21年2月1日

PCやビデオの設定をほぼ終え、昼ごはんを食べにふらりと出る。
先日は閉まっていた「うなぎ屋」の前で一緒に足が止まった。
「うな丼」は美味しく、横の席では一人客のおっさんが小さなグラスを2つ並べて昼呑みの日本酒比べをしているような、いい店。
マスクケースをくれる気遣いも素敵。
いつかここで「ひつまぶし」を食べようと決意する。すごく高いけど。

さっそく図書館探索にも行く。
グーグルマップを頼りにたどり着いたのは徒歩5分ほどの距離だが、途中がものすごい心臓破りの上り坂なので7分以上かかった。
小高い丘の上はこの辺の高級住宅街らしく、びっくりするほど広い敷地の家が立ち並んでいた。
モダン建築あり、洋館あり、古い日本家屋あり。どこも立派な門構え。

図書館は建物も本も古い感じ。
新刊がぎっしりって感じじゃない。
館内にも人が少なく、特に子供の姿はない。
今まで慣れ親しんでいた親子連れや若い人の多い図書館とは全然違っていて、ちょっとびっくりした。

カードは免許証ですぐに作ってもらえた。
1度に30冊も貸してくれるところは初めてだ。これまでの最高は20冊だった。
延滞すると新しい本を貸してくれなくなるのと2週間延滞すると予約を受け付けてくれなくなる点は多くの図書館と共通だが、文京区ならではの厳しいルールがあった。
1か月以上延滞すると、それまでの予約を全部キャンセルされてしまうのだ。
たとえ1年待ち続けた本が次に回ってくるところまで迫っていても、そこでジ・エンド。
貸出期限は守るべきだとは思っているが、ここまでの厳しさは初めてだ。

さっそく6冊ほど借りる。
もう読みつくしたと思っていた中島京子の知らない本があったのは収穫。
せいうちくんは今の彼の中で「旬」な「信長とイエズス会の関係」についての本ともう1冊何か借りてた。

せっかくせいうちくんが休みを取ってくれて平日なので、一緒に病院に行くことにした。
通りを渡った目の前に循環器内科があり、部屋を借りた時にそこに目を付けたので、「3か月に1回でもいいから通ったら」と言われたこれまでの主治医に、
「目の前に循環器内科がありましたので」と紹介状を書いてもらったのだ。
近いに越したことはない。
心臓の状態はともかく、ワーファリンの管理にはマメに通えるほうがいい。

現に今、手や腕、足のあちこちに内出血が出ている。
ワーファリンの適正濃度は「1.8~2.2」とされているが、最後の検査で測った時は「2.8」。ちょっとサラサラすぎる。
「若いからこれぐらいでも」と主治医は薬の量を減らさなかった。
自分の感覚では今、3.0を超えてると思えたのもあって、受診を急いだ。。
測ったところ果たしてPT-INR値は「3.4」。やや危険なレベルだった。
4年ものんでる間にだいたい体感で分かるようになっちゃったよ。

ものすごいオタクな担当医に当たった。
紹介状を読みながら早口で私の心臓の手術の話をしまくる。
「どうしてバイアスピリンとワーファリン両方出してるんだろう。弁置換と動脈交換だけならワーファリンだけで十分なはずなのに。これだと手術の時に大動脈の一部だけ交換したんじゃなくて、心臓の血管そのものも触ってるはず。紹介状には手術の詳細を書いた紙が1枚足りないと思う。町のクリニックでは僕みたいな心臓専門の医者が診ると思わず、飛ばしたんだろう。僕は週に1回大学病院のほうにも行っていて、相当専門的に心臓を診られるんだがなぁ」と不満そう。

「人工心肺を使って、それすら止める時間のある大手術でした」とせいうちくんが証言してくれて、
「ああ、それならきっと心臓まわりの血管もいじってますね。そうか、それで手術した病院からの指示書には『一生、バイアスピリンとワーファリンを服用させること』って書いてあるわけだ」と納得した様子。
口走ってたそのへんの術式はさすがに専門的過ぎてよくわからなかったが、かえって頼もしい。

今撮ったばかりのレントゲン写真を見て、
「ああ、肥大してますね」と、わざわざモニタに自分の心臓のレントゲンを並べて見せてくれた。
「これが正常な心臓」
確かに私のはだらしなくゆるんで1.5倍ぐらいの大きさになってる。
体の大きな男性の心臓と比べてもこうかい、とちょっと情けなくなった。

「これだと、息苦しくない?」と聞かれ、勢い込んで「はい!苦しいです」と答える。
これまでの主治医にいくら訴えても「様子を見ましょう」とスルーされてきた点なのだ。
「息苦しいだろうなぁ。これに対して利尿剤を出すだけってのはどうなんだろう。古い治療法やってる先生なのかな」とぶつぶつ。
「硝酸Ⅰかな。頭痛ある?あるの。じゃあ硝酸Ⅱだな。普通はパッチなんだけど、貼り薬にかぶれやすい?そう、かぶれるんだ。じゃあ飲み薬にしよう!」
とにかく決断が早い早い。

こちらも我が意を得たりとばかりに、
「1年で戻ると言って紹介状を書いてもらいましたが、治療に不満がありました。ワーファリン管理だけしてくれるように書いてあると思いますが、できることは何でもやってください。1年後も、その病院に戻るつもりはないので、次の病院に引き継げる治療法に変えてください」と訴える。
「そうかー、じゃあ変えちゃうよ?」と少し嬉しそうにオタク医師は言い、「けっこう根本的に組み替えちゃいましょう」って、とりあえず息苦しさを抑える薬を足してくれた。
もちろんワーファリンも減らす。
かなり思い切って減らしてきた。
安定するまで毎週でも通うつもりなので、望むところだ。何しろ目の前に住んでるんだから。

「眠ってる時も息が苦しそうなんです」とせいうちくんも横から口添えしてくれて、来週、まずは「睡眠時無呼吸症」がないかテストするそうだ。
「寝てるとき、いびきはかきますか?」と聞かれて即座に「いいえ」と答えてしまったのはちょっと変だったかも。自分ではわからないはずのことだからね。
でも、せいうちくんも私のいびきはほぼ聞いたことないと言うし、これまで人から指摘されたこともほとんどないんだもの。

ドクターによれば、
「心筋症の進行を止めることはできない。でも、心臓の力が落ちてきたらその分を薬で底上げしてあげることで生活はできるから。ここにはもっと重症の患者さんもたくさん来るけど、あなたはすぐにどうこうってほどじゃない。だから気を落とすことはないよ」とのこと。
いや、別に心臓が悪いぐらいで気は落とさないです、75歳ぐらいが寿命だと勝手に決めてますから、とはさすがに言えない。
早死にするのはかまわないけど、それまで楽に過ごせるに越したことはないのよ。

なんだか頼りになりそうなドクターに当たってよかった。
心臓とか血管の模型をいくつも並べて専門用語交じりに喋りまくる姿には好感しか持たない。
つくづく私はオタクが大好きなんだなぁ。

帰りに初めてスーパーで買い物。
徒歩5分のサミットはありがたい。
晩ごはんには握り寿司とねぎとろ巻きを買って2人で分けた。
ひと皿の握り寿司を分ける時は、じゃんけんで先攻後攻を決め、1個ずつ好きなものを取っていく。
せいうちくんは先攻だが、必ず最初にイカを取るので、安心してイクラの軍艦巻きをいただく。
その後もほぼお互い満足のいく分配だった。
好きな寿司ダネが絶妙に違うとたいそう円満で助かるものだ。

ホットカーペットのカバーが来て、家はほぼ完成した。
実に居心地がいい。
せいうちくんはほんの1メートルも離れてないところでアクリル板の扉を隔てて仕事をしており、仲良し感がハンパない。
いいなぁ、定年前にこんな夢のような暮らしが来るとは思ってなかったよ。

21年2月2日

せいうちくん、新居での初めてのテレ会議。
メインPCの設定が終わっているので大丈夫だったみたい。
出社がないと、会社までのこの近さが生きないじゃないか!と少し不満を持ってみたりする。
もちろんテレワークの方がありがたい。

今年は節分が2日だったようだ。
お昼休みにお弁当を買いに出かけたスーパーで恵方巻を見かけて初めて気づいた。
それならば恵方巻を買わねば。そして食べねば。
しかし私はローソンの恵方巻が好きなんだ。
仕事が始まってしまう前にお昼を食べたいせいうちくんを先に帰して、1人でローソンで2本買う。
ついでに朝食・昼食用のカレーパンと「はみ出るメンチカツバーガー」も。
最近こればっかり食べてるなぁ。

夜のテレ会議が終わるとたいがい20時過ぎてるから、外で定食食べられるのは週末のみ。
こちらに越してきてやっと「20時閉店」の理不尽さが身に染みてきた。
ごはん作らないで食べたい人はどうしたらいいの?
コンビニ弁当ばっかりになっちゃうよ!?
みんな、こういうことに怒ってたのか、といまさらながらに気づく。
生活を変えてみるってのも大事なことだなぁ。

21年2月3日

お客さん第一号が来てくれた。
子供さんが近くの学校を受験して受かったので、手続きついでに子連れで寄ってくれたミセスAだ。
2人をお迎えするために目の前にある(いったい目の前にいくつ店があるんだ!)テイクアウト専門のアップルパイの店でパイを買っておいた。

