20年9月1日

夜寝る前に書斎で書き物をしていたら、開けた窓から涼しい風が入ってきた。
体感としてこんなに気持ちいい風を感じるのは久しぶり。というか、丸1カ月のご無沙汰。
7月の末頃は少し涼しすぎて窓を閉める夜もあったぐらいだったのに、8月に入って梅雨明けしたとたん、ものすごい猛暑が襲ってきた。
毎日家中が熱くて、エアコンなしには1日も暮らせなかった。
せいうちくんがほとんどテレワークだったのは運がいいと思う。
暑い外に出ることも通勤電車に乗ることもなかった。

「8月中はとにかく耐えよう」
「暑いのは毎年必ず終わるから。しかし今年はひどい」と励まし合っていたら、こんな夜もあるもんだ。
台風が近づいてるせいなんだろうか。
また暑い日が戻ってくるかもしれないけど、もう37度とか40度とかは聞かないで済みそう。
こないだ息子が配信で、
「相変わらず殺人的に暑いけど、日が落ちるのがちょっとだけ早くなったとかさ、季節の移り変わりは感じるよね」と語っていたよ。いいね、季節の移りに敏感な感性。

思い切ってエアコン消して寝るか…しかし湿度79%は怖い。
60%を超えたあたりから気持ち悪くなるぐらい、湿気には弱いんだ。
エアコンさん、もうしばらくお願いします。

20年9月2日

夜が明けて朝になっても、窓を開け放てば涼しい風が入る。
しかし湿度は81%というビミョーな状態で、簡単な血液検査をしに心臓のクリニックへ。
抗生物質を5日間のんだおかげで尿道炎の症状はすっかり消え、心配されていたワーファリンの数値もさほど上がらず許容圏内だったらしい。
先生は何だか機嫌がよかった。
特に薬の量を替える必要もなく、ちょびっと血を抜かれただけで無罪放免。ありがたい。

家に帰って横になってたら、友人から「スコールのため幼稚園に閉じ込められてる」とのLINE。
え、都内って雨降ってるの?!
驚いて窓を開けたら、ざあざあ雨降ってる。閉め切ってエアコンかけてるから気づかなかった。
使ってない部屋の窓を慌てて閉めて回る。
ああ、教えてもらってよかった。

夜、せいうちくんの仕事が終わってから、いつもの散歩がてらスーパーで買い物。
しかし、回り道をしてる間にぽつぽつ雨が落ちてきた。
「大変!」とスーパーに駆け込む頃にはかなりの雨量になっている。
買い物済ませてもざあざあ降りなので「まあしょうがない。店内でも眺めていよう」とすいたスーパー内を10分ほど巡回してたが、ますます激しくバケツをひっくり返したように降る。

「20年ぐらい前に、こんな風にスーパーに閉じ込められたことがあったねぇ。やっぱり急な雨で、お客さんがみんなうつろな目をして外を見てるのが異様な雰囲気だったねぇ」と思い出してしまった。
実際、店内や軒下に、数人のお客さんが困ったように立っている。
傘を持っていてもためらう激しい降りなんだ。
まして我々は気軽な散歩のついでで、傘もない。

ちょうど息子からメッセージが入った。
週末がカノジョの誕生日だから、車を借りてドライブに行けたら嬉しいな、とのこと。
いいじゃん、ぜひ行きなよ!
すっかり元気になったようだね。
「もちろんいいよ。こちらはスコールでスーパーに降り込められ中」と返信すると、
「すごい降ってたもんね、雨」。
しばらく会うのは控えるつもりだったけど、車を取りに来るついでがあるならちょっと顔を出してもらってお茶ぐらい飲もう。
室内で換気をよくして、ソーシャルディスタンスを取って。

そうこうしてる間にあっけないほどいきなり雨がやんだので、安全に帰った。
小学生の息子がずぶぬれで帰宅したころを思い出す。
髪からぽたぽた水を垂らして途方に暮れた顔になってるのをタオルでごしごし拭いてやりながら、
「そういうのは夕立ってもんですぐにやむから、雨宿りをして待つんだよ」と教えたら、
「あまやどり、ってなに?」と上目遣いになっていた。
そんな彼も、もう雨宿りを覚えたんだろうなぁ。ちょいと粋なものなんだ。
そこから始まる恋のコントぐらい書くかもしれない。

20年9月4日

息子のカノジョのお誕生日、車借りに来る時にお祝いしてあげたい。
「家の中でソーシャルディスタンスを取ってお茶でも飲もうか。ケーキ買っておくよ。何が好きかな?」
「ありがとう!トップス喜びそう」
うーん、君が子供の頃大好きだったトップスのチョコレートケーキは父さんが会社の帰りに東京駅から買ってきてくれたもので、この近辺じゃ手に入らないのだよ。
そんなことを妙によく覚えているのはかわいらしく嬉しいものだが。

じゃあそんな彼とよく外食に行ったイタリアンレストランにケーキ買いに行こうかと考えていたら、もういっそそこでお祝いランチもいいんじゃないかと思えてきた。
厳密にはお誕生日と1日ずれてるんだけど、それでもバースディー特典をサービスしてくれるという。
息子に相談したところ、「おー、いいねー!」と大変喜んでくれた。
予約を取った時に「お誕生日の方のお名前」を聞かれたから、熱心に、一文字の間違いもないように聞かれたから、ケーキとかお皿にチョコで名前描いてくれるのかも。
楽しみだなぁ。

息子たち若い人に会うのはリスキィではあるが、4人以内の会食は世の中的にも許容範囲内だし、飲食店は十分に換気や席の間隔など、対策を取ってくれてると思う。
店に向かう車の中では失礼だけどお断りしてマスクをつけているとか、工夫してお互い心配ないように会いたい。

今夜は定例のzoom飲み会もあるし、録画を見始めた警察バディドラマ「MIU404」はものすごく面白いまま最終回を迎えそうだし、明日は息子たちに会えるし、とても気分がいい。
心の中の「いやな声」の響きが心持ち遠く感じられるぐらい、いつも頭痛で重い頭がわずかに軽く思えるぐらい、明るい気持ちになっている。

月曜にドクターから「お母さんはひどすぎるよ。あなたのことなんか全然考えてくれてないよ」と言ってもらえたせいかもしれない。
本来自分で感じていいはずのそんなことを感じるにも、誰かの許可が必要。
そういうロックがかかってるんだからしょうがないが、はたから見たら蜘蛛の糸に絡まれてる程度の束縛なんだろうなぁ。
どんなに自分にとって重く抜け出せない鎖や頸木であっても、本来、そんな力を持ってはいないんだろう。
自信をもって「うるさぁぁあい!!!」と払いのけよう。

20年9月5日

息子がカノジョと一緒に車借りに来た。
カノジョの誕生日を記念してドライブ旅行に行くんだって。
昔息子とよく行ったイタリアンレストランに行ってケーキ買っておこうと思ったけど、そこでランチした方が楽しいじゃん?と思いつき、バースディーサービスもあるのを確かめて予約しておいた。

2人は時間通りに来てくれたから大丈夫かと思ったら、息子が、
「ごめん!5分でシャワーだけ浴びさせて」と言うのを待っていて、結局20分以上の大遅刻。
お店に連絡は入れておいたが、遅刻はいかん。
「ごめんね~、でも、家のシャワーは気持ちいいんだよね~」と車のハンドルを握って浮かれる息子。
水圧とかの気に入り加減があるんだろうか?

お店は思ったより混んでいて、以前のような「待ち」こそ出てないが八分ぐらいの入り。
車の中でもしていたマスク、息苦しいのが嫌いな私と息子は入店後すぐに取ってしまったのを、せいうちくんとカノジョは食事が始まるまでつけたままだった。モラルが高い。
(食事中でないお客さんも大部分が外してご歓談していた)

「なつかしいなぁ。昔よく来たんだよ」とカノジョに説明しながらメニューを開いた息子、
「変わらないよね~…えっ、熟成パンチェッタのマトリチャーナ、なくなっちゃったの?信じられない!あんなにおいしかったのに。昔よく食べてたピッツァはなんだっけねぇ」と熱心に検討。
「ポルチーニ茸のチーズリゾットは絶対注文させてね」と私。
最初は「ピザ2、パスタ2、リゾット1」で行こうと話してたが、選んでいくうちに、「みんなもう昔みたいには食べられないから、「ピザ1、パスタ2、リゾット1」で行こうと決着した。
(そしてこの選択は正しかった!)

協議の結果選ばれたのは、
・4種のチーズのピッツァ
・モッツァレラチーズのトマトソースパスタ
・カジキマグロとねぎのペペロンチーノ
・ポルチーニ茸のチーズリゾット
となった。
メニューによく出てくる「サルシッチャ」って単語、お肉が苦手なカノジョが不安そうなので息子がささっとググったら、「ソーセージ」。
「きっとトマトソースだよ」とか言ってた私、ダメダメじゃん!
(もちろんサルシッチャ入りの料理は外した)

息子がとりあえずコーヒー飲みたいと言い、じゃあ私もアイスコーヒー飲むよ、他の人はいらないの、そう、いらないのね、とオーダーのためにウェイターさんを呼ぶ。
お料理を頼んだあとで、
息子「先にコーヒーをいただきます。ホットで」
私「私はアイスコーヒーを」
店員さん「2つですね」
我々「そうそう」
店員さん「ではお料理と、ホットコーヒーとアイスコーヒー2つずつで」
息子「いえ、コーヒーは1つずつです」
店員さん「失礼しました。ホットコーヒーお1つと、アイスコーヒーお2つですね」
私「いえ、アイスコーヒー1つです」
店員さん(だいぶ焦ってる)「失礼しました。ホットコーヒーお2つとアイスコーヒーお1つですね」
せいうちくん「いえ、ホットとアイス、それぞれです」
店員さん(もはや混乱している)「失礼しました。ホットコーヒーお2つとアイスコーヒーお2つですね」
我々(声をそろえて)「いえ、ホットとアイス、それぞれひとつずつです」
店員さん「あ、あ、あ、申し訳ありません。ホットコーヒーお1つとアイスコーヒーお1つですね」

たぶん我々も図らず協力してしまったのだろう、小さなコントが出来上がってしまった。
申し訳ないが、盛大に笑った。
息子が笑いながらも「コントじゃないよ」と少し不満げだったのは、「コントは作るもの」という立場からか。

楽しく食事をした。
大好きなポルチーニ茸のリゾットが最初に出てきてしまった。
いつも「最後に」ってお願いしてたのに、言うのをすっかり忘れてたんだ。
「これ最初に食べるのって、初めてだね」と息子。
さらに残念なことに、半分に割った巨大なチーズの塊をワゴンで運んできて、作り立てのリゾットをその場でチーズのくぼみに流し込んでまわりをかき取りながら混ぜる仕上げのサービスは、コロナ対策上だろう、中止になっていた。
オーダーした時に聞いていたので、
「ではチーズは多めでお願いします」と頼んでおいたのはよかった。
いつも、「チーズの量、どうされます?」と聞かれると「たくさんお願いします!」と言っていて、
「わかりました。ありえないほどたっぷり、でまいります!」と笑顔で言われたこともあるんだよ。

カノジョにはナイショにしていたバースティーサービス、最後に全員が頼んだホットコーヒー飲んですました顔で待っていたら、チョコで「Happy Birthday、Mさん!」と書かれたプレートにケーキが2種類と生クリームにローソク立てたのが出てきた。
カノジョはとってもびっくりして喜んでくれた。名前までちゃんと聞かれた甲斐があったよ。
お店の人が2人の写真を撮って、あとからバースディーカードに貼りつけたものをくれた。
いい記念になるね。

