21年5月1日

息子が泊まっている間に驚いたこと。
わりと大きな地震があって、3人とも立ち上がりかけたりテレビをニュースに切り替えたり。
その間に、鍋で作って冷ましてあったアイスティーがたぽんたぽんと地震に合わせて揺れ、気がついたら結構な量がこぼれてしまった。
地震そのものよりもそっちにびっくりした。

あと、息子に「甘いミルクティーが飲みたいな。あったかいの」と言われてティーバッグで淹れてやり、うちは砂糖じゃなくて甘さの強いパルスィートだから小さじ2杯ぐらいかな、と入れてスプーンでくるくる混ぜミルクを注ぐ。
「はい」と渡すと「ありがとうー」と一口飲んで、厳かな口調で言う。
「お母さん、昭和のギャグみたいなことになってる」
え?と顔を観たら、破顔一笑、大笑いを始めた。
「塩だよ、塩」
どうやらパルスイートの代わりに塩の壺から入れてしまったらしい。(また、似たような形なんだ。一応ラベルは貼ってあるけど)
「飲んでごらんよ」と言われて後学のために飲んでみた。どこまでもしょっぱい。
もちろん謝って淹れなおしたけど、サザエさん以外にこの間違いをする人がいるとは。
しかも、令和の時代に、自分が。ショックだ。

いつもの映画観賞会、昨夜は「日の名残り」を観た。
日本が誇るノーベル文学賞作家カズオ・イシグロの作品をアンソニー・ホプキンス主演で映画化したもの。
原作より映画の方が好きだ。
原作では没落していく貴族たち及び勤めに誇りを持つ執事の姿がややシニカルに滑稽に描かれすぎてる気がする。
執事という人生に自らを閉じ込めた男のほのかな想いが大英帝国の黄昏にも重なる海辺の町の夕暮れに消えていく姿が美しいと思う。

そのあと、息子がこないだ見て面白かったという「アニメ夜話」をYouTubeで見る。
すっかりやせた岡田斗司夫がいろいろ解説していた。
せいうちくんは知らぬ者のないルパンファンだが、なぜか息子にも遺伝していた。
父子2人して、
「ルパンの手足の設定集まであるんだ」
「それ、お父さん見たことあるよ」
「すげー、そんなもん見たんだ」
「やっぱり印象に残るシーンはやっぱり不二子の『こちょこちょ』だよね」
「ああ、『ルパンは燃えているか』だね」
などと語り合うのを聞くと、息子に「キミは何年の生まれだい?」と聞きたくなる。

映画を観てしばらくおしゃべりして、そして寝る。
我々はベッドで、息子はリビングの座椅子に頭をもたせかけて、ホットカーペットの上で毛布かぶって寝てた。
同じ屋根の下で親子3人が一緒に寝息を立てているのはいいものだ。

寝る前に、「そうだ、ハグしてもらわなくっちゃ。ハグハグ」と息子の寝床に走って行ったら、
「そんなに急がなくってもいよ」と笑いながら、ビッグハグをしてくれた。
「母さん、あなたとこんな時間が過ごせて、とっても幸せだと思うんだよ。でも、そう思えば思うほど、自分の息子と30年以上心を割って話す時間を持っていない父さんのお母さん、つまりおばあちゃんに申し訳なくなる。この幸せをあじあわせてあげてないなんて、親不孝だね」
「それはしょうがないよ。関係性の違いだもの。お父さんとお母さんは僕を応援してくれていて、話が通じるけど、そう行かない場合は仕方ないんじゃない?罪悪感なんて感じる必要ないよ」
「でも、母さんがその時間を奪っている、とおばあちゃんは思っているよ。どんな意味でも人に恨まれるのはイヤなものだね」
「それはおばあちゃんとお父さんの問題。お母さんが気にすることじゃないよ」
今宵もまた慰められてしまった。

翌朝は息子もしゃっきり起きて(さすがはバイトとはいえ勤め人)、昨夜急に盛り上がった話の帰結として何度目かわからない「カリ城」を鑑賞。
あいかわらずカーチェイスの場面から始まるという錯覚が抜けないらしい。
あれは国営カジノの金庫を襲って「幻の偽札、ゴート札」をつかまされたので次の仕事がカリオストロ公国になって旅をしてる最中の話だよ。

観終わって朝風呂を使ってから予約してあるうなぎ屋へ昼ごはん食べに行く。
ゆっくり話せる2階の座敷を選んで、正座ができない私は低い椅子をもらった。
ビールのメニューも置いてあるので息子が、
「頼めるのかな?」と珍しく飲みたそうな顔をして(日頃はほとんど酒類を飲まない)お店の人に聞いてみたら、やはりアルコールは中止だそうだ。
「ノンアルコールならお出しできるんですが」と言われてもそこまでは飲みたくないらしい息子は一心にうな丼をほおばっていた。

うなぎ屋の座敷でした主な話は今と昔の人間関係のこと。
私のZOOM部屋での家族のふれあいの時間にうっかりいつものZOOMメンバーのおじさんたちが乱入してきたことがあるのが印象深いらしい。

「お父さんたちの友達って、すごく強い言葉を使うよね。人を傷つけかねないような激しい言葉を。それで何十年も友達でいられるってのが、とても不思議だった」

それはね、学生運動の残りっ屁を嗅いで育ってきた我々には「連帯・同盟・共闘」みたいな仲間意識があるのも理由の一つだと思う。
一緒に、何かと闘ってきたんだよ。
無理解な大人とか社会とか、意味ないくせに厳しいルールとか。
あなたたちは表向きは比較的社会的ルールが弱くて、「個人の自由」が優先されるから、友人と共闘する必要がなかったんじゃないかなぁ。
もっとも抑えきれない不満はやっぱり溜まって、Twitterなんかに潜ったりLINEいじめのもとになってるのかもしれないけど。

それに、たぶん我々は自分の言葉で自分を定義し、語るのが好き。
これも時代の産物かと思う。
「人にいちいち、自分がどういう人間かなんて言わないよ」ってキミらの文化とはかなり違うと思う。
とにかく周りの気持ちを忖度し、浮かないように、外さないように友達づきあいしてるんだね。
コント師志望の熱い魂を持ったキミでさえそうだとは、いささか驚きだよ。

あと、いくら激しい言葉を使っても大丈夫だった人たちが残っているのであり、そこには40年分のふるいがかかっている。
「何十年も友達でいた」と言うより、気づいたら気の合う人が残っていたんだ。
しかしなんだねぇ、我々の若い頃はツールがなかったから放言しても酔いつぶれても翌日には「そんなことあったっけ?」ですむけど、キミらはやりすぎなLINEをスクショに撮られたり泥酔した様があっという間に写メで拡散されたりするわけだから、いわゆる「黒歴史」が残りやすいよね。
用心深いのはそれもあるんじゃないかと、母さん愚考する。

まあそれでも彼らなりのスタイルで「気を許せる友人・仲間」がちゃんといるようで、よかった。
演劇学校に慣れたら同じような志を持った大勢と友達になれるよ。
そうそう、母さんたちは今から新しい友達ってもうあんまりできないんだよね。
友情のビッグバンをとうに迎えてしまっているので、今いる友達はこう見えても大事にしてるんだよ。

たぶんキミが一番驚いたのは酔っ払って無茶苦茶になってるGくんなんだろうけど、彼はあのストロングスタイルでずっとやってきてる。
でもよく観察すれば、場をかき回しはするけど自分の主張は案外少ないし、話題を提供するというよりは場を微調整してくれる心づかいの細やかな頭のいい人だよ。
初見ではとてもそうは思えないだろうけど。

そんな話やあれこれを楽しんでうなぎ屋を出て、すぐの道を左折して日暮里駅から帰ってみる、と言う息子の背中をせいうちくんと2人、ずっと見送る。
なんといっても「夕焼けだんだんを登って消えていく後ろ姿」がサイコーだが、駅に向かう雑踏の歩道をだんだん遠ざかって見えなくなるのも風情がある。
今日はバイトじゃなくて家族団欒のために来てくれた。GW特別サービスか。

今月中にもまた、今度はバイトで来てくれる。
息子に安定的に会えると思うだけで落ち着くよ。
「いつかNYでコント師になりたい」と言われると、「そんな遠くに行っちゃうの?!」と思わないではないが、現代ではもう問題は距離ではない、関係だ。
互いに親しく、理解し合える関係でいよう。

彼が最後にしていた質問、「これからの人生で、一番やりたいことは何?」にはちょっとたじろいだ。
前なら「世界一周のクルーズに行く!」と迷いなく答えられただろうけど、この1年半の間に、旅をすること、外国に行くこと、が遠くてぼんやりしたとどかないものになってしまった。
あまり考えないようにしていると言ってもいいかもしれない。
このコロナ禍のさなか、誰もが同じような感じなんじゃないだろうか。
とにかく今をやり過ごすこと、できればコロナにかからないで健康体を保つこと、そんな目先の小さな望みしか持てなくなっていても不思議はない。
もうちょっと未来に目を向けたいよね。
国の指導者たちが右往左往していて、「必ず収束させます。元の生活を取り戻します!」と断言してくれないんだもの。

まして夢でいっぱいのはずの若者たちがどんな気分でいるかを考えると、暗くなる。
息子はたった今通っている演劇学校にかなり期待を寄せているようだ。
できることをできる時にできるだけするしかない。
この1年半の我々の体験は、本当に口にも筆にも乗せられない奇妙な悪夢のようだよ。

21年5月2日

くたびれて前夜早く寝たせいで、2人とも朝の6時に目を覚ましてしまった。
こんな時間に自然に起きるのはとてもめずらしい。
天気も良かったので、早朝散歩に出かけてみる。

不忍通りをずっと北上して、いつものスーパーの前を通り過ぎるとここからは未踏の地だ。
少し歩いてから右に折れ、田端駅の方に向かう。
車も人通りもほとんどなく、静かで楽しい散歩だ。
開成高校の裏に出て、天文ドームのある校舎や道路の上を横断している渡り廊下、そして名物運動会の騎馬戦に使うプロテクターが教室の壁際に置いてあるのを写真撮影。
秀才はここで作られるのか。

日暮里駅の少し西側を通って、西日暮里に近い我が家に帰りつくまで約40分。
このあたりではJR各駅の間隔が短いなぁという感想。
たぶん、「田端⇔西日暮里⇔日暮里」間は簡単に歩き通すことができそう。
上野までも徒歩25分ぐらいで、ここへ来た最初は「美術館見に行くぞ~!」の意気込みも高かったが、今んとこちょっと尻すぼみ。

これから暑くなるので散歩もあまりできない。
小さな1LDKの寝室には窓と言うものがないから、エアコンかけっぱなしになるだろうな。
そろそろ新居の壁紙や照明などを選ぶ「ドレスアップ・オプション」の案内も来始めて、改めてマンション買ったんだ、って厳粛な事実に背筋がピンとする。

賃貸の気楽さも十分に味わい、その後「じぶんのもの」であるマンションに引っ越すのはどんな気持ちだろう。
ひとつ確かなことは、ここ千駄木では定食屋も病院も整体院もコンビニも徒歩1分圏内にあるんだけど、新居では駅まで徒歩10分、そこにすべての商業施設が広がっている。
5分歩くのも嫌いな私が、何かしようと思えば必ず10分歩かねばならないのだ。
買った時は「駅まで10分弱なんて、駅近物件!」と喜んだものだが、店だらけで下町の千駄木と違って、駅までの間にはほとんど何もない田舎なんだ。
少しは散歩の習慣がつくかしらん。

