20年12月1日

引越しに向けてせいうちくんがじゃんじゃんモノを捨てているのは前にも書いた通り。
おかげで、目に見えるところはさほど変わらないがクロゼットを開けてみると半分以上空だったり、押し入れケース全部に何も入ってなかったりする。

「何を捨てたか」はあまり聞かされておらず、さすがに私の大切にしてるものはだいたい把握していてちゃんと聞いてくれるけど、小物入れに使おうと思っていた小さな箱などは「大切なもの」にカウントされないらしい。
「お菓子の箱?全部もらいものでしょ。またもらうよ」
バカモノ、コロナで人と会うことがほとんどなくなった今、物をもらう機会なんてないんだ。箱はAmazonさんからしかこないんだ。
洒落た紙袋もしかり。
友達に本を貸したいのに、
「茶色い紙袋の束あるでしょ。使っていいよ」って、それはちょっと違うのよ。

「せめて私に聞いてからにしてくれないかなぁ」とは何度も申し入れているが、自分でも「捨てられない女」であった母親の血を引いている自覚はあり、ここは「捨てたい男」にスパッと捨ててもらうのが一番いいのだとは思う。
だからと言ってガマンできないことも、たまには起こる。

半年ぶりぐらいにブロッコリーが安くなってたので、せいうちくんが得意料理の「あさりとブロッコリーのペペロンチーノ」を作ってくれた。
私が作った「大根の明太子和えサラダ」と一緒に晩ごはんにしよう。
あれ、なんでペペロンチーノが乗ってるのがそれぞれ違うお皿なの?
前はお気に入りの黄色い花模様が周りについたやつをお揃いで使ってたじゃないか。

「どうしたの?」
「捨てた」
「4枚あったのに?2枚も残さずに、1枚?」
「そう」
「……」

あれはね、下北沢の食器屋さんの前を通りかかった時、2人ともひと目で気に入って「ステーキとか食べよう」って即決で2枚買ったんだよ。
帰ってみたら、息子も食べるかもだしお客さんが来ることもあるし、って意見が一致して、翌日もういっぺんわざわざ下北まで行って、もう2枚買い足して4枚組にしたんだよ。
そのこと、覚えてる?

「覚えてるよ。でも、もういいやと思ったんだよ。ほかの大皿と一緒に使えばいいじゃない。それぞれ違うのもオシャレでしょ?」
そういう問題じゃないぞ。思い出の品だって言ってるんだぞ。

激怒すると言うよりじわじわ圧力かけるタイプの怒りをぶつけ、
「大事なものだってわかってるでしょ。相談してからにして」と低い声で告げた。
向こうも相当まずかったと思うらしく、代わりに小さな親切をいろいろしてくれた。

まあ、特に仮住まいの1年間は荷物が少ないに越したことはないよね。
お客さんもほぼ来ないだろうし。
新しいマンションに引越して生活が落ち着いたら、また気に入ったお皿を4枚そろえて買えばいいよね。

それでも毎日心臓に悪い。
クロゼットを、引き出しを、棚を開けた時、あれはあるだろうか…スリル満点だ。

20年12月2日

文具の引き出しから45年物のカラーインクが10色ほど出てきたりするのも引越しの醍醐味。
息子がちょっと欲しそうだったな、友人の娘さんが最近漫画を描き始めたからカラー原稿用の足しにしてもらおうかな、とか考えてよくよく調べてみたら、たいがいのものは底に色素成分が固まってしまって、上が淡いカラーの水になっていた。
使えそうなものも、相当な粘度であるかもしれない。
あきらめて捨てよう。
マーメイドの用紙に描いたイラストの目にウルトラマリンを使ったりするとそれだけで上手くなったような気がした高校生の私よ、さようなら。

せいうちくんは休みのたびに冷蔵庫の中から謎の調味料の大瓶を出し、どろりと中身をビニール袋にあけ、中を洗って燃えないゴミに捨てられるようにしている。
申し分ないゴミ分別だ。

よく食べる3人家族であった時代の名残で、我が家の調味料はたいがいキングサイズ。
中華料理に使う豆板醤(トウバンジャン)甜麺醤(テンメンジャン)芝麻醤(チーマージャン)などは、スーパーで小瓶を買うと料理1回か2回で全部使ってしまうので、業務用の大瓶を買っていた。
しかし、もう誰もそんなにしょっちゅう麻婆豆腐や担担麺食べたりしないので、ほとんどの瓶が使用半ばで半固形になってしまっていた。
こんなのも「家族の終焉」なんだろうな。
牡蠣ソースの細長い瓶は特に苦労するのだそうだ。物悲しいねぇ。

20年12月3日

せいうちくん、お誕生日。
前日の晩ごはんの時ぐらいにはしきりに「明日誕生日だね。57歳だね」とか言っていたのに、肝心の「日が変わった瞬間」には寝る支度に忙しくてまるっきり忘れていた。
「きのう何食べた?」のケンジになれない。

朝、共通のライングループにお祝いメッセージが来てるのを見てやっと思い出し、
「ごめん!忘れてた!おめでとう!」と盛大に声をかけた。
本人はこういう細かいことをまったく気にしない美質に恵まれているので、
「昨日たくさん言ってくれたじゃないの」と鷹揚だ。実に育ちがいい。

しかし誕生日なのに出勤だ。
小学生の頃、夏休み生まれなので学校で友達にお祝いを言われたりプレゼントをもらったりする機会がなくて非常に残念な思いをしたのだが、さて、コロナの中お誕生日に会社にたまたま行くと、何かいいことはあるんだろうか。
さっき「帰るよ」と電話があったが、特段興奮した様子もなく、さほど面白いことは起こらなかったと想像される。

こういうこと言うといつも、
「会社がそんなにエキサイティングなところだと思われても困る。キミだって昔会社員やってたんだから、だいたいわかるでしょ」と言われるが、うーん、面白きこともない会社をなんとか面白くしようと奮闘していたような気がするなぁ。
きっとそのへんが空気読めない人と思われていた原因だろうな。
会議中寝てばかりいて、仕事中おしゃべりばかりする。これでいいわけがない。

テレワークの効用で、せいうちくんがけっこう立派にお仕事しているのを毎日のように見聞きする。
そもそも仕事の合間にテレビ見ようとか散歩行こうとか全然たくらまない。
「そんな隙間の時間なんてないし、あってもやらないし」と困った顔をされる。
テレワーク下の人ってみんなこんなに真面目なの?
会社にいる時にはもうちょっと雑談したりコーヒー飲みに行ったりしなかったの?
少なくとも「仕事の話以外するヒマはない」と言っていたせいうちくんから、社内で新作映画の話題で盛り上がっていたと聞いて「聞いてる話と違う!」と激怒したことがありますが。

会社に行って帰ってくる夫を待つのも新鮮だなーと思うのって、なんか不思議…
まさか定年より前に、基本会社に行かない日がデフォルトになるとは思ったこともなかった。
「家にいるのに遊んでくれない」という不条理にももう慣れた。
そして、ちょっと罪悪感を感じるのだが、いない日はいない日でけっこう作業がはかどる。
せいうちくんのパフォーマンスは私がデスクの隣にいようが寝室に引っ込んでいようが全然変わらないようで、この集中力にも感心するよ。
まあ、会社って基本的に人が周りにいてその中での1人作業が結構多いわけだから、いちいち集中を乱していては仕事にならんのだろうなぁ。

20年12月4日

我が家ではPCを使わない映像の管理は私の仕事になっている。
テレビやCSの録画とかDVDへのダビングとか。
せいうちくんはPCのことは「普通の男性並み」によくわかるようだしデッキとかの接続もちゃんとしてくれるが、なぜか肝心の録画予約の仕方とかダビングの仕方は全くわからないらしいのだ。
不思議なことに、誰かがやってくれるとその「担当さん」以外の人は無能になる傾向があるよね。
私も最近、料理が全然できなくなってきた。
そらで作れるのはタンドリーチキンぐらいだ。
あ、あれも秘伝のスパイス配合はレシピを見るから「そら」じゃないなぁ。

古いデッキの1台が反乱を起こし、いくら新しいブルーレイのディスクを入れても読み取らなくなってしまった。
デッキはだいたいDVD部分から壊れてくるものなのでそろそろ寿命かしらんと思うが、ディスクとの相性もありまた不良品というか質のよくないものが混ざってる可能性もあって、メーカーによっては1割ぐらい使えないものだったりするそうだ。

なぜか引っ越し作業の一環として(よく考えるとあんまり関係ないんだが…)古い録画はデッキが壊れる前に中身をDVDに焼いてしまおうと思っているので、この際ブルーレイディスクに投資しよう。
敢然と、自転車にまたがって近所のコジマに向かう。
50枚3千円ちょっとの安ブルーレイを買ってきた。
さあ新品だよ、お食べ、とばかりにさっきまで古いディスクを拒否し続けてきたデッキのトレイに入れてみると、ちゃんと認識した!ディスクをフォーマットしてくれてる!

だってさぁ、昨日の夕方は大人しく「浦沢直樹の漫勉」のコピーを取らせてくれたんだよ。
友達用にもう1枚焼こうとしたところで、反乱がおきたの。
「いい」ディスクがもう残ってなかったのかしらねぇ。
2、3枚交互に突っ込んでみたけど全部気に入らないようだったから、どうせ新しいブルーレイディスク買わないと作業が進まないからと思って買いに行ってみてよかった。

そのあと、CSの専用デッキからメインデッキに100件送ってダビングする操作を行い、メイン以外の旧型1号と旧型2号にはそれぞれ中身を少しずつDVDに吐き出してもらい、その間にはメインデッキから移したハードディスクSeeQVaultの中身を画面に出して、ノートPCでタイトルリストを作る。
これをやらないと、ダブりが多くて無駄になっちゃうんだ。

あと、買ったDVD、焼いたDVD、3台のデッキの中身、そしてハードディスクの中身をこの際完全に把握しようと決心したので。
エクセルでリスト化したら何がどこに入ってるか、そもそも持ってるのか持ってないのか、わかるようになる。

節約道の達人Gくんがディズニーチャンネルの1か月無料期間に申し込んで「スターウォーズを全部見た」と言ってるのがうらやましく、これだけ録画の山を持っててサブスク複数契約しちゃってるんだから、どれかで見られるだろう、って探してみたら、これが全然なんですねぇ。
なぜか「2」だけ買ってるのが物悲しい。
(ハリーポッターとエイリアンならシリーズ全部あるのに。ブレイドもあるぞ。何なら金八先生のBOXだってあるんだ)

さすがディズニーが独占してるだけあってNetflixなんかは最初から勝負する気もなく、「スター」と入れても出てくるのは「スタートレック」ばっかり。
アマプラは面目にかけて入れてたけど、全部有料だった。
そしてU-NEXTはあたりさわりのないスピンオフものばっかり。しかもポイント制で有料。
Gくんのやり方以外では今、「スターウォーズ」を全部無料で楽しむことはできないのだった。
真似しようかな。それもくやしいな。いっそやっぱり円盤を買うか!

ものを整理するのは好きだ。
特に、物理的に捨てたりせずに「消去」とか上品に片づけられるものが好き。
何かが順番に並んでいることに非常な喜びを感じるため、シリーズ物が途中で途切れてたり抜けがあるとパニックを起こす。
あああ、どうして「王様のレストラン」の第1話がないんだ!
せいうちくんは「そんなのいいよ、あとは全部あるんでしょ」と気にしない構えだが、どうして若い筒井道隆が流行らないレストランのオーナーになるのかとか、ギャルソンに松本幸四郎が来るいきさつとか、全部第1話に詰まってるんだよ?知りたくならないの?

