21年1月1日

皆さん、あけましておめでとうございます!
去年は大変な年でしたが、2021年は明るい年になりますように。

3時過ぎまでZOOM新年会をやって、10人ぐらいでおススメマンガを発表し合った。
私からは三宅乱丈の「秘密の新撰組」全4巻。笑える歴史BLモノ。
他の人からは市川春子「宝石の国」、萩尾望都「ポーの一族」新装豪華版、遠藤達哉「SPY×FAMILY」、西村ツチカ「北極百貨店のコンシェルジュさん」、出水ぽすか「約束のネバーランド」、panpanya「おむすびの転がる町」、青沼貴子「ぴよちゃん」などが出た。
みんなよく読んでるなぁ。さすが元まんがくらぶ。

史上初めての無観客紅白歌合戦はとてもよかった。
ジャニーズであふれる例年の紅白と違って普段あまり見られないようなアーティスト的な人が多く、またどの歌手も困難時における連帯と希望を歌った楽曲が多かった。
あれはもはや「コロナ・エイド」だったと思う。
トリのMISIAの力もあってか、紅組圧勝で幕を閉じた。

元旦の今日は昼に息子とカノジョが来てくれるので、今から支度をしなくっちゃ。
一点豪華の三段お重おせちを買い、いつものブリのお雑煮とあとは明太子と大根のサラダぐらいのささやかな家族新年会。
若い2人が今年も力を合わせて仲良く楽しく暮らしてくれますように。

我々にとっては仮住まいのあわただしい1年になる予定で、この家で行われる最後の新年会となる。
社宅を転々としたあと初めて買った自分たちのマンションで、17年近く住んだので感慨ひとしお。
でも早く売れないと困る。
とりあえずは1月末の引っ越しに向けて注力しよう。

21年1月1日(続き)

昼過ぎに息子とカノジョが来てくれた。
1時間以上かかる道のりを自転車でサイクリングしてきたという。
途中でカノジョの自転車チェーンが外れてしまったため、実際には2時間近くかかっていた。
災難だったが、慣れているのですぐに直せるらしい。
絶好の好天な元旦、楽しい時間だったろう。

豪華三段重おせちに2人とも歓声を上げてくれた。
ブリのお雑煮を出してビールで乾杯し、1年の始まりを祝う。
母親が博多の出だからだろうか、私にとってお雑煮は塩ブリ(ブリの切り身に前日から塩をしておいて、湯で洗って昆布出汁で煮る。色づけにちょっと醤油入れる)
もうせいうちくんが全く同じに作れるようになってしまった。

食後、2人が近所を散歩すると言って出かける前に、彼らのために片づけた息子の部屋と脚部を組み立てて置いておいた電子オルガンを見てもらった。
弾けないけどおもちゃがわりに35年ぐらい前に買ったもので、今でもちゃんと鳴るし電子音がピコピコリズムを刻んでくれたりする。
カノジョはピアノをやってたそうで、
「いいですねぇ。欲しいなぁ。うーん、部屋が狭いけど、これは欲しいです」と珍しく強い意見。
脚部を外して普段はそのへんに立てかけておいて、ちゃぶ台の上に乗っけて弾いてもいいし、飽きたり邪魔になったら捨ててくれて構わないから、と、引き取ってもらう話が成立。
今度、車を売りに行く前に届けよう。

「オレの大好きなコメダに案内するよ」と息子が彼女をいざなって出かけて行った。
近所の幼なじみを訪ねたり、2時間ぐらいで帰ると聞いたので、その間にお風呂に入っておくことにする。

ところが1時間15分ほどで帰ってきてしまった。
ロビーオートロックのチャイムが鳴ったのを聞きつけた私がびしょぬれのまま飛び出し、開錠しつつインターホンで、
「お風呂入ってるから、自分たちの部屋で待ってて」とお願いする。
玄関わきの息子の部屋を片付けて居心地よく椅子なども置いておいたので、ゆっくり待てるだろう。

なのでいつものように素っ裸でリビングにバスタオルしいて寝そべり、扇風機の風にあたっていたら、「タバコ吸う」と言っていきなり息子が入ってきた。
せいうちくんはパジャマ来てたが、私はすっぽんぽんで転がっている。しかもほぼ股間をせいうちくん側に向けて。
こういう時、普通は「失礼」ってくるっと回れ右して戻ると思うんだけど、息子は悠々と食卓の椅子に掛けて一服し始めた。
何度も言うが、すぐ横に生まれたままの姿の母親が転がっているんだよ。

情けない声で、
「母さん、こういうかっこうをあなたに見せないように苦労してきたんだけど」と言っても一向に気にする様子もなく「おかまいなく」。
パジャマは息子の足元に投げ出してあるので、かたわらのせいうちくんに、
「武士の情けと思って、パジャマ取って」と頼む。
なんでパジャマだけ拾ってパンツ取ってくれないんだ!
バスタオルを不格好に掛けて、這い寄ってパンツつかむ。

何とかパジャマを着てから髪にバスタオルをぐるぐる巻いて、息子の前に座った。
「あのさぁ、あなたはいつも全裸で出てくるけど、母さんあなたにそんな姿を見られたくないんだよ」と言っても全然動じてない。
「まあ、いいじゃん」てなもの。
自由な魂なのか、母親の裸なんか物の数ではないのか。
育て方がよかったのか悪かったのかわからない。

髪を拭いて、息子の部屋にいるカノジョに「もういいです。ごめんね」と声を掛けに行く。
何事もなかったかのようにカノジョも出てきて、最前までのような世間話が始まった。
コメダは混んでいたので別の茶店に行ったらしい。
幼なじみの家では親戚の宴会が開かれていた模様。
「会ってきた」と言うのでカノジョに「あなたも行った?」と聞くと、外で待ってたんだって。
紹介すればいいのに。

晩ごはん前に別の幼なじみにガストで会うことにしたと言うので、「カノジョは?」と聞いたら、
「うーん、しゅう(幼なじみ)は人見知りするからなぁ」と電話で聞いてる様子。
「やっぱり照れ臭いから、1人で来てくれって」とのことで、カノジョに「ごめんね。ちょっと行ってくる」と声かけて出かけて行った。

しゅうくんとは彼が3歳からの付き合いだが、マイペースで声がでかくて遠慮のないタイプだった。
そのイメージしかないもんだから息子に、
「あのしゅうくんが、いったいいつから人見知りになったの?」と聞くと、
「さあ、中学ぐらいから、だんだん変わってきたんじゃないかなぁ」と特に不審には思ってない様子。
こっちから見るとしばらく会わない間に別人になってしまうが、向こうさんたちには長い月日をかけてゆっくり変わってきてるのと何しろつきあいが長すぎて、よっぽど人格が急変しない限りわかんないんだろうな。
幼なじみはいいものだ。

残されたカノジョと、息子の昔話をする。
日頃、あんまり昔の話はしないんだそうだ。もう3年もつき合って2年一緒に暮らしているのに。
「大学は、やっぱりほかに滑り止めも受けたんですか?」と聞かれたので、10コぐらい受験したことやそれぞれの合否もぜーんぶ話しておいた。
何しろその当時、毎日ホームページ日記で戦果発表していたほどのあけっぴろげ加減なので、私は。

夜はおでん。
あんまり美味しいのでみんなに絶賛されたせいうちくん。いやあ、絶品だよ。
「スゴイですね。お出汁はご自分で作ったんですか?」とカノジョに聞かれ、極めて普通の顔で、
「ううん、市販の白だし」。
「きのう何食べた?」のシロさんも、調味料の中では高価だから日頃ちょびっとずつしか使わないのを、おでんの時だけは「出でよ、白だし。出番だ」とどぼどぼ入れてるもんね。

食後は息子の提案で「潜水艦ゲーム」をした。
昔は専用のおもちゃがあったものだが、彼は知らないらしく、升目をプリントした紙を作ってアナログにやっていた。
先輩が家族写真を送ってきたのでこちらも、とゲーム中のほほえましい写真を送ると、たちまち「これですか?」とタカラだかトミーだかが出していたおもちゃの写真をアップしてくれた。
息子に見せたら、
「へー、こういうもの使うのかー」と驚いてた。

言葉遊びやクイズみたいなのをよく仕入れてくる息子は安上がりにアナログで遊ぶなぁ。
ゲーム機が出るたびに買うような少年時代が嘘のようだ。
自宅では息子が描いた絵にカノジョが即興でタイトルをつける遊びが流行ったらしい。
貧乏もわるくないね、と目頭が熱くなった。

家に来るといつも真っ先に冷蔵庫を開ける癖がある息子、今回もTOPSの箱を2つも見つけてにまにましてた。
食後にお待ちかねのチョコレートケーキ。
でもカノジョはちょうど息子との潜水艦ゲームに一心に打ち込んでいたので、食べるのを忘れるほどだった。
けっこうああいうゲームは性格が出るのね。
せいうちくんが息子とやった時は、潜水艦以外のすべてを全部端に並べて配置してたから、真ん中をいくら攻撃しても一向に当たらないので首をひねった息子、
「これは、お父さんのことだから全部端に置いてたりして」とつぶやき、しばらくして確信を持ったらしく、端を狙い撃ちしてあっという間に勝ってしまった。

審判役で両方の「配置届け」を見てたが、息子が細かくあちこちに散らしてるのに対してせいうちくんのは「ずどん」とした布陣。
「考えるのがめんどくさかったの?」と終了後に聞くと、
「いや、広い海だから、端っこに隠れてれば当たらないかなーと思ったんだよ」と頭をかいていた。

Lサイズを4人で分けた大きなひと切れのTOPSを息子はあっという間に食べてしまい、「まだあるんでしょ」と催促。
「あれは明日の朝」と言い渡したら、ちぇって顔してた。
おいしいもんね、TOPS。
恒例の映画会をしようと、こないだ息子と観損ねた「羅生門」のつもりだったが、ちょうど「羅生門」はダビング中のハードデッキに入ってて動かせなかった。
「じゃあ、カリ城だね」って、なんで息子とせいうちくんの間ではそういう風に決まるの?

大ファンのくせになぜかDVDを買ってないせいうちくんなので(いろいろ考えてしまって買えないんだそうだ。マニアってややこしい)、アマプラの有料で。
家にある録画でいいでしょ、ってせいうちくんは言うが、地上波のやつはカットがあるかもじゃないか。
コブラツイストのシーンとか入ってなかったらどうする!
カノジョは「カリ城」観たことないそうだから、初心者にはきちんとしたものを観せてあげなきゃね。

カジノの大金庫から大金を盗むイントロを見て、息子は、
「あれ、崖っぷちのカーチェイスで始まらなかったっけ?」と不思議そう。
それはもっと後で、クラリスと初めて会うシーンだ。
せいうちくんは高校時代に2時間中のセリフを全部そらで言えた、というオタクだが、息子はいつ、どうやって出会ったんだろう。
でも、ニセの指輪を作ってるシーンで(これがまた、何気なく描かれてるんだ)、
「これは次に使う分の弾薬を自作してんの?」と聞いてくるとか、ルパンが塔を駆け降りる有名なシーンで、
「このアップを止め絵にすると、鼻の穴が描いてあるらしいよ」と言うと「信じられない!」と大笑いするとか、私みたいにオタク臭のするトリビアにまみれずにすんでるみたいだ。
せいうちくんと何度も観てると、こうなっちゃうんだよ。

息子の映画鑑賞は「わーすげー」とか「セリフがないのがいいね、ここは」とか「うーん、いい構図だなぁ!」とか感想言いっぱなしで面白い。
私も黙って観るのは苦手な「映画館に行けないタイプ」なので同意を求めたら、
「1人で集中したい時は黙ってるに決まってるし、べつにしゃべりたくならないし」と、仲間扱いは迷惑なようだ。

こんなふうに楽しく楽しく時間が過ぎた。
12過ぎという健全な時間にお開きになって、2人は片づけておいた息子の寝室に行った。
シングルベッドしかないので「床に1枚布団敷こうか」と聞いたら、息子もカノジョも「いい」って。
我々も結婚したては私が使ってたシングルのパイプベッドで一緒に寝てたなぁ。
それでも寝られたなぁ。ああ、何もかもが青春だった。
今やダブルでもつらい時はつらいので、私の悠々寝用にシングルも使ってるが、仮住まい中はダブルひとつしか置けない。
うーん、愛が、試される。

21年1月2日

ゆっくり起きてカレー食べて、またおしゃべりしてケーキ食べて、さてお正月だから真面目な話もしてもらうよ。
演技の学校に行くことについて、カノジョは全然反対なんかでなく、
「やりたいことが形になって、良かったと思います」と喜んでくれている。
息子だけの時は何度か聞いた「結婚」の文字は出なかったが、
「こんなんでいいの?」と息子を指して聞く私に、カノジョは満面の笑顔で、
「はい、ずっと一緒にいたいです」と答えてくれた。

次の目標はカノジョの親族に黙って転がり込み同棲中なのを解決すること。
「こんな時期で会うのは難しいし、電話でする話じゃないから、お手紙を書いてカノジョから渡してもらおうと思う」と息子。
君は才気走った文章を書こうとしすぎて生意気で上から目線に見えるから、そこだけはくれぐれも注意して、と言うと、
「わかってる。お許しがいただけるように誠意をもって、真面目に書く」とのこと。

パチンコ屋での仕事を見つけてきたようで、せいうちくんが、
「パチンコ屋が好きなの?」と聞いたら、
「いや別に。一番スキルが高いから」ってさ。なるほど、このご時勢だ、経験者優遇だろう。
それ以外にお寿司屋さんのお運びの仕事を友達が紹介してくれたそうだ。
春からは学校と仕事2つ、それにもちろんコントグループも続けるそうで、4足のわらじだね。
履きこなすのは大変だろうけど、頑張ってね。

いつものように息子がぎゅうぎゅうハグしてくれて、カノジョも何度もお礼を言いながら、2人は帰って行った。
「もうこの家を見るのも最後だね。16年か…さすがに胸に来るな」とつぶやく息子。
楽しい日々だったね。

急に家ががらんとして、2人とも泣きそう。
「これが自然の流れだよ。いつか必ずこういう日が来るんだよ」と気丈にせいうちくんが慰めてくれた。
それでもかなり長いこと、2人してぼーっとそれぞれの椅子にただ座っていた。

嬉しいこともある。
夜、見知らぬ番号からケータイが鳴ったと思ったら、10年以上前に亡くなった名古屋の親友の、母上だった。
年賀状で我々が1年前飛鳥Ⅱの年越しクルーズに乗ったと知って、猛烈に話をしたくなったんだそうだ。
「〇〇さん(私の旧姓)も飛鳥ファンだなんて嬉しくなって、もう後先考えずに電話してしまいました!」と興奮していた。
思い出してもらった私も嬉しかった。