いろんな話をする中で息子から「スタンドの名前、少しは覚えられた?」と聞かれたのは、こないだジョジョ読み返した話をしたからだね。
「全然覚えられない。Mちゃんは?」とカノジョに聞くと、首を横に振って笑い、「無理です」。
息子の薦めで読んでるジョジョそのものは面白かったらしいけど、「多すぎます」って。
向こうは小さい頃からポケモンやカードで鍛えたオタク体質だからなぁ、全スタンドの名前と能力言えるってさ。
そんな小学生みたいな自慢してどうするんだ!ってツッコみつつ、なんとなく嬉しい。
「母さんは今、板垣巴留の『BEASTARS』読んでる。読んだ?」って聞いたら、
「最新巻まで読んでるよ。お母さん、まだだったのか。絶対お母さんはすごく好きだと思うよ」
うん、今、すごく好きになりつつ夢中で読んでる。

最近Dropboxを共有したので、息子は我々が自炊したマンガを簡単に読めるようになったのが嬉しいらしい。
「横山光輝じゃんじゃん読めてありがたいよ。『伊達政宗』読んでから『三国志』読んだら、日本と中国じゃ戦のスケールがケタ違いで、驚くね」と、傍らのカノジョに「赤壁の戦い」とか熱心にレクチャーし始めた。
私は諸葛孔明がからの船に藁束を積んで敵が撃ってきた矢を回収した話が好きだなぁ。どことなく「余ってるところから足らんところへ」の趣がある。

「若い人は新型コロナをどう思ってるの?」と聞いたところ、
「いつ終わるのかと思うと、先のことが考えられない。やはり罹患するのも怖い」のだそうだ。
特に息子は、「長引いて、対立する立場の人たちが争い始めている」のが心配らしい。
彼はまだバイトで食っている芸人の立場だが、芸能関係の仕事で実際食べている人たちにとっては死活問題で、そこと新型コロナ対策をどう折り合わせていくかが難しいところなんだろう。
現場に近い彼がいろいろ考えてしまうのも無理はない。

堅気の会社に勤めるカノジョも週1のテレワークがなんとかやっとだそうで、せいうちくんのように発生以後の出勤回数が両手では無理でも両足も使えば数えられるかも、って人はやはり恵まれている。
いろんな意味でゆとりのある我々の年代の層が若い世代を支えたいと思うんだが、実際には息子とそのカノジョを援助するにもどうしていいかわからない。

とりあえず、今日明日は車を貸すので自由に使ってもらいたい。
渓谷の方へ行って天気が許せば渓流釣り堀で楽しみたいそうだ。
昼をすっかり回ってしまったから渋滞もあるだろうし、夕方から天気が崩れるのが心配だけど、若い恋人たちが2人でいれば、楽しい以外の何もないだろう。
ロッジを予約してあるんだって。いいなぁ。
話を聞いて、良さそうだったら我々も今度行こうかな。

「今はユーミンがシャッフルで無限にかかってるiPod、よければこのまま持ってって」
「ユーミンで、なんの文句もないよ!bluetoothの接続しなおしも面倒だから、ありがたく借りてくよ」
古くてよければアニソンも山のように入ってるよ。
君の大好きなサイボーグ009の「誰がために」を探すのがちょっと骨なぐらい、曲数は多い。頑張れ。

我々を家の前で下ろして、息子の軽やかな運転で2人は出かけて行った。
楽しくてくたびれたので昼寝だ、昼寝。

昨日の飲み会でも「カノジョとお泊まりに行く息子に車貸す」と話してたら、
「息子くんは、どうしてそんなに親に全部話すんだろう。親に話すとめんどくさいし、そういう習慣がないから何も話さなかったぞ」との声多数。
結論として、「せいうち家は毒親の連鎖を断ち切ってオープンな子育てに成功した」ってことにしておいてもらえそう。
そこだけを願って育ててきたと言っても過言ではない。

社会的成功やエリート教育を無視しすぎて今のような状態なのかもしれないが、親族がどんなに苦い顔をしても我々的には全然OKなのである。
特に、なんとかよろよろと自活し始めたからね。
コロナ下なので多少の援助はしたいしするんだけど、自立自活できてないと、困るのは親じゃなくって本人だから。
私の子孫たちの、本人にとっての満足と幸せを願っている。
自分の幸福を自分で測りかねている以外はものすごく幸福な私は、心からそれだけを望む。

20年9月6日

昨夜友人たちから「台風の影響で雨量が多いから、川遊びはやめといたほうがいい」と忠告されたのを朝の7時に息子に伝えたら、山もすごい雨だったとすぐに返事があった。
早起きだな。
十分に休み、かつ楽しんでいるようでよかった。

13時頃にはもう戻ってきたらしい。
「今、近くの自然公園を散策してる。お昼ごはんを家でいただくことって可能かねぇ?」
もちろんウェルカムなので、近所の中華弁当のテイクアウトを頼むことにし、息子が切望するせいうちくんお手製チャーハンも少し作ってもらおう。
13時半過ぎには息子とカノジョがテイクアウト弁当とともにやってきた。
昨日に続いて4人でのランチ。

天気が悪いのでドライブだけ楽しんで、渓流釣り等は全部あきらめたんだって。
食事してる間に、昨夜2人で楽しんだというミステリクイズなどを皆でやってみた。

そのうちの1問を皆様にも。

「ABC高校数学研究会では、顧問の小田先生が毎年卒業生にある数式を解かせます。その答えはなんでしょう?」
出題された3人は、出題者が「はい」か「いいえ」で答えられる質問をして正解を考える。
「二十の扉」に似てるかも。

「その数式は四則演算ですか?」
「はい」
「高校生でないと解けませんか?」
「いいえ」
「小学生でも解けますか?」
「はい」
といった具合。

ちなみに「答えは1ですか?」
「いいえ」
「2ですか?」
「それ言ってたら当たっちゃうなぁ。でも、はい、です」
そこまでわかってても、どんな数式かがわからない。
「毎年卒業生が1人しかいないから、顧問の先生と足した人数が2、とか?」
「いいえ」
答えは末尾。考えてみてください。

クイズを4問ぐらいやって、カノジョは、
「お母さん、正解への絞り方が早いですね。息子くんと同じ感じです!」とビックリしてた。
最速で正答した時にあまりに鼻高々な顔してたんだろう、息子から、
「今、『どう?どう?』って思ってるでしょ(笑)」って意地悪なツッコミをされた。
しょうがないじゃん、そういう性格だよ。

帰りは夕方になるかと思っていて、17時からの生配信をうちでやっていくのを期待してたんだが、こう早いお帰りなので自宅へ戻るつもりらしい。
「ここでやっていきなよ」と無理を頼んだら、快く承諾してくれた。
まだけっこう時間があるのでせいうちくんは「少し寝るね」と寝室に引っ込み、息子とカノジョと3人で楽しく会話するのを期待してたら、息子もソファに寝ころんで、「オレも寝るけど、いい?」と言ったと思うと眠ってしまった。

ちょっとガッカリしたが、カノジョといろんな話をした。楽しかった。
昨日の旅の話や2人の暮らしぶりを聞いてるうちに、配信30分前になったのでカノジョが息子を起こしてくれた。
書斎で配信するのをリビングのテレビでみんなで見るつもりで、もう書斎のエアコンは入れてある。
てっきりノートPCを持ってきてると思ったらないそうで、家のPCを使うつもりだったみたい。
あわてて使用可能にし、開きっぱなしのウィンドウを全部閉じて明け渡す。

せいうちくんも起こして、テレビにYouTube映して鑑賞。
自分ちのPCで今zoomやってるのをリビングで見られるのが不思議。
息子の手元には、今急いで作ったらしき10ほどのお題が。書斎に置いてあるA4コピー用紙を切って作ったんだろう。
日曜は即興コントの日で、今回は息子を含む3人が出演、2つ引いたお題を組み合わせてさくっと相談ののち、その場でセリフを作りながら演じる。

書斎から息子の大声が聞こえた10秒後ぐらいに、画面上に反映される。
zoom上の互いのタイムラグはそれほど大きくはないから、YouTubeに上がるまでに時間差が生じるんだろう。
ちょっと宇宙と交信してるような不思議な感覚。それをカノジョと一緒に鑑賞する奇妙で楽しい時間。

1時間強の配信を美声のNくんが、
「皆さん、天気の悪い日曜の夜ですが、ティーバッグの紅茶でも飲んで楽しんでお過ごしください」とのナレーションで締めて終了。
息子が出てきたと思ったら、
「ごめん、あと10分ぐらい打ち合わせするから」とまた引っ込んだ。
せっかくのサゼスチョンだから、ティーバッグでお茶にしようかな。

最終的に食卓に戻ってきた息子は、目に見えて疲れ切っていた。さっきまでと全然表情が違う。
生配信で即興やるって、思った以上に消耗するんだなぁ。
人が変わったように無口になって、
「面白かったよ。今週もいいコントができたね。誰かが書き起こして脚本に練り直したらグループのいい財産になるね」と言うせいうちくんに、「そうねー」と生返事。
お茶を飲むか飲まないかのうちに「じゃあ」とカノジョをせき立てて帰って行った。

私はちょっと呆然として、
「帰って配信するって言ってたのに、無理に引き止めたから。あんなにくたびれて、今から帰るのは気の毒だった。配慮が足りなかった。怒ってるかも」と泣きそうになった。
「疲れたから帰っただけだよ。それまでは元気で楽しかったんだから、いいじゃない」とせいうちくんになぐさめられても、自責の念が止まらない。

たぶんこういう時、私は小さくフラッシュバックを起こすんだと思う。
「あなたが私の機嫌を悪くさせた。あなたのせいでまわりが嫌な思いをする」と母に責められたトラウマからなんだろう。(そういえばこれ、甥っ子も同じこと言われてたなぁ。おばあちゃんなんだから、もっと可愛がればいいのに)
息子は私に怒ってないし、何も悪いことは起こってないのに。
ちゃんとハグして笑顔で「またね」と帰って行ったのに。
彼がくたびれてしまったのはくたびれるだけの真剣な時間があっただけで、私のせいなんかじゃないのに。
ドクターが言っていたPTSDとはこういうことか。

実際、息子はその日のうちにも「今日はありがとう!2人とも元気で」とメッセージをくれたし、翌日には疲れもとれたのか、明るい調子でまた、
「重ね重ね昨日も一昨日もありがとう。カノジョもとても良い顔で眠りについてた」と改めてのお礼をくれた。
小さなきっかけでパニックが起こる、今起こってるわけじゃないことがよみがえると、初めて考えてみた。
これからの生活の中でもっとよく考えていきたい。

※ 全員降参したクイズの答えは、
“記念写真を撮る時に、「1+1=2(にー)」で笑顔!”
でした。
「数学研究会」にミスリードされて、わかんなかったなー。
こういう問題がたくさん載ってるサイトがあるらしい。
昔の多湖輝「頭の体操」みたい。

20年9月7日

腰を「いわせて」しまった。
ぎっくり腰ほど急ではない。半日ほどかけて、非常に痛くなった。
今は身動きがつらい。寝返りもつらい。立ち上がる時、脂汗が出る。
家の中を杖ついてよろよろ歩いてる。

新しい事務椅子「サブリナ」を買うまで間に痛めたのから、完全に回復してなかったみたい。
サブリナにしっかり座ってればあまり痛まない。
原因を深く考えてみると、食卓の椅子を事務椅子代わりに使って腰を痛めて以来、テレビを見る都合等で食事もずっとソファとちゃぶ台でとっていた。
それが先週末、2日続けて息子たちと食卓でランチを食べたしきっとちょっと緊張して座り方が浅かったりしたんだろう、と思う。
それでぶり返した、と。