せいうちくんが仕事中だったのでリビングはさっと見てもらうだけにして、寝室に折り畳みテーブルと小さな椅子を2脚出して緑茶とアップルパイでおもてなし。
合格したての小学6年生はなんだか照れて、でも嬉しそうだった。
ミセスAは我が家が速やかに片づいてすでに見事に住みこなしていると感心してくれた。
「せいうちさんとうさこさんは、常に前向きで新しいことに挑戦しているところがすごいです。尊敬します」と手放しでほめてくれるのはとっても嬉しい。

忙しい彼女なのであまり引き止めてはいけないと思ったが、それでも30分以上もおしゃべりしてしまった。
前の家よりは時間かからずに来られるから(何しろ間にバスが入らない)、ぜひまたゆっくり来てほしい。
このへんにはランチにいい店もたくさんあるんだ。
今はおしゃべりランチにはあまりいい時期ではないけど、積もる話は部屋でゆっくり。

2人をエントランス外の道まで見送って、ああ、いいお客さん第一号だった。
基本的にお客さんを呼ぶようにはできてない住まいだが、親しい人にはこの繭のような心地良い暮らしを見てほしい。
早くコロナが収束するといいのに。

この日の晩ごはんは唐揚げ弁当屋さんのご飯が終わってしまっていたので、せいうちくんはサミットでカツ重弁当を買い、私はまいばすけっとでおにぎりと「揚げ鶏のタルタルソースかけ」を買った。
まいばすけっとって初めて行ったけど、普通のスーパーよりも安いものが多い。
優秀だ。

このあたりはどうも共稼ぎの若夫婦と老人ばかり住んでるような気がする。
少なくとも借りてるマンションでは若い2人連れにしか会わない。
外でも子供の姿をほとんど見ない。
文房具屋さんがあって上履きや体操服を売ってるところを見ると近くに小学校があって御用達なんだろうと想像されるが、さて、どこにあるんだろう。

21年2月4日

昼間せいうちくんがテレ会議してる横でテレビが見られるように、イヤホンとその延長コードを買った。
今時イヤホンでテレビを見るってことは想定されてないらしく、普通のイヤホンはみんなコードが短いのだ。

2メートルの延長で、ホットカーペットの上でごろごろして映画などを楽しめるようになった。
とりあえずCSで録画した「DEATH NOTE」と「DEATH NOTE Last Name」を観る。
こないだマンガの方を読み返して、Lが死んだ後の話は無駄だと思っていたがそうでもない、ニアとメロの話もそれなりによくできている、と感心したばかり。
それでも映画のすっきりした終わり方は実にいい。
もういっぺんマンガ読もうっと。

晩は唐揚げ弁当。
せいうちくんは会議が終わりそうになかったので、私が1人で買いに行った。
ここの唐揚げがすっかり気に入った彼は「ささみチーズカツ」も食べてみたいと言っていたが、あいにくそれが入ったお弁当はない。
ささみチーズカツ単独で買って、唐揚げ弁当の3つは多いから1個残して食べてみたいそうである。
私は庶民的そうなコロッケが目に留まり、「唐コロ弁当」。
狙いにたがわず美味しかった。

21年2月5日

せいうちくんは1日の間に会社と弁護士事務所と両方行かなきゃいけない。
「元の家なら1時間半近くかかるからどこかで仕事して時間つぶすんだけど、今はドアドアで30分かからないから、いっぺん帰ってくる」と嬉しそう。

朝からテレ会議して、会社に出かけて会議して、帰宅してまたテレ会議、そしてまた出かけて行った。
20時半現在、まだ帰ってこない。

私は1日ぐでぐでしてせいうちくんの出入りを見つめ会議を聞き、夜は遅くならないうちにお弁当を買いに出かけた。
唐揚げ屋さんの「唐コロ弁当(唐揚げ2種とコロッケ。今回は紅ショウガ唐揚げとにんにく唐揚げ)」に100円足してのりと明太のせてもらうのがお気に入り。
野菜は野菜ジュースでおぎなっている。

帰りにコンビニでタバコ買って、隣のブックオフで少し狩りをした。
なんと、越してきてから初めての狩りを1人でしてしまった。
せいうちくん怒るかしらん。
ずっとなんだか忙しくって、全然道路渡って狩りに来るヒマがなかったんだもん。
せっかく裁断機もスキャナも持ってきたんだから、1年の間に蔵書をさらに充実させよう。

22時からまんがくらぶZOOM飲み会の予定だ。
せいうちくん、間に合うように帰ってきてお風呂入れるかな。
引っ越し後の感想を盛大にしゃべりたい。
そして旧宅がまだ売れてないことも。

21年2月6日

週末なので早めの時間に夕食に出る。
やっと外食を楽しめる。
平日の夜はせいうちくんの仕事が終わるのを待っているとお店が閉まっちゃうんだ。
早くも頼みの綱となってリピーターしている唐揚げ弁当屋さんでさえ、19時半頃には唐揚げが売り切れたりごはんがおわってしまったりするので、18時頃私がお使いに行って2人分買い、仕事が終わるのを待って少し冷めたのを食べる有様。
外食難民の苦労をやっと身をもって知るに至った。

図書館からの帰り、行きとは別の坂をゆるゆる下る途中にあるイタリアンレストランに入ってみることにした。
壁にはリモンチェッロのポスターが貼ってあり、窓際にはイタリアンワインの瓶がずらりと並べてある。
無性にローマにリベンジしたくなる店だ。

たまたま昨日のZOOM飲み会で話題に出た「トリッパ」がメニューにあり、モツ系の大好きなせいうちくんは大喜びで注文。
私が間違えて「牛の大腸のトマト煮込み」と認識していたそれは、オタク気質で細かい間違いを許さないSくんによれば「牛の胃袋」なのだそうだ。
一般に「ハチノス」と呼ばれる、第二胃。

話はそれるが訂正星人のSくんはゴミの分別を「ふんべつ」と連発する長老に、
「あまり言いたくないですが、それは『ぶんべつ』です」と訂正していた。
「Sくん、その訂正は私から長老にもう3回も入れてるんだけど、直らないからほうってあるんだよ」と言うと、当の長老は、
「年寄りは新しいことを覚えられないんじゃ」とすまし顔。
Sくんが言うには、35年ほど前初めて出会った頃、私から何かと漢字の読み方を訂正されたのだそうだ。
「そうなの。ごめんね。当時、腹が立たなかった?」と聞いたら、
「博識な人だなぁと思いました」という返事だったが、恐縮している私の耳には「悪質な人だなぁと思いました」と聞こえていた。
すぐに脳内修正されたけど。
私も昔から訂正星人だったか。分野が国語に偏っただけの。

話は戻ってイタリアン。
せいうちくんはトリッパと「生ハムとルッコラのピッツァ」、私は「トマトとツナのパスタ」を注文。
お互いの分をちょっとずつ味見。
モツは苦手なんだが、本当にハチノス様の正6角形が整然と並んだ内臓はとろりとしてなかなかいけた。
ピッツァは小ぶりだけど生ハムとルッコラがたっぷり。
パスタは、自分でもよく作った「スパゲッティ・トンノ」なわけで、誰が作っても比較的同じような味になるもんだなぁという感想。なんかなつかしかった。
全体に美味しい店で、雰囲気も良かった。
がら空きだから最初は「大丈夫か?!」と思ったが、時間が早すぎただけらしく次第に常連さんらしき人も来て、しまいにはけっこうお客さんが入っていた。
「オリーブとケッパーのパスタはトマト味ですか?」とお会計の時に聞いたら、そうなんだって。
それなら大好きな「スパゲッティ・プッタネスカ」だ。今度注文しよう。

「知らない店に飛び込んじゃった。井之頭五郎みたいだね!」とスキップしたけど、知らない土地に引っ越してきたんだから、基本、知らない店を開拓していくしかあるまい。
まして外食中心で行こうとか、いろんなお店を楽しもうとか思ってるんだから。
そういう生活がすでに井之頭五郎。
彼のエンゲル係数が切に知りたい。

21年2月7日

ここのキッチンを使ってのほぼ初めて料理、せいうちくん作の水餃子をカセットコンロで茹でながら食べ、「麒麟がくる」の最終回を堪能。
さっそくFBに、「この大河の教訓は『人を試してはいけない』ということではないだろうか」と貴重な意見が流れてきた。
光秀を、家康を様々に試してきた結果起こったと言える「本能寺の変」、攻め寄せたのが明智の軍勢だと聞いて、
「十兵衛か…そうか…是非もなし」とつぶやいた信長に、長いこと謎だったこのセリフのひとつの名解釈を見た気がする。

その感動も冷めぬ間に、息子とZOOM。
ぐんにゃりしてるので「元気?」と聞いたら、
「今、元気のある人なんていないでしょ」との返事。
そりゃまあそうか。
春から演劇の学校に行こうという決心はとりあえず変わらず、学費を貯めている最中だそうだ。

途中で息子がカノジョを呼び入れて、向こうの画面はカノジョと2人、こちらも夫婦2人で、なごやかだった。
カノジョのお母さんに転がり込み同棲を告白する手紙をまだ書いてないと言う息子。
自粛中でカノジョが実家に帰る機会がないせいらしい。
「手紙なんだし、とりあえず送っちゃうってのはないの?Mちゃんの話だと、お母さんは1人であれこれ考えて結論が変わるかもだから、Mちゃん自身が持って行って突きつけた方がいいのかな?」と聞くと、
「それもあるんですけど、私の気持ちもじかに伝えたいので」とのこと。
じーんときた。
息子の側に立って弁護してくれるつもりなんだ。強い結びつきだ。
我々が口を出す必要はまったくないだろう、と胸が熱くなった。