彼が亡くなってから10年ほど、折々にお花を送りお手紙をいただいて交流してきたけど、お電話で話したのは初めて。
こうして人の縁は続いていくんだなぁ。
いつか外国に行けるようになり、飛鳥Ⅱが航海を再開したら、船上で一緒におしゃべりをしたい。

でも、お母様はもう20回以上乗っている本格的な飛鳥ファンで、世界一周にも行かれたツワモノだと知って少し腰が引けている。
(そもそもⅡになる前の飛鳥から乗ってるそうだ)
我々はほんの1週間ほどのクルーズに2回乗っただけの初心者で、いつかワールドにも行きたいと思ってせっせと貯金してはいるが、生涯の予定としては飛鳥Ⅱにはあと3回も短いクルーズに乗れれば御の字だろう。
天国のMくん、君はずいぶんな御曹司だったんだねぇ。

そんな嬉しいお電話もあったが、嬉しくないのはせいうちくんの実家からの電話。
お母さんともめまくっているので今年は年始の挨拶の電話をしないつもりだった彼だが、向こうからかかってきてしまった。
しかもお父さんから。

「なんかお母さんがすごく心配してるんだけどさぁ、会社はどうなの、何かあったの?」と聞かれ、
「何にもないよ。これまで通り勤めているよ」と答え、
「あ、そう。まあ、身体だけは大事に」といつものようにあっさり終わったと思ったら、お義父さんうっかりもう1回ケータイかけてきた。
気がついてないらしく、お義母さんとのやり取りが丸聞こえだ。
義父「せいうちは全然変わりないって言ってるよ」
義母(よく聞こえないが何か言い返している)
義父「だって、本人が何にもないって言ってるんだよ。どうしてそんなに気にするの?お母さんは何か情報を知ってるの?」と2人で延々繰り返してる。
お義父さんが認知症なせいじゃなくてお義母さんがこの質問にちゃんと答えられないからだろう。

業を煮やしたせいうちくんが一旦電話を切ってかけ直したら、今度はお義母さんが出た。
「会社をクビになったんじゃないの?だってあなた、年賀状に『固定電話を廃止しました』なんて書いてくるじゃない。会社からもう電話がないのかと思って」
お義母さん、最近の会社は家の電話にかけてきたりしないんです。全部ケータイとPCメールでやってるんです。
まあ80代の人は知らなくてもしょうがないか。
固定電話にはもうセールスの電話ぐらいしかかかってこないのと子機の充電器が壊れかけてるから解約するだけ。

せいうちくんも、そのへんさくっと説明すればいいのにいつものようにお義母さんの機関銃のような口撃(誤変換にあらず)を受けてしどろもどろになってる。

母「お父さんが気になって気になって仕方なくて、電話したみたいよ」
せ「話を聞いてるとそうは聞こえなかったよ。お母さんが電話させたんじゃないの?何も変わってない、って言ったら納得してたよ」
母「もうボケちゃって1秒前のことも覚えてないんだから、あてにならないわよ。私は台所にいたから、何を話してたか知らないけど」

電話が切れてなくて会話が聞こえちゃったことは話してるんだけど、お義母さんよく聞いてないみたい。
お義父さんの言うことは筋が通っていたし、会社のこと知りたがってたのがお義母さんなのは一目瞭然。
その後も今の役職についてとかいろいろ聞きたがるのをなだめてなんとか納得してもらったが、息子の会社での地位ってそんなに気になるの?
クビになってなくて普通に収入があればいいんじゃないかなぁ、そもそも向こうの方がお金持ちだから老後を見るとか見ないとかの話でもないんだし。

話題を変えようと、
「Rちゃん(お義母さんにとっては孫、せいうちくんにとっては姪、息子には従妹にあたる)の大学受験ももうじきだね。今年はコロナで大変そうだね。志望校は決まったの?」とせいうちくんが聞いたら、母親たる妹さんから固く固く口留めされてるんだそうだ。
「お兄がどこを受けるのかとか受かったのかとか聞いてくるに決まってるけど、絶対に言っちゃダメだからね!」ときつく言われてるんだって。
まあ確かに聞いたけどね、別にそこまで興味があるわけじゃないよ。
ただ自然に姪の大学受験を心配してるだけだと思う。

せ「ふーん、しゃべっちゃいけないのか。不自由な親子関係だね」
母「私はTちゃん(妹さん)と仲良しだからもちろん教えてもらえるわよ。あなたに言っちゃダメなのよ」
せ「なんで知られたくないんだろう」
母「きょうだいでもいろいろ嫉妬とかやきもちがあるのよね。私もお姉さんのH子おばさんの嫉妬がすごくてね、もう何でも比較してやきもち焼くのよ。その上のK子おばさんは本当に優しくて気持ちの美しい人だったけどねぇ」
自分に優しい人が好きなだけみたいだ。

母「とにかくTちゃんはせいうちが冷たくなったってことと、やっぱり嫉妬があって、怒ってるのよ」
せ「なんで僕にやきもち焼くんだろう」
母「そりゃあ、ダンナさんの収入や地位と比べちゃうんじゃない?うさこさんともこないだ電話で話したって言ってたけど、『あの人とはもうぜんっぜんかみ合わない!』って怒ってたわよ」

うーん、確かに価値観はかみ合わなかったなぁ。
「そっちはいい身分」と言われ、「夫の出世がどうでもいいとか言いますか?言わないでしょう?!」と問い詰められたから、
「言いますよ。夫は元気で大好きでいてくれるのが一番でしょう」と答えたら、
「ふーん、余裕ですね。すっごく不愉快になります」って。
そもそも収入自慢とか全然した覚えはない。両家の比較は全部向こうが始めたこと。
生活なんて人それぞれで違うのが当たり前で、だいたいあなた方、我々がこれから仮住まいしようと思ってる評判のいい区内にずっと住んでるじゃないの。賃貸じゃなくて。

でもそれを「うさこさんとはかみ合わない」とだけお母さんに語ったのは立派だね。
いくらでも悪口は言えただろうし、言えばそれをせいうちくんに伝えないお義母さんではないから。
Tちゃんの態度はフェアだった。そこは大いに買う。

地獄のような母と息子の会話の中、お義母さんは無邪気に言う。
「Rちゃんが受験に受かったら、そっちの息子ちゃんとその彼女も呼んで、みんなでお祝いのお食事でもしましょうよ。私がおごるから」
唖然とするせいうちくん。

1年半前、アメリカから従姉が帰郷した時に親族の集まりを持とうとしたんだけど、「カノジョを連れていくね」と言った息子にいったんは「いいわよ」と言ったはずのお義母さんが妹さんのTちゃんと相談した結果、
「結婚が決まってるならともかく、まだなのに非常識」となって、妹さんから従姉に苦情が行ったあげく、お義母さんは息子に、
「知らない人に会うのはちょっと…結婚するわけでもないのに」と同席を断ってきた。

当時、息子に、
「大丈夫?あなたは来るの?」と聞いたら、
「いちおう行くけど、面倒くさくはなった」との答えだった。
「おばあちゃんはそういう人だからしょうがないけど、腹は立たない?」
「徳が下がるから、言わない」というやり取りも印象に残っている。

感覚がアメリカンな従姉は「なんでカノジョが来ちゃいけないのかわからないけど」と困惑していたが、妹さん一家が親族集合そのものに参加しないらしいこともあって、急遽「Without Seniors」の宴会を企画してくれた。
おかげで従姉やその子供たちはカノジョに会えた。
従姉の長女は前に日本に来た時に息子からカノジョを紹介され、再会をとても楽しみにしてくれていたのだ。
ファミレスの座敷で、息子を交えた3人で英語で仲良く会話していた。
カノジョは留学経験があり、英語が堪能なんだ。
せいうちくんと私は、従姉が日本育ちでしゃべる分には不自由ないのでなんとかなり、時折ブロークンな英単語を混ぜて会話していた。
小学生の双子ハトコと息子が遊んでいるのも心温まる光景だった。

息子は、
「おばあちゃんたち来なくて気の毒だから、オレ、今度会いに行くよ。メシに誘われてるんだ」と寛大な姿勢だったが、結局どうしたのかなぁ。

それを忘れたのか、いったいどの口が言うんだ、とびっくりするのも当然だろう。
結婚の決意は固くなってるものの、そんなことお義母さんには話してなくて、当時と状況は全然変わってないんだから。

といういきさつを踏まえ、
「前にあれだけのことをしておいて?」とせいうちくんが聞くと、
「私はいいんじゃないかって思ったんだけどもね、Tちゃんの言うこと聞いちゃって、反省してるのよ。でも、『同棲してるような人なんて』って言われて、それはそうだと思って」
つい昨日、お互いへの思いやりと優しさに満ちた美しい2人の関係と姿を見て心満たされていた我々に、この言葉はあまりに心無いものに思えた。
お義母さんと妹さんには、私たちの結婚が「せいうちくんの家出→転がり込み同棲」から始まっているのがトラウマなんだろうか。

お義母さんがさんざん妹さんを悪者にして自分に非がないと言い立てるのを聞いてるのがつらくなったせいうちくんは、
「お祝い会があっても、僕らは行かないと思うよ」と答えていた。
「家族やきょうだいは仲良く美しくありたいわよね」ってお義母さんは言うけど、嘘と保身と秘密がまかり通ってる中で、それは無理だと思う。
何かというと「Tちゃんには言わないでね」「Tちゃんがお兄には言うなって言うの」となるのは明らかにきょうだいの分断政策だ。

電話を切ったせいうちくんは、疲れたように言った。
「今からたちまち妹に電話して、僕があれを言ったこれを言ったって、言ってないことまで言ったことにされるんだろうなぁ」

息子とカノジョを巻き込んだその件は私もあまりに腹に据えかねたので、元旦に「で、お父さんはおばあちゃんに電話したの?」と気にかけていた息子に報告メッセージを送らずにはいられなかった。

「なんだかんだあっておばあちゃんと話す羽目になった父さんは、『Rちゃんの受験が終わったら息子ちゃんとその彼女も呼んでみんなでお食事でもしましょうよ。私がおごるから』って言われて、消耗してる」と家族グループにぶち上げる。
息子の反応は、
「大変な提案だ、、、」
私「あなたならなんて返す?」
息子「行かないっす!って!」
私「よく言った!父さんは四の五のもごもご言った挙句に『それはやめておくよ』と答えていた」
息子「それでいいと思うよ」
私「四の五の言わずに即答で断ったらもっとよかった。今後の課題」
息子「お疲れ、とお父さんに伝えておいて」
君は我々より人間が出来てるね。

今日の昼までは夢のように幸せだったのに、また厳しい現実が襲ってきた。
正月が明けてからの日々はこんなものだろう。
細かいことにかまけていられないほど、世界中の人たちにとって日常は苛烈になっているんだ。
この1年は大きな1年になるだろうから、心に強く希望をもってしっかりしなきゃ。

21年1月3日

同じフロアの人にコロナ陽性請疑惑者が出たとの連絡を受け、せいうちくんは近所の病院にPCR検査を受けに行った。
こんなに身近にコロナが迫ってきたのは初めてだ。
唾液をたくさん出すのが大変だったそう。

一時はなかなか受けられなかったと聞くPCR検査も、こんなに手軽になったか。
保険診療でやるところとそうでないところがあるらしいのが問題か。
せいうちくんの場合はどっちみち会社が払ってくれるようだが。

結果はあさって電話で伝えてくるそうで、もし陽性だったら私も絶対感染してると思うので、ドキドキする。
一蓮托生とはこのことか。
せいうちくんが直接会ってもいない会社の人より、元旦に若い2人に会った方がよほど危険と言えば危険だが、そこはもう親子の情なので仕方ない。

2121年1月4日

おせちとおでんの残りをすっかり食べ終え、スターウォーズは7まで来て、レコ大と紅白と「孤独のグルメ」は見たが「ナウシカ歌舞伎」や正月お笑い番組の数々は完全に積み残している、そんなお正月休みだった。
引っ越しの準備をかなりするはずだったんだけど、はて、それはどうなったんだろう。

それでもせいうちくんがようやく「鬼滅の刃」を読み終えたのはめでたい。
今は私に猛烈にプッシュされ、三宅乱丈の「秘密の新撰組」全4巻を読んでいる。
「絵がうまい!ものすごく面白い!うさこ、いつものことだけど、素晴らしいおススメをありがとう!」と感謝全開だ。
紅白や年賀状にあふれる鬼滅ネタもなんとかこなせるようになってよかった。

私はなぜか「花のあすか組」シリーズを読み返している。
大昔に少女月刊マンガ雑誌「ASUKA」が発刊された時に鳴り物入りで始まった高口里純おとくいの不良少女ものだ。
しかし、「ロンタイBABY」などと違って設定がすごすぎる。
中学生があんなに大きな組織を作って億の金を動かし、裏番十人衆とかエリアマスターとかきっちり決めて、いったいいつ活動してるんだろう。
学校には普通に行ってるようだが、中学時代深夜徘徊の常習者だった身として証言しよう、すごくくたびれる。

そもそも「ひばり様」って何者なんだ。
それこそ学校とか行ってなさそうで、船旅で南十字星見てるぞ。
常にベールで顔を隠しドレスを着用し羽根扇を手にした彼女に、なぜ皆が諾々と従っているのか。

誰かと語り合って見たくてしょうがなくなり、無理と思いつつ長編が苦手なKちゃんに投げてみたら、意外なことに昔全部持っていたらしい。
さすが「LaLa」「プチフラワー」の愛読者。「ASUKA」はおさえていたか。

「そういう理詰めの疑問は途中から手放して所与の世界として楽しむもんだ、というマインドセットに入る」のがコツらしい。
キャラの魅力が牽引力だとの意見にはまるっと同感。
土佐弁の最首とか、好きだなぁ。
Kちゃんは歌舞伎町とか花園神社が出てくるのが好きらしい。
裏町好きの彼女っぽい。

Kちゃんは裏町趣味があるだけの健全少女だが、どうも私には不良にあこがれる気持ちがあるみたい。
「頭がいい」のと同じように「ケンカが強い」って魅力的。
中学の頃からバイクのケツに乗っていたせいで、暴走族に親和性があるのかな。
「頭文字D」でも読むべきか。
と音声入力で書こうとしたら、「いにしゃるでぃー」と言っただけで「頭文字D」と変換された。
私のiPhoneはマンガ通だ。

コロナが大変な様相を呈してきたので、
「誰かがあなたに放尿しても、あなたがズボンを履いていれば少し安心。でも相手がズボンを履いていてくれるのが一番安心」というカートゥーンを見てマスクの有効性を激しく納得した、と書いたらウケた。
「飛沫とエアロゾルの違いについて」の無知な私に詳しく教えてくれながら、
「エアロゾル化して吸い込んだらやだなぁ、それ(尿)」と笑っていた。

