20年10月1日

知らぬ者とてないだろう「赤毛のアン」をもとにカナダで制作された「アンという名の少女」というドラマが今、アツい。
NHKで毎週放映してるのを見ていたが、Twitterを見てるとマンガ家のふくやまけいこさんなどははるか先まで観ている様子。
「なんでだろう?」とせいうちくんに聞いたら、「Netflixとかでやってるんじゃないの?」

これがビンゴで、すでに第3シリーズまで進んでいるようだ。
NHKではまだやっとグリーンゲイブルズに落ち着いたところなのに。
これは週末に見まくるぞ~と気合を入れ、今はとりあえずアニメの「赤毛のアン」を見る。
この春、BSで全話録画したのだ。

野良飲み会で会ったGくんがちょうど「アニメ1ヶ月無料」のチャンネルに入ったとのことで「赤毛のアン」を見まくってると言っていたせいかもしれない。
「オレは話を読んだこともないんだが、あんたや女子のMさんなんかはずいぶん騒いでたな。やっぱり読んでるのが当たり前なのか?」と問われて、思わず胸を張り、
「赤毛のアンシリーズ全10巻、この数年で2巻増えて12冊を全部持っており、読んでおります」と自慢する。

お金のかかることはしたがらない彼なので、
「英語でよければiBooksでは全巻無料配布してますよ」と教えてあげたら、ひと言、「あんたは英語読めるのか」。
いやこれはただの質問というもので、こっちが勝手に恥じ入って巣穴に逃げ帰ったってだけなんですが。

「赤毛のアンシリーズ」はねぇ、世界中に大ファンがいるだろうから今更私なんかの語ることは何もないんだが、今回のドラマ「アンという名の少女」の子役ほど「アン」にふさわしい少女は見たことがない。
燃えるような赤毛、夢見るような人の心を見通すような大きな緑の目、感じやすそうな口元、骨ばって細っこく伸びやかな身体、いわゆる「不器量」だがくるくる変わる表情。
リンドのおばさんの言う悪条件とそれ以上のスペックをすべて備えている。

脚本も現代的で、アボンリーの人々の意外なほどの狭量さ、よそ者を怪しむ気持ち、孤児という身元不明の寄る辺ない存在に対する冷たさが克明に描かれているのも初めて見る。
「紫水晶紛失事件」の濡れ衣を着たアンは原作通り自分の部屋に閉じこめられたりせず、そのままノヴァスコシャの孤児院に送り返されるが戻る気になれず、外で夜を明かしたあと駅で詩の朗読をして小銭を稼ぐ。
汽車賃にして、父と母が自分を生んだ土地に帰ろうと思い立ったのだ。

夜通し馬を駆り、荷馬車に乗ってアンを追ってきたマシューがついに駅でアンを発見する。
「誤解だったんだ。戻ってくれ」と懇願する彼に、
「紫水晶が見つかったんでしょう?だから迎えに来たんでしょう?また誤解が起こったら、また追い出すんでしょう?」と言い放つアンは、グリーンゲイブルスに置いてくれさえしたら何でもすると言った、ホームを切望する少女ではなかった。
彼女自身を受け入れてくれる場所を探す、ひとりの人間だった。

そんなアンの心を溶かしたのは、「なんだなんだ、もめ事かい?」と男たちが集まった中でのマシューの叫びだった。
「わしの…わしの娘なんだ!」

アンはグリーンゲイブルスに戻り、心の動揺を見せまいとするマリラの本心にもやがて気づき、心からの和解をする。
そして、これまた原作にはないシーンとして、木苺のジュースで乾杯したのちカスバート家の「家族聖書」に「アン・シャーリー・カスバート」と署名して、家族の一員となるのだった。
(ここで「コーデリアも入れていい?」とくるのがいかにもアンらしい)

さて、これからどうなるのか。
ダイアナはアニメ派のせいうちくんもうなずく配役のよさだったが、ギルバートはジョシ―・パイはルビー・ギリスはチャーリー・スローンはステイシー先生は、と楽しみは尽きない。
今週末はぜひこのアンの生活をNetflixで追いかけるつもり。

20日10月2日

会社はお休みだが朝からテレ会議があったようで、後始末も含めて終わったのは11時。
街まで散歩に行って昼食を食べようって約束だったが、私はすっかり行く気をなくしていた。
「今から行ってももうランチタイムで混んでるし…お日さまが高くなって暑そうだし…」

しかしせいうちくんも伊達に私と長年暮らしてはいない。
「天丼食べたら美味しいだろうなぁ。それに、Amazonの配送センターに返送品を持ってかなきゃいけないんだった。Suicaもこないだ空になっちゃったからチャージしないといけないし、そうそう、セブンイレブンに息子の芝居のチケットも受け取りに行かなくちゃね。歩いて行ってSuicaチャージして、帰りはバスにしてバス停前のセブンでチケット受け取ったら完璧だよね!」

うー、私はこういう「お使いイベント」に弱いんだってば!
全部順序良く、完璧に仕上げるのが人生の目標になっちゃうの!
気がついたらリュックをしょって靴を履いてマスクをしてせいうちくんと歩き出していた。

まあどっちにしろお散歩はいいんだ。
足を鍛えないとこのひざの状態では早晩歩けなくなっちゃうし、人工関節の手術も避けたい。
大腿四頭筋とやらを鍛えるぐらいしかできることはない。

それでも昨夜の薬が残っていてふらふらした状態って久しぶり。強い薬飲んでるんだなぁ。
1時間近くかけて天丼屋さんについたら、ラッキーなことにほとんど待ちのお客さんはいなかった。
そのあとはもう、すごい勢いですべての用事を遅滞なくこなし、ブックオフでも存分に狩りをする充実ぶり。
最後の最後に家のそばのセブンでチケット受け取って、すべてのミッション完了!
冷たい水風呂に入って汗を流し、アイスティーを飲んで、せいうちくんは夕方からの会議に備えて昼寝をしている。
私は買った獲物の整理中。

「母さん元気ないから」と息子が来週様子を見に来てくれるらしい。
ついに彼の勤めるパチンコ屋がつぶれ、ダブルワークの片割れ、居酒屋の職を失った後も細々と稼いでいたのに、これで堂々たる失業者になってしまった。
市役所に何かお願いをしに来るついでもあるんだろう。住民票はまだこちらにあるから。
そろそろ実住所と住民票を一致させた方が便利なんじゃないかと思っているが、用があると来てくれるのがありがたくて、なんとなく先延ばしにしているのが現状。

さて、今日もくらぶのzoom飲み会だ。
こんなに毎週毎週ほぼ決まった8人のメンツで飲んでいて、本当に精神衛生に悪い点はないのだろうか。
今日は長老が電波の届きにくい別荘に行っているので、ギガが減るのを嫌がって音声のみで参加してくる可能性が高い。
誰か、珍しい人が来ないかなぁ。

20年10月3日

相変わらず強い薬をのんでふらふらしている。
そしてさらに相変わらずのZOOM飲み会はいつものメンツで粛々と。
Hくん、堂々と下半身の話を始めちゃったし、今日は突撃レポーターのYちゃんがいたから取材もまた強烈で、こんな話を聞き続けていたらどうなっちゃうんでしょ。

息子が遊びに来るって。
水曜は配信があるから遅くまでは無理だね、と言ったら、
「家でやってもいいから、泊まれるよ」とのこと。
こないだ家で生配信やったあとの消耗と不機嫌を見たので、生芸人にはかかわらない方がいいとは思うものの、まあ少しゆっくり休ませてのんびり映画でも見て過ごせば、別のタイプの面白い展開になるかも。
こないだは配信終了後すぐに帰んなきゃいけなかったのがストレスを増したのかも。

20年10月5日

心臓の主治医からインフルエンザの予防接種は打っておいた方がいいと言われた。
しかしそのクリニックでは高齢者の患者が多く、割り当てのほとんどを使ってしまうのだそうだ。
早めに申し込めば余りを打ってもらえるかもしれないが(そうなの、私はいちおう高齢者じゃないの)、直接解禁日に予約の申し込みに行かねばならず、とても面倒。

近所の非常に流行らない内科で去年インフル打ってもらったことを思い出し、電話してみた。
「あ、うちは打てますよ。予約もいりません」
なんなんだ、この軽さの違いは。

せいうちくんはコロナが流行るかものこの冬にインフルの予防接種もキャパオーバーになることを恐れており、自分も会社で予約をしてあるが、私にもぜひ打っておいてもらいたいとずっと気にしていた。
だから、今日やった実のある作業は、近所の病院にインフルエンザの予防接種を打ちに行ったこと。
予約もいらなくてすいていてすぐに打ってくれる。
主治医でありながら「うちではワクチンの数が限られていて、申し込みをしていただかないと」(しかも電話とかじゃだめで、書類書きに来いって)という態度のいつもの心臓のクリニックはインフルエンザに関する限り用無しだ。

あっさり打ってもらって、夜、お風呂に入ろうとしてびっくりした。
打った左の上腕が、赤紫色に腫れあがっているのだ。
外に出る用事もないからと10年以上打たずにいたら、去年も直径10センチぐらい赤く腫れた。
まあ様子を見よう
いずれにせよせいうちくんにとっては、今日行ってきたのはとても嬉しかったらしい。

もう一点、用事があったんだよね。
2週間ほど前にあった尿道炎の症状がまた出てるの。
抗生剤とワーファリンの関係で、5日のんだら数値を測りに行かねばならんというたいそう面倒な目にあった。
その時はほとんどワーファリンの血中濃度は下がらず影響なかったので、今回はちょっと横着をしてしまった。
その流行らない内科で「尿道炎の症状があります」とだけ言って抗生剤をゲットし、心臓のクリニックでワーファリン値を測るのは3週間近くあとだ、なんとでもなるだろう、と高を括った。
無事症状は治まりつつある。ほっ。(良い子の皆さんは真似しちゃダメですよ)

考えるより動くせいうちくんの話。
ノートPCとメインPCを同期させる作業をしてる間、デスクの長辺に座ったり短辺に来て座ったり、PCの位置に応じて座る場所をちょこちょこ変えては鞍馬天狗のように飛び回っている。

「私が短辺で使ってたからこっちに置いてあったけど、作業の間だけでもノート移動させて2つ並べて、同じ椅子で作業したら?」と提案したらとても驚かれた。
全然考えつかなかったそうである。
私だったら椅子を2か所転々と動き回るより、まず作業環境を整えて腰を据えてやるんだけどなぁ。
ますます前世は荷役獣かと思えてきたよ、この人。

20年10月6日

せいうちくんは久々に出社していった。
たまりにたまった新刊マンガを会社の人の席に置いて、向こうの出社日に奥さんの待つ家庭に届くようにしてくれとか、お参り用のお菓子を買ってきてくれとか、息子のプレ誕生日を祝うトップスのケーキをぜひ、とかさまざまな願いをしょっての出社である。
もちろん一番は仕事しに行ったんだが。

そうそう、クリニックの看護師さんに聞いたら、腫れあがるだけなら心配はいらないとのこと。
高熱や吐き気があったら来院してください、って。
とりあえず、放置。

20年10月7日

最近私が元気ないので、息子が遊びに来てくれた。
夜のコントグループの配信も家でやって、泊って行ってくれるって。
前は「朝起こすのが死ぬほど大変で面倒。起きるのは自分の家でやってくれ」って気分が強かったけど、最近は何だかすっと自力で起きるようになった。
数年前まで「あと5分」「あと3分」「あと10分」(ここで急に延びる!)となるのが標準体制だったのに、泊って行ってもそう不愉快な思いをすることはなくなった。

でも約束の昼近くなっても来ないから「家で寝てるのとか、やだよ」と電話してみたら、
「あれっ?今日、何時だっけ?」
どうも彼の頭の中では、
1. 昼ごろ 来て昼食
2. 18時ごろ せいうちくんの仕事が終わったらお世話になった方にお線香をあげに
3. 20時 生配信
4. 21時過ぎ 夕食

と伝えてあった予定が、途中でお線香が入ったために「2」から始まる、つまり夕方に行く、という考えになっていたらしい。
「夕飯の水餃子にはチャーハンの残りの白メシつけるよ」んだから昼始まりに決まってるじゃないか、と思うのは細かすぎるだろうか。

でも私があんまりがっかりしたから大急ぎで飛んできてくれて、1時間ぐらい遅れただけですんだよ。
こういうとこも優しくなったね。

昼休みの間にチャーハンとマーボー豆腐とスープ作ったせいうちくんは仕事に戻り、息子が来て、
「やっぱりうまいなぁ、お父さんのチャーハン。マーボー豆腐もすごくうまい!」と嬉しそうにたくさん食べていた。
あとは私とおしゃべりして過ごした。
「なんか映画とか見ようか」と誘われたけど、
「母さん、最近すごくストレスがたまってるの。お願いだからしゃべらせて」と懇願したら、「もちろんいいよ!」って話し相手をしてくれた。