当面、一番の問題は多分寝返りする時。
仰向けからうつ伏せになりたい時は、まず両手足を縮めて4つんばいの姿勢になり、そこからゆっくり片側に倒れて体側をベッドにつける。
軽くその勢いを借りて、背中はあくまで丸くしたままくるんと裏返る。手足を伸ばしてため息をつき、姿勢変更完了。
逆向きになりたい時は、やはり両手両足を身体の一方に集める。横たわるシカのよう。
そこからの四つんばい、そして受け身を取るような横倒れはなかなか技術を要する。

せいうちくんがテレワークで1日中家にいてくれるから万が一悲惨な状態に陥りそうなときは助けてもらえるわけで、これは本当にありがたい。
介護を受けるまでにはもっと体重を減らしておかないとダメだなぁと、誰にともなく思う。

20年9月8日

前に同窓女子LINE会やった時、4月に61歳になった中学の友達が、
「手続きは全部銀行の人がやってくれたよー。受け取り口座をそこにすればやってくれるよー」と言っていた。
ちょうどせいうちくんが私の年金の一部をもらい始める手続きで苦労していたのでその話をしてみたんだが、
「そんなの特別に大口の取引してる人だけじゃないの?」と懐疑的。
「私の口座のある銀行に一応聞いてみたらいいと思う」と言っても、
「めんどくさい。もう、僕がやるからいい」って意固地になってた。

結局、書類を郵送したらやはりせいうちくんらしいというか何と言うか書き間違いがあって差し戻されてさらに切手代が必要になったというプロセスを経て、本人もかなり肩で息をしてる状態で何とか作業が終わった。

もちろん手厚くお礼を言いましたとも。
「家庭内司法書士、ありがとう!あなたがいなかったら私、もんのすごく困るよ!」
だが、その幸福は長くは続かなかった。
銀行から電話がかかってきたのだ。

やはり、年金の手続きは司法書士料取らずに代行してくれるらしい。
私のようにあまり外出が自由でない場合は、家まで来てくれるそうだし。
「締め切り過ぎそうだったので自分でやっちゃったんですよ。知ってればなぁ~!」と天を仰ぐせいうちくんに、銀行の人は妙に明るく「すみません!忘れてました!」と言ってのけたのだそうだが。

せいうちくんの欠点がまた露呈した。
・自分の馬力を過信しすぎ
・自分の時間を使ってやるのはタダだと思ってる(それなりに時給高いんだぞ)
そして最低最悪の欠点は、
「私の言うことに全然耳を貸さない」点であった。

今はかなり落ち込んでへたり込んでいるが、また妙な元気が湧いてきちゃって何でも自分でやろうとするんだよなぁ。
この人、絶対前世は馬車馬かなんかだよ。

20年9月9日

いくら窓とドアを開け放っているとはいえ、気温30度を超える日に朝から14時頃までエアコンも扇風機もなしに室内でずっと仕事をしていたせいうちくん。
「エアコンつけると寒くて」と言い訳するが、設定温度ってもんがあるんだから27度か28度でも心地良い温度に変えてつけりゃいいじゃないか、と私に怒られる。
(うちのエアコンは私の体感に合わせてだいたい25度から26度なのだ)
「あ、そうか」とリビングで遅い昼食を一緒にとった彼は、25度設定のリビングで、
「あー、気持ちいい。やっぱり、ちょっと暑かったのかなぁ。スーッと楽になってきた」と言って、着ていた七分パンツを少しまくり上げていた。

全然暑がりでなく寒がりなのは昔から変わらないけど、それでも昔は年相応に半袖のシャツとかTシャツとか着たもんだ。
今や、まずは1日パジャマでいるし(しかも四季を通じて長袖)外出の時はどんな暑い日でも半袖のTシャツとGパンの上から「日差しを遮る」と言って長袖をまとう。
「あんたはマスター・キートンか!」とツッコみたくなる。

年齢が行くと体感温度が鈍くなって、また「クーラーは身体に悪い」との信仰もあり、かなり暑くなってもエアコンつけない人たちがいると聞く。
時々そういう中から熱中症の患者さんが出るのも夏の風物詩だ。
せいうちくんは、このままだといつか「あ、なんとなく気が遠くなってきた」と言って倒れると思うなぁ。
せめて私が一緒にいて、「涼しくないと暮らしていけない!」と言い張ろう。

20年9月10日

中島京子という作家さんを読み始めた。きっかけは何かの書評だっただろうか。
ゆったり、少し浮世離れしたようなシチュエーションや登場人物の変人ぶりに驚くことが多いものの、決して奇をてらった不条理小説などではなく、これはこれで地に足がついている。
私もこんな地に足をつけたいなぁと思わず本の中に入り込みそうな気がするほどだ。
大人の女性にとっての「不思議の国のアリス」かも。

いや、わりとシビアなんですよ。
喉元に匕首を突き付けてこないだけで、「大事なもの」を常に問いかけてくる。
一番わかりやすかったのが、先日読んだ「イトウの恋」でしょうか。

実はね、もう5年ぐらい前から読み続けてる「ふしぎの国のバード」(佐々大河)ってマンガが大好きなんだ。
「イザベラ・バードの旅-『日本奥地紀行』を読む」(宮本常一著)とか「イザベラ・バードを歩く-『日本奥地紀行』130年後の記憶-」(釜澤克彦著)などのサブリーダーを読みながらこの偉大なる女性の足跡を記録したマンガを読んできてて、一番の関心はやはり案内人兼従僕兼通訳として雇われて旅を共にする「伊藤」(イト、と女史は呼ぶ)のこと。
マンガという比較的緩い媒体で、これについて描かずにいられるもんだろうか。
当然、2人の気持ちには通い合うものがあるだろう。なくてどうする!

みたいに興奮して本を読み漁っていた時、まったく関係ないところから降ってきたのが上記の「イトウの恋」。
自分で自分の頭をかち割りたくなることに、中島京子を端から読んでいただけで、この「イトウ」があの「イト」である可能性何なんてみじんも考えなかった。
読んでみて初めて、寝ころんでいたのをがばりと起き上がり、「これって、これって、バード女史のイトなのぉぉぉ!」と雄叫んだ。

読み進むと、史実にもかなり忠実で、当然史実をもとに描かれているマンガにも相当忠実で、最後忠実かどうかを分けるのは後世の人が知る由もない「蚊帳の中のこと」、個人の心のありようと向きようだけだろうと思える。

なので、これほどネタバレ丸出しのタイトルではあっても、紹介するのに罪悪感はない。
恋は、もちろん当人たちの心の中にあるが、それを見つめる人々の中にもその恋の解釈は人の数だけあるものなので、とにかくいい本。読んでほしい。
ついでに中島京子はいいですよ~。特に角田光代が頑なすぎると感じた人には向いてます。
たまたま並行して読んでるだけなんだけどね。

20年9月11日

ちょうど今日の夜が明けたばかりぐらいの時間だろうか、せいうちくんは昨夜ほぼ徹夜してしまったため22時半から寝ていて、私はたいそうヒマだった。
最近Messengerで毎日のように「野良飲み会」を開いているGくんの招集がかかった時、たまたまそんな状態だったわけだ。
(本人は全然招集なんかかけてない、と言い張る。自分がビールを1本飲む間、ちょっとまわりにオープンにしてるだけだと)

せいうちくんから「夜中にGくんや長老など、頭の回る、話の分かりのいい人と2人きりで話をしないこと。好きになっちゃうかもしれないじゃないか」と注意されてるがまあちょっとならいいだろう、とよもやま話をしていたら、
「東京に戻ってきたからギガ関係なくネットができる~!」と長老が現れた。
あら、要注意人物が2人集まっちゃったわ。
しかし、2人きりじゃないからいいってことだよね~。

こないだのアルフィーライブで画面から撮影した「ヤッターマンギター」「ドラえもんギター」「シン・ゴジラギター」の写真を見せて遊ぶ。
これを共有するまでが大変で、結局できなくて各人にMessengerで送った体たらく。
メインのPCに移動しようとしたら私のマイクが働かなくなったり、長老が画像を共有したら元に戻せなくなったり、「バグだらけ!」と長老が叫ぶほど。
我々、zoomにはだいぶ慣れてきたけどMessengerライブ通話にはまだ慣れてないんだなぁ。
うっかり友達に勧めたりしないで、zoom一辺倒で行こう。

そういえば12年前の秋に亡くなった友達とその後3年前に亡くなった友達を偲ぶ会を毎年開催してたところ、今年はちょっと集まるのが難しそう。コロナ事情。
「zoomでどう?私けっこうよくやるよ」と男性2人を誘ったら、1人から、
「スマホがないし、PCにも外付けカメラがない」と返事が来た。ネット飲み会自体、あまり気が進まないらしい。
2、3千円のものとはいえウェブカメラ買いなよとも言えないよね。
ネット飲み会好きじゃないならなおさらだ。
もう1人の反応を見て決めようと思うが、前途多難。

5、60代の人々は、どんなに苦手でも死ぬまでネットから逃げきることはできないんだそうだよ。
身分証明や年金手続きなどにも、どんどん入ってくるかもよ。
私の友達には独身者が多く、「孫の写真をLINEでもらいたいから」って動機の薄い人ばっかりなんだよなぁ…

20年9月12日

昨夜のくらぶのzoom会は、疲れてるから早めに終わろうねってせいうちくんと密約していた。
しかし、普段は早めに帰るHくんが珍しく最後まで居残っていたうえたいそう貴重な話をいろいろしてくれたので、結局終わったのは3時半ごろ。
我々はそこから熱烈な感想戦に入ったので、寝たのは6時になってから。
今日起きたら15時だった…orz

溶けてしまった1日を取り戻そうとポワロとコロンボ観まくったのが良くなかった。
あんまり面白いんで、寝たのはこれまた4時。
週末とは、ガタガタになってやけくそになって楽しむものである(本当?)

ポワロはドラマとして上品で軽妙で、イギリス文化を面白く伝えてくれる。
何しろ事件の動機はたいがい遺産だ。しかも遺産を欲しがる動機に投資の失敗が多い。
かつての大英帝国富裕階級が優雅な生活をあきらめきれずに夢よもう一度と投資に走り、残り少ない財産をすって先代の金持ち世代をあてにする。
文化が退廃的になってる分、ホームズの頃より滑稽でもの悲しい。
外国人ポワロの視点をおいてるせいなのかもしれない。

コロンボは、我々から見て懐かしい70年代サイケデリックな別の退廃があって、これまた味わい深い。
この頃もうテレビのリモコンがあったのか!とか妙なところに感心する。
「断たれた音」とか「二つの顔」とか全然覚えてなくて、もしかしたら初見なのかもしれない。
どれもたいそう面白い。

両方とも毎週NHKBSでやってるので、興味ある方は、ぜひ!

