。勝ちたい勝ちたいと思っていたあの頃の自分にはわかんなかったね。お客さんも含めて、みんなで完成させるのが格闘技であり、お笑いなんだよ」
どうやらなんだか悟りを開いちゃったみたい。

そのあとは一緒に観ようと思った映画「イエスタディ」を鑑賞。
私たちもうすでに観てるんだけど、これは息子と観る映画だよ。
始まってすぐ、主人公がスーパーで経営者から「君はお客に人気があるな」と声をかけられると、
「あ、これは正社員へのお誘いだよ。ちょっと普通にできる人はね、すぐ囲い込まれちゃうの」
まあそのあといろいろあって音楽を志す主人公はいきなりツアーの前座で出発しちゃうんで、ああ、これだからパートやバイトしかないのか、と息子の境遇も噛みしめた両親でございます。

予想はしてたけど、ビートルズの歌を知らないにもほどがある息子。
さすがに「ヘルプ!」とか「ヘイ・ジュード」は知ってるけど、「ロング・アンド・ワインディング・ロード」や「イン・マイ・ライフ」は通じない。
「エリナ・リグビー」や「ペニー・レーン」も全滅。
「そう言われりゃ聞いたことあるかも」ぐらいの曲ばっかりだ。
どれもが深い意味を持つのに。

しかし!いろんな意味で息子にはターニングポイントになったかもしれないなんて勝手にこっちは思う。
売れて持ち上げられる恐怖(まあそんな目には遭ってみたいかもしれないが)、自分の作品で勝負するプライド、愛する女性に愛してると言い、嘘のない人生を送るのが幸福の秘訣だと、スクリーンいっぱいに語られる。

「非常にいい映画だった!」と叫んで就寝になったが、私としては数年後に「オブラディ・オブラダ」になってくれてもちっともかまわない気分だ。
「In a couple of years they have built a home sweet home
  With a couple of kids running in the yard of Desmond and Molly Jones」
保育園は探してね。

話し足りない心持ち。息子と会うといつもこうだ。
せいうちくんにしがみついて寝よう。
こうして会って話して食事して、映画まで一緒に楽しめる幸福に感謝しよう。
今日は子供時代の話をする光栄にまで恵まれたよ。

一番びっくりしたことは、息子が入ったあとのトイレのペーパーが、三角に折りたたまれていたこと。
パチンコ屋さんも再開したようで、接客が身に染みこみつつある。
しかし実家でやんなくても良かろうに。

20年6月13日

久々に泊まった息子は朝、7時半から起こしてたせいうちくんの努力の甲斐あって8時半には起き、ベーコンエッグとラタトゥイユを半分眠った状態で食べて、9時の予約に間に合うように床屋へ行った。
小雨が降っていたが、歩いていてはとても間に合うまいと思われたので、せいうちくんの自転車を使えと言ったら喜んで乗って行ったようだ。
相変わらずなかなか起きられない人。
「家にいる頃の地獄の日々を思い出した。もう二度と、起こす立場にはなりたくないものだ」とせいうちくんとうなずきあう。

ノートPCも入った重いリュックは置いて行ったし自転車も返さなきゃなので、幼なじみしゅうくんに会う前にいったん戻ってきた。
と言うか、帰ってきたのが10時過ぎなのに、しゅうくんとは12時の待ち合わせなんだって。
たまたませいうちくんは仕事の電話がかかってきていて別室にいたが、息子曰く、
「なんか食いたい」
「さっき食べたじゃん。そもそもガストでしゅうくんとごはん食べるんじゃないの?」
「それはお茶だけだから。腹減ってる。なんか食いたい」
「冷凍のごはんとうなぎあるから、うな丼作ってあげようか?」
「ありがたい!」
「味噌汁作るの面倒だから、インスタントね。どっちがいい?」と「しじみ70個分」と「赤だし味噌汁(具の選択4種類)」を見せると、赤だしの「長ねぎ」をリクエストしてきた。
ビミョーに高い方を選ぶヤツだ。

うな丼平らげて満足げにしているところに、せいうちくんが電話を終えて戻ってきた。
息子が出かけるまでにまだ40分以上残っている。
「じゃあ、父さん仕事するから、時間が余ったら話そうね」とまた書斎に行こうとするから、
「ちょ、ちょ、ちょっと待って。その仕事って、急ぎなの?」と詰問する。
せ「いや、だけど、午前中は仕事って思ってたから」
私「思ってた、じゃないよ。息子いて、時間があるんだよ。先におしゃべりして、帰っちゃってから仕事すりゃいいじゃん」
せ「あ、そうか」
息子は腹を抱えて笑っていた。
せいうちくんって、どうしてこんなにせいうちくんなんだろう。

3人でお茶を飲みながら少し話をし、まだ雨が降っていたので最後のビニール傘(半ば骨折状態)をあげた。
それ以外の傘は我々自身なくさないようにとても気をつけている「とっておき」しかないのだ。
あげてもいいようなものはもう全部、この2年半、幾度かの急な雨に持たせてしまった。
「これで十分だよ。ありがとう。いろいろごちそうさま」と息子は機嫌よく、満面の笑顔で私をぎゅうぎゅうとハグして、せいうちくんとは握手して帰って行った。
せいうちくんもテーブルの向こうから手を伸ばすんじゃなくって立ち上がって歩み寄ればハグしてもらえたと思うんだが、男親ってのは遠慮深いものだね。
楽しい機会なのになぁ。

送り出してドアの鍵をかけ、リビングに戻って何か忘れ物はないかと見回すと、カウンタ上にタバコとライターが置きっぱなしになっていた。
ひっつかんで玄関に取って返し、ドアを開けて、廊下の彼方のエレベーターに乗る寸前の息子を呼び止めることができた。
「タバコ忘れてるよ~!」
新たに感謝され、門扉ごしにもう1回おまけのハグをもらって、今度こそ本当にお別れ。

家の中がぽかーんとしている。
なんとなく小さくなりがちな声で、息子の話ばかりする。
せ「一緒に柔道の試合のビデオ見てくれたねぇ。『こんなもん見てんのか』って怒らなかったねぇ」
私「講道館に行くたびに私が柔道Tシャツ買ってきたのをどう思ってたか聞いたら、『あんなダサいもの、困るでしょ、フツー』って言ってたねぇ。でも、『夏に練習行く時とか塾行く時とか、けっこう着てたじゃない。1日に何度もシャワー浴びて着替えてたから』って言ったら、『ま、重宝はするんだよねぇ』って笑ってたよ。ずいぶん配慮した言い方するようになったねぇ」
せ「1回も機嫌悪くならなかったね。話の途中で拒否するようにノートPC開いたりしなくなったね」
私「開く時は、『この話題にはちょっと飽きました』って雰囲気を柔らかくにじませてたね」

我々の、息子に対する期待は限りなく低い。卑屈と言ってもいい。
彼が両親をそのように「教育」してきたのだとすれば大したもんだ。
人間、他人からの期待値を上げ過ぎるとあとで苦労するから、いっぺんとことん下げておくってのは自然に生まれた知恵なんだろう。

感情を揺さぶられ過ぎてくたびれたので、せいうちくんは仕事を終えて軽く昼寝。
私はもちろん揺さぶられ過ぎてくたびれたので、眠れない。
夜の恒例サークルZOOM飲み会に備えて寝ておかなきゃいけなかったのに。

20時から始まった飲み会は、やはり最初はいつものメンツ、部屋主のGくんと長老と我々夫婦だけ。
「またこの顔ぶれかい」と言って話してるうちに、21時半ごろから姫のYちゃんや北海道のUくん、スタトレのブリッジを背景にしたSくんがやってくる。
このへんももう、おなじみのメンバーだ。
22時になって我々は息子の生配信を見に行って1時間半ほど離脱していたが、戻ってきたら同じ人々がまだいた。

0時ごろにSくんが抜け、1時半ごろに話がすごい下ネタになってきたせいなのか、
「明日早いんです~」とYちゃんが抜けるとほぼ同時にUくんも抜けた。
最初と同じ「いつものメンツ」4人は結局4時ごろまで頭が痛くなるような話をずっと続けていた。
どんなに勧められてもTENGAは買いません。

せいうちくんは、0時に去ったSくんから、
「せいうちって、昔はもっと人に配慮したものの言い方をしてたよね」と言われた件を気にしていた。
お正月に、別の友人から、
「せいうちって昔っから要領が良かったじゃん」と言われ、「いったい僕が、いつ、要領が良かったことなんてあるんだろうか。どんなにどんなにひいき目に見ても、少なくともまんがくらぶの同期が僕のこと要領がいいなんて思ってたとは考えられない。彼だって絶対昔は僕のこと、『せいうちってホントに要領が悪い!』って思ってたはず」と悩んでた時と同じぐらい。

最後の方でちょこっとその悲しみを聞いてくれた酔っ払いの長老は、「頼りがいが出てきたぞー」と朗らかに言い、ほとんど正体をなくしたGくんは、「ま、あれだな、出世したのがいかんのだな」と断じていた。
本人が変わったわけじゃないんだが、いや、変わらないからこそ、難しい決断の場面が増えて極端になってるのかもしれない。
基本的には前も今も大好きだ。

20年6月15日

通院日。せいうちくんも出社日で、ちょうどよかった。
今日こそ美容院に行って、3ヶ月近く切れなくてぼさぼさに伸び、ハープアップにくくってなんとかすませてきた髪を切ってもらおう。
白髪だってすごいんだ。

ひとつのおでかけにぎゅうぎゅうに予定を詰め込んでしまう性格は何とかしなきゃなーと思いながら、まずはクリニックの近所の図書館で予約本を回収しよう。
回ってきたとたんに図書館が閉まってしまったので、これまた3ヶ月近く待たされていたのだ。
あっ、いかん!3か月前に借りた本、こないだまとめて返却ボックスに入れたのに、1冊だけまだ読んでないのを「当日持って行って返却すれば大丈夫だろう、1冊なら持てるし」とか思って残しといたやつ、持ってくるの忘れた!
あれ返さないと私のカードには延滞本が1冊残って、新しく借りられないのだ!