今のコロナ禍が、
「年齢人口分布に影響与えるほどじゃないだろうけど、今後の社会や経済に傷跡を残していくだろうね。就職氷河期のように。そのことを考えるといつも、気候が悪い年は樹木の年輪に残るって話を思い出す」といつもせいうちくんに言ってることを話したら、
「うさちゃんは優れた比喩の宝庫だね」とほめられた。
Kちゃんにほめられるととっても嬉しい。
彼女は聡明で慎重に言葉を選ぶ人だから。

21年1月5日

せいうちくんは猛烈な勢いで仕事始め。
月曜が休みで4日働けばいいだけなのに、そのすべてが出社になりそうだからと不満を鳴らすのは贅沢すぎるか。
もっともPCR検査の結果待ちなので、今日は行かなくてもよくなったらしい。
明日の朝の結果が陰性なら、すぐに会社に行かねばならんのだって。
正月休みが短く感じられるよ。

新規罹患者がいきなり1500人を超えてきたので、1月7日から東京都が自粛体制に入るようだ。
その関係で、息子が出るはずだったコントライブは中止になってしまった。
元旦に家に泊まった時も一生懸命脚本を書いていたので、すごくがっかりしている。
落ち込んでばかりいても仕方ないから空いた時間で演劇学校の学費を少しでも作れ、と言うしかない。
そこまでむき出しには言わないけどさ。

私の生活はほとんど変わらないが、息子をはじめとする若い人たちにとっては貴重な1か月が、半年が、1年が奪われていく。
「みんなが耐えている天災なんだから」と言うには人間、特に政府の関与で目を覆いたい様相になっている印象。
「高く跳ぶ前には低く身をかがめねばならない」ってぐらいのありきたりのことしか言ってあげられない。
陳腐すぎるのでさすがに言わなかった。

21年1月6日

朝、病院から電話がかかってきてPCR検査の結果がシロだったと言われたせいうちくん、たちまち会社に行ってしまった。
今シロでも通勤電車でクロになるかもしれないじゃないかぁ。

しかし、これでおそらく濃厚接触して暮らしている私も今んとこシロ、お正月に濃厚接触した若い2人も少なくともその時にはシロ。
初老の親にうつして死なせるような羽目にはならずに済んだということだ。
そんなことになったらさすがの冷静な息子も落ち込むだろうから、よかった。

日中1人ってこんなにヒマだっけ?と奇妙な気持ちになり、ZOOMの相手を探してさまよう。
幸いGくんがつかまった。

ここを先途とばかりに正月のせいうち母からの電話の件を訴えると、彼自身お母さんと暮らしているので、
「もう80過ぎなんだろう。ぼけてるんだから、まともに相手する方がおかしい。『ほえー』って聞き流しておけ。ああ言ったのこう言ったのって、向こうはとっくに忘れてる。言ってる意識もない」とにべもないにもほどがある。

しかし人に聞いてもらえると冷静になれるもので、確かにせいうちくんと2人で話してると過剰反応しちゃうのかもしれない。
人が変わったんならともかく、大昔からああいう人だった、とせいうちくんも言う。
それがむき出しになっていくだけなんだろう。
元々隠す手間もかけちゃいないとは思うが。

真昼間なので珍しく素面のGくんだった。寡黙だ。
1日中いつも酔っぱらってPC相手にあれこれ書いてるんだと思っていたら、
「わしは今から風呂に行って、買い物に行く」と去られた。
おおう、Gくんにも日常があるのか。
近所のスーパーに半額以下の見切り品を買いに行くのが趣味の「ハーププライサー」だとは聞いていて、よく戦果の激安シール貼ってあるつまみを見せられるもんなぁ。
当然仕入れに行くときもあるわけだ。

しゃべる勢いが止まらなくなり、もう1人のヒマ人であり同じくハーフプライサーの酔っ払い、長老を捕まえてみた。
「ヒマですか?」とメール打ったら、すぐに、
「図星、ヒマです。ただいま風呂上がりで、ビールでも呑み始めようか、という状況」

どうしてどいつもこいつも昼下がりに風呂に入るんだ?!
うちじゃ夜だぞ。
昔は私も昼風呂入って半身浴なんぞを楽しもうとしてみたが、1人で入ってると退屈なので飽きてしまった。
ジップロックに入れたタブレットやスマホ持ち込んで映画鑑賞するツワモノもいるらしいけど、そこまでの気持ちにはなれない。

で、ビール缶片手の長老とZOOM。
「Gくんも呼ぼう。どうせ飲んでるだろう」と言われ、
「風呂に行くって言ってたから、スーパー銭湯とかじゃない?少なくとも今は不在です」と答える。

ほぼほぼGくんにこぼしたのと同じ愚痴をこぼしたら、ほぼほぼ同じような答えが返ってきた。
両親、特に毒親だったと公言してはばからない母親をすでに送っている分、笑い飛ばす感がより強い。
おかげですっかり気持ちが晴れた。

いちおうGくんに「私のZOOM部屋で長老としゃべってます」とメッセージ入れておいたせいか、しばらくしたら現れた。
「あれ、早いね。家のお風呂だったの?」との問いに
「家の風呂だよ。髪が乾いたら買い物に行くんだ」と答えるGくんに、
「風呂に入ってからの外出はおかしいだろう。冷えて、風邪をひくぞ」と長老。
「外出するから風呂に入るんだ。そうでなきゃ入らん」
うう、さすがは小汚い男子寮の元住人。言うことが違うな。
いくらなんでも髪が乾いてからでないと頭から凍ってしまうとこだけは要注意らしい。

2人がPCの難しい話とかしててくれるのを幸い、横でスキャナを操り自炊を進めながらの会話。
せいうちくんのPCRは少しウケた。
合理的でケチな長老は、
「それいいな。1人が検査を受けると、まわりも感染してるかどうかだいたいわかる。お得だ」としきりに感心する。
でも、今日せいうちくんが拾ってきたらもうアウトだよ。

2人とも、図書館に行くんだそうだ。
「緊急事態宣言が出るから、閉館するかもしれん。今のうちに行かないと借りられないし、いったん借りたらしばらく返さないで済む」って。
慣れてるっつーか、早手回しな人々。先手先手を打ってくる。さすがだ。

結局2時間ぐらいたっぷり遊んでもらって、楽しかった。
私も明日、図書館行こうっと。

遅く帰ってきたせいうちくんと、それでもスターウォーズを少し観る。
もうエピソード8まできた。
どうして帝国の人たちって、各シリーズで必ず丸くて巨大な兵器を作ってそれを同盟軍やらレジスタンスやらに壊されちゃうんだろうね。
しかも絶対小型機が入り込んで、狭い水路みたいなとこでの追撃戦の挙句に爆弾落とされる。
もう、あの表面に溝をつけるのやめてつるっつるにすればいいのに。
あの溝がすべての元凶だと思うなぁ。

みんなお父さんやら伯父さんやらおじいさんやらに複雑な感情を抱きがちなスカイウォーカー一家。
それがフォースの元かしら。
だとしたら私やせいうちくんにもフォース生まれないかしら。
いや、この性格はあっさり暗黒面に持っていかれるね。
今でも充分ダークだよ。

20年1月7日

ひと晩中かけて、録画の整理。
生ディスクに焼いたものとデッキの中身をエクセルに打ち込み、SeeQVoultに移動させるべきはさせた。
なぜこんなに物事を並べたり整理したりするのが好きなんだろう。

デッキに録画した番組を生BRに焼き、その中身を画面に映して写メを取り、ディスクを取り出したのちに写メ見ながら表面にタイトルを記入していく。
多いものだと10個ぐらい入っているのを細かい字でちまちまと。
そしてディスクにナンバーをふって、ディスクファイルに順番に収める。
ああ、気持ちがいい。

ものを片づけるのは苦手なんだが、並べるとか整理するとか分類するとかは大好きで大得意だ。
せいうちくんは、
「キミがそういう性格だとは誰も想像しないだろう。僕だけが知っている」と嬉しそう。
他の人たちには破壊神シヴァみたいな人だと思われてるに違いない。

細かいデータを照合していって、最後全部がぴったりおさまると気持ち良くってしょうがない。
かつてジグゾーパズルが好きだったのもむべなるかな。
やってる間にピースにホコリがたかるのでイヤになっちゃって今はもうやらないけど、最大5千ピースまで挑戦したことあるよ。
友達に貸したら1ヶ月ぐらいで完成させてきたんで、敗北感でいっぱいになったなぁ。
(私は半年がかりぐらいだったもん)

私がやってる引っ越し作業の最たるものが、この映像データ整理。
何の役に立つんだ、と言いたもうな。
古いデッキを1台からにして売りに行く準備ができたし、DVDファイルもキレイに整理できたんだからさぁ。

それでもこの3連休はもうちょっと真面目に作業しないと、月末に部屋を引き払えないぞ。
11日からは仮住まいの方も居住権が出来るので、まずはガスの元栓を開くのに立ち合いに行かなくっちゃ。
ついでにカノジョが欲しいと言った電子オルガンを息子のとこに届けよう。
今は物騒だから、外で会って渡すだけね。寂しいことよのう。

21年1月9日

午前中にせいうちくんは用事があって外出、午後はトヨタに車の査定してもらいに行って、そのあとハードオフにモノを売りに行く。忙しい忙しい。

7、8年前に買った2テラのHDビデオデッキと7年働いてくれたスキャナScanSnapがやはり高く売れたようで、1万5千円ぐらいになった。
ごちゃごちゃと持ち込んだコード類はおそらく100円ぐらいだったろうと、せいうちくん。

ハードオフではいろんなものを売っている。
おしゃれ関係ない単なる防寒用の上着なんか、こういうところで1500円ぐらいのものを買えば十分なのではないかと思った。
実際、アディダスのジャンパーなどが安いのでせいうちくんに1枚どうかと言ってみたが、今着ている上着に満足しているのでもういらないそうだ。
予備とかいう考え方はないのかな。

車は、4年乗ったアクアなのでそれほど値はつくまい、せいぜい20万ぐらいだろうと思っていたら、意外なことに50万ちょっとになりそうだ。
半年ぐらい前にせいうちくんが車体後部下の方を縁石でこすっていなければもうちょっといけたかもしれない。
「惜しかった。なんであんなところで」と本人も悲嘆に暮れていた。

今のところ引っ越し関係の家計簿は無茶苦茶なことになっている。
仮住まいに払い込んだ礼金敷金不動産屋への紹介料など、書類等を見ればどこかにちゃんとわかるようにしてあるはずなのだが、なにぶん金額が大きすぎるうえ出入りがいろいろありそうで(車の売り上げとか)、すべてが終わってしまうまでとても全体像を把握できそうにない。
そもそも今住んでるマンションがいくらで売れるかに大きくかかってる気がするなぁ、この計画は。

21年1月10日

引っ越し業者さんが見積りにきたあと不動産屋さんが内覧のご家族を連れてくる、忙しい休日だった。

引っ越し屋さんは電卓叩きながらバンバンまけてくれるので、思ったよりずいぶん安くすみそう。
結婚以来ずっと、社宅がつぶれるから引っ越ししてたので、会社都合になって引っ越し代は持ってもらってたんだよね。
おかげで普通の家が引っ越すとどれぐらいかかるか全然知見がない。
私の知ってる引っ越しは1人暮らしサイズまでだから。

あとで来た不動産屋さんにその値段を言ったら、
「この時期はけっこう高いんですよ。ずいぶん安くしてくれましたね」と感心してた。
そうか、やっぱり安いのか。

今日入ってきたチラシによると、同じフロアの隣の隣も売りに出されたみたい。
間取りと広さが違うのでお値段は向こうの方が安いが、坪単価に直すとうちより高い。
うちは角部屋だし広いから、資金にゆとりのある人であればこっちを買ってくれるのではないかしらん。

内覧のご夫婦は見たとこ50代はじめ。
だいたいどこも奥さん主導で家の中を見て回るね。
私「どこでも開けちゃって見てください」
妻「あらまあ、クロゼットが広いわぁ」
私「もとは和室がもうひと部屋あったのを改装オプションでぶち抜いたので、押し入れ丸々1間分あるんですよ」
妻「まあまあ、それでリビングがこんなに広いんですね」といった感じ。
ダンナさんは終始奥さんの後をついて歩いていた。
さてさて、買ってくれるかどうか。

内覧を済ませた夕方に週末の買い出しに行ったら、優秀な八百屋さんはもうずいぶんいろいろ売れていて、売れ残りで日持ちしないものをおばちゃんがカゴに入れて店内で行商をしていた。
「おねーさんおねーさん、この中のもの、買わない?どれでも2つ100円にしとくわよ」と巧みに売り込まれ、思わずしゅうまいと油揚げを2パックずつ買った。
「冷凍もできるから」と、本当に商売上手。

スーパーにも行ってしまって、明日は「スターウォーズ」シリーズ2周目を観まくるぞ~との意気盛ん。
ひとまわり観てやっと話が全部わかった。
(ネタばれスゴイので、未見の人は読まないで)
4から観るよう勧める人が多かったけど時間軸に従いたかったので、敢えて1から観た。
おかげで4ではいきなりしょぼくなる技術力に遭遇し、おまけにR2D2が投影する映像を見て「なんてきれいな人なんだ!」と驚嘆するルークに「おーい、妹だぞー」と野次を飛ばす態度の悪い観客(笑)

ルークとダースベイダーの父子の愛情、アナキンの母への強い思慕、最後に胸を張ってスカイウォーカーを名乗るレイの姿などに、家族の絆の美しさを深く感じた。
こういう気持ちが薄い私はどこか壊れてるんだろうなぁ。

21年1月11日

昨日、宅配便で仮住まい先のカギを受け取った。
ガスの開栓に立ち会うのと室内の計測のため、初めて「住人」として入城。

入り口のオートロックは、発信器を持って近づくだけでするすると開く。スゴイ快感。
次に住む本格的新居もこの方式のはずだ。
にわかにものすごく楽しみになる。

都心のラッシュを避けて朝の6時に車に毛布や寝袋を積んで家を出て、寝室にしかエアコンがついてないので基本そこにこもる。
正式入居の暁にはLDK部分にも旧宅から外して持ってくエアコンをつけてもらうつもり。
あと、床暖房に慣れているとエアコンだけでは心許ないのでLDKには2畳ぐらいのホットカーペット買おうと決意した。
家具を置いてみないと床面がどのぐらい残るかわからないから、まだ発注できない。
アイリスオーヤマのがAmazonで5千円ぐらい。
次の新居には全室床暖房つけることにしてるから無駄になるので、また息子宅に押しつけちゃうかも。

休日だからこの日に遠征計画立てたのに、せいうちくんに急遽お仕事が入り、相手先に出向かなければならなくなった。
しかし、9時に出て13時には帰ってきた。
ドアドアで25分だったそうだ。
たぶん会社も同じぐらい近い。
23区外の本格新居に戻る1年後が憂鬱になるのではと心配だ。