「散歩行こうか」って言われたから、近所の病院がすごくすいてて予約なしでもインフルエンザ打ってくれるって話したら、いたく興味を持った様子。
「今日、打っていこうかな」
前は言っても言ってもなかなかワクチン打たなくて、おととしなんかA型インフルとB型インフル両方かかる律義さだった。
人間って、本当にだんだん大人になるんだなぁ。
早い人、遅い人、もしかしたらあんまりならない人もいるのかもしれないが、皆、その人なりの道筋に従って少しずつ大人になっていくのである。感心した。

私もついて行って、彼には初めての病院だけどインフルの予防接種は初診料かからないんだそうだ。ますますよろしい。
あっという間に打ってもらって、息子は何だかぼーっとした顔になって感心していた。
「システマティックだ。流れが速い」
うん、なぜか全然流行ってない病院なんだけど、とても助かるんだよ。

せいうちくんの仕事が終わったら3人で一緒にお線香をあげに行く。
息子が小さな時からお世話になってきたシッターさん「おばちゃん」のダンナさん「おじちゃん」は3年前の昨日突然亡くなってしまったのだ。
70そこそこの若さで朝起きたら配偶者が隣の布団で冷たくなっていた、という理不尽な目にあったおばちゃんだが、今でも明るくあちこちを飛び回って人々のお世話をしている。

息子が小さい頃は自宅で寝たきりのお母さんを介護していたからあまり外には行けなくて小さい子たちを預かる仕事(というか、もう天職)をしていたけど、今ではヘルパーさんを始めて同じ団地から遠くの独居老人まで手広く面倒みてる。
そんな風に人の面倒を見るのを生きがいにしているおじちゃんとおばちゃんに私たち家族はどれだけ助けられたかしれない。
今年もおじちゃんに手を合わせに行こう。

去年は息子がNYに行ってる時期だったからいなかったし、今年はちょうど命日の翌日にうちにくるんだから、これはぜひご挨拶に行かなくちゃ。
おばちゃんとはよく電話で話してるんだって、息子。

「おじちゃんにお参りさせてね」と小さな団地の箪笥の上の仏壇を長いこと、本当に長いことじっと手を合わせて拝んでいた。
亡くなって3年たつのに、仏壇には色とりどりの花がこぼれるように飾られ、お手紙やお供えが置かれてあった。
本当に人に好かれ、人のために生きてきた人なんだろう。
我々も順番にお線香をあげたが、息子はおじちゃんとどんな話をしたのかな。

台所の椅子に座って4人の楽しい集いをした。
息子はおばちゃんに、
「あと10年待ってて。必ずちゃんとしたものを見せるから」と約束していた。真剣な目だった。

「人間はねぇ、元気で、友達がいて、身の丈に合った生活をしてればいいのよ。それが何より。幸せは人によって違うんだから、自分の思うようにすればいいの」と明るく言いながらお茶を入れてくれるおばちゃんの言葉に、涙が出た。
実の親から、また実の祖父母からそういう教えを聞けたら息子はどんなによかったろう。
しかしまた、血縁者だけが人生の教師ではないと思い、あえて多くの人と接する人生を歩いてもらったつもりもある我々としては、いちおうの成功を見たってことで。

おばちゃんのおかげで、息子は保育園のころから私よりずっとずっと顔が広かった。
街で知らない人から、
「あら、息子ちゃん、今日はお父さんとお母さんとおでかけ?」と楽しそうに声をかけられたことが何度もある。
私が寝込んでいてせいうちくんが遅い日に、全身にぶわっと出たじんましんをおばちゃんとやはり息子を預けていた看護師長さんがさっさか病院連れてって処置してくれて、せいうちくんが迎えに行った時にはもう薬までもらってきていたこともある。
成長につれてお金を払ってお願いすることがなくなってからも、一緒に旅行に連れて行ってくれたり親戚との東京ツアーに同行させてくれたり、楽しい思い出をたくさん作ってくれた。

今回も熱烈にご飯を一緒に食べようよ、と誘ってくださったが、息子が帰って配信をしないといけないからまたの機会に。
きょうだいのように育った幼なじみもいるし、頼もしいお兄ちゃんと優しいお姉ちゃんだったおばちゃんちの実の子もいる。
みんなでご飯食べたら楽しいだろうね。
ちょうど帰りがけにその「優しいお姉ちゃん」が近くの新居からお母さんの様子を見に来たので、タイミングよく会えたのもよかった。
「息子く~ん!元気そうだねぇ~!」とお姉ちゃんも大変喜んでくれた。

7、8分車に乗って帰る間にも息子は、「聖人だねぇ。おじちゃんも本当に優しかった。あんなに優しい人は見たことがないぐらいだ」と感に堪えぬようにつぶやいていた。
「おじちゃんと長いことお話ししてたね」
「うん、亡くなった時にも、きっと一人前のコント師になるって約束したよ。今日も、これまでのこととこれからの計画や考えを報告しておいた」

帰り着くと生配信まであと30分ない。
慣れないWindowsを使うマック信者には気の毒だ。
書斎にこもって気合を入れてスタンバイし始めたので、こっちは晩ごはんの水餃子の支度。
せいうちくんがにんにく、しょうが、ニラを刻んでひき肉と混ぜようとしていたが、はたと、
「そうだ、まず白菜をゆでて刻むんだ。いかんいかん。完全に手順を忘れているぞ」
そうなんだよねー、2年半前に糖質制限始めてから大好きな水餃子と長らくご無沙汰。
最近はかなりいろいろ大通しになってきてるが、とりあえずごはんと麺とパスタと小麦モノはあまり食べない。
(それで板チョコ3枚一気食いなんかしてるから、8キロも減った体重はほぼ戻ってしまっている)
今日は息子の好きな水餃子。
食後にはトップスのケーキも3日早いバースティサプライズに隠してある。
もっとも彼は家にくるとまず冷蔵庫を開ける癖が抜けないのでトップスはあっという間に発見され、「うれしい~」と声が上がっていた。

さて、テレビの前のちゃぶ台で皮を広げて餃子を包むか。
本来7人のコントグループなんだが、番組にはその時々で何人、誰が出るかわからない。
いちおうリーダーの息子は毎回出ていたようだが、11月に演劇の舞台に立つので土日が練習でつぶれ、土曜の配信には出られなくなってしまった。
そのせいか、最近は水曜と金曜の2日に配信しているらしい。
コロナが始まったころは週3回やってたんだけど、さすがにみんな忙しいんだろう。

問題なのは、先週3人でやるはずの配信を息子が「体調不良で寝入っていたため」、連絡もつかないままにすっぽかしたことである。
なにしろ1時間の配信のテーマは「15分でコントを書き、それを演じる」なのだ。
いつもは3人以上がいて1か2人がお題をもらって15分で書き、残り2人以上で15分間のおしゃべりDJ役をつとめ、台本ができあがったら演者に早変わり。
それが先週は息子がいないから書き手のUさんが書くのに没頭しちゃうとNくんずっと独り言行ってなきゃいけないから、苦肉の策で画面共有して2人でお題に取り組む、というスタイルになっていた。
これを2本作る。
「来週は20回記念です!ずいぶん長いこと続けてきましたね!」と記念イベントをするほどの勢いだったのに、息子のせいで全部台無し。

で、今回は誰も都合がつかなかったのか、今週はなんと息子1人。
これは彼の懺悔であるのか、それとも罰ゲームであるのか。
1人で15分間、書いてしゃべって考える(しかも書くこととしゃべることを別々に考えるのは不可能に近い)という、脳みそが3つほしい状態。
頑張れ、責任払いだ。

そもそもうちのメインPC使ってるんで、いきなりZOOMで私がこないだ使った大海原の写真をしょって出てきた。
「なにこれ、背景、海なの?これ、消えないの?どうやって消すんだ?」とか苦しんでるから、そっと書斎の扉を開けて匍匐前進し、息子に「ビデオ」のボタンで「バーチャル背景」の中から「NONE」を選ぶことを指で示す。
そしてしずしずと退場だ。

息子が「ちょっと寒いからシャツ貸して」と着てったせいうちくんのシャツ姿で配信に出てるのは面白い。
ほとんどコントにならなくてショートストーリーどまりだったのは頭が忙しすぎたからだろう。
くたくたになって書斎から出てきた息子を囲んで、さあ、水餃子だ!

ちなみに貸したシャツは翌朝そのまま着てってもらいました。
「もう何年も服なんか買ってないなぁ」とか恐ろしいこと言うから。
Tシャツも我々のグアム土産を着てきてくれたんだけど、朝シャワー浴びた時に着替えたくなったらしく、せいうちくんのミッキーTシャツ着てったそうな。
ディズニーはブランドものだから高いんだぞ。
こうやってせいうちくんのいい服はどんどん息子の古い服に置き換えられていくのだろうか。

いろんな話をしたあと、いつものように「映画見ようか」となった。
息子の希望は「紅の豚」か「風立ちぬ」、私が三谷幸喜の「ラヂヲの時間」をあげてせいうちくんに3択を迫ったら、
「そりゃあもう、『ラヂヲの時間』でしょう!」とのこと。
息子は12年ぐらい前に1度観たきり。
我々は2、3年に1回観てもう6回はくだらない。
なぜかものすごく好きな映画なんだ。

3人並んで鑑賞。
うちの映画鑑賞会はあまり静かではない。
「これはあんまりだ」「おかしすぎる」「出た、マルティン神父!」など思い思いに声を上げるし、何なら会話も始まってしまうのだ。
前に見たときはショービズ界にかかわると今ほどは思っていなかったせいなのか、もう見る目が一般人とは違うのか、いろいろニッチなところに反応していた。
しかしね、「0時ちょうどにちゃんと番組始まるんだよね」なんて感心は困る。
君らの配信はたいがい数分遅れて始まる。

せいうちくんは仕事があるから途中で寝たが、息子と私は最後まで観た。
もう2時近かったので、息子はクロゼットから布団を引きずり出してリビングの床に敷き、勝手に寝る構えだった。

せいうちくんの寝てる寝室に戻った私は、なんだか急にいろんなことが心配になってきた。
私は息子にくだらないことばかりしゃべって軽蔑を買ったのではないか、人に悪意あることを口走り、心の汚い人だと思われたのではないか、ありとあらゆる心配が押し寄せてきた。

リビングに戻ると息子が布団に寝転んでタブレットでマンガ読んでた。
「母さん、あなたに嫌われないかしら」
「なんで?!」かなり本気で驚いたらしい彼は、「楽しかったよ!」とハグしてくれた。

しおしおと寝室に戻り、せいうちくんのベッドにもぐりこむ。
「ん?映画終わった?息子はもう寝たの?」と聞かれたら、急に我慢ができなくなり、おいおい泣き始めてしまった。
「幸せすぎて、こんなの続くわけなくて、きっと私にはバチが当たる。恵まれすぎてる。息子はきっと私を嫌いだ」などと言いながら。

あんまり泣き声がうるさかったんだろう、息子がやってきた。
今日、両親の子供のころからの痛みや悩みを聞いて、特に私の病に共感してくれた彼は、
「母さんにはつらいことがたくさんあったから、今もつらいんだね。あっち行ってタバコでも吸おう」
そう、10年以上前に禁煙したんだが、最近は息子が来てる時だけ一緒にタバコ吸うのが楽しみで、今日はついに彼のマルボロは強すぎるからという理由でマイメビウスを買っておいたほど。
しかもほとんどひと箱吸ってるし。

泣きじゃくる私が、
「人の悪口ばっかり言った。心が汚い。あなたに軽蔑される」と訴えると、彼はからからと笑った。
「人間なんてそんなにきれいなもんじゃないって。オレなんか、さっきマスかいた」
これは、思わず涙も止まるよね。
「なんで?」
「感情がたまったら放出する。それが人間だよ。母さんも放出すればいいんだよ」
「女性だから難しいけど、例えばこうやって泣くとか?」
「そうそう、それでいいの。オレは母さんが大好きだよ。愛してるし、尊敬してる。だから自分を嫌いになることなんてないんだよ」

「ドクターが言うには、母さんは生まれたころのケアが十分でなかったせいで、感情の機能が壊れちゃってるんだって。生きてることが楽しいとも生きていたいとも思えない、感じられない。そう感じる機能が育ってないから」と話し、せいうちくんも私の家族がどんなだったか、ついでに自分の家族の話もするのを、息子はうんうんと理解した目で聞いてくれた。