あーあ、次に来るのはきっとひと月後だから、予約流れちゃうなー、せっかく長いこと待ってたのになーとため息をついて図書館の前を通り過ぎ、クリニックへ。

ドクターは「いかがです?」と聞いてくれるから、
「自粛が明けて夫が時々会社に行くようになりました。やっぱり寂しいです」と訴えると、
「せっかくテレワークが根づきそうだったのに、このままだと元に戻っちゃうねぇ。日本の社会は動きにくいよ」とやっぱり反体制の闘士っぽいセリフ。おのれ、根は全共闘だな。

私「リモートの方が能率あがる点も多いし、通勤時間は確実に削減できるし、どうしてもの日だけ出社、って決めればいいと思うんですけどね。夫はそんなに仕事好きじゃないと思ってましたけど、やっぱり30年の間に刷り込まれてるんですよ。どうも会社ってとこは行くもんだと自然に思ってるみたいです」
ドクター「そこは別の考えの妻が主張してさ、目を醒まさせてあげようよ。せっかくの変化のチャンスにさ」
うーん、私たち、なんだか反社会的な悪だくみを共闘している雰囲気になってきたぞ。

私「家にいるのに仕事してて、遊んでくれないってのにも慣れました。もう淋しくないです。家にいれば一緒に昼ごはん食べたり合間に顔見たり、仕事終わったらすぐに遊べたり、いいことばっかりなんです」
ドクター「そうだよね、そこでゆっくり休んで、元気を取り戻そう」
私「何もする気がなくなって床に倒れてたり、ぼーっと寝てたりするんです。考えすら浮かばないでぼんやりと落ち込んでます。でも、どこも悪くない自分が疲れてしまったりするのはおかしいと思って、休むことに罪悪感があるんです。夫は『頼むからゆっくりして。キミは十分具合が悪いんだから』って言ってくれるんですけど」

先生はかなり困った様子。
「歳が行けば、若い頃みたいに動けなくなることもある。元気がない時は身体の声を聞いて。(先生、それが難しいんですぅ)ご主人と同じで、僕からも頼みます。休んでください」

ドクターはなぁ、知らないんだよ。
私が1日中ほとんど寝てるとか、洗濯以外の家事は全部せいうちくんがやってくれてるとか、これ以上ないぐらい休んでるってことを。
そんなことをぽつぽつ言ったら、ドクターはちょっとお手上げの仕草になった。
「そんなこと言ったって、現実にあなたは疲れ切ってるじゃないですか!」
えー、これを疲れてるって言うの?仮病って言わない?
「言いません。身体がくたびれてる、って訴えてるんです。僕のためだと思って、休んでください」
はあああい。

いろいろな会話の中では、
「あなたはねぇ、ちょっと強迫的なんだよね。自分で自分を追い詰めてる。なんでそうなるのかねぇ」と嘆かれた。
そこは私も知りたいところ。
母からずっと、
「だらしなくて根気がない。いいかげん。真面目なお姉ちゃんを見習いなさい」と言われ続けてきたってのに。強迫的なとこがあるなんて思ってなかった。
どうも高校あたりで姉と私の性格が入れ替わってきた気もする。
それでも母の「姉がエライ」は変わらなくって、30代になる頃には、
「あなたは気が小さくてくよくよしすぎる。お姉ちゃんのほうがよっぽど思い切ったことをやる」と言ってた。
いったいどっちの私が本当で、どっちの私が「良い子」になれたんだろう?
そんなもんは最初っからどこにもいないから、考えるだけ無駄なんだが。

お薬もらって、美容院に行く前にパッ・タイ食べよう。
しかし、その前に念のために図書館行ってみようかな。
延滞本残っててももしかしたらおまけしてくれるかも。

ところが!
自動貸し出し機でどんどん手続き進めてみて初めて分かったことだが、図書館の閉鎖に伴って貸出期間もまた長期に延長されており、延滞と思った本はまだ貸出期限内だった!
期限内の本を1冊借りてるだけになってるカードに、不穏なところなし。
3ヶ月待たされた、向こうも準備されたままで棚でずっと私のこと待っててくれた予約本を、無事に借りることができた!
まったく、必要なのは「あきらめない心」だと強く思った。

いつものタイ料理屋さんはテイクアウトも始めている以外は普通に営業中。
ただしカウンター席は1個おきになっており、フロアもテーブルを減らしてある。
お客さんも少ないから、これでは収益は大打撃だろう。
「お食事中に外したマスクを入れるために」、入り口でビニール袋を取れるようになっているのがありがたい。
このお心遣いと変わらぬパッ・タイに、元気出た。元のように営業できる日を祈る。

美容院では、担当のおにーさんがぼさぼさ頭を見て苦笑していた。
あと、「コロナだし夏だし、全然人には会わない前提で、もう短く切っちゃってください」とのリクエストに、
「せっかくボブの形が整ってきたんですけどねぇ。いいんですか?」とあくまで完璧なスタイルにこだわる彼らしい。
いやもう、暑いのが耐えられません。
洗って乾かすのも、ドライヤーの熱で風呂上がりのさわやかさが台無しです。
ここはひとつ、すっきりショートに。

マスクは外して、まず耳回りの髪を切る(もちろん担当さんはマスクをしたまま)
黙ってタブレットを読んでいる状態で全体切ってもらい、白髪染めに入る前に手作りマスクを勧められた。
キッチンタオルを折りたたんでゴムひもを両端につけた造り。
白髪染めの薬液が染みたり、シャンプーの時に濡れたりするから、お客さんのマスクを汚さないようにとの気配りなんだろう。
ちょっとごわっとするけど、十分使用に耐えるものだった。
本当は担当さんと「鬼滅の刃、終わりましたねー」って話をしたかったんだが、近くにいても会話をしないソーシャルディスタンスなのであった。ちと寂しい。

2年ぶりぐらいにずいぶんなショートヘアになって、髪も気分も軽くなった。
毎晩洗うたびに乾かすたびに、このご利益に感謝するだろう。
本当はもっと短くてもいいぐらいなんだが、ベリーショートは70代になるまで取っておこうかな。

かなりくたびれてバスで帰った。
むちゃくちゃ充実したお出かけだったが、やはり予定を入れすぎる癖は良くない。
「夏場は、とにかく昼間に外出しないのが疲れを残さないコツ」とバテやすい友人が言っていたぐらいで、お出かけ回数を減らすのはいいと思うけど、てんこ盛りは避けた方がいいんだろう。

エアコンをつけてベッドに横たわり、せいうちくんに、
「帰った。ひやひやのすずすずのぐー」(家に帰りました。ひんやり涼しい部屋で休みます、の意)とLINEを打って、さて昼寝しようと思っても外出の興奮で寝られないんだな、これが。
昨夜から「予定がある」興奮で浅い眠りだったので、頭がガンガンする。
まあ、1日外で働いてる人のことを思えば何ほどのこともない。
夏の間だけでもテレワークが続くといいのになぁ。

20年6月17日

整形外科と眼科の通院日。
先日に続いて幸いなことに、せいうちくんも出勤日。
そもそも、結婚記念日じゃないか!31年目になる。
いちおう昨日の夜の12時過ぎに「ありがとう、これからもよろしく!」と言い合って寝たが、今朝は睡眠薬でほぼふにゃふにゃだったため、出勤前の夫に何も言えなかった。
不覚である。

整形外科ではいつものようにひざにヒアルロン酸の注射を打ってもらった。
痛みがやわらぐわけではないけどそれ以外に特にすることはないようだ。
毎回、水が溜まってないかのチェックは大事。

先日来の腱鞘炎についても、軟膏では痛みが取れなかった旨話すと、小さなCTスキャンで右手人差し指の付け根を診てくれて、やはり腱鞘炎だから注射打っとこうって。
元来注射が苦手なタチではないうえ毎月の採血で鍛え上げられてるので、左右のひざの外側からぶすぶす注入されるのは慣れてるし痛くても「んー」ってな感じなんだが、手はさすがに神経が細かいだけあって、けっこう痛かった。
細い針なのに鋭い痛みと一緒にキンキンと侵入してきて、3回ぐらい「うっ」となって、「先生、もう一段階突っ込んだら『痛いですねー』って言うよ」と身構えていた。
幸い、そうなる前に終わった。

注入される様をスキャナで見ていられたのは面白かった。
炎症を起こしている黒い空間に、砂時計に落ちる細かい粒のように薬が流れ込んでいく。
同時に、人差し指全体がぷわあと腫れていくような感覚がやってきた。
「指が、ふくれていく感じがしますね」
「そうね、薬が腱のまわり全体に入っていくからね」
まだ自分では記憶がない5歳ぐらいの頃、歯医者で「次にどの器具で何をするつもりなのか」を説明されるまでは決して口を開こうとしなかった「自分の状態を知りたがる子供」は55年後も健在だ。