こうなったらFODに再入会だ、そろそろ前に入ってた履歴が忘れられて、また1か月無料になるかもしれない、と考えてはっとした。
発想がGくんに似てきている。
ああああ、とこれはこれで机に突っ伏すたぐいの落ち込みを生む。

そういえば今日はGくんがまんがくらぶzoom飲み会をやめると宣言して1週間じゃないか。
来週の今日、みんなは集まろうね~と約束したが、さてさて何人ぐらい来るのかな?
ある程度集まったら誰か(きっと私だ)がMessengerかなんかでGくんを呼びに行くんだと思うんだが、あの頑固者は意外と断固として来なかったりするんだろうな。

20年12月5日

昨夜はくらぶのZOOM飲み会。
ホストのGくんがいない初めての回で、まあいつものようにみんな集まるだろうと22時過ぎにそれぞれのPCで入ったら、誰もいない。
「えー、なに、みんなGくんがいなくなったら来ないわけー?」
「来週もまたここで!って固く約束したのにー」と2人でぶうぶう言いながらそれでも10分ぐらい待っていたら、Sくん登場。
「来ないかと思ったよー」と言うと、
「僕は22時ちょっと前に入って待ってたんだけど、誰も来ないから忘年会やる予定のうさこさんの部屋の方でやってるのかな?って見に行ったりしてたんだよ」とのこと。
すれ違いだったのね。

しばらく3人でしゃべってて、まあお約束のように私がGくんを呼びに行く。
前々前世にネズミだった頃からというより世界の始まりから、猫の首に鈴をつけに行く役目だったに違いない。
Messengerに応えてGくんが現れた時は3人で歓声で迎えた。
「なんだ、『みんな待ってる』って言うから、長老は絶対いるんだと思ってた」とGくん。
それがねー、さっきから呼んでるんだけど既読にならないのよ。
早くから飲みすぎて酔いつぶれちゃったんじゃないかしら、あのご老体は。

1時間半ぐらいしたら長老が現れた。
「酔って寝ちゃって、起きて殺人事件をひとつ観てから来てみた」って、「科捜研の女」の再放送ばっかり見てるんだよね、この人は。

にぎやかになったけど、私たちは明日の朝、不動産屋さんがリビングの写真撮りに来るから帰るよ。
「どうだ、マンションは売れそうか?」ってマンションマニアの長老が興味津々だけど、まだ売り出したばっかりだからねぇ。
やっと現場写真でテコ入れしようって段階だよ。
まあ即売とはいかない。じっくり待ちます。

というのが昨夜の話。
今朝は8時に起きて掃除をし、引っ越し途上で散らかった雰囲気のリビングをあっという間にあまり生活感がないぐらい片づけた。
威張るわけじゃないけどうちは基本けっこう片づいてるんだ。
私が散らかしてさえいなければね。

マンションの販促のため、不動産屋さんがリビングの3D写真を撮りに来てくれた。
データ上で家具を消し込むんだそうで。
カメラマンさんと相談してるのを聞くと、
「家具、消さないほうがいいですね。素敵なリビングですから」
「そうですね、いい雰囲気が出ますよね」ですって。自分ちをほめられるのは嬉しいね。
内覧も歓迎。いい人が買いに来てくれるといいな。

夜は落語を聞きに行った。
こっちの方に来てくれるのは珍しい、春風亭一之輔さんの独演会だ。
すっかりおなじみの市松模様の着席のため、申し込みは通常の倍の争奪戦だった。
友人たちの分と4枚確保できたのは本当に運が良かった。

出囃子が「赤鼻のトナカイ」で、一之輔さん、
「今年はクリスマスって言葉も音楽もあんまり聞きませんね。例年、マライア・キャリーとかかかってるんですけどね」と例によってぼやいてた。
全部思いついたままにしゃべってるんだって。
キレッキレに激しく笑わせにかかる前半と、トリの怖いほどに迫力ある、訛りを豊かに使った夢落ち噺を聞いて、存分に振り回された。

友人たちに家に来てもらって、短い時間だけど我が家とのお別れを惜しんでもらった。
いつものお蕎麦屋さんまでは無理だけど、とろろそばを食べて忘年気分。
今年もなんとか暮れていく。終バスまでの短い宴会だった。

「マンション出たあと、こことも最後かーと初めて実感がわいてしみじみしてしまいました」
「16年か…あっという間ですね」
ってそれぞれお礼のメッセージもらい、反応が遅いよ!と一人ツッコミ。
恒例だったこの街での落語会、再来年から新居先でやるのか、来年の仮住まい期には番外編を浅草や上野でできるのか、わからないままにひとまず終了。
民家を改装した公民館の座敷で喬太郎さんを聞くところから始まって10年以上。長年楽しかった!

20年12月6日

掃除も買い物も昨日のうちに済ませておいたから、もう今日は何にもしないぞどこにもいかないぞ、って12時までベッドでゴロゴロ。

録画の中から「劇場版タイムスクープハンター 安土城 最後の1日」ってタイトルに惹かれて観る。
要潤が出ていたテレビシリーズの映画版だね。ドラマけっこう面白かったよ。
麒麟が来そうで来ないけど2月まで放送延長されてほっとしている今、旬なテーマじゃないか、安土城。

大好きな安っぽいSF調がいい。
時代時代に変装しろよ、そのなりで戦国時代の難民にはインタビューできて1945年の婦人隊には怪しまれるってどういうことなの?

ところがせいうちくんが「げんのう」を買いに行きたいと言う。
重たいトンカチのことだね。
薄刃の平のこぎりまで含めてかなり大工道具をもって暮らしてたので前は家にあったんだけど、ある時息子が「舞台の大道具を作る」って持ってって、例によってそれっきり。
うちの物はずいぶん息子に持ち出されてしまった。
質屋通いの放蕩息子を飼ってるようなもんだった。

なくなったものはしょうがない、その後、釘抜きのついた小さな金づちは買ったが、やはり一家にひとつは欲しい「げんのう」。
分解した古い電子機器の記憶媒体部分を破壊するのに使いたいんだってさ。
これから引っ越しすれば隣の家にほうき掛けを作る長い釘を打つこともあるかもしれない。ぜひ買いに行こう。

ホームセンターまで20分ほどの散歩。
途中の歩道橋を登ったら息が切れてしばらく動けなかった。
体力の衰えを感じるなぁ。

それでもホームセンターってところは胸が躍る。
世の中にはこんなにいろんなトンカチがあるのか。
ゴムの握りのものから古典的な木の柄まであれこれ握ってみて、グリップの良さそうなカッコいいのに決めた。
1980円ってのは高いのか安いのか。
まあトンカチってのはそのぐらいするのも確かめられ、有意義な買い物だった。

なんでもないものでもせいうちくんと見ていると楽しい。
これからまだ20年ぐらい、げんのうから古本、食器棚から老人ホームまで見て歩いて一緒に選びたい。

20年12月7日

「げんのう」を買いに頑張って散歩したのがイカンかったのか週末タテになってる時間が長かったせいなのか、おとといの夜に突然「ぎっくり腰」を起こした。
洗面所でかがんだとたんに背中左下部に「ぴしっ」と破滅の音が走り、思わず「ああああっ!!」と声を上げていた。
「どうしたの?!」ってせいうちくんが大慌てで飛んできてくれたけど、ごめんね、ただのぎっくり腰。
でもとても痛い。
もう何度やってるかわからない。かなりクセになってるなぁ。

そろそろ両膝に注射打ってシップもらいに整形外科に行く頃だったので、ついでにぎっくりも診てもらった。
一応レントゲンも撮ったが、骨には異常なし。
ただ、ヘルペスかもとの注意は常に怠らないように、とのことだった。痛み方が似てるんだって。
「かがんだ時にぴしっと来て」と話したら、
「ああ、それは間違いなくぎっくり腰だね。でもヘルペスにも気をつけてね」って。

先生、最近優しいなぁ。
7年ぐらい前に膝の痛みで最初に行った時は、あんまりぶっきらぼうで怖いからその後ずっと別の整形外科に通ってたぐらいなんだけど、3年ぐらい前からまた行くようになったら(何しろ近いんだ)、私が年を取ったせいなのか明らかに症状が進んだせいなのか、それとも開業して時間がたって地域医として人間が練れてきたのか、とにかく優しくなった。
「今度引っ越すかもしれない」と話したら、
「引っ越し先が決まったら紹介状書くから教えて。千駄木の辺に仮住まいするの。へえー、何か千駄木に思い入れでもあるの?」と注射打ちながら聞いてくれる明るい態度。
離れるのが惜しくなっちゃったじゃないか。けっこう若くてハンサムな先生なんだぞ。

20年12月9日

通院日。
せいうちくんも出社だから1人でゆっくりごはんを食べて帰ろうと思ってて、読む本も準備してたのに、薬局で薬を待ってる間になぜか気力が萎えてしまった。
早くおうちに帰りたい。
ベッドで横になりたい。
というわけで晩ごはんの水餃子の買い物をするついでにスーパーのおにぎり買って早々に帰ったのだった。

別に元気をなくすようなことは何もなかった。
ドクターはいつものように自民党嫌いで「アベノマスク」から「GO TOキャンペーン」までこきおろしていた。
私もたいそう同感なので傾聴していた。
「若い世代が大変で、息子のことは直接助けてあげられるけど、それでも彼らの生き血を吸ってる気がする」と嘆く私に、
「僕だってそうだよ。上の世代はいい思いしてるんだよ」と共感してくれた。

せいうちくんのテレワークが幸いしてかこの頃落ち着いてきているので、コロナ中は治ろうとか良くなろうとか思わずに現状維持で、との方針は変わらないそうだ。
いつもと同じ薬をもらう。
自律神経失調症の薬だけはそろそろ少し減らしてみていいですか、と提案した。
寒くなって汗もかきにくくなってきたから。
漢方は残して錠剤をなくしてみるようだ。

薬局のおねーさんと「コロナのおかげで風邪だけは減ってますね」と話したのは唯一の明るい話題か。
手洗いとうがいでここまで風邪もインフルエンザも防げるんだとあらためてびっくり。
「マスクの習慣は残るかもしれませんね」とおねーさんは言うが、コロナが明けたとたんみんな、もう二度とマスクの顔は見たくないと思うんじゃないだろうか。

バスで帰りながら、うまくいけば来年早々にも仮住まいを始め、そのあとはずっとバスとは無縁の生活になるんだな、と想像してみる。
私は外出が少ないからあまり気にならなかったが、毎朝バス通勤していたせいうちくんや高校・大学と駅に駐輪場を借りて通学していた息子は大変じゃなかっただろうか。
2人ともそういうところは全然骨惜しみしないタイプなのか、苦情や不満を聞いたことはないのが幸いだ。

仮住まいになったらせいうちくんは会社が近くなって喜ぶかしらん。
今や、たまに出社の日があると気が重くてしょうがないらしいからなぁ。
通勤って無心の境地でこそできるもので、いったん「1時間以上かけて会社に行く、そしてその同じ距離を帰る」とか意識してしまうとすごくしんどそう。
テレワークの習慣よ、コロナ後も残れ。残ってくれ!