カノジョは仕事がハードなので辞めたいと思っていたが、配置転換してもらって少し息がつけているらしい。
「でも、小さな会社なので、社長は辞める気なら早く決めてほしそうなんです」と言うカノジョにせいうちくんは、
「それは経営者の論理だから、労働者の権利としてはゆっくり考えたらいいんじゃない?半年とか1年とか、のんびりさせてもらえばいいと思うよ」と答えていた。

十分働いている、と思えずに過ごす時間のつらさもさることながら、20代の若い人にとって半年1年は自分への投資としても無駄にできない時間だと思う。
せいぜい1か月体を休めたら、次のことを考えたくなる時間感覚で生きてるんじゃないだろうか、彼らは。
せいうちくんは自分が50代でもうずっと働いてきて、気が長くなりすぎてるって自覚はないんだろうか。
働いてきてない私が短気に焦りすぎて、若い人の気持ちがわかった気になってるだけなんだろうか。

「大変なんで、甘えたくなってね。金銭的な意味じゃ全然ないよ」と言っていた息子なので、「またねー」とZOOMを終わってから、「ありがとう。たのしかったよ。元気でた?」と聞いてみた。
「うむ!ありがとね」としっかりした返事が返ってきた。
私「何か特に話したいことがあったわけではないの?」
息子「ないよー。たくさんこれからも頼ると思うけど、よろしくお願いしたい、というだけの話」
私「こちらも頼りにされるうちが華なので、可能な限りいくらでも!でもこっちも時々頼ると思うので、よろしくねー」
息子「ありがとね!もちろん頼って」
私「時々すごくあなたにそばにいてもらいたくなるけど、そばにいないからいいんだ、と思い直している」
息子「その距離だからいいんだろうね」
私「おやすみなさい!」
息子「おやすみー」

頼りにする、されるが金銭的な問題に発展しないことを多少は祈るが、まあ想像もつかなかったこういう世の中だから何があってもしょうがない。
それにしても顔や声を確認しながら話せるZOOMより、Messengerを介した時の方がいい会話をしてる気がするなぁ、息子とは。

21年2月8日

目の前の心臓のクリニックと、マンションの並びの整骨院に行く。
心臓の方ではワーファリンの値は「1.6」と許容範囲内に下がっていた。
本当はもう少し高めに設定したいけど、前の先生の基準に従っておく、とのことで、薬の量は当面据え置き。
いったん生じた血栓は消えないので値が低すぎる方がイヤなんだよね。
近いからいくらでも検査受けに来よう、と思って来週来てもいいか、と聞いたら、保険診療ではワーファリンの検査は月に1回しかできないんだって。
こないだはあちこち内出血してて明らかに効きすぎの異常事態だから例外的で、数値が基準内に収まってる以上、次回は来月だそうだ。
ちょっとがっかり。

血管を広げる作用のある薬を増やしたおかげで横になるのが楽になった、と話したら、それなら「睡眠時無呼吸の検査」ができるからしましょう、って話になった。
看護師さんから「機器を貸し出すんですけど、翌日返却しに来られますか?」と聞かれた。

「はい」と答えながら、そういえばせいうちくんが家出してご両親が即日私のアパートに乗り込んできた時、お母さんは「いびきの測定装置」を持ってきてて翌日病院だって言ってたなぁ、それなのに押し問答してうちに居座る気迫に満ちてたなぁ、どうやって睡眠時の測定を行うつもりだったんだろう?と昔のことを思い出していた。
過去のことでもいろいろ謎は多い。
2人して乗り込んできたのに、お父さんは「明日会社があるから」ってお母さんに任せて帰っちゃったしなぁ。
1日も待てない息子の一大事だと思うんだったら、会社ぐらい休むし病院の検査はぶっちぎる前提の気構えで来てほしかった。

心臓のクリニックに来月の予約を入れて、次は家の隣の隣の整骨院。
ずっと行ってみたかったんだ。
足湯・電気・超音波の治療を受け、むくんだ足がさっぱりした。
足湯の前に有名人の色紙がたくさん貼ってある中、「平成ノブシコブシ」吉村と「ハイキングウォーキング」と「渡辺直美」のサインがあった。
お笑い芸人御用達かもしれない。浅草とか近いし。
息子に教えてやろうっと。

21年2月9日

息子たちの配信で成人式の思い出を語っていた。
少なくともトークしていたMくんと息子は成人式のころ「とがりすぎていて」存分に楽しめなかったらしい。

中学受験をして小学校時代の友達と別の学校に行ったMくんは「成人式を楽しめないありがちなシチュエーション」だが、普通にみんなと同じ小・中学校に行っていた息子は、
「一番楽しめるポジションだよね。でもね」のあとに、
「ご多聞に漏れず、ハブかれ気味だったもので」と言ったら、Mくん即座に、
「当時から!」。
いやそんな、キッツいツッコミだねぇ、Mくん。
家にけっこう友達来てたから、我々は彼が子供ライフをエンジョイしてるんだとばかり思ってましたよ。ハブかれてたんかい、息子。

市長の話が長くてつまらないので抜け出して、道路を渡ったコンビニでカレーを買い、市役所ホールの階段の陰の「人から見えない三角形」に座り込んで食べていた息子は、遅れてきた子連れのヤンママ2人組に見つかり、
「うわ~、林賢(こういう場合の息子の仮名)こんなとこでカレー食べてる~!気持ち悪い~」と囃されたそうだ。
「カレーぐらい食べさせてよ~」とありきたりの返ししかできなかったと語る息子に、トーク相手のMくんは、
「林賢くん、そういう時は大喜利で返すんじゃないの?普通の返ししかできない林賢くんって、想像できないなぁ」とあきれられていた。

ちなみにそのカレーは、私がコンビニで立ち読みしていたらいつの間にか息子が横に来て「つんつん」と私の脇腹をつつき、「カレー買って」と言って、温めてもらって持って行ったんだって事情がある。
「そんなことだっけ。忘れてた」とあっさりしたもの。

かなり悲惨なそれぞれの成人式の思い出を語った2人は、
「うん、でも、今はちゃんと出たいと思うね、成人式。今年のはもう終わっちゃったけど、これから成人式に出る人たちは、きちんと出て楽しんできてください!」と〆ていた。

10歳で2分の1成人式もいいけど、彼らは30歳ぐらいでもう1回成人式をやったらいいと思った。1.5倍成人式だ。
いや、2倍成人式で40歳でもいいかも。
最近の若い人はなかなか大人にならないって聞くから。
なんなら還暦も80歳過ぎでいいんじゃないかと言われる昨今。
還暦はなぁ、一応「12年周期の干支が5回回って元に戻る」歳だから、変えようがないのよ。

21年2月10日

前の家の近所では図書館の中島京子は読み尽くしたと思っていたのに、心臓破りの坂を上ってやっとたどり着ける本郷図書館の書棚には初めて見るものがあって大喜び。
すぐさま借りて読んだ、「夢みる帝国図書館」。

かつては帝国図書館と呼ばれた国会図書館の不遇な成り立ち(まだ未完成らしい)と、戦後を生きたある女性と現代の女性の邂逅を重ねた佳作だった。
土地柄置いてあるとしか思えないぐらい、上野や谷根千についての記述の多い本で、新住人としては嬉しい1冊。
文豪たちの逸話に満ちたこの界隈を大いに楽しませてもらおうと改めて思った。

借りる人が少ないのか書棚の本が充実しており、小川糸や門田光代、高殿円の未読がけっこう見つかる。
ここにいる1年間、坂を上って一生懸命通おう。

一方、家の前にあるブックオフはマンガのコーナーが小さすぎて、3度ほど行く間にすでに狩るべきものは狩り尽くしてしまった感がある。
狩る、というより定期的に検閲に来て新しいものが流れ着いていないかどうか点検する「置き網方式」に路線を変更しよう。
隣のローソンにカレーパンとタバコを買いに来る都合上、数日に1度は来るだろうから。

引きこもり生活がしたいのに、そして現にしていたのに、新しい土地に来た物珍しさと半ばの義務感から、妙に外出が増えている。
くたびれて仕方ない。

21年2月11日

近くの中高一貫校に受かった息子を連れて、ミセスAがまた来てくれた。
今回は事務手続きと制服採寸だそうだ。
何度も会えて嬉しい。

家の前のアップルパイがお気に召したようだったのでまた買っておもてなしします、と連絡しておいて今日になってから気づいた。
木曜は定休日なんだった。
「ごめんなさいLINE」を送ってからまた気づく。
定休日でも、祝日は別かもしれない。
もう事務手続きを終わってこちらに向かっているという連絡が入ってる時点で、部屋を飛び出して通りの向かいを見てみる。
開いてるじゃないか!

