20年11月1日

猛烈な勢いで家を片づけている。
捨てるものがこんなにあるとは驚きだ。せいうちくんは毎日7袋ぐらい大きなゴミ袋を出している。

今日は懸案だった大きなマッサージチェアの分解をした。
60キロ以下のパーツに分ければ粗大ゴミに出せるらしい。
そうでないと丸ごとの引き取りになり、大変な費用がかかるんだ。
スペックを見たらチェアの重量は87キロ。
足の部分を外してみたが、それだけで27キロあるとは思えなかったのでさらに分解することになったという。
つくづくマッサージチェアはコスパが悪かった。
これからは、座りたくなったらスーパー銭湯にでも行こう。

私は地味にDVDの整理。
すでに基本ケースから出してファイルに入れており、さらにたまったものを同様にケースから出して収納。
あと、手焼きのもので期限切れで見られなくなったものを分別して廃棄。
だいたい10年から15年が寿命のようだ。

裏が麻雀用のグリーンフェルト(しかもすり切れてる)なこたつ台とか、息子がボーイスカウトで使ったロープとか(本人いらないと了解済み)、さまざまな種類のゲーム機やそれぞれのソフトなど。
ゲームソフト、売れるものはなんとか売ろうとせいうちくんが袋にまとめといてくれたが、開けてみたらたいがいの箱はからっぽであった…こんなもんブックオフに持ち込むなよ。
バラの状態のものからあさって適合する中身を探したり、別のソフトが入ってる場合もあるので正しい状態に戻したり、何本かは売れる状態のものをこさえたぞ。
(こういうパズル的作業が好きすぎる)
もっとも全部とっても古いので、たぶんほとんど値はつかない。

驚くべきは家の外にある床面積が70センチ四方ほどの物入で、何しろ10年ほどほとんど開けてないからさぞやいらないものがたくさん入ってるだろうと思ったけど、想像以上だった。
謎の木材、車関係の液体(手入れしないから使わない)、10年以上前に玄関で3本続けてゴールデンクレストを枯らしていた頃のじょうろ、などなど。
そういうものをのっけるのに使っていた黒いスチール枠の棚だけは、次のマンションのウォークインクロゼットの収納に使えそうなのでとっておくが(スロップシンクがある今のうちにベランダで丸洗いしておこう。ほこりまみれ)、あとはいろんな形でゴミにする。
「ゴミ分別の書」と首っ引きのせいうちくん、ご苦労さま。

20年11月2日

2人が初めて出会った記念日。もう38年前のことになる。
これほど長いこと一緒にいられて、そのうち31年は結婚できていたことも感謝。
こんな時なので特にお祝いも外食もしなかったが、しみじみと過ごした。

コロナの中で家を売るのと買うのと仮住まいと3種類の作業をいっぺんにやるのでストレスが多すぎるため、久々に喫煙の許可が出た。
1日半箱から1箱ぐらいならしばらくは大目に見てくれるそうだ。

新しいスキャナを使いこなすためにも膨大な作業があり、根を詰める体質の私はへとへと。
せいうちくんのいいかげん路線を見習った方がいいようだ。
画質を上げるためゆっくり(それでもこれまでの倍の速さ)でスキャンするのに比べ、せいうちくんは基本的に同じ画質でも少し読みやすくなるのをいいことに、猛烈な倍速で作業している。
さすがプロ仕様。

「ハガレン」を満足のいく状態に仕上げるのに気を使いすぎて疲れた。
「昭和元禄落語心中」も黒枠が多いため、差し替えで死ぬ思いをした。
こんな思いをするぐらいなら古いスキャナでゆっくり高画質でとった方がマシ。
こういう「芸術品」はこれきりにしよう。
全体が白っぽい「エロイカより愛をこめて」は新型機の高速で楽勝だった。
次はいよいよ「ジョジョ」に挑戦か。100巻以上あるぞ。
最近買ったものまでセットに入ってて、コスパが悪かった。しょうがない。

20年11月3日

前に見に行ったマンション、建築が済んで入居待ちの状態で、売れ残りを見せてくれる。
今考えてるやつより立地等の条件が良くないのに高い、って印象。
駅の北口でお店も全然ない通りでつまらないし。

しかしいろんな部屋を見せてもらえたのはもうけものだった。
飾りすぎたモデルルームでなく普通の住居に近いものが多かったのと、ほとんど空っぽの家具なし状態が見られたのもよかった。
次は白っぽい内装にしようかと思ってたところ、そのような部屋も見られてイメージがわいた。
基本低層なうえ、棟が多く構造が複雑すぎる。
やはり南口の物件にしようと決心が固まった。

その道の友人などにヒアリングしたところ、
・値崩れは発生しておらず、むしろ高止まり傾向
・今後、値崩れを防ぐため供給が絞られる可能性もあり
・コロナの影響がマンション価格に出てくるのは2年ぐらい先のこと
なのだそうで、我々のように地域を限定して探している場合は、マンションマニアの長老に言わせれば「その辺にはしばらくもう新築建たないぞ。いいと思ったらさっと買え」なのだそうである。

3年以上前から考えて手をつけてきた(その証拠に3年前に家を査定してもらい、またマンション見学に行ってアイスクリーマーをもらったりしていた)事業なので、このへんで手を打とう。
この先「しまった」と思うことはまずあるまい。
先が読めるからでなく、我々はそういうたぐいの後悔をしないタイプの人間だからだ。
「あの時~していれば」と悔やんだことのほとんどない、思えば良い人生だった。

20年11月4日

昼間は整形外科に行った。
ここのところ少し動くようになってきて、膝の痛みが激しい。
シップと痛み止めでしのいでいて、杖をつくほどではないにしろ、15分ぐらい歩くとちょっと変な歩き方になる。
この点でも、車を手放して1年間上野近辺で散策三昧の生活をするってのは意味があると思う。
運動嫌いの私には、歩く以外に有効な何かは考えられないんだから。
と言って、散歩も大して好きじゃないんだけどね。
おふとんでぬくぬく読書、が何より好きだ。
骨粗しょう症まっしぐら。いや、すでに膝の軟骨はすっかり失われてるよ。

引っ越しがあるにせよないにせよ、荷物を減らすのはいいことだとばかりに捨てまくってる。
せいうちくんから「お菓子の道具がこんなにある。どうするの」とせまられた。
粉ふるいはザルでも代用できるし、なぜか2枚もあるパイ型(たぶんチーズケーキをやたらに焼いた)ももういらなそう。
今は低糖質ケーキを何であろうとパウンド型で焼いている。
エンゼル型か。なつかしいな。
煮りんごを混ぜ込んだ「アップルローズ」という名のケーキをよく焼いた。
オレンジキュラソーを沁み込ませて粉砂糖を振ったこれは、息子のお誕生会でも人気だった。ああ、なつかしい。

娘が生まれた頃も、よくケーキを焼いた。
休暇中のせいうちくんが息子まで車に積んで連れて娘の訓練施設に通ってくれていたので、体調がいい日は三時のおやつにパンプキンパイやアップルパイ、キウイのショートケーキなどを作って持って行った。
藤沢の駅前のケーキショップにはデコレーションのデモンストレーションコーナーがあり、職人さんが回転台に乗せたホールのスポンジ台に生クリームを塗り、フルーツを盛ってゼラチン掛けするのをうっとりとながめたものだ。
その時風呂敷に包んで運ぶのに使っていたケーキドームも、今回捨てるメンバーだ。

食器棚とか、いつの間にかすかすかになってる。
フライパンも5つぐらいあったのに2つになってる。(こっちが正常?)
せいうちくん的には「中華鍋は悩んだ」のだそうだ。
「息子の大好きな実家味のチャーハン作ってあげるのに、いるじゃん」と言うと、それはもう、とっくの昔からフライパンで作ってるんだそうだ。
結局「麻婆豆腐作る時だけは使う」との理由で残すらしい。

ゴミ袋ができるたび、「なになに、なに捨てたの?」と聞いてみるが、
「見たら捨てさせてくれなくなる。見ない方がいい」として決して袋の中身を見せない。
たぶんそれが正しいやり方なんだろう。
「捨てに捨てているので、精神状態が非常にいい」のだそうだから、彼は。
中身を見たら私の精神状態が悪くなること請け合いだ。

夜は息子のコントグループの生配信を見た。
トークでメンバーのTくんが息子に、
「君はさ、ハニートラップに引っ掛かりそうだね。頼まれごとすると弱そうだし。『おなかがすいてたまらないんだー』とかさ」と言うと、彼は瞬時に、
「カバオくんに?」と答えた。

画面のこっち側の我々は同時に吹き出した。
息子が小さい頃、子供のご多聞にもれず「アンパンマン」をずっと見ていたが、「いも男爵」が出てくる回の最初で、みんなが遊んでいる公園でいつもおなかをへらしているカバオくんがへたりこんで泣き言をいうのだ。
「おなかがすいてたまらないんだー」と。
覚えてたんだ。
画面の中の相方には通じてないだろうが、我々にとっては「ずっと同じ子供が育ってきたんだなぁ。途中で別の子とすりかわったりしてなくて、連続性があるなぁ」と感慨深い出来事だった。

今回は生配信に出てた2人ともが演者と配信技術者として同じ芝居にかかわっている最中で、来週がもう公演なので、両者、頭がそのことでいっぱいらしい。
そのせいか、即興コントはいささか前衛的と言うか、とても面白く胸に迫るものではあるが、コントとしては笑い切れないものになっていた。
まだ「コントの種」の状態なのかもしれない。
Tくんがしみじみ言っていた。
「僕ら、今、コントから離れちゃってるよね。修正しなくちゃね」
どんな体験も必ず肥やしになるから、頑張ってね。

20年11月5日

申し込んでおいた粗大ゴミを出しまくった。
皆さんご存じだと思うけど、粗大ゴミを出すには事前に役所への届けが必要で、決まった日に指定された日付とナンバーを書いて出さないと永遠に持って行ってもらえない。
これをもう、本当に何件も何件も申し込んだのだ。
引っ越しには必ず粗大ゴミが出るものなので。

一番大物だったのはせいうちくんが必死で制限内に収まるように分解したマッサージ椅子のパーツ3つほど。
なにせ絶対1人では動かせない重量のため、移動させるにはせいうちくんと息子の2人がかりだったほどのものなんだ。