「だから、こうしてあなたと同じことで喜んだり笑ったり思い出を語ったりすると、人と何かを共有できるのが最大の喜びだって思えるの」と話すと、息子は急に少し楽しそうになった。

「不謹慎かもしれないけどさ、こんな時間にこのメンバーでこういう心の話をしてるって、すごい『いい時間』って感じしない?オレは、とっても嬉しいし、楽しい!」
そう言われたら、私も楽しくなっちゃったよ。

コント師の彼のことだからすべてが本当じゃないだろうけど、こういうイリュージョンで人を幸せにできるのもいいと思う。
私は今夜、生まれて初めてといっていいぐらいの晴れ晴れとした気持ちになって、ぐっすり眠れそうだ。
せいうちくんと息子、そしてここにはいない娘を通して、自分が生きていることを実感できた。

20年10月8日

朝早く、私が珍しく熟睡してる間に息子は仕事に出かけたらしい。
パチンコ屋も今度つぶれるので今はもう撤収作業みたいな仕事だって。
ただ、今度は失業保険がもらえるのがこれまでよりましなところ。
11月の舞台が終わったら、また仕事を探すって。

昨日の残り餃子を焼いて食べながら、せいうちくんと息子はぽつぽつと話をしたらしい。
息子のいろんな言葉を教えてくれた。

「お母さんはつらい人生を送ってきたんだんなぁ。そのことがよくわかったよ」
「俺はもう大人だから、ぶれずにお母さんとつきあっていけるよ」
「昔はお母さんが怖かった。いつも薬で不安定だったから」
「夕方家にいると、お母さんと2人の時間が怖かった。様子が変だったから。薬のせいで話し方がおかしかったりどろんとしてたんだね」
「でも今ではお母さんがつらかったことがよくわかる。だから大丈夫だ」
「テレビで見るような様々な事件にはこのような深い根っこがみんなあるんだろうな。そこを見なければならないね」

そして最後にきついひと言。
「でも、今のお母さんを支えなきゃいけないのはお父さんだよ。(義実家のことで)オレは火の粉をかぶってるんだからな。しっかりしてくれよ」

夜中に息子と魂の触れ合うような話をしたせいか、私の眠りは深く、寝顔を優しい目で見つめてくれて彼が帰ったのも気づかなかった。
ところが、起きたらいきなり高熱。
38.5度ぐらいで始まったのが1時間もたたないうちに39.8度まで上がった。ほぼ40度じゃないか。
インフルの腕は相変わらず腫れており、「高熱や吐き気があったら来てください」と言われたのを思い出す。(吐き気も少ししてた)

一方どこかで、心のどこかで「息子に会ったせいでコロナ?!」と不安が沸き立つ。
昨日会いに行ったおばちゃんへの連絡、11月の息子の舞台、頭がぐるぐるする。

病院に電話して熱を伝えると、30分後の来院を指定された。隔離診療のためらしい。
すでにせいうちくんとは家庭内隔離を始めているし、仕事もあるので1人で行くことにし、ふらふらして歩ける自信がなかったので、近いこともあり自転車にした。(足に力が入らない時、案外自転車のほうが便利。とにかく早く着く)

すぐに横手の部屋からカーテンのかかった奥にあるベッドに通され、体温計を渡される。
38.4度まで下がっていたが、熱特有のしんどさは消えない。
看護師さんに声をかけて「横になっていていいですか?」とぐでんと寝る。
タテになってるの、無理。変な汗出るし。

しばらくして先生が来た。
「一昨日インフルエンザの予防接種を受け、腕がひどく腫れたので昨日お電話したところ『大丈夫でしょうが、熱や吐き気が出たら来てください』と言われ、今日になって高熱と吐き気があるので来ました」と説明する。
腕の腫れはたいして驚かれなかった。
「けっこう腫れたね」
「ワーファリン飲んでるせいかもしれません」
「ああ、じゃあそうでしょう。インフルエンザってことはないと思いますよ。まだそんなに流行ってないし。おなかにくる風邪が意外と高熱が出るんですよね」とおなかをあちこち押す。
気持ち悪いとこが確かにあるなぁ。

「じゃあ、胃腸薬と風邪の薬を出しましょう。解熱剤持ってます?」
「カロナールもらってます」
「ああ、それならワーファリンに障らなくていいですね。1日3回、6時間以上間をあけて服用してください」
「コロナってことはないですか」
「ないと思いますが、熱が続くようなら検査をしましょう」
「人工弁を入れていて心臓に基礎疾患のあるハイリスク患者なんですが」
「ああ、なら明日の朝37.5度以上熱があったら来てください。PCR検査します。今日の分はもう終わってしまったんですよ」

という会話で終わって、薬をもらって帰った。ふらふらした。
その間中せいうちくんと息子の間でMessengerがぶんぶん飛んでいた。

外に出て体が冷えたのがよかったのか、帰ったら37.8度ぐらいに下がっていた。
いやな汗もかいたし、水風呂に入る。
私は水冷式で熱を下げるスウェーデン方式なんだ。

薬を飲み、布団をふくふくとかけてのんびり休む。
せいうちくんは心配そうに時々寝室をのぞきにきて、熱でだるい足をもんでくれるが、基本今日は仕事が無茶苦茶忙しいらしい。内憂外患。

息子がカノジョの分のケーキも、せいうちくんからわけてもらったアトピー用塗り薬も忘れていったので今夜車で届けようと思っていたのに、全くそれどころではなくなってしまった。

息子からは盛大に「お大事に!」メッセージが飛んでくる。
「すごくたくさん話をしたから、知恵熱が出たのかもしれないよ」と言うと、
「そうか、知恵熱か」と笑っていた。
「ゆっくり休んで」って。

そのあと、Messengerで、
「あなたとあんなにいい話し合いができたから、人生ここまででも構わないかなと思った。でも熱が下がってみると、まだまだこれから楽しいことがたくさんあるよね。また遊ぼう」と送ったら、
「僕も同じようなこと考えたけど、すぐさま、『いやいやいや!足りない足りない!』って思ったよ。また遊ぼうね」って返ってきた。

「我々は本当に考えることが似ていて嬉しいよ」
「ね」っていい会話で締めて、ゆっくり休んだ。

寝るころには37度台になっていて、全然PCR検査とは縁がなさそう。
でもちょっとヒヤリハットな出来事だった。
自分が企図しない死に一番近づいた気がした経験だったかも。

20年10月9日

激しく熱が出て疲れたせいか、ばったり眠れた。
と思ったのもつかの間、やはり3時間後に目が覚める。
無理もない、せいうちくんも疲れたし今夜は早寝しよう、って言って電気を消したのが22時なんだもん。

起きたのが1時過ぎだったか。
すっかり良くなっていて、ただ熱が通り過ぎたあとのだるさや節々の痛みが残っている。
本の整理をして過ごし、6時にせいうちくんが起きるのと入れ替わりのように寝た。

息子からの電話で目を覚ましたのは9時。
病院が開く時間だからだろう。
昨日の夜の段階で「37度7分まで下がっちゃったよー」とは伝えておいたが、やはり心配してくれたらしい。
せいうちくんが、
「僕が責任をもって知らせなきゃいけなかった。心配かけて申し訳ない。もう大丈夫だから、君も体に気をつけて頑張って」とか言っていた。

昨日はせいうちくん、仕事も相当立て込んでいて、もしうさこがインフルだったら、最悪コロナだったら、病院にはどう連れていくのか荷物は何を、といった思考と仕事を何とかする頭とがせめぎあっていたらしい。
死んだように眠ってたわけだ。

私も今日は安静に過ごす予定だったが、自律神経失調症が悪化したのかいやな汗をだらだらかくのと頭痛がおさまらない。
熱が残った足がむずむずして痛くてだるい。
横になっていられなくて、結局1日書斎のせいうちくんの横で過ごした。
もうじき仕事が終わって週末が来る。
今度こそのんびりする!

20年10月10日

息子の誕生日。
先日遊びに来た時にトップスのケーキにローソクとバースディチョコつけてもらってそれでお祝いしたから、もう終わってる。
いちおう夜中の0時過ぎにお祝いメッセージは送っておいたよ。
よしながふみ「きのう何食べた?」のケンジみたいに、誕生日になったとたんに祝いたいタイプなんだ。
カノジョがお祝いに予約してくれた都内のホテルにお泊りしてるはずだよ。
今日も明日も芝居の練習だから、稽古場に近い場所にとってくれたんだって。仲良しだねぇ。

先週の突然の高熱、すっかり平熱に戻ったと思ったものの、まだ37度ぐらいに上がる。
昨日のZOOM飲み会も早々に抜けて早寝してしまった。
お休みの今日は午前中にガス報知器具の交換があり、午後一番にマンションの査定の不動産屋さんが来た。
そのどちらもベッドの中にいた体たらく。

急に寒くなり、体調を崩しやすいのが冬のならいとは言うものの、今年は皆さんぴりぴりしてるんじゃないかな。
医療機関にあまり負担をかけたくもないし、自分の健康は自分できちんと管理せねば。
インフルエンザの発生率はすごーく低そうだが。

せいうちくん伯父さん(お母さんのお姉さんのお連れ合い)が亡くなったとお母さんから連絡があった。
家から火葬場に行くだけの直葬らしい。
最近はそういう簡素化されたお葬式が多いと聞く。
お花と弔電を送ることにした。
優しくて、親戚では一番好きな伯父さんだったのだそうだ。
どうもせいうちくんは、母方の畳屋一族の方にシンパシィを抱いているらしい。
「おじいちゃんもおばあちゃんもすごくいい人だった」といつも言っている。

私の母方の祖父母は母が結婚するはるか以前に亡くなってるから当然会ったことないし、父方も祖父の50代でのがん死で疎遠。
イトコハトコとか生存はしてるんだろうけど、ほぼほぼ知らない。
血縁が薄い。
せいうちくんの両親もあまり社交的でないみたいで、親族会とかある人が信じられないようなうらやましいような。
例外的にせいうちくんの従姉とは仲良くしてるが、アメリカ在住なので滅多に合わない。
息子が渡米した時にたいそうお世話になった3世代の大家族で、いい環境なんだよね。

友人で、自身の親は毒親だったが配偶者の家族がものすごく仲の良い温かい人たちだったため、結婚してから親族の良さを知ったと嬉しそうに語る人がいる。
妻の実家での酒盛りは盛大で楽しいのだそうだ。
せいうちくんにそういう思いをさせてあげられなくて、申し訳なかったなぁ。
2人で寂しく身を寄せ合っている状態だ。
せめて長年の友人をたくさん共有してることで良しとしてもらおう。
娘とは彼女の障害ゆえお話ができないけど(息子は「心でお話してるよ」と言い切る。すごい)、子供たちが元気に30代近くなっていくのは軽い驚き。
息子から細々と家族が増えるのかなぁ。それを見るためなら長生きしてみるかなぁ。

20年10月11日

せいうちくんの伯父さんの直葬にあたって、棺に入れるお花と弔電を送ることにした。
そしたら長年会っていなかった従弟くんからお礼の電話がかかってきた。
もう20年ぐらい話してなかったらしい。
私の実家も親戚付き合いが薄いんだが、せいうちくんの方もなかなか驚くべき薄さ。

互いの近況も交換していたようだが、印象深かったのは伯父さんの末期の様子を聞かせていただいたこと。
末期ガンだったが入院してしまうと新型コロナのせいで会えなくなっちゃうからと在宅で通し、一人っ子独身の従弟がご両親と同居していたのと皮肉ともいえるがコロナのおかげでテレワークだったため、自宅で看取ることができたという。
最期は30分ほど昏睡状態が続いたが、耳は聞こえているからと医師に言われたのを心の支えに一生懸命手を握ってお父さんに話しかけ続けたそうだ。
そのおかげで非常に安らかに逝かれたらしい。

スピーカーホンで聞かせてもらっていて、涙が出た。
私もその時が来たらそんな風にせいうちくんや息子に送られたいなぁ。
こないだ自分の死ぬ時の理想の姿をイメージしてしまう、と息子に話したら、
「変わった趣味だね。オレはあんまりそういうの考えたことないかなぁ」と冷淡に言われたが、彼がまだまだ若いせいと、私が「人から大切にされるのは死ぬ時ぐらいなもんだろう」的な思考に偏りがちだからだろう。