彼の外出中、持ってった小型スピーカーとiPhoneで音楽かけながら巻き尺持ってあちこち計測。
プリントアウトしてきた方眼紙をリビング床に置いて、見取り図を描く。
あとで家の家具を測って何をどこに置くか考えるんだ。
いつもだと色紙を家具の大きさに切って名称を書いたものを作って並べ替えまくるんだけど、そこまでするほど選択の余地はない。
書き込むだけで充分そう。
それぐらい狭いんだ。

昼過ぎに「近かった~!」と大喜びで帰ってきたせいうちくんと、お昼を食べに出る。
こないだ行ってとっても気に入った定食屋さんは、「もうごはんがなくなっちゃったんです」と断られた。がっくり。
でも、噂にたがわぬ良い町(街、じゃなくて町な感じ)なので、徒歩5分ほどの間に定食屋さんや洋食屋さん、インドカレーの店まで合わせて10軒以上ある。
2人して、「俺の腹は何が食いたいんだ?」と井之頭五郎状態。

せいうちくんはカレーの店に惹かれたようだがちょっとナンの気分じゃないな。
「最近食べたがってたじゃん」と誘ったラーメン屋は今日の彼にはヒットしなかったようだ。
結局、オムライスやカレーからサバみそ定食まである食堂へ。
せいうちくんはフライ盛り合わせ定食、私はねぎとろ定食。

失敗だったのは、寒い日に冷たいねぎとろはイマイチ合わなかったって点。
150円足すと味噌汁を豚汁に替えてくれるので、それを頼むべきだったなぁと卓上の七味唐辛子を恨めしく眺めた。
でも、ねぎとろは小山を成していて素晴らしく美味しかったよ。
漬物の皿に入っていた「昆布の佃煮」でごはん食べた時が一番感動したんだけどね。
この町で糖質制限を続けるのは無理だ。
外食し倒そうと楽しみにしてる以上、体重と家計の上昇は避けられない。
旅行するつもりで過ごす1年なんだから、しょうがないだろう。

仮住まいマンションの向かい、通りを渡ったところにブックオフがあるのはここを選ぶうえで大きな決め手になったが、その隣はローソンだった。
コンビニがこれほど近いとは、今の住まいの向かいにセブンイレブンがあった時以来かも。(不幸なことにコンビニ激戦区だったので、負けてつぶれてしまった)
しかも並びには「循環器科・内科」の看板を掲げたクリニックがあるじゃないか!
私ってホントに運がいいなー。
今はひと月に1度調べてる血中ワーファリン濃度を、毎週測ると言われても困らないかも。

天井のひっかけシーリングにつける電灯を持ってくるのを忘れたので、完全に暗くなる前に撤収する。
向かいのブックオフで狩りをし、帰り道に息子宅に寄って運搬物を届けた。
カノジョが欲しいと言ってくれた電子オルガンと、「おばちゃん」にもらった美味しいお米、あとは息子に渡しておきたいもの少々。

大事な渡し物として、高校入学祝いに私の親友がくれたお祝い金袋もあった。
その秋に突然亡くなってしまったし、当時あまり経済的に楽でなかった彼が工面してくれたと思ったら、袋の可愛らしさ(小物や可愛いものが好きな人だった)も相まって、息子に渡す気になれずにずっと隠匿していたのだ。
今回、そういった事情を一筆箋に書いて同封し、渡してきた。
家に帰る頃、「胸が詰まった。思いがこもってた」と返事があった。
お金には人の想いがこもることがあるんだよ。これからも大事に稼いで大事に使ってね。

21年1月12日

愛知県にも自粛要請が出ると聞き、久々に名古屋の女友達CちゃんにLINEする。
年末にZOOM忘年女子会で話して以来だ。
最後にリアルで会ったのは1年ちょっと前の同窓会と女子会の時だった。

仮住まいの写真を送っていろいろ報告すると、Cちゃんは気持ちよく祝福してくれた。
「ちょっと狭いけど、新婚生活みたいに肩寄せあって暮らすのは、それはそれで楽しそう」
さすがは1人で3LDKにすんでいる女。住まいに対する目線が違う。
私なんて、家が広いと掃除が大変だと真剣に思っているんだよ。

「物体としての本がない今、狭いのはあんまり怖くないのよ」と返すと、
「貴女は贅沢好きではないし、物欲もあんましないから、夫婦でのミニマム生活を楽しめちゃうんだ。柔軟でいいね」とほめてくれながら、持病のある私の健康をとても気遣ってくれた。
とても優しい女友達。

お互い、この災厄が終わるまで元気でいよう。
そしたらまた名古屋に行くよ。
味噌煮込みうどんの店に連れてってね。
女子会で温泉旅行もしようね。
せいうちくんは連れて行かないようにするから。

21年1月13日

引っ越し前日にJ:COMさんを解約し、機器を引き取りに来てもらう予定。
それまでにできるだけいろいろ録画予約して自分ちのHDにダビングしておこうと思うが、どうしても「剣客商売2」の第9話が間に合わない。
多少のコンプ癖があるので、たいそう惜しい。
しかし、仕方ない。

コンプで言えばBSでやってる「刑事コロンボ」の第40話を録画し損ねてしまったのがものすごくくやしい。
お正月で2週ほど飛ぶので録画予約をいったん外し、戻すのを忘れてしまったのだ。
それだけならまだしも、CSで録画してあったのを、「これはBSで録るからいらないや」と消してしまった。
バカだった。
2重になっても、完全に録れたとわかるまで保存しておくべきだった。
「臍(ほぞ)を噛む」とはこのことか、と七転八倒して後悔している。

69話もある中で1話ぐらい抜けていてもそれほど大した問題ではないはずだし、いつかそのうちまた録画できる日が来るかもしれなくても、そこを気にして気にして悶え苦しむのがコンプ癖というものだ。

21年1月14日

「ジョジョ」シリーズは息子と頻繁に話題のタネになる。
「ストーン・オーシャン」中の主役「徐倫(じょりーん)」の名前はオリビア・ニュートン・ジョンの名曲から来てると思う、と伝えたら「知らなかった」との答え。
しょっちゅう「徐倫ィィィィーン!」(時には「徐倫ヒヒヒヒィィン」とまで。あの高音がしのばれる)と叫ばれてるところから間違いないのでは。

「ジョジョリオン」に出てくる岩人間「八木山夜露」のセリフも一見意味不明だけど、S&Gの「I am a Rock」の歌詞からだよ、とうんちくたれたら、こちらも「原曲知らなかった」。
3年ほど前、手紙を書いてくれた中で「一人暮らしを始めて初めて知った家事の面倒くささ。人のためになんか絶対やりたくない。そんなことを20年以上ずっとやってくれた2人がいます。サイモンとガーファンクル。ノン、両親です」と感謝を伝えてくれた彼なので、「なんでそんな古いもの知ってるの?」と驚いたんだけど、さすがに曲まではよく知らなかったか。

「I am a rock, I am an island
And a rock feels no pain
And an island never cries」と「孤独(isolate)」を表現した名曲。

モノを教えていい気分になっていたら、「ストーン・オーシャン」に出てくる「ウェカピポ」は彼の大好きなSoul’d Outの曲にあると逆に教えられた。
「Wake up, people」の短縮語だそうで。

スタンド名「ナット・キング・コール」とか「キング・クリムゾン」とか、荒木飛呂彦はかなりな洋楽好きなんだろうな。

教えられたり教えたり、世代間知識交換を盛んにやっている。
引っ越しの準備をしていたら高校時代にはまってさんざん友人たちを占って遊んだタロットカードが出てきた。
「ジョジョPart3」にはタロットカード名を冠したスタンドがたくさん出てくるので、息子にあげた。
大喜びで、カノジョの将来など占って2人で楽しんでいるみたい。
未来は本人がすでに決意しているので、心を無にして言葉にのせるだけなんだよ、占いってのは。
息子の話芸を広げる修行にもなるかもしれない。

21年1月15日

心臓の手術の前から「心肥大」と近所の医者に診断されて紹介された今の心臓中心の内科クリニック。
5年ぐらい通ったところで「そろそろ手術に踏み切った方がいい」と言われて日本一と言われる心臓専門大病院を紹介してくれた。
その前は日赤の心臓外科部長をしている元同級生が切ってくれるという話も主治医がしていて、どうも医者というのは宴席や同窓会、学会等で集まると、
「なに、君んとこ、奇形弁の心臓弁膜症と胸部大動脈瘤と拡張型心筋症全部持ってる患者さんいるの。それはぜひ切ってみたいなぁ」とか話してるんじゃないだろうか。

結局ネームバリューが勝って当時日本一と言われたゴッドハンドが切ってくれることになって、ありがたいはありがたかった。
私の主治医、意外とあちこちにコネ持ってたもんだ。
小さな街のクリニックで、患者さんは老人ばっかりなのに。

手術が終わって退院し、急に悪化して大至急再入院するというおまけはついたが、その後はまあまあの低空飛行。
1年点検も終わって手術した大病院とは縁が切れ、主治医のクリニックに戻っても3年近いのか。

しかし、この先生は私の心臓以外のところにあまり興味がない。
息が苦しいとか胸が重いと言っても聴診器を当てるのと心エコーで血液の流れ具合を見るのとで、
「大丈夫です。かなり普通の人の数値に近くなってます」と気にしない。
まして汗が出るだの動悸がするだのは「婦人科」か「心療内科」に行ってくれときたもんだ。

機械弁を入れると血中に血栓ができるので、それを防ぐためにワーファリンなどの「血液をサラサラにする薬」を一生のまないといけない。
この先生の生き甲斐は、心音を聴くことと血圧を測ることと、血中ワーファリン濃度の検査結果によって薬を増減することのようだ。
「数値が高いですね」と言っては薬を減らし、「低すぎますね」と言っては増やし、この4年間、3か月と安定したためしがない。
「ワーファリンは難しい薬ですから」って言うけど、毎月毎月採血されてPT-INR測られるの、飽きちゃったよぅ。(名前も覚えちゃったよぅ)

お猿がおにぎりを半分に割り、「こっちが大きい」と言ってはひと口食べ、反対側の方が大きくなってしまったと言っては今度はそちらをかじる、そんなことを繰り返すのを見ているうちに目の前でおにぎりをすっかりお猿に食べられてしまいましたとさ、という現象を昔話から「お猿のおにぎり」と私は呼んでいるが、ワーファリンに関してもほぼ同じ現象が起こっている。
「もう医者替える!」と帰り道でぶつくさ腹を立ててることもしばしば。

しかしこのほど、引っ越しという大義名分ができた。
「あなたちょっとヤブだと思う」と言わずに主治医を変えることができるのだ。
本人は未練がましく、
「循環器科とか看板を掲げていてもいい加減な医者も多いですからね。遠くても3か月に1度ぐらいこちらに通われては」と提案してきた。
毎月PT-INR測って適切に投与しなきゃいけないんじゃなかったんかい!

まあ向こうにとっても私は面倒な患者であったろう。
全く専門外の「気分がふさぐ」まで持ち込まれちゃね。
「次に住むところの真向かいに循環器内科がありました!院長は日本医科大卒らしいです」とネットで調べて報告したら、
「私もそこですよ!なんていう先生ですか?何期?」ととても知りたそうだった。
2001年卒なので主治医より相当若く、全く面識はなさそうだったが、なんだか急に機嫌がよくなって、
「やはり近いのが一番ですよね。疲れますからね。そういうところがあるなら、紹介状を書きますからお通いなさい。手術の経緯などもあるから、ちゃんと書きますよ」と手のひら返したように転院を認めてくれた。

1年たってこの近所に戻ってきても私としてはここに戻る気はなく、もっとマンションに近いところにもう循環器内科の看板を見つけてしまってるとは夢にも思うまい。
いい先生ではあったが、私には肉体的精神的に不具合が多すぎる。
もっと総合的に診てくれる「家庭医」が欲しい。
それに、ハートではあるが彼の専門外のハートの部分が特に悪いんだ。
そっちはそっちで専門家にかかっているから、ほかの患者さんの内科的な心臓を治してあげてくれ。
素速く適切に話をつけて手術の算段をしてくれた恩は忘れないよ。

21年1月16日

昨日は1日、上から下からの内視鏡検査に備えて「消化の良いもの」を食べていた。
朝は自分で買ったレトルトの鯛かゆと卵かゆ、残り2食は病院から送ってきた検査食。
昼はゼリーとビスコ、夜は小さなハンバーグの入った茶色いシチュー様のものと白がゆ。
私がビスコかじってる横で豚ロース肉を2枚も焼いて山盛りのレタスにマヨネーズかけてむしゃむしゃ食べてるせいうちくんに、ちょっと殺意がわいたわぁ。

そんな夜に、息子が壊れたノートPCの代わりにやっと新しいのを買った動作確認とお祝いに、ちらっとZOOMした。
画面に並んでおさまった我々としてはもっとゆっくり話すつもり満々だったんだが、息子はとにかく元気がない。
思えば、コロナによる緊急事態宣言が出ていなければ今頃は明日のコントライブに備えて最後の稽古に励んでいたはずの今夜だ。
落ち込んでいるのも無理なかろう。
おまけにバイト2つのうち、パチンコ屋は今のところ無事だけど、新しく始めるはずだったお寿司屋さんのフロア係は営業制限のあおりを食らってふいになってしまったらしい。

新しいPCでカノジョのお母さんに「結婚を前提として、同棲生活を告白し、お許しをいただく」ための手紙の下書きをすると言っていて、前に進む気持ちも今の生活を大切にする気持ちも充分あるようでも、これからの1年2年を思うと「不安しかない」のだそうだ。

彼にとっては思いきりコントを書いてライブをやり、カノジョと暮らしていく未来が、これからどうなっていくのかわからない今現在なのだろう。
会社の仕事がテレワークになったのが大きな変化、接待がなくなったのはむしろ嬉しい、と感じていた我々に比べ、若い人たちの今置かれている状況は出口が見えず、それこそ「不安しかない」のが当然なのかも。

「先が見えないよ。暗いねぇ」とこぼす彼に、
「一之輔さんだって喬太郎さんだってそう思ってるよ。今を耐え抜くしかないよ。あと1年もすれば終わるよ」となぐさめたが、50代60代の人間の数年と違って、これから生活の基盤を作っていこう、特にエンタメの分野で活動を広げていこうとしている若者たちたちにとって、数年のブランクは恐ろしいに違いない。
去年の春以来、彼らはいくつのライブや活動を取りやめにしてきたか。
彼らの1年は我々の10年にも相当する。
今後の世の中の動き次第では、取り返しのつかない部分も出てくるかもしれない。