薬局で湿布薬もらうついでに、となりの皮膚科でこの時期だけの大サービス、いつもの症状なら診察抜きで処方箋だけ出してくれるというサービスを利用して、手術痕のケロイドを鎮める薬ももらい、いったん家に帰って休憩。

テレビで「バック・トゥー・ザ・フューチャー」をやっていたらしくTwitterで話題になっており、急に見たくなったところ、やはりと言うかなんと言うか、アマプラで1と2は有料になっていた。
まだやってないからなのか3はとりあえずアマプラ会員無料だったので、ベッドに仰向けになって頭の上にホールドされたiPad Proで鑑賞。
やはり、寝た。
なぜか映画を観てると寝る率が高い。
夜の不眠になぜそれが生かせないのか、とよくせいうちくんに聞かれるが、夜はなんだか本かマンガが読みたいものなんだ。
あと、1人で映像を観るのは落ち着かない。
おかげでNetflixで観かけている「ザ・クラウン」がちっとも終わらなくて、それだけのために解約できずにいる阿呆な状態だ。

途切れ途切れにドクとマーティーの西部生活を眺めた後、眼科へ。
新型コロナでの自粛をいいことに、緑内障のための視野検査に2回も延長願いを出してしまった。
眼圧を下げる目薬もさすがに切れてきたので、今回は行こう。

視野検査は、大嫌いだ。
半球型のドームに顔を突っ込む格好で、片目ずつふさいだうえ、検査する目もまばたきこそできるが閉じっぱなしにならないようテープで固定される。
目の前のレンズの向こうのドーム内でどこかが「光った」ら、右手に握ったスイッチを押す。
神経を使うので無茶苦茶くたびれる。
この検査で唯一好きになれる要素は、これを押した時の「ピッ」って音がカワイイことかも。

だからと言って、音聞きたさに闇雲に押すわけにはいかない。
あくまで「光点が見えた時」である。
「右目の全体視野」を検査した後、ちょっとだけ休んでからそのまま「右目の中心部の視野」の見え方を検査。
全体の検査の時、光点はとても小さくかすかな星の明かりが瞬くようだが、中心部の時は1ミリぐらいの大きさを持った「光の丸」に見える。
出てくる範囲も中心に集まっているので、見えやすい。こちらの方が好き。

しかし、次に右目をふさいで左目を同じように検査する時、「中心部」から始めたので、4回戦の最後に「かすかな光点を探す苦行」が来てしまった。
さっきまでの大きめの光に比べて、本当に針の先で突いたような「チカッ」という瞬間を見定めてスイッチを押さなければならない。
とても気疲れする作業だ。
そもそも4回戦目になると、かなり疲れて飽きているわけだし。

なんでだろうなぁ、「正しく測ってもらいたい」気持ちより、「悪い結果を出したくない」「いい(正確な)成績を出したい」気持ちの方が強いんだ。
これは、中高時代あたりのペーパーテスト時代の名残りなんだろうか。
およそテスト(何かを測る)の時、人は「張り切ってしまう」ものなんだろうか。
ヘタしたら「それで美人の女医さんにほめられたい」とか思ってるしなぁ。

へろへろな結果だった気分で、美人の女医さんをがっかりさせるのではないかと不安に思いながら診察机の横に座ったら、
「今日はすごくいいですよ!」と絶賛された!
いつも変わらぬ「やや心配な部分」以外は、実にクリアだったらしい。

なんとなく舞い上がりかけたところで、残念なお知らせで「眼圧は高いのよね…」。
緑内障は眼圧が高いと進行しやすいのでできれば眼圧を15以下に抑えたいのに、普段は目薬で18ぐらいまでは何とか下がってるところが、今日は20を超えていたらしい。

どうしても眼圧が上がるタイプのようで、いろいろ目薬を試した。
防腐剤が入ってないものだと効くのもあったのだが、そのかわり目のまわりが荒れる。
女医さんの手持ちはほぼ全部試した結果、今の目薬で妥協しているわけだ。
何やら決然と、女医さんは言う。
「もうひとつだけ、防腐剤なしのやつで可能性のある薬があるんだけど、それはもう、最後の手段に取っておきたいの!」
美女の決然に逆らえる人がいるだろうか。
「そうしましょう!」と、彼女の計画に加担できる喜びでいっぱいになって答える私であった。

あとは、「左目のまぶたが下がる」点を診てもらったところ、「眼瞼下垂」の疑い無きにしもあらず、だそうだ。
まぶたの筋肉の問題なら形成外科、筋肉を持ち上げる神経の問題なら脳神経外科の専門で、最悪そちらにかかればチェックの方法もあるそうだ。
気づいたのがここ半年ぐらいのことなので、もう半年ぐらい眼科で様子を見て、怪しければ紹介してもらう、と決着。

あー、今日はいろいろ片づけた。
薬局2か所行って両方とも、いや、月曜にメンタルクリニックに行った時も合わせれば3か所で、
「今日はお薬がそろわないんです。すみません」と言われて一部が後日の配達となっている。
やはり医療関係の業務がオーバーフローして、うまく回っていないのだろうか。
私が実際に困る点は一つもないのでいいんだが、心配になる。

急を要する治療が受けられない人は困ってるだろうなぁ。
仲間内でも、
「今、脳溢血や心筋梗塞を起こすと、普段なら助かるものでも助からない」と話題になる。
がん患者の治療すら後回しになっていた時期があるようだから。
少しは改善してきてるんだろうか。

自分の実感としては、死ぬなら死ぬでかまわないけどヘタに障害が残るような「治療の遅れ」は避けたいなぁというところ。
わりと熱心に病院に通ってしまうのも、「次はいつ頃に来てください」と言われると断りにくいとか「行かなきゃ」と思う強迫的な性格とかもあるが、生きて身体を使う分にはできるだけ快適な状態にしておきたいと思うからだ。
目が見えないとか歩けないとかは不便だろう。
そのために身体を鍛えようという発想はほとんど浮かばないんだが、医者にはかかるし薬はのむ。
たぶん、他力本願。

薬に抵抗がないのも大きいかも。
せいうちくんは青年期までにアトピー性皮膚炎に悩まされ、あまりにいろんな薬をのみいろんな医者にかかり、しかも効き目がなかったものだから、治療過多に対する不信が深く、「どうしようもないことはある」と達観してしまったようだ。
ビタミン剤さえのみたがらない彼を見ていると、私は明らかに医療依存であり、ヤク中だ。
特に血液サラサラのワーファリンと心臓の薬は一生のまなければならないと覚悟しているせいか、他の薬を今さら減らそうという気にはならない。
「薬なんか、医者がのめって言うだけだ。のんでものまんでも何も起こらん」と言い切った無頼なGくんでさえ、血圧が250を超えた時は医者に駆け込んだと言うし、降圧剤服用後の血圧をグラフ化して、「のむとてきめんに下がる」ぐらいは納得したようだからなぁ。

今日は長いなぁ。
結婚記念日の話は明日にしよう。
ホントは今日なんだけど、せいうちくんと2人の秘密。

20年6月18日

というわけで、昨日になってしまったけど結婚記念日の話。31回目。
去年は30周年だったのでクルーズ2回も連れてってもらったしプレゼントもいろいろ大盤振る舞いだったんだが、今年は地味に地味に過ぎていきそう。
まあ半端なうえ、コロナだもんね。
35回目の珊瑚婚式とか40年目のルビー婚式に期待し、さらには45年目のサファイア婚式、そしてできれば50年の金婚式までいきたいものだ。

長生きが大前提になってくるからなぁ。
自分の両親が父の死亡で金婚式を逃しているので、とても大それた願いのような気がしている。
とっくにダイヤモンド婚式を過ぎてプラチナ婚式も夢じゃないせいうちくんのご両親を見てると、寿命の違う生き物っている気がする。

出勤日だった大内くん、バスに乗り換える前に花を買ってきてくれた!
清楚なクリーム色の花びらが端に向かって紅色にグラデーションしているのを3輪。
ひざまずいて捧げてくれてる写真を撮って、FBにアップだ。
(本人、左手は「どぶろっくのコント『大きなイチモツ』」を意識したようで、ちゃんとできてない!とあとからくやしがっていた笑)
こちらからも愛と感謝を込めて、いつもいつでもありがとう~!
いつの日か世界が落ち着いたら、またクルーズ行こうね。

20年6月19日

テレワークで体力が衰えるといけないと思い、仕事が終わって散歩をし、お風呂に入る前に、2人でラジオ体操をすることにした。
食卓にタブレットを立て、YouTubeで「ラジオ体操第一」を流す。
やや窮屈だけど、2人が一心にラジオ体操をするスペースがあるのはありがたい。
調子がいい時は「ラジオ体操第二」までやっちゃう。
(第一が終わってもYouTubeをそのままにしておくと、自動的に第二が始まるのだ)

せいうちくんが言うには、彼の会社の製鐵工場には独自の体操があるらしい。
いつか教わってみたいものだ。
それに、実は私の卒業した高校にもオリジナルの体操がある。
「○高体操」と呼ばれるそれは、ラジオ体操をベースに「高校生に丁度よく筋肉や運動神経が発達する程度の負荷を考えて作られている」らしい。
つまり、今の我々には「負荷過大」ってことだ。
ほどほどにしておこう。

同窓生たちがなつかしがって話題にしていたところでは、
「覚えるのが大変だった」
「試験があった」
「試験に合格するまではもう、体操ばっかりさせられた」とのことだが、皆、総じていい思い出であり高校の良き伝統だと思っているようだ。
私は体育と体育の先生をあまり快く思っていなかったので、反体制分子かもしれない。
世の中には体育サボって教室で本読んでる方が好きな人もいるんだよ。

なのに高齢になると「健康でいるために」しょうがなくラジオ体操したりする。
いつもいつも思うんだが、人間が読書してるだけでどんどん健康になれたらどんなにいいだろうなぁ…
「朝起きたらまず、軽い読書をしましょう。脳の血行を促進し、目覚めが良くなります。1日4、5時間は本を読む習慣をつけたいものです。読む本によってはスリルによって奥歯をかみしめることで咀嚼力が増大し、口腔フレイルを免れる期待も上昇します」
いいじゃん!