20年9月13日

昨日おこもりを決め込んだため、重要な予定「やっと回ってきた予約本を借りに図書館」をすっかり忘れていた。
予約後9ヶ月も待っていた人気本がついに借りられると連絡もらったのが先週の土曜日で、何の因果なのか、買い物とかすべて終わって家に帰りついたあとのことだった。
「しょうがない、取り置きは1週間だから、来週の土曜に行けばいいや」と思った時、予定表に書いておくべきだったか。

夜中に気づき、図書館HPで確認したら「予約削除中」との冷酷な文字。
今朝を待っていちおう電話してみたけど、もう次の人に回したんだそうな。まあそりゃそうだろう。
でも親切なんだよ、列の最後に回るとは言うものの、その場で再予約の手続きをしてくれた。
19人待ち。
そこまでした新刊のタイトルは足立紳の「それでも俺は、妻としたい」。
最初の時は100人ぐらい待ってたから、それに比べればどうってことない。そのうち回ってくる。
小池百合子女史の一代記「女帝」は現在258人待ち。いつになるかなぁ。

他の予約本を取りに結局図書館行って(そうなんだよ、昨日こうする予定だったんだよ!)、汗だくになって買い物から帰ったら、せいうちくんがPC見て、
「Gくんと長老が野良飲み会やってるみたいだよ」と教えてくれた。
新型コロナ以降急激に人恋しくなったわけでもあるまいが、卓越したネット技術を駆使してやたらにリモート飲み会を開催しているGくん、週1のzoom会だけではなく毎日の「ひとり飲み」を「野良飲み会」として公開してる。
興味がある人は参加してしばらく一緒に飲む仕組み。

さぶんと水風呂に浸かって着替えたあと、アイスティー持って入室してみた。
「おー」と快調に酔っぱらってる2人のおじさん。

PC仕事をひと通り終えたせいうちくんも最後の方では巻き込まれ、結局6時間近く滞在してしまった。
永遠のようにヒマな3人はいいとしても現役会社員にはちょっと気の毒だなぁ。

20年9月14日

ずいぶん涼しくなって、昨夜は本当に久々にエアコン切って窓開けて寝た。
昼間も、なんとなく暑そうなセミの声に押されながらもまだ未エアコン。
15時ぐらいに湿度が上がってきたので、ちっとだけつけた。

せいうちくん出勤日。寂しいなぁ。
途中の介護休暇1年間を除いて30年以上ウィークディの昼間は別々にいたなんて、信じられない。
この騒動が終わってしまえばまた元の生活で、「あの時期は夢だったんだろうか…」と呆然とするのかな。

20年9月15日

横山光輝「三国志」全60巻を読んだ。通読するのは初めてかもしれない。
先に読んだ息子がたいそう感心していたので負けじと食いついたが、いやあ、読み終わるのは大変だった。
正直に中国史の無知をさらけ出せば「劉備玄徳、関羽、張飛が力を合わせて三国をまとめる話」と思い込んでいたぐらいなので、両翼将軍が亡くなり玄徳も死んで驚いたよ。
そのあと諸葛亮孔明が頑張る話だったのね。
どうせならOVA「ジャイアント・ロボ」の孔明先生がよかったなぁ。

読み終わって息子に、「将軍の首だけでもいくつ飛んだか。ラストは無常なり」と感想を送ったら、
「人徳で収めた劉備、覇権と才覚で押し通した曹操、家督政治で固めた孫権って感じだったね」との通なご意見。
2人共通するのは「孔明の策の数々にはしびれたね」。
人気キャラだよなぁ

さらに息子のお勧めに従って同じ横山光輝の「伊達政宗」読み始めた。こちらは全4巻。
モブが少ない。要人の出入りが多いのは同じにしても人数が違う。戦闘シーンのケタも段違い。
日本の戦は地味だね。

日本の人はもうちょっと中国文学に親しんでもいいのではなかろうか。
4千年の計は馬鹿にできない。
群雄と戦略を書かせたら中国文学はまったく見事な気がする。
高校生の時「水滸伝」を読んだが、百八人の英雄が本当に出てくるのか気になってしまい、ノートとって名前を控えながら読んだ。
読み終わって数えたら一人も欠けずに百八人だった。なんだか感心した。

なんか興奮したので田中芳樹の「銀河英雄伝説」を再読しよう。
あれも現代日本で読んでおくべき小説だと思う。
ヤン提督が突きつけた「有能な独裁者による専制政治と無能な代表による自由民主主義政治とどちらをとるべきか」の命題は胸に刺さる。
「有能な独裁者の子孫がずっと有能とは限らないから」と、民衆が代表を選ぶ権利を持っている民主主義政治を取ったヤンだが、さて、無能な世襲制度に近い形態が続いたらどうなるのか。

昭和のサラリーマンであった父親の口癖は「命とられるわけじゃなし」だった。
日本にしろ中国にしろ、合戦でいちいちリアルの首が飛ぶ戦国の世は大変だ。
「せいうちくんには頭の上に首をのっけた状態で会社を辞めてほしい」とzoomで口走って皆に笑われた。
それを言うなら「肩の上に首をのっけた状態」であった(汗)

20年9月16日

診療内科のドクターと話をしに行く朝、突然SNSで姉の書き込みを見た。
「知り合いかも?」ってくるじゃん、あれを、つい開いちゃうんだよね。
せいうちくんからは「悪趣味。見たくないものは自分の精神衛生のために見ないように」と言われてるのに。

7年前、遺産のもめごとからほぼ絶縁状態の姉にとって、「深く関わった人間」として「息子と亡き母」のみが記されていた。
姉もやはり母によって拘束され、回復が難しいほどに傷ついていたのだとうかがい知れる一文だった。
しかし、物心ついたころから「うさちゃんが一番」「うさちゃんの幸せを何より願っている」とほとんど熱に浮かされるように言っていた姉の世界に、私は一片も存在しないのか。
相続放棄の判を私につかせたあの時に、姉の「うさちゃん」はいなくなってしまったのか。

姉もまた、自分の内面を探る旅をしている。
多くの人と関わり、セミナーを受けたり主催したりして、教員時代のスキルを最大活用しているようだ。
薬のサポートなしには難しく医師に頼り、本を読んだり少数の人と話し込む私のスタイルとはずいぶん違う。

ドクターにはやはり、母親の分断政策を指摘された。
きょうだいが互いに話し合えないようにそれぞれを支配するのだ。
今となっては、姉と私が生まれつき分かり合えない性格、趣味の合わない共通の話題のない他人であったのか、母による工作の結果なのか、もうわからない。
よく見るそういった親は、自分亡き日が来た時に次の世代をどうするつもりなんだろうか。
共に手をたずさえて人生に向かうなんてできないじゃないか。
「我が亡きあとに洪水よ来たれ」って気分なのかな。

「ひどい家庭だね。むちゃくちゃだよ。オレの親も、兄貴に財産渡すために生きてるうちからいろいろ動かしてたよ。あんなの、国が取り締まらなきゃだめだよね。それでいて口では『きょうだいは平等』『親は公平』って言うんだから、あきれちゃうよ」とまたドクターの自分語りが始まったが、大変参考になる内容なので傾聴する。

ドクターはクライアントの私を守る立場なので、
「あなたはひどい目に遭ってる。遺留分の訴訟を起こせばよかったのに」と言うが、当時の私は何もかもどうでもよかった。
ただただ、実家と縁が切れるのが嬉しかった。
母の生命保険の分だけをもらい、「それ以外は全部姉と甥に相続させる」と姉の税理士が書いた書類に同意した。

これまた小さな頃から、「遺産のことはお姉ちゃんがちゃんとしてくれる。必ず半分こにしてくれる。お姉ちゃんがあなたに悪いことするわけがないでしょう」と呪いのように刷り込まれた私は、50数年分の感謝の前払いを支払わされただけで終わった。
唯一の抵抗、私なりの筋の通し方として、姉の目を見つめ、
「これが、お姉ちゃんの『ちゃんと』なんだね?」と聞いた。
「そうよ」と答えた姉の目は、昔同様何も見ていない空洞だった。

姉にも最近「パートナー宣言」をした相手がいるらしい。
それぞれの大切な人と、これからの人生を満足できるようにデザインして生きていくしかない。
ただ、その道筋で姉と再び会うことはないのだと、あらためて思い知らされた日だった。

ドクターに、
「今日1日を過ごす自信がありません。一時的に、強いお薬を出してください」と言ったら、最強の抗不安薬を1日分出しておきます、と胸をたたいた。
確かによく効いて、出社日だったせいうちくんが戻るまで穏当に眠って過ごせた。
敗北主義的だが、ダメな時はダメ、やり過ごすしかない日もある。

そうそう、調剤薬局でいつもの担当さんに、
「ドラマの『アンサング・シンデレラ』見てます?」と聞いたら嬉しそうに、
「はい!やっぱりこの仕事してますとね。あちらは病院調剤師でずいぶん仕事は違うんですけど」と言っていた。
「私も毎週見てます。疑義照会って意外と多いんだなぁってびっくりしてます」と言うと、いたずらっぽい顔で笑って、
「これが、けっこうあるんですよー」とのこと。
どの道も、お仕事は大変だ。 

通院の帰りにいつもの「クルン・サイアム」でパッ・タイ食べようと思っていたけど、なんだか気力がなくて早く帰りたくて仕方なくなった。
どうせ糖質制限解除の日だからなんかテイクアウトして糖質食べよう!と物色してたら、いつも前を通って「食べたいなぁ」と思っていた「パンの田島」。
小さな間口の店先に数人の行列ができている。
大好きな「やきそばパン」(糖質の塊)を買って、小窓から受け取って、家に帰って食べた。
禁断のランチ!思いのほか大きなコッペパンはほかほかふかふかしていて、しあわせな味だった。

あとは、生まれて初めてガチャポンやった。
欲しかったAEDのミニチュアが入ったやつを、見つけちゃったもので。
心臓が悪い私のためにAEDの講習を受け、外出先でも「あるかな?あるある」と本体を観察してるせいうちくんにプレゼント。
いざって時に使い方忘れないように、イメージトレーニングにいそしんでください(もちろん電気は流れないけど…)。
それにしても300円でこのクォリティ、癖になったら怖い…噂の新橋駅まで行ってしまいそう。

20年9月18日

日中半分ぐらいせいうちくんが出勤してたので、大事をとって先日の強い薬の残りをのみ、睡眠薬も足して寝て過ごした。
こういうのを「好褥」(やたらに寝て過ごしたがる精神状態)と言うのかもしれないが、背に腹は代えられない。
読みかけのマンガにも本にも手が伸びない。
ひと言で言ってろくなことを考えないんだ。

悪夢を見た。
若い私は母親と姉と暮らしていた。
6畳ふた間ぐらいの汚いアパートに、姉は勝手にボーイフレンドを連れ込み、部屋の私の領域部分をめちゃくちゃにした。
「そんなことするんなら私も彼氏呼んじゃう!」と同じアパートの彼氏を連れてきたが、これがなんと息子。年頃は同じ。
この息子、てんで頼りにならず、姉のボーイフレンドのでかいバイクがアパート廊下に置いてあって場所塞ぎで迷惑で、近所の人が眉をひそめて通り過ぎるぐらいなのに、
「いいなぁ、カッコいい!オレも欲しいな」とのたまう。
瞬間、親の立場に返って「危ないから、ダメだよ!」と叱りつけた。
(さて、現実のこの世界で、私は息子のやりたいことを禁止するだろうか?まあ、バイクは危ないからやっぱり反対したいだろうな。するかどうかは別の問題だが)

母親は、廊下の外にある共同炊事場でふてくされて夕食を作っていた。
ゴキブリの出そうなアパートの、現にゴキブリが出る油じみた炊事場であった。

はっと目が覚めたら、自分のベッドだった。
侵食してくる姉も姉のボーイフレンドも、頼りない彼氏(息子)もいなくて、機嫌の悪い母親もいなかった。
心からほっとした。
完全に元の世界に戻ってくるのに30分ぐらいはかかってしまい、うらぶれた気分で過ごした。

せいうちくんも帰ってきてお風呂にも入り、気分も身体も清潔だ。ゴキブリの入り込む隙はない。
今夜はまんがくらぶのzoom飲み。
かなりメンバーが固定化してきたので少し新しい風を入れたいが、最近せいうちくんの仕事が妙に多忙なので、その辺が片付いてからのことにしようかな。