20年12月10日

明日はせいうちくんお休みだからあれこれ予定詰め込んだ。
上野方面に仮住まい見に行って、帰って少し休んだら患者数激増のために涙をのんであきらめた年に1度の楽しみ、友人ご夫婦との北島亭での会食をせめてZOOMお食事会で少しでも取り戻そうとの企画。
おまけにそのあとはきっと夜中までまんがくらぶのZOOM飲み会があるんだ。
Gくんがいない間、我々が場を守らねば。
ああああ、来週はもう大忘年ZOOM会だよぉ。
明日の外出に備えてぎっくり腰もいたわらねば。

だから今夜は晩ごはんもあり合わせ、買い物も何にもしてないから引っ越しまでに食べちゃいたい缶詰とかですまそうね、って言ってるそんな日に限って、息子から連絡。
「明日13時から実家近くのハローワークに行く予定があるから、今夜泊まりに行っていい?」
ううう、嬉しい。嬉しいけど、悩む。

せいうちくんと相談したら、彼は前向き。
ごはんなんて自分で食べてくるか買ってくるかすればいいんだから、とのんきでいいねぇ、お父さんは。
お母さんはご飯を食べさせてやれないと何か大事な義務を果たせてない気がするもんなんだよ、私程度のスキルのお母さんでも。

まあとにかく会えるのは嬉しいので、「来てね」と返事する。
向こうも喜んでた。
お正月にカノジョと来てくれるまでは会えないと思ってたから、ドキドキするね。
週末に迫ったコントライブの稽古で忙しいらしく、ここ2週間ほどグループの生配信も止まっていたんだ、生配信どころか本人に会えて嬉しいよ。

週末はもちろん我々も見に行くつもり。
今の心境、苦労をわずかでも聞かせてちょうだい。

数日後に迫ったコントライブの稽古が終わってからしか来られないからもう終バスもないんじゃないかと、駅前まで車で迎えに行った。
本人歩いてくるつもりだったらしい。30分かかるのに。
いいトレーニングになるだろうが、早く会いたいのも親心なんだ。

週末を前に今夜は食料品がほとんど尽きており、2人で目玉焼きとか缶詰でも食べておこうねって有様だったので、息子には帰りに寄ったコンビニで好きなものを買ってやる。
冷凍の麻婆丼とラーメンを買っていた。相変わらず身体が若い。

帰るといつも一番に風呂なのに、今日はゆっくりコーヒーを飲んでタバコが吸いたかったようだ。
息子が来た時だけ喫煙者になる私も、彼が来るとわかった時に買いに行って準備してある。
煙をぷかぷか吐きながらせいうちくんと息子のなんだか難しい話をうっとりと聞いていた。
「人間はどう生きるべきか」は昔から大好きなテーマだが、自分の夫と息子がそういう話をするのを聞くのは本当にいいものだ。
ちゃんと人間が1人育ち上がったなぁとそっと目頭をぬぐう。

雑談と言うより真面目な議論が3時間近くも続き、タバコが切れそうになったので、
「母さんと夜のお散歩に行かない?コンビニにタバコとおいしいコーヒー買いに行こうよ」と誘ってみたら、
「さすがに眠い。明日、起きられたら行こう」とやんわり断られた。
息子と2人で夜の散歩をしてみたかったんだよう。
「さっきコンビニで食べ物買ってくれた時、『タバコいいの?』って聞いたじゃん」
「あの時買っとけばいいのに、バカだなぁと思ってる?」
「うん」とにこやかに言われて、今夜はこれでお休みだ。
「明日、起きたら行こうね」とフォローしてくれるところは昔と全然違うね。
ああ、幸せな夜だ。

息子の部屋は片づけてベッドカバーをとり、ベッドバッドとシーツを敷いて枕と掛布団を出してあげた。
意外なことに全部紫色なんだよ。なんか妙な雰囲気の寝床が出来上がってしまった。
リモコンの設定が狂ってしまったのか使えなくなっていたエアコンを根性で直して、夕方からずっと温めておいたから居心地いいと思うよ。
息子も部屋を覗き込んで、
「ずいぶん片づいたねぇ。今夜はここで寝させてもらおうかな」と最後は元・自室に引き取った。

例によってまた見に行って、
「どう?なつかしくなってきた?」と聞いたら、
「うーん、まだもうちょっとかなぁ」とのこと。
お正月にもカノジョと来てくれるそうだから、その時存分に部屋との別れを惜しんでくれい。

息子が来ると幸せだし、息子も昔と違って全然意地悪なこと言ったり怒ったりしないのに、なんだか怒ってるんじゃないかと気になってしょうがない。
「キミは幸せだと不安になるんだよね。僕が慰めるよ」と優しいせいうちくんのおかげで助かっている。

20年12月11日

朝、10時になったので息子を起こし、一緒にコンビニにコーヒーとタバコを買いに行った。
「このへんはなつかしいよなぁ」としみじみしてた。
お正月にカノジョと一緒にまた泊まりに来てくれるそうだ。
久々に自分の部屋で寝られて嬉しかっただろうか。

朝からステーキと味噌汁とサラダとごはんを要求し、それでも昨夜の夜食にコンビニで買った麻婆丼とラーメンが響いていたのか、味噌汁とごはんはほとんど残していた。
また楽しくおしゃべりをし、ハローワークの説明会に行くと言う彼と一緒に家を出て、お茶の水方面に向かう。
仮住まい先として根津と千駄木の物件を見に行くのだ。

どちらも1LDKのマンション。
すっかり生活が贅沢になってしまい、オートロックと宅配ボックスは欠かせないと思う。
根津の物件はまるっきり本郷の裏手だった。
せいうちくん的には部屋は気に入ったようなんだが、「うなされそう」と言っていた。
街も地味だね。あんまりお店とかない。

不動産屋さんの車で千駄木の第二物件に移動する。
オートロック内の大仰なモニュメント(マンション名が大きくついた巨大な平たい黒石が立ててあり、表面を水がさらさらと流れている)はひどく無駄だが、カッコいい。
廊下が絨毯張りの内廊下なのもいい。
部屋も白っぽい内装で新しっぽい。
結論から言うと私はこっちの方がものすごく気に入った。

「根津の物件の方が地道でいいのに」と言うせいうちくんと街を歩いてみたところ、千駄木の街には面白そうな小路があったり美味しそうなインド料理屋やイタリアンの店があったり。
せいうちくんがものすごく急にトイレに行きたくなったのでそのへんの喫茶店に飛び込み、席にもつかずに奥に駆け込んでいくのを私はゆっくりと着席して眺めていた。

カウンタ中ではおばちゃんがカウンタ席に座ったおばあちゃんの愚痴をしきりに聞いてあげてる。
「しょうがないじゃないの。あの人はそういう人よ」
メニューのカレーの写真が壁に貼ってあり、すごく美味しそうだった。
おなかがすいてなかったのと予定にない急な入店なのでコーヒーだけ飲んで帰ることにしたが、おばちゃんとおばあちゃん(その後おばあちゃんは2人に増えた)がとても面白かったので、ひそかに「身の上相談喫茶」と名づけておく。
「今度、カレー食べに来ますね」と帰りがけに言ったら、
「おいしいわよ。私が作ってんだから」とのこと。なんだだ期待が持てる。

結局、サミットが近いしいいお店が多い面白そうな街なので千駄木に決めた。
やはり決め手は道路を挟んだ真向かいのブックオフであろう。
仮住まいに自炊器具は持って行かず、読む方に徹する気でいたが、にわかにそういうわけにもいかなくなった。
1年住む間に、どれほどのマンガが向かいから我々のマンションに移動することになるだろうか。

お茶の水を経由し、丸善で家計簿と日記帳を買い(せいうちくんは来年から「5年日記」をつけるそうである)、会社の人との夜のZOOM飲み会に備えて「肉の万世」のサンドイッチとビーフシチューを買った。
おやつの分も入れてサンドイッチを4つも買ったのがいけなかったんだろうか、全部で4千円以上してビックリした。さすがは「肉の万世」だ。
(「ソース味って男の子だよな」by 井之頭五郎)

今夜はZOOM飲み会が2つもある。
不動産巡りでくたくたなのに、大丈夫か自分。
それでも住まいを「買う」が終わり「借りる」も無事にすみそうだ。
あとは「売る」が終了すれば「引っ越し第一弾」に突入するだけ。
どうもこの「売る」が一番難しそうで不安になってきたぞ。

20年12月12日

昨日はZOOM飲み会を2つもやった。
ひとつはせいうちくんの会社のお友達ご夫婦と毎年「12月のお誕生会」をやっていた、それが今年はコロナでできないのでせめてZOOMで、となったもの。
お2人と1年ぶりに顔を合わせ、楽しいおしゃべりの時間を過ごした。
ZOOM時代、バンザイだ。

お誕生会、楽しかった。
別にケーキを食べたわけでもバースディソングを歌ったわけでもなく他愛もないおしゃべりをしただけなんだけど、親しい人との会食はいいね。たとえZOOMでも。
それぞれ1画面に夫婦で入って2画面でやったので、ZOOMの性質上いくらでも続けることができる。
(最初にこっちが2台のPCに分かれてたので3画面となり、初回は40分で切れてしまった。途中で2画面に切り替えても、一瞬でも3画面参加となるとあとからいくら2画面になってもその回は最大時間40分となる)
2時間ほどやったかなぁ。

もうひとつは恒例のまんがくらぶ飲み会。
こちらはいつもの通り。
「オレと関係なくやれ」と言っていたGくんが序盤で登場したのは面白かった。
途中から少し人数が増えてきたが、こちらは息子が泊まってったのちに千駄木まで行ったり別のZOOM会もすませたあとだったりでたいそう疲れていたため、珍しく「ではあとは皆さんで楽しんでください」となった。
さぞかし盛り上がったことだろう。
夜中になってくるにつれ酔っぱらって乱れて下ネタになっていくのが楽しいんだが、最近あんまりそこまで深入りしてない気がする。
やはり我々なりに忙しいんだろう。

それでも翌朝のせいうちくんは昼近くまで寝ていた。
そのあと用事があって吉祥寺に行っていつものパッ・タイとカオソーイを食べ、これまたくたくたになって帰ってきた。
だが食料品の買い出しにはいかねばならないので、車で出かける。
そうだ、まだ午後3時だから、春に改装を始めて以来ずっと行ってなかった優秀な八百屋に初めて行こう。
もう再開して3か月ぐらいたつのに、ずっと土曜は寝坊していたので行けてなかった。
(たぶん前夜に必ずまんくらZOOM飲み会があるのが関係してると思う。日曜はお休みなんだよね)

ここ1年近くの深刻な野菜不足の原因となっていた八百屋の休店。
初めて行った新しい店舗はすっかりきれいになって、でもやっぱり野菜が安くて山盛りになっていて、店先にまであふれ出していた。

店頭でザルに盛った激安野菜を売って何十年のおばちゃんが、我々を見て、
「あらっ、珍しい。ここが新しくなってから初めてじゃないの?」と声をかけてくれた。
覚えててくれたんだ。じーんと嬉しくなった。
でももうじきに引っ越しちゃうんだよね。

車でないとちょっと来られない場所だから、車を手放したらもう二度と来ることはかなわないだろう。
思わず引っ越すのをやめるか車を売るのをやめるか迷うぐらいだった。
でかい白菜の半切れを始め、カブやたまねぎ、小松菜やブロッコリを買いまくる。
大きなエコバッグ2つ分買っても1500円しなかった。
ああ、やはりあるべきは優秀な八百屋。
少なくとも1年後に住むところには業務スーパーがあるから、少しは安く買えるんじゃないかと期待はしてるんだが。