20年6月20日

恒例のZOOM飲み会。
酔っ払いがわやわやといろいろ言い合う。
自粛が解除されてももうリアル飲み会に行きたいって思わないなぁ。
家飲みで安く上がるし出かけないでいいしお店の他のお客さんを気にしなくてすむし、利点しか思いつかない。

6人ほどで飲んでる中、私以外の唯一の女性Yちゃんに、なんかの話から聞かれた。

Y「うさこさんご夫妻は、日々そんなふうにお互いのどこが好きか、言い合ってるんですか?」
私「言うよ。私がせいうちくんを好きなのはね、いろんなことを知っていて話をしてくれて、優しくて誠実で、真面目なところだよ」
Y「うわー、いいですねー。せいうちさんも言うんですか?」
せ「それは、日々、というより『時々刻々』言います。でも、どこをどう好きかは、大事な秘密なのでここでは内緒です」
言えばいいのに!せっかく聞いてくれたのに!真面目すぎてマイナス1ポイント。

しかし、「時々刻々」はなかなかのパワーワードであった。せいうちくんにしては斬新なクリーンヒット。

例によって途中で息子の生配信を見るために抜ける。
今日は「ラジオのように楽しんでほしい」というコンセプトのおしゃべり配信で、ここんとこずっとメンバー1人を選んでは好きなことや人生経験を聞きまくり、「ウィキペディア」のようなものを作成している。
グループの配信まわりを一手に引き受けてくれている技術屋さんTくんの真面目でディープな人柄がよくわかって面白かった。

戻ってきたら、人が増殖していた。
最近時々現れる男性は、3まわりぐらい年下のカノジョができた嬉しさを隠せない様子。
シャイな人なのでいろいろ聞かれるのを嫌がってるとばかり思っていたが、こうしてZOOM飲み会にやってくるということは、どちらかと言うと聞いてほしいんだろう。
特に今日は、グリーンスクリーン機能を使って「カノジョが動物園で鹿様の偶蹄目(アルパカとかいろんな説が出たが、よくわからなかった)に餌をやってるふれあい広場」の写真を背景にしてきた。
これは、話題にしない方が失礼であろう。

嬉しいんだか困ってるんだかわからない彼をいつものようにYちゃんと私で質問攻めにしていたら、しまいには、
「写真はいろいろあるんですよね…」と言いながら、1枚ずつではなくフォルダの小さな写真をずらりと見せてくれる太っ腹ぶり。
酔ってるのかな。
「○○ちゃんとデート」ってフォルダタイトルまで見えてるぞ。

その場にいる独身者も既婚者もやもめも、「いいなー」と素直にうらやましがる。
滅多に人の恋愛がうらやましくならない恵まれた生活の私も、「いいなー、せいうちくんがこんなに私のこと自慢してくれる性格だったら面白いのになー」と思ってた。

今日は株主総会を来週に控えたせいうちくんがナーバスかつ忙しくなってるのもあって、2時頃まで1人で参加して遊んでいた。
しかしこれが明け方まで続くと休日の生活が乱れるのも確かなので、仕事が終わったせいうちくんが背後に立って威圧してくるのに負け、「おやすみなさ~い」と引き上げる羽目になった。
まだ話してる人、楽しそうだな-。まあ眠いから、いいか。

20年6月21日

息子たちのコントグループ、YouTube生配信。
今日はお題をもらってすぐに作って演じる即興コントの日。

昨日の「ラジオ放送」的なプログラムの中で、メンバーのTくんの語った「人生で一番笑ったエピソード」が素晴らしかった。

「高校の部活の帰りに、学校から横浜駅まで走ろうぜってなって、15分ぐらい走ったのに勢いで、じゃあみなとみらいまで走ろうぜってなって、さらに『あそこに見える観覧車まで走ろうぜ』ってなって、もうへとへとになるぐらいまで走ったら、目指してきたはずの観覧車が見えない。あれっ、て思ってまわりを見たら、観覧車は反対側にあって、目の前のビルに映った虚像に向かって走ってたんだって気づいた」時に、「腹がもげるぐらい笑った」のだそう。
情景が、すごい夜景まで含めて見えてくるいい話。
「小説が1本書けそうですね!」とリアクションしておいた。

そして翌日の今日、いつものように「見ている方からお題を何かいただけたら」と言われた。
思わず「観覧車」と入れたら、YouTube内のZOOMでそれを読んだメンバーたち、
「あー!これは、もしかして昨日の!」
「同じ方が見てくださってるんですね!」
と大喜び。
もうひとつ彼らがランダムに「お題ふくろ」から引いたものと合わせて、見事なコントを作り上げてくれた。

とくにTくんは、
「これ、ホントにちゃんと1回コントにしてみたかった。嬉しい!」と喜んでくれた。
「『観覧車』と『天文学者』、どっちがいいと思う?」と聞かれて、自分が子供の頃天文学者になりたかったからって話題を「天文学者」に振りたかったせいうちくんも、番組終了後は、
「素晴らしい!キミは本当に人の気持ちをよく考えてる。いつもいつも他人と世界を共有しようと一生懸命!」とほめてくれた。

「なのにけっこう自分勝手、って思われてるんだよなぁ。損な人生だねー。僕はキミほど勝手じゃない人もいないと思うけどね。人のことまで考えて場をある方向に引っ張って行こうと思うから、『勝手だなぁ』って思われやすいんだよね」だそうである。
それ、もっと私以外の人の前で言ってくれ。できれば大きな声で。

会社のお休みもあって金曜から3連休だったが、年に1度の大仕事「株主総会」を来週に控えて、結局3日間ずっと仕事していた。
しょうがない、入社して30年余、ずっと総務畑である彼にとっては総会は高校生3年生のとっての修学旅行ぐらいの大イベントで、直前には山のように準備があるし、普段はいつでもLINEとかしちゃう私でさえ、当日は「死んだものと思っている」、つまり1日絶対連絡なんて取れない、って気持ちでいるんだ。

今年も無事に準備が整ってきてその日を迎えられそうで、新型コロナ下の世の中としては整理されてる方だろう。
この辺の苦労は、当たり前だが私にはわからない。
ただ、苦労してるせいうちくんの背中を見ては胸を痛め、心配している。
最後切実に思ってるのは「会社がつぶれないといいな」ではなくて、「早く遊んでほしいな」である点は、結婚以来全然変わってないんだよね。
こんな奥さんがついてるとバレたら、せいうちくんクビになるかもなぁ。

20年6月22日

下着からTシャツからアウターからタオルからシーツまでほぼほぼセシールでしか買わないので、会員ランクはわりと高い。
時々、「特別なあなた様に」と謳ったDMが来る。
こないだ来た「特別セール」ではマスク50枚を3300円で売りにかかってきて、相手の誠意を疑わないとしたらマスクの高値には驚くばかりだ。

今回、せいうちくんにTシャツを買ってあげたいなと思っていたら、綿100パーセントで色も柄もけっこう良さげなものが25パーセントのディスカウントで売っていた。
おう、こういうものを何枚か買っておこう!と勇んで3色選んで「買い物かご」に入れたら、全部完売済みであった…
サイズや色を見ても、残っているのは1種類、3Lのホワイトのみ。

きっと、不動産屋さんが店頭に掲げて客を惹き、
「あー、この物件はさっきもうふさがっちゃったんですよ!こちらはいかがです?」と商談に持ち込む「見せるための架空の物件」みたいなものに違いない。
それとも、全国のセシール顧客がチラシを見たとたんにいっせいに注文し、あっという間にはけてしまったのか?