20年10月12日

葬儀社の人にお願いして棺に入れるお花を出してもらった伯父さんのお葬式、無事に終わったかと思ったら無事じゃなかった。
従弟の人から「お花をいただきありがとう」とお礼のついでに言いにくそうに言われたことでは、せいうちくんとお母さんの分を遺族側で建て替えているのがちょっと聞いてる話と違う、とひっかかってるようだった。
よくよく聞いてみると、お義母さんは実際に筆頭遺族である実の姉と「あとから清算するから立て替えといて」と話がついていたのでノープロブレムなんだが、せいうちくんの分は聞いてなかったので「あれえ?」と思ってとりあえず払っておいたそうなのである。

せいうちくんには葬儀社の方から請求書が来ることになっていたんだが、ととりあえず大謝りに謝って、直接従弟の口座に振り込ませてもらうことにし、彼との間ではひとまずおしまい。
だが葬儀社に対しては「頼んだことと違うし、そもそもお葬式で忙しくて大変な遺族に立て替え払いを頼むなんてことがあるだろうか?!」と無駄にいきり立つせいうちくんをなだめる。

お義母さんも出席しなかったようだから、姉を慰めに後日お線香をあげに行った際に支払うつもりで立て替えてもらうってのは十分あること。
あなたが確かめるべきは、葬儀社からさらにこっちに請求書が来て二重払いにならないか、葬儀社の方で本当に間違いがあってあなたの分までご遺族に立て替えさせたのかの2点だ、と諄々と説く。

「そうか、そこは気がつかなかった。まずは葬儀社だね」と(なんで気がつかないのだ)さっそく週が明けて月曜に電話をしてみたら、せいうちくんからお花を頼まれた担当者が出て、請求書をせいうちくん本人に回すよう処理した件、よく覚えています、何があったか葬儀の現場担当者に確認します、とのこと。

それでわかったのは、やはりお義母さんは実際に当事者であるお姉さんに立て替え払いを頼んでおり、その際、せいうちくんとお母さんの名前が似ている(漢字4文字中3文字まで同じである)ため、「ああ、ご親族のどなたかだからご一緒なんだな」と安易に合計の立て替え払いをお願いしてしまった、ということらしい。
話を受けた人も謝り、間違えた現場担当者もせいうちくんに謝罪の電話をよこし、喪主である従弟さんにも失礼の段お詫びの電話をしてくれたそうで、八方丸く収まった。
従弟とせいうちくんなどは、トラブルがあってメールのやり取りをした分、長年会っていなかった距離が取り払われて親しみが増した模様。
これから会うとかするといいね。

「うさこの言うとおりに葬儀社に聞いてみてよかった。うさこはいつも正しいね」と喜ばれると「あんたいつも会社でどんな風に仕事しとるんかい」と言いたくなるよ。
それに、本当はまずお義母さんに「こんなことになっちゃってるんだけど、どうなってるの?お母さんは立て替えを頼んだの?」とフランクにさっさか聞けない現在の関係がややこしい。
伯父さんのお葬式の連絡をもらった時も最低限の会話で、お互い腹を立ててしこり切ってる雰囲気がただならなすぎる。

人数の多いきょうだい同士の仲が良い友人が義弟となり、「せいうちんちは親戚づきあいがなくて驚いた」と言われていた彼らの新婚当初はまあいいとしても、今や「せいうちって人間が、そもそも冷たいんだよな」と数年に一度顔を合わせた際に言われてしまう仕儀になったのは情けない。
「友人を1人失った。親に言われるままに紹介とかしなければよかった」とせいうちくんの後悔は果てしなく、うちでは「他人の縁談の世話は絶対しない」が家訓となった。

娘が生まれて障害が残ることがはっきりした頃で、茫然として心が弱くなっていたせいうちくんがお母さんから、
「親戚にああいう子がいては見合いの話なんか来ない。妹が結婚できなくなってもいいのか。あなたが責任もっていい人を紹介しなさい」と言われたため、ふらふらと義務感に駆られて仲介したのが間違っていた。
いや、その2人が結婚したのが間違いなわけじゃなくて、そこに我々が心から心配したからでもないのに中途半端に関与したのが良くなかった。
勝手に知り合って結婚してくれたらよかった。

つくづく心が弱くなっていたよなぁ。
娘にも失礼だった。
「そんなことで見合いしてくれないような家と関わると、あとから苦労するよ。最初からご縁がないほうがいい」とお義母さんに言い返すべきだった。
やはりいまだに悔やんでいる。

当時はなりたてほやほやの「障害児の親」で腹が座っていなかったのと、まさか実の親からそんな言葉を浴びせられるとは思わず呆然と動いてしまったのが良くなかった。
いや、もっと悪いことに我々は怒っていたかもしれない。
友人の中でもかなりクセの強いオタクな人物を「これでどうだ!」とぶつけたらびびってやめといてくれるのではとの意地の悪い期待があったかもしれない。
でもまとまっちゃった。
幸せな夫婦ばかりでもないと30年かかって知った今では、ああ、やはり他人の縁談に口をはさむべきではない!

20年10月13日

先週突如出た高熱のせいで、唇にぷつぷつと水泡ができた。
熱の後ではこういうことが誰にでもよく起こり、実家では「ねつのはな(熱の花?華?)」と呼ばれていたような気がする。
せいうちくんによればこれは口唇ヘルペスなのだそうである。
彼は昔、明らかな症状を医師に見落とされたために1週間入院するほどのひどい目にあったことがあり、この件についてだけは大変用心深い。

誤解されては困るが、ヘルペスは性病ではない。
帯状疱疹(たいじょうほうしん)とも呼ばれ、神経に沿ってウィルスが悪さをして痛みを呼ぶ、上皇后美智子さまだってかかる病気なのだ。(だから何?)
単純ヘルペスウィルスにいったん感染するとウィルスが脳の三叉神経節にとどまり、熱や疲れ、ストレスなどの身体の不調により発症するのである。
単純ヘルペス以外に口唇ヘルペス、性器ヘルペスがあるせいで、性病の誤解を受けるのであろう。

しかしまあウィルスなので、一緒に暮らしていれば伝染(うつ)る。
せいうちくんがどこでひろってきたのかはわからないが、いつの間にか私も息子もヘルペス持ちだ。
娘は今のところ免れてる気がするけど、単に施設の健康管理のレベルが高いから発症しないのかもしれない。

高熱で主観的には死にそうな思いをして1週間入院したせいうちくんは、特に口唇ヘルペスの症状に異常に神経質になった。
お医者さんでもらえる「ゾビラックス」という特効薬があり、実際これを塗るとあっという間に症状が治まりひどいことにならずに済むので重宝しているが、実はこの小さなチューブをややたくさんタンスの引き出しに隠匿しているのだ。

今回、私も世話になったから悪口はあまり言いたくないものの、これからの30年ばかりの一生でいったい何度口唇ヘルペスにかかる機会があるというのだろうか。
そして、小さなチューブとはいえ1本使い切るのにヘルペス10回分はかかろうと思われる薬をそんなにため込む必要が本当にあるとでも思っているのだろうか。
こういう人に日頃から「ものをため込みすぎ。捨てなさい」と時にはきれいな箱や袋をとっておいたのを勝手に捨てられてしまって悔し涙に暮れているので、たいそう理不尽で割り切れない思いでいっぱいだ。

息子の生配信を見ていたら、どうも唇に腫れかひび割れができているようだ。
こんなの、YouTubeに映るZOOMの画面を必死に見て息子の健康状態を気にしてしまう親以外の人間の目にはとまらないだろうから演者としての息子が気にする必要は全然ない。
しかし、とりあえずその日の配信も面白かった旨をMessengerで伝える時に、心配する言葉を添えてしまった。

「ところで母さんはこなだいの高熱の余波で口唇ヘルペスが出たんだよ。父さんが大事に持ってる特効薬ゾビラックスを塗って事なきを得たんだけど、あなたも何やら唇が荒れてやしなかった?ただのひび割れ?もしヘルペスっぽかったらゾビラックス送るよ。すごく効く!」

ちょうどこないだ家に来た時に持って帰りたいと言っていたせいうちくんのアトピー用の塗り薬を忘れていったので、2瓶宅配便で送ったばかりだった。
(「父さんはひと瓶送ろうと思ったけど、母さんが『けちけちしないでふたつ送ってあげなさいよ!』と言いました。母さんは気前のいい人です」と一筆箋を入れてくれるせいうちくんっていいなぁ)
「ゾビラックス一緒に入れればよかった!」とせいうちくんが悔やむことしきり。

しかし私がメッセージに添えたたくさんの薬チューブの写真(題「ゾビラックスなくなる恐怖症の人」)を見た息子は「こんなにいらないでしょ、この薬は!」と返してきた。
そして、息子の唇はただのひび割れなのでリップクリームで治るのだそうである。薬不要。
もう27歳にもなって家を出ている人のことをこんなに心配するのも変だよなぁ。
特に、母親からあれこれ言われるからと言って頭に来ている人は、もっと己を振り返って態度を慎むべきだろう。
「全然違うよ。僕らは関係が良くて仲良しだから、いいんだよ」と憤然とするせいうちくんよ、ならば君ももっと自分のお母さんと仲良くしなさい。

20年10月14日

通院日。
不調が去らないのでまだ頓服として強い薬をもらうようだ。
最近薬の量が増えてきたので、せいうちくんから重々しく、
「すっかり昔の口と頭の回転に戻ったかと思われたキミだけど、最近ちょっとしゃべるのがゆっくりになった」と言われている。
人間として円熟してきたからではもちろんない。

ドクターに先日の息子との会話を話す。
「お母さんはつらい人生を送ってきたんだなぁ。そのことがよくわかったよ」
「オレはもう大人だから、ぶれずにお母さんとつきあっていけるよ」
「昔はお母さんが怖かった。いつも薬で不安定だったから。夕方家にいると、お母さんと2人の時間が怖かった。様子が変だったから。薬のせいで話し方がおかしかったりどろんとしてたんだね」

息子にそんなトラウマを植えつけてしまったのかと思うと申し訳なくて仕方ない、と語ると、ドクターは笑って言った。
「息子、ちゃんと全部わかってるじゃない。きちんと家を出てやりたいことをやれていれば、全然大丈夫だよ」
「彼の幸福は彼にしかわかりませんから、やりたいことをやればいいとは思っています。でもそこに躓きの石を置いたかと思うと怖いんです」
「理知的だね。本人の幸福を一番に考えてあげられてる時点で、あなたは良い親で良いお母さんだよ。心配いらない」

私が夜中に不安定になって「あなたに嫌われる」と泣き出したら、
「人間なんてそんなにきれいなもんじゃないって。オレなんか、さっきマスかいた。人間、感情がたまったら放出すればいいんだよ」と放言された話をしたら、膝を叩いて、
「息子、いいねぇ!そう、あなたも泣きたい時は泣いて、感情を解放してあげなさい」とのこと。
今のところ私の情動は問題アリでも、息子の人生には何の問題もないらしい。

何とか薬をやめたいです、とも言ってみたが、もともと薬を使わない方針のドクターにおいてもこの新型コロナ下の急激な生活の変化とストレスは甘く見ていいものではないと思われるらしく、
「ここしばらくはゆっくりするつもりで薬もうまく使って暮らしていきましょう」とのことだった。

薬局で薬をもらう時、先日「ほうれい線に効く」いうクリームを買わされたんだが、おねーさんたちが私を見るなり、
「あっ、こないだのフェイスクリーム、いかがでした?」と聞いてくれて、さすが高いものを売りつけるだけある立派な売り子さんたちだなぁと思った。
あえて「売りつける」なんて言葉を使うのは、それなりに大きな箱なのでいいか、と思って買ったら箱が巧妙にできていて中身の瓶はものすごく小さく、しかも「ウニの瓶のように分厚くて中身が少なかった」からである。

「効き目があるような気がします。お値段なりのことはありますね。でも、瓶が小さくてびっくりしました」と正直に言ったら、
「そうですよね~。ただ、それほど量を使うものではないので、わりと長持ちしてお得ですよ」と、認めるところは認める、どこまでも好感の持てる売りつけ上手な人々だった。記憶もすごいし。
同じフロアに美容整形外科がある関係で、このような場違いで愉快な目にも遭う。
なんとなく楽しい。

20年10月15日

コロナがいけないのか、せいうちくんの仕事が忙しいのか、テレワークでずっと一緒にいられるのは思ったより身体と精神に悪いのか、マンション買う話が進んでいるのが負担なのか、どれが原因なのかはたまたすべてなのかよくわからないが、とりあえず現状に不満だ。
と言うか、今の状態が耐えられない。

そんな時、一番近くから変えられるところを変えようとしてしまうアグレッシヴ過ぎる性格なので、せいうちくんとの関係から見直してしまう。
これを見直すのをやめるとずいぶん時間と気力の節約になると一生懸命自分に言い聞かせ、とりあえず2人の関係は「良し」として放っとくことにして、家の中の不用品を少しずつ捨てると決めた。