意外なところで地域との触れ合いを感じた。
20年通っててこんなに自信がないのもどうかと思うぐらいだ。
おばちゃんが「ナスおまけしてあげる」と「魔法の手」でザルから2本余分に取って我々のカゴに入れてくれたこともあったほどなのにね。
極端に自己評価が低いところがよく似た我々夫婦。

20年12月13日

息子のコントグループのライブ。
ずっと配信でガマンしていた彼ら、生は実に1年2か月ぶりだそうだ。
7人ともものすごく嬉しそうだった。

場所が下北沢なので、当然「珉亭」と行きつけの喫茶店に行く。
まずは12時頃に珉亭に入ったらまだがら空きだったので、ここもコロナの影響大なのかと心配していたら、せいうちくんサイドはラーメンを大盛りにしてもらったラーチャン(小ラーメンと小チャーハンのセット。とてもおいしい)食べている間にもどんどんお客さんが入ってくる。
家族連れや3人以上には2階の座敷が人気なようだ。
私もまんがくらぶの人たちを息子のライブにつき合わせた時、座敷でビールを頼み、野菜炒めや餃子を食べたものだが、ひざが悪い人間にとって急な階段を上り足をたたんで座るというのはもう無理かもしれない。
たぶんあれが最後だ。

今回、お店も満員になってきたなぁと思いながらおなかいっぱいになって出てみたら、店の外にはずらりと行列ができていた。
いい時間に入れたものだ。
頑張れ珉亭、我々が死んだあとでもここで若者にラーチャン食べさせ続けてくれ、と祈りながら立ち去った。

喫茶店には公演のあと、できれば息子のカノジョを誘って行きたかったんだが、どうも今日はくたびれているうえ不自然に時間が余ってしまったため、先にお参りを済ませておくことにする。
ピークは15時16時なのか、13時前の喫茶店は我々しかいなかった。
おかげでマスター独り占め。
40年近く通ってるが、こんなに話したことは何度もない。

小部屋のように奥まったスペース2つは「3人様以上」と札が立ててあった。
前は2人でゆったり座らせてもらえたものだが。
数年前から「90分以上ご在席のお客様には人数分のお代わりをお願いしております」とも札が出て、うーん喫茶店経営も厳しいのだなぁと思っていたが、ここに至ってのコロナで席と席の間にはビニールのついたてが立ててあり、マスターは、
「接客するのに邪魔でしょうがないんですわ。倒しちゃいそうでね」と苦笑いしていた。

もう80歳近いと思われるマスターだが、
「くたばるまでやりますよ。生き甲斐がなくなったらもうまっすぐあっち行きでしょうが」とやる気満々だった。
「息子さんはどうしてます?」と聞かれたので、
「実は今日もコントライブがあるんで来たんです。コロナでずっとライブやれなかったんですよ。本人もバイト先のパチンコ屋と居酒屋がつぶれて失職してますしね」と話したところ、
「そりゃあ立派だ。頑張っておられますね!大したもんだ!」と手放しでほめてくださった。
さすが脱サラして大好きな喫茶店を始め、何十年も続けている夢追い人である。
正直、息子の境遇を人に話して前向きな評価をいただくことは珍しいので、うるうるっときた。

「また来ますから、お元気で続けていてくださいね!」と言って店を出、ライブ会場に向かう。
もともと狭いスペースで席の間を離しているもんだから、せいぜい20席といったところだろうか。
開場から10分ほど経っていたが我々が最初のお客さんのようだった。
真面目くさった顔の息子が「ご来場ありがとうございます」と手にアルコールスプレーをかけ、手首で検温してくれる。
対策万全だね。頑張ってるなぁ。

続いてカノジョがやってきた。
少しずつ人が入ってくる会場で、せいうちくんの隣に座った。
マスクのまま小声で、
「お正月には遊びに来てくださいね」とか「引っ越しで不用品が出るので息子がいろいろ持ち込みたがるだろうけど、いらないものは捨ててくださいね」とかいらんことばっかり言う親バカたち。
結局満席にはならず始まったが、20席が埋まらなくてしかもお客の最低3人は関係者である。
頑張れとしか言いようがない。

でも、ライブは面白かった。
このグループの売り物であるインプロは全然やらなくて、全部脚本つきと思われた。
配信の日々の中で生まれたネタを磨き上げたものもあって、彼らの努力がしのばれる。
何より、みんな舞台の上からお客さんに直接笑いをお届けできる喜び、生の反応に触れる歓喜に満ち溢れていた。

終わってのお見送りもコロナ対策上できないので舞台上からのお別れになると告知があって、名残り惜しいけど引き上げた。
カノジョとも会場出口でお別れ。
きっとお正月休みに息子と一緒に来てくれるだろう。

本当にくたびれて、まっすぐ帰った。
年々疲れやすくなっている我々。もう初老だもんなぁ。
下北沢には私が25歳のころ住んでいたアパートがまだあって、行くたびに見に行くようにしているんだが、2階建ての8部屋にだんだん住人が少なくなってるような気がする。
そのうち建て替えになるのかもしれない。
その時こそ我々の青春は完全に終わるのかも、って気がしたよ。
でも息子の青春はまだ続いている。ありがたいことだ。

20年12月14日

いつもは日曜の夜に食べる水餃子、昨日は昼にラーチャンという糖質の塊を食べておなかいっぱいでとても夕食までは無理だったので、月曜に持ち越し。
ちゃんと「麒麟がくる」を見ながら食べた。

せいうちくんがタネから全部作ってくれるようになっておまけに包むところまで1人でやってくれるから、すごく楽。
あとね、スープに入れるのとポン酢と両方で食べる彼と違って私はポン酢オンリーなんだが、途中でラー油入れると無茶苦茶うまいよ。味覚を変える、ってやつかな。
汗も無茶苦茶かくけどね。
あまり人様には言えないことだが、水餃子を食べる時の私は途中でパジャマの上着を脱いですごい格好で食べている。

水餃子の皮は「大判の薄皮」に限るなぁと思う最近。ちゅるっとして、うまい。
焼き餃子と違ってフライパンの中で自立させる必要がないから、ひだを寄せないでぺったり半円形に作っちゃっていいから楽なんだそうだ。
昔、冷凍用も含めていちどきに100個とか作っていた「子供のいる家庭の休日の作り置きタイム」には猛烈な勢いでひだを寄せてきれいに並べた出来上がり生餃子を見て悦に入ったものだった。
「恐竜の群れが浜辺で昼寝をしているようだ。美しい」とせいうちくんもほめてくれた
今では全部せいうちくんまかせ。いい身分になったもんだ。

たった今は猛烈に水餃子が人気メニュー。
「中国の人は基本、毎日水餃子らしいね。僕らもそれで全然かまわないねぇ」とせいうちくん。
口当たりがよくてさっぱりしてるうえ、完全栄養食だからなぁ。
糖質制限にはちょっとまずいんだが、もう事実上崩壊していて糖質食べまくりだから、いいや。
もちろん体重もうなぎのぼりなんだが。
ストレスの多い今の時期、糖質も飲酒も喫煙もある程度は大目に見なければならない、とばかりに、やりたい放題の生活をしているよ。

20年12月15日

この間見に行って気に入った仮住まいのマンション、申込書を出しておいたら今日、承認の連絡があった。
緊急連絡先が必要だと言われ、我々に何か起こった時にせいうちくんの両親にどうにかしてもらうわけにもいかないだろうと、まだしも身動きの取れそうな息子の連絡先を書いておいたけど、よかったみたい。
来年1月半ばからもう家賃も発生するし、住んでもいい。

1月16日に息子が浅草で芝居に出るから、車に布団積んでいってマンションに置き、帰りはそっちに泊まってこようかしらん。
もう電気は通ってるはずで、エアコンつけて布団かぶれば何とか寝られるんじゃないだろうか。
コンビニも近いからごはんもどうにかなる。

「買う」「売る」「借りる」をいっぺんに進めていたのでくたびれていたが、大変なところ2つは済んだ。
問題は今住んでるマンションが一向に売れる気配がない点だ。
正直、「今は中古市況が活性化してます」と言われて強気の高値をつけ、それでも内覧希望者が門前列をなすのかと心の準備をしていた。
今んとこ、空振りだ。
せっかく片づけて待ち受けてたのに、散らかっちゃうじゃないか。

まあ、仮住まい先さえ決まればいいんだ。
現住居が売れなくても、家賃の二重払いになって出費が増えるだけですむ。
家を買うとか引っ越すとかになると、お財布ががばっと開いちゃうんだよね。
あんまり高額の買い物をし、その後も家具家電などで何かとお金が出ていくので、桁感覚がおかしくなっちゃうの。
あとから〆てみてびっくりするんだよねー。

少なくともせいうちくんは新しい生活にとても興奮している。前向きだ。
私は少し元気がないので、馬車馬のような彼にひきずっていってもらうのみ。
学生時代、悪友から「追いかけるしか能がない。一種の大型特殊」と言われたのもさりなんとあらためて思う今日この頃である。
こういう人が一家に1人いるのはありがたい。
2人も3人もいたら混乱しそうだが。

20年12月16日

今、自転車を2台使っている。
引っ越しに伴い、どこでも歩いていこうという心意気もあるし実際駅やらお店やらが非常に近いので、きっと当面自転車は使わないだろう。
1年後にまた考えるとしたら電動自転車かもしれない。この頃ものすごく脚力が落ちているんだもん。

なので、息子に「自転車、処分するかもしれない。母さんのは半年ぐらい前にチェーン変えたばかりで、まだ良いものだよ」と知らせたら、あっという間に返事が来た。
「欲しい!一番欲しい!」
息子ならここから自宅まで1時間もかからずにこいで帰れるだろう。
何しろ徒歩でも3時間半で帰り着いた男だから。

「お正月に来た時に乗って帰る?カノジョが1人で帰らなきゃいけなくなるけど」
「正月前に取りに行く」
来週末に取りに来てくれるらしい。
ついでに泊まっていってくれるって。
ついこないだも泊まってもらったし、お正月にも来てもらうし、なんだか申し訳ないんだが会いたいのもまた親心なのでね。
引きこもり生活の自分にとって一番リスキィなのは活動の活発な息子に会うことだともわかってはいるんだが…

まあ、同じ東京に住んでるんだし、それほどリスクは変わらないだろう。
今年は田舎に帰省させてもらえない人が多いと聞く。
ちょっとだけリスクを冒して、団欒を楽しませてもらおう。

20年12月17日

本日の東京都内コロナ新規感染者が午後3時時点で822人となった。
息子に会うのもちょっと考えた方がいいのかもしれない。
政府は完全に対応を間違えたよなぁ。
GO TOやってる場合じゃなかったよ。

せいうちくんが日夜の会社激務にもかかわらず、引っ越し準備にとても前向きなのはありがたい。
外出時以外はほぼほぼ寝たきりの私に代わってあらゆる雑事を取り仕切ってくれる。
「買う」「売る」「借りる」の不動産屋さんとの連絡も、メールや電話で軽々とこなし、必要書類をバリバリと書いてくれる。
さすがは30年以上事務職の男。
机に座って生まれてきたようなたたずまいである。

しかし、動き回る方も派手で、これにはちと困っている。
物を捨てるのが大好きな「断捨離男」なのだ。
「捨てると心が晴れ晴れする」と明るい顔で言われるのは、実はあまりありがたくない。
私は自他ともに認める「捨てられない女」なんだもの。