少なくとも今日誘った最近来ない2人のメンツからは、
「やっぱりネット飲み会は苦手だし、21時頃には眠くなってしまうのですみません」
「仕事のあとジムで汗を流して、そのあとポケモンGOをしているので帰りがどうしても0時頃なんです。近々また顔を出しますね」
と、非リア充とリア充の両方の見本みたいなお返事をそれぞれいただいた。
いやあ、いろんな人がいるなぁ。

20年9月19日

新型コロナ騒ぎでずっと止まっていた将来計画に向けて、マンション見学に行った。
あいかわらず隣の駅の駅近新築物件で、今回は徒歩9分と謳われている。
不動産屋さんの9分は、私には15分ぐらいなのではあるまいか。

ところが、駅前の図書館に寄るついでに駅から現地まで厳密に歩いてみたら、本当に10分弱で着いちゃった。
見通しのいい大通りで、歩道も広く自転車帯と歩行者帯が分かれていて歩きやすいおかげもあったかも。
大通りから少し歩行者専用道路に入った南向き建物なのもポイント高し。
直接大通りに面した造りはうるさそうだし、落ち着かない。
「いいとこだねー!運命かも。ここ買っちゃったらどうしよう?!」と早くも盛り上がる我々。
基礎しかできてない建築用地見ただけで。

気を落ち着けて仕切り直し、予約の時間に行きましたよ、かなり離れたとこのモデルルーム展示場に。
こちらの情報を細かく書き込み、お話をしっかり聞き、模型とか見てやっとモデルルーム。

うーん、まずがっかりしたのは、そろそろバブルがはじけてディスポーザとミストサウナは標準装備から外れてると思ったんだが、まだついてるねぇ。
収納があるようで少なく、中途半端な物入が多い。
我々だったら書斎にする予定の部屋、「棚なんですね~」と開けたら奥行き12センチほどの薄い空間が出現。
さすがの案内のおねーさんも「文庫本ぐらいしか入らないですよね」と苦笑い。
人によってはグラスとかお皿を並べるかも…私も一瞬、しまい込んであるムーミンの食玩を並べる妄想をした。しかし却下である、こんな棚は。

おねーさんが新人さんでいろいろ不確かであったのも不運だったが、全体に「何かがイマイチ」な作りだった。場所はものすごくいいのになぁ。

まあそれでもお値段さえ折り合えば、と最後のテーブルに着く。
ここまで1時間半ほどのフルコースをやらないとお値段を教えてもらえないのがマンション見学のつらいとこだ。
その値段は…
「なんでや!コロナ前とちょっとも変わってへんやないけ!」
思わず関西弁になってしまうほどの高いものであった。
持ち出し禁止の価格表なので、気になるものは自分でメモして帰っていいと白紙の図面をくれたおねーさんが席を外してる間に、出てる値段を全部一生懸命書き写しながらせいうちくんと交わした言葉は少ない。
「ないね」
「うん、ないよ」

それでも今後の進め方のお勉強をすべく、今のマンションの査定とかローンの相談会に行くとかの予定を組んでもらう、ミョーに熱心な我々なのであった。

送り出されてみればとっぷりと日が暮れ始めている。
帰る道々考えるに、これは、コロナ前のオリンピックバブルがはじける前の最後の頃に計画され土地を取得した物件で、建ててる最中にコロナで工事は中断するし景気は悪くなるししかしすでにかけてしまった予算はどうしようもなく、やむなく内装計画を無茶苦茶いじって安く上げようとした結果のマンションなのではないだろうか。

大声で言いたい。
私は、コロナ後とかオリンピック中止後にだだ下がりした景気の中で発生した計画の質実剛健なマンションが欲しい!

ま、つまり時期尚早だったってこと。
今後もお勉強をつづけながら、もう2割以上マンションの値が下がる日を夢みて頑張るよん。
少なくともディスポーザとミストサウナはオリンピックバブルの仇花だったね今は全然見ないねと言われる時代のものが買いたい。

しかしやっぱり新型コロナ事情ですべてが停滞する中、我々のマンション取得計画も否も応もなく年単位で延ばさざるを得ないようだ。
着手してもう2年経ってることを思うと、今さらながら住宅取得は気の長い計画だよ。
短期即決タイプの私には相当な無理スジ修行となりそう。
そもそも寿命が来そうで怖い。

例によって前夜はくらぶのzoom飲み会。22時から夜中の2時まで、4時間。案外短い。
それでもくたびれて翌日は1日ほうけてた。

最近は彼女の話を積極的にすることに決めたらしいHくんが張り切っている。
めずらしく時間前からスタンバイする勢いで、一番乗りだった。
遠恋でいろいろ難しい点もあるだろうし、そもそも聞いてると「それってつき合ってんの?」的なところも多いが、生涯独身男性の数を一人でも少なくする貴重なチャンスだ。頑張ってくれ。

私は最近板垣巴留の「BEASTARS」にはまっているのでその話をしたら、少女マンガ研究家であるHくんには多少ジャンル違いではあるものの、興味を持った模様。
「面白いと聞いていますが、やはり読むべきですか」
はい、ものすごく、読むべきだと思います!
内田美奈子が1970年代に描いていた「赤々丸」みたいな「人間の身体に動物の頭部」で、しかも非常に上手い絵だ。
肉食獣と草食獣が共棲する世界の描写も深い。
もちろんせいうちくんにも猛烈に薦めているが、何しろ忙しいうえ、私が薦めるマンガがすでに山となっており、なかなか手をつけられないらしい。
早く読んでもらって、語り合いたいなぁ。

長老の興味は9月から始まる「ウルトラセブン4Kリマスター放送」につきるようだ。
なぜあのへんの年頃の人たちはウルトラセブンが死ぬほど好きなのか。
そもそも4K放送ってのはそんなにいいのか。
カメラマンの目を持つ長老には美しく深いのかもしれないが、私は目の造りが雑と言うか、見たものを脳に伝える神経かなんかが粗くできているのか、映像認知能力が低いと思う。
画像がどんなに美しくてもモニタの解像度がお粗末なようなもので、良さがわからない。

きっと現在購買力のある年配者にアピールするのがウルトラセブンで、特にオタクはLDを買ったりブルーレイを買ったりコンテンツに投資する熱量が高いので、4Kハードの売り先として「前期高齢者のオタク」ってのが一番希望の持てるあたりなのだろうと邪推する。

毎週毎週そんなバカ話をしている。
だいたい決まった7人ぐらいのメンツなのでお互いいずれ飽きる日も来ようが、学生時代の濃いつきあいを思い出させてくれる貴重な時間だ。
青春の光よ再び、な感じだなぁ。

20年9月20日

週末のzoom飲み会を主催するGくんは、それ以外にもほぼ毎日自分が飲む時にFacebookに自動的に表示が出るMessenger飲み会を開催している。
しばしば交流のある私のところにはお知らせ音が鳴るので、「ああ、Gくんが飲み始めたな」とわかり、特にせいうちくんが仕事してる横でPC触ってる時など、時間つぶしに利用させてもらってる。

今日も夕方ちょっとのつもりで応戦したGくんのMessenger飲み会、意外と人が集まり長引いて、結局6時間の大宴会になった。
ひと仕事終わったせいうちくんも後半は真面目に参戦し、思わぬ酒宴に。

Gくん、長老、Hくん、我々に加え、ちょっと珍しいIくんが参加し、過半が下世話系に傾いたメンツだったので、思わずマンション廊下に面した窓を閉めるほどの下ネタ話が炸裂していた。
ここだけの話、「夏場は全裸で過ごしてます」と言うIくんが立ち上がって飲み物を補充しに行くたびに生まれたままの姿を拝むことになり、驚愕した。
しかし、最初は全員「おー」とか「わー」とか反応してたが、さすが人間の最も自然な姿で、見慣れると別に何ということもないなぁ。ただの全裸だ。
ヌーディスト宴会、についてちょっと真剣に考えてみちゃったよ。みんないろいろぶらぶら。

話自体も、いろいろ勉強になったなぁ。
こういう話に唯一の女性として参加するのはちょっと反則なんじゃないかと反省はするが、男だけの猥談も意外と続かないものだそうなので、いいとしよう。
せいうちくんがそっち方面ではいろんな意味でスペックが低いのもわかった。
だからと言って別にIくんの誘う「天国への指南」を受けたいとも思わない。
長老も何やら「せいうちくんはプラトニックなんだなぁ」と感心していて、うん、たぶん私も「愛と結婚とセックス」が三位一体となったロマンチック・ラブ・イデオロギーの信徒なので、これでうまく行ってるんだと思う。

ああ、それにしても4連休のさなかとはいえ、日曜の日が沈むか沈まないかの時間からこんな話に興じていられるとは、まだまだ日本は平和だ。
あんまりすることもない連休なので、明日はGくんちにドライブがてら遊びに行く約束をした。
飲み過ぎてガンガンするこの状態で、実現するのか!?
運転するのはせいうちくんだから、頑張ってもらおう。
初めての埼玉遠征になるぞ!

20年9月21日

昨日のMessenger飲み会で約束した通り、S市のGくん宅を訪ねる。
途中で通った「野火止」という地名に覚えがあった。初遠征ではなかったようだ、埼玉。
大昔、結婚したばかりでヒマだった頃に高校時代の後輩が住んでるというので一人で車で尋ねたことがあった気がする。
案外アクティブだったなぁ、あの頃の自分。

1時間ほどで着いてしまったGくん宅。
意外と普通の民家であることに驚く。なぜ驚くのだろう、我々。
外から普通に「G~くん、あ~そびましょ~」と呼ばわれ、と言われていたが、それのどこが普通であるものか。
現代の普通として、Messenger通話をかける。
一戸建ての端の部分から呼び出し音が鳴っているのが聞こえ、やがてカーテンの隙間からちらちらと人影が動き出した。起きたらしい。

「終わってからずっと寝てた。本当に来たんか」と二日酔いの顔のGくんを、まずは車に乗せてコメダに。
手土産もなしに訪ねたので、当然おごらせてもらう。
「喫茶店なんか来たのは何十年ぶりだろうなぁ」と言う彼とコーヒーを飲み、味噌カツサンドとナポリタンスパゲッティを食べる。
Gくんは「牛だく」という名の牛丼バーガーみたいなもの。
「柔らかそうだから二日酔いでも食えるおかゆ的な気分で注文したが、でかいな」とコメダサイズにおののいていた模様。
なのに最後のシロノワール普通サイズ(チョコ味の大人っぽいバージョン)もおとなしく3分の1受け持ってくれた。男気だ。

それからGくんのお部屋探訪。
言われるがまま家の前の細い道にどかんと駐車して、玄関をくぐる。
優しそうなお母さんが「あらあら、まあまあ。汚くしてるんですよ」と恐縮するのを、簡単な自己紹介であがらせてもらう。
なんつーか、我々の知ってる「母親」なるものとは、セキュリティの緩さがケタ違いだ。

玄関わきの和風作りの一角がGくんの生活空間で、部屋の中央にマットを敷いた寝床、壁に立てかけるような形に置いた43インチ4Kカラーテレビをモニタ、横にもう1台小さなモニタ、そして高性能なPCといった陣容だった。

マットの上に座ってモニタの画像をしみじみ見せてもらう。
動きが速いし、小さな画面がひゅひゅっと移動したり沢山わいたり隣のモニタに移動したりする。
よくわからないけど、うちのPCとは次元の違う性能なんだと思う。
これはあとからGくんが後悔していた点なんだが、モニタいっぱいのGoogleEarthの「ぬるぬるした動き」を見せてもらうべきだった。
そいでもって、「パリの科特隊本部をお願いします」とか言ってみればよかった。
お互い思いつかなかったのが残念。