どうせ引っ越すなら、また今引っ越さないにしても数年以内には生活の変化があるはずで、息子が残していったものを片づけたり毎日家で山ほどご飯を食べる人と暮らしていた感覚が残っている食品ストック事情などを考え直すのはいいと思う。
寝具なんかも、もうそんなにいらないんだよなぁ。
書籍を片づけた今、捨てるのをためらう怖いものはもうないはずなのにまだいろいろ惑う。

幸いせいうちくんは物を捨てるのにまったく抵抗がないどころか喜びを感じるタイプのうえ、骨惜しみをしない重宝な人だ。
1日30分を目安に、あちこちの棚をカラにしていこう。
今日は60センチぐらいの高さのクリスマスツリーと写真立てたくさんを捨てた。(写真は取っておいてスキャンする)
そもそも何年もしまい込んでいたようないらないものは捨てる、もし入用になったらその時にまた買う、ぐらいのつもりでいた方が結局いいのかもしれない。
買う喜びをまた味わえることだしね。

と言いながら、Amazonがprimeバーゲンやってたのを見過ごしにできず、新しくイヤホン買ってしまった。
おまけに安くないのにアールグレイのティーバッグ100パック×2を買うのは買いすぎだろう。
いくら3日に1回はアイスティーを入れるのに3パックずつ使うとはいえ、200パック使うのに67回ほど。
いや、めんどくさい計算をする必要はない、1日1個使う計算で、使い切るのに200日!
まとめ買いは決してそうお得なわけでもないのだ。
風味も落ちてしまうだろうに、私もバカだなぁ。

20年10月16日

高橋源一郎の「一億三千万人のための『論語』教室」という本を読んでいる。
論語って断片的にはよく聞く気がするし、「巧言令色鮮(すくな)いかな仁」とか「温故知新」とか「朋(とも)あり、遠方より来る、亦(ま)た楽しからずや」ぐらいは日常でちょっと威張って使ってしまうので、いっぺんさくっと全部読んでおいたほうがいいだろう。(ホントは聖書とコーランも読んでおいたほうがいいところ)
しかしさすがに全部原書で読むのは大変というか、読めるわきゃないので、我らがインテリゲンちゃんに頼ってしまうのである。
いいんだよ、「枕草子」だって橋本治の桃尻語に頼るんだから。

読み進んでいて一番驚いたのは、「子、怪力乱神を語らず」だと思い込んでいた部分が、実は「怪・力・乱・神を語らず」であったこと。
「センセイ(この本の中でゲンちゃんは孔子をこう呼んでいる)はなんについてでも語ったわけではない。センセイが語ろうとしないものがあった。それは、怪奇なこと、暴力的なこと、モラルに反すること、そして神秘的なことだ。この世には、語りえぬものが存在する。あるいは、語るべきでないことが。そのことを誰よりも明晰に、あらゆるものを語ろうとしたセンセイは知っていたのである」

いやー、そういう意味だったのか。そもそもそう「・」を入れて読むものだったのか。
長年ずっと、「怪力乱神」と続けて読んで、「馬鹿力でやたらに暴れる神様なんて怪異現象はないんだから、ありえないことについて恐れたり語ったり信じちゃダメ」って意味だと思ってた。
はー、深いわ、孔子。

心にかかったのはここ。第234番。
「子曰く、与(とも)にともに学ぶべきも、いまだ与に道を適(ゆ)くべからず。与に道を適くべきも、未だ与に立つべからず。与に立つべきも、未だ与に権(はか)るべからず」

これを高橋源一郎は、
「同じ場所で、同じように学んでも、そのまま同じ道を一緒に進んでゆくわけではありません。また仮に、同じ道を一緒に進んでいったとしても、同じ仕事につけるわけではありません。そして、これがもっとも大切なことなんですが、一緒に仕事をしていても、それが何であろうと、いざというとき、運命を共にすることができるわけではないのです」と読み解いた。

息子たちが今一緒にやっているコントグループも、いつか櫛の歯が抜けるようにやめていく人が出るだろう。
コントをやめて就職する人、別の道を行く人、「コント観の相違」…
それは絶対に起こることで、いつか息子は1人になっているかもしれない。
でも恐れないでほしい。
きっとみんな、離れたとしても遠い目的地は同じだろうし、違う場所に向かっていくように見えたとしても、最後は誰もが「善く死ぬために生きている」んだから。

息子も読みたい(しかもデータではイヤで生本がいいと。贅沢な奴だ)と言うので、Amazonから送っておいた。
今、親子で同じものを読んでいると思うと楽しい。
上記の「第234番」を書き抜いて送ったら、夜中というのに「うおー、なんかそういうことなのよ」と返事がきた。
なんかいいとこ突いたらしい。亦た嬉しからずや。
 
まだ読みかけなんだけど、
「朝(あした)に道を聞けば、夕(ゆうべ)に死すとも可なり」
が一番好きな言葉かなぁ。単に死に急ぐ感じが気に入ってるだけだが。

20年10月17日

久々にせいうちくんと街に出る。
散歩のつもりで張り切っていたら雨。がちょーん、となりながらバスで。
行かないよりはいいだろう。
あまりにデスクから動かないせいうちくんは腰痛がひどく、軽い運動をするととても回復する感があるらしい。
筋金入りの引きこもりである私ですら、ここ半年以上の閉塞感や閉じた生活には飽き飽きし始めているかも。

街は意外なほどの人出だった。まるでコロナなんかなかったよう。
みんなマスクをしているのだけが違う。
SF的異世界に迷い込んだ気がする。

行きつけのカレー喫茶も異世界バージョンになっていて、4人掛けのテーブルはなくなって間を離した二人掛けばかりに。
中央の大テーブルには真ん中にアクリル板で仕切りがしてあった。
ちょうど16時からの中休み直前で、ここでオーダーストップになってしまいますが、と申し訳なさそうに言われたがチキンカレーを頼めたし、30分で閉店と言われるのも早食いの我々には全然平気。
他に全然お客さんがいなくて、かえって落ち着けた。
感染対策だろうか、卓上の福神漬けの壺がなくなっていて、「らっきょうと福神漬けの小皿」が50円。
2つ頼んで、久しぶりにここのらっきょうを食べられた。
もうずっと福神漬けだけだったんだよね。やっぱりカレーに合っていておいしいなぁ、らっきょう。

古本屋に行って100円の棚で掘り出し物にたくさん出会い、喜ぶ。
こんなところで原律子にお目にかかろうとは。
500円のユリイカを3冊買った。
詩と思想の本らしいのにマンガへのすり寄りがものすごく、「雲田はるこ」「高野文子」はまだしも「荒川弘」まで手を広げるのはどうなってるのか。
しかも「特集記事」が載る、ってレベルでなくてほとんど丸ごとマンガの話。
私は嬉しいが。

輸入食材店でしゃれたボトルの赤ワインを見つけた、と言ってせいうちくんがいっぺんに3本も買い込んでいた。
飲んだことないものをまとめ買いするとは勇気がある。
実際、小雨の中をリュックに詰めて持って帰ったその1本299円の赤はたいそうスカだったそうだ。気の毒。
アルコールがそもそも飲めないので飲むとなったら好き嫌いなく何でもかぱかぱと流し込む私がいただく用にする。
ZOOM宴会の続く昨今、すぐになくなるだろう。

20年10月18日

中学の同級生CちゃんがZOOM女子会を開いてくれた。
6人(名古屋在住4人、東京在住2人)が参加し、とっても久しぶりの人も2人いた。思えばこの2人とは同じ高校だった。
去年の還暦記念同窓会以来か。
そんなことができたって事実自体がもう、遠い昔の別の世界の話のようだ。
「うさちゃんはこのお正月にクルーズ行ってたんだよねぇ」
「うん、ギリギリで運が良かったよ。今じゃ信じられないねぇ」なんて話す。

それぞれ職場ではどんな風かの話をしていた。
銀行のフロア係のパートをしているMちゃんは、ディスペンサーからお金をバラバラ落としてしまったお客様のお手伝いをしていたら、
「これ、PCR検査に払うお金なの」と言われて真っ青になったのだそうだ。
フェイスシールドとマスクで武装し、向こうさんもマスクしてたとは言うものの、
「今日行ったばかりだから、結果はわからない」と言われ、上長に報告。
何かあったら支店の店員さんを全員入れ替えなければならない、ってとこまで話が進んだけど、結局何事もなく済んだのだそう。
「寿命が縮んだわ~」って。
思わず私も先日40度の熱が出た話をし、翌日には下がったからPCR検査はしてないし、その後もなんともないと言ったらみんな安堵してくれた。

役所勤めのCちゃんは退職して外郭団体に再就職。
しかし芸術ホール的なところの管理なので、今は仕事があまりないそうだ。
テレワークではないので、怖くて車で通っているそう。さすが名古屋。

しかし東京のUちゃんも最近は車で通ってるんだって。どこに住んでるのかな。聞きそびれた。
7月にお母さんを亡くされ、さすがに不要不急とも言っていられない、とかなり東京―名古屋間を往復したらしい。
今は一人暮らしのお父さんが心配、とのこと。

結婚式場にお勤めのRちゃんの話を聞いて驚いた。
土日ごとに4、5組が行われ、100人規模の式もあるそうな。
さすがは冠婚葬祭、特に結婚式にすべてをかける名古屋らしい話。
やはりマスクでバリっと武装してるが、なにぶん宴席なので、お客さんは最初はしていたマスクもすぐに外して宴会モードになり、なかなか気が抜けない模様。

Wちゃんはお勤めはやめて趣味のお稽古事をいろいろやっていたが、コロナでヨガなどの運動系は難しくなり、ZOOMレッスンを受けたりもするんだって。
月に1回「マクラメ編み」を習いに行ってるとこないだも聞いたんだが、さてマクラメ編みってどんなんだっけ。
その前はビーズをやっていて、手先が器用なうえに多趣味なWちゃんだ。

多くの人が現在80代後半から90歳ぐらいの親の介護問題を抱えており、大いに盛り上がった。
私は自分の両親こそ亡くなっているが、夫の側、って意味では真っただ中。
皆さん一様に言うのは、
「老人ホームに入ったら老人になっちゃうからって、いやがるのよね~。子供の側としては、何かあったらスタッフさんが見ててくれて連絡くれると思うと安心なんだけどね~」ってところ。

「私なんかもう自分が入るとこを探してる勢いなんだけど、我々ももう20年したら入るの嫌だって思うのかしら?」と問いかけると、みんな考え込んでいた。
「たぶんそうは思わないわよ」との意見が圧倒的だったが、そのへんの意識から変わっていくのが老化ってもんかもしれないからなぁ。
「うちのおばあちゃんや親たちは、幼稚園児みたいなことさせられるのがイヤだったみたいね。『ちいちいぱっぱ』歌わされるとか」との言にうなずく皆々。
「大丈夫だよ、我々の頃はきっと山口百恵ぐらい歌わせてもらえるよ」と言うと、
「そうね!カラオケしたりしそうね!」と俄然入所したい雰囲気が再び盛り上がる。

「でも、団塊の人たちが大勢入っちゃって、いっぱいになってるんじゃないかしら」と不安の声が上がったので、
「大丈夫だよ、絶対どんどんいなくなっていくものだから」と軽く言ったらしーんとしちゃった。
さすがに7月にお母さんを亡くされたUちゃんもいるのに不謹慎だったか。
こういうところがいわゆる「KY」であり「うさこ節」なんだろう。

40分2セッションで座長のCちゃんから閉会宣言が出て終わり、そのあとのLINEグループでは、
「同じ悩みを話し合えてよかった」
「同年齢だから、話を共有できるね!」とCちゃんに感謝の声しきり。
楽しかった。またやりましょう。

しかし私は自分が何となく異分子っつーか、オタクっぽいと感じたぞ。
この感覚は、「普通の」世界の人たちと関わる限りついてまわることになるんだろうか。
うーん、毎週のまんがくらぶZOOM会がいかんのだろうか。
FACEBOOKでGくんのアニメ「ハイジ」の感想として、
「ミッタマイヤーが邪魔をしてなかなかロッテンマイヤーさんに行きつけない現象」について語るのを、ぶんぶん首がもげるぐらいうなずいてしまうところがいかんのかも。

20年10月19日

2年ぐらい前から周りの駅前の徒歩圏で新築マンションを探していた。
今の住まいはバス便で、足の弱くなった私には不便だし、中途半端に遠くて将来貸しに出すにも人気が出そうにない。
ここで少し投資して駅近新築物件に替えておけば、15年後ぐらいに老人ホームに入るとしても賃料を年金の足しにできて心丈夫じゃないだろうか。