こないだ、ずいぶん長時間の協議の後、しぶしぶタオルを大整理した。
まだあまり使ってないものまで含めて、たくさん捨てさせられた。
「こんなにタオル、いらないでしょ」と言いながらブランド物からどんどん捨てる。
私本人もブランドタオルはそれほど好きじゃないが、貰い物とかはお客様の時に使ってもらおうと思って大事にしていたのに。
古いタオルはせめて小さく切ってウェスにさせてくれ、引っ越しのお掃除の時にはウェスが役に立つよ、と進言したのに、それすら「時間の無駄。どうしても必要なら雑巾を買う」とまで言われて、哀れタオルたちは古着ゴミとして捨てられていった。

それだけならまだいいが、ガマンのならないことも起こる。
洗面所にかけるタオルには汚れやすいのを承知で真っ白なのを掛けている。
もちろん洗い替えはいくつもあるし、しょっちゅう洗濯している。
なのに、こないだ洗濯するからタオルを取り換えようと思ったら枚数が足りないのだ。
「せいうちくんとはこないだ大整理の話し合いをしたばっかりだしなぁ。まさか、息子が来た時に汗拭きタオルに持ってっちゃった?」とあちこち探しても、ない。
ついにせいうちくんに聞いた。
「まさかとは思うけど、あれ以上タオルに手をつけてないよね?」

なんと答えは「少し捨てた…」だった!
「まだ家の中にある」との報を受けて、「捨てる準備箱」の中を見たら、純白のタオルが3枚入っている。
「もうタオルは整理したじゃないの!涙をのんで今ある量に抑えたんだよ?!これなら新しい家の小さなタオル戸棚にも入るって量に!」と責めると、
「少しぐらい気がつかないかと思った…意外とよく見てるんだね」だと。
いくらメインに家事をやってくれてても、やっぱり男性にタオルの大切さなんかわからないんだ!と思わずジェンダーギャップにまで踏み込んだ怒りがわいてきた。

そもそも洗濯と衣類の管理は私の仕事になってるんだから、そこは手を出さないでほしい。
自分のステテコぐらい勝手に捨ててもいいけど、タオルは別。
トイレや洗面所のタオルをまめに替えてる努力や、家中のあちこちにタオル置いてる汗かきの私の苦労も察してくれ。

先日の「4枚組のお皿を1枚しか残さないで捨てた件」に続く引っ越し修羅場物語第二章である。
これからも何が起こるか。
お互い、相手の大事にしてるものを勝手に捨てるような性格ではないと信頼してたのに、こともあろうにタオルを…許すまじ。

20年12月18日

6年前にFacebookに書いた記事が出てきた。
自分で読んでもなかなか感心する出来なので、再度シェアしてみた。
そしたら、コドモが今まさに反抗期真っ盛りとかかつて悩んだと言う友人たちがコメントしてくれた。
みんな、同じ思いをしているようだ。

息子の場合、反抗期が終わったかと思ったあとにまた会社辞めるとかアメリカ行くとか言い出すすったもんだがあって、しまいに生活態度が悪いので家を出てもらった。
不思議なものでそのあとものすごく親に対する態度が良くなった。
少なくとも6年前のこの時点で想像してたよりはるかに「別人のように愛想が良くなり」「親孝行に」なった。

渡米経験が効いたのか家を出るのが特効薬なのかはたまたカノジョと暮らしてる幸せが万能なのか、そのへんよくわからないんだが、少なくとも今、息子に関して悩んでいるのは「食えていない」って点だけだ。
そこはコロナの世の中だから多少割り引くとして、私たちの子孫たちにはどんな未来が待ち受けているのかなぁと久しぶりにいろいろ考えるきっかけになった。

お子さんの反抗期で悩んでる人(最近の反抗期は20歳過ぎても、なんなら30歳以上でも続きますよ、きっと)はご一読ください。

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2014年12月17日に記載

昨日、せいうちくんが大学時代の友人に会うのに、息子を連れて行ってくれました。
テレビ局に勤める人なので、最近「(映像関係の)ものを作りたい」と言っている息子に、実際に働いている人のお話を聞かせてもらえれば、ということで。

その席でせいうちくんはこんな話をしたそうです。
2人でよく話していることですが、子育ては、ロケット打ち上げに似ています。
コドモはみんな、親を中心とした家族という重力圏を突破するだけのロケット燃料を備えています。
そして、ある時期が来るとそのエネルギーを使っての「反抗期」という打ち上げ態勢に入り、飛び出して行ってしまうのです。
(せいうち家は「べたべた甘やかしている=引力が強いので、反抗期も派手になる」)

大気圏を通過している間、コドモとの連絡は途切れ、相手がどこでどうしているのかわからなくなるのは、実際の宇宙飛行でも連絡が途絶するのとおんなじ。
でも、もしそれまでの間にコドモとの間にある程度の絆ができていて、互いにわかりあうことができていれば、ほぼ計算した通りの場所に出て、通信が回復するはず。
「こちらは宇宙船『コドモ号』です。計算通り、大気圏を出て通信復活しました。これから周回軌道に乗って3周した後、外宇宙を探検しに出かけま~す!」と 元気な声を聞いて、いよいよ1人の人間をこの世に送り出すんだなぁ、と親2人で手を取り合って喜ぶ、ということになればラッキーです。

「反抗期」に親がうろたえてエンジンに水ぶっかけて止めようとか、補給の停止をするとか余計なことをすると、引力圏を脱するだけの燃料が足りなくなり、コドモは親に縛りつけられて一生を過ごすことになってしまいます。
この場合の「補給の停止」には、コドモがどんなに大きくなっても家にいる限り必要とするはずの「愛情補給」が含まれます。
お金を渡さないとか自由を縛るといった「補給停止」も良くないですが、「愛情補給の引き上げ」は一番良くないと思います。

コドモは、親に愛されたいと思っています。
「コドモを愛さない親はいない」とよく言われますが、それは実は間違っていて、「親を愛さないコドモ」こそがいないのです。
親は、自分勝手にコドモを裏切ったり自分のうっぷん晴らしに使ったりします。
それでもコドモは、親に愛されたい一心から、本来の自分とは違う行動をとり続けることがあるのだと、せいうちくんも私も、よく知っています。
親は、自分の人生のためにコドモを犠牲にしてはいけません。

昨日、息子はせいうちくんの友人に、
「親を尊敬している。反抗していた時期がもったいないぐらいだ」と言ってくれたようです。とうとうここまで来たか、という思いでいっぱいです。
ここ1年ぐらい、ずっと「もう反抗期は終わったのかなぁ」とうかがっていたけど、どうやら10年近くに及ぶ長い長い反抗期はおわってくれたようです。
もちろん、このあと別人のように愛想が良くなるとか親孝行になるとかは期待していませんが、親というものを、自分のやりたいことを邪魔しない存在であると信頼してくれて、必要があれば何でも相談にのる、「配偶者の次に親密な他人」と認識してくれたら嬉しいですね。
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20年12月19日

昨日はまんがくらぶの大忘年ZOOM会を開催した。
途中でちょっとだけ顔を出してくれた人も入れると19人が集まり、うち18人は21時から日が変わって1時半ごろまで、にぎやかにわいわいやっていた。

超真面目だった人が離婚して若い奥さんもらってたり、ものすごくマイペースで怖かった人が息子の学業を心配し、「やっぱり中学受験をさせておけばよかったですかねぇ」などと語るのを聞いて、うーん人はわからないものだ、とあらためて深くうなずく。
公立中学では内申点が大きいから、4科(音楽・美術・体育・家庭科)を上げるとすごく有利で、しかもそれらは簡単に上がるので、不真面目男子は狙っていくべきです!とせいうちくんが12年前の古臭い知識をご披露してる時に、横から、
「僕は5科が全部5だったけど、4科は4だったなぁ。だから難関都立は試験本番で点取らなきゃいけなかったんだ」とか言う空気読めないやつがいた。
今、通知表が2と3の嵐の子供の話をしてるんだ!
秀才ってのは一生治らない病なんだね。

我々は本日初めての内覧の方が来るので、いつもなら夜明けに最後の数人になるところまでまでつきあうんだけど、1時半で失礼した。
午前中からちゃんと起きて、14時に来るご家族のために家中を片づけて少しでも素敵に見せて、少しでも高く買っていただかなくてはならないのだ。
そもそも買ってくれるかどうか。

14時ちょうどに不動産屋の担当さんと一緒に来たのは40代ぐらいのご夫婦とお母さん。雰囲気から、妻方の実母と思われる。
1人が常に部屋の外にいるので「密対策」かと思ったら、おばあちゃんが飼っている犬を連れてきているのを交代交代で外で抱いていたらしい。
このマンションは抱っこできる程度の小型犬はOKなんだ。もちろん猫もだろう。
ペットOKのマンションを探しているらしい。

しかし思いもよらぬ難点があった。
我が家は4LDKを改装してリビング横の部屋をぶち抜いて広くした3LDK。
しかもこちらとしては大サービスのつもりで、なかば作りつけのようになっている天井まである本棚兼用のテレビラックを置いていくつもりだった。
だが各ご家庭の事情ってのがあるもので、そのご家族は改装してLDKを仕切り、おばあちゃんのお部屋を作りたいようだった。
「このラックは、取れないんですか?」と聞かれて、「大工さんがちゃんと組みつけてくれましたから、取れません」と自慢した私は完全に外していたってことだ。

お子さんもいるそうだから、このままでは部屋数が足りないよね。
それにね、我々、あのテレビラック気に入ってるんだよ。
全然傷んでないししっかりしてるし、そもそも高かったんだよ。
あれを外して捨てちゃうことを思うと涙が出て止まらないから、きっとこのお話はまとまらない方がいい。
知らぬ者のない犬嫌いのせいうちくんも、
「この家をワンちゃんが走り回ると思うとなぁ…自分がかまれるような気がして…」
まことに犬恐怖症の業は深い。

数日中に「買いたい」と連絡がなければ特に買わないってことで、たぶん、ないんじゃないかなぁ。
奥さん、スペース余りまくりのでかい靴箱見て、
「これじゃ私の靴が全部入らないわねぇ」って言ってたぞ。
ウォークインシューズクロークのあるマンションを探した方がいいと思う。
うちじゃ半ば以上物入になってるってのに、普通の女の人ってのは靴持ってるものなんだなぁ。

お客さんが帰った後に残った担当さんと話したところ、やはり我々が引っ越して空き家になったあとの方が内覧者も気楽だし、大勢来て販売につながるんだそうだ。
そりゃいやだよね、まだ人が住んでる家なんて。
1月末には引っ越すと答えたら目に見えてほっとしていた。
さっさと跡を濁さずに引っ越して、2月にばんばん内覧入れて売ってもらおう。

と言いつつ、明日ももうひと家族内覧希望の方が来る、とあとから連絡が来た。
片づいてるうちに続けて来てくれるのは非常に望ましい。
この調子でもう3、4件来ないかな。

20年12月20日

今日の内覧予定のお客さんが、ご家族に発熱した方が出たとのことで、延期になった。
今の時期、そういうこともあるだろう。
家が片づいているうちに多くの内覧をこなしておきたかったので少し残念だが、こちらも休めてよかったとも言える。