息子が家を出たあと、ベッドだけ残った部屋を見てると寂しいから投影機とスクリーンを買ってシネマルームに改造しようと思い立った。
ひんぱんに飯を食いに帰ってくる息子に、
「このマッサージ椅子、あっちの部屋に動かすの手伝ってくれる?」と聞いたら、
「オレの部屋に?オレの部屋に?」と2回聞き返された。
「大事なことだから2回言いました」ってわけじゃなく、彼なりに自分の部屋があっという間になくなってしまうことへの驚愕と抗議だったんだろう。
おとなしく手伝ってくれたけどね。

今回の引っ越しも、何度も「あなたはかまわない?」と聞いていて、「もちろんだよ。2人の家じゃん。好きにしなよ」とあっさりした回答はもらっているが、内心はやはり小5から親しんだ「実家」がなくなるのは寂しいんじゃないかなぁ。

娘が小学生から高校まで、外泊時に使っていた専用の車用シートも捨てた。
胃ろう、腸ろう、人工肛門の手術をしてから家には帰ってこられなくなってしまい、また今の彼女の身体は歪みすぎていてもう使えないのだ。
わかっていたけど捨てる潮を失って10年近くか。
引っ越し作業は思い出作業でもあるなぁ。

まあそんなわけでせいうちくんは台車を押して5往復し、ついて歩く私は不燃ゴミや衣類の大袋を2つずつ持っていた、というありさま。
よく働いた。
家というのは、特に子育てを終えた後の家とはなんとガラクタに満ちているのであろうか。
次に老人ホームに引っ越すときはもう少し楽にやりたい。

20年11月6日

翌日の夕方見に行ったら、大量に出した粗大ゴミは全部きれいに片づいていた。
ああよかった。
もしかして何かの不備があって持ってってもらえなかったらどうしようかと思っていたんだ。
システムがきちんと動いているってのはありがたいし、気持ちがいいね。

新しいスキャナをどうにも使いあぐねていて、このままではせいうちくん用オンリーで私は旧型機種に頼るしかないかと思っていた。
ところが、夜中に光明が見えた!
黒ワクのページ問題、解決。
そうなれば、画質はきれいだし速いし、少なくとも現在持っている在庫の山は何の問題もなく処理できそうだ。

3時に目が覚めてアイディアがひらめいたあとは興奮して夜中じゅう機械に向かい、別にとった表紙を貼りつけたり見開きで読みやすくするためのダミーの白紙を入れたりしていたので、たまの出社のため朝の6時に起きてきたせいうちくんが見たのは寝不足でボロボロになった私の姿だった。
「もう寝なさい!」と彼が出かけたあと、2時間ほど寝たらまた変なやる気が起きてバリバリ作業中。

すでに苦労して旧型機併用で挿入しまくることでなんとか形を整えて終わった本まで惜しくなり、せいうちくんが束ねて古紙置き場に持ってってくれた分まで台車で持って帰る勢い。
「ハガレンはもう何回スキャンした?10回はしてるよね」
「いや、さすがにまだ5、6回」なんて会話をしたが、最後の正直の7回目だ。

帰ってきて再び足の踏み場がなくなってる書斎のありさまを見たらなんて言うかな。
自分でもこんなことしてる場合ではないと思うんだよね。
でもさ、ものすごい光明だったんだよ、新しい解決法は。
夜中に「エウレーカ!(我、発見せり!)」と叫びそうだったよ。
はっきり言って自炊は、我々2人にとってそれぞれの変な趣味になっている。

20年11月7日

ZOOM宴会で誰かが「入水(にゅうすい)する」と言ったので、周り中から「それは『じゅすい』だ」と訂正が入った。
しかし同時に皆いっせいにググったところ、今では辞書にも「じゅすい・にゅうすい」と両方の読みが書いてあるようだ。
まずは驚いたが、それでも普通に水に入るのは「にゅうすい」だが「死ぬために水に入る」のは「じゅすい」なんだろうと思ったら、それも今じゃ「にゅうすい」でもいいらしいのでさらに驚いた。

「60年以上間違えていたが困らない」と威張る当人以外の全員がわちゃわちゃと驚いていたわけで、まあ江戸時代とか明治時代からすれば現代人の日本語はずいぶん変わっているだろうし、言葉は変わるところに面白さがあるので仕方ない。
「重複はじゅうふくじゃない、ちょうふくだ」とか知ってる言葉についてだけペダンティックにこだわってもなぁ。

人が誤読してる時は「他の人の前でまた間違えてたら気の毒だから」という理由でなるべく伝えるようにしている。
自分も誤読や誤用はその場で指摘されたいからだ。
「鼻毛が出ていても自分じゃわからない。人に指摘してあげて、自分の時も指摘されたい」との思いから、うちではこれを「鼻毛理論」と呼んでいる。

20年11月8日

マンションのご商談。
ローンが団信かワイドかでずいぶん違うらしい。
ちょっと薬をもらっていたり不整脈があるだけで審査に落ちてワイドになることも多いと聞く。
せいうちくんは軽く持病の薬をもらっていて、マンション会社の人のアドバイスで保険会社に電話をかけまくって、
「これ、書かなきゃいけませんか?」と聞いて回ったそうだ。
ソニーローンは「書いてください」で、書いたとたんに落ちた。
SMBCは「それぐらいいちいち書かなくていいですよ」で通った。
みずほが一番条件がいいので記載はしたが期待を持って待っていたら、なんと通った。
これでローンは心配ない。
「しかし、57歳の人にこれから21年貸してくれるって、どういうローンなんだ?」とせいうちくんは首をかしげていたよ。
まあ、変動金利なので金利が上がってきたらさっさと繰り上げ返済しちゃおう。
それまでは生命保険が付いてくるところがお得。
今入ってる生命保険の費用をだいぶ減らせる。

何度も何度もモデルルームを見せてもらう。
買おうと思ってる部屋とは違うが、建具や室内の感じは取材したい。
やっぱり今の家に慣れてるもんで、ドアノブが違うとか引き戸が多いとか最初はなじまなかったが、効率よく新しい発想で作られているのがだんだんわかってきて、好きになり始めている。
やはり何度も見てみるもんだ。
それでも「マンションを買う」という行為が2回目なせいか、古めの社宅から移った時のあの感激はもうよみがえりそうにない。

つくづく今住んでるマンションはいいとこだった。
角部屋で広いのに駅からバス便のせいで安かったし、そもそも最初は工場街だったので売れ行きが悪かった。
その後なぜかどんどん工場がつぶれてマンションが建ち、今ではすっかりマンション群だ。
そのせいか、今すぐ売れば買った時より高く売れてしまうほど価値は上がった。
17年住んだ挙句に家賃も払わないで済むって、どういうことなんだろう。

20年11月9日

上野千鶴子の「女ぎらい ニッポンのミソジニー」という本を読んでいる、とZOOM飲み会で語ったら、
「ミソジニーとかミサンドリストとか言う人とはつきあいたくないなぁ」と言う人がいたので、
「じゃああなたとのつきあいもこれかぎりだね。これまでありがとう」と答える。
「えっ、なんでそんなこと言うの」とあせるなんておかしいじゃないか。そっちから言ってるんだぞ。

いや、私は別にミソジニストでもミサンドリストでもないが、問題意識は持ってるよ。
上野千鶴子が書くように「ある種の男性は女が嫌いで馬鹿にしていて、その女より下に見られるのが我慢ならない」のだと思うし、そのあおりを受けて女性自身も女性が嫌いになることはよくある。
昔からはっきり形にはできないがそういうことは考えていたようで、せいうちくんに初めて会った晩、「少しは穴のある身にもなれ」と演説ぶった。
会ったばかりの年上のメガネおねーさんにそんなこと言われて、彼は一発で恋に落ちたんだそうだ。

ついでに酒井順子の「百年の女『婦人公論』が見た大正、昭和、平成」という本を読んでいると、自分がフラストレーションを感じてきた「女性問題」の流れがわかる気がする。
もちろん女性問題は裏返せば男性問題であり、人間が社会でどう生きて働いて暮らしていくかって問題だけど、とりあえず女性に生まれたので女性問題に着目する。
真面目に読んだように書いてるが、せいうちくんと話題にした「一番驚いたこと」は、「ペッティングって、死語だね!」って件。
あれは、「処女を守るために『最後の一線を越えない』目的で発生した行為・言葉」だったんだろうなぁ。
必要は発明の母。

20年11月10日

今日はシーツ、布団カバーの類で捨てるものを選びまくった。
うちはダブルとシングルのベッドを使っているので、基本的におそろいのカバーを3種類ぐらい残した。
ただ、仮住まいではダブルのみの予定なので、ペアのカバーは新居で使うことにして倉庫に預け、捨てる寸前のダブルのみしかないカバーを持っていく。
シングルのみのやつもお客さん用に数枚残して、あとは捨てる。

「引っ越し、特に仮住まいに不安はないか」とせいうちくんに聞いたら、
「全然ない。楽しみでしょうがない。特に、物を捨てる時に得も言われぬ快感を覚える」とのこと。断捨離野郎め。

家の中が4分の1ぐらいは空になった気がする。
クロゼットの中だから目立たないけどね。
劇的に変わったのは息子の部屋(現シネマルーム)で、引き出しも捨てたしマッサージ椅子もばらして捨てた。
もう1個あったマッサージ椅子は小さいのでそのまま捨てられた。
もう、息子のベッドとその上に乗った捨てるつもりの残骸ばかりになってる。

そういえばコロナが激しくて自粛ムードだったころ、マスクからトイレットペーパーから、果てはお米やパスタもスーパーの棚から姿を消した。
糖質制限してるとはいえ、もし食べ物が買えなくなったらとの恐怖からお米10キロ袋を4つほどと見つけたパスタをどんどん買い、そばやそうめん、缶詰やパスタソース、レトルトカレーも買った。
もう安定してきて食べ物の心配はない気がするので、「食べ物は何でももらう」と言ってる息子のところに段ボール2つ分持ち込む予定。
めんつゆもつけてあげるのが親心。

20年11月11日

「ポッキーの日」らしいけど、関係なく通院日。
引っ越しとそれに伴う1年の仮住まいがありそうだ、と話す。
仮住まい先の近所の病院を調べてみて紹介状を書いてくれるそうだし、本引っ越しになったら電車ですぐだからまたここに戻ってくればいいと。