「開いてました。アップルパイあります」LINEを送りながら、お店に入って4切れ買う。
4切れ以上から箱に入れて紙袋もサービスしてくれるのだ。
店員のおにーさんに、
「今日は定休日だけど、祝日だから開けてるんですね?」と聞くと、
「はい、昨日を臨時のお休みにして、今日は開けました」とのこと。
いい勘してたなぁ、私。

買って帰ると、ミセスAからは「お昼ご飯に唐揚げを買っていきます。そちらで食べてもいいでしょうか」とLINEが入ってた。
せいうちくんが「了解です!」打っておいてくれてた。

ほどなく息子連れのミセスAがやってきた。
次の制服採寸まで30分ぐらいしか時間のゆとりがない中をやりくりしてくれての訪問だ。
新刊マンガを2冊お貸しして、こちらから返す分は忘れてしまっていた。失敗。

せいうちくんはここの長男くんが大のお気に入りで、彼の「ギリシア人の家庭教師」を拝命している。
少年には親以外の年長の「文化や歴史を伝えてくれる友人のような存在」が必要だとのご両親の配慮である。
古代ギリシャ・ローマ時代、貴族の子弟にはそのような大人がついていた故事に由来する。
ギリシア人はほとんどみんな征服された奴隷だったんだけど(笑)

その「ギリシア人の家庭教師」は息子くんの大好きなビスマルクの政策について熱く語り合っていた。
十分に職務を果たしていると言えよう。
ビスマルクに熱烈に心酔している小学6年生というのがまず驚きなんだが。
うちは基本的に中学受験にはあまり賛成せず、自分たちの息子も公立中学から都立高校に進学しているんだが、ミセスA家の息子くんのようなタイプは別格だと思う。
本人のやる気と能力が高い場合は受験どんどんすべし。
きっといい環境が開けているに違いない。

しかし、ミセスAが「ご参考に」とくれた「鉄力会」のパンフを見て、せいうちくんには暗い過去がよみがえったらしい。
「次は、東大」と大書してあるのを見て、ギリギリで進学校に滑り込んで息絶え絶え、やっと目標を達したと思ったら「さあ、これからよ」と叱咤激励されてぷつりと精神の糸が切れそうになったのを思い出すんだそうだ。
細く残った糸が最後にぶつっと音を立てて本格的に切れたのはそれから6年後、さらに頑張って大学受験を終え、2度目の「さあ、これからよ」を聞いた時だったみたいだけど。

人間、能力以上の無理をさせてはいけない。
「今のせいうちくんがあるんだから、能力があったってことじゃないの?」と周りは見るようだが、途中で「1回休み」どころか3年留年したのを含め、好きな人と結婚しようと思ってしゃかりきに頑張って卒業したとかそのあと一生懸命働いたとか、さまざまな困難を乗り越えてやっとのことなのだ。
ミセスAの息子くんは地力もやる気も十分な状態で、かつ本人の希望優先で受験を終えているので、そのような羽目には陥らずにすむだろう。

雑誌ハルタのバックナンバーを買ったら「ダンジョン飯」の豆本が付録についてきた。
組み立てだけ楽しんで、出来上がったものはミセスAにプレゼントした。
娘さんが今また「ダンジョン飯」にハマり直しているらしいから、喜んでもらえるかも。
こういうの、組み立てるのは好きだけどきれいな状態で保存しておけないんだよね。
たいていどこかになくしてしまう。
よそのおうちにあった方が気が楽だ。

あわただしくお昼を食べながらおしゃべりを楽しんで2人が次の用事に向かうのを見送り、またミセスAとマンガの話があんまりできなかったなぁと少し残念に思う。
ここのところずっと息子くんの受験で忙しかった彼女と、機関銃のようにマンガの感想を投げつけ合う時間が持てずにいるのだ。
ああ、「鬼滅の刃」の話がしたい。「秘密の新選組」の話がしたい!
せいうちくんも両方読んではいるが、彼とは面白がり方のツボがかなり違うせいか、あまり盛り上がらないんだ。

ミセスA、私の寿命があるうちに子育て終えてヒマになって、旧作からその時代の最新作まで、読んで読んで読みまくって感想を交換してください!

21年2月12日

せいうちくん、会社の業務を基本的に休んで休日にした。4連休だ。
しかし多少の作業はしなければならず、彼がPCに向かっている間、私はたまったマンガの自炊に精を出した。

それぞれ用事を片づけて、今期のドラマをチェックする。
良作が多い。
「天国と地獄~サイコな2人~」「うちの娘は彼氏ができない」「その女、ジルバ」「ここは今から倫理です」「俺の家の話」などが目白押し。
それぞれ録画してある分を観て、次週からを楽しみにしている状態。

コロナ勃発でドラマ制作が困難になった4月5月を抜けて、特に今期からは力の入ったドラマが多い。
多少不自由や制約が多い方が現場も努力するせいだろうか。

昨日買い物を済ませてきたので、週末はおこもりしてゆっくり休む予定。
引っ越しは思いのほか疲れる。
物理的作業以外にも、懐かしい家を離れた寂しさ、新しい環境への適応などでストレス係数が意外と高いのだ。

しかも前のマンションがまだ売れていない状態で、なかなか気がもめる。
中古マンション市場は活発ではなかったのか。
8件の内覧ほとんどすべてが「広さやマンション自体は気に入ったが、リフォームが必要すぎて高くつく」との理由で断ってきたことを思うと、壁紙の張替えや床のクリーニングぐらいの基本的なところはもうやってしまってほしい。
多少の費用が掛かっても構わない。
今、見積もりを頼んでいるところ。

ちょっと見栄えが良くなれば、台所の蛇口とか風呂場のシャワーや鏡などは買い主に交換してもらって、リフォームと言っても少しの出費で好みの家に住めると思う。
仲介業者さんがやや後手後手に回っている。
あんまり売れないと業者さん変えちゃうぞ。
3月末までに入居したい人が多い引っ越しのハイシーズンだから、逃さないように売却してもらいたいものだ。


21年2月13日

ほぼ初めて「谷中ぎんざ」へ繰り出した。
両側に飲食店や八百屋、魚屋、雑貨屋さんなどがずらりと並び、道のそこここには縁台に座って一杯飲む人や歩きながら食べる人たちが。お祭りのようだった。
家で天ぷらうどんにしようとイカ天と紅しょうが天を買った天ぷら屋さんでも、「食べてくの?持ってくの?」と聞かれるほど、即イートありみたい。
我々は持ち帰り派で、大阪押し寿司と太巻きの夜食も調達。

肉の「サトー」にメンチカツを求める行列ができていて、吉祥寺みたい。
(吉祥寺の店は「サトウ」だけど。親戚?)
ちょっと吉祥寺の裏の方と浅草を混ぜたような印象。

谷根千デビューの記念としてしゃれた陶器屋に入って、ひと目でとても気に入った小さな醤油さしを買った。
外食中心だとこれまで使っていた普通の醤油さしでは大きすぎて、中身が減らないので(ちょっとだけ入れればいいじゃん、って意見ももちろんアリ)。
ニトリで買った先代に比べ、2600円ちょっとするなかなかの「清水の舞台」だったが、2人で1年ここで過ごしたいい思い出の品になるだろう。

同じ形で4種類あるうち、せいうちくんが「これどう?」と言うのを「釉が少ない、素焼きっぽいのが好きなんだよ」と言い張って譲歩してもらった。
銀髪を後ろで束ねた渋い高齢男性の店主さんが、
「これが一番よく出るんですよ」とおっしゃっていて、さてここは威張るところなのか私の好みが平凡だということなのか?

まだ「谷根千」のほんの取っつきを見たに過ぎないが、いいところに越してきたなぁと思った。
ずっと住むには器量不足なので、1年間仮住まいをして住み慣れた武蔵野に帰るぐらいが程よい選択だろう。

その夜、大きな地震があった。
大きな揺れが長く続き、3.11を思い出してしまった。
薄型テレビがぶるんぶるん震えてて今にも倒れそうなのと、廊下に置いた本棚が猛烈に気になった。
幸い何がひっくり返るでもなかったけど、2週間前に越してきたばかりで勝手のわからない土地なうえ、災害時の避難所のことまで全然考えが回ってなかったので、心細かった。
せいうちくんがいる休日でよかった。
(まあテレワークが増えてわりといつもいるんだけど)。

今はもう、避難所と避難場所(避難場所の方が広域)を確認したのでひと安心。旧宅から運んできてクロゼットに突っ込んである避難袋も、たまには中身を点検・交換したいと思う。

息子と一人暮らしの友人女性の安否をすぐに確認し、そのあとはなんか不安なので長老とGくんを呼び出してZOOM。
思いのほか長くなって、結局寝たのは夜中の3時過ぎ。
とんだ地震騒動だったが、震源地福島ではそれどころではあるまい。
あまりひどいことになっていませんように。

21年2月14日

昨日の夜中に録画したはずの深夜ドラマ、楽しみにしている2本の続きを観ようと思ったら、両方とも大地震の報道で飛んでいた。
「ここは今から倫理です。」も「その女、ジルバ」も力弱かったわけだ。
大ごとが起こったんだからしょうがないけど、くくく…(涙)
どちらも大好きなマンガが原作の良いドラマなので、来週を楽しみにしよう。

註)その後、「ジルバ」は夜中の2時にやってしまったことが判明。
じゃあ第6話はどうなるんだ、飛ばすしかないのか、この際ティーバーか、とあわてていたら、金曜の昼間に再放送をやってくれることになった。
そんな情報がほぼ1日の間にぐるぐる回ってくるから、SNSは助かる。
(「倫理」の方は順当に翌週に延期だった)

NHKでも19時からの「ダーウィンが来る」は報道に代わっていてちょっとドキドキしたが、本命の大河ドラマ「青天を衝く」は予定通りに始まった。さすが大河。
普段の年は年末に旧作の最終回があって年始に新大河が始まるので、間が2、3週間はあくものだが、今年は「前の番組のかかとを踏むように」翌週からの放送で、気持ちの切り替えが全然できてなかった。
本能寺のドキドキも冷めやらぬうちに渋沢栄一の少年時代を見たわけだ。

大河はほぼ常にそうなるが、最初はどうしても子供がメインになってしまうので、いささか「たどたどしい」。
これを青年時代までつないでいくのが大変だ。
そう言えば「麒麟がくる」は沢尻エリカの降板で急に帰蝶役として川口春奈が立ったせいで初回の放送が遅れた。
それがなかったら子供時代の十兵衛と帰蝶の幼馴染エピソードなどもあったのではないだろうか。
「十兵衛、柿の木から降りられなくなって泣く」の巻とか。