そんな気持ちで見て回っていた中で、ひとつ西の駅徒歩10分ぐらいにいい物件ができそうだ。
大通り沿いはいやだとか南向きがいいとか前の道が静かなのがいいとか思い描いていた点では、これ以上のものはないほどだ。
しかしお値段もさすが新型コロナ前に計画されたものだけあって、強気の値段。
これでは手が届かないか、と他のもの同様あきらめようと思っていたら、2週間後にいきなり500万円ほどのディスカウントがあった。
うーん、これなら買えちゃうかも。

ディスポーザーとミストサウナというプチバブルの遺物が消えてからの物件にしたかったが、ここ数年に売り出されてるものには全部この2つがついてくる。
いらなくて高値の元凶な諸悪の根源だと思うものの、これはもうどうしようもない。
生ごみ出さなくてすんで楽とか夫婦でミストとはいえ一緒にサウナに入る機会はめったにないからとか、前向きに考えよう。

3回目のご商談になった昨日、希望の部屋も決まった。
今の部屋番号と同じ、息子の名にもちなんだ思い出の部屋だ。
けっこう人気で、今だと3倍の抽選になるという。
強運の息子にまた握手してもらわなくっちゃ。
今のマンションの部屋は無抽選だったけど、彼と握手した手で80戸参加の抽選会に臨んだせいうちくんは駐車場と駐輪場で3番を引き、ついでに5人選ばれる管理組合の理事まで引いてしまった。(正直、最後のはいらんかった…少なくとも初年度は)
離れ業ではないかい?
(念のため息子に今回も力になってくれるか聞いてみた。「もちろんだよ」と胸を叩く彼はしかし、「3倍なんてなんでもないじゃん。しょせんあと2人だろ」と言い放つのだった。頼もしいね)

買おうと考えた一番の背中押しは、中古マンション市場がたいへん好況なこと。
今すぐ売れば、買った時よりかなり高く売れる。
17年住んだ挙句にだ。いい話過ぎる。
一方、新マンションの引き渡しは再来年1月末になるため、その時まで住んで売る「買い取り保証価格」だととりあえず元値の8割ぐらいまで下がる。
その時「売りに出してみたらどうなるか」は、もう博打の世界。
売れる時に売っちゃうのが精神衛生にも一番いいんじゃないかなぁ。

そうすると3か月ぐらいでここをたたまなければならないうえ、1年間「仮住まい」をすることになる。
だが我々はこれを前向きに捉えたい。
新型コロナで閉塞感の募る毎日に風穴を開けることができる。
たまには出社もあるからそう遠くに住むわけにはいかないが、いろいろ冒険ができるのだ。

そんな考えをいろいろ転がしている。
2人が出会ったころ私が住んでいた思い出のある西荻窪、一番恋人っぽかった下北沢時代、娘の訓練施設に通った藤沢…
だが、ここはひとつ思い切って、住んだことのない場所、絶対住まないような場所を選んでみるのはどうだろうか?
美術館や博物館の多い上野が候補に挙がった。
聞いてみた人がみんな「下町は雰囲気が違いすぎる」「水没に注意」と言うので、山手線の東側ではなく西側の根津の方なんてどうだろう。
とりあえずネットで調べたところ、学生さんが多いからなのかマンスリーマンションの2人向きは皆無で全然見つからず、軽くめげている…orz

仮住まいと家具を預ける倉庫代を足して利益の半分を使ってもまだ残り半分を新居に投入できる、というような皮算用をしながら、あまりに急に話が展開した時の常で、落ち込んできた。
本当に買っちゃっていいんだろうか。
この数年、将来的には絶対買うつもりで動いていたしどう検討しても悪い考えではないんだが、我々これまで、社宅を出なきゃならなくなるって理由以外で引っ越したことないのよね。自己都合ゼロ。
そのせいで、結婚して30年以上、引っ越し代の相場を知らないぐらいなんだ。(全部会社が持ってくれたから)

せいうちくんは一生懸命、
「ずっと買うつもりだったじゃない。これ以上の物件は出ないかもよ」
「仮に今よりいい話があとから出ても、後悔するタイプの僕らじゃないでしょう」
「1年間の冒険、いいと思うなぁ。狭い部屋でキミと過ごすのって憧れるよ。老人ホームの練習にもなる」
「引っ越しがあると荷物が劇的に片づくよね。この家も子供たちのものなんかが滞留しちゃったから、ここらで全部処分して身軽になろうよ。いい機会だよ」
とかき口説いてくれるんだが、いったんうつっぽくなると止まらない。

「不安で不安でしょうがない。息子の意見を聞きたい」とせいうちくんにしがみついて泣いたら、息子に連絡してZOOM開いてくれた。
息子は、
「ん、なに?なんかあった?引っ越し?こないだ言ってた話ね。そんなに進んでるんだ。そりゃ急で、母さんにはしんどいだろうけど、物事ってのは決まるときは決まるからねぇ!」と前向き。

金曜は仕事が休みだから、現地を見に行って一緒に歩いて、私の足に遠すぎないか街の雰囲気はどうかなどを見てくれることになった。
「泊まってほしいの?なら木曜から行くよ。カレー食べたい」ってさ。
ちなみにZOOMしながら食べてた彼の本日の夕食は「豚汁」だそうで、
「オレたちの豚汁には2つ、こだわりがあるんだ。まず、しょうがを入れる。おろししょうがの効果で体があったまる。あと、家の豚汁ではにんじんがいちょう切りだったけど、細かくしすぎると野菜からアクが出るんだよね。うちは乱切りだよ」と秘訣を語っていた。
「あと、実家の豚汁は味噌味が濃かったね。2日目以降のものになると、野菜のアクと煮詰まった味噌の味で、ちょっと胸が焼けた。まあそんなのもいい思い出だけど」だそうである。

息子「それからさぁ、実家のカレーはなんであんなに濃いの?」
せいうちくん「箱に書いてあるレシピより水を少なめにしてるからだよ。カレーを1日目からおいしく食べるコツはそこだと思うんで」
息子「なんでも濃いよねー。いや、今回、そこを修正しようとか思わないでね。それが実家のカレーの良さなんだから」

よし、明日、糖質制限始めてから2年間絶っていたじゃがいも買ってきて、カレー作るぞ!
コントグループの生配信トークで、「じゃがいももにんじんもとても大きいのが特徴。じゃがいもなんか握りこぶしぐらいあって、ほぼ丸ごと入ってる。切ってないのかね」と語られた伝説の「げんこつカレー」だ。
もちろんじゃがいもは4つ割り、にんじんも1本が10分割ぐらいはされているんだが、まあ伝説に物申すのはやめよう。

20年10月20日

毎年1回、娘の施設で主治医の先生を始め、ケースワーカーさん、看護師さん、介護士さん、PT(理学療法士)さん、OT(作業療法士)さんたちが一堂に会して行ってくれる「ケース会議」がある。
娘のこれまでの1年を振り返り、成果を評価したり今後の目標を設定したりして作ったこれからの1年の計画書をくれる。

できることの少ない娘だが、体の歪みのわずかな進みでも防ごう遅らせようとしてくれるPTさんたちの努力は嬉しい。
すでに胃ろうや腸ろう、人工肛門をつけているからと、
「これ以上のギアをつけるのはお気の毒ですね」と気管切開を何年もずっと様子を見守って遅らせてくれているドクターの配慮にはとても感謝している。
発語のない娘にはしゃべれなくなるデメリットはなく、切開した方が介護する側は楽になるはずなのに、皆さんで娘のQOLを高めようと努力してくれている。

前は時々面会に行けたし、特に年始や誕生日等の節目には顔を合わせて手を握り、元気なのを確認してきた。
しかし、年明け早々にインフルエンザで病棟が閉鎖になり、それが明けるのを待っているうちに新型コロナでより厳重で完全な閉鎖となった。
去年の年末を最後に、娘に会えていない。
もちろんたびたび様子は教えてもらっているし「とても元気ですから安心してください」と励まされているが、これほど長くなろうとは。

そんなわけで、今年のケース会議は少し人数を減らしたメンバーでグループ通話を使い実施。
「大変な時ですが、責任もってお預かりしております」と力強かった。
どうしても面会できないわけではないのだが、あの抵抗力のない人々の中に万が一にも持ち込んだらと思うと怖くて行けない。
そう伝えると、かえって「ご理解いただいて、ありがとうございます」とお礼を言われた。
本当に奮闘してくれている。

電話越しに娘の声を聴かせてもらった。「はふー」と言っていた。
タブレットやスマホでZOOMを使い、顔を見ることはできないかとご相談したら、
「そういうことはできない人もいるので、不公平になってしまうんです。ガマンしてください」と言われた。
いろんな事情・状態の人がいるもんね。却ってすがすがしく思えた。

夜眠れないのが弱点だった娘が、最近は安定していて睡眠薬をのまなくても安眠できているそうだ。
小さい頃からずいぶん夜泣きに悩まされ、私は赤ん坊の彼女を抱っこしてひと晩中歩き回って小声で歌を歌ったし、せいうちくんは介護休暇の頃、明け方まで娘を抱いてたまたまテレビでやっていた「オリエント急行殺人事件」を終わりまで観てしまった。
それ以来、娘が夜泣きすると「オリエント急行だ!」と2人で飛んで行ったものだ。
そんな彼女も29歳にして安定してきたわけだ。
これもひとつの成長かしらん。

息子にもそう知らせたら、「お姉ちゃん、元気でよかった」と喜んでいた。
「病棟の方の対応も非常に気持ちが良いね」とも。
彼も、姉を通じて大切なことにたくさん気づき、自分のものにしてくれている。
子供が2人とももう30近いんだから、驚いちゃうね!

20年10月21日

息子が高橋源一郎の「一億三千万人の『論語』教室」に興味を持ったというのでAmazonから送ってプレゼントしたら(どうせあとから回収して自炊する)、
「いい本だね!ありがとう」と喜ばれた。

忙しいのにまた来てもらうことにしてしまったので恐縮すると、
「孔子は何度も『友人や親を大切にすることが一番大事なことで、それができてれば勉強とかはあとからでいいんですよ』って言ってるけど、オレも完全にそういう気持ちだから。全然大丈夫、なんでも頼んで」ときた。
教育は大事なのか?

いやー、今の我々には孔子の連発する「孝」が悩ましいですわ。
しかし、レッスン4の84番「子曰く、父母に事(つか)うるには幾諫(きかん)す。志の従わざるを見ては、また敬して違わず。労して怨みず」の拡大解釈を読んで少し考えが変わった。
「『社会』を円滑に動かして動かしてゆく理論が『義』や『礼』なんですよ。両親とあなたたちの関係も、いってみればひとつの社会であるわけでしょう?この場合、あなたたちの両親は、社会の仕組みを理解していない民衆にあたるわけです。そして、あなたたちは、この社会を統治していく治者にあたるんです。だって、この関係の中で『自覚的』なのはあなたたちの方だからです。とすると、統治する者は、どういうふうに対処すべきだと思いますか?民衆がいうことをきかないから脅かすんですか?ちがうでしょ?みんな同じ原理で動いてるんです」

高橋個人の意見としては、
「親相手だと『よく知ってる』ことになっているので『理解不能』が当たり前になってしまう。親がわからないぐらい人間がわからないのに政治や社会のことをわかろうなんて虫が良すぎる。そこでセンセイが考えたのが強制的に『親』を理解するためのツール、『孝』だったんじゃないか。まあ、『孝』を導入したからといって、親への理解が進んだわけじゃないが」的なことが書いてあって、なんだかとってもほっとした。
そうか、わからない人にはていねいにしておけばいいんだー!(乱暴な理解)

20年10月22日

息子が泊まりにきてくれた。
「なつかしい実家の味」とリクエストのあったカレーを作り、我々も食べる。
糖質制限はもうゆるゆるになってるんだけど、じゃがいもは全然食べてなかったよ。こんなにおいしいものだったのか。
そもそもカレーがおいしい。
ジャワやバーモント(うちのは2社のブレンド)がこんなに素晴らしいとは、こないだ老舗のカレー喫茶で食べた長年愛してきたカレーにも勝るとも劣らない。
糖質制限のまま家のカレー食べずにいたら気づかなかったなぁ。息子よありがとう。

チキンカレーの余りの鶏肉で作った唐揚げとカレーとサラダを、息子は「うまい!家の味だよなー」と喜んでたくさん食べてくれた。
胸の温まる光景だった。
2人のため以外の食事を作ることがないので、新鮮だ。