数は魔法だからあり得ない話とは言わないが、「信じないぞ!今回は絶対何にも『ついでに』買ったりしない!」と妙に意識的に決意した。
2ヶ月に1度は「5千円買うと500円引き」のクーポン番号が来て、こういうとこの値段は基本「1割引き」なんだと数年前にやっと悟ったのんきな客だって、いろいろ学ぶのである。

20年6月23日

明日が株主総会なので、せいうちくんは前日から泊まり込み。
3.11以来、「万が一交通機関が止まったら困るから」と前泊システムになったんだよね。
私はひそかに「電車とか止まったらお客さんも来られないじゃん」と思ってるんだが、きっと近所の株主が1人でも歩いてきちゃったら開催しないわけにはいかないんだろう。
「誰でも納得する大きな事情があって予定通りにできないこと」にもっとみんな寛容になればいいのに。

とか文句を言っていても宿泊はしちゃう。
この3ヶ月近くテレワークでほぼ毎日一緒にいたうえ、1年半ぐらい出張に行ってない。
せいうちくん最後の外泊は去年の総会、ってことだ。
1人で家で過ごせるかものすごく自信がないので、息子にSOSを出すことにした。
先日顔を見せに来てくれたばかりなのに、気軽に来てくれた。ありがたい。

夕方18時半というめずらしく早い時間にめずらしく時間通りに来た(最近そのへんは大いに改善されている)
住民票が実家なのでこっちに来ている選挙の用紙持って期日前投票をして行くことにしてて、一緒に市役所まで散歩がてらぷらぷら歩いて行く。
彼にとっても実家まわりを私と歩くのは珍しい(そもそも私が歩くのが珍しい?)せいか、いろんな話をした。

・消防署の場所が変わったんだー。
・メガネ屋3軒とコンビニ1軒がつぶれた場所に今あるこの店、大丈夫かねー。
・この道を右に折れて下っていくと、仲の良かった〇〇の家があるよ。あいつ、どうしてるかな。
・気持ちのいいあたりだね。今住んでる街にはこんなに緑がないし、道も狭いよ。
・地元に本屋さんがあるっていいよね。相変わらずマンガの品ぞろえすごいな。
・良心的なコンビニだ。マンガや雑誌を縛ってない。

最終的に近所の中華レストランに頼んでおいたテイクアウトを取りに行って帰るまで、本当に様々な「地元への思い」を聞かせてもらった。
小学校5年の春に社宅が閉鎖になるのをきっかけに近くのマンションに引っ越したが、お願いして隣の学区から元の小学校に卒業まで通わせてもらい、中学は幼なじみと同じ学区内だった。
ヘタすると保育園時代から知ってる顔ぶれとずっと過ごしてきた彼の、地元愛は深い。
我々は次のライフステージに向かって引っ越しを考えているので申し訳ないぐらい。
まあ、電車でひと駅ふた駅の近くにしておくつもりではあるのでカンベンしてくれ。
そう謝るたびに、今はカノジョと愛の巣を営む彼はいちいち驚いたように、
「そんなの、いいって!ホント、好きなようにして」と答える。

テイクアウトは私の「油淋鶏弁当」息子の「エビチリ弁当」に彼のリクエストで一品料理の「豚肉じゃがいも細切り炒め」をつけた。
お互いの主菜を少し交換し、こないだはつけあわせが中華炒り卵だったのが春菊みたいな野菜の炒め物になっているののおいしさに驚嘆。
よしながふみ的に言えば「ただの野菜炒めがなぜこげに美味いのか?!」
豚肉とジャガイモの細切り炒め、って地味に聞こえるけど、シャクシャクしててすごくいいカンジ。
これまたよしながふみで、「オイスターソースは便利だ。必ず何とかなる味にしてくれる」と言いたくなるけど、もちろんプロが作るオイスターソース炒めはもっともっとビシッと決まってて偉大なんだ。
そして〆に胡麻団子を食べて、息子はほとんど絶叫してた。「う~ま~い~!!」
ああ、いい食事だった。

「なんか映画とか観ようか」という彼を制して、
「今日はお父さんの代わりだからさ、おしゃべりにつきあってよ」と頼むと、
「ああ、いいよ。いつもどんなことしゃべってんの?」
「そりゃあもう、いろんなことだよ。鄭和から渡部まで。スエズ運河からサンタクロースなまはげ同一起源説まで」

日頃SNSは怖いもんだ、と言ってる息子と、しみじみ渡部の話をする。
有名になると世界が変わって人間がおかしくなっちゃうだろうか、それにしてもまわりの芸人仲間も冷たすぎないか、そんなにまでして浮気したいものなのか、SNSでボロクソに叩いてる人たちはつい先日テラスハウスの件で人死にが出たのを忘れちゃったんだろうか、などなど。
うん、キミは十分せいうちくんの代わりが務まるよ。
私の機嫌に頓着してくれないところが新鮮だねぇ。
「それでもいいわ 近頃少し 顔色見る男に 飽きたところよ~」

ひとつ申し訳なく思ったのは、やはり私の精神が安定していなかったせいで子供時代の彼が不安な思いをしていたらしいこと。
ただ、どうも中学以降高校時代あたりがピークだったようだ。
小さい頃は私もさすがに全身全霊だったのかもな。

「今思い出したよ。夜中に台所の包丁入れをガチャガチャ言わせて、そのあとオレの部屋の前に立ってる気配がした。あれって、オレのこと殺そうと思ったの?それとも自殺しようと思ったの?」
「えー、あなたを殺そうと思ったことはないから、後者じゃないのかな。でも、そんなことめったになかったでしょ?」
「2回、覚えてる。『殺られるかもしれんな』って思った。スリリングな人生だ」
これはホラーな行動を取った私も悪いんだが、向こうさんにもゾンビゲームやり過ぎな「中二病」が入ってる気がする。

彼はわざわざ立ち上がって、台所の流しの下の包丁入れの扉を開け閉めしてみた。
息子「そう、この音。不思議だなぁ。今まできちんと思い出してなかった」
私「トラウマになるようなことをして、それは本当にすまなかった。でも、今言語化できたから大丈夫じゃない?」
息子「うん、別にだからどうこうってことはないんだよ。自分の性格に問題も疑問もない。しかし、そうかぁ、この音かぁ」
私「これからの未来も豊かに掘っていく金鉱だけどさ、過去をそうやって掘り直してみるとこれまた芳醇な鉱脈だったりするかもよ」
息子「そうだねー、自分の中にはいろんなものがあるねー」

もしかしてもっと小さい頃に言語化客観化できてないトラウマがあって、今の彼に影響を与えてるかもしれない。
毒親の連鎖を、私はやはり断ち切れていないのかもしれない。
それでも今、そういう話をし合い、互いを大切に思っていること、わかり合いたいと思っている意思を交換できているだけでいいんじゃないかと思うんだ。

こないだ来た時に履いてたボトムズの生地がくたびれすぎちゃって内腿のあたりびりびりに破けてたのを「買い替えなよ」と言ったら、
「2年ぐらい前にお母さんとユニクロ行った時に買ってもらったんだよね。愛着があって」とか泣かせること言うもんだから、セシールで適当に2本買っておいたよ。
万一サイズが合わなかったら、返品すればいいから。
パチンコ屋の勤務は黒ズボンだそうだから、1本は黒にしておいたぞ。

幸いぴったりだった。
ウエスト88センチと85センチの間で迷って、85センチにしておいてよかった。
せいうちくんのボトムズが82センチなのを参考にしたとは言え、離れて暮らす息子のジャストサイズを当てたのは何となく誇らしい。

物をあげるついでに、最近簡単な絵を描いてカノジョと楽しんでいる彼に、30年ぐらいずっと引き出しで眠っていた36色の水彩色鉛筆と20色のパステルをあげた。
意外なほど喜ばれた。
「パステルって使ったことない!ありがとう!」
彼の作品は時折コントグループのタイトルフリップを飾ることもある。
いい絵が描けるといいね。
(パステル画はフィキサチーフをかけないとこすれて消えてしまったり他のものに色移りすることまでは考えずにあげてしまったのを少し後悔)

打ち合わせを終わってホテルに入ったせいうちくんとLINE通話したり、愛の巣で1人過ごすカノジョに息子が電話かけたり、あれこれ。
いきなりスピーカーホンにして目の前に置くのが彼らの流儀なんだろうか。
「そっちはどう?」と聞くカノジョに、
「うん、今、母親も聞いてるよ。お母さん、なんかカノジョに言うことある?」っていきなり言うなよ。ドキドキする。
「お借りしちゃってすみません。寂しくないですか?」って聞いたのは、穏当だっただろうか。

ずいぶん増えた自炊の蔵書棚をPCで見て、
「すごいねー!もう一生漫喫行かなくてもすむよなぁ。わぁ、今『いでじゅう』読めるとは思わなかった!」(キミが昔買ってたやつを自炊させてもらいました)と夢中になって自分のiPad miniに入れて読み始めた。
モリタイシは連載中の「あそこで働くムスブさん」が面白いよ。

0時近くになって、
「もう眠くなってきたな。寝ようかな」と言うから、
「お風呂入っちゃいなよ」「うん」で上がってきたと思ったら、「腹へった。こないだのウナギの冷凍、もう残ってない?」
え~、さっきラム酒入り手作りアイスでお茶にしたのに、今から食べるの?この夜中に?
気がついたらごはんとウナギ解凍してうな丼作らされていた。

1時ごろやっと寝室に移動して、今夜はせいうちくんのベッドで寝てもらうことにして、わー親子同じ部屋で寝るなんて何年ぶりだろう、とにまにましてたのはいいが、ちっとも寝ないんだ、これが。

「いでじゅう」読み始めちゃったのか、「もう寝る」「あと10分ぐらいしたら」の連続で、オトナにあんまり母親が寝ろ寝ろ言うのも変だし、そもそも、
「母さんっていつも何時ごろ寝るの?」
「さあ、気ままな身の上なんで、3時とか4時かな」
「そう、最近は眠れるようになったの?」
「5時間ぐらいは。睡眠薬がわりと効いてる」
なんて会話をしたあとではますます寝ろと言いにくい。
もちろんフリーダムな私と違って息子は明日、8時前には家を出てパチンコ屋に出勤なんだが。