お母さんが物腰柔らかく優しげで、本当に驚いた。
50男をいきなり訪ねてきた2人組にあれこれ詮索したりどういう友達か聞かないタイプのお母さんって、せいうちくんも私も縁がないもんだからものすごくびっくりした。
世の中にはこういうお母さんもいるのか。
Gくんが無頼なようで心優しく親孝行な理由がわかったよ。

Messengerで呼びかけたら休日の午後をヒマに過ごす長老とHくん、それからお仕事に行く前に食事中だというIくんが現れた。
しばし、Messenger飲み会。
車の我々はもちろん飲まない。お母さんが出してくださったと思われる麦茶をGくんが運んできてくれたもので乾杯。
(後で聞いたら、「母親じゃない。オレだ。母親は湯を沸かして緑茶を淹れようとしてたが『麦茶で十分』って言って持ってきた」のだそう)
長老はいつものビール、Hくんは不明、Gくんは横で麦茶。
Iくんはこれからお仕事なのにハイボール飲んでたけど。

盛り上がりつつある宴会を抜けて、30分ほどでGくんちを辞す。
目指すはチェックしておいた駅前のブックオフ。
道々車内からスマホで宴会に戻ってみると、皆さん楽しくやっている。
長老から「街並みをスマホで見せよ」との指令。
車窓からかざすと、「おー、S市にもいなげやある!」とか喜ばれた。

ブックオフにも着くしギガが減るので宴会はほどほどで抜けて、次に行くときまた戻るって感じでやっていたら、2軒目にいる時にGくんから「宴会終わった」との連絡。
こういうの、ちゃんと知らせてくれるところは神経が細かい彼である。

家に帰るまでにブックオフ2軒回って、あまりにくたびれたので予定していた3軒目はスキップして帰った。
あんまり楽しくて消耗したんで、そのあと何してたんだかよく覚えてない。
ブックオフで買ったマンガの自炊とかは少ししたと思うんだが。
なかなか素敵な4連休だ。

20年9月22日

実は連休の初めにせいうちくんのお母さんから昔のアルバムが届いた。
そもそも何日か前に「整理しているから送る」と連絡はあったが、
「で、最近はどうしているの?」とせいうちくんが聞こうとした時にはぶつっと切られていたという関係の悪さ。

届いたアルバムは分厚いのが8冊ほどあった。
写真をスキャンするために必要なものははがしていたようだが、昔のアルバムは台紙に糊がしっかりついていて、写真自体が破れてしまいそうになる。
なんとかはがしたものがお菓子の缶ひとつ分ぐらいある。
しばらくして糊が乾いたらスキャナにかけるんだって。

幼児のせいうちくんが意外と癇の強そうな神経質な顔をしてるんで驚いた。
本人によれば「小学校高学年になって受験準備を始めた頃からぼーっとした頼りない顔になっていく。中学に入った頃は、もう人格を失いかけた顔になってる」とのこと。
私にとっては会った頃からそんな顔だったのでよくわからない。
とりあえず「そういうあなたが大好きだよ」とはげましておく。

お母さんはアルバムを見ていろいろ感情がよみがえって高ぶっているらしく、便せん6枚ほどの手紙が同梱されていた。
せいうちくんがどれほど素晴らしい子供だったか、いろんな人からほめられ、「どうしたらこんなお子さんができるんですか」などと感心された話が書いてあった。

看過できないのは、
うさこさんが以前パソコンにせいうちさんはお母さんに尻を叩かれやっと東大に入り伸びきってしまっていると全く事実と違う事を書いていましたので、私はどれほど憤慨したか解りません」
うさこさんはせいうちの事を全く知らないのです」(赤鉛筆で傍線が加えてあった)
と書かれていたこと。
せいうちくんもとても嫌な気持ちだと言っているが、母親に尻を叩かれたと本人が思って私にそう話したことをまったく無視して「事実と違う」と断じており、夫婦の関係を軽視している。
せいうちくんに見せずに好き勝手書いてたとでも思っているんだろうか。

中高一貫一流校に入ること、東大に入ることがいかに素晴らしく特異なことかが書き連ねてあった。
いや、そこは否定しないよ。
ただ、そこまでで本人がくたびれ切ってしまったこと、親からの期待が重すぎて大学で3年も留年して放校寸前だったことは「本人が感じている」事実。
親が思うほど非凡で素晴らしいなら、入学した中学でもめきめき頭角を現してトップなんじゃないかと思うんだが、本人が感じている通り「やっとのところでひっかかった」ため成績はビリで(誇張なし)、「あなたはそんな出来ではないはず。もっと頑張りなさい」と言われ続けた苦痛の中高生活だった。

子供として家庭にいるのが嫌になるほどの夫婦喧嘩を毎日見せられる「面前DV」と高みを目指すことを強いられる「教育虐待」。
今ではそんな言葉で語られるような子供時代だったと、お母さんにはわからないんだろうな。
「うさこさんに洗脳されて『毒親』とか言い始めた」になってるんだろうな。
毒親育ち同士だから呼び合い、分かり合えるところが多かったんだが。

せいうちは非凡です。それは親が思うのではなく、囲りから私に言われたことです。決して伸びきったゴムではありません
「もっと、もっと」とまだ鞭打っている。

お母さんがせいうちくんの気持ちを全然わかろうとしないこと、せいうちくんとは幸福の基準が違うと認めないことが悔しく悲しいし、それを息子としてお母さんにはっきり伝えられないのももどかしい。

特に「うさこさんが事実と違う事を書いていた」あたりはひどい誤解だとせいうちくんが電話で訴えたところ激昂し、
「あなたはうさこさんうさこさんってあの人ばっかり大事なんだろうけど」とわめき始めた。
最後は怒鳴り合いになっていた。
せいうちくんは生まれて初めて母親に「うるさい!」と怒鳴ったという。
40年遅れの反抗期はちょっとすっきりしたんだって。

「男の子は特に、つくづくきちんとした反抗期がないとダメなんだなぁ。うちの息子はちゃんと反抗期が長いことガッツリきててよかったよ。おかげで今じゃ親のこと思いやってくれるぐらいだもんね。僕は親不孝だと思うけど、それは母親が思ってるような意味でじゃなくて、ちゃんと大人になれてないって点なんだよ…」としょぼんとしてた。
これからどうなるのか、50代息子が80代母親に反抗する我が家の「8050問題」。

20年9月23日

息子の配信を見る。
週に2回顔を見られていたのが、最近は週末は芝居の稽古に忙殺されているらしく、顔を出さなくなった。
なので、水曜の機会は貴重。

彼のコントグループで演者・脚本をやってるUさんの大ファン。
今日の配信では久々にUさんが「お題をもらって15分でコントを書く」をやってくれた。
最初の世間話で、最近夜眠れない彼女が朝方しょうがなくミロを飲むって話を聞いて、励ましたく思い、お題として「強い子のミロ」を投稿する。

驚いたことに彼らは「強い子のミロ」というキャッチコピーを知らないらしい。
「宣伝文句ですかね?」
「ミロってそんなに選民思想の強い飲み物なんだ」とひとにぎわい。
確かパッケージに書いてあったと思うんだが。

タイマースタートで書き手のUさんが15分の苦行に入ったあと、Nくんと息子とでおしゃべりをして間を持たせてくれる。
この2人はあとでできたてほやほやのコントを演じる演者さんでもあるのだ。
まあ予想通りミロの話から始まり、息子のトークによると、
「子供の頃運動系のおけいこ事をやっていた人って多いじゃん。練習終わるとさ、ミロ飲んでるやつが必ずいるのよ」
N「ええーっ、そこでミロを牛乳に溶くんですか?」
息子「いやいや、牛乳のパックみたいなやつに入ったミロ売ってんのよ」
N(生まれ育ちが関西方面)「売ってるんですか!いや~、ミロの東西の事情は違うんですね~」
息子「そいでね、オレは恐ろしい統計を出しちゃったんだよ。おけいこ事のあとミロ飲んでたやつら、全員何らかの形の金融関係の仕事してる!」
N「ひえ~!そいで、強い子のミロ飲んで金融関係の仕事してるその人たちが、大人になってミロが切れて、パスワード流出させたりしちゃってるんですか…」
息子(しみじみと)「ミロはねぇ…大人になると、効き目が切れるんだよねぇ…」

このヨタ話を聞いてる間中、我々は息子の柔道仲間の顔ぶれ特に小学生時代のとかを必死で思い出しつつ、そん中で金融関係の仕事してる子っていたっけ?そもそも何で息子はその子らのその後を知ってるわけ?柔道仲間や短い間のスイミング仲間と、そんなに今現在交流あるの?と大混乱。
最後、息子は相変わらず面白いかどうかすれすれの作り話をしてるんだろうなぁとの結論に達した。
ウソをつく、それは人間にのみ許された知性の最高の発露である。

それ以外にも関西のあちこちに住んだNくんの高校は南禅寺の裏で部活のランニングは哲学の道だったとか目のくらむようなうらやましい話を楽しませてもらってるうちに、Uさんの産みの苦しみは終わった。
出来上がったコント、「お題は『強い子のミロ』、タイトルは『強さ』です」と紹介されたものは短くよくまとまっていて面白かった。さすがUさん。

しかし、いつものUさんのファンタジー的なかわいらしさがあまりない、ちょっとシビアな雰囲気だった。
最近あまり眠れないんだと言うUさんが心配。
我々が息子と同じように大好きで関心を持っているこの若い人たちの一群は、才能があるだけにこれからいろんなことで苦労すると思う。
自らの野心が重すぎたり望んだ道を思いがけなく外れるのを余儀なくされたり、あらゆる挫折に襲われるかもしれない。
息子を見守るのと同様、彼らの歩む一歩一歩を見ていきたい、応援したい、道半ばで倒れたとしても最大の敬礼をもって送りたい、そんな気持ちでいっぱいだ。

彼らは、コントを「人間に必要な栄養素。自然に受け入れられておいしくて、力が湧いてこなきゃ」と言い切る。
そういうものを作り続けている限り、君たちの力が尽きることはないはずだ。
今日も明日も明後日も、良質な笑いを作り続けてくれ。

20年9月24日

生まれて初めてTwitterでブロックされた。
いや、全然発言しないROMなユーザーで、相手とも直接の交流はなくただ知人の妻であるというだけでフォローしていたのだ。
その夫婦がこのほど離婚したらしく、また妻側は夫をブロックしたようで、ついには夫の関係者で自分と直接友人でない人は全部ブロックすることに決めたのだろう。

もう会いたくない、消息も知られたくない、しかし自分の活動は制限したくないからアカウントに鍵をかけるのは嫌だ、となればかかわりを持ちたくない相手をブロックするのは普通のことだろう。
Twitterを使いこなす友人知人の中には思想派の論客に勝負を挑み、コテンパンに言い負かそうとしてしまいにブロックされることを武勇の誉れとする文化もあるかに見える。つまりブロックってのはそうたいした出来事ではない。

しかし私はいまだにネット人格に慣れていない。
ブロックされたことを「嫌われた」「避けられた」とネガティブに受け取ってしまう。
息子によく、
「お母さんは気が小さすぎるしネットに慣れてないから、刺激の強いSNSは避けた方がいいんだけどなぁ」と注意されている。

大昔にアルフィーのファンサイトで失言をして白い目で見られ、こそこそと退会した時から変わらない。
今思えば、しょせん仮名のネット人格、本体の自分はちょっとずれた別の場所にいて傍観して時間が過ぎるのを見てればよし、何だったら名前を変えてまた入会したってよかったのだ。
そういうことに慣れないと、ネットの海は泳げない。