「ここらで老後の準備を、って考え方は間違ってないし、将来のことに前向きなのはいいけど、2度の引っ越しはストレスがかかるよね。ストレスかかるとつらくなっちゃう人だからなぁ」とちょっとだけ心配そうだった。
「でも薬は増やさないよ。これで頑張ってね。心労はダンナさんにかぶってもらって」とクールでもある。

ドクターはこないだ入院して手術を受けたんだが、新マンションの隣の病院だったらしい。
例によって病院の近くは幽霊が怖い、「遺体安置所まであるんですよ!」と訴える私に、「病院の近くは安心だね」とうなずきつつ、
「幽霊は出ないよ。みんな、そんなにヒマじゃない。救急車はうるさいだろうけどね」とこれまたクール。
まあ今の家は消防署のすぐ近所なんだけど、それでうるさい思いをしたことはないから大丈夫なのかな。

そのあと行った美容院でも話したら、担当さんの実家は新マンションのすぐ裏だったらしい。
「あのへんにそんな大きなマンションあったかなぁ?」といぶかしがるので、
「今から建てるんです。完成は再来年です」と言ったら納得していた。

「可愛くなった?」と家でわくわくテレワークしてるせいうちくんに「そんなに変わるもんかい!」との気持ちを込めて事務的にLINEして、タイ料理のテイクアウトを買って帰った。
今日もせいうちくんはカオマンガイ、私はパッ・タイ。
汁物はこぼれるかもだから避けるとすると、だいたい同じ選択肢しかないんだ。
14時の遅いお昼を一緒に食べて、昼休みなく働いていたらしいせいうちくんは50分テレビ見ててもいいと思うんだが、30分で食べ終えて書斎に戻っていった。
うーん、サラリーマンの真面目さはわからん。
しかもテレワーク中の方がキリキリと真面目な気がする。(通勤時代は食後に昼寝してるって言ってたもん)
人は、同僚が見てない時の方が真剣に働くんだろうか。

20年11月12日

同僚に見られるためなのか、いやもちろんもっと真剣な必要性があってのことだろう、せいうちくん今日は出社。
明日は人間ドックだから帰ってきたらすぐにごはんを食べなきゃ。お風呂はあとだ。
確か21時とか22時以降は飲食禁止のはず。(お茶や水はよかったっけ?)
自分も今度受けるので、よく見て参考にしたい。

ていうか、先月検体も採って食事も抜いて万全の注意をしていたのに、数日前の発熱が元で当たり前だが無効になってしまったのだ。参加禁止。
再来週、リベンジだ。熱よ出るな。

20年11月13日

明け方になってやっとうとうとしたところで、せいうちくんがトイレに起きた。
今日は人間ドックに行くので、朝一番の尿を採り忘れないようにトイレの上蓋の上に採尿容器をおいておく周到さ。(もちろん私のアドバイス)
ベッドに戻ってきたので「あと何分ぐらいで起きる?」と聞いたら「20分ぐらい」。
それで安心してほっと眠りに落ちたと思ったら、次に起きたのは8時で、もうせいうちくんいなかった。
「いってらっしゃい」が言えなかったなぁ。

半日、自炊をして過ごす。
カラーだと古いページの黄ばみがもろに出ちゃうぜと思っていたら、白くとる方法を見つけた。
日々、進歩している機械と私。
今までやった分もやり直したくなるじゃないか。

まだ眠いので横になったが、やはり眠れない。
昼間っから邪道だが睡眠薬と安定剤を飲んで横になってたら、眠れた。
次に起きたのはせいうちくんが帰ってきた午後3時。
彼もくたびれたと言うので2人で昼寝。

次に目覚めたのが6時。
起き上がろうとしてるせいうちくんに、
「起きるの?まだ早くない?」と聞くと、
「夕方の6時だよ。僕ら、昼寝してたんだよ」と言われた。
そうだった!
朝も昼もなく眠っていて、いまがいつかわかんなくなっていた。

これが何もしないで自炊ばかりし、薬に頼って暮らしてる人間の生活ぶりである。ダメダメだ。
でも今夜はあと3回で打ち切りになるというGくん主催まんがくらぶZOOM飲み会だ。
スーパーに散歩がてらコーヒー買いに行って、鶏の唐揚げ作って備えようっと。
週に1度の楽しみが終わってしまうのだろうか。
まあGくんにお願いしつつ、うちはうちで年末特大忘年ZOOM会の計画でも練ることにしよう。

20年11月14日

下北沢に息子の出演する芝居を観に行く。
当然のことながらラーメン屋「珉亭」に行ってラーチャンを。
お昼時のことでけっこう並んでいた。行列のできるラーメン屋だ。
ラーチャンとはお子様ラーメンと半チャーハンの組み合わせで人気メニュー。
どちらかだけなら大盛りにもできるが、両方はできない。
若くて食欲のあった頃のせいうちくんは、私とラーメンとチャーハン片方ずつ大盛りにしてもらって、両方の大盛りを食べていた。
今はさすがにそこまでは無理だそうで、それでも悩んだ末にラーメンを大盛りにしてもらっていた。
よく食う男は大好きだ。

開場15分後、開演30分前に行ってみて、45分もの開場時間がとってある理由がわかった。
1人1人検温し、チケットの裏に名前と住所と電話番号を書いてもらっての誘導。クラスター対策だろう。
頑張ってるなぁ。

席の間は少し離され、2つのチケット会社の客が交互に座る。なるほど、これだと知り合い同士が隣になっておしゃべりするのが減るだろう。
私は一番前の真ん中やや右手寄りだったが、せいうちくんはその後ろの列の左の端。
偶然なことに息子のカノジョがひとつおいた隣に座っていたようだ。
私もご挨拶しに行った。

最前列の席にはフェイスシールドが置いてある。
演者さんがマスクやシールドをするわけにもいかないうえ舞台は目の前なので、飛沫対策なんだね。これまた頑張っている。
今、小劇場はこうやって何とか生き残りを図っているのだ、と目頭が熱くなった。

芝居は面白かった。
始まって3分経たないうちに「旅館の女将」役のおねーさんがくるりと後ろを向いて客席に背中を見せたと思うと、目にもとまらぬ早業でしゃがんでくるんとお尻を出して、なにごともなかったようにまたすっくと立っていた。もちろんお尻はしまわれている。
その見事な脱ぎっぷりになんだか圧倒されてしまって、そこからはもう、引き込まれた。

息子もわりとよく出てくる役でセリフも多いんだが、いかんせん素人の悲しさ、数えて折り返しの4公演目だというのに声が枯れていた。
あとから本人も悔やんでいたが、さすがにものが違う。

最後に大きなラーメンどんぶりが出てきて教祖様がそこから赤ん坊を2体取り出す周りでみんな踊り狂い、津山三十人殺しの紛争をした息子が銃を乱射して、狂騒からいきなり暗転すると全員ばったり倒れている。
印象的なセリフがあって、おしまい。
私はずーっとあっけにとられていた。(あんまりびっくりしたんで、少し寝た)

せいうちくんと話がついていたらしく、一緒に行こうと思っていた行きつけの喫茶店にカノジョも行くことになった。
コロナ下とは思われない混み合った下北沢で、さて席は空いているかと心配してたら、そもそも今は土曜はお店を休んでいるようだった。
お年のいったマスターはお元気だろうか。
最後に会ったのが1年前ぐらいだと思う。

すこしさまよったのち座れそうなビールの店に入って、カノジョはちょっと変わったうどんとコーラ、せいうちくんはビール、私はコーヒーを飲んだ。
息子の演劇はどうだった?と聞いたら、「よかったです!」と力強かった。
この公演までずいぶん頑張ってくたびれていたらしい。
カノジョも会社がきついので辞めるかどうか考え中だそうで、2人の将来の計画はいろいろあるけどまだ形になっていないみたいだ。
「古本屋に行くから」と駅に向かう途中でカノジョを見送って、軽く狩り。
下北の古本屋は渋すぎて、欲しい本だらけだが高すぎた。
「ここまで欲しい本だらけだと戻ってこられなくなりそうだ」とせいうちくんがつぶやき、すごすご退散した。

その帰りにマンション担当者の方から電話。
明日の抽選を待たずに、無抽選で希望の部屋が取れることになった。
他の希望者をうまいこと他の部屋に誘導してくれた結果と思われる。

喜び、かつ芝居の熱気にあてられて2人して帰宅後ぐったりと3時間爆睡。
そしたら息子から急に「今日、行ってもいい?」と連絡。
「カノジョはいいの?」と聞いたら「大丈夫」とのことなので、こちらに否やはない。

即席の夕食にステーキを焼いたらおいしそうにたいらげて「肉うまい。コールスローもうまい」と食欲は盛んだが、ぐったり疲れた様子。
「のんびりしたいなーと思って」と実家を訪ねてくれるのは幸せだ。
親の業だねぇ。

「話したい気分でさ」と言ってきたわりには、
「あー、しゃべる元気ないや」と食後は早々に寝てしまった。
無理もない。
今日だけで2舞台こなし、もう3日目。明日は千秋楽でまた2回だ。
興奮してるのとくたびれたのが両方きたみたい。

もうじき手放すことが決まった家で、息子が寝ている。
書斎でせいうちくんとお茶を飲みながらいろんな話をし、つくづくここまでの人生が満ち足りたものだったと思う。
今後もそうありたい。

20年11月15日

朝、息子と一緒に冷凍ウナギを山ほど解凍してうな丼を食べ、駅まで送って行ってから、車に運び込むのを手伝ってもらった不用品の数々をハードオフに売りに行く。
古い型のミシンなどは全然値がつかずに引き取りだけだったが、それでも助かる。
こないだまで使っていたスキャナや裁断機はさすがにけっこういい値がついて、総合で9千円ちょっとの売り上げ。

1300円でソフトギターケース買ってもらった。
45年ぐらい持ってるアコギだが、ケースも45年物でボロボロだったの。
(ギターにはフェルトで自作したピックケースがぶら下がっていたりするのがカワイイ)今後弾くかどうかわからないけど、一生持っていよう。

それにしても三味線やクラリネットなどの各種楽器からオーディオ部品、古着やカバン、靴まで実にいろんなものを売っているところだ。
ゲームや部品のコーナーにオタクな感じの人たちが群がって座り込んで探してる姿は、昔のレコード屋をほうふつとさせる。(レコードもあった)