途中から川口春奈の帰蝶が全然出なくなってしまったのはコロナのせいか、翌年にずれ込んだせいでほかのスケジュールと重なったからか。
そのため、どうして帰蝶が織田信長を見限るのかよくわからない、ものすごく唐突なストーリーになってしまった。
そんなファンの不満を解消するためか、総集編のナレーションは川口春奈で、帰蝶目線で語られるのだそうだ。楽しみ。

21年2月15日

疲れがたまっていたので何にもしないで1日中寝てた。
青池保子の「エロイカより愛をこめて」を読み返している。
「ホモがうつる」「おかまには気をつけろ」等、今だったらどうなんだろうと思う点が多い。
時代は変わるもんだ。

そのうちセリフ部分が「××」とか伏字になったりしないだろうか。
それとも時代性を考慮して、「エロイカの愛を受け入れる少佐」が登場するんだろうか。
ビッグサイト方面ではもうとっくの昔にそういう「薄い本」が出回ってる気もする。

21年2月16日

最近毎日行っている整体の店で、初めてこってりもんでもらった。
いつもは保険診療の範囲内なので、足湯に10分浸かったあと10分ばかり電気を流してもらい、足を中心に軽くもんで整えてもらうだけだが、今日は40分料金をプラスして全身をしっかりと。

「硬いですねぇ。これはつらいでしょう」と言われるのは慣れてる。
昔から緊張症の肩こりがひどいうえ、全身の筋肉がとにかく硬いらしいんだ。
どこの整体やマッサージに行っても必ず言われる。
それこそ、どんな美容院に行っても必ず「髪が多いですねぇ」と言われるのとおんなじ。

ひざと腰と肩に電気を流してもらってる間、カーテンで仕切られた隣のベッドのおばちゃんがマッサージを受けながら、
「主人がぎっくり腰になったらしいの。ソファを持ち上げたんですって。うちのじゃないと思うのよ。うちのはそんなに重くないから」と言うのを聞いて、思わず、
「愛人宅では!?」と声を上げそうになった。(もちろん何も言わなかった)
おばちゃんは、いや、ダンナさんが80だと言っていたからおばあちゃんかもしれないが、
「事務所かしらね。そっちのソファは重いから」と淡々としたもの。
おじいちゃんのぎっくり腰の原因について、1人でいろいろ思いを巡らす隣のよからぬ患者であった。
まあきっと、事務所なんだろう。
話を伺う限りでは結構仲の良いご夫婦のようだから。
(それにしてもカーテンのこっちで人のご家庭の話に耳ダンボになってる自分が情けない)

マッサージはとても気持ちがよく、終わったらちょっとふらふらするぐらいだったので、週に1度ぐらいは長時間の施術を受けようかな。
こちらにいる1年間はあまりいろいろ考えずに身体にいいことをしていたわってあげる生活をするつもりだし、何しろ隣の隣でとっても近いんだもの。
どうせ保険診療内で毎日通うわけだからね。

息子から「そろそろ上野の方に遊びに行こうかな。今日は都合どう?週末の方がいいかな」と連絡があった。
明日は仕事が休みなんだって。
でも今日はせいうちくん21時までテレ会議があり、明日も普通に仕事だから息子が泊まりに来てくれてもどこにもいけない。
私が1人で谷中銀座を案内するか?とも思ったが、せいうちくんも息子と遊びたいだろう。

「父さんが21時まで仕事で、今週はずっと忙しいんだって。週末は休みじゃないの?」と聞くと、土日とも休みらしい。
「じゃあ土曜日の夜来て、日曜の昼間、谷中に遊びに出てそれからうなぎでも食べに行こうよ」と誘うと、「いいね。じゃあ、土曜の21時頃に行く」とのこと。

「その時間だとお店が閉まっちゃってるから、お弁当になるねぇ。我々はもっぱら『鶏の唐揚げ弁当』食べてるんだけど」と何枚かの写真を送ってみたら、焼き肉屋さんのお弁当の写真にぐっと来たらしく、「焼肉弁当がいい」という返事。
おススメは「ビビンバ弁当」だ、と言っても聞かない。
「父さんは『肉はこんなにいらなかった。ビビンバ弁当の方がよかった』って言ってたよ」と説得しても、
「お肉が食べたい」の一点張り。まあいいけどね。若いんだから。

遊びに来るのはもっと先になると思ったのに、意外と早く里心(?)がついて親の顔が見たくなったか、可愛いじゃないか、となんとなくにんまり。
本当はこっちが顔を見たくてしょうがなかったんだが、引っ越し前にずいぶん会ってくれたから、遠慮してたんだ。

「カノジョの都合も聞いてみる」と言うので、少しあわてて、
「何しろ狭いから、まずはあなたが偵察隊として来てみて」と提案する。
息子だけならリビング部分のホットカーペットの上に寝袋で転がしておこうと思ってたが、女性を泊められる環境じゃないよなぁ。(いちおう寝袋は2つあるけど)

今日の晩ごはんも整体の帰りに買ってきた唐揚げ弁当。
料理をしないと簡単で楽しいな。

21年2月17日

仮住まいは狭いし、せっかく荷物を減らして越してきたんだから、できるだけこれ以上物を増やさないのが共通の目標だった。
ホットカーペットは床に敷くものだから場所を取るとは言えないし、必要だと思ったから迷わなかったが、床に座る生活はけっこうきつい。
特に足と腰に弱点のある私には無理かもしれない。

食事は事務椅子に座って仕事机でとり、テレビを見る時はホットカーペットの上に寝ころんでいたが、画面が横になってるのはどうも見にくい。
ちょっと座るにも体勢が安定しない。

そこで「座椅子」を考えてみた。
幸い、せいうちくんも「ないとキミには無理でしょう」と理解を示してくれたので、さっそくAmazonで「タンスのゲン」という家具メーカーの安いやつを選んでみた。
翌日届いたそれは、実に座りやすく足腰に優しい。
シックな赤を選んだのも正解で、私のQOLは一気に上昇した。

これに座ってあぐらをかき、のんびり一服するのが現在の最高の楽しみである。
床に座る生活は久しぶりだったが、座椅子が必須だとは気づかなかった!

21年2月18日

せいうちくんは仕事のストレスでやけ食いをしていた。
コンビニで買った菓子パンを2個、息もつかずに食べ、夕食はカップヌードル、それからまた菓子パンを食べ、仕上げに夜食にマルちゃん正麺しょうゆ味。
かく言う私も夕食はコンビニで買った「大盛りミートボールトマトスパゲッティ」。
2人とも、糖質制限はとうにあきらめている。
砂糖の代わりにパルスイートを使ってるのだけが最後の抵抗。

もちろん体重はうなぎのぼり。
3年ぐらい前に糖質制限をかなり厳しく始めたら面白いように体重が落ち、2人とも3か月ほどで8キロ近く減った。
その後もまあまあ保ってきたんだが、なにしろ糖質制限は面倒くさくて飽きる。
おにぎりやラーメンが食べたくなる。
せいうちくんはパンも大好きだ。

そんなこんなでだんだんゆるんできて、とどめは秋からの引っ越し準備のストレス。
もう、糖質お構いなしに食べる食べる。
おまけに引っ越し直前になって地元で評判の「行列のできるパン屋」を見つけてしまった。
毎日ジャム&マーガリンコッペパン食べてれば、そりゃあ太るよね。
今や、2人してすっかり糖質制限前の体重に戻りつつある。
いや、せいうちくんはそろそろ最大値を超えそうだ。
冬用の背広は少しゆったり目に作ったから大丈夫だけど、夏物のシーズンが来たらやせてる頃のサイズなのでたぶんズボンがぴっつんぱっつん。
新しいのを入手した方がいいかもしれない。
いくらテレワークでも、たまには会社に行くからなぁ。

21年2月19日

せいうちくんが仕事でちょっと遠くへ行っているので、いない隙に自炊を大いに進めようと思った。
彼のメインPCの横でノートPC使ってやってるので、さすがにテレ会議中は遠慮しないといけないんだ。
裁断済みの本の山が積み上がる一方。

ところが、眠くてたまらない。
実際に眠れるわけじゃないんだけど、なんとなくなにもやる気が起きない。
この現象には覚えがある。
春になると花粉症に襲われる人がいて、幸い私は花粉症じゃないんだけど、猛烈に眠くなるのだ。
いわゆる「春眠、暁を覚えず」な状態。
季節って目に見えなくてもこんなに人体に影響を与えるんだなぁと思いながら、夢とうつつの間をさまよっている。
生産的なことが何もできない。
今日は自炊の山を片づけて、たまったレシートを整理して家計簿をつけ、仮住まい外食中心生活の出費を確認するつもりだったのに。

ベッドにもぐってマンガを読んだり、座椅子にぼーっと座ってタバコを吸ったり、眠気覚ましのコーヒーも何の役にも立っていない。
春は非生産的な季節なり。
それに続いて「木の芽時」と呼ばれる精神不安定な時期が訪れるのが毎年のならい。
たいていドクターストップがかかり、何もかもGW明けぐらいまで気にしないでのんびりしろと言われる。
今年もそういう季節が来てしまったか。
コロナだろうが地震だろうが、季節の巡りを止めることはできないとしみじみ思う。

明日は息子が来るってのに、どうしよう、このサイドテーブルいっぱいの紙の山を。
片付いた新居をお見せしようと張り切ってたのに。
たいがいの人に見栄を張る私が、一番、最大限に見栄を張りたい相手は実は息子。
あまりいい関係じゃないな。

夕方、日課のようになってる整体に行く。
いつもの担当のおにーさんがお休みの日なので、別の人が替わってくれた。
電気を流す時にいつものおにーさんは少しずつダイヤルのメモリを上げてくれるようなんだけど、今日の人はいきなりぐいっと上げたから、ひざの筋肉が「びくん」っと跳ねるほどだった。
今までずっと同じ人で、彼がはたしてうまいのかヘタな方なのかわからずにいたんだが、実はかなりうまい人だったんだなぁと思った。
(代理の人がうまくないだけかもしれない。もしかして新人?)