21年5月3日

女友達Qちゃんとせいうちくんと3人でZOOM飲み会。
私はあいかわらずアイスティーでご相伴。
今現在、せいうちくんは親の介護と財産管理問題でもめているのでそのへんの知見を少し聞こうと思ったわけ。

まず、親が老人ホームに入ってくれるかの問題について、Qちゃんのお母さんは自分でさっさとサ高住を検討し、チラシを見比べて見学に行き、友人と一緒に入ってしまったので全くの手間いらずであったらしい。
うらやましいが、参考にならない。
せいうち家ではまず認知症の進んだお父さんをどうするかの問題があり、続いて1人暮らしになったあとのお母さんがどうなるかが気になる。
2人とも施設に入る気は全然ないのでなおさらだ。

別の友人もお母さんがサ高住に入ったそうで、親のことではいろいろ困ったことも起こるが、「お金の心配をしなくていいことと、自分から施設に入ってくれたこと」を何より感謝しているんだって。
自分の先々をきちんと考えてくれず、「なんとかなるだろう」と下の代に丸投げされると非常に困る。

だから私も、息子にお金を残せるかどうかって問題よりも、「親をどうするか?」って心配をかけないのが一番肝要だと考えている。
私はそれほど長くはもたないし、せいうちくんの方が絶対長生きするだろうという目算の上に立って2人で介護つき有料老人ホームに入ろうというところまでは予定も予算も組んであるけど、万が一せいうちくんが先に死んでしまったら、私は混乱の極みに陥って何一つ自分ではできないだろうなぁ。
「そんなことはまず起きないから」と甘く考えてると手痛いしっぺ返しを食らうかもしれない。

今のところ、せいうちくんが65歳で定年を迎えたあとは私とすごすだけの生活をしてくれるそうで、その時期を「黄金の10年」と名付けて楽しみにしている。
私が79歳まで生きる前提の話だ。
歩けなくなってたら車いすを使えばいいや、とか、ものすごくゆるーい計画。
物事、そんなにうまくいくはずもないけど、一応モデルケースとしての「黄金の10年」ね。
コロナがすっかり終わっていたら、1回ぐらい世界一周クルーズに行く分の貯金もちゃんと別にとってある。

皆さんいろいろ考えるのは同じらしく、1人暮らしのQちゃんは近所に住むやはりシングルの学校時代の友達と、毎日messengerで夕食のメニューを送り合っているそうだ。
それが途絶えたらお互い様子を見に行くことになってるんだって。
それぞれの、セーフティネットだね。

21年5月4日

今日のせいうちくんは昼中実家に出かけ、ご両親、妹さん、その夫である義弟と親問題の話し合いをしてきた。
事前に弁護士によく相談してまとめていったのがよかったのか根回しらしきものをしておいたのがよかったのか、いちおう「家族信託」を試してみることに決着。
ただ、これはお父さんの認知症が進みすぎていると判断された場合使えないのが悩ましいところだ。

それで1日悩んできたところなので、夜、私が中学の友達CちゃんとKちゃんとZOOMしているのを興味深く聞いていた。
Cちゃんのお母さんもわりとすんなりサ高住に入ってくれたようだし(そこに至るまでにそれなりの苦労はあったようだが)、Kちゃんはじぶんの両親と義両親の介護をしてきた介護のセミプロで、法定後見人を立てるといかにめんどくさい事象が起こるかを丁寧に説明してくれた。
横で聞いているせいうちくんはいちいちうなずいて納得していたようだ。

「いやー、キミがおねーさま方からいろいろきいてくれたおかげでものすごく参考になったよ」と喜んでいた。
(4つ年下のせいうちくんからすると、私の女友達は頼りになるおねーさまたちなのだ)

2人は郷里名古屋に住んでいるので、コロナに対する感覚も少し違う。
何しろKちゃんは結婚式場に勤める「ウェディング・バトラー」なのだが、毎週末仕事があるらしいのだ。
「明日も1件入ってるの。明後日もね」
何があっても結婚式はやめられない、名古屋人の生きざまを観た気がした。
いちおうお客さんもマスク着用だが、いざ宴会が始まると食事もするしおしゃべりもするしでとってしまう人が多いらしい。
もちろんKちゃんはコロナが少し怖ろしくはあるものの、さすがはウェディング・バトラー、良い式の思い出をと八面六臂の大活躍。

「またお互い会えるようになりたいね」
「そうよ、貴女も名古屋にまたいらっしゃいよ」
「KちゃんCちゃんこそ、東京に来てよ。本当はお酒の大好きなCちゃんを谷根千飲みに誘いたかったんだけど、目算が大いに外れたよ。せめて、来年新居に引っ越したら見に来てね」
「もちろん行くわよ!」
ああ、古い友達はいいなぁ。

21年5月5日

あっという間にGWが終わってしまう。
最後の日だから何か記念になるようなことをしようかと思ったが、ここまでの疲れがどっと噴き出して2人とも寝たり起きたりして過ごした。

それでもGWの面目を少しでも保とうと、息子が前に勧めてくれたNetflix製作映画の「月影の下で」を観る。
残念なことに私は映画やテレビを観ていると実にすやすやと眠ってしまうのだ。
不眠症の名が恥じて裸足で逃げ出すぐらいだ。
この映画も、せいうちくんは終わりまでちゃんと観たらしいが私は途中が盛大に抜けている。
ただ、人がやたらに死ぬことはわかった。
「全身から血を噴き出して死ぬ」なんて浦沢直樹の「20世紀少年」に出てくる「血の大みそか」みたいだなーと思ったのが最後の記憶。
そして目が覚めたらエンドクレジットになっていた。
今度、ちゃんともう1回観よう。

去年のGWの日記を読み返してみたら、少しでもGWらしさを味わおうと奥多摩の小河内ダムまで早朝ドライブに行ったようだ。頑張ってる。
しかしその頃、東京都のコロナ新規罹患者は15人とか30人。
5人まで下がってた日もあるぐらい。
それで緊急事態宣言が出ていて隣の県への移動も制限されていたぐらいで、全国民に一律10万円の給付金が出て、オリンピックは延期になった。
今、この5百人とか千人とかの段階でなぜ同じことが起こらないのか。
給付金を出して、オリンピックは中止にすればいいのに、となるのは素人考えか。

なんだかオリンピックの幻影に振り回されてる1年間だ。
すっぱりやめるって言って、そこにかかる費用を医療や国民の生活に回したらいかがなものかと思うよ、どうしても。
たった1年前のことでもこんなに記憶が薄れている。
コロナの世の中に慣れてしまった。
せっかく谷根千に引っ越してきたのに定食屋さんは軒並み夜の営業を停止している有様。
お酒が出せないんじゃなぁ。
酔っ払いが増えるのとコロナが増えるのはあんまり関係がない気がするんだが。

そもそもこっちに来てからずっと夕食難民で、コンビニのお弁当にも飽きたのでついに持ってきた一番大きな鍋にいっぱいビーフシチューを作って毎日毎日それを食べ続けている。
12か月の滞在予定、もう3か月が、4分の1が過ぎてしまった。
ここの暮らしは気に入っているが、どうも何かを外した感が強い。がっくり。

21年5月6日

またせいうちくんの仕事が始まった。
と言ってもテレワークで、1日中リビングのひと隅にこさえた書斎コーナーで書類を作ったりテレ会議をしたりしてるので、「ああ、GWも終わったんだなぁ」との感慨は薄い。

それでもGW前のとても忙しい仕事が一段落したので、朝早くからの会議とかは少なくなった。
7時ごろに起きてきて、ホットカーペットの上で毛布をかぶって30分ほど二度寝をし、タイマーが鳴っても足りなければもう10分足す、という意地汚さだ。

私は寝るのは苦手だが、起きる時は実にスパーンと起きてしまうので、朝の5時ごろ目が覚めるともういっぺんベッドに戻りたい誘惑はほとんど感じない。
コーヒー飲んでタバコを吸ったり、ノートPCに向かって日記を書いたり、新しく来たマンガを自炊したりしている。
働いてない人の方がきびきびしてるってのは、なんかヘンなものだ。

21年5月7日

今日は娘の誕生日。なんと30歳になる。
一時、警戒が緩んで、1度に2人、15分間、マスクとフェイスシールドをつけていれば面会できそうだった。
お誕生日の頃に会えるなぁ、とAmazonでフェイスシールドを買い込み、準備していたのだが、その後緊急事態宣言が出てお城の門は再び閉ざされてしまった。
それでも5月11日が明ければ、と期待していたら、結局緊急事態宣言が延長される模様で、面会には行けない。

おととしの年末、年越しクルーズに行く前に「新年明けてすぐにはには来られないから」と面会に行き、戻ってきたらすぐに会いに来るね、と約束したのに、あいにく病棟でインフルエンザが発生し、閉鎖となってしまった。
(この辺の決まりは非常に厳しい)
じゃあインフルエンザが終わったら、と思っているうちにダイヤモンド・プリンセスでコロナで、病棟閉鎖は一層厳しくなった。
時々電話で様子を聞いているし、去年の誕生日には電話口で「あうー」と言ってる声を聞けたが、もう1年半も顔を観てないんだ。

なんとかスマホやタブレットを使ってZOOMで顔を見られないか、とお願いはしてみたが、
「そうできない人もいるので、不公平になってしまうんです。ご容赦ください」と謝られた。
そうだよね、どの親でもスマホ持ってるわけじゃないし、ZOOMできない人もいるよね。

生まれた時は生きていけるのかも危うく、その後も大きな手術をしたりして今や「医学の進歩に生かしてもらってる」状態だ。
20歳になった時は「この子が成人するなんて」とものすごい感慨に襲われたが、30歳ってのもスゴイ。
元気だったらば、そろそろ結婚の心配なんかもしたんだろうか、どんな仕事をしていたんだろう、「お嬢さんを僕に下さい」なんて時代錯誤なことを行ってくる頓珍漢がいて、怒るせいうちくんをなだめたり諫めたりして「結婚は本人たちの自由意思でするもんだ」と説教したんだろうか。
娘は真っ赤になって怒り、「私の選んだ人に文句つけないで!」と軽い親子ゲンかが勃発したかもしれない。
想像の世界では、すべてが面白く、楽しい。

そんなことがすべて起こらず、ずっと寝たきりで日々を過ごしていても、やはり生きているだけで嬉しい。
不快な時は顔をしかめて「うー」と抗議し、楽しい音楽には笑顔を見せる、そんな日々がこれからも続いてほしい。
お誕生日、おめでとう。これからもすべての良いことがあなたの上に起こりますように。

21年5月8日

前夜のまんくらZOOM飲み会はほどほどの盛り上がりでほどほどの時間に抜けた珍しい日であった。
なんかくたびれていて、Sくんから「うさこさん、眠りかけてますがどうしましたか?」と聞かれるほど。
そんなに目をつぶっていたか。
今週の日記に書いた「テレビを観てると寝てしまう」を読んでくれたらしいGくんは、「画面が並んでるのを見てるから、眠くなるんだろう」と茶化していた。
からかわれても、書いたことを読んで覚えててくれるだけでもありがたいよ。