やっと寝てくれたのが3時半。
7時に起こしてくれと言われているけど、本当に起きるのか?
7時間寝ないと調子が出ないと言ってる人に、3時間半の睡眠はどうなんだろう?
家にいた頃の再来かなぁ、と、来てもらったことを少し後悔しながら結局徹夜した私だった。

夜中に、誰もいないキッチンで紅茶を淹れていたら、息子の使ってた灰皿とタバコが目について目について。
いろんな寂寥感も憧れも手伝って、10年ぶりぐらいに禁煙を破ってしまった。しかも2本も。
久々のタバコ、しかもマルボロはクラクラ来る強さで、思わずマグカップと灰皿を床に置いて座り込んでしまった。
塹壕で最後のタバコを吸う兵士みたいだ。

これで癖になってまた喫煙者になるってことはなさそうだが、1ヶ月に1本や2本の喫煙がなんだ、っつー気分にはなった。
ずっと、息子が換気扇下でふかすタバコがうらやましくてならなかったから、次からはご相伴しようかな。
深夜のタバコ、何やらいろんなものがよみがえってくる。
いったい何年前に禁煙したんだっけかなぁ。

20年6月24日

7時に目覚ましが鳴ったのをきっかけに息子を起こす。
「うーん」とぐずっていたのは想定内で、半切りアボカドにツナマヨのせたのと作り置きのラタトゥイユとコールドミートを準備しながら15分後にもう1回起こしたら、奇跡のようにすんなり起きてきた。
朝シャワーの習慣は廃れたらしい。
「うまいね!」と言いながら朝食を食べ、
「いろいろもらっちゃってありがとう!」と言ってぎゅうぎゅうハグして軽い足取りで出勤して行った。

いろんな思いが交錯して、徹夜と喫煙も相まってふらふらして、とにかくベッドにもぐりこむ。
10時ごろようやく眠れた。
12時前には総会が無事終わった旨せいうちくんから連絡があり、13時半には帰ってきちゃった。
リモート勤務を貫きたい彼らしい姿勢である。

だからって仕事しなくていいわけではなく(テレワークのここに、いまだに慣れない)、1日忙しく会議やメールの処理をしていた。
いつもの「やったー!総会終わったー!とにかく、大した問題なく無事に終わったー!!」という素直な喜びが感じられないので、終業後の散歩の時に、
「どうしたの?大丈夫?」と聞いたところ、やはり登壇のストレスが堪えているらしく、
「終わったという実感がわかない」のだそうだ。
いろいろ大変ですなぁ。

息子が来てくれていたので別の緊張はあったものの淋しいとは全く思うヒマがなかったが、唯一とてもとても残念だったのは、夜、布団にもぐりこんで一緒に寝る相手がいないことだった。
もしかしたら息子は私が「ぎゅうしてよぉ」と乗り込んできても「ああいいよ」と気軽にハグしてくれたのかもしれないが、さすがにそれはヘンだろう。
小さな子供を除けば、ぴったりくっついて安心しきって眠るってのは長年一緒に過ごしたパートナーだけに許された贅沢なのだなぁと、今さらながらに深く感じた。

明け方の地震でせいうちくんが飛び起きた時はまだ自分のベッドで本を読んでいたんだが、「大丈夫そう」と彼が寝たあと睡眠薬を飲み足して、向こうのベッドに入れてもらってぐっすり寝た。
半分眠りながらぽんぽんしてくれるのが心地よくて。
最近、せいうちくんの催眠スキルは上がっているかもしれないなぁ。

ああ、これでまた1年、総会とは縁切りだ。
いつ向こうから「永遠に縁切りでお願いします」と言われるかわからない身の上ではあるが、毎年6月が過ぎるとほっとするよ。

20年6月25日

息子が来た時、3年前の心臓手術の話になった。
彼が就職したばかりの4月から5月にかけての出来事で、家の中がごたごたしていたのを謝り、離職したのもそれが原因のひとつではないか、と今さらのように聞いてしまった。
「それは関係ない」と予想された答え。

しかし、それはそれとして退院してきた頃の私の様子にはものすごく驚いたそうだ。
前から時々、「オヤジ、おふくろは死ぬのか!?」とあせってた話をせいうちくんから聞いていたので、今回はそのへんを掘り下げてみた。
「いったい、どんな風に見えたの?」

息子によれば、とにかく辻褄の合わないことをしゃべりまくっていたらしい。
眠りもせず、ベッドに起き上って「視点を宙の一点に定めて」すごい速さで話し続けていたという。しかもテンションはジェットコースター並みの急激上がり下がり。
「人間ってやっぱり、目を合わせてこない相手は怖いよな。『狐憑き』ってこういうのを言うのか、って思った」

それでなんで「オヤジ、おふくろはおかしくなったのか?」じゃなくて「死ぬのか?」だったの?と聞くと、
「人間があのテンションで生きていけるわけないと思った。バタッと倒れて死んじゃうじゃないかと。しかし、なんでオレ、あん時会社とか行ってたのかな。母さん死ぬかも、って思ってたのにな」と当の本人が首をかしげるほどの混迷ぶり。

一方で、10日前に会った時から私が髪をかなり短く切ったのに気づかないか、と聞くと、
「そんなの、全然見てもいなかった。前どうだったかも覚えてない」って答えるぐらい、親なんてものは子供の視野には全然入ってないのかもしれない。
具体的に「ご臨終です」と言われてるんならともかく、日常生活を変えるほどの力はない。
その程度の精神的距離が適当なのかも。

それでも今回は2人して手術の頃を振り返ったので、自分の心覚えついでに日記やせいうちくんがまとめてくれた当時の様子のメモなどをまとめ、「そのうちヒマがあったら読んでおいて」と息子に送った。

彼もコント師としてコントの脚本や習作としてのショートショートを書いてるから、感想がもらえたら嬉しいな。
ただ、私はあくまで「自分に起こったこと」「自分の心の動き」しか書けなくて「よくもまあこんなに自分が自分がって考えたり書いたりできるなぁ」と毎度自分でもあきれるところ、息子の書くものはまさに「おはなしづくり」になってる。
口はばったくも「書き手」と呼ぶにしても、2人ともタイプが違い過ぎる。
言葉に酔う傾向とかは似てるんだけどね。

「息子が読む」という目で読み返してみて、あらためて自分の文章は自我吐露型の恥ずかしいヤツだと思ったよ。
しかし彼にも語っておいたように、素人がこういうものを書いて人に読ませることができるのは、やはりネット時代の恩寵だよね。
もちろん若い息子はもっともっと高みを目指してくれたらいいとも強く思う。

記録をまとめていてあらためて思い出したのは、

① 手術という心身ともに大きな衝撃的体験
② 全身麻酔とそのあとの痛み止めの麻薬使用
③ それまでのんでいた大量の心療内科の薬を急にやめたための離脱症状

の3つが重なって、本当に異常な状態だったんだろうなってこと。
入院中も退院してから1週間ぐらいも、むちゃくちゃ汗をかいていた。これは息子も覚えてるって。
せいうちくんの記録にもそうあって、1日に2度も3度もシーツやパジャマを替えて洗濯するレベルだったようだ。
あと、極端な低体温とか。

結局心臓まわりに体液が漏れる「心タンポナーデ」を起こして緊急に再入院したわけだから、相当具合が悪かったんだろう。
運のいいことにGWをはさんで休日が多かったとは言うものの、ずっとそばにいて面倒見てくれて、うわごとから体温から排便の有無まで気をつけて記録に残してくれていたせいうちくんには感謝しかない。
彼が家で療養を必要とする状態になっても、絶対そこまでできない。
これは愛情の深さの差か、それとも人間、得意不得意があるってことか?

20年6月26日


息子にも宣言しておいたが、数年以内にライフステージの変化に伴う引っ越しを考えているもんだから、まずはものを減らさなければならない。
段ボール箱2つ以上も押し入れを占領している「コントの道具」などは断固、引き取ってもらわねば。
古着の類いもかなりある。
こんなのこちらで思い切ればいい気もするが、本人にとって思い出深いものもあるだろう。

そんな思いで息子が帰った翌日押し入れを掘っていたら、出て来るわ来るわ、息子関係の謎の物体。
まず将棋の駒と折りたたみの盤を見つけて写真を送ると、「んー、もらおうかな」。
いらなければひたすら廃棄の方向なだけなので、ありがたい。

次に、これは息子には何の関係も責任もないので申し訳ない代物。
「タロットカードとかプラモの趣味はある?」
タロットは私が学生時代に凝っていた趣味。

プラモは母親の2台目の車だったという理由で「日野・コンテッサ」。
なぜかパッケージに映画「卒業」の2人が描かれているが、式場から逃げ出した時はバスに乗ったのであって、コンテッサの出番はなかった。イメージ戦略というものだろう。

プラモの2つめはかなり大きい。
タミヤの50ccバイク「MB50」という名作で、6分の1モデルってことは、全長が180センチなら30センチの大きさだ。
OL時代の愛車だったが、シャアの赤い彗星ぐらいカッコよかったんじゃないだろうか。
思わず作りもしないプラモデルを買ってしまった。
35年前のものだし、けっこう貴重品かなーとヤフオクで調べたら、1万円ぐらいするんですね-。
思い出を昇華させるために自分で作ろうかと思っていたが、値段を見たらびびった。
素直に息子に譲ろうかな。

そういう感じで押し入れを掘っていったら、息子のものが突っ込んであるクリアケースから、謎の法被×3と、バイトでかぶってた色違いのコミケのスタッフ帽3つが出てきた。
写真を送って問い合わせたところ、法被は新卒で入って3ヶ月でやめた会社で作ったものらしい。
「どっちも今度帰った時に持って帰りたい~」って、キミはブラックだと言って退職した会社にそれほど愛着があるのか?