20年11月16日

16年半住んだマンションを、売ることになった。
今日、販売委託契約を結んだ。

広めで買い手がつきやすいタイプなのと、評判のいい公立中学の学区にあるのもプラス材料だそうだ。
プロにそう言われると心強いね。

査定をしてもらったのがもう3週間前になるので、
「あれから市況は変わりましたか」と聞いてみたら、
「変化してますね。中古市場はさらに需要が増しています」とのことなので、とりあえずの売り出し価格は少々強気で行くことにした。
今は中古マンション市場に活気があり、うまくいけばすぐ売れるらしい。
売れなかったらこれがだんだん下がっていくのだ。ドキドキ。

こないだ査定にも来てくれた人らしいが、そん時私は調子が悪くて寝ていたので、
「これは家内が寝ている部屋です」的にのぞくだけで済まされたらしい。
今回は私も共同所有者としてサインしたりハンコをつかないといけないので、ちゃんと起きてた。

基本的には会社で書類見るプロのせいうちくんにすべておまかせして、言われるがままにサインし、判をつく。
次のマンションの販売会社にすべてお願いすることにしたので、売るのも仮住まいを探すのも仮住まい中の貸倉庫の手配も引っ越しも全部同じところが面倒見てくれる。
住居にまつわるいろんな部署やら子会社やらあるからね。

せいうちくんがさすがサラリーマン道30年以上、と感心したくなるのは、いろんな担当さんが次々現れても決して名前を間違えない。
私なんか、何度も会ってるマンションギャラリーの販売担当の人の名前だけは覚えたが、事態がもうその人の手を離れてしまう今、誰が誰やら。
「すごいねぇ」とほめたら、会社ではけっこうしょっちゅう人の名前を間違えてしまい、廊下で見かけた人を大声で別の名前で呼び留めてしまったことすらあるそうだ。

販売担当の人は家中のあちこちの写真を撮って帰った。
もしかしたらプロのカメラマンを連れてまた来るかもしれない、と言っていた。
写真を加工して家具や余分なものは消し込むので、部屋を片付けておく必要がなくて嬉しい。
さらにそこにバーチャルな家具を盛り込んだ宣伝写真を作ったりもするそうだ。
今住んでる部屋とは別のものができあがるんだろうなぁ。
ネットに広告が載るなら私も見てみたい。

しかししみじみする。
結婚後すぐ社宅に入り、閉鎖に次ぐ閉鎖で転々としながら人生で初めて買ったマンション。
一国一城とはいかないが、まあ主だ。
OL時代に貯金が趣味で一時払い養老保険や郵便局定額貯金にガンガン回していた私と入社以来ずっと住宅財形を積立ていたせいうちくんは、おまけにお金のかかる趣味がないのも幸いし、年齢のわりには頭金を持っていたと思う。
もちろん社宅の家賃が安かったのも大いに助けになった。
20年ローンを予定よりずっと早く早期返済できて、ひと安心。
子供も大きくなって家を出た。

そんな思い出のあるマンションの部屋を売る。
買うのも初めてだったが、今度は売るのが初めて。
仮住まいも初めてだし、初めてづくしだ。
この歳になってこういう経験をしようとは。

20年11月17日

息子のコントグループの生配信、おしゃべりを聞かせてくれる「ラジオの日」の番外編を翌日アーカイブで聞いた。
だって月曜の夜中に突然始めるんだもん。Twitterで見つけたのが翌日だよ。
息子の出る芝居の初日前に、突如「本番前緊急配信」のおしゃべり回も見逃して、あとから聴いたなぁ

今回はコントグループの中から、舞台に立った息子と配信にかかわったTくんと初日を見に行ったSくんが芝居の裏話をしたり聞いたり。

最後の方でSくんが、
「で、Fathers & Mothersは来たの?」と聞く。
言い直してくれたが、複数形で呼ぶな。父も母もとりあえず1人ずつしかいないんだ。
「ああ、来たよ。おふくろもおやじも。おやじがドはまりしてた」と息子。
「初日に、来てるかなーって見まわしたらいなかった気がして、さすがにこないか、って」
「あれを、観に来たんだ…」と2人がてんでに言う。
「彼のお父さんお母さんは僕らのコントライブをよく見に来てくれるので有名なんですが、そうか、芝居も来るんだ」
「息子くんは本当に温室育ちで、大切にされてるね」
「お母さんが好きそうな芝居だと思ったんだけど、お父さんの気に入ったのか。なんて言ってた?」

息子、答えて曰く。
「いや、黒澤とか小津とかを思うって。日本の古い演技の強さ正しさみたいなものを感じたようだよ」
ちがうー!
「『令和の寺山修司』と言ってもいい素晴らしさだったよ。母を扱ってるからかもしれないけど」って言ってたんだ、せいうちくんは。
黒澤と小津が出てきたのは、こないだ観た黒澤の「天国と地獄」が面白かったから、お正月にでもゆっくり帰ってきた時に小津とかも一緒に観ようね、うんそれはいいね、って会話があっただけだよ。
まったく、頭に残ってる単語から妙に辻褄の合ういい加減なことを咄嗟に言えるヤツだな。

20年11月18日

GくんがDiscordという通信手段を始めた。
ZOOMと違って無料でもずっと映像つきでおしゃべりしていられる。
そもそもはどうもゲーマーの方々が人のゲームするところを共有して見ていたり一緒にゲームしたりするためのものらしい。
Messengerで野良飲み会を開いたりいろいろ工夫していた彼だが、最近はこれに凝っている。

1日の半分ぐらいはPCの前でこれを開いているので、行ってみるとGくんに会うことができる。
せいうちくんが仕事をしている夜の時間帯などに接続してみると、たいていヒマな長老もいたりする。
SEが集まりがちなのかHくんもいることがあるが、まだ一時に3人以上が集まってるのは見たことがない。
いや、正確にはいっぺんだけ4人集まったが、重くなって止まりがちになってたかな。
まだまだ使いにくいぞ、Discord。

ZOOMが始まった頃に「せいうちくんがいないところでGくんや長老と2人きりでおしゃべりしない。頭のいい人たちなので、惚れてしまうといけないから」とマイルールを作ったんだが、最近はもう、かなり無視して夜中に勝手に会っている。
昨夜もせいうちくんが寝る寸前までは長老がいたので安心して「寝かしつけ」してから戻ってみたら、長老も寝に帰ってしまったそうで、Gくんしかいなかった。
「もう終わりだ、終わり」と言われるのを無理につきあわせ、3時間ぐらい自炊作業しながらしゃべってた。

もともと「顔を見て飲んだりしゃべったりするためのものでなく、各人が接続していて好きなことをしながらなんとなく一緒にいる場」であるそうで、こっちが何をしていてもあまり気にかけないGくんだ。
清水玲子「輝夜姫」全27巻を自炊し、別にとった表紙のファイルをくっつける作業中、ずっとどうでもいいことをしゃべっていた。
おかげで作業が進んだよ、ありがとう、Gくん。

清水玲子は絵が繊細で好きなんだが、初期に自炊したためかなり粗い画になってる。
高性能のスキャナに買いなおした今回、もういっぺんチャレンジしておきたい作品のひとつだ。
しかしそんな趣味のやり直しがたくさんあるので、せいうちくんからは「もうそれぐらいにしておきなさい」と言われている。
何しろきりがないうえ、引っ越しまでには息子がこれまで自炊させてくれなかったが今回OKが出た山を片づける方が急務だそうだ。

綺麗な画質でマンガを読むのは楽しい。
どうしてこんなに粗くとったんだ、7年前の自分よ、と恨みたくなるようなファイルがたくさんある。
まあ何でもやり始めってのはそんなもんだ。

20年11月19日

今では珍しく貴重になった「近所の小さな本屋」に、毎月レディースコミック雑誌を予約している。

10冊買っていた頃は5冊ぐらいたまると配達に来てくれて、バイトのにーちゃんの顔を見ると古典小説に出てくる「いつも本を注文してくれる謎の未亡人」になったような気がしたよ。
さすがに買い過ぎで飽きたので、今は4冊ぐらいしか頼んでないから取り置いてくれるのを時々まとめて買いに行くのだが、おばちゃん、今回も1冊忘れているよ。
よく忘れられて、ヌケがあるんだ
何度も「これこれが抜けてますね」と注意喚起して、そのたび、
「あらー、ごめんなさいねー」と言われており、最近ではもうあきらめて、取り置き棚になければ普通の書棚の方を見に行って自分で取ってきて黙って買う。
電脳化されておらずノートに記入して予約管理をいるのが原因と思われる。

来月あたり「引っ越すので」と長年のおつきあいのお礼を言い、取り置きを中止してもらうことになると思うので、まあそれまでは。
次に行く街にも「小さな本屋」はあるかなぁ。
最終的に住む隣駅前にはあるのをすでにつかんでいる。
書棚の間が狭くて書籍量が多く、激しいエロ漫画雑誌をビニールでくるんで売っているのに遭遇してるので、これまでよりかなりオタク仕様と思われるが、そこでマンガを買うのは楽しみだ。
実はたいがいAmazonで注文しちゃってるのだが。

20年11月20日

先週人間ドック検査を受けたせいうちくん、今日は内視鏡。
下から管入れて腸を診てもらうのだ。
そのために昨夜から柔らかいもの以外はNG(でも結局ヨーグルトさえ食べなかった。完全絶食)
夜に薬液をのんで、寝る前に下剤をのんで、朝は下剤を溶かした2リットルの水を飲む。
私も2度ほど通った道だが、それほどつらいとは思わなかった。
そもそも前日は検査食もらって食べてたぞ。

Gくんと長老といつものDiscord Meetingやって、せいうちくんは寝た。
彼を寝かしつけたあと私はDiscordに戻って、例によって自炊しながらおしゃべり。
2時半頃長老が接続したまま寝てしまい、3時頃にはGくんも電気消して寝ながらしゃべってるから、「ジョジョの奇妙な冒険 スティール・ボール・ラン」全24巻に表紙をくっつけ終わったところで私は退散。
この2人は明日の朝まで接続しっぱなしでいるそうだ。お互い寝言とか聞こえるのかしらん。

寝ようと思って検品を兼ねてジョジョ読んでたら、4時頃にせいうちくんがトイレに起きた。
ちょうどいい、寂しかったから少し遊んでもらおうかと思ったのもつかの間、廊下にうずくまって「おなかがいたい…」と丸まっている。
下剤が効きすぎているらしい。
「かわいそうに」とうしろから抱きしめて回した手でおなかをあっためてあげようと思ったら、苦しい息の下から、
「いい…今は無理。そっとしといて」