せっかく4月から演技の学校に行くと決めたのに、このままではリモートの授業が増えてしまうかもしれない。
生の演技、舞台を感じたい息子にとっては隔靴掻痒の感を抑え切れないだろう。
「何もかも経験だから、決してくさっちゃいけないよ。置かれた状況で精いっぱいやるしかないんだよ」なんて親の説教は、安定した場所からの空念仏に聞こえるのではないだろうか。

息子の気持ちを察してZOOMは短く終わっておいた。
もうじき車を売ってしまうので、その前に使いたい日はない?と聞くと、この週末使わせてもらえないか、と聞かれた。
カノジョと都内での短いドライブを楽しみ、スーパー銭湯で岩盤浴をし、近くのビジネスホテルに1泊してくるそうだ。
彼らが時々楽しむ、あまりお金のかからないつつましい行楽だ。
こんな時は精一杯楽しむといいよ。

正午に、2人して車のキーを借りに来た。
マスクをしたまま玄関先で短く話し、せいうちくんと私に指先でちょんちょんと握手をして、出かけて行った息子。
彼らを見てると、若い人たちは感染しても無症状だったり軽く済むから無頓着で、クラスターになってあちこちに広げている、なんて一般論はとても信じられない。
誰かが振りまいてる「世代間闘争に火をつけるための悪意ある大袈裟な噂話」なのでは、と思えてくる。

2人を見送ったあと、朝から2リットルの下剤入りの水を飲んだおかげで順調に「ただの水の通る管」と化した私は、せいうちくんについてきてもらって内視鏡検査に行った。

3度目となるクリニックはとてもきれいで、スタッフの方たちも親切で感じがいい。
渡された「不織布の尻割れズボン」に着替えると、看護師さんがてきぱきと点滴ルートを確保し、薬を入れる準備をする。
上からの内視鏡に備えて喉を麻痺させる麻酔薬を3分間口に含んでいると、吐き出した後はちゃんと喉が痺れていた。
こうしていろいろ処置を受けていると心臓の手術の時を思い出す。
あの時もちょっと楽しかった。
どうも私はこうやって人に適切にお世話をされるのが好きなようだ。

ベッドごと診察室に運ばれて薬が入り、せいうちくんもやってくる。
足元でモニタを見せてもらってる様子。
私の前にもモニタがあり、メガネをかけてないのでぼんやりとだが、マウスピースを入れた口から管が入ると、自分の内部が見える。

せいうちくんが前に受けた時はすぐに寝てしまい全然記憶がなかったと言っていたが、私はずっと意識がかなりはっきりしていて、最初から最後までモニタを見て「前より色が悪いなぁ。モニタの画面の問題かなぁ」とか思っていた。
体質なのか、神経系の薬に慣れているせいで効きにくいのか。
ただし、まったく痛くも苦しくもなかった。
すぐに上からが終わって、下からになった時はおなかの中でぐいぐい押される感じがあって、「ああ、今、ぐにゃっと曲がって大腸の端まで来て押してるなぁ」とか思った。

「少し便が残っているので、水をかけて洗います」とせいうちくんの前でドクターが言ってるのは少し恥ずかしかった。
確かに腸壁のあちこちに茶色い塊が貼りついている。
腸内大便を夫に見られる瞬間。

無事に検査は終わり、また控室にベッドごと戻されて点滴を抜き、止血をして、鎮静剤が覚めるのを待つ。
いつもいつも、この時間が一番長くて退屈。
せいうちくんは足元で本を読んでいるが、こっちは安静にしてなきゃいけないから本とかスマホを取ってもらって読む、ってわけにもいかないのだ。

30分か1時間ぐらいたってもう起きてもいいと言われ、着替えをして待合室に戻った。
その後、ドクターに呼ばれて面談室に入り、せいうちくんと2人で結果を聞く。
胃に小さなポリープがいくつかあるが、数ミリぐらいの小さなものばかりなので取るほどのことではないそうだ。
ワーファリンをのんでいなければその場で内視鏡手術をしてしまうのかもしれない。

腸の色が少し悪いのは事実だったようで、何かの薬の影響かもしれないが、あまり気にする必要はないらしい。
とりあえず大きな問題はなく、胃腸に関しては健康体だった。よかった。

外でタクシーを拾って帰ろうと思ったら、1台も来ない。
歩きながら拾おうか、とふらつくこともなく歩いていて、そのうちもう全部歩いてしまおう、ってなった。
徒歩で20分もかからないからね。

裏道を歩いていたら、いつもバスの窓から見ていて気になっていた「行列のできるパン屋さん」のことを思い出した。
「寄ってみようか」とバス通りに出てみると、遠くからでもわかるほどの人だかりができている。
他にあまりひと気がないだけに目立つ、ずいぶん繁盛しているパン屋さん。

10数人が折れ曲がって並ぶソーシャルディスタンスを取った列に加わり待つうちに、1人出てきたら1人入るシステムを理解する。
店内はあまり混雑しないように調整されているようだ。
我々の番が来て、まず私が入り、もう1人出たところでせいうちくんも続く。

「バジルソースにトマトとベーコンと大葉を挟んだパニーニ」が最初に目を惹く。
創作総菜パンが売りなんだろうか。
定番のカレーパンもカリっと揚がってておいしそう。
私はカレーパンを3つ、焼きそばパン、ロングソーセージパン、あんドーナツを選び、せいうちくんはクリームいちごコッペパンとジャム&マーガリンコッペパン、それにくるみパン。
いっぱいにパンの入ったエコバッグを下げて、家まで15分ほどを踊るように歩いて帰った。

さっそく食べてみたカレーパン、揚がり具合は見た通り素晴らしくカリカリのサクサク。
ただ、中のカレーが少し甘口すぎて、私としては最近よく買うローソンの辛口ビーフカレーパンに軍配が上がるかな。
ソーセージパンは中のソーセージがピリ辛でスパイシー、細く焼いたバゲット様の外側もおいしい。
せいうちくんからわけてもらったおやつパンシリーズも素晴らしく、口の中でとろけた。

「残りは明日食べようね」とせいうちくんは楽しそう。
でも、カレーパン2つとくるみパンを、息子たちにおみやげにあげたいなぁ。
ちょっと惜しそうな顔をしながらも、
「キミは本当に優しいお母さんだね」と同意してくれたせいうちくんも優しいお父さんだ。
明日、車を返しに来る時が楽しみだなぁ。

21年1月17日

昼頃に息子が車を返しに来た。
「楽しかったよ。最後に車を使う機会をくれてありがとう。車とゆっくりお別れをしたよ」とのことだが、表情はそれほど晴れ晴れと吹っ切れてはいない。

(追記すれば、「車を売るのにガソリン満タンにしてしまったので、いくらでも使って」と言っておいたのに、のちにガソリンメーターを見たらいくらも減っていない。やはり都内のスーパー銭湯行くなんてささやかなドライブに過ぎないんだなぁと、彼らのつつましさに涙が出た)

上がってお茶でも飲んでもらいたいところだが、向こうは非常にコロナを警戒してくれているので、マスク姿のまま玄関先でお別れだ。
ハグや握手の代わりに指切りするように小指をからませて挨拶し合う。

「バスの窓から見える、いつも行列が出来てるパン屋さん、知ってる?」
「うん、知ってる」
「あそこのパンを買ってみたんだよ。おいしかったから、おみやげに持って行って」
「いいの!ありがとう」と息子は大喜び。

パンと最後の荷物、実家の最後の名残りとして部屋に貼ってあった水樹奈々とジョジョのポスター丸めたのを持って帰る彼らに、使わなくて余ってるラップやアルミホイルなどの消耗品を入れた箱を見せ、
「もらってくれたら助かる」と頼む。
息子が「トイレ貸して」と上がってる間に、カノジョが選んだのはIKEAの小さなジップロック袋の箱。
一番レアで単価の高い、手に入りにくいものを即座に選べるとは、達人だ。
こんなしっかりした人が息子と暮らしてくれていれば安心。

トイレから出てきた息子は、カノジョの持った長方形の小さな箱を見て、
「なに?妊娠検査薬?」
確かに形状は似てるかもしれないが、どうして親の家にそんなものがあると思うんだ!
それに、どうしてカノジョと親の面前でストレートにそんな単語が出るんだ!
あいかわらずあけすけな男である。

2人が仲良く帰ったあと、14時からマンションの内覧のご夫婦が来た。
3件目の内覧。
どなたも生活音が聞こえるか、マンション内の人間関係はどうか、と気にされる。
部屋を見ただけではわからない点だからだろう。
何かがイヤで出ていくのだと思われては困るので、
「子供が出て行って、夫婦2人暮らしには広すぎるから」と一生懸命説明する。
ちょっと必死になりすぎかも。

1件目は「まわりにマンション群が迫っている感じがちょっと」、2件目は「思ったより全面的なリフォームが必要」との理由でお断りされたが、今回はいい感触らしい。
奥さんの実家が近所で、家族構成の変化に備えて広めのマンションを探しているんだそう。
80平米以上は初めて見るので気に入ったそうだが、近隣でもう何軒か広めの部屋を見てから決めたいが、検討候補には入れてくれる、とのこと。
売れるといいなー。

息子からも「車ありがとう。おみやげもたくさんありがとう。パンおいしかった」とお礼のメッセージが来た。
いい1日だったなぁ。ちょっと盛り沢山すぎて、疲れたけど。

21年1月18日

病院お別れシリーズ。
緑内障の治療で長いこと診てもらった眼科、今日が最後。
診断の的確なテキパキした中年増だが美人な女医さんとお別れするのが寂しい。

初期の緑内障で眼球の奥には明らかな兆候があるが、まだ視野の欠損はほとんど現れていない状態。
対処には点眼薬で眼圧を下げるしかないけど、私は非常に眼圧が下がりにくいようだ。
ずっと朝晩の点眼薬を使っていても、「うーん、もう2割ぐらい下げたいわねぇ」と言われるあたりにいる。

「仮住まいの1年間、病院に行かないでこちらでいただいた目薬だけ使ってる、ってのは無理ですか」と聞いてみたら、
「それはやめた方がいいわね。病院は、行って」とのこと。
紹介状は形式としては相手方が決まってないと書けないそうで、
「仮住まいはどのへん?千駄木ね。じゃあ、日本大学病院にしておきましょう」
「大きな病院に行くつもりはなくて、町の小さなクリニックですませたいんです」
「その方がいいと思う。とりあえず日大で書くから、新しい病院見つけたら『宛先は日大になってますけど気にしないでください』って言って、見せておいて。これまでの経過や状態を全部入れておくから」
気風が良くて男前で(女医さんだけど)、頼もしいなぁ。離れたくないなぁ。

とりあえず眼圧下げるやつと、疲れ目のためのビタミン入りと、眼球に傷がついた時用のと3種類の点眼薬を半年分もらい、目の機能に効果のあるビタミン剤も3か月分もらった。
「次のところで必ずどこかにかかってね。それまではこれでしのいで」
「はい、先生、ありがとうございます。長いことお世話になりました。先生もお元気でご活躍ください」
「ありがとう。お元気でね」
紹介状とたくさんの点眼薬をもらって、お別れシリーズをひとつ終えた。

ついでに近所の本屋に寄る。
こちらもお別れシリーズ。
25年近くお世話になった。
レディースコミック雑誌を月に10冊ぐらい買っていた頃は、たまると配達してくれていた。
今は4冊ぐらいに減らしたので自分で取りに行っていて、先月取り置きを止めてもらった。
今日、今月出たのを4冊まとめて買って、
「いよいよ来週引っ越します。お世話になりました」
「長いことご愛顧いただいて。行く先にも本屋はあるんですか?」
「お茶の水の方なので」
「まあ、それじゃ本場だわねぇ。いくらでもあるわ」

今時PCもほとんど使わないでノートに記入して取り置きをしている本屋さんなため、時々抜けがあって、取り置き棚にない時は自分で勝手に売り場の棚から取ってきてた。
「これ、忘れられてました」
「あらっ、ごめんなさい!」
何度もそんなことがあったのも、小さな町の本屋のご愛敬だ。
途中からコミックスは全部Amazon頼りになって、お店で買わなくなっちゃってごめんなさい。

せいうちくんのお使いで、おととい突然大の気に入りになったパン屋さんに「ジャム&マーガリンコッペパンとあんドーナツとカレーパン」を買いに行ってみたら、昨日は日曜でお休みだったから開いてるだろうと思ったのに、第3月曜日もお休みなのだった。
その張り紙の写メを取って、「悲報」とせいうちくんに送る。
「おお!悲報!」と返事が来た。

鍋釜お皿をかなり捨てたりしまったりした状態の「引っ越し前シンドローム」で、もうほとんど料理する装備も気力もない。
コンビニやスーパーのお惣菜やパン、わずかに残ったインスタント食品を片づける方向で過ごす。
糖質制限も何もあったものではない。
せいうちくんの腹回りはすごい勢いで膨張していて、たまに出社する時に背広のズボンがきついと悲しんでいる。

ただでさえコロナのストレスがあるところに、引っ越しってのも楽しみなようでストレス指数はなかなか高い。
うまく折り合ってやけ食いしながらしのいでいこう。

21年1月19日

昨日パン屋が休みだったので、リベンジついでに今日が最後と整形外科へ。
前は怖かったけど最近優しくなった腕のいい先生なので、これまたお別れが惜しい。
「整形は、どこに行ってもレントゲン撮るだろうから特に紹介状は必要ないでしょう。次のとこで近所の病院探して行ってね」

ひざに注射打って、最大限出してもらったシップと痛み止めジェルもらいに薬局に行くついでに隣の皮膚科に予約取りに行ってみる。
「今すいてますから、すぐ入れますよ」
あら、いつも予約で混雑してるのに珍しい。
薬局に取って返して「隣の皮膚科に行くことになりました」と保険証を返してもらう。
「お薬また出たら言ってくださいね。整形の分はお出ししてまとめておきますから」って言われて、隣へダッシュ。

胸の正中切開のケロイドを4年近く診てもらった女医さんともお別れ。
むしろせいうちくんの方がアトピーでお世話になったかも。
「だいぶケロイドの盛り上がりが消えてきたわね。あとちょっとの辛抱」とあいかわらず細い細い針でケロイドに何か所か注射を打つ。
飲み薬は先月念のため2か月分もらっておいたので、健康保険上もう出せないのだそうだ。

「主人と2人して先生のファンでした。もうお目にかかれなくて寂しいです」と言うと、フフッと笑い、
「ご主人のアトピーもだいぶ良くなって、よかったわね」とクール。
最後の最後までツンデレで、よけいに萌えた。

自転車走らせてパン山ほど買って、今夜も明日もこれが食事だ。
今、せいうちくんなんだか無茶苦茶忙しいのと、鍋釜お皿みんな捨てたりしまったりした「引っ越し直前シンドローム」でそういう状態になっている。
糖質制限何て言葉も聞かなくなって久しい我が家。
仮住まい先でも外食中心でいくつもりなので、お財布と体重が大いに心配だ。