紙物としてはコントライブのアンケート、脚本を印刷したもの、各劇団やコントライブのチラシなどが膨大に。
これは「アンケートと脚本だけデータ化してくれたら嬉しい。チラシはいらない」と健全なご意見。
データ化すればなんだって大した嵩にはならないのに、と自炊の鬼は少し残念。

物品として最大級なのは、折りたたみの机だろう。
実は最初は4つもあって、押し入れの上に重ねてその上に布団袋を積んでる状態だったんだが、いつのまにかコントのたびにひとつずつ舞台のために持って行ったらしく、気がついたら最後のひとつしか残ってなかった。
「大物だし、1、2年後に我々が引っ越す時でかまわないから」と伝えて30分後、事態は大きく動いた。

総会の終わったせいうちくんが今後はテレワークを死守する態勢になったので、ずっとリビングを臨時の司令部にしていた我が家としても、もっと安定した本部を設けたい。
最初の数日間やっていたように書斎にこもるのが順当であろう。

きっかけ:「リビングでの会議中に私がソファに寝転んで『マイティー・ソー』を観ようとしてたら人差し指をくいくい下げて『もっと音下げる』とジェスチャーで伝えてきたのがむっちゃ気に障った」

たまたま字幕だったから良かったようなものの、「リビングは好きに使ってもらってかまわない。僕の方が間借りしてるんだから」と殊勝なこと言っていたのと同一人物の行動には思えない。
常時ノートPCが2つ3つ置いてあるから、長いことごはんはちゃぶ台の方で食べている。
今後も長引くテレワーク魂を鼓舞するためにも、現状を打破して住人全員にやさしいリモートオフィスを作るぞ!

さっそく書斎の机の上を片づけ、以前のように長辺に座った私がメインPCを使い、左側に90度の角度で短辺に座ったせいうちくんはノートPCを使う。

問題その① 長時間の作業となると、デスクの下の小テーブルに置いてあるプリンタに足がつっかえてしまう
問題その② マシンや資料が増えてきたため、作業台が狭いこと。

その①はたちまち机の下からプリンタを移動させることにし、少し大きめなサイドテーブルを流用していたプリンタ台を放棄し、私の右側の空きスペースにジャストサイズのプリンター台を買うことにした(印刷用の紙を奥の引き出しから出してくるのが面倒だったのも、プリンター台の棚に置けるという利点つき)

そしてその②。
ずいぶん長くお待たせしたが、6パラグラフ上に書いておいた「大きく動いた事態」がここでやっと登場する。
息子のコント用に使っていた折りたたみ机を開いてせいうちくんの横に置いてみたら、椅子を90度回せば快適に使えるサブデスクが出現したのだ。
ほら、よくデスク全体がL型になるサブデスク、あるじゃん!アレに近いイメージ。
十分な作業スペースを確保したぞ!
息子よ、いい机をありがとう。もう返さないよ。

さっき押し入れで見たばかりとは言っても、「よし、このテーブルを使おう!」とすぐさま思いつける私は天才かもしれない。
基本は、「じゃりン子チエ」の猫たちが言う、「ある所からない所へ。余ってる所から足らん所へじゃ!」との雄叫びである。

というわけで、今、2人で同じデスクで平和にそれぞれのPCを使っている。
せいうちくんも、これまでリビングに散らかしていた資料やハズキルーペまでキチンと書斎で使えるようになって、落ちついて仕事できると言う。
そして私は、必要があればリビングででかい音で「アベンジャーズ」を観られるのだ。

今後の問題は、テレワークがどのくらい続いてくれるものかってこと。
元々、コロナが怖いから密を避けるために出社しない、コロナが鎮静化してきたら行く、ってもんじゃなかったはず。
新しい働き方、子育てやジェンダー問題、住宅問題から通勤の時間無用化など、未来への課題が山ほど詰まったプロジェクトだったんじゃないのか。
当然、コロナの動向に関わらず、基本テレワークを貫き、テレワークのメリットを活かしデメリットを解決していく姿勢が望ましい。
せいうちくん、頑張れ。

20年6月27日

心臓定期検診。

ワーファリン2.5gと2.25gを1日おきにのむ、という面倒くさいやり方を「一包」にして日付を印刷してもらい、薬局に負担をかけながらこの問題は解決か、と思ったら、本日のワーファリン値「3.8」。
安全値は1.8~2.2の間。かなり突き抜けている。
こないだ3.5ぐらいだったから減らしたのに、何でか数値が上がっちゃったよ~

その不安はこの1ヶ月ずっとあって、ドアの取っ手にぶつけたおなかだの脇腹だのに派手な内出血ができている。
直径5センチ、触ると真ん中あたりがぐりぐりするような「血の塊」だ。

もちろん毎日2.25gにしてもらって、それでも他の必要な薬も一緒にした「一包」だから楽。るん。
1週間分の薬を「ケースに分けて入れる」作業と「朝のむ作業」が格段に楽になった。
ドクターはこの奔馬のように荒れ狂う血液検査値をどう制御していいか困ってるようだ。
「腸内環境なんかによっても変わってきますし、難しい薬なんですよ」
その難しさ、一生飲み続け始める前にもうちょっと聞いておきたかったな。

鰹の冊を買ったので、今夜はたたきをつまみにまんがくらぶZOOM飲み会。

やっと都道府県間の移動がOKになったと、長老は隣県の別荘に行ってしまった。
「ほぼ電波が来てないところだから行ったらネットは使えない。飲み会参加は無理だろう」と言っていたが、頑張ってスマホでアクセスを試みていた。
容量が送れない?らしく、映像も音声も無理で、参加者に長老の名前が出ているのと時折チャットを送ってくるのが精一杯だったようだ。
やがてあきらめて帰った。
大量にビール飲んで夕方から酔っ払ってるあの人がいないと静かだな。
別荘で1人でビール消費してるんだろうか。
今年は夏合宿行けるかなぁ。

もう1人のビール飲みGくんも、妙におとなしい。
250を超える高血圧に負けて通院するようになったら、薬が効きすぎて今度は血圧が117の72とかになってしまったらしい。
そのぐらい普通だろう、私も昼間病院で測ったが125の78だったぞ、と思ったんだが、普段高血圧に慣れている彼にとっては貧血のような状態なのだそうだ。
「Gくんが昔怒りっぽかったのは、血の気が多かったからなのか」と揶揄されながら、静かに黙り込んでいた。

北海道のUくんやおなじみスタートレックのブリッジを背景にしたSくん、かなり「いつものメンツ」ができあがってきた。
カノジョ自慢がしたいHくんは背景の写真だけでは飽き足らず、カノジョそっくりの髪型のカワイイ若い女子のアバターで現れた。
目と口が認識されてるそうで、Hくんがウィンクするとアバターカノジョがウィンクし、Hくんがしゃべるのに合わせて口が動く。
中身が50代おっさんであることを考えると、キモカワイイ。
「Hくん、今、ものすごく『浮かれてる』状態だって自覚はある?」と聞いたら、大真面目に、
「はい、浮かれています」とアバターがしゃべる。
心なし頬を赤らめているような気がしてきた。そこまでの機能はないとのことだが、あるのかもしれない。

我々途中で息子の生配信見に行ってミュートにして画像も切って、宴会の音声だけ聞いていたら、配信に身が入らないことおびただしい。
よく昔、ラジオ聞きながら勉強とかユーミン聞きながら麻雀とかできたな。
脳がひとつのことしか処理できなくなってるじゃないか。老化か。

宴会の方でも皆さん息子の配信をのぞいてくれてるらしく、飲み会ZOOMのチャットで感想がいろいろ流れてきた。
7人とか8人しか視聴者がいないYouTube配信で半数以上が親とその仲間のおじさんたちだともし息子が知ったなら、たいそう悲観するのではあるまいか。
気の毒すぎて言えない。この事実は秘密だ。

配信終了して戻ったが、場はけっこう静か。
「長老がいなくてGくんがおとなしいから、盛り上がらんねぇ」と言うと、Uくんが、
「Yさんも来てませんからね」
そう言えば、「いつものメンツ」であり「会話の中心」であるYちゃんがいない。
何か用事ができたらしい。
そんなわけで今夜はあまり長引かず、12時半頃には解散になってしまった。

せいうちくんも総会疲れが抜けないようだ。
毎年、終了翌日には「終わった~!」と底が抜けたように安堵していたのに、やはり登壇が堪えたのか。
慣れないことはするもんじゃない。
早寝(でもないが)して、明日に備えよう。

20年6月28日

アフリカの太鼓師にして整体業を営むTくんが、出張マッサージをしてくれた。
新型コロナ騒ぎでずっとマッサージ等行けなかったので、肩も腰も足も痛い。
普段はあまり凝りに縁のないせいうちくんまで疲れた疲れたと言っているので、自粛が明けたのを幸い来てもらったのだ。
いつものように20分ほどの距離を車で迎えに行き、Tくんと簡易診療台を積んで来た。
担いで移動もできるが、もちろん大変らしいんだ。近くでよかった。