会ったことのない知人の元妻を想像し、ある世界をシャットアウトして次のステージに行った彼女の幸いを祈る。
残したい古い信頼できる友人たちに囲まれた新しい人生がそこにはあるんだろうから。
本当に、これは一厘の嫌味もない、心からの思いだ。

20年9月25日

あいかわらずものすごく調子悪い。
私が自分の母や姉のことで落ち込んでいる時はせいうちくんが快刀乱麻を断ち切ってすっぱり「うさこは全然悪くない。気にしないこと!」と言い放ってくれるんだが、ことがせいうちくんの問題となると、本人もぐじゅぐじゅと割り切れない気持ちらしいし「せいうちくんをあやつってそんな気分にさせている」と非難されている私だって気分は落ち込む一方だ。
こうして2人で「アカン状態」になっているのが一番アカン。

昨夜たまたまいつものMessenger飲み会になったので、毒親問題の大先輩である長老に愚痴をこぼしたら、いたく明るく、
「ヒステリー母ちゃんにはトランキライザーを飲ませろ。介護と遺産の問題でもめたら家庭裁判所に持ち込め。家裁は意外なほど役に立つぞ。なんでも他人を介入させろ!」とのありがたいお言葉。

家族愛が強く親孝行なGくんは終始苦い顔をしていたが、
「せいうちさん、母親に怒鳴る前に、まずうさこさんに怒鳴って練習しろ。あんた、およそ他人に怒鳴ったことないだろう。そんなんでいきなり母親に怒鳴ろうったって、無理無理」と実践的なアドバイスをくれた。
大戦の時日本人は最初は敵が撃てなかったが、その後「人型の人形」を撃つ練習をして人を殺せるようになったのだそうである。
なるほど、歴史とはためになるものだ。

私が落ち込んでいることについては、2人そろって「せいうちダンナがしっかりするしかないなぁ」とのこと。
人間はなぜ、産み育てた人を畏れ敬うようにできてるんだろう。
そう育てられてるから、ってのも気がついてきてはいるんだよね。
少なくとも我々2人の母親は、「母親の愛情に勝るものはない」「子供ほど大事なものはない」を連発してきたもんなぁ。
自分が母親になってわかったけど、子供について一番大事なのは「保護すべき相手ではあるが別の人格」ってしっかり認識することだと思うよ。
絶対に、所有物じゃない。自己満足のための装置じゃない。

さて、今夜もzoom飲み会だ。
今度いっぺん真面目に考えなきゃと思うんだが、新型コロナ以降の半年間、ネットで人と話す機会が増えすぎてかえって自分の言葉を失ってきているようなところがある。
「多く考え、少なくしゃべり、さらに少し書く」について考えてみよう。
そのうち、この頭のもやもやが晴れたら。

20年9月26日

例によって昨日の晩はくらぶのzoom飲み会。
途中でまた全裸で現れたIくん、
「あ、酒切れたんで買ってきますわ」としばらく抜けて、やがて缶トリス持って戻ってきた。
「おまえ、ちゃんと服着てコンビニ行ったんだろうな!?」
「いやー、股間にこれ張って行きましたわ」と見せてくれたのが筆ペンで絵や文字を書く趣味のあるIくんによる「ゾウの顔」。
さすがに5秒でジャージ上下とか着て行ったと思いたい。

「わし、もうアル中ですわ。でも山口メンバーより全然マシ。くさなぎメンバーですから」と言われて笑ってていいんだろうか。
ものすごく笑える全裸ネタで、大喜びの長老から盛大に「座布団5枚!」とか飛んでいたけど。

あいかわらず彼女の画像のgifを背負って登場のHくん、非常に無口なので、こちらから振らないと決して語り始めない。
しかし、いったん語り始めるとその重低音の勢いは時に大きく間をあけながらとどまるところを知らない。
最近は下ネタにも目覚めて要注意だ。
今回、誰も彼に話題を振ってあげなかったので、40分セッション3回を通じてほぼ沈黙を通し、やがて消えていった。
申し訳なかったかしらん。
「ところでですね」とか自分で強引に突破口を開くしかないと思うんだよね。

飲み会はまあ早めに終わって、翌日も午前中には起きて普通の生活を試みる。
しかし我々の気持ちはちょっとふるわない。
お義母さんから「うさこさんはパソコンで事実と違う事を書いているので、たいへん憤慨した」「うさこさんはせいうちのことを全く知らない」と書いた手紙をもらったせいうちくん、少なくとも私の書いている姿が自分もそうだと思っている姿だって点と、お母さんと自分の価値観が全然違うのに同じだと思われているのは苦痛だという点を訴えるべく、電話をかけたのだ。
これがまあ、非常に不調に終わったと言うか、有り体に言って罵倒されまくって最後の最後まで話は通じず、しまいに遅れてきた反抗期を発動したせいうちくんも怒鳴って、「はいはい」と冷たく言ったお義母さんのセリフで終幕、であった。敗色濃厚。

夕方から勃発したGくん主催のMessenger飲み会で毒親問題の大先輩である長老と顔を合わせたのを幸い、そんな事どもを訴えてみる。
最近よくある場面だなぁとは思う。デジャヴ感がハンパない。

20年9月27日

せいうちくんのお母さんから電話がかかってきた。先日の話の続きらしい。
「せいうちは私のことをお金のことばっかりって言うけど」と始まったので、てっきり「もちろんお金がすべてだなんて思ってない」って主張が展開されるかと思っていた。
ところが、お義母さんが語るのは、いかに自分が困窮した生活を送ってきたか、夫が自分に給料を渡してくれなかったか、生活のために働かざるを得なかったか、の強烈な訴えだった。

誤解のないように注釈しておくが、せいうちくんのお父さんは特に飲む打つ買うをするわけでもない高給取りのサラリーマンで、社宅に住みやがては郊外に家を買い、子供たちは中高一貫の学校を受験して通い、はたから見れば平和な家庭にしか見えなかっただろう。
お義母さんも別に何度も離婚を考えたとか家出を試みたとかではない。
むしろ、子供だったせいうちくん側から見ると、お義母さんがいつもお義父さんを怒鳴って罵倒し悪口雑言の限りを尽くしていた「面前DV」家庭で、お父さんは無関心にヘッドホンで武装して妻の金切り声を聞き流していただけだったそうだ。
夫に非があるとすればこの「無関心」だったかもしれないが、それは夫婦の問題であり、子供が50代にもなって訴えられる筋合いのことでもないと思う。

今は我々よりも、ましてや我々の子供世代よりもよほど裕福な生活を送る年金世代からそんなこと言われたってなぁ。
「家庭生活の平和が大切だとかせいうちは言うけど、私だってゆとりがあればそうしたかったわよ。お菓子作ってごちそう作って一家団欒がしたかったわよ。そんな余裕はなかったのっ!」
一家団欒なんて、夫婦が仲良くしてて普通に生活するお金があって、「今日は王将の餃子買ってきたよ!」って言えたらすぐに成立しそうな気がするんだよ。

これほど価値観が違い、しかも絶対的に自分が正しいと思い込んでいる人とどうつきあったらいいのだろう、と2人して頭を抱えている。
友人にこぼしたら「認知症の始まりでは?」と言われたが、せいうちくんによればこの50年、ほぼ変わらない性格なのだそうだ。

せいうちくんと私は毒親育ち同士だから引き合ったんだと思ってはいたが、毎日がこんなに怒声に満ちていたとは想像していなかった。
(うちの母もよく怒鳴ったり手を上げたりしたけど、それより理詰めに存在を否定してくるのがつらかった)
わずかなかかわりしか持たない私が「お義母さん、上品な人じゃないの」と言うたび、「いいや、まったく!」と否定されるのが不思議だったが、
「お金以外のものなんてクソの役にも立たない!」と怒鳴るのを聞いてしまうと、長年一緒に暮らした人の言う方が正しいもんだと思わされる。

上皇后美智子さまが皇太子妃となられる時に、「乏しい力の全部をあげてあたたかいホームを作ろうと決心いたしました」とおっしゃったのを思い出す。
せいうちくんが私といるのを好きだと言ってくれる以上、幸せにしてあげたい。
私は彼にとても幸せにしてもらっており、その幸せを実感できないのは自分の構造上の欠陥のせいなので、幸せの形を描いて見せてくれることのできるせいうちくんにはそれを具現化してあげたい。

20年9月28日

とりあえず一番手っ取り早くせいうちくんのためになれたことがあった。
分厚いアルバムをたくさん送りつけられてしかも自分の写真がそれほどあるわけじゃないのにはがすのに大苦労したため、すっかり頭に来てしまったせいうちくんが処理し終わったアルバムをゴミ袋に突っ込んでそのままごみ集積所に持っていこうとするのを必死で止めたのだ。
もう廊下まで出てたのを、拝み倒して腕をつかんで引きずり戻すようにいったん思い直してもらった。

私「誰かしら人が写ってるやつとかは私がスマホで撮ってデータにするからさ。もったいないじゃん、せっかくの過去の記録を」
せいうち「『処分する、もう欲しい人は取ったあとだから好きなの勝手に持ってっていい』って言われてるんだよ。後は捨てるだけじゃん」
私「まあまあ。物を捨てるのは簡単だけど、あとから惜しいなーって思うこともあるじゃん」
こうして8冊のアルバムが入ったゴミ袋はうちの空間に置いてある。

せいうちくんが本当に蒼ざめたのは、お義母さんの電話をもらったあと。
最後に怒鳴るように言われたのだ。
母「アルバム、返してよ!まさか捨ててやしないでしょうね?まあ、どうせ私たちにもいつかはいらなくなるものだけど…欲しいもの取ったら送り返して」
せ「あのさ…僕が欲しいものはもらって、糊が強いからはがした跡が相当汚いことになっちゃってるんだけど、それでもいいの?」
母「それはしょうがないわよ。返してくれればいいの」
せ「僕がもらった写真は、電子的にスキャンしたあとは捨てちゃうつもりだったんだだけど、それはかまわない?」
母「は?どういうこと?全然わからない。あなたが取った写真はもういいわよ。残りを返してよ」

この問答のあと、せいうちくんは死ぬほど胸をなでおろし、私を抱きしめて、
「うさこは神だ!すべてお見通しだった!うさこの言う通りにしなかったら大変なことになるところだった!!」と叫んだ。

ちっ、だらしないな、それでも「これから30年反抗期に入ろうとする息子」かよ。
反抗期の息子なんてものはね、捨ててないものでも「あんなもん、捨てちまったよ!」って言い放つものなんだよ。
試しに言ってみればよかったのに。
うちの豚児なんか、中学校の授業で作った紙ぺら1枚のマンガがよくできてるってほめたら、いきなり窓を開けてベランダの向こうの川に向かって放り投げたぞ。
ひらひらひら~っと風に乗って、川面に飛んで行ったぞ。
それぐらいのこと、してみろってんだ。

まあ、こっちも早合点で悪かったんだよね。
私が亡くなった母の写真をもらったのは姉や母の友人たちが欲しいものを取ったあとで、母自身ももういないわけだから持ち主がいないものだったのよ。
「うさちゃんが欲しいもの取ったら、残りは捨てていいから」って言われたんだよね、当然。
処分係だったわけ。
それと同じ感覚でやっちゃったのね、せいうちくん。

いやー、人の一生をしまうなんてこれまであんまりやったことなくて、これからは散々やるんだろうけど、お義母さんも慣れてないもんだからまだ「すべてはゴミになる」の境地に達してないわけだ。
他人の気持ちに配慮する、これは大事なことだよね。
せいうちくんに私がついてるってのはやっぱり天の配剤だと思うよ。