そうなんだよなぁ、この人は、具合が悪い時って手負いの動物のように1人になって傷をいやそうとするんだよね。
私みたいに、
「いたいいたい、何とかして。手を握ってて。足さすってて。ぎゅっとして」なんて甘ちゃんじゃないのだ。
「あったかいお白湯でも飲む?」
「いい」
てなやり取りを経て、彼がようようトイレに行って少し事態の解決を見たのは30分後ぐらいだった。

温かいミルクティーを入れて、2人で飲む。
「ごめんねぇ、つっけんどんにして」とせいうちくんは謝る。
まあ人それぞれの戦い方があるからなぁ。
何の助けにもならないのはちょっと寂しいけどね。

翌朝は8時に起きてあいかわらず絶食のまま2リットルの薬液を飲むのを見守る。
タイマーをかけて10分ごとにコップ1杯飲むとちょうど終わるんだが、始終タイマーをかけ忘れたまま夢中で自炊してるんで、時々、
「もう10分たってない?」と声をかける。
「アシストありがとう」と言いながら、2時間で完飲した。

私の経験では途中から自分が「ただの水の通る管」になるんだが、せいうちくんの場合は新陳代謝がそれほどよくないのか、飲み終わって1時半たってもまだ「麦茶ぐらい」だそうで、その後だんだん「おしっこぐらいになってきた」んだって。それはそれで順調。

昨日長老が話していたところでは、彼は先日の内視鏡検査に行く途中で死ぬような便意に襲われ、病院に着くや否や「いらっしゃいませ」と言う看護師さんを押しのけてトイレに駆け込んだのだそうだ。
「だから、気をつけろ。あれは地獄だぞ」
家を出る前に充分時間をとれば大丈夫だと思うんだが。
現にせいうちくんは出発1時間前の時点で「少ししくしくするけど、なんとかなりそう」なんだって。

さて、彼の直腸・大腸は今健康だろうか。
日頃の食べっぷりを見てるととても不具合があるとは思われない。
それでも検診は大事だ。筒になった身体をよーく診てもらっておいで。

そして結果としてせいうちくんの腸は健康だった。
気持ちよーく麻酔だか鎮静剤だかで眠って、さわやかに帰ってきた。
検査のことは何も覚えていないそうだ。
健康ってありがたい。

20年11月21日

心臓の月イチ定期健診なので、ドクターに引っ越しをしそうだと話しておく。
とりあえず1年ぐらい上野方面に行くので別の医者にかかる、と言うと、
「うーん、ワーファリンのこともありますし、循環器科と名乗っていてもあやしいところもあるんですよね…3か月に1度ぐらいこちらに通っていただくとか…」
そんな遠くからはくたびれて無理だよ。
だいたいワーファリンの血中濃度検査を1ヶ月に1回はやらないと気が済まなかったじゃないか。3か月でいいのか。

この先生はインフォームドコンセントがイマイチなのか、私の心臓がどれくらい悪いかはあまり話さない。
検査の結果を見て「いいですね!回復してますよ。もう、手術前の悪い時よりずっと数値がいいですよ!」と言うだけ。
あと「ほとんど普通と変わらないですよ」とか。
心臓の働きを助ける薬をのんでの数値であることには全然触れない。
血液排出数値65とかが普通の世の中で、50をやっと超えているってのは普通なのか。
人間ドックでの軽い検査ですら心電図に異常が出るのに、心臓の筋肉が出す電波が微弱になりつつある問題とかは「様子を見ていきましょう」と先送りにされている。

これは患者に老人がむちゃくちゃ多いので、「いいですね、お元気ですよ!」と言われると気が済んでしまうケースが多いのではないか、また、治らない症状の場合はできるだけ頻繁にご来院願って診療成績を上げたいのでは、とも疑う。
我ながら人が悪いが、どうも話がかみ合わないのだ。
私のQOLとか、そもそも息苦しいとか足が悪いうえ引きこもりなのであまり出歩きたくないとかの考え方に興味がなさすぎる。
心臓オタクすぎて、患者の心臓が動いてるかどうかにしか興味がない気がする。
仮にも現在の私のホームドクターというか全身状況を診てもらってるんだから、もうちょっと他の部分にも興味持ってくれよ。
町の小さなクリニックの役割はそういうものなのでは。

20年11月22日

マンションの「重要事項説明」を聞いて「申し込み証拠金」を払った。10万円。
あと一歩で本契約。来週サインしたら、もう引き返せない。価格の1割も振り込むようだ。ますます引き返せない。
どうしよう、って気分だよ、自分でも。
「ここに日付をご記入願います。あっ、今日は『いい夫婦の日』ですねぇ」と嬉しそうな担当さんと、
「本当だ、2020年11月22日って、なんだかおめでたいですね!」と応じるせいうちくんは気が合ってると思う。

コロナ下だからか、各商談室に座ったまま中央のどこかで誰かがマイクで読み上げてる重要事項説明を手元の資料を見ながら追っていく、ってやり方。
小中高大と授業中内職にいそしんだことを鮮明に思い出した。

無抽選になるにあたって3人のライバル顧客のうち1人は自分のお客さんだからと説得して他の部屋に誘導してくれた担当さんによくよくお礼を言っておく。
「ほかのお2組は納得して移っていただけたんでしょうか?」と聞いたところ、少なくとも彼の担当した人たちは新婚さんで、たいそう機嫌よく上の階を選択されたそうである。
双方納得して好きな部屋に住めるのは幸いだが、いっときはうちも覚悟しかけた「数百万高い真上の部屋」に新婚さんが住むというのはイロイロと複雑な気持ちになるもんだ。
いやいや、幸せを祈ろう。下から天井を棒で突っついたりは決してしない。

重要事項説明だけで3時間はかかろうかという代物なので、終わった頃にはぐったり疲れていたが、しつこくモデルルーム見て、床や扉のカラー選びをした。
今の家は広めだし子供が汚すと思ったので重厚なダークブラウンにしたところを、今回は部屋も狭いし老人2人ではそう汚さないだろうからナチュラルオークを選びたい。

しかし床木が白いと10年ぐらい住むうちにははだしで歩くせいで廊下の真ん中だけがずず黒くなるといった現象が起こるんじゃないだろうか。
中間のグレーウォルナットにしておこうか。
なんとなく都会的でシャープな印象。
扉部分が意外と黒っぽく見え、狭い部屋には鬼門だ。
床の色はそれほど激しく暗い色なわけじゃなくグレーっぽいだけだから、これはこれでずず黒になるかも。
もうナチュラルオークにしておこう。

このようにマンションを買おうと思うと選ばなければならないことがたくさん出てくる。
この先は有料のオプションなんかも山のように出てくるのだ。
大金を投じたばかりなのでいろいろつけ足したくなるものだし、おまけに上の階を買う覚悟までしていたので予算が浮いたような気の大きな状態になってる。
あらゆるオプションをつけるような愚行に走るかもしれない。
お互いに注意し合っていこう。

キッチンカウンタ下の棚は今もあるし、ただ空間が開いてても無駄だと感じてしまうのでつけたいと思う。
今どき珍しい開き扉の流し下は憧れの引き出し式にしたいなぁ。
洗濯機置き場の上に棚がないそうだから、通販でラックを買うのも悲しいので扉付きの棚をつけてもらおう。
トイレの壁紙をダークにするオプションはいい考えだと思う。
洒落てるという以上に、汚れやすいところだからねぇ…あれこれと。

そんなことをカタログ見ながら考えている。
来年秋ごろになれば本格的に内装業者さんからの案内があって、相談会が行われるかもしれない。
今の部屋も台所の吊戸棚を取り去ったり照明をダウンライトに変えたり、大活躍してもらった。
あの頃って、キッチン内部は隠す風潮があって吊戸棚で目隠ししてるとこが多かったんだよね。
吊戸棚を大胆に取り去ってオープンキッチンに近くしては、と提案してくれた内装業者さんは時代の先端を行っていたのかもしれない。
今や時代が追いついてきて、オープン当たり前。(しかしアイランド型はあんまり好きになれないなぁ)

今んとこ使い道のない狭い部屋の天井にプロジェクタを取りつけたいと騒ぐせいうちくんを「今あるやつを置いて使ってみてから考えよう」と説得する私の夢はさほどなく、ごくごくおとなしい住まいを考えている。
まあ、なんでも収納に押し込んで家具は少なくしたいねぇ。すっきり暮らしたい。
書斎だけは諸般の事情でいつも散らかってる我が家だが、リビングは綺麗にしておきたい。飾るんじゃなくて、物のない状態。

あ、そうだ、寝室にだけは夢がある。
バリエーションある眠り方のためにダブルとシングルのベッドをどうしても置きたいので、部屋がほんの少し狭くなる次の家ではタンスを小さくすることで乗り切ろうと計画中。
机上の計算ではそれでタンスとベッド2つと間のベッドチェストが収まるはず。
再来年1月の入居予1ヶ月前には内覧会があってサイズを測らせてくれだろうから、その時数センチに泣いたり笑ったりしよう。

ちなみにコロナ下なので「工事が遅れてもそれは『売り主の責任に帰することのできない原因』なので補償はしかねる」という書類に署名捺印した。
工事はいくらでも遅れる可能性がある。
我々の仮住まいがどんどん延びるだけではあるものの、あんまり入居が遅れると困るなぁ。
今は外での工事だから進んでいるけど、内装とかの段階になった時にコロナが激しかったら苦しいだろうな。
マンションによっては、コロナが始まった頃に「建物はできてるのに中国から便器が届かない」ために引き渡しが大幅に遅れたような混乱もあったらしい。
いろんなものが組み合わさって出来上がってるもんだなぁ、その結実を買わせていただきます、とあちこちに手を合わせて拝んでる状態。

家に帰って少し寝て、夜は夜で大忙し。
コロナ自粛の物不足の時期に怖くなって買い込んだ糖質食品群(お米、そば、パスタの山。缶詰、レトルトカレー、パスタソースつき)がいい加減余りそうなので、常時金欠状態の息子に打診したところ、食べられるものは何でも喜んでもらうとのこと。
引っ越しに際して息子に引き取ってもらいたいものもあるので、配達に行くことに。