そんなわけでせっかくめずらしく8人もメンツがいたのに、1時ごろには抜けてしまった。
そこからあっという間に寝て、ショートスリーパーなのか5時には目を覚ましたんだが、ZOOMに入ったらまだ長老とかGくんとかいたりして、とちらっと思った。
もちろんいたらぐでんぐでんに酔っ払っているはずだし、まさかもういないだろう、と入ってみたりはしなかったところ、6時ごろにGくんがFBに、
「えんえん3時間サシで喋った挙句、我々は何を話していたか?を列挙しようとして挙がったのがこの2つだけ
 ・たしか全共闘っぽい話をしていた
 ・ボケ防止にただしゃべるのは有益
 それ以外はすべて思い出せない」
と書き込みをしていた。
5時にはいたんかい!のぞいてみればよかったな。それはそれで地獄だけど。
長老はしおらしく、
「きおくにございません」とだけ書いていた。

いや、昨夜早く寝たのは疲れていたからもあったんだけど、お客さんが来るのよ。
15時とはいえ、心身を清冽に保ってきちんと相対したいミセスAが。
子育ての合間をぬって返すマンガを詰め込んだトランクをガラガラと引いて、40分かけてきてくれた。
前は互いの夫が会社で交換してくれていたマンガ配達便が、まさかコロナで止まってしまうとは想像の外だった。

2時間という許された短い時の間に、せいうちくんが出してくれたお茶とアップルパイを食べながら、読んだマンガの感想、最近のマンガ世相の動きなどをしゃべりまくった。
特に絶対外せないのは「大泉サロン」の話。
この話をするために、今年の分の誕プレとクリスマスを全部コミにして竹宮恵子の「少年の名はジルベール」と萩尾望都の話題の新刊「一度きりの大泉の話」を送りつけておいたのだ。

十全に読み込んできてくれたミセスAと思いっきりその話をした。
ヘタしたらまんがくらぶの人たちよりも濃い内容だった。
ただ、20歳年下のミセスAにはどうしても「萩尾望都を神とあがめる習慣」がないのでそこだけは微妙に合わないのだが、それはそれで貴重な意見だった。

トランクに新しい貸本を詰めて「もう時間です~」と帰ろうとするミセスAを廊下の本棚のところで呼び止めて、さらに萩尾望都の対談集を2冊貸す。
もうトランクを開いてるヒマもないので、しょってきたリュックに入れる、ほとんど買い出しのおふくろさん状態のミセスA。

お子さんが近くの中学に入学したので、来年の1月に我々が引っ越すまでは結構あれこれ用事があってこちらの方に来るのではないかとよこしまな期待をする私。
またマンガの話をしましょうね~。
柴門ふみの「恋する母たち」のスピンオフ完結8巻が出ましたよ~。

21年5月9日

朝、息子から母の日のメッセージが来た。
おととしまでは来なかったし、去年は1日遅れで来たことを考えると着実に進歩している。
「母の日なのでひと言メッセージを。お母さん、いつもありがとう。元気で長生きしてください」とのことで、まことにありがたい。

今日は友人とLINEで(自分たちの)親が困ったちゃんである話をしばらくしていたが、なぜある種の親は子供同士を仲良くさせようとし、そのくせ間に入ってしっちゃかめっちゃかにするのだろうか。
片方にもう片方の愚痴を言い、それを「内緒よ」と言いつつ、相手本人に「お姉ちゃんが言ってた」と嘘の情報を流す。
何がしたいのかさっぱりわからない。
たぶん自分を中心とした人間関係を無理やり構築したいんだろうなぁ。
振り回される子供はいい迷惑だ。

他人のことだとそのような構造があっさり看破できるので、「あなたは相当ひどい目に合ってるよ」と言えるのだが、自分のこととなると親にいいようにされてることになかなか気づけない。
私も家を出てから母親と姉のために一番働いたのは、2人が仲たがいしてる時に母から姉の悪口を聞き、それとは別に「お姉ちゃんは素晴らしい」という意見を聞いて伝える役目を果たした点だった。
せいうちくんはこれを、「おなかを伝言板にされて、好き放題書かれている。いくらキミのおなかが丸々としていて書きやすいからって、あんまりだ」と怒っていた。

そういうせいうちくんは、自分の母親が無理難題を言ってきても一方的にヒステリーを起こしていても、「一定時間黙って聞いてるだけの方が楽。説き伏せるのは大変」との理由で黙々と聞き役に徹している。
上記の友人が、あまりに自分と同じ対処の仕方なので驚き、ちょっと考え方を変えてみようかと思う、と目覚めてしまうほどのやらせたい放題ぶりだ。
「(きょうだい)2人とも私がおなかを痛めて産んだ子供なんだから、仲良くしてほしい」と言っていると聞いて、
「そんなの自分の都合じゃないですか!あなたには関係ない問題です!」と上記友人に珍しく熱く語っていたせいうちくん。
まだ親問題を引きずっているとは言うもののすでに本体が死んでいる私はなんだかんだ言って楽してるなぁ、と初めて母親に感謝したよ。

夜は夜で別の友人たちとZOOM飲み会をした。
半年ばかり連絡を取っていないNくんが元気にしてるかどうかが気になったのだ。
ZOOMが好きでないのですっかり顔を見る機会が減ってしまったが、少人数なら気にならないとのことなので、いつも一緒に落語を聞きに行っていたメンツのKちゃんを誘って、4人でZOOM飲み。

高齢で遠くにいる両親をどうするかの問題に頭を悩ませているNくんと、近くにいるがゆえに介護問題と財産管理問題の真っただ中にいるせいうちくん、残された母親があっさりサ高住に入ってくれたので「思った以上に自分に似ている。特に父の死後、そう思うようになった」とわりとさっぱりしたKちゃん、そして両親は死んでるし姉とは遺産問題でもめる間もなく2回相続放棄の書類を書かされたてついでに縁も切らせてもらった私、それぞれが異なった家族関係のさなかにいる。
自分が心地よく生きて、他の人の思うとおりにしてあげることはなかなか難しいな、と人間力学のややこしさを思った今日1日だった。

21年5月10日

歯医者と心臓の検診と整体院を駆け回った1日だった。
幸い心臓のクリニックの時間はせいうちくんの身体があいていたので、一緒に来てくれて、難しいポイントを聞いてくれた。

どうやら私の心臓は刻刻肥大しているらしい。
手術後にいったん正常な大きさに戻ったものの、それは大動脈と弁の置換をしたせいでとりあえず良くなっただけで、元々あった心筋症はやはり治らないようだ。
なんとなく自分に時限装置がついていてそのうちにはダメになる、ってのは、なんでも終わりが知りたい私にとってはあまり苦痛ではない。
街中でさえ酸素のボンベを引きずって歩いてる人を見るぐらいで、薬で底上げして底上げしていよいよ苦しくなったら酸素吸入をし、さらにそれでももたなくなったらベッドでおとなしく苦しくなっていよう、とすがすがしく決意できる。

難しい話のその1は手術した榊原病院から前のかかりつけ医に送られ、今回紹介状として渡した分にどうも抜けがあるらしい。
術式に関してドクターは「これじゃきちんとわからないな」と専門家らしい不満を鳴らしていた。
こちらの病院から足りない分を取り寄せてもらって、この次の病院に行く時には万全の引継ぎをしてもらいたい、というお願いをしたわけで、その催促。
ドクターとしては中途半端な聞き方をしても面倒くさいだけなので、もう数か月かけてすべての検査をし、状態を完全に把握してから問い合わせをしたいそうだ。
もちろんこちらに否やはない。

胸に聴診器を当てて、「漏れてる音がするなぁ」と言われるのはあんまり気分がよくないね。
「交換した弁のあたりから血流が漏れてるんでしょうか」と聞いたら、
「そこは大丈夫なんだけど、どこかから流出音が聞こえる。再来月にエコーを撮って確認しましょう」とのこと。
すぐ確かめてもらいたいのが患者のサガだが、今回薬を1種類足すので、それがどう作用するかを見てからにしたいんだろうな。

難しい話その2はワクチンの件。
文京区では基礎疾患持ちのハイリスク患者はどういう扱いになるのか、とせいうちくんが聞いてくれた。
困ったことにドクターにも詳しくはわからないらしい。
「国がね、行き当たりばったりなんですよ。とりあえず65歳以上の接種は始まってますが、うさこさんはまだ61歳だからそこには該当しない。従来ならその次に基礎疾患のある患者さんが対象になるはずだったんですが、もう少しでも早く済ませたいということで、65歳以下全員をいっぺんに対象にする可能性もあります」

どうしてもワクチンが打ちたいわけじゃないから別にいいんだが、せいうちくん的には常に心配な点のようだ。
心臓と肺に問題のある私は、罹患すればおそらくあまり軽くはすまないだろう。
後遺症の問題もある。
それもあってなるべくテレワークを選んで家庭にコロナを持ち込まないようにしてくれているせいうちくんにしてみれば、そりゃあ気になるところだろう。

とは言え、結構危険な存在である息子はしょっちゅう来ているし、あんまり細かく気にしてもしょうがない。
粛々と手を洗って消毒してうがいするよ。

21年5月11日

最近せいうちくんの仕事が少し楽になって、19時頃には終われるようになった。
そこからお風呂に入って作り置きのシチューを食べながらコロンボとポワロを1本ずつ見て寝るとちょうどいい時間。

私もなぜかとても眠いせいかあまり薬に頼らずに安眠しており、ただ0時に寝ても4時に起きる体質なのがわかってきた。
実は基本ものすごい朝型だったのか。

今日もポワロを観ているうちにすやすや眠り始めてしまって、気がついたら終わっていた。
せいうちくんと話を合わせるために、昼間のうちに追っかけて観ておかねば。
そんなことを考えながら寝ようとしていたら、息子から連絡が入った。
「明日の午前中、家でリモート授業を受けていいかしら」
別にかまわないけど、何かこちらに来る用事でもあるのかな?と思い、そう聞いたら、
「いや、お顔見せたら喜ぶかな、と思って」

確かに嬉しいのでぜひ来てくれと返事をしておいたが、どうも彼の側にも妙な里心がついてるんではないかと心配だ。
一方で、家族や友人が分断されているこのコロナの時代、会える距離にいる人は会っちゃえ会っちゃえ、とも思っている。
40すぎてもこのままってこともないだろう。
今は今の「青年息子」を楽しませてもらおう。

21年5月12日

今日は午前中息子が来て、リモート授業を受けて行った。
午後は校舎で授業だそうだ。
「顔見せたら喜ぶかと思って」と昨日言ってきたんだが、内実はやっぱり金の無心だった。
友達からの紹介でもらえるはずの仕事が、全然来ないのだそうだ。
「お父さんの言った通りだった…」としょげていた。

最初の30分で告白できたのが進歩だ。
これまではなんだかんだ言って帰る寸前までその手の話はできなかった彼にしては。
「カノジョはなんて言ってた?」と聞いたら、
「そんなうまくいくわけないでしょ」って言ってたらしい。
しっかりしたカノジョだ。
この女性がついてる限り息子は大丈夫な気がする。カノジョ大明神。