なんとか年賀状を作り、印刷に入った。
去年の年末との違いに今更ながら驚きつつ、飛鳥Ⅱのクルーズ写真を使った。
本当に、なんて1年だったことだろう、今年は。

せいうちくんは大音量で「宇宙戦艦ヤマト」を聴きながら仕事をしている。
これは実はよくない徴候で、限度を超えて負荷がかかると彼はこの曲を聴き始めるんだ。
5、6年前だったか、仕事が超忙しくて毎晩ほぼ徹夜状態で書類を作っていた頃には、曲を聴くだけではすまず画面の片端でテレビアニメ版のヤマトをずっと流していた。
後ろで見守る私も3周りぐらい見てしまった。
「機動戦士ガンダム」も見ていたが、やはり最高に気合が入るのはヤマトなんだそうだ。
日本民族の血に流れる何かがそうさせるんだろうか。

こういう状態があんまり続くと心身ともに消耗しすぎて、さすがののんき者のせいうちくんも倒れる寸前ってこと。
なんとかその前にお正月休みになだれ込みたい。

とはいえ今年のお正月休みは引っ越しの準備に大わらわとなりそう。
今日も仮住まいの電気・ガスの開通や役所の手続きについて、ずいぶん仕事を進めていたせいうちくん。
私の使命はJ:COMさんの解約だけとなっていて、楽すぎてせいうちくんには申し訳ない。
まあこれはこれで番組とのスケジュールの調整やら家に引いてもらった回線の撤去など、なかなか面倒くさい作業がついてくるんだけどね。

車を手放す日も決まり、それまでに様々な運搬作業のスケジューリング。
仮住まい先に年内に2度ほど行かねばならなそうで、布団だけ運んで寝られるようにしておいたり。
お泊まりの予定の前にガスを開栓してお風呂も入れるようにしておこう。
これは立ち合いが必要なので、現場に行かざるを得ない。

「ひっかけシーリングがついてるだけだから、電灯を2つほど家から持ってっておかなきゃね」と提案したら、
「そこまでは考えてなかった。さすがだ」とほめられた。
使ってない息子の部屋の天井のライトと食卓の上のペンダントを持っていこう。
それならこっちになくても差しさわりがないから。
そうか、トイレやお風呂の電球も必要かも。
トイレットペーパーやタオルの用意もいるね。

「お風呂の髪洗いブラシ、2つあったのに片方残して捨てちゃったねぇ。とっておいたら両方のお風呂で使えたのに」と捨てたがりの人に文句を言ったら、
「そういうものは必要な時に買えばいいんだよ」と言い返された。
そうやってまたモノが増えるんじゃないか。しかも100均の安物が。
あるものを使ってあとから捨てる方がいい、と強く主張したい。

20年12月21日

せいうちくんが出社したので朝から1人。
ぽつねんと部屋の真ん中で、いろんなことを考える。

母が亡くなって7年が過ぎた。
思い出すことがとても少なくなった気がする。
それでも心の奥底に刻まれた孤独と寂しさは消えない。
母は私の何が気に入らなかったのか。どうだったらもっと喜んでもらえたのか。
「成績は良くないけど頭がいい」「よく本を読むね」ぐらいしか喜んでもらえた覚えがないので、いまだにそこにのみしがみついている。

あと、姉と比べて唯一褒められたのが「あなたはガスの元栓とかしっかり閉めるから安心。お姉ちゃんはそこが信用できなくて、おちおち先に寝られない」だった。
そういうところは張り切って生真面目にやってきたつもりが最近トイレの電気をつけっぱなしで出てくるのは、良い変化だろうか。

大人になるにつれ、母の生い立ちや事情がいろいろわかってきた。
こういう人になり、愛情が姉に片寄るのも仕方なかったんだろう、って理解はできるようになった。
それが実は愛情でもなかったとか、姉にとっても重かったんだろうなぁとも今はわかる。
でも、頭で理解できることと感情が納得するのは別の話だ。
主治医に言わせるとそもそも私に言語ができあがる前に刻まれた傷がメインだから、理性で無理やり納得して生きてきた私には絶対に克服できないだろうともいわれた。
(「この歳までその性格でやってきたんだし、こられたんだから、もう自分はそういう人間だって思って過ごしなさいよ」ってことらしい)

せいうちくんも私も、人が怖い。
最も信頼すべき母親が、決して子供の人格を認めず、突然狂暴になり、理解できない行動をとってきたからなんだろう。
今でもお互いにけっこうお互いが怖いかもしれない。
私はせいうちくんがいつ私を嫌いになるかとおびえているし、せいうちくんは私が「話せば必ずわかる」人間であると知っていながらもついついごまかしたり嘘をついてその場を逃れようとする。
30数年しがみつき合って慰め合って話し合ってきてもまだこうなんだから、育ちってのは怖いもんだ。

あとどのくらい寿命が残っているかわからないけど、安心したいなぁ。
心からゆるんで、だらしなくなって、それでも「いいよいいよ」って言われるんだと信じたいなぁ。
願いは本当はもうかなっているのに、なかなかそこに気づけない。
水にとり囲まれていながら渇き死にしそうになってるような状態だ。

それでも少しずつ、少しずつ何かがよくなっているに違いない。
話し合うことのできない娘はともかく、大人として別の人格を持った息子が私を「大好きだし、尊敬している。自分と他人が違う正義を持っていることを知っていて、それ由来で優しいところを」と言ってくれて、嬉しい。
息子ほど口のうまくないせいうちくんは、「まっすぐで、正しいところ」が好きだと言ってくれる。
自分のなりたい姿を言い表してくれる2人が大好きなのは、もうどうしようもないじゃないか。
あとは娘から「まま」と言われてみたかったけど、これはどだい無理な相談。

私の中になぜか確固としてある、「人にはみんな善性がある」という考えを大切にしていこう。
ちょっと自分に酔っている。1人でいるとそんな時もあるよ。

20年12月22日

金曜に息子がくる話が本決まりになった。
忙しいので泊まりは難しいみたいだ。
自転車もらってこいで帰ろうってんだから、夜中になってもかまうまい。
20時頃には来られるようなので、お気に入りのラーメン屋の出前を取って食べさせてあげたい。
「味噌チャーシューメン、餃子、レバニラ、酢豚を頼もうと思うんだけど、他のものがいい?」といつもの注文を並べたら、
「その4つが食べたかった!」と元気良い返事。
うんうん、冷凍だけどごはんもつけるよ。たくさん食べなさい。

息子が大好きなトップスのケーキ、家の近所では手に入らず、これまではせいうちくんが会社の帰りに東京駅で買ってくるのが一番早いって状態だった。
なので、出社の予定がない時の突然の入手が難しかった。
遠い遠い憧れのケーキ屋さんだったわけだ。
ところがこのほど、我々の家の近所の駅ビルにも入った。
(ついでに言うと同じような事情だったWESTも入った)
嬉しい。
明日は街に出るので、ついでに息子にトップス買ってきてあげよう。

そう伝えたら、「トップス、嬉しい!」と喜びのお返事が。報われちゃうなぁ。
ケーキ食べながら息子の将来の話を聞くか。
また何か新しいプランを考えついたようだから。
プランと言うか、決心?
お金のことも含めて相談に乗らないといけない予感がするなぁ。

でも単純に嬉しいね。
クリスマスに息子が来てくれて、お気に入りの中華食べてケーキ食べて将来の相談して、時間が許せば黒澤の「羅生門」観ようって約束してる。
お正月にもカノジョと一緒に来てくれるって言うから、生まれて初めて三段重詰めのおせち買っちゃったよ。
こんなに始終会ってくれて嬉しいな。
コロナのことがなければもっと安心なんだけど、お互い都内だし、「帰省しないでください」には当てはまらないだろう。
娘は厳重に管理されていて、お正月といえども会えない。
会える子供には会うよ、我々は。一緒に世界と家族の幸せを祈念する。

20年12月23日

今日は2週に1度の通院日。
朝からすごく具合が悪い。
パニック症候群まではいかないが、外に出るのが怖くて汗がだらだら出て呼吸も苦しく、要するにビビりまくっているんだ。
外出慣れしてないからなんだろう、って頑張って出かけたら、バスの中の人間関係にいろいろ悩む。

2人掛けの席の後から座ってしまった時に隣の人のコートをお尻の下に挟んでしまいがちだとか、奥に座る人が私より先に降りたい場合、さてどういうサインがくるものだろうか。
イヤホンなんか聴いてては反応が遅くなるかもしれない。音量下げとこっと。

この不調を、ドクターは「新しいことを始める前の武者震いだと思って」となだめる。
「引っ越しは大変だけどさぁ、ダンナは何でもやってくれて、あなたをいたわってくれるんでしょ。彼はそういうのが好きなんだから、うまく使うというか…うーんと…」
「甘えておく?」
「そうそう。どーんと甘えて、まかせちゃいなさい」
この先生の、こういう大雑把な意見はとっても腹落ちするから助かるなぁ。

デパ地下で息子の大好きなトップスのチョコレートケーキを買って、無料でチョコレートのクリスマスプレートをもらって初めて気づいた。
明日はもうクリスマス・イブ。息子はクリスマスに来るのかぁ。
カノジョと過ごさなくていいのかな。そういうのはイブか。

20年12月24日

今日はクリスマス・イブだった。
にもかかわらず今年はものすごくクリスマス色が薄い気がする。
もう子供が大きくなってしまってプレゼントに縁がないことや外出しないせいもあるんだんろうが、やはりコロナで皆さんそんな気分になれないんじゃないだろうか。
この分だと自分史上初めての「お正月らしくないお正月」がくるのでは、と今からため息をついている。
せめてもと、生まれて初めて豪華三段重箱おせちを注文してしまった。
今までおせちのことなんか考えたことなかったよ。(偏食なので、嫌いなものが多すぎる)

しかし我が家が最近振るわないのは何といってもせいうちくんが忙しすぎるせいだ。
本人もかなりつらそう。
中身も難しくなり、会議は多く、決めなきゃいけないことがいっぱいあるのに決断力がない。
そんな状態で4、5時間睡眠で回してたら、早晩体を壊すんじゃないだろうか。
幸い食欲だけはある人なのでまだ大丈夫そうだが、ごはんが食べられなくなる兆しがあったらもう速攻で仕事辞めてもらう。
命あっての物種。

わずかな救いはとりあえず明日が終わればお正月休みだってことかな。
息子とカノジョが来てくれる以外は引きこもって引っ越し準備に明け暮れる予定。
合間にたまりにたまった録画を少し見たい。
事務方の私のミスで、U-NEXT退会してなかったのが今日明らかになり、悶絶している。
(アマプラもNetflixも入ってるのに。いったい何がしたいのか)
さすがに年末のこのタイミングで退会するのはつまらないし3500もたまってるポイントを使ってからでないと惜しい。
レンタル屋さんに出てるDVDが、7本ぐらいはポイント使って見られてしまうのだ。
ずっとおあずけになってた「パラサイトー半地下の家族」でも見るかなぁ。

去年の年越しクルーズを何度も「夢のようだねぇ」と振り返っているが、一番の教訓は「チャンスの神には前髪しかない。見えたらつかめ」ってとこだろう。
2人の間に漂った「夏にもクルーズ行ったし、ぜいたくすぎるよね。せめてもう1年たってからにしようか」との空気に負けていたら、何年ももうクルーズには行けなくなっていただろう。
「1年後」や「来月」「明日」すら、必ずあるとは限らない。
今回の引っ越し決行もその経験が大きく影響している。
「鉄は熱いうちに打て」と本業のせいうちくんも身に染みたようだ。

さあ、年末までもうひと頑張り。
明日は息子が自転車をもらいに来る。
夜中にこいでカノジョとの愛の巣に帰るつもりらしい。
徒歩で3時間半かかったという部屋まで、自転車だとさて何時間?もしかして1時間未満?