ただ、話好きな人だったので、汗かきの苦労についてひと知見を得た。
夏場はいつも替えのシャツを持って歩いてるんだそうだ。高校・大学時代からずっと。
いつものおにーさんはあまり自分の話をしない。
「硬いですねー」とか「少し柔らかくなってきました」って感じで、私の身体に関する話が多い。
質問すれば、お昼ごはんは向かいのローソンのコロッケパンが多い、ぐらいのことは話してくれるが。

ただ、初めて私を担当する代理の人も「引っ越しの疲れはとれましたか」と話しかけてくれたのには驚いた。
情報はよく共有されてるらしい。カルテとかに書いてあるんだろうか?

整体という行為の性質上、担当さんの顔を見る機会は始まりと終わりの時ぐらいしかない。
もちろん最初に診察券を出し、最後にまた受け取って予約取って帰る時に見てるはずなんだけど、私の人認識システムは精度が粗いので、いつものおにーさんは「米津玄師」、今日のおにーさんは「イガグリくん」と分類されている。
街中ですれ違っても多分気づけない。

電気でびりびりするひざのまま5分ほど歩いて、夕食を買いに「まいばすけっと」まで行った。
せいうちくんも帰りに自分でごはん買ってくると言っていて、今夜は「てんでんこ」なんだ。
「ねぎとろサーモン寿司」の小さなパックとこれまた小さな3つ入りのいなりずしのパックを選んで今夜の友とする。

帰り道で近所の歯医者にちょいと寄り、予約だけ入れてきた。
引っ越しのストレスで食いしばりがひどいせいか、奥歯が痛くてしょうがないんだ。
虫歯になりかけてるところがあると前のかかりつけ医に言われているから、用心に如くはなし。
だんだんこの地にも「かかりつけ」が増えていくなぁ。
まだ眼科と皮膚科と心療内科の門をたたいてない。頑張って探さなきゃ。

仮住まいのマンションのエントランスでエレベータを待っていたら、後ろからとんとつつかれた。せいうちくんだった。
逆方向から帰ってきたのか、同方向からだが歯医者にいる間に追いつかれたのか、まだ聞いてない。
そもそもイヤホンしてると思ったらテレ会議しながら帰ってきたそうで、それがいっこうに終わる気配がなくて、聞く隙もないんだ。
我々の引っ越しをしてくれたのと同じ会社のトラックがマンション前に停まってるよ、また越してきた人がいるのかね、このマンションの御用達なのかねー、って話もまだできてないぞ。


21年2月20日

土曜日に、息子が初めて仮住まいを訪ねてきて、泊まって行ってくれた。
一緒に「ナウシカ歌舞伎」の録画を見て楽しむ。
夜は床暖房の上に寝袋で寝たので、少し腰が痛くなったそうだ。

翌日は「谷中ぎんざ」を散策した。
下町情緒の好きな息子は商店街の風情も、そのあとの住宅街歩きもとても気に入ったようだった。
1度だけ行った「うなぎ屋」の2階座敷で彼らはうな重(息子は大盛り)を頼み、私は前に興味を持った「ひつまぶし」を食べた。
初めて食べるので前日の友人とのZOOM会で食べ方を聞いておいたのは母親としての見栄というものだ。
「名古屋人のくせに『ひつまぶし』を食べたことがないのか」と驚かれたが、ひつまぶしも鶏手羽もあんかけスパゲッティも、私が進学で地元を離れてからの新しい流行りで、全然なじみがないんだ。(小倉トーストは昔からあった)

予習の甲斐もあったし、お店側でも「ひつまぶしの楽しみ方」のパンフレットを出してくれたので、美味しくいただいた。
食べきれなかった最後の「だし汁かけ」の半分は、うな重大盛りを平らげた後の息子がきれいに片づけてくれた。
さすがは若い食欲。

前日に予約を入れた時点ですでに2階の座敷しかあいていなかったので正座のできない私は不安だったんだが、お葬式などでご高齢の方が使う正座補助椅子を出してもらえた。
もっとも、お行儀悪く足を立ててでんと座っていだんだが。

うなぎ屋はいいね。特に座敷は。
蒸して焼くのに時間がかかる本格派なので、つまみとビールを頼んでゆっくり話せた。
このご時勢に、ぜいたくな時間を過ごさせてもらった。

最後にまた「谷中ぎんざ」に戻り、息子が「千代田線千駄木駅から帰ろうか、JR日暮里駅から帰ろうか」と迷って相談していたら、下駄屋のおじいさんが横から「その階段を上った先が日暮里だよ」と教えてくれた。
「じゃあ、そっちから帰る」と「夕焼けだんだん」を上っていく息子の背中が坂の上に消えていくまで見送って、泣きそうになった。

息子が去った後、下駄屋さんは「ごきょうだいですか?」と聞いてくれた。
「いえ、息子なんです」と答えたが、やっぱり親子でハグや握手でいつまでも別れを惜しんでる風景が不思議だったのかなぁ。
もしかして日本人じゃないと思われたかも?
それにしても下町の人は気さくでいいね。

息子は坂をぐいぐい登って行った。
我々はもう、その後姿を見送るのみだ。
彼の幸せの地にたどり着きますように。

21年2月20日

「島耕作シリーズ」を全部読破して、やっと父親の仕事を多少理解した様子の息子。
サラリーマンってだけで業界とか全然違うんだが、たった4ヶ月の会社歴しか持たない彼にはこれで充分なんだろう。

全部そろえてあるからって、「就活編」から読むかなぁ。
そりゃ時系列的には最初だろうが、やっぱり描かれた順に読んでほしい。
買って自炊しておきながら読んでなかった両親も、やっと重い腰を上げた。
もちろん「課長・島耕作」から読むぞ。

21年2月24日

息子からZOOMの申し入れ。
なんだか疲れてて元気なさそう。
3月末に払い込まなきゃいけない演劇学校の学費、半分は自分で用意するから残り半分を貸してくれ、という話がついてたところ、パチンコ屋の仕事の夜のシフトになかなか入れなくて、思ったほど稼げないんだそうだ。
コロナ禍の非常事態なんだから、仕方ないよ。
最初の話より多めに貸してあげるよ。

「オレはいつ自立できるのかなぁ」
「4月からの新しい学校のことを考えると、落ち着かない」としきりにつぶやく。
今まで新しい環境に入る時に落ち着きすぎていて、自分を過信して傍若無人に妙なテンションですべってきたことを思うと、人って成長するもんだなぁとあらためて感動する。
やっと「新しい挑戦への不安」を感じるようになるとは。

「就職した時なんか、『同期でオレが一番とがっててささってるから、大丈夫』とか謎のボキャブラリで自信に満ちてたじゃない」と言ったら、
「そんなふうだっけ。しょうがねえなぁ、オレは」ときた。
ほんの数年前のことに、他人事を語るみたいに無責任になれるなんて、若いってのは本当にうらやましいもんだ。

「オレはいつになったらお金とのちゃんとしたつきあい方が身につくんだろう。ちゃんと稼いで、ちょっとずつ貯金して…」と嘆いていたが、今はわずかでも稼いでるわけだし、その稼ぎが貯金するほど多くないんだから仕方ないだろう。
しかし、OLの頃に「趣味:読書、耳かき、財形貯蓄」と自称していた私から、最後の一つは遺伝しなかったのか。
「読書」のDNAはせいうちくんが強化してくれたのと、家のあちこちに耳かきがあって両親がそれぞれ始終耳かきしてる環境のおかげか、趣味のうち2つが継承されてるだけでもありがたく思っておこうか。

ゆとりのある親世代が若い世代を応援するのはこの際大目に見てもらいたい。
子供の結婚式や住宅購入にお金を出してあげることはよくあるじゃん。
もういっそ、ParentsではなくPatronsと名乗ってしまおうか。

21年2月25日

こちらに引っ越してきて毎日何を食べているかを書いておくだけでもけっこう貴重な記録になるのではないかと思った。
しかし、すぐに挫折した。
いい加減すぎて恥ずかしい、と思ってしまったのが敗因かも。

10畳弱のLDKなので、揚げ物は最初からあきらめた、とせいうちくんは引っ越し前に揚げ油を捨て、天ぷら鍋は倉庫に預ける荷物に入れていた。
だが、彼が大好きなステーキを焼こうとし、用心のためにフライパンに半分フタをしつつ気をつけて焼いても部屋中にもうもうと煙が立ち込め、翌日になっても肉の匂いが消えないという仕儀に至った。
換気扇も貧弱で、こんな状態で肉を焼いていたら早晩PCもテレビもDVDデッキも油とほこりにまみれてしまう。
泣く泣く「肉を焼く」行為を全てあきらめたせいうちくん。
鍋物や水餃子、うどんやラーメンなどの「茹でる」調理法しか許されない。

昼はだいたい「てんでんこ」で、各々勝手に買っておいたものを食べる。
私は今のところローソンの総菜パンが多く、せいうちくんは健気にレタスサラダにベーコンを乗せたものを自作し、マヨネーズをにゅるにゅるかけて食べることが多い。