でも一方、去年関わった劇団から演出補をやらないかとの声がかかり、こちらは5万円のギャラがもらえるらしい。
オーディションを受けて役者としてノーギャラで参加した劇団からもういっぺん声がかかるってことは、少しは買われたということだろう。
もしかして演劇の道を行くのかな?
その前に副鼻腔炎を治して発声法をきちんとしたほうがいいのにな、と思う親たちである。

言いにくいことを最初に言ったせいか、顔つきは朗らかで、授業も真剣に受けていた。
あいかわらず熱いハグをして、
「本当にありがとう。迷惑ばかりかけてごめんね」と我々に言いながら次のリアル授業に向かって学校に出かけて行った。
何しろゆっくりさんだなぁ、と小さい頃からのことを思い出す。
それでも同じ過ちは何度も繰り返さずちょっとずつだけど着実に進歩して行った日々のことを。

どうせ親バカになるなら徹底的になろう。
中途半端なところで「いい加減就職しなよ」とは絶対言いたくない、ヘンな意地がこちらにもある。
好きなことを好きなだけやって、それでどんな人間になるのか、非常に興味があるよ。
自分の子供でやる実験ではないのかもしれないが。

そのあと美容院と整体院に行ったせいか、それともやはり息子の将来が心配で落ち込んでしまったのか、身体中の力が抜けて夕食も食べられずに22時過ぎに寝てしまった。
そしてお約束のように3時に起きている。
人より長く子育てに悩めて、楽しみ切ってる。幸せだと思おう。

21年5月13日

劉慈欣の「三体」第三部上下巻が発売になる。
息子の大のお気に入りで、一部と二部を彼から借りて読み始めたが、私は読めんかった。
最初の方でかすかに「銀英伝と宇宙の戦士を混ぜるとこうなるかなぁ」とか思ったっきり、意識が薄れた。
父の代から続くSF好きのDNAも寄る年波には勝てないことが、亡くなるひと月前の父からもヒアリングして判明している。
私「最近SFが読めないんだけど」
父「あれはコドモが読むもんだ。オトナはついていけん」
創刊1年後から20年ほどもSFマガジンを愛読し、娘をSF漬けにした男の最期の言葉とも思われない。

せめて息子も少しでもSF界に近づけてやりたいとアシモフとか与えてみたが、どうも彼に影響を及ぼしたのは「アルジャーノン」ぐらいであったようだ。
その彼がせっかく「三体」を読んでいるんだから、応援したい。
上下巻で4千円もする新刊は彼の財布には重たすぎるだろう。
「プレゼントしたいんだけど、迷惑かな」と、せいうちくんからすら「下手に出すぎ。なぜそこまで卑屈に」と驚かれるような提案をしてみたら、返事は「ううん、嬉しい!」と素直そのもの。
さっそくAmazonから彼の住居に届くように手配しておく。
最近物流が滞りがちだから、本屋で平積みの新刊を見ても2、3日ガマンしてもらわねばならないが。

人はこうして自分が伸ばして届く手の先の先まで子孫でつなげていきたいと思うものなのだろうか。
ただ、読んでる最中のハードカバーをリュックに入れずに抱えて歩くのは我々の頃では20歳ぐらいまでの気取り方だった。
いくら人間の成長速度が落ちているからと言って、28歳になる人としてはその自意識の持ちようをちょっと改めてもらいたい。 

21年5月14日

例の「大泉サロン」事件以来、憑りつかれたように萩尾望都を読んでいる。
「スター・レッド」とか「マージナル」のSF系が、ほぼ「星が夢をみて進化する」結論で終わっているのはいかがなものかと思うが、やはり絵は見事。
軽く力を抜いて描いたような「キャベツ畑の遺産相続人」とか「とってもしあわせモトちゃん」の良さに改めて気づく。
「赤っ毛のいとこ」で山上たつひこをリスペクトしているのもわかった。
今から「百億の昼と千億の夜」を気合い入れて読む。
これは原作もさっぱりわからないうえ、少し手短に描いた萩尾望都版はもっともっとわかりにくいのだ。

せいうちくんは「マリーン」と「ゴールデン・ライラック」が大好き。
丸顔フェチか。
萩尾望都が肉体をきちんと描こうと思ったかたまたまバレエにハマったからかわからない「フラワー・フェスティバル」とか「青い鳥」とかのバレエシリーズも、前に読んだ時よりのめりこんで読める。
思わず山岸凉子の「テレプシコーラ」第一部と第二部に浮気して横道にそれてしまったぐらい、バレエだった。

そして圧巻はやはり「十年目の鞠絵」。
ここで彼女が描きたかった、もしくは消し去りたかったことを思うともう…
創作は人を救いもするが、たやすい道ではないなぁと再度思う。

萩尾望都を読み終わったら竹宮恵子を読むべきか。
「風と木の詩」は比較的最近読んだからもういいとして、「ウェディング・ライセンス」とか「ロンド・カプリチォーゾ」みたいな古いとこや、やや新しい「スパニッシュ・ハーレム」そしてなんといってもかなりわからない「天馬の血族」をもういっぺん読もう。
それから「地球(テラ)へ…」と「エデン2185」を読むのだ。
モーさま派は曲げない。
「敵を知り己を知れば百戦危うからずや」の精神で臨む。
「やっぱりスゴイ!」とか思っちゃうかもしれないが。

萩尾望都が「危ない丘の家」の中の「危ない壇之浦」で頼朝と義経にのせて描いているように、天才的戦略家と天才的政治家は違う考え方をし、違う結果を導き出すものなのだ。
あの2人はそのような不幸なめぐりあわせであったかもしれない。
せめてどちらかが「腰越状」を書いていれば…ああ、あれ書くのは義経の方か。
萩尾望都は、書かんかったろうなぁ。

21年5月15日

昨夜のまんがくらぶのzoom飲み会では、突如「病気自慢」が始まってしまった。
私みたいに抗鬱剤をのんでる人も他にもいるし、何といってもメジャーなのは「高血圧」だ。
いきなりみんなマイ血圧計を持ってきて測る測る。
ただ、高血圧と診断されている人たちはすでに降圧剤をのんでおり、そのうえ飲酒中なので、むしろ普通より値が低いぐらいだ。

私は高血圧ではないが、心臓の働きを助けるために血管を広げる効果を狙って高血圧の薬を処方されている。
「バルサルタン」という薬で、どうも他の人の話を聞くと降圧剤は全部「なんとかサルタン」って名前がついてるようだ。
トルコの王様の病気なのか?と首をかしげる。
ちなみにマイ血圧計での計測結果は上が125、下が72と普通。
(実は高めばっかり出て、3回目でやっと正常値が出た。ある種のインチキ)
普段は上が128ぐらいで、バルサルタンをのむと数値が5ぐらい下がります、とのことだったんだが、どうなってるのかな?
まあ血圧はその時その時でけっこういろいろあるからなぁ。
あと、マイオキシパルスメーター(血中酸素濃度計測器)も持ってる。
数値はいつも91~93ぐらい。
通常は95~99だそうだから、やはり血流に問題ありそう。

他には前歯が差し歯の人がせいうちくんを含めて2名(ぶつかる系の事故のせいだろう)、頭蓋のてっぺんがレジンだかなんだかの人工物でフタしてあるのが自慢の長老(バイクの事故による)、胸を正中切開して大動脈と心臓弁を人工物に取り換えたのが自慢の私、それから舌癌の手術をした人がいる。
もっとも病気自慢大会が始まった頃には多くの人が離脱していたのだが。

1時過ぎというわりと穏健な時間に終わって、せいうちくんが寝てしまったあと、突然先週のことを思い出した。
もう終わってると思ったZOOMが長老とGくん2人で続いていて、朝の7時ごろまでやっていたようなのだ。
話に参加したいというよりはにぎやかに楽しんだ後の鬱状態に陥っていたので、人の気配を求めて飛び込んでしまう。

やっぱりいた。
2人でビールを傾けながら、
「おう、うさこがきた。絶対あいつはまた来るぞ、って話してたんだ」と陽気な長老。
私はどよーんとした顔をして、
「精神状態が悪いです。何とかなりませんか」と訴えるも、
「抗鬱剤と睡眠薬をのんで寝ろ!」との指導のみ。
「はぁい…すみませんでした。おさわがせしました。人生に絶望してます」とか言いながら退場し、言われたとおりに薬をのんでせいうちくんの隣にもぐりこむと、寝ぼけ声で、
「2人ともいた?遊んできた?」と聞いてもらえたが、
「調子が悪いからすぐ帰った。長老も薬のめって」としくしく泣いていた。

それでも薬が効いてきて、朝の8時に起きた時はまあまあな心持になっていた。
やはり病は気からである。
FBを見ると、7時半にGくんのタイムラインに長老が「マヨネーズが腐るぞ。冷蔵庫にしまえ!」と書き込んでいた。
おそらく2人での無限ZOOMに入り、7時半にGくんが寝落ちして、マヨネーズ出しっぱなしだったんだろう。

午後、めずらしく長老からメールが来た。
私宛と、私の管理者たるせいうちくん宛になってた。

「せいうち夫妻殿
 うさこは元気かな?
 昨夜、えらく暗い顔をしていたので鬱が心配。
 井戸から這い出たような顔色。

 抗鬱剤をビールで流し込みましょう。
 わしは降圧剤をビールで流し込み中w」

ほんとうにめずらしく、心配してくれたんだなぁ。
すぐに、薬をのんでひと晩ゆっくり休んだので回復しました、と返事を打っておく。
「昨夜はイドの怪物に取りつかれていました」と書いたらウケたかなぁ、と考えたが後の祭り。

21年5月16日

天気がいいので少し散歩でもしようと、図書館に行くついでにぐるっとそのへんを回った。
図書館に行くにはまず家の裏の山を登って行かねばならず、そこから南へ回り込むと住宅街の中に図書館の分館がある。
まっすぐ帰るのはやめて、さらに南から西の方へ坂を下り、不忍通りに出て「夜店通り」を経由して「谷中ぎんざ」へ。

緊急事態宣言中はお休みだとばかり思っていた「にっぽり館」が開いていた!
あと30分で萬橘さんの落語2本と他の人2人の公演が始まるようだ。
でもきっと予約でいっぱいだろうなぁと思えたのと、あんまりびっくりして心構えができてなかったので、また次の機会にしておく。
頑張ってるなぁ、萬橘さん。5月中はたけ平さんはお休みなんだって。
調べてみたら、今日再開したばっかりだそうだ。
それはきっと、本当に満席だったろう。

最近、毎晩のようにビーフシチューを食べているので、美味しそうなバゲットを売っているパン屋さんに惹かれ、1本買った。
一生懸命糖質制限を通しているせいうちくんは食べないが、私はもう気にしないんだ。
皮はカリカリ中はふわふわのとっても美味しいバゲットだった。

しかし糖質制限をやめた私の体重はひどくピンチだ。
大台(たぶん皆さんが想像してるのより10キロ多い大台)の真ん中まで来てしまった。
今はストレスが一番いけないからと甘いものもタバコもやりたい放題で、止まらない勢いだ。
どうしよう。