20年12月25日

私もきちんと引っ越しのお手伝いをしようと、指令を受けていた「J:COMさんの解約」を敢行。
テレビと電話とネットのパックだったので、ぜ~んぶ綺麗におしまい。
次の営業をしたそうだったが、1年間の仮住まいで先のことは判らないと言ったら納得してくれたみたい。

引っ越し日の少し前に技術担当の人が来てくれて、部屋の隅にはりめぐらせた配線(カバーかけて、けっこういい仕事してくれたんだ)を撤去し、家の電話とかCSの機械、貸与されてた録画デッキ、ネット機器などを回収していくらしい。
それまでに必要な録画をじゃんじゃんやって、家のデッキに移してしまわねば。
今、毎晩その設定に追われている。
CSを録画して何日かは「変換中」になっていてダビングできないんだが、きちんと間に合うだろうか。ドキドキ。
それを見越して撤去日より1週間も早く、もうCS番組録画はあきらめてるんだが。

「ミス・マープル」シリーズも「フランス名所ミステリシリーズ」も宮部みゆきの「ぼんくら」シリーズも録ったから、満足している。(コロンボとポワロはNHK BSがやってくれてた。やらないだろう新シリーズの分は両方とももちろんCSで録った)
ホームズが終わらなかったけど、あれは二か国語放送で、せいうちくんはU-NEXTでやってる字幕版がお気に入りだから、いらないって。
ジェレミー・ブレットの「カツカツしたしゃべり方」、特に時々バカにしたように発する「HA!」ってのを聞かないと満足できないらしい。
しかし英語だけ聞いて理解するほどの能力は2人ともないので、字幕つきが見られるサブスクに頼るしかないのだ。

今夜は息子が来るから、昼のうちからそわそわそわ。
20時に持ってきてほしい中華屋さんの出前を、11時にもう注文したりしてる。
もっとも向こうも夜は早じまいしなきゃいけないから、注文が早くからわかってるのは歓迎らしい。よかった。

息子はとても神妙に、「実はお金のお願いをしなきゃいけないです…」と前もってメッセージで伝えてきた。
これまで借金を申し込む時も、妙に元気のいい話をいろいろした後でこそっと「実は生活費が足りなくて…」と言ってきていたのに比べると、長足の進歩だ。
「悪い話は先にしなさい」と口を酸っぱくして言ってきたのがやっと効いた。
そんなとこで進歩してどうする、進歩すべきは自活だろう、と言う向きも多いだろうが、若者の生活は今とっても大変だし、結婚式やマンション購入に親がお金を出しても何にも言われない。
上の世代の援助あっての若者の生活なんだよ。

我々は彼の現在と未来に投資してるのだ。
しかも、回収できるかどうか、つまり成功できるかどうかが問題なんじゃなくて、だいぶ遅いけど親として社会に出る準備を助けてあげたいと思っている。
22歳で大学に入るなんて、奥手でゆっくりさんで妙に慎重な息子には早すぎた、ってことにしとこう。
今が彼の大学生活みたいなもんだ。

我が家が息子に大甘なのは皆さん知ってる通りだから、今さらあきれられることもないだろう。
まっすぐ親を見て明るい顔で借金申し込めるようになっただけでも大したものなんだ。
自分の稼ぎじゃないけど私は出した以上のものを彼から返してもらっている。
親が大甘だからって、この先ずっと困るようになるヤツじゃないと信じてるし。

まあ、こういうことをいちいち人様にお知らせするからまわりも言葉に詰まるし苦言も言いたくなるだろう。
こっちも「なんか言われちゃうだろうなぁ」とは思ってる。
しかし小学校の頃からずっと、成績も高校・大学の合否も反抗期も壁に穴開けたことも喧伝される彼の生活、暴露的な私の日記スタイルは今さら変わらない。ので、しょうがないんだ。
言い訳がましいのは百も承知で、もうしばらくこの「甘やかしてダメになるようなヤツはしょせんダメだ」(from 江口寿史「理想の父」)って実験を見守ってください。

20年12月25日

クリスマス。
いらなくなった自転車もらいに息子が来てくれた。
クリスマスなのにカノジョはいいのか、と聞いたら、昨日のイブを一緒に過ごしたので今日は我々にあけてくれたそうだ。
プレゼントはないが、ケーキを買ってきてくれたと言っていた。

目の前で「緊急小口資金貸付」の書類を書きながら言うには、演劇の学校に行きたいそうだ。
オーディションに受かったので、1年か2年通いたいとのこと。
1年目は入学金を含め60万ほどかかるが、2年目を許される時に奨学金をとれるかもしれず、それを狙うんだって。
1割ほどの確率だけど、頑張るし、自信はあるらしい。
このへんの「オレはやれる」感が昔から変わらない。
「吹いてる」だけであんまりやれない時も多いが、高校入試や大学入試のように周りが驚くほど予想外に結果を出す時もあるので、どうなるか見ていよう。

3月末の払い込みの時までに半額の30万を必ず自分で用意するので、残りを貸してほしいそうだ。
生活費も多少含めて、喜んで貸すことにした。
やりたいことがあるってのはいいよ。
人間一番怖いのは、なにもやりたくなくなることだから。
ことにコロナで若い人たちが夢を絶たれて苦労している今、できる援助はしたい。

カノジョと2人で飼っていたハムスターが死んでしまったという。
とてもかわいがって世話をしていた様子をついこの間、初めて見たのに。
白くて小さくて可愛かった。生きてるうちに対面できてよかった。
2歳なので寿命らしく、最期をカノジョと看取ったそうだ。
自分たちで埋葬し、毎日会いに行っているって。(公共道徳的に、ややアウトな行為)
即席の宗教観で「お水をかけてあげるといいよ」と言ったら、「そうかー」とうなずいていた。
ものすごく悲しいけどいい経験だったに違いない。
「もう生き物は無理だ。自分たちの子供以外には」と、子供を持つことを自然に考えているのに驚いた。

春になって学校が始まり生活が落ち着いたら、カノジョの親御さんに会って「結婚を考えておつきあいしています」と話すんだって。
まず転がり込み同棲しているところから謝って許してもらわなきゃいけないので、ハードルが高そう。

我々が引っ越すので住民票をカノジョのところに移してもらおうと思っていたが、よく考えたら黙って一緒に住んでるのに住民票まで、ってのはいかんだろうとせいうちくんと考え直し、息子にもそう伝えたところ、
「今日はそれも言いに来た。オレもいかんと思う。同じ考えでよかった」と言っていた。
お許しが出るまでは、我々の住所に一緒に移しておこう。

「結婚したい。今年中には」と言うので「あと1週間ぐらいしかないのに?!」と驚いたら、
「マチガイ。来年中か、今からだと」とのこと。
2人で話し合って一緒にやっていこうと決めたんだそうだ。
自分たちの若いころを思い出して、勝手にじーんとしてしまった。

息子が譲られた自転車に乗って帰ったあと、くらぶのZOOMになだれ込んで「さびしいよー」と泣き言を言ったところ、Gくんから、
「息子、月に何度も来てるじゃないか。なーにがさびしいんだ、あんたらは」と叱られた。
結婚して都内に住む娘さんが2人いる長老のとこでは、マンションのパーティールームを使いに下の娘さんが来るにも関わらず、敢えて会わないんだそうだ。
「あいつら若いもんはコロナの無自覚感染者な可能性が高いんだぞ。渡すものがあるけどドアの外に置いてあるから勝手にもってけって言ってある」ほどの徹底ぶりである。
あの家は10年ぐらい前に奥さんをがんで亡くしているから、「病気で本当に人が死ぬ」ことがあると思い知っているからだろう。
いつも酔っぱらって陽気な長老の、別の一面を見た思いだ。

うちはお正月にも若い2人に来てもらうからなぁ。考えが甘いんだろうなぁ。
息子も「お母さんがコロナにかかったらかなり確実に死ぬと思う」と真剣に言っているが、実態としてはけっこう会っている。
早くこの騒動が終わるといいのに。

20年12月26日

せいうちくんと一緒に近所の皮膚科に行く。
彼はアトピー診てもらいに、私は手術跡のケロイドの治療。
2人ともここの女医さんの大ファンなので、
「引っ越すからたぶんもうお別れです」と告げるのは寂しかった。
でも仮住まいの後最終的に住む駅前で、大学の同期が皮膚科を開業してるから、と教えてくれた。1年たったらぜひ行ってみよう。

「家内のケロイドもだいぶよくなってきたようです。先生のお勧め通り常時ブラジャーをつけるようになったのがいいみたいです」って、せいうちくん、私以外の女性に「ブラジャー」なんて単語を発したの、生まれて初めてじゃないかしらん。
「うさこがベッドに寝てブラジャーずり上げてるとこに、先生が細い針でちくちく注射していくの、ドキドキしたなぁ。ゆりんゆりんしていた」とうっとり。
キミはそっち方面に少し変態でないかい?

病院の前で別れて、せいうちくんは自由が丘の不動産事務所まで仮住まい賃貸契約の締結しに行ってくれた。
「面倒くさいだけの話だから、キミがついてこなくても大丈夫だよ。もっと僕にまかせて」と、こないだも市役所に転居に伴う娘や私の障碍者手帳の話をしに行ってくれた。
一緒に苦労しないと責められてる気がしちゃう私の病の根は深い。

帰りにロフトで引っ越しのご挨拶用のタオルをたくさん買ってきてくれた。
いちおうこのマンションで親しい人とお隣には配ってご挨拶しておくつもり。
また、仮住まい先でも賃貸マンションの上下左右の人には配っておいた方がいい、との不動産屋さんのアドバイスあり。
イマドキはインターホンでご挨拶して、ブツは郵便受けに入れておくのかしらん。

20年12月27日

3.11の時、高校教諭をしていた先輩が非常時担当をしており、詳細な記録を残していた。
まず校内の状況を把握し、生徒を招集して安全を確認し、被害を点検し、泊りがけの避難体制を作ったようだった。
その時の記録は非常に貴重なもので、「起こるかもしれないが起こるととっても困ること」への対応に満ちていた。
それにならって、今、このコロナの時代の状況を書き記してみよう。
10年後の自分や誰かが「あの時はそんな風だったんだ!」と驚きとともに思い出せるように。

外ではみんなマスクをしている。
最初の頃は戸外ではつけなくてもいいと言われていたが、少なくとも12月の時点では多くの人が着用している。
もちろん電車やバスに乗る時、買い物や飲食のために店に入る時には必須。
たいていの店などの施設には入り口にアルコール液が置かれ、手にスプレーして消毒をする。
足でペダルを踏むタイプや自動で噴霧してくれるものもある。

スーパーやコンビニのレジには飛沫対策のビニールを張るのが当たり前の光景になった。
飲食店では席数を減らしたうえで、客席同士をアクリル板で仕切っている。
病院などの待合室では対面だったソファを全員前方を向くように改装したところもある。
もちろん受付にはアクリル板が立てられ、下の小さな窓から診察券や保険証を渡す。
人の集まるところではどこでもスタッフがこまめにアルコールであちこちを拭いている。

飲食店や病院では入る時に非接触型の体温計を使い、おでこや手首で検温をする。
この時期にマンションを買ったためモデルルームで商談を何度かしたが、上記のような手続きを踏んだうえで綿手袋を渡され、着用を頼まれた。
飲み物などを共有することもできないため、接客にもペットボトルの水やお茶が用意されていた。