23区内に入るついでにわりと近くに住む友人からすでにだいぶ大量になってしまったマンガをまとめて返してもらうことにしよう。
軽く詰めた段ボール5箱の写メが送られてきた。
ここには洗剤のおすそ分けを持って行く。
「消耗品、大歓迎ですが、息子さん宅にはいいんですか?」と聞かれたが、大丈夫、そっちにもティッシュと洗剤は持って行く。(昔の新聞屋さんの勧誘のようだ)
向こうからは「梱包用プチプチやガムテープ、ビニール紐やマジックペン」といった「引っ越し応援セット」をいただけるそうだ。
さすが4年前に引っ越しをした家。わかってるし、残ってる(笑)

約束の時間ちょっと前に着いて、玄関先の狭い道に車を停めてとにかくどんどんマンガの段ボールを受け取りつつ、お互い応援物資の交換。
あと、家で使ってた子供用椅子もお譲りする。白木がすっかり飴色になった30年経過の年代物だ。

そのあとせいうちくんを広めの道で車に待たせて、外の公園で少しお話をする予定だったが、ダンナさんのテレワークがもうじき終わるので部屋があくからそこで少し、と誘われる。
喜んで応じようと思い、車を近くのパーキングに入れてお邪魔しようとせいうちくんを誘ったところ、おっかない顔で叱られた。
「受験生のいるうちに上がる責任は、僕はとれない。予定通り外で会ってくれ。車は僕が見てるから」
「向こうが誘ってくれたんだから、あっちもその方が都合がいいんじゃないの?部屋の風通しよくしてればお店で会うのと変わらないし、って言ってたよ」
「僕は絶対に責任とれない。万が一のことがあったらどうするの。外で会って」
強硬だ。しかも珍しくとても強い言葉で言う。
「向こうからの提案を、私は断れない。あなたが彼女と話し合って」とお願いし、せいうちくんからLINEで「やはりお宅に伺うのは心配です。公園ではどうですか?」と打ってもらったところ、彼女が出てくることになった。

いや、その方がいいんだろうけどさ、間に立って私が困るじゃん。
提案する側にはする側の考えやメリットがあるんだろうと思うわけよ。
「わかった。僕がキミを責めたのが悪かった」と潔いせいうちくんと公園のベンチで待つこと数分、厚めに着込んだ友人がやってきた。

そこからはもう、「二月の勝者」ばりの受験の話、鬼滅の刃の話、我が家の引っ越しの話、未来少年コナンの話(特にダイスとモンスリーの結婚)について、とどまるところなく50分間機関銃のように話し続けた。20分会談の予定だったのに。
途中で近隣住民らしいおじさんがピッチングネットみたいな中でゴルフの練習を始めたりしてうろうろされていたので、やはりせいうちくんがいてくれてよかった。
かなり熟れすぎとはいえ女性2人の夜の公園は怖い。
それに友人は、中学受験経験者のせいうちくんの顔を見て少しは安心できたのではあるまいか。
「こういう人でもなんとかなるんだ」って。
その効果を祈りたい。

志村貴子を未読で返してしまうという彼女に、
「えー、あれは読んでもらいたいですよ!」
「でも今、せいうち家は自炊に乗りに乗っているから」
「いえいえ、仮住まい中預かっていただく感覚でいいんですよ」
「そうですか!では回収して参ります」
となって、パーキングまで一緒に来て常備の買い物袋に志村貴子の「青い花」と「こいいじ」その他を入るだけ詰めて、手を振って帰って行った。
ああ、楽しかった!!

しかしこれから息子宅に行かねばならん。
ファミレスで会ってから彼の家に荷物を運ぶ予定だったが、思いのほか車がパンパンになってて、彼が乗るスペースはない。
先にお届けを済ませてしまう旨打ち合わせておいてよかった。
男2人でアパート2階まで2往復ほどして荷物を運んだ後、カノジョは出かけて留守なので上がって行かないかとこちらからも嬉しいお誘い。今日はいろいろお誘いを受ける日だ。
お留守に勝手にお邪魔しては、と思いながらも上がらせていただいた。
2人の愛の巣は小さな1Kで、そのキッチン部分の床を食料品でかなり埋めてしまって申し訳ない。
「食べちゃうものだから」「消えものだから」と男性陣はあまり気にしてない。

「まあ座ってよ」と言って、息子は飼ってるハムスターの世話をし始めた。
ヒマワリの種を砕いて高カロリーの飼料を混ぜたらしき餌を掌に乗せて食べさせている。
トイレの砂が固まった部分を取り除き、サラサラの細かい砂を足す。
「寒いから、あんまり動かない。もうだいぶ歳だしね。2歳かな」と言う息子に、
「ハムスターって何年ぐらい生きるものなの?」と聞くと、
「2年ぐらいかねぇ」
思わずせいうちくんが、
「じゃあもうじき寿命なんだ」と言うと、息子はちょっとにらんで、
「そういうこと、本人の前で言わないの!」とたしなめた。
確かににそうだ。この感覚はいいね。
人間が「85歳です」って言った時に「ああ、じゃあもうじき寿命ですね」とは言わないもんね。
言葉がわかるかどうかとか、そういう問題じゃないと思うよ。

小さな、でもよく片づいてしかも生活のていねいさがうかがえる部屋の壁には、息子が描いたらしい絵や「偉人の言葉」が貼ってあった。
「なに、芥川龍之介や坂本龍馬は本当にこんなこと言ったの?」
「いや、誕生日に、彼らならどういうことを言ってくれるかなって思って書いてみた」
なかなかうまかった。
そもそも思いつきとして面白い。
こういうものを部屋に貼る男と暮らすのは悪いもんじゃないな、と私は思った。

車で10分ほどのジョナサンに移動して、息子はがっつり食べ、我々はデザート系を食べた。
「いつ見ても腹を減らしているねぇ、君は」と言うと、
「うん、食欲あるんだ」と元気そう。
我々が家を売る話と、息子がこないだ出た芝居の話がメインだった。
特にせいうちくんが珍しく盛り上がってしまい芝居の話を事細かに再現してて、息子から、
「しかしよく見てて、覚えてるね!」と感心されたぐらい。
よほど琴線に触れる芝居だったとみえる。
息子はまた出たいかと聞かれて、
「お声がかかったら嬉しいと思うよ」とのこと。
なるほど、もう演劇から学ぶのはとりあえず一段落したのでまたオーディション受けに行くわけではなく、本来のコントの道を突き進み、そこで少しは「役者さんとして使ってみたい人」と思われるほどになりたい、って気持ちかな。

最後、家まで送って行ったところで一緒にタバコを吸う。
ニコチンゼロの電子タバコも買ったし、もう息子と一緒に吸うとき以外は禁煙と決めた。
2本目を吸い始めた時、折良くせいうちくんに仕事の電話が入って車に戻って会話を始めた。
こっちはこっちで母子の対話を思う存分楽しめたよ。

息子「中国では親の死に目に会えないぐらいの親不孝はないって考えられてるんだそうだね。オレも同じ考えだよ。それができない人間にも状態にもなりたくない」
私「そうか。じゃあ母さん危篤になったら地球の裏側からでも駆けつけて。母さんの方も頑張るから。意識がないように見えても最後まで声は聞こえてるそうだから、たくさん話しかけてね。ただし、この世に未練が残るようなことは言わないで。『楽しかったね』って話をしてちょうだい。これは父さんも承知してくれてることだけど、母さんは死ぬ時が来たら心の底からほっとする部分があると思うの。生きてるのは、基本的につらいから。なので見送る時は『よかったなぁ』って思ってね。墓碑銘も用意してある。『心配性のうさちゃん、ついに安らかにここに眠る』って」
息子「どこに書くのさ」
私「墓、ないからね。遺灰から作った人造ダイヤを埋め込んだ写真立てを作ってもらうつもりだから、そこに刻もうかな」
息子「炭素集めて作るんだ」

そんな感じでいろいろ話して、カノジョと「結婚したいね」って話が出たことを聞いて喜び、早く2人のやりたい道が安定するといいねと伝えた。
これからの若い人にはいろいろ不安な要素が大きくなってるからなぁ。
我々がマンション買い替える話も、息子には「またマンション買うとか、別の世界の話。実感が全然わかない」そうだ。
「私たちだってあなたの年にはそうだったよ。まあでも、頭金貯めていつかはローン組んで買うんだって思ってたのかな。それが当たり前の世の中だったから。上の世代になると、どんな小さなマンションでも借金してひとつ買ってしまえばわらしべ長者のように転がして行けるって発想だったけど、そこまでは行かないな。でも、思ったより順調な人生で、住み替えが出来て運がいいよ。ありがたい」と話しておく。

一番嬉しかったのは、
「あなたと知り合えたことは楽しかったよ。もう大人で、親としての責任もないわけだし」と言ったら、
「いい友達だよね」と言われたこと。
妙な考えかもしれないけど、子供から「いい親」と呼ばれるより、「いい友達」として信頼されたい。好かれたい。
それだけ自分にとって「親」はあまりいい思い出のある言葉じゃなく、却って「友達」の方が重い、好ましい意味を持ってるんだろうな。
息子が口癖のように言う「人に対する敬意」と私が大切だと思っている「人への誠意」を互いに持ってつきあえれば、それが一番ありがたいし嬉しい。

せいうちくんの電話は30分近くにも及んだので、たっぷり息子との時間を楽しんだ。
何度も「上がってお茶でも飲んだら?」と勧められたが、いやあ、あの愛の巣をもういっぺん見たら泣いちゃいそうで。
「自分たちの若い頃を思い出す?」
「無茶苦茶に思い出すねぇ」
息子にとっては「お父さんとお母さん」って生き物に見えてたかもしれないが、君たちみたいな感じで一緒にいたいと思ってあれこれやってきた結果なだけなんだよ。
おんなじおんなじ。

次はお正月に泊まりに来てくれるそうだ。カノジョも一緒かも。
「もうあの家も最後だね」って、ちょっと複雑な気がしてるらしい息子。
新しい家はもうあなたの実家とは呼べないかもしれないけど、父さん母さんの暮らす家として好きになってくれたら嬉しいな。

電話が終わったせいうちくんが「ごめんごめん」と言いながら降りて来たので、帰ることにする。
息子も、友達と会ってたカノジョが駅に着くそうなので、自転車で迎えに行くつもりだって。
大好きな人が駅で待っててくれるのは幸せな1日の締めくくりだよね。

異常なほどの幸福な日だった。
明日目が覚めなくても全然かまわない、「鬼滅の刃」の最終回読んでないことも気にならないぐらい。
「大奥」の最終巻さえ待たずにすむほどの、身体が宙に浮きそうなぐらいの幸福感。