引っ越しが思ったよりすぐにやってきそうなので、息子のものをいろいろ出してきた。
彼本人の所有物の中には「大昔にコントの衣装として女友達から借りたスカート2枚」なんてのもあって、
「いけねえ、借りパクしてる。返さなきゃ」とあわてて連絡先を探していた。
なぜか出てくるスパイダーマンのスーツとかスカウト時代に使っていたロープとか、そのへんはどうするんだろう。
子供の頃の柔道着とかはさすがにいらないそうだ。各種そろった色帯も。
こっちには思い出の山だが、彼には過去の遺物かな。
語りかけてくるものも多かったようで、小学校時代から友人たちにもらった手紙やカードの束などを熱心に読んでいた。
いくらかは持ち帰るつもりらしい。

こちらの持ち物で「あなた、いるなら持ってっていいよ」と言った中で興味を示したものは、私が昔使っていた本格的な1枚板のチェスボードとけっこう立派な駒のセット。彼もチェスはやるんだって。
もうすっかり忘れちゃったから一手指すってわけにはいかないけど、駒を並べて「3手で勝てるフールズ・メイト」を教えてみたりする。
まんがくらぶにいた当時の日本チェスチャンピオンから習ったことで私が覚えてるのはそれだけだ。

折り畳みの将棋盤と駒も出てきて、こちらは安物だが、息子が小さい時に買ってやったのだろうか。
私自身は将棋は指せない。
「お父さん、ひと勝負しようか」と2人で駒を並べ始めた。
観戦していると、互いに一歩も譲らない同じ加減のへぼ将棋らしい。
「なにか賭けようか。お金はつまらないよ。お母さん、なにか考えつかない?」と聞かれて、背後の物の山を指さして、
「負けた方が、この中で何が一番の宝物か白状する」ってリクエスト。
せいうちくんだって息子のものの中には思い入れがあるのもあるだろうから、聞いてみたい。

あと、途中で追加に思い付いたリクエスト、「もう一ついい?」「ああ、いいよ」で頼んだのは、
「父さんが勝ったら、母さんに結婚式で中島みゆきの『糸』を歌わせて。『横の糸は息子~』って歌いたい」。
「縦の糸は誰が入るのさ」
「え、今つきあってるカノジョじゃないの?別の人が入る予定あるの?」
「んなわけないじゃん。あの人だよ。じゃあ、お父さんが勝ったら歌ってもいいよ。しかし、ちょっといやだな」とつぶやきながら指し続けた。

私に「糸」を歌わせてあげたい一心でせいうちくん死ぬほど頑張り、ついに勝った!
「やったー!歌わせてね」と私は大喜び。
あと、息子の荷物の中の一番の宝物は学生時代にやった「第2回単独コントライブの時のチラシの束」だそうだ。
せっかく刷ったのに友人知人の公演で起きチラシさせてもらうのが遅れて、100枚ぐらい余ってしまったもの。
そういうものが一番大事なのか。

カノジョも仕事がブラックすぎるので辞めることにし、2人でしばらく失業保険でのんびりするそうだ。
職場に近かったので住んでいた今のアパートは引き払い、転がり込み同棲ではなく改めて2人で暮らすところを探すつもりだって。
「遠くに行くかもしれない。沖縄とか。今しかやれないことをいろいろやりたい」とのことで、そうなればもちろん今までカノジョの親には内緒で住んでいたところを、きちんと挨拶して一緒に暮らすんだそうだ。
ちょっと怒られるかもしれないけど、ちゃんと誠意をもってお願いしてほしい。
先行き不透明な2人だが、生活を共にしていきたい気持ちは堅いようなので我々としては応援するよ。

そのあとは息子のリクエストで黒澤明の「天国と地獄」シネスコサイズ版を観た。
まだ観たことないのだそうだ。
「白黒ってすごい!」
「セリフに力が入ってる」
「人物の配置が彫像の群れのよう」とあちこち大絶賛。
白黒にそこだけピンクに染めた煙が上がる有名なシーンでは「総毛立った!」と叫んでいた。
何度も観てる我々も衝撃のラストには息をのんだ。こんな話だったか。

「引っ越したらシネマルームをもっと充実させるから、プロジェクタの大きな画面で一緒にいろいろ観ようね。今度は小津安二郎でも。黒澤の『羅生門』もいいね」と約束した。
こういうものを一緒に楽しめる息子で、本当に良かった。
一同感動につつまれたまま、平和に眠りについた。
私もいろいろ嬉しくて、興奮しすぎて反動で悲しくなることもなく、いつになくよく眠れたよ。
あとは明日、一緒に新居マンションの建築予定地を見に行こう。
午後に行けばいいから、朝はゆっくり寝るといいよ。

20年10月23日

朝の4時に寝て8時に目を覚ましたら、3時に寝たはずの息子がもう起きだしていた。
てっきり午前中いっぱい寝てると思ったのに、働き者の身体になってるなぁ。
せいうちくんは寝かせておいてしばらく2人で話していたら、
「ちょっと走ってくる」と言って小雨の中をランニングに出かけた。
帰って床屋がすいていたら髪を切ろうかな、と言っていたが、戻ってシャワーを浴びる頃にはその気が失せたようだった。
「この辺は変わらないね。なつかしかったよ。公園まで行ってゴミ拾いしてきた」とポテチの袋などを持って帰ってきた。
昔よくランニングしたコースを走ったのだろう。

せいうちくんも起きてきて、息子は大盛りカレーを食べて我々と一緒にヨーグルトも食べ、
「お父さん、もう1回、将棋どう?」とまたひと勝負。
今度は何も賭けてなかったせいか、せいうちくんが負けた。

またひとしきり荷物の選別をして、昔集めていた遊戯王カードはスリーブに入った値のつきそうなものだけを残すことにし、小さな段ボール2箱分は捨てていいそうだ。
残してあった本などもほとんどは自炊していいと言われ、中学卒業の時に友人たちが寄せ書きしてくれた記念の肩掛けカバンは写メだけ撮って処分することに。
これで息子の思い出の品はほとんど片づいた。
今度、芝居の公演が終わってゆとりができたら車でまとめて運ぶことにする。
カノジョも年内は今の会社で働いているので、どこかに移るとしてもまだ先の話になるだろう。

正午に車で家を出る。
車のある生活とももうじきおさらばだ。
「車を手放す前に、記念に昔何度か行った岩盤浴場に行こうよ。あと、そのうちレンタカー借りて日光とか泊まりに行かない?カノジョも一緒に、部屋は別々にとってさ」と提案すると、どちらも「応」だって。

隣町の駅前に車を停めて、まずは図書館に行ってみる。
大学受験の頃はよくここの勉強室も利用したんだって。
でも地下1階にヤングコーナーがあって音楽スタジオなどが借りられるとは知らなかったらしい。
20歳以下コーナーだが大人も本を借りられるので、せいうちくんは永井豪のマンガを借りた。
息子も興味深そうに演劇の本などを見ていた。

雨がけっこう降ってる中を、傘をさしてマンション建設予定地まで歩いた。
やっぱり徒歩10分かかった。
すごく急な展開で迷っているので息子に「いいとこじゃん!」と背中を押してもらいたかったのだが、彼の感想は、
「道がつまらない。街並みに何もなさすぎる。2人が住むところだから2人が気に入ればそれでいいでしょ」とやや冷ややかだった。
駅から十分歩ける距離なのと、病院が近いのは私のために安心だとは言ってくれたが。

帰りは前に購入を考えた他のマンションの前を通って「やっぱここはないなぁ」と思いながら、裏通りを駅に向かう。
息子的にはこっちの道の方が気に入ったようだ。
街の本屋や食堂のある小さな商店街のような、ちょっと下町っぽい感じが好きらしい。
駅には少し遠回りになるが、こっちの道を使うことにすれば息子も新しいマンションを気に入ってくれるかな。

駅の北側の商店街を眺めた後、南口の図書館まで戻って中のカフェでお昼を食べる。
「オレは本当にどうでもいい。2人が決めること」と突き放す息子に、
「母さん、迷ってるんだよ。嘘でもいいから『すごくいいとこだと思うよ。ぜひここにしなよ』って言ってよ」と頼むと、
「思慮深いあなたのことだから、オレにそう言わせたってわかっててあとから悩むでしょ。自分で決めな」。
横で聞いていたせいうちくんは感に堪えぬように、
「君ら母子は本当に似た者同士だね!」と我々を交互に見ていた。

娘のことをいろいろ話していて、
「母さんは娘ちゃんを自分たちで育てきれなかったのは力が足りなくて本当に情けないと思う。でも、今いるところで大事にしてもらっている。重度の人ばかりで表情も出ない人も多いから、『娘ちゃんは機嫌が悪いと怒って呼んでくれるから嬉しいです。泣いたり笑ったり、反応があってやりがいがありますよ』って可愛がってもらってるんだよ。私が抱え込んで無理して育てるより、世の中の人の優しさや励みを引き出し、娘ちゃんの生に意味があると思える」と言うと、息子は少し上を向いて目を宙にさまよわせた。
その両目から、つーっと涙が落ちていた。
共感してくれ、娘の人生を祝福してくれ、私を許してくれての涙だととるのは勝手な思い込みだろうか。

カフェのテーブルで美しい詩が4編載った本の中から、老人が子供に還って行っても子供の側は小さいときに育まれたように優しく老人を見つめる、という詩を見せてくれた。
「オレはこういう気持ちだよ」と言いながら。
今、自分たちが親にそうできているかを自問して恥ずかしくなり、そう言うと、
「そこは関係性次第だから」とのこと。
また許されてしまった。

「もう決めちゃいなよ」と結局励ましてくれて、ぐいぐいハグしてくれる息子と別れ、そのまませいうちくんとカフェでもう1杯コーヒーを飲む。
言葉少なに、
「優しい子になったね」と喜び合った。

車に戻って隣の駅前のマンションモデルルームにご商談に行く。
また少し話が進んだ。
部屋の抽選さえうまく通れば、このまま決まってしまいそうだ。

帰り道で、
「息子がもうちょっとこの転居を喜んでくれたら安心できるんだけど」とこぼすと、せいうちくんに、
「彼も長年親しんだ実家を失うんだよ。そう機嫌良くはないよ。お互い新しい生活を始めるわけで、自分たちで決めるしかないよ」と諭された。

確かに、息子がカノジョと暮らす部屋を我々が一緒に探したりどうこう言ったりはしないだろう。それと同じことか。
いくら両親が暮らす家と言っても、もう彼の「実家」ではなくなるんだから。

すごくくたびれたなぁ。
本当は今の私には荷が重すぎる決断なのかもしれない。
でも、物事は動いていく。流れていく勢いがある。乗るしかない時もある。
今日はゆっくり休んで、また明日考えよう。
息子とのほぼ丸1日は素敵だった。
我々が楽しく暮らす限り、またこんな日はいくらでも訪れるだろう。

20年10月24日

こないだのまんくらZOOM飲み会で話が出た、デジタル画の大家Uくんによる「電子お絵描きZOOM教室」が開かれた。
もともとインクからポスターカラーからアクリル絵の具からエアブラシから油絵まで手広くやっていた人なんだが、ここ10年ぐらいはデジタルの可能性に大いに関心を持ったらしい。

板タブ持ってるものの現在は山荘にいてギガが不自由な長老と、絵のことはさっぱり興味がなさそうなGくん。
それに、板タブを買ったのにやっと枠線引いてフキダシが書けるようになったのとレイヤーの概念を理解したのが最大の手柄というせいうちくん。
あとはiPad Proという本業プロ御用達の液タブを持ちながらマンガを読む方にしか使わず、apple pencilはもっぱらペン立てにさしっぱなしで常時電源切れにしている私が生徒さんであるという、Uくんには大変申し訳ないメンツだった。

Uくんが鉛筆で書いてスキャナでパソコンに読み込ませた下絵に色を置いてカラー原稿を作っていく様をたっぷり見せてもらった。
塗るんじゃないんだ、基本は。
色を、置くんだ。
肌の色を決めたら、デジタルを駆使して輪郭線を取って、その中に肌色を「置く」。
そののち、ブラシやペンを使って濃淡をつけたり陰を入れたりする。
いやいや、魔法のようでしたよ。

女性キャラの洋服の柄まで「手作りのスクリーントーン」のようなものを作る凝りようだ。
柄を歪ませることも自在なようなのに、胸を強調するような下品な曲線を出さないのは紳士たるUくんならではだろう。

長老は少ないギガを使って画像を送ってきて、何度か見せてもらった「武田久美子のビキニの貝殻を3枚のアベノマスクにするコラージュ」の作り方をまた説明してくれた。

こうしてみると、人にデジタルハードとソフトを与えた時、やりたいことは非常に違うようだ。
Uくんはカラーイラストを描きたいし、長老は写真のコラージュに興味があるようだし、せいうちくんはコマを割って「漫画」を描きたいし(その道は果てしなく遠いが)、私は簡単な線画でエッセイマンガみたいなものを描きたい。
このへんは性格もありありと出るところだなぁ。

なお、Uくんが使っているソフトはフォトショップで、せいうちくんが長老に習って勉強中なのはクリップスタジオ略称クリスタだ。
これが、似たようでずいぶん違う。
まあ、レイヤーを使うとかアンドゥで作業を戻すとか、基本は同じなんだろうけど、自分の手になじむにはそれこそ何年もかかるだろう。
せいうちくん、もともと画力のあるUくんがさらに10年の研鑽を重ねたものに、あなたはわずかでも近づけるのか?