夜は19時ごろ閉まるお店が多いので、平日の外食は事実上無理な「外食難民」。
私が唐揚げ弁当を買いに行くケースが一番多いが、じきに飽きそうだ。
だんだんやけくそになってきて、カップヌードルやインスタントラーメンがしばしば登場する。
仕事のストレスで菓子パンを山ほど食べるせいうちくんの姿も散見される。

ここ数日は近所の焼き肉屋で「ランチテイクアウト値引きセール」が行われているので、ビビンバ肉丼600円と韓国巻き寿司400円を買ってきて、昼に半分食べて、残りを夜食べている。
前日のうちに予約しておかないと、取りに行く頃にはもうすっかり売り切れになっている人気のセールだ。
今日で終わりだが来週もまたやるそうなので、再びビビンバ肉丼の日々となりそう。

野菜が絶対的に不足しており、「野菜1日これ一杯」等の野菜ジュースを飲んでおぎなっている。
2人とも糖質制限をあきらめて以来体重がほぼ元に戻り、現在はそこらへんで止まっている。
10数年後、「あの時の食生活がいけなかった」と後悔する時が来るんだろうか。

21年2月26日

こちらに来てからもう4週間がたった。
月が替わらないうちに今月分の湿布薬をもらいたくて、初めて整形外科へ行く。
なじみになった整体院のおにーさんが言うには千駄木駅の方とまったくの反対方向と、2カ所に整形外科があるらしい。
両方とも徒歩10分ぐらい、ほとんど同じ距離だろうと。
ネットで調べて、また両方とも前まで行ってみて、なんとなくこぎれいそうに思えた千駄木駅方面の方に決めた。
前の病院から紹介状はもらっていない。
「整形外科ならどうせどこでもレントゲンを撮るところから始めるだろうから、必要ないよ。見ればわかる」とお別れの際にドクターが言っていたから。

これまでのように月に1回行って両膝にヒアルロン酸の注射を打ってもらい、湿布薬をもらえればいいやと思っていた。
どうせ仮住まい1年間のことだから、長期的な治療は考えていない。
初診の予約を取り、意外と待たずにまず診察を受けて上のようなことを話したら、65歳ぐらいに見える姿勢のいいおじさんドクターは大真面目だった。
「半年か1年でも、やれることはある。変えられることは変えていこう」と言って、私の膝を触って左の方が悪いこと、でも右足の筋肉が張ってしまうのは左をかばっているからだろう、とだいたいの診立てをつけてくれた。

レントゲンぐらいは撮るだろう、と思っていたら、間口の小さな病院は2階が受付と診療室になってると思ったら、1階はまるまる検査室なのだった。
看護師さんが案内してくれて、そこでレントゲンを撮り、骨密度を測った。
膝だけかと思ったら腰椎と骨盤も撮った。
もちろん寝た姿勢でも正面と横から撮るのはどこでもおんなじだけど、さらに台の上に立って膝のレントゲンを撮ったのは初めてだ。
体重がかかってる状態の写真も大事なんだって。

レントゲン技師は気難しそうで、不機嫌だが腕のいい職人さんみたいな顔をしていた。
彼の注文でさまざまな姿勢を取り、最後に腱鞘炎の症状が出ている手も上から横から不思議な形を両手で作らされて、撮ってもらった。
扉を閉めずに撮るレントゲン室は初めてで、もっと外に扉がある大きな空間の外で捜査してるのかな、それともこのレントゲン技師はずっと放射線を浴びてるのかな、とちらっと考えた。

「はい、終わりです。このファイルを2階の受付に渡してください」と言われて2階に戻り、待合室でしばらく待つとまた診察室に呼ばれた。
今は現像がなくPCに直接出るので、万事速い。
やはり左膝の軟骨はほとんどすり減って骨がとげのように飛び出し始めており、右はややましだが同様だそうだ。

腰椎は一部が「すべり腰椎」状態になっていて、それがたまに出る腰痛の元らしい。
骨盤には異状なし。
骨密度はなぜか同年齢の女性の「120%」ぐらいで、成人女性の平均と比べても「107%」ぐらい。
「お母さんに『骨粗しょう症』はなかった?」と聞かれ、たぶんない、と答えたら、「じゃあそっちの心配はあまりないでしょう」って。
寝たきり生活に近いのに、カルシウムも全然意識してないのに、意外と丈夫だった私の骨。
そう言えば父の骨拾いをした時、あごの骨が頑丈で割るのに斎場の人が苦労していたなぁ。
そっちの遺伝だろうか。実は母も骨は丈夫だったのか。
とりあえず、ありがとうDNA。

腱鞘炎は前に注射一発で治してもらえたのでそう言ったら、あんまり何回も注射で治すと腱が切れやすくなるんだそうだ。
とりあえず様子を見て、次回の診察で決めようとのこと。

これで注射打って湿布もらって解放されるかと思ったら、膝のMRIも撮るという。
月に2回、東大病院から先生が来るので、その人に見てもらうためらしい。
両膝いっぺんには撮れないので、今日は左膝を撮って、来週また来て右膝を撮ることに。
1階の検査室に逆戻りで、検査着に着替えてMRI。
「心臓に機械弁入れた時、MRIダメとか言われてない?」と確認され、言われてないしその後何度か撮ってる、と答えたらOKが出て、金属を身につけてないかと聞かれる。
ピアスを外し、最近太って抜けなくなる寸前の結婚指輪を苦労して外し、エレキバンや貼るカイロの類をつけてないか確認された。
カイロの中身って、鉄粉なんだって。
ブリッジやインプラントはなし。
20年以上前の歯の矯正の時に下前歯の裏に貼りつけた金属板ぐらいは大丈夫らしい。

寝た姿勢で左膝を固定され、痛みはまったくない検査だけど、もし異常があったり気分が悪くなったらこれ押して、と左手わきにナースコールボタンみたいなものを置かれた。
20分ぐらいかかったのかなぁ。
筒の中に入ってガンガン音がうるさくて、ってタイプじゃなかったのが意外。
膝の上に大きな機械がかぶさってるだけで、上半身はわりと開けた空間にいた。
音はいろいろ鳴ってたけど、あれって構造上どうしても鳴るものなのかな。
「ジャジーな音楽に聞こえた」と表現していた先輩を思い出し、もしかして患者さんが退屈しないように流してるんじゃないかと考えた。
考えすぎて、寝るヒマもなくずっと鳴ったり途切れたりする様々な音を聞いていた。
「長くかかる検査です」とは言われたけど、「5分ぐらい」なのか「30分ぐらい」なのか目安を教えてくれるともっといいな、と思った。

やっと機械音の演奏が「じゃん!」って終わって、検査終了。
「帰れる~」と思いながら着替えて、また2階受付に行くと、今度はリハビリ室に行くという。
なんと3階と4階はリハビリ室だった!(エレベータの中の表示をよく読んでおけばわかったことだった)

10分ぐらい待って、若いイケメン(マスクしてるからもちろん本当のところはわからないけど)のPT(理学療法士)らしき人が担当してくれる。
待ってる間あちこちから楽しそうなご老人たちのおしゃべりの声が聞こえていたので、マッサージ受けながら世間話をするのかなー、ラッキーラッキー、と期待した。

しかし、確かに横臥して膝を中心にあちこち押したりもんだりしてもらえたけど、それは可動域を確かめ、さらに少しマッサージしてその可動域がどのくらい広がるかを見るためで、あとは簡単なストレッチを教わるのだった。嗚呼、ついに出た、「運動」。

「これまでも何度か体操や運動をご指導いただいてるんですけど、あんまり続かないんですよね…身体を動かすのがキライで。本を読んでるだけで健康になれたらどれほどいいか、ってずっと考えてるんです」ともごもご言う私に、PTさんはものすごく明るい顔で、
「でも、いま動かしておかないと将来歩けなくなるかもしれませんよ。それに、『これだけやった!』っていう達成感がありませんか?」
「あまりそういうの感じる方じゃないみたいで…ああ、それに、心臓が悪いので動きたくなくって」
「心臓が悪いならなおさら有酸素運動とか勧められてませんか?」
「そういうことは特に」
「身体を、変えていきましょうよ!毎日ちょっとでもやれば、きっといい変化がありますよ!」

あまりに前向きで明るいので、思わず、
「まぶしいです…」と口からもれてしまった。
PTさんが照れたように周りを見回し、
「そうですか?僕、まぶしいって言われちゃいましたよ!」と言うと、いつの間にかリハビリ患者は私だけになっており、PTさんや看護師さんたちはみんなニコニコしてた。
「じゃあ、次回、お待ちしてます!」って来週の予約取ってから言われて、ストレッチ全然しなかったらばれるだろうか、それとも「やりました」って押し通しちゃおうか、って考えながら「ありがとうございました」ってリハビリ室を出る時もまだ、
「僕、まぶしいんですって!」とPTさんが言っているのが聞こえた。
どう考えたって、まぶしすぎるじゃないか、青年よ!

なんだかほうほうの体で隣の薬局に処方箋を出した時は、家を出てから4時間近くが経過していた。
せいうちくんから、「時間かかってるけど、大丈夫?」とLINEが入っていた。
希望するタイプの湿布薬と鎮痛ジェルが今はないけど、取り寄せてくれると言うので、次回来院するときに受け取ることにして、ふらふらと帰り道でモスバーガーとポテトとコーンスープのセットを買って帰った。

「どうだった?」と心配そうなせいうちくんに、
「体育会系だった!先生も、PTさんも、異常に熱意があった!病院の選択を誤ったかもしれない!」と叫ぶ私。
あれだけの検査をしてしまった以上、ここにいる間は通わざるを得ないが、私はその情熱に値しない不熱心で不摂生な患者なんです!