それを訴えたくておじさん2人とのZOOMに乱入したのは悪手だった。
美しい時間がさんざっぱらいじられ(まあ愛のあるものではあるんだが)「息子くんラブだねぇ」とからから笑われた。
それでもそんな話を日常的に聞いてくれる人が夫以外にもいるというのは、思いがけなくコロナがもたらした面白い幸運ではあった。

とても驚いたこと。
20歳年下友人と「未来少年コナン」の話をしていた際、
「ダイス船長がモンスリーを見舞いに来るじゃない。『ちょっと弁当を使わせてもらうぜ』ってさ」と話したところ、
「ああ、そこ、見ました。日本語がちょっとよくわからなくて、あれ?って思いました」と言われた。
え?「弁当を使う」って言わない?
「方言ですか?」じゃなくて、昔はよく言ったもんだけどなぁ。
もちろん私がリアルタイムで使った言葉じゃないけど、子供の頃大工さんや職人さんなんかが使う言葉ってイメージだった。

いや、よくよく考えれば本当に誰かが言ってるのを聞いた覚えはないような気がどんどんしてくるんだけど。
でも、宮崎駿は普通に使ったわけで、たぶん方言じゃない。
「弁当を使わせてもらうぜ」って口実でモンスリーの病室に来たダイスの照れと想いを伝えたかったって意味では特殊かな。

そのあと息子に会って、こちらは落語とか好きだし一応読書家を気取ってるから知ってるかと思って話題を振ったら、「何それ?全然知らない!」Oh, My God, 君もか!
ついでにその夜中におじさん2人とZOOMしてる最中に言ってみたら、私ぐらいの年齢でコナンだって何度も見てるくせに、やっぱり「初めて聞いた!」
えー、世の中にあの「弁当を使わせてもらうぜ」の意味と味のわかる人はいないのか?!
日本語はこうやって変わっていくんだなぁ。

ちなみにせいうちくんがわざわざ紙の広辞苑を引いたところ、「弁当」欄にちゃんと「使う」の用法が載ってた。
「弁当を食べる。『軒先を借りてー』」というふうに。
若い方々はともかく、未来少年の方のコナン世代のおじさんたちは褌を締め直して「かしこさを上げて」ください。
末尾ながら、ダイスさんモンスリーさん、ご結婚おめでとうございます!

20年11月23日

マンション購入申し込みをした翌日は仮住まいを探しに行った。まだ現住居売ってないのに。気が早いものだ。
根津・千駄木のあたりに住んでみたいと思って見に行き、根津駅前での不動産屋の担当さんとの待ち合わせよりずいぶん早く着いてしまったので、根津の古風な喫茶店でピザトーストセットを食べた。非常に美味しかった。幸先がいい。

待ち合わせ時間に駅前に立っていたら、担当さんから電話。
なぜか千駄木駅で待ってるらしい。
せいうちくんがあわてて携帯のメールを確認したら、「根津駅待ち合わせ」になってた。間違えたのは向こうだ。
こういう時、私に怒られると思うせいか、ものすごく焦ってしまうせいうちくんである。

とりあえず安心して、担当さんが車で飛んできてくれるのを待つ。
腰の低い、感じのいい男性だった。
若いのに7人の事務所の所長さんであるらしいので、
「日曜日に所長さん自らご案内いただいてしまって」とせいうちくんが恐縮すると、
「いえいえ、それほどのものではございません」と小さな声で言うのがとてもキュートな人だ。
この人のご紹介で物件を借りたいなぁ、と思わせる。

3件見て、最初に見た物件がすごく気に入った。
所長さんも、
「なかなかこういうものには当たりません。ワタクシ的には、かなりいいと思います」と太鼓判を押してくれた。
冷蔵庫置き場と洗濯機置き場が小さい(もともと1LDKの一人住まい前提物件だから、そんなもんだ)ので今使ってるのを持ってった場合どうするかが少し問題。
まあ、買い替えるつもりではいたから早々に処分して間はレンタルでつなぐとか、やりようはある。
物件の流れは速く、毎日変わる。今日あったものが明日もあるとは限らない。

長いこと残ってる物件があったら、それはむしろ借りないほうがいい代物なわけで。
なので今日気に入った物件は即座に申し込まないと多分手に入らないだろうが、まあ1日目の1件目というのも気が早すぎるので、12月半ばにもう1回ぐらい見に行って決めよう。
遠いからそう何度も行くわけにいかないのが難点だね。

でもあの辺は面白い街で、たいそう気に入った。
神の恩寵のようにすぐそばにあったブックオフで軽く狩りをし、お昼には和食屋さんでとろろ定食とまぐろのづけ丼定食を食べて、この街に1年住んで旅するように暮らしたら楽しいだろうなと思った。
部屋探しは出会いのものだからなかなか難しいけど、この機会に見聞を広めよう。

マンション3階で同じフロアの真向かいに大家さんが住んでる部屋があるとか(どうもそのフロアには3室しかないようだ)、URなのでやたらに広く畳の部屋が2つついた3DKでヘタしたら次に本気で住む自宅より広くなってしまう物件とか、いやあ、今日1日でも非常に面白い思いをした。
私「巻き尺持ってきたよね。カーテンサイズ測りたいから、窓のHとWお願い」
せいうち「は?」
私「ハイトとワイズ」
不動産屋さん「もしかしてご同業ですか…?」
というひと幕もあった。
昔、大塚家具の商談テーブルで方眼用紙に書いた部屋の平面図と色紙でサイズに合わせて切った家具出して並べてたら、担当女性から「ご同業の方ですか?」と聞かれたことがある。
測るのが好きな人間、なのだろうか。

お茶の水に出て中央線、運良く行きも帰りも全部座れたけど足が棒になって何も考えられない。
2人とも倒れるように6時間寝たけどまだ眠い。
明日は1日寝ていそうだ。仕事するせいうちくんはすごい。

20年11月25日

通院日。
最近は眠れないのが大きな悩み。
ワンショット2時間しか眠れない。
日中にうとうとしたりしているのだとは思うが、どんなに眠くても2時間するとぱきっと目が覚めてしまう。
ぼんやりと起きるのではなく、熟睡した後のようなはっきりした目覚め。
そしてそのあとはほとんど眠れない。

コロナの閉塞感に加えて引越しのストレスがあるからどうしてもそうなるだろうと言われ、睡眠薬を増やしたくはない主義のドクターなので、種類を少し変えて全体の量は同じにしておく、とのこと。
薬が変わったと思えばそれだけで気分の問題で眠れるようになるかもしれない。

主治医は実に親切に、私が仮住まいする予定の近辺の精神科・心療内科の表をコピーしてくれた。
親しくしてるドクターはあいにくいないので、電話するとか自分で調べてみてよさそうなところに行ってみてくれ、とのこと。
1年間だけなので、基本的に紹介状をもらって今と同じような処方を受け、あまり変わらない生活を心がけるようにって。

「根津・千駄木かぁ。いいねぇ!素晴らしいよ。江戸文化の神髄にいろいろ触れられるね。気晴らしと思っていろんなところに行ってみて。うらやましいなぁ。ダンナさんの会社も近くなるんでしょ?」
「ええ、すごく近くなります。もう戻りたくないというかもしれませんね。先日下見に行った時も感じのいい町を歩いて、おいしい朝ごはんと昼ごはんを食べました」
「実にいい!こんな時代だから、旅行するつもりで1年過ごすって考えはすごくいいよ。幸いダンナさんは引越しに前向きで片づけ魔になってるそうだから、あなたも罪悪感なんか感じないで全部ご主人にまかせておきなさい。とにかくのんびりすること」

「マンションは買えちゃうし、狭い愛の巣で楽しい仮暮らしは出来るし、何もかもうまく行き過ぎて幸せすぎて、罰が当たりそうです。『うまいことやって』って嫌味言われちゃいそう」
「何言ってんの。結果としてそうなっただけで、何がどう転ぶかわからなかったわけじゃないの。今の自分の人生は自分で手に入れたんだと胸を張って、堂々としてなさい」

それがなかなか難しいんだよね。
客観的にはこんなに幸せな無能主婦はなかなかいないと思うもんだから。
せいうちくんがむちゃくちゃ私を好きでいてくれるおかげなんだろうなぁ。
こっちもむちゃくちゃ好きだけど、形としてはこっちが彼を幸せにしてあげてる部分が小さすぎる気がするよ。
私がどんなに理性的で正直で誠実で、生活を豊かにするいいアイディアの泉だとしても、それはなかなか人の目には見えないものだからね。
せいうちくんが認めて、感謝してくれてる事実を大事にしよう。

20年11月26日

せいうちくんの会社が主婦向けにやってくれる年1回の人間ドックに行く。
普段いろいろ通院して検査してるから不要な部分も多いので、今回は大幅に検査の種類を割愛した。
肝心なのは乳がんと子宮頸がんの検診だと思う。

太っていて肉が柔らかいせいか、みんながけっこう「あれ、痛いよね」と語る「マンモグラフィー」を痛いと思ったことがない。
ただひたすら「おっぱいがおもちのようにひしゃげていく。面白い」とだけ思っていた。
しかしなぜか今回はけっこう痛かった。
「いたいいたいいたい~!」と心の中で悲鳴を上げるほどではなかったけど、「う、痛いじゃん」ぐらいは思ったね。
あと仰向けに寝て両手を上にあげたところを、女医さんに両手でぺたぺたとそれこそ餅をこねるように触診してもらったのはなんだか嬉しかった。
「とりあえず異常はないですね」とのこと。いいワザでした。

値段が安いので病院の健康的なお昼ごはんもつかない。
淡々と家に帰ったら、せいうちくんが仕事してた。
「おかえり~。どうだった?いやぁ、おうちに1人は寂しいねぇ。ごはんにしよう」と能天気なので、婦人科の検診椅子は座ると90度回ってカーテンの向こうに腰から下を突っ込み、そこから後ろにリクライニングし、最後にはがばっと両足部分が開くのだ、その際お尻のあたりまでまったく支えるものも遮るものもない(体重は太ももで支えられてる)というような話をして憂さを晴らす。
(実際、ちょっとビビってくれて気分が良かった)

今年は特に健康でいたいものだ。
病院には行かずにすむ方がいい。医療崩壊の一因になりたくない。

20年11月27日

眠い。
私にしては無理をしてるし、非常に眠りにくい状態になってるし、引っ越しやらコロナやらいろいろ気になることは増えてるし、人間嫌になると眠くなるもんなんだなーと痛感してる。