おっと、人のこと言ってる場合じゃない。
いくら描くものが単純だからって、エッセイマンガは内容が難しいんだ。
単純なだけに高い画力も要求される。
こんなの、老後の趣味になるんだろうか。
もっと若いころから励んでおけばよかった。

Uくん、そのうち第二回をおねがいします!

20年10月25日

マンガ自炊用に買ってほぼ8年使ったスキャナが、壊れたとまでは言わないが動作に不安な点が出てきた。
無理もない、何百万枚の紙をスキャンしたかわからないんだから。
自炊派の間では安定した人気のある優秀な機械で、後継機が出てもなお旧型が売れ続けている様子。
我々もなんとなく白っぽくておもちゃのように見える後継機を買う気はなかった。
きっと新しい機能、特にPCとの連携はよくなっているんだろうけど。

そこで、買い替えるにあたってかなり高価なプロ仕様の機器にした。
同じメーカーだがずっとランクが高い。値段も高い。
そのかわり、今まで時間との兼ね合いであきらめてきた最高画質と同じレベルのものが半分の時間でスキャンできる。
さらにその上の画質もあるが、データ量が4倍にもなってしまうので、2倍量で止めとくことに。

新しい機械はまず設定が大変。
そのへんはせいうちくんがやってくれる。
そしてある程度使えるようになったところで使い方を教えてもらう。
細かい設定を間違えると役に立たないものができ上がるので、たいそう神経を使う。

実をいうと自炊を始めた頃、最初の数年は機器の使い方やデータの大きさの設定がよくわかっていなくて、あまり満足できないスキャンが沢山積み上がった。
しかも自分たちにとって貴重な本からやっていたので、結果は少し悲しい。
もちろん読めることは読めるが、目の肥えた今となってはもっと高画質で読みたい。

というわけで導入した最新機器にあわせ、これはと思う名作は新たに買いなおすことにした。
今は電子化のせいか廃業した漫喫から流れてくるものが多い日々で、1冊50円から100円ぐらいで買えるものも多い。
はがれないスタンプシールと本体の天に押された店名のスタンプをものともせず、ガンガン自炊していく。
今さら「ジョジョの奇妙な冒険」100余冊を全巻セットで買うってのはどうなんだと思われるだろうが。

望み通りの高画質でじゃんじゃん自炊できる。
しかもこれまでは単行本1冊を裁断したものを半分に分けてしか入れられなかったスキャン穴に、1冊分が優に丸々入る。
原紙挿入の手間も半分ですむということだ。

せいうちくんは文字の本がメインなので画質にはあまりこだわらないらしく、従来通りの画質でやっている。
そうすると倍のスピードでスキャンできるのだ。
大量の原紙がものすごい勢いでしゅたしゅたっと出てくる。
あまりの勢いの良さに挿入口で跳ね上がり、スキャン済み原稿口でまた飛び散らんばかりだ。
この分だと書斎の床を埋め尽くした本の山はあっという間に片づくだろう。

さて問題は、この先も古い漫画をセットで買い続け、スキャンのやり直しを続けていくかどうかだ。
思い入れのあるものはたくさんあるからいくらでもできるが、何しろいったんスキャンしたものばかりなので、お金はかかってやや悲しい。
かと言って、ここしばらくやっていたように新刊ばかりをスキャンしているだけではせっかくのプロ仕様名機が泣く。
いくら月に10冊以上の新刊が届くとは言ってもだ。

自炊の道は果てのない修羅の道。
入り込んだ自分は幸せなのか不幸なのか。
持っていたい本を思いっきり持っていられる点は幸せだが、本自体を愛する友人たちからは「本を裁断する行為」がたいそう評判が悪く、友情を失いつつあるんだが。

20年10月28日

また急に高熱が出た。
夜、お風呂に入ったあとなんだか寒くてたまらず、ソファに寝ながらはんてんを着ようか毛布をかぶろうか思案していたら、せいうちくんが「お布団にしなさい」と言って、ベッドからシングルの羽布団を持ってきてくれた。
これがたまらず心地良い。

熱を測ってみたら37度9分。
ちょいあるね。
「寒いから、もう1回お風呂ためて入ろうかな」と聞くと、
「いや、こういう時はあったかくくるまってるだけの方がいい。お風呂は疲れるから」とのことで、アドバイスに従っておく。

ソファでぬくぬくテレビを楽しむつもりが、30分ほどの間に熱がどんどん上がってくる。
38度5分まできたところで、今日はもうあきらめて寝ることに。
「明日も熱があるようだったらこないだの内科さんに行くよ。昨日の今日じゃ、すぐにPCR検査ってわけにはいかないだろうけど」と言いながら、歯を磨いて布団に入る頃には39度超えてきた。

ここぞとばかりにせいうちくんに甘え、冷凍庫から大型アイスノンを出してタオルにくるんだのを持ってきてもらって首の下に当てる。
身体は寒いが足は猛烈に熱い。
「普通のゴム製の氷枕もあるよ。それを足に当てたら?」とこれまたマメなせいうちくんが氷と水を入れた氷枕を作ってくれて、やはりタオルにくるんで足元に入れてくれた。
これで足も心地良い。
しかしその頃にはもう40度寸前だ。

解熱剤をのんで、のどがガラガラしてきたから念のために漢方の銀翹散のんで、万全の構えで寝たら、今度はあれよあれよという間に熱が下がってきてしまった。
電気を消したのが11時頃、1時には、37度2分に下がっていた。
いったいどうしたんだ、私の身体。

しょうがないから起きて気になってた自炊を進めていたら、2時頃せいうちくんも起きてきた。
「どうしたの!熱があるのに!」
「いや、それがもうないんだよ」と36度8分まで下がった体温計を見せたら唖然としていた。

新しい機械の使い方がわからなくて30分ぐらいレクチャーを受けたが、せいうちくん明日仕事だし私も少し疲れてきたので、寝ることにして睡眠薬を多めに投入する。

そのおかげかなんなのか、翌日昼に目が覚めた時はものすごくさっぱりしていた。
コロナ以前に風邪とかの問題だとは思うが、それよりストレスが大きいのかもしれない。
終の棲家を買うというのは思ったより大きな問題のようだ。
熱は完全に終わり、もちろん病院にも行かない。
終日自炊で平和に過ごした。
しかし、高熱が出た後の身体は意外とダメージを受けているらしく、膝ががくがくする。
気をつけて家の中を歩き回っている。

20年10月30日

スキャナをガンガン使うつもりでマンガも百冊二百冊の単位で山のように買い、書斎はもう足の踏み場がないぐらいだ。
時を同じくしてせいうちくんもさまざまなストレスからかブックオフで買ってくる量が半端なく、しかもそれを処理する時間がない。
高性能スキャナが我々を助けてくれるのか。

まず結論を言うと、ものすごく速いのは事実なんだが、使い方もものすごく難しい。
文字の本メインのせいうちくんは画質にこだわらずにこれまでと同じ画質でやっているため、純粋に速度が上がってものすごく嬉しそう。
マジで、半分の時間で終わる。
山がどんどん片づいていく。裁断の方がよっぽど時間を食うらしい。

しかし私は画質にこだわって、大好きな長編マンガを納得のいく画質でカラーは鮮やかに白黒はくっきりと際立たせたい。
ちなみに白黒をきれいにとりたいときはカラーを使うに限る。結局両方カラーなわけ。
なまじ白黒で高い画質でとると、紙のぶつぶつが浮き上がってくるというか、細かいざらついた画質になってしまう。特に古本はね。
ほら、コピーにコピーを重ねた紙がだんだん汚くなっていくじゃん。
きっとくっきりした白黒が生きるのは、真新しい会議用の資料なんかを作る時なんだろう。

文字の本と違ってマンガをスキャンしていて一番困ったのは、コマの外が黒い場合(回想シーンや不気味なシーンに使うじゃないですか)に、読み取り機が黒の果てがわからず切り飛ばしてしまったり逆にやたらに大きくとってしまったりすること。
もちろん用紙のサイズをB6とかに設定しておけば問題ないんだけど、それをやると今度はタブレットで読むときに端まで真っ黒にならなくて白い枠が入ってしまうのと、普通の白っぽいページもやや小ぶりにスキャンされ、読む時に小さく感じる。

しょうがないのでまず手をつけた「ハガレン」に関しては、黒枠のページは全部旧型のスキャナを使ってとり直し、組み入れた。
旧型は素直な人で、入れた原稿のサイズでフルに出してくれるんだ。
新型にももちろんその機能はあるが、縁が黒い時だけは読み取ってくれない。

これだけの手間をかけてやっと「麗しいハガレン」の27巻セットができ上がった。
自炊を始めた最初の頃にスキャンしたものなので、勝手がわからず画質もとり方もなってなくて、長年読み返すたびに不満を累積させてきたのだ。

ところが!
美しい描線に酔いながら読んでいたら、絵のあちこちに白い小さな四角形のブランクが入るじゃないか!
1冊につき10か所ぐらいはある。
いくらごちゃごちゃした画面の中の4ミリ四方ぐらいのものでも、これはどうにも看過できない。

さっそく翌日、メーカーのカスタマーサポートセンターに問い合わせた。
問題の症状が出ているページをPC上でスクショとらねばならず、実はPCのスクショはやり方をよく知らなかったんだよね。
調べて撮ったそれをメールにどう添付するかでまた盛大に悩む。
こんな日に限ってパソコン大臣せいうちくんは出社していて、まさか電話で聞くわけにもいかない。

だが、苦労の甲斐はあった。
送った画面を見た担当者がすぐに、
「これは『パンチ穴』を消す機能をオフにしてください。機械がそれっぽい模様を見るとパンチ穴だと認識して、消そうとするんです」と返事をくれた。
そうだったのか!
どんな機能もできるだけ使った方がいいかと思って闇雲にオンにしていたのが災いした。
言われたとおりにしたら、ものの見事に四角形はすべて消えた。

ついでに黒枠についても詳しく聞いてみたが、やはり避けようはないらしい。
サイズを指定して使ってください、とのこと。
それじゃやなのよ。できるだけ、画面いっぱいに絵を見たいのよ。
しょうがないからまた手作業しましょう。

なので今、「ハガレン」全27巻を「パンチ穴」はないから気にするな、とマシンに指示してとり直しているところ。
そのあとに、地獄のような「黒枠のページを探して抜いて、旧式スキャナでとって差し替える」作業が待っている。
仲間内で評判の悪い自炊だけど、これはこれでマンガに対する愛着だと思うなぁ。死ぬほどの努力をしたカスタマイズ。
まあそんなことは本以外のところでやれ、ないしはリアル本を自家製本しなさい、って言われちゃうんだよね。
革表紙に箔押しするとかさぁ。

ハリー・ポッターが世に溢れていた頃、私は静山社が年に1回出すのを楽しみに買っていた。
しかしもともと文庫版の本が好きなので、ペガサス文庫が出た時は喜んでまた買った。
かさばるハードカバーはその際処分したような気がする。
(まだ自炊技術はなかったので)
ただ、気に入らないのはハードカバー版の各章の頭についていた挿絵がなかった点。
そこを解決するために、のちにハードカバーがブックオフにあふれて未開封のビニール包みのままの2冊組までが100円(2冊でだよ!)で手に入るようになった時、全部買ってハードカバー版の自炊を作ると同時に、扉絵を流用してこれまた自炊した文庫版の各章頭に元の絵を入れて「自分だけのペガサス文庫・自炊版」を作ったものだった。

これは、歪んだ書籍愛だろうか?こんなのを本愛好家とはだれも認めないのか?
読めなくなるほど積み上げたりまっ茶色に日焼けさせたりする書痴もいるんじゃないかなぁ?
本の寿命の尽き方はいろいろなんだと思うんだが…それを言うとまた石投げられる。

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