飲食関係では多くの店がテイクアウトを導入した。
特に自転車で素早く運ぶ新しいシステムUber Eatsが目覚ましい。
専用ボックスをしょって駆け抜ける自転車乗りは新しい風物詩だ。

政府は新規患者が都内で100人規模の時には緊急事態宣言を出し、申請した人には一律10万円を配ったが、その後は「各世帯に2枚」悪評高いアベノマスクを配ったのと緊急小口資金貸付をおこなったぐらいしか対処してない。
それどころか「GO TO トラベル」「GO TO EAT」のGO TOシリーズで感染拡大を招いた、とする人も多い。

テレワークが爆発的に増えた。
せいうちくんも3月末から基本的には家でPCに向かって仕事をしている。
(「通勤」という名の無駄で苦痛な時間に、人々はコロナ後も再びガマンできるのだろうか)
ZOOM宴会が流行り、もともと引きこもりの私はかえって人と話す機会が増えてありがたかったぐらいだ。
世の中を覆う重苦しい雰囲気から「コロナうつ」を発症する人も多く、どちらかというと歓迎する事態の多い私でさえ精神状態が悪くなることもある。

書ききれないが、とても変な時代。
「異様な1年だったねー」ですまされるようになってほしい気がするが、とてもとてもそんなわけにはいくまい。
樹木の年輪に異常気象が刻まれるように、今後数十年、コロナ時代の影響は残っていく気がする。

20年12月28日

昼間はガンガン片づけをして、午後はせいうちくん、今年最後の床屋さんに行く。
少なくとも仮住まいの今後1年間は来ないし、そのあとも隣の駅前に移るからもうここで切ってもらうのは最後かもしれない。
もっとも直線距離では意外と近く、自転車だったら今のマンションからとそれほど変わらず通えるそうなんだ。
「予約できる床屋」を切望するせいうちくんとしては、近所で見つからなかったらここまで足を延ばす覚悟らしい。

スターウォーズを見始めたので、店内にダースモールの等身大フィギュアを飾っているほどのマスターと大いに盛り上がったとのこと。
釜石に住んでたマスターは、最初に見た時は2か月遅れるので盛岡まで見に行ったんだそうだ。
その後は映画が釜石に来たので、家が映画館をやってる友達からチケットを融通してもらい、何度見たかわからないんだって。
とにかく大好きで夢中だったとのこと。
そういう人、きっと当時いっぱいいたんだろうなぁ。

娘の病棟にご挨拶の電話。元気にしているって。
結局丸1年間会えなかったなぁ。今後も当分無理だろうなぁ。
シャンプーや保湿クリームが少なくなってるそうなので、買って宅配便で送ることにしよう。

20年12月29日

保育園の頃からのつきあいのママ友たちとZOOM忘年会をやった。
夏に続いて2回目だ。

10月にお父さんになったRくんの急速に頼もしくなった表情が印象的だった。
息子は来年半ばの小さなコントライブのために台本を書いていて、かなり消耗しているようだった。
ちょっとRくんに気おされていたかもしれない。
「Rを見てるとまぶしいよ」とつぶやいていた。

でもまわりのお母さんたちに、
「不要不急のものはやめましょう、って言われた年だったけど、不要じゃないとわかったものが多かった。せいうち息子くんのやってることはみんなを元気づけてくれる、絶対必要なものだったんだよ。頑張って!」とはげまされ、
「あ、元気が出てきた!」と嬉しそうだった。
よかったねぇ、そんなふうに言ってもらえて。

それにしても赤ん坊は可愛い。まだ生後2か月だ。
おばあちゃんであるRくんママを含めて、かつて我が子の赤ん坊期を経験している我々は頬が緩みっぱなしだった。

いったんは直ったかと思われたノートPCのマイクがまた動かなくなって、せいうちくんは映像とは別にケータイを音源に参加したので、頭にきて新しいノートを衝動買いする。
とはいってもネット注文なので届くのは2週間ぐらいあとらしい。
今年はあんまりお金を使わなかったので、これぐらいはいいだろう。

20年12月30日

冷凍便で立派な3段重のお節料理が来た。
薄ピンクの和紙で包んであるのをほどいて、発泡スチロールのお重のまま冷凍庫に入れておく。
元旦に自然解凍して、息子とカノジョが来てくれる食卓で食べよう。

お昼に来たらおせちとお雑煮でお祝いし、1泊してくれるので晩はおでん、翌朝はカレーの予定。
「おせちもいいけどカレーもね」って昔のCMに影響されてるのかも。

今日は年末のご挨拶まわりと食料品の買い出し。
まずは用意してあったお酒2本を抱えて、息子が小中高とお世話になっていた地元の町道場の道場主。
となりが接骨院になっている道場で、ちょっとのケガはすぐに治してもらえたものだ。
高校生活最後のインターハイ予選の直前、練習中にあばらにひびが入ったが、道場主のテーピングで乗り切った。
なぜか柔道生活を通じて一番の成果が出て、強豪校がひしめく地区予選個人戦3位になって表彰された。
人間、多少具合が悪いぐらいの方が集中できるのかもしれない。

大学に入ってからほとんど顔を出していないけど、我々は毎年道場の新年会にと思ってお酒を差し入れさせていただいている。
引っ越しすると伝え、これまでのお礼を言った。

「息子くんはどうしてますか」と聞かれ、
「コント師になりたいと言って、バイト生活をしてます。コロナで職を失って大変なようです」と話したら、
「お笑い?あいつが?!」とものすごくびっくりされた。
息子のキャラはよっぽどお笑いっぽくないんだろう。
「コントの舞台で、柔道の経験が役に立つと言っていました。『格闘技は1人では完成しない。相手がいて初めて成り立つものだ、って点が』とのことです」と言うと、
「まあ、成功はしないだろうけど、彼は大丈夫ですよ。柔道が支えてくれます!」と力強かった。

いつもはとっても不愛想で怖い道場主なので、せいうちくんは、
「あの人とこんなになごやかに話したのは初めてだ。年を取るとやっぱり丸くなるのかな」と首をかしげていた。

次は24年前、こちらに引っ越してきて以来ずっと息子がお世話になってきた小さい頃のシッターさん、おばちゃん。
私が具合が悪い時は息子に熱があっても預かってくれたし、せいうちくんが劇症のヘルペスを起こして入院した時には1週間近くランドセルごと連れてってくれて、自宅から学校に通わせてくれた。
「柔道教室も行かせますよ。柔道着持ってきてね」
おばちゃんがいなかったら我々は息子を育て切れていなかったと思う。
同様に父親のようにかわいがってくれた「おじちゃん」が3年前に急逝してからも、ヘルパーとして近隣のお年寄りの面倒をみたり助けの必要なところにはどこにでも飛んで行く生活だ。

娘が家に帰ってこられている頃は、お正月に車いすを押しておばちゃんたちにお年始に行っていた。
娘に会ってくれていた数少ない人たちだった。
胃ろう・腸ろう・人工肛門をつけて帰宅がかなわなくなってからも、ずっと娘のことを気にかけてくれている。

虎屋のようかんをおみやげに持っていき、上がってお茶でもと強く勧められたがこんなご時勢なので玄関先で失礼した。
息子もきっとお正月にこっちに来た時、カノジョと一緒にご挨拶に来ると思う。
「今度、みんなでごはん食べましょうね!」と言いながら、親戚が田舎から送ってきたというお米をくれた。
おばちゃんちのお米は本当に美味しいんだ。
糖質制限ゆるめて食べちゃおうかな。

激安八百屋とスーパーで買い物をして、ちょっとくたびれて帰宅。
少し片づけを進めたあとはお正月モードで「スターウォーズ」をどんどん観る。
困るのは、私は映画を観てるとすぐ眠くなってしまって寝落ちするので、結局終わってからもう1回観なきゃいけないこと。
せいうちくんは、
「スターウォーズ面白いから、僕は何回観ても大丈夫!」と元気がいい。
年末のために「ディズニー+」の無料体験に申し込んで「スターウォーズ全制覇しよう」と誘った時は「えー、長いよー」って渋い顔してたくせに。
始まりは私の強引な動きでも、いざ事を始めるとノリノリになって夢中なせいうちくんだ。

明日はもう大みそか。
おでんの大根の下茹でをするせいうちくんの横で「レコ大」を観る。
うーん、今年の大賞はこの人か。
鬼滅の年だったなぁ。
あっ、せいうちくんは今年中に「鬼滅の刃」全23巻読むって意気込んでいたのに、まだ18巻までしか来ていない。
完読できるのか?!

20年12月31日

朝は早めに起きて、40分の散歩を兼ねて「TOPS」のチョコレートケーキを買いに街に出た。
息子にはクリスマスに来た時食べさせたばっかりだけど、彼の大好物だしとっても美味しいから、カノジョにもぜひ食べてもらいたい。

密を避けるためか、売り場が地価の階段近くに小さくなって出ていた。
買おうと思っていた「正方形のLLサイズ」は今日は売ってなかった。がっかり。
代わりにLサイズとレギュラー両方を買う。
2日目の朝も食べたい、あとを引く味なんだよ。

おでん種の店で練り物を12個買った。
列を整理して密にならないようにしていたが、かなりな人だかり。
みんな、そんなにお正月におでんって食べるもんなの?
簡単で何日も食べられるから、うちはおせちの代わりに作るけど。

せいうちくんの会社でずっと昔に部下だった人が大みそかに毎年電話をくれる。
日記も読んでくれているようで、つながりが続いていて嬉しい。
今年もお元気にしているようで何よりだ。

年越しの夜に備えて昼寝もした。
先に起きちゃった私がPC作業をしていたらショックな出来事。
東京都の新規コロナ罹患者が一気に桁を超えてきて、今日は1300人を超えたらしい。
目覚まし時計で起きてきたせいうちくんに伝えたら、言葉をなくしていた。

18時半頃、近所のスーパーにてんぷらを仕入れに行く。
売れ残りの盛り合わせを買って晩ごはんにした残りを年越しそばに入れるのが恒例なんだ。
ところが、今年は売り場の棚がすっからかん。
高い海老天がかろうじて半額になっていたのを、肩を落として買う。
「人出が少ないから、あんまり作らなかったのかねぇ」
「いや、たくさんあったけどみん、家におこもりだからさっさと天ぷら買って帰っちゃったんだよ。僕たち、出遅れたんだよ…」
お惣菜もお肉も何もかも売り切れていて、晩ごはんはベーコンエッグとお味噌汁だった。

でも元気出そう!
23時には天ぷらのせた年越しそば食べて、くらぶの人たちと年越しZOOM始めるんだ。
「紅白が終わる23時45分から」と書くつもりが、間違えて「23時15分から」と送ってしまったので、その時間に始めなくっちゃ。
書斎のメインPC使う私はテレビないから紅白終わりまで見られないじゃん、と思ったけど、iPad Pro使ってNHK+で見ればいいね。
音がうるさいから小さく絞って。

今年は本当に大変な年だった。
それでもなんとか大みそかまで来た。
無観客、スタジオ別の紅白も、これまでは舞台上に歌手たちが集まってきてしゃんしゃん手拍子したりするのが落ち着かなかったので、かえって歌に集中できる。
映像や撮り方に工夫がいろいろ生まれ、技術革新の元となった年だったろう。

皆さん、今年もお世話になりました。どうぞ良い年の瀬を。

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