21年5月17日

そろそろ薬がなくなるのでゆりこ先生(仮名)のクリニックに行く。
ちょうど前の人が終わったところで、ほとんど待たずにお話ができた。
最近の生活を簡単に説明し、大変な部分もあるが主にコロナで重苦しく気鬱なので誰しも同じだろう、家族はみな元気に暮らせていてありがたいと思っている、というような話をする。
うんうんとうなずいて聞いていたゆりこ先生(仮名)は、
「息子さんも夢に向かっていい方向へ進んでいるじゃないですか。コロナの不安がある間は、治ろうとかお薬を無理に減らそうとか考えなくていいですよ」と言って、前回と同じ種類と量の薬を処方してくれた。

薬が増えるのはあんまりよろしくないが、実際世の中の人はみんな鬱傾向に違いない。
遠慮なく服用しよう。

21年5月18日

ミニチュアの町で暮らしているように毎日何かしらすぐ近所に用事ができて出かけてしまうものだから、今日は徹底的に出ない日にしてみようと思った。
ところがそんな日に限ってせいうちくんが会議の入らないお昼休み時間ができたから、外食しに行こうと誘う。
(ふだん外食しに行く暇もなくテレ会議が入っているってのはブラックすぎないか、せいうちくんの会社)

左に曲がって一番近所の定食屋にはこないだ行ったので、2番目に近いとこにしてみた。
(右に曲がる、ないしは横断歩道を渡って道の向こうに行けば、また別の「近い定食屋」があると思われる。定食屋だらけの町なので)

半分ぐらいお客さんが入っていて、なかなかの繁盛だった。
それほどはおなかがすいてなかったがメニューはどれもボリュームがあるような気がする。
せいうちくんは店員さんが「本日のおすすめです」と言った「ニラと肉いため定食」にもう決めてしまった。
黒板に「イワシフライ定食」があるのを見て、イワシならそれほど大きいこともあるまいと頼むことにした。

先に来たせいうちくんの「ニラと肉いため定食」はもんのすごいニラと肉ともやしの山。
仮住まいのキッチンで揚げ物・炒め物禁止(だってリビング全体に油が回るんだもの)になってから作ってもらってないが、せいうちくん作「レバニラ炒め」によく似たボリューム感だ。

そしてやってきた私の「イワシフライ定食」は…でかかった。
衣がバリバリに立っていて、元のイワシの大きさも相当なものらしいが出来上がりはさらにでかくなっていた。
しかもそれが2切れ。辛子がふんだんについてきた。
巨大に立ち上がっているのは下に敷いてあるキャベツのせいだとわかって少しほっとしたが、このキャベツの山も全部食べるのか。
ここ3か月ぐらい野菜ジュースでごまかしてきた野菜不足を一気に解消できそうだ。

とても全部食べられる気がしなかったのに、美味しいものってのは何とか入るもんだねぇ。
ごはんこそ半分ほど残したが、巨大なイワシフライ2切れとキャベツの山は全部片づけた。
ガテンなにーちゃんやおじちゃんの2人連れが多いのはわかる気がするが、隣の席のOL風の2人連れが時々おしゃべりしながら巨大な定食をさりげなく完食して何事もなかったように立ち去ったのには驚いた。
いつの間にか私は「小食人種」になっていたのだろうか。
「このお店は盛りがデカい」と脳内に大書しておいて、よほど空腹な時に来ることにしよう。
我々が食べている間に満席になっていた。人気店のようだ。

天気が怪しくて気圧が荒れてる日に外出したせいか、頭痛が止まらないしなんだかむやみに退屈で機嫌が悪い。
一生懸命マンガを読んではみるが、しばらくすると飽きてベッドを抜け出してリビングのホットカーペット(電源切り中)の上をゴロゴロ転がって、「たいくつ~、あ~たいくつだ~」と叫ぶ。
せいうちくんはもちろん退屈どころではなくずっと仕事をしているのだが、こちらはこちらで煮詰まっているらしく、盛大にため息ばかりついている。
「ちょっと。タメイキつくのやめてよ。私だって退屈をガマンしてるんだから、あなたもタメイキはガマンしてお仕事しなさい!」とつい理不尽を言ってしまう。

平和な生活ではあるが、気圧の低い日は要注意。
鬱症状も出現しやすいと田中圭一センセイも言っておられる。

21年5月19日

最近読んだマンガの話をいくつか。

雑誌「ハルタ」に「蜜と煙」を描いている長蔵ヒロコの旧作「ルドルフ・ターキー」を読んだ。
「蜜と煙」に一目惚れして、この人の他の物を読んでみたい、といきなり買った7巻完結。
いやあ、筋肉と金と銃弾と女体美が山のように出てきて、ゴージャス感満載の逸品であった。
森薫も大好きなバニーのしっぽが堪能できるのと、荒川弘が「銀の匙」で描いている「八軒父(闇)」みたいなドスグロ怖い表情がよかった。
買って正解だったなぁと満足。

萩尾望都を読み終わって竹宮恵子に入ったところでもある。
「変奏曲」の1と2を読んだら、けしからんのはホルバート・メチェックという「椿(カメリア)やかた」に住む音楽評論家だ。
誰もが知る男色家で、主人公のヴォルフともソルティともやっちゃうし、おまけに次の世代のいとこたちの話を書いた「カノン」シリーズの中ではソルティの息子のニーノともやっちゃうのである。
下世話に言う「親子どんぶり」だぞ。
ヴォルフの息子のアレンは未遂ですんでよかった。
やってたら、もう一族総なめじゃないか。

そこで突然思いついたが、「日出処の天子」作中で、夢の中という形をとって厩戸王子がかねてより思し召しの毛人(えみし)とやっちゃうシーンがある。
あれって、どっちが受けでどっちが攻めなんだろう?
この作品を「ずるてん」と呼んで愛読している友人(我々の年の者は「ところてん」と呼ぶのだが、年代が違う)に聞いてみたところ、
「それはもちろん、でしょう」という返事だった。
主導権のある厩戸王子がタチってこと?
いやいや、女性的な面のある彼のことだから「誘い受け」もあり得るんじゃないかと思うんだよね。
しかし「誘い受け」という概念に初めて触れたらしい友人は目を白黒させている様子だった。

ついでになんとなく内田春菊に浮気して「私たちは繁殖している」既刊19巻を最初から読み始めた。
大好きだったはずの夫やボーイフレンドたちが「イヤな男」に描かれていく時間経過がせつないね。
子供たちは大好きすぎてこんなに好きほーだい育てたらどうなるんだろうと思いながら20年以上読んでいるが、全員そこそこまともだ。
それぞれ個性に応じた好きな道を行っている。
日記で行動をバクロされ続けててもちゃんと育つんなら、うちの息子もまあ心配あるまい。
(読んでる人の数が違いすぎるが)

21年5月20日

東村アキコの上杉謙信女性説マンガ「雪花の虎」が全10巻で完結したので読んだ。
ものすごく面白かった。急にちょっと歴史通になった。
面白いが、この人は絵を描くのが速すぎる。
勢いがあって上手だからいいけどね。(特にキメ絵はすごく上手い)
これが完結する前から「東京タラレバ娘2」も描いてたし林真理子原作の「スーパーミディ中島ハルコ」も描いてる。
確か他にも単行本があった気がする。
多すぎて速すぎて、読むのが追いつかない。

原作となった林真理子の「中島ハルコの恋愛相談室」と「中島ハルコはまだ懲りてない」(文庫版はそれぞれ「最高のオバハン」がついてる)が大好きで、そのイメージを壊したくなくて東村アキコ版は読まずにいたんだが、友人のミセスAから貸してもらって読んだらめっぽう面白かった。
最近はドラマ化もされて、大地真央が主役の中島ハルコをやっており、なかなか好評のようだ。

しかしこれには実は大いに文句があり、大地真央の中島ハルコは「美容整形外科医」なのだ。
原作では「名古屋の社長の娘で、金持ちで人脈はあるが、ただのオバハン」である。
商売の腕が立ち、下僕扱いの友人おじさんたちにそれなりに最適なアドバイスなどはしているが、本人に「はっきりした売り」はない。
そこに「美容整形外科医」という目に見える箔をつけてしまったところがこのドラマの面白くない点だ。
正体不明人脈怪奇だからこそ面白いのに。

そうこう言っている間に、「ベルセルク」の作者である三浦健太郎が亡くなったとのニュースが入る。
54歳。若すぎるし「ベルセルク」は未完だ。諸行無常。
いつか読もうと思ってずっと買い続けてるがまだ読んでなかった。
これから手をつけようか。

作者急逝のため未完となった作品は多い。
中でも印象深いのは三原順の「ジョディの海ビリーの樹」とか戸部けいこの「光とともに…」など、ペン入れのされていない下書きだけの原稿で出版してくれた作品だ。
最期まで頑張ってくれたんだろうなぁと感謝の気持ちでいっぱいになる。

「ベルセルク」は友人のSちゃんが大好きだった。
しかし、4年前に完結を待たずに亡くなってしまった。
あの年は厄年と言うか、私は心臓の手術を受け、退院したその月末にSちゃんの訃報を聞いた。
手術痕もふさがらない状態で葬儀に出席した。
和服姿で微笑む遺影を見てもまだ信じられない気分だった。
夏には高校からの親友がくも膜下出血でひとりで亡くなった。
近くの老人ホームに住むご両親と連絡が密だったため、遺体の発見が早かったのだけが幸いだった。
息子は会社を辞めるし、家を出るまですったもんだしたし、思い出すと本当にひどい年だった。
その後息子との関係が非常に良好になったことぐらいが救いか。

21年5月21日

来週に迫った「休日講座」に向けて、アルフィーの下調べ・資料作りで1日終わった。
ここまで何もしていないわけではないが、やはりまとめるのには時間がかかりそう。
ネットで写真などを拾うのが上手なせいうちくんがたくさん手伝ってくれて、大いに助かった。

ここ20年ほど年に1度(一時期は2度)せいうちくんが主催して行っている「休日講座」、2人の講師のうち1人に、数年来BABYMETALにはまってオタク状態の大学教授が手を挙げてくれた。
主催者の妻でありながらずっと講師を逃げていた私も、思わず手を挙げてしまった。
「じゃあ、私、アルフィーやります!」
勢いというのは恐ろしい。

人前での発表とか大変苦手だ。
会社員時代にプレゼンしたことがないので、仕事でプレゼンできる人は死ぬほど尊敬する。
(出張できる人と企画書書ける人も同様)
せいうちくんは、
「みんなアルフィーのことなんかそれほど知らないんだからさ、最初は4人いたとか高見沢さんは中学時代バスケ部のキャプテンだったとか聞くだけで十分驚くよ。大丈夫」とはげましてくれる。
確かにアルフィーの曲を10曲以上知ってれば通な方かも。