昨日もせいうちくんと早めにベッドに行って本を読んでるうちに、2人とも眠り込んでしまった。
まだ22時なのに。お風呂も入ってなかったのに。
例によって2時間目覚まし内蔵の私が0時過ぎに目を覚まし、
もぞもぞしてる相方に「お風呂どうする?」と声をかけると、「今日はもういい。寝る」
お風呂に入らないで寝るなんて、我が家では年に2回あるかないかの椿事だ。
たとえ風邪をひいていても入るぐらいなのに。
しょうがないから私だけ入った。お湯落とさないでおいて、明日入ってもらおう。

もちろんそこからは眠れないので、自炊に走る。
幸い、先日友人から大量に返ってきたものがあって、これは片づけないと引っ越しに障るぐらいなので特に力を入れているミッションだ。
て言うより、まだ読んでないものも多いので、早く自炊して読みたい。
(もうタブレットの平面でしか本が読めない身体になっている)

新しいスキャナもまだまだ設定・実験の余地があるためいろいろやっているうちに夜が明けた。
せいうちくんが起きる6時だ。
久々に平日に8時間も寝たのでたいそうさわやかなんだそうで、ちょっとうらやましい。
まとめて8時間眠ってみたいもんだ、なんて考えるの、授乳期以来かもなぁ。
この眠さも似ている。
ホルモン関係で何か起こるような年齢でもないんだが。薬が多いんだろうか。

昨日の人間ドックでも、看護師さんたちから何度も「ふらついてます?大丈夫ですか?」と聞かれた。
「足が悪いものですから」と答え、嘘じゃないんだけど、それだけじゃないよなぁ。
やはり喫煙を再開すべきか。
軽減できるストレスは減らした方がいい。
環境が変わる前に、喫えるものは喫わせてもらおうかな。
これ以上よろけて家の中のもの壊す前に。


20年11月28日

Gくんがずっとセッティングしてくれていた週に1度のzoom飲み会、半年ほど続けてきたがそろそろ最終回にしたい、と本人から申し入れがあった。
「いつまでもだらだらやっててもしょうがないだろう。メンツも固定してきて7人か8人しかいない。場を開いときゃ何とかなるかと思ってたが、このやり方じゃいかんとわかった!」とGくん。
まあそれでも最終回と聞けば新しい人ものぞきに来るかと5週間前にFBに告知を出して1週1週たち、ついにあいかわらず8人しか来ないで終わってしまった。

もちろん参加している我々は全員、Gくんにこれからも続けてくれ、と頼んだ。
彼はにべもなく、
「そういうことはせいうち家とかの顔の広いヤツがやれ。オレが声かけても人が集まらん。少なくともお前ら、もっと人を1人1人引っ張ってこなきゃダメだ。場があれば人が集まるなんてのはないんだよ!」とおかんむりだ。

最終的には彼がいなくても部屋は残しておいてくれるそうだから、来週の同じ時間にまたみんな集まってみることになった。
主がいないといつか求心力を失うかもしれないが、そうなる前にご本尊が戻ってきてくれるかもしれないし。
今んとこ「オレは絶対顔出さないぞ!」って叫んでるけど。

あとはそれぞれできることをしようと、我が家としては3週間後に各方面に声をかけて大忘年ZOOM会を開くことにした。
そこで珍しい人と会えれば、またGくん部屋の訪問者も増えるかもしれない。
少しだけ危惧するのは、今でもまんがくらぶの思い出にだけ生きているような我が家みたいなタイプはごく少数で、みんな仕事を含む外の世界に様々なつながりを持っている、いわゆる「リア充」なのでは、という点。
そしてリア充は、昔のつながりにちらっとしか興味を示さない。
友達の輪を広げることに失敗した我々の墓標が荒涼たる電脳の荒野のあちこちに残骸をさらすのみだ。

20年11月29日

正式にマンションの購入契約を交わした。
共同所有者の私も実印持って行って署名捺印をいくつもした。
あー、どうしよう、買っちゃったよ。
何やらの割引がついたりした結果、端数に100円が出ている生涯最大の買い物を、ついにしてしまった。

これまでも私は借金はしてないわけで、ローンなるものを組んでるせいうちくんは気が重かろう。
まして40歳になるかならないかの頃、貯金は頭金に吐き出してあとは本当にどこにもないお金を何十年もかかって返していくしかなかったこのマンション購入時は、本当に身が引き締まったことだろう。

こんな風に家を買う、ってやり方はこれからもっともっと少なくなるんじゃないだろうか。
30年会社が存在し、そこに勤務し、給料をもらい続けてローンを払う、って考えは例えば息子にとっては「ありえないと思える」のだそうだ。
実は私もそう思う。
世の中は変わるし、人気企業もお金を生むジャンルも変わっていく。
私が就職した頃、日本の電機会社は大した勢いだったしテレビ局や広告会社は大人気だった。
今ではすっかり様変わりしていて、ジャパンブランドは中国にすっかり負けている。
昔はアマゾンもグーグルもなかったしなぁ。

そういう中で様々な状況に対応していこうと思ったら、賃貸の方が小回りがきく。
我々の世代ですら「買うのか、借りるのか、どっちが有利?」という設問はあった。
ひと世代前の「とにかく不動産を持つべし」な空気はバブルの終わりが払拭してくれた。
大前提として、みんなそんなにお金持ってないじゃないか。
息子をモデルケースに見てるのがいけないのかな。

建ててしまったマンションはけっこう頑丈でよくもつから、今我々が買っている物件が50年後ぐらいには全部安い賃貸物件になるんじゃないだろうか。
国がどかどか公団を建ててくれれば別だが、そうでないなら自然発生的に大マンション群は巨大団地にならざるを得ないだろう。

とても妙な買い物をした気分が去らない。
いみじくも息子に言われた通り、「現実感がない」話だ。
初めて万札を握った小学生のように、目を白黒させて熱出す寸前。
こんなんで本当に住めるのか、自分。

20年11月30日

ZOOMは無料版だと40分で切れてしまうからと、チャレンジャーなGくんがMessenger飲み会を試した次に持ち出したのがDiscordという通信アプリ。
もともとゲームをする人たちがお互いのゲームを眺めたり一緒にプレイしたりするためのツールらしい。
画面も共有できるしメッセージも送れる、慣れた人なら充分使えるものなんだろう。

しかし、我が家にはハードルが高すぎた。
音割れをはじめ、様々なトラブルが起こる。いろいろ実験・分析を試みるGくんにも理由がわからない。
もっともアカンかったのは、そいつをインストールしたノートPCが無茶苦茶重たくなってしまったことだろう。
通常の作業をしていても息絶え絶え。
元々メインのPCに比べて遅いマシンであったが、さらに異常に時間がかかるようになってしまった。

しかもせいうちくんがDiscordをPCから消そうとしてもなかなか根絶やしにできない。
何をやっても残っていて、PCを重たくする。
ついにアンインストールに成功したあとは、私としては申し訳なくて二度と勝手にソフトをインストールしませんと一筆入れたいほどの気持ちだった。

途中ではGくんをなじるような格好になってしまった。
「Gくんのレベルが高すぎるんだよ。うちは使う人もPCもスペック低いんだから、もっと誰でも使えるような易しいソフトにして」と文句言ってしまった。
幸いというかなんと言うか、元プログラマの長老をもってしても「Discordはトラブルが多い。バグか?」って状態だったので、そして実際のところ参加してるメンバーの大半がこの2人だったので、Gくんもお手上げになったようだ。
Discord飲み会はとりあえず解散になり、Gくんも自分の部屋を閉じた。

しかし、なくなってみるとあれ、便利だったなぁ。
1日の大半、Gくんが待機しいていて、アクセスして「おーい」と声をかけるかMessengerで「今Discord部屋にいるんだけど」と連絡入れると、向こうも音声と画像を出してくれる。
まさにGくんが目指していた、「誰かがいつも暮らしていていつも誰かが来ていて飲んでいる学生時代の寮の部屋」が電脳上に存在していたのだった。

ほぼいつでも好きな時に人としゃべれる場を失って、私も気が抜けてしまった。
眠れない夜中など、GくんがPC前にいるのが少なくともMessenger上でわかると、「ちょっとZOOMしない?」と送ってしまいそうになる。
まあたいがい酔っぱらってる彼はたぶんいつでも受けてくれるだろうが、特に話すことがあるでなし、基本的には「分かり合うために人と話したい」タイプとしては寂しいからってやたらに人を呼び出すわけにもいかない。

Discord部屋がある頃は、さしたる罪悪感なしにお互い好きなことをしながら時々しゃべって、数時間かけて自炊をワンセット終えたりできた。
そういう目的のために彼も場を開いていたんだろうし。
難しいからって敬遠しないで、もっと勉強してついていけばよかったなぁ。
Gくんの誤算は、始終人恋しい人間が私を含むごく少数しかいなかったため、来るメンバーが異様に固定化してしまったことではないだろうか。
「盛り場」を作るのはなかなか難しいようだ。

せいうちくんと一緒に暮らしていてさえこんなに寂しいんだから、もし1人になったらどうなるんだろう。
本を読んでいても映画を見ていてもそれについて何事か人と話し合ってないと座りが悪くてむずむずしてくる人間は、どうしたらいいんだろう。
みんな、1人の時間ってどうしてんの?

私は明らかに何かのバランスが悪い。
自分と向き合う時間を楽しめない。
実家近辺から今の家まで3時間半歩いて帰り、「日頃気づかないいろんなものに触れた」と語る息子のようにはとてもとてもなれない。
歩くのがキライだってこと以前に、せめてイヤホンで音楽聞きながらででもないととてもそんな時間は過ごせない。

平日でも2、3時間、休日はそれこそ朝から晩までせいうちくんとしゃべっていてなお、もっと情報交換したい。
頭を「外からの意味」で満たしたい。
1人でいると輪郭を失う。
ポルノグラフィティも歌っているんだよ、
「僕が 暗闇を好まないのは いつかそのまま溶けていきそうだから
 ほんの小さな灯りでもいいさ 僕は 輪郭を取り戻す」
光あるところに影があり、他者がいて初めて自分が生まれる。
ネットの海ではそんな寂しい夜光虫たちがせめて自分を照らし出そうとささやかに発光してるんだろうなぁ。

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