この頃すっかり糖質制限がゆるんだ我々はしまい込んでいた「たこ焼き器」を引っ張り出し、本日のメニューはたこ焼き。
関西出身のTくんだが、作法と味つけに一切の注文はないとのこと。
市販のたこ焼き粉を使い、たこ、わけぎ、揚げ玉、紅ショウガで作らせてもらう。

私が食べる分だけ醤油をたらして作るのを見て驚いてはいたけど、これは名古屋の標準形なわけではなく、中学生の頃のお気に入りの店がそうだった、というだけの自分でも不思議な焼き方。
半熟の小麦粉に醤油がとろっと沁みているのが美味しいんだよ。

60コを3人で食べようというのはさすがに無理があり、10コ近く余った。
明日のおやつに食べよう。

彼らがやたらに好きな「必殺シリーズ」の話を中心にした食事が終わり、さてマッサージ。
まずは私からお願いして、目の使いすぎで凝りがちな首筋を中心に、骨盤のゆがみなども矯正してもらう。
ひざの関節痛も良くなった。

せいうちくんの番になったら、めずらしくとても疲れて凝っているとTくん。
毎度そうだが施術中に深い眠りに落ち、大きな寝息をたてていた。
やはり首筋に来ていたそうで、たいへん楽になったと喜んでいた。

お礼を支払い、またTくんと施術台を乗せて送る。
17時から息子の生配信聞くからちょっと急いじゃったよ、ごめんね、Tくん。
結局少し間に合わず、帰りの車中でスマホ使って始めの方を聞いた。
コント中に髪をかきむしって額をあらわにした息子の、そのおでこの形がいつの間にかせいうちくんそっくりになっていて驚く。
せいうちくんの父方のおでこだ。
最近面長になってきたと思ったら、母方のDNAより父方のDNAが顕著になってきた気がする。
人間って20過ぎても顔が変わるのかぁ。
男の顔は25歳から?

あとでせいうちくんがTくんにお礼のメッセージを打ったら、彼も息子の配信見てくれたそうだ。
「面白かったですよ」と言ってくれた。
好きな道を追求している彼は、息子をとても応援してくれている。
しかし、こんなに親の友達ばっかり見ていて、どうしたらいいんだ。
昨日、Sくんに、
「せいうちがこうやって毎回見てるってことは、他の視聴者もメンバーの親たちばかりなのか」と笑われたからなぁ。
いつまでもPTAが出張って、すまん、息子よ。

マッサージで身体の深部から疲れが取れすぎて、2人ともものすごく眠くなった。
夕食もほとんど取らずに20時過ぎには眠り込んでしまった。
「キミは眠りが浅いから、きっと起きてしまうだろうね。夜中でもかまわず、僕を起こして。明日は休みを取ってるから、一緒にテレビでも見よう」と言われていたら、果たせるかな22時には完全に目が覚めてしまった。
せいうちくんを起こすかどうか悩むところだ。さらにきちんと疲れを取ってもらいたい。
本当に泥のように寝込んでいるんだもん。

ところで、「泥のように寝込む」とは単にあの、水でドロドロになってる土の「泥」のように形なくなって寝ている意味だと思ってきたが、実は中国の「泥(でい)」と呼ばれる空想上の生き物が寝ている様に似ているところから来ているのだそうである。
知らなかった。
人間、この歳になっても時々ひとつ賢くなる。

短い眠りで、あいかわらず寝たかどうかよくわからない。
夢をみた覚えがあるってことは、やはり眠ってたんだろう。
1人でパリの夜の街を歩いていた。
知らない異国の人混みで不安だが、「空港」と書いた建物があるし夢なんだから(私の夢にはよく「夢をみている」自覚がある)どうにかして日本に帰れるだろう、とほとんど落ちるような急なエスカレータを乗り継いで地下へ地下へと潜っていく。
23フランの有料高速エスカレータの出口を強引に日本円23円で通り、チケット売り場に行けば何とかなるはず、と妙な確信を持って向かうと、どこの国の言葉ともしれないカタカナ語で、
「ウサコサマ、ニホンノオキャクサマガオマチデス」とアナウンスが流れ、ゲートへ行ってみるとせいうちくんと顔見知りの人たちが立っていた。
私は自分の会社の社員旅行で来ており、皆とはぐれていたのだ、と瞬時にわかり、せいうちくん(私の会社なのに、なんでいるんだ?)の顔を見た安堵で泣きそうになった。
こんなにハンサムだったろうか、と思ったあたりで目が覚めた気がする。
隣には夢の中と同じぐらい素敵なせいうちくんががーがー寝ていた。

さてさて、起こそうかどうしようか、もうちょっと考えよう。

20年6月29日

結局夜中にせいうちくんをちょこっとだけ起こし、30分ぐらい一緒に本を読んでからいつでも寝られる体質の彼はすぐにまた眠りに落ちた。
私はと言うと、明るくなってもまだ睡眠薬をのみ足して無駄なあがきをしていたよ。

さて、「月刊フラワーズ」8月号で待ちに待った萩尾望都の「ポーの一族」が連載再開された。
既に「ユニコーン」が発売されているこの長くなりそうなエピソードは、古いファンにも新しいファンにもたまらない構成になっている。
もちろん昔のコミックス5冊の「ポーの一族」を読み、おととしあたりに出た「ポーの一族・春の夢」を読み、去年出た「ポーの一族・ユニコーン」を読み、関係ないけどついでにこないだ完結した「王妃マルゴ」全8巻を読み、萩尾センセイの連載を読む準備はすっかり整っている。

あんまり「推しがいてうぉーとなる」タイプではないんだが、やや意図的に「今でもアランに会えるなんて、素晴らしい~!」と興奮して、萩尾センセイの足元に五体投地している。
ひとつの世界観がもう45年息づいてるんだもんなぁ。大河だよなぁ。

緻密に編まれた伏線は広げすぎないように、しかし雄大な世界観を描き、ここで生きるか!の過去エピソード、いささかも衰えない画力、恐らく作者も畢生の大作として全力を傾けているに違いない。
手塚治虫はいるのがあんまり当たり前だったんで、萩尾望都と同じ時代に生き、彼女のほぼデビュー作から読んでこられていることをたいへん幸せに思っている。
そんな天才鬼才がごろごろいる世代であることも、ほとんど地団駄を踏むようにして喜んでいるのだ。

悩ましいのは、古い作家さんの新しい作品を追うのもいいが古い作品の読み返しも定期的にしたくなり、そこに加えて新たな才能がまったく別のマンガを描き始めているのでそっちも目が離せないところ。
生きてるうちにあとどのくらい読めるのかしらん。
とりあえず「鬼滅の刃」が終わるのは朗報だ。
「約束のネバーランド」も。
盛者必滅会者定離、始まった作品は終わらないと、収拾がつかない。

20年6月30日

先週のコロンボが名作「ロンドンの傘」だったため、ついでに観たポアロとホームズで、時代の違う3つのロンドンを堪能してしまった。

コロンボが研修だか査察だかで訪れたロンドン警視庁は「ニュー・ニュー・スコットランドヤードというわけです。旧館はあっちにありますが」と言われており、その「旧館」にはジャップ警部に引っ張られてポアロが入っていき、ホームズには出てこなかった。

アメリカのコロンボファンは、彼と一緒におのぼりさん気分で衛兵交代やビッグベンを眺めたんだろうなー。
相手をイライラさせるいつもの戦法にしても、コロンボが英国警察を引っかける必要はひとつもないわけで、これはもう本当に「弟」やら「かみさん」やらに写真を見せてやりたかったんだろうと。
それとも、無能を装うのが第二の天性になっちゃってる?

同じ街並みでもホームズの頃はとても古く、ポアロになると華やかなアールデコに取って代わられ、コロンボの頃にはそれがまた古びたか取り替え可能な部分は無骨な作りになってるのかな、と思うぐらい質素な印象。
実はポアロの時代が一番好き。女性のファッションも、ちょっと退廃的になってて、いい。
外国人の扱いは常にあまり変わらない上から目線で、ポアロもコロンボもちょっといじめられてる。
(特にコロンボ、やってることはただの旅行者だから)

それにしても「ロンドンの傘」ってこんなにいい話だっけ。
思ってたよりずっと長いうえ、二転三転する。
自白をとって逮捕するスタイルのコロンボは、きっと検察とかに嫌がられてただろうなーと思う。
「自白と状況証拠、おまけにねつ造かよ!」って。
古畑任三郎もそうだが、検察が有罪を勝ち取るまで非常に苦労しているはずだ。

そう言えばコロンボって「相棒」がいないんだよね。
あのスタイルは独自なんだろうな。警察ってたいてい2人組で動くし、ポアロもホームズも相談役を持ってる。
心の「かみさん」がコロンボの相棒なのかしらん。

まだまだこれから名作が待っている。
ちょっと困るのは、CSでホームズ観られるようになったのに、せいうちくんはジェレミー・ブレットのカツカツしたキレのいい英語が気に入ってしまったらしく、
「いかなる吹き替えを持って来ても、あの口調は出せない」と英語放送を字幕で見ることにこだわる。
CSは二カ国語ではあるのだが、字幕はついてないのだよ。つまり、我々の語学力ではお手上げ。
せっかくFOD退会できると思ったのに、このままだとホームズ終わるまでやめさせてもらえない。
いずれにせよ保存版は吹き替えでガマンしてもらうしかないんだ。
まったく、コロンボとポアロは吹き替えじゃなきゃイヤだ、って言い張るし、いろいろ贅沢な人だ!

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