念のため、整体院で担当さんにヒアリングしてみた。
私「アルフィーって知ってますよね?」
担当「は、はあ、いちおう知ってます」
私「どのくらい知ってますか?」
担「よくは知らないですが…3人グループですよね。メガネと、サングラスと、髪の長い派手な人と」
私「それだけ知っててくれればありがたいぐらいです。歌は知ってますか?」
担「聞けばわかる曲が少しは」
私「(診療台の上でうつぶせ寝で歌う)『OH~、メリーアン』ってのと、『ほしっぞらのっ、しったのディ~スタンス!』ってのは知ってますよね?」
担「ああ、それは知ってます」
私「十分です。ありがとうございます。ついでに聞きますが、BABYMETALは知ってますか?」
担(アルフィーの時より勢いよく)「はい、知ってます!」
私(なんだか原因不明の敗北感にさいなまれながら)「そうですか…ちなみにどのくらい知ってますか?」
担「すごく若い女の子たちのグループで、海外で活躍してますよね」
私「3人から2人になったとかは?」
担「そうなんですか?いや、そこまでは」
私(急に自信を回復して)「ちょっとした意見調査です。ありがとうございました」

さて、私はBABYMETALオタクに負けないほどの講義ができるだろうか。
軽くジャブを入れて調査したところ、向こうは数えきれないほどコンサートに行っていると言う。
人混みと熱狂が苦手なこちらは、去年の夏にコロナのせいで初の無観客ライブがあったのを幸い配信を観たのが初めてで唯一のアルフィーコンサート体験だ。
DVDは山ほど持っているが、今回資料として研究しようと思ったら全部貸倉庫に預けてしまったことが判明し、危うくせいうちくんに別テーマでの代講を頼まざるを得ないところだった。
しかしやはり音楽テーマが2つそろった方が面白いだろう。
今はネットで映像はいくらでも拾えるし、むしろ買ったDVDの方が加工のしようもないので良かったぐらいだと気づき、なんとか開講に踏み切る。

明日とあさってでしあげてしまわなくっちゃ。
パワポ用の資料なんて作ったことないので、ワードで書いた原稿にせいうちくんが写真を貼りつけて手伝ってくれる。
映像編集等もかなりおまかせだ。
世の中に「天然でおちゃめな高見沢さんの詰め合わせ」なんてYouTube映像があるとは知らなかった。
滑って転んだシーンも歌詞を忘れたシーンも満載だ。
これは絶対なんとかなる!


21年5月22日

恒例の前夜のZOOM飲み会前半はけっこう荒れた。
かなり酔っ払ったGくんがほかの人もうすうす思っていることを実にきっぱりと遠慮なくある人に浴びせたので、胸のつかえは取れたものの、取れたつかえのあとに「ここまで言っていいのか?」とのビビりが忍び込むほどだった。
言われた人は果敢に応戦していたが、こたえたろうなぁ。
さすがに次のセッションには現れなかった。
このへんが、息子がちらっと聞いた我々のZOOMマナーに驚く点だろう。
少なくとも「陰キャ」が多い息子たちの間では、人にあんまりきっぱりモノを言わないようなのだ。
ナイーヴな若者たちの、これも処世術であろう。
我々は「攻撃的な陰キャ」なのだろうか。
処世術なんかほとんど関係なくなった40年来の知り合い同士のアラカンは、もう言いたい放題だ。

後半は、IOCが「東京が緊急事態宣言下でもオリンピックは実施してもらう。天災などで中止という条項は契約に盛り込んでいないので、できなければ違約金を払ってもらう」と宣言してきた話で半分ぐらいもちきり。
契約書まで出てきて喧々諤々。
いろいろ騒々しい夜だった。

21年5月24日

あいかわらずアルフィーの下調べ。
せいうちくんが写真をたくさん貼ってくれていいパワポ資料を作ってくれた。
今はWikiで調べれば何でもわかるから情報も充実してる。

でも、なんとなくまだ自分のものじゃない。
「仏作って魂入れず」って感じ。
私にとってのアルフィーって何だろう。
10年ぐらい激しくハマって、しばらく忘れていた何かを思い出そうとしてみる。

最初に好きになったのは多分25年ぐらい前。結成から23年ほどたったころだと思う。
吉祥寺のCDショップ新星堂に掲示されてた「LOVE」というニューアルバムのポスターにズキンときた。
あとからCDやDVDを買い集めてわかったが、他のアルフィーのアルバムとは少しテイストが違い、青いバックに白い衣装の彼らが清楚な感じだった。
曲もわりと珍しい雰囲気のものが多く、そのせいかその後のコンサートDVDでアルバム「LOVE」の曲が演奏されることはあまり多くない。
そこからコンサートDVDを買い集め始め、2年後の25周年記念には高見沢さんのポートレイトの額も買った。
その後ずっと家のどこかかしらに飾っている。今回の仮住まいにも持ってきた。

ふしぎな出会いもあった。
ある日、ちょっと薬でフラフラして歩いてて、日頃は全然入ってみようとも思わない中古CDショップに足を踏み入れたのだ。
真正面に、高見沢さんのソロ・アルバム「ism-主義-」が輝いていた。
これは今でも結構レアで、なぜあの時目の前に現れたのかわからない。
また、昔住んでいた西荻の街をぶらぶらしていてたまたまあった中古DVD屋さんに入ったら、滅多に出会わないアルフィーのコンサートDVDが5本もいっぺんに手に入った。
数日前に誰かが引っ越しか片づけのためにまとめて売り払ったのだろうか。
こういう出会いには、神秘を感じる。

アルフィーファンになってからずっとソロ活というか、1人で楽しんでいてコンサートに行こうとかファンクラブに入ろうとか思わなかったんだが、ある日、ちょっと魔が差してネットのファンクラブに入った。
アルフィーの好きな人ばっかりいるんだなぁとは思ったが、やや堅苦しくて、異質なものを許さない雰囲気だった。
昔、「高見沢さんと坂崎のやおい(当時、BLはそう呼ばれていた)的小噺」を書いて友人にあててメールしたもんだから、その友人が「知り合いにアルフィーにハマった主婦がいる」として彼のHPでその小噺を披露していた。
よせばいいのに、私はそのHPのURLをファンクラブのサイトに書き込んでしまった。

それを読んだ古参のファンたちの反応は冷たかった。
「こういう目で見る人がいるのは困る」
「自分で楽しむ分にはいいけど、人が見るところに晒すのはちょっと…」とボロクソだった。
その頃はまだ「ネット人格」と「現実の自分」が違うものだと認識できなかったので、周り中に責められている気がし、お詫びして、退会することにした。
中には「新しい人が元気よく発言しているのを快く思わない人がいるのは残念です」
「いろんな意見の人が活発にやり取りしてほしい」と慰留してくれる人もいたが、心底アルフィーファンが怖くなった。

以来、FBのアルフィーファンのグループには籍を置いているが、それも熱心すぎる人が多いと感じて違和感だらけだ。
アルフィーを神のようにあがめ、何かというと「メンバーのためにファンもきちんとしよう」「アルフィーファンとして恥ずかしくないようにしよう」との発言が目立つ。
実際アルフィーのファンは統制が取れていて、ジャ〇ーズファンなどに比べてコンサートマナーもよく出待ちや人だかり、騒音などメンバーに迷惑をかけることはしないので有名らしい。
厳しい自意識がそうさせるのだろうか。
そのへんちょっと「ヅカファン」に似てるかも。

向き不向きはあるもので、私はどうもそういうのが苦手らしい。
最近少しソロファン活が再燃したのでここ数年のコンサートDVDも買うようになった。
(ただしアルフィーのDVDはブックオフ等では滅多に見かけない。誰も売らないのだろう)
たまに見つけてもたいそう高価である。
それでもサガだから中古屋に行くたびに「J-pop」の「あ」の棚を見てしまう。
去年いっぺんに3枚見つけてしまって、少し慌てふためいてせいうちくんに相談したら、
「買える時に買いなさい。もう二度と巡り合えないだろうから」と豪儀なお返事をいただいた。
ありがたく買わせていただきました。

人混みや人付き合いの苦手な私には、家で1人でないしはせいうちくんと2人でDVD鑑賞してるのが一番性にあっているようだ。

21年5月25日

ドラマを観てたら途中でキリンのCMになった。
「息子がお笑い芸人になりたいと言い出した」と利重剛というおっさんがぼやいている。
ここでまず2人して吹いた。
うちはほぼほぼ同じ状況だからだ。

CMを見続けていたら、驚いたことに「夜の公園、ベンチでビールを飲む父親の前で芸を披露する」コンビは昔の息子の大学お笑いのひとつ先輩だった。
実力はかなりのもので、学生お笑いの賞を総なめにして卒業したあと、それぞれ就職したと思ったらいつの間にか戻ってきていた。
前にNHKの新人コンテストでも賞を取っており、将来有望。
ついにCMにまででるようになったか。

終わらない青春の中にいるように見える彼らがうらやましい。
もちろん本気なんだろうが、全員が成功できる世界でもあるまい。
彼らの「学園祭」はいつまで続くのだろう。
30歳ぐらいで脱落していく人たちが多いんだろうなと想像してるが、息子はその中に入るのだろうか。

竹下景子が俳優志望の2人の息子たちに合わせて月額60万ぐらいの支援をしているのが「甘やかし」と報道されていたが、演芸の世界で一人前になるまでにはけっこうかかる。
「その時」までやめないのが唯一にして最大の条件だ。
竹下景子ほどの資力はないので「毎月60万」だったら負担だが、まあ息子1人だし、共稼ぎのカノジョもついて2人で暮らしていてバイトもしているから時々来る無心は平均月10万といったところだ。

そもそもコロナ禍だし、パチンコ屋や飲食店の息子は真っ先に職を失った。
今もなんとか自力で暮らそうと頑張っている。
演劇の学校に行く費用は貸したが、出資者に対して礼を尽くして丁寧に経過説明をし、いつも、
「とてもためになって楽しい。助けてくれて、ありがとう」と言うようになったのは大きな進歩。

私たちは、自分たちの行けなかった世界の姿を見たいのかもしれない。
サラリーマンの家庭の育ち、サラリーマンしかやったことのない我々からこういう変わり種が出るのはなかなか面白い。
自分の未来を、夢を託すために子孫を残す面もあるので、このまま突っ走ってほしい。
そもそも上の代は下の代より金銭的に裕福すぎるので、日本のこれからを考えても適度な援助を個々にしていくしかないと思う。

21年5月26日

昼寝をしていたら悪夢をみた。

病院に治療を受けに行ったところで拉致される。
妙な新興宗教のような連中で、私は「病気になった」「障碍児を産んだ」かどで有罪であり、電気による火刑に処されるらしい。
次々処刑されていく女性たちが、10秒ほど「熱い!」と叫んで絶命するのを見て、
「10秒ぐらいなら我慢できる。それで死ねるならかまわない」と覚悟を決めて処刑台に上がる。

身体が焼けている間、「せいうちくん!娘!息子!」と10度ほども叫んだ。
天にも届けとばかりに声を張り上げて。
最後の1回ぐらいは現実世界に漏れたらしく、私の叫びを聞いてせいうちくんが隣の部屋から飛び込んできて起こしてくれた。

夢の内容を話すと、
「キミは本当に毅然とした人だ。僕らの名前を読んでるのが聞こえた。ちょっとありえないような精神力だ」とほめてくれた。
でもなぁ、せいうちくんは私を刑に処す人たちの正面で、有罪を主張してたんだよなぁ。
炎に包まれたバケモノと化した私は飛び降りてせいうちくんの喉笛を食いちぎり、そのあと奥に鎮座している教主とみられる金目教(仮面の忍者赤影、知ってる?)のような金剛仏に飛びかかっていた。
そのへんで起こされたので、あとは覚えていない。
我ながら猛々しい夢をみたもんだ。
それに、せいうちくんの立ち位置ってなんだったんだろう?