20年9月29日

息子との家族zoom会でいろいろこぼしてしまう。
「仲のよい親戚関係を提供できなくて申し訳ない」とせいうちくんが苦しそうに謝ったら、
「ものじゃないんだからさぁ」と笑っていた。
息子も小さな頃から時々連れて行かれた祖父母宅の雰囲気や人となりは彼なりに理解しているらしい。 
「後悔しないようにつきあえばそれでいいんじゃないの」とあっさりしたものだった。

ただ、娘の出産時の事故について「私がついてさえいればあんなことにはさせなかった。それを思うと今でもくやしくて」と言われたのは聞き過ごしにできない。
経緯はともかく、最終的には有名な病院でモニタをつけた状態でお産を待っていたわけで、急に心音が下がったことにも緊急の帝王切開になったことにも避けようのある原因や他の選択肢はなく、執刀医もお義母さんタイプなら喜ぶような「お産の神様」と呼ばれる高名な産科医だった。
これのどこを、「私(お義母さん)がどうにかしようがあった」と思っているのだろうか。

家族一同、この放言と、「うさこさんの実家がフォローすると言ったから安心だと思ったのに、その後何もしなかった。母親と娘と言えばきょうだい同然。その子供を育てるのに何の手伝いもしないなんて私には信じられないわ」との、それこそ事実と違う発言にも非常に感情を害している。
母と私の関係がうまくいっていなかったためそれはそれで問題は発生していたが、そこはせいうちくん両親側の知ったことでないし、実際何も知らなかった。

私の両親に電話をかけてきて、
「娘のお産は女側の実家の責任。こんなことになってどうするつもりなのか。今さら援助を頼まれてもうちもお金がなくて何もしようがない。障害児なんてこれからどれほどお金がかかるかわからないのに、援助はできない」と主張したことにも言いたいことがたくさんある。

① なんの援助も頼んでいない。「お産がこういう結果になった。今後も心配かけるだろうけど、よろしく」と挨拶しただけ。
② 「お金がない」としたら都心にマンションを買う計画があったせいとお義父さんが子会社の社長になるかどうかわからないから、というようなレベル。生活に困っていたわけではない。
③ 生まれたばかりで、これからどんなお金がかかるか考えるような段階ではなかった。そして実際には福祉に助けられ、普通の育児以上に費用がかかったとは思わない。

私の両親も亡くなっている今、「向こうから文句の電話がかかってきた」ことになっているが、こちらではせいうちくんの親側から電話があったと実家から聞いている。
お義母さんは何か言われて黙っている人ではないので、もしそんな電話を受けていたら当時我々にぶちまけなかったとは考えられない。
当時その種の訴えがなく今頃言い出しているってことは、長年の間に都合よく記憶が「電話をかけた」から「電話された」にすり替わってるんだと思う。
第一我々の記憶は当時から一貫して上記の通りなのだから。
(ああ、この頃に日記をつけていなかったのが悔やまれる。正直、日記どころじゃなかったのだ)

たとえ私の母親が何もしてくれなかったとしても、そのことでお義母さんに何か迷惑がかかったのだろうか。
我々は、ただの1回でも娘の育児についてせいうちくんの両親に頼みごとをしただろうか。
まったく、なんの迷惑もかけていない。なにもしてもらってはいない。
ただ、「何かしろと言ってきても、できませんから」と事のはじめに言われただけだ。

たいがいのことには鷹揚で「ま、お互い気のすむようにすればいいんじゃないの」とクールな姿勢を崩さない息子も、姉の件だけは譲れないものがあるらしい。
「もし目の前で娘ちゃんについてそんなようなことを言われたら、その場でひっぱたいてやる」と、彼にしては強い調子で言っていた。

様々な意味で、我々は怒っている。家族一丸となって、かつてなく怒っている。
「あの時はそういうことじゃなかったでしょう」とせいうちくんが詰め寄っても、
「またそうやってぐちゃぐちゃ言う。あなたは細かくてややこしいことばかり言うのよ。屁理屈」と一蹴する人に、生活をかき回されたくない。

ただ、そんなどす黒い話を息子にいろいろしてしまったせいで、後悔と自己嫌悪が襲ってきて夜中に苦しむ羽目になった。
まだ起きているらしい息子にSOSを送ってしまった。
「つらさが襲ってきちゃったよ」
彼の返事は、
「ありゃ。大丈夫だよ。誰もあなたの尊厳を傷つけることなんてできないよ」
どうして私の欲しい言葉が一発で出てきたんだろう。

「驚いてつらさが逃げて行ったけど、まだそのへんをうろついてるやつが2、3匹いるので、もうひと声」と頼むと、
「あなたの好きなもので、あなたの好きな人で、世界は構築されているんだよ。その世界では優しさが水のように流れ、傷つけることをひどく嫌う。心だけでもその世界に浸っていきましょうや」
もう、号泣ですね。

それでもまだ人を呪い呪われた感覚が消えず、また弱音を吐く。
「苦しい。六条の御息所にとり殺された葵上はこんな気分だったのか。それとも私が六条の御息所か。あなたが描いてくれた清浄な世界には今いない」
返事は、
「大丈夫。ゆっくり呼吸して、隣のお父さん見て、もっかい呼吸して、天井見上げて、『きっついなー』って呟いたら楽になると思う」
確かに楽になった。この人はどうしてこんなことを知っているんだろう。

最後の迷惑。
「母さんのこと、好きだよね?母さんは好かれる資格があるよね?」
「大好きだよ。自分と他人が違う正義を持っていることを知ってて、それ由来で優しいから」
ここまで魂レベルで慰められたら、寝るっきゃないよね。

いやー、息子、占い師とかでも食っていけそう。
相手の求める言葉を瞬時に紡ぐ。
それが不誠実だって意味じゃなく、誠実で思慮深くなければできないことだ。あと、そこそこの言語能力。
全部持ってるので、何かしらで食っていけるだろうとあらためて安心した。

そして、実家とは心情的に縁を切ろう、とせいうちくん。
子供として必要な行動はもちろんするけど、先を見越して彼らの心配をしても、老人ホームを探してくれと言われて奔走した過去2回の出来事さえ、「私は最初から入りたくないのにせいうちがどうしても入れと言った」「せいうちの言うとおりのところに入っていたら破産するところだった」と事実とは違うふうに記憶がすり替えられてしまう。
何か起こるまで、手を出すこと自体が無意味。

せいうちくんも私も、こんな無味乾燥な親子関係しか築けなかった。
お互いのぬくもりしか頼るものがない。
今では施設で娘を静かに平和に守ってくれる周囲のサポートや我々サイドに立ってくれる息子の存在が救いになっているが、長い道のりだった。
 
ただ、闇夜に横たわる私を一番追っかけてくる恐怖は、
「自分にとって我慢のならないことがあるから息子にそれを訴えて何とかしてもらおうと思うのでは、悪い魔女と何ら変わらないのではないか」という心臓を締めつけてくるような根源的な問いかけだ。
歴史は繰り返すのかなぁ。

20年9月30日

通院日。
話を聞いてのドクターのお義母さんへの診立ては、
「人格障害。自分のことしか考えていない。子供のことを本当に考えていたら言えるはずのないことばっかり言ってる。迷惑だね。言ったことは片端から忘れてる、ヒステリー性の人格乖離だよ」とばっさり。

このところの義家族問題で眠れずかなり憔悴しているので、またしても強めの薬をもらう羽目になってしまった。
肝心の私自身の問題は今日のところは棚上げだ。

しかし、はっきり落ち込む問題があるってのも悪くないね。
生きてるのがイヤになる点は同じだが、自分のせいではないような気がする。
こんな事柄を目の当りにしたら誰だって人生が楽しくないだろう。
「楽しいはずの生活が楽しめない」のと違って、「困ったな、こりゃ」の方がマシだってことかも。

なので元気出して、家で仕事してるせいうちくんの分もテイクアウトのランチを買って帰る。
リクエストはカオマンガイ。私はいつものパッ・タイだ。
スープもミニ春巻きもちゃんとついてくる。
お店も頑張っているなぁ。

毎日いろいろ話し合っているが、今回の事件のおかげであらためて自分たちが人生に感謝することを知っている幸運な人間であること、これからも少なくとも自分自身の家族を守って行く決心を2人でとことん言葉にして、互いを見つめることができた。
「あなたたちは自分たちさえ幸せならいいんでしょう」と言われても、自分自身と配偶者さえ幸せにできないようでは誰のことも考えられない。
万能でない以上、優先順位というものがある。

幸い今日は息子の配信日だ。
彼の顔を見てなごんで寝ようと思って22時にYouTubeつけたら、配信は5分遅れるとアナウンスが。
Twitterによれば息子と私の大好きなUさんと美声のNくんの組み合わせのはずなので、楽しみに待つ。

ところが、始まってみたらUさんとNくんの2人しかいない。
言いにくそうに2人が語るところでは、リーダー息子にどうしても連絡がつかないらしい。
配信すっぽかし?
Twitter見ると3時間前には22時配信のお知らせを息子がリツイートしている。
その時点では今日配信があることを忘れているわけではなさそう。
じゃあどうしたんだ、事故?

あらゆるよくない想像が頭をよぎりまくるが、とりあえず配信を見続けた。
本当はNくんと息子がトークしてる間にUさんが台本を即興で書く、という番組のはずが、遅れた5分の間に必死で相談したんだろう、普段は書き手じゃないNくんも参加して、2人で話しながら台本を画面上で共有して1本を仕上げる、って形にしてきた。
もちろん演者も2人が担当。

「ご覧になってる方からお題をいただければありがたいです」と言われ、思わず「失踪」と送ってしまった。
「お題いただきましたー!『失踪』です!」と2人がラフアイデアを互いに書き込み始める。

いなくなる
かけおち
リーダーを探す(夢?)

などなど。やはりリーダーの突然の不在は気にかかるらしい。
結局「かけおち男女のコント」を見事に作り上げた。
2本やって配信が終わり、本気なのかジョークなのか、
「では、このあとリーダーを探しに行ってまいります!」とNくんがイケボで締めて終わった。
我々が送ったメッセージにも既読はつかない。
いったい何があったのか。

様々な可能性を考えていると、自分たちが思っていたよりはるかに息子の「存在」に依存していたことに気づく。
彼の命が失われたら、生殖など考えも及ばない娘しか残らない我々には子孫を得る機会は永遠に訪れないのだ。
もちろん息子が元気でいようが今カノジョがいようが将来我々に孫ができる担保には全然ならないし、そもそも子孫が欲しいと特に考えてはいないつもりだったのに、にわかにうろたえる。
やはり我々もばかばかしいほど人の子、いや、人の親であったのか。
こう考えてると、せいうちくんのお母さんが横暴なのも許さねばならんのかもと思えてくる。

明日いっぱい連絡が取れなかったら少なくともカノジョに様子を聞いてみようかと相談しながら、悶々と眠ろうとする0時近く。もちろん私は眠れる気がしない。
Messengerがポーンと鳴った。息子か!?
息子だったー!

「ごめんね、心配おかけして。体調悪くて寝入ってしまった」
我々はともかく、配信すっぽかしていいと思ってんのか。プロとしてあるまじき行為だろうが。
「最低でした」
そりゃそうだろう。メンバーによくよく謝るように。
我々に連絡するより早く、もうとっくに謝ってるか。

風邪気味なんだったら早く治してね。コロナでないことを祈るよ。
未来へ続く種子としての息子の貴重さが再認識された夜だった。

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