21年1月20日

病院お別れシリーズのラストは3年ばかり通った心療内科。
とても信頼が置けて、20代の頃から診てもらって老齢で引退した前の前の主治医とはまた違う安心感を覚える。
1年経ってもよい変化がなければ、いやどうなっていても、またここに戻ってこよう。
理想は「もう来ませんが、ご挨拶に」ってパタンかな。

引っ越しとせいうちくんの忙しさでテンパってる私を、にこやかな口調で、
「1年間の仮住まい、いいねぇ。江戸文化の中心に行くんじゃないの。引っ越して落ち着いたらすぐ楽しくなるかもよ」って励ましてくれた。

あいかわらず、
「日本は子供が自立しにくいんだよね。僕らの母親あたりの年代はほとんど毒親だよ。ダンナさんもちょっとそのへん危なそうだから、母親の顔色なんか見るなって言っといて。あなたたちは息子をしっかり育てて外に送り出してる。充分立派な親だよ」と持論の毒親問題を披露し始める。
せいうちくも私も毒親に支配されてちょっと息苦しいタイプだからだろう。

「昨日も息子とメッセージ交わしてて、『子供の幸福はどうしても親の基準値になるからね。でも、幸福、だよ。成功、じゃないよ』と言っときました」
「それが言えるお母さんなら充分だよ。もう健全な家庭を築いたんだから、上の世代のことは気にしないで」とのこと。

「次に行く病院のあてもありませんから」って泣きついて、睡眠薬をはじめとする薬を多めにもらっておいた。
ひと月は猶予がありそうだ。
その間に紹介状にある投薬だけ続けてくれる、深入りしない病院を探そう。

お別れシリーズというか、1年待っててシリーズだね、この病院と、あと美容院。
とりあえず最後に切ってもらい、
「1年もつように、とは言いませんが、できるだけ長持ちするように仕上げといてください」とお願いする。
また1年したら戻ってきますから、と話してたら、お会計しながらそっと連絡先を渡された。

「大きな声じゃまだ言えないんですが、たぶん僕、この店にはいないと思います。良ければご連絡ください。その時のお店をご案内します」
わー、若い男の子からインスタのバーコードプリントした名刺にケー番を手書きしたのもらっちゃったよ。

「息子が最近『結婚したいし、子供が欲しい』って言うんですよ。親としては嬉しい徴候ですね」って言ってんのに、
「でも、生活基盤ができてない状態じゃ夢物語ですからね。息子さん、考えが甘いんじゃないですか」って返ってくるのは美容師さんとの会話じゃないなぁ。
こっちも癒しと慰めが欲しいのよ。

本当に腕は立つと思うしいわゆる意識高い系なんだろうけど、私には向かないタイプの担当さんだったみたい。
お店は気に入っていて、中での指名替えはよろしくないかと思って控えてたんだけど、もうそんな気遣いもいらない。
1年経っても彼とは会わないかもしれないなぁ。
そういうこともある!

帰りはバスに乗って途中のパン屋の間で降り、またパン山ほど。
残りの家まで15分ほどを歩ききった。良い兆候だ。
と思ってたら、ハイになった分あとからどっと疲れが来て落ち込んでる(←今ココ)

今でも忘年会とかやってる保育園から中学までずっと一緒だった数人のママ友たちをのぞけば、引っ越すからって挨拶するような仲の友達はこの地にいない。
寂しくなったので、政治の季節になると何度か訪ねて来てくれたさる熱心な会のママ友を思い出して、電話かけてみる。
息子同士も小学校時代からけっこう仲良かったんだよ。

「まあ、引っ越すの!息子くん、どうしてる?へえー、コントやってるの。書く方なの、舞台に上がる方なの?公演が出来なくて困ってるのかぁ。それはそうよね、今は。YouTubeに出したりしてるの?」
やっぱり頭の切れる人だな。事態の切り分けがうまい。

「両方やりたいらしい。一応グループのリーダーやってるから、今度YouTube見てみて」とグループ名教えたら、さっそくチャンネル登録してくれたって。

そこんちのちょっとオタクっぽかった理系息子は今ITの仕事をテレワークでやってるらしい。
好きで向いてる安定した仕事、とちょっとうらやましくなるが、各人それぞれ好きな道を行ってるんだ、人をうらやむような真似はすまい。

「息子くんに、応援してるから頑張って~って伝えてね!」と言われ、また1年後に隣駅に戻ってきたら連絡すると固く約束。
と言ってもお互いケー番さえ握っていれば、あとはあんまり関係ないんだよね、どこにいようと。

21年1月21日

友人たちの中から、時々遺産相続に関するもめ事を聞くようになってきた。
ご両親と同居していたきょうだいが預金を隠していたとか、別居のきょうだいがまったく動かなかったため手続きが遅れに遅れて煩雑になったとか、今現在係争中であるとか。

私も、8年前に母が亡くなった時に同居の姉から「母の遺言書」を見せられ、相続放棄の判を求められた。
ずっと母の面倒をみていた姉なのである程度は仕方ないかと思ったが、一方、住居や子育てにおいて多大な援助を受けてきたわけだ。
うつ病で衰弱し肺炎になって自宅で亡くなった母がよろよろとした字で書いた遺言書は、平成に入ってもう20年以上たつのに「昭和」で始まるのを直した跡があった。
正常な判断力があったかも怪しく、遺産の総額も明かされなかった。
当時は私の精神状態も悪かったため、遺言書通り母の生命保険金だけを受け取る形で決着を急いだ。
とにかく姉との関係を清算するのを優先したかったのだ。

それ以来姉とは絶縁状態になっており、今の主治医からは「争ってもよかったのに」と言われ、やるだけやっておかなかった後悔を感じる。
金銭的な面以上に、生涯続いた母への渇望と姉への不信を解決しておく唯一の機会だったと思うからだ。

きょうだいが遺産相続でもめるのはよくある話で、たいがいは親が意志をはっきりさせておかないこと以上にもともとのきょうだい関係の悪さが原因になっており、それにも親が関係していると思う。
私の場合は子供の頃から母親に「遺産はきちんと半分にする。お姉ちゃんがちゃんとしてくれるから」と言われ続け、「感謝の前払い」をさせられてきた。結局実行されなかったのに。
相続放棄の判をつく時、「これがお姉ちゃんの『ちゃんと』なんだね?」と尋ねるのが精一杯だった。
「そうよ」とうなずく姉と、それ以上話し合う気にはなれなかった。

きれい事でなく、たいていの人にとって遺産相続は退職金を手にする以外の「生涯の財産を決める最後の収入」になる。
自分にも家庭や大切な人ができていて、若い頃ほど「お金なんて大した問題ではない」とは思えなくなっている。
そしてかなりの部分「金銭=親の愛情」で、親との関係を確認し清算しておく最後のチャンスになるのだ。
甘えた話ではあるが、私は「母に愛されていなかった」事実を突きつけられた思いがした。
今でもその思いから逃れられない。

20代の頃に「新しく買う家の名義を半分お姉ちゃんのものにするけど、ローンを払える都合上だけだから。名義上のことだけで、すぐに売ってしまうから関係ないの」と言われて、
「でも、その家を売る時に入るお金は半分お姉ちゃんのものになるんでしょう?」と聞き返したら、
「あんた、案外頭いいわね」とからかうように言われたのが忘れられない。

「いつかあなたが家を買う時は援助してあげるから」と昔から言われていた約束は果たされなかった。
あてにしていた頭金を「出せない」と言われ驚く私に、母は冷たく、
「自分で買えないならやめておいた方がいい」
「これぐらいのことでうろたえるようではマンションなんか買えない」と説教した。
今となっては独力でやれてかえって良かったと思うが、ここでも「感謝の前払い」だけを強いられてきたと気づいた。

なめられ、ごまかされてきた一生だったと思い知る。
「きょうだいは平等」「親はどの子も同じように愛している」と口癖のように言いながら実は差をつけていることに、親自身気づいているのかいないのか。
「お姉ちゃんはずっと一緒にいてくれた。家を出たあなたと同じにはできない」とはっきり言ってくれた方がよほどましだった。
親自身の言葉と行動の間にあからさまな違いがあると、メタメッセージの矛盾が子供をずっと苦しめる。

親は本質的な部分で子供に嘘をついてはいけない。
自分をよく見せるために、自分の満足を得るために子供を犠牲にしてはいけない。

21年1月22日

今日、現住所の住民票を抜いて仮住まい先に転入した。
もう文京区民だ。
両方に住まいを持つ、良い身分。しかしこっちの家は早く売れて欲しい。

息子は現住所違うけど住民票は我々と一緒なうえ彼だけ別世帯だったり(コロナの初期に1世帯30万円もらえるというお話があった頃に急いで手続きした。無駄だった)、娘は施設に住んでるけど住民票はやっぱり我々と一緒だったり、家族のうち2人が障碍者手帳を持っていたり、結構ややこしい。
朝一番で市役所に行き、それから文京区役所に行って手続きすること2時間。1日仕事だった。
ああくたびれた。

こっちに戻ってきて、図書館2つに山のような本を返す。
全然読めてない。
緊急事態宣言が出た時、またしばらく休館になるかもでそしたら長いこと借りてられるなぁと思ったんだけど、よく考えたらこっちがもう長いことはここにいないのだった。

仮住まい先には徒歩5分以内ぐらいに図書館が2つあって、とても楽しみ。
せいうちくんはすでに検索かけて、めったに見つからない本があることを確認している。
それを借りてスキャンするため、わざわざ非破壊式のスキャナーも荷造りして持って行くそうだ。
部屋狭いのに。
そーゆー私も裁断機とスキャナは持って行くので、人のことは言えない。
だってだって、目の前がブックオフなんだもの。

鍋釜お皿を全部捨てたりしまったりした「引っ越し直前あるある」現象で、毎日惣菜パンと菓子パンばかり買って食べてる。
この期に及んで近所の評判のパン屋を見つけてしまうとは。
せいうちくんの仕事が忙しいのと引越しのストレストで、ジャム&バターコッペパンがおいしくてしょうがない。
糖質で身体がねばついてどうかなってしまいそうだ。

会社で同じ面倒な仕事に振り回されている人同士が、この半年ほどどれほど大変だったかを言い合っていたらしい。
「親が亡くなって、葬式その他で大変だった」
「親ががんになって、入院やら治療やらで大変」
そんな深刻な話と張り合うようにせいうちくんは言った。
「家を買うのと売るのと借りるのを同時にやってて、大変です」
人々は口をそろえて、
「それは大変だ!」と同情してくれたんだって。
どう考えても他の話の方が大変だと思うんだけどなぁ。


21年1月23日

1年後に住む新マンションのビルトインオプション相談会に行ってきた。
建てる途中で組み込むものをお願いしておくことになる。

ガスコンロをIHクッキングヒーターに、キッチン下扉収納を引き出し式に。床暖房は全室につけたかったけどガスの口が6コしかないとのことで、書斎予定にしている北側の洋室2はあきらめた。
(寝室予定の洋室1には絶対欲しいし、息子とカノジョが泊まりに来た時のために、リビングとなりの仕切れる洋室3部分にはつけといてあげたい)
ダイニング部分にペンダントライトつけたい関係で引っ掛けシーリングを残しつつ、ダウンライト4つつける。
そうするとリビング部分だけ普通のライトってのも見た目が悪いので、そちらもダウンライトに。
こっちはひっかけシーリングコンセントは除去で。(そんなことにも料金がかかるのがビルトインオプションの恐ろしいところ)

夏頃に建造後のドレスアップオプション相談会になる。
玄関にミラーつけてもらうのと、リビングとつながっててパネル扉で仕切れる洋室3の西壁をプロジェクタースクリーン仕様の壁紙にしてもらうの、それから食器棚を造作家具屋さんにお願いすることを考えている。
プロジェクターは、今、「ポッピンアラジン」という商品名の、シーリングライト兼用の、直接シーリングにつけられるものが市販されてるそうで、そういうのを検討してる。(その前提でスクリーンもプロジェクターもいったん売り払った)

マンション買うのと仮住まいする以外にも、預金を吐き出す吐き出す。
ビルトインオプションだけで年越しクルーズ1回分弱かかってる。
3分の1はIHクッキングヒーターの値段だが、せいうちくんたっての希望なので。(電気のアンペアも変えねば)
1年間、頑張って貯金しよう。
秋葉原価格ならもっと安いんだろうけど工事費っつーものもかかるし、時間と気力と体力を金で補っている部分もあるのでしょうがない。

リビング側の引っ掛けシーリング、除去代取られるぐらいなら残しておこうかとも考えた。
見た目はナンだけど、今後どんな新メカが出てつけたくなるかわかんないから残しておくってのもアリなんだよね。
実際、洋室3のシーリングには「ポッピンアラジン」がつけられるって、今回担当のおねーさんと話して初めて知ったよ。
だから「プロジェクターつけたいんです。天井につけられますかね?」とかはどしどし聞いてみるべきなんだ。スクリーン仕様の壁紙のことも教えてもらえた。

で、せいうちくんに将来のいろいろな利点を力説してみたんだが、彼はダウンライトにして突起のないのっぺり天井の綺麗さを取りたいと譲らないので、もしなんかつけたくなったらまたお金払ってシーリングコンセント復活させると。
今後15年住んだあとは老人ホームに行く予定なので、その間にシーリングにつける夢のメカがこれ以上発売されないことを祈る。

部屋の図面に赤で改造点を記入したものをもらったので、マンション改造計画の好きな友人2人に送ってみる。
1人からは、
「いろいろ変えたねー。床暖房は北側両方の部屋に欲しい」とのご意見が。
彼の住んでるマンションは偶然たまたま、我々と全く同じ間取りなのだ。東西がひっくり返ってるだけで。
「床暖房付きのリビングにつながっている南側のあんどん部屋は床暖房無くても困らないぞ。(用途にもよるけど。)」とのこと。
(「あんどん部屋」とは昼間でも行灯が必要なぐらい暗い奥の部屋のことだそうだ)

かなり悩んでせいうちくんと相談ぶった挙句、北側の書斎にはPCを床置きするのでやはり床暖房はやめておく、と伝えると、彼は床暖房なしを勧める洋室3部分にやはりPC床置きしてるそうで、「そりゃ仕方ないな」とあっさり。
PCは何よりも優先。

ずいぶん引っ越し前っぽくなってきた。
荷物をものすごく減らしたので、意外と段ボール箱は少ない。
まあなんてったって本の箱がほとんどないところが、前の引っ越しとの大きな違いだ。
前は本だけで100箱近くあって、リビングの真ん中に山になってたからなぁ。
そもそも自炊技術がなければ、住居のダウンサイジングも1LDKへの仮住まいも考えられなかったろう。
老人ホームにも行けないし。