21年5月27日

12時にせいうちくんが出社するのと入れ替わりに息子が遊びに来た。
前半は私のコンパニオンのバイト、後半はお泊まりでお父さんにも孝行しようとのイベントだ。
なのでせいうちくんには私の持ち時間いっぱい、19時までは帰ってこなくていいと言ったのに、16時から18時まで仕事がなくてヒマだから帰ってきてしまうと言う。
人生でたった数度目のことだが、「NO せいうちくん」を望んでしまった。
まあいい。16時までいっぱい息子とおしゃべりしよう。

「最近は訃報が多くて、悲しい」と、三浦健太郎「ベルセルク」の愛読者でもある息子は嘆く。
頼んでおいたテイクアウトのカレー弁当を買ってきてくれたので、それを食べながら故・田村正和を偲んで「古畑任三郎」のスペシャル、松本幸四郎主演の「すべて閣下の仕業」とイチロー主演の「フェアな殺人者」を鑑賞する。
どちらも名作であった。
亡くなった人が動いているのを観るのは不思議な気持ちがするもんだなぁ。
古い映画とか観ればそれはもう、全部がそうとも言えるわけだが。

私はおしゃべりしようと意気込んでいたんだけど、息子は、
「お母さん、観たい映画があるんだけど。ちょっと怖いの、平気?『ミッドサマー』ってやつ。ホラーじゃないんだけど、なんかカルトっぽいらしい」と言い出す。
アマプラ有料で観られることまで調べてきてた。
新しい映画を観る機会が少なくなっていたので、歓迎すべき事態ととらえ、一緒に観た。

これがまあ、しんどい映画と言うか、確かに悪霊や幽霊が出るでなし、ホラー要素はないんだけども、バッドトリップによる認知の歪み、不安をかきたてる映像、時間と空間の不思議な流れとそれによって醸し出される非現実感などが満載だった。
自殺も殺人も猟奇もエロも、てんこ盛りだ。
精神の不安定な母親がこれ観て大丈夫だと彼は思うんだろうか。
そもそも、丸出しのセックスシーンを母と息子で一緒に観てるってヘンだろう。
昭和の時代には、テレビにキスシーンが映っただけでお茶の間は一気に居心地が悪くなったものだぞ。

とは言っても本当にいい映画だった。
こういうのを一緒に観ようと言ってくるのが令和の親子関係なのだろう。
お互いに交代でひざ枕しながら、「うわー」「死んだねー」「ボカシないのかー」などと言って鑑賞し終わった。

さて、その間に帰ってくるはずだったせいうちくん、会社で本当に何か新しいトラブルが発生したとLINEが来た。
「嘘じゃないんだよ。真面目に、19時までに帰れるかどうかもあやしい」と言ってきていたが、最終的に「21時頃までかかるかも」って。
「ミッドサマー」を観終わって異常な心持ちになってしまったので、クールダウンもかねて家の前のコンビニに夕食を仕入れに行った。
私はおにぎりを2個買い、息子は麻婆丼とサラダ。
あとは私が昼間残しちゃったカレー弁当を食べてくれるって。よかった。

やっと希望通りおしゃべりタイムになった。
息子が月に1度は泊まりに来てるのでカノジョを寂しくさせてしまって悪いなぁと言ったら、
「オレがこうして一緒の時間をすごしに来るのに、全然無理も不都合もないから心配しないで。すごくいい時間を過ごさせてもらってるよ。今はそうできるタイミングなんだから」と励まされた。
よく考えたら破格の時給でコンパニオンのバイトさせてるんだから、もっと平常心というか威張っててもいい気がしてきた。
いや、嘘嘘。
やっぱり息子が自分の時間を我々に咲いてくれるのはシンプルに嬉しい。
自分たちが親とすごしたいと思わなかったから、「会いたいよ」と素直に言われるととっても驚くんだ。

疲れ果てたせいうちくんが帰ってきたのは22時近く。
「お父さん、お帰り。お疲れさま」と息子は何度もぎゅうぎゅう抱きしめてねぎらっていた。
肉を焼いて食べる、と言うせいうちくんの支度を待って、我々は買ってきた夕飯を食べながら、本日2本目の映画は私のセレクションで「ジョー・ブラックによろしく」。
ブラッド・ピットとアンソニー・ホプキンス共演の名作だ。
昔観たが、大好きだ。
息子にも、と思ってマイリストに入れておいたら、目ざとく見つけて、
「おっ、これ、面白そうだなぁ。ぜひ観たい」と言うので、3人で鑑賞。

人生と愛についての美しい映画で、これまた人が亡くなるシーンと濃厚なラブシーンがあった。
今日は息子といろいろ見ちゃうなぁ。
「死生観と貞操観は人それぞれだからいいけど、パートナーシップは大事だよね」と共通見解を得て、ちょっとほっとする。
「死ぬ覚悟」ができてると、そこから豊かに人生が送れる気がした。
すべてに感謝して、自分の人生に意味があったと思えて、周りの人たちに愛と思い出を残していける。
「ミッドサマー」と「ジョー・ブラックによろしく」の両極面からそんなことを思った。
「娘ちゃんも含めて、僕ら家族4人とも今、生きてるよね。素晴らしいことだね」と息子。

すっかり夜中になってしまったので、くたびれ果てたせいうちくんを筆頭に全員就寝。
息子はリビングのカーペットの上で毛布かぶってすぐに寝入ってしまった。
私もさすがに疲れてたようで、わりとさくさく眠れた。

21年5月28日

朝8時にちゃんと起きられるようになった息子。頼もしい。
睡眠薬が残った私の方がぐずぐずとあくびをしていた。
せいうちくんは昨日話せなかった分、例によって息子に「仕事はどうなってるの」と聞いていた。
7月に小劇団の公演に演出補として誘われたのが嬉しすぎて、息子は今、あんまり働く気になってない。
劇団のスケジュールが決まってからコンビニの仕事とかを入れたい、と言う。

「日払いで引っ越し屋さんとか配送センターの荷物整理とかやんないの?」と聞いてみたら、
「やった方がいいのはわかってるんだけどねー」
「『あさって空いてるなー』とかいう日に、申し込めば仕事はあるんじゃないの?」
「あるんだろうねー」
どうも「基本に勤労がある」タイプの市民を作り損ねてしまったようだ。
とりあえず7月の公演が終わるのを待つしかあるまい。
たった今は「学生」の身分だからニートとは呼べない。

アルフィーの講義を半分ぐらいZOOMでやってみた。せいうちくんと息子に見てもらって。
2人とも、
「すごく面白い。知らないことが多かった」とほめてくれた。
特に息子は、
「あの人たちはスゴイとは思ってたけど、本当にスゴイねー!興味深かったよ!」と絶賛。

10時から息子はリモート授業に入り、10時半に歯医者の予約が入っていたせいうちくんが出かけて、帰りに唐揚げ弁当を買ってきてくれた。
12時の昼休みを待って、3人で話しながら食べる。
13時からまた授業が始まったので、せいうちくんと私はお昼寝。
私は15時頃起きてアルフィーの仕上げとか日記とか。
17時の授業終わりを待ってせいうちくんを起こし、アルフィーの残りを見てもらおうとも思ったが父と息子の会話が少なめだったので残りの時間はそれにあててもらうことにした。
やっぱりついつい「働かないの?」とか聞いてしまうお父さんなのであったが。

18時過ぎに、「とっても楽しかった。いろいろありがとう。元気でね。いつもすごく感謝してるよ。寂しくならないでね」と言いながら我々をかわるがわるハグして、ぎゅうぎゅう握手して、息子は帰って行った。
昨日の12時に来たわけだから、30時間の長い訪問だった。
さすがにお互いちょっとげっぷが出ると言うか、お別れしても泣かずにいられそうだ。
明日は「休日講座」の大舞台が待ってるしね。

いろんな生活の仕方があるし、いろんな親子関係がある。
今、同じ映画を観て感動し、語り合い、お互いの健康と幸福を心から願うことができる。
それだけでとりあえずいいだろう、と思った。

21年5月29日

やっとアルフィーの発表終わったー!
口から心臓が出るぐらい緊張した。
パワポ38枚の画像入り原稿を読む形でしゃべり始めてみて、自分が何読んでるのかわかんなくなった。
7本ほど入れた映像、出すタイミングとかが無茶苦茶手際が悪くて、体裁みっともなくて泣けた。

コンサート風景を1本(細長い会場だったので音がウェーブのように後ろに伝わっていくさまが見えた。音速って意外と遅い)、高見沢さんが転ぶシーンが1本、「AGES」と「DNA Communication」の2本で高見沢さんの高音の素晴らしさをアピール。
ここまでは15秒ずつぐらいだったけど、何かはきちんと全曲聞いてもらいたくて、まんがくらぶにちなんでアニメ映画「SF新未来世紀レンズマン」の主題歌でもある「スターシップ-光を求めて-」(これも高見沢さんのソロがいい曲)と「ウルトラマン組曲」から「ウルトラ・スティール」はYouTubeで拾った映像を最初から最後まで。
後者はまるでウルトラマン・ショーのようで、高見沢さんのステージをウルトラセブンとウルトラマンゼロが応援して駆け回ったりポーズとったり、しまいによたよた出てきたエレキングをウルトラヒーロー2人がやっつけ、最後は高見沢さんも加わって特殊効果のスペシュウム光線で倒す、という奮闘ぶりだった。

しかし、今回調べ物をしていて一番驚いたのは、桜井以外の2人は結婚してないとずっと思いこんでたところが、坂崎は30年来事実婚状態なのだそうだ。
あんなに多趣味なのに、結婚までしてるヒマがあるとは!と驚いた。
もちろん我らがタカミーは独身貴族。
本当のところは知りませんが。

最後はTHE ALFEEから今の世界を生きる皆さんへのメッセージ。

「星空の下のディスタンス 守ろうよ ソーシャル・ディスタンス
 さえぎるコロナのりこえて この胸にもう1度」

の「メリーアン替え歌映像」を流しておしまい。

まあまあのご好評をいただきつつなんとか持ち時間の枠内、1時間で終えることができて、倒れそうになりながら司会者のせいうちくんに交代。
10分間の休憩がアナウンスされ、続くは大学教授による「BABYMETAL講座」。
このへんまででZOOMのお客さんは16人にふくれ上がっていた。

なんでも好きなものや人を語る時は熱っぽくなるんだろうけど、教授もいつもよりやや前のめりで、機器の関係か声は少し小さめだったが情熱が伝わってくる講義だった。
映像をいくつか紹介し、メンバーを紹介し、歴史を紹介する。
あの人たち、12歳のころからやってるのか。
そもそも8歳ぐらいでもうアクターズスクール入っちゃったりするのか。
(20年遅れているぞ、息子!とは思ったが、まあアイドルになるわけじゃないからいいんだろう)