思えば整体院で近所の整形外科の場所を尋ねた時、担当さんが、
「整形に行くなら、整体院に通ってることはあんまり言わない方がいいかもしれません。あんまりよく思わない先生もいますから」って言ってたけど、あそこと仲が悪いのかしらん。
先生、「温めたりもんだりは一時的なものだからね。根本から治さないと」って言ってた、まさにその「温めたりもんだり」をしに通ってるからなぁ。

あんまり疲れたんで遅い昼を食べたら眠り込んでしまった。
目覚ましの音で驚いて起きた時は何時なのか、なぜ目覚ましが鳴るのかわからないぐらいだった。自分でかけたのに。
せいうちくんが仕事の手を休めて揺り起こしに来てくれた。
「整体の時間だよ」
ああ、まだそっちがあったか!と着替えて出かけ、担当さんに整形外科との確執を確認しようと思ったら、今日はお休みなのか別の人がやってくれた。
残念だが、また後日にしよう。

さてさて、覚えてることをその日のうちに全部書くとこういう長さになってしまうのだった。
ヘタしたら手術の時より克明に書いてるかもしれない。
読んでる人には申し訳ない。
膝が悪くて近々整形外科に行こうと思ってる人にだけほんの少し有益かもの、ニッチな層狙いの日記になった。
お退屈さまでした。


21年2月27日

前夜は毎週恒例まんがくらぶのZOOM飲み会。
とは言ってもメンツが非常に固定化し、たいがい部屋主のGくん以外には長老とSくんと我々夫婦しか来ない。
今回は若いカノジョとの遠距離恋愛の進展具合が聞きたくて、Hくんに声をかけてみたら素直に来た。

もちろんみんなに「どうなってる?メール来る?」とか聞かれまくってた。
「最近メールが来なくて…心配してるんです」
Hくん、その心配はカノジョの身に何かあったのかとの心配か、それともふられてしまったのかと心配なのか。
何度目かの40分が経ってセッションが途切れた時間にせいうちくんに「それ聞いてもいいかなぁ」と尋ねたら、
「ふつうは聞かないけどね、キミは聞きたいんでしょ。聞いたら?」とのお許しが。

さあ聞くぞ、と勇んで次の回に入ったら、Hくんが嬉しそうに、
「もう入らないつもりだったんですが、今、メールが来たので」とご報告。
そうか、よかったね!
機嫌がよすぎて、画面共有して見せてくれるって。
「スクショのやり方、知らないんだよ!」って悲鳴を上げたら、その可能性に思いっきりひいてしまったHくん。
みんなで「スクショは厳禁」と約束して、ものすごく絵文字だらけのイマドキの若い女の子とのメール交換、見せてもらっちゃった。
なんかの暗号なのか?と思うぐらいふんだんにハートや虹やキラキラが並んでいた。
なぜそこにリスがいるのかは謎。

嬉しそうにHくんが帰った後も、宴会は続く。
オタクの長老とSくんがカメラの話を始めたあたりで眠くなったので失礼した。
しかし、せいうちくんがすやすやと眠ってしまってもやはり私は眠れない。
何か面白いことが起こってないかと気にもなるので、ついついZOOMに戻っていく。

長老とGくんが2人でしゃべってた。
最後は4時か5時ごろ長老がバーリアル9本目で椅子に座ったまま寝てしまい、
「このままだと次の回に入ってこれないよ。寝落ちしてる。どうする?」と相談してたら、Gくん、PCにつながったハンドマイクをつかんで、「起きろー!!」と叫んだ。
イヤホンしててよかった。せいうちくんまで起きちゃうじゃないか。
しかしそれでも長老は目が覚めなかったらしく、次ではGくんと私の2人きりに。

これまで「お金とセックスの話は、それぞれの価値観が違いすぎて難しい。あからさまに話すことが少ないせいか」と思ってきたが、意外と「死生観」も難しいとわかった。
「100歳まで生きるつもり」のGくんと「明日の朝、目が覚めなかったら嬉しい」私とは、どこまで突っ込んで話してもお互い腑に落ちなかった。
特に、Gくんの言う「シンギュラリティの次の瞬間を見たい」は難しすぎる。
一応「シンギュラリティ」なるものについては説明してもらって理解したつもりなんだが、「コンピュータによるすべての演算が終わる時」で合ってるんだろうか。
「30年以内には可能なはずだ」と元プログラマのGくんが言うんだから、そうなんだろう。

こっち側も、
「そんなに生きてるのがイヤって、どういう気持ちなんだ?」と聞かれても、今生きてるからとりあえず明日も生きてるけど、できれば生きていたくないという気持ちを説明するのは難しい。
「死んでしまおう」という衝動はとりあえず収まってる昨今なので、特に。
それに、その衝動がなくなったことで人生は余計に難しくなってる。
「つらいことがあったら死んで逃げる」って選択肢がない状態で生きてるのは初めての経験。
それぐらい「死ぬ」ってのはいつでも選べる簡単な逃げ道だった。
「死ぬこと自体」は怖くないけど、「自分で死ぬ」勇気はもうない。
だからつらい気持ちがどんなに高まっても、とりあえず生きてるしかない。
「75歳ぐらいまでは生きてる」ってせいうちくんと約束したしね。

「せいうちくんの引退後、10年ぐらい楽しく遊んだあとに医療設備の整った老人ホームでせいうちくんに看取ってもらって死ぬ計画」を話したら、Gくんに猛烈に怒られた。
「そんなにうまくいくって、どうして思えるんだ!その頃きみたちは、別々の病院のベッドの上で介護を受けてるんだ!」
いやー、80代後半のご両親がまだお元気な長命の家系のせいうちくんを、71歳でベッド上に追いやらないであげてくれよ。
そして、親戚中で80の声を聞いたことがない、自分自身の両親も72歳と78歳で亡くなってて、しかも心筋が弱っていく病気の私なんだからさぁ、75歳ぐらいで苦痛だけ取ってもらって寝ながら亡くなる夢をみさせてくれよ。

このように一致しない死生観を語るのに飽きて、話はどんどん下ネタに。
「明け方に、異性ときわどい話をするのは正直、楽しいねー」と浮かれてしまった。
「じゃあ、おっぱい見せろ」って言われて、「やだ」と一応お断り。人妻だもん。
「そんなら心臓の手術の正中切開見せろ。それは見せたいんだろ?」
確かに見せたい。パジャマの襟元からのぞいてる上の方2センチぐらいだけ、どうぞ。
その下はケロイド上に赤く盛り上がってて、あまりロマンチックじゃない。
「ついでに乳首見せろ」
やだね。Gくんは絶対スクショ撮ってばらまくからね。
そうでなくても、今この瞬間にせいうちくんが起きてきても全然やましくないことしかしたくないのよ、私は。
もちろん「じゃあパンツ脱げ」とは言ったよ。
Gくんがイチモツを出してるところをせいうちくんに見られてもまったく困らない。
一緒に楽しく鑑賞する。
「小さいから、いやだ」とお断りされたが。まあ、謙虚ですこと。

セクハラ合戦が終わったのは朝の7時。
休日のせいうちくんはたいてい12時まで寝てる。
私は最大5時間ぐらいしか眠れないタチなので、計算するとこの辺がちょうどいい加減。

でも、ベッドにもぐりこんだらせいうちくんがうっすら目を覚ましたので、
「GくんとZOOMしてた」と言うと、
「ずいぶん明るいけど、今何時?」
「7時」
「ZOOMは全然かまわないけど、朝まで起きてるのはよくないね。人間、朝方に寝ると具合が悪くなるもんだよ」と𠮟られた。
実際、そのあと寝たらずっと浅い眠りで、何度も悪夢にうなされて自分の悲鳴で目を覚ましてはまたとろとろと眠って、2人ともはっきり起きたのは午後の3時。
休日は、ほぼ台無しですね。

「今夜こそはしっかり早寝しよう」と申し合わせても、テレビ見たり本読んだりしてるうちにやっぱり午前2時過ぎ就寝。
休日の早寝早起きは難しい!
(ちなみにGくんはそのあと20時間寝ていたそうだ笑)

21年2月28日

よしながふみの「大奥」、最終巻が出た。
16年かけて、徳川三百年を駆け抜けた。長かった。(私の結婚生活の半分は「大奥」読んでたわけで)

どのマンガも最終巻を迎える時はひとつの世界が完了するのを目の当たりにし、胸がいっぱいになるものだけど、特にこれは大好きな作品だったので、本当に感無量だった。
夢中になって最終巻を読んでいたら、せいうちくんが「いい顔して読んでるねー」と声をかけてくれ、顔を上げた私の頬を涙がぽろぽろ流れた。
せいうちくんはびっくりしたらしく、
「マンガを読んで泣くような人と結婚していて、幸せだよ」と言ってくれた。
私も「未来少年コナン」観て泣く人と結婚してて幸せだよ。(あんまり派手に泣くから、ちょっとひくけど)

最初の方はまだ昔のよしながふみの鬼気迫る絵もあるが、次第に穏やかになっていくようだ。
徳川時代が長く続いたせいかもしれない。
私は「青沼編」や「天文方」の話が好き。
後半山場の「とりかえばや」とそれに続く家茂と和宮の交流も見事なり。

まだ「きのう何食べた?」を描き続けているよしながふみ、全体に平和になってきたかも。
円熟の境地かな。
この時代に生まれてこれらの作品を読めることが幸せだと心からしみじみする。


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