土曜の本番に向けて本気出そう。
午前中に倉庫行き荷物の引き取り、午後は千駄木行きを積み込み、処分品を引き取ってもらって、我々は通帳等重要書類とノートPCやタブレット類を抱えて別途仮住まいに向かう予定。
夜に千駄木の定食屋でひと息つくのが目標だけど、今は20時に店が閉まるからなぁ…頑張らなくちゃ。

高齢になっての引っ越しはこたえるねー。
老人ホームに向けて千駄木でミニマム生活の練習しよう。
家の余剰物はほぼお客を呼ぶのが原因と気づきつつあり。
しかし余剰はまた華でもあり、難しいところだ。

21年1月24日

いらないメカや生活用品を車に積んで「ハードオフ」に売りに行った。
40年前から使ってるアイロンやアイロン台なんかお金にはならないけど、引き取ってもらえるだけでありがたい。

帰りに隣町の図書館に本を返して、これでもう近隣の図書館全部に返却手続きをした。
今回の本なんか、予約してたのが一昨日来たと連絡があって取りに行き、非破壊式のスキャナで取り込んで25巻+別冊1巻の全部を電子的にゲットした。
(こう書けば、シュルツの完全版ピーナッツ全集だとわかる人も多いだろう)

車を使う用事はこれでおしまい。
水曜には本格査定のために引き取りに来てくれて、最後に木曜に引き渡し契約に判をついて代金をもらっておしまいだ。
この1年、週末の買い出しがメインになってたけど、文句も言わずよく働いてくれたなぁ。
前に乗っていたノアほど胸に迫る思い出は少ないものの、我が家最後の愛車、黄緑のアクアもいい車だった。

だんだんこの土地からきゅーっと引き離されて、お餅が伸びて伸びてちぎれていくような気がする。ぷつぷつと。
全部ちぎれたら、次の土地に新しい鏡餅を据えるのだ。今回は1年だけだけど。

21年1月25日

警察署に免許の書き換えに行くついでに、思い出の名所撮影会をしてきた。
息子3歳の時に越してきて、まずは社宅に8年間。
つぶれると聞いて近所にマンション購入したのが17年前。
元社宅は今では分譲マンションが建っている。パチリ。

学童保育所に通わせていて、その建物も学童卒業間近の3年生終わりに立て替え移転。
せいうちくんは保護者会の役員をやっていたので、立て替え作業にはずいぶん関わった。
移転直前にシックハウス問題が勃発し、予定通りの引っ越しができなくて子供たちは日替わりで市の公民館などで遊んでいた。
「マンガもおもちゃもないんだよ」とブーイングが出たなぁ。
でも新しい建物は綺麗で嬉しかった。一瞬の通所だったが。パチリ。

警察署の建て替えもあって、警察柔道の稽古は2年近く小学校の体育館を週3回、夜に借りておこなった。
学校の裏門から入って塀脇の狭い通路を非常階段の下くぐって無理矢理通り、体育館へ。
稽古前に倉庫から畳(警察署から運び込んだ)を出して敷き、19時に終わると上げてまた倉庫にしまうのがひと仕事。
終わって引継ぎの「赤いバッグ」を次に使う団体さんに渡すまでが親の会の当番の仕事。
また、毎回きっちり次の人が待ってるんだ。
公的施設を市民は上手に使っている。ママさんバレーのチームとかが。
練習しに通った道と裏門を、パチリ。

先日文京区役所で書き換えてもらった障碍者手帳(せいうちくんは保険証)を使って免許の住所書き換え。
ここで、障碍者手帳の特典として使っていた「駐車禁止除外指定証」の住所も書き換えるべきではないかと気づく。
ぶっちゃけて言うと、許可証は私についてくるのであって、所有車両に限らない。
つまり車を売り払っても「駐禁除外指定」してもらうことはできるのだ。
ただし道幅とか路肩の歩行者用通路とかとの関係がすごくめんどくさくて、証明書を出しておいても駐禁食らったことが2度ほどある(1回1万5千円の罰金。涙)ので、めったに使わないんだが。

幸い、車から引き上げておこうとリュックにしまってあったので、持ってる。
住民票とかいるのか?とキンチョーしたが、今、障碍者手帳の住所が変わっているので証明はこれで十分らしい。
無事、書き換え終了。
これで役所関係の手続きは全部済んだ!

「えらいねぇ。駐禁除外指定証のこと、よく思い出したね。引っ越した後にまた市役所に来なきゃいけないところだった」とせいうちくんにほめられたので気をよくして、4階の道場を見せてもらおうよと提案。
いろいろあって見せてもらえて、畳や神棚、道場入り口をパチリ。

警察署をちょっとすぎた向かい側に小学校と中学校。隣りあわせなんだ。進学した気がしないだろう。パチリ。
角を曲がって市役所前を通る。社宅に向かう道を、南側からパチリ。
スーパーの横を通ってマンションに。外観をパチリ。
自分ちフロアの廊下をパチリ。
我が家の玄関まわりをパチリパチリ。

小学校の頃、町道場の稽古の日はけっこう遅い時間に1人で帰ってきたから、長い廊下が寂しくて下のインターホンで呼ぶ時に、「門のところで待ってて」って言ってたよ。
廊下の端の角部屋にだけついてる門扉のところで待っててあげると、エレベータからだーっと走ってきたなぁ。迷惑なヤツだったなぁ。
思い出がぐいぐい迫って、胸と目が熱くなった。

これらの思い出写真シリーズを息子に送ったところ、警察署と道場の写真を見て驚いたらしく、
「警察署の中に入れたの?」と聞いてきたので(確かに普通は警戒厳重なんだ)
「『子供が昔警察柔道でお世話になって。今度引っ越すので、思い出に』ってお父さんが頼んでくれたの。自分もずっと柔道をやっていましたと言う女性警官さんが快く案内してくれたよ。今の剣道の助教さんとお話しできたよ」と話した。
女性警察官はお笑いが好きらしく、息子がコントの道を目指してるって言ったら、
「『ずん』も柔道やってましたね。警察やめた後輩が『東京03』について修行してますよ」と話してくれたことも。
くわしい人だった。

(余談)
「やっぱり『教場』に行ったんですか?」と今の時期に警察官に会うと聞いてしまう質問ベストワン。
女性警官は「もちろん行きました!」と胸を張っていた。
「去年からキムタクで有名になりましたよね。今年も観ましたので、つい聞いてしまいました」と言ったら嬉しそうだった。
お仕事ドラマとしてもよくできてるもんね。
あれ観て警察官になりたくなる人もいるんじゃないかなぁ。
(余談終了)

息子は、「本当に懐かしい道ばかりだ。。。」と嘆息し、柔道場を頼んで見せてもらった話には、「元気出た」とつぶやいていた。
本当に何もかも懐かしいね。この懐かしさを胸に、お互い新しい生活に前向きに進もうね。

21年1月26日

ガンガン荷造りをしている。
このひと月ぐらい、私が知らないうちにせいうちくんがずいぶんいろいろ進めてくれていて、あちこちの棚がいつの間にか空になっているのでびっくり。
荷物がものすごく少なくなってて、もうあまり考えることは残ってない。
物を捨てるのが引っ越しの王道と見つけたり。

「あれ、どこいった?」
「捨てた」
「聞いてからにしてって言ったでしょ!」のやり取りでずいぶんケンカもしたが、基本的にせいうちくんは間違ってないと思われる。

彼のやり方が「強引に捨てる」ならば、私の方法論は「新兵器導入」。
Amazonで倉庫収納用の布団袋を買うついでに、前から欲しかった「布団圧縮袋」を注文した。
想像していた通り、なかなかの優れもの。特に羽根布団には絶大な威力を発揮する。
ダブルファスナーの厚手ビニール袋に空気抜き弁がついており、布団を袋に入れて掃除機で穴から吸気し、仕上げは同梱の手動ポンプでしっかり空気抜きして栓をする。
たたんでもほわほわの状態で布団袋に入っていたものが、ぴっちりと薄手に平たくなって、収納用布団袋にたくさん入る。

これにはせいうちくんもいたく感心し、
「考えたこともなかった。僕は新しい器具に懐疑的でついうさんくさく思ってしまうんだけど、キミは考え方が柔軟だね。いいもの買ったよ。ありがとう」と言っていた。
理屈では羽根布団は出してふるえば空気を含んで元のふかふかに戻るはずで、圧縮袋は繰り返し使えるので、今後の季節ごとの布団替え収納にも大いに役立つ予定。

ただ、ダイソンの充電式掃除機はすぐに電気が切れるので、1回圧縮すると少し充電休憩しないといけない。
あと、空気抜き口はそれほど掃除機にぴったりはまるサイズじゃないので、どうしても吸気は横漏れする。根気よく続けるしかない。
これは掃除機がダイソンだからこうなるのだとも思えない。
専用ノズルとかあればいいのかな。

いずれにせよ仮住まいでの掛け布団収納も抜群に楽になった。
私が考え、せいうちくんが手を動かす。
この無敵のコンビネーションで我が家はなんでも乗り切っているなぁとあらためて思う。

21年1月27日

今夜トヨタさんが車を持っていき、最終的な査定をして明日正式な引き渡し、ってことになっていたが、担当の人から連絡があった。
2回行くのも何なので、基本的な状態は先日見て仮査定をしているから、問題になる走行距離だけを今夜写メ取って送ってくれれば明日取りに行っていきなり引き渡しでいい、とのこと。

もう今夜から車は使えないと思っていたところのラッキーチャンスなので、息子が小学校から大学入学までずっと通った駅前の塾に塾長を訪ねる。
おととしあたり、せいうちくんは1年間、土曜だけのボランティア講師をし、私は半年事務処理のお手伝いをしてお給料をいただいた。
一家してあれこれお世話になったありがたい塾なのだ。
塾長と何度も飲みに行き、おごってもらったことも数知れず。
コロナだからZOOMでも、と話していたが塾の繁忙期に入ってしまったため、実現せずにいた。

夜22時、1人で事務仕事をしていた塾長と少しお話をしてきた。
1年たって戻ってくる先は、距離だけで言えば今のマンションから塾までとほとんど変わらない近さだ。
あいかわらずせいうちくん引退のあかつきには就職先としてあてにさせてもらうことにする。
息子とは時々連絡を取ってくれているらしい。
「彼も、頑張ってますね。これからですね」と言ってくれた。

その間にも授業の終わった講師たちが上の教室から降りてくる。
塾長は1人を呼び止めて、我々を紹介した。
「こちら、せいうちくん(この場合は息子)のご両親だよ」
我々に向き直った塾長によれば、塾講師のバイト6年目の彼と塾長と息子でLINEグループを持っており、「物書きになりたい人を応援する会」として前は時々飲み会を開いて塾長がおごってくれていたらしい。
息子の場合は「コントの脚本書き」だが、バイト講師くんも何らか文章で身を立てたいと思っているんだね。

「息子くんにはお世話になってます!」と挨拶して彼が去ったあと、塾長の次男くんが現れた。
「せいうちさんだよ」
「覚えてます!」
少なくとも私は覚えてなかった。
最後に会ったのが小学生ぐらいだったんじゃないだろうか、その彼がもう高校受験なんだそうだ。
志望高校や素点を聞いて(息子の時にいっぺん慣れたが、今は素点と換算点の計算の仕方がずいぶん変わってしまっている。音楽、体育などの「4科」の通知表の点を1.3倍するもんだったが、今は2倍なんだ)、若い子の成長の早さに驚く。

長男くんも時々塾を手伝いながら元気にやっているそうだ。
窓際の魚の水槽が増えて見た目もきれいになっているのは、魚好きの長男くんが出入りしているせいか。
納得の手入れのいい水槽であった。

「千駄木に落ち着いたら、延び延びになっていたZOOM飲み会しましょう!3月頃に!」と言ってくれた。
そうなんだよね、塾は3月まで忙しいんだよね。
毎年毎年、塾長はそのカレンダーで生きているんだなぁとあらためて思う。

帰りにせいうちくんが曲がるとこを間違え、おまけに修復しようと思ったら右折禁止の道にぶつかり、図らずも遠回りして家に帰ることになった。
「ついでだから息子が家を出て最初に住んだシェアハウスを見に行こうか。これもお別れの儀式のひとつだよ」と言い、そっちへ向かってもらう。
相変わらず建っていた。当たり前か。まだそれほど古くない。
共同玄関のナンバーロック式のカギは今でもあの時と同じ番号だろうか。それなら入れてしまうわけだなぁ。
車を降りて建物正面の写真を撮りながら、「息子はカノジョと元気に幸せに暮らしてますよ。お世話になりました」とつぶやいておいた。
「ああ、これですっかり終わったね」と言いながらずいぶんの回り道で家に帰った。

塾長に会ってきた旨を息子に報告し、我々のお別れ行脚もそろそろ終わりだ、と告げる。
「そうかー、方々あちこちの旅も終わりか。僕もおりを見てお会いできたらと思うよ、塾長に」との返事。
LINEグループの彼についても「ずいぶん会ってないな」って。
コロナはかなり人々を遠ざけているね。ま、ガマンの時だ。
我々の1年間の「航海」が終わってこちら近辺に戻ってくる頃には、すべて収束していることを祈る。

シェアハウスの写真を送ったら、
「お!あかりがついてる!」と返ってきたのは、彼の部屋に誰か住んでるようだってことかな。
すべての聖地巡礼が終わったよ。
我々が次に住むとこもその次も、それから息子がこれから住むところも、全部祝福されているといいね。

21年1月28日

絶賛荷造り中。
倉庫に預ける荷物はほとんど終わった。
あとは仮住まいに持っていく生活小物が残ってる。だってまだ使ってるもん。
引っ越し前夜に段ボールにどんどんぶち込む予定。
ものすごく物を捨てたから、かなり楽だ。

けっこう大変そうなのがPC関係とテレビ・デッキ関係の荷造り。
コードが奥の方ですごく埃だらけになってそうなうえ、引っ越し後すぐに使えないと困るものたちだから。
向こうのWi-Fiとうまくつながるだろうか。
夕方の17時すぎにNHKBSで録りたい「名探偵ポワロ」に間に合うように接続はできるだろうか。
たぶん無理だと思うので、その日の分はCSで別に録ってあるから大丈夫だし、苦労するのはメカ担当のせいうちくんだから、いいや。

私の作業としては明日J:COMさんが解約の手続きに来て機器類と配線を撤収するまでに録れるだけ録ってうちのデッキにダビングし、借りてるデッキを空っぽにすること。
今んとこ順調。
明日の13時にJ:COMさん来るのに、朝の8時ごろまでは録ってるところが心配の種かな。

こちらのマンションはまだ売れてない。
3件内覧が来て、2件は断られて最後の人は考え中だそう。
引っ越し翌日から2件の内覧者が予定されているみたい。
やっぱり引っ越し後の方が内覧の方も来やすくて、販売につながると不動産屋さんが言ってるから、新居で朗報を待とう。