外国でばかり活動してるイメージだったが、それは「日本のちっちゃい女の子がやるメタルなんてニセモノだ。化けの皮を剥いでやる」と思っている連中の本拠地に飛び込んで見事に人気をさらい、その後も海外のメタルフェスに呼ばれることが多いせいらしい。

メインボーカルである「SU-METAL」の声は確かに硬質で透明感があり、天からの声のように聞こえる時がある、と言われるのもわかる気がする。
「MOA-METAL」と「YUI-METAL」と3人組だったが、YUI-METALが体調不良を理由に脱退してからはサポートメンバーを入れてやっているようだ。

そもそもメタルもパンクも全部わからない。ヘヴィメタとメタルの違いは?
プログレとか言われるともっと難しい。
高見沢さんは「なんでも好きだが、レゲエだけは音楽じゃない」と言ってるそうだが、レゲエもわからないよ。

図らずも武道館を最年長と最年少で使ったバンド合戦になって、今年の休日講座は終わった。
質問会では、
「お二方に聞きたいんですが、どういうきっかけで沼にハマりましたか?」
「ここが好き!という理由を教えてください」などの本質的な質問が出て、答えるのが難しかった。

雑談めいてきた時に、我々の世代の特に東京の人は、ラジオなどの影響で「坂崎からアルフィーを知った。深夜放送で坂崎を聞いてたから」と言う人が多く、グループを売ろうと話芸を磨いた坂崎の戦略が間違ってなかったのを知った。
いろいろ有意義な会だった。
もう二度と講師はやりたくないけどね。私は徹底的に向かないんだよ。
せいうちくんは「とてもよくできていたよ。アルフィー愛にあふれていたし、面白かったよ」とほめてくれたけど。

さて、毎回、二次会に入る前に次の年の講師を決めることになっている。
これはせいうちくんが仕切り、居並ぶ画面の顔を見ながら、
「まだやってない人も何人かいらっしゃいますね…Sくん、お得意の虫なんかどうですか?」と指名。
隠れもない虫オタクの彼は、FBに虫のアップばかり乗せるもんだから女性陣からは「Sくんのが流れてくると虫見ちゃうんですよね~」とちょっと言われている人物だ。
「虫ですか。いいですけど、来年も5月なの?それは時期が悪いです。フィールドワークに出てしまう時期なので。寒い時がいいんですけどね。あと、雨の日とか。晴天順延でやれません?」とものすごいことを言ったうえで、寒い時期、しかも仕事もあまり忙しくなくてどうせ忘年会もやるだろうから、との理由で12月になった。
休日講座を年に2回やっていた血気盛んな時期もあるぐらいだから、それもいいだろう。

もう1人の講師は、「オタク対決」ってことで、「鉄オタ」のGくんが指名された。
「YouTubeであちこちの鉄道の画像作ったりしてたじゃない。あれを集めてさぁ」とあくまで軽く言うせいうちくんに、
「しょうがない。半年で、映像と昭和漫談をくり広げるか」とあきらめ顔。
こうして無事に来年(いや、今年だ)の講師が決まった。

そのあとは各自飲み物や食べ物を持ってきての二次会に突入。
去年もこんな感じでZOOM講座からの二次会をやったので、慣れてる人(講座は聞きたいけど二次会にはあんまり興味ない人)はささーっと潮が引くようにお帰りになられた。
主催者せいうちくんは、
「しまったなぁ。こうなるのを予測しておくべきだった。久しぶりの人もいたから、せめて各人ひと言ずつ近況報告とかご挨拶をいただく形にすればよかった!」とたいそう悔やんでいた。

実際、13時半に始まった講座が16時頃終わり、宴会に入って1時間もたつ頃には非常に見慣れた「いつもの金曜の顔ぶれ」が目立って、既視感がハンパなかった。
それでも何人かは珍しい人もいたのでよかったな。

メンバーが出たり入ったりしながら結局夜中まで続いた宴会、もうすっかり「金曜メンツ」ばかりになってて、主催者の責任として最後までいようと思ってたせいうちくんも23時に力尽きた。
そのあと聞いたら、「そんなにやってない。1時ぐらいまでだった」って、12時間以上のZOOMじゃないか。
無料版だから40分で切れる。
すぐに立ち上げるとみんなどんどん戻ってくる。
それを12時間やっていたわけですか。くたびれるわけだ。

ああ、やるべきことをやったあとは清々しいと言うより眠い。
久々に熟睡できた。
気合を高めるために毎晩流して寝ていたアルフィーも、今日はさだまさしに交代だ。
参加者の皆さん、どうもありがとうございます。

21年5月30日

アルフィー疲れと宴会ボケで1日寝てようと思ったら、前に住んでたマンションの売却をお願いしてる不動産屋さんがどうしても会いたいと言って訪問してきた。
もちろんそういう話はせいうちくんに一任してるので、隣の部屋で寝てた。

どうやらすごく気に入ってくれたお客さんがいて、ぜひ買いたいんだけど、手持ちの現金が100万しかないのでそれで手付けを打たせてもらいたい、また、引き渡しは11月、とのこと。
そのうえリフォームに1600万かけたいからマンション価格を200万値引きしてくれ、と言う。
250万から500万が相場の手付が100万と非常に少ないうえ、引き渡しまでが長すぎる。
我々、その間ずっと住んでないマンションの管理費とか払い続けなきゃならんの?と隣の部屋の私はそこでまず「ないない」と思っていた。

なんでそんなに現金がないのかと不動産屋さんに聞いたら、どうも大手証券会社の人らしいのだが、購入した株は会社の内規で半年間は売却禁止なのだそうだ。
それで現金が動かせない、と。
しかし、中古マンションを探してる真っ最中に有り金全部株につぎ込んで、手元から現金をなくしてしまうものだろうか?
聞けば聞くほどわからない話だ。
そのくせ契約はもう明日にでも、と急がされ、それで不動産屋さんが休日に訪ねてくる仕儀になったわけ。
もしかしたらこのへんはお客さんには関係ない不動産会社の方のノルマの問題かもしれないが。月末だしね。

この契約条件の悪さに、せいうちくんはお断りをしてくれた。
不動産屋さんはしばらくねばっていたが、2時間ぐらいで帰った。
「断ったけど、よかった?」
「もちろんだよ。あやしいよ。断った方がいいに決まってるよ」と話す。

問題はそのあと。
お客さんからせっつく電話がかかるのかノルマのために不動産屋さんが電話するのか、二者会談電話がしきりに交わされるらしく、そのたびにせいうちくんに電話がかかってくる。
ここを譲歩、あそこも譲歩、って感じで、20時頃には「買値は200万のせてちょっとの値引きでいい。6月にボーナスが出るので、それで手付けを上乗せして260万払う。引き渡しも3か月前倒しの7月でいい」となっていた。
「めんどくさいし、それなら売ろうか」
「うん、早いに越したことはないよね。半年売れなくて、ちょっと焦ってきてるし」と話していたら、不動産屋さんからメール。

「飼い主様が、手付けを打つまでに15日もあると思うと精神的に辛くて耐えられないから、この話は破談にしてほしい」だって。
あまりのジェットコースター的急展開についていけなくなった。
いずれにせよ、このなんだか怪しい人と契約しなくていいみたいだ。それだけはよかった。
なんだかんだすごくもめた挙句のお断りに、むしろほっとした。

名古屋の友達にLINEでその話をしたら、
「100万円しか動かせる現金がないのにマンション買おうなんて、その人、ヘンな人よ。ヘンな人とかかわりができなくてよかったわね」とばっさり。
実は私も全く同感。
マンション売るって意外に難しいなぁ。
「もっと山とか見てのんびり暮らしたい」って、街のど真ん中のマンションの5階にそんなこと期待してくるのか!と驚いたこともある。
我々が今いる日暮里の辺からあちらへ越していきたい人もいるようで、運命の不思議も感じた。

毎週、内覧がとぎれたことはほとんどなく、常に2組ぐらいずつ来ているので、そろそろうちに決めてくれる人もいるかもしれない。
高い買い物だから、皆さん必ず「他のも見てから決めます」とおっしゃるんだよね。
いい部屋だったと思っているので、「おう、見てきてくれ。うちが広くてしっかりしたいいマンションだってわかったらまた会おう」ってな気分。
内心「売れないなぁ」ってドキドキしてるくせにね(笑笑←自分)。

21年5月31日

整体院の45分コースのチケット、買ってあった5枚綴りの最後の1枚、今日が期限なので使い切った。
しっかりもんでもらったけど、いつもにも増して全身ごりんごりん。
「硬いですねー」と随所で言われる。
終わったら眩暈で立てないぐらい血流がよくなっていた。

マッサージの類は大好き。
20年近く前、初回に飛び込みで来た私があんまり具合悪そうだもんだから、「特別料金でいいよ。よければまたどうぞ」とすんごくまけてくれた個人営業の整体師さんがいた。
嬉しいからその後10年近く通い続けた。
特別料金で。
本人、その時を思い出して曰く、
「絶対2回目は来ないと思ったんだけどねー」。

もちろん通い続けるうちに申し訳なくなり、通常料金でやってくれとお願いしたのだが、
「うさこさん、他にもいろいろ病気で大変でしょ。まずは身体を整えよう」とずっと半分ぐらいの額でやってくれた。
5年ぐらいでやっと千円余分にとってくれるようになった。

週に1回とか2週に1回ぐらい通っていて、1時間半揉む間おしゃべりの相手もしてくれたし、「息子が言うこと聞かなくて」なんてお悩み相談にも乗ってくれた。
息子の高校受験の時と大学受験の時はいろいろ相談していたような気がする。
急なぎっくり腰で動けなくなった時は往診してくれたり、いろいろお世話になった。

そんないい関係の整体師さんとこに何で行かなくなってしまったかと言うと、私は当時安定剤や睡眠薬を常用していたので、寝坊してしまうことがあった。
自転車で10分ぐらいの距離なので、
「もし15分遅れることがあったら電話してみてください。すぐに起きて飛んできて、残り時間、施術してもらいますから。忘れて外出してるってことはまずなくて、起きられずにいるだけですから」と何度もお願いしたのだが、なぜかそれは彼の美学に抵触するらしかった。
電話がかかってこないまま私の持ち時間が過ぎ、半日たって起きてやっと気づき、謝りの電話を入れるとニコニコして「うさこさん、今日も寝てたねぇ」と言う。
これが何度も続くうちに、私の方が申し訳なくて持たなくなり、行かなくなってしまったのだ。

最後の3年ぐらいは正規の料金を取ってくれともお願いしていたんだが、やはり「これでいこうよ」と断られていた。
その申し訳なさも重なっている。
やや遠いので行かなくなって生活は楽になったが、肩や腰は凝るようになった。
1時間半全力でほぐしてくれても、
「2週間たつとゾンビのように復活した凝りで現れる」と笑われていた肩凝り症なんだ。
なんで10年もあんなに良くしてくれたのかなぁ。

なんとなく気まずくなって、こちらに引っ越す頃にもまだ営業してた整体院にご挨拶に行くことも考えたが、両者の間にはなにかのしこりが残ってしまった。
取引は正当なバランスで、というのがこの件から得た教訓だ。

というわけで、今の隣の隣の整体院には、日頃の治療以外にも施術券を買い、時々使って「長いマッサージ」を楽しんでいる日々。
あー、もう凝ってきたわー。

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