今日は車を売った。
トヨタの担当のおにーさんが少し早めに引き取りに来てくれた時、家でテレワークしてるはずのせいうちくんは折からの雪のせいかまだ会社から帰りついておらず、お待ちいただく間に世間話をいっぱいしちゃったよ。
整備などで行って会うたびにせいうちくんと噂をするほどの長身美男子誠実真面目な好男子で、「絶対モテるよね。モテないわけがない」と話していたんだが、どうやらこのほどカノジョと同居を始め、じきに結婚する予定らしい。
「この家、買いませんか?」と振ってみたところ、高すぎることよりもCAであるカノジョの勤務に遠すぎるので、無理だそうだ。

息子より1歳しか年上でない彼が同棲を経て正式に結婚するのかーと思うと、息子の甲斐性の無さが身に染みる。
せめて早くカノジョのお母さんに同棲のお許しをもらってくれ。

名古屋の女友達Cちゃんが、「そろそろ仮住まいに引っ越した?」と現状確認のLINEくれた。
「準備中」と持ってくつもりの食器の写真を送る。
5種類ぐらい、2枚ずつしかない。コップ類以外はこんなもん。
「千駄木では外食三昧で暮らすんだ。楽しみー」と言うと、
「素晴らしい!生活を楽しむとはこのことだ。長期ステイの旅行が良い思い出になりますように」との励ましのお言葉。
相変わらず人を肯定し、鼓舞するのがうまいなぁ、Cちゃんたら。ありがとう。

21年1月29日

いよいよ明日は引っ越し。
倉庫に預ける荷物はほとんど作り終えて元息子の部屋に積み上げてある。

13時過ぎにJ:COMさんが設備撤去と解約に来るから、それまでに最後の録画をしてダビングしちゃおうと思ってたのに、
「近くまで来てますから今からうかがってもいいですか」と連絡があったのが10時。
「タイムスクープハンター」もう1話録れると思ったんだけどなぁ。
どうせ昨日気づいてシリーズ途中からの半端録画だから、いいか。

J:COMさんのメカニックの人はとても丁寧で仕事が早い。
あっという間に部屋の隅に敷き渡した配線のカバーを外し、配線を巻き取って電話とPC、それからテレビにつないであったチューナーを回収していった。
ハードディスクは買い取りになるんだそうで、そういえば契約した時お金払ったような気がする。
1テラか2テラで、ビデオデッキやテレビの種類によっては使えるそう。
買ったものだ、手元に置いておこう。

午後には足りなくなった梱包材(いわゆるプチプチ)を買いに出て、ガムテープも買い足して、明日の昼ご飯用にパン買って帰る。
ずいぶんな散歩をしてしまった。(6千歩相当。私にしてはすごい距離)
お昼を食べて、昨日から観ている「ナウシカ歌舞伎」を少し観進めて憩いの時間はおしまい。
せいうちくんは作業に戻ったが、私には「少し休みなさい」との厳命が下った。
物干し竿を取り込んでまとめ、ベランダ周りをちょっと片づけたのち、ありがたくベッドに戻らせてもらう。

その間にも寝室のカーテンを外しに来たり、リビングで箱をどんどん作っている様子だ。
夜までには寝室にも2箱ぐらい持ってくるから、ベッドサイド引き出しの中の物とか身の回りの物を入れるように、って。

引っ越しのコツは最後に「最初にあける箱」を作ること。
ネジ回しやトンカチなどの工具や釘、フック類、とりあえずのタオルなどを入れておく。
あとは、そうだなぁ、明日、新居に入ったあと片付いてなくても寝るだけは寝られるよう、パジャマとはんてんと下着・靴下ぐらいは「すぐ着るものの箱」として作っておきたい。
貴重品はもとより持って移動するので問題なし。

今夜の1時半まで録画したい番組があるので、それが終わるまでビデオデッキとテレビの配線とかはさわれない。
他の仕事を全部終わっておくにしても、夜更かし仕事になりそうだ。
時間が余るようなら「ナウシカ歌舞伎」観ながら待とうっと。

この家で寝るのも今夜が最後かと思うと、とても眠れそうにない。
いろんな思い出が走馬灯。
せいうちくんはきっといつものようにあっという間に寝入っちゃうだろうが…今のこの作業量の違いが入眠の差を作るのかもしれない。

明日は日記書いてるヒマないかもなぁ。
そもそもPCが立ち上がって書ける環境になってる保証がない。
まずは仮住まいのWi-Fiがうまくつながることを祈る。


21年1月30日

朝早く起きて最後の荷詰め。
最後まで使っていたものをまとめ、ノートPC、iPad類は仮住まいにも持って行く小型トランクに入れ、貴重品類はそれぞれリュックに入れる。

朝一番の9時に倉庫からの引き取り屋さんが来てくれる。
部屋のあちこちを養生し、私のシングルベッドを分解して運び出すほか、分解してくるんでおいたIKEAの揺り椅子2脚、同じシリーズのオットマン、押し入れケース10個ほど、段ボール15個ほどを運び出してくれる。
1年間、倉庫に預かってもらうのだ。
本物の新居でまた会いましょう、家財道具たち。

エアコン屋さんが来て持って行くエアコンをひとつ、あっという間に外してくれた。
向こうではまた別の人がつけてくれるらしい。
パンでお昼をすませて、次は引っ越し屋さん。
まず男女2人組が来る。
「大きなトラックがまだ来てないので、とりあえず廃棄のものを運び出して積みます」とてきぱき働き始める。
あちこち養生するのは倉庫屋さんと一緒。
女の子も頑張るなぁ。

このマンション買った時は初めての自分の家(それまでは社宅を転々としてた)なのでそれなりにはりきった。
一番力を入れた天井まである壁一面のテレビボードは転倒しないよう大工さんにしっかり取り付けてもらったのでもう外せない。
そもそも全面扉付きの棚に入れるべきマンガももうないのだ。
マンションの価値が少しでも上がるよう祈りつつ、次の人に置いていくしかない。

当時としては目をむくような値段だったソファ(カバーリングを途中で布から革製に替え、また目をむいた)も巨大すぎるので廃棄だ。
子供たちが5人ぐらいぎゅうぎゅうと座ってゲームに興じたり、高校・大学のころには息子がやたらにそこで寝たがって「汚れるからやめて」といくら言っても部屋から掛け布団引きずってきてベッド代わりにしていた。
自室では満足できず、家の中心を乗っ取ろうという野心だったのだろうか。

食器棚も息子のシングルベッドも食卓5点セットも廃棄。
正直、全部どこかしら壊れてる。さすがは17年物。いや、食卓に至っては25年物か。
今、金銭感覚がぶっ飛んでいるので、新マンションに移ったらまたそれなりのものを買うのだろう。
ただ、今度は小さめの部屋だし床や扉もライトな色を選んだので、相応の小ぶりの家具にしておきたい。
もう老人の2人暮らしなんだから。

タンスだけはどこも壊れてない上物なので、売ることや息子に譲ることも考えた。
しかし1Kで同棲生活を送る息子には「タンスは欲しいけど、さすがに場所がない」と断られ、売る手間も考える時間も惜しく、結局引っ越し屋さんに処分を頼むのが一番手っ取り早かった。
今回の引っ越しでは、時間と気力と体力をずいぶんお金で買ったような気がする。

そうこうするうちに後続のチームが現れ、あっという間にダブルベッドを分解して運び出し、冷蔵庫や洗濯機、テレビやデッキもさっさと持って行ってしまう。
そこらに積んである段ボール箱なんか、一度に2個持ってほいほいっと運んじゃう。
重たい本の箱はほとんどないからなぁ。
前の引っ越しの時は、引っ越し屋さんのおじさんが、「本が多いですね。なかなか大変です。でも、本だけで200箱運んだこともありますよ。さすがに午後いっぱいかかりましたね」と語っていた。
「手塚、って書いた箱がありましたね。私、『ライオンブックス』が読みたくて、探してるんですよ」と言うおじさんに、
「入ってますよ。着いたら出して貸してあげましょうか」と言わなかったのを今でも少し後悔している。

前回はせいうちくんも荷物の移動などに手を貸したものだが、今回は彼ももう初老なので身体、特に腰をいたわることにして、床面の邪魔にならないところに2人して移動しながら引っ越し全体を見ていた。
どんどん、入居する前の状態に戻っていく。
元の社宅から徒歩5分だったので、春休み中の小学生の息子と日当たりのいい新しいきれいな床に寝そべって本を読んだり、お弁当を食べたりして過ごしたものだった。
どの部屋にも思い出があふれている。
次々からになっていく部屋の写真を撮りながら、胸の中はもう、「じーんじーん」とアブラゼミの大合唱みたいになっていた。

最後の荷物が出て、おにーさんたちチームは仮住まいに向かう。
我々も遅れないようタクシーで急ぐ。

ところで、昔はこういう時数枚の千円札ぐらいの「ご祝儀」を業者さんに渡すものだった。
今回、事前にせいうちくんに聞いたところ、
「今はそういうのはしないんじゃないの?」との返事だったので、なにも用意していなかった。
しかしおにーさんたちのあまりの働きぶりの良さ、親切さに、何かしないではいられなくなってしまった。
手元には封筒どころか紙1枚残っていない。
かろうじてポケットティッシュを1枚取り出して5千円をくるみ、玄関を出ようとするリーダーらしきおにーさんに追いすがって渡す。
「本当によくやってくださってありがとうございます。些少で失礼なんですけど、皆さんで飲み物でも買ってください」
「あっ、それはそれはどうも、ありがとうございます!こんなにしていただいて…それではトイレ休憩のついでにお茶でも飲んで、現地に向かいますから」と押し頂くように受け取ってくれた。
ごめんね、中身たいしたことないの。

ノートPCやタブレットを入れたトランクを転がし、通帳や印鑑などの貴重品はリュックに入れ、呼んでおいたタクシーに乗って我々も出発。
(引っ越し屋さんのトラックは近所のローソンのわきに停まっていた。飲み物買ってトイレ借りてるんだろう)

背後にだんだんおうちが遠くなる。
この街を、慣れ親しんだ景色を置いてゆく。
「おもちがきゅーっと伸びて、最後ぷつぷつっとちぎれるように、今、この土地から自分たちが引きはがされていく」とせいうちくんがつぶやいていた。

40分ほどで新居に着き、まだトラックは来てないのでとりあえず前回ビバークした時の毛布や着替えを片づけてクロゼットに放り込む。
押し入れケース類が来てもどう入れるかは我々が後から考えなきゃならず、当面LDK部分に積んでおくことになるだろうから、クロゼットは安全地帯。

エアコン屋さんが先に来てしまったので焦ったが、
「もう引っ越しトラックも下に着いてましたよ。そのうちエアコン持ってくるでしょう」とのんびりした構え。
と、そこで衝撃の事実が明らかになる。
引っ越し屋さんは、エアコンの室外機を持ってくるのを忘れてしまっていた!

私からカギを借りて、急遽取りに戻る人が出る。
エアコン屋さんは気丈にも、
「まあとりあえず室内機を取りつけて、室外機の置き場を考えておきましょう。型番があるのでだいたいのことはわかります」と脚立を机代わりに図面を書き始めた。
そろそろ暗くなってきたのでシーリングライトの箱が2つ来たところでせいうちくんが「すみません、脚立お借りしてもいいですか?」と無茶を言っても、エアコン屋さんの平常心は揺らがなかった。立派だ。若いのに。
「ちょっと外に行って休憩してきます」と言うおにーさんに、先ほどと同じようなティッシュ包みを渡すことになる。
だって、悪いじゃないか、こんなにお待たせして。コーヒーでも買ってくれ。

搬入が終わる頃になんとか室外機がやってきて、エアコン屋さんの作業が始まる。
「後日、連絡くだされば段ボール箱を引き取りに来ますので」と言いながら、引っ越し屋さんは帰ってしまった。
取付料を払う段になって、こちらには万札しかなく(さっき2千円包んだので、小額紙幣が切れてしまった!)エアコンのおにーさんにはお釣りの千円札がないと判明。
せいうちくんがあわてて向かいのコンビニまでお金をくずしに走る。
下のエントランスでエアコン屋さんとお釣りを待ち、渡してお礼を言ってお別れ。これでやっと2人きりだ。

部屋に戻ると、大きなものはだいたい指示した位置に置いてもらってるが、それ以外にそこら中に箱が積みあがってる眺め。
とりあえずごはんにしよう、まだ20時前だよ、とほとんど初めての町に出る。
とはいえ、こないだ来た時に少し土地勘を作っておいたので、目当ての定食屋が2軒ほどある。

しかし、1軒目は「もうごはんがなくなっちゃったんです」と断られた。
2軒目は19時で閉めるようだった。
どうもこの町は食事しながら1杯、の定食屋さんメインで、19時までしか酒類を出せないのなら19時に閉めてしまえ、そしてごはんなんてそんなに炊いてないんだよ、ってスタイルらしい。
かくして記念すべき仮住まい新居での初めての食事はコンビニで買ったパンを床の上で食べるという、それはそれで思い出に残るものになった。

1年間、第二の新婚生活、いや、長い長い新婚旅行のつもりで楽しく暮らそう。
最低限の家財道具だけに囲まれて、生活に本当に必要なものを見極めていこう。
お互いがいるだけでこれほど頼りになると、あらためてひしひしと感じる1LDKの生活の始まりだ。

21年1月31日

終日、部屋の片づけ。
合間に昼食を食べに行く。
昼は定食屋が開いてる時間にきちんと間に合い、せいうちくんはカキフライ定食、私はサバ味噌定食。美味しかった。
料理をほとんどしないで暮らすのに糖質制限は無理と思い知る。

床暖房に慣れていると床がむき出しでは寒いので、Amazonでホットカーペットを注文。
昨日頼んで今日来る有難さ、頼もしさよ。
「やっぱりカバーもいるねぇ」とPC上で選んで、これも明日来る予定。
アスクルでなくても明日来るものなのね。

夜はコンビニのパン。
しかし、今日1日でほとんど片づけて絵まで掛けてしまった我々って、ちょっとスゴイかも。
寝室にはもともとピクチャーレールがついていたので、大きな絵と息子の卒業時の写真を掛ける。
使ってるのがビニール紐なところがイマイチだが、絵を掛ける紐を売ってるような洒落た店とかホームセンター的なものは近所に見当たらない。
そのうち御茶の水とかに出れば買えるだろう。

廊下には額用のピンを打って守護神高見沢さまのご真影を掛けたし、トイレにも前からいた「おさるのジョージ」を掛ける。
高見沢さまはトイレの真正面なので、扉を閉めずに座ってると目がばっちり合う。
嬉しいのか恥ずかしいのかわからない。
(意外かもしれませんが、2人で暮らしてるとトイレの扉っていちいち閉めないことが多いんですよ!)

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